假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦 ~快作!? 怪作!? 圧倒的物量作品を賛否合評!

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 2020年10月31日(土)~11月8日(日)に「東映特撮 YouTube Official」にて、映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』(12年)が公開記念! 
 とカコつけて……。『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』賛否合評を発掘アップ!


仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』 ~快作!? 怪作!? 圧倒的物量作品を賛否合評!


『スーパーヒーロー大戦』合評1 ~細部のデタラメも含めて肯定!(笑)

(文・T.SATO)
(2012年4月29日脱稿)


 筆者個人は『スーパーヒーロー大戦』肯定派。


 まぁ見せ場の羅列ばかりだけど、そして決して人間ドラマ至上主義者ではないのでドラマが必須だとも思わない当方だけれども、一応は人間ドラマもあったとは思うゾ。


・歴代仮面ライダーとライダーシリーズ悪の軍団・大ショッカーの連合軍側の大首領に、俺さまキャラの仮面ライダーディケイド(09年)こと門矢士(かどや・つかさ)!
・歴代戦隊ヒーローと歴代戦隊の悪の大幹部たちが結集した大ザンギャック帝国との連合軍の側の大将にも、俺さまキャラの海賊戦隊ゴーカイジャー(11年)のゴーカイレッドことキャプテン・マーベラス


 この両者は元々のテレビ本編でも先輩ヒーローたちに敬意を評さない不敵なキャラクターだったので、イキナシ悪の軍団にトップに君臨していても全然違和感がナイ(笑)。
 ディケイドに至っては、過去にも映画『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091213/p1)で記憶喪失になっていた自身の過去が大ショッカーの大首領(爆)であったという、取って付けたようなムリやりで説得力のない超展開もあったので、なおさら驚かない。
 両者ともに吹けば飛ぶような若造の要素を残しつつも、この両者の役者さんは元からフテブテしくて不敵な演技がナゼだか妙にハマっている(笑)。もちろんイイ意味で適度にビミョーに間がヌケた感じもあったり、ディケイドに至っては声質が少々甲高いので(笑)、大悪人といった感じの貫禄までは出せていないけど……。それが最後には正義のヒーローとして活躍するのだろうナ……といった、「大きなお友だち」的にはイイ意味でミエミエな安心感を、子供たち相手にも無意識的な安心感を同時に担保もしてくれている(笑)。


 この一応のワル者と化した両者が攻防戦をやっているというのが本作の大構図。ただ両者は「大将」としてデンと構えて時にバトルをしているだけであり、本心は隠しているから特に彼らに内面ドラマが発生するわけではない(……批判ではないですヨ)。


 その代わりに人間ドラマ・内面ドラマ部分を担うのは、ライダーvsスーパー戦隊の戦いを止めようとする『ディケイド』の2号ライダー・仮面ライダーディエンドと、『ゴーカイジャー』のサブリーダーであるゴーカイブルー!
 彼らの戸惑いと、彼らの相棒なり女房役を説得すべきなのか!? 倒すべきなのか!? という切なる葛藤。ディエンド&ゴーカイブルー両者の立場の似て非なるビミョーな違いと対立と和解。そーいう構図のタテ糸となる作品の背骨自体はしっかりあったとは思うのだ。


 実はディケイドこと士のことが好きで好きでたまらないディエンドこと怪盗もとい海東大樹(かいとう・だいき)の、ラストでの愛憎あい半ばする私情だけから来る暴走行為は半分以上、笑ってしまうけど――もちろんあのラストは、大きなお友だち、もといお姉さまたちに向けてねらった「ここで半笑いしてください!」という作劇であるのは重々承知してはおります(笑)――。


 ……というようなことどもも、本作の映画パンフレットを読むと、監督や出演者自身が分析的に語っていたりして……。我々生ヌルい感想ブロガーや特撮同人屋の拙文なんぞよりも、よほど作品自体のエッセンスや縮図自体をうまく言語化できていて、みんなも見習えよ!(笑) てゆーか、批評・感想トークもやりにくい世の中だナ(爆)。


 『スーパーヒーロー大戦』否定派は本作のどのあたりがイヤなのであろうか? やっぱりそれまでの歴代シリーズとの設定面での整合性であろうか?


 最終回で変身アイテム・オーメダルが破損したハズなのに、そんな設定など無視して、あるいは説明ヌキで仮面ライダーオーズ(10年)に変身できちゃうあたりとか。そもそも『ゴーカイジャー』最終回で34大戦隊の「大いなる力」を元の戦隊ヒーローたちに返していたというのに、平気で過去戦隊に多段変身しているゴーカイレッドとか(笑)。
 そのあたりの整合性に作品の価値判断の基準線を引いておらず(汗)、まぁこのテの特撮ヒーローものはそんなラフでユルいモノだから……そこに踏み込んでその問題点を解消しようとなると展開がまだるっこしくなってしまうから……などと割り切って観れてしまう当方にとっては充分にオッケーな作品なのだけど。
――いやもちろん、そのあたりの不整合にもたとえ後付けであってもSF合理的な言い訳や解決を与えた上で、ストーリー展開もサクサク進めているような、一粒で二度オイシい作劇の方がよりマシであるというのならば、その通りではありますヨ――。


 まぁでも、往年の映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(84年)で、ウルトラマンタロウ(73年)よりも前にウルトラマンレオ(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)やウルトラマンエイティ(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)の方が先に地球に来ていた! という描写が登場したときには、番外編映画だからと割り切りはするけれども、引っかかる想いを筆者もかつては感じていたモノだから、彼ら批判派のことをとやかくは云えないですよネ(汗)。


 「ライダー」&「戦隊」の両陣営にひとりずつ懐かしのヒーローOBを配してファンサービスをしたり、キャラクターシフトをヨコ方向に拡げるだけでなく、彼らを偉大な先人扱いとすることで上方向や斜め上の方向にも立体化してほしかった気もしはする。
 が、低予算&安心スケジュールの白倉プロデューサー体制の作品では、そういうことをあまりやってくれないのはスレた特撮マニア的には最初からわかってはいたことなので、そこについては最初から期待していなかったことも、本作への期待のハードルを下げていたのかもしれないけれども(笑)。


(了)


『スーパーヒーロー大戦』合評2 ~古典的なストーリーで魅せずに、実録派ヤクザ映画の方法論で魅せる!?(笑)

(文・フラユシュ)


 まぁここまで来るともうストーリーうんぬんの話ではないよな。60年代までの横暴に対して耐えに耐えに耐え抜いた正義のヤクザが悪のヤクザに反撃する古典的な作劇を脱した、70年代前半の全編を善悪抜きでのヤクザ同士の出入り(喧嘩)であるアクションシーンの羅列だけで描くことで当時のヤクザ映画に革命を起こした、いわゆる「実録」もののヤクザ映画の二大組織対立ものをヒーローものでやったという感じ(笑)。
 単なる顔見せと各自にアクションだけあればいいという映画。前作『仮面ライダーオーズ』(10年)から登板して本映画でもメインヒロインを務める比奈(ひな)でさえアクションシーンで見せ場があった。まぁアクション監督出身の金田監督の作品だからかもしれないが。


 でも東映の白倉プロデューサーの映画パンフでのコメントにもあるように、『仮面ライダーディケイド』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090308/p1)のメインヒロイン・夏海(なつみ)だとディケイドが首領を務めるライダー陣営側に肩入れしてしまうかもしれないけど、『仮面ライダーオーズ』の比奈がヒロインだったからこそ、2大陣営双方に対して一歩引いた視線で冷静に批判的に眺めることで「客観性」が出せる第三者的な視点を劇中内でも確保できたのは事実だろう。


 今回の映画は、旧作のヒーロー(スター)たちがかつての設定や出自を少々無視してもそのキャラクターだけで押していく。ある意味これもキャラクターだけを活かして別の作品に脈絡もなく登場させる、いわゆる「スターシステム」なのかもしれない。


 さすがに現役作品組はテレビシリーズとのスケジュール調整が過密になるからだろう、役者さん本人はほとんど登場せず、冒頭とラストバトルでの主に変身後の着ぐるみでの出演だけだったが、まぁアタマとオシリに出てくれば主役っぽくなるからこの采配でいいのだろう。


 一部のメタフィクション・ネタや、意外なラスボスや、実は敵幹部・ドクトルG(ゲー)の正体が例の「彼」なのが、シネコン・新宿バルト9(ナイン)の2日目の上映でやたらと受けていたのは、親子連れも多かったが客層が男性マニア層や女性マニア層もバランスよくいたからだろうな。


(了)


『スーパーヒーロー大戦』合評3 ~ディテールはよいが、トータルのお話の出来ではやや落胆

(文・森川由浩)


 昨年(2011年)の「仮面ライダー40周年」、「スーパー戦隊35周年」といった東映二大特撮シリーズのアニバーサリーイヤー展開はどれも大成功を収め、今や日本の特撮ヒーローの代表選手が、この「ライダー」と「戦隊」の二大ブランドであることを立証した。


 しかし記念イヤーが終わればそれでおしまいではなかった。今年(2012年)はまた振り出しかなぁと思いきや、2012年1月30日に都内で行われた東映映画作品のラインナップ発表会にて、プロデューサーの白倉伸一郎がこういった発言をした。



「今回は全ライダーと全戦隊との全面戦争を描く。全ライダーを登場させた『レッツゴー仮面ライダー』と、全戦隊を登場させた『199ヒーロー大決戦』を昨年公開したが、あの二本をペナントレースと考え、今回は日本シリーズという発想。」

