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ウルトラマン80 41話「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」 ~石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族、情けない父・ちゃっかり息子

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『ウルトラマン80』全話評 〜全記事見出し一覧


第41話『君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?』 〜石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族、情けない父・ちゃっかり息子

ゼロ戦怪鳥バレバドン登場

(作・石堂淑朗 監督・東條昭平 特撮監督・佐川和夫 放映日・81年1月21日)
(視聴率:関東7.7% 中部9.0% 関西12.9%)
(文・久保達也)
(2010年11月執筆)


 小学6年生の斉藤武夫(さいとう・たけお)くんは5年生になった春、太平洋戦争で活躍した旧空軍の伝説の戦闘機である「ゼロ戦(零式戦闘機)」の実物展示を見てしまって以来、すっかりその虜(とりこ)になってしまった。自室にいくつもの模型をぶら下げて、自分が描いたゼロ戦の絵を壁一面に貼るばかりか、コクピットまでも自作して、大空を飛翔する夢を追い続ける日々が続いていた。


 そのうちに、高価なラジコン(ラジオ・コントロール)模型のゼロ戦がほしくなった武夫は、父・秀夫の車を洗車しては駄賃をもらい、近所のスーパーでもアルバイトを始める。それまで好きだった切手収集もやめて、友人からのゲーセン(ゲームセンター)への誘いも断り、3時のおやつを食べなくても済むように給食を人の倍も食べてアキれられ、遠足の小遣いも1円も使わずに、ひたすらケチに徹して金を貯めた。


 そして、岡山県の祖母にもらったお年玉を足すことで、遂に目標の12万円を貯めた武夫は、念願だったラジコンのゼロ戦を手に入れた。寝言すらもゼロ戦のプロペラ音と化してしまった息子に(笑)、母・美絵子は……


「いくらなんでも、度が過ぎてるわ……」



 本話は今で云う、いわゆる「ゼロ戦オタク」の少年・武夫がゲスト主役である。


 「おたく」なる語句は、1982年にマイナー漫画誌で誕生した言葉である(往時は「ひらがな表記」であった)。


 その語句が誕生する直前であった1980~81年。若者世代の内部では、今でいう「オタク」的な気質・性格の人間――他人や異性との会話には踏み出すことに怖じ気(おじけ)があるような内向的な性格で、その代わりにサブカル知識やガジェットなどの収集癖があったりするような人間――の存在は、もちろんナンとはなしに認知はされてはいた。しかし、それを特定のアダ名でハッキリとカテゴライズして認識し、そして彼らをあからさまに公然と小バカにしたり蔑視をしてもよいような風潮はまだ誕生してはいなかった。


 70年代末期にはすでに劇場アニメ映画として『宇宙戦艦ヤマト』(77年)や『銀河鉄道999(スリーナイン)』(79年)などに当時の若者たちが行列をするようにはなっており、当時はいわゆるオタク第1世代よりも上の世代やマスコミからは奇異の目で見られることはあった。しかし、若者世代の内部ではそのことに対して特に蔑視の目線を向けるようなこともなかったのだ。


 オタクならぬアニメファンは「クラい」「ネクラだ」と云われるようになったのは83~84年ころのことだった。そして、ハッキリと差別用語としての「おたく」が一挙に突如として普及しだしたのは、89年8月の世間を衝撃の坩堝に叩き込んだいわゆる「M君事件」こと幼女連続殺人事件で、その犯人がまた「おたく」であったことがキッカケであった。
 すでに80年代を通じて、若者間での後年で云うところのイケてる系とイケてない系のカーストが髪型やファッションも含めて可視化できるようになって急拡大してはいた。しかし、ハッキリと口に出して冷笑・罵倒的に差別してもよい対象として「おたく」が扱われるようになったのは、この89年8月のことだ。そして、ここから90年代前中盤にかけては、「おたく」に対する猛烈な大弾圧の時代が訪れてしまったのだ。


 とはいえ、本話が放映された1981年1月は、「趣味人」が市民権を得ていたとまではいえないものの、後年のような蔑視や嘲笑・愚弄の域に達した目線はまだ向けられてはいなかった。後年のように、彼らの目線のその内実も「はは~~ん」といった「了解」「承知した」といった感じで、我々のような浮世離れした性格類型の人間がいかにもハマりそうな幼児的な趣味(笑)やマニア的な趣味(爆)であろうといった概要の「推測」がもうできてしまっているといったことはまるでなく(笑)、ホントに瞬間的にだけ遠巻きで奇異の目線で見られているだけであって、その内実や正体(笑)を明確に言語化されることもなかった程度であったのだ。


 本話はそんなまだまだ牧歌的な時代に描かれた、「趣味人」に関するエピソードでもある。



母・実絵子「子供はゼロ戦、父親はゴルフ。あたしもなにかに凝(こ)ろうかしら」


 20万円もするゴルフクラブをミガいている秀夫につぶやく美絵子。現在ではいくら家庭に入ろうが自分の趣味を楽しんでいる主婦も数多い。しかし、当時はまだまだ少数派であり、自分の趣味や楽しみは犠牲にして生活や家事を優先させる主婦が多かったことを象徴したリアルなセリフでもある。


父・秀夫「ゼロ戦が武夫の命なら、これは私の命だ」


母・美絵子「玩物喪志(がんぶつそうし)」


父・秀夫「玩物喪志?」


母・美絵子「中国のことわざ。物にこだわり過ぎると人間がダメになるってこと」


父・秀夫「このクラブのためなら、ダメになってもおおいに結構」


母・美絵子「ウチの男はふたりとも救いがないわ」


 玩具などのコレクター気質がある我々マニア・オタクたちにとっては美絵子の言葉は実に耳がイタい(笑)。主婦である実絵子が趣味を楽しむ精神的な余裕がなかったと思われる点もさることながら、この一連の場面には「子供の領域」「大人の領域」、そして「男の領域」「女の領域」といった違いが当時は如実(にょじつ)にあったことが表現されている。そうした垣根が皆無とは云わないまでもすでにほとんど取り払われてしまった2010年現在の視点で見ると、この30年という歳月が相応に長いものであり、徐々にではあっても大きな変化があったことを実感せざるをえない。


