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宇崎ちゃんは遊びたい! ~オタクvsフェミニズム論争史を炎上作品のアニメ化から俯瞰する!?

『ゴブリンスレイヤー』 ~レイプに売春まで!? 周縁のまつろわぬ民は常に憐れで正義なのか!?
『異種族レビュアーズ』 ~異世界の性風俗を描いたアニメで、性風俗の是非を考える!?
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『宇崎ちゃんは遊びたい!』 ~オタクvsフェミニズム論争史を炎上作品のアニメ化から俯瞰する!?

(文・T.SATO)
(2020年7月27日脱稿)


 低身長で銀髪ショートカットだけど八重歯に奇形的な超巨乳の大学新入生少女・宇崎ちゃんが、高校時代の部活の先輩でもある無口で無愛想で(ひとり)ボッチ気味な長身の青年クンに明るくウザったくチョッカイをかけてくるのがキモの深夜アニメである。ググってみると、元々はツイッターで連載していた個人マンガが商業媒体にスカウトされて、ついに深夜アニメ化されるにまで至ったモノ。


 通常、マンガやアニメにおいては銀髪は影のウスさや意思の弱さ・理知的なイメージを象徴させるモノで、小ナマイキさを示す八重歯やお色気要員であることを示す巨乳といった記号とは組み合わせにはならないハズだけど、この作品では銀髪なのに八重歯と超巨乳を掛け合わせたキャラクターデザインともなっている。
 いや、だからスゴいとか斬新だとか云う気もまったくナイけれど(笑)。でもまぁ、黒髪や赤髪の美少女がオトコにチョッカイかけてきたら、やや重たいオンナ臭がするやもしれないので、それをウスめるためには銀髪がちょうどイイのかもしれないですネ――金髪の場合だと華麗な美少女臭が強まって、今度は今の宇崎ちゃんのサバサバ臭が出ないだろう――。
 まぁ、基本的にはおバカな作品としか思えないので(失礼)、そのへんを意識化・言語化・理論化してキャラデザしたともつゆ思えないし、作者が本能的・直感的・フェティッシュにデザインしていったらこうなった! というだけだとは思うけど(汗)。


 ……なぞとお約束の作品の基礎情報の列挙からスタート。


 なのだけど、アレ!? この作品って昨2019年秋に日本赤十字献血キャンペーンでコラボするも、ツイフェミ(ツイッターフェミニズム)論壇界隈が猛攻を浴びせて、それに対して美少女マンガ&アニメ界隈のオタクたちも負けじと大反論を繰り広げていた炎上案件――といっても国民的な議論になったとかではなく、コップの中の嵐に過ぎないけれども(爆)――の渦中にあったマイナー漫画の深夜アニメ化じゃん!
 あの炎上時点ですでにアニメ化が内々に決定していたのか? 炎上したから知名度が上がったことでアニメ化にコギつけられたのか?(笑)


●2020年2月には、地方興しとコラボしたアイドルアニメ『ラブライブ! サンシャイン!!』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200628/p1)の主人公女子高生の新規描き下ろしの等身大パネルで、制服ミニスカートが透けて見えて下腹部パンティの逆三角形ラインが想起できるとのクレームが発生。
●2019年10月には、当該の『宇崎ちゃんは遊びたい!』の献血喚起ポスター(よりにもよって、煽情的な表情をした原作マンガ版第3巻の表紙カットの転用!)。
●2018年10月には、NHKのホームページの「ノーベル賞」解説サイトに登場したバーチャル・ユーチューバーのキズナ・アイちゃん(16年)。
●2018年2月にも、自衛隊滋賀地方協力本部自衛官募集ポスターに登場した「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」がキャッチコピーであった、魔法のホウキの代わりに両脚にプロペラユニットを付けて架空世界の第2次大戦期に『エヴァ』の敵性生物・使徒もどきと空中戦する美少女戦闘アニメ『ストライクウィッチーズ』(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20150527/p1)。
●2016年10月には、東京メトロ公式の昭和中期の『サザエさん』チックな女性駅員キャラだったのが、8頭身の萌えキャラとして大幅にリニューアルされた駅乃みちか
●2015年12月には、岐阜県美濃加茂市とコラボした農業高校ラブコメのうりん』(11年・14年に深夜アニメ化)の巨乳キャラをメインに据えたポスター。
●2015年8月にも、伊勢志摩サミット合わせの志摩市公認の海女の萌えキャラ・碧志摩メグ(あおしま・めぐ)。
●2015年5月にも、コップのフチにセットできる制服OL型の小型フィギュア「コップのフチ子さん」(12年)をパロった「コップのカドでグリ美ちゃん」。