(『月刊文化通信ジャーナル』2012年3月号 原文まま掲載)



 それがこの映画『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』(12年)である。


 しかし、仮面ライダーVSスーパー戦隊のコンセプトを打ち出したが、よくある双方が協力して悪を倒すということではなく、本当に対決するといったものである。しかしこのスタイル、裏には何かあるぞと年長の特撮マニアであれば誰もが感じ取ったことだろう。


 よって、この映画の話を耳にしたときはそんなに驚かなかったが、上に記載した白倉伸一郎による発言で


「今回は日本シリーズという発想」


インパクトとわかりやすさには敬服してしまった。もちろんプロ野球の「セ・リーグ」を「仮面ライダー」、「パ・リーグ」を「スーパー戦隊」、双方の優勝チーム同士の決勝戦である「日本シリーズ」を今回の「スーパーヒーロー大戦」に見立てた表現である。「わかりやすくて、人を引き付ける」という「キャッチコピーの鉄則」を守った白倉の発言に脱帽してしまう。白倉の手腕はこんなところにこそ生かされているなと痛感したのだ。



 今回の映画の図式を牽引するヒーロー同士の対決は、『仮面ライダーディケイド』(09年)の仮面ライダーディケイド=門矢士(かどや つかさ)と、『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111107/p1)のゴーカイレッド=キャプテン・マーベラス。しかも、士は大ショッカー、マーベラスは大ザンギャックと、それぞれ悪の組織のボスへと収まる。
 実にショッキングな設定であるが、その裏には「敵を欺(あざむ)くにはまず味方から」の図式が存在している。これは年長マニアでなくても小学校中高学年以上になれば、ある程度は観る前から予想がついてしまうことである。
 よって、もう少し見せ方をヒネらないと、単なる手抜きやご都合主義と批判されるだけにしか終わらない危険性を有する。ネット上での本作への感想の多くがそれに終わっているだけに。


 そして物語の設定のディティールの不明確さ、あやふやさを感じずには入られない。ストーリーが展開していき、最後にある結果が出るためにはそこへと至るプロセスが存在する。そのプロセスの描き方の適当さ・手抜き感や、そのバックボーンの希薄さは感じざるをえない。“行き当たりばったり”といった表現を用いればいいのだろうか。


 この映画、ここ数年の「ライダー」共演映画や、「スーパー戦隊」共演映画の総まとめ的な印象が強い。しかし内容面ではこれまでの共演映画よりも劣るように感じてしまった。アイデアやコンセプト自体は他の「ライダー」共演映画や「戦隊」共演映画よりも上だと思うが、実際の作品がそこへ付いていっていないとしか思えない。



 壮大なコンセプトを活かせていないと思わせる最たる要素が、大ショッカーや大ザンギャックといった悪の軍団の描写で、目に付く悪の戦闘員が少なすぎる点である。スーツアクターを揃えられない、ヒーロー側が各場面で多数登場するので手が一杯といった事情を垣間見せてしまい、悪役がボリューム不足の感が強かった。
 ヒーローの数が圧倒的に多く、対する悪側の人数が少ないために、やや“弱いものいじめ”に見えてしまうのだ。もちろん“弱いものいじめ”ではないのだが、多くのヒーローを出すなら、悪の側もそれを上回る数で出さないと絵にならないし、ヒーローが大挙登場して反撃する道義的な正当性も生じてこない。今やデジタル合成でいくらでも戦闘員の増員ができるのだから、そこは手を抜かないで欲しかった。


 とはいえ大ショッカー側には、旧ショッカー時代のさそり男やゴースター、改組後のゲルショッカー時代のイソギンジャガーといった懐かしい怪人が顔を出しているのが、初代ライダー世代には嬉しいところだ。


 さらに『仮面ライダーディケイド』のナゾの男・鳴滝が、今回は『仮面ライダーV3(ブイスリー)』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140901/p1)の悪の秘密結社・デストロンの初代大幹部ドクトル・G(ゲー)に扮し、オリジナル同様に


「仮面ラ~イダ」


という独特の節回しでキャラクター名を呼ぶあたりのリ・イマジネーションも嬉しいといえば嬉しい。


 ここ数年のライダー映画で、往年の昭和ライダーの悪の秘密結社の大幹部の復活が多々見られたが、一作目の『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)からは一通り出尽くしたので、次は『V3』よりデストロンということだろう。
 ドクトルGデストロン幹部中一番の知名度を誇るだけあって、世代人の特撮マニアとしては嬉しい。しかし結局、鳴滝の変装であり、相も変わらず彼の素性は不明のままというのが不完全燃焼感を抱かせる。もはや彼は“都合のよい人”であり、何にでも配役できるけど、その素性を不明にして敵にも味方にもシフトできる便利な人物としての立ち位置を確立したことを今回改めて確認した次第。


 そしてドクトルGは本家同様、怪人カニレーザーに変身して戦う。このカニレーザーは原典そのままの復刻ではなく、時代に合わせたリニューアルが行われている。近年のオールライダー映画での幹部怪人(イカデビル・ガラガランダ・ヒルカメレオン)はオリジナルのデザインを忠実に再現したものが多かっただけに異質な印象も受けた。


 反面、大ザンギャックの方は名物怪人の復活もそうなく、「仮面ライダー」シリーズに比べてスター怪人が少ないこともあるが、「戦隊」悪役の革命児になったあの悪のヒーローが復活した。スーパー戦隊シリーズ超電子バイオマン』(84年)のバイオハンター・シルバである。今回はライダーハンター・シルバとして仮面ライダーたちを追う。


 このシルバも当時の世代人たちには強烈なインパクトを与えている。同作より10年強前の変身ブーム(1971~1973年)の洗礼を受けた、当時もう中高生や大学生の特撮マニアであった世代人から見れば、このキャラクターが初めて参上したときには


「なんだこのハカイダーもどき」


といった感想を抱いたものだったが(もちろんカッコいいとも思ったけれども)、ハカイダーを知らない世代に新時代の悪のヒーローの魅力を堪能させ、放映当時もそのパターン破り連発のドラマとアクションに巨大ロボ戦でスーパー戦隊シリーズの革命児であった『超電子バイオマン』の個性の大きな一翼を担った存在であった。


 このハカイダー東映特撮『人造人間キカイダー』(72年)終盤に登場したて悪のヒーローであるライバルキャラクターである。全身黒ずくめの衣装に黄色いイナズマを思わせるライン、そして人間の脳髄を有し、そのシステムから単なるロボットではなくサイボーグロボットとしての存在を確立。何よりも人間体・サブローとしての姿のから変身し、凄腕のガンマンでもある特徴から、主人公のキカイダーを超える人気を獲得した(次作『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)にも続投している)。


 このハカイダーに魅せられた者の代表として、シルバのデザインワークスを担当した、当時は新進のマニア上がりのデザイナーであった出渕裕(いずぶち ゆたか)は、その憧れを存分に生かして“出渕版ハカイダー”の特色を押し出したバイオハンター・シルバを生んだ。


 今回の復活ではオリジナルの声優である林一夫による再演が実現、世代人感涙の登場を成し遂げた。おまけに『バイオマン』のリーダー戦士であるレッドワンの声は阪本良介(現・坂元亮介)が再演。昨年の映画『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201108/p1)での登場はともかくテレビ本編の『海賊戦隊ゴーカイジャー』では「バイオマン」編がなかっただけに『バイオマン』に思い入れのある特撮マニアもこのシルバ復活には狂喜したと思われる。


 ドクトルGとシルバという二大キャラクターの登場が、近作と比すると大幹部連中の描写がやや没個性的になってしまったようにも思えた悪の軍団の中では魅力的であった。



 本作ではヒーローの頭数だけを揃えればいいといったものではないという問題点も大きくクローズアップされたように思う。「ライダー」と「戦隊」のヒーローたち個々の描写が圧倒的に物足りない。総勢500人単位だからひとりひとりのキャラクターを確実に見せることは不可能であり、宣伝媒体での集合スチール写真で堪能してくださいとでも言わんばかりなのである。多くのヒーローが“エキストラ”にしかなっていないのだ。もちろん確信犯としての“割り切り”で大英断に踏み切ったことはわかるつもりだが、それでも物足りなさは強く抱いた。


 この文章は初日の初回を一回見たきりで執筆したものであるから、再度見直せば見えなかった部分や描き方の本質も感じ取れるのかもしれない。だが、近年の「ライダー」共演映画や「戦隊」共演映画に満足していた者としては、今回はコンセプトの大きさにストーリーや細かい描写が付いていっていない印象が強い。


 もちろん映画を「この作品は駄作だ」ということは簡単である。その中にはらまれたテーマや魅力、そういったものを探し出し、前向きな評価を下すことの方が建設的で有意義だとは思うのだが、この映画については一回見ただけではそういったことは感じられなかったし、またそうした気持ちにもさせられなかった。
 個人的にはこれといった魅力を感じることがないこの映画だが、時が経って見直せば、今見えていない魅力に出会えるのだろうか? そんなことを今回は考えさせられた。


(文中敬称略)
(了)


『スーパーヒーロー大戦』合評4 ~子供や大衆が娯楽活劇映画に求めるものとは!?

