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金城哲夫論!? 光の国から僕らのために-金城哲夫伝- ~金城・上原・円谷一の業績を凝縮した良舞台!

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 ウルトラマンシリーズ55周年! ウルトラシリーズ創始者ともいえる脚本家・金城哲夫没後45周年! とカコつけて、舞台『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』(16年)合評をUP!


金城哲夫論!? 光の国から僕らのために-金城哲夫伝- ~金城・上原・円谷一の業績を凝縮した良舞台!

(文・T.SATO)
(2016年2月28日脱稿)

開幕は「米軍追放! 沖縄への自衛隊の誘致!」を主張する1970年代前半の金城哲夫


 開幕早々は意表外なことに、誰でも予想するであろう、初代『ウルトラマン』(66年)を製作中の1960年代中ばの円谷プロを舞台にした、甲斐甲斐しくも頼もしく立ち回る、ウルトラシリーズを立ち上げた脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)の若き日の勇姿……といったアリガチな導入部にはなっていなかった。


 飛行機に搭乗しての――実は航空自衛隊(!)のヘリコプターだと徐々にわかってくる――、金城のレポートによるラジオ中継の姿が描かれるのだ。そして最後には、


「米軍を追い出して、代わりに自衛隊を沖縄に誘致すべきだ!」(!)


といった趣旨の発言をしてしまうのであった……!


 当然のことながら、沖縄の故地では物議を醸してしまう金城哲夫


 特撮マニア的には沖縄における仕事での光景ということで、コレは金城が円谷プロを退職して沖縄に帰省したあとの1970年代前半のことだろう、という推測はつくのだけど。


 あとでめくった本舞台のパンフレットでの解説や関係各位へのインタビューでの発言を総合すると、コレは1972(昭和47)年を舞台とした一幕である。つまり、太平洋戦争での1945(昭和20)年の日本の敗戦以来、そして沖縄ほかを除く日本本土が1952(昭和27)年に独立を回復したあとも、アメリカの占領下にあった沖縄が日本に返還された年である。


 72年にホントウに起きた出来事であったのかについては、筆者の乏しい調査力ではウラ付けが取れなかったのだけれども、コレは沖縄のローカルラジオ局の番組『トヨタ・モーニング・パトロール』(RBC琉球放送ラジオ)において、自衛隊のヘリに搭乗してラジオ中継を行なっていた際のエピソードであるようだ。


 その結果として、



自衛隊を賛美したと沖縄の教職員に嫌われ、袋叩きにされたみたいですね」

(本作パンフレット「金城の同僚の脚本家・上原正三インタビュー」)



ということになり、このラジオ番組を降板(!)することになってしまったという逸話の舞台化なのであったのだ。



 コレは世間一般でイメージされている「沖縄ナショナリスト」、あるいは沖縄と日本本土との仲介者たらんとしたような「インターナショナリスト(国際人)」としての金城の姿でもない。
 米軍の駐留には反対するけれども、日本の自衛隊の駐留には賛成する! あるいは米軍には出ていってもらうけれども、その代わりに自衛隊には入ってもらおう! などという、当時の日本や沖縄の左派はもちろん、アメリカに奴隷的に屈従するどころか、むしろ安全保障や経済発展のためには米軍に駐留してもらおうとさえする、自主防衛などは可能性としてすら考えもしない御仁が圧倒的な多数を占めるに至っていた当時の右派や政府自民党ともまた異なる、第3の思想的な立場ですらあるのだ(汗)。


 1990年前後からの東西冷戦体制終了後、あるいはアメリカの国力が相対的に低下してホントに有事の際には日本を防衛してくれるのかについてが怪しくなってきた21世紀の日本でならば、アメリカに頼らないかたちでの日本の自存自衛や自立について考える、などといった言説なども表面化はしてきたけれども、コレはそんな言説などはほとんど微塵もなかった、あるいは表面にはなかなか出てこなかった1972年時点での発言なのである。
 金城の右派でも左派でもない、その両者をもはるかに踏み超えて、時代もはるかに先駆けていた高踏派といった感じの発想ではあり、しかもそれを沖縄内での空気も読まずにシレッと発言してしまっているあたりで、筆者には金城の頭脳がやはりイイ意味での「宇宙人」、時代をはるかに超えていた異能のヒトに思えてきてしまう。


 しかも、この金城の発言は、いわゆる特撮評論におけるあまたの金城論での、「近代」や「戦後民主主義」の理念に合致した良心的な御仁であったということにしておこう! というような文脈には合致しない、ある意味では不都合な事実ですらあるのだ。
 おそらく、本舞台の脚本家さんもその取捨選択には迷ったことであろう。しかし、仮にご自身の思想的な立場とは異なっていたとしても、このような歴史的な事実を見て見ぬフリをする……それは自身の思想的な立場とは真逆な陣営を利することになるので、お仲間・身内を守るためにも隠蔽しておこう! なぞといった左右双方で共にアリがちでも実に卑劣なふるまいなどはせずに、金城の発言自体の是非・価値判断はいったん棚上げとして、それをも包み隠さずに舞台劇の脚本としてみせた! といった事実にまず、筆者個人は絶大なる誠意を感じてしまうのであった。


 そんな意表外な短い導入部を経て、本舞台は時代を7年ほどさかのぼっていく……。


ウルトラシリーズを立ち上げた金城哲夫の略歴! 本舞台を公演した劇団民藝


 金城哲夫。1960年代後半の第1期「ウルトラ」シリーズのメインライターにして、同シリーズを製作した円谷プロの企画文芸部の部長を20代後半の若さにして務めた御仁である。といっても、創立当初の円谷プロはあくまでも弱小映像製作会社に過ぎなくて、部員がひとりしかいないような「部」の部長ではあったそうだけど。
 それに「20代後半の若さ」とはいっても、筆者個人の子供時代の記憶でも、1980年前後よりも前の時代における20代後半~30歳前後の人間というのは、1990年前後以降からの昨今とはまるで異なり、今の基準でいったら充二分に見た目もオトナであり、思春期・青年期的なモテ/非モテなどの価値観の内面化などもあまりないことから、そこのあたりに過剰にマウント心や劣等感を持つことなどもなく、メンタリティも含めて早々に落ち着いて成熟もできていたオジサンですらあったと思うのだ。


 そして、劇団民藝(げきだん・みんげい)。筆者のように関心領域が実に狭くて特撮やアニメといった虚構性の高いジャンルしかロクに鑑賞してこなかったような重症なオタクであっても(汗)、マニア向けムックなどでのジャンル作品に登場した役者陣の略歴紹介などは読んできたので、その存在くらいはナンとはなしに知っていた歴史と実績のある「新劇」の一派であるベテラン演劇集団である。
――「新劇」というのは、歌舞伎などの江戸時代以前の歴史時代を舞台とした伝統演劇ではない、明治以降に誕生した近代演劇・現代演劇一般のこと。しかし、1970年前後に誕生した、いわゆる「アングラ劇団」や下北沢の小劇場などで公演している、さらなる新しい演劇集団ともまた別モノとして区分する慣習であるようだ――。