 導入部でラジコン飛行機の大会のために練習をする武夫と、市中のパトロール中に出会った防衛組織・UGMのイトウチーフ(副隊長)と主人公・矢的猛(やまと・たけし)隊員が、UGM作戦室で武夫のことを話題にする場面がこれに続く。


イトウチーフ「一点豪華主義は男の生き方そのものですよ。僕なんかこの3年間、背広1着で通してますからね」(笑)


イケダ隊員「チーフ、僕もそう。ネクタイだって1本しかないんですよ」(オイオイ・笑)


 などと、ファッションにはさして興味がないことが1981年当時はふつう・大勢であった男どもが、自慢気に話していたのに対して、


城野エミ隊員「女性はそうはいかないわ。毎日同じものを着てると、すぐなにか云われるんだもんねぇ」


気象班・ユリ子隊員「そうなのよねぇ。その点、まだまだ女は損よ」


 と、ここでも男女で服装の在り方などに格差や損があることも示している。まぁ、同じものを着ている女性にケチをつけてくるのは、男ではなく女同士(汗)であったりもするのだが……(そして、このあたりだけは2010年現在でもまったく変わっていない。どころか、今となっては男の方も毎日同じものを着ていると同性や女性にダサいと蔑(さげす)まれてしまうという意味では男女平等が達成されており(笑)、もっと嘆(なげ)かわしい時代になってしまった・汗)。


 石堂淑朗(いしどう・としろう)先生は1960年代の松竹ヌーベルバーグといった左派系の社会派映画の脚本家として、同じく映画会社・松竹所属であた大島渚(おおしま・なぎさ)監督などと組んでキャリアをスタートした(ヌーベルバーグとはニューウェイブの意味のフランス語である)。しかし、80年代後半以降になると月刊誌『新潮45』(82年~)などの保守系論壇誌などでエッセイや雑文をものするようになり、保守系の言論人としても活動するようになる(1990年前後には左派系の『週刊朝日』などでもコスプレ写真付き(笑)のエッセイ連載なども持っており、左右の媒体を問わずに幅広く活躍はしていたのだが)。


 しかし、頑迷固陋な保守派というワケでもない。「女性の方が損をしている」といった、実感のこもった当時の主婦たちのセリフを、日常会話や新聞雑誌や一般のテレビドラマなどでも聞きかじってひろってきて、それを自身の脚本の中にも流用することで、作品や登場人物に多様性や多面性や血肉を通わせているのだ。そして、そういったことで、視聴者に対して「そうそう」「あるある」といった、ある種の「ツカミ」として機能させたくなってしまうことも、作家の性(さが)といったものなのだろう。


 けれど、フェミニズムなどにアリがちなヒステリックな糾弾調・弾劾調のセリフにもしてはいない。ナチュラルでナマっぽい雑談セリフに落としこむかたちで、そこに言及してみせているあたりで、見識の幅の広さと物事の左右の両翼に常に両手を伸ばしている氏のバランス感覚も偲(しの)ばれようとはいうものだ。


 先の斎藤夫婦の男女格差の会話に輪をかけて、ダメ押しで同様の会話劇をUGM隊員たちにも畳みかけてくるあたりも実に面白い。……メインターゲットである子供の視聴者たちにはこの良さは伝わらないのかもしれないけど(笑)。ただし、テンポよくサラサラとなめらかに流れていく短めの会話劇なので、子供たちも過剰に退屈してしまうようなことはないだろう。



「今はビルが建っちゃってるけど、昔、近所の病院の近くに空き地があって、そこでよくラジコンを飛ばしてたんですよ。あれは飛ばしてると結構すぐダメになってきてね(笑)。やっぱり、そういう実体験が発想の根本にあるんですね」

タツミムック『検証・ウルトラシリーズ 君はウルトラマン80を愛しているか』(辰巳出版 06年2月5日発行・05年12月22日実売・ISBN:4777802124) 脚本/石堂淑朗インタビュー)



 『ウルトラマン80(エイティ)」(80年)における石堂先生の作品は、第31話『怪獣の種(たね)飛んだ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101127/p1)からのいわゆる「児童編」から参加したこともあったのだろうか。氏が執筆した円谷プロ製作作品では『怪奇『大作戦』(68年)や『帰ってきウルトラマン』(71年)では青年の残り香(のこりが)が、『ウルトラマンA(エース)』(72年)ではヒッピー青年や村ハズれの奇人変人(笑)、『ウルトラマンタロウ』(73年)以降では戦後(70年代)の通称・ニューファミリーこと頑固オヤジではなく温厚なパパがゲスト主役。といった変遷を描いてきたが、『80』では、自然児が遊び回るような子供目線の話が多くなっている。しかし、ラジコン飛行機で遊ぶあたりは、当時の新種のアクティブな自然児を描いているとのコジツケも可能だが、ゼロ戦に夢中になって、文明のリキでもあるラジコンに執着しているあたりでは、自然児というよりも、その真逆な在り方でもある元祖・オタク少年であり、趣味人の少年を描いた一編だったともいえるだろう。



 ラジコン大会の当日、武夫はゼロ戦を飛ばす。ゼロ戦が飛行する様子は本話では基本的には「ミニチュア特撮」で描かれている。


 最初から虚構の存在であるウルトラマンや巨大怪獣とは異なり、日常に実物が存在するラジコン・ゼロ戦を、途中からミニチュア特撮で描いてしまうあたりは別物感が生じてしまうので賛否があるだろう。


