『エロマンガ先生』『妹さえいればいい。』『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』『干物妹!うまるちゃん』『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』『ささみさん@がんばらない』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 ~2010年代7大・妹アニメ評!
『東京リベンジャーズ』『ぼくたちのリメイク』『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』 ~2021年3大タイムリープアニメでも、各作の主眼が知的快感・身体的快楽・人生の滋味とするかで相違!
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『明日(あけび)ちゃんのセーラー服』(21年)がBS朝日にて再放送中記念! とカコつけて……。2022年冬季の女子高生・衣服系(?)2大アニメ『その着せ替え人形は恋をする』『明日ちゃんのセーラー服』評をアップ!
『その着せ替え人形は恋をする』『明日ちゃんのセーラー服』 ~2022年2大・女子高生衣服系(?)アニメの清楚快活女子・ギャル少女の差異!
(文・T.SATO)
(2022年4月30日脱稿)
『その着せ替え人形(ビスク・ドール)は恋をする』
(2022年冬アニメ)
「着せ替え人形」の語句は「ビスク・ドール」と読ませる。
腐れオタクとしては「着せ替え」の語句に、同季深夜アニメ『明日(あけび)ちゃんのセーラー服』における自家裁縫の制服も連想してしまったけど。
「ビスク・ドール」という耳慣れない語句による云い換えがオシャレだけど、#1の冒頭では3月3日の「ヒナ祭り」の「ヒナ人形」のことなのか? とも思わせている。
そう。「ヒナ人形職人」の家業の家庭に生まれて、自身も男子ながらに「ヒナ人形」に執着し、しかしてそれが世間一般のフツーの男子像ではないことを自覚もしている、(ひとり)ボッチで過ごしてきた男子高校生が主人公。
そんな彼の目の前に、彼とは最も縁遠そうな金髪ギャル高生が現れて……といった作品なのであった。
スゴい広義で捉えれば、青年マンガ誌や壮年マンガ誌における「職業マンガ」の手法の援用だともいえる。しかして、気弱そうで文学青年的な男子クンと快活そうな少女との関係性を描くといった点ではラブコメでもある――漱石や太宰にまでさかのぼってみてもイイけれど(笑)――。
もちろん、ギャル少女の域には達しない程度の快活女子であれば、純オタク向けのラブコメにはなるのだけど、本作はそこをギャルだとすることで間口は広がっている。
とはいえ、ギャルはギャルでも私的快楽至上主義で他人や弱者に対する共感性には乏しくモラルにも欠けている真性ギャルではない。アニメ・マンガ・ゲーム・アダルトゲーム(爆)も嗜(たしな)んで、それらのキャラのコスプレをしたいと思っている中身はオタク女子なのだ――しかし「隠れオタ」ではなく、劣等感なども皆無である――。
そして、男子高校生側にも作劇やキャラデザ上のマジック。地味で控えめで短髪でも高身長ではあり、内心はビビリでもポーカーフェースなので、弱さが対外的には露骨に表出されることもなく、トークも声に震えが生じることなくできている。そんな彼であればギャル少女とのコミュニケーションが始まって、なおかつ継続ができていくことの最低限のリアリティーも担保されている。
てなワケで、ギャルなのに天然で性格もよいヒロインが彼との偶然の遭遇から、自身の趣味やコスプレ希望を明かしたことで採寸なり裁縫なりが始まって、関東圏の同人誌即売会にも行くオタの皆さまの御用達・池袋サンシャインシティーでの屋内なり煉瓦調の屋外でのコスプレ・イベントがピークとしても描かれる。
実に面白い作品なのだが、物語は1クールアニメの中盤にて変転!
男子高校生側の淡い胸キュンを描いていく作品なのかと思いきや、熱中症になりかけて看病してもらったギャル少女の方がちょっとした拍子で、このヒナ祭り人形職人もといコスプレ衣装職人にトキメキを覚えるのだ(笑)。
もちろん、理想化・美化された、もしくはオタク男子にとっての都合がイイように改変されたギャル像なのだが、そこは良く出来た場合のフィクションの力である。
ウソにウソを重ねても、そこに物語的な劇中内での説得力なり心的なリアルが宿る場合もあるのだ。個人的には2022年冬アニメの№2だと勝手に認定する!
