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特撮意見② 怪獣デザイン 〜今こそ成田3原則の絶対化を止め相対視を!

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(文・T.SATO)
 宿那鬼(すくなおに)やオビコに戀鬼(れんき)は? 『ウルトラ』怪獣以外でも、世界3大モンスターのフランケンシュタインは? キングギドラジャミラにかのスペル星人もダメだネ(笑)。


 ってことで、三回忌(04年2月時点。02年2月26日逝去)を迎える初期『ウルトラ』の怪獣デザイナー・成田亨御大に敬意を表しつつも、氏の業績や氏の“怪獣デザイン3原則”*1を万能視することには反対だ。


 3原則を故なしとはしないが、それはあくまでひとりのデザイナーのポリシーにすぎないのであって、それに明らかに当てはまらないデザインポリシーの土壌からも、東映『戦隊』ギャグ怪人や人体の一部のみを具象化したドルゲ魔人(『超人バロム・1(ワン)』・72年)など、ジャンル作品はあまたの愛すべき名獣を産んできた。


 初期東宝特撮映画の怪獣たちは、成田亨も指摘し、時に著書で酷評もしたように(あのゴジラのデザインに対してさえも否定的!)、たしかに現代美術・前衛芸術の精神・センスを有していない(……だからダメだとは筆者個人は思わないが)。
 しかし、70年代初頭の『ミラーマン』怪獣や『ウルトラマンエース』超獣だと、当時の若者の、善くも悪くも前代の権威に反抗的な、そしてアート気取りやその卵連中の前衛的にして実験的な空気(サイケありアングラあり)の隆盛に、美術系上がりの怪獣デザイナーたちも直接間接無意識に影響を受けてしまうのか、現代美術のセンスの片鱗が怪獣デザインの意匠――形象から細部の模様に至るまで――にまでも空気のように遍在している。


 美術理論の有無で、怪獣デザインを正当化・権威主義化する気は、筆者個人は毛頭ない。
 が、アナロジーは状況をより良く整理して認識するのには有効だろう。
 ならば、成田亨が主に美術の主題とし、得意にもしてきた、“単純”・“抽象”・“理性”だけが、美術において至高の概念なのではない。


 美術(あるいは建築)史をひもとけば、それは対となる“複雑”・“具象”・“感情”との循環運動の歴史であり、しかもそれらは優劣ではないのだと気付くだろう。
 “豪華”・“荘重”・“過剰”な装飾が、素のシルエットを超えた別文脈の興趣を喚起するバロックの魅力や、骨組み・フレームワークを意識させずに意匠のみで訴えるゴシックの魅力だって、豊穣な幅広さを持つ怪獣デザインにもあるハズだ。


 成田亨デザインの怪獣(『ウルトラQ』(66年)後半〜『ウルトラセブン』(67年)前半)は、氏の発言ほどには“カオス(混沌)”の体現には見えず、むしろ調和的にさえ見える(くりかえすが、それが悪いというワケではない)。
 同じく怪獣デザインにおいて、“非調和(=カオス)”をめざしたと語る、『ゴジラ』(54年)第1作の時代から特撮に関わる東宝出身の美術デザイナー・鈴木儀雄の手になる北朝鮮怪獣『プルガサリ』(85年)やヒッポリト星人にエースキラー(共に『ウルトラマンエース』(72年))は、表面の複雑装飾が妙を醸す。


 同じ鈴木儀雄がデザインしたウルトラマンレオ*2も、その頭部はキャラクターの過去の悲哀や怒りなどの複雑な心情をも具象化した表現空間で、余人には模倣ができない曲線だろう。非ユークリッド的雪片曲線・フラクタル空間と形容したら20年古いか?*3


 他方、鈴木儀雄は、銀色電飾のコクピット感覚に満ち満ちた防衛隊基地の内装や、直角&曲線&円を自在に配置した、隊員服や戦闘機に銃器メカのデザインなどもこなしたマルチな人材であったことも忘れてはなるまい(『ウルトラマンエース』〜『ウルトラマンレオ』(74年)。『ウルトラマンタロウ』(73年)の防衛隊ZAT(ザット)の赤&青&十字の、平成ウルトラヒーロー的にスリムに見せるデザインモチーフは英国国旗か?)。


