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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!・琴浦さん 〜2013年3大ぼっちアニメ評

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[アニメ] 〜全記事見出し一覧



 深夜アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(13年)の続編『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』が15年4月から放映開始記念! とカコつけて……
 一昨年2013年の3大ぼっちアニメ評をUP!


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

(13年6月執筆)
 真『僕は友達が少ない』がここにある!?


 友だち作りに失敗した、クラスでボッチ(ひとりぼっち)のヒネこびた男子高校生。
 近年ジャンル内にて流行の部活ものの文法にも則り、彼はアラサー独身女教師により「奉仕部」なる部活に強制参加させられる。
 そこで遭遇する、部室の窓際で文庫本を読む、クールだが上から目線でムダにロジカルに話す美人系女子高生。部員に昇格するゆるキャピのカワイイ系女子高生。
 こー書くと、ベタベタな美少女アニメのテンプレなのだが。


 学校で誰とも話さず、級友たちが仲良くやってる休み時間こそが苦痛で、孤立した自分が周囲から蔑みの視線で見られていることにヒリヒリし。
 お前は俺か?(笑)
 コミュニケーション弱者でローテンションな我々オタ(ク)にとっては猛烈に敷居が高い、級友たちとの軽口会話や仲良しグループに加入すること。
 そんな描写でオタ視聴者の感情移入も確保。


 もちろん、本当にキョドったコミュ障(コミュニケーション障害)やキモオタでは、級友たちや女のコとの会話もままならず、女のコに異性としても見てもらえず、ひょっとしてイイ関係? 的な甘美さを味あわせるラブコメにはなりようがない。


 しかしそこは、作家の本能か作劇都合の意識的な造形かは知らねども、あまたのジャンル作品同様、過剰な劣等感やミジメさを主人公には漂わせない。
 倦怠感や面倒クサがり、無関心&傍観者ブリっ子属性を与えて、弱さやナイーブさをテレ隠しコーティング。
 観察者や庇護者にして、真のコミュ障やキモオタはゲストや脇役にふる。


 だから、ディスコミュニケーションも含めて、部室では女のコとも会話のキャッチボールを結構してたりもするのだが。
 そこはリアルなようでウハウハさせもするフィクション作品のブレンド匙加減。うまくいっている。


 特筆すべきは、ほとんどの美少女アニメではなぜだかクラスに存在しないことにされている――よって、時代設定が80年代かョと勘違いしちゃう(笑)――、オタ連中が視界に入れたくもないであろう、髪の毛染めたギャルやチャラ男も登場。
 彼らを中心としたスクールカースト。空気――=悪い意味での日本的ムラ世間――を読んで、媚び媚び気を遣った毛づくろいコミュニケーションまで描かれる。


 半ばギャグとはいえ、ギャルやチャラ男ほかと奉仕部メンバーが強制的に同席させられる、小学6年生たちの一泊二日の林間学校の手伝い光景もキョーレツ。
 アラサー女教師は奉仕部面々に、気が合わない同士がムリに仲良くする必要はナイが、互いに無視でも敵対でもなくサラっと流してコミュする術を学べと発言。


 いやぁまさにそーなんスよ。
 一部の学者間ではこーいうことはすでに指摘されてるし、独力でこの境地に至っている賢いヒトもいるだろう。
 けど、コミュニケーションに支障を来さず幸福な人生を送ってきた、善人なんだろうけど浅薄な人間観しか持っていない、「みんな仲良くしましょう」程度のヘボ理想しか云えない、幼稚園や小学校の先生レベルからは聞かれようもない滋味ある箴言(しんげん)だ。


 さわやかイケメンチャラ男クンの女子小学生グループに対する、モテも利用した自然な人心掌握術。
 それを的確に分析しつつも同じ行動が取れない主人公高校生。


 女子小学生グループからハブられてる女のコを発見、そこに自らの過去を見て溜息をつく美人系女子高生。
 そんな彼女の内心の動きに主人公も目敏く気付く。


 チャラ男のひとりもハブに気付き、その子を気遣う。
 しかし、衆人環視での特別扱いは、女子たちの嫉妬を誘い、その子にも弱者扱いされた屈辱を与えて、善意からの行為であっても逆効果だと内心でツッコむ主人公の慧眼(げいがん)ぶり。


 時ならぬ議論となり、ルックスには恵まれてるからあの子から連中に声さえ掛ければカンタンじゃね? とのたまうギャル娘。
 趣味に生きて学校の外で友だち作ればイイ、ホモがキライな女子はいませんと主張するBL少女(笑)。


 筆者は後者系の人生を送ったが、劇中では後者がコミカルに却下される描写も正しいと思う。
 もう堕(お)ちるしかない御仁はコッチに来いだけど、境界線上にいる子には異性との出逢いもあり人並の人生も送れそうなカタギの世界の方へと背中を押してあげた方がイイとも思うので。


 トドメは中学デビューでやり直すと主張した当の子に、今後も同じだと突き放す美人系女子高生だ。
 がんばれば報われ、心を開けば友ができる。
 半分ウソ。報われないこともあるし、無神経な輩にはバリアを張るべきだ。
 そして最初から期待値を下げておけばダメージは少ない。世界を過剰に憎まずにすむ。
 彼女の本意はそれだろう。筆者も常々同類たちにそう忠告したかったので(笑)、激しく同意だ。


 デートめいた展開でも、ゆるキャピ女子高生の優しさを好意だと勘違いした末、失望しないよう鉄壁の防御を図る主人公。
 君は正しい、分をわきまえてる、オタ連中も見習え!
 筆者はそう思うし、作者もよく判ってるよナ、とも思うけど、この生き方が必然淋しさを伴うのも事実だよネ(汗)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.57(13年6月23日発行))


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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!

