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2021年10月1日(金)~12月19日(日)にかけて国立新美術館にて「庵野秀明展」が開催記念! とカコつけて……。2012年に開催された『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技~』合評をアップ!
『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』 ~「特撮」ジャンルの本質とは何ぞや!?
(2012年7月10日~10月8日 東京都現代美術館
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館/日本テレビ放送網/マンマユート団)
合評1 『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』
(文・久保達也)
(2012年12月2日脱稿)
大ヒットした巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)を手掛けた庵野秀明(あんの・ひであき)監督を博物館の「館長」名義とするこの展覧会。
2003年から毎年夏に、東京都現代美術館と日本テレビはスタジオジブリの協力を得てアニメ関連の企画展を開催してきたが、今回の第10回目となる2012年度の展示は、以下のような経緯で決定したようだ。
「それで、確か4年ほど前だったと思うのですが、庵野秀明さんたちと呑(の)む機会があって、庵野さんとはそれまで何度か仕事をしていましたし、僕のコレクションにも興味を持っていたようです。そのときに、僕が「特撮映画で使用したミニチュアを展示保存できるような美術館みたいなものがあったらいいですね」みたいなことをしゃべったんです。そのときはあくまで思いつきであって、本気で考えてもいませんでした。でも、庵野さんは「それはいいですね!」と、すごく乗り気だったことを憶えています。
それから、しばらく経ってからお会いしたときに、「美術館のような財団法人にしようとすると、何億円もお金がかかってしまうので、ちょっと無理のようです」と。一瞬、何の話かわかりませんでした(笑)。「でも企画展レベルなら実現できるかもしれません」と、庵野さんがさらに語るに至って、この人は僕の思いつき話をかなり真面目(まじめ)に受けとめ下さっていたんだなあと思いました」
「特撮の博物館を作りたい。協力してもらえないだろうか。某日、古い友人の庵野秀明が唐突にこんなことを言い出した。2010年の夏のことだったと記憶している。
なんでも、特撮を作ってきた人、そして、会社も需要が減ったことで、これまでに作り、保管してきたミニチュア、様々な資料などなどが、このままだと雲散霧消してしまう危険性が出てきた。多くの人にとって、それらはほとんど意味のないものかもしれないが、特撮ファンの自分としてはやりきれないし、自分以外にもそういう人は実に数多くいると思う。特撮を使ったテレビシリーズや映画を観て、子供のときに明るい未来を夢見た人はいっぱいいたはず。いや、いるはずだという庵野の熱意にほだされたが、しかし、手立てが難しい。どうやればそれを実現できるのか?
こういうときはいろんな人の意見を聞くしかない。早速いろんな人を集めてこの話をもちかけると、まずは現代美術館で夏の展示をやるのはどうかという話になった。どういうミニチュアと様々な資料が残っているのか、まずはそれを調べて所有する人たちの協力を得ることが博物館実現への第一歩だというのだ。非常に現実的な案だった」
こうして、わが国日本でかつて製作された特撮映画やテレビシリーズに登場した怪獣やヒーロー・スーパーメカばかりではなく、ビル・民家・電柱といったミニチュアまでもが、各映画会社や製作プロダクション・コレクターらの協力のもとに収集されて一同に会したのが、『館長 庵野秀明 特撮博物館 ~ミニチュアで見る昭和平成の技~』だったのである。
特撮ファンのひとりとして、これに興味を抱かないはずはなかった。けれど地方在住の身でもあり、足を運ぶことなく終わってしまった。
しかしながら、今回の企画展の「図録」とその展示の一環として製作・上映された短編映画『巨神兵(きょしんへい) 東京に現わる』のパンフレットのセットが、セブンネットショッピング限定で2012年11月初旬に発売されたことを知り、これは即座に入手。
さらに主催のひとつである日本テレビが毎週日曜朝に放送している『シューイチ』名義の番外出張編特番『シューイチ』×『「館長庵野秀明・特撮博物館」SP(スペシャル) コレが決定版! 最強特撮ベスト10(テン)」』で、この企画展の特集を組んだ回の録画DVDも入手したために、一応の疑似体験(笑)はさせてもらった。
本企画展では展示品は、以下のようなパートに分けて構成されていた。
*原点 人造
・映画『海底軍艦』(63年・東宝)に登場した海底軍艦・轟天号(ごうてんごう)
・ゴジラ映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)登場のムーンライトSY-3(エスワイ・スリー)
・空飛ぶ戦艦が活躍するテレビ特撮『マイティジャック』(68年・円谷プロ フジテレビ)の主役メカである万能戦艦MJ号(エムジェイごう。劇中ではマイティ号などさまざまな呼び方をされている)
・映画『メカゴジラの逆襲』(75年・東宝)に登場したメカゴジラ2(ツー)のスーツ
