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ウルトラマン80総論 〜80総括・あのころ特撮評論は思春期(中二病・笑)だった!


ウルトラマンメビウス#41「思い出の先生」 〜80客演!
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ウルトラマン80』総論 〜エイティ総括

ウルトラマンエイティ間奏(感想) 〜遠い星から来たあいつ


(『ウルトラマンメビウス』(06年)07年1月最終週放映分、第41話「先生の思い出」に、ウルトラマンエイティ単独ゲスト出演決定記念!)


(文・T.SATO)
(99年12月執筆)


 誰でもスキな作品の後日談をつい妄想してしまうことがあるものだろう。筆者もそのクチだ。



 最終回でウルトラの星へ帰った矢的猛(やまと・たけし)ことウルトラマン80(エイティ)。
 数年後、ひさしぶりに公務で地球を訪れた彼は、日本のとある公園で、かつての桜ヶ岡中学の教え子と偶然再会をはたす。
 教え子「矢的センセイ!」


 一瞬笑顔になるもちょっと気マズげな猛を尻目に、教え子は「ちょっと待ってて!」と電話をかけにいき、かつてのクラスメートたちがひとりまたひとりと集まってくる。
 むろん全員が集まれるわけではない。
 電話口でのみ矢的センセイとの旧交を温め、別用で顔出しできないことを詫びる者。連絡が取れなかった人間の去就は彼と親しい友の口から語られる……。


 あるいは後続の『ウルトラ』シリーズにおいてウルトラマンエイティが客演するシチュエーションでもよいだろう。
 新米ウルトラマンのピンチあるいは精神的危機、もしくは宇宙で起きた怪事件を追って、地球に颯爽と駆けつけるウルトラマンエイティこと矢的猛。
 経験を積みたくましくなり先輩としての自然なカンロクも付いた彼は、新米ウルトラマンの人間体にやさしくかつ頼もしく適切な助言を与える。しかし、その姿はやはりどこか桜ヶ岡中学教師だったころの面影をほうふつとさせる……。


 ゲスト回のエンディング主題歌はもちろん特別扱い、バラード調の楽曲と、
 “♪ 遠お〜〜い 星〜から〜〜 来〜た〜 アイ〜〜ツ〜〜〜〜”
 と情感豊かに歌い上げるようなサビの歌詞のフレーズが実に印象的な、『ウルトラマン80』(80年)挿入歌にして最終回ラストもかざったあの名曲『心を燃やすあいつ』であることは云うまでもない……。


 ……と、ここまでは『80』ファンなら、ある程度、誰でも考えそうな最大公約数的空想だろう。


 しかし筆者の妄想はまだまだつづく(笑)。ウルトラの星での彼の生活はどのようであろうかと。
 かなり個人的な空想になることを承知おきたいが、90年代児童向けマンガ『ウルトラマン超闘士激伝』(93〜97年・ISBN:4835444094ISBN:4835444108asin:4063216853)において、エイティは宇宙の危機に際してはウルトラ兄弟をサポートするかたわら、ウルトラ学校の先生をしているという描写が与えられていた。
 ……ムムッ、コレだコレ! そう、エイティはこーでなくっちゃ! 筆者にとってこの設定は実に腑に落ちる(笑)。
 以来、筆者の脳内妄想ウルトラ宇宙では、銀河をまたにかけて平和に尽力するウルトラ戦士たちの中にあって、エイティはウルトラ学校の教師を兼任しているのである(むろん私的な妄想であり公式見解でもなんでもないのであってみれば、これを読者諸氏に押しつける気は毛頭ない……けど少しは押しつけたい・笑)。


 


 『ウルトラマン80』をふりかえるとき、そこに浮かび上がる印象は、矢的猛のやさしさ・ひたむきさ・端正さである。
 端正といってもそれは四角四面の融通の効かないそれではなく、角は取れてラウンド(曲面)になっているような、端正でありながらもドコかで漏れや取りこぼし(笑)があるそれであり、良いイミでのアマさ・ユルさもあるそれである。
 それがクルマのハンドルやレバーの遊びの余地のような余裕に通じ、三枚目的なコミカル描写にもつながっていく。
 熱血教師ではあるのだが、その熱血は周囲を焼き焦がしまきこんでいくような赤々としたものではない。熱血でありながらもどこか涼風がただようさわやかな熱血だ。
 時にそれは空回りするが、深刻な事態を惹起するというより、どこかでコッケイ味を増してくる感がある。


 そんな『80』の印象をとりとめもなく、特に結論も付けずに、点描的に思いつくまま気の向くままに綴ってみよう。
 ヒトそれぞれではあろうが、今ふりかえると私的には『ウルトラマン80』第1クール(#1〜12)の教師編はひとつの桃源郷・パラダイスだ。
 そこには中学1年生という生活空間に生じる問題・事件はあれども、20年の歳月ゆえかもしれないがトータルで糖皮におおわれてアマくてやわらかくてやさしい印象につつまれている。


 むろん、これはトータルで浮かび上がる印象なのであって、筆者も評論マニアのはしくれであるからには、考えるともなく色々分析してしまい、『80』第1クールの中でさえも、ごく早いうちの試行錯誤と路線変更を見て取ることができる。
 そしてその第1クール中の路線変更にしても、決してミュータント(突然変異)であったワケではなく、初期編のうちに胎蔵されていたものがブローアップされたものであることも。
 『80』初期編は人心退廃から来るマイナスエネルギーにより怪獣が発生する基本設定、中学生がかかえる悩みを解決するという作劇ゆえか、設定紹介編の#1『ウルトラマン先生』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1)をのぞけば#2『先生の秘密』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100507/p1)〜#4『大空より愛をこめて』に若干クラい印象が付きまとっていた。
 しかしそれは、路線変更により払底されて急速に明るくなり、どころか最近(99年当時)の作品で云うならば、暑苦しくはない『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)か? コレは(笑)みたいなコミカル喜劇の面を濃厚に持つようになっていくのだ。


