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★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

SSSS.GRIDMAN 〜リアルというよりナチュラル! 脚本より演出主導の作品!

(2018年12月8日(土)UP)
『SSSS.GRIDMAN』総括 ~稚気ある玩具販促番組的なシリーズ構成! 高次な青春群像・ぼっちアニメでもある大傑作!
2018秋アニメ『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』#1〜10(第一章〜第三章) 〜戦争モノの本質とは!? 愛をも相対視する40年後のリメイク!
2018秋アニメ『GODZILLA 星を喰う者』 〜「終焉の必然」と「生への執着」を高次元を媒介に是々非々で天秤にかける!
2018秋アニメ『機動戦士ガンダムNT』 〜時が見え、死者と交流、隕石落下を防ぎ、保守的家族像を賞揚の果てに消失したニュータイプ論を改めて辻褄合わせ!
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[アニメ] 〜全記事見出し一覧


『SSSS.GRIDMAN』 〜リアルというよりナチュラル! 脚本より演出主導の作品!

(文・T.SATO)
(2018年11月25日脱稿)

「リアル」というより「ナチュラル」な『SSSS.GRIDMAN』


 イイ意味で云うけれど、個人的にはとてもよく出来ている学生制作による自主映画を観ているような感じだ。


 「ストーリー」や「ドラマ」や「セリフ」などの「話運び」の方で魅せるというよりも、それ以上に「映像」そのものの方で魅せている。そして、「映像」がもたらす「雰囲気」「情緒」の方で、その作品世界の独特の「空気感」も作っている。
 加えて、映像のカット割りのタイミングがもたらす「間」とか「テンポ」や「リズム」のようなモノで、視聴者を乗せていき、それが「流れ」や「時間感覚」のようなモノも作って、それ自体がまた次のシーンへの「引き」「興味関心の惹起」ともなっていくようなノリである。


 ギラギラとした気怠い真夏の青い空。そこにミンミンとカブるセミの鳴き声。夏休みなのか放課後なのか人影もまばらな、日なたと日かげの陰影も濃ゆい教室の中を、画面の下半分が埋まるくらいに、おそらく最後尾の座席の机の表面をナメて撮っているかのような映像――そこに「円谷プロダクション」のロゴマークも入って――。
 質の悪いザラザラしたコンクリで舗装されている校舎か体育館のウラ。そこに乱雑に並んでいるスニーカー。校舎の屋上から見下ろしているから小さく見えるとおぼしき校門。校門と校舎の間を部活動の準備のためか荷物を運ぶジャージや体操服を着用した生徒らの点々とした姿。
 さらに、それらの主観映像の主とおぼしき、校舎の屋上の手スリに両腕でもたれている、薄紫色のサラサラ髪のショートカットの美少女のアンニュイ(倦怠)な表情のアップ。
 次いで、超ロング(引き)映像になって小さく全身が写る彼女の後ろ姿に、閑散・荒涼とした屋上の床面がやはり画面下半分を占めるように写り、そこにメインタイトル「SSSS.GRIDMAN」の文字がタイトルロゴとは異なる細いゴシックな書体でそっと入ってくる……。


 「リアル」というよりも「ナチュラル」。巻頭以降も、コレ見よがしのリアリズムというより、自然さを心掛けたような描写&演出が施されていく。
 いや、自然さといっても、そこで起きている事象は「プチ・異変」の数々ではあり、いかにもこのテのジュブナイル作品のプレーンで少々オボコくてチョロい感じもする、性格良さげな赤髪の少年がふと目覚めるや、そこは特にオシャレでもない小さな古い喫茶店、兼自宅も兼ねるリビングだかのソファーの上だ。
 サバサバした感じの黒髪セミロングの同級生女子に「30分も寝入っていた」と云われ、その寝ぼけ眼(まなこ)に「顔を洗え」とも云われて洗面所で洗顔していると、自身に記憶がないことに気づく。
 同級生女子の特に心配している風でもない母君に「頭打ってるかもしれないから、病院に連れてってあげたら(大意)」と云われて、夕焼けの戸外に出たら、あたりは一面の重たい霧に低く覆われ、空には下から見上げたらそー見えるであろう、頭〜首〜胸部の一連がアーチ型に屈曲した、背中にはトゲトゲが生えている二足歩行の巨大怪獣の姿が巨大な雲海ともつかず遠方に身じろぎもせずに屹立している。
 しかも、赤髪の少年だけはそれに驚愕するけど、黒髪の少女はそれに少しも気付かない。


