假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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惡の華・ローゼンメイデン・琴浦さん・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 〜2013年4大ぼっちアニメ評

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! ~連載8年目にして人気再燃の理由を探る!
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!・琴浦さん 〜2013年3大ぼっちアニメ評
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[アニメ] 〜全記事見出し一覧


惡の華ローゼンメイデン琴浦さん私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 〜2013年4大ぼっちアニメ評!

(文・久保達也)

惡の華(あくのはな)

(13年春期 TOKYO MXほか)
(13年12月21日脱稿)


 読書が好きで、フランスの詩人・ボードレールの詩集『悪の華』(1857年)に心酔する、主人公の冴えない中学2年生・春日高男(かすが・たかお)。
 彼は1年前から片想いしていた同級生・佐伯奈々子(さえき・ななこ)の体操着とブルマーを、ひょんなことから偶発的に盗んでしまうこととなる。


 担任や体育教師にまで平然と暴言を吐くほど、日頃から言動や態度が粗暴であり、


「何考えてるかわかんねえ」
――筆者もこれまでこの言葉を散々浴びせられたものだ(汗)。他人の考えてることなんぞ、わかんねえのが普通だろ。『琴浦さん』(13年)の主人公・琴浦晴香じゃないんだから・笑)――


と、クラスで散々嫌われていた眼鏡デブの女子生徒・仲村佐和(なかむら・さわ)。
 彼女にその一部始終を実は目撃されていた高男は、佐和からそれをばらさない代わりに、「大事なものを全て失う」契約をするよう迫られる。



 「出会いを大切に」なんてよく言われるものだが、世の中には「出会わない方がよかった」と悔やむほどの、「マイナス」の出会いだって、確実に存在するのである。
 筆者にとっては、むしろそちらの方が、これまで圧倒的に多かったと思えるくらいである。


 では、高男と佐和の出会いは、果たして「マイナス」だったのであろうか?


「なぜ、全ての鉄がさびているんだ……」


 第2話において、自身が住む街の情景を見渡し、高男はこうつぶやいている。


 原作者・押見修造の故郷である、群馬県桐生市(きりゅうし)を忠実にトレースした、あまりにリアルな背景には目を見張るばかりだが、荒涼としたSONYの工場から「10日で5キロ! ムリなくやせる」の看板――筆者の地元にもこの看板は設置されていた!・笑――や閑散としたシャッター商店街に至るまで、高男にとっては、生まれ育ったこの街の何もかもが、すっかりさびついてしまっているようにしか見えなかったのである。


「この街には何もない。さびた鉄とパチンコ屋と雑草しかない」


 ひたすら「ブルーカラー」に染まるこの街に、「文学少年」である高男が居心地の悪さを感じるのは必然である。同じような街で生まれ育った筆者もまた、いい歳になってもいまだに故郷に対して嫌悪感を抱くくらいなのであるから。



 一方の佐和は、一見穏和で人当たりの良さそうな父と、とても優しそうな祖母とともに、生活レベルでは中流よりも下位と思われる家庭で暮らしている。


 劇中では佐和が5歳のころに両親が離婚したと語られるのみであり、中学に至るまで、佐和がどのような経歴をたどってきたかについては描かれてはいない。


「難しいよなぁ。女の子ってえのは」


 第11話で佐和の父は高男に佐和のことをこう嘆いている。
 しかし、当の佐和の心境はもっと深刻な事態にあり、ゲロみたいな話で喜び、クソみたいに群れている「クソ虫」であふれるこの街を、心底憎んでいた。


「これ以上、ドブゲロの街にいる理由なんかある?」


 山に囲まれたこの街の「向こう側」に行きたいと、ずっと願っていた佐和であった。
 けれど、佐和との「契約」によって次第にクラスや地元から居場所を失い、真剣に「遠くへ行きたい」と考えるようになる以前から、高男だって実はそうだったはずなのである。


「この街に、ボードレールを理解できる人間が何人いる?」


 当初の高男は決して(ひとり)ボッチではなく、
「これってすごくねぇ? ヤバくねぇ?」(笑)
なんて調子で高男をイジり回す山田や、高男が奈々子を好きなのを察知し、それをからかう小島ら、わずかながらもつるんでいる友人も数人存在した。


 しかしながら、高男は時折山田のことを「凡人」――佐和が言うところの「クソ虫」――とさげすむなど、内心では連中を含むクラスメイトを
「くだらない奴ら」
「どいつもこいつもだらしない」
などと思っていたのであり、うまく調子を合わせていたにすぎなかったのである。


 だからこそその反動として、奈々子に対する想いが、「彼女は他の奴らとは違う」などと思い込み、「マリア」(聖母・女神様)として崇めるほどの、「崇高な恋慕」にまで昇りつめることとなってしまうのだ。


