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鉄のラインバレル 〜非力でも正義・道徳・利他・禁欲・自己犠牲が大スキ少年が「力」を得て、下卑たニヤけた笑みを浮かべるロボアニメ!

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『鉄(くろがね)のラインバレル』 〜非力でも正義・道徳・利他・禁欲・自己犠牲が大スキ少年が「力」を得て、下卑たニヤけた笑みを浮かべるロボアニメ!



『鉄のラインバレル』 〜前半評

(文・T.SATO)
(2008年12月執筆)


「あなた……、最低です!!」


 劇中ヒロインのセリフであった。女のコにこんなこと、云われてみた……くはないよなぁ(汗)。


 正義の味方にあこがれる、現実世界では非力で、不良グループのパシリに使われている少年主人公!


 いっしょにいたのならば、スクールカースト&自分のお株も下がりそうな彼に、まだ小学生であればともかく中学3年生になっても構ってくれている幼なじみの少女。


 そして、そんな不良どもからカバってくれもする、腕力&胆力をも兼ね備えており、それらを正義の方へと活かしてくれる男友だちの存在。


 フィクション作品ではアリがちなキャラクター・シフト(人間関係)ではあっても、そういった友人たちの存在が、現実世界に照らし合わせて、真の意味でのリアルであるかは別にして……。


 もちろん、そこをリアルにツッコミだしてしまったならば、ドラマ(活劇・群像劇)一般といったものは成立しにくくなってしまうだろう。仮にそれらをリアルに描いてみせたとしても、他人との対人関係を構築、どころか他人に話し掛けようとする一歩手前のフェーズでの、内心でのひとりだけで自問自答・懊悩・逡巡だけになってしまって(爆)、かの『NHKにようこそ!』やオタク界隈での近年の人気作家・佐藤友哉などの小説のようにもなってしまい、対外的なコミュニケーションをも含んだドラマなどは始まりようがないからだ(笑)。



 空から巨大ロボットと美少女が降ってきた! といったベタベタな導入部! ついでに神秘の力で主人公少年の身体能力までもが向上! 巨大ロボット召還については、当の美少女ヒロインの胸(!)にふれることが必須! ……鬱屈している思春期・童貞オタ少年の欲望を全開にしたような作品でもあった。


 ……それだけならば、実に陳腐凡庸な内容であるのだが、この少年は我々のようなオタク(特に特撮変身ヒーローオタク)タイプの性格類型の人間たちの「ダークサイドの結晶」でもあったのだ!


 我々のような変身ヒーローが大スキな人種とは、良くも悪くも世間一般の庶民・大衆やイケてる系の皆さまとは異なり、「正義」や「道徳」に「利他」や「自己犠牲」なども大スキではあるものだ(笑)。そして、それらの要素とは相反してもいる、街で遊んでいるような享楽的で粗暴なタイプのアンちゃんなどのことが、大の苦手であったりもする(汗)。


 戦前の日本や、ならびに戦後の全共闘(1960〜70年前後の学生運動)の世代のような、「公」に対する奉仕を前面に押し出して、「個人」や「私」に犠牲を強いてきて圧殺もしてくるような「大文字の正義」への反発として、1980年代以降のジャンル作品においては、あるいは、21世紀以降の作品で例えるのならば、「平成仮面ライダーシリーズ」などで大活躍をしているアニメ・特撮ジャンルの脚本家・井上敏樹に代表されるような、「身の回りのヒトたちのためや好きなヒトのためだけには戦ってみせる」ことについては肯定をしてみせるような、「等身大の正義」といったテーゼが多用されてもきた。


 そういった「等身大の正義」の妥当性についても、もちろん一理も二理はあるのだ。しかし、こと「公共」といった面においてはドーなのだ? それは、結局のところは、「身内」「お仲間」優先としての前近代的な「ムラ世間」的そのものにも通じてしまうような感覚なのでもあって、あるいはそれどころか、単なる「自分」至上主義に過ぎない「ミーイズム」や「エゴイズム」にも通じている……どころか、それそのものなのではなかろうか!? などと思ってしまうような人種たちが、オタクの平均値でもあったであろう。


 それゆえにこそ、我々はたしかに行き過ぎた「等身大の正義」の「ミーイズム」や「利己主義」のような陥穽などには決して陥らないことではあるだろう。


 しかし! この作品が提示してみせたような、それらともまた真逆ではある陥穽・落とし穴については、我々オタクたちは大いにハマってしまいそうではなかろうか!?



