假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

ウルトラマンネオス1話「ネオス誕生」

(東京MXテレビ・毎週日曜18:30の円谷劇場にて『ウルトラマンネオス』放映開始記念「全話評」連動連載開始!)
『ウルトラマンネオス』1995年版 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!
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我らがネオス 僕らのネオス

(文・内山和正)
(2002年7月執筆・11月改稿)


 近年特撮ヒーローもののマニアになられた方はご存じないかもしれないが、『ウルトラマンネオス』は当初児童ものの書籍・イベント展開から始まってTV化が目指されていた作品であった。
 ウルトラマンネオスウルトラセブン21(ツーワン)の動く映像を個人的に初めて見たのはバンダイの玩具系ビデオシリーズ「ばっちしV(ブイ)」のCMであったように思うが(編註:初出は94年11月23日(祝日)の三大新聞の社会欄の小さな囲み記事)、初代ウルトラマンウルトラセブンによく似た2大新ヒーローの姿に「これは一体何なんだ?」と驚きつつも興味を持たされた。


 当時国産のウルトラシリーズは番外編的なものを別とすれば、1981年春に終了した『ウルトラマン80(エイティ)』(1980・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)以来途絶えており、テレビシリーズ再開の実現自体が可能性の低い夢であったので、どのようなかたちにせよ新作の登場はマニアにとっては切実な望みだった。


 当時の展開の詳細はよく知らないのだが、マニア誌での大きな動きは『宇宙船』(朝日ソノラマ刊)1995年春号カラー記事での、『ウルトラマンネオス』の詳細な設定発表と翌春からのテレビ放送を目指すとの告知だった。


 特に気を引いたのは、


・主役のウルトラマンネオスが、ウルトラセブンの父の部下にあたる勇士司令部所属
・準主役ヒーローのウルトラセブン21(ツーワン)が、初代ウルトラマンの父の部下にあたる宇宙保安庁所属


 ……であるという、70年代前半の第2期ウルトラシリーズの時代から70年代末期の第3期ウルトラシリーズの時代に学年誌や子供向け豆百科で明らかにされて当時の子供たちをときめかせた裏設定のひとつである、ウルトラ一族たちの宇宙警備隊の下部組織である勇士司令部や宇宙保安庁という組織の復活であった。


 (後日編註:勇士司令部や宇宙保安庁の設定は、実は第1期ウルトラシリーズ講談社が掲載権を独占していた時代から、すでに児童誌『ぼくら』などで記述されていて、小学館学年誌はそれに準じて設定を拡充していったようだ。ということは、第1期ウルトラ世代が否定してきたこれらの設定の大元は、彼ら第1期ウルトラ世代自身が崇拝するあまたの怪獣百科を作ってきた天下の故・大伴昌司(おおとも・しょうじ)大センセイの手によるものだった!?)


 そして、アニメ映画『ウルトラマンUSA』(1989・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)のヒーローたちであったウルトラマンスコット・ウルトラマンチャック・ウルトラウーマンベスが着ぐるみ化され、地球で存在が確認されたウルトラマンとして、テレビアニメシリーズ『ザ・ウルトラマン』(1979・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430/p1)の主人公ウルトラマンジョーニアスも含めて――ジョーと同じウルトラの星・U40(ユー・フォーティ)出身で地球に飛来したことがあるエレクやロト、ジョーの妹アミアが無視されているのは残念だが――、ウルトラマンネオスは20人目、ウルトラセブン21は21人目だとされ、彼らを含めた歴代ウルトラ全ヒーローが集合写真でも紹介され、再編集版の番外編映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(1984)などを別とすれば『ウルトラマンレオ』(1974・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)38話「レオ兄弟ウルトラ兄弟 勝利の時」以来、大挙して共演する可能性が示されたことだった。


 70年代末期に青少年向けのマニア向けムックが登場して以来、第1期ウルトラ至上主義の風潮により、第2期ウルトラにおけるウルトラ兄弟やウルトラの国の設定はヒーローの擬人化・矮小化であって、神秘性・超越性を損なうものであり否定されるべきものであるという風潮が席巻した。
 その理念に基づいて、原点回帰であり人類初の怪獣やウルトラマンとの遭遇ものであるビデオ作品『ウルトラマンG(グレート)』(1990 オーストラリアで製作)や同じくビデオ作品『ウルトラマンパワード』(1993 アメリカで製作)が製作され続けていて、歴代ウルトラ兄弟が映像作品ではもう登場できないかもしれないと無念の思いでいた矢先、それを覆すように2人のウルトラマンが初登場し、歴代ウルトラ戦士たちも競演する可能性があるにぎやかな作品が発表されたことは衝撃的だった。


 『宇宙船』誌では『ネオス』放送に向けて読者の意見やアイディアを募るコーナーが設けられ(コーナー名は『ウル魂(こん)』)、思いの丈をぶつける特撮ファンたちで賑わった。
 しかし実際には、翌1996年春に公開された新作は映画『ウルトラマンゼアス』であり、晩夏になってようやく実現したテレビシリーズ新作もそれまでのウルトラシリーズとのつながりを持たない『ウルトラマンティガ』(1996・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)であった。


