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ウルトラマンエース総論 〜『A』総括・再評価・全話評完結!

ファミリー劇場ウルトラマンA』放映・連動連載!)


ウルトラマンエース最終回「明日のエースは君だ!」
「ウルトラマンA 再評価・全話評!」 〜全記事見出し一覧

ウルトラマンA』総論 〜エース総括!

(文・久保達也)
(昨年06年11月執筆)


 「従来のヒーロー像の枠を超えた『男女合体』。ミステリアスな悪役『異次元人ヤプール』。そして怪獣を凌駕する『超獣』などの設定は、抽象的すぎて撮影現場は受けとめきれなかったんです」

(脚本家・市川森一氏)


 「“超獣”にしても、怪獣を超える設定って何だろう? ということになる。デザインする人のためのイメージがないんですね」

(元円谷プロプロデューサー・熊谷健氏)


 「ヤプールという観念的な存在にしても、それをどう表現したらいいのか、具体的にならないんだな」

(元TBSプロデューサー・橋本洋二氏)


 以上はDVD『ウルトラマンA』Vol.1〜3(デジタルウルトラプロジェクト・04年7月21日発売・asin:B00024JIU2asin:B00024JJGKasin:B00024JJGU)の、3巻同時購入特典として配布された『円谷新報・号外』における、当時の『A』スタッフたちの証言である。


 「悲劇の神!? ウルトラマンA」「突然の主役女優降板」「小学館学年誌 ウルトラ兄弟独断設定事件」など、スポーツ新聞の芸能欄を彷彿とさせるセンセーショナルな見出しが踊る中、ウルトラシリーズ中唯一無二の、『A』独自の魅力について、まるで製作現場でスキャンダラスな困難が多発した要因であるかのように、当のスタッフたちが否定的な見解を示しているのである。


 「『A』はいろんなファクターが多過ぎたんだよ」


 先述の橋本氏が語っているように、ウルトラ兄弟ウルトラの父、ウルトラ6番目の弟など、試行錯誤を重ねる中で、意図的に行われた魅力的な仕掛けも『A』には数多く登場している。
 そんな「多過ぎたファクターを、ちゃんと消化しきれなかった」と橋本氏は語る。これは氏ならずとも、第1期ウルトラ至上主義の「ヌルい」マニア(あえて今回はこう書かせてもらいます)が『A』を評する際によくいわれることでもある。
 それらは基本的には、スタッフ自身もマニア評論に影響された後付けのリクツを語っているに過ぎないと筆者は見る。


 だが、そもそも「多過ぎるファクター」「路線変更」は、そんなに問題視されねばならないことなのであろうか? そして、『A』は本当に「ファクター」「路線変更」が多すぎた作品だったといえるのであろうか?


 『ウルトラマンA』放映開始時の72年4月当時に放映されていた特撮変身ヒーロー作品としては、以下のようなものが存在している。
*『仮面ライダー』  71年4月〜73年2月
*『シルバー仮面』  71年11月〜72年5月
*『ミラーマン』  71年12月〜72年11月
*『快傑ライオン丸』  72年4月〜73年4月
*『超人バロム・1(ワン)』  72年4月〜11月
*『変身忍者 嵐』  72年4月〜73年2月


 これに加えて、72年度には以下の作品も放映されている。
*『レッドマン』  72年4月〜10月
*『トリプルファイター』  72年7月〜12月
*『人造人間キカイダー』  72年7月〜73年5月
*『サンダーマスク』  72年10月〜73年3月
*『行け! ゴッドマン』  72年10月〜73年9月
*『レインボーマン』  72年10月〜73年9月
*『突撃! ヒューマン!!』  72年10月〜12月
*『アイアンキング』  72年10月〜73年4月
*『ファイヤーマン』  73年1月〜7月
*『魔人ハンターミツルギ』  73年1月〜3月
*『ジャンボーグA(エース)』  73年1月〜12月
*『仮面ライダーV3』  73年2月〜74年2月


 72年度当時は夜7時台にこれだけの競合番組がひしめいていたのである(児童向けドラマやアニメ、特に変身・怪獣ものの変形・一種でもある『デビルマン』(72年)や『マジンガーZ』(72年)などを加えればもっと凄いことになる)。


 これに比べ、『ウルトラマン』の放映が開始された66年7月当時は、怪獣が登場する特撮ヒーロー作品としては『マグマ大使』(66年7月〜67年6月・後番組の『怪獣王子』が製作の遅れで放映開始が10月にずれこんだことから、それまでの3ヶ月間は傑作選が再放送された)しか存在しなかった。しかも主人公が変身を遂げる作品となると、事実上の独占状態だったのである。


 『帰ってきたウルトラマン』の放映が開始された71年4月の時点でさえ、競合する作品としては『帰ってきた』に先んじて1月にスタートした『宇宙猿人ゴリ』(5月に『宇宙猿人ゴリスペクトルマン』、10月に『スペクトルマン』と改題された)と、先に挙げた『仮面ライダー』しか存在してはいなかったのである。
 それに比べれば『A』放映当時のライバル番組の多さは一目瞭然であり、これらの強豪から勝ち残ろうと思えば、おもちゃ箱をひっくり返したような、賑やかで豪華多彩な感覚にあふれた作風になるのは至極当然なのである。


*悪の組織に改造された青年科学者が正義のヒーローへと転じる『仮面ライダー
*父の遺産である光子ロケットの秘密を狙う宇宙人たちからそれを守るために、その子らがさすらいの旅を続ける『シルバー仮面
*二次元人の父と地球人の母の混血である主人公がインベーダーの侵略から地球を守る『ミラーマン
*68年のパイロット作品『豹マン』(当時の講談社の月刊誌『ぼくら』にも漫画やグラビアが掲載されたものの、怪獣ブームの衰退でテレビ化はなされなかった)を時代劇に発展継承させた『快傑ライオン丸
*秀才少年とガキ大将が『A』の北斗と南のように合体変身を遂げる『超人バロム・1』
*『仮面ライダー』の時代劇版の趣である『変身忍者 嵐』


 ……今日の目で見ても、かなり設定に凝った工夫がなされた個性の強い作品が散見されるのである。


 そして『仮面ライダー』はふたりの仮面ライダー・ダブルライダーの共闘、悪の組織ショッカーの大幹部交替劇(さらに新組織ゲル・ショッカーに再編成を遂げる)、現在試みたならば子供だましとも取られかねない少年仮面ライダー隊の登場などが、講談社『テレビマガジン』の連動も手伝い、子供たちの圧倒的な話題をさらった。
 『変身忍者 嵐』は敵が化身忍者から西洋妖怪に変わり、ナゾの戦士・月の輪が登場し、嵐と合体して光線技も使用するようになり、『超人バロム・1』は『A』とは真逆に地上での合体変身から空中合体変身に変更され、『シルバー仮面』は当初等身大のヒーローであったが、地味な作風と裏番組が『ミラーマン』であったことから視聴率が低迷したため、第11話から巨大ヒーローとなった。
 ウルトラと異なるヒーロー作品を円谷プロが目指した『ミラーマン』も、当初は科学者集団的であった防衛組織SGMが、後半は戦闘機ジャンボフェニックスを駆使して戦闘集団へと変貌を遂げ、ミラーマンにカラータイマーが加わるなど、ウルトラに近い作風へと変わったのである。