 強大なる「力」を手に入れてしまっても、さすがに世界を征服してみせよう! 自身が悪の帝王になろう! などといったことには、たしかにさすがに我々は思わないではあろう。


 けれども、この「力」を持つことそれ自体が、「自分の器量」にとっては「分不相応」(ぶん・ふそうおう)なのやもしれない? なぞといった「戸惑い」「逡巡」などもせずに、イザとなれば、その「力」を振るまえてしまえる超能力・全能感・万能感が、嬉しくってたまらなくなってしまって、その顔面に下卑たニヤけた笑みをついつい浮かべてしまう……といった弊にはハマりそうではあったのだ!(汗)


 我々のような特撮変身ヒーローオタクたちは、かの『ウルトラマンメビウス』(06年)における、女優・美保純(みほ・じゅん)に憑依(ひょうい)してみせたような、「世界平和のために……」などと云って、善人面をしたサーペント星人のような侵略宇宙人がやって来たのならば、その真意も疑わずに、言葉尻だけで相手のことをやすやすと信じてしまって、どころが非力な自分ではあっても超能力を得られてしまうやも!? なぞといった無意識的・直観的なミーイズムの「下心」からも、自ら進んでやすやすと合体! よろこんで身体を貸してしまうような軽率な輩なのでもあったのだ(笑)。


 我々オタクたちは、自分たちは「禁欲」的で「公平」で「正義」が大スキなタイプだと自認しがちではある。


 しかし、それはホントウに心底からそうであったのであろうか?


 それは単に、自身の体力・腕力・トーク力・胆力・ルックス(爆)などのウラ付けがなくって、ご近所の子供グループ・学級などの集団内にて、「損な役回り」やカースト劣位の立場ばかりを引き受けてきて、自分の思いを押し出せなかった「ルサンチマン」(怨恨)ゆえであったのではなかろうか?


 受動的・派生的・後発的に発生してきた、「自分のことも軽んじないでくれ!」、「たとえ、体力・腕力・トーク力・胆力・ルックスには劣っていても、ひとりの人間として平等・対等に取り扱ってくれ!」、 「他人とのコミュニケーションにおけるリソース(資源)を、劣位の我々にも平等に「再分配」をしてくれ!」(笑)といった、付け焼刃的な「正義感」にすぎなかったのやもしれないのだ!?


 要はつまりは、決して元から天然で「正義感」が強かったり、強固で「禁欲」的な「自己抑制力」があったワケでもなかったのやもしれないのだ……。


 本当に心の底からの真の意味での「謙虚」さがあったワケでもない。「正義の味方」なりの一応の「大物」なり「一角(ひとかど)の人物」だとして注目されたり、取り扱ってもらいたい! 周囲からもチヤホヤされていたい! といった俗物的な気持ちも否めなかったのだともいう……。


 もちろん、筆者とて典型的な「俗物」そのものでもある。決して例外ではないのであった……(まぁ、それを自覚していて、隠したり抑制してみせることができる御仁と、それとも他人に云ってもらうのならばともかく、ベタに自分で外に出して自慢げに吹聴せずにはおられない! ……といったところの相違で、天と地ほどの差異は出てくるものだとも思うけど……。でも、それにしたって、本質的には両者に大差はないのやもしれないのだ!?・汗)。


 そういった下世話な心理に対しての「解毒材」「処方箋(しょほうせん)」としては、パーフェクトなものではなかったとはしても、相応に一方向には偏ったものではあったとしても、「等身大の正義」といったテーゼや、平成ライダーシリーズにおける東映の白倉伸一郎プロデューサー&井上敏樹脚本の路線のような作品群(https://katoku99.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC)も、やはり世には必要なのだとも思われるのでもあった(笑)。



 本作でも、この少年主人公は強大なる「力」を得てしまった「全能感」「万能感」の方をも味わいたくって、それまで自身をイジメてきた不良少年グループをノシ返す! そして、ナゾの敵ロボット集団との戦いにも嬉々として赴いていく!


 そこまではまだ良いだろう。しかし、彼がロボットに搭乗してのバトルにおいては、「街」や「湾岸コンビナート」を必要以上に破壊に巻き込むことについてはまったくの躊躇や反省がないのであった!(爆)


 イタい、イタすぎる!!(……しかし、「物語」作品としては、その苦味が「イタ気持ちイイ」のでもあった・笑)



 こ、これは、今まで未開拓であった荒野・フロンティアの分野に一歩を踏み込んでみせた作品の出現でもあるのかも!? とチョット期待をしたのだけれども……。


――もちろん、「脚本」側なり「演出」側なりの不備であったのか、やや「空回り」はしていて、ドラマとしてはその「ねらい」がうまく作品には定着はしていないとも思ったものの――


 早くも初期の数話目にして、今までこの主人公少年のことをカバってくれてもいた、カッコよくってオトコ気もあった幼なじみの長身黒髪ロン毛の男友だちへの愛憎・嫉妬と、卑下・劣等感までもが入り混じった想いを、この主人公少年が激白してしまうのでもあった……。


 その逆に、この男友だちの方でも主人公少年への意外な本心を吐露してみせて、その他いろいろの末の決着を経て、この主人公少年はアッサリと改心してしまうのでもあった……。


 ……いや、最終的にはそういった展開になってもイイのだけれども……。まだ早い! 早すぎるよ! もっと、 コジれ果てた末に、そういった心情吐露や和解をしてくれないと、盛り上がらないよ!(笑)