(文・久保達也)
(2012年4月25日脱稿)


 公開初日の2012年4月21日(土)、静岡県静岡市のシネシティ・ザートにて、初回9時55分の回を鑑賞。


 しかし今回はまぁ並んだ並んだ。映画を観るのにこんなに並んだのは、かなり久しぶりのことである。筆者が出掛けた劇場では、警備員の不手際から開館と同時に入場した観客の方が行列していた人々よりも先にチケットを購入することになってしまい、「不公平だ!」と怒り出す人もいるわで、騒ぎにまで発展してしまった。
 それだけ今回の「殺し合い」(笑)に対する期待値の大きさがうかがえるというものである。さすがに「殴り合い」にはならなかったが、そういう欲求を擬似的に満たすのがこの手の作品でもあるのだ(爆)。


 まぁ、タイトル通りの作品である。まさに「大戦」である。ホントに最初から最後まで、矢継ぎ早に正義・悪双方のキャラが続々と登場! スーツアクターの肉体的アクションと最新のデジタル技術の華麗な融合による、変身と必殺技の「様式美」がひたすら繰り返され、戦ってばっかり!


 ドラマらしいドラマなどはほとんどない。米村正二(よねむら・しょうじ)のシナリオ台本もスカスカなのでは? だって金田治(かねだ・おさむ)監督の絵コンテだけで済んでしまいそうな構成だもの。


 米村はテレビアニメ『それいけ! アンパンマン』(88年)の劇場版も多数担当しているようだ――来たる12年7月公開のアニメ『それいけ! アンパンマン よみがえれ バナナ島(じま)』の併映短編『リズムでてあそび アンパンマンとふしぎなパラソル』の脚本も担当!――。あれもアンパンマンだのカレーパンマンだの食パンマンだのバイキンマンだのドキンちゃんだのジャムおじさんだの多数のキャラクターが設定されている作品である。今回みたいにキャラの羅列だけしてラクをしているのではあるまいな?(笑)


 さて筆者は事前情報をまったく入手せずに鑑賞におよんだ――このところ筆者はそれを心に決めて劇場版にのぞんでいる。観る前から半分観た気になり、作品に変な先入観を持たないためである。そして、ホビー誌や特撮情報誌を目にするとオモチャ情報ばかりが目に入ってしまい、色々と欲しくなって困るためでもある・笑――。
 なので少々驚いたのだが、今回は現在放映中の『仮面ライダーフォーゼ』(11年)と『特命戦隊ゴーバスターズ』(12年)の主人公キャラが中心となって活躍するのかと思いきや、実はそうではなかったりする――もちろん、ラストバトルでは彼らに華を持たせているが――。3年前の『仮面ライダーディケイド』(09年)、そしてスーパー戦隊シリーズからは直前作『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)の主人公キャラが中心となっている構成なのである。前者は「平成ライダー10周年」、後者は「スーパー戦隊35作品」を記念して製作されたアニバーサリー作品である。


 これにライダーシリーズの直前作『仮面ライダーオーズ/000』(10年)――しかも主人公のオーズ=火野映司(ひの・えいじ)よりもメインヒロイン・泉比奈(いずみ・ひな)の出番の方が圧倒的に多いのが個人的には嬉しい・笑――、さらに『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)のそれも主人公の兄ちゃんではなく車掌のオーナーにヒロインのナオミ、そして「色だけ見れば戦隊みたい」(笑)なモモタロスをはじめとする正義のイマジン怪人たちといった、レギュラーキャラでも主人公ではなくサブキャラたちの方が活躍するのである。
 そのようなワケで、「ライダー」・「戦隊」ともに、最新作ではなく近年の作品の顔なじみのキャラが物語の中心になっている。


 しかし、ディテールやガジェット(小道具)やキャラクターに目を向ければ、歴代シリーズ過去作の遺産が存分に活用されている。


 今回の『ヒーロー大戦』でいえば、『仮面ライダーV3』(73年)の悪の組織・デストロンの大幹部であるドクトルG(ゲー)の再登場などはその典型例といえるだろう。現代風にリファインされたデザインでありながら、ちゃんとカニ型の怪人・カニレーザーに変身するし、なんといっても


「仮面らぁ~~いだ・でぃけいど!」(笑)


などと、オリジナルを演じた千波丈太郎(せんば・じょうたろう)の実に独特なセリフ回しを見事に再現しているのだ!


 「ライダー」側の悪の大幹部と対応する「戦隊」側の悪の大幹部として設定されたのが、スーパー戦隊シリーズ超電子バイオマン』(84年)に登場したバイオ粒子を持つ者を抹殺(まっさつ)する白銀の悪のヒーローであったバイオハンター・シルバ。なんとライダー粒子(笑)を持つ者を抹殺するライダーハンター・シルバとしてリファインされ、まさかまさかの再登場!
――『バイオマン』が放映されていた1984(昭和59)年ごろになると、1980(昭和55)年の創刊当初は1950年代の洋物SFや初期東宝特撮・初期円谷特撮ばかりを扱っていた朝日ソノラマの特撮雑誌『宇宙船』でも、ようやくリアルタイムの東映ヒーローをまともに扱うようになってきた(現在は脚本家として活躍している当時若手の會川昇(あいかわ・しょう)がこの時期に編集者として参加して、現行の東映特撮をプッシュしたり旧作である70年代特撮の再評価特集を組んで、当時は中高生の年齢に達していた70年代前半の変身ブーム世代の特撮マニアたちに大きな影響と理論武装の方法を与えていたのだ)、それに影響されて当時高校生だった筆者らの世代の特撮マニアたちは、この時期の東映特撮をけっこうリアルタイムで観ていたり、そのまま東映特撮も継続して観るようになったマニアが多いのだ!――


 シルバを出すならバイオマンの活躍場面を、そしてバイオマンのリーダーことレッドワンの声を坂元亮介ご本人が演じるのならば、数カットでもよいので郷史郎(ごう・しろう)役で出演させて、先輩ヒーローとして助っ人参戦して、先輩らしい人生のアドバイスを後輩たちに与えたり、ここぞという場面でキチンと変身ポーズを取って変身させたり、映画の舞台挨拶にも登場してもらって、客寄せ面でも有効活用した方がよかったとも思えるのだが……



 そして、細かい話で恐縮だが、今回の大ショッカーの中には元祖『仮面ライダー』(71年)に登場したショッカー怪人が3体含まれている。


・第3話『怪人さそり男』に登場したさそり男
・第41話『マグマ怪人ゴースター 桜島大決戦』(1号と2号がダブルライダーとして初共演した記念すべき作品!)に登場したゴースター
・第84話『危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠』に登場したイソギンジャガー


 大前提として新造ではなくアトラクションショー用の気ぐるみがあったからのセレクトだろうが、


・第1話~第13話の「旧1号編」
・第14話~第52話の「2号編」
・第53話~最終回の「新1号編」


から1体ずつまんべんなくセレクトしている点は好感が持てるとともに、実に巧妙でもあると思う。


 元祖『仮面ライダー』は全98話にもおよび、放映期間は実に1年11ヶ月とロングランとなったことから、人によって想い入れが強い時期も異なるかと思われる。つまり、「2号編」や「新1号編」の再評価が進んだ今日では、一頃の特撮マニアたちのように「旧1号編」ばかりを絶対視しているハズはないのである(笑)。


 世代人でも一般的には視聴率が上昇をはじめた「2号編」以降から観始めたという人々も多いだろう。幼児だった筆者は第3話に登場した「さそり男」が怖くて「旧1号編」の視聴を打ち切り(爆)、裏番組だった女子バレーのスポ根アニメ『アタックNo.1』(69年・東京ムービー フジテレビ)に乗り換えたという経験があり、視聴を再開したのは「新1号編」に入ってしばらくのことであった。
――キー局では『ライダー』は土曜19時30分に放映されていたが、名古屋地区では日曜19時からの放映だったのだ(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140801/p1)。余談だが『アタックNo.1』の主人公・鮎原(あゆはら)こずえは筆者の初恋の人であった・笑――


 ゆえに3体の中ではイソギンジャガーが最もビビッと来るものがあったし、昨年の大傑作映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』(11年・東映)にジャガーマン・毒トカゲ男・シオマネキング・イカデビル・ガラガランダ・ガニコウモル・ヒルカメレオンなど、「新1号編」からのショッカー怪人が多く登場したのは、やはり嬉しいことであったのだ。


 それだけにはとどまらない。『レッツゴー仮面ライダー』にもチラッと登場してはいたが、『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年)第37話『巨腕コマ怪人! 灯台の死闘!!』に登場したジンドグマ怪人・コマサンダーが、『仮面ライダーZX(ゼクロス)』(『10号誕生! 仮面ライダー全員集合!!』(84年))に登場したバダン怪人・タイガーロイドとともに、出番は短いながらも主役側キャラを襲う場面があるのだ!――ここで比奈ちゃんがまさかの大活躍!・笑――


 年配マニアには有名でもこうした埋もれかけた世間的には知名度が低い怪人を登場させてくれるとは、世代人ではないのだが『スーパー1』が大好きな筆者が単に嬉しいというだけにはとどまらず、初めて目にした若い特撮マニアやマニア的な気質のある子供たちに「あの怪人はいったい何?」と、旧作に対する関心を喚起する起爆剤とも成り得ているのである。


