(2018年12月8日(土)UP)
『ゴジラ評論60年史』 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 ~地球人・X星人・ブラックホール第3惑星人・インファント島民 ゴジラvsメカゴジラ!?
『GODZILLA 怪獣惑星』 ~『シン・ゴジラ』との相似と相違!
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『GODZILLA 星を喰う者』 ~「終焉の必然」と「生への執着」を高次元を媒介に是々非々で天秤にかける!
(2018年11月9日(金)・封切)
(文・T.SATO)
(2018年11月25日脱稿)
『GODZILLA 星を喰う者』の意表外な着地点!
映画『GODZILLA(ゴジラ) 星を喰う者』(18年)封切をもって、2万年後の生態系が激変した地球――というか天下の険である箱根――を舞台としたフルCGアニメ映画『GODZILLA』3部作もついに完結。
今回のビジュアル的な目玉は、東宝怪獣のスター・三つ首の黄金竜である宇宙超怪獣キングギドラ。
昭和の「ゴジラ」シリーズにおいては、5000年前に太陽系第2惑星・金星の先進文明を滅ぼした、宇宙を周回する超怪獣であったと初登場時に説明されている。
往年の1960年代の東宝怪獣映画では、のちの「ウルトラマン」シリーズや「仮面ライダー」シリーズのように、ヤラれた怪獣・怪人は爆発四散してしまうという文法がまだ誕生していなかったために(笑)、敗北や引き分けした怪獣たちは、海や宇宙へと逃げ帰っていった。
昭和のキングギドラも宇宙へと去っていったという描写が功を奏して、以降も木星の第13番衛星・X星に住まうX星人や、アステロイドベルト(小惑星帯)に住まうキラアク星人、M宇宙ハンター星雲人、ガロガバラン星人などに使役され、1970年代前半の東宝怪獣映画やTV特撮の巨大ヒーロー『流星人間ゾーン』(73年)などに至る作品群にまる10年間、散発的に出演しつづけ、地球怪獣を複数体相手にしてもヒケを取らない超強敵の宇宙怪獣として、親玉宇宙人が滅ぼされてもキングギドラ自身は生き残って去っていくことと、その鮮烈なルックスとも併せて、世代人には非常に強い印象を放っている。
平成になってからも、遺伝子操作をされた超生物や、日本を守る護国聖獣、あまたの星間文明を滅ぼしてきたギドラ属と呼ばれる宇宙怪獣種などなど、さまざまな新解釈でリメイクされつづけてきたキングギドラ。
本作では、別名「高次元怪獣」という新設定でリマジネーションされている。我々が住まう3次元世界・3次元宇宙ではなく、「高次元宇宙」に出自を持つ怪獣!
なるほど! そう来たか! たしかに我々が住まうこの3次元世界とは「水平」「パラレル」の関係にある「平行宇宙」に由来する怪獣では、いかにこの「宇宙」の「外部」から飛来した存在であったとしても、原理的には我々とも対等・平等の存在にはなってしまう。
しかし、この「宇宙」にとっては同じく「外部」の関係にあるとはいえ、我らの「宇宙」や一連の「平行宇宙」の「上部」というべき、「垂直」「バーチカル」な4次元・5次元・6次元以上の、我々の3次元世界に対して優位に立つ「超空間」「高次元」の世界や宇宙に出自を持つ、神にも近しい超越的な存在としてキングギドラを描くのであれば、コレぞまさしく地球怪獣2~3体から10体を相手にまわして、一歩もヒケを取らなかった宇宙超怪獣キングギドラのもっとも現代的な解釈ではあり、ハイブロウなSF的リマジ版に昇格したともいえるだろう!
改変されたキングギドラに、高次元に出自を持つキャラたちを想起する!