 私事で恐縮だが、若いころの筆者の恋慕もいつもそうであった。第5話で描かれた高男の妄想=鐘の音が鳴る中、空に浮かぶ奈々子が天使の姿で微笑(ほほえ)む、という描写こそが、まさしくそれであり、筆者は苦笑するしかなかった(爆)。


「佐伯さんには、僕なんかより、ふさわしい人がいる」


 高男が中学生の時点で、早くも異性との交流に「ふさわしいか否か」「釣り合うか否か」の観点があることを達観できたのは、今後の彼の人生に、「プラス」として働くこととなるだろう。
 プロ野球選手と女子アナウンサーが結ばれることが多いのも、「ムラ社会」のカースト制度において、ステイタスが上位の者同士が周囲への優越感見せびらかしアピール、虚栄心も込みでくっつくだけのことであり、あまりに当然のことにすぎないのである。
 よって、「キモメン」の高男と、美人で優等生で性格も良くて、誰からも愛される奈々子との間では、恋愛なんぞ、本来なら到底成立するはずがないのだから。
 高男は、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」と悟ったのである(爆)。


「山の向こうには何もないんじゃないかって。世界はそこで終わってて、ただ真っ暗なドロドロが……」


 第10話において、自転車の二人乗りで逃避行の旅に出る高男と佐和だが、「クソ虫の海」であるこの街から逃れたいと思いつつ、山の「向こう側」もまた、「クソ虫の海」でしかないことを、佐和はすでに看破していたのである。


 そして、高男もそれに気づいたからこそ、


「いっしょにこの街の中で、向こう側を見つけたい。今度は、クソ虫の海から這い出す契約を」


と、最終回のラストで佐和に「契約」を迫る。


「お父さんはクソ虫だ!」
に始まり、
「この街の全てのクソ虫ども!」
に至る、登場人物たちのさまざまな絶叫セリフが交錯する中、夏祭り会場で高男らしき人物が包丁を手にしているイメージシーンが、その直前に挿入される。


 これが高男の言う「契約」のことなのか、そして、彼の哀れな末路なのかは不明である。


 確かに高男の「普通の人生」は、すでに終わりを告げた。


 しかしながら、


「こんな、からっぽなおれを、信じてくれた」


佐和という、これ以上はないほどの「同士」と巡り会えたことは、高男にとって、決して「マイナス」ではなかったのだと、筆者には思えてならないものがあるのだ。



 それにしても、奈々子の友人で、


「あんなウジウジネクラのどこがいいの!?」


などと、高男のことを極度に嫌う、やたらと気が強い木下亜依が、高男に対して何度か浴びせる、


「春日のくせに!」


なるセリフ。


 これ以上にひとりの人間やその人格を「完全否定」する言葉はおそらくなく、個人的には到底許容できるものではない。


 彼女に対しては筆者に代わり、佐和からこう叫ばせてやりたいほどである。


「消えろ、このクソ虫が!」(爆)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.66(13年12月30日発行))



TVアニメ「惡の華」メイキング・オブ・クソムシ

TVアニメ「惡の華」メイキング・オブ・クソムシ

Flowers of Evil: Complete Collection/ [Blu-ray] [Import]
『惡の華』DVD 第一巻


ローゼンメイデン(新)

(13年夏期 TBSほか)
(14年9月28日脱稿)


 ローゼンという名のお父様につくられた、伝説のアンティークドール7体が、究極の「乙女(おとめ)」を目指すために、「ローザミステカ」なる宝石を互いに奪い合う、「アリスゲーム」なるバトル・ロワイアルを繰り広げる。
 彼女たちが活動するためには、力の媒介となる人間が必要だった。
 ローゼンメイデンの第5ドール・真紅(しんく)がその「契約」を交わしたのは、気弱な眼鏡の男子中学生・桜田ジュンであった。



 04年に第1期テレビシリーズ『ローゼンメイデン』が放映されて以来、第2期『ローゼンメイデン トロイメント』(05年)や特別編『ローゼンメイデン オーベルテューレ』(06年)、ウェブラジオドラマなど、様々な媒体で続編や派生作品が展開されてきた本作だが、今回のシリーズでは、それらと並行して存在する別世界=パラレルワールドでの物語が描かれている。


 中学生のジュンが真紅と契約を交わす契機となったのは、紙片に書かれた


「まきますか まきませんか」


なる謎の「選択肢」を見て、背中のネジを「巻いて」真紅を動かしたことである。


 今回主人公となった大学生のジュンは、その「巻いた僕」が成長した姿ではなく、もうひとりの「巻かなかった僕」なのである。



 古い話で恐縮だが、70年代に放映された変身ヒーロー作品では、ゲスト主役の子供が、怪事件に巻きこまれたのを機に成長するさまがよく描かれていたものだ。
 今回のジュンは、中学生のときに「アリスゲーム」に巻きこまれたジュンではなく、それに関わることなく大学生となったジュンなのである。