 要するに当初から従来の作品とは異なる、様々な目新しいファクターを用意し、試行錯誤を重ねる中で、意図的に魅力的な仕掛けを行うという展開がなされていたのは『A』ばかりではなく、当時の変身ヒーロー作品のほとんどでそういう試みが行われていたのである。したがって『A』に対し、「多過ぎるファクター」という印象を筆者は特に感じない(もちろん少ないとも思わないが)。


 この傾向は近年においても平成仮面ライダーシリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC)において特に顕著である。当初から複数のライダーを配し、それらが幾種類ものタイプチェンジを遂げ、ライダー対怪人、ライダーの共闘、ライダー対ライダー、それらが入り乱れてのバトルロワイアル、更なるライバル的存在の新ライダーの登場などで、毎年賑やかに展開させているのだ。
 そして出演男優には総じてイケメンを起用、恋愛的要素やロケ地スポットの選定にはファッション感覚を大いに発揮させている。
 これだけのファクターにあふれていなかったら、あのようなアダルトでダークで、かつ過激なバイオレンスにあふれた作品が就学前の幼児や女性に支持されるわけがなく、不健康な野郎ども(笑)が観るだけで終わってしまい、現在まで続く長期シリーズとはなり得なかったことであろう。


 いや、それは80年代以降の児童向けマンガやアニメや特撮、06年現在放映中である『ウルトラマンメビウス』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)でも同様である。複数のウルトラマンを配し、それらが幾種類ものタイプチェンジを遂げ、ウルトラマン対怪獣、ウルトラマンの共闘、ウルトラマンウルトラマン、それらが入り乱れてのバトルロワイアル
 『メビウス』の場合は当初からの計画だが、『A』以上に「多すぎるファクター」を抱えて1〜2カ月単位で一種の「路線変更」を行い、月に1回は子供(とマニア)の注意を集める娯楽活劇的イベント編を用意する。


 『メビウス』や戦隊を指して、「多すぎるファクター」などと評する人はゼロではないだろうが、むしろ時代にマッチした作劇であると評する人の方が多いだろう(いや、ウルトラに関して云えばこの作劇に到着したのが10年遅かったくらいなのである)。
 とはいえ、『メビウス』もまた高視聴率を獲得はしていない以上、この論の説得力も弱まってしまうのだが(笑)、ただし児童向け番組としてはその方向性はまことに正しいとは思う。


 平成ウルトラ第1作『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)において、ウルトラマンティガが本来のマルチタイプからスカイタイプ・パワータイプへとチェンジするという試みは、それこそ平成ライダー作品に発展継承を遂げた、極めて革新的な試みであったと現在でもそう感じる。
 しかしながら『ティガ』に限らず、『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)にしろ、『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)にしろ、それ以上のおもちゃ箱ひっくり返し的な、豪華多彩な要素が呈示されることはなかった。


 それ以外の革新的な試みがむしろドラマやテーマの根幹に関わる部分ばかりで行われ、子供の目に見える部分ではっきりとした形で呈示されなかったのが、平成ウルトラシリーズが前番組のアニメ『とんでぶーりん』(94年)、『ママはぽよぽよザウルスがお好き』(95年)の平均視聴率14%台から半減し、『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)の児童間での圧倒的人気にも大敗し、特撮マニア連中が意図的に無視しているのか無知なのかは知らないが特撮ヒーローものに限定しても実は同年の東映メタルヒーロービーファイターカブト』(96年)に視聴率で勝てず、翌97年に日曜早朝へ移動した戦隊シリーズとメタル〜平成ライダー路線に視聴率&玩具売上高でも後塵を拝し続けてきた最大の要因であると筆者は考えるのである
 (よく21世紀の『ウルトラマンコスモス』(01年)から東映特撮ヒーローに負け始めたと勘違いしているマニアが多いけど、『ティガ』の時点ですでに負けているので念のため)。


 『A』に限らず、『シルバー仮面』にしろ、『ミラーマン』にしろ、視聴率低迷や玩具の売上不振から脱却をはかろうと思えば、少しでも子供たちの目をひくために、当初の設定をかなぐり捨て、さらなる新しいファクターを多数導入するのが当然ではないのか?
 (『ミラーマン』商品の低迷が、『A』や次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)のブルマアクの商品ラインナップ縮小へとつながり、同社倒産の遠因ともなっているのだ。現在でも『ミラーマン』放映当時のソフビ人形が比較的安価で購入できるのは大量の売れ残りがバッタ価格で処分されたからという話を聞く)


 当時最も人気を得た『仮面ライダー』ですら、関東では当初1ケタの視聴率に苦しんでいたのだが、主演の本郷猛こと藤岡弘が撮影中の事故で1クールで降板(南夕子役の星光子降板どころの騒ぎではない!)、2号ライダー一文字隼人(いちもんじ・はやと)こと佐々木剛(ささき・たけし)に交替したのを機に両腕を大きく振りかぶるインパクトの強い「ヘンシン!」ポーズを導入、作風を明るく、アクション面を強化したことで常時20%以上を稼ぐ人気番組へと成長したのである。
 そして、『仮面ライダー』が最大の人気を得た理由は、以下の証言に尽きるであろう。


 「私はこういう場合、現行番組が好調に走っているときでも、一年間52回も過ぎると疲れが見えてくるもので、それが視聴率の低下に現れないうちに、何かのリフレッシュ策を講じるのだ」

(元東映プロデューサー・平山亨氏。『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)DVD−BOX(東映ビデオ・05年7月21日発売・asin:B00081U4Q6)のスペシャルブックレットより)


 ほぼ1クールごとに再生怪人軍団登場編や敵幹部交代劇があり、頻繁に2人の仮面ライダー・1号&2号のダブルライダー活躍編があるなど、人気に奢(おご)らず次々に新たな仕掛けを用意するこの姿勢こそ、『仮面ライダー』が最大の人気を得た要因ではないかと筆者は考える。


 こうした証言を聞くと、同じひとケタの視聴率に苦しみながらも改善策を講じることがなかった平成ウルトラシリーズのスタッフたちは、言葉は悪いが「怠慢」だったというほかはない。
 とかく「ヌルい」マニアたちは「路線変更」を「害悪」であるかのように批判することが多いものだ。