 もちろん『80』初期編の眼目は矢的猛センセイの熱血で「一所懸命」な指導が功を奏するところにある。
 しかし、意図的にか結果的にか作家の無意識的本能によるものかは知らないが、今見ると実はさりげにイジワルでパラドキシカル(逆説的)な展開にも満ち満ちているのだ。
 #6『星から来た少年』(脚本・広瀬襄 監督・湯浅憲明 特撮監督・高野宏一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100606/p1)UFO怪獣アブドラールス編では、家庭では出来のイイ兄たちと比較され、学校でも空想にふけり、地元の学習塾もサボって、疎外感をいだき、自分は地球人ではない、外宇宙にこそ真の仲間がいる宇宙人だ、と誇大妄想にひたる生徒・大島明男クン*1が登場する。
 オマケに彼は口笛を吹くとつむじ風まで起こせるように見える。そんな生徒に与える矢的センセイのアドバイスは……。
 彼の悩みに頓着したそれでなく(笑)、理科の授業の時間に生徒の能力は“因果関係が逆である。風が吹きそうなことを肌で察知して、それで口笛を吹くのだ”(大意)と喝破してみせる。
 そんな表層的な科学的正論で、少年の真の苦悩が解決するワケでも心が癒せるワケもない。「自分のことを判ってくれない」とばかりに生徒は沈みこんでしまうのだ。矢的センセイの失敗その1(そのあとの顛末は本編を観てネ・笑)。


 矢的センセイの指導は、やや的ハズれであったり、逆効果になっている。あまつさえ当時なりの現代ッコである一部のちゃっかり者の生徒たちに逆にたしなめられてさえもいる(昨今話題の悪いイミでの教師と生徒の絶対平等が実現したかのごとき学級崩壊とは異にする、あくまで教師と生徒の関係の節度が守られたものではあるのだが)。
 その面が#5『まぼろしの秘密』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100530/p1)、#6『星から来た少年』以降にじょじょに全開していく。
 生徒指導のかたわら、自分の身のまわりのことでは無器用だったりオッチョコチョイだったり、性格もホントによさそうだけどキレイなストレートヘアの美女なルックスが印象的なマドンナ教師・京子センセイ(演・NHK少年ドラマシリーズタイム・トラベラー』(72年・筒井康隆の古典SF小説『時をかける少女』(65年)の改題TVドラマ化)にも主演していた浅野真弓!)との恋愛への進展には奥手であったりする面がそれだ(笑)。そして、それこそが『80』初期編の黄金期を扉開くのだ。



 矢的センセイのオッチョコチョイで情けない笑えるコミカル描写もすでに#1冒頭に片鱗はある。
 が、#3『泣くな初恋怪獣』(脚本・阿井文瓶 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100516/p1)硫酸怪獣ホー編ラスト、早朝のバス停での京子センセイとの偶然の出会いを北川センセイにかっさらわれてしまうシーンでの落胆ぶりで本格的にはじまる(今見ると、矢的を演じる長谷川初範(はせがわ・はつのり)のさりげない芸達者ぶり(喜悦と直後の落胆の表情演技が絶品!)もあり、思わず吹き出してしまう・笑)。
 それは先の#6『星から来た少年』での、重症を負った生徒・大島明男クンに輸血が必要となり、眼鏡のイヤミな(でもやはり同時にコミカルな)オールドミスの女教頭に血液型を問われ、居合わせた生徒たちの前で「ボクは……ボクは……」と返答に詰まるウルトラマンであることの正体バレのサスペンス性とギャグ性が両立した稀有のシーン(笑)等を経て、
 ついには本来は指導すべきである生徒たちに矢的センセイ自身の性格と恋慕の気持ちを見透かされ(ハハハ)、#9『エアポート危機一髪!』(脚本・阿井文瓶 監督・湯浅憲明 特撮監督・川北紘一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100627/p1)オイル怪獣ガビシェール編において京子センセイとのデートをおせっかいにも生徒たちにお膳立てされてしまうという、生徒たちの心を救うという基本設定を逆転させるかのような(笑)笑撃シークエンス。
 #10『宇宙からの訪問者』(脚本・土筆勉 監督・湯浅憲明 特撮監督・川北紘一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100704/p1)変形怪獣ズルズラー編では、矢的センセイが京子センセイを自宅に招いたところ、そこにエイティの幼なじみ・惑星調査員アルマ(演・70年代後半〜80年代前半に活躍した美少女役者である遠藤真理子!)がフルコーラスの食事を用意して待っていた(!)という三角関係・誤解大爆発!(当然、京子センセイはバカにしてるワと怒って帰ってしまいます・笑) という2大抱腹絶倒シークエンスで頂点に達している。


 『ウルトラマン80』はこの時点で早くもある種の形態・スタイルでの完成形の域に達しているのだ――余談だが平日の5分間帯番組・人形劇『ウルトラマンランド』(96年)のエイティ先生編でも、『80』#10の三角関係が再現されていた(京子センセイはユリアンに変更)。コレもケッサク!――。


 むろん、コミカル面をもりあげるのは矢的猛だけではない。
 強気な女教頭を筆頭に、あきれたぼういず出身の坊屋三郎演じるチビで頭の髪がウスい弱気の校長、そして事務員のノンちゃん(演・白坂紀子。〜当時TBS平日夕方5時の子供向けバラエティ『夕やけロンちゃん』のアシスト司会(同ワク内では平日帯番組『ウルトラファイト』(70年)の再放送もやっていた)。のちに俳優・志垣太郎夫人と聞く〜)のコミカル演技までをも動員して、喜劇として盛り上げるだけ盛り上げる!
 セリフまわしや場面転換のタイミングさえギャグになっており、さすがは脚本の阿井文瓶(あい・ぶんぺい。現・作家の阿井渉介)センセイ、ギャグの巨匠・石堂淑朗(いしどう・としろう)センセイの弟子であるだけのことはある(笑)。



 また今見返すと、ギャグにつつまれつつも、生徒たちの描写も一辺倒・一筋縄ではいかない、ちゃっかり者ぶり……ヘタに描くとエゲツなさにも通じかねないシニカルな要素を与えていることに驚く(しかもそれが決して毒々しくはない!)。
 同時期の学園もので(ドラマ面ではなく人物面で)、ここまでシニカルで喰えない生徒をしかも気持ちよくサラリと描いた作品があったであろうか?(逆に云うと、第2期『ウルトラ』作品のいくつかの子供ゲストを据えた作品にも云えるが、ヒーローによる怪獣退治という絶対カタルシスが作劇の一方で存在するからこそ、他方で子供の悪をここまで描くこともできて、しかも作品が後者の要素で後味悪く染まらないのだともいえる)


