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ウルトラマン80 41話「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」 ~石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族、情けない父・ちゃっかり息子!

ファミリー劇場ウルトラマンエイティ』放映記念「全話評」連動連載!)
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『ウルトラマン80』全話評 〜全記事見出し一覧


第41話『君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?』 〜石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族、情けない父・ちゃっかり息子!

ゼロ戦怪鳥バレバドン登場

(作・石堂淑朗 監督・東條昭平 特撮監督・佐川和夫 放映日・81年1月21日)
(視聴率:関東7.7% 中部9.0% 関西12.9%)


(文・久保達也)
(2010年11月執筆)


 小学6年生の斉藤武夫くんは5年生になった春、太平洋戦争で活躍した伝説の戦闘機・ゼロ戦の実物展示を見て以来、すっかりその虜(とりこ)になってしまった。自室にいくつもの模型をぶら下げ、自分が描いたゼロ戦の絵を壁一面に貼るばかりか、コクピットまでも自作して、大空を飛翔する夢を追い続ける日々が続いた。


 そのうちに高価なラジコン模型がほしくなった武夫は、父・秀夫の車を洗車しては駄賃をもらい、近所のスーパーでアルバイトを始める。それまで好きだった切手収集もやめて、友人からのゲーセンへの誘いも断り、3時のおやつを食べなくても済むように給食を人の倍も食べてアキれられ、遠足の小遣いも1円も使わず、ひたすらケチに徹して金を貯めた。


 そして岡山県の祖母にもらったお年玉を足すことで遂に目標の12万円を貯めた武夫は、念願だったラジコンのゼロ戦を手に入れた。寝言すらもゼロ戦のプロペラ音と化した息子に、母・美絵子は……


「いくらなんでも、度が過ぎてるわ」



 今回は今で云う、いわゆる「ゼロ戦オタク」の少年・武夫がゲスト主役である。
 82年にマイナー漫画誌で誕生した言葉である「おたく」(当時はひらがな表記)なる語句がまだ誕生していない当時、いくら1980年という時代が「おたく」差別もまだなくて当時の10代の青少年たちが空前の第1次アニメブームで沸いていようが、それを嗜好(しこう)する人々、ましてや特撮マニアなぞは周囲からはまだ今よりも奇異の目で見られていたどころか認知すらロクにされていなかったころの話である。
 89年のいわゆるM君事件で犯人がそれとされたことから「おたく」の語句は世間でも一挙に普及して、すでに80年代を通じて若者間でのイケてる系とイケてない系のカーストが髪型やファッションも含めて可視化できるようになって急拡大していたことから、今度は遠巻きの奇異の目どころかハッキリと口に出して冷笑・罵倒的に差別してもよい対象としての「おたく」大弾圧の時代が訪れてしまうのだが……


母・実絵子「子供はゼロ戦、父親はゴルフ。あたしもなにかに凝(こ)ろうかしら」


 20万円もするゴルフクラブをミガいている秀夫につぶやく美絵子。現在ではいくら家庭に入ろうが自分の趣味を楽しんでいる主婦も数多いが、当時はまだ少数派であり、自分の楽しみを犠牲にしてまで生活や家事を優先させる主婦が多かったことを象徴したリアルなセリフでもある。


父・秀夫「ゼロ戦が武夫の命なら、これは私の命だ」


母・美絵子「玩物喪志(がんぶつそうし)」


父・秀夫「玩物喪志?」


母・美絵子「中国のことわざ。物にこだわり過ぎると人間がダメになるってこと」


父・秀夫「このクラブのためなら、ダメになってもおおいに結構」


母・美絵子「ウチの男はふたりとも救いがないわ」


 玩具などのコレクター気質がある我々マニア・オタクたちにとっては美絵子の言葉は実に耳が痛い(笑)。主婦である実絵子が趣味を楽しむ精神的余裕がなかったと思われる点もさることながら、この一連の場面には「子供の領域」「大人の領域」、そして「男の領域」「女の領域」といった違いが当時は如実(にょじつ)にあったことが表現されている。そうした垣根が皆無とは云わないまでもすでにほとんど取り払われてしまった2010年現在の視点で見ると、この30年という歳月が相応に長いものであり、徐々にではあっても大きな変化があったことを実感せざるをえないものがある。


 導入部でラジコン飛行機の大会のために練習をする武夫と、市中のパトロール中に出会った防衛組織・UGMのイトウチーフ(副隊長)と主人公・矢的猛(やまと・たけし)隊員が、UGM作戦室で武夫のことを話題にする場面がこれに続く。


イトウチーフ「一点豪華主義は男の生き方そのものですよ。僕なんかこの3年間、背広1着で通してますからね」(笑)


イケダ隊員「チーフ、僕もそう。ネクタイだって1本しかないんですよ」(オイオイ・笑)


