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ウルトラマンマックス24話「狙われない街」 ~メトロン星人再登場・傑作視には疑問…

『ウルトラマンマックス』序盤評 ~原点回帰は起死回生となったか!?
『ウルトラマンマックス』#13「ゼットンの娘」・#14「恋するキングジョー」・#15「第三番惑星の奇跡」~#22「胡蝶の夢」
『ウルトラマンマックス』#33~34「ようこそ地球へ!」バルタン星人前後編 ~『マックス』終盤・最終回評
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ウルトラマンマックス』24話「狙われない街」 ~メトロン星人再登場・傑作視には疑問…

(脚本・小林雄次 監督・実相寺昭雄 特技監督菊地雄一
(文・久保達也)
(2005年12月18日脱稿・2006年1月23日加筆)


 本作『ウルトラマンマックス』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060311/p1)は本来、『ウルトラマンG(グレート)』(90年)以降の平成ウルトラシリーズがそうであるように、歴代の昭和ウルトラシリーズとは完全に別世界の出来事として設定されてきた。しかし、この第24話『狙われない街』だけは、往年の『ウルトラセブン』(67年)第8話『狙われた街』の完全な続編として製作された番外編的な話である。
 今から40年前に、人間の理性を奪うために狂気と暴力性を誘発する赤い結晶をタバコに仕組み、北川町の住人が絡んだ事件を続発させて社会を混乱に陥れた幻覚宇宙人メトロン星人が再登場するという設定なのだ。ただし、ここでポイントとなるのが、今回のメトロン星人は「幻覚宇宙人」ではなく「対話宇宙人」という別名が付けられたことである。


 40年前の悪夢を甦らせるかのように北川町で暴力事件が続発する。だが、それを起こした者には犯行の動機がなく、皆一様に事件の間の記憶を「覚えていない」と証言する。
 愛煙家の刑事と防衛組織・DASH(ダッシュ)隊員である主人公・カイト隊員とミズキ女性隊員が追跡したナゾの黒服の男こそ、事件の張本人であった。彼はかつて地球侵略を企み、赤い結晶を仕組んだタバコで北川町に同様の事件を引き起こしたメトロン星人であったが、ウルトラセブンとの戦いで傷付いた身体を着ぐるみの「怪獣倉庫」のメンテナンス係に介抱され、そのまま北川町に住みついていたのだった。メトロン星人は携帯電話の電磁波が人間の脳にある前頭葉に悪影響を及ぼすことに目を付け、特殊な電波を発信して人間たちを狂わせていたのだ。
 だが、もはや人間は猿同然に退化したと考えるメトロン星人はすでに地球侵略の意志はないとカイト隊員に語り、燃えるような夕焼けの中、迎えに来た眼鏡型の宇宙船に乗ってメトロン星へと帰っていくのであった。


 かつて地球侵略に来た宇宙人が現在の人間のあまりの馬鹿さ加減に失望し、侵略をやめて故郷の星に帰るというネタ自体は寓話としてはなかなか面白い話である。
 正規の続編であることを示すかのように、往年の『狙われた街』のライブ映像が随所に挿入されているのも往年のファンとしては嬉しい配慮であるし、過去の人気怪獣が登場する際は毎回ぜひやってほしいくらいである(現在では過去映像の流用使用にも関係各位や著作権管理団体へのけっこう高額な金銭支払が発生するそうだから、今回のような大ベテラン監督の担当回でなければ不可能なのだろうが)。
 同じ実相寺昭雄監督が担当した第22話『胡蝶の夢(こちょうのゆめ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060315/p1)に名の知れたバイプレーヤー(脇役)・石橋蓮司(いしばし・れんじ)がゲスト出演したように、今回は六平直政(むさか・なおまさ)が刑事役でゲスト出演。健康志向のご時世のためにあちこちで喫煙を注意され、肩身の狭い思いをする様子がコミカルに描かれ、発狂タバコによる地球侵略が不可能な時代であることを端的に表現しているあたりも良い感じだ。少なくとも、ただ難解なだけの印象で終わった第22話よりは楽しむことができた。


 ただ、『セブン』登場宇宙人の中では圧倒的な人気と知名度を誇り、この2005年だけでもメディコム・トイからアクションフィギュアが、マーミットとリバティ・プラネットからリアルタイプのソフビ人形が発売されるくらいのメトロン星人を再登場させるのであれば、もっと面白くできたのではないか? というのが筆者の正直な感想である。