 こうして『ウルトラマンネオス』も歴代ウルトラ戦士共演も一旦は夢に終わってしまう。
 それらはやがて別々に実現することになる。
 『USA』三戦士の活躍をふくめた歴代戦士の共演は、2002年8月公開の『劇場版ウルトラマンコスモス2 ブループラネット』の併映作品『新世紀ウルトラマン伝説』で、世界観を超越して現在公式のウルトラ戦士であると公認されている28人すべてが共闘するミニ映画となった。


 『ネオス』はオリジナルビデオ作品に姿を変えた。
 平成ウルトラ三部作――妥当な呼び方か個人的には疑問が残るものの、特撮マニア間でそう呼ばれた『ウルトラマンティガ』・『ウルトラマンダイナ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)・『ウルトラマンガイア』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)の三作品のこと。1996年9月から1999年8月まで各1年づつ放送された――の終了。
 スペシャルドラマとオリジナルビデオで展開されてきた『ウルトラセブン』続編シリーズ=通称『平成ウルトラセブン』(1994・1998・1999)の終了(2002年に再始動となったが)。
 それらを経(へ)て、『平成セブン』と同様に日本テレビ系のビデオソフト販売会社・VAP(バップ)の製作で、『ネオス』は2000年11月から全12話の新作がビデオ発売されることになったのだ。


 これ以前に未完の映画『ウルトラマンゼアス』――1997年春に映画『ウルトラマンゼアス2 超人大戦 光と影』が公開されたきりとなっているが、宿敵ベンゼン星人との決着はついていない――がオリジナルビデオとして作られるとの噂もあった。
 ビデオ作品『ネオス』が成功すれば『ウルトラマンナイス』――1999年秋から翌春公開の映画『ウルトラマンティガ ファイナル・オデッセイ』(2000・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961209/p1)の宣伝も兼ねて『ウルトラマンティガ』の土曜早朝再放送枠内で放映された、ドラマ形式でバンダイ製品のウルトラグッズの宣伝を行なう1分間のCM――のビデオドラマ化も実現するとの告知もなされた。


 さらにバンダイビジュアルからは平成ウルトラ三部作のビデオ新作――続編や、正編内の空白を埋めるもの。発売は2001年1月〜3月――の告知も同時期に行なわれた。
 それは個人的には夢のようなことに思えた。


 平成ウルトラ三部作や『平成セブン』で、昭和の全ウルトラシリーズとのつながりの解体が行なわれたことは、昭和の歴代シリーズ、特に第2期ウルトラや第3期ウルトラが否定されたようであり、低評価に甘んじてきた第2期や第3期ウルトラの再評価に細々とでも長年邁進してきた筆者にとっては、たとえ狭量と言われようとも快く思えずにいた。
 が、昭和ウルトラ・平成ウルトラ・平成セブン・ゼアス・ナイスそれぞれに続編が作られ共存できるのなら、特定のシリーズだけが否定されてシリーズ存続自体が寸止めになることもなく、様々なファンが楽しめるし世界が広がり深まるであろうと肯定的に受け入れられるようになったのだ。



 個人的には、その中でも『ウルトラマンネオス』は他の作品とはちがう特別のものだった。
 幻に終わった昭和のウルトラシリーズ直系の続編でもあった1995年版の基本設定に多大な夢や希望を抱いた筆者たちにとって熱き魂の結晶であった。
 ぜひとも観たい!! 本稿の大仰(おおぎょう)で失笑を買いそうなタイトルはこの気持ちを表わしたものである。


 田舎に住む不便さもあり、ようやく全話をレンタルにより見終えて本稿を執筆しはじめた2002年夏、『ウルトラマンコスモス』(2001年7月〜2002年9月)の放送打ち切りの代打として『ウルトラマンネオス』のテレビ放送が7月6日からはじまった。
 『コスモス』再開が意外と早かったためわずか二話の放送で終わったが、関西の毎日放送など一部地域では別枠(毎日放送では土曜朝7時)で10月から全話が放送されたという。
 『ネオス』が少しでも多くの人たちの目にふれてもらえることは肩入れしている者としてうれしい。



 未見の読者のために前もってふれておく。
 ビデオドラマ版『ウルトラマンネオス』は設定が練り直され、ウルトラ兄弟の長男にして宇宙警備隊・隊長ゾフィーは登場するものの――ネオスや21が勇士司令部所属・宇宙保安庁所属という肩書きも裏設定としては残されている――、昭和ウルトラシリーズとはつながりのない独立した一作品として存在している。
 ネオスの必殺技マグニウム光線がX字型に両手を組む形から初代ウルトラマンスペシウム光線とまったく同じ十字型に両手を組むかたちに変更されネオマグニウム光線と改称されるなど、過度に『ウルトラマン』(1966)・『ウルトラセブン』(1967)を意識したリメイク的な匂いをはなちつつ、この作品ならではの独自の趣向も取り入れて新たな魅力を追求した作品として再構築されている。
 ネオスと21のデザインも1995年版から一部変更されて、特に顔が小さくされた着ぐるみが新造された。