 平成ウルトラのスタッフたちがそれに影響された可能性もあるのだが、ひとケタの低空飛行を続けていながらも、それに対してまったく「無策」であることを露呈させているかに思わせるほど、路線変更を潔しとせず、現実の子供人気よりもマニアに顔を向けているかのような、当初の設定を頑固に守り通そうとする頭の固さ、融通の効かなさは、筆者は見ていて本当に痛々しかったものである
 (そんな調子だから自由奔放な発想も沸くわけがない)。


 ――ひとケタのことばかり強調するようで申し訳ないのだが、『ファンタスティックコレクションNo.10 ウルトラマンPARTII 空想特撮映像のすばらしき世界』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行〜『不滅のヒーロー ウルトラマン白書』(82年に初版・95年に増補第4版・asin:4257034505)に合本再録)では、第2期ウルトラシリーズ最終作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)を批判する手段として、第17話『見よ! ウルトラ怪奇シリーズ 狼男の花嫁』が視聴率ひとケタに陥ったことを、「ウルトラシリーズはじまって以来の不名誉な記録」などとあげつらっていたのである。
 第2次怪獣ブームが発展した世間の変身ブームは、74年にはすでに峠をこえていてロボットアニメブームに潮流は移っていたのだから、これは時代の空気ともいうべきもので、『レオ』や第17話ばかりに責任があるとは到底思えないのである。
 第1期ライダーシリーズ最終作である『仮面ライダーストロンガー』(75年)にもまったく同じことがいえる。とはいえ巨大ロボットアニメが王者の時代も長くは続かず、『ストロンガー』の後番組として始まった『まんが日本昔ばなし』(76年)が視聴率30%を記録して、しかし78年にはもう都合3度目の変身・怪獣ブームが到来するのだから子供というのは実に移り気(笑)――


 一年間放映の予定が3クールで打ち切りという、「ウルトラシリーズはじまって以来の不名誉な記録」を残してしまった『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060308/p1)もまた然りである。
 これも『A』に負けないくらいの斬新なファクターを数々抱えていた。しかしながらウルトラマンに変身する人間がバトンタッチしていくという設定はともかく、防衛組織というよりはモロ軍事組織だったナイトレーダー、それが事件を市民にひた隠し、当事者や目撃者の記憶を消去してしまったり、怪獣に代わるスペースビーストの造形や演出に感じられたゾッとするような生理的嫌悪感、ライバルヒーローがヒロインを射殺してしまうなど、とても子供が喜ぶとは思えない要素ばかりであったにもかかわらず、それらを整理しようとはしなかった。
 私事で恐縮だが、私や弟の啓蒙によって、せっかくウルトラファンになりかかっていた甥は、『ネクサス』でウルトラから離れることとなってしまった。努力は全て水泡と帰してしまった……
 (もっとも『ネクサス』は製作が放映よりかなり先行していたから、どうにもできなかったというのが真相のようではあるが)



 番組の目玉として盛り込まれた斬新な設定も、視聴率に反映されなければ見直しが図られるのはテレビ界の鉄則であり、なにも特撮ヒーロー作品に限ったことではない。


 講談社『KODANSHA Official File Magazine ULTRAMAN Vol.6 帰ってきたウルトラマンウルトラマンA』(05年6月24日発行・asin:4063671747)によれば、脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)氏は、ダンテの『地獄篇』の世界というくらいの気迫、悪魔がこの世を乗っ取りにきて、地球が地獄と化すような野望をヤプールに抱かせたという。
 クリスチャンである市川氏が考えたヤプールは悪魔王サタン的存在、あらゆるものの内面に潜む悪の権化という、抽象的な存在であった。


 その観念がなかなか他のライターには理解されにくかったと見られ、


 上原正三(うえはら・しょうぞう)氏は、
 第2話『大超獣を越えてゆけ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060515/p1)や、
 第5話『大蟻超獣対ウルトラ兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060604/p1)で、
 ヤプールよりも超獣誕生のディテールにこだわり、


 田口成光(たぐち・しげみつ)氏は、
 第3話『燃えろ! 超獣地獄』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060521/p1)や、
 第6話『変身超獣の謎を追え!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060611/p1)や、
 ヤプール壊滅後でも第32話『ウルトラの星に祈りをこめて』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061210/p1)で、人間に変身する超獣を描くなど
 (上原氏も第11話『超獣は10人の女?』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060731/p1)で人間に変身する超獣(女ヤプール10人が合体して誕生する超獣)を描いているが)、


 ヤプール(と超獣)に対するアプローチの方法はまさに三者三様であったのだ。


 こうした脚本家の苦悩(?)が、むしろヤプールの侵略計画がバラエティに富むことに貢献することとなったと、筆者は好意的に受けとめている。


 第3話や、第6話、第11話、
 第17話『怪談 ほたるケ原の鬼女(きじょ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1)、
 第22話『復讐鬼ヤプール』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061010/p1)、
 やはりヤプール壊滅後だが第25話『ピラミッドは超獣の巣だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061021/p1)、
 第37話『セブンの命! エースの命!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070129/p1
 のように、TAC基地や関連施設を直接攻撃したり、


 第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)や、
 第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)のように、
 ウルトラ兄弟を罠にかけるなど、


 市川氏が当初思い描いていた、人間の様々な欲望や執念をヤプールが利用する心理悪用作戦と並行して、物理的な力押し作戦もまた数多く描かれることとなったのだ。


 それは当初の狙いとは違うだの、ヤプールはやはり精神的・怨念的存在でなければならないなどと批判する「ヌルい」マニアがいる。
 だがもし仮にそればかりやっていたとしたら別の方向でのパターン化はまぬがれえず、やはり今ひとつ地味で陰湿でスカッとせず、作品のスケールも大きくはならなかっただろうと思われるのである。


 そもそも他のヒーロー作品を論じる際は、当初はだいだい物理的・力押しの侵攻作戦を展開していた悪の組織が、中盤になると主人公のみを狙ったりあるいは主役を精神的に揺さぶる作戦に転ずることを(まあ製作予算の都合なのだが)、「悪の組織のくせにやることがセコい」などと批判することがやたらと多い「ヌルい」マニアたちが、ことヤプールとなるとまったく逆の論理展開をしてしまってしかもその矛盾に気付かない程度の知性で……


 市川氏以外の上原氏や田口氏が描いたカラッと乾いた科学的な攻防戦やスパイ戦は、むしろ本来は第1期ウルトラに近い感覚のものであり、マニアは喜びそうなものなのだが……
 (そもそも市川脚本の第1話『輝け! ウルトラ五兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060514/p1)自体が物理的侵攻作戦以外のなにものでもない)


 ましてや市川氏以外の作家が勝手にヤプールを殺したという批判はまったくの的外れである。
 第23話『逆転! ゾフィ只今参上』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)の脚本・監督を務めた真船禎(まふね・てい)の証言を、耳の穴をかっぽじってよく聞くがいい。