 そもそも、人間が猿同様に退化したから地球侵略をやめるという動機が、人間批判・現代人批判の寓話としての意図があるのはわかるのだが、SF合理性の観点からはスジが通っていない。『帰ってきたウルトラマン』(71年)第48話『地球頂きます!』でなまけ怪獣ヤメタランスによって怠け者になってしまった人間たちのように、猿同然に退化してしまった人間たちの方がメトロン星人の思い通りに自在に操ることができるハズであり、侵略するには絶好の環境なのではなかろうか?
 猿同然とされた人間は、劇中では電車の中や歩行中でさえも携帯電話に夢中になっている若者たちしか描かれていない。相変わらずの「いまどきの若者」批判にしかなり得てはおらず、猿の鳴き声の挿入なんぞはあまりに安直で極めて底が浅い。これならばむしろ『セブン』第44話『恐怖の超猿人』に登場した宇宙猿人ゴーロン星人を再登場させ、「人間タチハ皆猿ニナッタ。モハヤワレワレガ猿人間ヲ作ル必要ハナイ」なんて云わせた方がまだスジが通ったのではないか?(まぁ、地味なゴーロン星人の再登場では華がないし、スター級の人気怪獣・宇宙人の再登場でなければ客引きにはならないが・笑)


 かつてメトロン星人は、人間たちの信頼関係を断ち切ろうとしてこの地球に来訪したのである。耐震構造偽造事件や学習塾で講師が女子児童を殺害したりとか、記憶に新しいところで人間たちの信頼関係が断ち切られた事件が次々に起きている。ライブドアグループの証券取引法違反や、米国産輸入牛肉の特定危険部位混入にしても、いったいどれだけ多くの人間が「裏切られた」と感じたことであろうか? そうした社会の事件を投影したような架空の事件や劇中内ニュースに対して、メトロン星人が「もはや我々が人間たちの信頼関係を断ち切る必要はなくなった」とでも語るのであれば、一応は立派な社会風刺の作品にでも成り得たであろうに、ナゼそれが携帯に夢中の若者批判で終わってしまうのか?


 『狙われた街』同様に、今回もメトロン星人はちゃぶ台をはさんでカイト隊員とにらみ合う。じゃんけんに負けたらおとなしく自分の星に帰ってやるなどとカイトをおちょくりまくるコミカルなキャラクター自体はむしろ好ましいと思うくらいである。だが、ちゃぶ台の会話を再現するのはともかくとして、バトルの簡略まで再現するのはいかがなものか?


 『狙われた街』ではウルトラセブン登場後、メトロン星人とセブンは夕日をバックに互いに向かって走り出し、宙に舞い上がったあと、メトロン星人はスタコラサッサと逃げ出してしまい、セブンに頭頂部のトサカ部分を分離してブーメランとして投げるアイスラッガーで背中を斬られ、額のビームランプから放つエメリウム光線で実にあっけない最期(さいご)を遂げてしまう。戦闘の合間に『セブン』に登場する防衛組織・ウルトラ警備隊の戦闘機・ウルトラホーク1号がメトロン星人の宇宙船を攻撃して撃墜する場面が挿入されているので、メトロン星人とセブンのバトルは正味数十秒に過ぎないのである。
 小学校高学年以上になってからの再視聴では、このバトルの簡略化やストップモーションもカッコいいと思ったりシブい味わいがあると思うようになったものだけど、記憶の古層を丹念に探るのならば、『セブン』第8話『狙われた街』の1本前にあたる第7話『宇宙囚人303』や『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)第13話『大爆発! 捨身の宇宙人ふたり』なども同様なのだが、幼少時にはウルトラマンに変身したあとの活躍が短かったり一瞬だったりして実に物足りなくあっけなく拍子抜けに思ったものだった。


 そんな幼児層のことを考慮すれば、マックス対メトロン星人の特撮シーンは尺を長くして、最後は対話で決着をつけるにしても、せめて尖ったツメの先から破壊光線を出して夕焼けに染まる倉庫街を爆発四散させるような、子供たちへのツカミとなる華のある特撮描写があった方がよかったのでは? それがどうだ。今回メトロン星人は巨大化したと思ったら、マックスが登場するやいなや、いきなり自分の星へと帰ってしまったのである。バトルはまったく演じられることはなかったのだ。


 筆者は1993年2月にNHKで放映された土曜ドラマ『私が愛したウルトラセブン』の以下のシーンを思い出してしまった。


 脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)をモデルにした石川新一(演・香川照之)が書いたシナリオ『他人の星』(『セブン』第37話『盗まれたウルトラアイ』の原題)に対し、三国プロデューサー(演・財津一郎)がセブンと宇宙人のバトルが描かれていないことにクレームをつける。そこで石川が放ったセリフ。


 「そんなの入れる必要があるんですか?」


 それはそれで今ではとっくに相対化されたような、特撮ジャンルを大人の鑑賞にも堪えうるように、ドラマ性やテーマ性を重視するためにはチャイルディッシュな怪獣バトルは省略しても構わない! といった70~80年代の草創期のマニア評論のような中二病的な理屈で、今はもう21世紀にもなっているのに、そんなふうに開き直られているかのようである。
 三国プロデューサーは「視聴者が求めているのはセブンと宇宙人のバトルなんだよ!」と激しく石川を非難していたが、いったいなんのために『マックス』は「原点回帰」を掲げたのか?  ウルトラシリーズの原点がリアルだのハードだのSF作品だのテーマ至上主義だのと円谷のスタッフが今でも思っているのだとしたら勘違いもはなはだしいのである。