 では各話評に入るが、作品のサブタイトルでは怪獣の肩書き・別名が表記されていないため()付きで補記した。


#1「ネオス誕生」

怪獣(鉱脈怪獣)アーナガルゲ登場

(脚本:武上純希 監督&特撮監督:神澤信一)
(視聴率:関東6.1% 中部4.3% 関西7.7%)


 先に特撮マニアたちが特撮同人誌各誌などで評していたほどには悪くない内容だと思う。
 ストーリーは薄いもののディティールで魅せる作品という感じだ。


 残念ながら2002年のテレビ放送版は、全話に流れるオープニング・ナレーションがカットされているので基本設定がわかりにくいかもしれない。
 それは、『ウルトラQ』――1966年 ウルトラマンシリーズの原点にあたり『ウルトラシリーズ』の第1作。ウルトラマンは登場しないが、次作『ウルトラマン』にも登場した海底原人ラゴン・誘拐怪人ケムール人のエピソードの存在などから、初代『ウルトラマン』の前史的な側面も持つ――へのオマージュ的なナレーションでもあった。


 オープニング・タイトルの前に、およそ三百万年に一度地球は暗黒物質ダークマターのあふれる宇宙空間を通過しその間にはダークマターの影響でどのような不思議な現象が起こるかわからないアンバランスゾーンになるという基本設定を紹介するという、映像効果も合わせてなかなか印象的なものだったのだ。


 同じく2002年のテレビ放送版では放映枠の都合でカットされたエンディング歌曲ともども、興味ある方はビデオ版をチェックしてほしい(DVD版には更にメイキングなどの映像特典もついている)。


 逆にテレビ放送版ではオープニングテーマに、歌詞がテロップされるようになったので、筆者のように「ドンキーパ」(と聞こえた)が「DON’T GIVE UP」であったことに気づくまでに時間がかかるような弊害はない(笑)。



 『ネオス』は子供向けを意識した作品だとのことだが、題材は子供向けとは言いがたい。
 ストーリーの単純さが子供向けだというのなら、誤った考え方だと思う。
 むしろ「アンバランスゾーン」・「ミラクルマン」(宇宙空間へ放り出されたのに生還できたため、主人公のカグラ隊員がそう呼ばれている)という言葉など、1960年代後半の第1期ウルトラシリーズのころに子供時代を過ごした者の郷愁作品というべきだろう。



 低予算のビデオ作品のわりには、同じくビデオ撮影作品であった平成ウルトラセブンシリーズのあまりに寂しい特殊撮影や特撮美術(特撮セット)と比較すれば、平成ウルトラ三部作のあとでスタッフの練度が高まっているせいだろうか?
 冒頭の山中の高架の道路の橋脚が崩壊して橋が崩落する特撮シーンや、防衛チーム・HEART(ハート)の同じく山中にある基地の建物、円筒状の建物内部のエレベーターで戦闘機が上昇し屋上や側壁から発進するシークエンスなど、高度なミニチュア特撮の醍醐味が楽しめる(基地からの戦闘機の発進飛行映像だけはCG合成だろうが違和感や粗もない)。



 海外ではすでに巨大ゴキブリや掌(てのひら)サイズの象の群などが出現するなどの異変が起きており、日本でも怪獣が出現してもおかしくないという状況設定。
 現場近くまではHEARTの巨大航空母艦(大型輸送機)ハートワーマーで出向き、そこからは後部ハッチが開いて乗用車ハートビーター数台を降ろしてそれに乗り現場に向かう設定と描写のディテール。
 この作品世界の人類たちにとってははじめての遭遇であるウルトラマンの名前を、彼らに根づかせるための手段――主人公カグラ隊員に自分はミラクルマンを超える存在だからウルトラマン、俺よりもミラクルな新世紀のヒーローだからウルトラマンネオス! というネーミング描写はやはり無理はあるのだが(笑)――など、リメイク作としては悪くない。


 なお、巨大ゴキブリなどが人類が遭遇した初の「怪獣」として認識されているのかどうか劇中では曖昧(あいまい)であるが、そうではないとしたら巨大ゴキブリ出現以前から「怪獣」は既知の存在であったということになる。
 怪獣が日本に登場するのははじめてとのことだが、4話「赤い巨人! セブン21」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120318/p1)に登場する2匹は三百万年前に誕生したとの設定なので、怪獣の存在自体は確認されていたのだろう。



 戦闘機・ハートウィナーのデザインは1995年版のパイロットフィルムから一新され、HEARTのメカは白と赤の組み合わせに統一された。
 初代『ウルトラマン』の科学特捜隊のビートル機の銀と赤の組み合わせへのオマージュなの(だろう)が、筆者の個人的な趣味からすれば第1期ウルトラシリーズ至上主義者の思考停止のようで嫌でもあるのだけど、それほど不満ではないのはこの配色の方がチーム名に合って暖かい感じがするからだ。


 同じ配色のHEARTの制服は、雑誌で初見したときには平成ウルトラ三部作の高価な皮製の制服ではなくジャージ生地のようなものでチープであり、低予算作品であるという裏事情をマニア的には嫌でも感じさせた。
 が、実際に映像の中で見てみると赤が強烈に目に焼き付いて映像効果のインパクトという意味で大成功だった。