 「なんだか勝手に僕がヤプールを殺しちゃったみたいだけど、別に殺したつもりはなかったんです。だから結局ヤプールはちゃんと復活するんですよね。そりゃそーだよ。不死身だもんね(笑)。いや僕は不死身でいいと思うの。つまり人間が続く限りね、マインドコントロールする要素っていうのは、永遠に続くはずだもんね。だいたいヤプールって実体のないモノなんだから、殺せるわけがない(笑)。ヤプールというのは意識の中のものと僕は思っていたからね。いくらでも表現できるし、そのときの都合によって、人間が生きている限り、存在はすると。姿がないから観念の所産であり、キリスト教でいう悪魔の存在」


 「『ウルトラマンシリーズ』だからこそできる。『ウルトラマンシリーズ』でなきゃできない、というモノが凄くあるんだよね。なにもかもが許されるのが『ウルトラマンシリーズ』でしょ。23話だって、こんなの今テレビじゃできないですよ、過激すぎて。だけどそれをやれるのが『ウルトラマンシリーズ』。テーマ的にもなんでもやれる、どんな事件も扱える、どうしてもダメなときは特撮が入ってくる。こんな自由な世界はないよね。これが『A』というか、『ウルトラマンシリーズ』に対する、ひとつの僕の思い入れですね」


(『DVDウルトラマンA』Vol.6(デジタルウルトラプロジェクト・04年8月27日発売・asin:B00024JJHO)解説書掲載の真船禎監督インタビューより)


 勝手にヤプールを殺したどころか、市川森一氏が創造したヤプールの設定を、上原正三氏や田口成光氏以上に、最も忠実に描いたのは、実は真船禎監督だったのである!
 そんな些細なこと以上に、『ウルトラマンシリーズ』を指し、「こんな自由な世界はないよね」と評する真船氏の発言は、まさに目からウロコである。こんなに自由奔放で、いくらでも可能性を秘めた『ウルトラマンシリーズ』が、「ヌルい」マニアが勝手に定めた狭苦しい枠の中に押しこまれていいハズがないのである。


 真船氏が「不死身だ」と語ったように、ヤプールは次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、遠未来を舞台とするらしい90年代の児童向けマンガ『ウルトラマン超闘士激伝』(93〜97年・ISBN:4835444094ISBN:4835444108asin:4063216853)、『ウルトラマンメビウス』(06年)第24話『復活のヤプール』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061112/p1)、そして劇場作品『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』(06年・松竹 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070128/p1)で見事に復活を果たしている。
 「人間が生きている限り存在する」という、実に都合よく使えるヤプールの設定を、「殺された」などと勝手に解釈するマニアの影響を受けるのではなく、平成ウルトラのスタッフも自由にいくらでも利用すればよかったのである。



 ただ、筆者としても未だ残念に思えるのは、北斗と南の男女合体変身の解消である。
 これに関しては、第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)でも分析した通り、本記事では『A』第3クール以降の強化案メモに夕子の記述があることから、彼女の公式ブログでの発言よりも、近年星光子氏が各媒体で披露してきたように、舞台の夢を捨てきれなかった彼女が降板の意向を示した可能性が高いという立場の仮説を取っている
 (公式ブログでの発言の豹変は、DVD『ウルトラマンA』Vol.13(デジタルウルトラプロジェクト・04年11月26日発売・asin:B00024JJJM)の映像特典『明日のエースは君だ!〜制作回顧録〜』のスタッフ座談会での爺さんたちのあまりにテキトウな発言を観て、それが真相だったのだ! と勘違いしたからではないだろうか???)。


 だがその一方で以下のような証言もある。


 「北斗と南を合体させるため、最初はウルトラタッチだけで目新しかった。けれども話が進むにつれ、北斗と南という“男女”を描かねばならなくなった。ところが二人の仲がそれ以上深まらなかったんですよ」

(先述の『円谷新報・号外』より橋本氏)


 「たとえば『ウルトラセブン』(67年)のダンとアンヌのように、“正体を知られるわけにはいかない”みたいな秘密があった方が、より二人の距離が縮む過程を描きやすいんですね。その意味ですでに“合体”してしまっている北斗と南の間には、あまり秘密らしい秘密がない。それ以上、二人の距離を縮めることは難しかったんですよ」

(同・熊谷氏)


 今回の十二年ぶりの再見で筆者も初めて気づかされたのであるが、


 第4話『3億年超獣出現!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060528/p1)における漫画家・久里虫太郎(くり・むしたろう)の美川隊員に寄せる歪んだ愛、
 第7話『怪獣対超獣対宇宙人』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060618/p1)&第8話『太陽の命 エースの命』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060624/p1)前後編における山中隊員と婚約者・マヤとの間の悲しい愛、
 第9話『超獣10万匹! 奇襲計画』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060708/p1)におけるじゃじゃ馬カメラマン鮫島純子と今野隊員のコミカルな恋愛(?)、
 第21話『天女の幻を見た!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061009/p1)における天女アプラサに寄せる地球人の若者の愛、
 第25話『ピラミッドは超獣の巣だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061021/p1)におけるオリオン星人ミチルに対する北斗の同情的な愛(そしてミチルに対して夕子が見せる、まさに嫉妬からと思われるムキになった態度!)、
 第37話『友情の星よ永遠に』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070114/p1)における北斗の友人・加島(かしま)に対する真弓の献身的な愛……


 と、子供が喜ぶ娯楽作品、良質な児童向けドラマだと思いこんでいた『A』に、これほどまでに恋愛的な要素が散見されることに驚愕したものだ。
 特に第4話、第21話、第37話などは、まさに大人になってから観た方がより理解できる感情表現が描かれた、大人同志の人間ドラマが濃密に描かれているのである(まさに平成ライダーの先駆けとも云うべきである!)。
 ドラマ至上主義者では決してないが、第2期ウルトラにはドラマがないなんて批判はそれこそ笑止千万なのである!


 だがその反面、肝心の北斗と夕子に関しては、第5話『大蟻超獣対ウルトラ兄弟』などで買物デートが描かれているくらいのものであり、二人の関係はあくまで共に戦う同士、あるいは「友達以上恋人未満」の関係から進展する気配は見られなかった。
 むしろそれ以外のレギュラーとゲストを絡ませて恋愛的要素を描くのが多かったことを見ると、やはり二人の関係を描くのがいかに難しかったかが伺い知れるというものである
 (難しかったというのもやはりスタッフたちの後付けによるリクツであって(笑)、当時のスタッフたちは子供番組において主役の男女描写があまりに生臭くなってもよくないという配慮を、意識的・無意識的にしていたゆえの描写なのかもしれないが)。
 とはいえ円谷プロの『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年)や東映のアニメ『マグネロボ ガ・キーン』(76年)など同じく男女合体変身をモチーフとした作品(前者は兄妹であるにしても)と比較して、『A』の主役男女描写が特別に劣っていたともまたいえないのだが。


