假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

ウルトラマン80 12話「美しい転校生」 〜教師編終了

(「美しき転校生」という文語表記は間違い。口語の「美しい〜」が正解です・笑)
『ウルトラマン80』 再評価・全話評! ~序文
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『ウルトラマン80』全話評 ~全記事見出し一覧


第12話『美しい転校生』 〜合評1

マグマ怪獣ゴラ ビブロス星人ミリー登場

(作・広瀬襄 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一 放映日・80年6月18日)
(視聴率:関東14.7% 中部16.9% 関西18.1%)


(文・内山和正)
(1999年執筆)


 ライター陣に女性がひとりもいないせいか、女子の問題をあつかった話はついぞ現れなかった。それだけに教師編最後の今回、メインはレギュラー男子生徒の博士(ニックネームが“ハカセ”・名前が“ひろし”)とはいえ、女子生徒たちが目立った描かれ方をするのは嬉しく、教師編終了のせめてもの餞(はなむけ)となったと思う。
 男女双方描かれてこその教師ものであるべきだ。しかし本作の女子生徒は3話「泣くな初恋怪獣」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100516/p1)のみどりをはじめ男子を苦しませる役割の者ばかりだ。


 博士をニセのラブレターで公園に呼びだし、来るか来ないかの賭けを娯(たの)しむマリやファッションたち数名の女子生徒。
 だが、博士に見慣れぬ少女が声をかけてきて街を案内してくれと言う。翌日、その少女・青山ミリーは博士らのクラスに転校してきた。マリらは娯しみを邪魔されたとミリーを責める。一方、矢的には何者かの魔手が……。


 女子たちのイジワルさがこの時代のドラマとして、らしくて良い。相対する天使のようなハーフの少女ミリーは今見ると大人っぽさのなかに子供っぽさも多分に感じられて結構かわいい。それだけにたとえ日本語がたどたどしかろうと、セリフは本人にやらせてほしかった。大人が吹き替えたあの声は、裏の顔である刺客宇宙人としてのシーンでは似合わないこともないものの、普段の中学生の美少女のシーンではあまりにも違和感がありすぎる。


 同じ脚本家の6話「星から来た少年」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100606/p1)とは対照的に、教師ドラマとヒーローものがうまく両立したうえで融合している。そのどちらかに重きを置く『80』ファンも最低限には認めてくれる作品なのではないだろうか? 恋をして成長する博士を見守る矢的の姿は、わからず屋の6話とはえらい違いで、博士への恋の応援が皮肉にも敵宇宙人のたくらみを守るかたちになってしまうという展開も工夫されている。


 博士を愛してしまったものの、ビブロス星人としての使命からも逃れられなかったミリーは怪獣ゴラの敗北にショックする。


 そのあと彼女がどうなってしまったのかハッキリしないままなのが惜しい。ハッキリさせない終わり方もまずくはないと思うものの、上司が地球征服をあきらめたわけではないだろうだけに未完結感が残るのだ。


 連続もの的な大河ドラマ性が導入された80年代中盤以降の東映作品や、近年の平成ウルトラシリーズ的な製作状況だったら、最終回近くに他のビブロス星人による再侵略がはじまりミリーが矢的や博士の前にあらわれて……という展開になったのかもしれないが。


 ミリーが去り(表向きは外国へ旅立ったということになっている)、博士が泣く姿でドラマは終わる。


 そこにはこのまま教師ドラマがなくなってしまう現実をうかがわせるものは何もはない。しかし、学校への侵略者の影(それによって生徒たちへの危害がおよぶ可能性)という今回の内容は、矢的が教壇を去る理由になりえたかもしれない。



◎マグマ怪獣ゴラは『80』怪獣には珍しく、いやウルトラシリーズの中でも非常に珍しい全身が真っ赤な体色であり、燃え盛る炎とライオンかサルがモチーフのような、軽々と跳躍する身軽で敏捷さが印象的な怪獣だ。


◎『ウルトラマン』(66年)35話「怪獣墓場」(脚本・佐々木守 監督・実相寺昭雄 特技監督・高野宏一)での初代ウルトラマンVS亡霊怪獣シーボーズ戦、『ウルトラセブン』(67年)8話「狙われた街」(脚本・佐々木守 監督・実相寺昭雄 特殊技術・大木淳)でのウルトラセブンVS幻覚宇宙人メトロン星人にならってか、80VSゴアの戦闘ではストップモーションが多用されていて格好いい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2000年号』(99年12月26日発行)『ウルトラマン80』大特集・合評8「ウルトラマン80全話評」より分載抜粋)


第12話『美しい転校生』 〜合評2

(文・黒鮫建武隊)
(1999年執筆)


 転校生が実は侵略者だったが、彼女は地球人の優しさに触れ……という、実にスラスラと先が読めてしまうお話。だが、転校生・青山ミリーの魅力と、怪獣ゴラ対エイティの光線合戦の迫力で、最後まで視聴者を離さない。