 ほかの「新劇」集団などとも同様に、「劇団民藝」からも有名俳優を多数輩出していたハズだと記憶していたので、試しにネットでググってみると……。奈良岡朋子(ならおか・ともこ)・宇野重吉(うの・じゅうきち)・大滝秀治(おおたき・ひでじ)・多々良純(たたら・じゅん)・加藤嘉(かとう・よし)・佐野浅夫(さの・あさお)・佐々木すみ江(ささき・すみえ)・米倉斉加年(よねくら・まさかね)・吉行和子(よしゆき・かずこ)・中尾彬(なかお・あきら)・山田康雄(やまだ・やすお)・綿引勝彦(わたびき・かつひこ)……と主に昭和後期に活躍していた壮々たるメンツが出てくるワ、出てくるワ。
 このうち、綿引勝彦については、我らがウルトラシリーズである『ウルトラマンメビウス』(06年)#15「不死鳥の砦(とりで)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060924/p1)において、昭和の歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機の整備士だったとして出演を果たして、重厚な演技を見せているのはご承知の通りである。


 そんな由緒もある「劇団民藝」が金城哲夫を主人公とした舞台を2016年2月10日(水)~21日(日)にかけて上演するという。場所は21世紀以降に開拓されたオシャレな新興エリアである、新宿駅は南口正面に横たわる甲州街道の横断歩道を渡ったさらに先、高島屋東急ハンズが南一直線に連なっていく木製テラスの通路の徒歩10分弱の先の果て、紀伊國屋(きのくにや)書店・新宿南口店ビルの7階、数百人は収容可能なサザンシアターである。試しに2月の晴れた暖かい日曜の午後、オタク仲間数名とともに鑑賞に行ってみた。


 「劇団民藝」さまも我々オタク層に媚びやがって! なぞと思わないでもなかったけれども(笑)、実際に出掛けてロビーで待ち合わせをしていると、少なくとも筆者の観劇した回では、同好の士のオタク層がワラワラといるというようなことはまったくなかったのであった。明らかに我らと同類の異形の士(失礼)だと看て取れたのは、2~3人の年輩オタク集団1組だけである。
 してみると、オタク層の誘致には失敗したと見るべきか?(汗) 映画の3.5倍ほどの高額料金がオタクたちを遠ざけているのか? 単に宣伝不足なのか? 意外にも60~70代以上の年輩層の観客がほとんどであり、彼らのみで満席となっているような状況であった。
 彼らは招待客や長年の「劇団民藝」ファンや演劇マニアの方々なのであろうか? パンフレットによると、「民藝」協賛会員で年会費を払えば、年に数回ある毎回の公演に招待券が配布されるようではあるけれど……。


実在の著名人を材に取った舞台を観る際の心構え!


 舞台は15分の幕間(まくあい)休演を挟んで、約1時間ずつの前編・後編トータル2時間ほどの芝居を通じて、金城哲夫の1965年~1976年にかけての10年強、その若すぎる享年37歳の逝去を、簡にして要で手堅くまとめていた。


 筆者のようなスレたロートル・オタクにとっては、金城についての目新しい発見は冒頭の導入部を除けばあまりなかったのも事実ではある。しかし、もちろん我らのようなスレた特撮マニアたちに向けた舞台であろうハズもない。より広くに開かれた、金城哲夫はおろか『ウルトラマン』すらもロクに知らないような一般層――厳密には一般層ではなく演劇マニア層とでもいうべきだろうけど――にも理解ができるように、翻案されて表現された舞台劇であるべきだ。
 もちろん本舞台はドキュメンタリーではなく、ノンフィクションや人物研究・評伝でもない。あくまでもフィクションである。であるからには、細部がことさらに正確である必要はさらさらなく、トータルでの事物や金城とその時代の本質・エッセンスを抽出・凝縮して「事実よりも真実」、そのへんをシンボリックに表現ができていれば、細部の大胆なアレンジも問題はないのである。


 もちろんフィクションとはいえ、金城はマニア間での研究も進んでおり、ある大ワクの中での評価や人物像も確定してしまった実在の人物ではある。その人物の可能性的には充分有り得たかもしれない別の一面を付加してみせる……というようなことではなく、それは有り得そうもない、その解釈はさすがにいかがなモノなのか? といったようなハズしてしまった描写があったのならば、それはたしかに長年の特撮マニアとしての金城への一応の理解からしても「こんなのは金城じゃないやい!」などとイヤ~ンな気持ちになってしまったことだろう。


 しかし、そのような極端な不備などはまったくなかった。そして、金城の性格・人となり・その想いや、その人生の精髄・キモなどを手堅く抽出して、舞台劇として見事に仕上げることができていたとも思うのだ。


遡って穏当に『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の1960年代後半!


 1965(昭和40)年。本邦初の本格的TV特撮番組『ウルトラQ』(66年)の放映間近、すでに次作である初代『ウルトラマン』(66年)をも企画中であった円谷プロ企画文芸部が描かれる。


 特撮の神様・円谷英二つぶらや・はじめ)特撮カントクの長男にして、兄貴分でもある長身スマートなTBSのディレクター・円谷一つぶらや・はじめ)カントクを前にして、明朗快活・豪放磊落(ごうほうらいらく)にふるまって、『ウルトラマン』の企画を披露している若き日の金城哲夫が登場する。
 ついでにその場で、『ベムラー』⇒『レッドマン』⇒『ウルトラマン』と、特撮マニア間では知られてきた仮題タイトルが連呼のかたちで正式タイトルへと変化していき、一挙に一瞬にして決定していく。そして、興が乗った円谷一も、その場で即興で初代『ウルトラマン』の主題歌を作詞してみせて、金城と肩を組んで仲良く合唱をはじめてしまう(笑)。


 コレらはタイムスケールを極端に縮めてしまったウソである! 歴史修正主義である! なぞと糾弾するヤボな特撮マニアなどは今さらいないだろう(多分)。微笑ましいシークエンスではある。



 同じく1965年。『ウルトラマン』の準備が本格的にスタートする。そこに新たに登場するのが、本舞台の副主人公でもある同郷の沖縄出身の新参脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)である。


 すでに前作『ウルトラQ』などに登場した怪獣の着ぐるみを流用、もしくは改造した怪獣を用いて、1話あたりの登場怪獣の個体数を増やしてしまうことを着想する金城哲夫たち。しかし、ヒーローに倒されるためだけの存在としての怪獣に早くも疑念をいだいて、そのアンチテーゼとして善良なる可愛らしい小怪獣である友好珍獣ピグモンのキャラクターの着想も同時に得るのだ。


 その着想イメージの舞台演出的な具現化として、実際にスーツアクターが着用したピグモンの着ぐるみまでもがココで登場。可愛らしい挙動をさせることで、劇場の観客までをもナゴませる。なお、本舞台ではピグモンピグマリオン・モンスターの略だとされていた――今では差別用語になってしまったので黒歴史(くろ・れきし)として大声で語るべきことではナイのだろうけど、元々はアフリカの低身長部族の名称から取ったピグミー・モンスターの略称としてのネーミングであったハズである(汗)――。