 DVD『ウルトラマンA』Vol.13(デジタルウルトラプロジェクト・04年11月26日発売)の映像特典『明日のエースは君だ!〜制作回顧録〜』において、脚本の上原正三氏は「男女をつきつめて書くとウルトラマンが見えなくなる」と語り、監督の山際永三氏は「どれもこれもうまくいかないから単純なところに戻そうとした」と語るなど、先に述べた通り70年代末期以降のマニア評論の影響による後付けのリクツという可能性も捨て切れないが、スタッフの間で男女合体変身という魅力的な設定が、扱いにくくなっていたことはあったのかもしれない。
 そこに星氏側から降板の話が持ちこまれたことで、双方の思惑(おもわく)が合致、設定の消滅に至ったというのが真相だと筆者は考える。


 しかしこれもコジツケで好意的・神秘主義的に解釈するならば、北斗と南はともに7月7日生まれであり、織姫と彦星の「七夕伝説」における男女の別離の悲運とふしぎなことではあるが結果的に、いや製作者の表層意識の思惑を超えて超自然的に見事に符合してしまったのだとも感じさせなくもない。
 しかも皮肉にもこのことによって、良くも悪くも視聴者だった人々の心に未練や、人の世のさまざまな出来事に関する不条理といった感慨が長い間残り、可能性に満ちていた惜しまれる未完の大作といった感覚も抱かせているような観もあるのだ。


 織姫と彦星は年に一度、七夕(たなばた)の日にしか会うことはできなくなってしまったが、しかし第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)や、第52話『明日(あす)のエースは君だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)と、夕子が月に帰ってからも、北斗と夕子は半年あまりの間に二度も再会しており、次作『タロウ』第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦』でも夕子は出演を果たしていて、スタッフの「やさしい配慮」もまた感じられるのである。


 第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』のシナリオを見た際、山際氏は脚本の石堂淑朗(いしどう・としろう)氏に対し、「石堂氏が押しつけがましく夕子を月星人(げつせいじん)にしてしまった。自分で勝手に決めるなよ!」と先述の映像特典の中で笑いながら語っていた
 (ただし「なんとかしなくちゃいけない」という緊張感が、画面の最初から緊迫した雰囲気を作りだしたとも評している)。
 橋本プロデューサーも「面白いからどんどんやっちゃえ!」と容認したと発言している。
 そして当の石堂氏は、「あなたが書くホンは面白いけどなんの役にもたたないね」と評されるのが最大の誉め言葉であり、「僕のホンは落語だ。古今亭志ん朝だ」と自負している。テーマ性よりもデマゴーグであり、前後の意味がつながらなくても「面白ければいいじゃないか」と語っている。


 TV局のプロデューサーやスポンサーや広告代理店を差し置いて、本当にそんな簡単なノリで主演女優の降板が決まったのだろうか? という疑問は大いに残るのだが……



 主演女優降板という危機に対しては、語られている限りでは一見実に軽いノリで臨(のぞ)んでいるかに見受けられるが、
 「最初のころに『A』が持っていた、観念的なカセは途中で全部はずしたから、後半はもうなんでもやりましょうとなった」
 と先の映像特典の中で橋本氏が語っている通り、こうした明るく前向きな発想が、実際に数字となって第3クールでは現れてきているのである。


 先述の『ULTRAMAN VOL.6』によれば、第1話『輝け! ウルトラ五兄弟』は28.8%もの視聴率を稼ぎ、同時にスタートしたNET(現・テレビ朝日)の『変身忍者嵐』の4.1%に圧勝している。しかしながら第2話『大超獣を越えてゆけ!』は22.6%、対する『嵐』は6.7%と、視聴者がわずかに『A』から流れたとおぼしきフシが見られ、以後第23話『逆転! ゾフィ只今参上』に至るまでの間、『A』が20%超えを記録することがなかったのを見ると、『嵐』は意外と健闘していたのではないかと思われる
 〜関東では一度も再放送がなかったらしい『嵐』であるが、名古屋地区では放映が終了した73年に早くも夏休みの午前中に再放送されており、相応に人気があったというべきである。ちなみに名古屋地区では『嵐』の本放送は夕方にやってたような記憶があり、筆者も夢中になっていた!〜。


 だがヤプールを消滅させた第24話『見よ! 真夜中の大変身』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061015/p1)が20%台を回復し、
 第27話『奇跡! ウルトラの父』が26.3%を記録(「みんな新しいキャラクターを待ち望んでいたんだよね」・先述の「円谷新報」より橋本氏)、
 そして第35話『ゾフィからの贈りもの』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061231/p1
 に至るまでは常時20%台をキープし、この時期が実は視聴率的には黄金時代だったのである。


 災いを転じて福と成したのは『仮面ライダー』同様、『A』もそうだったのである!


 そしてさらにいえば、裏番組に特撮変身ヒーローものがなかった前作『帰ってきたウルトラマン』、次作『ウルトラマンタロウ』の視聴率は『A』と同列には論じるべきではない。
 裏番組と視聴者を喰い合っていた『A』の真の実力は、これに『嵐』の視聴率(4〜10%?)を加算して考えるべきであろう。そう考えると『A』の視聴率的実力は前作『帰ってきた』を実は凌駕していたと見てもよいだろう!
 (『帰ってきた』の平均視聴率は22.7%、『A』の平均視聴率は18.7%で、その差は『嵐』第1話の視聴率に相当するわずかに4%) 『A』の視聴率的実力を侮るべからず!


 (ちなみに放映終了のはるか後年のことであるが、『A』再評価同人誌『全員脱出! 3』(89年5月吉日発行・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070331/p1)において、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)が放映されていたころの81年3月14日付の新聞(出典不明)に掲載された〈視聴率ベスト20〉(81年3月2日〜8日)に、当時フジテレビ系の関西テレビで再放送されていた『A』が26.1%という驚異的な高視聴率をあげていたことが紹介されている。これって本放映以上の視聴率・汗)。


 (編):84年に日本テレビで平日夕方6時に放映された『エース』の視聴率も、当時の6時半台で放映されていた日テレのニュース内の1コーナーにて、同局の番組の視聴率がTV番組表形式でチラッと公表された際、たしか18%台を記録していて、編集者は驚愕した記憶がある。
 ちなみに、『80』の関東・中部・関西の全話平均・各クール平均視聴率は以下に掲載。
 「『ウルトラマン80』総評 〜あのころ特撮評論は思春期(中二病・笑)だった!」・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1


 この具体的な数字を見れば、『A』は初期話数だけがいいとか、市川森一脚本回だけがよくて石堂淑朗や田口成光の話はつまらんとか、ダン少年編は全然ダメとか(某巨大掲示板の特撮スレ「登場することで作品をつまらなくしたキャラ」でもしっかりと挙げられていた!)などという、「ヌルい」マニアたちの『A』に対する評価が完全な思いこみに過ぎず、まったく現実を見ていないことが明白である。