 などとファッションにはさして興味がないことが当時はふつうである男どもが自慢気に話していたのに対して、


城野エミ隊員「女性はそうはいかないわ。毎日同じものを着てると、すぐなにか云われるんだもんねぇ」


気象班・ユリ子隊員「そうなのよねぇ。その点まだまだ女は損よ」


 と、ここでも男女で服装の在り方などに格差や損があることも示している。まぁ同じものを着ている女性にケチをつけてくるのは、男ではなく女同士(汗)であったりもするのだが……(このあたりだけは2010年現在でもまったく変わっていないが、今となっては男の方も毎日同じものを着ていると同性や女性にダサいと蔑まれるという意味では男女平等のもっと嘆かわしい時代になってしまった・笑)。


 石堂淑朗(いしどう・としろう)先生は1960年代の松竹ヌーベルバーグといった左派系の映画の脚本家として、同じく映画会社・松竹所属だった大島渚(おおしま・なぎさ)監督などと組んでキャリアをスタートした(ヌーベルバーグとはニューウェイブの意味のフランス語)。しかし、80年代後半以降は月刊誌『新潮45』(82年~)などの保守系論壇誌などでエッセイや雑文をものするようになり、保守系の言論人としても活動する(90年前後には左派系の『週刊朝日』などでもコスプレ写真付き(笑)のエッセイ連載なども持っており、左右の媒体を問わずに幅広く活躍はしていたのだが)。
 しかし、頑迷固陋な保守派というワケでは決してなく、「女性の方が損をしている」という実感のこもった当時の主婦たちのセリフを日常会話や新聞雑誌や一般のテレビドラマなどでも聞きかじってひろってきて、それを自身の脚本にも流用することで、作品や登場人物に多様性や多面性や血肉を通わせたり、視聴者に対する「そうそう」「あるある」というある種のツカミとして機能させたくなるのが、作家の性(さが)というものなのだろう。
 そして、フェミニズムにありがちなヒステリックな糾弾調・弾劾調のセリフにもせず、ナチュラルでナマっぽい雑談セリフに落としこむかたちでそこに言及してみせているあたりで、見識の幅の広さと物事の両翼に常に両手を伸ばしている氏のバランス感覚も偲ばれようというものだ。先の斎藤夫婦の男女格差の会話に輪をかけて、ダメ押しで同様の会話劇をUGM隊員たちにも畳みかけてくるあたりも実に面白い。
 ……メインターゲットである子供の視聴者たちにはこの良さは伝わらないのかもしれないが(笑)。ただしテンポよくサラサラとなめらかに流れていく短めの会話劇なので子供たちも過剰に退屈してしまうようなことはないだろう。



「今はビルが建っちゃってるけど、昔、近所の病院の近くに空き地があって、そこでよくラジコンを飛ばしてたんですよ。あれは飛ばしてると結構すぐダメになってきてね(笑)。やっぱり、そういう実体験が発想の根本にあるんですね」

タツミムック『検証・ウルトラシリーズ 君はウルトラマン80を愛しているか』(辰巳出版 06年2月5日発行・05年12月22日実売・ISBN:4777802124) 脚本/石堂淑朗インタビュー)



 『ウルトラマン80(エイティ)」(80年)における石堂先生の作品は、第31話『怪獣の種(たね)飛んだ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101127/p1)からのいわゆる「児童編」から参加したためだろう、自然児が遊び回るような子供目線の話が多くなっているが、リモコン飛行機で遊ぶあたりは当時の新種のアクティブな自然児を描いているともいえるだろう。


 ラジコン大会当日、武夫はゼロ戦を飛ばす。ゼロ戦が飛行する様子は特撮で描かれている。最初から虚構の存在であるウルトラマンや巨大怪獣とは異なり、日常に実物が存在するリモコン・ゼロ戦を途中からミニチュア特撮で描くあたりは別物感が生じてしまうので賛否あるだろう。しかし、高速で空を飛行するラジコンを遠くからカメラで追いかけたりアップの映像を撮ることは至難の業(わざ)だろうから、特撮班の担当に割り振るのは現実的な采配ではあるだろう。しかし、ゼロ戦が武夫のコントロールによって反転や急上昇をするのもさることながら、青空に浮かぶ雲をスモークで再現するなど、ミニチュア特撮の範疇ではあるけど空気感の表現は実に見事である。


 しかし、ゼロ戦は突如コントロールを失って空の彼方に飛び去ってしまう…… このあたりに石堂先生と息子さんたちの実体験が出ているといったところか?(笑)


 すっかり落胆してしまった武夫は不眠症(!)に陥ってしまう(笑)。


「命あるものは必ず死に、形あるものは必ず滅(めっ)する、とことわざにもある」


 そのように武夫は父・秀夫になだめられる。これは多分、古代中国の『揚子法言』の「生ある者は必ず死あり」や、お釈迦さまの発言を引用して弟子である幼少時の一休さんに諭(さと)した和尚(おしょう)さんの訓話「生あるものは必ず滅し、形あるものは必ず壊れる」を少々アレンジしたものだろう。「玩物喪志」も古代中国の故事に由来するものだが、このあたりのマイナー格言に対する博識ぶりは、さすがに石堂先生、東大文学部出身だけのことはある。