 『仮面ライダーBLACK』(87年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001015p2)の宿敵である悪のライダー・シャドームーンに、映画『仮面ライダーZO(ゼットオー)』(93年)の宿敵ドラスも登場と、まさにあらゆる世代にアピールしまくっておりますなぁ。
――いまだにブラックが「やめろ信彦(のぶひこ)!」などと呼びかけたりするのはちょっとだが(笑)。一度や二度は割り切ってブラックやその後継のライダーRXがシャドームーンを倒しているのだから、「またよみがえったか!? 信彦! いやシャードームーン!」くらいのセリフにしておいた方が整合性が取れるのでは?――。


 『フォーゼ』の現役視聴者である就学前の幼児の若い父親層は、世代的にどうしても昭和『ライダー』シリーズには想い入れが強くない人々が多数派だろう。しかし、だからと云って、度重なるピンチの度に先輩ヒーローが助っ人参戦してくれても「ドッチラケ~」ということではないのである。むしろ良く知らないけど、かつては1年間の放映期間の看板を張った先輩ヒーローが活躍するサマを、頼もしくかつカッコよく思うものなのである。


 そして、テレビシリーズは「ご存じもの」の「定番」ではあっても、大スクリーンで大勢の観客とともに鑑賞する映画では、テレビシリーズの「ルーティン」な展開とは異なる「番外編」的な「華(はな)やかさ」や「お祭り感」やその映画独自の「ウリ」や「目玉」といったスペシャル感を人々は無意識に求めている。それに応えるのが映画ならではの物量映像であり、そのひとつの回答が先輩ヒーローたちの大挙出演なのである。


 このヒーロー大集合映画といった作品には利点もある。最新ヒーローしか活躍しないのではファミリー層と熱心な特撮マニアばかりが観客となってしまう。比率としては小さいとはいえ、少しでもパイを広げるためには、かつて『ライダー』シリーズに熱狂した30代から50代の「一般層」やふだんはテレビシリーズは観ても子供向けヒーロー映画を劇場で鑑賞することには恥じらいもあってレンタルビデオで済ませているような特撮マニアも劇場に誘致するには、このように「過去の遺産」を最大限に活かすことが得策なのである。


 『仮面ライダー電王』に登場した「時を駆ける列車」デンライナーの設定をも利用して、この映画は『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)の時代、『ゴレンジャー』放映2年目の1976(昭和51)年の世界にまで飛んでしまう(笑)。


 この際、デンライナーのオーナーが


「『ライダー』の枠がなくならなければ、『戦隊』の枠はあり得なかった……」


 などという、75年春の関西の朝日放送毎日放送のネット改編の話を持ち出してしまうのだ…… そんな、『仮面ライダーアマゾン』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141101/p1)まで関東ではNET(現・テレビ朝日)で土曜夜7時半から放映されていた毎日放送製作の「ライダー」シリーズが次作『仮面ライダーストロンガー』(75年)からTBSの土曜夜7時枠に移動して、『アマゾン』後の空いた枠で同日から『秘密戦隊ゴレンジャー』がはじまった……なんてメタなネタは、筆者らオッサンの世代にしかわからへんぞォ~(笑)。


 1976年の世界で彼らを待っていたのは、映画『海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE(ザ・ムービー) 空飛ぶ幽霊船』(11年・東映)にも登場した『ゴレンジャー』第53話『赤いホームラン王! 必殺の背番号1』(笑)で当時の視聴者たちにも強烈な印象を与えた黒十字軍の仮面怪人・野球仮面!
――ただし当時、小学4年生だった筆者はこの話を観て「幼稚だ」と思って、「もう『ゴレンジャー』を観るのはやめよう」と一度は特撮ヒーロー番組を卒業した・爆――


 そして、なぜライダーと戦隊が戦わなければならないのか、その理由をただひとり知っているとされるアカレンジャー! まぁ大きなお友達であれば、その理由は大体察しがつくと思いますけど(笑)。


 これって昭和の『仮面ライダー』シリーズのメインライターを務めてきた故・伊上勝(いがみ・まさる)が、『仮面ライダー』(71年)第79話『地獄大使!! 恐怖の正体?』などで繰り返し描いてきた悪と正義との「だまし合い」だったりするんだよなぁ。たしかに広い意味での「王道」ではあるのだが、それを考えるとあまり小さな子たちには観せたくなかったりして(笑)。


 ただし、元祖『ゴレンジャー』に想い入れが強い世代のパパたちや特撮マニアたちは、アカレンジャーや野球仮面の登場に喜ぶだろう。野球仮面は1990年前後に流行った当時から見た懐かしのヒーローや人気テレビ番組を懐古するレギュラー番組やスペシャル番組でもよく扱われてきたことから年長の一般層にも相応に知られているだろうし、その意味でも良いセレクトだろう。まぁマニア的にはアカレンジャーの声が誠直也(まこと・なおや)、野球仮面の声が永井一郎(ながい・いちろう)でないのが残念だったりするのだけれど(笑)。


 現在『ゴーバスターズ』の現役視聴者である幼児たちの父親の世代の平均は、『ゴレンジャー』のリアルタイム層よりずっと若いかと思われる。しかしたとえば名古屋地区の場合だと1981年と1984年にフジテレビ系列の東海テレビで16時台に再放送がされており、そのような再放送で知った世代も多いことだろう。
 最近の「ライダー」&「戦隊」映画を観に行って耳にした親子の会話から判断すると、今の幼児たちも旧作の「戦隊」の中ではやはり「元祖」という看板があるせいか『ゴレンジャー』に対する関心が極めて高いようである。やはり子供たちも「元祖」という存在に対しては別格な想いを抱きがちになる心理も大きいのだろう。そうした面からも、やはり新旧ヒーロー共演やその中でもゴレンジャーにスポットを当てたことは正解だったと思える。


 しかし「485人」ものヒーロー&ヒロインと、敵怪人&敵戦闘員たちが、クライマックスで「ワァ~~~!!」と歓声を上げて大集結! 大ショッカー&大ザンギャックと入り乱れての「大戦」を繰り広げるさまはまさに圧巻だとしか云いようがない! ただ、特に大ザンギャックの方、ゴテゴテとした装飾の多いスーツを着て、「ワァ~~!!」と走るだけでも大変だっただろう(笑)。本当に皆様お疲れさまです……


 地上では歴代ライダー&スーパー戦隊が共同戦線を張り、大ショッカー&大ザンギャックの大幹部&怪人&戦闘員を次々に倒していく!


 一方、冒頭にだけ登場して、テレビ本編班の苦労を減らすためかそのあとは全然登場していなかった(笑)、現役の仮面ライダーフォーゼ&ゴーバスターズはラストバトルにだけ急遽参戦して宇宙に飛び出し、逆切れした誰かさん(ネタバレ防止・笑)が操るビッグマシンと


「戦隊ロボ、キタ~~~~ッ!!!」


のクライマックス・バトルである巨大メカ戦を繰り広げる! フォーゼが「宇宙飛行士」型ライダーとして設定されたために、こうしたヒーロー大集合のお祭り映画にふさわしい宇宙規模のスケールを有するバトルが描けたともいえよう(笑)――


 本作のラストバトルでは、隣の席の3歳くらいの女の子は


「いっぱい! いっぱい! いっぱい! いっぱい!」


と、客席で踊り出す始末(笑)。前の席に顔面がくっつきそうなほど、身を乗り出して観ているほどであったのだ!


 本作公開の前月に公開された映画『ウルトラマンサーガ』(12年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)でも、ラストでのウルトラマンゼロウルトラマンダイナ&ウルトラマンコスモスVS宇宙恐竜ハイパーゼットンと並行して描かれるハズであった、ウルトラ兄弟VS怪獣兵器軍団のシーンは撮影されながらも、完成映像ではカットされてしまっていた。
 尺の都合や手間のかかるポストプロダクション(CG合成やデジタル合成などの後処理)の製作スケジュール逼迫の都合でカットされたのだろうことはスレた特撮マニアたちから見れば容易に想像がつくことだし、スタッフも断腸の思いであっただろうからおおいに同情もするけれど、それでも非常に残念ではある。


――ちなみに『サーガ』は静岡では12年4月22日で上映終了。同時期に公開された女児向けアニメ『映画プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち』は5月4日までまだまだ上映するというのに(笑)――


 近年の「ライダー」や「戦隊」映画と同様、本作も観客の中には「女児」の姿が目立った。『ウルトラマンサーガ』は4回鑑賞したが、いずれも観客の中に「女児」はごく少数しか存在せず、しかもウルトラマン目当てというよりはDAIGO(ダイゴ)やAKB48(エーケービー・フォーティエイト)目当てと思われる小学校高学年くらいの「女子」の方が「女児」よりも割合的に高かった。
 そうした新しい客層を開拓することももちろん大事なことだが、やはり本来のターゲットである幼児層を男女を問わずに引きこもうと思えば、「戦隊」のみならず「ライダー」にもサブヒーローに変身ヒロインを出すべきでは? と思える。『プリキュア』人気を考えても「女児」も「バトルもの」が好きだということは実証済である(笑)。


ヒーロー対ヒーローの構図、過去作の遺産に頼ることをドー観る!?