 市川氏がメインライターを務め、重厚な造形が魅力の超獣が登場していた初期よりも、市川が離れて石堂や田口が台頭し、口の悪いマニアからは「ちんどん屋」(現在は放送禁止用語である!)よばわりされた超獣が登場し、それこそボロボロに酷評されまくりのダン少年編スタート前後の約3ヶ月間の方が、視聴率的には勝っていたのである!
 確かに初期の意欲的な試みは持続されなかったものの、それに代わる新たな魅力を次々と生み出し、結果としてバラエティに富んだ作風となり、すべてが成功したとはいえないまでも、ちゃんと視聴率的成果をあげたという事実はもっと評価されて然るべきであり、初志貫徹できなかっただの、再三路線変更したなどと、頭ごなしに否定するのは誤りではないかと思うのである。



 市川氏のキリスト教的世界観とはまさに対極に位置すると思われる、アニミズムの権化ともいうべき石堂淑朗氏ではあるが、上原や田口とは異なり、実は
 第16話『夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男(うしがみおとこ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1)、
 第33話『あの気球船を撃て!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061218/p1)、
 第38話『復活! ウルトラの父』、
 第41話『冬の怪奇シリーズ 怪談! 獅子太鼓』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1)、
 第43話『冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)、
 第47話『山椒魚(さんしょううお)の呪い!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)、
 第51話『命を吸う音』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070423/p1)など、
 市川氏が第4話『3億年超獣出現!』において描いた、「ひとりの人間の心に渦巻く欲望と執念が超獣を生み出す」という概念はきちんと踏襲され、石堂氏独自の魅力的な解釈が加えられることにより、様々な名編が生み出されていったのである。


 そればかりではなく、第45話『大ピンチ! エースを救え!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070310/p1)や第50話『東京大混乱! 狂った信号』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070415/p1)など、完全なバトルエンターテイメントに徹した超娯楽作品、


 第21話『天女の幻を見た!』、第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』、第38話『復活! ウルトラの父』など意外にも(失礼!)ロマンチックな作品も生み出すなど、
 氏の功績ははかり知れないものがあり、いささか暴論ではあるが、『A』の真のメインライターは石堂氏であると断言しても過言ではないほどである。


 そして途中参加の石堂氏とは異なり、企画時から最後まで『A』に携わった唯一の脚本家・田口成光は、
 第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』、
 第26話『全滅! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1)、
 第27話『奇跡! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061105/p1)の前後編をはじめとするイベント編、


 悲劇の名作である第18話『鳩を返せ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060907/p1)や、
 第42話『冬の怪奇シリーズ 神秘! 怪獣ウーの復活』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070219/p1)などで、
 子供と超獣・怪獣との心の交流を描く泣かせる話という、対極である二本柱を武器に大健闘、次作『タロウ』ではメインライターに昇進している。


 こうした両氏の活躍を無視して『A』を評する行為自体が完全に無理があるのである!


 さらに北斗とダン少年を軸にしたホームドラマ的要素を強調したダン少年編も(確かに前作『帰ってきた』の次郎くんや次作『タロウ』の健一くんと比較すれば、クラスの片隅で内向的な少年時代を送ったわれわれオタク族が特に苦手そうなナマイキそうでクセがある少年だが・笑)、前後して描かれたウルトラ兄弟ウルトラの父の登場も手伝って、視聴者の子供たちの作品への求心力、ドラマへの感情移入を容易にし、安心感を与えたことが高視聴率の要因となったのだ。


 確たる実績をあげているにもかかわらず、そうした要素をまったく軽視、無視、そして敵意まで抱き、第1期至上主義者が排除してしまったことが、その後の変身ヒーロー作品低迷の遠因になったと、筆者は信じて疑わない。



 大体商業的には完全に失敗しているにもかかわらず、『シルバー仮面』のアダルトな作風・人間ドラマを「早すぎた傑作」(06年現在に放映しても失敗すると思うが。『シルバー』が放映されていたTBSの日曜夜7時は今『さんまのスーパーからくりTV』だぞ・爆)などと賛美する一方で、宇宙人のSF考証のいい加減さはスルーし(どちらかというと宇宙の神秘とは程遠い泥くさくて垢抜けない怪人)、その宇宙人たちも声優の演技なんか完全に「ヤクザ系」で表現しているのにそれは非難せず、第2期ウルトラに登場する宇宙人のことだけは「チンピラ」呼ばわりするわで、なんでも完全に自分らの都合のいいようにダブルスタンダードで解釈してしまう「ヌルい」マニアたちには開いた口がふさがらない。
 光学合成を駆使したエースの華麗で多彩な技までをも「ご都合主義」などと批判する連中がいるが、アンタらが一番「ご都合主義」や!(爆)


 先述の講談社『ULTRAMAN VOL.6』でも、ミサイル超獣ベロクロン、異次元超人巨大ヤプール、黒雲超獣レッドジャックの写真を並べ、
 「ベロクロンは第1話超獣とあって、それまでの怪獣と違う強烈なインパクトを与えたが、レッドジャックのころになると脚本とデザインの有機的な結合がなされなくなり、見た目の派手さと反比例し、没個性となった」
 なる説明が加えられている。


 実際には『A』後半は、脚本と怪獣デザインが即物的(笑)なまでに有機的に結合しているというのに。
 先述の朝日ソノラマのファンコレ『ウルトラマンPARTII』においても「外見的にケバケバしいだけ」としてレッドジャックのデザイン画が掲載されたりと、つくづくレッドジャックも浮かばれないが(笑)、四半世紀を経てもファンコレ『ウルトラマンPARTII』の記事を芸もなく引き写し、まったく変わることのないマニア上がりのライターによる、悪意に満ちた表現は、彼らの「ご都合主義」的知性の典型であるかと思う。


 美術を担当した鈴木儀雄氏は、宇宙の生物と地球の生物とを融合させた多面的なものを具体的な形にするのは非常に難しく、複雑怪奇・形が不定形で実際の着ぐるみにすると演技がしづらい、金も時間もかかるなど、造形の開米栄三氏をはじめ、撮影現場からも叱られたなど、苦労が多かったことを先述のDVD映像特典の中で語っていた。
 それこそ試行錯誤の連続であったことと思うが、熊谷氏も語っていたように「デザインする人のためのイメージがない」抽象的なものを、毎回よくぞまとめあげたものだと、敬服せずにはいられないものがある。


 それをまさに実感したのが、06年7月15日から9月10日まで世田谷文学館で開催された『不滅のヒーロー・ウルトラマン展』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070325/p1)を、「話のタネになれば」と最終日に訪れたときだった
 (東京にはまったくよい思い出がないのでこれだけ見てトンボ帰りした・笑)。