 古クサい言葉で云うなら、若造たちには「終わりなき日常」に思えるやもしれない単調な光景を――実際には有限のモラトリアム期間にすぎないけれども――、気怠くて退屈な「真夏」に象徴させている。
 しかして現実・リアル世界での充実感ではなく、現実の中での「非・現実感」(≒プチ異変)、ワタシがワタシでない感じ、ひいてはワタシが十全ではない感、我が人生ドラマにおける主人公ではなく、自身が他人や世界の命運ドラマの中における脇役・モブキャラでしかないような、ヤル瀬なさや寄る辺のない感じも本作序盤は醸し出している。
 それは現実生活ではなく、趣味の世界や非日常的な虚構作品に一時的に耽溺・没入することで擬似的な充足感を得たり、外の世界を知って外部への細長い道スジの光明が開かれたような錯覚もし、束の間の慰謝を得ていたころにも通じる、我々のような人種がかつて抱えていたあの感慨である(笑)。


 対するに、翌日の学校生活における登校〜授業前〜昼食〜昼休みの喧噪風景には「非・現実感」はあまりナイ。ナチュラルな現実そのものだ。ベタベタとバック・ハグで密着しながら雑談している女生徒たち。教室内で少々の危険を承知でバレーのボールを弄んでいるのが、男子ならぬ女子の3名というあたりも今どきのリアルだが。お弁当を持参しなかった赤髪の主人公少年は隣の席に座る、冒頭の校舎の屋上では気怠げでも教室ではニコニコ笑顔をふりまく美少女にラップにピッチリ包まれた学食のアメリカンドッグ風の新品パンを恵んでもらうも、そのパンに女生徒たちのバレーボールが直撃し!
 日常の風物に闖入する一瞬の亀裂。皆が一瞬固まってしまった光景に、そこに入ってくる音質の悪い校内放送も含めて、「しまった」「マズい」「ヤバい」感をブーストさせていく。
 実のところ、本作はそんな「あるある」的な「日常」「現実」の描写と、少々の「非・現実的」的なシーンの羅列だけで、基本は組成されている。


ナチュラル」ではなく「ケレン味」たっぷりなグリッドマンvs巨大怪獣!


 そして、本作の各話の毎回の後半は、お約束としてそんな「日常」の町々に突如として地震のような振動が襲ってきて、巨大怪獣が出現!


 それに対抗するため、なぜか同級生の黒髪セミロング女子の喫茶店に売り物(爆)として置いてあった、1980年代チックな年代モノのパソコンの画面から呼びかけてきた超人・グリッドマンと赤髪の少年主人公とが合体して、TVアニメ『超電動ロボ 鉄人28号FX』(92年)が出現!(笑)
――ロリの反対語であるショタ・コン(正太郎コンプレックス)の語源ともなった少年探偵・金田正太郎の成れの果てがクタびれた親父となって、親子で新旧の鉄人28号2体を操縦する作品――
 もとい、その玩具金型を微改修して流用したのでカラーリングはともかくデザインは酷似していた、電脳世界で戦うTV特撮『電光超人グリッドマン』(93年)のそのまた四半世紀後のリメイクヒーローが意表外にも巨大ヒーローとなって出現!(入り組んだ出自だナ・汗)


 下から見上げたアングルで、電柱や電線越しに透かし見える怪獣やヒーローの巨大感をアピール。人間目線で前方だけ見ても、街角や路地の先の車両の数々や自転車越しに巨大怪獣やヒーローの足下のアップだけを見せることで、異形の存在たちの巨大感をアピールするような映像を、アングルも含めて実にスタイリッシュにセンスよく精妙に描いている。
 そこにナゼか、それまでの静的な演出とは実に対照的な、子供番組チックで勇ましいけれども爽やかでもある主題感が鳴り響くことで、スペクタクルでヒロイックなカッコよさ&戦闘の高揚感もいや増している。


 しかして、怪獣やヒーローの描写も、第1世代の特撮オタクたちが賞揚してきたような、1960年代以前のオールド特撮映画的なリアルさや重厚さや鈍重さだけが強調されているワケでもない。