(13年8月執筆)
 今どき髪も染めてない――オッサンの筆者には全然OKだが――、ボサボサではないけど、キチンとセットされてるとも云いがたい、各所の先っぽがハネた黒髪。
 同世代の平均身長以下、貧弱・痩身ツルペタ体型。ヒザより下で長めの改造してない制服スカート。
 垂らした前髪の影からのぞく片目は、気弱そうで覇気のない、かつ濁った(汗)ヒトミが浮かび。
 無表情ではないけど、顔色が悪くて乏しい表情。トドメは眼の下に、少々クマ(笑)ができている!


 アニメや原作マンガの表紙カバーを見てると、狭い意味では萌えキャラではナイけど、広い意味では萌えられそう。
 しかし、中CMで見る原作マンガ本文の主人公の絵は……。画力もヘタでキモいかも。
――後日付記:同じ作者による他のマンガの絵柄も見るに、ワザとキモくしていたようです(汗)――


 ラノベライトノベル)原作の深夜アニメ『だから僕は、Hができない』(12年)同様、非モテの実存やスケベ心に訴えるタイトルの集客でまず勝利。
 しかも、同じく題名と内容が一致していない詐欺商法(笑)。


 高校になればモテると妄想し、進学してみればモテてないとゆー、異性モテの議題は発端のみ。
 しかも、彼女は非モテの窮状を他人のせいにもしていない!


 つーか、モテ以前。
 5月も半ばで仲良しグループも確定、昼食時には机を寄せ合ってるのに……。ひとりポツンと文庫本を片手に昼食を取る毎日。
 『僕は友達が少ない』どころか友だちがいない! どころかそもそも学校で誰とも喋ってない!


 まれに級友に話しかけられ、校門で教師に挨拶されても、書店やコンビニやファストフードで
「カバー付けますか?」
「割り箸付けますか?」
「お持ち帰りですか?」
と問われても、極度の内気・人見知り・対人恐怖に小声&滑舌の悪さで、


「エッ?」
とイチイチ聞き返されて、意志疎通が円滑にいかないことに対するプチ恐怖がグルグルと脳内でウズ巻きシドロモドロ。
 どころかコッチが返答したつもりと逆の結果が返ってきて、さらなる自己嫌悪へ。


 「あるある」……とプッと笑って、ココに自分がいる!
 と癒されたのも束の間、劣等感のキズ口に塩をナスりつけられ、痛みがジワリと広がり。
 「アアッッ!!」と思わず絶叫したくなる(笑)。


 生きること、一般人が呼吸するように自然にできる日常生活のもろもろが、大きなストレスに思えてできない人種の苦悩。よくぞ描いてくれました。


 級友たちの毛づくろい会話やバカ話、校外で仲良く遊んだリア充アピールに、狭い道路や歩道橋をヨコ一杯に占拠する集団やバカップルに対して、


「この学校、テロリストに占拠されないかナ…」
「チビ星人に襲われればイイのに…」


と、ガラガラと崩れ落ちそうな自分を支えるため、心の中だけで(笑)イキがったりワルぶったりしてみせる彼女。
 身に覚えがありすぎる!


 しかし、こんなことがカミングアウトできるとはイイ世の中になったなぁ。
 ココで急にオッサンである正体を明かすけど、


・放映開始早々の『笑っていいとも!』(82年)でタレントのタモリが広めたネアカ・ネクラのプレッシャー
とんねるずの躁病的・強迫・脅迫的イッキ飲み強制ノリ笑い(85年)
・小さなイジメもオッケー的な素人までイジくる笑い


 当時のほとんどの若者たちがそれらに大喜びしていた現実に直面して人間に絶望し(笑)、表面だけ合わせて隠れキリシタンとして生きざるをえなかった暗黒の80年代とは隔世の感。


 深夜番組『アメトーーク』(06年〜)での「中学の時イケてない芸人トーク」(08年〜)のようなダウナーなお笑いが流通する昨今は、往時を思うと夢のようだ。
 いや問題は解決されずに悪化。流し方が発達したと云ってしまえばそれまでだが。


 90年代末期のテキストサイトに始まり、2ちゃん(ねる)非モテ板やブログ非モテ論壇、コミケコミックマーケット)の評論ジャンルや文学フリマで隆盛を極める非モテ非コミュ(ニケーション)談義。
 それらのパクリと云われればそーだけど、物語化することでテキストすら読まないライト層にも届いて、救いの福音にもなるのでは?


 こーいうので癒される人種も確実にいる。健全(笑)な人種には理解できずとも、少しでも内気な傾向がある人間なら理解できる物語だとも思う。
 ただ、鬱病患者にチャイコフスキーの『悲愴』を聴かすと死にたくなる話同様、劇薬かも? とは思う(汗)。


 グループに手招いてくれる優しいコがいれば、ここまでコジらせないし、そこで経験値も積めると思うけど、拡大する一方のカーストで底辺層と同類に見られたくナイとゆー自己保身が働く昨今、それもほとんどムリだろう。
 つくづくイヤな世の中だ。
 仮にグループに参入できても、多数派が好む趣味なりの接点がナイと会話も続かないしネ。


 「高校上がって人生の難易度上がったよナ」とボヤく主人公。
 経験的にはこの悩みは一生続くが、こんな虚弱なコに今、真実を明かせないとも思う(笑)。


 中学時代のオタ友の存在は救いだけど、彼女は高校デビューに成功。主人公は彼女に劣等感を抱き、ミゾができるのも色々と示唆的。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.58(13年8月11日発行))


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琴浦さん

(13年12月執筆)
 テレパス能力を不気味がられ、人の悪意に敏感となり、他人を傷つけ友が離れていく悲痛も恐れ、最初から誰とも深く交わらずに生きようと決意した女のコ。
 そんな彼女が転校先で出逢った同級生・真鍋クンと部活動の面々に救われていく物語を、萌え4コマの文法でギャグも多量に織りまぜ笑わせつつ綴る作品。


 #1アバンは主役の女のコ・琴浦さんの幼少時。
 両親の愛に包まれた出生からはじまって、超能力を子供の無邪気さで発揮してしまう幼少時代が描かれる。
 友人や教師たちに奇異の眼で見られ距離を置かれ、虚言癖として教師から母親に指導も求められ。
 ショックを受けた母は娘を連れて各地の病院を訪ね歩き、イラ立つ妻を避けて多忙な婿殿は家に寄りつかなくなり。


 夫婦は不仲となり、共に不倫に走り家庭崩壊。
 ついにはすがる娘を突き飛ばし(!)母は祖父に任せて家を出る!