 飛んで1968(昭和43)年。円谷プロ製作である空飛ぶ空中戦艦が活躍する『マイティジャック』と怪奇現象を科学的に解決する専門チームを描いた『怪奇大作戦』(共に68年)が視聴率的には低迷して、関係各位からのプレッシャーにさらされている金城哲夫が描かれる。
 『ウルトラマン』の視聴率が異様に高すぎたのであって、直前作『ウルトラセブン』(67年)や今作『怪奇大作戦』の視聴率も充分に高いじゃねーか!? と金城はのたまってみせている。この観点はドチラかといえば後世の我々特撮マニア諸氏による後出しの視点のような気もするけれども、そんなメタ視点をも代弁するかのようにグチってみせる金城が描かれることで――観客とのメタ対話だとも受け取れる――、金城の苦悩がセリフや演技としても体現されていくのだ。


1970年代初頭の『帰ってきたウルトラマン』でのゲスト脚本は、上原脚本の名作前後編に刺激されたと解釈!


 さらに飛んで1971(昭和46)年、故郷の沖縄に帰還後――69年の帰郷前後の悶着は描かれない――、ひさしぶりに金城哲夫は上京して顔を出した円谷プロで、子供間で勃興してきた新たな第2次怪獣ブームに乗じて製作されることになった新番組『帰ってきたウルトラマン』(71年)のメインライターとなった上原正三や、円谷英二逝去後に2代目社長となっていた兄貴分・円谷一らと旧交を温めていた。


 人前では子供じみた強がりであろうか、『帰ってきた~』の上原のシナリオを提示されても「フ~~ン」と気のナイ返事で、手をつけないでいた金城を描写する。


 だが、上原と円谷一が席をハズすや、パッと手に取って熟読玩味をしだすのだ(笑)。周囲には誰もいないのだから目撃されたハズがないであろうその光景に対するベタな脚色は、もちろん舞台劇としてのストーリー展開上での都合論ではあるだろう。
 しかし、「そーいうこともあってもイイかも……」「金城ならば、いかにもそーいうこともアリそうだ……」といった感慨とともに、金城個人の陽気でヤンチャな子供性、幼児っぽいところも多分に残っている性格、そしてイイ意味でそれをカリカチュア(戯画的)のかたちで描くことで、そのキャラクター・人物像を立てることもできている。ごくごく個人的にはこーいう描写も許容範囲だし、喜劇的な描写として私的には好印象ですらある。


 けれど、上原が手掛けた『帰ってきたウルトラマン』のシナリオは、金城が手掛けた初代『ウルトラマン』のシナリオとはやや異質な手ざわりを持っていた。そう、それはある意味では牧歌的ですらあった初代『マン』での局所的な怪獣による匿名的な都市破壊の物語ではなかったからだ。
 局地的な怪獣災害ではなく巨大怪獣の大移動を伴なう広域災害ですらあり、2大怪獣が実在の記名的な大東京の各所を荒らしまくって、ついには怪獣攻撃隊・MAT(マット)の上部組織である地球防衛庁の長官たちが1千万都民を避難させて、東京に小型水爆級の火力を持ったスパイナー爆弾を使用することで怪獣を撃滅せんとするストーリーとなっていたのだ。そう、それは上原が執筆した脚本回である#5「二大怪獣 東京を襲撃」~#6「決戦! 怪獣対マット」の前後編であったのだ!


 その内容に深甚なる衝撃・感銘を受けて執筆を決意する金城! 在京中の数日間のうちに、『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」を執筆してみせるのであった……。


 金城執筆の動機が『帰マン』#5~6の前後編にあったという逸話は寡聞にして知らないので、このへんは脚色だとは思われる――新たに発掘された新事実に基づいていた描写であったのならばスイマセン(汗)――。


 ドチラかといえば本舞台の脚本家さんが、この舞台を書き起こすにあたって歴代ウルトラシリーズを再鑑賞して、この金城ならぬ上原脚本回である、子供時代にも幾度か鑑賞したハズであろう『帰マン』#5~6が、――我々特撮オタクたちも子供のころはともかく中高生、あるいは青年期の再視聴で改めて絶大なる感銘を受けたように――「太平洋戦争」や「東京大空襲」に「疎開」といった先の大戦での国民的な記憶にもセリフや記録写真でふれてみせている、非常に重厚なる内容であったことを再発見!


 この名作前後編の劇中での、先の大戦がらみのセリフの数々も長々と引用してみせるかたちで、


「ただの子供番組だと思われている『ウルトラマン』シリーズだけど、実はこんな社会派の題材も扱われていたんだゾォ~!」


などというように、ココぞとばかりに一般層にも紹介・啓蒙をしてみせたかった! という気配もプンプンとしてくるのであった……。スレたマニア的には一方で「何を今さら」的な気恥ずかしさもあるのだけれども、むろんそんなごくごく少数の自意識過剰な老害オタクなぞは無視しても問題はないのだ。これらの引用をカンゲイいたします(笑)。


 ただし、舞台作品にかぎらずフィクション・ドラマというモノは、正確性が求められるドキュメンタリーではない以上は、ディテールを超えたエッセンス、「事実よりも真実」を目指すべきではあるのだ。
 金城がナンとはなしに『ウルトラマン』シリーズのシナリオをフワッと再び手慰みで書いてみました! というようなナチュラルなストーリー展開では、劇的ではないのでフィクション・物語作品としてはあまり面白くはないだろう。
 やはりふたたび筆を執るに至るまでのキョーレツなる背景・原因・動機などをウソでも設定してみせたり、あるいはココで『帰マン』の大傑作回である#5~6にも同時にスポットを当ててみせることで、ウルトラシリーズの傑作編自体の紹介やその裏面史などもダブらせるかたちで、ダブルミーニングやトリプルミーニングで事物を全的に一挙にウキボリにもしてみせよう! といった作劇の方が、劇的・ドラマチックでもあり、事物の「事実」ならぬ「真実」にはより接近していけるともいえるだろう。
 そして、その方が観客も金城の変心自体に腑が落ちてナットクもできるだろうし、ストーリー展開自体にもメリハリ・抑揚も出てきて、フィクションの作劇術としては正しいとすら思うのだ。


 なお、本舞台においては、『帰マン』#11の初稿は「毒ガス」が「米軍」由来ということにされていた。そして、TBSのプロデューサー側からそれでは「マズい」というダメ出しが出たことで「旧日本軍」由来の毒ガスとして改稿することになったというストーリー展開になっている。
 浅学で恐縮なのだけど、コレも新発見の実話なのであろうか? たかが一介の子供番組にもTV局側からの介入があったのだ……という「一般論」を、ココで具現化させるための脚色であったのだろうか?――繰り返しになるけど、脚色があっても構わないと考えていることは、くれぐれも念のため――