 ミリーを演じるは、ジュディ・モーリスというハーフっぽいコ。ミリー自身もハーフと称していたが、日本人とは若干異質な外見や口調が、宇宙人らしさを醸し出していた。又、こうした「ちょっとした異質さ」は、宇宙人云々は別にしても、ドラマに大きく貢献している。
 彼女と懇意(こんい)になる博士の目にも、「どこか神秘的なオンナのコ」として映っているのだろうことが視聴者にも容易に推量できるし、博士とのツーショットでも、チビでメガネの博士とのアンバランスさが逆に爽やかさを感じさせてくれるのだ。



 又、彼女(=ビブロス星人)のアジトに乗り込んできた猛の、ミリーとの対話も興味深い。猛はここでウルトラマン80としてではなく、UGMの矢的隊員としてでもなく、担任の矢的先生として、ミリーに語りかけているということだ(前シーンとのつながりからいえば隊員服姿の筈の猛が、私服でやってくるのが象徴的)。僅かな対話であるが他のウルトラマンにはあり得ない、矢的先生ならではの場面だった。


 ゴラを倒した後のつながりの悪さや各種資料から推測するに、どうも、「敗北を知って自滅を図るミリーを、猛が制止する」というような場面が存在したらしい。それらしいスチール写真もあるので、撮影後に削除されたのだろうか。この場面が残っていたら、矢的先生らしさが更に強く訴えられたかもしれない。残念。



 矢的先生といえば、その前、校長室で博士の母親を説得する場面も興味深い。彼はこの時、家庭内暴力など、放映当時に話題となっていた児童・生徒問題に触れている。


 実は『ウルトラマン80』の企画書にも、こうした世相を意識した一節が見られるのだ。つまり、ここでの猛の台詞は、企画書に対する実作品からの逆アプローチといえる現象である。企画書では「こんな暗いムードの子供たちに必要なのはウルトラマン」と、やや我田引水的に位置づけ、それに応じてウルトラマンを先生にする、と結論づけている。しかし、まさか劇中でこうは言えない(笑)。


 猛はこの世相を分析し、「子供の時代を子供らしく過ごさせるべき」と主張するのだ。


 このエピソードの製作段階で、教師編の終了が決定していたのかどうかは分からない。だが、「ウルトラマン先生」という企画の(対外的な)要因に対して、主人公が台詞で明確に、直接的に持論を展開したことの重みは、無視できない。


 故意か偶然かはともあれ、この時の猛の台詞は、「ウルトラマン先生」という企画・教師編全十一本(11話「恐怖のガスパニック」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100711/p1)を除き)のシメの意味合いを持っているように思うのだ。


最後に


 12話をもって、教師編は正に「突然!」といった感じで何の説明も無く終わってしまう。一体なぜ……。


 後年、撮影上の物理的理由等が証言されたりしたが、それらにしても筆者には「どうしても教師編を打ち切らなければならなかった、絶対的な理由」とまでは、思えない。
 教師編の設定が好評であったならば、多少の無理を押して続行され得たのではないか、という無念さが、今でも残る(視聴率的には、教師編の方が13話「必殺! フォーメーション・ヤマト」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100725/p1)以降のUGM編より高いのだから尚更だ)。



 番組終了後になって、「最後まで教師を続けて欲しかった」等という声もよく聞いたものだが、筆者は少々、複雑な思いを禁じ得ない。


 お前ら全員、放映中から本当にそう思ってたか〜? 番組が始まる前から文句ばかり言ってなかったか〜?!(怒)



 正直に言って、筆者は現存の教師編・全十一本が、非の打ちどころのない傑作だ、とまでは思っていない。『80』中ではむしろ、13話以降に好きなエピソードが多い程だ。大体、十一本しか無いのに、傑作なんぞそうそう生まれる筈が無いではないか。


 ただ、この設定が維持されていれば、現存の教師編各話よりも、更に言えば13〜50話(最終回)よりも、もっと面白く、もっと素晴らしい話が数多く生まれ、『80』全体がより素晴らしい作品として記憶されたのではないか。筆者はそう考えるのだ。そのように期待し得る下地は、12話まででタップリ見せてもらったのだから。


 そして何より筆者は、今でも忘れられない。1話「ウルトラマン先生」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1)で矢的先生と初めて出会った時のことを。「怪獣と戦うのと同じ気持ちで、教師になった」という言葉に感激した、80年の春を。
 生まれた頃から大好きだったウルトラマン。そのウルトラマンが、好きな番組の主役として娯楽を与えてくれただけでなく、生きていく上での一つの指針をも、授けてくれたのだ。当時の筆者は高校生。そろそろ、本格的な人生に突入せんとしていた筆者にとって、あの言葉は、ささやかだが確実な、手掛かりの一つとなった。


 『80』教師編は「非の打ちどころのない傑作」ではないかもしれないが、筆者個人にとってはどうしても、特別な存在なのである。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2000年号』(99年12月26日発行)『ウルトラマン80』大特集・合評1「ウルトラマン80教師編・各話評」より分載抜粋)


第12話『美しい転校生』 〜合評3

(文・T.SATO)
(1999年執筆・2010年加筆)


 #12「美しい転校生」(脚本・広瀬襄 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一)では、ファッションを筆頭に女生徒たち数名(みな美形でかわいこチャンぞろい・笑)が、マジメで童顔チビの坊ちゃん刈り眼鏡クンことハカセ(男生徒)を下駄箱に忍ばせたニセのラブレターでデートに誘い、来るか来ないか賭けに興じたり、あげく転校生女生徒・青山ミリーをナマイキだとオドシにかける!