 学校でも親友に去られて孤立し、公園の捨てネコにエサをやることで慰謝を得るも……。
 心が折れたか、焦点を失い半濁させた瞳から落涙しながら、音声を略して雨天を仰いで絶叫させる演出。


 ガツーン! 稚拙というイミではなくヒドすぎる。


 いや、作家なんぞはいかに美化しようと、お客をダマして舞台ソデで悦に入ってるエゲツない人種だし、まだ#1冒頭だから屈服してはならないと思い直す(笑)。


 優れた感動話でも、そこにはその物語を成立させるいくつかの小ズルい特殊条件があるハズ。
 それらのハシゴ外しをしてやろうと心に決める(オイ)。


 で、一見憎めない天然バカで、内実も半分はバカであり(笑)、しかしオトコ気はある真鍋クン。
 彼は琴浦さんをイジメ始めた元凶少女にも抗議する胆力があり、昼食や組体操で孤立する彼女を明るく構うことで冷やかされカースト序列が下がるリスクも恐れずに、どころか機転も効いた話術アピールで教室の「空気」を逆転操作さえしてしまうスーパープレーヤーでもあった!


 彼はエラいし作者もイイ話を描いている。しかし彼我の差を鑑みて、筆者は絶望(笑)してしまう。
 不遇感から内面ドロドロ、ガチンコ対面の人間力に欠けるから文や絵やサブカル知識やコレクションなどの二次表現に自負や救いを求めるオタ男子には、弱者女性を救えないのか!? と(……まぁ救えないわナ・汗)


 琴浦さんはルックスも小柄で、メンタルもお料理&裁縫系の全身女のコ。
 疎外されずに育ったとしても、仕事デキるプライド系イイ女にはならず、根はお嫁さんになってアナタ色に染まって尽くしたい! というタイプだろう。


 彼女が元凶少女のように勝ち気だったら。
 クラスでボッチでも、自虐的に苦悩せずにフテブテしく開き直り、隙あらば気弱な少年を転落させる、少年マンガ原作の深夜アニメ『惡の華(あくのはな)』(13年)の眼鏡デブ少女だったら。
 逆に、男のコと同席してるだけでもガチガチに緊張して居たたまれなくなる『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の主役の女のコみたいなコミュ障だったら。


 恋話(コイバナ)自体が成立しないのでは?(笑)


 級友たちの小さな善意やモラルの集積ではなく、物怖じせず声もデカくて人格力に秀でた――それはイジワルに見れば他人を自己に従わせる「権力」の始源形態でもある――真鍋クンによるその能力――「小権力」――の善用(!)による少女の救い。
 それは日テレ土9版『野ブタ。をプロデュース』(05年)同様、弱者少女が堀北真希で(笑)そこに傑出かつモラルある個人がクロスしたからこその成功例だとも思える。
 とはいえ、級友たちの善意に期待できぬ以上(汗)、傑出個人が局所的に弱者にも公平な小楽園を築くのが最も現実的な方策か?――ソイツが去ったら元の黙阿弥だとしても――


 だから、真鍋クンが教室で元凶少女に啖呵を切り、動機も好意からだと叫び、廊下でそれを聞いて涙腺が決壊した彼女に、部活の姉さん部長が優しく無言で手をかけている#2には。
 罪悪感に打ち震える元凶少女に優しい言葉をかける琴浦さんの#3には。最終回に至るまで(オイ)。
 ……毎回毎回、眼からナゾの液体が(汗)。


 テレパスものといえば、年長世代にはSF作家・筒井康隆の『七瀬』3部作(72・74・77年)。
 だが今読むと、弱者・少数派=絶対正義。
 迫害されたら造反有理で、相手を殺しても罪には問われず正当防衛。
 果ては当時の弱者シンボル、女・子供・黒人が権力と戦うマルクス主義階級闘争図式が滑稽で、限界を感じる。


 琴浦さんの苦難は、児ポ法反対派が考えるよーな、権力や魔王や石原慎太郎(笑)やQB(キュゥべえ)を倒せば即解決する類ではナイ。
 それは凡人や隣人の小さな悪意や無関心の集積だからだ。


 彼女もアレほどまでに迫害される筋合は毛頭ナイが、自身も未熟であったことに気づき、闘争ではなく和解を模索するあたり、時代は70年代より成熟したというべきだ。


 終盤は友だちがいなくても平気なキャラが登場。
 過半のボッチは孤独をひとりで癒すので、ひとつの救いのモデルとして期待したのだが……(ン、原作は異なる展開だって!?)


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.59(13年12月30日発行))


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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 〜中盤評

(文・久保達也)
 第8話『モテないし、見栄をはる』までを視聴。


 恋愛経験のない女を「喪女(もおんな)」と定義するらしい。
 やおい・BL(ボーイズ・ラブ)好きのオタク女子は「腐女子(ふじょし)」と定義されているが、「喪女」は腐っているどころか、「おまえはもう死んでいる」状態である(笑)。


 囚人のように首から「喪女」のプラカードをブラ下げ、赤レンガの「壁」に鎖でつながれた主人公・黒木智子が、ハードロック調の主題歌をバックに鎖をひきちぎり、心の叫びを爆発させるかのようなオープニング映像があまりにかっこいい!
 が、本編で描かれているのは、アニメやエロゲー(ム)が大好きなオタク・智子のあまりにトホホな日常である(笑)。


 女子高生になったら何もしなくてもモテる、と思いこんだまま高校に入学して早や2ヶ月。
 その間、智子は校内の誰ともほとんど会話がなく、昼休みにひとりで弁当を食う毎日を過ごしていた。


