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劇場版 機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- ~映画『Z』賛美・TV『Z』批判!

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『劇場版 機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』 ~映画『Z』賛美・TV『Z』批判!

(文・T.SATO)

『劇場版 機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』①

(2005年8月執筆)


 本来あるべき『Z(ゼータ)ガンダム』がここにある! コレでもう、TV版『Zガンダム』は不要だネ!?(笑)


 20年前の繰り言を云っても詮ナイのだけど、ファースト『ガンダム』世代のオッサンオタクとして云わせてもらえば、インターネット普及以前なので当時のマニアたちの評価がアーカイブ化されなかったので後世にはほとんど残っていないし、後年に後続世代が『Z』を神格化して、なおかつ世界観が異なる「平成ガンダム」以外は「富野ガンダム」として一括して捉える流儀が普及したことで歴史も塗り替わってしまっているけど(汗)、本映画の原典であるファースト『ガンダム』の直系続編『機動戦士Zガンダム』(85年)はホントウにヒドかった。愚作だった。当時のファースト『ガンダム』世代たちの期待をウラ切っていた。


 行き当たりばったりなストーリー展開。コケオドシなハードぶりっコの作風。多面的というより多面性の統合に失敗した支離滅裂な人物像。富野カントクによる名作リアルロボットアニメ『伝説巨神イデオン』(80年)以来からなる思わせぶりな「新劇」調なセリフ廻しもメッキが剥がれて小っパズかしいだけ。


 人類が半減するほどの大戦争後の7年後の世界だったというのに、ファースト『ガンダム』での幾編かには存在した、被災者なり難民なり貧困なり廃墟なり空爆跡なりの戦災の傷跡は出てこないワ、初作の勝者であった地球連邦軍の内紛を基本設定としているのに、内戦中の2大陣営――ティターンズエウーゴ――の行動原理が映像本編では判らずにアニメ誌のウラ設定記事を見なければ判らないワ、演出として判らないのではなく不備としての無意味な判りにくさが連発されていて、印象はサイアクだった。


 二次的な要素に眼を向けても、あまりにモビルスーツ(巨大ロボット)のデザインラインや操縦システム(全天周モニター)が初作とは断絶がアリすぎ。
 モビルスーツの稼動音とその武器・ビームサーベルビームライフルの効果音も前作とは違うので違和感があるワ――録音スタジオが異なるからだが――。
 初作では基本的には空を飛べなかった――短時間の跳躍しかできなかった――万能では決してない巨大ロボットというリアルロボットのまさに最大のウリを無視して、『超時空要塞マクロス』(82年)の戦闘機群のように軽快にピュンピュンと大気圏中を無制限に高速飛行してしまうに至ってしまった敵味方のモビルスーツの映像演出――より正確には、前々作『聖戦士ダンバイン』(83年)~前作『重戦機エルガイム』(84年)におけるロボ戦演出ともさして変わらなかった戦闘演出(汗)――。


 あげく、初作ではやむをえずであった要素で、総集編の映画版ではその一部がリアリティーを損なうものとして廃された、巨大ロボットの「変型合体」などの玩具的な要素までもが、主役の巨大ロボットであるゼータガンダムには飛行形態に変型するという先祖返り(爆)までもが劇中に再導入されている始末。


 コレは何も筆者個人の私的な感慨を語っているのではない。当時すでにトウのたっていたマニアならばほとんどがそー思っていたハズだ。それも濃いマニアといわずにだ。


 後年のクラスでもイケてない系の我々だけが観るようになったTVアニメの在り方とは異なり、70年代末期~80年代初頭の大アニメブーム時代のの『宇宙戦艦ヤマト』(74年・劇場公開77年・)や『機動戦士ガンダム』(79年・劇場公開81年・)といった作品群は、クラスの男女の過半どころかほとんどが観ているような作品だった――オタク差別がまだなかったし、オタクという用語や概念自体もまだギリギリなかった時代なので(汗)――。


 あの名作『機動戦士ガンダム』の続編出現の報に疑問を抱くも、とりあえずはチェックをしてみる、かつては熱心な視聴者だった同級生たち。あまりにも初作とは異なる作風。というか、『ダンバイン』~『エルガイム』と変わらないような作風(汗)。拡がる落胆。彼らの期待に応える電圧を、肝心の作品は有していなかったのである!