 そのあとは、オモテ向きは医療器会社でもあった、ナゾの(というワリにはクダケてもいる)巨大ロボット組織に所属して、そのハイテクビルに寄宿をするかたちで、上司や同世代の少年少女たちが中心の、いかにも記号的なアニメキャラの男女ロボ乗りたちとの交流や、お約束反復ギャグに、お風呂場でのお色気シーンや鼻血ブー(死語・汗)を描いてもいく、アリガチなオタ向けロボットアニメになってしまう……。ウ〜ム。


 まぁ、そーいった「キャラ萌え」や「お色気」のニーズが若いマニア層にも一定数は確実に存在するのであろうことを思えば、真の意味での民主主義(笑)としては、それはそれで別に構わないとも思うのだ。しかし、そういった要素をマーケティング的にも「両立」的にカバーをしつつも、主人公少年の内面のいびつさや奇行を相応の話数をかけて、延々と描いていくような方法論もあったハズだとも思うのだ。その意味では、個人的にはこの主人公少年の初期話数でのあまりに早い改心がとても残念なのではあった。


 どうせ、深夜アニメであっても、天下のビクター(JVC・fliyng DOG)提供で、1クールアニメではなく2クールも制作できる予算も確保ができていたのであれば、今さら云っても詮ないことなのだけれども、このイタい主人公の奇行をもっともっと執拗にイジワルに、半年間をかけてじっくりと描いていってほしかったなぁ(笑)。


 大人気ライトノベル原作の深夜アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(03年・06年TVアニメ化)のヒロイン・ハルヒが、仮に現実世界に存在していて、しかして彼女が少しだけ気が弱かったり、ルックス的なカリスマにも恵まれていなかったならば……。彼女はきっとその奇矯な言動をイタがられて、学校内で孤立して、自信も喪失してしまって、終始うつむいていたであろう……。


 萌え4コマ漫画『らき☆すた』(04年・07年TVアニメ化)の美少女サブキャラ・柊かがみ(ひいらぎ・かがみ)が高校を卒業後に、進学先の大学でひとりぼっちになっている姿を、大人数での合作・連作ストーリーのように妄想してみせる、ネット上の超巨大掲示板・2ちゃんねるにおけるスレッド(掲示板)。


 若いオタクたちは、その全員がいわゆる「動物化」をしてしまって、陽だまりでマッタリとまどろんでるだけなのかとも思いきや……。その一部では、メタ(形而上)的にして批評的でもあるような、「イタ悲しさ」のシミュレーションを実施してもいて、その妄想を満喫するような文化が隆盛であったりすることもまた、一方での現実でもあるのだ。


 そういったアンダーグランド・ウラ側での流行を見るにつけても、本作『ラインバレル』における、我々オタクたちにも近似しているイジメられっコ・パシリ上がりの主人公少年といったキャラ造形にも、相応には潜在ニーズがあったとも思うのだ。



 しかして、そういった不遇な「境遇」の属性で、もうそれだけをもってして、無条件に「善性」なり「正義の立場」の確保ができる! といったことでもないのだ。


 その次に描くべきこととしては、我々オタク自身の「不遇感」から来る「正義感」が、自己点検もなしで無条件に発露されてしまった場合についてのダークサイドのことなのだ。


 仮に悪気や邪心はさしてなくても、人々の人情の機微があまりわかってはいなくって、「ヤボ」であったり「世間知」がないばかりに、奇矯な発言や愚行に悲劇をジェットコースター・ムービーのように惹起していき、次はこの中二病の少年は何を誤ってやらかしてしまうのであろうか!?(笑) といった、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(06年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20081005/p1)における主人公少年や、90年代以降の昼ドラなどにも散見されてきたような、「半笑い」&「ネタ」感と、「マジメなテーマ」を同時に両立してもみせるような作品になっていれば、オタク層の潜在ニーズにも応えることができており、次なる時代の新たなる鉱脈へと昇華していく可能性も、本作にはあったのではなかろうか!?



 とはいえ、ネット上のフリー百科事典ほかを参照してみると……。この深夜アニメ版はその#1からして、原作マンガの設定をチョコチョコと改変しているのだそうだ。ならば、なおさらのこと、アニメ独自の設定&展開で突っ走ってもらってもよかったのではあるまいか?


 たとえば、シリーズ中盤などでは、序盤で獲得していた優れた「身体能力」「腕力」などを一時的に失ってしまって(爆)、学校空間においては、またまたスクールカースト底辺に置かれてしまった主人公少年の残酷物語……などといったイタイタしい展開を、個人的には観てみたかったものなのだが……(笑)。


 小説『野ブタ。をプロデュース』(04年・05年TVドラマ化)や、フジテレビ土曜深夜ワクにてTVドラマ化(07年)された少女漫画『ライフ』(02年)などなど、00年代には小説・漫画・TVドラマでは登場していたものの、アニメではまだ未登場であったスクールカーストものなども、本作では描けたハズなのである!