 このように数々の作品が炎上案件となってきた。そして、フェミニズムvsオタクの対決といった様相を呈してもいる。よって、読者にあられてはオタクである筆者は後者の味方かと思われるやもしれないけれども……。


 ウ~ム、実はそーでもナイのだ(汗)――かといって、フェミニズムに全面屈服しようというのでもナイけれど――。


 ごくごく個人的な結論から云っちゃうと、『ラブライブ! サンシャイン!!』とキズナ・アイちゃんの件を除けば、どれもこれもが「アウト!」だったんじゃないのかとすら私見もしている(笑)。


 今どきの肉体性がウスい貧乳キャラが主流の記号的な萌え系の美少女マンガやアニメの世界では珍しく、巨乳が奇形的に強調されて性的に挑発的な表情のようにも見える『宇崎ちゃん』や『のうりん』のポスター。爽やかな微エロ程度ではあるけれど濡れた海女さんスタイルの碧志摩メグ。劇中でもズボンだと設定されていたけどそれはパンツ見せ見せの言い訳(笑)でしかなかった『ストライクウィッチーズ』。
 コレらの「性的ニュアンス」を含んだビジュアル群は、たしかにクローズドな場所や私人性が高い同好の士が集うような場所での公開でならばOKではあるだろう。


 しかし、職場や新宿駅の地下道などのオープンな場では、動物的・性的に発情した状態は存在しないかのように、人々は近代的な対等の個人・市民同士としてふるまうのがお約束であり、それで丸くおさまるハズの公共空間においては、過度に性的な姿や表情を強調したビジュアルを配布すれば、それは男女ともに本能的・直感的に気恥ずかしくなったり気マズくなるのが、まぁフツーではあり大多数の反応でもあるだろう。その観点からフェミニズム陣営がそれを不快であり「環境型セクハラ」であると指弾するのもわかるのだ。


 けれど、彼女らフェミニストたちの糾弾の対象はバストやお色気の強調といったところには留まらない。
 ロジックなり言語には昇華できていないフワッとしたモノではあるものの、上気した表情に加えて美少女キャラのニコニコとした笑顔や恥じらったりハニカんだりしている表情がまた、男性に対して微妙に媚びていてイヤらしくてかつ卑屈な心性でもあることを察知して、感覚面ではそれがまた彼女らの不快感をさらにブースト、分析面でもそこに男尊女卑の社会構造をも透かし見ているのだとも推察されるのだ。加えて云うなら、個人的にはそれもまたわかるし、その感覚と分析を一理も二理もあるモノとして認めないでもナイのである。


 しかし、このフワッとしたところこそ、フェミたち自身が他者を糾弾時にその「理由」として即座に言語化してほしいところでもある。


 でもまぁ、彼女らはすでに評価が定まっている安全パイでもある「女性差別撤廃条約」や「児童の権利に関する条約」などの上位の権威に依拠して、「上から目線」で物事を「演繹法」的(えんえきほうてき)な二元論的に裁断するようなことは得意でも、それだけでは物事を単なる「点」や、ステロタイプな「善vs悪」との「二項対立」として見ているだけである。
 そのスコープ・視野からもハミ出してしまう、いまだに具体的な形として焦点を結んでいない茫漠とした事物や想いや問題を、「帰納法」的にひろってきて明晰明快に言語化・理論化するようなことは得意ではないようだ。