 1985年といえば、1980年前後のアニメブーム時にマニア的気質がある人間ならば子供心にも抱いていた、我々の感性が世間に認められる時代がやってくる! という束の間に垣間見た「輝き」が、完膚なきまでに挫折して敗退していく時代でもあった。


 ファースト『ガンダム』の大ヒットで、『太陽の牙ダグラム』(81年)・『戦闘メカ ザブングル』(82年)などといった、いわゆるリアルロボットアニメの佳作が放映されるもやや小粒。家庭用ビデオ機器もまだ普及個室ではなく家族のいるリビングで鑑賞する劇中内での女性アイドル歌手の登場が気恥ずかしい『マクロス』は日曜午後の放映でブレイクせず(山形か何かで金曜夕方に視聴率36%を上げたとの話もあったが)、さらに『ガンダム』の御大・富野カントクによる『ダンバイン』『エルガイム』すらもが旗印とするには足らず、それ以前に一般の十代男女にとってウェルメイドに面白いとは云いがたい内容で……。
 一方で、若い作り手が『ダロス』(83)以来、続々とビデオアニメを繰り出すが、コレがまた構成力のない快感原則だけで作った、ほとんどが駄作ばかりという有り様。


 加えて若年層のイケてる系イケてない系(という用語はまだなくネアカ・ネクラだが)のカーストが拡大、アニメ趣味を持つ人格類型も暴露され(笑)、アニメがダサいものとなり、当時の作品群に幻滅した多数のマニアが潮が引くようにアニメ視聴を止めていった史実を、ここで改めて確認しておきたい。


 にも関わらず、級友数名やクラス外の学校のマニア友達との会話で(今のコは学校にオタク趣味を語れる友がいないそうだが・汗)悪評紛紛の『Zガンダム』が、批評性を抹消し情報誌化していくアニメ誌の表紙を飾り、ヌルいマニアの擁護ばかりが投稿欄に掲載されて……。
 後年になってからの自身の感慨の相対化は置くとして、70年代日本SF的に云うならば、〈変質と解体〉=一体感の喪失と失望を、当時のマニアはアニメジャンルに感じていたものだ(90年代後半からじゃねぇョ、80年代半ばにも細分化などの危機感はあったんだってば)。*1


 後年に続く『Zガンダム』人気&評価は承知している。それは事実として認める(価値判断としては認めない)。
 そのスジで話題の大著『〈民主〉と〈愛国〉』(02年・新曜社ISBN:4788508192)は、終戦時の年齢を主因に階層などの立ち位置の違いで、あまたの言論人の思想の形成過程を探った。
 コレに習えば、80年代中盤のアニメ状況&『Z』評価の錯綜・混乱の原因は、当時アニメ趣味がカッコ悪くなったことを過剰に気にするイロケづく年齢であったか、アニメを観てもまぁまだ許される十代前半であったかに主因があると見るのだが、いかがだろう?
 そして直前のブームに乗り遅れた十代前半が、『Z』を自分らの世代の仮想的祭の旗印にしたという(それが悪いと云いたいワケではない)。


 まぁ関東圏・地方都市・民放2局しかない当時の地方などの棲息地の違いで、当時のアニメ細分化の感慨は、もっと後年にズレたり、いっそなかったりもするようだが。


 ……ウワァもう本誌規定のMAX(26字×)80行に達してしまう。よって本作自体の感想は、今秋公開の『ZガンダムⅡ』評の際に、まとめて語ることとする(汗)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.37(05年8月13日発行))


 『Ⅱ』とまとめて語らず、『Ⅰ』単独評で、以下につづく。


『劇場版 機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』②

 いやぁ私的には、ホレボレとする作りであり出来であり気持ちよさ。何度でも見返したくなる。


 オーラスでの、前作主人公アムロと前作好敵手シャアとの劇的な再会。
 先の大戦の英雄たちの集結を、側近くに見る光栄に浴する、新主人公カミーユの胸の高まり。
 思わずナミダが出てきてしまう……。


 あの陰鬱沈滞な『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』(85年)がココまでリファインされるだなんて。いやたしかに『Z』そのもので別物ではナイけれど。
 演出が全然ちがう! 放映当時、こんな『Z』が観たかった! 生きててホントによかった……(って情けない人生だナ・汗)。


 オープニングからしてツカまれる。
 外部太陽系の映像に、Gackt(ガクト)のクールな歌曲がかかって、ナレーションでの説明もあって……。
 古いマニアなら承知だけど、TV版#1の本編ドラマがふくらんだせいで、カットされた冒頭の世界観説明。それが今ここに復活!
 劇場版本作の主人公カミーユのファーストカットがココからはじまる!? って話題になってるけど、ロートルに云わせりゃ、TV版#1冒頭こそココからはじまる!? ってなくらいに失望したものだ。


 これ以後の新参『ガンダム』オタは、きっとTV版『Z』より、本作『Z』劇場版第1部を参照しつづけるであろうと思うとユカイ痛快。実際、初作劇場版最終部『めぐりあい宇宙(そら)』の直後に、本作を観ても違和感がないと思う。