 本作の主人公少年のようなイタい性格設定は、しばらくは他の作品では「似通っているから……」といった理由で使いにくくなる可能性もあることを思うと、非常にもったいないとも思うのでもあった。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.46(08年12月28日発行))


(後日付記:00年代末期以降、具体的には大人気ライトノベル原作の深夜アニメ『僕は友達が少ない』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201011/p1)がヒットして以降、深夜アニメでも「スクールカースト」ものや、転じて「(ひとり)ぼっち」ものが大隆盛を極めて天下を取っていくことは、ご存じのとおりである。……我らがオタクにとっての我が世の春が来た!?(笑) ……いや、現実世界の学校空間的には、あまり良い時代ではないことの反映でもあるか?・汗)


『鉄のラインバレル』 〜後半評

(09年3月21日(土)執筆)


 ……などと、前段までの「シリーズ前半評」で散々にケチをつけてしまったものの(汗)。


 ロボットアニメ『鉄のラインバレル』も、2クール半年の放映をもって無事に完結。


 正直、「もうイイカゲンに視聴を打ち切ろうか」と何度も思ったことやら……(笑)。シリーズ前半の1クール目中後盤での感慨だけれども。


 もちろん、筆者個人が望んでいた「理想」とは異なる展開だったから、といった「ないものねだり」からの理由ではなくって……。


 しかし、関東近郊の残業ダメサラリーマンで、金曜は特に終電まで残業して自宅に午前さま1時半に帰宅する人間にとっては(自分語りでスイマセンけど・汗)、関東キー局・金曜深夜ワクの『ゴルゴ13(サーティーン)』や『マクロスF(フロンティア)』に本作『ラインバレル』やら、tvk(テレビ神奈川)や東京MXテレビなどの深夜1〜2時台放映のアニメは生活リズム的にはとても見やすいのでもあった(笑)。


 そういった理由も付けて、ついつい全話を最終回まで視聴。



 シリーズ中盤における、特に12月放映分での、死んだ男友だちの自宅における、例年とも変わらないクリスマス・パーティーを直前に控えて、敵に占拠されてしまった米軍の衛星レーザー兵器の成層圏での狙撃作戦の前後編あたりからは、違和感なく安心して観ていられるようにもなってきた。


 ベタな王道展開だけれども、個人的に感じていたそれまでの「空回り感」もなくなってきて、ドタバタで漫画チックではあっても、ウェルメイドな「作戦遂行もの」の群像劇としても楽しめた。大スキといったことはナイけれども。そして、思想的にも特別に深い! といったこともナイのだけれども(汗)。


 無意味な難解さや高尚ブリっコさなどはまったくない、かといってオタク受けする美少女ハーレム的な要素も、今時の作品にしては「美麗」というには程遠い(笑)、ラフで崩れた「キャラデザ」&「作画」のせいもあってか、あまりベタついてはいない「作風」に対しても、まぁまぁの好感を持つようにはなっていく――逆に云うと、それゆえにそっち方面のオタク層にとってはキャッチーではなくなっている懸念もあったけれども――。


 主人公少年クンもシリーズ初期編でのイタさはドコへやら? そのあとは、けっこう常識人としてのイイ奴にはなってしまう……。というか、フツーに根はスナオなイイ奴でありながらも、老成してしまったワケでもなくって、まだまだミドルティーンの少年の年齢相応には血気に逸(はや)った熱血バカでもあって、作風にカラッとした乾いた明朗さを増してもいった。むしろ、その意味では少年マンガのフツーの主人公の王道っぽくもあるのだ。


 ついでに、学校でもかつてのイジメっコの不良のひとりや、のちに戦場でもロボ乗りとして活躍するプチ・ヤンキー(不良)な金髪の新キャラ、幼なじみの少女に、ロボット組織の美少女ヒロインもこのテのジャンルのお約束として、主人公少年が通っている学校へと転入してきて(笑)、「早瀬軍団」なぞといった集団や子分・舎弟までをも従えて……。というか、自分から望んで作った集団ではなかったので、正確には祭り上げられてもいく……(もしも、自分で望んで、この派閥を作っていたのならば、つくづくイヤなヤツだけれども・笑)。


 そんなプチ・ヤンキーな要素が入ってきてしまう作品なぞは、繊細ナイーブなオタ向けの生粋(きっすい)の美少女アニメでは考えにくい……どころか、そもそもアリエないはずの展開ではあったのだ。


 そのあたりは、最初から肉体的には非力なオタ(汗)に向けて限定している、角川書店や電撃(角川分派のメディア・ファクトリー社)や芳文社の4コマ漫画系のような、そのものスバリのどストライクなオタク層をねらっているベタな媒体でもない、少々オタ寄りの媒体だったとはいえ、オタではない一般少年やプチ・ヤンキー層なども購読しそうな月刊『チャンピオンRED(レッド)』掲載の連載マンガ(04年)が原作であったがゆえであろうか?