 それが証拠に、#1の巨大怪獣こそ口から迫力ある火球や細長い火線を吐くので古典的な生物怪獣ではある。
 しかし、#2の白くて無機質な巨大怪獣は腹部からレーザーを発していて、『マジンガーZ』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)の機械獣にはじまる巨大ロボアニメの敵メカや『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)の敵怪獣「超獣」シリーズの類いのメカ獣やサイボーグ怪獣の発想である。
 #3で登場した銀髪の小学生男子が変身した巨大怪獣がレギュラーでライバルのポジションに定着するあたりも、80〜90年代以降に常態化してきた特撮ジャンルの追加文法でもある。


 グリッドマンも電脳世界から現実世界にリアライズするときには、空中から出現して宙返りしながらその身をヒネりつつ降下して、巨大怪獣の首元に迫力のキックをかます


 コレは1970年代前半の『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)初作を端緒とする等身大の変身ヒーローの社会的大ブームに影響されて、70年代以降の特撮巨大ヒーローもその登場シーンでは宙高くジャンプして空中で前転したり、ヒネり回転も入れてそのまま降下してキックをキメたり側転やバック転の連発も披露することで、巨大感&軽快感を両立させんと試みていたことの踏襲でもある。
――ウルトラシリーズでいうなら、『帰ってきたウルトラマン』(71年)中盤〜『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)。当時のマニア論壇の主流による第2期ウルトラ批判やそれに付随して第2期ウルトラのアクション演出も否定された影響もあってか、『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)以降はコレが廃されたのだが、特撮評論同人界ではすでに80年代末期には始まっていた第2期ウルトラ再評価の論調の影響下にあった筆者としては、それは実に浅知恵な行為に思えて残念なことではあったけど――


 ロートルな筆者個人の幼少時の記憶のヒダヒダを丹念に甦らせてみるに、昭和の仮面ライダーや第2期ウルトラマンたちのトランポリン・ジャンプや実景の青空を背景とした空中回転にワケもわからず高揚して夢にまで見たり、齢3歳にして自身も押し入れの下に布団を重ねて敷いてデングリ返ししながら落下してコレを再現したモノである(爆)。
 いま批評的な言葉でそれをレッテルするなら、それは身体を自由自在に動かすことで状況もリードできるような「身体性の快楽・拡張感・万能感」のことであったとわかる。


 我々も近代的・合理的な「人間」である以前に、非合理的な「動物」でもある以上は、個々人で濃淡はあれども老若男女でこのような「狩猟本能」・「アクションの快楽」とでも称すべき情動は良くも悪くも無くならないであろうから、そんなプリミティブ(原始的)な本能にも基づくアクション映画や娯楽活劇作品が滅びることもナイであろう――ゆえに怪獣との共生などもっての他!?――。


 その伝でも、グリッドマンウルトラマンが空中でその身をヒネって急降下の勢いで怪獣にキックをかますアクション演出にも大いに賛同するけれど(笑)。作り手たちの意図はともかく、それは結果的には特撮ジャンルにおける1960年代以前の古典古代の理念に立ち返っただけのモノでもナイ、1970年代以降の要素もブレンドされたものであったことは指摘しておきたい。


 そして、一進一退の攻防のあとに、必殺ワザで巨大怪獣にトドメを刺すグリッドマン! 爆発四散する巨大怪獣!!


「現実的な世界」での「非現実感」=オタク人種の「不全感」「不能感」


 ……ココでそのまま平穏なる日常生活の世界に戻ってしまったならば、純然たる子供向け作品としてはその方がOKでも、幼い子供たちが観るワケもない(笑)深夜アニメ作品としては少々物足りなくはなる。
 ゆえに、巨大ヒーローvs巨大怪獣というスペクタクルなバトルを本作最大の見せ場としつつも、それ以外の要素でも話数をまたいで次回へのヒキとするようなナゾを本作では散りばめる。


 少年が記憶喪失になっている理由に意味はあるのか? 記憶を失う前の彼には何かがあったのか?
 #1で巨大怪獣の火球が直撃して、校舎が崩壊! バレーボールを弄んでいた少女も閃光の中で蒸発・落命したハズであったが、翌日には校舎はかつてのように存在し、巨大怪獣出現の報も世間的には存在しなかったどころか、人々からもその記憶自体が消失していた。それはナゼなのか?