 こんなハズじゃなかったとばかり、智子はさまざまな抵抗を試みる。
 母が買ってきてくれる2枚980円のパンツ(笑)ではなく、初めてランジェリーショップに行ってみる。
 試しに演じた無口で無表情なキャラ設定がダメなら、笑顔が似合う女を演じてみる。
 元ボッチのキャバクラ嬢をテレビで見て、それを目指そうと新宿・歌舞伎町がモデルの繁華街に潜入する。
 だが、それらは全て無駄な抵抗に終わり、智子はますます深みにはまっていくことになるのである。


 もちろんそれらは全て軽妙な自虐型ギャグとして描かれており、特にサッカー部に所属するイケメンの弟とからむ場面は笑いがとまらなくなってしまう。


 が、第1話の冒頭ナレーションにあるように、はたから見ればこれらは実に「どうでもいい話」なのであろうが、筆者にはとても他人事とは思えない。
 筆者もまた、何の根拠もなしに、大学生になれば何もしなくても彼女が出来る、などと信じこんでいたくらいだから(笑)。


 級友のことを
「チャラ男とバカ女」
と称し、
「あんな奴らと群れるくらいならボッチでいい」
と自ら孤独を選ぶばかりか、
「あたしの寿命が縮んでもいいからあいつら事故死しねえか」(笑)
とか、
「この学校テロリストに占拠されないかな」(笑)
などと願うほど、そのふてくされ・やさぐれぶりが極度に達している智子。
 一般層から見れば、智子が彼氏どころか友人すらも出来ないのは当然である、と済ませるであろう。


 だが、第3話で大雨の日の下校途中に傘がこわれ、公園の屋根付きベンチで雨宿りした智子は、たまたま居合わせた男子高校生ふたりに話しかけられる。
 彼女は普段の内心でのふてくされ・やさぐれぶりとは正反対に、相手に対して失礼がないようにと気を遣ってか、小心者の善人そのもののメンタルで(笑)「何か話さなくては!」とあせってしまう。
 その末に、せっかくひねり出した寒いギャグに、「は?」という反応をされてしまうのであった。


 また、第4話ではクラスの女子数人が痴漢にあった話をしているのを聞く。
 まったく被害にあうことのない智子は、痴漢をされたことのない女子高生はこの世で自分ひとりだけなのか? とまで考え、自身が性的には魅力がないという意味での敗北感に陥る。
 だが、それ以前に電車内で、隣の席が空いているのに誰も座ってくれないという日常を、智子は過ごしているのであった。


 これはかの秋葉原通り魔事件の容疑者もブログに綴っていたことである。
 筆者も先日、静岡から横浜まで東海道線で映画『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』(13年)を観に行った際(汗)、同じ被害(笑)にあったものだ
――智子ではないが、イケメンの隣って絶対に若くてキレイな女が座ってんだよな――。


 確かにハタから見れば「どうでもいい話」である。
 が、そんな日常ばかりが若い頃から繰り返されたことで、「劣等感」「敗北感」が増殖してしまったら、智子同様、人と関わるのが億劫(おっくう)になるのも必然の流れではないのだろうか?


 特に「軽薄短小」な80年代に中学生から大学生、90年前後のバブル景気に社会人となるハメに陥った筆者の世代でオタクである者は、この「劣等感」「敗北感」を必要以上に植えつけられてしまっているように思う。


 校内暴力が社会問題となり、ヤンキーがもてはやされた80年代において、筆者のような者は校内のカースト制の最下層に蹴落とされた。
 「お笑いブーム」の末に「楽しくなければ人間じゃない」とされたあの頃、常に
「何か面白いことを言わねば」
「今時の若者らしく享楽的に友だちとレジャーすべきなのでは」
という「強迫観念」にかられたものである。
 が、自分自身は気の利いた面白いトークのひとつも云えなかったし、若者らしい特大イベントが起きることもなかったのであった。


 そして89年夏、かの連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕された際、マスコミが事件そのものよりも、容疑者がいい年をしてアニメや特撮に夢中になっていたことを興味本位で書きたてた。
 これにより、世間は事件よりもそちらの方を気味悪がることとなった。
 彼と同じ趣味を持つ者たちは、まさに「隠れキリシタン」の日々を過ごさざるを得なくなったのだ。


 さらにその年の末、ブレイク前の牧瀬里穂が出演し、山下達郎の『クリスマス・イブ』が流れたJR東海の『シンデレラ・エクスプレス』のCMが世間の注目を集めた。
 これにより、クリスマスを一緒に過ごす相手がいないのは恥ずかしいことだという風潮ができてしまった。
 当時のテレビドラマはこぞってそれを扱い、若者たちが皆、恋人をつくらねばという「強迫観念」に駆られる「恋愛至上主義」の嵐が吹き荒れた。
 だが、誰もいなくなったクリスマス・イブのオフィスで、筆者はワザと残業をしたものであった――智子の将来もたぶんコレ(爆)――。


 こうした風潮の中でまったく優位に立つことができず、自分は「負け組」なのだと思い知らされる状況が十数年も続けば、常にふてくされ、やさぐれた人間となってしまうのも当然ではあるまいか?(笑)


 なんて、あまり自己を正当化したくはないのだけれど、個人の努力だけではどうにもならないような局面にさらされ続けたことは事実である。
 実際智子だって何をしようとしても、ことごとく不発に終わってしまっているではないか。


 一歩誤れば十分に犯罪者になり得る可能性があるほど、既に「臨界点」に達した感のある智子であるが、まったく救いがないワケでもない。
 第6話、地域の最大のイベントであろう花火大会をいっしょに過ごす相手を、智子はバブル期の若者たちがクリスマス前にそうしたように、必死に探し求めるものの、果たせずに終わってしまう。
 だが、中学時代に親友とよく来ていたビルの屋上にたどり着いた智子は、そこに居合わせた男子中学生二人組と、隣のラブホテルで行われる情事をいっしょに覗き見することとなる(笑)。