 ハートビーターが前面の窓ガラスにシャッターを下ろしタイヤを収納して空を飛べる能力を持った自動車であったのも、小さな驚きがあり印象的だった。
 『ウルトラセブン』の防衛組織・ウルトラ警備隊の特殊車両・ポインターもたまに空を飛んでいた(ホバリングで滑空しただけだったか?)と記憶するが、ウルトラシリーズ全体を通しては珍しい趣向なので、毎回この車両が空を飛べば作品の独自性やシリーズのカラーを主張できただろうとも思う。


 しかし特撮の製作費がかさむせいだろう、あるいは作り手が非リアルな玩具的メカ特撮の楽しさについては興味がないのか、1話と10話「決断せよ! SX救出作戦」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120504/p1)でしか空を飛んではいない。
 身勝手な意見を言わせてもらうと、最初から飛行機であるワーマーやウィナーが飛ぶというありきたりさを廃すかそれは後景に留めて、車両も空を飛べるという本作の独自性や個性を前面に出してほしかった。



 本作も『ウルトラマンG』(1990)以後、定番となった女性隊員2人制。
 マニア誌によるとナナ隊員(瑠川あつこ)はしっかりしておりアユミ隊員(坂本三佳)はミナミ隊長(嶋田久作)にタメ口をきくとの設定だった。


 なので、ナナが有能なお姉さんタイプ、アユミが未熟な可愛いタイプなのかと思いこんでいたら、ナナがかわいい表情を見せたりするので意外だった。
 逆にアユミはルックスに反して非常にクールな分析担当の科学少女で、不自然なほどに女性言葉を使わず低音ボイスで「〜だ」調の断定セリフを発し、かわいいところを見せるのはエンディングでナナの手にしていたソフトクリームを盗み喰いするシーンくらいしかない。
 実際にはルックスから想定されるイメージとは逆だったのだ。


 異変に反応した愛犬を追って怪異現象の起きている山中の坑道へ入っていった少年を救出に行ったナナのセリフ


 「君が勝手なことをしたら君たちが危険な目に会うだけじゃなくて、“私”や他の大勢の人が危険にまきこまれるの」


 は、あきらかに自分が一番大切で、職務に対し自己犠牲的なむかしの隊員ならばあまり言わないだろうもの。
 かなり無鉄砲な性格でもあるようだし、問題ありのキャラクター。
 それが悪いのではなくむしろ魅力的なキャラクター造形だと思うのだが、シリーズ中盤以降は旧来のやさしい女性という感じなのでそれもそれで良いけれど、せめてどちらかに統一してほしかった。


 ナナ以外のレギュラー隊員キャラクターはルックス的な区別はともかく描き分けはされておらず残念。
 また、彼らの扱い方の映像演出にも個人的には疑問を感じた。
 ナナと主人公カグラ・ゲンキ隊員(高槻純)が一緒にいたシーンのあとに、アユミとカグラが一緒にいるシーンに移ってしまうところなどもあったが、共通の制服姿なので誰が誰だが区別しがたく、視聴者がキャラクターになじんでいない初期編の段階なので、混乱しかねないように思う。


 カグラの映像上での初登場以前に、彼の宇宙空間での奇跡の生還の噂を1話の冒頭でそれとなくしておいて、1話中盤の事件現場の坑道前に入院中の病院から抜け出してきたとのセリフ付きで「待ってました!」という感じでカグラが登場する。
 技法的には効果的なはずなのだが、もう少し1話冒頭のセリフを派手にやらないと全くの白紙で観る視聴者の場合、聞き逃してしまうのではないか?
 (カグラ隊員の宇宙空間での事故の件は、2話「謎のダークマター」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120304/p1)ではじめてセリフではなく映像(? 〜カグラとネオスとの一体化シーンでのウルトラマンたちによるセリフ)として表現される)


 坑道を破って出現した鉱脈怪獣アーナガルゲは、歴代ウルトラシリーズ第1話としては珍しく、直立二足歩行の恐竜型の正統派怪獣ではない。
 目鼻口がない不定型なデコボコの鉱物をモチーフにした怪獣で、『ウルトラセブン』2話「緑の恐怖」に登場した植物宇宙人こと生物X(エックス)・ワイアール星人にも似ている。


 怪獣の右肩(?)にハートビーターに搭乗したまま気絶したナナと少年が吸いついてしまって以後の危機描写には、もう少しサスペンスがほしかったが、鉱石に取り付いた微生物が怪獣の正体であるとHEARTのアユミ隊員が分析し、冷凍ミサイルを撃(う)とうとするもナナと少年が吸いついているために攻撃できないあたりは展開的にはよい。


 カグラはすでに自分がウルトラマンネオスと合体していることを記憶しておらず、戦闘機から脱出して背面のランドセルのジェットで空中に浮遊してナナと少年を救おうとし怪獣の触手に貫かれそうになる寸前、超常現象で時間の流れが停止した空間で、空中に出現したウルトラセブン21のイメージ映像の導きで変身アイテム・エストレーラーも貸与され、