 例えるなら、往年の『ウルトラマンタロウ』(73年)第26話『僕にも怪獣は退治できる!』で、中学生が小学生をいじめているのに見て見ぬふりをし、勇敢に立ち向かった同級生のレギュラー少年・健一のことを「無謀」だと非難していた竹雄少年が、百足怪獣ムカデンダーに遭遇することなく、その後の人生を歩んでいたとしたら……というのがピッタリとくるかもしれない。



 高校には行かず、大学入学検定試験でようやく入った三流大学にもなじめず、友人もできずに下宿のアパートで独り暮らしをして、孤独な日々を送っていたジュン。
 商店街にある弱小書店でかろうじてアルバイトは続けている。


 しかし、女子店員をナンパしまくるわ、店の入り口にある客用の灰皿で平気でタバコを吸うわ(笑)、閉店したあとはバイトに任せてとっとと帰るわなど、どうしようもない雇われ店長に、ジュンは
「暗い」
「ウザい」
「キモメン」
――筆者からすれば、ロン毛の「サーファー焼け」した店長の方が、どう見ても「キモメン」なのだが・爆――
などとイビられまくる。


ジュン「違う。僕のいるべき場所は、きっとここじゃない」


 どうしようもない居心地の悪さ、世界から切り捨てられたような疎外感にさいなまれていたジュン。


 彼は店長が返品処理したにもかかわらず、なぜか店に戻ってきた荷物を捨てるよう、店長に命じられる。


 ジュンが荷物を開けると、中には
『週刊 少女のつくり方』
なる雑誌が入っていた。


 思わずそれを持ち帰るジュンだが、以後ジュンの下宿には、まるでディアゴスティーニの週刊分冊百科のように(笑)、『週刊 少女のつくり方』が届けられるようになる。



 紆余曲折を経て、ようやく少女人形・真紅を完成させ、良い話相手ができたのを機に、ジュンの生活に少々変化が訪れる。


 中学のころ、唯一の特技だったものの、女々しい趣味であるためにそれを侮(あなど)られてバカにされることを恐れて、級友たちにはそれを隠していたにもかかわらず、無神経な教師の善意(笑)で全校集会にてそのことを公表されてしまったことで、登校拒否の原因となってしまったジュンの「服飾デザイン」や「裁縫」の腕。


 「過去の自分を変えられたら」と願っていたジュンであった。
 だが、同じ書店のアルバイト店員でいかにも性格よさげでお眼めパッチリの可愛らしい女子・斉藤が所属していた劇団の衣装製作で、そのジュンの腕が活かされることになる。


「劇団のみんなが感心してた」


と斉藤に言われ、彼女とも親しくなれたことから、


「何かが変わるかもしれない」


と、ジュンは胸をときめかすようになる。


 だが……


店長「あの女がおまえになびくなんてミラクルあり得ねえから。間違っても夢見んなよ」


 「おめえになびくことだってミラクルあり得ねえよ!」と、ジュンに代わって返したいくらいだが(爆)。この店長がジュンより優れている部分なんぞ、画面で見る限り皆無に近く、むしろ劣る部分の方が多いくらいである(笑)。


 いや、だからこそ、勝てそうな相手につまらないことでいいがかりをつけ、少しでも優位に立って悦に入ろうとする、「リア充」たちのいやらしさ――筆者の職場に派遣で来ているバブル世代のアラフォー・アラフィフのリア充オバハンがまさにこれ・爆――が、それこそリアルに表現されているかと思える。
 その意味では、視聴者の誰をも「不快」にさせてしまう、この店長のキャラクターデザインや声優の演技は、見事と言うよりほかにない。


 店長のこの心ない一言が、ジュンを再び「現実」の世界へと引き戻してしまうのである。
 過去ばかりか、この世界の「今」すらも、変えることはできないのか? とジュンは絶望する。


 「自分側の人間なんてどこにもいない」と考えるジュンは、「僕だけの人形」がほしかったのだ。
 ダミーとしての存在期限が来たら元の並行世界に帰ってしまう真紅も、自分になびくなんてミラクルあり得ねえ(笑)斉藤も、「僕だけの人形」にすることはできない……


ジュン「世の中不公平だ。どうして僕は何も持っていないんだ」


 「世界を変えるんだ!」というジュンの強い想いが、再び届けられるようになった『週刊 少女のつくり方』によって、今回の敵役となるローゼンメイデンの第7ドール・雪華綺晶(きらきしょう)を完成させてしまい、ジュンもローゼンメイデンたちも絶体絶命の危機に陥る!


 その渦中、ジュンは第7ドールをはじめとするローゼンメイデンたちから、自分と「契約」するよう、究極の「選択」を迫られる!
 ジュンが考えた末に選び抜いたのは、自分にとって、「はじまりの人形」である真紅。そして……


ジュン「僕だけの人形がほしかった。でも、誰かに与えられるのは意味がない! 僕が僕の力で変えてやる! おまえはいらない!」


 ジュンのこの叫びにより、第7ドールは最期(さいご)を遂げるのである!
 もっともジュンがつくったダミーの真紅がタイムリミットを迎え、バラバラになるというショッキングな描写があるのだが、「あきらめるな!」と、まるで平成ウルトラのごとく(爆)、中学生のジュンが、オリジナルの真紅の人形を持って、次元を超えて颯爽と登場!
 ジュンが自らの手で宝石・ローザミステカを入れることによって、真紅は息を吹き返す!