 「あたしは花火が見たかったんじゃない。誰かといっしょに同じものを見て、楽しいひとときを過ごしたかっただけなんだ」


 たとえどのような形であれ、それが成就した瞬間、まるでそれを祝福するかのように、夜空に盛大に打ち上がる花火。
 そして近年パチンコのCMでもリバイバルされたジッタリン・ジンの『夏祭り』――これも「恋愛至上主義」に湧いた頃の90年8月発売の曲である――が流れるエンディングで締めくくられた第6話は、珍しくハッピーエンドの回であった。


 「軽薄短小」「恋愛至上主義」に踊らされた若者たちも、現在は40代から50代となったが、その中でもマスコミやファッション業界の中枢にいる者たちは、現在の若者文化に対し、やはり同様の仕掛けをしているかと思われる。まさに歴史は繰り返すである。
 そして、安倍政権の経済・雇用政策により、将来的にはむしろ「勝ち組」と「負け組」の格差が更に拡大しそうな予感があり、誘致に成功した東京オリンピックに関心のない者は、にわかに蔓延するプチ・ナショナリズムにより、「非国民」として扱われかねなくなるのではないか……
 こうした御時世をふまえて考えるならば、智子のような存在は、我々が若かった頃以上に、今後は「生きにくい」時代を過ごすことになるのでは? と危惧している。


 だが第8話で、第3話に登場した男子高校生のひとりと偶然再会し、それを彼氏だとあざむいてみたり、駄菓子屋で男子小学生たちとカードゲームに興じ、しかもイカサマをして勝とうとする(笑)など、智子のあまりの「痛さ(痛々しさ)」を知った女子中学生のいとこは、これからは智子に優しくしてあげると決意するのである。
 智子はいとこからの視線を「捨てられた子犬を見るような目」(笑)だと感じるが、智子と同じ悩みを抱える若者たちの周囲にも、そんな存在が少しでも増えてくれることを願ってやまないものがある。


 ただ、中学の頃は地味なメガネっ子だったのに、高校に入ってコンタクトにするわミニスカを履くわでどんどんと色気づいてしまい、第2話のラストで彼氏が出来たことまで発覚した唯一の友人とは、リアルに考えれば智子は自分から離れてしまうこととなるのでは?
 第8話で智子は既に彼女のことを「ビッチ」扱いしているくらいだし(笑)。


 第2話のエンディング曲は、
「恨みつらみ渦巻く世界よ。いっそこの手で終わらせようか」
というすさまじい歌詞(笑)である。
 やはりこの作品の世界観には、先日亡くなった藤圭子とか日吉ミミとか梶芽依子などの、70年前後に流行した「昭和」ふてくされ・やさぐれ歌謡曲がマッチするかと思える(笑)。
 通常のエンディング曲の、「会話が続かない」に始まり、正直すぎるから鏡はいらねえと嘆く(笑)、智子役の橘田いずみ自らが歌唱する『どう考えても私は悪くない』も、クセになる「迷曲」なのだけれど(笑)。


 ところで毎回の特に「痛い」場面で流れ、本作のDVDのCMにも使われている、子供たちが念仏を唱えているような奇妙な音楽、最近頭の中でやたらと鳴り出すことが多くて困っている(笑)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.63(13年10月6日発行))


私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 第4巻 [Blu-ray]
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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 〜後半評

(文・T.SATO)
 眼の下にクマ(!)ができてる少女が主人公のアニメ!
 集団不適応で対人恐怖で卑屈なまでにオドオドビクビク。小声で滑舌悪くて、極度の内気で気弱で人見知り。
 友だち作りに失敗した、学校では誰ともしゃべってない(!)高校1年の女子高生・黒木智子(くろき・ともこ)。


 級友たちが仲良くワイワイやってる休み時間にこそ「孤独」をもっとも痛感し、間が保てないので、長い長い10分間を突っ伏して、寝たフリしてやりすごし。
 教科書を忘れても、隣の異性の級友にそれと頼めず、授業が終わるのを待ちつづけ。体育の時間の組み体操では、組み手が見つけられず。
 夏休みに外出する予定もなく、ゲームとネットのみで何もせずに過ごし。夏の終わりには、何もしなかった後悔と寂寥感、2学期への不安にさいなまれ。


 新学期の席替えでは、周囲の座席をハイテンションで無神経なリア充どもに囲まれ、彼女の頭越しに会話がなされて。
 手を洗ってから昼食どきの教室に戻るや、クラスメートたちが机を寄せ合った近くのお弁当グループに、自分のイスが勝手に使われて。
 それを返してと云う胆力もなく、教室をエクソダス
 便所メシならぬ、カギがかかって屋上へは出られないドアの手前、余りものの机とイスを見つけて階段メシ!


 ……半笑いしつつも、胸の奥がイタくて苦しくなってくる!(笑)
 筆者も学生時代、いや幼少時から、社会人になってからも(汗)、コレらに類することが、夢の中で逢った、ような……。
 運動神経ゼロだから、休み時間に級友たちがドッジボールに興じているのを尻目に、校庭や校内を孤独に徘徊していたことがあった、ような……。


 しかし、いったい彼女が何をしたとゆーのか!? 何も悪いことなんかしてないのに!
 ……いや、もちろん判っていますよ。


 長期不況と云われようが、数十年前と比すれば、世の中が豊かになり、食べるために脇目もふらずに労働だけしていれば済んだ時代も終わり。
 オトナ・労働者になるまでの猶予・モラトリアムが延長されると、人間は……特に思春期の若造は、ルックスやスポーツやコミュニケーションスキルやモテ系サブカル(チャー)知識などで、周囲の他人との差異化・優越化競争に邁進する本能、というか業(ごう)があるとゆーことを。


 そこからイケてる系イケてない系のスクールカーストも拡大。
 趣味嗜好・人格類型までもが、髪型・服飾などからも可視化され、垂直のみならず水平方向でも若者グループが東西南北に四分五裂・細分化・島宇宙化して、互いに交通もなくなっていく。