・映画『ゴジラ対メガロ』(73年・東宝)に登場した人型巨大ヒーローロボット・ジェットジャガーのマスクに飛行シーン用の人形
・さらには、映画『地球防衛軍』(57年・東宝)に登場した遊星人ミステリアンの宇宙ステーションやミステリアンドーム、防衛軍のメカ・α号(アルファごう)や巨大パラバラアンテナ型の光線発射装置・マーカライトファープなどの、戦前から近未来絵図や兵器などの絵画やプラモデルの箱絵などで活躍されたことでも有名な小松崎茂(こまつざき・しげる)によるデザイン画
など、主に特撮映画に登場したスーパーメカの類いが集められていた。
図録では庵野館長が展示品の中で、おそらくは自身が特にこだわりを持っているものに対して、コメントが添えられていた。
たとえばジェットジャガーに対しては、
「東宝特撮映画初の巨大ヒーローです。いや、なんともいえずいいですね。心惹(ひ)かれます。個性的なデザインが素晴らしいとしかいいようがありません」
などと、70年代末期~90年前後にかけてはオタク第1世代の年長マニアからは、70年代前半の完全に子供向けのプログラム映画『東宝チャンピオン祭り』の1本となっていて、その中でも特に低評価を与えられてきた『ゴジラ対メガロ』という作品自体、そして「ゴジラ」という偉大なる存在を低劣なものへと堕(だ)さしめる一因になったとして、このウルトラマンもどきの見てくれをしている、いかにもな子供ウケをねらった巨大ヒーローキャラクターとしての姿をボロカスに酷評されてきたジェットジャガーを高く評価していたりするのである!――庵野も1960年生まれなので、オタク第1世代のハズなのに(笑)――
この展示室には、テレビ特撮『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)の金色の巨大ヒーローであるロケット人間・マグマ大使自らが変型する金色のロケットも展示されていたのだが、
「ピー・プロダクションの巨大ヒーローものは、『宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)』(71年・ピープロ フジテレビ)もお勧めです」
などと、東宝・円谷プロ製作の作品と比べて低予算だったこともあり、これまた東宝・円谷特撮至上主義のマニアたちからは「特撮がチャチい」と批判されることが多かった『スペクトルマン』を、「お勧めの作品」として挙げている!
実際にもマニア目線で鑑賞していると、東映系の特撮研究所所長の矢島信男(やじま・のぶお)特撮監督が登板した回だけは、持ち込みの手弁当なのか突如としてミニチュアが豪華になったり、火薬を派手に使ったりしていたので、低予算作品であったことは明白なのだが(笑)。
*原点 超人
・ウルトラマンシリーズの主人公ヒーローたちのマスクや飛行シーン用の人形
・ウルトラマンの胸の中央にあるカラータイマーや変身アイテム
・ウルトラマンシリーズに登場する防衛組織の専用銃やスーパーメカ
・成田亨(なりた・とおる)や池谷仙克(いけや・のりよし)らによる前述のアイテムの基となったデザイン画
・『ミラーマン』(71年・フジテレビ)
・『ファイヤーマン』(73年・日本テレビ)
・『ジャンボーグA(エース)』(73年・毎日放送)
といった、ウルトラマンシリーズ以外の円谷プロ作品の主人公である巨大ヒーローたちの着ぐるみのマスク。
・『スペクトルマン』
・『快傑ライオン丸』(72年・フジテレビ)
・『電人ザボーガー』(74年・フジテレビ)
など、ピープロ作品の主人公ヒーロー。
・『シルバー仮面』(71年・宣広社 TBS)
・『アイアンキング』(72年・宣広社TBS)
・『流星人間ゾーン』(73年・東宝映像 日本テレビ』
・『サンダーマスク』(72年・ひろみプロ 日本テレビ)――現在では権利関係の諸問題で放映やソフト化が絶望的となっているのに!――
に至るまで(!)の70年代前半の「第2次怪獣ブーム」→「変身ブーム」時に放映された特撮変身ヒーロー作品の主人公ヒーローのマスクなど!――『アイアンキング』のマスクは、おそらくはコレクターでタレントのなべやかんが所蔵しているものかと思われる――
ここでは庵野は『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)に登場した防衛組織・TAC(タック)専用兵器類について、以下のようにコメントしている。
「タックアローは細長く戦闘的なフォルムに、機首の曲がり方がいいですね。TACは全体的に球と直線での立体構成がいい感じです。特に超光速ミサイルNo.7(ナンバーセブン)がいいですね」
70年代末期の本邦初のマニア向けにおける70年代前半に放映された第2期ウルトラシリーズに対する酷評による悪影響によって、『ウルトラマンA』とその防衛組織・TACのメカには特撮マニア間でもいまだに正当な評価が与えられているとは云いがたい。
しかし、庵野はTACのメカのデザインコンセプトが「球」と「直線」であることを見抜いて、超音速旅客機・コンコルドのような少々下に垂れた「機首」についても好意的な感想を述べているのだ。
のみならず、第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)で、ウルトラ4兄弟が磔(はりつけ)になったマイナス宇宙にあるゴルゴダ星爆破のために、主人公の北斗星司(ほくと・せいじ)が自ら乗りこんで打ち上げられたという、たった1回こっきりの登場である超未来的な光子ロケットのような光子噴射口と鉄骨的な胴体デザインを持ったゲストメカ・超光速ミサイルNo.7にも言及してくれるとは!