 本舞台においても、この#11の劇中セリフの数々がコレまたそのまま長々と引用されることになる。この「旧日本軍由来の毒ガス」が、MATのイヤミなレギュラーキャラでありエリート隊員でもあった岸田隊員の父――もちろん旧日本軍のおエライさんだったのだろう――の汚点、そしてそれは岸田隊員の兄の自殺の原因にも関わってくる「家系の恥」でもあったのだ! という一連のシーンでの実に重たいセリフの数々のことである。


 ただし、ヤボを承知で細かいツッコミを云わせてもらえば、「米軍出自の毒ガス」を「旧日本軍由来の毒ガス」として、それを岸田隊員の苦悩や人物像への肉付けともした改稿版の方が、ドー考えてもマイルドな方向には中和されておらず、子供番組としてはよっぽどヘビーでヤリすぎで踏み込みすぎてしまってヤバい方向へと振り切れてしまっているのではなかろうか?(汗) 『帰マン』#11の内容自体もさることながら、金城の劇中初稿の「米軍」出自を「旧日本軍」出自の毒ガスに改訂させてもっとヘビーにして、しかも結局はそれにOKを出してしまった、そのTBS側のザルなチェック体制に至っては、もっとマズいだろ!(笑)


 いやまぁ本舞台では、TV局側を一種の無理解で作品内容にも干渉してくるプチ権力としての「悪役」に割り振って、それであってもウラから抜け道を探し出して、むしろよりテーマを明確にした作品を仕上げて、しかもそれを通してみせる老獪なところもあった金城! といったところでの、物語的に主人公を立ててみせた一連の描写ではあるのだろうけど。


 とはいえ、コレが実話であろうがなかろうが、金城の独力のみならずTBS側の横ヤリによっても、むしろこの『帰マン』#11のドラマ性やテーマ性は格段に高まったことにはなってしまうだろう。小説ならぬ映像作品というモノは集団作業・総合芸術でもあるので、この事実を描いてしまうことで、金城個人の才能の特権性についてはややウスれてしまうやもしれない。そして、創作において多数といわず複数の人間の意向が入り込んでいく過程自体には「船頭多くして何とやら」に陥(おちい)る危険性ももちろんあるのだ。しかし、作品に作家個人の初期構想以上の多層性・重層性をも付与していくという効用があるのも事実である以上は、むしろTV局や玩具会社などの外部からの介入も適宜には肯定されてもイイようには思うのだ。


 ただし、1970年代初頭当時においても、我々日本国民にとってはそこまでアメリカさまが怖かったり、アメリカへの反対意見表明や在日米軍基地批判、日本政府批判や政府自民党批判などがタブーであったことなどはないだろう(汗)。むしろ「米帝批判」(アメリカ帝国主義批判)は常套的なスローガンですらあったハズである。
 それは本作『帰マン』放映直前の1970年秋クールに放映が開始された、我らが初代『ウルトラマン』にも関わった脚本家・佐々木守脚本による、左派的な志向も多大にあったコミカルなホームドラマ『お荷物小荷物』が沖縄問題をテーマに据えており、その最終回では日本国憲法9条が廃棄されて人々が戦地に招集されていくようなストーリー展開を持った作品が平気で放映されて、視聴率も30%を達成していた事実でもわかることである。
 学生運動の成れの果てである連合赤軍が翌1972年に起こした「あさま山荘事件」とその後の取り調べで仲間内での大量リンチ殺人が発覚するまでは、むしろ国民間では相応の規模でこのテの左派的な社会派テーマと共鳴するような空気が良くも悪くもあったのだ。
――もちろん近隣諸国の国際情勢が大きく様変わりした21世紀においては、『お荷物小荷物』などが提示していた問題意識は古びてしまった面があるのも否めない。しかし、それはまた別の議論であるし、全肯定でも全否定でもない是々非々で、各自が個々に判断すべきことではあるだろう――


75年海洋博:「科学の光と影」以前、沖縄の「南海楽園性」と「ムラ世間的因習性」!


 1975(昭和50)年、沖縄で開催された海洋博「EXPO 75」の開会式やその前夜祭、閉会式の構成・演出を務めて、実質プロデューサー&各位への折衝役をも務めることになった金城哲夫


 式での披露に備えて、いかにも沖縄的で南洋の多幸感に満ち満ちた、浅黄色の着物を着た娘たちによるハイテンポな沖縄舞踊の練習光景が相応の長尺を使って描かれる。
 と同時に、この海洋博に特に限定した話でもナイ、どこにでもある話だとは思うので、この出来事を特にヒドい話として特権化することもないとは思うのだけど、日本本土のお役人や主催者側からは「さらにもっとハデに!」「人員を増員して!」「でも、予算の範疇で!(笑)」などとハッパをかけられている、中間管理職的な悲哀に満ち満ちた金城の姿も描かれていく――古今東西・世界中、下請け会社は皆こーなっているとも思うけど(汗)――。


 増員したことで、踊り子の娘たちから「ひとりひとりの給金が減らされた」ことを知らされる金城……。


 ここの展開で安直な善悪二元論に陥(おちい)って、本土=日本が「絶対悪」の加害者で、沖縄こそが被害者で純粋無垢(むく)な「絶対善」なのだ! 沖縄こそが大正義! なぞといったような陳腐凡庸(ちんぷぼんよう)で単純な構図になってしまったのならば、思いっきり小バカにしてやろうか!? そーいう論評をする観衆の側も小バカにしてやろうか!? などと構えていたのだけれども……(心の中だけで・笑)。


 ここでは古き良き、もとい古き忌(いま)まわしき「日本」、もしくは古き忌まわしき「地方」、ついでに古き忌まわしき「沖縄」の、悪い意味で因習的で土俗的なムラ世間といった要素も露呈してくるのであった……。


 会場前の大海原に漁船を大量に登場させることについての交渉の際の出来事である。海洋博によって漁場を失ってしまったガラの悪い漁師たちは、ムリからぬことではあるし同情の余地もあるのだけれども、「武士は喰わねど高楊枝」で乞食のようなマネはせずにストイック(禁欲的)にふるまってグチも吐かない! ……などといったことはさらさらなくって(汗)、すでに充分とはいえないまでも補助金が出ていたハズなのに、したたかにもおカネをせびってきて、あいさつに来る際には前近代的なワイロまがいの酒瓶の持参までをも金城に要求してくるのであった……。


 そんな理不尽なことがあっても、「日本ナショナリズム」の側にも、「沖縄ナショナリズム」の側にも付かない(性格的にも付くことができない)、筆者から見ると実にカッコよくて左右双方に存在しているそれぞれに種類が異なる悪へと自堕落に墜ちていく道には決してハマっていくことがない気高き苦渋の金城哲夫! しかして、その行為はまた「日本」からも「沖縄」からも同情されずに、つまりはその両者からの挟撃・板挟みにあってしまって、誰にも理解されない細くて高き尾根の道を進んでいくことをも意味していたのであった。


 一応の「コスモポリタン」(世界市民)的な先駆的な理想の持ち主が、前近代的な意識を保持したままである「日本」と「沖縄」の両陣営の人々に、自身の一応の高邁なる理想を理解されずに糾弾されてしまう理不尽と苦悩が、二元論ならぬ三元論(!)として、ここではシッカリと描かれているのだ……。


76年昇天:後年の特撮マニアや40年後の上原正三とメタ会話する臨終の金城!