 また、怪獣デザインにおいては、抽象・具象を問わず、シャープな鋭角やトゲトゲの魅力もあってイイはずなのだが、井口昭彦デザインのサイボーグ怪獣・ガイガン(『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』(72年))のような怪獣が、近年ではレギオンやイリスくらいしか見当たらないのは(共に平成『ガメラ』シリーズ怪獣)、成田3原則が今や呪縛化し、デザイナーの材や発想を狭めているからなのだろう(もちろん成田の罪ではない)。
 シルエットと赤&緑のサイケな色彩が魅力の、初期超獣の父でもある井口昭彦(『ウルトラセブン』後半〜『ウルトラマンエース』担当)が、90年代平成『ウルトラセブン』シリーズの美術を担当し、怪獣デザインも担当されたが、往時とは異なり不定型なデザイン&地味な色彩を頻発したのも、そのせいだろうと見る(何か『エース』の超獣のシルエットに似ている怪獣も一頭だけいたが・笑)。


 70年代末期の第3次『ウルトラ』ブームの時代には、ご近所でも学校でも子供間では、第2期『ウルトラ』怪獣は第1期『ウルトラ』怪獣と等しく人気があったものだ。
 が、80年代以降のマニア勃興期に至ると、第1期『ウルトラ』世代がマニア向け書籍で、自世代の怪獣のみに光を当てるようになってしまって非常に残念だった。
 このような第1期『ウルトラ』怪獣至上の怪獣デザイン論の状況には、実は反証も可能ではある。
 1988年年末の冬休み午前に、TBSで平日5日間連続の初代『ウルトラマン』(66年)再放送特別番組が放映されたことがある。
 その1コーナーで、当時の帯番組『ウルトラ怪獣大百科』(88年・テレビ東京)の影響だろうか、ロケ先の幼稚園の園庭で園児どもがインタビューに答えて、合体怪獣タイラント(『ウルトラマンタロウ』)をスキだ! と口々に絶叫していたことがあったのだ!
 ……成田亨センセは、名指しこそしないものの、タイラントを指すとおぼしき、既存の怪獣のパーツパーツが合体したような合体怪獣の存在を、否定&批判する発言をしていたともいうのにだ(笑)。


 もちろん筆者は、成田絶対主義・権威主義者ではないので、子供たちの嗜好&感性に大いに耳を傾ける。……てか、88年当時のガキも、オレの子供のころ(70年代末期)のガキんちょどものタイラントに対する評価と同じじゃん(笑)。そういや、妖怪怪獣のナマハゲやエンマーゴも小学校時代、クラスメート間では人気が高かったよなあ。
 第2期『ウルトラ』怪獣も、そのデザインは決して第1期『ウルトラ』怪獣に劣るものではない。だが、一部に極少数いる第2期『ウルトラ』至上主義者のように、ムリヤリに何でもかんでも擁護をしようというのではない。
 公正を期すために云っておけば、70年代前半当時の変身ブームによる怪獣・怪人番組の多作による影響か、怪獣着ぐるみの造形にはやはり恵まれていなかったことが多いのは事実だ(とはいえ、ビル街のミニチュアの精巧さや、御大・島倉二千六(しまくら・ふちむ)が手がけた背景ホリゾントの出来は、第1期のそれを実は上回る)。
 ただし、第2期『ウルトラ』のパイロット編〜初期編における怪獣たち――ベロクロン・バキシム・ブロッケン・オイルドリンカー・アストロモンス・コスモリキッド・ライブキング・レッドギラス・ブラックギラスなど――は、スケジュール&予算の余裕もあってのものだろう。そのしっかりした造形のボリューム・巨大さといい、ラインや面取りの確かさといい、すばらしい出来に仕上がっていることは強調しておきたい。


 特撮マニア第1世代が作り出した価値観による先入観に捉われず、虚心坦懐にこれら怪獣たちの写真を見返して、マニア諸氏も再評価を行なっていってほしいものだ。
 ちなみに、初期超獣の造形は、第2期『ウルトラ』〜平成『ウルトラ』怪獣の造形でおなじみ、開米プロによるものではない。東宝モスラキングギドラの造形の父ともいえる、村瀬継蔵率いるツェニーが担当している。
 ……ただし、造形がショボい怪獣を過剰にケナそうという気持ちもまたさらさらない。てか、幼児のころはそもそも造形の善し悪しの区別すらもが付かず、それでも充分に楽しんでいたものだし(笑)。*4


 第3期『ウルトラ』シリーズでは、『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)の主人公ウルトラマンジョーニアスや、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)のヒーロー&怪獣デザインを、やはり美術スタッフの山口修が担当している。
 山口修の怪獣デザインの特徴の解析については、書籍『ウルトラマン99の謎』(93年・二見文庫。06年9月に大判サイズで再販!・ISBN:4576061488)における記述が、おそらく初にして的確なものであり、そちらを参照されたい。



