『ウルトラマンメビウス』#24「復活のヤプール」 〜第2期の映像派鬼才・真船禎演出リスペクトが満載!
『ウルトラマンエース』#24「見よ! 真夜中の大変身」 〜赤い雨! ヤプール壊滅2部作・後編の傑作!
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『ウルトラマンエース』24話「逆転! ゾフィ只今参上」 ~大傑作! メビウスの輪の力で、異次元人の悪意を討て!
(脚本&監督・真船禎 特殊技術・高野宏一)
(文・久保達也)
ナレーション「ヤプール人はおそろしい奴だ。残忍な奴だ。地球を侵略するためなら手段を選ばない。なんだってやるのだ。それがまさに、ヤプール人なのだ」
「こんな世の中があっていいものだろうか! この末世(まっせ)の世に、わしは汝(なんじ)らに警告する! むかし、エルサレムではイエス=キリストが生まれ、インドでは釈迦(しゃか)が生まれた。そして、わが日本では親鸞上人(しんらん・しょうにん)あり! そして今、わしは汝らに警告する! 末世はまさに近づいておるぞ〜!」
商店街で群集を前にこのように説く仙人か、『旧約聖書』に登場する預言者(よげんしゃ)・モーゼのような不気味な老人。群集があっけにとられる前で、やがて老人は次のように歌い、踊り始めた……
♪ おまえは神を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
おまえは俺を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
おまえはおまえを信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
その場にいた子供たちが一斉に老人とともにこの歌を歌い、踊りながら老人の行く方についていった。まるで「ハーメルンの笛吹き」のように……
いつの間にか老人と子供たちは荒波せまる海岸を行進していた。「ホレ信じなさい。ホレ信じなさい」と踊りながら……
ナレーション「この異常な流行はまたたく間に日本全土を覆った。日本じゅうの子供たちがこの歌を歌い、この踊りに夢中になった。老人はどこにでも現れた。同じ服装、同じ杖を持って。果たしてひとりの人間なのか? それとも似たような多くの老人たちなのか? それは……」
ヤプール「誰にもわからない。わかるはずがないんだよ。地球のばかどもめ。フハハハハ……」
老人は子供たちに問いかける。
「海は青いか?」
元気よく答える子供たち。
「青い!」
だが、老人はそれを否定する。
「ちがう! 海はまっ黄色だ! 見ろ!」
汚染された海のイメージ……
「海は青くない! まっ黄色だ!」
子供たちはそれに同調する。
「そうだ! 海は青くない! まっ黄色だ!」
同じように老人は「山は緑か?」「花は咲いたか?」と子供たちに問いかける。「緑だ!」「咲いた!」と元気に答える子供たちだが、老人はまたもそれらを否定する。子供たちは老人の云うままに「茶色だ!」「死んでいる!」と叫ぶ……
一連の禅問答のあと、老人と子供たちはまたも「ホレ信じなさい。ホレ信じなさい」と踊り狂う……
XYZ地点でそれを監視する主人公・北斗星児隊員の前で、子供たちが突然姿を消す! あたりは一面真っ暗になり、海岸に駆けつけた北斗を獣人と化した老人の炎が襲い、真夏であるにもかかわらず辺りには雪が舞う! 思わず叫ぶ北斗。
「夕子〜〜~!!」
本部でそれを耳にする南夕子隊員。だが、その件も北斗の話も「科学的でない」「ナンセンスだ」などとTAC(タック)の隊員たちは誰も信じようとはしない……
「オレは見たんだ! たしかにこの目で見たんだ! 海は青いかと老人が云うんだ! 子供たちは青いと答える! (中略)それから歌だ! 今はやっているあの歌! おまえはおまえを信じなさい! ホレ信じなさい! ホレ信じなさい!……」
あまりに興奮し、鬼気迫る表情で必死に訴える北斗に対して唖然とする一同の中で、夕子ただひとりが北斗を制止する。
「やめて! もうやめて!!」
「誰もオレのことを信じてない…… それからオレは砂浜にいた。急に冷たい風が吹いてあたりが暗くなったんだ。白いものが降ってきた。雪だ! こんな真夏に雪が降るなんて、オレだってそう思いましたよ! でもたしかに雪なんだ! 冷たい! 寒い〜っ!!」
ここに至るまでの北斗役の高峰圭二氏はおもわずひいてしまうほど興奮のあまりに絶叫をあげ、その演技はまさに鬼気に迫り、迫真性に満ちあふれている。主演俳優にここまでの熱演をさせた本作のテーマとは? 続きを見ていこう……
「もういいだろう」
北斗の話をさえぎったのは竜隊長だった。
「北斗、君は疲れている。休みたまえ」
「隊長までオレのことを信じてないんですか!?」
竜隊長は頭を大きく横に振り、隊員たちに北斗の証言を裏づけるための調査を命じる。隊員たちが去ったあと、兵器開発研究員の梶が竜隊長に問いかける。
「隊長、信じますか? 北斗隊員の話……」
ここで竜隊長は意外にも、またもや首を横に振る!