 融通無碍(ゆうづう・むげ)にアタマも柔らかくして、「モノサシ」をタテ・ヨコ・ナナメに当てて「点」と「点」を「線」や「面」や「立体」にしていき、矛盾にも見えてきてしまうような多くの事象をなるべく多く列挙して、それらすべてを説明可能な新たな「論理体系」・「思想体系」をつむいでいくような思考こそが、真の意味での「知性」であるとも思うだ。
 よって失礼ながら、ドーも彼女らには「知識」はあっても「知性」はナイ……。あるいは、「知性」が欠如ぎみである……という気がしないでもナイのだけれども……(汗)。


 ただまぁ、フェミニストたちもいわゆるフェミではない同性の一般女性たちを戦略的にも敵には廻したくはナイだろうから多くを語らないけど、この前近代的な男尊女卑社会……とまではいかなくても、女性に対して「ルッキズム」(見た目至上主義)や可愛らしさや愛嬌を過剰に求めてくるモテ/非モテ的なコミュニケーションが過剰な後期近代・高度大衆消費社会に、生来からの「ルックス」や「性格」からして最初からこの社会でさしたる努力ナシでも適応しやすく、自身が「女性」であることにもつゆ疑問を抱かないどころか、「ファッション&スイーツ」な女性であることを謳歌さえして、幼少時から


「大きくなったらお嫁さんになる~」


などと云ってテンとして恥じない同性たちをプチ嫌悪もしてきており、少年向け冒険物語の「塔の中の囚われの美少女」に自身を仮託できずに物語内に自分の居場所がナイと感じるような疎外感を抱いてきた女性たちでもあって、ググっていくとそのような述懐もまた、あまた散見されるのであった……。


 その社会不適応な「疎外感」は我々オタクたちにも通じるモノがあって共感・同情もしてしまう――まぁ多分、アチラさんからすれば、メーワクでキモいだけで「近寄ってこないで!」といったところなのではあろうけど(笑)――。


 とはいえ、我々オタク連中による、


●萌え美少女キャラに過度に性的なメッセージをフェミニストたちが読み取ったりすることを「偏向」だ!
●あるいは巨乳女性に対する「逆差別」にもつながる!
●「表現の自由」への侵害だ!
●少数派の不快を理由に「表現の自由」の範囲を狭めるのならば、フェミニズム連中が擁護している2019年夏に開催された「表現の不自由展」での「昭和天皇を含んだコラージュ写真をバーナーで燃やして足で踏み潰す動画」を、不快に思って抗議する少数派の意向を無視する行為はスジが通らない!(笑)


 といった反論なり指摘なりにも、一理や二理はあるどころか半理以上もあるとは思えもするのである。


――さらにココに、3次元の巨乳女性も参戦してきて、図像とはいえ巨乳女性を公共空間から排除するのは不快である! とするフェミの主張とは真逆な言説まで混入しており、実に多面的で示唆に富む議論にもなっている――


 ……で、かような混迷する事態に対して、筆者個人はドーするべきなのか? そう、コウモリのようにふるまうのだ(汗)。我らがオタク連中による「萌え系美少女に対して過度に性的なメッセージを読み込むのもまたフェミ側による認知の歪みだ!」とする趣旨の反論にやや違和感を覚えたからである。
 つまりは、あの宇崎ちゃんの超巨乳に性的な魅力を感じない! などというロジックで理論武装・正当化を図るとなると、それはそれでオッパイ星人としては腹が立ってくるからだ(笑)。