 そこに展示されていた異次元超人エースキラー、殺し屋超獣バラバ、地獄宇宙人ヒッポリト星人、『タロウ』登場怪獣である火山怪鳥バードン、極悪宇宙人テンペラー星人、暴君怪獣タイラントなどのデザイン画は鮮やかな色彩に彩られているばかりではなく、中には淡い色で背景までもが描かれているものもあり、怪獣デザインというよりはパステル画の芸術作品が描かれているような印象を受けたのだ。


 表現が適切ではないかもしれないが、第1期ウルトラ怪獣をデザインした成田亨氏がダリや岡本太郎(実際川崎市岡本太郎美術館で06年7月11日から9月24日まで開催された『ウルトラマン誕生40年の軌跡 ウルトラマン伝説展』では、成田氏の怪獣デザイン画が多数展示されていた)を彷彿とさせる、現代芸術に顕著な抽象作品の大家と考えるならば、第2期ウルトラの怪獣デザインにはモネやルノワールなど、印象派画家の趣を強く感じるのだ。


 これらの表現方法を比較し、優劣をつけることは断じて許されるべきではないと筆者は考える。要するにダリや岡本太郎がモネやルノワールより格が上だの、優れているなどと論じられるはずがあり得ないのである。
 (関連記事:特撮意見② 怪獣デザイン〜今こそ成田3原則の絶対化を止め相対視を!〜抽象芸術と具象芸術に優劣なし
 写実主義が盛んだったころの19世紀中盤に印象派の画家が出現したころ、当時の美術界はこれを徹底的に酷評したものだが(それこそ第1期至上主義者並みに!)、それと同じ愚を繰り返してはいかんということなのである。


 大体見た目が派手な怪獣がナゼいけないのか? これはマニア連中が自分たちが地味であることから(爆)、派手な化粧とか、超ミニスカートやローライズのパンツで下着を露出させるような女性を嫌うのと同様の、実に子供じみた思想に過ぎないと思うが(凡百のマニアとは違い、筆者はデーハーな女が結構好きだ!・笑)、以下の証言を見れば、やはりそれは筆者だけの感慨ではないことが判明する。


 「私どももいろんな縫いぐるみ作っていましたけどね。ともかく色がアニメと合体したようなカラフルなものになってきた。カラーテレビの画面に合うような縫いぐるみになってきた。ああいう色をつけると小さい子供には受けがいいわけですね。あとデコラティブ(筆者註:装飾的)な形も。だから、今はどこの会社の怪獣も、超獣的な色合いやデザインでやってますけど、それなりにみんな成功してるんじゃないですかね。エースの造形自体もね、当時は「変わった形だな。これからは、こういう変わったウルトラマンになるんだろうな」と思った。ですから今現在のウルトラマンにしろ、形がちがう。だんだん、こう超獣的になったでしょ。今はみんな超獣的なんですよ。今の人間が装飾的でカラフルですからね」

(DVD『ウルトラマンA』Vol.4(デジタルウルトラプロジェクト・04年8月27日発売・asin:B00024JJH4)解説書掲載の開米プロダクション代表・開米栄三氏インタビューより)


 装飾的でカラフルな超獣を「ヌルい」マニアが嫌うのは、自分たちが現代人としてはあるまじきほどに、装飾的でカラフルではないからじゃないのか?(笑・冗談です)。


 まあそれはともかくとして、『A』放映当時に『ミラーマン』の怪獣や『人造人間キカイダー』(72年)のダークロボットなども並行して手掛けていた開米氏は、怪獣は大体色も黒や茶色と決まっていて、模様もないので全体像がよくなければならないが、超獣は原色を使ってカラフルに、デコラティブにしてある分ハッタリが効き、画面に映って見栄えがいいとも語っている。
 先の証言ともあわせ、開米氏は色彩がカラフルでデコラティブな形である点が、超獣としての最大のアイデンティティであると考えておられるようである。筆者もこれには大いに同感である。


 「怪獣との明確な違いが不明」などと超獣を批判する輩も多いが、『サンダーマスク』(72年)に登場する魔王デカンダに操られる怪獣は「魔獣」と呼ばれ、『流星人間ゾーン』(73年)でガロガバラン星人にミサイルで地球に送りこまれた怪獣は「恐獣」と呼ばれた。
 アニメの『デビルマン』(72年)には「妖獣」が、『マジンガーZ』(72年)には「機械獣」が登場していた当時、乱立する他社のライバル作品と差別化するために、開米氏が云うように「ハッタリを効かせて」超獣というネーミングを新たに用いたという面もあるかと思われるのである。


 だからといって当時「魔獣」や「恐獣」に対し、「どこが怪獣と違うんや〜!」などと批判するようなガキが周囲に居たか? 「エースは男と女で変身するからオカマや」(爆)などとヌカした憎たらしい奴はいたが、まだその方がもっともらしいくらいである。
 それに比べれば超獣の概念だの、脚本との有機的な結合だの、実にケツの穴が小さい細部に関するこだわりばかりやってるものだから、肝心なことがまったく見えてこないのである。



 そんなことよりも『帰ってきた』までの東京美術センター(現・東宝ビルト)から、東宝撮影所の第九ステージという最も広いスタジオ(ホリゾントも高かった)が使用可能になったことにより、東宝所有のミニチュアの数が圧倒的に増えて、超獣の大暴れやエースとのバトルも迫力あふれるダイナミックなものとなり、のちに平成『ゴジラ』シリーズ(89〜95年・東宝)で活躍することになる川北紘一特技監督のデビュー作でもあり、見せ場の華やかさは十分に過ぎるくらいである。


 もっともこれに関してさえ、超獣とエースのバトルになると突然大きな広場ができるなどと批判する奴もいるが(実は後年の平成ウルトラだってUPにならない限りは広場になっているのだけど)、実際足元に石膏製のミニチュアビルが乱立していたら、スーツアクターが危なくてしょうがねえんだっちゅーの!(笑)。
 ただしこれに関しては、後年の作品のように例え実際は広場でもその地面をカメラマンが写さなければ問題はなかったので欠点ではある。しかし実際にはナゾの広場(笑)が堂々と写されてしまうエピソードはそんなにたくさんあるわけではないのである。
 確かにシリーズの印象を決める第1話をはじめ幾回かで広場が写ってしまったことによる刷り込みの事実を否定するわけにもいかないので、狂信的に何がなんでも正当化しようというのではない。


 しかしそのような欠点ゆえに、『A』における下請けの東宝スタッフ陣による特撮美術・ミニチュアの精巧さやその数の膨大さ、そしてそれらをローアングルでナメて巨大感を出していた特撮演出のすばらしさまでをも、見過ごしにしてはならない!
 特撮面の演出の豪華さについてはぜひ、皆さんご自身の目で確認して頂きたい。各話評の中で何度も試みようとしたものの、筆者の不足したボキャブラリーではこれだけはどうしても表現しきれなかった。ご了承願いたい。