ウルトラマン同士の殺し合いを「見世物」とするなら、それは「商売」として、飽きられ枯れるまで続ければよろしい。もう、僕らが幼いころに胸をときめかせたウルトラマンはここにはいないのだから」

日本テレビ系列の中京テレビプロデューサーであり、特撮自主映画の製作で知られる喜井竜児(きい・りゅうじ)のブログから)


「そして今、新銀河伝説? として、「光の国」さえもが、抗争の巷(ちまた)の様相を帯びて描かれてしまったのである。ウルトラマンが、何かいかがわしい王権の復活のために、無機的な空間に、轟音(ごうおん)と閃光(せんこう)の氾濫(はんらん)する「光の国」で、ウルトラマン同士骨肉の怨恨を晴らすために戦い続ける姿を夢中になって見続ける幼児たちに、ウルトラマンは、どんな存在として受け取られているのだろう」

(同人誌『金城哲夫(きんじょう・てつお)研究』Vol.1 No.1(創刊号)(金城哲夫研究委員会 編・刊 2010年2月26日発行) 【巻頭特別寄稿】「光の国を守ろう」飯島敏宏(いいじま・としひろ))



 これらはいずれも映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)に対する批判かと思われる一節である。
 『ウルトラ銀河伝説』も今回の『ヒーロー大戦』同様に、「ウルトラマン」の劇場版には珍しく、全編バトルで彩(いろど)られた作品であった。双方ともにウルトラマン同士の「殺し合い」に苦言を呈している。しかし『ウルトラ銀河伝説』に登場するウルトラマンベリアルは明確に「悪」と定義されているキャラクターである。云うならばウルトラシリーズに数々登場した「ニセウルトラマン」の系譜に属する倒されるべき悪役であると定義すべきキャラクターなのだ。


 それに比べると、今回の『スーパーヒーロー大戦』ではまさしく「正真正銘」の「正義」のヒーロー同士、「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」が喜井氏が云うところの「殺し合い」を全編に渡って演じ続けているので云い逃れができない(笑)。中盤においては仮面ライダーディケイドとゴーカイレッドがそれぞれ様々なライダーや戦隊ヒーローにチェンジしながら1対1の激闘を繰り広げる場面があり、まさに「大戦」を最大に象徴するものとなっている。
 これを果たしてリアルで凄惨な「殺し合い」や「戦争」と解釈するのか、それとも安全にスポイルされた記号的でスポーツ的な「夢の対決」や「力比べ」と解釈するかは、個々人の判断にゆだねてそれぞれを尊重すべきではあるのだろう。


 しかし少なくとも自身の「ウルトラマン像」を大事にしたいがために、あるいは特撮業界の著名人がそう云っていたからという錦の御旗(にしきのみはた)として、それこそが絶対に正しいものであり、それとは異なる「ウルトラマン像」が描かれたからといって、双方ともに反対意見の持ち主を声高に否定するのはどうかと思える。


 とはいえ、そんな否定的な論評がごく少数は存在しても、『ウルトラ銀河伝説』は興行的には前作『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)と比すれば劣ったけれども、作品評価としては賛辞する声の方が圧倒的に多かったものである。
 今回の『ヒーロー大戦』もドラマとしてのクオリティ面での評価はともかく、正義のヒーロー同士が本来ならばありえないバトルを展開すること自体は多くの観客が喜んでいる。たしかにガチで陰惨な「殺し合い」だったら観たくはないけど、スマートで舞踏的な得意技を連発していく「夢の対決」的なヒーローVSヒーローの戦いならば、みんな好きだし観てみたいものなのだろう。


 戦ってばかりの作品ではある。しかし、かろうじて存在するテーマもどき(笑)の要素を挙げるとするならば、現在放映中の『仮面ライダーフォーゼ』(11年)の主人公・如月弦太郎(きさらぎ・げんたろう)が「学園のすべての生徒と友達になる!」をモットーにしているように、「仲間を想う心」がさりげに伝わるようにはなっている。


 要するに「戦争映画」のほとんどが実は「反戦」テーマであり、最後には「平和がすばらしい」とか、「世界の人々と仲良くしよう」(by 日本船舶振興会の代表にして右翼の大物、故・笹川良一(ささがわ・りょういち)が70~80年代に大量に流していたテレビCM)などと謳(うた)っているのと同じである(笑)。


 私事で恐縮だが、小学校3年生のころ、道徳の時間にNHK教育テレビ(→現Eテレ)の『みんななかよし』(62~87年)という道徳番組を毎週観せられ、内心では失笑しながら鑑賞していた(ホントにイヤなガキだった・笑)。
 しかしそういう道徳的なテーゼは、今回の『スーパーヒーロー大戦』のようなカラッと明朗な娯楽活劇映画のかたちで描いた方がクサみもウスれて鼻につかないし、むしろ子供たちにも伝わりやすくなると思うのだ。


「すべての生徒と友達になる」


なんて絶対ムリに決まっている(笑)。ウマが合わない人間、苦手な人間、気性の荒い怖い人間とは友達になりたくないし、近づかない方がよいこともある。しかし、「すべての生徒と友達になる」ことがムリなことは放っておいても成長するにつれて誰もが教わらずとも次第にわかっていくことであり、就学前の幼児には「誰とでも仲良くしようね」などと云っておいた方がよいのだろう。幼いころからニヒルになりすぎても別の問題は出てくるのだろうし。それを思えば、見た目はリーゼントで70~80年代のヤンキー番長なのに、弦太郎の人間賛歌で楽観的なキャラクターは、子供向けアクション番組としては理想的な主人公像・ヒーロー像だとも思えるのである。


――ところで、このところの東映ヒーロー共演の劇場版では、21世紀以降に定番となったヒーローたちのタイプチェンジも恒例の演出となっている。しかし先述の『ウルトラマンサーガ』ではウルトラマンダイナもウルトラマンコスモスもタイプチェンジを披露していない。これはダイナとコスモスがタイプチェンジができることを知らない観客に対して、絵面的なわかりにくさや混乱を招かないために配慮した処置であることはスタッフも明言している。内輪ウケにならないように一般層にこそ顔を向けた配慮それ自体は一般論としては正しいとすら思う。しかし、ヒーローがタイプチェンジする過程の映像をキチンと挿入しておき、その前後で変身前の同一の俳優が声をアテるだけでそのキャラクターの同一性は一般層にも簡単に担保ができることである(笑)。だからその配慮は過剰に過ぎるし、バトル場面での絵面(えづら)の変化や「華(はな)」を少々欠落させてしまった処置だと思えてならない。『サーガ』自体はドラマ的には非常にクオリティが高かったとは思うが、その点では少々不満が残る――



 「今の『ウルトラ』がダメなのは、過去のシリーズの遺産に頼りすぎているからだ」などとウルトラシリーズの若きマニアたちが指摘をしているのを近年はけっこう目にする。しかしそれを云うならば、東映も近年の「ライダー」や「戦隊」は、そして今回の『スーパーヒーロー大戦』などはおもいっきり過去の遺産に頼っている! 冒頭からいきなり昭和の「7人ライダー」登場であり、しかもゴーカイレッドに瞬殺されていくのはその象徴である(汗)。


 これに関しても、以下のような興味深い発言がある。



渡邊「僕は東映のセールスマンだったからね、もう勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の“ご存知路線”をイヤっていうほど観てるわけ。お客さんの反応も同じくらい見ながら育ってきた。それでTVの作り手になってね。『銭形平次』(66~84年)にしても『遠山の金さん』(70年~)にしても『水戸黄門』(69年~)にしても僕が企画してきたんだけど、“ご存知路線”は永遠不滅なんですよ。たまに新しい要素を入れていけばよい。役者を代えるとかね。
 だから、一時期『水戸黄門』が髭(ひげ)をつけない(引用者註:石坂浩二水戸黄門役を務めた第29部(01年)と第30部(02年)。髭をつけなかったのは石坂の要望)、印篭(いんろう)を出さない(引用者註:佐野浅生主演版の最終作である第28部(00年)など。当時新たに就任した製作プロ側のプロデューサーがパターン破りを幾つか試みた)っていうのをやったけど、僕はダメだと思ってました。大衆受けしないからね。
 あれで見てる人に「あっ、これで悪人をやっつけられる」と思わせる伝家の宝刀(でんかのほうとう)=印篭を出さなければ、型がないに等しいわけ。型がないものは当たらないですよ。型にはまった単純さが大事なんです。古いものを大事にしながら、一方で新しいものを取り入れていく――それをいかにTVに活かすかが勝負どころだと思います」


平山「そういえば、昔渡邊さんに教わったことがあったんだ。「二分(にぶ)の冒険、八分(はちぶ)の安全」ってね。全部が全部、新しいものがいいのかといえば、実はそうじゃない。二分でいい、二分より上は冒険しちゃダメだとね」


加藤「我々が『仮面ライダー』を作ったとき、『人造人間キカイダー』(72年・東映 NET)や『秘密戦隊ゴレンジャー』を作ったとき、子供番組にも既に“ご存知路線”はあったんですよ。『月光仮面』(58年・宣広社 KRテレビ→現TBS)とか『ウルトラマン』(66年)とかね。
 それを我々なりに色を変えたり、いいとこ取りをして新しい“ご存知”を作った」


(『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』Vol.11(講談社 04年12月10日発行・ISBN:4063670961)ファイナル特別座談会「東映ヒーローの礎(いしずえ)」)



 これらの証言から東映の“ご存知路線”。つまり「過去の遺産」に頼る、いやそれを有効に活用してから新しいものをつくっていくという手法は、なにも今にはじまったものではないということが充分にうかがえるというものだ。