 元の世界に戻ったジュンは、書店では本社の部長から人望も就労意欲も細やかな在庫と収支の管理も店長の器だと絶賛され、劇団の座長からも正式にスカウトされる。そして、大学でも遂に友人ができる。


 最終回は、少々出来過ぎなハッピーエンドではある。
 しかしながら、「巻いた僕」が登校拒否を克服して中学に行けるようになった姿が描かれていたように、「巻かなかった僕」も「アリスゲーム」に巻きこまれる中、「巻いた僕」となったことで、人生を「巻き返す」ことにつながったのかと思えてならないものがあるのだ。
 「選択」にあふれた世界で、ようやく選び抜くことができたジュンに、「やっと気づいたのね」と語りかける真紅。


 往年の児童向けテレビドラマ『コメットさん』(67年・モノクロ版)で、将来どんな職業に就くか悩んでいたレギュラーの少年を、ラストで父が河原に連れていき、そこにあふれる石を選ばせ、少年がひとつの石を選んだところ、「ほら、ちゃんと選ぶことができたじゃないか」とほめる回があった。
 ジュンが少女人形・真紅を完成させる過程で迷いこんだ、人形のお面が無数に地にあふれる暗い異世界において、真紅の顔を選び抜いた場面はこれを彷彿とさせるものがあったが、ジュンの人生の「巻き返し」は、やはりここから始まったのだと言えるのではなかろうか。


真紅「あなたがつくった、あなたと過ごして幸せだった、お人形のことを」


 かつてジュンが真紅にプレゼントした絵本の巻末に書かれていた、


「わすれないで 真紅」


なるメッセージには、当初の真紅がジュンに対してやたらと上から目線であり、紅茶の入れ方が悪いなどと文句をつけたりしていただけに、より目頭を熱くさせるものがある。


 先にあげた竹雄が、父がムカデンダーに重傷を負わされたのを機に、自ら防衛組織・ZAT(ザット)のスプレー銃を手に主人公・東光太郎(ひがし・こうたろう)隊員の危機を救い、ラストで紙芝居の列に割りこんだ悪ガキと格闘するほどになったように、


ジュン「何もできない僕でも、何かをつくりだせるんだって」


との自信を得たジュンは、今後の「未来」を変えていくこととなるのだろう。



 もっとも現実には、その「ネジを巻く」という行為に、なかなか一歩踏み出せないからこそ、我々のような人種の悩みは尽きないというところではあるのだが。


真紅「女の子だって、お人形遊びは卒業する」


 真紅はジュンにそう語ったが、筆者はいまだに怪獣ソフビ人形だって卒業できないし、いまさら卒業する気にもなれないし(爆)。


 それはそうと、意志を持ち、話ができる人形であるローゼンメイデンの設定は、かの『ピノキオ』を彷彿とさせるものがある。
 もし今度、『ピノキオ』をモチーフにした、かの『人造人間キカイダー』(72年)をリメイクする機会があるなら、人間の力を媒介とする6体のアンドロイドを主役としてそのバトル・ロワイアルを描くのも面白いかもしれない。
そして、7番目のドールは、当然ハカイダーである(笑)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.68(14年10月26日発行))



ローゼンメイデン 1 [2013年7月番組]初回特典:PEACH-PIT描き下ろし全巻収納BOX,グラフィグ「雪華綺晶」 [DVD]


琴浦さん

(13年冬期 TOKYO MXほか)
(13年12月21日脱稿)


 幼いころから、不本意ながらも人の心を読みとる能力を発揮していたために、小学校では「化けもの」扱いされ、以来誰も寄りつかなくなってしまった、主人公の女子高生・琴浦春香(ことうら・はるか)。
 父は家に帰らず、母は異能の娘を連れて病院まわりの末に酒浸りの日々となり、ダブル不倫の果てに両親は離婚。


「あんたなんか生むんじゃなかった」


 こう吐き捨て、母は春香を置いて家を出ていってしまった。
 可愛がっていた捨て猫すらも、近所の心ない住人によって保健所送りにされてしまい――個人的にはこんなオバハンこそ保健所送りにしてやりたいが・笑――、全てを失った春香は、幼いころとは一転して心を硬く閉ざした少女と化してしまう。


 転出する学校の担任が「この問題児とやっとおさらばだ」と内心喜び、転入先の担任が「めんどくせえのが来た」と嘆くのがいちいちリアルだ。
 現実の教師たちもまた、そんなふうだからこそ、いじめによる自殺を一切防ぐことができないのである。