だが、それに対して梶は……
「そうですか……。僕には……、信じられます。いや、信じられるような気がします」
本来ならまっ先に北斗の話を否定するはずの「兵器開発研究員」という科学的・合理的な思考そのものの梶が、夢のような話に対して「信じられるような気がする」などと意外なことを口にする。人間は決してひとつではない。常に多面性を持ち、表と裏のある存在なのである。実はこの短い場面こそが、本作が描こうとする最大のテーマをきわめて象徴しているのだ。
メディカルセンターへと向かうジープ。
「星児さん。あたしは信じるわ、あなたの話」
「いいんだよもう。同情はまっぴらだ」
「あたしね、小さいころ、まだぁ五つか六つくらいのころだったかな。ひとだまを見たの。
夜おしっこに行ってね、その帰り。田舎でしょ、トイレが外にあるのよ。
で、その帰りに、隣の屋根から青白〜い、まるい玉がス〜ッと消えていったの。
こわくてね、うちの人起こしたんだけど、だぁれも信じてくれなかったわ。でもね、翌日朝になったら夕べ隣のおじいさんが亡くなったんですって。あたしの見たひとだまは本当だったってわけよね」
――我々の世代も上下水道が普及したあとの世代なので、このような原体験はないのだが、むかしはおそらく昭和30年代(1955~65年)ごろまでは地方の旧家などは汲み取り式の便所が独立して母屋の外(納屋)などに設置されていることが多かったのだ。帰省先の祖父母宅などで体験したことがある同世代人は相応数はいることだろう――
「ありがとう……。君の気持ち、うれしいよ」
「この先の角(かど)、右に曲がるわよ」
「いや、まっすぐ行ってくれ」
「右へ曲がりま〜~す!」(急ハンドルを切る!)
「夕子! まっすぐだってば!!!」
「XYZ地点はね、この方が近道なんで〜~す!」
緊迫していた空気がいっぺんに弛緩する。破顔し、見つめ合い、笑い続けるふたり……
いくら「ふたりだけの秘密」を共有する関係とはいえ、この一連は明らかに北斗と南を恋人同志として描いていると見てよいだろう。それまでが緊張の連続だったことからこの場面には思わず心がなごむが、それも束の間、またしても意外な事実が判明し、北斗の表情が暗くなる……
XYZ地点にはすでに山中隊員と今野隊員が派遣されていた。北斗が見たと主張した砂浜はどこにもなく、海岸線には崖っぷちがあるのみであった。やはり北斗は夢を見ていたのか?……
いつもなら怒鳴るはずの山中が今日は妙に優しい……
「まぁいいさ、北斗。おまえは疲れているだけなんだ」
ナレーション「しかし、北斗の見たものは本当に夢だったのか? いや、決してそうではない。この事件は日本だけにとどまらなかった。世界中の子供たちが一瞬にして姿を消すという想像もできない出来事だったのだ」
アメリカで、イギリスで、スペインで、子供たちが次々と消えた!