 しかし、武夫少年も


「父さんのゴルフ棒、あれがもし折れたらどうする?」


 と食ってかかる始末。たしかに大切なゴルフ棒や、特撮マニアたちのコレクションが損傷したり紛失してしまったならば、父さんも我々も平静ではいられないだろう(笑)。


母・美絵子「もしゼロ戦がもう出てこないようでしたら、あなたのゴルフ棒も売ってください!」


父・秀夫「おい、そんな……」


母・美絵子「だって、この子は命の次に大事なものをなくしたんですもの。あなたもつきあいなさい!」


 理不尽なようで、ある意味では究極の公平・平等主義(笑)のような、妻の言動にも追いうちをかけられて、ゴルフおたくの秀夫は大ピンチに陥(おちい)ってしまう!


父・秀夫「なぁ武夫、おまえいつゼロ戦探しに行く? 父さん、そっちの方つきあうよ。おまえのゼロ戦が見つかれば、父さんのクラブも助かるんだ」


 「命あるものは必ず死に、形あるものは必ず滅する」という、行方不明になってしまったリモコンのゼロ戦のことはもうあきらめろ! という先の達観した発言とは正反対な、未練や執着タラタラな俗物チックなことを手のひら返しで平気で云いだす父親の憎めない滑稽さ(笑)。石堂先生が描く登場人物のセリフには落語や漫才のようなムダな言葉の掛け合いの楽しさをねらったものが多いのだが、今回の話でもそれがひたすら強調され続けるのである。


 絶好のゴルフ日和(びより)となった休日なのに、父・秀夫は武夫のゼロ戦探しにやむなく同伴することになるのだが、武夫が首からブラ下げたメッセージに仰天する!


父・秀夫「(メッセージを読みあげる)『この前の日曜日、このゼロ戦のリモコン機を見た方、どうぞ僕に教えて下さい』 ……オーバーだよ、少し(汗)」


武夫「恥ずかしいんだろ」


父・秀夫「そんな……」


 小学生の息子に自身の心底を見透かされて、頭が上がらなくなってしまう頼りないお父さんである(笑)。


武夫「いいです。ひとりで行きます!」


 ゼロ戦の写真を貼ったプラカードを掲げて勇ましく家を出ていく武夫少年。


母・絵美子「あなた! 行ってらっしゃい!」


 妻にけしかけられて、やむなく武夫のあとを付いていく秀夫だが、街に出た武夫は人々から好奇の視線を浴び、冷笑の渦にさらされることになる……


 この場面、同じ東條昭平監督作品である『帰ってきたウルトラマン』(71年)第33話『怪獣使いと少年』における、ゲスト主役の佐久間良(さくま・りょう)少年が商店街を歩く際、人々から好奇の視線を浴び、「宇宙人だ!」と恐れられる場面を、ある意味では彷彿とさせるものがあるかもしれない(笑)。趣味人の一時の奇行への目線と被差別マイノリティへの常時の蔑視の目線では深刻度があまりにも異なるので、同列に論じることには申し訳なさが先に立つが……
 たまらずサングラスとマスクで顔を隠す父・秀夫(笑)。しかし、その周囲からの目線は1982年10月に放映がスタートした平日正午のバラエティ番組『笑っていいとも!』でタレントのタモリが流行らせた「ネアカ」・「ネクラ」という言葉や、89年のM君事件で人口に膾炙(かいしゃ)した「おたく」という言葉によって生じたお墨付きで、性格弱者や控えめな性格の御仁をバカにしたり弾圧してもよい! といったほどのあの時代特有の残虐なものではなく、あくまでも少々の奇異や少々の困惑のそれであり、彼らなどは積極的に蔑視してもよいのだと! という感じではないあたりは、まだまだ「おたく」にとっては居心地がよかった狭間の時代である1980~81年といった時代を象徴するような描写でもある……


 斉藤親子はゼロ戦を追って美しい自然に富む大鳥渓谷(おおとり・けいこく)にまで来てしまった(関東近郊だろうがロケ地はどこだったのだろうか?)。バス代のあまりの高さに傷心する父・秀夫だが(笑)、遂にゼロ戦を見たという老人に出くわすことになる! 先を行こうとするふたりだが、大鳥渓谷には50年から60年に一度、宇宙から渡り鳥が飛来して大好物である人間の子供を食べてしまうから、引き返すように老人から説得される。


武夫「いや、僕は行く! あのゼロ戦とともに僕の命はあるんだから。ゼロ戦といっしょなら死んだっていい!」


父・秀夫「ゼロ戦が出なければ、ゴルフのクラブもなくなる。クラブか命か、そのへんが問題だな……」


 「ゼロ戦のリモコン」と「ゴルフのクラブ」の天秤の話だったはずが、いつの間にか比較対象がスリ変わっており、「ゴルフのクラブ」と「命」を天秤にかけている(笑)。ここまで徹底的に斉藤親子の奇行を描いたあとで、老人の言葉がさらに追いうちをかけてくる!