 平成『ウルトラ』のヒーロー&怪獣デザインも悪くはないが、90年代以降の東映ヒーローの精彩・多彩さには負ける。
 先人には敬意を表すし、筆者も影響は受けたが、バッタ男こと仮面ライダー旧1号(初作#1〜13)のデザインの踏襲という呪縛を脱した新世紀ライダーと比して、平成『ウルトラ』ヒーローがデザインに自由度が乏しく、突起やツノなどがタブー視されて、凹み系のデザイン一辺倒なのは、特撮ライターの先達・小林晋一郎氏の怪獣デザイン理論(『宇宙船』誌で連載された「形態学的怪獣論」)の呪縛のゆえだろう――もちろんそれだけ普遍度が高い理論だったのだともいえよう。


 純粋芸術ならぬ大衆芸術・子供向け芸術では、ヒーロー性の大前提の上で、親近感や庶民性もブレンドすべきだ。
 95年パイロット版ウルトラマンネオスの、笑った口にヤンチャな爽やか可愛さもドコかである顔を、ウルトラマンパワード(93年)やウルトラマンガイア(98年)のプチ怖い系までとは行かずとも、00年ビデオ版『ウルトラマンネオス』において端正顔に改造したのは――ハンサムになったこと自体は肯定するが、初代ウルトラマンCタイプ的なヨコに開いた口が、Bタイプ的なタテ長・輪郭ハッキリ系寄りの口に変化したことで、愛嬌・甘さ・やさしさを醸す要素が減衰してしまったようにも思う――、子供ウケよりもマニアに意識が向きすぎなようにも思えて、スレすぎて1回転2回転してしまった筆者としては、手放しでは肯定できない。


 仮に旧作への拘泥が悪だとするならば、先人の発言に過剰に重きを置き、権威主義的に拘泥する行為も悪だろう。いわんや、自身の独創による見識を誇るのではなく、先達との親交・接触・コネをこそ誇るような前近代的・封建的・悪い意味での日本的ムラ世間(笑)な行為をや。


 が、“新しさ”や“独創性”に優位を置く行為&言説も、“進歩”(経済的進歩・科学的進歩)や“自我”(個人主義)が無条件に善きものとして信じることができた、近代前期固有のローカルな理念にすぎないという説もある。
 また、デザインにしろ作劇にしろ、要素要素に分解していけば、真に新しいものなどはナイのだ、同じものこそ時代を超えてヒトの心に訴える普遍的なものなのだ、すべては組み合わせで表面の意匠のみが異なっているから新しく見えるだけなのだ、とする説も、近年では盛んなようだけど……(笑)。

(了)
(02年6月執筆〜後日加筆・特撮雑誌『宇宙船』読者投稿未掲載〜つまりボツ(笑))



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*1:筆者の解釈による要約:1.古生物や動物がただ巨大化したものは避ける。2.妖怪ではない。奇形化しない。つまり頭が2つだの8つだのは避ける。3.体が壊れたデザイン、傷や傷跡をつけたり、脳や内蔵がハミ出たり、血を流すことは避ける。

*2:レオの弟・アストラ&ウルトラマンキングのデザインは鈴木儀雄ではなく、現在でも活躍されている特撮美術の大沢哲三によるもの。大沢の代表的なデザインは『ミラーマン』(71年)のシャープな戦闘機・ジャンボフェニックスや、それとはまた対照的な猟奇的な印象の『レオ』怪獣だろう。以上、『ウルトラマンレオレーザーディスクのライナーがソース元。

*3:今は懐かし80年代ポストモダンの時代に、新人類世代(60年前後生まれのオタク第1世代と同世代)の学者・中沢新一が『雪片曲線論』(85年・88年に中公文庫・ISBN:4122015294)に『ゴジラ』論を所収していたこともダブル・ミーニングで掛けています(昨今、隆盛する学者によるサブカル評論の走り)。

*4:ウルトラマンAGE(エイジ)」やタツミムックなどの各種特撮書籍や音盤ライナーでも活躍されるベテラン特撮同人ライター・K氏は、『帰ってきたウルトラマン』(71年)最終回をオンタイムで小学1年生のときに視聴していて、2代目ゼットンが登場した際に、「もうダメだ!」と思ったそうである。造形が……ではない。ゼットンという最強怪獣にウルトラマンは勝てないだろう、という意味である(笑)。低学年児童の感性なんてそんなものだろう。造形うんぬんが気になるのはもっと後年、あるいはマニア向け書籍で審美眼が鍛えられたマニアだけだろう。