 オッサンオタクの繰り言ではあるけれど、今に至る近代的(?)な丸っこいロリ的な萌え美少女の画像の誕生は1982年のことだと思う。当時のアニメマニア間でも人気を博していた故・芦田豊雄(あしだ・とよお)キャラデザの女児向けアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(82年)に端を発した絵柄革命と「可愛いものが判ってしまうボク」というモノの何度目かではあるけれどもソレの大規模な再発見があって、当時は一般書店でも堂々と売られていたあまたのエロ漫画雑誌(爆)の絵柄が1982~84年にかけて雪崩を打ったように急速に劇画調からロリ的なアニメ美少女調へと一斉に変貌していった時代があった。


 つまりは、我々オタクや当時の青年層はあのような絵柄にも欲情し、そしてあの絵柄もまた性的なモノを表現できる描線にも進化を遂げたという歴史があったのだ。なので、門外漢のフェミニスト連中もまた、裸体でも性交シーンでもない単なる萌えアニメ調の絵柄の美少女の表情や媚びた仕草に性的メッセージを感じ取ったということは、その表現がある種の一般性・普遍性・破壊力(笑)をも獲得したと見て、誇ってもイイことではないのかとも思えるのだ。


 もちろん、コレはウラハラでもある。フェミニスト一般ピープルは萌え美少女キャラの画像に、非モテのオタク男子たちの秘められた性的欲望をも透かし見てキモがっているかもしれないからだ――もちろん、それは肉欲とはかぎらずプラトニックなものかもしれない。とはいえ、プラトニックならば許されるのかといえばそーでもなく、異性に対する性的不能のような、もっとキモいものを透かし見ている可能性もある(爆)――。


 そのかぎりで、フェミニストたちの危惧にも一理はあるのだ。そこにやはり広い意味での「女性のモノ化」や男尊女卑感情といったキナくさいモノを透かし見たとしても不思議ではナイからだ――余談だが、モノには欲情しないので「モノ化」ではなく「女性のメス化」という用語の方が個人的には適切に思えるのだけど(汗)――。


 とはいえ、彼女らの見解に一理があると思えるのはソコまでである。フェミニスト連中の全員とはいわずとも声のデカい連中――太田啓子弁護士や北原みのりなど――は、萌え美少女キャラの画像自体がキモくて不快でペドフィリア小児性愛者)にも通じるものがあるとして(!)、好事家だけが見られる世界にゾーニング(区分け・隔離・棲み分け)するどころか、存在自体を撲滅すべきだばりの発言をしているからでもある。


 もちろん、思想・信条は個人の自由であるからして、彼女らがそのように思って運動を展開したところで、立ちどころに萌え絵が弾圧・禁圧されることはナイであろうし、そんなことも全然なかったからこそ、ココ5年ほど飽きもせずに何度も何度も懲りずに不死鳥のように萌え絵が公共団体とコラボして、その都度クレームを浴びるというルーティンがテンプレ化されてもおり、それはそれで関係各位の学習能力を疑いたくもなるのだが(笑)。


 このようなフェミの中でも過激派・強硬派――思想用語的にはコレは「ラディカル・フェミニズム」と呼称される――とは和解・妥協の余地はウスいであろう。けれども、公平を期するためにフェミニズムの側も擁護しておくならば、今や東大学長に登り詰めた日本のフェミニズムのドン・上野千鶴子センセイは、3次元での性差別には反対するけど2次元・虚構でのポルノ表現・ポルノ消費については禁止すべきではないという立場を、数十年も前から主張しているので念のため――思想用語的にはコレは「リベラル・フェミニズム」と呼称される――。


 たしかに過度に性的なメッセージを発信するビッチな服装・仕草・表情を公共の場で披露するのは筆者も反対ではある。
 しかし、仮に女性一般が素肌を隠した服装をしたりイスラムのブルカで目元だけを残したような服装をしたとしても、それで性的メッセージは減るにしてもゼロになるのかは疑問である。そーなったらそーなったで、男女ともに異性に対して首のうしろのウナジなり手指なりを代替にして、何らかのフェティッシュな妄想を仮託するのではなかろうか?(笑) 我々も近代的・合理的な人間である以前に有性生殖の動物・生物でもある以上は、性的メッセージを完全に除去できるとはとても思えないからだ。