 ネットの非モテ論壇や書籍『ハイスクールU.S.A. ―アメリカ学園映画のすべて』(06年・国書刊行会ISBN:4336047480)などが明かしてきた通り、先進各国このテのカーストはドコにでもあり、海の向こうでは人種もカラんで、白人・黒人・東洋人・ヒスパニックそれぞれでイケてる系・イケてない系・中間層と細分化されて錯綜したスクールカーストが醸成されているそーな。


 その起源も、各国が高度経済成長を経て、高度大衆消費社会化された時代。
 日本でならば80年代。アメリカならば50年代(30年代という説もあり)に、今日的なスクールカーストの萌芽を見いだせるとゆー話を聞くと、普遍的な現象であることもわかり。


 マジメにコツコツ農作業(第1次産業)や工場労働(第2次産業)さえできれば、異性を楽しませるスキルがなくてもお見合いで強制的に結婚できた時代は去り、自由恋愛や遊び人的スキルが称揚されて、同時に軽佻浮薄な調子のよさも含めて、営業マン的・管理職的なコミュニケーションスキルが経済界からも過剰に求められるようになり。
 ただ単にマジメなだけの指示待ち人間では就活でも採用されづらくなり、コツコツ地道な労働は非正規労働者や労賃の安い海外の工場へとアウトソーシングされていく。


 そんなグローバルな産業構造の大変化を、言語化せずとも無意識に察知したからこそ80年代以降、アリをバカにしてキリギリスを尊ぶ風潮に、若者も子供たちの大多数も乗っかった。
 どころか、むしろ軽佻浮薄な風潮を、自分たちのミーイズムや快楽主義、弱者への共感の乏しさ・酷薄さをも自己正当化してくれるツールとして拍手喝采もした! とゆー分析も一部にはあって、さもありなんとも思う。
 我々のような人種にとっては地獄だけど(汗)。


 別に80年代フジテレビのお笑い番組のプロデューサーやタレントが特に下等だったワケではない。
 「笛吹けど民踊らず」もあるのだから、庶民・大衆の大多数に、それに呼応する品性下劣な潜在ニーズが大いにあったということだ。
 だから筆者は、山本周五郎的な貧しいけれども善良で人情裏長屋な大衆イメージなんてモノは信じない。
 ヤツらこそが敵・迫害者である(笑)。


 そーいった諸々のファクターの帰結としての『私モテ』の「もこっち」こと黒木智子であり、我々みたいな性格類型のオタク人種の不遇・受難なのである!?


 だから、第3次産業中心のポスト工業化社会と、大衆の側のヤンキーDQN(ドキュン)(=不良)な下劣さという2大伏流を押さえずに、それらの表層・アダ花にすぎないアベノミクスや小泉構造改革や80年代お笑い文化を各個に批判したり、人々の良心・公共心に訴えることが、無意味とまでは思わないけれども、それだけでは根源的な分析や解決策を提示できないだろう、とも思う。


 ボッチ(ひとりぼっち)テーマや、引きこもりを発端とするオタクジャンル作品が増えている昨今、これらをサカナに少しでも有効な対策がないかをお節介なことに、もとい自身が救われるために(笑)、今後とも各所で論考していきたい所存だ。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.63(13年10月6日発行))


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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 〜終盤評

(文・久保達也)
 黒髪ロングのメインヒロイン・雪ノ下雪乃(ゆきのした・ゆきの)曰く、
「腐った目だからこそ見えてくるものがある」
のだそうで(笑)。


 千葉県の総武高校――その割には脇役やゲストのほとんどの名字が神奈川県内の地名である(笑)――2年生の主人公・比企谷八幡(ひきがや・はちまん)によってクールに語られる、その「腐った目」で築きあげてきた「人生哲学」が誠に心地良い本作。
 だが、第10話から第12話に至る、「実質」の最終回三部作は、まさにその総決算となる「超問題作」であった。


 イケメンさわやか君=茶髪のチャラ男である葉山隼人に「人望が篤(あつ)い」「リーダーシップを発揮しそう」などと推薦されたことから、今回の「悪役」女子高生・相模南(さがみ・みなみ)は、担任の平塚先生から半ば強制された比企谷とともに、文化祭の実行委員を任されることになる。
 南は実行委員長にまで立候補することになるが、所詮は「ノリでなっちゃった」にすぎないために自信がなく、比企谷と雪乃、準ヒロインの由比ヶ浜結衣(ゆいがはま・ゆい)が所属する「奉仕部」に、委員長の仕事の補佐を求めることになる。


 雪乃は副委員長としてそれを務めるが、補佐どころか、南は委員会の議事進行から書類の決済に至るまで、委員長の仕事を全て雪乃に丸投げする始末であった。


 委員会にフラリと現れた葉山は、ひとり奮闘する雪乃の様子を見て、
「このままでは破綻する、人を頼った方がいい」
と雪乃に警告するが、
「ひとりでやることは間違いなのか? なぜひとりで頑張る奴を否定するのか?」
と、比企谷は内心反発する。


「仕事が出来なくても、同僚とか上司とコミュニケーションさえとれていれば、必ず助けてもらえますよ」
などと、先日もワザと聞こえるようにイヤミを言われた筆者だが(笑)、雪乃が
「ひとりの方が効率がいいから」
と比企谷や結衣の協力を固辞したように、確かに「ひとりで頑張る」ことの方がよい局面もあるのだ。


 実際先日もなんのために皆で分担したのか、馴れ合いの仲間意識を高める程度の意味しかなさそうな、ワケがわからないクソ効率の悪い仕事を職場で見せつけられ、「やっぱこいつら頭悪いな」と溜息をついたばかりのこともあるのだが(爆)。