もちろん、それらの撮影のために海外ロケに行っているわけではない。だが、別件の記録フィルムの流用なのだろうが、TAC本部のモニターに映し出されていく世界各地の子供たちが、それぞれの母国語(!)で「ホレ信じなさい。ホレ信じなさい」と歌う演出には、世界的規模でのSF的な怪事件が起きている! といったスケールの大きさを説得力を持って感じさせているのだ。
そして鹿児島県で、秋田県で、東京都杉並区のプールでも次々と子供たちが消えた!
ナレーション「不気味な夜が訪れた。消えた子供たちはいったいどこへ行ったのか? 明日はどの子供たちが消えてゆくのか? 誰も知らない。しかし、必ず何人かの子供たちが消えてゆくのだ。そして星の数もまた、いつもより多く光って見えた」
川原で一輪の花を手に大勢の子供たちが川に向かって進んでいくのを発見した北斗は、慌てて阻止しようとするが、子供たちにはまるで手応えがなく、やがて皆がスーと消えてしまい、カラスの大群が鳴くばかりであった……
モノトーンの映像で描き出された子供たちの行動は完全に「死」のイメージである。地球を侵略するためなら手段を選ばないヤプールは、地球の未来を担うはずの子供たちを世界中から抹殺しようとしているのか……
その場にしゃがみこんでくやしがる北斗のもとに竜隊長が現れた。「この世のこととは思えません!」と叫ぶ北斗に竜隊長は……
「そうなんだよ、北斗。この世のことではないんだ。私もそう思う」
「すると、隊長は……」
「あれを見ろ。星がいっぱいだ。星が急激に増えたとは思わんか」
「そういえば……」
「子供たちが消える。星が増える。また子供たちが消える。するとまた、星も増えるんだ」
子供たちはヤプールによって異次元に連れていかれたのだ。遂に竜隊長の甥までもが姿を消してしまったという。夜中に突然起きだし、「海は黄色だ!」「山は茶色だ!」「花は死んでいる!」と叫んだらしい。驚いた竜隊長の姉が部屋に行くとベッドはもぬけの殻だったと話す竜隊長。云わば、地球防衛の任務から事件に関わっていただけの竜隊長としても、これでいよいよ他人事ではなくなったわけである! こうした地に足のついた描写によって視聴者にも身近に迫ってくる恐怖であることを感じさせる演出が実にうまいのだ。
このままでは世界中の子供たちが異次元に連れていかれる! これは人類の未来の問題だ! 誰かが異次元に行って子供たちを連れ戻さなければならないのだ!
梶が開発した「メビウスの輪」の原理を応用したマシン。それによって、北斗は全世界の注目が集まる中、異次元世界に移動することに成功する!
「メビウスの輪」を視聴者に説明する場面が用意されているのが秀逸である。長細く切った紙をひねって張り合わせることにより、表だけで裏のない輪ができる。空間をゆがめて裏をなくすことによって、人間をヤプール人が潜んでいる、いわばこの世のウラ側の世界である異次元へと送り込むことができるというSF的な解決策を提示してみせているのだ!
ナレーション「子供たちを救いたいという北斗の情熱は、ついにその試練を乗り越えた。そして今、北斗は異次元世界をさまよっていた。憎むべきヤプールはどこだ。その時も時、遠くウルトラの星から指令は届いた。北斗星児よ、南夕子よ、今こそ手をつなげ! そして力を発揮するのだ!」
夕子「とあーっ!」
そしてまた、夕子も異次元に向かう!