 しかし、高速で大空を飛行するラジコンを遠くからカメラで追いかけたりアップの映像を撮ることは至難の業(わざ)ではあるだろう。だから、特撮班側の担当に割り振ってしまうことも現実的な采配ではあるのだろう。


 けれども、ゼロ戦が武夫の采配によって反転や急上昇をするさまもさることながら、青空に浮かぶ雲をスモークで再現するなど、あくまでもミニチュア特撮の範疇ではあるのだけど、空気感の表現は実に見事でもある。


 しかし、ゼロ戦は突如としてコントロールを失って、空の彼方に飛び去ってしまった! ……このあたりが、先のインタビューにおける、石堂先生と息子さんたちの実体験が出ているといったところだろうか?(笑)



 すっかり落胆してしまった武夫は、不眠症(!)に陥(おちい)ってしまった(笑)。


「命あるものは必ず死に、形あるものは必ず滅(めっ)すると、ことわざにもある」


 そのように武夫は父・秀夫になだめられる。これは多分、古代中国の『揚子法言』の「生ある者は必ず死あり」や、お釈迦さまの発言を引用して弟子であった幼少時の一休さんに諭(さと)した和尚(おしょう)さんの訓話「生あるものは必ず滅し、形あるものは必ず壊れる」を少々アレンジしたものだろう。「玩物喪志」も古代中国の故事に由来するものだが、このあたりのマイナー格言に対する博識ぶりは、さすがに石堂先生、東大文学部出身だけのことはある。


 しかし、武夫少年も、


「父さんのゴルフ棒、あれがもし折れたらどうする?」


 などと食ってかかる始末。たしかに大切なゴルフ棒や、特撮マニアたちのコレクションが損傷したり紛失してしまったならば、父さんも我々も平静ではいられないだろう(笑)。


母・美絵子「もしゼロ戦がもう出てこないようでしたら、あなたのゴルフ棒も売ってください!」


父・秀夫「おい、そんな……」


母・美絵子「だって、この子は命の次に大事なものをなくしたんですもの。あなたも付き合いなさい!」


 理不尽なようでも、ある意味では究極の公平・平等主義でもあるような(笑)、妻の言動にも追いうちをかけられて、ゴルフおたくの秀夫は自らで大ピンチに陥ってしまった!


父・秀夫「なぁ、武夫。おまえ、いつゼロ戦、探しに行く? 父さん、そっちの方、付き合うよ。おまえのゼロ戦が見つかれば、父さんのクラブも助かるんだ」


 「命あるものは必ず死に、形あるものは必ず滅する」などという哲学的な物言いでも、遠回しに行方不明になってしまったラジコンのゼロ戦のことはもうあきらめろ!(爆) といわんばかりの先の達観した発言とは正反対な、未練や執着タラタラな俗物チック(笑)なことを手のひら返しで平気で云いだす父親の憎めない滑稽さ。石堂先生が描く登場人物のセリフには、落語や漫才のようなムダな言葉の掛け合いの楽しさをねらったものが多いのだが、今回の話でもそれがひたすら強調され続けるのである。


 絶好のゴルフ日和(びより)となった休日なのに、父・秀夫は武夫のゼロ戦探しにやむなく同伴することになる。しかし、武夫が首からブラ下げたメッセージに仰天する!


父・秀夫「(メッセージを読みあげる)『この前の日曜日、このゼロ戦のラジコン機を見た方、どうぞ僕に教えて下さい』 ……オーバーだよ、少し(汗)」


武夫「恥ずかしいんだろ」


父・秀夫「そんな……」


 小学生の息子に自身の心底を図星で見透かされて、頭が上がらなくなってしまう頼りないお父さんである(笑)。


武夫「いいです。ひとりで行きます!」


 ゼロ戦の写真を貼ったプラカードを掲げて勇ましく家を出ていく武夫少年。


母・絵美子「あなた! 行ってらっしゃい!」


 妻にけしかけられて、やむなく武夫のあとを付いていく秀夫だが、街に出た武夫は人々から好奇の視線を浴びて、冷笑の渦にさらされることになる……


 この場面は、同じく東條昭平監督作品である『帰ってきたウルトラマン』(71年)第33話『怪獣使いと少年』における、ゲスト主役の佐久間良(さくま・りょう)少年が商店街を歩く際に、人々から好奇の視線を浴びて、「宇宙人だ!」と恐れられる場面を、ある意味では彷彿とさせるものがあるかもしれない(笑)。


 趣味人の一時の奇行への目線と、被差別マイノリティへの常時の蔑視の目線では、深刻度があまりにも異なるので、同列に論じることには申し訳なさが先に立ってしまうけど(汗)。


 羞恥心でタマらずにサングラスとマスクで顔を隠してしまう父・秀夫(笑)。


 しかし、武夫少年が周囲から浴びせられる目線は、1982年10月に放映がスタートした平日正午のバラエティ番組『笑っていいとも!』でタレントのタモリが流行らせた「ネアカ」「ネクラ」といった言葉や、89年のM君事件で人口に膾炙(かいしゃ)した「おたく」という言葉によって生じたお墨付きで、「性格弱者」や「控えめな性格の御仁」を徹底的にバカにしたり弾圧してもよい!(汗) といったほどの、あの時代に特有だったしごく残虐なものではない。
 あくまでも少々の奇異や少々の困惑のそれであり、武夫少年のような奇行をする人間に対しては、積極的に蔑視して指をさして笑ってもよいのだ! といった感じではないあたりが、まだまだ我々「おたく」にとっては居心地がよかった「狭間」の時代であった1980~81年といった時代を象徴するような描写でもあった……


 斉藤親子はゼロ戦を追って美しい自然に富む大鳥渓谷(おおとり・けいこく)にまで来てしまった(関東近郊だろうが、ロケ地はどこだったのだろうか?)。バス代のあまりの高さに傷心する父・秀夫(笑)。