 1976(昭和51)年、逝去の年。アルコール中毒と化して、妻にお酒を制限されている金城哲夫が描かれる。


 そこに、後年の我々オタク族の代弁者の役目も務めさせているのだろう、『ウルトラマン』シリーズのマニアであるという青年が金城のもとに訪ねてくる――当時はまだオタクという言葉もオタク差別すらもがなく(イケてる系/イケてない系のスクールカーストの分化すらもがまだナイ時代であり)、そもそもオタクやマニアの存在すらもが世間には認知はされていなかった時代だけれども――。


 1960年前後生まれのオタク第1世代が青年期を迎えてマニア活動をはじめた70年代末期の第3次怪獣ブームというモノは、TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年)の総集編映画化(77年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)にはじまる第1次アニメブームや、SF洋画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)にはじまるSFブームとも一体化した超特大ブームでもあった。


 しかし、この1976年とは、そのブームの直前の雌伏の時期であり、本邦初のマニア向けムックが発行されるのも翌77年末のことであるからして、金城や上原が沖縄出身であることは世間や特撮マニア間でも知られてはいなかったので、コレも実話ではなく本舞台劇におけるフィクションなのだろう。そして、彼を後年のオタクの代弁者――あるいは本舞台の脚本家の分身?――として、金城と仮想的に対話をさせることで実現させるメタ・フィクションでもあるのだろう。


 初代『ウルトラマン』放映からでもすでに10年が過ぎた1976年。放映当時の子供が青年へと成長した姿でもあり、早稲田大学に在学中だという彼は、『ウルトラセブン』における金城脚本回である#42「ノンマルトの使者」における、地球の先住民(!)である海底人・ノンマルトたちが地球人こそが実は侵略者なのだ! と糾弾してみせるシーンを身振り手振りで再演してみせる(笑)。そして、


「アレは沖縄の怨念の象徴ですよネ!」


などと、いかにもオタク的な、自分の得意なジャンルの話題になると急に冗舌となってテンション高くて、空気も読まずにマクし立てていく光景が描かれる。


 それを面映ゆそうに受け止めている金城……。


 1980~90年代におけるマニア向け書籍などでの研究で、その沖縄出自の境遇とストレートに紐付けるかたちで深読み・解読されるかたちで確立してきた金城哲夫論。しかし、90年代末期以降は金城の周辺人物へのインタビューなどによって、「金城は当時そこまでストレートに沖縄問題を『ウルトラ』シリーズなどの虚構作品に仮託していたワケではなかった(大意)」とする証言が多々出てくることにもなっていく。
 それもごもっともなことではある。沖縄出自の要素が無意識に作品にも反映されていた面はたしかにあったのだろうけど、その一方で作劇の都合論でのストーリー展開にすぎなくて、深読みすれば沖縄論にも接続できるストーリーに着地しただけのこともあっただろう。つまりは「出自」と「作劇的都合」というコーヒーと牛乳の双方があったのであり、あるいはその両者がコーヒー牛乳的に混合していたこともあったのであろう。


 ということは、「ノンマルトの使者」というエピソードには、金城による「沖縄の怨念の象徴」といった面もたしかに無意識にはハラまれていた可能性はある。しかし、さすがの金城もそこまでは考えてもいなかった可能性もある。つまりは相矛盾する両方の可能性が論理的には同時に成立してしまうのだ!


 「ノンマルトの使者」というエピソードにはそんな両義的なところもたしかにある。よって、金城個人にそのような作品解題を捧げてみせることで、しかも「無意識」の次元において発揮された作劇のことまで指摘されてしまえば、それはたしかに自分でも「肯定」だとも「否定」だとも取れない、あるいは「肯定」&「否定」の両者を同時に「メタ肯定」するような態度を、つまりは「面映ゆそう」なドッチだとも取れる複雑な表情をさせてみせることこそ、実に正しいストーリー展開であったかもしれないのだ。


 そして、このシークエンスは我々特撮オタクたちにとっては実にイタい(笑)。まぁこの描写の一点だけをもって、本舞台は「オタク差別」というモノを作り手たちがそのメンタルの根底にはやどしていた作品でもあったのだ! なぞとケツの穴の小さい糾弾などをする気は毛頭ナイけれど。
 個人的には、オタク第1世代のライターたちであるオタキング岡田斗司夫唐沢俊一的な「オタク・イズ・ビューティフル」言説や「オタク・エリート」論などの方がネタであってもドーかとは思ってきたし(汗)、オタクの在り方について少しでも疑義や異論を差し挟んでみせたら「それはオタク差別だ!」、「オタクの側にも改善すべき欠点があるんじゃネ?」などというような異論を述べてみせたら、即座に「裏切り者!」呼ばわりをしてきて、我々オタク自身を批判も許さぬ神聖不可侵の天皇的な存在に祭り上げかねない、狭苦しい論法もドーかとは思っているけれど(笑)。



 アルコール中毒の更正のために(汗)、病院へと入院することになった金城。しかしそれなのに、自宅のウラにあるさとうきび畑に隠し埋めておいた酒瓶で最後の一杯とばかりによろしくやっているダメンズ金城哲夫も描かれる。


 そこにちょうど40年後の現在、つまりは2016年の未来(!)から、かつての同僚・上原正三のお迎えがやって来てしまう!


 そして、時空を飛び超えて、その後の40~50年間の歴史・世相風俗・戦争廃絶の有無・国際情勢をふたりが問答しながら鳥瞰(ちょうかん)していく、反則ワザでメタフィクション形式でのしばしの邂逅(かいこう)が行われて……。


総括:鑑劇を終えて。脚本&演技ともに金城のエッセンスの抽出には成功!