 それでは落命した同級生たちも蘇ったのかと思いきや……。
 最初から存在しなかった、または数年も前に別の事件で死んだことになっていて(!)、落命した同級生たちのことは「グリッドマン同盟(笑)」となった赤髪主人公と眼鏡男子クンに先のセミロングの女子高生しか覚えていないという摩訶不思議感。


 この状況下で彼らはどのようにサバイバルしつつ、この世界のナゾの根源に迫っていけるのか!? という、なかなかに思春期の少年少女たち――の中でも不全感(≒非現実感)に苛まれた中2病のケがある人種たち――を、あるいは彼らの成れの果てでもある我々大きなお友だちをもワクワクさせて、各話単位ではなく作品世界全体への話数もまたいだ持続的な興味・関心を惹起させる作りにも、本作はたしかになっている。


『GRIDMAN』におけるアニメ的美少女の描き方の特異性!?


 もちろんフィクション・虚構作品である以上、いかにリアリズムやナチュラリズム(自然主義)を狙っても、ドコまで行ってもウソ八百ではある。


 以下のことは、それぞれのジャンルの主眼とするところの違いなので、批判・否定ではナイことを重々強調しておく。
 あまたの美少女アニメに登場する美少女たちが、弱者男子にとっての都合がイイ、客体としての女子像であるのに比すると、本作における女子キャラ描写は、弱者男子から見た懐柔可能そうな記号的で様式美的な作った可愛さやツンデレやキャッキャウフフではない。女子側も男子を選り好みする主体性は持っていて、頼りない男子であれば下に見て値踏みしてきそうなイヤ〜ンなナマっぽさがある。
 それなりに魅惑的ではあるけれど、白いカーデガンのポッケに両手を終始突っ込んでいる、プチちょいワル的な方向にも振れている黒髪セミロング女子なんて、オタ向け萌えアニメであったらビミョーにアウト寄りではなかろうか?


 さらに、筆者のようなウス汚れた人間は、#1においてもこの少年&少女との関係は? 黒髪少女宅で寝入っていたということは、赤髪少年&黒髪少女は親しくて気安いイイ関係なのか? それとも、少年はこの少女に恋の告白でもして、その際の過度な緊張や返答いかんで、ショックのあまりに昏倒でもしていたのか? なぞと邪推もしてしまったけれども……。


 しかし、記憶喪失になった赤髪少年もその旨を質問したら、


「同級生だけど、今日はじめて喋ったくらいの仲だよ(大意)」
「記憶喪失のフリだったら最悪だかんね」


などとのたまわれてしまい、翌日も教室でこの少年が少女に挨拶したり多少話しかけたりでもしてみたら、廊下で少女に少々メーワクげに


「距離感の遠近・間合いに気を付けて(大意)」


なぞと、少々拒絶ぎみにあしらわれてしまう始末(爆)。


――まぁ記憶喪失になる直前に、このふたりには何かがあって、それがこの世界の成り立ちの根源とも関わっている、今では滅びた懐かしの「セカイ系」な世界観である方がドラマチックではあるので、伏線である可能性も高いけど。……原典の世界とも通じているのであれば、劇中の「現実世界」自体も中二病の誰かが作ったハコ庭のよく出来た「電脳世界」である可能性も高いとも思われて(汗)――



 そして、今どきの……というか、21世紀以降の若者たちの、ネット上の巨大掲示板2ちゃんねる」での00年代初頭出自の用語や言い回しの、もう出典がドコにあったのかも、より若い世代たちは気にすることもなく、すっかり日常会話の日本語としても定着してしまった、意思疎通のためというより戯れや時間つぶしに群れるためのツッコミやハシゴ外し的な言葉遊びの数々。


 加えて、


「早(はや)」
「遅(おそ)」
「(むかしのパソコンって)怖(こわ)」
「(なに、この男子2名とのグリッドマン同盟って)気持ちワルッ」
「(知らないコの名を連呼してて)ヤバいんですけど〜〜〜」


などの、良くも悪くもバブル期以降、女子たちのホンネや欲望も解放された果ての、あんまり優しくなくて相手をプチ侮辱する域にも達している女子らの言動の数々も(笑)。
――個人的には「ホンネ」や「自由」の過ぎたる賞揚は、人類が数千年をかけて構築してきた人間社会・人間関係面における礼節やデリカシー、たとえウソであっても人間同士は対等・平等だというフリをして互いに尊重するふるまい方の流儀をプチ毀損する行為だとも思うけど。脱線に過ぎるので本稿では端折りますが(汗)――