 第1話のオープニング前に、かなりの長尺で春香のあまりに不幸な生い立ちがプロローグとして描かれたあと、それとは全く相反するノーテンキな主題歌が流れたのには、正直初視聴の際はずっこけた(笑)。


 だが、実際転校先の高校で春香を待っていたのは、それが象徴するような、いわば「リア充」の日々だったのである。


 大事な人が離れていくことがこわいと、「みんな無視してくれれば」と願う春香だったが、隣の席のバカで超エロい(笑)男子生徒・真鍋(まなべ)は、


「離れる人間は勝手に離れていく。オレがおまえと一緒にいる。何があっても離れてやらない!」


と、常に下心を漂わせながらも(笑)、実に男気のあるところを見せる。


 こうして嫌われ者をかばった場合、通常はかばった者もまた、クラス内でのカーストは凋落(ちょうらく)するものであるが、真鍋が決してそうはならないのは、この男気と茶目っ気ゆえのものであろう。
 なんせ黒板に春香との「相合い傘」の落書きをされた際も、当意即妙に機転を利かせて相手の斜め上を行き、
「ハートを書き忘れてるだろ!」
と書いた者たちをギャグとともにどやしつけ、場の雰囲気を変えてしまって、当人たちが「すいません!」と謝っているくらいだから(笑)。


 春香の場合、確かに真鍋という強力な「理解者」を得られたのは幸運なことであった。
 だが、春香の世界を本当に変えたのは、ほかならぬ春香自身だったのである。


 幼いころから真鍋を好きだった女子生徒・森谷(もりたに)は、春香と真鍋が所属することとなったESP研究会が催した「占い会場」で、春香に心ない言葉を浴びせかけ、ショックで吐いた春香の背中に「ゲロ浦」と書いた紙を張り付け、あげくに母が経営する空手道場に通う者たちを使い、真鍋を襲撃させる始末であった。
 だが、そんな「大悪党」のことですら、春香はそこまでやってしまうほど、森谷は「追いつめられていた」のだと、同情の念を示すのである。


 そればかりではない。
 春香がESP研究会に入部したのは、女性部長の御船(みふね)が熱心に勧誘したからである。
 だが、御船は千里眼の能力を持った母を自殺で失っており、母をインチキ呼ばわりした人々に超能力の存在を認めさせるため、いわば春香の能力を利用したのにすぎなかったのだ。
 御船はそのために安い同情や哀れみを使っていただけであり、決して良い部長や先輩ではなかったのである。


 最終回で御船はこの件を春香に告白して謝罪するが、春香はこれすらも「最初から全部知っていた」と明かし、それでも「私がそのままでいられる、素敵な場所をくれて」と、御船に感謝の意を表すのだ。



 さらに、次回予告では「激闘編」とされた(笑)第9話から第11話に登場した、少女時代から図体がデカいことでいじめられ、鍛えたら鍛えたでこわがられ、果てに刑事となった女性の、「もうひとつの顔」である通り魔に襲撃されてもなお、「あなたもきっと大丈夫」などと呼びかけたことで、女刑事のもうひとつの人格を追い出すことにさえ成功したのである!


 『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(13年・テレビ東京)の主人公・黒木智子(くろき・ともこ)や、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(13年・TBS)の主人公・比企谷八幡(ひきがや・はちまん)と、決定的に異なる点がまさにこれなのだ。


 智子が同級生を「チャラ男とバカ女」(笑)と称したり、比企谷が「優しさを信じない」のとは対照的に、春香の場合は
「私がモテないのはどう考えても私が悪い!」
なのである(爆)。



「私はずっと幸せだった。晴人も、輪島のおじさんも、凛子も、瞬平も、仁藤さんも、みんなが私を受け入れてくれた」


 これは『仮面ライダーウィザード』(12年)最終展開における少女ヒロイン・コヨミのセリフだが
――真鍋にはウィザードこと晴人みたく「オレが……、最後の希望だ!」なんて叫んでほしかったものだが(笑)。実際『琴浦さん』第11話ラストの活躍は完全に「ヒーロー」だったし!――、
苦労を重ねながらも、春香がコヨミと同じ心境をようやく導き出すことができたのは、やはりその持って生まれた素直さ、性格の良さ、「品性」や「人徳」による部分が大きかったと思えるのである。


 なんせ祖父は大金持ちなのだから、その気になればクラスや学校を買収して天下をとる、なんてことも可能だったハズなのだが――こんなこと考えるから筆者はダメなんだろうが・笑――、筆者も世をスネるばかりではなく、春香の爪の垢でも煎じて飲み、ちっとは自身を省(かえり)みることで、少しづつでも変わってくることもあるように思えてきたほどなのだ。


 女刑事に襲われたことで、春香は超能力ですら読むことができない「本当の心」が存在することを知る。
 そして、母の「本当の心」は、「あんたなんか生むんじゃなかった」ではなく、