 まぁ、我々オタのように、生来から恵まれていない「非モテ」属性の持ち主でもあって、生まれたときから地ベタの底をノタ打ち回っていたような人種にとってはともかくとしても、たしかに「オタ層」と「一般層」との中間・境界層に位置するような人種たちにとっては、多少は「ルックス」や「身体能力」に「モテ趣味」や「話芸」などのいずれかに恵まれて生まれてこれた場合にあっては、その背中を押してあげれば、それらの属性を鍛錬・伸長することもできるワケではあって、思春期のころの中学デビュー・高校デビュー・進級デビューに成功したりすることもあるワケなのであった。
 さらには、同性・異性を問わずに、一般ピープルとの交友範囲も拡げることができて、その人脈を自動的に転がしていきつつ、就職なども順調にできてしまったりもすることで、一応の人並みで真っ当な人生を送れてしまえたりもするワケで……(この彼我の差!・笑)。


 この世では、世間一般的には大多数にも必要とされている「属性」や「能力」にも恵まれてさえいれば、世間的にもそのようにも評されて、適度な「自信」も持てることでの「頼もしさ」も出てきてしまって、それを足場にして対人コミュニケーションにも踏み出しやすくなって、ドンドンと「場数」や「経験」をも積めていけるものである。そして、そういった「善なる循環」などが始まっていき、複数の女のコたちにもチヤホヤとされることもまた、この世はホントウに不平等ではあるのだけれども、そういったことはたしかに確実に存在しているのでもあった――筆者も人生の途上で、そーいった転向者・裏切り者(笑)、もとい成功者も幾人かは見てきたものなので――。


 別に本作が、あるいは以下に挙げるエピソード群が、そういった意図でもって作劇されていたとは、もちろんつゆほども思ってはいない。


 けれども「早瀬軍団」が、本作の舞台でもある神奈川県三浦市の街のカラオケボックスにて、「スペシャルコスプレカラオケ大会」(笑)を開催した折りには――#17「機械じかけの呪い」・2009年1月放映分――、「U」字型のソファーの中央に陣取って、ダブル・トリプルヒロインたちに囲まれてイロ目も使われて、そのヒロインたちはテーブルの下でお互いを牽制しあってもいて……(笑)。


 そのことはともかくとしても、「乾杯の音頭」をふられて、一度はヤル気なさげに流しつつも、結局はキッチリとそれを務め上げてしまうあたりの主人公少年の「余裕」があふれてもいる描写。そのあとも、ほどほどには社交の場を楽しんまでもいるまでに成長(?)してしまった描写などについては、彼もまた今時の若者風にも一応は如才なくはサバけて、ふるまえてもしまえるようにもなっているあたりで、異論もあるやもしれないけれども、ごく個人的には「さもありなん」だとも思う描写ではあったのだ。彼はそれ以前と比したら、ずいぶんと生きやすくはなったことでもあるだろうし――そんなことを云ってる筆者自身がドーであるのか? については、棚に上げておこう(汗)。……プチ・嫉妬!!(笑)――。


 アニメの神さまのイタズラであるのか、これに似たような「カラオケボックス」でのシチュエーションの作品が同時期に存在していた。その30分の尺をまるまる「カラオケ歌唱」と「ヒロインたちの他愛ない角逐」に費やしても、実にアキさせないで、「いるいる」「あるある」度も高かった職人芸的な「脚本」&「演出」をも達成していた、2008年秋季の美少女アニメ『かんなぎ』#10「カラオケ戦士 マイク貴子(たかこ)」(2008年12月放映分)のことだ。
 このような大人数の場には「場慣れ」はしていなくて、シャイでしどろもどろで、歌唱もヘタクソではあって、カラオケ店員が配達に来てしまうと、その「照れ」が頂点に達してしまって「小声」での歌唱にもなってしまう……といった主人公少年の描写とは、どエライ違いではあったものの(笑)


――作品やエピソードのねらいや意味合いも異なっているので、安直に優劣を付けようといったことではナイことは、くれぐれも念のため――



 まぁ、このあたりは、本作のキャッチコピー・宣伝文句でもあった、


「『正義の味方』に、なりたかったのに」 
「あなた、最低です!」


といったフレーズが、ついには「看板倒れ」にさえなっており、JARO(ジャロ)に訴えてやろうか!? と思わないでもなかったものの(笑)。



 本作のシリーズ後半のストーリー展開としては、我ながらベタでボキャ貧な形容ではあるものの(汗)、いわゆる「次から次へと事件が起きて」、「次回へのヒキ(引き)を強くしていく」ような「怒涛の展開」にはなっていた。そのへんはやはり腐っても、今時のゼロ年代の作品ではあったのだナとも思うのだ。


 たとえば、クールでスマートなメガネのカッコいい先輩成人ロボット乗りの青年クンが、我らが正義のロボット組織を裏切って、ナゾの敵ロボ集団「加藤機関」へと移籍してしまう! そして、「加藤機関」ほかによっての我が日本国の占領と、のちには世界各国とも講和を結んで、主人公側の組織を「テロ組織」扱いにしてきて弾圧を開始! 初期編にて死亡していたハズであった、イジメられっコの主人公少年をカバってくれてもいた、幼なじみのロン毛の男友達のなぜだかの復活! その彼が主人公とほぼ同格のロボット乗りの資格者に変貌しており、それはナゼ!? といった疑問に対しての顛末などなど……。