 しかし、遂にゼロ戦を見たという老人に出くわすことになる! 先を行こうとするふたりだったが、大鳥渓谷には50年から60年に一度、宇宙から渡り鳥が飛来して大好物である人間の子供を食べてしまうから、引き返すように老人から説得される。


武夫「いや、僕は行く! あのゼロ戦とともに僕の命はあるんだから。ゼロ戦といっしょなら死んだっていい!」


父・秀夫「ゼロ戦が出なければ、ゴルフのクラブもなくなる。クラブか命か、そのへんが問題だな……」


 「ゼロ戦のラジコン」と「命」の話だったはずが、いつの間にか「ゴルフのクラブ」と「命」に比較対象がスリ変わっており、「ゴルフのクラブ」と「命」を天秤にかけている(笑)。ここまで徹底的に斉藤親子の奇行を描いたあとで、老人の言葉がさらに追いうちをかけてくる!


老人「ヘンな親子だの〜……」(笑)



 第34話『ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101218/p1)でも言及したことを、ここでも繰り返そう。


 石堂先生が円谷プロ作品にはじめて参加した『怪奇大作戦』(68年)第23話『呪いの壺』や、『帰ってきたウルトラマン』(71年)第34話『許されざるいのち』に登場したゲスト青年たちは、やや内向的で不器用で破滅的でもある日本の近代文学私小説・純文学)の伝統も感じさせる青年の苦悩が中心に描かれており、石堂先生にもまだ青春の懊悩の残り香があったことがうかがえて、なおかつ非常にマジメな作風でもある。


 しかし、次作『ウルトラマンA(エース)』(72年)の時期に40代に突入したからか完全にオジサン化して、そのへんのナイーブさは消えていく。初担当回である第16話『夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男(うしがみおとこ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1からして初っ端からオカシい(笑)。良い意味で行き当たりバッタリな落語のような話運びであり、1970年前後に世界中で流行した無軌道で自由な若者像である長髪でラフな格好をしたヒッピー風のゲスト青年にはもう、青春期の懊悩は仮託されておらず、その憎めない奇行がコミカルに描かれていく。この行き当たりバッタリさ加減が、ある意味で80年代末期に隆盛した不条理ギャグ漫画にも似てくるノリは、第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)における劇中劇である孤児院での子供たちが仮装したサンタクロースやウルトラマンエースが登場する演劇が爆笑必至な不条理劇だったことなどにも象徴されている。


 第41話『冬の怪奇シリーズ 怪談!! 獅子太鼓』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1)や第43話『冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)や第47話『山椒魚の呪い!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)に登場するゲストは、中年化してもう繊細ナイーブさも枯れ果てて開き直ってしまったのか、村ハズれの気難しくて人付き合いの悪い怪しい奇人変人ばかりとなっている(笑)。


 『ウルトラマンタロウ』(73年)第23話『やさしい怪獣お父さん!』では70年代的な頼りないパパ像がはじめて登場する。この頼りないパパ像は脚本家は田口成光ではあるものの『ウルトラマンレオ』(74年)第30話『日本名作民話シリーズ! 怪獣の恩返し 鶴の恩返しより』などにも登場して、『ウルトラマン80』の第34話『ヘンテコリンな魚を釣ったぞ!』や本話などにも至っている……


 1960年代までの戦前の昭和一桁生まれでカミナリ親父・頑固オヤジが父親像の主流だった時代と、1970年代以降の戦中・疎開児童世代である昭和10年代生まれで、敗戦により良く云えば「民主化」、悪く云えば「自信不足」で人格形成してきた日本人男性たちが都心に上京してきて、やはり良く云えば「優しい」、悪く云えば「頼りない」マイホームパパとなった時代。石堂先生にとっての自明の家族像とは、この戦後の核家族のことなのだろう(……石堂先生だけにかぎった話ではないけれど)。



 ゼロ戦のラジコンを探し続けてすっかりクタビれてしまった武夫は、手にした操縦機のレバーを操作してゼロ戦に命令をかけてみる。


 すると、そこに老人が語っていた宇宙の渡り鳥・ゼロ戦怪鳥バレバドンが現れた!


 バレバドンは武夫の命令通り、月面宙返り・きりもみ3回転半・急上昇などの妙技を次々に披露する!


 ウルトラマンエイティこと矢的猛隊員がダブルエックスレントゲン光線でバレバドンを透視したところ、なんとバレバドンは武夫のゼロ戦を飲みこんでおり、操縦機からの信号を受けて武夫の命じるままに動くようになってしまっていたのだった!(笑)


イトウ「そんなバカな!」


 いかに巨大怪獣や宇宙人が登場する『ウルトラマン80』とはいえ、ゼロ戦のラジコンを飲みこんだ巨大怪獣が少年の操縦機どおりに動きだすなんてことはオカシい(笑)。劇中世界の大人たちであればそのように反応することが自然だろう。
 「不自然」な事象に対する「自然」な「リアクション」。いかにフィクション作品とはいえ、このようなワンクッションの「リアクション」で非リアルさを緩和しきれないまでも、少しでもいったんは緩和することはやはり必要ではあるのだろう。


 まぁ、30年後の後出しジャンケンで往年の怪獣図鑑の第一人者・大伴昌司(おおとも・しょうじ)的にコジツケるのならば、このバレバドンの脳内電気信号の周波数とその意味合いが、このゼロ戦のラジコンのコントール電波の周波数や意味合いが完全合致していたからだ! といったところだろう。石堂先生がそこまで先回りして考え通していたとは微塵たりとも思わないものの(笑)。