 だが、葉山の警告どおり、雪乃は体調を崩し、欠席する事態に追いこまれてしまう。
 「ひとりで頑張る」ことで破綻する局面もあるのだ。


 本作は比企谷の「腐った目」による実にシニカル(冷笑的)な視点で物語が進行する。
 だが、それを筆者みたいな「世捨て人」(笑)に共感はさせながらも、絶対的「正義」として描いていない点はポイントが高い。
 「助け合い」は「必ず誰かが貧乏くじをひく」と考え、葉山の「うるわしき仲間意識」に共感はできない比企谷。
 だが、それでも葉山の「人を頼った方がいい」という意見を「間違ってはいない」と語っているのだ。
 少なくともこの局面においては、葉山の方が正しかったのである。だが……


比企谷「自分が変われば世界が変わるというのは嘘だ。都合のいい嘘を押しつけられて妥協させられているだけだ。本当に世界を変えるってことを教えてやる」


 第7話・第8話の前後編で、奉仕部は葉山やギャル系の三浦優美子をはじめとするその仲間たちと、小学校の林間学校の世話をすることになる。
 そこに同じ班の4人から疎外されている女子児童がいた。


 比企谷は肝試しを利用し、その子を疎外する者たちの関係を破綻させることで、事態を好転に導こうとする。
 葉山や優美子らは肝試しでお化けよりもはるかにコワいヤンキーを演じ(笑)、5人のうちの3人は見逃してやるが2人はこの場に残れ、と脅す。


 醜態をさらけ出し始める4人だが、ここで「ボッチ」の女子児童が想定外の行動に出る。
 その子はデジカメのフラッシュで葉山たちを怯ませて、4人を導いてその場から走り去ったのである!
 「自分が変われば世界は変わる」と信じたその子にとって、これは一世一代の「賭け」だったのであろう。


 だが、それは報われることはなかった。
 4人に感謝されるどころか、そのあと行われたキャンプファイヤーにおいても、やはりその子は「ボッチ」でいるしかなかったのである。


 例えが古くて恐縮だが、往年の『ウルトラマンタロウ』(73年)第26話『僕にも怪獣は退治できる!』をはじめ、70年代の変身ヒーロー作品では、怪事件に遭遇することで成長を遂げたいじめられっこが、いじめっこたちに一目置かれるようになるという話がよく描かれていたものだ。
 だが、今回のような展開を見せられると、社会派テーマが頻繁に描かれていた70年代でさえも、今に比べれば、はるかに「牧歌的」な時代だったのだ、と思えてならないものがある。
 そう、世界は変わらない。仲間意識くらいで世界が変わるなら、この世にテロリストは存在しない(笑)。
 誤解を恐れずに言わせてもらうなら、世界を変えるには、時には「爆弾」も必要なのだ、という考え方は理解できる。


 そして、比企谷はふたつの「爆弾」を炸裂させる。


 文化祭のスローガンを決定する会議において、南は
「絆 共に助け合う文化祭」
と、「おまえが言うな!」(笑)とつっこまずにはいられない案を出す。


 これに対し、比企谷は
「人 よく見たら、片方楽してる文化祭」(川柳か・笑)
と、あからさまに南を揶揄した案を披露する。


 平塚先生にその意味を問われ、比企谷はこう答える。
 「人という字は人と人が支えあう図に見えるが、片方の人間は一方に寄りかかっている。これは誰かが「犠牲」になることを容認する概念である。だからこの文化祭に、いや、この文化祭実行委員会にこそふさわしい」と。


 普段はクールで人前で「笑顔」なんぞめったに見せないはずの雪乃が、顔を書類で隠し、声を押し殺して笑い続ける!
 そして雪乃は、「満面の笑み」でそれを「却下」する。


 盛大に幕が開く文化祭。
 だが、「居場所」をなくした南は、エンディングセレモニーを前に行方不明となる。


「自分の居場所を失った人間が望むこと。それは誰かに自分の居場所を見つけだしてもらうことだ」
と、南がわかりやすい場所にいると直感した比企谷は、特別棟の屋上へ。
 案の定、そこには南がいた。
 戻ることを拒む南だが、比企谷は南が持っている賞の結果を記した紙さえ持ち帰れば、用事は済むところだった。南もそれを望んだ。


 だが、比企谷が雪乃から受けた依頼は、南に実行委員長としての責務を全うさせることであり、紙だけ持ち帰るのは雪乃がやってきたことの否定となる。
 今自分がやるべきことは、南を連れ帰り、委員長としての「栄光」、そして「挫折」と「後悔」を与えることだ、と比企谷は考える。


 そこに葉山とふたりの女子生徒が現れ、「早く戻ろう、みんな待ってるから」と、南に笑顔で語りかける。
 あとは連中に任せておけば済むはずであった。そもそも比企谷は南なんぞに何の関心もなかったのだ。だが……


比企谷「雪ノ下は雪ノ下のやり方を貫いた。なら、俺は正々堂々、真正面から、卑屈に最低に陰湿に……」


 そう決意した比企谷は、常にチヤホヤされ、誰かにかまってほしいがために、そんな甘えた行動に出る南は委員長の器ではない。
 所詮は自分の優位性を確認し、誰かを見下すための「肩書き」がほしかっただけだ、などと、既に看破していたことを、そのままズバリ南に浴びせかけた。
 いつも穏和な葉山が、おもわず比企谷の襟首をつかみあげる!