 「ウルトラマンネオス!」


 の掛け声とともに変身する。


 ネオスのスーツアクターは、円谷プロのアクションチーム・キャスタッフのベテラン・岡野弘之氏。たしか1995年版のネオスも氏ではなかったか?
 平成ウルトラ三部作のウルトラマンたちと比較すると八頭身的なスタイルではなくたくましい感じだが、フィルムによる高速撮影(スローモーに再生されて巨大感や重厚感を出しやすい)ではなく、低予算のビデオ撮影であることもあってか腰を下ろして前かがみになって初代ウルトラマンを模しつつも、一瞬右腕を右真横にまっすぐに伸ばすなど変身ヒーローの様式美的な華やかさも醸しつつ、軽快で若々しい動きで立ち回る。
 オープン撮影での晴天下のトランポリンによるジャンプや空転、腕を伸ばしたり振り回したりといったポーズを取ってタメてから必殺光線を発射するのも格好いい。


 第2期ウルトラシリーズでもおなじみのウルトラ一族からのウルトラサイン(ウルトラ文字)が、ウルトラセブン21によって空中に浮かぶのも世代人としてはうれしかった。
 そのメッセージをカグラ=ネオスが理解して(変身後のネオスの意識の主体はカグラにあるらしい?)、HEARTの冷凍ミサイルとネオスの必殺技ネオマグニウム光線の共同戦線で怪獣を倒せたのも気持ちよかった。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2003年準備号』(02年8月11日発行)〜『仮面特攻隊2003年号』(02年12月29日発行)所収『ウルトラマンネオス』前半合評2より抜粋)


ウルトラマンネオス』2000年版・述懐

(文・T.SATO)
(書き下ろし)


 最近の若い特撮マニアはともかく、90年代以前からマニアをやっている人間ならばご存じだろう。
 『ウルトラマンネオス』1995年版(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971115/p1)は、昭和ウルトラシリーズの直系の続編として企画されていた作品だ。
 当時の特撮雑誌『宇宙船』の記事によると、その2年前の『電光超人グリッドマン』(93年・円谷プロ)のスタッフが中心になって企画を進めていたようだ。
 ということは、『グリッドマン』のメインライター・平野靖士センセイあたりが中心になっての企画であったのであろうか?(もちろん企画書は関係各方面の合議結果のとりまとめが大前提であったとしても……)


 実際には実現に至らず、96年の春に大阪の毎日放送にて『ウルトラマンティガ』の企画が急遽決定し、同年9月より放映が開始されたのもご存じの通り。


 時は進んで、90年代末期の『宇宙船YEAR BOOK』でのインタビュー記事で、平成ウルトラ3部作のプロデューサーであった円谷プロの笈田雅人(おいた・まさと)が、昭和ウルトラの世界観を復活させるのもアリかも……との発言を行っていた。
 今思えば……というか近々の『ウルトラマンネオス』2000年版が、ビデオ作品『平成ウルトラセブン』シリーズのスタッフによって進行していたことをヨコ目で見ながらの発言であったのだろう。


 『ウルトラマンネオス』2000年版も早くも10年以上前の作品となるので、恥ずかしながら筆者個人の当時の詳細な記憶がウスれつつある。
 が、当時のマニア誌等での記事では、本作がまたもビデオ作品『ウルトラマングレート』(90年)以降、『ティガ』にはじまる平成ウルトラ3部作に至るまでの作品群と同様に、設定をリセットした作品となることは公けにはされていなかったように思う。


 よって、筆者個人のごく私的な話で恐縮ではあるが(汗)、地上波TV放映ではないことが非常に残念ではあるも、たとえパイは小さいビデオ作品ではあっても、昭和ウルトラ直系の続編ストーリーがまったく実現しないよりかはマシであるという理由から、『ウルトラマンネオス』2000年版をプッシュしよう。
 すでにデジタル技術で修復したDVDデジタルウルトラシリーズが90年代末期に4話収録の4000円弱という値段で発売されていたのにも関わらず、西暦2000年という時代のセルDVDとしては1話のみ収録の6000円弱で全12巻という、「コレじゃ売れないだろ!」との疑問をいだかせる値段設定のDVDも購入して、経済的にも貢献してあげようとも決意していたのであった。


 昭和のウルトラシリーズや、そして70年代の学年誌コロコロコミックに子供向け豆百科で設定された、ウルトラ一族のウラ設定や歴史年表。
 90年前後に大ヒットした『ビックリマン』にも見られるように、そういった児童のガラクタ・ジャンク知識収集癖に訴えるものこそが子供たちにもウケるものである。
 高度な人間ドラマや社会派テーマ編・アンチテーゼ編なぞのハイブロウな物語には、自分もマニアだからそーいう物語が面白いという意見もわかりはするも、やはりそれは現実の子供の方を向いていない、ジャンル作品をイイ歳こいて卒業せずにいる自分を過剰に自己正当化するためにそーいう作品を理論武装として過剰に必要とした80年前後のマニア評論の次元にいまだに留まっているようなものである。
 90年前後からそのような主張を特撮同人誌で細々としつづけて、まるで報われなかった筆者であったのだが……(笑)。