 そして、この怪獣バレバドンが登場以降、本話はジュブナイル・ファンタジーともなっていく。


イトウ「出た! すぐUGMに報告しろ!」


イトウ「ありゃ、どっかのサーカスから逃げ出したんだな」


 いくら曲芸飛行ができるからって、巨大怪獣を飼っているサーカスなんぞがあるかい!? 芸達者な大門正明(だいもん・まさあき)が演じているイトウチーフをボケ役に徹っしさせているあたりも、『80』における石堂先生担当回の常套手段である(笑)。


 バレバドンはvalley(渓谷)とbird(鳥)からネーミングされたようだ。着ぐるみではなく大・小の飛び人形で製作されており、人間が着ぐるみの中に入ることが前提であるという制約からも解き放たれたデザインとなっている。
 赤く爛々(らんらん)とした目が光る頭部。各種書籍掲載の写真ではわかりにくいが、全身が褐色で塗装されているものの、頭部だけは緑色で塗装されている。このあたりはいかにもウルトラ怪獣らしいのだが、現実の鳥のように手を廃したばかりではなく、足には背中の翼と同様にギザのあるかなり大きめの翼が備わっており(こんなの着ぐるみならば歩行の邪魔だ・笑)、ムチのようにしなる細くて長いシッポを生(は)やしたスタイルは、ウルトラ怪獣というより海外ファンタジー作品に登場するモンスターやドラゴンであるかのような異彩も放っている。


 武夫の指示で着地するバレバドンは、山から俯瞰(ふかん・高所から見下ろし)するイメージで全身が映されている。その手前には武夫と秀夫が小さく合成されており、実に臨場感がある! すっかり有頂天になってしまった武夫は、


「スゴい! こんなことができるのは、世界中でボクひとりだ!」


 と、父・秀夫が制止するのも聞かずにバレバドンの背にまたがってしまう。この場面も手前に実物大のバレバドンの背にまたがる武夫を配し、そこから俯瞰する感じで画面奥に秀夫が小さく撮らえられており、バレバドンの巨大感を表現するのに絶大な効果をあげている。


 バレバドンの背にまたがって武夫は遊覧飛行の旅に出る! もう完全に「ウルトラ」というよりかはファンタジーである。空撮の実景を織り混ぜており、飛行するバレバドンと眼下にそびえるミニチュアの街並みを空から俯瞰するようなアングルも見事である。


 このシーンで流れるBGMが、なんと『ザ★ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430p1)の防衛組織・科学警備隊の戦闘機を描写するテーマとして作られ、『80』でも第14話『テレポーテーション! パリから来た男』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100801p1)以降に多用され、後年の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506p1)第17話『誓いのフォーメーション』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061001p1)では新たにコーラスをダビングして使用された、マニア間では「急降下のテーマ」(正式MナンバーはM27)として知られる戦闘機の高速飛行を彩(いろど)った名曲である! 高揚感にあふれる飛行場面にはピッタリとマッチしているのだ!


 バレバドンは赤い目玉をギョロつかせ、眼下の街並みに卵を生み落としてしまう!


 俯瞰したミニチュアの道路や建物の上で、落下した巨大な卵が割れて、中から黄色い身がグチャリと飛び出す様子がなんとも生々しい。これならばまだビルが破壊された方がマシなような(笑)。


 イトウと矢的の姿を見つけた武夫はあいさつをしようと地上に急降下をかける! 武夫の目線で俯瞰したイトウ・矢的・父に高速で迫っていくカットに続いて、バレバドンが画面手前に迫ったあとで急上昇する特撮カットに、実景の山と3人を合成した場面を配しているのがまた大迫力であった!


 そこに飛んでくる1機のセスナ飛行機。武夫はこれにもあいさつをしようと急接近。バレバドンに比較すると相当に小さなモデルだが、特撮マニア目線では操演でよくもこんなに小さなものを飛ばせたものだと感心するばかりである。たまらず降下していくセスナ。


イトウ「イタズラにしては度が過ぎてる!」
矢的「まったくだ!」


父・秀夫「すいません。ゼロ戦さえなければ、いい子なんです」


 『ウルトラマン80』の初期話数であったならば、せっかく自分の思いのままに操れる怪獣を手にしたのだから、今まで自分を馬鹿にしてきた人間たちに復讐するという展開になっていたであろう(笑)。


 だが、武夫はそうはならずに、大空を飛翔する夢をひたすら追い求めるのである。


 本話はある意味では、石堂が意図したことではなかっただろうが、結果的に故・円谷英二特撮監督が追い続けた「日本ヒコーキ野郎」の「夢の世界」が、やや変型しながらも具現化した映像だったのではなかろうか!?


「♪カ〜ラ〜ス〜、なぜ鳴くの〜、カラスの勝手でしょ〜~」


 調子に乗った武夫が歌いだす(笑)。これは1980~81年当時において、お笑い&歌謡番組の高視聴率大人気番組『8時だョ! 全員集合』(69〜85年・TBS)の1コーナー「少年少女合唱隊」で、ザ・ドリフターズ志村けんhttps://katoku99.hatenablog.com/entry/20200419/p1)が童謡『七つの子』(作詞・野口雨情)の替え歌として歌って、全国の子供たちの間で大流行させたものである(当時の新聞報道によれば、作詞の野口の遺族から番組宛てに抗議文が寄せられたらしいが・汗)。


 しかも、なんとそこに都合よく本当にカラスが飛んできた! こういうところが石堂脚本の漫画的・落語的なところである(笑)。もちろん、バレバドンの前方を飛行するカラスはミニチュアなのだが、セスナ以上に小さな造形なのに、なんと翼をはばたかせて飛んでおり、特撮マニア的な観点からはビックリ仰天!


 腹を空かせたバレバドンはカラスを食おうと口を大きく開ける。しかし、そのはずみで飲みこんでいだラジコンのゼロ戦を地上に落下させてしまった!


 スト〜ンと真っすぐに落ちていくのではなく、ゼロ戦のミニチュアがグルグルと回転しながら落下していくのも芸コマである。しかし、そこに感心している場合ではない!