 ムチャクチャに面白かったとまではいえないけど、ダレることなくタイクツすることなく、鑑賞することができた。要所要所でウルッとも来た。筆者よりもウルサ型のイジワルな特撮マニア連中がナニを云うのか、どのようなキビしい持って回った感想を持つのかはわからないけれども……(汗)。大名作だった! なぞとは確言しないけど、脚本・演出・役者陣が、作品の題材を見事に自身たちの血肉と化して消化できた上で、金城の半生を物語として表現・定着できていたとも個人的には思うのだ。


 舞台劇である以上は、美術セットの関係からも細かい場面転換は不可能である。しかも主要な登場人物は実質3人だけなのである。よって、TVドラマや映画の演出技法で云うならば、長廻しのワンカットで延々と少数の役者陣の芝居を観続けているような作品でもある。


 もちろん鑑賞中はよけいなことは考えずに、筆者も基本はストーリー展開に没入している。しかし、あとで冷静に考えれば、金城哲夫役の役者さんはほとんど全編出ずっぱりの一人芝居に近いものがあり、金城の生前の人柄も再現するために、基本は終始テンション高くて明るくしゃべりっぱなしなのであった……。ある意味でこの演劇は、演者である氏の技量にかかっている。そして、氏はその責務を充分に果たしていたといってイイだろう。


 加えて我々マニアには、見た目からして眉毛が太くて意志的でエネルギッシュさをも感じさせる、昭和末期の1980年代に大ヒット曲も放った豪放なコミックソング的な演歌歌手・吉幾三(よし・いくぞう)をもほうふつとさせる金城哲夫の風貌は、マニア向け書籍に掲載されてきた写真によってもよく知られてきたところでもある。
 もちろんフィクションである以上は、ソックリさんを演者に起用する必要は毛頭ナイ。筆者個人のことをいえば、仮に金城にそれほど似ていない御仁が演者を務めていたとしても、そのへんは割り切って金城だと見立てて鑑賞することもできるタイプではある。


 しかし、それが役者さんの演技の力というものなのだろう。本舞台を鑑賞していると、この「金城」はいかにも豪放・快活で、伝え聞いて個人的にイメージを膨らましてきた「金城」らしいのである。


 当初はTBSの映画部ディレクターで、円谷英二の没後には円谷プロの2代目社長に就任する「円谷一」もまた、ムダに粘らず早撮りで有名で快活な御仁であったと各種マニア向け書籍で伝聞されてきた。この役を務められた長身で若干(じゃっかん)年輩ながらも快活な役者さんの方も、筆者個人の脳内補正もあるのだろうけど、七三分けっぽい髪型からしてコチラがイメージしてきた円谷一、あるいは円谷一の息子さんであられる往年の『宇宙刑事シャイダー』(84年)こと、こちらもすでに故人であられる俳優・円谷浩つぶらや・ひろし)の風貌からも類推される、いかにも円谷一らしい姿に見えてきてしまうのだ。


 脚本家でありながらも円谷プロ文芸部の部長として対外交渉・プロデューサー的な役回りも務めていた金城や、撮影現場にいる大人数を大声でまとめあげていた円谷一監督と比すると、相対的に線が細くて凡人の平均的なテンションの持ち主であることからしてホッともさせられる「上原正三」役の役者さんのルックスや演技もまたしかり。


異色派ならぬ埋没気味な王道派作家・金城哲夫に陽が当たるまでの歴史!


 正直、スレた特撮マニアであれば、70年代末期に本邦初のマニア向けムックが発行されて以来、金城哲夫は研究も進んでいて、その人物・人となりも昭和特撮マニア間では充二分に知られてもいる。
 ここ四半世紀の間でも金城は、すでに1993年8月5日(木)にNHK-BS2での90分枠特番『ウルトラマンの世界』などの1コーナーでも金城の足跡目当てで沖縄まで取材に行ったり――近年では読売新聞の鈴木美潮(すずき・みしお)が特撮スポークスマンだが、当時はNHKのアンドロイド美少女もといニュースキャスター・宮崎緑(みやざき・みどり)が『ウルトラマン』マニアであることをカミングアウトして本番組の司会も務めていた――、『知ってるつもり?!』(日本テレビ・89~02年)1998年9月13日(日)放映回や、2010年にも『歴史秘話ヒストリア』(NHK・09~21年)2010年9月15日(水)放映回などの、一般層に向けた評伝形式の人気TV番組でも幾度か紹介されてきたほどなのである。


 とはいえ、昭和特撮も遠くなりにけり。平成も約30年に至ろうとする、昨今の若い平成特撮マニアたちにとっては、金城も重きを置かれた特別な存在ではナイのだろう――それが悪いというのではなく――。しかし筆者のように昭和特撮で産湯を浸かったロートル・マニアたちにとっては、金城哲夫は相応に大きな存在なのである。


 とはいえ、その人物・作品評価も一朝にしてなったものではない。オタク向けのジャンルが青年層の間ではじめて勃興した70年代後半~80年代初頭にかけては、第1期ウルトラシリーズが神格化されるようになるに伴ない、それらを支えた脚本家たちや本編演出の監督たちに対する注目や神格化が始まった。
 それでも「ウルトラ」評論史の黎明期においては、いわゆる変化球・アンチテーゼ編、怪獣攻撃隊の隊員たちの意外な一面や湿った苦悩、ゲストキャラとのカラみなどをヒューマンに描いた「人間ドラマ」や、科学の進歩やヒーローの正義に疑義を呈してみせる「社会派テーマ」などを扱った「問題意識」が明瞭な作品の方が、圧倒的な注目を浴びていた。


 つまり、「怪獣もの」や「変身ヒーローもの」の本来の魅力、本来の路線である、怪獣との一進一退の乾いた攻防劇、作戦・知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作ったエピソード、ヒーローの特殊能力を活かして爽快な戦いのカッコよさを描いた作品などには、あまり注目は集まってはいなかったり、批評的な言辞や解題などは与えられてはこなかったのだ――今でも同じか?(笑)――。
 よって、変化球・アンチテーゼ編のエピソードの作り手たちであった、佐々木守脚本・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督コンビなどの作品群の方が、年長マニアたちによる「ウルトラ」評論の俎上に真っ先にのぼることになったのだ。続けて、沖縄・辺境・弱者の怨念といったカラーを感じ取ることができる上原正三作品や、スパイスもある独自の叙情性を備えていた市川森一(いちかわ・しんいち)作品が俎上にのぼるようになっていく。


 しかし、金城哲夫は第1話・最終回・イベント編などといった、カラッと乾いたSF的な世界観設定をも提示する基本設定編を手掛けた脚本家だというイメージはあっても、その「作家性」がどのようなものであったのかについては判然としない感じではあり、そのような観点から70~80年代においては、その作家性の詳細についてはあまり語られてはこなかったのも事実なのだ。


 そこに転機が訪れる。もう早くも四半世紀も前の出来事になってしまうけれども、1992年に発行されたムック『別冊宝島 映画宝島Vol.2 怪獣学・入門!』(JICC出版局(現・宝島社)・92年5月30日)に掲載された、当時ともにまだ20代の若者であった切通理作(きりどおし・りさく)と佐藤健志(さとう・けんじ)による長編論文の鮮烈な登場である――両論文はともに切通の方は『怪獣使いと少年 ―ウルトラマンの作家たち 金城哲夫佐々木守上原正三市川森一』(JICC出版局・93年6月1日発行・ISBN:4796606718)、佐藤の方は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月1日発行・ISBN:4163466606)の名義で、単著として刊行されることになる――。


 ココで現在までにつづく、金城哲夫の「作家性」と「作家像」がはじめて断片ではなく体系的に言語化・成文化されて確立されたといってもイイだろう。正直、筆者もこの両者が確立してみせた「金城像」については当時、大いに感銘を受けている。影響も受けているし、大ワクとしては異存もないのだ。