 #2のいかにも虚弱・気弱そうな登校拒否生徒・塚本クンに#3の初恋失恋少年・真一の人物造形こそあまりに一面的類型的で図式的記号的に過ぎるが(07年後日付記:いや、先日見返ししてみたら、そんなに記号的でも悪くもなかったな・汗)、#4『大空より愛を込めて』(脚本・阿井文瓶 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100523/p1)だだっ子怪獣ザンドリアス編での姉の嫁入りの見送りで、姉(〜直前作『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)の星川ムツミ隊員に、『風の谷のナウシカ』(84年)のナウシカや、『めぞん一刻』(86年)の音無響子(おとなし・きょうこ)さんの声優:島本須美が演じている!〜)を安心させるため、同級生のファッション(女生徒)を恋人役に仕立てるスーパー(男生徒)。
 しかもそのことを悪びれずさわやかにバイト料までねだってみせるファッションにはじまり(まあ子供の小さな悪事(?)なのだからケッペキな読者も許容してくれよ・笑)、前述の#9における京子センセイと矢的センセイをゴーインに引き合わせデートに持ち込む生徒たち。#10ではなんと矢的センセイ宅に忍び込み、カンニング用にテスト用紙を盗まんとする(!)悪童たちまで描写する(もちろんエイティの幼なじみアルマに見つかる。と同時に若い女性が同居しているとカン違いされてしまう・笑)。
 さらに#12『美しい転校生』(脚本・広瀬襄 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100718/p1)ではファッションを筆頭に女生徒たち数名(みな美形でかわいこチャンぞろい・笑)が、マジメで童顔チビの坊ちゃん刈り眼鏡クンことハカセ(男生徒)を下駄箱に忍ばせたニセのラブレターでデートに誘い、来るか来ないか賭けに興じたり、あげく転校生女生徒・青山ミリーをナマイキだとオドシにかけるのだ!


 製作者の節度と、話のテーマがそこにないことから、深刻な状況になる前に、場面は気持ちよく回避・転換していくが、第2期『ウルトラ』作品群(『帰ってきたウルトラマン』(71年)〜『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1))の子供描写がかなりダークな面まで描き出していたのに対し、ここではさらにひとひねり入れる形で(?)、ダークさを包含した上で、テイストは第1期『ウルトラ』的なアマさのある子供描写に再度立ち寄っている。
 ここにはすぐれてヘーゲル弁証法的発展(正→反→合)な作劇意図が見て取れる(笑)。というような結果論的理論武装はともかく。


 凡百の社会派テーマ作品ならば、子供は性善にして、ワルさをするのは抑圧的な社会や環境などに起因するとドグマ(教条主義)的に来がちだろう。
 しかし『80』では、子供は天然自然でもイタズラもすればワルさもするのだという哲理を製作陣は気張らずに、あるいは本能的・直観的に描くのだ。
 そこに筆者などは『80』を再視聴する度、自身の生理と感性と価値観の内奥にフィットするものを、理性の次元で知的にも感嘆させられてしまうのだ。



 承知の通り、『80』教師編は1クールで終了となる。よって矢的の教職描写もこれをもって終了となってしまう。
 しかしここで確立された矢的の人間くさい描写は消滅してしまったわけではない。それは、#23『SOS!! 宇宙アメーバの大侵略』(脚本・山浦弘靖 監督・外山徹 特撮監督・高野宏一)においては巨大母艦スペースマミーでの宇宙航行時の危機的状況下、防衛隊UGMに#14より新加入した副隊長格イトウチーフ(演・大門正明)という演技達者を相手に、誰が小の虫として犠牲となって大の虫を生かすかの究極選択でのヒューマンなやりとりや、#28『渡り鳥怪獣の子守歌』(脚本・阿井文瓶 監督・外山徹 特撮監督・高野宏一)での巨大赤ちゃん怪獣をあやしてあげる矢的のやさしさなどにも、確実につながっている(余談だが、怪獣をあやすシーンの矢的はホントにイイ顔してるよな)。


 コミカル面は、途中参入のUGMフジモリ・イケダ両隊員がその役を担うようになり、爆笑マンザイを見せてくれる。
 特にこの点では、ギャクに関して並ぶもののない我らが鬼才・石堂淑朗センセイの感覚的セリフまわしの面目躍如。
 個人的におすすめなのは、マニア間では悪評高い#37『怖れていたバルタン星人の動物園作戦』冒頭シーンでの、フジモリ・イケダ、広報の太っちょセラ(なんかみんなギャグメーカー)にオオヤマキャップにイトウチーフも交えての大漫才大会だ(笑)。
 ……ギャグというのは一回性の魅力の面が多分にあるので、先入観を与えないよう詳述はしないが……。また読者諸兄にあられても、ゆめゆめ構えて観られることなく、予備知識はなるべく遠ざけ出来れば忘れて、意識的に意識しないよう、無心の境地で脱力しながら鑑賞いただきたい(って充分、先入観を与えたか・汗)。


 石堂センセイといえば作家論的興味から言及すれば、いかにもな60年代的左翼的松竹ヌーベルバーグの一員から80年代における成熟した保守派論客への転向だが、『怪奇大作戦』(68年・円谷プロ)#23『呪いの壺』(監督・実相寺昭雄)、『帰ってきたウルトラマン』#34『許されざるいのち』(監督・山際永三)合成怪獣レオゴン編などに登場した不器用でナイーブな青年……の成れの果てが、一応はしっかりとした日常に着地した姿が、少し頼りない父・しっかり者の母・ちゃっかり者の息子のファミリー像だと見てもよいだろう。
 ゲスト家族の会話の歯切れのよさは冴えに冴えて冴えまくる!
 論壇ではわりと強気の誇張した発言をする(自称・暴論家の)石堂センセイにとってのファミリー像の理想はともかく、リアル・実感は良くも悪くも結果的には実はこんなところにあるように思える(戦後の核家族!)。
 ――これらファミリー像の原型は、石堂脚本の『ウルトラマンエース』(72年)#45『大ピンチ! エースを救え!』ガス超獣ガスゲゴン編(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070310/p1)、『ウルトラマンタロウ』(73年)#23『やさしい怪獣お父さん!』しんきろう怪獣ロードラ編にも見て取ることができよう――



 以上、『80』の人間くささ、人間ドラマ面について語ってきた。
 しかし、ここで問題が生じる。いわゆる怪獣という存在と人間ドラマ面の分離・分裂だ。
 ヒーローものなどの活劇において人間ドラマが過剰になることは、物語のクライマックスに怪獣バトルが位置しなくなり、その前あるいは後での人間ドラマ部分にヤマ場が来てしまうことになりがちだ。
 むろん、ケース・バイ・ケースでそれもイイし、バトルをクライマックスにすることを原理主義的にすることもないのだが、変身・怪獣ものは基本パターンは怪獣バトルがクライマックスに来たるべきであることに異論を唱える向きは少なかろう。
 出来れば理想は、物語の流れ・ベクトルを最終的に怪獣バトルに集約させ、さらに云えばラストの怪獣バトルと人間ドラマを一致・融合させることだろう。