 『ネオス』2000年版の第1話はあにはからんや、またもリセットされた原点回帰ものであったのだ!
 人類がはじめて遭遇した巨大生物である怪獣に対する驚き。人型の銀色巨大宇宙人を正義の味方とは認識できずに敵と認識し、場合によっては防衛隊が攻撃を仕掛けてしまうという本格リアルシミュレーション的なシークエンス。
 これ自体は『ザ☆ウルトラマン』(79年)1話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090505/p1)や『ウルトラマングレート』1話に、マニアによる二次創作などをはじめ、すでに当時としても20年近くも延々と繰り返されてきて手垢のついたシチュエーションであったとゆーのに……。


 これはまぁ今(当時)となっては古い世代であるメインライターの武上純希(たけがみ・じゅんき)センセイが、世代的にも第1期ウルトラ世代であり、第2期ウルトラ的な要素には関心も興味もなく、70年代末期のマニア評論にも影響されており、1995年版的な昭和ウルトラ直系の続編的なストーリーなぞはやりたくはなかったということなのだろう。


 1995年版に準じて、ウルトラセブン21(ツーワン)やウルトラ兄弟の長男・ゾフィーに、空中に浮かぶウルトラの同族からのウルトラサイン(文字)などの趣向も残ってはいるが、エクスキューズとしてイヤイヤながら仕方なくやっているようにも思えて仕方がなかった(笑)。


 そして、『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)以降の小ムズカしい善悪相対化それ自体も手垢がついて陳腐化した現在、それはそれとして置いておいて、あえてチャイルディッシュに善悪を明瞭化・記号化・概念化して、善悪の乾いたカッコいいゲーム的な攻防戦、文字通り・字義通りの気持ちのイイ職人芸的な娯楽活劇を実現するために、シメっぽい背景や事情を確信犯で抹消して、ただひたすらに「ワハハハハ……!」と余裕で哄笑する小悪党なり大魔王といった悪党キャラを用意して、敵を倒すことに過剰な罪悪感をいだかせない作劇の実現を……。
 そんなことを考えていた筆者は、1995年版の宿敵・ザム星人の、高尚ではなく宇宙の神秘性もさしてない(笑)適度にB級感のある第2期ウルトラのチンピラ的な宇宙人設定が大スキであったのだが、2000年版の宿敵・ザム星人は暗黒物質ダークマターの影響により宇宙をさすらっているという、彼ら自身もまた悲劇的な被害者であったという、小賢しい思春期以降のマニア向けな設定が与えられており……。


 ことごとく、筆者個人の思想というか肌には合わない(笑)。
 そんなことをいまだにやっているから、『ウルトラ』はこうでなければイケナイとかお高く止まっているから、現今のガキにうける『週刊少年ジャンプ』的な快感原則に即したエンターテイメント作品が作れないんだよ!


 もちろん筆者はアタマの硬直した昭和ウルトラ絶対主義者ではないつもりなので、昭和ウルトラ直系とは別の魅力ある要素やお話があればそれでもイイ。
 しかし、本作は6000円弱という大枚をはたいて1話分のエピソードを購入させるほどの魅力があるエピソード群であるとも思えず、4話「赤い巨人! セブン21」を最後にDVDの購入を断念(汗)。
 個人的には本作『ウルトラマンネオス』2000年版にはあまりイイ印象が残らなかったのでありました……。


 そして2年後、2002年7月に本作は急遽、テレビ放映されることとなった。
 で、その印象は……。意外と面白かった、というものであった(笑)。
 無料で観られるTV放映ということもあるのか肩の力を抜いて観られたし、空腹にマズいものなしで以前の悪印象との比較を無意識にしてしまうせいか、昭和ウルトラ直系の続編であることを期待の大前提にすることもなく、視聴することができたからでもあろだろう。


 本作にかぎったことではないが、時期時期で作品の印象や感想は変わってしまうことがある。げに、作品批評とはムズカしい。というか我ながらあやふやでイイカゲンなものである(汗)。


 とはいえ、2000年版を愛する方々には申し訳ないが、筆者個人はこの2000年版の出来が水準作・並みの作品ではあると認めても、ある種のメジャー感なり突出感を持った作品であったとは思っていない。


 個人的にはいささか遅きに失した感はあるも、昭和ウルトラ直系の続編作品はさらなる後年の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)にて実現し、それは意外にも特撮マニアたちの多くに歓迎と興奮をもって迎えられた。
 往年のマニア評論であれば、否定されるべき要素に満ち満ちた『メビウス』的な、昭和ウルトラ世界観的な要素の数々。


 子供向けの単純なバトルストーリーを骨組みに、主要キャラはイイ意味でアニメ的な記号化されたステロタイプに設定されて、細部の小ネタに往年のマニアを喜ばす、しかし決してアンテテーゼ編的なネタではなく、子供向け怪獣百科的な設定や語句や地名を列挙する。
 (もちろん世界観が昭和ウルトラ直系の続編であるというだけであって、これは批判ではなくホメ言葉として言うのだが、その作劇は第1期ウルトラ的でも第2期ウルトラ的でもない。むろん平成ウルトラ3部作的でもない……)


 つまりは『メビウス』がカンゲイされたという事実は、これらの要素を、全員の特撮マニアが望んでいたとはいわずとも、しかして半数にも満たない少数派の特撮マニアだけが望んでいたことにもならず、それなりに多数のマニアが実は無意識に望んていたことにもなるという証左にもなったのだ!
 しかるに、なぜそれらの要素が、今まで大きな声として草莽(そうもう)に上がることがなかったのであろうか?