 私事で恐縮だが、『帰ってきたウルトラマン』放映直前に、幼かった筆者が『ウルトラマン』に興味を示すキッカケとなったのは、講談社の『たのしい幼稚園ウルトラ怪獣絵本』シリーズ(70年~)をはじめとしたおびただしく刊行された出版物や、朝日ソノラマ『もーれつ怪獣大会』(69年)などのソノシートドラマ、初代『ウルトラマン』(66年)と『ウルトラセブン』の決闘名場面集として当初スタートした平日夕方帯(おび)枠の5分番組『ウルトラファイト』(70年)などであった。
 まずそうしたもので「怪獣」や「ウルトラマン」という魅力溢れるキャラクターを知った。そして、彼らが街中で「大暴れ」する決戦大画報や、何匹もの怪獣を相手にウルトラマンが「大活躍」するサウンドで夢想し、実作品の魅力を凝縮した短編に夢中になったのである。


 果たして今の子供たちが今回の『狙われない街』に対して、そんなヒーローや怪獣の「大暴れ」や「大活躍」といった原初的な魅力を感じとることができるのか?
 メトロン星人だけではない。『マックス』第13話『ゼットンの娘』~第14話『恋するキングジョー』の前後編(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060315/p1)を観て、宇宙恐竜ゼットンや宇宙ロボット・キングジョーのあまりの影の薄さに「なんや。たいしたことあらへんやないか。どこが最強怪獣なんや!?」と失望した子供は多かったに違いない。なんせ彼らはあくまでコスプレ戦闘美少女の引き立て役として登場した、単なるツール・道具に過ぎなかったのだから……


 『ウルトラマンA(エース)』(72年)第7話『怪獣対超獣対宇宙人』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060618/p1)~第8話『太陽の命 エースの命』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060624/p1)の前後編ように、蛾超獣ドラゴリーや巨大魚怪獣ムルチ2代目とともに大暴れするメトロン星人を見せてはくれない実相寺昭雄監督。そして、あくまでゼットン星人の「娘」を描きたかっただけの脚本家の上原正三。彼らの起用は果たして『マックス』の「原点回帰」という理念にふさわしいのであろうか?

2005.12.18.



付記


 『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)や『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)の実質的なメインライターを務めて、両作のリアル&ハード寄りな世界観を構築するのに寄与した小中千昭(こなか・ちあき)が、第27話『奪われたマックススパーク』・第29話『怪獣は何故現れるのか』・第30話『勇気を胸に』と、このところ立て続けに『マックス』に参加している。いずれも特撮場面の占める割合が高く、怪獣の暴れっぷりやDASH(ダッシュ)の攻撃、マックスのバトルなどに関してはかなり見応えがあるのだが、悲しいかなその合間に挿入される本編ドラマがなにかクールにすぎて、せっかくの燃えさせてくれる展開に水を差すようで、個人的にはどうもいただけない。
 特に第29話。なんでまた劇中劇で『ウルトラQ』(66年)をやるかなぁ。『ウルトラQ』の原題が『アンバランス』だったなんてことを一般人は知るわけがないし、今の幼児たちの親にあたる世代などはヘタをすれば『ウルトラQ』すらも知らない(笑)。だから、『Q』のレギュラー出演者たちである佐原健二・西条康彦・桜井浩子が揃ったところでマニアしか喜ばないんだってば。
 あと、登場する怪獣がゲロンガってなんやねん? 『Q』のNG脚本『ゲロンガ対山椒ラウス』に由来があることは特撮マニア的にはわかるのだが、あそこまでネロンガ(『ウルトラマン』第3話『科特隊出撃せよ』に登場した透明怪獣)にクリソツなデザインだったら、ネロンガの再登場でよいではないか!? その方が『マックス』という作品の趣旨にも適ったのでは!? まるで、むかし問題になった版権無視のパチモン怪獣に対するようなフラストレーション(欲求不満)がたまってしまうのだ。

2006.1.23.


(了)
(初出・特撮同人誌『ゴジラガゼット』19号(05年12月30日発行)に加筆〜『仮面特攻隊2007年号』(06年12月30日発行)『ウルトラマンマックス』終盤合評①に収録)


『假面特攻隊2007年号』「ウルトラマンマックス」関係記事の縮小コピー収録一覧
朝日新聞 2006年12月1日(金) 実相寺昭雄監督逝去(11月29日)
朝日新聞 2006年12月1日(金) 宮内国郎(みやうち・くにお)作曲家逝去(11月27日)
静岡新聞 2006年2月25日(土) 佐々木守脚本家逝去(2月24日)


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「怪獣戯曲」 〜評② 二大異色作に見る『ダイナ』その1

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ウルトラマンエース』#8「太陽の命 エースの命」

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