 それらを、アニメではアリガチなオンマイク――指向性の高い、マイクを向けた方向の音だけをひろうマイク――によるクッキリとした音声ではなく、オフマイク――指向性の低い、周囲の音も広くひろい、音源も遠くに聴こえるマイク――的な抑えた録音(または加工音声)とすることで、音声演出面でもナチュラルさ・ドキュメンタリーっぽさ・よく出来た学生の自主映画っぽさ、といった本作独特の個性を補強もできている。


「脚本」主導ではなく、「映像」&「演出」主導の『GRIDMAN』!


 てなワケで、ストーリーやドラマやセリフなどの脚本主導ではなく、本作は映像や演出主導の作品ではあり、おそらくはその主導権は本作のカントクである雨宮哲(あめみや・あきら)の方にあって、脚本家の立場は失礼を承知で云えば、カントクの口述筆記のようなポジションで、絵コンテやアフレコの段階でもそーとーに改変されているのではなかろうか?(むろん憶測ですヨ・汗)
 本作は今時のジャンル作品としては非常に珍しく、通常はメイン脚本家が務める「シリーズ構成」という役職がないのも、その証左だと見る。おそらく、全話を通じたストーリー構成自体は雨宮自身が考案しており、それに沿ったかたちで脚本家はリライトや肉付けに整理の役回りを務めていると邪推する。


――まぁ、往年の『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)シリーズで有名な富野カントク作品も、脚本陣は詳細な「富野メモ」をリライトする立場であったし、『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)&『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070106/p1)を担当した元・東映の高寺プロデューサー作品も後年に脚本家が語ったところでは高寺Pの口述筆記の立場であったとのたまっているくらいだから、そのような制作体制も特にアニメの場合には実は多々あるのではないのかと――


 本作の脚本家は、20数年前の平成ウルトラの一発目『ウルトラマンティガ』(96年)では本編美術チーフを務め、自身の脚本をプロデューサーに売り込むことで同作で脚本家デビューも果たし、早くも次作『ウルトラマンダイナ』(97年)ではメインライターを務めた長谷川圭一
 正直、失礼ながら氏の作風の幅は少々狭いようにも感じていたけど、三条陸(さんじょう・りく https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)がメインライターを務めた『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100809/p1)や『仮面ライダーフォーゼ』(11年)でサブライターを務めたことで、かつては否定していたとおぼしき「非リアル」や「ギャグ」に「コミカル」をも許容するようになって、その芸風も一皮ムケたようにも感じてはいる。しかし、本作『SSSS.グリッドマン』に対しては個人的には長谷川らしさ・長谷川の作家性のようなモノを感じない。


みんなのアイドル・新条アカネちゃんを中二病でも解析したい!(笑)


 さて、本作の真の主人公(爆)であり、劇中でも教室のマドンナらしくて、オタク視聴者のみなさんもゾッコン(笑)の、本作冒頭でも真っ先に登場していた薄紫色のサラサラ髪のショートカットの美少女・新条アカネちゃん!
 #1ではニコニコ笑顔で愛想のいい、同性ウケも悪くなく、女生徒たちとも休み時間によろしく談笑もできる、フツーにコミュ力もある少女に見えたけど……。


 実は原典たる『電光超人グリッドマン』における悪役、黒縁メガネのオタク中学生・武史(タケシ)くんのポジション!
 原典同様に悪のドラえもん(笑)の超常パワーを借りて、彫刻ナイフならぬすぐに刃が折れそうなカッターナイフ1本(!)だけで、汚部屋と化した自室で彫琢していた、人形サイズの「ぼくのかんがえたさいきょうのかいじゅう」を現実世界に巨大怪獣としてリアライズさせていたことが#2にて判明する。