ナレーション「ゾフィが来た! 南夕子を異次元空間に連れ出すためにゾフィは今来た!」
ゾフィ「行け! 夕子、星児とともに。ヤプールをやっつけるのだ!」
夕子「星児さ〜~~ん!!」
星児「夕子〜~~~!!」
星児と夕子「ウルトラー、ターッチ!!!」
せっかくウルトラ兄弟の長男・ゾフィが来たのなら、そのままエースと一緒に異次元空間で巨大ヤプールと戦ってほしかったと、放映当時も度重なる再放送でも子供たちの100人が100人そう思ったであろう。そうしてくれなかったことが本話の弱点でもある。
エースひとりでは倒せないからこそ、巨大ヤプールのいつもの超獣たちとは「挌」が異なる強敵感を醸すこともできるからだ。本話の唯一の欠点だともいえることなのだが、そのことは包み隠さずに指摘しておきたい。
ヤプール「来たな! ウルトラマンエース!」
エース「そうか! ヤプールというのはおまえか!?」
ヤプール「そうだ! おれがヤプールだ!」
エース「ヤプール! 徹底的にやるぞ!」
ヤプール「どこからでもかかってこい!」
エース「行くぞ!!」
異次元空間で遂に決闘を開始するヤプールとエース!
未知の世界で苦戦しながらも格闘戦と光線技の応酬はまったくの互角! いつまでとも果てぬ戦いは続く! だが、遂に必殺のメタリウム光線が巨大ヤプールのトドメを刺す!
「ちくしょう、奴らめ覚えていろ! ヤプール死すとも超獣死なず! 怨念となって必ずや復讐せん!」
このカッコいいセリフはもちろん、幕末の土佐藩の重臣にして討幕運動に関わり、明治維新後は下野して自由民権運動に関わった板垣退助(いただき・たいすけ)が暴漢に襲われた際の名セリフ「板垣死すとも自由は死せず」からの引用である。板垣自身はこの際、死なずに生き延びてしまって、以後も活躍するのだが(笑)。
苦しみながら海に倒れこむあの老人! やはりヤプール人の使い、ヤプール人のひとりだったのだ!――書籍などでは「ヤプール老人」と呼称されている――
爆発四散する巨大ヤプール!
そして、空の星になっていた子供たちは無事に空から地上へと舞い降りてきた。それまでの映像とは一変、この場面における多数の子供たちが、浮遊しながら降下してくるスローモーションの演出がまた、童心に帰れるような幻想的でファンタジックな映像で秀逸なのである。
ナレーション「ウルトラマンエース、ありがとう! ウルトラマンエース、さようなら! 今、子供たちは地球に帰ってくる。しかし、死んだ異次元人ヤプールの体は、誰も知らない間に粉々になってやはり地球に舞い降りていたのだ。やがて、地球に何が起こるのか? 誰も知らない。恐るべきヤプールの復讐。君たち、危機はまさにせまっているのだ!」
自ら執筆した脚本を、その映像美と濃厚な人間ドラマ溢れる演出で、屈指の名編に仕上げた真船禎(まふね・ただし)監督。
先ごろ放映された『ウルトラマンマックス』(05年)第22話『胡蝶の夢(こちょうのゆめ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060315/p1)では、第1期ウルトラシリーズにおける映像派の鬼才・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督が登板した。特撮マニア間では神格化されてきた実相寺昭雄監督だが、氏の欠点を挙げるとすれば、映像演出のみに興味があって、登場人物もまたオブジェに過ぎず、演技や演技付けにはさして興味がないらしいところだろう。対するに、真船監督は登場人物たちにも熱血や狂気の演技付けを要求することで、その映像美のみならず、ナマの血肉ある人間や人間ドラマをも描こうとしているのだ。
個人的な見解を述べさせてもらうと、実相寺昭雄監督よりも真船監督の方が、映像やカメラアングルのみならず、ドラマもテーマも人物描写も凝っていて、同じ映像派だとしても力量が上であると考えている。