 終盤だけでなく、各工程の盛り上げもよくできている。
 スペースコロニーからのガンダムマークⅡ強奪、主人公の父母の死、それを慰めるシャア、大気圏降下〜南米の軍本部攻略〜核爆発、新敵強襲〜前作主人公見参
 (小ヤマ場として、最終敵・木星帰りの男シロッコの敵機との顔見せ接近遭遇と、中後盤で並行して叙述される、前作主人公アムロの閑職暮らしと、前作キャラ連からの要請に対するアムロの躊躇と再起!)。


 技術者バカの両親が敵軍閥に人質にされ、主人公が実質殺しちゃうシーケンスも、TV初見時は初期数話で母ちゃん死んだら父ちゃん殺して芸が無ェ。ドラマ性より低次な表現主義(ドギツさ)に逃げてて(富野作品の短所)、ダメだこりゃ、だったけど。
 あの段取り展開が、悲劇のヤマ場たりえて、敵軍閥ティターンズの非道ぶりも同時に印象付けている!
 (反面、初作の敵・ジオン軍のように、敵なりの大義や騎士道はなくなるが、コレは基本設定自体の問題点)


 人質云々も、レジスタンスに参加する前作のブライト艦長とエマ姐の家族の人質化懸念でダメ押し、ウラ打ち。
 落胆のカミーユを気遣うエマ&レコア両姐とシャアことクワトロの、艦内休憩室での新作画シーケンス。
 例え噺でも、自分からシャアの話をふるアホすぎなTV版会話が、エマ姐からの話題に変更。イイぞイイぞ! 世界観の説明セリフも含むけど、これがナイと不親切にすぎるしネ。TVではアリエナイ、しなだれかかるカミーユにも好印象。


 半面、『Z』の取り返しがつかない欠点もやはり想起。
 シャア駆るモビルスーツ(巨大ロボ。以下MS)だけ赤だから赤い彗星再来と噂されるのに、さして経過ない地球降下で同型機の赤機体が多数登場。敵も赤いMSガリバルディマラサイを繰り出すし。源平合戦のむかしからンなことありえんワ!
 非人型モビルアーマー(MA)が人型になる不合理さ(可変MAと可変MSの違いって?)。
 初作ならMSは基本2文字。水陸MS末尾はゴック。MAはビグロ・ザクレロ末尾はロ、と法則性があったのが、宗教用語アーガマハンブラビ・バプティマスを戦艦・MS・人名全てに割り振るようなデタラメさ。ネーミングセンス・ナッシング。
 ガンダリウムとか(『ヤマト』のイスカンダリウムじゃないんだから・汗)、TVだと最新機体Zガンダムを一介の少年主人公が設計してしまうとか、ビームより速く動き(笑)味方をかばうMSとか……(キリがない)。


 主人公の好敵手(?)ヤンキー野郎ジェリドの上役・姐御ライラは大幅にカット。
 追悼にTV版ライラの断末魔のセリフを捧げよう。


 「私は今あの子を只者じゃないと云った。この判り方が無意識の内に反感になる。これがオールドタイプということなのか!」(爆!)。


 ……これって名セリフか? 生きた人間のしゃべるセリフじゃねーョ(笑)。


 それらTVからの欠点も、終盤の盛り上がりで私的にはすべて帳消し。


 主人公チーム陣取る輸送機に、上空飛行機からロープで軽々飛び移る(ただの博物館館長ではない)、軍閥抵抗組織の重鎮となった前作キャラ・ハヤト。
 同じ輸送機に乗り合わすカイ&ハヤトの再会とクワトロへの見解の相違。
 それを立ち聞きしてクワトロがシャアかもと思うカミーユ
 大ピンチに軽飛行機の特攻でMAを撃退するアムロ
 空中でハッチを開けアムロを視認するシャア。
 本当に英雄たちだと確信するカミーユ


 英雄集結、真打登場の畳掛け!
 (……コレがTVだと、正体認めぬシャアにカミーユが「修正してやるゥ!」(殴打)、「これが、若さか……」と涙キラキラで。って、お笑いコントかよ!・笑)


 そう、こーいうことを押さえた上で、『Z』は次のドラマをやるべきだったのだ。
 20年目の再会は、筆者の20年の溜飲を下げてくれていた。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.38(05年12月30日発行))


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*1:「一体感の喪失と失望」。当時の若い自分はこう感じていたという話。今だったら、それは歴史的必然だと割り切ったり、時に「一体感の喪失」を推進する側にまわるけど(笑)。