 そして、フェミニズムには前述のことどもとは逆方向に流れるベクトルもある。女性の性的自己決定・性の自由化のことである。
 とはいえ、コレを拡充した先に従来の男尊女卑的でセクシーな女性像とはまた別のオルタナティブな女性像が待っているとは必ずしもかぎらない。中南米なりラテン系の国々では女性の身体を積極的に強調して男性を誘惑しようとするようなファッション・文化・風潮までもがむかしからあるからだ。


 そこまで行かなくても、女性自身も恥ずかしがってはいるけれど押したり引いたりで、素肌や胸の谷間や太モモを見せたり隠したりするといったチラリズムの妙、男性を強姦に誘っているということはユメユメないにせよ(汗)、男性を惹きつけてコントロールして手のひらの上で転がして優越感に浸ったり、稼ぎや権力のある男性をゲットしようという女性も一定数は常に存在し、それは世代が交代したとしても絶えることはナイであろう。
――むろん、その逆に非常に奥手であり、異性や性的なことから距離を置くどころか拒絶すらする女性もいるだろう。そしてコレらの相違が生じるところの根本原因は、家庭や社会からの影響以前に、生来のもって生まれた個人の性格・気質・体質の相違の方が起因大だとも私見する――


 公共空間における女性の服装の過度な性的メッセージの除去は相応に重要ではある。しかし、その着地点は国・地域・気候・文化圏・歴史的な発展段階ごとにイスラムのブルカであったりロングスカートであったりミニスカも可であったりと、各地で合意点も異なってくるからフワッとした非合理的な要素はドーしても残るであろうと思われる。


 筆者個人が見聞してきた範囲での日本の会社組織においても、女性社員の袖なし・肩出し・胸の強調・ヘソ出し・ローライズの上半ケツ見せ(爆)等々の服装の可否基準は、90年代・00年代・10年代でもビミョーに変化を遂げてきている――前述した服装の一部は常にアウトだとも思うけど、着用してくるヤンキーまたはギャルな女子社員もマレにはいたモノなので(汗)――。


 ならば、現時点では筆者もダメ出しをしてしまった『宇崎ちゃん』や『のうりん』や碧志摩メグの悩ましい姿が公共空間でもOKになる日が、遠い未来には実現しても論理的には不思議じゃない!? いや、個人的にはそれはあんまり望ましい未来ではナイけれど。彼女らみたいなキャラたちはもっと隠れたプライベートな空間で堪能、ハァハァすべきではないのかとも思うので(笑)。


 ……まぁ、股間をカドにスリつけてのオナニーをモチーフにした体操着姿の早熟女児フィギュア「コップのカドでグリ美ちゃん」は、いつまで経っても公共空間でのお披露目にはアウトだろうとも思うけどナ!(爆)――とは云うものの、すでにコレをカンヌ映画祭の日本パビリオンで展示・配布していた日本の文化庁っていったい?(汗)――


 ただ一方で、2次元どころか3次元のポルノでさえも否定し、それに対するオタクや一般層からの反論をすべて「ミソジニー」(女性嫌悪)という、筆者からすると論理的・分析的な説明体系ではなく、論敵を最初から否定的に悪魔化・単純化する同語反復的なカテゴライズにしか見えない概念で、矮小化して理解しえた気になっているような御仁に対してはドー立ち向かえばイイのであろうか? とも考えるのであった。観察していると、彼女らはフェミニズムに対して一定の理解を示している男性やオタクたちに対しても、けっこうな拒絶や揶揄をしてくるからだ(笑)。
――「バックラッシュ」(保守反動・反革命)などの用語も、「ミソジニー」(女性嫌悪)とも同様だけれども。戦前だったらば、右翼が共産主義者を「アカ」、共産主義者ブルジョワ退嬰的なモダンボーイやモダンガールを「モボ」「モガ」と蔑称したような(笑)――