「弱いママでごめんね。守ってあげられなくて」


であったことを、春香は最終回でようやく知ることとなったのだ。


 訪ねてきた母と同じ布団にもぐりこみ、幼いころに母にねだった


「卵は半熟がいいな」


を寝言でつぶやく春香であったが、目覚めたときには母の姿がなく、代わりに卵焼きがテーブルに置かれているという描写には、おもわずホロリとせずにはいられない。


 エンディングで流れる名曲・『希望の花』がまた、それに拍車をかけてしまい、困ったものであった……


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.66(13年12月30日発行))



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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 〜後半評

(13年夏期 テレビ東京
(13年11月20日脱稿)


 ゲームとネット漬けの日々だった夏休みが終わり、新たなステージを踏み出そうとした主人公・黒木智子(くろき・ともこ)を、「席替え」という名の災厄(さいやく)が襲った。
 周囲は智子が言うところの「チャラ男とバカ女」に取り囲まれてしまい、智子の胃が「蜂の巣(はちのす)」(笑)になるかのような低俗な会話が、日々彼女の頭越しに繰り出される。


 弁当を食う前に手を洗い、教室に戻るや、智子の椅子(いす)が勝手に使われていたのを機に、智子は毎日昼休みになると弁当を手に教室を出て、屋上に通じる扉の前に乱雑に積まれた机に座り、昼飯とスマホで過ごすようになる。


「あそこは私の居場所じゃない。ここが私の居場所だ」


 智子は文化祭の準備にも関心をなくしてしまうばかりか、「文化祭なんか爆弾で吹っ飛ばしたい」(爆)と思うに至るほどであり、結局2学期も暗黒の日々を過ごすことになる。


 その発端となった席替えが、どういう経緯で行われたかについての描写はない。
 が、席替え直後のチャラ男とバカ女たち(笑)の会話を聞く限り、これはくじびきや生徒たちの希望を反映させて決めたものではなく、どうやら担任の体育会系女教師が独断で行ったように思えるのである。


 もちろんそこに悪意はなかったのであろう。
 むしろ、「さよなら」の挨拶さえも小声で滑舌が悪かったり、教科書を忘れても隣の生徒に見せてもらうことさえためらうような奥手の智子のことを最大限に気遣い、賑やかな生徒を周囲に配置することにより、智子がそれらと関わりを持つことで、少しは社交性や行動力の向上につながるのでは? と担任教師は配慮したのかもしれない。


 だからこそ「お前が悪い!」っちゅーの!(笑)


 間違っても観ることのないような、たとえ観たとしても小さないじめもOKなノリで笑えないテレビの低俗な娯楽番組の話題やら、前夜の飲み会であったことやら、スポーツやらクルマやらギャンブルやら、あげくに恋バナ(恋話)やら、自身が到底関心のわかないような話題で周囲が盛り上がり――ましてや勤務時間中に・笑――、いつこっちに話がふられるかビクビクするような状況こそ、胃が蜂の巣になるほど(笑)ストレスとなる人間がこの世に存在するということが、「ムラ社会」の「リア充」どもにはまるで理解できていないのである。


 かつて智子の担任教師とまったく同じことを考えた上司が筆者の職場に存在した。
 が、そう配慮された同僚の若い女性は机に書類や資料を高く積み上げたり、リラックマのぬいぐるみ(笑)などを飾ることで、周囲に対してバリケードを築き上げ、少しでも「リア充」たちの姿を見なくても済むような抵抗をしたのである。
 居心地が悪そうにしながらも、それまでは昼休みも一応事務所の中で過ごしていた彼女であったが、席替え以降、彼女はひとりで外食に出かけるようになったほど、余計に同僚たちとの関わりを避けるようになったのだ。
 要するに、完全に「逆効果」となってしまったのである。


 智子と同じように友達づくりに失敗し、教室でボッチとなっている高校2年生・比企谷八幡(ひきがや・はちまん)が主人公である『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(13年)と、決定的に異なる部分がまさにここにある。
 男まさりのオールドミス・平塚先生は、比企谷の腐った根性をたたき直すよう、メインヒロインである奉仕部の雪ノ下雪乃(ゆきのした・ゆきの)に依頼。それを機に比企谷はそのまま奉仕部に所属。
 のちに入部してきたセカンドヒロイン・由比ヶ浜結衣(ゆいがはま・ゆい)とも親しくなり、夏休みに行った小学校の林間学校の世話では、普段気の合わないスクールカースト上位の生徒たちと活動を共にすることにより、興味のない話題や気が合わない人間たちとの交流でもサラリと受け流せる「処世術」を平塚先生から学ばされることとなった。
 さらに文化祭では比企谷は平塚先生から強制的に実行委員を任されたのである。


 結局比企谷の腐った根性が治ることはなかったが(笑)、少なくとも比企谷は担任の平塚先生の格別な配慮により、自分の「居場所」だけは確保し続けることができたのである。
 もっともこれはあくまで、比企谷が同じボッチでも、智子に比べれば知力・胆力・コミュ(ニケーション)力・ルックスなどに若干(じゃっかん)秀でていたがための「特例」としての成功例なのである。