老人「ヘンな親子だの〜……」(笑)


 第34話『ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101218/p1)でも言及したことを、ここで繰り返そう。


 石堂先生が円谷プロ作品にはじめて参加した『怪奇大作戦』(68年)第23話『呪いの壺』や、『帰ってきたウルトラマン』(71年)第34話『許されざるいのち』に登場したゲスト青年たちは、やや内向的で不器用で破滅的でもある日本の近代文学私小説・純文学)の伝統も感じさせる青年の苦悩が中心に描かれており、石堂先生にもまだ青春の懊悩の残り香があったことがうかがえて、なおかつ非常にマジメな作風でもある。
 しかし、次作『ウルトラマンA(エース)』(72年)の時期に40代に突入したからか完全にオジサン化して、そのへんのナイーブさは消えていく。初担当回である第16話『夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男(うしがみおとこ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1からして初っ端からオカシい(笑)。良い意味で行き当たりバッタリな落語のような話運びであり、1970年前後に世界中で流行した無軌道で自由な若者像である長髪でラフな格好をしたヒッピー風のゲスト青年にはもう、青春期の懊悩は仮託されておらず、その憎めない奇行がコミカルに描かれていく(この行き当たりバッタリさ加減がある意味で80年代末期に隆盛した不条理ギャグ漫画にも似てくるノリは、第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)における劇中劇である孤児院での子供たちが仮装したサンタクロースやウルトラマンエースが登場する演劇が爆笑必至な不条理劇だったことなどにも象徴されている)。
 第41話『冬の怪奇シリーズ 怪談!! 獅子太鼓』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1)や第43話『冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)や第47話『山椒魚の呪い!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)に登場するゲストは、中年化してもう繊細ナイーブさも枯れ果てて開き直ってしまったのか、村外れの気難しくて人付き合いの悪い怪しい奇人変人ばかりとなっている(笑)。
 『ウルトラマンタロウ』(73年)第23話『やさしい怪獣お父さん!』では70年代的な頼りないパパ像がはじめて登場する。この頼りないパパ像は脚本家は田口成光ではあるものの『ウルトラマンレオ』(74年)第30話『日本名作民話シリーズ! 怪獣の恩返し 鶴の恩返しより』などにも登場して、『ウルトラマン80』の第34話『ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!』や本話などにも至っている……


 1960年代までの戦前の昭和一桁生まれでカミナリ親父・頑固オヤジが父親像の主流だった時代と、1970年代以降の戦中・疎開児童世代である昭和10年代生まれで、敗戦により良く云えば「民主化」、悪く云えば「自信不足」で人格形成してきた日本人男性たちが都心に上京してきて、やはり良く云えば「優しい」、悪く云えば「頼りない」マイホームパパとなった時代。石堂先生にとっての自明の家族像とは、この戦後の核家族のことなのだろう(……石堂先生だけにかぎった話ではないけれど)。


 ゼロ戦のリモコンを探し続けてすっかりクタビれてしまった武夫は、手にした操縦機のレバーを操作してゼロ戦に命令をかけてみる。


 すると、そこに老人が語っていた宇宙の渡り鳥・ゼロ戦怪鳥バレバドンが現れた!


 バレバドンは武夫の命令通り、月面宙返り・きりもみ3回転半・急上昇などの妙技を次々に披露する!


 矢的隊員がダブルエックスレントゲン光線でバレバドンを透視したところ、なんとバレバドンは武夫のゼロ戦を飲みこんでおり、操縦機からの信号を受けて武夫の命じるままに動くようになってしまっていたのだった!(笑)


イトウ「そんなバカな!」


 いかに巨大怪獣や宇宙人が登場する『ウルトラマン80』とはいえ、ゼロ戦のリモコンを飲みこんだ巨大怪獣が少年の操縦機どおりに動きだすなんてことはオカシいし、劇中世界の大人たちであればそのように反応することが自然だろう。「不自然」な事象に対する「自然」なリアクション。いかにフィクション作品とはいえ、このようなワンクッションで非リアルさを緩和しきれないまでも、少しでも緩和することはやはり必要ではあるだろう。
 まぁ30年後の後出しジャンケンで往年の怪獣図鑑の第一人者・大伴昌司(おおとも・しょうじ)的にコジツケるのならば、このバレバドンの脳内電気信号の周波数とその意味が、このゼロ戦のラジコンのコントール電波の周波数とその意味するところが完全合致していたのだ! といったところだろう。石堂先生がそこまで先回りして考えていたとは微塵たりとも思わないが(笑)。