とはいえ、筆者のようなキモオタとしては、同じように4次元以上の高次の空間に住まう超存在が、我々が住まう3次元世界に干渉してくると聞くと、近年でもハイブロウなSF深夜アニメ『正解するカド KADO:The Right Answer』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190929/p1)に登場したヒト型の超生命体や、往年の超ヒットアニメのリメイク『宇宙戦艦ヤマト2202(ニーニーゼロニー) 愛の戦士たち』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181208/p1)に登場した美女・テレサのリマジン設定も想起してしまう。
前者においては、3次元世界はあくまでもタテ・ヨコ・高さという3乗(3次元)の広がりに基づいた集積回路&処理速度という物理的限界に知性体の脳ミソや計算機は束縛されているけど、「3次元世界」の37乗倍の広がり&処理速度を持つ世界から飛来したと超生命体が終盤で明かしたことから、彼らは3+37ということで「40次元」という超高位な高次元空間から飛来した存在であったと比定できる。
――古代ギリシャの哲学者・プラトンの「イデアの世界(理念・メタ・天上の世界)」=「本体」と「この世(物質の世界)」=「影絵」の関係に例えれば、超生命体の本体は40次元の空間にあって、『正解するカド』#1にて登場した不定形な生物は、40次元存在である40乗の広がりを持った超々立体の本体が3次元世界に単純化・平面化(3次元立体化)されて写った「影絵」であったといえる――
後者においては、原典では「反物質」のヒト型生命体という設定で、しかして電荷が逆である「反物質」と「物質」が接触したら物理的に大爆発が生じるのに、テレザート惑星は「物質」組成であり、そこに住まう知的生物・テレサが「反物質」であるのは、当地では惑星の「物質」素材由来(多分)であったハズの原始生命が「反物質」であるテレサにどのようにして進化ができたんだよ! という、往時でも筆者のような可愛くない科学少年であれば(笑)、少々ツッコミどころはあった設定ではあった――その一点の瑕疵(かし)をもって、『2202』の原典『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)を全否定しているワケではないので念のため。むしろ傑作だと思ってます――。
『2202』では、さすがにこの設定のままではムリがあると思ってだろう。知的生命体の高次な精神活動は脳ミソ以外にも、3次元的には超々ミクロの世界に折り畳まれているようにも解釈できる「高次元」空間とも通じている、波とも粒ともつかない超々ミクロの「量子」レベルのゆらぎや共鳴などの振動現象にも依拠して「意識」や「知的活動」が発生しているという、真偽は定かならず証明もできそうにない最新トンデモ科学仮説におそらくは則ったのであろう。
その「量子」レベルの真理を技術化し、精神の力を物理的な力に変換するテクノロジーで近隣星域を支配して、やがて肉体を捨てて全テレザート星人が合体した集合知の精神生命体となり「高次元世界」の上方へと上り詰め、「高次元」からは低次の「3次元世界」の「時間」すら可視化して認識もできるがために、我らが「3次元宇宙」の過去~未来までをも見通せる超生命、劇中での文学的レトリックだと「この世」と「あの世」の狭間にいる超存在として定義され直すことで、筆者のようなウザすぎるマニアによるツッコミの隙を減らしている(笑)。
――ちなみに、アリ男ならぬアメコミ洋画『アントマン』(15年)&続編『アントマン&ワスプ』(18年)でも、ミクロ化できるスーパーヒーローの「ミクロ化」の部分をさらに推し進めて、それが超々ミクロな「量子」の域にまで達したことで、時間・空間・高次元の境界もあいまい・混在の極微な世界で四半世紀も前に行方不明になったヒロインの母親探しネタを一方に据えて、「量子」経由での精神活動への干渉という設定を用意することで、「夢でのお告げ」などの古典的な作劇を正当化している(笑)。今や「高次元」は「ナンでもあり」や「精神主義」をそれっぽく可能とするジャンル作品におけるマジックワード・万能兵器となったのだ――
高次元怪獣キングギドラvs3次元怪獣ゴジラとの非対称な異種格闘!
で、『正解するカド』の高次元生命体や『2202』のテレサの域に達してしまった本作の我らがキングギドラ。
それは箱根上空の雲海に開いた、高次元空間に通じる3つの黒いワームホールから半ば無限(!)に伸びてくる、金色の竜の三つ首だけで描かれる。キングギドラの特徴的なボディーや両翼に2本のシッポや両脚は描かれない。
そのギドラの三つ首がゴジラのボディーにカラみつき、そして噛み付きつづけるというかたちで怪獣バトルが描かれる。
ややヒネったかたちのバトルだともいえるけど、前作『GODZILLA 決戦起動増殖都市』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180518/p1)の方が、初作『GODZILLA 怪獣惑星』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1)冒頭で早々に大破されたメカゴジラのリベンジか!? と思わせて、メカゴジラの組成物である自律型ナノメタルが2万年を経て周辺の鉱物や金属を取り込んで進化した、メカ怪獣の姿をしてはいない超巨大メカ要塞であったことで、やや物足りなさもあったのだが――まぁ作風的にも客層的にもベタに迫らず、ハイブロウでマニアックな方向でハズしてくるだろうと大方の観客も予想していただろうから、大きな不満はナイけれど――、本作ではそのへんの不満を少しだけ解消してくれている。
とはいえ、それだけではどのへんが高次元の怪獣としての特性であるのかサッパリとなってしまうので(笑)、周囲のリアクションの方でギドラの特異な属性を描写する。
人間や宇宙人などの知的生命体には視認が可能でも、センサーや計器などの機械にはまったく検知不能。どころか、ギドラの周囲の時間&空間はゆがんでいるらしく、ごくごく近い未来に起きる宇宙船内の区画の爆発や生存者ゼロの反応を、センサーや計器は先んじて検知して、それに管制室のオペレーターが驚愕するなどの描写を入れることで、知的・SF的なフック(引っかかり)としつつ、ギドラの超越的な属性&脅威も描写する。
以上の前座を踏まえて、高次のギドラ側は低次のゴジラをカラめとって締め付けることができるのに、影絵のゴジラ側が理念のギドラ側に掴みかかろうとしてもスリ抜けてしまうという非対称な異種格闘技戦となる!