 大半のボッチは残念ながら、比企谷の域にまでは到達できないであろう。
 むしろ、人前に立って大勢を向こうに回して物怖じせずに大声を出して説明してみせたり、他の生徒に働きかけてヒトを動かしていかなければならない実行委員などの役職を任されたりしたら、過負荷のプレッシャーとストレスで潰れてしまうと思われる。
 その失敗でさらに劣等感や不全感を募らせて、他人とのコミュニケーションに踏み出すことにはますます奥手になるだろう。
 だからこそ、当人の性格や得意・不得意などの適性を見究めて、あまりにも不向きなことや出来もしないことであれば、それは彼ら彼女らには振るべきではないのだ。


 学校という名前の最たる「ムラ社会」に生息する、良くも悪くも「リア充」寄りの教師たちの大半が、智子の担任のように「鈍感」だからこそ、いじめによる自殺の兆候にさえ気づかず、常に未然に防ぐことができないのである。


 とはいえ、智子みたいな気が「弱い子」が間違って教師にでもなってしまった場合には、今度は真逆の問題が生じそうでもある。
 クラスの「弱い子」たちの「痛み」には気づける「敏感」さはあっても、今度は「強い子」に対して強く当たれる押しの強さ・人格力・指導力・問題解決能力には決定的に欠けてしまいそうなのだ。
 その果てに、乱暴な生徒たちを押さえられなくて、クラスは「学級崩壊」に陥(おちい)ってしまうこともあるだろう。
 そして怪獣無法地帯と化した教室で、結局は「弱い子」たちは「強い子」たちにもっと手びとく蹂躙(じゅうりん)されることだろう(汗)。


 単純に他人や「弱い子」の心の痛みがわかる人間であれば、即座に理想の教師であるともいえず、それに加えて、ある種の「強さ」も必要だという、おおよそ両立しがたいふたつの特性を備えた人物こそが、理想の教師ということになる。
 こんなことを書いている筆者自身こそが、そんな理想の教師像とは最も程遠いタイプの人間であり、理想の教師以前にそんな理想的な人間がそもそもからして極少であることを思えば、事態の解決はなかなかにむずかしいものがあることも痛感してしまう。



 智子はせめて「毎日楽しいことや日々の幸せを探す」ための「日常部」(笑)の設立を生徒会に申請するが、「活動内容不明」として承認されず、部活に「居場所」を見いだす道も断たれてしまう。


 授業中に突如現れたゴキブリに騒然となる教室でも、


「空気さんから黒木さんに変わる最大のチャンス!」――さすがにもう笑えない・汗――


と、智子はゴキブリを踏みつぶす。


 が、喝采を浴びるどころか、
「なんかおかしい」
「ふつう踏むか?」
などと、周囲はひきまくりとなる始末である。



 そんな智子のことを、「いつも何かに必死」であると初めて正当に評価し、「目が離せない」「ちょっとかわいい」存在であるとする「理解者」が現れた。
 文化祭実行委員長の女子生徒・今井である――これまた『やはり俺の』に登場した、仕事を他人に任せて遊び呆けてオイシいところだけを取ろうとする文化祭実行委員長であった女子生徒・相模南(さがみ・みなみ)とはエラい違いだ・笑――。


 文化祭を他高に進学した中学からの唯一の友人・優(ゆう)とともに過ごすことで、あれだけ嫌っていた学校を、
「楽しい……。学校なのに……」
と思うほどの、束の間の幸せをかみしめた智子は、優と別れるや深く沈んでしまう。


 そこに子供たちに風船を配っていた着ぐるみキャラが現れ、智子を暖かく抱き締める……中に入っていたのは今井だった。


 が、残念ながら、これまた今井のような存在は、『やはり俺の』の平塚先生同様、現実世界に実在しないとまでは言わないが、やはり極少の「特例」にすぎない善意の存在かと思えるのである。
 しかし少々ウソくさくても、智子の場合はこれくらいは描いてあげないと、あまりに救いがなさすぎるだろう!(笑)


 いや、そんなことを言ったら智子と同じ苦しみを抱えている若い人々にも今井のような存在が用意されねばならない(汗)。だから、実に残念なことだけど、この描写はそんな人々を一時的に癒すための、仮想にすぎないものであると考えた方がよいように思う。


 我々がアニメや特撮などの虚構作品を観るのも、そもそもがクラスや会社の外に楽しみを見つけることで、たとえ根本的な解決にはならなくても、適度な現実逃避によって、少しでも心に平安を取り戻そうとする精神的な防衛機制が大きいのではなかろうか?