 こう書くと、『80』という作品に、構造的欠陥があるやに捉えられかねないが……。
 前述した怪獣・バトルものとしての理想型のドラマを構築する可能性は、実は他の『ウルトラ』シリーズ諸作品よりも、むしろ『80』自身のいくつかの話にこそ胚胎されているのだ!
 「怪獣=人間のマイナス心理」。そう、このシチュエーション自体は、最近のジャンル作品ではよく見かけるものだ。
 具体的には、TVアニメ『美少女戦士セーラームーン』(92年)の大ヒット以降に、類似作品をあまた生み出した「90年代戦う魔法少女もの」の作劇に、顕著に見られるものなのだ。それらでの毎回のヤラレ怪人・悪役はその回のゲスト主役の怨念・嫉妬・葛藤の具象化であったり、あるいはズバリ主人公のそれであったりする。


 舞台設定が主人公の身近な空間に限定されるキライはあるものの(*1)、ドラマとバトルの分離がここでは巧妙に回避されている。あるいはバトルの経過・顛末そのものが作品テーマを優雅に象徴、物語ることとなるのだ。


 『80』がそーであったというのではない。『80』がそれらのシチュエーションの先駆者だと云うのでもない。
 こーいう要素は、互いに交通がなくても同時進行・同時多発的にも発生するものであろう。あるいは『80』以前のジャンル作品でも同様のシチュエーションの祖形は探せばいくらでも発見できよう。しかし、実系譜はともかく作劇の精神性においては、ある種の先駆けなり独立して屹立する中興の祖でもあり、『ウルトラ』の作劇における豊穣な可能性のひとつのパターンの萌芽にもなりうるのではないかと筆者は私見するのだ(もちろん唯一の進むべき道だとは云わないョ・笑)。
(*1:この弊は、『80』でも魔法少女ものでも、主人公たちの生活圏外で起きた事件を、探索・調査する作劇で外部世界へと開くことで回避できるとも思う)



 ……いろいろと書いてきた。しかしバトル&ドラマの融合以前にも、『80』の人間ドラマ面を持ち上げてきたこと自体に、実は筆者は同時にジレンマを感じている。
 ふだん子供のための子供番組を賞揚し、過剰に難解なマニア受けの作劇を批判しているのに、時に自分は矛盾して、子供には理解できない描写を持ち上げているのではないのかと……。
 第3期『ウルトラ』および第2期『ウルトラ』、そしてジャンル作品の人間ドラマ作品・社会派テーマ作品を擁護するときに感じるジレンマがコレだ。
 一般に(って一般化したらマズいか?・笑)、小学校高学年のマニア予備軍気質の人間であれば充分にわかる第1期『ウルトラ』シリーズのSF的ハイブロウ系アンチテーゼ編、対するにしかしてもう少し人生経験を積んだ10代中盤以降になってはじめて真に判る第2期・3期『ウルトラ』の滋味あふれる味わい深い多面的な人間描写やオトナたちのやりとり。
 ……10代中盤以降になってやっと判る子供番組っていったい……。
 このジレンマについては、最終的な結論は出していないものの中間報告としてなら、それなりの考えやジレンマの解決策は練っている。自身の体験に重ねてそれを語ろう。


 『ウルトラマン80』本放映時、筆者もまだギリギリ小学生であった。しかし小学生間でも大ブームとなっていた当時のいわゆる第3次怪獣ブームで卒業は延期されてはいたものの、年齢的なことからそろそろ子供番組を卒業せねばイケナイのかも、との焦燥感が子供心に漠然とあったのもまた事実だ(じゃ、今は何だと問われると窮すけど・笑)。
 ちなみに『80』開始直前にはじまった東映戦隊シリーズ電子戦隊デンジマン』(80年)もその番組フォーマットが前作の戦隊『バトルフィーバーJ』(79年)とまったく同一だったこと
 ――5人戦隊で巨大母艦が出てきて海面を破って出撃し、等身大時は前作同様、5人のブーメラン攻撃が必殺ワザで、そのあと巨大怪人が出てきて巨大ロボ戦をやり、ロボの必殺ワザ演出も前作同様に剣であり、時代劇ヒーロー・眠狂四郎(ねむり・きょうしろう)の円月殺法(えんげつさっぽう)であったこと! シリーズものなのだからある程度は当たり前なのだけど――
 をバカにしているのか!? と深刻に受け止め(それもまた長じてから思えば、別の次元でお子様の反応だが・笑)、疑念をいだいて初期数本で卒業している。


 ――今でこそ特撮マニア間ではケッサクとして持ち上げられて、初期作品とくくられる『戦隊』作品群も、当時はまだ後期『戦隊』であり(笑)、『戦隊』は『バトルフィーバーJ』で巨大ロボが出てから堕落(だらく)したと筆者らの世代ではまことしやかに云われていたものだ(筆者の地元だけ?)。
 当時の筆者も、敵の等身大怪人がやられると巨大化したり弟の巨大怪人ロボが出現して、戦隊巨大ロボと戦うというムリやりな取って付けたようなシチュエーションが猛烈にイヤでイヤでたまらなかったものだった(笑)。
 それが今やこのころが幼児期の原体験である世代が、最近の作品は堕落しているなどと云っている。筆者はあるイミあのころの『戦隊』よりも、最近の『戦隊』の方がレベルが高いと思っているのだが……。ドッチもドッチ。両者の見解は割り引いて見る必要があるのだろう――


 白状しよう、実は筆者はリアルタイムでは『ウルトラマン80』がスキではなかった。#14を観たあたりで卒業してさえいる(汗)。そのワケは?
 マニアや女性ファンには多いことだが(偏見?)、前作にハマると後続作にはなんとなくハマれない、どころかキライにさえなってしまう現象があると聞く。
 筆者はそーいう経験はほとんどないし、生来あまりキライという感情もいだかない方だが、そーいう感覚をいだいたことが一度だけある。今思えば『80』がそーなのだ(汗)。
 『宇宙戦艦ヤマト』(74年・77年に映画化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)、『未知との遭遇』、『スター・ウォーズ』(共に77年・78年に日本公開)など史上空前のSF大ブームの渦中、前作『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430/p1)におけるストーリーが宇宙的規模で拡大していくワクワクロマンに心酔していた筆者は、あまりに身近な日常を舞台とする作品へと一変した『ウルトラマン80』の登場に失望を禁じえなかったのだ!(むろんコレは無いものねだりな評価である)