葉山「どうして、そんなやり方しかできないんだ……」


 「楽しいことやってると一日がはや〜い!」などと、南の現実生活が「充実」しているのはかまわない。
 が、それが誰かの「犠牲」の上に成り立つことは、許されるべきではないのである。


 だが現実世界には、自身を優位に立たせるために、どうでもいい些細なことで他人を蔑視して悦に入ったり、オイシイところだけ持っていって面倒なことは他人に押しつけ、それで仕事した気になるどころか、上司にも高く評価される(笑)、なんて輩はいくらでもいる。
 決して南ばかりではないのだ。


 先述した林間学校の世話のために、奉仕部と葉山たちを共同生活させたのも、気の合わない同士が無理に仲良くすることはないが、無視や敵対ではなく、サラリと受け流せる処世術を学べ、と考えた平塚先生のやり方であった。


 だが、それが通用する環境もあれば、どうにもならなくなる場合だってある。
 学園生活ならそれで済むかもしれないが、そうした馴れ合いの環境が顧客に迷惑をかけてしまうほど、仕事に悪影響を与えてしまう事態に陥ったとしたら……
 数年前に職場で「爆弾」を炸裂させたものの、見事に「自爆」してしまった筆者だが(これがホントの爆!)、


平塚先生「比企谷、誰かを助けることは、君自身を傷つけていい理由にはならないよ。たとえ君が「痛み」に慣れているとしてもだ。君が傷つくのを見て痛ましく思う人間もいることを、そろそろ気づくべきだ」


との平塚先生のセリフは、真に心に染みる想いがする。


 深夜枠でオタが中心である視聴層のアニメで、こんな「テロ」をやらかしても、世界が変わることはないであろう。
 もっともゴールデン枠のドラマでこれをやったなら、「やり過ぎだ!」と殺到した苦情で「封印」されるかもしれないし、逆に「リア充」たちは南の姿を見ても、まさか自分のことを描いているとは思わないかもしれない(爆)。


 が、連中が世界の「中心」であることは地球が滅亡するまで変わらないのだから、平塚先生の教えどおりに適当にやり過ごすか、それがキツくなったときには、どうせ世界は変わらないのだから、オレも無理に変わる必要はない、などと、たまには開き直ってみたりするだけでも、随分と気分が楽になるのではなかろうか。


雪乃「あなたを見ていると、無理して変わろうとするのが馬鹿馬鹿しいことに思えてくるわ」


なる雪乃のセリフもまた、実に心に染みるものがある。


 極めて行動半径が狭い筆者だが、この何年かの間に、雪乃みたく、ルックスは平均よりも上なのに、雑談やコミュニケーションが苦手な20代後半の真面目な女性に、職場をまたいで連続して出会ったものだ。
 その娘たちが、80年代やバブル景気を「輝かしい時代だった」(爆)と振り返るような、アラフォー・アラフィフ世代の最もタチが悪い「リア充」のオバハンたち(笑)に散々いじめられるわ、職場で堂々と口論するわで、筆者は20数年前の自分の姿を見せつけられているようで(笑)、ヒヤヒヤさせられたものであった。


 具体的な描写はないものの、雪乃の家庭では「母」が絶対的存在であると語られている。
 父親の存在感がどんどん失われていったりとか、小学校入学時にバブルが崩壊、以後まったくいい思いをしていない、なんて時代背景もあるのだろうが、そんな20代の世代には、コミュニケーション「弱者」が意外と多いように筆者の目には映る。
 そんな「トンビに油揚げをさらわれ続け、いつまでも腹が満たされることのないキツネみたいな人生」(笑)を送ってきたコミュ「弱者」の若い世代には、比企谷の「人生哲学」に習い、少しでも「生きやすくなる」ための工夫を独自に導き出してほしいように思える。


 なぜなら本作は、ほとんどの企業が志望者に「コミュニケーション能力」の高さを要求するがため、それを満たさない者は職が極めて限定され、「悔しかったらコミュニケーション能力を身につけろ。それが出来ない奴は飢え死にするがいい」などと、「弱者」の「痛み」なんぞ平気で切り捨ててしまうような、「優しさ」のかけらもない「弱肉強食」の、極めて「閉鎖的」で「排他的」な、新自由主義経済の縮図そのものであるからだ。
 比企谷が「優しさ」を信じないのも必然だが、そうやって世間に対し、あまり期待をしないというのもヒントになるだろう。


 だからといって比企谷や筆者みたいに、「テロ」に走る、なんてことは考えない方がいい(笑)。
 01年の同時多発テロにしろ、08年の秋葉原通り魔事件にしろ、「テロ」でさえ世界は変わらなかったのである。
 後者の場合、派遣労働者たちの「痛み」「危うさ」に世間がようやく気づいたのは、同年末にリーマンショックが原因で、多くの大企業が派遣社員の大量解雇に踏み切ったときである。
 それまでは多くの人間やマスコミが、通り魔事件の原因や派遣労働者の苦境を「理解できない」とひたすら繰り返していたのだから。
 それほどまでに、人々や世間は「鈍感」なものなのである。


 その意味でも、最終回である第13話はほとんどドラマのない、ただ体育祭を楽しんでいるだけの「番外編」ではなく、「総集編」として、これまでの比企谷の「名言集」をやってほしかった(笑)。


 個人的には毒にも薬にもならない作品よりも、こんな「テロアニメ」(笑)に深夜枠が占領されることを望みたい。



 が、本作は決してそんなヘビーな要素ばかりではない。


・「待っててもどうしようもない人には、待たないでこっちから行くの」
 と、結衣が比企谷に昼飯を差し入れしたりとか、
・先述した「よく見ると、片方楽してる文化祭」(笑)のあと、廊下で雪乃が振り返って比企谷に「また明日」と手を振ったりとか、
・「あなたのことなんて知らなかったもの。でも、今はあなたを知ってる」
 と雪乃が比企谷を見つめるなど、


おまえらホントは……(笑)なんて実に思わせぶりな描写は、普通に「ラブコメ」としての要素を満たしているのだ。
 そんなときになると、比企谷がおもわず「敬語」を使ってしまうあたりがまたリアル(笑)。


 さらに美少年の戸塚が主役を演じる舞台『星の王子様』を見て、飛行士を演じる葉山に比企谷がおもわず嫉妬したりとか(笑)、BL好きのメガネ少女・海老名がそれを演出しながら鼻血を出して失神する(笑)など、陰鬱に陥らない程度にギャグも盛りこまれているため、普通に笑って観ていられる。
 だからこそ、比企谷的にはそれらが「まちがっている」と思えるのだろうけれど
――筆者個人は本作がタイトルどおりの作品だと思えるが――。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH−VOLT』VOL.63(13年10月6日発行))


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