 ただし、そのころには筆者ももう子供ではなく小賢(こざか)しい若造になっていたので(汗)、読後数ヶ月もすると細部においてはコレはいかがなものであろうか? というような疑問をいだくようにもなっていく。コレはやはり、金城哲夫を「王道」の「娯楽活劇作家」として語るというモノではない。今までの佐々木守上原正三を持ち上げていたのと同じく、旧態依然の社会派テーマ優先主義的な「論法」のバリエーションの応用ではないのかと……。
 しかも、完成作品それ自体ではなく、作品の外側にある彼の生育環境・志し・挫折・逝去時の模様などの情報によった答案の答え合わせですらあり、金城のあまたの作品群の中から必ずしも金城らしくはない……と云っては云い過ぎやもしれないけれども、数は少ない例外的なドラマ性やテーマ性が高く感じられるエピソードの断片や描写などをひろってきて、そこに金城の人生模様から汲み取れた苦悩を代入してみせることで、「そーだ、そーだ、金城の人間性や作家性、沖縄と本土との架け橋たらんとしたテーマ意識がここに表出されているのに違いない!」といったかたちで証明するといったモノである。


 あげくの果てに、金城が東京では沖縄での戦争体験のことや基地問題をあまり語ってはこなかったという、当時の円谷プロのスタッフ側の証言が出てくると、今度は特撮マニア諸氏は別所での上原正三などによる推測発言なども援用するかたちで、


「安易には語れないほどに重たい、封印したい体験があったのだ……」


などという、歴史上の敬虔(けいけん)なクリスチャンの修道者がよくやるような「艱難辛苦(かんなんしんく)、我にのぞみたまえ!」ばりに、「戦争体験が重たければ重たいほど、作家としてのステータスやステージが上がる」のだと云わんばかりの、新たな神格化が始まりだしたり、深読み競い合い合戦・信仰告白競争が始まったりもする。


 オイオイオイ。怪獣との一進一退の攻防劇、作戦や知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作った王道の娯楽活劇エピソードの作劇術の方こそを、分析・解析する気はもうまったくなくなってしまったのかヨ!?(笑)



 ところで、金城の作家性については、後天的な環境や学習によらない、もって生まれた先天的な気質・性格面の要素の方が大きいとも私見する。筆者個人の見解や人間観で恐縮なのだが、社交的な人間と控えめな人間の「性格」の違いから来る感情表現の違いや人生観や人間観は、享楽的であったり厭世的であったりして、筆者の乏しい経験からも非常に大なる落差をもたらすものだとも思うのだ。
 そして概して、生まれつき快活で豪放磊落な「性格」の人間は、シミったれた陰気なお話や、自分に同情・憐憫(れんびん)を乞うているような話題が「卑屈」にも思えてキライだくらいに思っているようなのである――偏見であるのならば失礼(汗)――。だからこそ、単に自身の明朗な「性格」ゆえに、過去の悲惨な戦争体験を積極的には語らない、といったようなこともあるようには思うのだ。


 筆者も含むシミったれた「性格」の弱々しいオタク一般は、自身の悲惨な境遇(汗)をドコかで打ち明けて、自戒も込めて云うのだけど、ダメ人間同士の間でだけは認め合ったり慰め合ったりキズをナメ合ったりしたいと思っているフシがあると思う(笑)。コレは若いオタク世代であれば、2010年前後から勃興する(ひとり)ボッチを題材としたライトノベルや深夜アニメの隆盛などにも通じていると私見


 しかし、金城哲夫はその点では我々のようなオタク側の「性格」類型の人種ではナイようではある。そーいう意味では従来の金城論は、「性格」の問題と「境遇」の問題を混同して、「性格」問題をあまり見ないか、見えてはいても意識的にか無意識にか無視して「境遇」問題の方ばかりを優先しすぎていたようにも思うのだ。
 筆者個人の見立てでは、「後者」も無視はできないものの、金城の作風に大きな影響を与えているのは、あくまでも「前者」の「快活」「豪放磊落」たる底抜けに明るい「性格」であったと思えるのだ。そしてそれに挫折を与えて鬱屈させるのではなく、自由気ままを可能にして、あの時代のアメリカ占領下の沖縄で湯水のように大枚はたいて、琉球王国時代の実在の遊郭の遊女を主人公にした自主映画『吉屋チルー物語』(62年)を20代前半の若さで製作ができてしまったような、実家のプチ・ブルジョワ的な裕福さが、その純粋培養を可能にさせてもいる。


 とはいうものの、60年代後半における第1期ウルトラシリーズにおいては、その楽天的なカラーが脚本作品にもある程度まではストレートに表出されていたともいえるけど、先の『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」の作風を見てみれば、コレはある意味では上原正三よりも上原正三らしくて、『帰マン』そのモノといった作品に仕上がっていたとも思うのだ。
 そう考えると、オトナたちはともかく70年代初頭の子供たちはまだ濃厚には感じていなかったかもしれない、科学や進歩や高度経済成長に対する楽天的な希望があった60年代とそれへの懐疑が前面化した70年代との時代風潮の断絶・亀裂を、金城個人もその全身でナチュラルに体現していただけのようにも思えて来るのだ。


 第1期ウルトラシリーズ至上主義者のオタク第1世代の特撮マニアたちは、第2期ウルトラシリーズでも金城が登板さえしてくれれば近未来的な明るいSFテイストを維持できたであろうものを……とグチってみせる言説が、20世紀においては定番ではあった。けれども、やはり金城自身が仮に登板を継続していたとしても、70年代前半の「時代の空気」の中で執筆したのであれば、今あるかたちの日常寄りの『帰ってきたウルトラマン』(71年)のような作品に仕上がったのではなかろうか?
 もっと云うなら、『帰マン』の反転として日常性よりもスペクタクル性を志向した次作『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)、『A』のアンチとしてマイルドで牧歌的な作劇となった次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、そのまた『タロウ』の反転としての実にシビアで切迫感と孤立感にあふれる作劇となった次作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)。たとえ金城でも70年代前半という「時代の空気」の中では、結局は今あるいわゆる第2期ウルトラシリーズのような作風の変遷を遂げていったような気がしないでもないのだ。
 それは金城が沖縄に帰郷後に手掛けた、沖縄の史実に材を取った沖縄芝居に、子供向け特撮ではないからだとの理由もあるのだろうが、牧歌的な要素があまり感じられないところからも察せられてくる。


 加えて、沖縄の米軍を追い出して、その代わりに自衛隊に駐留してもらおう! なぞと、同時代の左右の思潮とも次元の異なる着想を得てしまう金城が、その後も生き長らえていたとすれば、その後にどのような思想的な変遷を遂げていき、どのような高い境地へと到達していたかについても興味はそそられる――もちろん始末が悪くて出たがりでおしゃべりな老害的な存在に堕してしまった可能性だって有り得るけれども(笑)――