 ゼロ戦を体外に排出したことでラジコンでのコントロールが効かなくなったバレバドンは、背中にまたがる武夫を鋭い目つきでにらみつけた!(ギョロッと動く赤い目玉のアップがいい!)


 バレバドンが反転や急上昇を繰り返すことで絶体絶命の危機に陥ってしまう武夫。高速で飛行する怪獣ミニチュアのカットの合間に、実物大の背中にまたがる武夫をカメラを反転させて撮らえたカットを挿入しているのがまた臨場感をいや増している!


 矢的は遂にウルトラマンエイティに変身!


 空中での大追跡となるが、バレバドンは武夫を背中から振り落としてしまった!


 武夫を見事にキャッチし、大地に着地するエイティ!


 ラジコンのゼロ戦などというヘンなものを食ってしまったばかりに地球に居心地の悪さを感じたのか、それともそんな小さな些事(さじ)などは微塵たりとも気にもしていなくて単にもう「渡り」のタイミングであったのか(笑)、宇宙の渡り鳥・バレバドンは静かに大空を飛び去っていく……



 本話のエイティは武夫を救うためだけに登場したパターン破りの回でもある。エイティには最初から戦闘の意思は感じられない。バレバドンは第36話『がんばれ! クワガタ越冬隊』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110101/p1)の中で紹介した石堂先生の発言で云うならば、「怪獣としてはダメな奴」「ケンカしない怪獣」となっている(笑)。


 『ウルトラセブン』(67年)第7話『宇宙囚人303』では、ガソリンを主食にする火炎宇宙人キュラソ星人が炎上させた大型合体戦闘機・ウルトラホーク1号のβ(ベータ)号から脱出するだけのために、ウルトラセブンこと主人公モロボシ・ダン隊員はセブンに変身しており、キュラソ星人とのバトルはまったく描かれてはいなかった。多くの子供たちがそうであっただろうが、筆者は小学4年生のときにこの回を再放送で観た際に、おおいに不満を感じたものである(30数年経った今でも不満だが・笑)。巨大化したキュラソ星人に攻撃を加えようとするウルトラ警備隊のキリヤマ隊長をダン隊員が制止する。


キュラソ星人の体はガソリンタンクも同様です。今に自爆します」


 それはたしかにそうなのだが、キュラソ星人は『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)初期に登場した通り魔「星人」のごとく、狩猟ハンター2人・ガソリンスタンドの店員2人・スタンド客の金髪女性・パトロール中の警官3人などを次々にブッ殺しており(東映ヒーロー作品でもなかなかここまではやらない!)、そんな奴はセブンの必殺武器・アイスラッガーでズタズタに切り裂くか、必殺光線・ワイドショットでバラバラに粉砕するべきではないのか!? などとどうしても思ってしまうのであった(笑)。このストーリー展開だと正直、ダンがセブンに変身する必然性はまったくない。しかし、看板であるウルトラセブンを登場させないないわけにはいかないから、やむなく入れただけのことである。


 第2期ウルトラシリーズのTBS側の名プロデューサー・橋本洋二は『帰ってきたウルトラマン』を担当するにあたって、テーマがあってドラマ的にきちんとまとまってさえいれば、変身アイテムも防衛組織のメカも宇宙基地も出す必要はない! と製作側の円谷プロダクションへ主張していたという証言が残っている。
 たしかにそうした意見にも一理はあるのだし、その志も高いとは思うのだ。しかし、その理屈を突きつめてしまえば、「変身ヒーローさえもいらない」ということになってしまうのではなかろうか? 橋本が『セブン』に関わったのは第13話からなので、『セブン』第7話には関わってはいないのだが、同話はある意味ではその典型例となってしまったのである。
 やはりラストで変身ヒーローが登場しても一瞬だけであって怪獣・宇宙人とのバトルをしなかった『ウルトラマンレオ』第13話『大爆発! 捨て身の宇宙人ふたり』なども同様なのだが、不肖の筆者などが再評価を試みようとしている、かつては酷評に見舞われてきた、エンタメ性よりもドラマ性やテーマ性をやや強調したきらいがあった70年代前半に放映された第2期ウルトラシリーズについても、下手をすればそうなってしまう危険性がある「弱点」をはらんでいたことは認めざるをえないのだ。


 つまり、本話も実は幼児が見れば、ウルトラマンと怪獣のバトルがなかったことで、物足りなかった、腑に落ちない、と思わせてしまっている可能性、もっと云ってしまえば、「美点」がそのまま「弱点」にもなってしまっているのだ。ちなみに、筆者は『80』本放映当時はもう中学生だったので(汗)、この時期はいったんウルトラマンシリーズの視聴からは離れていたために、放映当時の純粋な子供としての観点からの証言はできないことは謝っておきたい。


 とはいえ、それはそれとして、1年間のシリーズの終盤に、本話のような変化球のエピソードはあってもよいとは思うのだ。石堂先生の作品としては、『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)の第21話『天女の幻を見た!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061009/p1)・第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)・第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦!』、『ウルトラマンレオ』(74年)第32話『日本名作民話シリーズ! さようならかぐや姫 竹取り物語より』などとも、イコールではないものの、それに通じていくところもあるファンタジー風味の変化球作品としては高く評価をしておきたい。



 しかし、第39話『ボクは怪獣だ~い』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110122/p1)の怪獣少年テツオン、第40話『山からすもう小僧がやって来た』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110129/p1)のすもう怪獣ジヒビキラン、そして今回のバレバドンと、「怪獣としてはダメな奴」「ケンカしない怪獣」を3週も連続させた、戦闘の高揚感にはいささか欠けるエピソードを続発させたシリーズ構成もまた(当時はシリーズ構成のことなど、ほとんど考えていなかっただろうとはいえ・笑)、『80』がますます世間の子供たちから見放されることになってしまった要因ではなかろうか?