デジタルウルトラプロジェクト発売のDVD『ウルトラマンA』Vol.6解説書のインタビューによれば、本話のテーマとして真船監督が最もやりたかったことは「洗脳」であったそうだ。少年時代に軍国教育を叩きこまれたものの、戦争で負けた途端にアメリカ人を「鬼畜」だと教えていた教師が「彼らは紳士だ」とのたまうようになったことが氏のトラウマになっていたのだという。あの時代の少年で多感であった子供たちからは往々にして聞く話ではある――ただし、くれぐれも云っておくけど、あの世代の全員が真船と同じように感じていたわけではない。さしてショックも受けずにノンポリであった子供もいれば、怪獣映画『ゴジラ』第1作(54年)で戦後復興の時代にノレずに鬱々としている芹沢博士のように、戦後の時代もまた戦前と同様に、いやそれ以上に「ウソの時代」だと思っていたというヒネた子供たちもいたのだ――。
ちょうど『A』放映当時の1972年頃に、真船からすれば「右寄り」と思われる思想がマスコミなどで様々なかたちで取り上げられるようになり、氏としてはそれらに対する警告を発する意味の作品にしたそうである。まぁ、1950年の朝鮮戦争勃発以来、日本の左翼マスコミは常に途切れなく、日本は右傾化していると叫びつづけていた……といった話もあるのだけど(笑)。
本作『ウルトラマンA(エース)』が放映された1972年の早々には、連合赤軍(左翼の過激派)による、あさま山荘占拠事件や彼らの山岳ベースでの大量リンチ殺人が発覚した年でもある。ここでそれまでの「左寄り」の思想や左翼の学生運動や労働運動にまぁまぁ好意的であった日本人が、この事件を契機としてそれらの思想や運動に幻滅してしまった年でもあったのだ。これで当時の若者たちの政治離れも一挙に進んで、「政治に過度に関心を持つ連中はヤバい奴だ」との空気が醸成されて、以降は若者間では政治的な発言をすることが「禁忌」となっていく。「マジメな奴であっても、政治にハマっている奴は、マジメだからこそどこか危ない可能性があるのだと……」。まぁ、たしかにそういった一面があることもまた事実なのだ。
――再び日本の若者間でも少しは政治の話をしてもよいという風潮が復活して、恐る恐るポツポツと政治の話をしだして、実は学生各自もけっこう政治的な定見を互いに持っていたことを確認し合うことになるのは、ずっと飛んでテレビ朝日の深夜の討論番組『朝まで生(なま)テレビ』(87年~)が放映を開始するや大ヒットを果たして、さらに1989年6月に中国で学生たち多数が中国政府に虐殺された天安門事件や、同年秋から年末にかけての東欧革命(東欧諸国の共産党政府の崩壊)のころだった――
「右寄り」うんぬん「右傾化」うんぬんへの警鐘は、実は1972年といわず、戦後ずっと常に途切れなく云われてきたことで、いつの時代も「右傾化」していると云われてきたことだ(笑)。とはいえ、この1972年に特に日本の政治家や政府自民党の政治家に「右寄り」の発言が目立っていたという記録も実は見当たらない。それどころか、むしろ「左」の総本山のひとつであった中華人民共和国と日中国交正常化で日中戦争(第2次世界大戦時の日中間での戦争)以来、途切れていた国交を回復して、中国大陸の正統後継者の地位をめぐって争っていた資本主義国の台湾こと中華民国と断交してしまったくらいの年でもあったのだが(汗)、真船の見解の是非は別にして、真船がそのように感じていた想いが、本話を大傑作として昇華させたのであれば、結果的には何も問題はないハズである。
ただし、「右」であろうが「左」であろうが「その他」であろうが、マインドコントロールされた人々が何かをしでかず危険性はいつの時代にも常にある。95年に逮捕された男が教祖であった某宗教団体が引き起こしたさまざまな事件なども記憶に新しいところだ。