 さらに子供にとってはあこがれの的である非日常的な要素・防衛隊のUGMがメインの存在ではないことも私的には不満をいだかせたし(汗)、筆者が小学校高学年という年齢で中途半端にオトナなリアル志向になっていたせいであろう。
 防衛隊と教師の両立設定については職場間の移動が大変だし、働きすぎで身体を壊すのでは? とのムリも感じていた(笑 〜ただし、歳下の同人ライター連の反応で、放映当時幼児や小学校低学年であった世代はこの設定にムリや違和感をいだかなかった人間が多いことも判明している)。
 それらに子供番組卒業期の独特な心理が調合されて、『80』に憎しみさえ覚えるようになっていく。
 ――今オトナの眼で観ると、『80』のみならず初期および昭和『ウルトラ』の主人公たちの防衛隊加入描写もみんなムリがあり、『80』の教師と防衛隊の両立同様、ちっともリアルではないのだが(笑)。むろん今ではリアリティよりも物語の内在律こそが優先されるべきであると考えているので、アレらでよかったとも思っている――



 しかし、本放映の翌81年秋の関東平日夕方5:30の再放送では、すでにして本放映時とはちがう感想をいだいている(!)。
 アレ、意外に面白いな。あんなにヤだった学校描写がむしろドラマ的に面白い! なぜに去年はあんなに反発したのかと(汗)。


 ――余談だが、ごくフツーの通常編の話としか思えなかった、いわゆる『帰ってきたウルトラマン』「11月の傑作群」――児童向け豆百科『ウルトラマン大百科』(78年8月・ケイブンシャISBN:476691564X)や草創期マニア向け書籍『ファンタスティックコレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPARTII』(78年12月・朝日ソノラマ 〜『不滅のヒーロー ウルトラマン白書』(82年に初版・95年に増補第4版・asin:4257034505)に合本再録)で、帰マン「11月の傑作群」の存在は怪獣博士たちマニア予備軍小学生間ではすでに知られていた――のその人間ドラマ的・社会派テーマ的滋味が、突如腑に落ちてきたのもこの年の再放送――


 今まで論が煩雑になるのを避けるために伏せてきたが、実は筆者は大昔(90年12月刊)の本誌『假特隊』別冊『ウルトラシリーズ』という本において(同人デビューの本で、先代代表の時期の本・汗)、『ウルトラマン80』批判をやらかしている。それを無かったかのようにふるまうのはほんのもうごくわずか(笑)の重複する読者に無節操というものだろう(汗)。
 未熟だった筆者は自分のリアルタイム時の感想と1年後の再放送での感想を分化して意識的に認識することができておらず、しかも前者をあたかも一般論のごとく書き記す愚を犯している。
 当時は特撮評論同人界でも最年少であったが、しかしあのあと続々と出逢う歳下マニアの同人ライター仲間たちから、自分はリアルタイムで楽しめたとのたくさんの反論をあの記事に頂戴したことをここに明かしておこう。


 それらをベースに、92年のNHK・BS2での再放送による再鑑賞で、筆者は『ウルトラマン80』という作品への見解を改めていくこととなる。
 すると必然的に、筆者のリアルタイム時・翌年の再放送・BSでの再視聴それぞれでの感慨、そして歳下の当時は現役児童だったマニアたちの感想、年長世代にも実は少数(?)存在する肯定派と、もちろん多数の否定派の見解を、どう折り合いを付け、それらを立体的に位置付け、『ウルトラマン80』という作品の本質・実相をより良く――より好意的にでなく、より客観的にというイミで――把握することが、自然に課題となってくる。世代や視聴年齢による感覚・感慨のちがい&断絶と、もちろん同世代内部であっても生じる個々人のズレについても、コレ同じ。



 まことに微力で及ばずながら現時点での中間報告としての、筆者なりによりよく把握しようとした結果としての『ウルトラマン80』観、そしてそのベースとなる世代間および世代内でも感慨のちがい・ズレについての見解は下記のようになる。


 ローティーン時代の精神の成長は、要素要素でバラツキがありムラが大きいということだ。
 筆者にかぎればリアルタイム時の1980年にはもう当時の草創期マニア向け書籍に影響されて、純粋な子供ではないイッパシのマニアのつもりであった小学生であったが、それは科学的SF的なセンスの発達に限定されていた。
 つまりは、人間ドラマ面における感度は未熟であったということだ。そして翌1981年にはもう、人間ドラマ面を理解するまでに発達していたということだ。
 そのアンバランスさが、当時の筆者をしてアンフェアな低評価を『80』に与えしめたのだろう。
 拡大・敷衍(ふえん)するならば、まだ若かった特撮ジャンルそれ自体、そしてジャンルファンそれ自体が、実年齢はともかく精神年齢がローティーンの思春期で、SF的ハイブロウ志向の背伸びざかりの時期だったのではあるまいか?



 良くも悪くも平成『ウルトラ』において、特撮マニア間では評価された人間ドラマ描写。
 賢明なスレたマニア(笑)ならご存じの通り、人間ドラマ描写は実は第2期・3期『ウルトラ』におけるそれの方が濃かったり多面的であったり、善意が悪事に帰結したりする人間万事塞翁が馬的なイジワルでパラドキシカルなものであったりして優れていたりもするのだが……。


 第1期『ウルトラ』世代が、第2期・3期『ウルトラ』の人間ドラマを称揚せず、平成『ウルトラ』のそれを称揚しがちな不整合が生じるのはなぜか?
 それは、彼らが背伸び盛りのクールでドライなSF至上主義の風潮が強かった70年代の10代のころに、第2期『ウルトラ』に接したがために、人間ドラマ部分への感度にいささか欠けていて、それが先入観となったからだろう。


 そして、SFがその輝き&驚きを失って陳腐化した90年代のクタビれた30代(40前後?)になってから、平成『ウルトラ』に接したがために、『ウルトラ』なのに、子供向け変身ヒーロー作品なのに、意外と人間ドラマがある! と驚いているのだろうということでひとつの説明は付く。
 後続世代でも第1期世代と同じような感慨をいだいている輩ももちろん多数いるだろうが、それはやはり人間ドラマ部分への感度に欠けたSF至上主義者か、長年にわたるマニア向け書籍の直接的・間接的な影響なのだろう(笑)。