 「善悪の割り切りがはっきりある中での痛快な戦いこそ、最もウルトラマンらしい形である」と『80』脚本家の平野靖士(ひらの・やすし)は主張していた(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110122/p1)。その一方で、「世の中に〈絶対悪〉というのが最初からあって、それをやっつければOKという話じゃない」という主張をされている石堂先生(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110101/p1)。
 まさに、「ウルトラマン」というシリーズ作品に対しての「価値観の相違」である。これはどちらかが圧倒的に正しいということではない。双方は矛盾はし合っているものの両方が正しいのである。そして、この両者をバランスよくシリーズの中に配置していくことこそが大事なのではなかろうか?(平野の論を「主」に、石堂先生のポリシーを「従」にすべきではあろうけど)
 よって、本話だって「ウルトラマン」のメインストリームではないものの、サブストリームとしては立派な「ウルトラマン」作品ではあったのだ。そのことは強く主張をしておきたい。


 正直、筆者はこの第41話を面白いと感じたのは今回の再視聴が初めてであった(汗)。それはおそらく、武夫のような年齢の息子がいてもおかしくない年齢に達したことが大きいのだとも思うのだ(前に視聴したのは20代半ばのころであった)。今回はやはり武夫の父・秀夫の方におおいに感情移入をしてしまっていた(笑)。


 しかしながら、この路線を主軸にしてしまったならば、それこそ怪獣を退治せず保護・共存しようとする『ウルトラマンコスモス』(01年)のようになってしまうのではなかろうか? もちろん、『コスモス』だって立派な「ウルトラマン」だという意見もあって当然だろう。だが、筆者には『セブン』第7話を小学生の際に観て失望した感性が、世間一般の小学生男子たちにも通じるものであると思っているのだ。やはりウルトラマンには戦ってほしいのである(笑)。



<こだわりコーナー>


*武夫の母・美絵子を演じたのは、ウルトラシリーズの元祖『ウルトラQ』(66年)のレギュラーであった毎日新報の社会部カメラマン・江戸川由利子(えどがわ・ゆりこ)役や、初代『ウルトラマン』(66年)のレギュラー防衛組織である科学特捜隊・フジアキコ隊員役で、ウルトラファンにはおなじみの桜井浩子(さくらい・ひろこ)である。本話では夫の秀夫に対して愛情がないわけではないだろうが、若かりし頃の愛情はとっくに冷めていて、生活のパートナーとしか見ていない妻であり、いかにも小学生の息子を持っていそうな1980年前後の母親像を見事に演じきっている。しかし、たしか特撮雑誌『宇宙船』Vol.6(朝日ソノラマ・81年4月30日発行)に掲載された『ウルトラマン80』放映終了特集に掲載されていた、円谷プロの満田かずほプロデューサーの話によれば、桜井は母親役を演じることに対してブーブー文句を云っていたそうである(笑)。


*その夫・秀夫を演じたのは、木下恵介野村芳太郎小林正樹ら巨匠の監督作品に数多く出演して、往年の松竹を代表する映画スターだった石濱朗(いしはま・あきら)である。特撮作品ではほかにも、


東映スーパー戦隊シリーズ超新星フラッシュマン』(86年・テレビ朝日)の準レギュラー・時村博士役
東映メタルヒーロー『機動刑事ジバン』(89年・テレビ朝日)の準レギュラー・警視庁秘密調査室統括責任者・柳田誠一役
・同じく『特救指令ソルブレイン』(91年・テレビ朝日)9話ゲストの神崎栄三役
・オリジナルビデオ作品『真・仮面ライダー 序章(プロローグ)』(92年・バンダイビジュアル)で主人公の父・風祭大門役


 を演じたほか、映画『仮面ライダーBLACK(ブラック) 恐怖! 悪魔峠の怪人館』(東映系88年7月9日公開)などにも出演していた。


*斉藤親子が大鳥渓谷で出会う老人を演じていたのは、


・『ゴジラ』(54年)の田辺博士
・『空の大怪獣ラドン』(56年)の南教授
・『地球防衛軍』(57年)の川波博士
・『大怪獣バラン』(58年)の馬島博士
・『宇宙大戦争』(59年)の有明警部
・『電送人間』(60年)の三浦博士
・『ガス人間第一号』(60年)の佐野博士
・『怪獣大戦争』(65年)の医学代表


 など、東宝特撮映画の常連俳優だった村上冬樹である(1911(明治44年)/12/23~2007/4/5)。


 『ウルトラQ』第17話『1/8計画』ではS13地区の区長役で桜井浩子と共演していた。往年の大人気スポ根ドラマ『サインはV』(69年・東宝 TBS)では八代先生役で、本作『80』ではオオヤマキャップ(隊長)を演じた中山仁(なかやま・じん)とも共演していた。
 なお、68年には作家の故・三島由紀夫らと劇団・浪曼(ろまん)劇場を結成している――三島は怪獣映画『ゴジラ』第1作(54年)が公開当時のマスコミに酷評される中、氏は「文明批判の力を持った映画だ」と高く評価していた(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190601/p1)――。ここには一時、中山仁も所属していた。三島が執筆した戯曲の舞台『わが友ヒットラー』(68年)で村上はヒットラー役で主演している。


 特撮ジャンル系の作品では、


・『シルバー仮面』(71年・宣広社 TBS)第1話『ふるさとは地球』の都築(つづき)博士
・『ワイルド7(セブン)』(72年・国際放映 日本テレビ)第4話『狙われたミサイル』の蛭沼博士
・『スパイダーマン』(78年・東映 東京12チャンネル)第1話『復讐の時は来たれり 討て! 鉄十字団』の山城博士