 そしてこの怪獣バレバドンが登場以降、この回はジュブナイル・ファンタジーともなっていく。


イトウ「出た! すぐUGMに報告しろ!」


イトウ「ありゃ、どっかのサーカスから逃げ出したんだな」


 いくら曲芸飛行ができるからって、巨大怪獣を飼っているサーカスなんぞがあるかい!? このイトウチーフをボケ役に徹っせさせるのも『80』における石堂先生担当回の常套手段である(笑)。


 バレバドンはvalley(渓谷)とbird(鳥)からネーミングされたようだ。着ぐるみではなく大・小の飛び人形で製作されており、人間が着ぐるみの中に入ることが前提であるという制約からも解き放たれたデザインとなっている。赤く爛々(らんらん)とした目が光る頭部。各種書籍掲載の写真ではわかりにくいが、全身が褐色で塗装されているものの頭部だけは緑色で塗装されている。このあたりはいかにもウルトラ怪獣らしいのだが、現実の鳥のように手を廃したばかりではなく、足には背中の翼と同様にギザのあるかなり大きめの翼が備わっており(こんなの着ぐるみならば歩行の邪魔だ・笑)、ムチのようにしなる細くて長い尾を生(は)やしたスタイルは、ウルトラ怪獣というより海外ファンタジー作品に登場するモンスターやドラゴンであるかのような異彩も放っている。


 武夫の指示で着地するバレバドンは、山から俯瞰(ふかん・高所から見下ろし)するイメージで全身が映されている。その手前には武夫と秀夫が小さく合成されており、なんともたまらない臨場感がある! すっかり有頂天になってしまった武夫は、


「スゴい! こんなことができるのは、世界中でぼくひとりだ!」


 と、父・秀夫が制止するのも聞かずにバレバドンの背にまたがってしまう。この場面も手前に実物大のバレバドンの背にまたがる武夫を配し、そこから俯瞰する感じで画面奥に秀夫が小さく撮らえられており、バレバドンの巨大感を表現するのに絶大な効果をあげている。


 バレバドンの背にまたがり、武夫は遊覧飛行の旅に出る! もう完全に「ウルトラ」というよりかはファンタジーである。空撮の実景を織り混ぜており、飛行するバレバドンと眼下にそびえるミニチュアの街並みを空から俯瞰するようなアングルも素敵である。


 このシーンで流れるBGMが、なんと『ザ★ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430p1)の防衛組織・科学警備隊の戦闘機を描写するテーマとして作られ、『80』でも第14話『テレポーテーション! パリから来た男』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100801p1)以降多用され、後年の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506p1)第17話『誓いのフォーメーション』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061001p1)では新たにコーラスをダビングして使用された、マニア間では「急降下のテーマ」(正式MナンバーはM27)として知られる戦闘機の高速飛行を彩(いろど)る名曲である! 高揚感にあふれる飛行場面にはピッタリとマッチしているのだ!


 バレバドンは赤い目玉をギョロつかせ、眼下の街並みに卵を生み落としてしまう。俯瞰したミニチュアの道路や建物の上に巨大な卵が割れ、中から黄色い身がグチャリと飛び出す様子がなんとも生々しい。これならばまだビルが破壊された方がマシなような(笑)。


 イトウと矢的の姿を見つけた武夫はあいさつをしようと地上に急降下をかける! 武夫の目線で俯瞰したイトウ・矢的・父に高速で迫るカットに続いて、バレバドンが画面手前に迫ったあと急上昇する特撮カットに、実景の山と3人を合成した場面を配しているのがまた大迫力である!


 そこに飛んでくる1機のセスナ。武夫はこれにもあいさつをしようと急接近。バレバドンに比較すると相当小さなモデルだが、操演でよくこんな小さなものを飛ばせたものだと感心するばかりである。たまらず降下していくセスナ。


イトウ「イタズラにしては度が過ぎてる!」
矢的「まったくだ!」


父・秀夫「すいません。ゼロ戦さえなければ、いい子なんです」(笑)


 『ウルトラマン80』の初期話数であったらば、せっかく自分の思いのままに操れる怪獣を手にしたのだから、今まで自分を馬鹿にしてきた人間たちに復讐するという展開になっていたであろう。だが、武夫はそうはせず、大空を飛翔する夢をひたすら追い求めるのである。これはある意味では故・円谷英二特撮監督が追い続けた「日本ヒコーキ野郎」の「夢の世界」がやや変型しながらも具現化した映像だったのではなかろうか!?