 むろん、「子供を子供扱いしてはイケナイ」「子供はオトナっぽいものがスキ」だとの言説もある。筆者もローティーンのころから二十歳ごろまではそのように唱えていたものだ。
 が、記憶の古層を丹念にたどると、SF面では背伸びざかりであっても、表層的にはコミカルに演出されながらも高度なものがあった『ウルトラマン80』の人間ドラマ面を感知できなかった体験からも、それらは一理あるにしてもあらゆる局面で絶対に成立する原理・原則ではないように思える。
 また逆に、特撮でなら東映不思議コメディシリーズ、アニメでも『ビックリマン』(87年)なり『ポケットモンスター』(96年・97年にアニメ化)なり『遊☆戯☆王』(96年・97年にアニメ化)など、チャイルディッシュな作風なのに(いやむしろ、だからこそ?)、平成『ウルトラ』3部作以上の大ヒットを飛ばしている作品はいくらでもある。


 ――余談になるが、リアルタイム時、SF的な感性はともかく、現実的な兵器描写へのリアリティ感度もまたやはり筆者は発達していなかったようで(笑)、原色ケバケバ超科学ではない、現実の米軍厚木基地のような防衛組織UGMの倉庫や滑走路がはりめぐらされた飛行場を(今見るとスゴい! カッコいい! と思うものの)、科学的に進歩していなくてダサいなーと感じていたものだ(汗)。かように要素要素での感性の発達はバラバラなのだ。
 さらなる余談だが、同時期の戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(79年)にも同様なことが云える。今見ると5人の主役たちが子供番組的集団ヒーローの類型(熱血・冷静・3枚目・紅一点・若者)ではなく、リーダーをのぞいた皆が70年代末期の2枚目半的C調軽妙な連中で、マンガチックではないそのさりげない微妙な性格描き分けの人間描写にオシャレさを感じるが、当時の筆者にはそれがまったく感知できなかった。ただし開田裕治画伯の同人誌『衝撃波Q』他など当時の年長で先鋭的なマニア間では話題になっていたらしい――



 では子供には真に理解できない(浅くは理解できている場合もある)人間ドラマや人間描写の是非についてはどう位置付けるべきであるのか?
 これも中間報告ではあるのだが、その人間ドラマを理解させられればベターだが、デリケートなものは理解させられない場合もあるだろう。
 この識別はカット&トライでやってみなければ結果は判らない面がある。


 しかし仮に子供にまったく理解できないドラマが若干あったとして、それでタイクツさせてしまったり視聴を断念させたのならば最悪だが、悪いイミでのひっかかりや子供にとっての遅滞感がなく、サラサラ流れて視聴させていく描写のものならば、目くじら立てることもないのではなかろうか?

 
 そして『80』は、その怪獣なりヒーロー活劇性なりの部分で、筆者よりも歳下の少年たちをシッカリとつかまえていた。そして教師という設定のドラマに違和感をいだかせず(あるいは多少はいだかせても)、視聴をつづけさせていた。筆者より歳下のマニアに『80』を愛するコも多い。
 ならば、『80』は子供番組として成功していたといってもよいだろう。


 もちろん怪獣やヒーローといった華(はな)で、まず我々は幼児期・児童期に惹きつけられたからこそ、その好意の感慨に基づいて、小学校高学年、中高生、場合によってはオトナになってからも再視聴をしたいと思うのであって、そしてその人間ドラマの滋味にも気付くのである。
 最初から人間ドラマの滋味しかない作品であり、幼児・児童にアピールすることのない作品であったのならば、いかに優れた作品であっても、長じてから好意や懐かしさの感慨が動機となって、作品の再視聴に駆動されることもまたありえないのであって、コレを本末転倒して理解してはならない。


 ――コレは『バトルフィーバーJ』のバトル&人間描写についても同様のことが云える。ただし、怪獣・変身ブームの栄枯盛衰という個人の感覚と制御を超えた波、時代の空気・流行とでも云うべきものがもたらす視聴者たる子供の感慨への影響(子供にもある、今流行っているからというとっさの直観的・本能的判断で、仲間と話を合わせるため、ポジショニング的に長いものには巻かれろで、視聴しているうちにその作品も好きになったり、流行りでない作品を過剰に古クサく感じたり……といったこと)は、ここでは分析から外し、個人の感性に届いた純粋作品として論じている――


 『ウルトラマン80』の魅力は、やはりヒーロー怪獣ものであるのだから「そこ」と、教師編でならば学校での人間ドラマ面のふたつにあったのだろう。
 怪獣プロレスものから卒業せんとしていてSFハイブロウ志向にあり、しかして人間ドラマ面での感度では劣っていた発展途上の狭間の一瞬というローカルな位置にいた当時の自分の感性は、『80』がめざしていた両方の要素のちょうど空隙(くうげき)・スキマにあったということだ。
 そして、今まで議題の進行の都合上、あまり言及してこなかったが、筆者より歳上の世代であっても特撮評論同人界でならばけっこう存在する『80』肯定派は、その人間ドラマ面を充分に理解するほどに(毎回のワンパターンな怪獣プロレスを過剰にイヤがらずに、それもお約束だとわきまえるほどに)成熟していたということだ。


 そして今でなら自信をもって云える。自分は『ウルトラマン80』がスキだと。子供番組としても成功していたと。
 いろいろと述べてきた。しかし、中間報告ということから、『ウルトラマン80』という作品を捉えるのに、あるいはジャンル作品を包括的に捉えてその実相を明らかにするのに、シリアス志向なり逆にコミカル志向なり、SF叙事性なりまたその逆に人間ドラマ的叙情性なりのそれぞれの要素を否定せず、総合的で明晰にして明快なピタッと腑に落ちてきてハマりきるキーワードなり論法・体系なりのモノサシを、やはり今の自分ではうまく言葉にできなかったうらみが残る。願わくば、将来の自分に、そして読者にそのような器量が備わることを切に願う。


 『80』には、そのままに再現しろというのではないが、学園での生徒ドラマにしろそのあとの展開にしろ、見過ごしにできない作劇パターンの可能性の宝庫があるはずだ。願わくばその要素の現代的発展も今後の新作『ウルトラ』の要素のひとつとして期待したいところだ。