地球人・X星人・ブラックホール惑星人・インファント島民の4分法図式
今回の高次元怪獣ギドラを召喚したのは、昭和のゴジラシリーズでもキングギドラを召喚していたX星人をモデルとした宇宙人種族エクシフたちであり、本作においては端的には金髪イケメン神官・メトフィエスの仕業(しわざ)であった。
フルCGアニメ版『GODZILLA』シリーズには、4つの星間種族が登場している。
・我らが地球人。
・かつて怪獣キングギドラを召喚したX星人をモチーフとした宇宙人種族であるエクシフ。
・かつて怪獣メカゴジラを操ったブラックホール第3惑星人をモチーフとした宇宙人種族であるビルサルド。
・かつて怪獣モスラとともにあった南洋のインファント島民をモチーフとした我らが人類の2万年後の末裔・フツア族。
子供・大衆向けではなく、ハイブロウなマニア向け作品ではあるので――まぁ『ラブライブ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160709/p1)やら『ガールズ&パンツァー』の劇場版と比すれば興行規模は小さくても、ほとんど単館公開のようなアート系邦画と比すれば、はるかに大きなマーケットを持っているあたり、オタクジャンルも成熟したものだとも思うけど――、ヒーローや一般的な娯楽活劇作品とは異なり、本作では単純な2元論の善vs悪という図式は採用されてはいない。上記に挙げたように4分法とでも称すべき思想図式が採用されている。
しかも、その4分法の中でも、それぞれは記号的・類型的な描き分けがなされているワケでもない。
たとえば、ブラックホール第3惑星人は、メカゴジラのごとき存在に通じる「メカ」や「科学」に「工学」を信奉するから、「体育会」系とは真逆の単調でステロタイプな「理系」! という性格付けはなされていない。
ダブル・ミーニングで複数の成分がブレンドされて、「非人間」的な「合理主義」の行き着く先でもある「弱肉強食」「適者生存」「優生思想」を経て、非常にマッチョで熱血で武闘派でもある。つまりは、『工学部』+『体育系』。
X星人も、ブラックホール惑星人とは対照的に「宗教」を信奉する種族であるから、「技術」とは縁遠い種族という陳腐凡庸な性格属性は付与されてはいない。彼らも宇宙に進出するほどに科学を進歩させた宇宙人種族である以上、「宗教」を信奉するとはいっても、それは地球のフツア族のアニミズム的な「原始宗教」ではない。「ゲマトリア演算」なる「数学的」な帰結に伴う「文明」や「生物種」に「星々」や「大宇宙」自体の「終焉の必然」に基づいた「高等宗教」なのである。ということで、『宗教』+『理系』(実験ではなく理論物理学の方)。
よって、娯楽活劇作品やミステリ・推理ドラマのように、X星人が「ガハハハハッ!」と下品に哄笑しながら、悪魔の本性を見せるような作劇にはなっていない。だって、たしかに超・達観した神のごとき高次な地点に立てば、X星人の云うことが一番正しいのかもしれないのだもの。
とはいえ、政治は「生きづらさ」という主観を救えない(笑)ばりに、その「終焉」を人工的に早めてしまうことで、この苦痛・四苦八苦に満ち満ちた「現実世界」に苦悩する知的生命体の宿痾も、各種星間文明の末期段階に至ったら解消させてあげよう! ギドラに供物(くもつ)として捧げよう! という深謀遠慮に至っては……。
というあたりで、前回のメカゴジラシティーvsゴジラとの攻防で敗北して以来、落胆していた主人公・ハルオ青年の物語が、対ゴジラから対X星人に変えて改めてはじまる……といった整理が、本作のドラマパートだったとはいえよう。
終焉待望の善悪二面性。生存待望の善悪二面性。両者を天秤にかけても…
しかし、2元論ではなく4分法だか8分法の図式を採用した本作では、ハルオ青年の決意もたちまち足を引っ張られて相対化されてしまう。「戦う」「抗う」ということの善悪2面性。知的生命体が快適な生存圏――基本的人権や、健康で文化的な生活の保証――を目指して「戦う」「抗う」という行為自体が、文明を発展させるとともに、自然を収奪・破壊し、いずれは禁断の原子力兵器を発明させ、それが宇宙の各所の星間文明の末期に巨大怪獣を出現させることに究極的には通じていくことでもあるのなら? ハルオ青年の「戦い」もX星人の手のひらの内であり、ハルオ青年の不屈の英雄的なワルあがきもまた、それをも見越した「必然の悲哀」と見切って、それでも青年神官が彼を小バカにするでもなく真剣に愛している高次なネジくれた心理・愛情が見えてしまうのだ。