「♪カ〜ラ〜ス〜、なぜ鳴くの〜、カラスの勝手でしょ〜~」


 調子に乗った武夫が歌いだす(笑)。これは当時のお笑い&歌謡番組『8時だョ! 全員集合』(69〜85年・TBS)の1コーナー「少年少女合唱隊」で、ザ・ドリフターズ志村けんhttps://katoku99.hatenablog.com/entry/20200419/p1)が童謡『七つの子』(作詞・野口雨情)の替え歌として歌って、全国の子供たちの間で大流行させたものである(当時の新聞報道によれば、作詞の野口の遺族から番組宛てに抗議文が寄せられたらしい・汗)。
 しかもなんとそこに都合よく本当にカラスが飛んできた! こういうところが石堂脚本の漫画的・落語的なところである(笑)。もちろんバレバドンの前方を飛行するカラスはミニチュアなのだが、セスナ以上に小さい造形なのに、なんと翼をはばたかせて飛んでおり、特撮マニア的な観点からはビックリ仰天!


 腹を空かせたバレバドンはカラスを食おうと口を大きく開けるが、そのはずみで飲みこんでいだリモコンのゼロ戦を地上に落下させてしまう!
 スト〜ンと真っすぐに落ちていくのではなく、ゼロ戦のミニチュアがグルグルと回転しながら落下していくのも芸コマだが、そこに感心している場合ではない。ゼロ戦を体外に排出したことでリモコンでのコントロールが効かなくなったバレバドンは、背中にまたがる武夫を鋭い目つきでにらみつけた!(ギョロッと動く赤い目玉のアップがいい!)


 バレバドンが反転や急上昇を繰り返すことで絶体絶命の危機に陥る武夫。高速で飛行するミニチュアのカットの合間に、実物大の背中にまたがる武夫をカメラを反転させて撮らえたカットを挿入しているのがまた臨場感をいや増す!


 矢的は遂にエイティに変身!
 空中での大追跡となるが、バレバドンは武夫を背中から振り落としてしまった!
 武夫を見事にキャッチし、大地に着地するエイティ!


 リモコンのゼロ戦などというヘンなものを食ってしまったばかりに地球に居心地の悪さを感じたのか、それともそんな些事(さじ)など気にもしていなくて単にもう「渡り」のタイミングであったのか、宇宙の渡り鳥・バレバドンは静かに大空を飛び去っていく……



 今回のエイティは武夫を救うためだけに登場したパターン破りの回である。最初から戦闘の意思は感じられない。バレバドンは第36話『がんばれ! クワガタ越冬隊』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110101/p1)の中で紹介した石堂先生の発言で云うならば、「怪獣としてはダメな奴」「ケンカしない怪獣」となっている。


 『ウルトラセブン』(67年)第7話『宇宙囚人303』では、モロボシ・ダンはガソリンを主食にする火炎宇宙人キュラソ星人が炎上させたウルトラホーク1号のβ(ベータ)号から脱出するだけのためにウルトラセブンに変身しており、キュラソ星人とのバトルはまったく描かれてはいなかった。多くの子供たちがそうであっただろうが、筆者は小学4年生のときにこの回を再放送で観た際、おおいに不満を感じたものである(30数年経った今でも不満だが・笑)。巨大化したキュラソ星人に攻撃を加えようとするウルトラ警備隊のキリヤマ隊長をダンが制止する。


キュラソ星人の体はガソリンタンクも同様です。今に自爆します」


 それはたしかにそうなのだが、キュラソ星人は『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)初期に登場した通り魔「星人」のごとく、ハンター2人・ガソリンスタンドの店員2人・スタンド客の金髪女性・パトロール中の警官3人などを次々にブッ殺しており(東映ヒーロー作品でもなかなかここまではやらない!)、そんな奴はセブンの必殺武器・アイスラッガーでズタズタに切り裂くか、必殺光線・ワイドショットでバラバラに粉砕するべきではないのか!? などとどうしても思ってしまうのである(笑)。このストーリー展開だと正直ダンがセブンに変身する必然性はまったくない。変身シーンがないわけにはいかないからやむなく入れただけのことである。


 第2期ウルトラシリーズのTBS側の名プロデューサー・橋本洋二は『帰ってきたウルトラマン』を担当するにあたり、テーマがあってドラマ的にきちんとまとまってさえいれば、変身アイテムも防衛組織のメカも宇宙基地も出す必要はないと製作側の円谷プロダクションへ主張していたという証言が残っている。たしかにそうした意見にも一理はあるのだが、それを突きつめれば「ヒーローさえもいらない」ということになってしまうのではなかろうか? 『セブン』第7話はまさにその典型例となってしまったのであるが、筆者などが再評価を試みようとしているかつては酷評に見舞われていた70年代前半のエンタメ性よりもドラマ性やテーマ性をやや強調したきらいがあった第2期ウルトラシリーズにも下手をすればそうなる危険性がある弱点をはらんでいたことは認めざるをえない。


 個人的には心酔する石堂先生の作品であり、『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)の第21話『天女の幻を見た!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061009/p1)・第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)・第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦!』、『ウルトラマンレオ』(74年)第32話『日本名作民話シリーズ! さようならかぐや姫 竹取り物語より』などに並ぶ立つようなファンタジー風味の作品として高く評価したい。
 しかし、第39話『ボクは怪獣だ~い』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110122/p1)の怪獣少年テツオン、第40話『山からすもう小僧がやって来た』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110129/p1)のすもう怪獣ジヒビキラン、そして今回のバレバドンと、「怪獣としてはダメな奴」「ケンカしない怪獣」を3週も連続させた、戦闘の高揚感にはいささか欠けるエピソードを続発させたシリーズ構成もまた(当時はシリーズ構成のことなど、ほとんど考えていなかっただろうとはいえ・笑)、『80』がますます世間の子供たちから見放されることになってしまった要因ではなかろうか?