 そう、当時製作に携わったとはいえ、記憶違いもあるかと思われるスタッフの証言、そして自分たちが勝手に定めた尺度によってしかモノを見ない「ヌルい」マニアたちによって書かれた誤解と偏見に満ちた酷評、そしてそれらに毒され、観た気になっている「ヌルい」マニアの継承者たちに惑わされてはならない。
 そうした先入観に染まっていない、若いマニアの皆さんが、新鮮な気持ちで作品を観ることによって、『A』に対する最も正当な評価が下されるのではないかと、筆者は信じて疑わないのである。


 筆者が若かったころは作品を観たくても再放送を待たねばならず、高価なビデオソフトはとても購入できず、レンタルビデオすらも1泊2日で千円前後と、なかなか利用できるものではなく、困難を極めたものであるが、現在ではCS放送やDVDの普及により、幾分視聴環境は整ってきたように思える。


 色々と書き綴ってきたが、決してこれが全てではないだろう。もし筆者が感じた以外に、『A』の新たな一面に気づくことがあったなら、そのときはどうかこのオジサン(笑)にも教えてほしいと思っている。


 「明日のエースは君だ!」


2006.11.23.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2007年号』(06年12月30日発行)『ウルトラマンA』再評価・全話評大特集より抜粋)



『假面特攻隊2006年号』「ウルトラマンA全話評」#1〜23関係記事の縮小コピー収録一覧
静岡新聞 1972年4月7日(金) SBSテレビきょうのハイライト新番組ウルトラマンエース 輝け!ウルトラ五兄弟(安心堂、はごろも缶詰提供) 〜大枠紹介記事
静岡新聞 1972年3月20日(月) SBSテレビ春の新番組〈7〉ウルトラエース 男女の空中合体で変身 〜まだこの時期は「マン」抜きの「ウルトラエース」名義
朝日新聞 2005年4月3日(日) 受刑者家族の会設立へ監獄法見直し「要望、当局に伝えたい」 〜「獄中者の家族と友人の会」呼びかけ人は山際永三監督
・『小学一年生』72年9月号ふろく「小一怪獣ひみつ百科」 〜美川隊員・西恵子のサイン付(笑)2005.2.2
毎日新聞 1972年4月5日(水) TBS春の新番組宣伝広告 〜エース・日本一のおかあさん(水曜夜7時、司会・萩本欽一)・1・2・3と4・5・ロク(ちばてつや原作、木曜夜7時)
静岡新聞 2005年10月25日(火) 根上淳訃報記事「白い巨塔」など脇役 〜『帰ってきたウルトラマン』伊吹新隊長役
朝日新聞 2005年10月26日(水) 根上淳訃報記事



『假面特攻隊2007年号』「ウルトラマンA全話評」#24〜52関係記事の縮小コピー収録一覧
・「ケイブンシャの原色怪獣怪人大百科(第2巻)(昭和48年版)」(1973年発行)
 〜巨大ヤプール・ギタギタンガ・サボテンダー・バクタリ・ウルトラの父・マザロン人・アングラモンの写真&解説パノラマ見開きページ。父は3万歳以上との記述。カイテイガガン・アクエリウス 
朝日新聞 2005年8月16日(火) 訃報欄・「中学生日記」脚本 山田正弘さん死去 〜10日、肺がんで死去。74歳
・「ウルトラ・オリジナルBGMシリーズ ウルトラマンエース」(84年)ジャケット
・「ウルトラ・オリジナルBGMシリーズ ウルトラマンエース」の発売日問合せ返答ハガキ・キングレコード㈱テレフォンセンター
静岡新聞 2006年1月30日(月) 客船「スカンジナビア号」 保存へ買い取り運動 GW三島など出資募る 1億5000万目標 〜客船スカンジナビア号保存へ買い取り運動開始
静岡新聞 1973年3月30日(金) TV欄・ウルトラマンエース=最終回=(安心堂、はごろも缶詰提供)超獣の王者が出現 〜「大超獣ジャンボキング」の記述・大枠紹介記事
ウルトラマンエースめんこ 〜エースVSガマス、エースVSガラン


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ウルトラマンメビウス』総論 〜赤星政尚論!(長文)

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ウルトラマンダイナ』総論 〜ダイナの赤い輝きに(長文)

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ウルトラマン80』総論 〜あのころ特撮評論は思春期(中二病・笑)だった!(長文)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1

ザ・ウルトラマン』総論 〜「ザ☆ウルトラマン」の時代(長文)

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★今こそ昭和ウルトラの全遺産を活かせ!★ 〜ドラマやテーマよりも、ウルトラ兄弟・歴代怪獣・世界や年表・児童の神話的年代記やジャンク知識収集癖へ訴求せよ! 武器や鎧・テーマパークな未来都市・2回変身や等身大バトルなど身体性の快楽も!

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ウルトラマンネオス』95年版 〜Wヒーローならテーマへの多角的アプローチが可! 防衛隊も巨大ロボを持て!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971115/p1


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ウルトラマンA 再評価・全話評!」 〜序文

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060513/p1

ウルトラマンエース#13「死刑! ウルトラ5兄弟」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1

ウルトラマンエース#14「銀河に散った5つの星」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1

ウルトラマンエース#17「怪談 ほたるケ原の鬼女」 〜真船演出! #23のプロト!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1

ウルトラマンエース#18「鳩を返せ!」 〜名作傑作!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060907/p1

ウルトラマンエース#19「河童屋敷の謎」 〜夕子活躍!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061007/p1

ウルトラマンエース#23「逆転! ゾフィ只今参上」 〜メビウスの名の由来はA#23にあり!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1

ウルトラマンエース#24「見よ! 真夜中の大変身」 〜赤い雨! ヤプール壊滅二部作後編!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061015/p1

ウルトラマンエース#28「さようなら夕子よ、月の妹よ」 〜南夕子降板の真相異論!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1

ウルトラマンエース#30「きみにも見えるウルトラの星」 〜主役窮地の作劇極北!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061125/p1

ウルトラマンエース#33「あの気球船を撃て!」 〜最終回の着想はここに!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061218/p1

ウルトラマンエース#34「海の虹に超獣が踊る」 〜長坂秀佳脚本第2弾!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061223/p1

ウルトラマンエース#35「ゾフィからの贈りもの」 〜子供に過ちを犯す主役!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061231/p1

ウルトラマンエース#43「怪談 雪男の叫び!」 〜身勝手な大衆に批判の視点!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1

〈DVD付きフォトブック〉「ウルトラマンA 1972」レビュー

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070210/p1

『エース』同人誌の歴史1 〜『A』再評価の端緒を築いた伝説の名同人誌『全員脱出!』

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070331/p1

ウルトラマンエース最終回「明日のエースは君だ!」

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1

ウルトラマンA 再評価・全話評!」完結 〜『A』総論

  (当該記事)



「ウルトラマンA 再評価・全話評!」 〜全記事見出し一覧