 とはいえ、まずは60年代後半における初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』における、ドラマ性やテーマ性よりも明るく楽しいエンタメ活劇を実現できていた金城脚本回の妙味を、いかにそのように言語化・言説化していくのか? そして、それをそのままに踏襲とは云わず、いかに日本特撮の進むべき道標の補助線ともしてみせるか? それをさしあたっての筆者個人の課題としていきたい。


追伸:沖縄でも居場所を見つけられないであろう我々オタクたち(汗)


 我々オタクは地縁・血縁・学校・会社などにはさして帰属意識なぞは持っていないのがフツーである。しかし、そーいう意味では虐げられしものの象徴とはいえ、金城や上原には帰るべき、あるいは依拠すべきものとしての密で牧歌的な人間関係も保持した楽園性のある沖縄があったのは幸いなのだろう。
 しかし、コミュニケーション弱者であり、現実世界・3次元世界ではなく特定のマイナー文化趣味にアイデンティファイしてしまった我々のようなオタクたち、もとい筆者にとっては、そのような地縁・血縁的な濃密な人間関係の中で生きている沖縄もまた、典型的なムラ世間ではあり、気が合う人間が見つけられなかった場合には息も付けない場所となってしまう可能性が高い気もしている(汗)。そして、そのような空間には馴染めない趣味人に対する異物を見るような蔑視の視線までもが先回りして想定されてくる。
 やはり我々のようなオタク人種は、周囲が後腐れのない他人ばかりの匿名性が維持できる都心や近郊などでこそ、浮かぶ瀬もあるようには思うのだ(爆)。


追伸2:隣席の上品な高齢女性が円谷一役の役者さんの母君であらせられた!


 観劇終了後、隣席の上品で小柄な高齢女性が突如として話しかけてこられた。しばしの社交辞令的なカルい雑談のあと、どのような関係や興味でこのような舞台を観に来られたのですか? といった趣旨の質問をされてきた。ガチのオタクであることをカミングアウトすることは憚られたし、マニアといった存在自体を知らない可能性もあるので(汗)、遠回しに『ウルトラマン』などのファンなので……といった返答で、こちらも逆に同様の質問を返していった。
 すると驚くなかれ。この高齢女性は円谷一役の役者さんの母君だというのだ! 「スゴいじゃないですか!?」と返すも、この役者さんはどうも役者の道を進まれてからはご実家には帰省されたことがないらしい……。エ~~~ッ!? ……ウ~ム。
 たとえTVドラマでは見ない役者さんではあっても、劇団民藝ほどの団体で、端役ではなく主役級の役者さんとしてご活躍されている以上は相応のポジションにはいるハズなので、その旨を語り合いつつ、貴重な5分間ほどの時間を座席に座ったままで過ごしたのであった……。


(了)


『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』寸評

(文・フラユシュ)


 最近の金城の研究で発掘された新たな事実を踏まえつつ、基本的には山田輝子の『ウルトラマン昇天 -M78星雲は沖縄の彼方』(朝日新聞・92年7月1日発行・ISBN:4022564903、『ウルトラマンを創った男 -金城哲夫の生涯』として朝日文庫化・97年8月1日発行・ISBN:4022612088)や上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄(しまうた)』(筑摩書房・99年10月1日発行・ISBN:4480885072)を基に再構成したといった印象。
 論壇誌中央公論』か『文芸春秋』だったかに90年代に発表されたルポ――現物紛失のため詳しい内容を記載できず――なども参考にしているかもしれない。


 自衛隊賛美発言なども再現。ここでその発言に対して思想的なことをカラめると、左右いずれの陣営にも思考停止をした議論にならない輩がケンカを吹っかけてきそうなので、ヘタレてしまうけど、そこには深くはふれないようにする。
 各関係者の発言をまとめた人物伝としてよくできていた。ただ何か物足りなさというか、「夢見る心」や「舞台劇的な飛躍」が少し足りないような気もする(最後に夭折する直前、2016年の上原と通信するあたりなどはスキなのだが)。それは、本舞台以前に観賞した、別の金城哲夫の舞台劇の印象が筆者の心の中に残っていたからかもしれない。


 最後の方で、特撮ファンらしき大学生が金城を訪ねて、金城本人も意識していなかった(?)ような沖縄問題や日米問題などの風刺を、『ウルトラ』シリーズに対して深読みして演説しているシーンには、我ら深読みオタクのまさに鏡像にもなっていて思わず苦笑。以前、リアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)を手掛けた富野監督が、自分の下に付いた若いアニメーターに「僕もインドに行けばニュータイプ(新人類)になれるでしょうか?」と真顔で言われたという話も思い出してしまった(笑)。
 この芝居では金城自身がポカンとそれを聞いていて、それに対して特にコメントはしないで終わるのだけど、実に妥当な表現だろう。



 実は90年代にも金城哲夫の伝記芝居が上演されたことがある(題名失念)。先日の芝居に刺激を受けて、もう手持ちの資料も散逸してしまったこの芝居に関して、記憶のみだが覚えていることを書き綴ってみよう。この芝居、Wikipediaにも記載がないのだが、92~93年の冬であったと記憶している。まだ当時は先の『中央公論』か『文芸春秋』に掲載されたルポと『映画宝島 怪獣学・入門!』(92年・JICC出版局(現・宝島社))が出たばかりで、切通理作の『怪獣使いと少年』(93年・JICC出版局(現・宝島社))も書籍化されていなかったと思うからだ。場所は東京は両国の舞台だったと思う。


 では、筆者が覚えているかぎりでのアラスジを記そう。


 冒頭は晩年の金城の2階からの転落事故から始まる。そして舞台は、青春時代の円谷プロ時代と沖縄へ帰ってからの地元との衝突が、交互に描かれていたと思う。
 そんな中、沖縄へ帰郷してから、金城は米兵の子を宿した自殺未遂の少女と知り合う。仕事のさなか親身になり彼女の世話をする金城。最初は自暴自棄だった彼女は、親身になる金城にだんだんと心を開いて、やがて彼女は自分の子の父親を探すために米国へと旅立つことを決意する。
 そのとき彼女は金城に対して「あなたは私の命の恩人でヒーローだ」と言っていたような。あるいは「あなたは私のウルトラマンだ」と言っていたような。
 希望の空へと旅立つ彼女を空港で見送ったあと、金城は以前から家族が薦めていたアル中治療をする病院に入院することを決めて、もう一度イチからやり直そうと決意して、希望を見出したところで幕だったと記憶している。


 なにぶん資料も残っておらず、記憶のみで書いているので、間違っていればご容赦を願いたい。ちなみに往年の円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の発端企画は69年に沖縄へ帰省する直前の金城による企画書で、発想の元は米兵と沖縄人の少女とのハーフの子供達がヒントにあったとする説があることを記載しておく。もちろんその少女とのエピソードは架空のエピソードなのだろうが、物語としては妙にカタルシスがあったことを記憶している。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2016年春号』(16年2月28日発行)~『仮面特攻隊2017年号』(16年12月29日発行)所収『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』合評より抜粋)


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