 「善悪の割り切りがはっきりある中での痛快な戦いこそ、最もウルトラマンらしい形である」と『80』脚本家の平野靖士(ひらの・やすし)は主張した(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110122/p1)。その一方で、「世の中に〈絶対悪〉というのが最初からあって、それをやっつければOKという話じゃない」と主張する石堂先生(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110101/p1)。
 まさに「ウルトラマン」に対する「価値観の相違」である。どちらかが圧倒的に正しいということではない。双方は矛盾はしているものの両方が正しいのであり、この両者をバランスよく配置することこそが大事なのではなかろうか?(平野の論を「主」に、石堂先生のポリシーを「従」にすべきではあろうけど) よって、本話だって「ウルトラマン」のメインストリームではないものの、立派な「ウルトラマン」ではあるのだ。そのことは強く主張をしておきたい。


 正直、筆者はこの第41話を面白いと感じたのは今回の再視聴が初めてである。それはおそらく武夫のような年齢の息子がいてもおかしくない年齢に達したことが大きいのだとも思うのだ(前回視聴したのは20代半ばのころであった)。今回はやはり武夫の父・秀夫の方におおいに感情移入してしまっていたのだ(笑)。


 しかしながら、この路線を主軸にしてしまったならば、それこそ怪獣を退治せず保護・共存しようとする『ウルトラマンコスモス』(01年)のようになってしまうのではなかろうか? もちろん『コスモス』だって立派な「ウルトラマン」だという意見もあって当然だろう。だが、筆者には『セブン』第7話を小学生の際に観て失望した感性が、世間一般の小学生男子たちにも通じるものであるかと思っているのだ。やはりウルトラマンには戦ってほしいのである。



<こだわりコーナー>


*武夫の母・美絵子を演じたのは、『ウルトラQ』(66年)のレギュラーである毎日新報の社会部カメラマン・江戸川由利子役や、初代『ウルトラマン』(66年)のレギュラー防衛組織である科学特捜隊・フジアキコ隊員役で、ウルトラファンにはおなじみの桜井浩子である。今回は夫の秀夫に対してあまりに冷淡な妻を見事に演じきっているが、たしか特撮雑誌『宇宙船』Vol.6(朝日ソノラマ・81年4月30日発行)に掲載された『ウルトラマン80』放映終了特集の円谷プロの満田かずほプロデューサーの話によれば、桜井は母親役を演じることに対してブーブー文句を云っていたそうである(笑)。


*その夫・秀夫を演じたのは、木下恵介野村芳太郎小林正樹ら巨匠の監督作品に数多く出演、往年の松竹を代表する映画スターだった石濱朗(いしはま・あきら)である。特撮作品ではほかにも東映スーパー戦隊シリーズ超新星フラッシュマン』(86年・テレビ朝日)の準レギュラー・時村博士役、東映メタルヒーロー『機動刑事ジバン』(89年・テレビ朝日)の準レギュラー・警視庁秘密調査室統括責任者・柳田誠一役、同じく『特救指令ソルブレイン』(91年・テレビ朝日)9話ゲストの神崎栄三役、オリジナルビデオ作品『真・仮面ライダー 序章(プロローグ)』(92年・バンダイビジュアル)で主人公の父・風祭大門役を演じたほか、映画『仮面ライダーBLACK(ブラック) 恐怖! 悪魔峠の怪人館』(東映系88年7月9日公開)などにも出演していた。