 まぁ、テレビシリーズにおける現役ヒーローと悪の軍団とのルーティンな攻防劇の方はまさに「型」そのものであり「ご存じ」路線だとはいえても、子供や一般層にはなじみがないかもしれない先輩ヒーローの客演の方は「型」や「ご存じ」路線とはいえない、先輩ヒーローの客演は『水戸黄門』の「印籠」や『遠山の金さん』における「桜吹雪の入れ墨」には相応しない、というツッコミの反論があったらすぐに論破されちゃうロジックなので(笑)、東映つながりで別のリクツも用意しておこう。


 かの平山亨プロデューサーによれば、東映の時代劇映画は昭和30年代(1950年代後半~60年代前半)にかけて、毎年年末になると主役級の役者陣多数が一堂に共演する「オールスター時代劇」の映画をつくっていた。必然的に各々(おのおの)の役者の出番自体は少なかったりワンカットだけだったりすることになった(笑)。しかし、頼もしい助っ人参戦的な登場のさせ方をすることで物足りない思いを観客に抱かせないような工夫をしていたというのだ。……まさに今回の『スーパーヒーロー大戦』などの近年のヒーロー大集合映画の作劇術とも同じなのだ!
――しかし平山自身がこの作劇術を用いたのは、ヒーロー共演映画……ではなく、5人のヒーローを細切れに活躍させる『秘密戦隊ゴレンジャー』の方ではあったのだが(笑)――



 かつて筆者は「平成ライダー各作品が独自の世界観で完結してしまって、後続シリーズに近作ヒーローたちがゲスト出演できないことはデメリットである」と主張したことがある。小学生が幼児のころを小生意気にも懐かしがって(笑)先輩ヒーローが現役ヒーローを助けに来る回だけは観たくなったりする心理をも逆用して、子供たちのヒーロー番組卒業を遅延させたり、あるいはヒーロー番組鑑賞に復帰させたりすることで、幼児のみならず今の小学生たちにも特撮ヒーロー番組をもっと観てもらいたかったからだ。
 しかしこのところの劇場版では、常に最新ヒーローと近作ヒーローたちとの共演が描かれて、子供番組を卒業してしまいそうな年齢に達した子供たちもゲットしようとする合理的な戦略が伝わってくるあたり、非常に好感が持てている。
 もちろんいつまで経っても卒業できない(爆)我々年長の特撮マニアや、マニアではないそれぞれの世代ごとの世代人たちを少しでもゲットしようとしたり、何ならイケメン役者目当ての女性層なり、特撮ヒーローもののような比較的に記号的なキャラクターが活躍するアニメなどのジャンル作品を好みそうな女性オタク層にまで、とにかくウイングを広げて、そのメインターゲットはもちろん子供ではあるものの硬軟・老若も含めた幅広い層のゲットに実際にも成功している日本特撮の現況自体はとても喜ばしいことだと思っている。


 かつて1980年前後に「リアルでハードでシリアスでファースト・コンタクトものの怪獣映画をつくれば、日本特撮は再興する!」と特撮マニアたちが叫んでいた。筆者も当時はそれを信じていたので無罪では決してない(爆)。しかし実際には「ファースト・コンタクト」とは真逆の先輩ヒーローが大挙登場して、コミカルでマイルドな演出も随所にあってギャグ怪人までもが登場する作風で、あの時代に望まれていた「日本特撮の再興」とはまるで違ったかたちになってしまったが(笑)、日本のエンタメシーンの頂点ではないにしても一角を占めてしまったことに痛快さを感じているところはある。これはこれで良いのではないのかと……


昭和の『東映まんがまつり』での劇場版『仮面ライダー』誕生秘話! 子供たちが求める作品とは!?


内田有作(うちだ・ゆうさく 元東映東京製作所 生田スタジオ所長)
「僕が新宿東映(引用者註:現・新宿バルト9(ナイン))にいたころ、実際に『東映まんがまつり』も興行してましたけど、僕から見ても「(引用者註:世界の名作童話をアニメ化した)長編アニメは下降線になってきたな」という実感があったんですよ。今でもはっきり覚えているけど、(併映の)TV作品を上映するときは、子供たちがオープニングから主題歌をガンガン歌ってるわけ。一方で動画の長編をかけると、もう30分も経たないうちに通路を走り回ってる。頭からのれないんですよ」


平山亨(ひらやま・とおる 元東映テレビ事業部プロデューサー)
「上等な作品なんだけどねぇ……というか、上等だからこそダメなんだろうね」


(『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』Vol.11(講談社 04年12月10日発行)ファイナル特別座談会「東映ヒーローの礎」)



 これは映画『仮面ライダー対ショッカー』(72年・東映)に始まる昭和の「仮面ライダー」劇場版誕生前夜についての回想である。現場の人々が子供たちの需要をまさに的確につかんでいたという貴重な証言でもある。


 これを裏づけるかのごとく、次のような興味深い記事も存在する。



「またこんなデータもある。東映が先月公開した『ひょっこりひょうたん島』などテレビ人気番組4本の子供週間に児童を対象に「何を見たかったか」のアンケートをしたところ、怪獣の出てくる『キャプテンウルトラ』(67年・東映 TBS)が35パーセントでトップ、2位は『魔法使いサリー』(66年・東映動画→現東映アニメーション NET→現テレビ朝日)27.7パーセント」

(『日刊スポーツ』大阪版(67年8月8日付) 「峠越した? 怪獣・マカロニ(ウエスタン)」)



「たとえば、東映が期待していた『ひょっこりひょうたん島』『黄金バット』(67年・第一動画 フジテレビ)などの4本立てのうち、男の子の半分は添えものの『キャプテンウルトラ』を当てにして来たというし、女の子の6割は同じく添えものの『魔法使いサリー』が見たいためで、かんじんの『ひょうたん島』めあては1割にもみたなかったという」

(『キネマ旬報』67年10月下旬号 「現代の映画観客を考える」その2「母と子が映画に求めるもの」磯山浩)



 これらは本誌でもご活躍の特撮同人ライター・森川由浩氏の労作である同人誌


・『生誕40周年記念 宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ全書』(07年12月29日発行)
・『生誕40周年記念 宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ全書 増補編』(08年8月15日発行 ~「増補編」という誌名だが、前書とは重複がないPART2)


から引用させていただいた。67年7月下旬に東映系で公開された映画『オールカラーで! 東映まんがまつり』に対する観客の反応について報じたものである。


 東映がテレビアニメ草創期の1963(昭和38)年から1989(平成元)年に至るまで春・夏・冬の長期の休み期間中に興行していた『東映まんがまつり』では、世界の名作童話などを原作にした長編アニメにテレビ作品を劇場用にブローアップしたものを何本か併映するというスタイルが開始当初は一般的であった。


 1967年夏のプログラムでメインとなったのは、当時は大人気だった子供向け人形劇『ひょっこりひょうたん島(じま)』(64~69年・NHK)を東映動画がアニメ化したものであった――映画『ALWAYS(オールウェイズ) 三丁目の夕日 ’64』(12年・東宝)の冒頭場面において、主人公一家の鈴木家が購入したカラーテレビに映し出される番組として登場している。同作は当時としては珍しいことに第1話からカラーで製作された番組だったそうだ!――


 原作の故・井上ひさしが一昨年の2010年に逝去した折、『ひょっこりひょうたん島』は氏の代表作であるとしてマスコミの各所で「名作だった」などと回顧する声が多かった。が、先にあげた証言、当時の記録から判断するかぎりでは、そうした良心的な大人が子供に観せてあげたいと考える作品は――元々は人形劇であった作品をアニメ映画に改変した企画自体に根本的な問題もあったかもしれないが――、少なくとも67年夏の段階では、すでに子供文化のメインストリームであったとは云いがたかったのかもしれない。
 やはり「ヒーロー」や「魔法」といった子供たちがあこがれを抱く超越性や万能性を感じさせる作品の方が強い! といったところか?――ただし、往年の大人気ギャグ漫画『オバケのQ太郎』(64年)も『週刊少年サンデー』での開始当初は反響がなかったため、9話で打ち切ったところで抗議が殺到して連載が再開したというから、こういうアンチ・ヒーロー的で庶民的なマスコット・キャラが活躍する牧歌的な作品は子供たちにとってのナンバー1にはなれないが、中堅どころとして人気は潜在的には確保されている、といったかたちの心理で受容されているのかもしれない――


 この『東映まんがまつり』では、初代『ウルトラマン』(66年)と『ウルトラセブン』(67年)の間のつなぎとして東映が製作したテレビ特撮『キャプテンウルトラ』は、その第2話『宇宙ステーション危機一髪』と第5話『バンデル巨人あらわる!!』を再編集というか単につなげて上映しただけの作品であった。しかし当時は一般家庭にはカラーテレビはまだまだ普及してはいなかったことから、そんなテレビ作品まんまの上映でも、カラーで大スクリーンで観られるということ自体が大きな商品的価値となったのである。


 それならば『ひょうたん島』だってカラー映像によるアニメ化であるという大きな「売り」もあったはすだが、やはり子供たちは良心的な作品よりももっと低劣な「ヒーロー」や「怪獣」や「スーパーメカ」や「魔法」といったものの方を観たかったのだろう。親が観せたいものと子供が観たいものは一致した試しがないことは、筆者が子供であった70年代のテレビ番組に関する調査結果からはじまって、それ以降も定番の結果ではある(笑)。子供は手作りケーキよりも駄菓子、フランス料理のフルコースよりもB級グルメを好むものなのである。


 71年7月公開の『東映まんがまつり』では、『ゴーゴー仮面ライダー』と題し、第13話『トカゲロンと怪人大軍団』が上映された。これもまたメインの長編アニメを上回る大反響を起こすこととなった。