など、やはり博士の役を多く演じていた。


*本話評でも「♪カ〜ラ〜ス〜、なぜ鳴くの〜」で言及した往年の超人気バラエティー番組「『8時だョ! 全員集合』は、1969年から16年間も継続して放送された長寿番組であると世間では思われがちである。しかし、実際には1971年4月〜9月の半年間放送が中断している(同番組の看板を務めていたザ・ドリフターズが所属していた渡辺プロが『全員集合』を終了させて、日本テレビで新番組をやらせたいと主張して、TBSとトラブルになっていたそうだ)。
 その空白期間には、1970年代ならぬ60年代に大人気を誇ったお笑いジャズグループ・クレージーキャッツが出演する『8時だョ! 出発進行』が放送されていた。往年のマニア向け書籍「ファンタスティックコレクションNo.10 空想特撮映像の素晴らしき世界 ウルトラマンPARTII」(78年・朝日ソノラマhttp://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031217/p1)などにも掲載された、71年春のTBS新番組宣伝用ポスター「春もやっぱり! 6チャンネルですね」――『帰ってきたウルトラマン』が『肝っ玉かあさん』(68〜72年の全3シリーズ)主演の故・京塚昌子に手を添えて、ワンフレームで並び立っているツーショットで飾られたもの!――にその番組タイトルが確認できる。
 『全員集合』といえば、「子供に見せたくない番組」であるとして毎年のようにPTAからワースト番組の筆頭にあげられていたものである。しかし、やはり子供が観たがるのはそうした、行き過ぎにはならない範疇ではあるのだが、適度に「毒」がある番組ではないかと思えるのだ。『80』は子供番組としては「健全」に過ぎたからこそ、視聴率が低迷した面もあったのではなかろうか? その意味では平成ライダーシリーズは子供番組としてカンペキに合格点が与えられるのかもしれない。筆者も親だったら自分の子供にはあまり見せたくはないなぁ(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2011年号』(2010年12月30日発行)所収『ウルトラマン80』後半再評価・各話評より分載抜粋)


編集者付記:


 「玩物喪志」。直接に読めば、自室で玩具にくるまれて志(こころざし)を喪(うしな)ってしまうこと。玩具や書籍やビデオなどのオタク向けグッズの洪水に自室を占領されて、自分で意識的・主体的に収集していたハズなのにいつの間にやら惰性に流されて、「玩具の方が“主体”」で実は「人間の方が受動的な“客体”」となってしまうような(笑)、往々にしてオタにはアリガチな自堕落な事態を指す、我々のような人種には耳がイタイ言葉でもある。このような事態を指し示した用語を、すでに紀元前に造語していた古代中国人もやはり叡智に満ちている。
 「玩物喪志」といえば、「玩物」にくるまれなければ生きてはいけない(?)我々オタクやマニアたちのような、一般ピープルとは異なるメンタリティを持った人間たちが、自己のクセや偏りを客観的に認識しつつも、それでも「玩具」は捨てずにそれを所有したままで、何らかの「倫理」と「節度」と「主体性」を持ってみせるような「志」を、「玩物喪志」ならぬ「玩物喪志の志」(笑)、転じて「オタクの志」というアクロバティックな言葉で表現した御仁が、オタク第1世代の評論家・浅羽通明(あさば・みちあき)先生であった。
 そのネジくれた「志」を常に自己点検して自堕落にならずに生きていくための方策のヒントを、オタクの元祖ともいえる昭和初年代生まれで昭和30年代〜昭和末期の昭和60年代(1980年代後半)までご活躍されていた文筆家・澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ)の分析・功罪・先見性を通じて語った、浅羽通明先生による著作・評伝『澁澤龍彦の時代 ―幼年皇帝と昭和の精神史』(93年・青弓社ISBN:4787290835)は、このテのアクロバティックに入り組んだマニア気質(笑)にもご関心があられる方々にはぜひともご一読をお勧めしたい一品。そして、その澁澤龍彦ご本人による「玩物喪志」のことわざをパロった書籍といえば、その名もズバリ、『玩物草紙』(笑)(79年・朝日新聞社ASIN:4122013127ISBN:9784122013124ISBN:4022640197)。いや、そっちの方は読んだことはないけれど(汗)。


2022年・編集者付記:


 特撮ライター・白石雅彦の著書『「ウルトラマンA」の葛藤』(双葉社・22年7月3日発行)によって、『ウルトラマンエース』第38話『復活! ウルトラの父』における孤児院での劇中劇のセリフは石堂脚本にはなく、同話を担当した山際永三(やまぎわ・えいぞう)監督が撮影台本に手書きで加筆したものであったことが判明した。よって、これを安易に石堂の作家性の発露だとしてしまった過ちについてはお詫びをしておきたい。しかし、ややマジメな山際節というよりかはフマジメな石堂節っぽくはある(笑)――


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ウルトラマン80』(80年)#14「テレポーテーション! パリから来た男」 ~急降下のテーマ&イトウチーフ初登場!

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ウルトラマン80』(80年)#25「美しきチャレンジャー」 ~フォーメーション・ヤマト再使用!

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ウルトラマン80』(80年)#41「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」 ~石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族、情けない父・ちゃっかり息子!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110205/p1(当該記事)

ウルトラマン80』(80年)#47「魔のグローブ 落し物にご用心!!」 ~ダイナマイトボール攻撃が強烈!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210224/p1

ウルトラマンメビウス』(06年)#17「誓いのフォーメーション」 ~&『80』#13、25フォーメーション・ヤマト編&BGM

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061001/p1



君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?

ウルトラビッグファイト(7)~ウルトラマン80復活怪獣逆襲! [VHS]ビデオ
「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」が配信中とカコつけて
#ウルトラマン80 #ウルトラマンエイティ
「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」評! CSファミリー劇場で放映記念とカコつけて!
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「君はゼロ戦怪鳥を見たくないかい?」評! 〜石堂脚本が頻繁に描く戦後の核家族
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