そのために「海は青い」「山は緑だ」「花は咲いた」と無邪気に叫んでいた子供たちが、謎の老人にそれらを否定され、皆が先述のように叫んでしまうこの話に、筆者は実にリアルな恐怖をおぼえるのである。
とはいえ、そこはフィクションでありウルトラシリーズ。マインドコントロール・洗脳による錯覚などではなく、ホントに「海は青く」「山は緑で」「花は咲いて」しまうのだ。あるいは、それもまた「錯覚」や「幻覚」程度であって、思想的な「洗脳」というよりかは「催眠術」の類いだともいえなくはないのだ。そこは尺の都合もあるので、ネチネチと描いても、かえってツマラなくなってしまったり説教クサくなってしまうのであれば、真船の意図とは別にサクサクとストーリーが展開していくことも、エンタメ作品の巧拙の技術としてはむしろ正しいくらいのことだろう。
その意味で、海岸で子供たちが消えたという目撃証言を夕子以外は誰も信じようとしない場面では、北斗の方がマインドコントロールされているのか? TACの隊員たちの方がマインドコントロールされているのか? 実はもうわからないのだ。北斗の発言を信じられないTACの隊員たちの見解もまたムリのないことではあるのだし、そこでまた北斗の方が絶対正義でTAC隊員たちの方が絶対悪であるといったことにもならない、物事の二面性や多面性といった深みが出せていることもまた事実なのだ。そして、真船個人の意図を超えて、こういうところにこそ、本作が大傑作に昇華した所以(ゆえん)もあったと思うのだ。
竜隊長が問題の地点のパトロール強化や、謎の老人や消えた子供たちに関して調査するように隊員たちに命じることで、北斗の言い分が信用されて一瞬の安息の時が流れる…… しかし、梶による「信じますか? 北斗隊員の話……」という問いに、北斗に理解を示していたかに見えていた竜隊長さえもが、実は北斗の話をまるで信じていなかった! 単に北斗をなだめるための妥協としての行為であった! といったことが判明するという、実にシビアである意味では究極のリアリズムだともいえる描写が挿入されているのだ。
そうなのだ。北斗の荒唐無稽な発言を竜隊長がそのままに信じてしまったならば、それはそれで作品はウソくさくなってしまうのである。しかし、ここまで来ると、もう子供向け番組としての人間描写をはるかに超えている。リアルでシリアスだと評されがちな(筆者個人は必ずしもリアルでシリアスだとも思わないけれども)平成ウルトラ3部作における人間描写すら良くも悪くも超えてしまっているのだ!
どんなに正しいことを主張しても、それが他人にとっても正しいと証明できなければ、事実としてはともかくも、法律的にも冤罪を避けるためにも「疑わしきは罰せず(=推定無罪)」でいかんともしがたいことになる。この世の中は良くも悪くも往々にしてそういうものなのだ――むろん、だからと云って、戦前の世界中の警察国家のように、疑わしきを次々にしょっぴいていくような予防拘禁を復活させるワケにもいかないので、そういった処置もまた大切なことなのだ――。そのあたりのジレンマを実に的確に表現しつつも、しかしあまりにも恐ろしい場面ではある。
ハッタリといえばハッタリであるが、ゾフィのわずかなゲスト出演が声高に謳われていなければ、ヘビーにすぎる話だったかもしれない。ヤプールとエースによる最終決戦が描かれた異次元空間の描写や光線合戦は幻想的で光学合成も鮮やかで、ここではヒロイックな雰囲気も与えられていた。
ヤプールはメタリウム光線で爆発四散し、子供たちは異次元空間から帰ってきた。だが、ヤプールは断末魔に「ヤプール死すとも超獣死なず」と叫んだ。異次元人ヤプールとの戦いはまだまだ終わらなかったのだ……
<こだわりコーナー>
*サブタイトルにもあるように、ウルトラ兄弟の長男・ゾフィー(当時の公式名称はゾフィ)がゲストに登場する。声の出演は当時、特撮変身ヒーロー作品『超人バロム・1(ワン)』(72年)で上田耕一に代わってバロムワンの声を演じていた村越伊知郎と思われる。