渡邊亮徳(わたなべ・よしのり 元東映株式会社取締役 テレビ事業部部長)
「それで僕は、絶対に『仮面ライダー』のような実写ものもプログラムに入れるべきだって思ったわけですよ。そうすれば劇場もそれ目当ての子供たちでいっぱいになるし、TVの方も視聴率が上がって裾野が広がるし、マーチャン(引用者註:マーチャンダイジングの略。版権ビジネスのこと)にも効果がある。だから最初は強引にネジこんだんです。毎日放送への相談もなしに(笑)」


加藤昇(かとう・のぼる 元石森プロマネージャー)
「要は「時流に即した、よりタイムリーなものを」と、企画サイドが常にリサーチを怠らず、子供たちが何を望んでいるかをつかみ、それに合った企画を考える姿勢があったからこその成果なんです。決して偶発的なヒットではない。『仮面ライダー』も『人造人間キカイダー』も『ゴレンジャー』も、そうした共同製作の賜物(たまもの)なんですよ」


(『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』Vol.11(講談社 04年12月10日発行)ファイナル特別座談会「東映ヒーローの礎」)



 こうした経緯から、翌72年3月公開の映画『仮面ライダー対ショッカー』が劇場用新作としてつくられ、以降は『仮面ライダー』シリーズ・『キカイダー』シリーズ・『イナズマン』(73年・東映 NET)シリーズ・『マジンガーZ』(72年・東映動画 フジテレビ・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)シリーズ・『ゲッターロボ』(74年・東映動画 フジテレビ)シリーズなどの変身ヒーロー作品やスーパーロボットアニメなどのテレビシリーズのフィルムのブローアップ版が『東映まんがまつり』の新たなメインプログラムとなる。
 さらには新作アニメ映画『マジンガーZデビルマン』(73年)や同じく新作アニメ映画『グレートマジンガーゲッターロボ』(74年)などの作品の垣根を超えた「夢の共演」作品が当時の男児層の熱狂的な注目を集めることになっていくのである!


昭和のライダー大集合映画に対抗するためにも、第2期ウルトラも大集合映画をつくるべきだった!?


 さて同じころ、ウルトラシリーズはどうだったのであろうか? 第2期ウルトラシリーズはやはり長期休みに封切されていた子供向けのプログラム映画『東宝チャンピオンまつり』(69~78年)において、メインの東宝特撮怪獣映画の新作やリバイバル再上映に併映するかたちでテレビ作品をブローアップして上映されてはいた。しかしながら、『ライダー』や『マジンガーZ』のような劇場用新作はただの一度も製作されることはなかった。
 このこともまた、「第2次怪獣ブーム」が「変身ブーム」、そして「ロボットアニメブーム」に塗り替えられてしまう一因となったのではないかと筆者は後知恵(あとぢえ)ながら考える。


 が、72年12月公開の『東宝チャンピオンまつり』においては、先に挙げた飯島敏宏監督によって円谷プロ製作の劇場用新作映画が公開されてはいる。それは『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(72年・東宝)である。
 東京湾から上陸しコンビナートを襲撃した怪獣が自衛隊に撃退されるが、その怪獣が生み落とした怪獣の子供は世間の同情から保護されることになる。怪獣はダイゴロウと名づけられるが、あまりに大食漢のために政府は成長停止薬・アンチグロウの使用を決定する。そのころ、凶暴大星獣ゴリアスが宇宙から襲来し!…… とまぁ、ザッとこんな流れだ。


 先日再鑑賞した印象では「怪獣映画」というよりは「怪獣も登場する下町人情喜劇映画」といった感が強いのである。どちらかといえば、映画『男はつらいよ』(69~95年・松竹)シリーズのノリに近いものがあるのだ。怪獣対決よりもむしろダイゴロウと人間たちとの間のほのぼのとした交流をコミカルに描いた演出が占める割合が圧倒的に高い。まさに「大人のための」童話・ファンタジーといった趣が強いのである。年長世代的には懐かしいコメディアンの故・三波伸介(みなみ・しんすけ)の好演などたしかに楽しめる。
 同作はかつてはリアル&シリアス至上主義であった特撮マニア間での風潮で70年代~90年前後までは酷評されており、90年代中盤から特撮マニアが高齢化して価値観も変化してきたのに伴ってか再評価もはじまって、近年ではその評価がうなぎのぼりである。
 そんなようやく再評価が高まってきた苦労人の作品に対して、さらにまたその逆張りで批判をするのも非常に心苦しいのだが、同作は果たして「怪獣」の「大暴れ」を目当てに観に来た子供たちには当時どう映ったことであろうか?


 実際にこのときのプログラムの中で最も評判が高かったのは、『ダイゴロウ』でも映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)の改題リバイバルである『ゴジラ電撃大作戦』(72年・東宝)でもなく、あの宮崎駿(みやざき・はやお)が脚本、高畑勲(たかはた・いさお)が演出を担当して東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)が製作した稚気満々(ちきまんまん)の名作アニメ映画『パンダコパンダ』であったと書籍で読んだ記憶がある。
 同作が公開される直前の72年秋、東京・上野動物園に中国からジャイアントパンダ2頭(オスのカンカンとメスのランラン)が寄贈されたことから、当時全国的にパンダブームが巻き起こっていた。先の石森プロの加藤氏の発言にあるように、結局は時流に即したタイムリーな(悪く云うならブームに便乗した)作品が、最も注目を集めることとなったのである。


 まぁ、パンダが出てくればなんでもよかったということでもなく、『パンダコパンダ』は子供たちが心底から喜びそうなディテールに満ちあふれた童心をくすぐる大傑作であったから、そのような結果になったのであろうが…… 筆者よりも年下の世代たちの感慨を無碍(むげ)にしてしまってもいけないが、1960年前後生まれのオタク第1世代のライター・岡田斗司夫(おかだ・としお)や唐沢俊一(からさわ・しゅんいち)などに留まらず、1970年前後生まれのオタク第2世代までのアニメ・特撮ファンであれば、宮崎駿高畑勲は『パンダコパンダ』をはじめとして80年前後までは神懸った大傑作アニメをつくってきたけど、80年代中盤以降のスタジオジブリ作品についてはもう出涸らしであると思っている御仁が実は多いことについても、ついでにこの誌面に記しておこう(汗)。


 ちなみに、この当時の大パンダ・ブームにあやかって、『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)第40話『パンダを返して!』(73年1月5日放映・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070204/p1)にはパンダを強奪しようとする宇宙の泥棒・スチール星人が登場し、『ジャンボーグA(エース)』(73年)第5話『叫べナオキ! いまだ』(73年2月14日放映)にはパンダのぬいぐるみが怪獣化したデスコングキングが登場、『アイアンキング』(72年)第14話『脳波ロボットの秘密』(73年1月14日放映)にはパンダ型の小型通信機が登場し、『人造人間キカイダー』(72年)第34話『子連れ怪物ブラックハリモグラ』(73年3月3日放映)ではゲスト敵怪人・ブラックハリモグラの息子が終始パンダのぬいぐるみを抱えていた。さらに72年末にケイブンシャが発行した『原色怪獣怪人大百科 第2版』にはなんとパンダのポスターまで付いていた(笑)。



 のちに飯島氏が監督した映画『劇場版 ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT(ザ・ファースト・コンタクト)』(01年・松竹)のような宇宙忍者バルタン星人に子守歌を聞かせて眠らせる(爆)みたいなマイルドなノリもよいのだが、それは大人が子供に観せたい、あるいは「大人のための」童話・ファンタジーなのであって、そういった作品は子供たちが真っ先に観たいと思うプリミティブ(原始的)な暴力衝動を疑似的に発散させるようなヒロイックな作品ではないだろう。


 「円谷プロ創立10周年記念作品」として製作された『ダイゴロウ対ゴリアス』だが、それならば今にして後出しジャンケンで思えば当時の最新作『ウルトラマンA』の劇場用新作『ウルトラ5兄弟対超獣大軍団』(!)でも製作した方がはるかに子供たちは大興奮して熱狂のるつぼと化したと思えてならないのだ(笑)。当時、夏休みや冬休みに発売されていた小学館の『小学二年生』の『増刊号』では故・内山まもる大先生が描いた長編漫画『ウルトラ5兄弟たいヤプール人』とか『怪獣はか場のけっとう ウルトラ五兄弟たい40大怪獣!!』などのような作品の映画での映像化である。
 このような全編が複数ヒーローVS複数怪獣であるスペシャル感&高揚感あふれる内容の作品を映像化していれば、子供たちの間で話題沸騰! 続けて『A』の次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)では、『マジンガーZデビルマン』のようにウルトラ6兄弟と『ミラーマン』(71年)や『ジャンボーグA(エース)』(73年)や『ファイヤーマン』(73年)などの円谷プロの特撮巨大ヒーローが共演する新作映画なども製作しておけば、「ウルトラ」が「ライダー」やロボットアニメの後塵を拝することなく、ひいては第2次怪獣ブームや変身ブームの延命自体にも好影響を及ぼすことにつながったかもしれない!? とも思ってしまうのだ。


 そんな「商業的戦略」や「バトルのカタルシス」よりも、円谷あるいはTBSはドラマ性やテーマ性の方を重視してしまっていた。そんな「良心的」な姿勢は、それぞれ方向性は異なるが第3期ウルトラや平成ウルトラや21世紀のウルトラシリーズにも引き継がれ、最新作『ウルトラマンサーガ』を観るかぎりでもいまだに継承されているように思える。
 しかし、それこそが「ウルトラマン」シリーズが明朗な娯楽活劇作品として弾けずに、敵との攻防を主眼に据えた「バトル」中心の昭和の「仮面ライダー」シリーズや「マジンガーZ」シリーズに人気面で劣ってしまって、ナンバー2やナンバー3のポジションに留まってしまった理由であるとも思うのだ。


 子供というものは「ほのぼの」としたものがキライということではないにせよ、それよりも「バトル」の方が好きなのである――大人になっても一般層でもそうかもしれないが(笑)――。大好きだった頼もしいウルトラ5兄弟が十字架に磔(はりつけ)になったり(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)、ブロンズ像にされちゃったりしたのは(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1)、そりゃあたしかにショックではあったけど、半分は大喜びしながら鑑賞していたのだから、やっぱり子供は適度に残酷で、ヒーローの大ピンチを半面では楽しんでいる不謹慎さもあるのである(笑)。


日本特撮をネクスト・ステージに導くためにも、よく出来た歴代ヒーロー大集合作品が必要だ!?