 その答えはカンタン(?)。
 やはり、大多数のマニアたちは、自分の中の漠たる言語になる以前の気持ち・感覚を、自力で明瞭に言語化・理論化して、ウルトラシリーズが再興するためには、諸々の要素はかくあってしかるべし! という域にまで高めることができなかったということなのであろう。
 手前ミソで恐縮だが、やはりそこいらへんでは、論の左右は別にして良くも悪くも初期のマニア向け書籍のような啓蒙色・批評色を失って、基本は単なる情報誌・グラビア誌と化している当今のマニア誌ではなく、我々のようなウンチクを云いたがる批評マニアの出番があるとも思うのであるが……。
 お呼びでない、お呼びでない、これまた失礼いたしました(お約束・笑)。


 ただ、まぁ現今においては、「ウルトラ」シリーズかくあるべしという意見自体も1種類である必要はなく、互いに相矛盾する立場の複数の見解が意見を戦わせるという競争原理を働かせて、しかも最終的にして決定的な結論は出せず論争相手を撲滅・根絶することもなく、それぞれが支持者の多寡を競い合い、永遠にシーソーゲーム・政権交代を続ける方法が、迂遠であってカタルシスはなくて苦痛であっても健全ではあると思う(まぁこーいう方法がイヤなヒトはイヤなんでしょうけど)。


 繰り返しになるが、筆者は昭和ウルトラ絶対主義者でもないので、1995年版『ネオス』や『メビウス』以外の方法論であっても、当今の子供たちに(マニアに対してではなく)往年の『ビックリマン』や『ポケットモンスター』のような大ヒット的な支持を勝ちつける作品が登場するのならば大カンゲイをする。
 残念ながら『メビウス』がそういった成果を勝ち得た作品であったとは思わないし、90年代後半の平成ウルトラ3部作にしてからがそこまでの域に達した作品群であったとも思ってはいない。


 別に昭和ウルトラのM78星雲のウルトラ一族の宇宙警備隊の設定やその26万年にわたる歴史だけに、筆者は執着しているワケではない(多分・笑)。 
 それらのセンスを新しい革袋に入れて、平成ウルトラ3部作であれば、超古代文明やスフィアに根源的破滅招来体のナゾ解きを小出しにしてシリーズのタテ糸にするような方法論もあったハズだと思うのだ。
 しかし実際にはそれらはあまりにも点描的なテキトウな扱いで、3部作を愛するマニアたちによる好意的な脳内補完によらなければ堪えられないような代物にすぎず、同時期の東映メタルヒーローシリーズや戦隊シリーズなどの同系要素――『ビーファイター』シリーズ2作の後付けではあっても異次元と超古代をまたぐ両作のSF的な言い訳設定や、『電磁戦隊メガレンジャー』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111121/p1)の一貫した高校生活描写にクラス担任の描写や、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(99年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110801/p1――)の私設戦隊チームとは別にお役所・お上の側にいる乾長官のスジの通ったイレギュラー出演など――と比較すれば、それらは点と点がつながって線になるようなタテ糸には昇華していなかったと私見する。


 ウルトラマンティガの出自が3000万年前の超古代文明であるというせっかくの大設定があるのに、『ティガ』#23「恐竜たちの星」に登場する超古代の恐竜人類や恐竜兵器たちや、『ダイナ』#10「禁断の地上絵」に登場した超古代人ゼネキンダール人にも、3000万年前の超古代文明とも接点がないどころか、劇中人物たちがその可能性を想起もしないことが、筆者としては不自然に思えて仕方がなかった。
 接点や因縁をムリやりにでも持たせて、世界観にヨコ方向の拡がりも出して、そこで超古代文明の知られざる秘史・複数集団の対立・抗争関係にも言及、小出しにしていくようなワクワクさせる要素がほしかったということだ。


 このように劇中では明瞭に語られなかったが、良くも悪くも当時の年長のマニア連中に、超古代文明の秘史や『ティガ』とその続編『ダイナ』のミッシングリンクなどの歴史年表的な興味も惹起して、私家版(しかばん)のそれを妄想して発表などをしている光景を筆者も散見してきた。
 この種の歴史年表解明的な欲望が根強かったことは、あるいはそこに物語の豊穣な可能性があったことは、『ティガ』と『ダイナ』の空白期間の時期だと設定された映画『ウルトラマンティガ ファイナル・オデッセイ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961209/p1)において、超古代文明時代の末期に超古代怪獣たちを打倒したあと、超古代の多数のウルトラマンたちが同族争いをしたという追加設定が付与されたことでも例証できると考える。
 この追加設定自体は、TV本編での超古代文明滅亡の理由とも微妙に不整合があるので成功しているとは言い難いことは置いといて。