 そのワリには、一度は占拠されてしまった基地の奪還の過程においては、そのセキュリティ・システムを突破していくのに、それが往年のテレビの大人気スペシャル番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(77~92年)的な、しょうもない「出題100回」のコテコテなギャグ描写になっていたり、自分たちが凶悪なテロリストではないことを示すためにも、すっとぼけた「ハリセン漫才番組」や「カラオケ大会」を世界中に対して中継放送をしていたり……(笑)。


 まぁ、そーいうユル~い世界観でもあって、非リアルなコミカル描写までもが許容をされる作品でもあったといったことですネ。


 その果てには、もう巨大ロボットからすらも降りてしまって、ナマ身で殴り合いを始めてしまったり、先輩とも男友だちとも、敵の加藤機関との対立であってさえも、「性善説」の方が勝利をしていき、周辺のキャラたちも死亡で終わるのかと思いきや、結局はそうはならないで終わっていく……といったハッピーエンドな物語。



 そして、幾人かの敵味方の主要キャラたちがこだわってきた、それぞれに一理や二理はありつつも、先輩ロボ乗りが少年時代に不良たちとケンカをすることで実現しようとしていた、未熟で不穏な「正義」観。


 敵組織による、あまりにも大きな犠牲を強いてくるような権謀術数・マキャベリズムが全開過ぎな、歴史小説家・司馬遼太郎(しば・りょうたろう)センセイが描いたところでの西郷隆盛のごとく、一度は日本全土を焦土化してみせることで、全日本人を田吾作から背筋の伸びたサムライ → 近代的な市民として生まれ変わらせて、立ち上がらせようともするような大局的に過ぎてもいた「正義」観。


 それらはそれらで、「点」「スポット」的には面白かったものの、作品全体のストーリーに有機的に結合して、メインテーマとして昇華していくワケでもなかったのであった。仮にそういったことを主眼に描きたかったのであれば、「正義」が複数個も存在しており、それぞれに和合のしようがなくって、あるいは最後には和解はするにしても、「正義」の「解釈の多様さ」をめぐっての「価値観対立軸」の「せめぎあい」「鍔ぜり合い」をギリギリまでに描いてくれていたのであれば……。


 そういった「せめぎあい」「鍔ぜり合い」といった描写が全然なかったとまでは云わない。しかし、それらを突き詰めて描いていって、何か少しでも、今までのジャンル作品にはなかったような、盲点でもあったような、新たな「正義」観の地平の彼方に少しでも抵触してみせた! 蜃気楼のようでも、その片鱗(へんりん)を見せてくれた! といったことも特になかったのであった……(……なかったですよね?・汗)。



 本作における敵の正体もまた、「高蓋然性世界(こうがいぜんせい・せかい)」なる、要は「高・可能性・世界」、つまりは「パラレルワールド」「平行世界」の「地球」から来訪してきていたのだ……といったことが判明してはいく。そして、さらなる究極の「和合」「調和」なども目指しての、「機械」とも「インターネット」的には融合しており、「感情」と「個性」を「DNAのゆらぎ」のレベルではまだ保持しつつも、それらをほぼ喪失してしまった人間たちでもあった……といった、往年のリアルロボアニメ『機甲界ガリアン』(84年)の最終回のようなデジャブ(既視感)あふれる設定でもあった「敵」&「敵メカ巨大母艦」――良く云えば「王道」だったもいえるけど(笑)――。


 そのワリには、「テンガロンハット」なぞをかぶった「カウボーイ・スタイル」で、クールでもそれなりにキャラが立っていて、充分に「個性」も「人格」も「意志」もあったようにも見えていた(笑)、敵の青年ロボット乗りが、一応のラスボスとしてもふるまって、主人公ともお約束で「正義」に関する「禅問答」を繰り広げながらラストバトルを展開することになるのでもあった!……



 まぁ、こういった、「一理はあり」つつも、ある意味ではわかりやすい理念を持っている敵キャラの場合には、「全体主義」や20世紀前半の「警察国家」に対すしては有効ではあった「批判」のように、「公」よりも「私」の方を優先! 「(身近な小市民的な)人々を守りたいからだ!」といった主人公少年の絶叫の方にこそ、「理」が宿っているようにも見えてしまうことは、当然でもあるワケなのだ。


――個人的には、「先輩」やら「加藤機関の首魁」らとも、もっと混み入ったかたちでのシチ面倒くさい「正義問答」をやらかしてもらって、なんらかの犠牲が出てしまうことに対しては割り切れないのだとしても、「大の虫を生かすために」あえてする相対的には「小さな悪」をも含んだ、その「冷徹なる論理」や「プラグマティズム」(実用主義)な「現実主義」といったものに対して、釈然とはしなくても、完全同意はしなくても、一理も二理もあるロジックではあると認めてしまって、気圧(けお)されてしまう! といったような描写が見たかったものではあるけれども――