 とはいえ、完全棲み分けではなく時には論争をすることもまた広い意味でのコミュニケーションではあるのだし、結局は和解し合えないにしても、論争の過程でオタク側もいかにギャラリーを味方につけていくか? 完全同意をしてもらえなくても、オタク側にやや理があると思ってもらえるようなロジックの構築を目指すこと自体は大いに必要だとは思うのだ。


 ただまぁ、男尊女卑・女性差別と一口に云っても、


●強者男性による天然でのマッチョでガチな女性蔑視
●弱者男性や非モテ男子が女性への憧憬の果てに裏切られて蔑視するようになったタイプ
●あるいはもっと虚弱で女性といっしょにいるのも居たたまれないほどの照れ屋さん
●女性にリード、筆降ろししてもらいたい受け身の男子(爆)


 ミソジニーにもグラデーションがあることを、ミソジニー以前の性別を問わない対人恐怖(笑)の問題までもがあることを交通整理するのも、その第1歩ではあるだろう。


 2次元ポルノは否定するのに3次元世界では女性向けアダルトグッズ販売で身を立てて、「美少女アニメ」の反転でしかない――完全対称の反転ではナイにせよ――女性にとっての都合がイイ男性像がワンサカと登場してくる「韓流ドラマ」にハマっている北原みのりなどの思想面での不徹底を指摘するのも、その第2歩たりうるやもしれない。


●女性、あるいはフェミニストの中でのモテ/非モテ、性格強者/性格弱者のカーストもあるのでは?
●80年代には男女差や女性的なふるまいを後天的な文化による刷り込みに求めるのではなく、先天的な男女の脳の差異に還元することに猛反発していたフェミニズムが――85年のベストセラー『セックス&ブレイン』(工作舎ASIN:B000J6QPJU)に対する反論としての日本フェミの西の横綱小倉千加子『セックス神話解体新書』(88年・学陽書房ISBN:4313840273・95年にちくま文庫化・ISBN:4480030859)など――、弱者同士としての共闘を申し出たハズのLGBTの一派・性同一性障害については、母胎内での脳の成長過程における性ホルモン逆転などに起因するという新知見に対してはドー落とし前を付けるのか?
●身体は男性でも心は女性の場合に女々しい女性の姿カッコウをしたがる志向を、男尊女卑的な社会がもたらした抑圧された典型的な女性像の反映、そしてその内面化――後天的な文化によって造られたハズの「女性らしさ」の典型を心の中で規範化する自己洗脳!――の結果として捉えて批判をしないのはナゼなのか?


……といった批判もアリであろう。


 性的多様性を肯定するなら、チャイルド・マレスター(小児性犯罪者)は除外するにしても、プラトニック・ラブだけでとどめられている範疇のペドフィリア小児性愛)をLGBTが排除している件についての個人的見解を問うのもアリやもしれない。
 反差別も謳(うた)うのならば、アメリカの教室においても白人・黒人・アジア人同士で固まり、さらにはその人種集団からもコボれ落ちてしまったガリ勉・非モテ・オタクタイプのナードやギークが人種を超えて徒党を組むも、スクールカーストの最底辺に位置付けされている件についての見解を問うことで揺さぶりをかけるのもアリであろう。


 ホントに女性や黒人は(ついでにオタクも)常にいついかなるときでも「弱者」なのか? 実は2元論ではなく、


「1.強い男性」 > 「2.強い女性」 > 「3.弱い男性」 > 「4.弱い女性」


の4層構造から成っており、実社会に残る問題や歴史に根差す問題などは除外したところでの、一個人vs一個人のミクロな局面では「強い女性」は「弱い男性」よりもカーストが上であったり人格力・人間力も上であるから、彼らを見下している局面も相当にあるのではなかろうか?