 『ガンダム』でも『スター・ウォーズ』でも『スタートレック』でもこの手の歴史年表を作って、イイ歳こいた成人オタク連中(笑)の関心を惹起して、映像以外の媒体も含めて外伝を作って小マメに商売することはやっている。
 26万年前にウルトラの星の太陽が爆発、ウルトラ長老はプラズマスパーク人工太陽を作ってそのディファレーター光線でウルトラ一族は超人種族ウルトラマンに進化して、5万年前には帝王ジュダがウルトラの星を攻め、3万年前にはエンペラ星人と怪獣軍団が攻め来たり、それを契機にウルトラ一族は宇宙警備隊を結成し、そのあとには反逆者・ウルトラマンベリアルの乱もあり、ヤプールもヒッポリトも恐れたというレイブラッド星人は正確な時期は不明だが数万年前に一度は全宇宙の覇権を握り、ウルトラマンヒカリが発明した命の固形化技術でゾフィーは宇宙恐竜ゼットンに敗れた初代ウルトラマンとハヤタ隊員を復活させ、その命の固形化技術の開示を求めてバット星人がウルトラの星を攻めたためにウルトラマンジャックは地球を去って故郷に帰り、円盤生物シルバーブルーメの攻撃で行方不明になったウルトラセブンは救出されウルトラの星でその後復活し、1986年に神戸沖に究極超獣U(ユー)キラーザウルスを封印したウルトラ4兄弟は以後20年間神戸で生活し、その代わりに東光太郎(ひがし・こうたろう)と分離してウルトラマンタロウはウルトラの星へと帰り……
 幼児はともかく子供番組卒業期の小学生どもの1話完結のワンパターン話をバカにするような背伸び盛り気分への対策。それは往年の実相寺カントク・佐々木守脚本的なアンチテーゼ編ではけっしてない(それは中二病対策としては有効ではあっても)。
 往年の『ビックリマン』における天聖界と天魔界の数億年に渡る抗争の歴史年表人気やあまたのビックリマンシール1枚1枚に記述されたウラ設定ではないが、「世界」のヨコ方向の拡がりと「歴史」のタテ糸の深さを示すような壮大な世界観設定こそが、彼ら小学生レベルのジャンク知識収集欲を惹起するとも思うのだ。


 平成ウルトラで云うなら、超古代怪獣やスフィア怪獣に根源的破滅招来体の怪獣たちの種類・序列・位階などを漠たるものでもそれとなく設定して、東映メタルヒーロー超人機メタルダー』(87年)のネロス軍団のように体系的に細分化して子供たちのこれまたジャンク知識収集癖に訴えるようなやり方もあったハズだと思うのだ。
 すべてを明かさずナゾに留めたままであった方がイイというケースも認めるが、これらの作品の場合には劇中での大いなるナゾは、ナゾそのものとして描いて、膨らみや神秘性を意図的に持たせるような演出すらされてはいなかった。


 話は変わるが、昭和ウルトラ直系の続編作品の登場に、先の文ではこだわってきた。
 これについて云えば、昭和ウルトラの続編作品も、平成ウルトラの合間合間に挟むなり、交互に製作していくというような商業的にもクレバーな方法論もあったようにも思われる。


 そのような残念感が、1995年版と2000年版の『ウルトラマンネオス』を想起する度に思い浮かぶのだ。
 だが、死んだ子供の齢(よわい)を数えていても仕方がない(笑)。
 気を取り直して、2010年代にふさわしい「ウルトラ」の在り方を、我々空理空論の口舌の輩である評論オタクたちは模索しなければならないと、誰が望んでいるワケでもないけれど、思いを新たにするのであった……。



 とはいえ00年代後半以降、昭和ウルトラ直系の続編である『メビウス』で歴代ウルトラ兄弟の客演は実現し、歴代シリーズの侵略宇宙人の残骸円盤のオーバーテクノロジーから地球防衛軍は『ポケモン』的にカプセル怪獣を使役して、その延長で『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080427/p1)シリーズでは主人公や悪役たちが多数のカプセル怪獣たちを使いこなし、70年代後半の内山まもるのウルトラ漫画のようなウルトラ一族の内紛を描く映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)までもが登場し……。
 商業的には苦戦しつつも、現実の方が先に行ってしまった感もあるのだが……。我々もまたその先を模索しなければならないと思うのである。


 (まぁでも音声が響くカードやメモリやメダルやスイッチにキーを防衛隊も宇宙人もウルトラマンも持ち歩き争奪戦をくりかえし、それらをブレスレットやベルト(笑 〜バックル?)に装着することで防衛隊の装備や宇宙人やカプセル怪獣ウルトラマンの色や模様や属性・能力も変わったり、防衛隊はカプセル怪獣のみならず変形合体巨大ロボットも所有していてロボットはウルトラマンの鎧(よろい)としても合体し、隊員たちは強化スーツで戦闘員宇宙人たちと等身大バトルも行って、ダブル・トリプル主人公の巨大ヒーローも特撮予算の節約(笑)で等身大バトルも頻繁に行い、悪の大軍団も用意して、OBヒーローもゲスト出演し、パラレルワールドマルチバース設定も今ではあるので夏休みの時期のTV放映や映画では次元を超えて世界観の異なる数年前や10年前のウルトラヒーローも毎年順繰りで共演させて、幼児のみならず卒業してしまった小学生や中高生やオッサンの視聴者や観客を少しでもゲットして……以下、略)


(了)
(初出・当該ブログ記事)


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