 『やはり俺の』の比企谷が「優しさ」をまったく信じないとか、世間に期待をしていないというのはいささか極端ではある。
 だが、それが故に、同じボッチでも智子に比べれば「不幸」の度合いははるかに低いのである。
 だから比企谷ほどではないにせよ、他人や世間に対する期待値を普段から下げることで、失望の度合いもずいぶんと減ることで救われることもあるだろう。


 加えて、我々のような「敏感」な人間には、他人に対して傍若無人で「無神経」な奴らとかはすぐに直感でわかるのだから(笑)、最初から極力近づかないようにすれば傷つかずに済むのではなかろうか?
 そんなふうに適当にやり過ごす方が、はるかに気分が楽になるかと考える。


 世間ではまことしやかに「みんなと仲良くしよう」などと言われている。しかし、それが理想ではあるけれど、「気が合わない」「価値観が合わない」ということは現実にはあるのである。
 「みんなと仲良くできない」からこそ、世の中から争いごとが絶えることもないのだともたしかにいえる。
 しかし実際には、「みんなと仲良くできない」「気が合わない」からといって、即座に「喧嘩」や「戦争」になるわけでもないだろう。
 むしろ「みんなと仲良く」させようと無理やり同一空間・近接空間に押し込めて、針のむしろの居心地の悪さを感じさせるストレスの方が罪が深いともいえるし、それこそが逆説的に「いじめ」や「仲間外れ」などの温床になるともいえるのだ。


 もちろん、「気が合わない」「価値観が合わない」もの同士が完全に絶交してしまったり疎遠になってしまうこともまずいのだろう。
 ならば、同一のクラス・職場・地元・ご近所などでの生活空間では、一応の共同生活を営んでぎりぎりの接点は持ちつづける。
 しかしその一方で、人々がお互いに適度に距離を置くことも許して、気が合うもの同士でグループに分かれたり、ひとりでいることも許容したりするべきではなかろうか?
 そして、異なるグループやひとりでいる人間に対して「差別」や「軽蔑」などの感情や、「いじめ」などの暴力行為を極力発生させないように、ねっとりとした密接な人間関係ではなく、サバサバとして風通しのいい人間関係の風潮を構築していく。
 そのような「棲み分け」的な「共生」を目指していくことこそが現実的であり、また人々がより良く生きていくためのきれいごとではない「生活の知恵」ではなかろうか?


 遠い未来に至ってようやく実現するような、人々がお互いを傷つけずにデリケートに思いやっている理想郷だけを提示する「理想論」は「理想論」として否定はしない。
 けれども、いま眼の前で苦しんでいる「弱者」を救えないような遠い「理想論」だけではなく、抜本的な解決ではなくとも「暫定案」として現実にも使えて即効性がある、そして時に必要悪でもある、たとえ一時的なものではあっても「救い」となるような「処世術」や「現実逃避」なども、人々や「弱い子」たちには提示していく必要があるのではなかろうか?


 まぁ、どれだけひどい目に遭い続けようが、まだまだ他人や世間に期待をし続ける智子は、ある意味エラい! と思えるけど、それには限界があるよ、と本作は我々に伝えることを最大の目的としているかのようにさえ思えるのだ。



 智子はよりによって、今井に誰からも好かれるコツを聞き出そうとまでするのだが(笑)、そのとき偶然吹いた風によって今井の純白のパンツが露わになってしまい、驚愕した智子は結局何も聞き出せないまま、自宅へ全力疾走する!――主題歌と絵が完全にシンクロしているのが見事!――


 「居場所」や「理解者」の無さと同様に、どうにもならないほどの「運」の無さもまた、智子を苦しめる不幸のひとつだ。これこそまさに、自身の努力なんかではどうにもできないものなのである。
 自身の努力で変えられる要素もたしかに世の中にはある。筆者もその点については常に努力をしているつもりだ。
 しかし、理性的・科学的に考えてみてほしい。人間はまず両親を選べない。次に生まれた時代や土地も選べない。新卒採用時に世の中が好景気か不景気かも選べない。遺伝や生育環境から来る性格や気質なども選べない。体格・体質・基礎的な身体能力なども選べない。時に他人が無条件に好んで近寄ってくれて話しかけてくれたり、逆に避けたりしてくるような生まれつきのルックスなども選べない。
 社会的・制度的な差別が撤廃されてもなお残る、それらの性格的・身体的な優劣はある程度、「運」命のように確定していて変えがたいものでもあるのだ。


 だが、最近は、
「良い運を引き出すのも悪い運を引き出すのも本人次第」
などと、これすらも実に浅薄(せんぱく)で粗雑な人間観にもとづく新自由主義経済的な「自己責任」論で片づけようとする風潮があるのはなんとも嘆かわしい。
 加えてどう考えても、それを唱えている当の「リア充」たちが普段から「責任」のある行動をとっているとは到底思えないものがあるだけに(爆)。



 やはり限界に達したか、智子は


「ホント、もうどうでもいいわ」


と、遂に最終回のラストで嘆いてしまう。


 が、これにはさすがに「まだ早すぎるぞ!」と言いたくなる。そんなセリフ、筆者の年齢に達してからで十分だ(笑)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.66(13年12月30日発行))



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