*斉藤親子が大鳥渓谷で出会う老人を演じていたのは、『ゴジラ』(54年)の田辺博士、『空の大怪獣ラドン』(56年)の南教授、『地球防衛軍』(57年)の川波博士、『大怪獣バラン』(58年)の馬島博士、『宇宙大戦争』(59年)の有明警部、『電送人間』(60年)の三浦博士、『ガス人間第一号』(60年)の佐野博士、『怪獣大戦争』(65年)の医学代表など、東宝特撮映画の常連俳優だった村上冬樹である(1911(明治44年)/12/23~2007/4/5)。『ウルトラQ』第17話『1/8計画』ではS13地区の区長役で桜井浩子と共演していたが、大人気スポ根ドラマ『サインはV』(69年・東宝 TBS)では八代先生役で本作『80』ではオオヤマキャップ(隊長)を演じた中山仁(なかやま・じん)とも共演していた。
 なお、68年には作家の故・三島由紀夫――怪獣映画『ゴジラ』第1作(54年)が公開当時のマスコミに酷評される中、氏は「文明批判の力を持った映画だ」と高く評価していた(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190601/p1)――らと劇団・浪曼(ろまん)劇場を結成しているが、ここには一時、中山仁も所属していた。三島が執筆した戯曲の舞台『わが友ヒットラー』(68年)で村上はヒットラー役で主演している。特撮ジャンル系の作品では『シルバー仮面』(71年・宣広社 TBS)第1話『ふるさとは地球』の都築(つづき)博士、『ワイルド7(セブン)』(72年・国際放映 日本テレビ)第4話『狙われたミサイル』の蛭沼博士、『スパイダーマン』(78年・東映 東京12チャンネル)第1話『復讐の時は来たれり 討て! 鉄十字団』の山城博士など、やはり博士の役を多く演じていた。


*『8時だョ! 全員集合』は69年から16年間継続して放送された長寿番組であると世間では思われがちであるが、実際には71年4月〜9月の半年間放送が中断している(ザ・ドリフターズが所属していた渡辺プロが『全員集合』を終了させて日本テレビで新番組をやらせたいと主張して、TBSとトラブルになっていたそうだ)。その期間はクレージーキャッツが出演する『8時だョ! 出発進行』が放送されていた。往年のマニア向け書籍「ファンタスティックコレクションNo.10 空想特撮映像の素晴らしき世界 ウルトラマンPARTII」(78年・朝日ソノラマhttp://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031217/p1)などにも掲載された、71年春のTBS新番組宣伝用ポスター「春もやっぱり! 6チャンネルですね」――『帰ってきたウルトラマン』が『肝っ玉かあさん』(68〜72年の全3シリーズ)主演の故・京塚昌子に手を添えて、ワンフレームで並び立っているツーショットで飾られたもの!――にその番組タイトルが確認できる。
 『全員集合』といえば「子供に見せたくない番組」であるとして、毎年のようにPTAからワースト番組の筆頭にあげられていたものであるが、やはり子供が観たがるのはそうした、行き過ぎにはならない範疇ではあるのだが、適度に「毒」がある番組ではないかと思えるのだ。『80』は子供番組としては「健全」に過ぎたからこそ、視聴率が低迷したのではなかろうか? その意味では平成ライダーシリーズは子供番組としてカンペキに合格点が与えられるのかもしれない。筆者も親だったら自分の子供にはあまり見せたくはないなぁ(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2011年号』(2010年12月30日発行)所収『ウルトラマン80』後半再評価・各話評より分載抜粋)



編集者付記:


 「玩物喪志」。直接読めば、自室で玩具にくるまれて志(こころざし)を喪(うしな)ってしまうこと。玩具や書籍やビデオなどのオタク向けグッズの洪水に自室を占領されて、自分で意識的・主体的に収集していたハズなのにいつの間にやら惰性に流され、「玩具の方が“主体”」・「人間の方が受動的な“客体”」となって足で使われてしまうような、往々にしてオタにはアリガチな自堕落な事態を指す、我々のような人種には耳がイタイ言葉でもある(笑)。このような事態を指し示す用語をすでに紀元前に造語していた古代中国人もやはり叡智に満ちている。
 「玩物喪志」といえば、「玩物」にくるまれなければ生きてはいけない(?)我々オタクやマニアたちのような、一般ピープルとは異なるメンタリティの人間たちが、自己の癖や偏りを客観的に認識しつつも、それでも「玩具」を捨てずに所有したままで何らかの倫理と節度と主体性を持ってみせるような「志」を、「玩物喪志」ならぬ「玩物喪志の志」、転じて「オタクの志」というアクロバティックな言葉で表現した御仁が、オタク第1世代の評論家・浅羽通明(あさば・みちあき)先生である。
 そのネジくれた「志」を常に自己点検して自堕落にならずに生きていくための方策のヒントを、オタクの元祖ともいえる昭和初年代生まれで昭和30年代〜60年代までご活躍されていた文筆家・澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ)の分析・功罪・先見性を通じて語った、浅羽通明先生による著作・評伝『澁澤龍彦の時代 ―幼年皇帝と昭和の精神史』(93年・青弓社ISBN:4787290835)は、このテの入り組んだマニア気質に内省的にもご関心があられる方々にはぜひともご一読をお勧めしたい一品。そして、その澁澤龍彦ご本人による「玩物喪志」のことわざをパロった書籍といえば、その名もズバリ、『玩物草紙』(笑)(79年・朝日新聞社ASIN:4122013127ISBN:9784122013124ISBN:4022640197)。いや、そっちの方は読んだことはないけれど(汗)。


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ウルトラマンメビウス』(06年)#17「誓いのフォーメーション」 ~&『80』#13、25フォーメーション・ヤマト編&BGM

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