 果ては、主人公少年の感情的な爆発とも連動して、主役ロボットも無限にパワーアップしてしまうといった精神主義的な世界観!(笑)――いや、本作にかぎった話ではなく、大方のロボットアニメや、かのリアルロボットアニメの元祖『機動戦士ガンダム』シリーズなどでも結局はそうなってしまってもいるのだけれども(汗)――。


 そういった主役ロボットの非合理的なパワーアップ劇に、主要キャラたちのパワーも集約・収束・合体もしていって、目いっぱいに「演出」的にも盛り上げてくれて、「超必殺ワザ」でのお約束の大勝利!!(笑)



 とはいえ、そこでひとヒネり。『ウルトラマンダイナ』(97年)の最終回(https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971211/p1)のラストシーンのように、次元の狭間へと落ちてしまって、そのまま現世には帰ってこなかった! といったような苦味も伴なったラストにするのかも!? と少し思わせておいて、でもやっぱり……といった展開にもなっていく。



 半分バカにしたような書き方をしているけれども、必ずしもこれは批判ではないのだ。トータルでは、エンタメ・活劇作品におけるオチとしては、ハッピーエンドにしてくれることが正解だとも思うので……。十全なオチだっとは思わなかったものの、つまりはトータルでは肯定してもいるのだ!


 ウルさ型のアニメ批評オタク諸氏にとっては物足りなかった可能性はある。そこでグチグチとケチを付けまくってくる姿なども想起もされてくる(笑)。そして、本作の作劇をイヤがるようなヒトたちを説得するような、論理的な言葉を持ち合わせてはいない。しかし、筆者個人はけっこう本作とそのシリーズ後半の展開、およびその最終回が気に入ったのではありました……。




追伸


 もちろん、マクロな事象が相手でもあって、その道理が通っていた場合にあっては、一応の「正義」を遂行することが、重要・大切であることは云うまでもないことではある。


 けれども、ミクロな人間関係・男女関係などにおいては、特にそれが「正義」に対して潔癖な理想を持っているような、マジメな良いヒトである人間であればあるほどに、自分の真情(恋情)などを過剰に抑えてしまって、場合によってはそれゆえに自身の性格や行動が次第に歪んでいったり、他人に対してすらも寛容ではなくなってきて、厳しい自戒的な態度を他人に対しても要求をしてしまうような弊害は、たしかにありうることだとは思うのだ。


 それゆえでもあろうか? この作品は、たしかに不確かではあっても、それでも「正義」の概念の重要性を唱えつつ、それと同時に「(自分自身が)どうしたいのか?」をハッキリさせろ! と劇中でも執拗に何度も何度も各キャラに問い詰めてもいたのであった。


 そうった「(自分自身が)どうしたいのか?」といったことについては、正しい「難詰」だとは思う。


 けれども、意地悪に見てしまえば、この作品における各キャラの「(自分自身が)どうしたいのか?」については、男女関係のことを除いてしまえば、もともとが根っ子が善人ではあった登場人物ばかりなのであって、「正義」と「(自分自身が)どうしたいのか?」については、お互いに相互に相反してしまったり矛盾してしまったり……などといったことは発生せずに、一応は幸福な一致を見ていたりもするのだ。


 あるいは、幸福な一致を見てはいなかったのだとしても、「(自分自身が)どうしたいのか?」といったことの内容が、「他人をイジメたい」「他人をイジメて優越感にひたりたい」といった「反社会的」なものであったり(笑)、「(金銭は要らなくても)虚栄心・名誉欲については満たしたい!」(笑)といった、エゴイスティックな欲望・自己実現欲求なぞではなかったから、結果オーライ! なだけであったのだ! といったツッコミの隙もあったとは思うのだ。


 そのようなワケで、「(自分自身が)どうしたいのか?」ではなくって、本作の劇中においては、その「分」についてはやや悪くも描かれていた、別に「お仕事」として、あるいは「義務」として、淡々と粛々と「仕事を遂行」していくような行為についても、もっと「一理」を認めてもやってくれよ! と思わないでもないのでもあった……。


 さらに、ヘリクツを云わせてもらえば、本作にかぎったことではないけれども、「(自分自身が)どうしたいのか?」といったテーゼについても、儒教的な「心情」「動機」至上主義にも過ぎるだろう。「動機」や「心情」は「至純」「至誠」ではあっても、「智恵」がなければ、その達成には失敗してしまって、多大なる犠牲を伴なった「悪」にもなってしまうことがあるといった「結果主義的」な考え方も、時には必要なのではあるまいか!? 効果測定が伴なわない「自己陶酔的な理想論」は怪しいと見て取るべきなのだ、といったツッコミを入れたいところもあったりはするのだ。


 とはいえ、10代の少年少女がメインターゲットであろうジュブナイルな本作に対して、そのような夢も希望もなくなるような批判はヤボでもある(笑)。「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」。「オタクもロボットアニメのみにて生きるにあらず」(笑)。そういった物事の多面性や、「善悪(禍福)はあざなえる縄のごとし」といった「逆説」や「背理」も含んでいるような物事の心情などのデリケートな「機微」については、「歴史小説」あたりも読むことがあれば、そのうちに理解ができるようなこともでもあるのだし――市井の一般庶民が主人公であるような「時代小説」のことにはあらず(笑)――。