 『ウルトラマン80』#50(最終回)『あっ! キリンも象も氷になった!!』(元々最終回ではなかったシナリオが話数調整で急遽最終回に改訂。しかしサブタイは変更できなかったと聞く)。
 脚本の石堂淑朗センセイはふだんの自分の作劇カラーではなく、最終回にあたって『ウルトラ』世界の根本命題とそれがハラむ矛盾に真正面からがっぷりとりくみ(満田かずほ本編演出も好調!)、『ウルトラマンタロウ』#53(最終回)『さらばタロウよ! ウルトラの母よ!』(脚本・田口成光)につづいて2度目の、番組クライマックスでウルトラマンの存在にまったく頼らずに、地球人自身の懸命な自力・自助努力で怪獣を倒してみせる展開を見せてくれた!
 『80』最終回は、『ウルトラ』シリーズの根本命題にも、テーマ的にもドラマ的にも、あの時点での見事な決着を見せてくれたのであった……。


(了)



☆『ウルトラマン80』余談
 本来は映画スタッフの人物名鑑を所持する御仁に作業してもらうべきですが、筆者が知りうる『ウルトラマン80』スタッフの去就。
 第2期『ウルトラ』作品でも助監督で名前を見かけ、本作#48、49で監督デビュー(?)した宮坂清彦氏。そして#35、36の合月勇監督の両氏はときどき2時間ドラマの監督でクレジットを見掛けます(大映テレビ室の所属かフリーでも大映テレビと縁が深い?)。
 脚本と演出両方を担当した広瀬襄(ひろせ・じょう)氏は、おそらくTV時代劇『必殺仕事人Ⅲ(スリー)』〜同『Ⅴ(ファイブ)』(82〜85年)などにローテーション参加して、映画第2弾『必殺! ブラウン館(やかた)の怪物たち』(85年)の監督を務めた御仁と同一人物でありましょう。今にして思えばそのやさしい作風が、後期『必殺』と後期メインライター吉田剛(よしだ・たけし)の作風にマッチしていたと思います。個人的には氏の演出した『仕事人Ⅴ』#1を高く評価しています。


(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2000年号』(99年12月30日発行)『ウルトラマン80』再評価大特集・合評6より抜粋)



*:タイトルはブログ上にUPにつき改題。由来は『あの頃マンガは思春期だった』(夏目房之介・00年・筑摩書房ISBN:4480035869)より。
*:同人誌での初出原文では、「桜ヶ丘中学」と誤表記してました。正しくは「丘」ではなく「岡」の方の「桜ヶ岡中学」1年E組です。



後日付記:『ザ☆ウルトラマン』『ウルトラマン80』で企画デスクを務め、『電光超人グリッドマン』(93年)や平成『ウルトラ』作品でも、シリーズ構成やプロデューサーの肩書きでお名前を拝見する円谷プロの江藤直行氏は、『円谷プロファンクラブ』会報Vol.71(03年3月5日発行)での連載『重箱の隅のまた隅(33)〜円谷プロ・裏街道の30年〜』(この号より、タイトルの「20年」が「30年」に変更・笑)「第十九章『ウルトラマン80誕生!』」にて、『ウルトラマン80』におけるネーミングの由来を明かしている。
 それによると、防衛組織UGMの戦闘機シルバーガル(SILVER−GULL)は、頓挫企画の特撮映画『ウルトラマンUSA』のライター候補の米国人ジェフ・シーガル(後年のアニメ『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)のハンナ・バーベラ社側のプロデューサー兼ライター)の名前から着想したものだそうだ。シーガル(SEGAL)とカモメ(SEAGULL)を掛けて“金髪とんび”とアダ名されていたことにあやかり、“銀色かもめ”と江藤氏が名づけたとか。
 車両スカウターS7(Scouter−S7)は、江藤氏お気に入りのマツダのサバンナRX−7が採用されたもの。カタログを取り寄せ、全長・全幅などの数値をそのままメカ設定に書き加えたとか。
 江藤氏は『ザ☆ウル』に引き続き、主にメカ設定を担当(その他には、石田えり演じる城野エミ隊員のネーミングも江藤氏)。
 ヒーロー・怪獣・メカデザインは、特撮美術のベテラン山口修によるもの。ただし、メカについては、江藤氏いわく「山口氏が最初に描いたオリジナル・デザインは、私のイメージ通りのスピード感溢れる見事なものだったが、残念ながら実際の作品に使用されることはなかった。当時の番組スポンサー等々の意向もあって、デザイン変更が行われたのである」とのこと。
 だが、ここで筆者の個人的意見を述べさせてもらえば、製作会社もスポンサーたる玩具会社も共存共栄すべきであると考えるので、玩具化しやすさの便宜なりプロのマーケティングに基づく子供受けをねらったデザイン変更も積極的に肯定したい。
 この連載の当該回ではその他に、#1のダビング作業(MA:Multi Audio)で、湯浅憲明監督と冬木透音楽監督が使用する楽曲をめぐって激しく対立した話が明かされている。江藤氏いわく「詳細は省くが、両者の言い分は、私にはどちらも正しいと思えた」とのこと。第2期ウルトラ最終作『ウルトラマンレオ』までは、作曲者の冬木透氏が選曲を担当していたことは知られているが(後日付記:『レオ』にも明田川進氏という選曲者がいらっしゃるという情報を頂きました)、本作ではエンディングテロップで「選曲」者が存在しているのにも関わらず、#1については監督・作曲者ともども前面に出て選曲に携わっていたということだろうか? 江藤氏いわく「湯浅監督と冬木氏の闘いは、結局、私の理想とする形で収まった。お二人は正にプロ(そして大人)の立場で解決策を見出されたのだった」とのこと。 
 また、TBSの番組対抗親睦野球大会が、所沢の西武ライオンズ球場で行われ、『80』チームは田中健三原順子が出演するTVドラマ『青春諸君・夏』チームと対戦したとか。『80』チームの先発は長谷川初範。相手チームの先発は田中健(!)。監督は満田かずほプロデューサー。勝敗は……、『80』チームの勝利だったらしい(記憶不明瞭だとか・笑)。この風景は、TBS平日夕方5時からの30分ワク広報番組『夕やけロンちゃん』で放映されたそうだ。



『假面特攻隊2000年号』「ウルトラマン80」再評価・大特集記事一覧
・(1)「ウルトラマン80教師編 #1〜12各話評」(文・黒鮫建武隊)
・(2)「ウルトラマン80の脚本世界 〜阿井文瓶と江連卓(水沢又三郎)の狭間に」(文・本間豊隆)
・(3)「『ウルトラマン80』と〈80年代式〉日本特撮」(文・旗手稔)
・(4)「第3期ウルトラ特攻大作戦」(文・ヤフール)
・(5)「ウルトラマン80論」(文・sugi
・(6)「ウルトラマン80間奏 〜遠い星から来たあいつ」(文・T.SATO)
・(7)「ウルトラマン80 #13以降の概観」(文・黒鮫建武隊)
・(8)「ウルトラマン80全話評(未完)(序文・#1〜29・32・49・50)」(文・内山和正)
・(9)「『ハワイ・マレー沖海戦』と第3次怪獣ブーム」(文・旗手稔)