 腕力・筋肉・体格では劣るアジア人男性を見下している黒人や、筋肉質な男性が大スキな白人女性&黒人女性も多いというではないか!? そして、今の時代は互いにドチラがより「弱者」であるかを競い合うことでマウントを取ろうとする逆立ちした倒錯もある(笑)。


 ……といったあたりで議題を拡張したり、論理的に反駁(はんばく)することも有効であろうと思われる。


 もちろん、それであっても折り合えはしないのだろうけど、ディスコミュニケーションも含めて、その過程における議事録は多少は何らかの思想的な蓄積・成果に昇華するのではあるまいか?


 ちなみに、個人的には個々人の心の奥底の差別感情や好悪の念を完全に抹消することも困難だとは思うので、それは最終目標にするにしても、人種・国籍・思想信条が異なった場合に、あるいはルックスがキモかったり気が合わなかった場合に、我慢してルール・マナー・エチケット・礼節としてそれはおくびにも出さずに対等な個人同士として振る舞うことを中間目標にすることが現実的な使える処方箋だとも思うし、そのような社交の仕方でこそよりマシな「公共圏」を樹立できるのだとも考える。


 もちろん、一方では制度上の問題も残る。しかし、デモで銅像を倒したりセレブ連中がデモの前で写真を撮って「デモに賛同しています」のキャプションを付けてインスタグラムなどのSNSに上げる行為に、現実的な政策提言力があるとも思えない。強者・白人・男性の側が改めるべきだとの意見にも半理はあるのだけれども、それもまたあまりに無策なおカミにお任せに過ぎる他力本願な態度であるようにも思えてしまうのだ。



 ……と、ココまで散々に語ってきたのにナニだけど、この『宇崎ちゃん』なる深夜アニメは、このようなことを語るに足る題材にふさわしい作品ではナイ(汗)。ついでに何よりも筆者にとってはあんまり面白い作品ではなかった(笑)。


 女性キャラの方から男性キャラにチョッカイをかけてくる『からかい上手の高木さん』(13年・18年に深夜アニメ化・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190908/p1)や『イジらないで、長瀞(ながとろ)さん』(11年)などのいわゆる通称「高木さん系」は、この2010年代には数十本という同工異曲の作品数を数えているようではある。
 けれども、ナンというかその魅惑的で蠱惑的な女子像といったワンアイデアだけに留まっており、それ以上のプラス・アルファがナイような作品ばかりなので、それはそれでそれゆえにこそ気楽に楽しめるのやもしれないけれども、個人的には序盤の出オチ的なインパクトだけであとはタイクツであるし、筆者個人の極私的ドラマツルギー美学にも反している作品群でもある(笑)――コレらの作品群を愛する方々にはゴメンなさい――。


 2020年春季には青年誌マンガ原作(98年)の深夜アニメ『イエスタデイをうたって』が放映されていた。
 この作品においても、末広がりの黒髪ショートカットで黒ずくめの服を着てカラス(!)も連れ歩くといったマンガ・アニメ的なキャラ付けがほどこされた不思議ちゃん系でコケティッシュな低身長少女が登場し、大卒なのに就職できずにコンビニバイトのアパート暮らしで人畜無害系の青年クンに彼女がまとわりつく……といった「高木さん」系のキャラクターシフトにもなっていた。
 しかし、この作品にはコンビニのバイト風景も一応はリアルに描かれて少々チャラそうなロン毛の同僚も出てくるし、青年クンは一度は告白するもフラれた大学時代の同級生で高校教師をしている女友達(声・花澤香菜)に未練を残しつつも友人付き合いも続けている。
 先の不思議ちゃん少女はこの高校教師が勤める高校の中退少女でもあったことから擬似三角関係ともなっていき、しかして高校教師自身はすでに死した故郷の恋人が忘れられずにおり、さらには不思議ちゃん少女に高校時代に懸想していた別の青年クンも登場し……。


 とまぁ、筆者個人は別に人間ドラマ至上主義者ではナイけれど、こーいうアヤトリのヒモをいくつも対角線的に結んでいって複数の人間関係を作って駆動させていくのが、世間一般で云うところのフツーのドラマの作り方ではないのかなぁとも思うので(笑)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.85(2020年8月2日発行)所収)