*1979年にキングレコードから発売されたアナログレコード『ウルトラオリジナルBGMシリーズ4 ウルトラマンA <冬木透の世界*3>』に、本話の冒頭で描かれた老人と子供たちが踊り狂う場面の音源が『ヤプール怨歌(えんか)』という曲目を付与されて収録されていた(B面の2曲目であった。1曲目にはヤプールの暗躍場面に流れた定番曲が『ヤプールのテーマ』として収録されていた)。きちんと音楽としての扱いを受けていたのである。近年は作品のためにつくられた音楽が全曲完全収録されるのが当り前になっているが、本編ではこうしたお遊びの試みが音楽著作権の厳密化や著作権料の高騰化により見られなくなってしまったのは残念である。
それにしても、この『ヤプール怨歌』。ハナ肇とクレージーキャッツが歌った『学生節』(63年・作詞/西島大、作曲/山本直純)に歌詞もメロディも酷似したパロディー楽曲だが、『学生節』の以下のような歌詞を見るかぎりでは、自ら脚本を書いた真船監督の狙いがなんとなく垣間見えるというものである。
(歌詞3番)
♪ひとこと文句を云う前に
ホレ先生よ ホレ先生よ
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
道徳教育 こんにちは
おしつけ道徳 さようなら
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの生徒を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
(「はてなブログ」では2019年7月から「株式会社はてな」が一括してJASRAC(ジャスラック・日本音楽著作権協会)に一定料を支払して、歌詞の引用をOKとしているので、念のため!)
真船の意図を相対化してしまって申し訳がないのだが、戦後日本では「道徳教育」を戦前の「修身」教育の復活だとして批判をする流れがあった。『学生節』の3番の歌詞はこの流れを受けてのものである。ただし、日本の左翼陣営の中でも社会党と共産党では、教員を「労働者」とするのか「聖職者」とするのかで見解が分かれており大論争も繰り広げられていた。「道徳教育」全般を単純に全否定しかねない論調には、当然に左翼の内部でもおおいに論争があって、共通見解が醸成できたワケではなかったことについてもくれぐれも強調しておきたい。
*本話準備稿のサブタイトルは『セブンよ異次元へ飛べ!』。
*視聴率19.9%
真船禎監督ウルトラシリーズ担当作品リスト
『ウルトラマンエース』
第5話「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」(脚本・上原正三)
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060604/p1
第6話「変身超獣の謎を追え!」(脚本・田口成光)
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060611/p1
第17話「怪談 ほたるケ原の鬼女(きじょ)」(脚本・上原正三)
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1
第18話「鳩を返せ!」(脚本・田口成光)
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060907/p1
第23話「逆転! ゾフィ只今参上」(脚本・真船禎)
(当該記事)
第24話「見よ! 真夜中の大変身」(脚本・平野一夫、真船禎)
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061015/p1
『ウルトラマンA』全話評・後編 #24〜最終回予告!