 この当時の学園ドラマらしいという意見も聞くが、個人的にはそうは思わない。悪さをしている男子生徒たちをたしなめる存在としての良心的な女子生徒たちを描くのではなく、特別にグレているワケでもないフツーの女子生徒たちのこのような悪さ描写が1980年に存在したことにむしろ驚かされる。……リアルタイムの小坊(小学生)時代の鑑賞では、SF感度はともかく人間描写感度は未熟だった模様で、そのへんには気付いておらずスルーしていたが(汗)。


(当時の社会の表層的には、男性にとっての(美醜などの)評価対象・客体にすぎなかった女のコたち。その女のコたちの欲望・ホンネが良くも悪くも解放されて、お姉言葉からギャル言葉に移行してイキがったりワルぶったりしてみせたり、今までとは逆に公然と女のコの側が主体的に男のコの側の美醜や甲斐性を声高に「ダサ〜(イ)」「キモ〜(イ)」「ゲロゲロ~」と値踏みしはじめて逆襲、それに(主にイケてない)男性の側が怯えるようになるのは80年代後半以降のことである)


 製作者の節度と、話のテーマがそこにないことから、強者女子による弱者男子イジメが深刻な状況になる前に、場面は気持ちよく回避・転換していくが。


 第2期『ウルトラ』作品群(『帰ってきたウルトラマン』(71年)〜『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1))の子供描写がかなりダークな面まで描き出していたのに対し、ここではさらにひとひねり入れる形で(?)、ダークさを包含した上で、テイストは第1期『ウルトラ』的なアマさのある子供描写に再度立ち寄っている。ここにはすぐれてヘーゲル弁証法的発展(正→反→合)な作劇意図が見て取れる(笑)。というような結果論的理論武装はともかく。


 凡百の社会派テーマ作品ならば、子供は性善にして、ワルさをするのは抑圧的な社会や環境などに起因するとドグマ(教条主義)的に来がちだろう。しかし『80』では、子供は天然自然でもイタズラもすればワルさもするのだという哲理を製作陣は気張らずに、あるいは本能的・直観的に描くのだ。そこに筆者などは『80』を再視聴する度、自身の生理と感性と価値観の内奥にフィットするものを、理性の次元で知的にも感嘆させられてしまうのだ。



 ちなみに筆者は個人的には、ミリーの結末がボカされたことに不全感をいだかなかったクチである。


 だが、2010年6月に発売された『ウルトラマン80 DVD30周年メモリアルBOX I 熱血!矢的先生編 (初回限定生産) 』(ASIN:B003E3X5OI)の解説書「COLLECTOR’S BOOK」の35ページ目、特撮ライターやファミリー劇場『ウルトラ情報局』の構成・演出でも活躍されている秋廣泰生(あきひろ・やすお)氏の筆による「『ウルトラマン80』メイキングシーン」の「Column3 第12話未公開シーン」によると、脚本ではそれは、


「任務の失敗を悟ったミリーが爆発と共に果てようとするも間一髪、猛がミリーを救い、猛がミリーに対して生きていくことを説くシーンであった」


 ……そうであり、そのカットされたシーンの小さなスチール写真も2枚公開されていたことから、ミリーの結末自体は撮影もされていたことがわかる。



 ちなみに、本話と#6「星から来た少年」の脚本を担当し、#15「悪魔博士の実験室」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100808/p1)と#16「謎の宇宙物体スノーアート」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100815/p1)の監督も担当した広瀬襄(ひろせ・じょう)は、松竹ヌーベルバーグ(ニューウェーブの意味のフランス語。1960年代の映画青年の間で流行した社会派映画)の旗手のひとり・吉田喜重(よしだ・よしひで)監督の助監督を務めたあと、松竹製作の学園ドラマで森田健作主演の大人気TV番組『俺は男だ!』(71年)や同じく森田主演の学園ドラマ『青春をつっ走れ』(72年)のメイン監督も務めていた御仁。80年代前半の第2次『必殺』大ブーム時代で30%近い視聴率を獲得していた松竹系のTV時代劇『必殺』シリーズ第19作『必殺仕事人Ⅲ(スリー)』(82年)〜第23作『必殺仕事人Ⅴ(ファイブ)』(85年)にもローテーション参加して、『必殺』映画第2弾『必殺! ブラウン館(やかた)の怪物たち』(85年)の監督も務めている。今にして思えばそのやさしい作風が、後期『必殺』とそのメインライター・吉田剛(よしだ・たけし)の作風にマッチしていたとも思う。個人的には氏が演出した『仕事人Ⅴ』#1を高く評価している。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2000年号』(99年12月26日発行)『ウルトラマン80』大特集・合評6「80総論」より#12関係の記述を抜粋して加筆)


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  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070218/p1