 しかし「二分の冒険、八分の安全」とはよく云ったものである。


 平成の時代に入ってからのウルトラシリーズは「新しいウルトラマン」をよく旗印に掲げていた。しかし今思えばあまりにマイルドだった『ウルトラマンコスモス』(01年)も、実にハードにすぎた『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)も、ひょっとしたら


「八分の冒険(危険)、二分の安全」


をやっていたのではなかったか?


 いや、それよりもはるか以前の昭和の時代に『帰ってきたウルトラマン』(71年)ではTBSの名プロデューサー・橋本洋二(はしもと・ようじ)が「変身のバトンはやめましょう」と提案したがために、初代ウルトラマンであるハヤタ隊員には変身アイテム・ベータカプセルが、ウルトラセブンには変身アイテム・ウルトラアイがあって、その変身場面が子供たちにとっての疑似的万能感を満たせる大いなる見せ場になっていたというのに、『帰ってきた』の主人公の郷秀樹(ごう・ひでき)には変身アイテムが用意されることはなかったのだ。
 変身アイテムがないことによって生じた、変身に至るまでの苦闘や苦悩などの高い心理ドラマ性なども評価されてしかるべきではあるのだが、これは『水戸黄門』で印篭を出さないのと同じようなことではなかったか?


 「型がないものは当たらないですよ」との渡邊氏の発言を実証するかのごとく、『帰ってきた』の前半は視聴率的には下落していき苦戦するのである。しばらくして『仮面ライダー』で本郷猛(ほんごう・たけし)に代わって第2クール(第14話)から登場した新主人公の仮面ライダー2号・一文字隼人(いちもんじ・はやと)が毎回オーバーアクションで「変身!」ポーズを披露するようになったことで、子供たちはそれに熱狂! 「第2次怪獣ブーム」が「変身ブーム」にとって代わられることになったのはなんとも皮肉な話であった。


 たしかに橋本氏は「人間ドラマ」をつくることにかけては名プロデューサーであった。しかし第2期ウルトラ擁護派でもある筆者としては第2期ウルトラに対して批判的に言及することには忸怩(じくじ)たる想いもあるのだが、氏は子供受けや商売的な才覚に関してはいささか欠けていたと云わざるを得ない。


 天才、そして詐欺師(笑)的な才覚にたけた白倉伸一郎(しらくら・しんいちろう)プロデューサーが君臨するずっと以前から、東映には「必殺商売人」とでもいうべき営業マン的なセンスもあるスタッフが多数存在し、それらに比べるとまさに「職人気質」にあふれた技術スタッフ上がりが中心であった円谷プロは、作品のレベル以前の問題として商業的には劣勢を強(し)いられるのも必然であったのかと思える。


 「良いものをつくっておけば、それは必ず後世に残る」。円谷にはまさにそんな素朴で世間知らずな姿勢がうかがえるのであるが、


「上等だからこそダメなんだろうね」


なる平山氏の発言は、それとはあまりにも対照的である。


ウルトラシリーズが45年も続いてきたのは、そこで描かれたテーマやドラマがしっかりしていたからである」


などと考えているうちは、現在の円谷の苦境が好転することはないだろう。


 先に紹介した「東映ヒーローの礎」と題した座談会の模様が掲載された書籍『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』Vol.11は、「仮面ライダー共演エピソードコレクション 結集! ライダーパワー!!」と題した昭和の『ライダー』シリーズにおける新旧ライダー共演回の特集号であった。


 元祖『仮面ライダー』のダブルライダー登場編を機に、次作『仮面ライダーV3』(73年)の3人ライダー、『仮面ライダーX(エックス)』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141005/p1)の5人ライダー、『仮面ライダーストロンガー』(75年)の7人ライダー、『(新)仮面ライダー』(79年)の8人ライダー、『仮面ライダースーパー1』(80年)の9人ライダー、そして『仮面ライダーZX』では10人ライダー! 最新ライダーの危機に、世界各地で悪の組織と戦っていた歴代ライダーたちが颯爽(さっそう)と再登場!


 昭和ライダーの魅力はロンリーヒーローとしての魅力であり、「初期東宝特撮・至上主義」や「第1期ウルトラシリーズ至上主義」の論法を遅れて援用した「旧1号ライダー至上主義」の論法で、かつてはウルトラ兄弟の共演のみならず歴代ライダーの共演まで否定的に論じる向きもあったものだ。しかし、まさにそうした先輩ヒーロー客演の要素もまた、同時代のあまたの単独変身ヒーローたちとは異なるものとしての昭和『ライダー』シリーズの世界観を当時の我々子供たちにも別格・格上の存在として広大・遠大に見せていた最大の魅力ではなかったか!?


 そしてその反響の大きさから、今の『仮面ライダーストロンガー』にあたる作品の初期企画を新たなる「5人ライダー」が登場する物語としたことに対して毎日放送(大阪)側が難色を示したことから、ネット改編によって毎日放送の『仮面ライダー』をTBSに取られることになったNET(現テレビ朝日)に平山プロデューサーがこの企画を転用して持ちかけ、それが『仮面ライダーアマゾン』の後番組として放映された『秘密戦隊ゴレンジャー』になったのである!


 そして『ゴレンジャー』は『ストロンガー』を上回る人気を獲得したのであったのだ!
 ただ後年になって観直してみると、『ストロンガー』の方がドラマ面でも娯楽活劇面でも『ゴレンジャー』よりもよくできているような気が個人的にはしているけど(汗)、当時の子供たちにとっては「目新しさ」というインパクトに勝るものはなかったのは「時代の証言」として語っておきたい。でもまぁ、完全に看板も異なる新ヒーローだったから『ゴレンジャー』はスンナリと受け入れられたのであり、我らが「仮面ライダー」のシリーズ最新作が最初から5人で登場する新作だったならば、当時の子供たちの反応はどうであっただろうか? やはり子供ながらに「仮面ライダー」としては邪道だ! などという抵抗や反発が生じてしまったとは思うけど(笑)。



 先輩ヒーロー客演といえば、実はライダーシリーズよりもウルトラシリーズウルトラ兄弟の設定の方が先である。しかし前述の通り、「近年の特撮作品は『リメイク』や『先輩ヒーロー客演』などの『過去の遺産』に頼ってばかりいるからダメなのだ!」という特撮マニアたちの批判もある。そういった意見にもたしかに一理はあるだろう。


 しかし筆者に云わせれば、「過去の遺産」を徹底的に活用して、その世界観や歴史観を1話完結のルーティンではなくワールドワイドに拡張して、すべてが多層的につながっている「終わらない物語」をつくっていくことにも大きな物語的・商業的な可能性を感じている。
 どうせ「過去の遺産」に頼るなら、『スーパーヒーロー大戦』のように徹底的に頼りきり、そこで大きな物語をつくるかたちで最大限に有効活用すべきだと思うのである!



映司(仮面ライダーオーズ)「本当の戦いは、これからだ!」


 このセリフ、『ウルトラマンサーガ』や『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)でもあったし、「少年ジャンプ」の漫画とかでもむかしからよくあったよね(爆)。


 要するにこういうことが象徴するように、娯楽活劇作品における逆転勝利劇は東映でも円谷でも少年漫画でもさして変わらない「定番」であり、だからこそ普遍的なものなのだ。要はその「やり方」が単なる味気ない段取り劇にはならないように、いかに劇中で説得力を持たせるのか? なのである。


 今回も東映が圧倒的に優位に立っていることをまざまざと実感させられることとなった。が、まずはそうした円谷独自の旧来の古典的な「ドラマありき」の作劇から脱却すべきだと思えてならない。「カッコいいヒーローありき」や「怪獣のデザインや生態や特殊能力ありき」や「ヒーロー共演のイベントありき」や「見せ場ありき」で、そこから人間ドラマや社会派テーマを逆算して作劇していくくらいでないと、観ていてスカッとする明朗な娯楽活劇路線に円谷が到達することは到底かなわないのではなかろうか? そういったことが円谷やひいては日本の特撮ジャンルの最大の課題であると思っている次第である。本当に「光の国を守ろう」と考えるのであるならば……


2012.4.25.
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2012年GW号』(12年4月29日発行)~『仮面特攻隊2013年号』(12年12月29日発行)所収『スーパーヒーロー大戦』合評より抜粋)


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