『假面特攻隊2000年号』「ウルトラマン80」関係記事の縮小コピー収録一覧
・『新・ウルトラマン大全集』(94年・講談社) 阿井文瓶氏の近況
・『ウルトラ怪獣大全集』(84年・小学館) 『80』美女アルマ・ミリー・女王イーナス
・『ウルトラ兄弟大百科』(90年・小学館) 80・ユリアンの3面図やスペック
・『小学三年生』某月号(80年・小学館) 80も努力次第でウルトラ兄弟入りできる!
朝日新聞 1980年1〜4月のTV欄
 1980年1月3日(木) TBS『ウルトラマン・七大怪獣対シュワッチ!!』(79年の実相寺昭雄監督作TV初放映)
 1980年2月11日(月・祝)9:45 テレビ朝日ガメラ対深海怪獣ジグラ』
 1980年2月11日(月・祝)19:30 テレビ朝日ゴジラ・ガバラ・ミニラ オール怪獣大進撃』
 1980年3月20日(木・祝)16:00 TBS『これがウルトラマンのすべてだ!』「大集合ウルトラマン・80新登場!」
  広川太一郎司会で三遊亭楽太郎(現・三遊亭円楽)も出演の1時間番組。Q&マン(中CM)セブン&帰マン(中CM)A&タロウ(中CM)レオ&ザ☆ウル総集編と、
  新番組『80』紹介・2代目ケンちゃんによる#3の特撮現場訪問・タリスマンによる主題歌熱唱だったと記憶。
 (後日付記:特撮評論同人ライター・久保 達也氏の記憶によると、#3の特撮現場訪問は改変期の宣伝特番『4月だヨ!全員集合』の中で行なわれたものとのこと(弊ブログ主宰は未見)。『80』と『カレー屋ケンちゃん』の新番組紹介の寸劇で、UGM隊員たちがカレー屋ケンちゃんの店でカレーを食っていたら怪獣出現の通報が入り、UGMがカネも払わずに出動したため、ケンちゃんのママが硫酸怪獣ホーに勝利したエィティにUGMのカレー代を請求するというオチ・笑)
 1980年3月26日(水)8:30 TBS『奥さま8時半です』「春休みウルトラマン大会」
  マン・レオの主題歌と80の主題歌&副主題歌
 1980年3月26日(水)19:30 TBS『ザ・ウルトラマン』(終)「ウルトラの星へ!!完結編・平和への勝利」
 1980年3月29日(土) TBS4月新番組宣伝より『ウルトラマン80』のみ抜粋
 「ウルトラ・チェンジ! いまウルトラマン80の必殺技が飛ぶ! ●長谷川初範 中山仁 浅野真弓」



ウルトラマン80』平均視聴率:関東10.0%・中部13.4%・関西13.6%
 1クール目:関東13.2%・中部15.7%・関西15.8%
 2クール目:関東9.4%・中部14.2%・関西14.5%
 3クール目:関東8.4%・中部11.1%・関西11.1%(〜12月・〜#38)
 4クール目:関東9.0%・中部12.3%・関西12.8%(1月〜・#39〜50)
 最高視聴率:関東18.7%(#2)・中部18.4%(#14)・関西19.0%(#2)
 最低視聴率:関東6.4%(#27)・中部8.6%(#20)・関西8.6%(#37)
 (10%未満:関東34回・中部5回・関西3回)
 (平均視聴率EXCEL表計算:森川由浩)
・関東での#1の視聴率16.7%、#2の視聴率18.7%は、関東ローカルの子供向けバラエティ『夕やけロンちゃん』内で「#2の視聴率が#1を上回り18.7%でした!」と公表されたのを、編者は記憶している。(T.SATO)
・しかし中部と関西での『80』の視聴率の良さには驚きます。関東もこれくらいあれば『80』の直後に第3期ウルトラの三作目の制作は夢ではなかったかも?(森川由浩)



※:07年1月30日付記
 世代人や濃いマニアでなければご存じないと思われますので、『80』の名挿入歌「心を燃やすあいつ」をご試聴されたい方は下記で。
 http://www.youtube.com/watch?v=kTgPApXRlxg


[関連記事] 〜ウルトラマンエイティ関連記事!

ウルトラマンメビウス』#41「思い出の先生」 〜80客演!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070218/p1

ウルトラマン80』再評価・全話評! 〜序文

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100501/p1

ウルトラマン80』#1「ウルトラマン先生」 〜矢的猛先生

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1

ウルトラマン80』#2「先生の秘密」 〜「思い出の先生」の塚本登場!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100507/p1

ウルトラマン80』#3「泣くな初恋怪獣」 〜「思い出の先生」の硫酸怪獣ホー登場!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100516/p1

ウルトラマン80』#4「大空より愛をこめて」 〜スーパーの父姉登場編!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100523/p1

ウルトラマン80』#5「まぼろしの街」 〜良特撮回!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100530/p1

ウルトラマン80』#6「星から来た少年」 〜大島明男編!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100606/p1


[関連記事] 〜ウルトラシリーズ総論記事!

ザ・ウルトラマン』総論 〜「ザ☆ウルトラマン」の時代(長文)

〜埋もれた大スケールSF名作! 第3次怪獣ブームの猛威! 70’s末の熱い夏!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1
 (関東・中部・関西、全話平均・クール平均視聴率加筆!)

ウルトラマンエース』総論 〜再評価・全話評完結!(長文)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1

ウルトラマンメビウス』総論 〜赤星政尚論!(長文)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1

ウルトラマンダイナ』総論 〜ダイナの赤い輝きに(長文)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1


[関連記事] 〜ウルトラ兄弟設定・肯定記事!

★今こそ昭和ウルトラの全遺産を活かせ!★ 〜ドラマやテーマよりも、ウルトラ兄弟・歴代怪獣・世界や年表・児童の神話的年代記やジャンク知識収集癖へ訴求せよ! 武器や鎧・テーマパークな未来都市・2回変身や等身大バトルなど身体性の快楽も!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060415/p1

*1:後日付記:よもや『ウルトラマンメビウス』#16「宇宙の剣豪」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060928/p1)と#18「ウルトラマンの重圧」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061022/p1)に登場したオオシマ彗星が、成長して天文学者になった大島少年が発見したものだとウラ設定されることになろうとは(感涙)。