後日付記


 今に至る近代的(?)な丸っこいロリ的な萌え美少女の画像の誕生は1982年。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(82年)に端を発すると記述しているけど、細かく厳密に云うと、1970年代のマンガ家・吾妻ひでおの絵柄が端緒であり、氏とそのアシスタント・沖由佳雄によってコミックマーケット11(79年4月)~17(81年4月)にて発行された伝説の同人誌『シベール』(1~7号)が、さらなる直接的な前史だとはいえる――まぁ、コミケだけでの頒布だし、筆者も世代的にリアルタイムではその存在を知りませんけれど(汗)。ただまぁ、絵柄的にはアニメ絵というよりも少女マンガ絵の文脈になるのと、論旨が煩雑になるのでオミットさせていただいた。
 でも、日本初のアニメキャラ調エロマンガ商業誌『レモンピープル』(82年2月号~98年11月号)の創刊時期は、『ミンキーモモ』放映開始の82年3月を3ヵ月ほどさかのぼる81年12月のことなのだそうで、そうなるとスターターは少女マンガ絵調の美少女キャラだけれどもブースターがアニメ調の美少女キャラであった……というのが、より正確に近い見取り図なのであろう――


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2017年春アニメ評! 『冴えない彼女の育てかた♭(フラット)』 ~低劣な萌えアニメに見えて、オタの創作欲求の業を美少女たちに代入した生産型オタサークルを描く大傑作!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191117/p1

2017年冬アニメ評! 『幼女戦記』 ~異世界近代での旧独vs連合国! 新自由主義者魔法少女vs信仰を強制する造物主!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190304/p1

2017年冬アニメ評! 『BanG Dream!バンドリ!)』 ~「こんなのロックじゃない!」から30数年。和製「可愛いロック」の勝利!(笑)

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190915/p1

2016年春アニメ評! 『迷家マヨイガ-』 ~現実世界からの脱走兵30人! 水島努×岡田麿里が組んでも不人気に終わった同作を絶賛擁護する!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190630/p1

2013年冬アニメ評! 『まおゆう魔王勇者』『AMNESIA(アムネシア)』『ささみさん@がんばらない』 ~異世界を近代化する爆乳魔王に、近代自体も相対化してほしい(笑)

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200123/p1

2011年春アニメ評! 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 ~別離・喪失・齟齬・焦燥・後悔・煩悶の青春群像劇の傑作!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191103/p1


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冴えない彼女の育てかた Fine(フィーネ)』(19年) ~「弱者男子にとっての都合がいい2次元の少女」から「メンドくさい3次元の少女」へ!

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『映画 聲(こえ)の形』(16年) ~希死念慮・感動ポルノ・レイプファンタジー寸前!? 大意欲作だが不満もあり

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190901/p1

心が叫びたがってるんだ。』(15年) ~発話・発声恐怖症のボッチ少女のリハビリ・青春群像・家族劇の良作!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191104/p1


[関連記事] ~フェミニズム特撮!?

実写映画版『キューティーハニー』(04年) ~女子の性格類型の細分化・下妻物語との共時性

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ワンダーウーマン』(17年) ~フェミニズムの英雄か!? 単なるセックス・シンボルか!?

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シンクロナイズドモンスター』(17年) ~「ドラマ」と「特撮」が、非モテ男女の痴話喧嘩で究極の一体化!(笑)

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171113/p1

『へんしん! ポンポコ玉』(73年) 〜70's性転換ジュブナイル・21世紀のフェミニズムの原型&限界も期せずして提起!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080608/p1



宇崎ちゃんは遊びたい! 1-5巻セット (ドラゴンコミックスエイジ)

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『宇崎ちゃんは遊びたい!』再放送中記念! オタクvsフェミ史を俯瞰する!?
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『宇崎ちゃんは遊びたい!』2期放送中記念! オタクvsフェミ史を俯瞰する!?
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