本邦初のマニア向けムックが発行されて、年長の特撮マニアが集団として成立した1970年代末期以降、『ウルトラマンA』それ自体もそうだが、特にそののシリーズ後半は作品的な評価が低くなっている。そういった風潮による先入観もあって、各種ウルトラ関連書籍などで『A』後半に登場する色モノ的な超獣の図版なども見ることで、よけいに作品自体やシリーズ後半を食わず嫌いにしている特撮マニア諸氏も多いのではなかろうか? 今後は騒音超獣サウンドギラー・鈍足超獣マッハレス・伝説怪人ナマハゲなど、色モノ的な超獣が『A』には続々と登場しくてる(笑)。しかし、作品そのものは決して色モノではなかった! 長らく誤解と偏見を受けてきた第2期ウルトラシリーズの名誉のために、筆者は今後も微力ながらも尽くしていきたいと考えている……
『假面特攻隊2006年号』「ウルトラマンエース」関係記事の縮小コピー収録一覧
・静岡新聞 1972年4月7日(金) SBSテレビきょうのハイライト新番組ウルトラマンエース 輝け!ウルトラ五兄弟(安心堂、はごろも缶詰提供) 〜大枠紹介記事
・静岡新聞 1972年3月20日(月) SBSテレビ春の新番組〈7〉ウルトラエース 男女の空中合体で変身 〜まだこの時期は「マン」抜きの「ウルトラエース」名義
・朝日新聞 2005年4月3日(日) 受刑者家族の会設立へ監獄法見直し「要望、当局に伝えたい」 〜「獄中者の家族と友人の会」呼びかけ人は山際永三監督
・『小学一年生』72年9月号ふろく「小一怪獣ひみつ百科」 〜美川隊員・西恵子のサイン付(笑)2005.2.2
・毎日新聞 1972年4月5日(水) TBS春の新番組宣伝広告 〜『エース』・『日本一のおかあさん』(水曜夜7時、司会・萩本欽一)・『1・2・3と4・5・ロク』(ちばてつや原作、木曜夜7時)
・静岡新聞 2005年10月25日(火) 根上淳訃報記事「白い巨塔」など脇役 〜『帰ってきたウルトラマン』伊吹新隊長役
・朝日新聞 2005年10月26日(水) 根上淳訃報記事
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『ウルトラマンエース』#26「全滅! ウルトラ5兄弟」 ~一大イベント巨編だが、実は高いドラマ性!(それ故の問題点も!)
『ウルトラマンエース』#35「ゾフィからの贈りもの」 〜子供に過ちを犯す主役!
『ウルトラマン超闘士激伝』 ~オッサン世代でも唸った90年代児童向け漫画の傑作!
『ウルトラマンメビウス』#1「運命の出逢い」 〜感激!感涙!大傑作!
『ウルトラマンメビウス』#15「不死鳥の砦」 ~ゾフィー&アライソ整備長登場!
『ウルトラマンメビウス』#24「復活のヤプール」 〜第2期ウルトラの映像派鬼才・真船禎演出リスペクトが満載!
『ウルトラマンメビウス』#29「別れの日」、30話「約束の炎」 〜タロウ客演前後編!
『ウルトラマンメビウス』最終回 最終三部作 #48「皇帝の降臨」・#49「絶望の暗雲」・#50「心からの言葉」 〜ありがとう!
『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』 ~岡部副社長電撃辞任賛否!
『ウルトラギャラクシーファイト』(19年) ~パチンコ展開まで前史として肯定! 昭和~2010年代のウルトラマンたちを無数の設定因縁劇でつなぐ活劇佳品!
https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1
異次元人ヤプール・復活編!
『ウルトラマンエース』#48「ベロクロンの復讐」
『ウルトラマンエース』最終回「明日のエースは君だ!」 ~不評のシリーズ後半も実は含めた集大成!
『ウルトラマン超闘士激伝』(93年) ~オッサン世代でも唸った90年代児童向け漫画の傑作!
『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06年) ~大傑作映画!
『ウルトラマンメビウス』(06年)#24「復活のヤプール」 〜第2期ウルトラの映像派鬼才・真船禎演出リスペクトが満載!
『ウルトラマンメビウス』(06年)#44「エースの願い」 〜南夕子
http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070408/p1
『A』23話「逆転!ゾフィ只今参上」放映50年評 ~大傑作!メビウスの輪の力で異次元人の悪意を討て!
#ウルトラマンA #ウルトラマンエース #ウルトラマンA50周年 #ゾフィー #巨大ヤプール #ヤプール老人
『A』23話「逆転!ゾフィ只今参上」放映50年評 ~大傑作!メビウスの輪の力で異次元人の悪意を討て!
#ウルトラマンA #ウルトラマンエース #ウルトラマンA51周年 #ゾフィー #巨大ヤプール #ヤプール老人 #真船禎
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