――№1は『時光代理人 -LINK CLICK-』です。近日中にレビューをアップ予定です(汗)――
『明日ちゃんのセーラー服』
(2022年冬アニメ)
「明日」と書いて「あけび」と読ませる。それは、主人公女子高生の名前でもなく名字であった。
田園風景を舞台に全身女の子! しかし、おままごとがスキなタイプでもなく元気で快活、小道を走って小川を飛び越えたりする、ジッとはしていられない! といった少女が主人公。
かといって、暑苦しいワケでも男気があるワケでもない。常にニコニコとして母親には甘えており、TVで見た女性アイドルや彼女が着ていたセーラー服に憧れて、自分もそれを着てみたい! と思うかぎりで、自身の「女性性」に対しては微塵も疑いを持っていない。身体・性格的な弱さなども微塵もないような痩身かつ敏捷な女子でもあることから劣等感なども皆無であり、かといってソレで増長してしまっているワケでもない。
そんな彼女が母親も通ったという学園に入学してみれば、母のお手製によるセーラー服を着用しているのは彼女ひとり。とっくのむかしに制服はブレザーに変更されていたのであった……という導入部を、叙情的な演出主体で魅せていく#1は実に引き込まれる。
リアルに考えれば、さすがにソコまでおマヌケな制服間違いなぞは生じないだろうし、これが実写作品ならばリアリティーの階梯も上がってソコが気になってしまうことで欠点にもなるのだろう。しかし、そこは脚本うんぬんではなく、いかにリアルな背景美術であれ、リアルの基準線がユルくなるアニメやマンガのマジックの善用である。
某『ひぐらしのなく頃に』(06年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220910/p1)並みに同学年の生徒がいない田園の小学校出身であるせいか、世事には疎(うと)いという設定も付与されることで、彼女の素っ頓狂な言動も描かれる。
しかし、彼女には邪気がなかったり、田舎の木造の校舎とはいえ一応の私立受験校という設定が後押しをするのか、性悪なギャルのような存在も登場しないし――金髪表現の女子でも気弱な常識人――、彼女が邪険にされる展開なぞも一切ない。そんな彼女が穏当にひとりまたひとりと学友の少女たちと仲がよくなっていくストーリーを紡いでいく。
WEB漫画サイト「となりのヤングジャンプ」連載のマンガ作品が原作(16年~)だそうだけど、WEBマンガの常でいわゆる「ジャンプ」らしさ――活劇性や「ヤンジャン(ヤングジャンプ)」的なヤンキー不良性感度など――も皆無である。
楽屋オチ的なナンちゃって感もなくて、高精細な作画&背景美術にもなっており、繊細ナイーブなプチインテリオタクの皆さまが賞揚しそうな作品でもある(イヤミ・笑)。
しかし、筆者のような下世話な人間には、#2以降はややストーリーの起伏に乏しく、悪意といわずスレ違いや行き違いなどから来る少女たちの小誤解劇や、弱い少女の「依存心」から来る「プチ百合」的な心情なども描いていった方がイイんじゃね? といったあたりで物足りなさもある。
加えて、筆者のように腕力・話術・胆力には乏しくて教室のスミっこで生きてきたような人間は(汗)、こーいった天真爛漫で恵まれた娘やスマホゲームのアニメ化『プリンセスコネクト! Re:Dive』のような主役元気女子などは、つい「性格弱者」の心情には無理解だろうと思ってしまい「ちったぁ苦労しろい!」などとプチ呪詛の念がムラムラと浮上してこなくもなかったり(汗)。
まぁ、その呪詛自体が「性格強者は革命で首チョンパしてもイイ」ことを正当化しかねない恐れがあることは自覚済であるので、自己抑制はしていますけど(笑)。
加えて、セーラー服や女性アイドルへの憧れを公言して、自身や世間の「女性性」を微塵たりとも疑わない主人公少女を、フェミニズム陣営であれば古クサいジェンダー観の持ち主だとして糾弾するやもしれない。
とはいえ、こーいったことは社会的な「慣習」が押しつけられて「内面化」「洗脳化」された結果だとは必ずしもかぎらない。個人の持って生まれた「性格」や「嗜好」によるところの方が大だろう。
それは「性同一性障害」の御仁も自身が自認する「性のステレオタイプ」な「衣装」や「化粧」をまといたがり、その性の多数派が採っている「男言葉」や「女言葉」でしゃべっているあたりでも傍証ができるのだ。
今では「性的少数者」の味方面をしているフェミニズムだが、80年代までは「肉体はともかく精神面に性差はない!」「精神面の性差は――ついでに男性の性欲も――後天的に作られたものなのだ!」と主張していた。
今でいう性的倒錯や性同一性障害も「本来の人間は『無性』のハズなのに、異性の服装・言葉遣い・仕草をマネてしまう行為は、旧来の『性的役割分担』を内面化・増強しているだけで、結局は保守反動・反革命の愚行なのだ!」として糾弾しており……長くなるので以下略(笑)。
初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.82(22年5月8日発行))