 彼女が不快に思った人間を、怪獣災害で抹殺できたことを知るや自室で、


「よしっ! よしっ! 死んだーっ! きゃははははっ!!」


 などと叫び狂ってもいる(爆)。


 廊下でぶつかった高校の担任教師が謝罪しないで去っていった些事にも、周囲でヒトが見ていないと知るや、無言のまま狂気の域にまで達した正義(?)の怒りを燃やしていることを示す、巨大ロボアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)でも観たことがあるような、画面の中央が膨らみその逆に画面の周囲は後退して広角が狭い範囲に縮まって見える、玄関扉の覗き窓に多用される魚眼レンズがごとき映像で、瞬間湯沸かし器的に沸騰した怒気をハラんだ表情を伴なって、彼女の顔のアップが写されるあたり、映像演出も含めて実にキョーレツでもある。
――『エヴァ』および本作の魚眼レンズ映像の元ネタは、ロートルオタならご存じ、第2期ウルトラシリーズの映像派の鬼才・真船禎(まふね・ただし)カントクが多用した魚眼レンズ演出へのオマージュでもあるだろう――


 教室では同性や異性にアレだけ猫をカブれるだけのコミュ力もあって、ルックスにも恵まれているので侮られることもなく、チョロい男子であれば自身の可愛い仕草で操縦もできるであろうことを知っている彼女が、アレだけ心根を強者のゴーマンの方向性ではなく、その逆の弱者のルサンチマン(怨恨)の方向性でコジらせていることは、リアルに考えれば不自然ではあるけれど。


 かといって新条アカネのポジションに、ルックスには恵まれていない『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(11年・13年に深夜アニメ化・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190606/p1)の主人公女子高生・黒木智子ことモコッチや、『惡の華』(09年・13年に深夜アニメ化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20151102/p1)のデブでブスの悪女中学生のようなキャラを代入してしまったならば、今度はこの作品自体が重たくなりすぎて、救いや遊びの余地もなくなってくるのも事実だろう。
 原典の武史クンみたいな戯画化されたオタ男子を登場させても、それはそれで作品にイロケや華が欠けてくるし、ネット民たちもオタク男子への差別にも通じるゥ! と怒り狂って黙っちゃいなかろうし、そしてその見解も半分は正しいし。
 てなワケで、昭和のウルトラ怪獣にもくわしい、今の可愛いルックスの新条アカネちゃんで良かったと筆者も思います(笑)。


 まぁアカネちゃんによる「(特撮作品の)本当の主役は(ヒーローではなく)怪獣」という発言は、往年の第1世代特撮オタクたちによる発言に起源を持つもので、本心からそー思っているのならば別にそれでもイイけれども、単に「通」を気取って


「『怪獣』とはより『マイナー』で『弱者』で『被害者』で『まつろわぬ民』や『反体制』『反権力』や『不良性感度』の象徴で…… それらの知られざるレアな価値を発見できるオレさまのセンスって最高!」


といった他のマニアとの差別化・優位化や自己アピール・虚栄心、現実世界では報われなることのない自分自身の代償行為として、趣味の世界ではせめてものカースト向上(笑)を図ろうという潜在意識に基づいた発言であるのならば……。
 ムラムラと筆者も闘争心を刺激されてきて、「ウソつくな! マウンティング合戦するな! そりゃ怪獣・怪人・悪役も魅力的ではあるけれども、平均的な幼児や庶民大衆の大多数は、比較考量すれば怪獣よりもヒーローの方が好きに決まってるだろ!!」と猛烈に論破をしたくなってきたりして(笑)――我ながら非実在の特オタ女子高生ごときを相手にオトナげない(汗)――。


追伸


 赤髪少年主人公の「ユウタ」と黒髪セミロング少女の「六花」(リッカ)。
 原典の往時の幻の続編企画に由来するネーミングだそうだが(?)、奇しくも大ヒット深夜アニメ『中二病でも恋がしたい!』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190904/p1)の主人公&ヒロインの名前と同じでもある――前者の漢字表記は違うけど――。
 同作で小動物的な眼帯少女の「六花」を演じた「まれいたそ」ことアイドル声優内田真礼(うちだ・まあや)――特オタ的には顔出しでレギュラー出演した深夜特撮『非公認戦隊アキバレンジャー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200223/p1)の幸ウスそうな白衣の戦隊後見人、兼カフェ店長・葉加瀬博世(はかせ・ひろよ)――が本作のエンディング主題歌を熱唱しているのも、電脳世界を通じた因縁、悪のドラえもんによる因果律のハッキング改変に違いない!?(笑)


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2018年晩秋号』(18年11月25日発行)〜『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『SSSS.GRIDMAN』合評1より抜粋)


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  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181123/p1

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