 よって、そのあたりの機微については、あえてあまり踏み込まないでおいておき、本作程度にとどめておくことこそが、作品を空中分解させないためには、クレーバーな作劇であったともいえるだろう(笑)。



 さらに加えて、あらためて、未成年同士における、清くて定まってはいない男女関係のようなことであれば、「(自分自身が)どうしたいのか?」といった理念や行動にも「一理」はあったとは思うのだ。けれども、ある程度までは定まってしまっているような関係のなかで、そのふたりの恋路の邪魔などをしてみせたり、不倫や略奪愛などを、「(自分自身が)どうしたいのか?」といった理念でもって自己正当化されてしまっても、困ってしまうワケなのだ(爆)。


 あるいは、イイ歳こいて、ヘンに中二病的にロマンチックになってしまって、当の相手に告白などをしてしまって、相手に負担をかけさせてしまうようであれば、その胸の内に永遠にしまっておけ! 墓場まで持っていけ!(笑) ……などといったことなども、まだまだ本作をサカナに語っていきたいところでもある(笑)。


 しかし、さらに論理の射程を伸ばしてしまうと、若いうちから頭デッカチになってしまって、達観ばかりしてしまい、まるで行動には移さないようなヤカラに成り下がってしまってもナニではある。そう、物事やリクツもまた、まさに「善悪(禍福)はあざなえる縄のごとし」であるのではあった。



 本作における「正義」をめぐる禅問答がイマイチだったとさんざんにたまってきたけれども、その#18「メメント・モリ」においては、


「むかしの映画――『第三の男』(1949年・アメリカ)――にあったネ。ボルジア家30年の圧制は、ミケランジェロやダ・ヴィンチのルネサンスを産んだ。が、スイス500年の平和と民主主義は、鳩時計だけを産んだだけだ」


「『創造』を産むには何が必要か? 『抑圧』だ。『抑圧』から解放されようとあがくことが、『創造』を産む」


 そのような「逆説」と「背理」にも満ち満ちてもいるセリフなどもあるにはあったのだ。逆説的なのだが、(適度な)「抑圧」があってこそ、「人格形成」「思想形成」あるいは「近代的な市民としての自我」といったものもまた達成可能であるのやもしれない(……そして、その次には、その「適度な」といった、その塩梅はどこにあるのか!? といった問題設定がまた浮上はしてきてしまうものの……)。
 個人的には、このような「現実世界&歴史は、逆説と背理に満ち満ちてもいる」といった箴言(しんげん)めいたセリフについては、「点」・「スポット」的にはスキではあった(笑)。……しかし、それらの「点」と「点」とが、「線」になったり、「面」になったり、「立体」になっていったり……といった「伏線回収」かつ巨大な「像」をも結んでいくような作品にはなってはいなかったとは思うものの……(爆)。



 しかし、なんだかんだと云っても、本作は(本作にかぎった話ではないものの)、「正義」を遂行するためには必要でもある、決して割り切れはしないような「汚れ仕事」については、周囲の主要なオトナのキャラたちの方がそれを引き受けてもおり、その事後の処理については、いまださほどには汚れてはいないような主人公少年の方へと託してみせていた……といった、イイ意味でのアリガチな作劇構造を持っていたとの腑分けも可能ではあったのだ。よって、心理学者のフロイトが云うような、父殺し・親越えのような要素はあまり包含はしていかったのでもあった(だからダメなのだ、と云いたいワケでもなくって……)。


 とはいえ、この主人公少年の心の中にトゲのように刺さっていた、幼なじみのロン毛の男友だちについては、その彼を越えることはまぁできたのやもしれない……といったかたちでの作劇はあったので、その意味ではこの類型にも当てはまってはいたのでもあった。 



追伸2


 本作の最終回のラスト間近においては、次元の狭間へと主人公の巨大ロボットが落ちこんでしまった際にスレちがった、まったく見知らぬ別の巨大ロボットとその搭乗者の少年少女の描写の意味だけは全然わからなかったのであった(爆)。


 わからなくても、まったく問題はなかったものの……。今やとっくにインターネットの時代でもあるので、検索をかけてみたところ……。あの別の巨大ロボットと少年少女たちは、本作の原作マンガのプロトタイプになった読み切りマンガ『鋼鉄の華』の主人公少年少女とその主役ロボットだったのだそうな(汗)。


 もちろん、これをもノイズだ、夾雑物(きょうざつぶつ)だ、それは不要だろ! といった意見もあってイイのだけれども、要は一部のコアなマニア向けのファンサービスなのであって、しかもそれを「パラレルワールド」といったSF概念でも肯定できるのでもあるからして、本作の作品世界やそのドラマをも崩壊させるようなものではなかった以上は、目クジラを立てて批判をするような性質のものでもないであろう(笑)。


(了)
(初出・当該ブログ記事)


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