ここにハルオ青年の「戦い」は暫定的なものとなり、ホンキになれない「戦い」、自己懐疑や文明懐疑を常にハラんだ「戦い」ともなっていく……。ハイブロウではあるけれど、ココまでヤってしまうと、敵の打倒に執着する動機付けや、敵を倒すことから来る勝利のカタルシス! といった方向には単純には行かなくなるので、娯楽活劇作品としては痛し痒しではある。しかし、とても高い思想的な境地を持つに至った作品であることを認めるにやぶさかではない。
とはいえ、あまりにも達観しすぎてしまうと、現実世界での目前の卑小な悪事や不幸も、究極的には時とともに流れ去っていくものだから……と見過ごしてしまう陥穽・不徳にもハマりかねないのも一方の事実ではある。であるならば、神ならぬ凡人たる我々は、たとえ卑小な世界の出来事であっても、個々人ごとになんらかのスジや節、義理人情をまっとうして生きるべきなのかもしれない。
ギドラ撃退後の原始に戻った地球で、ハルオ青年も自身の思想の有限性や危険性をわかりつつも、自分の生き方にスジを通すため、死んでいった同僚たちに顔向けできるように責任を取るイミでも、小説&TVドラマ&映画『永遠の0(ゼロ)』のモデルとされた幾人かの充分に欧米モダナイズされた特攻隊の上官たちのように、ゴジラに対して非合理的な自爆特攻を行なうことで、自身の人生にも責任&決着をつける!
それは憎しみや戦闘意欲に満ち満ちた自身が存在することで、「憎しみ」という概念を当面は知らないフツア族たちに絶え間ない戦争や高技術文明への歴史を築かせないための行為でもあったろう……。
――チョット異なるし卑近な例えにもなるけど、特撮マニア的には、あとで恋敵とわかった相手(主人公)に教えてもらったキックボクシング技を、あえて使わずに試合に負けてみせることで、自身の生き方にスジを通すゲスト青年を描いてみせた『帰ってきたウルトラマン』(71年)#27「この一発で地獄へ行け!」なども想起してみたり――
……というところで、一旦の幕となり、エンドクレジット後に、英雄・ハルオ青年と中型飛行ロボ・ヴァルチャーを模したとおぼしき模型をフツア族が祭って楽しく祭事を行なっている光景で幕となる。そう、フツア族も恐らくは、数千年後に「ヒーロー」や「戦い」や「技術」や「快適な生活」の信奉の果てに高技術文明を発展させ、我らが人類やX星にブラックホール第3惑星とも同じ結末をたどる可能性を示唆しているのだ。やはり、大局では一番正しかったのはX星人の青年神官であったのだ(爆)。
なお、本作におけるゴジラは、マニアによる40年もの間のゴジラ評論で散々に論じられてきた、核の脅威のメタファーだの、大自然の(突然変異としての)警鐘だの、破壊の権化だとのいった、今では陳腐化した論法の存在ではないモノとしても規定されている。
ゴジラ型原子力怪獣の出現は、星間文明の末期における知的生命体の所業の必然とされ、どころか人類(知的生命体)はゴジラを産み出すために文明を構築した触媒にすぎなかったのだ! という逆立ち・逆転した論法が案出されている――で、結局はゴジラも、最終的には「惑星」や「宇宙」の終焉に呑み込まれてしまうのだけれども――。
ウ~ム。80~00年代の「ゴジラ論壇」というか「ゴジラ神学論争」みたいな時代に、このゴジラ観をブツけたら、神であるゴジラを相対化・冒涜するものとして、大反発が起こったのではあるまいか? まぁ今では世代的にみんな枯れてしまっているので、右耳から左耳へと通りすぎていくだけであろうけど(笑)。
で、筆者個人も最後の方で、ハルオ青年の相対的には小さな大義も持ち上げてみせた。けれども、我ながらそれは本心なのであろうか? 自分の人生を主人公としては生きておらず、他人の人生やジャンル作品に社会情勢を手のひらの上に乗せて論評することで、現実生活ではミジメな自分を忘れて、神の視点に立った気になって悦に入り、精神のバランスをかろうじて取っているような我々評論オタクという人種は――勝手に一般化するなってか?――、やはり本作の主人公・ハルオ青年のような存在ではなく、はるかにX星人の青年神官に近しい存在であると思わざるをえないのだ。
以(もっ)て瞑すべし。伏して拝むがいい、黄金の終焉を(笑)。
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live and die(アニメ盤)/アニメーション映画『GODZILLA 星を喰う者』主題歌
- アーティスト:XAI
- 発売日: 2018/11/07
- メディア: CD
GODZILLA 星を喰う者 Blu-ray コレクターズ・エディション
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