そう。第2期ウルトラシリーズや『ウルトラマンA』に対しても偏見なしに曇りなく眼を向けていた御仁であればすでに気づいていたことであろうが、このロケットミサイルのデザインはたしかに実に未来的で超科学的でカッコいいのだ! そこにも庵野は言及してくれているとは!
そして、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)に登場した防衛組織・ZAT(ザット)の「超科学」兵器群についてのコメントはこうである。
「空体力学や化学燃料推進などではなく、重力制御や空間磁場の働きなど、未来科学の力で飛んでいるイメージの兵器類です。これまでのウルトラシリーズとはまるで違う、奇抜で自由奔放な世界観を、余すことなく完璧に表しています。
特にここにあるコンドル1号とスカイホエールはナイスです。好きですね」
奇抜で流線形や曲線を主体としたデザインのコンドル1号も、第2期ウルトラシリーズや幼児向けになったとされてきた『ウルトラマンタロウ』を酷評してきた第1期ウルトラシリーズ至上主義者のマニアたちから坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、「翼に穴が空いてる飛行機が飛べるワケないだろ!」などと嘲笑(ちょうしょう)の的にされていたのだ――まぁ実際にもあの翼だと揚力(ようりょく)が逃げてしまうので空は飛べないとは思うが(笑)――。
庵野はこれに対してすらも、当時の現代の日常に近しい作品世界を描いていた『帰ってきたウルトラマン』(71年)に登場した防衛組織・MAT(マット)の現有兵器に近い兵器や戦闘機のような「現代科学」の延長線上にあるテクノロジーではなく「未来科学」の結晶としてのメカであって、それがデザイナーの計算であったか直観であったかはわからないが、『タロウ』のやや非リアル寄りかつ奔放な作品世界観ともマッチさせたかたちでのデザインであったという見方をしているのだ!
*「決定版 関係者75人が選ぶ~日本の特撮ベスト10」
先述の『シューイチ』では番組の合間に少しずつ折りこむかたちで、「決定版 関係者75人が選ぶ~日本の特撮ベスト10(テン)」が発表されたが、結果は以下のようなものであった。
*第1位 『ゴジラ』(54年・東宝)
*第2位 平成『ガメラ』シリーズ(95~99年・角川映画)
*第3位 『モスラ』(61年・東宝)
*第4位 『日本沈没』(73年・東宝)
*第5位 『妖星ゴラス』(62年・東宝)
*第6位 『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)
*第7位 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年・東宝)
*第8位 『地球防衛軍』(57年・東宝)
*第9位 初代『ウルトラマン』(66年)
*第10位 『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)
このように、ランクインした作品の大半が1950~60年代に円谷英二(つぶらや・えいじ)特撮監督によって撮られた東宝特撮映画が占める結果となったのだ。
ザッと半世紀も前の作品がほとんどなのである。最近の若い特撮マニアの中には、ひょっとしてタイトルさえも聞いたことがない作品もあるのではなかろうか?
そんな若い人たちにお断りしておくが、日本においてミニチュア特撮はそんなに「大昔」にばかり撮られていたワケではない。1970~2000年代にもミニチュア特撮作品はあったのだ。なのに、なぜこうなるかなぁ。そもそも「関係者」っていうのがクセモノだよなぁ。ロートル業界人ばかりだろ(笑)。
このランキング紹介の各冒頭では、
・『帰ってきたウルトラマン』(71年)第31話『悪魔と天使の間に……』のウルトラマンジャックvs囮(おとり)怪獣プルーマの決戦場面!
・『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)第44話『激ファイト! 80VS(たい)ウルトラセブン』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110226/p1)における、エイティvs妄想(もうそう)ウルトラセブンの決闘。それもエイティが両手から放った光の矢・ウルトラダブルアローを、妄想セブンが夜空を身軽に宙返り(!)してかわす名場面!
・『ミラーマン』のミラーマンvs巨大宇宙怪獣ボアザウルスの決闘場面!――第44話『魔の救出大作戦』に登場時か、第48話『赤い怪鳥は三度来た!』に登場時の映像なのかは判別できなかった――
など、ベスト10にランクインしなかった作品の特撮名場面までもがオープニング映像的に使用されていたのだ。今回の企画展を観に行った知人の話では、それらはすべて会場でも「庵野館長おススメ」の特撮名場面として流されていたものだそうだ。つまり、「庵野館長おススメ」の特撮名場面はこのベスト10以外の作品からも多数セレクトされていたのだ!
先のコメントの数々、そして特撮名場面。庵野は30数年間もの間、まったく変わりばえのしない旧作特撮至上主義者の特撮マニアたちとは異なり、マニア間では評価が芳(かんば)しくなかった作品群に対しても偏見なく実に細部の特撮演出やアクション演出も込みで観尽くしており、彼が良いと思った「特撮」やその「演出」に対しては積極的に高く評価しているのだ!
*力(ちから)
・平成ガメラシリーズのために製作された大怪獣ガメラのスーツや飛行形態の人形、渋谷パンテオンの建物やヘリコプター、民家・電柱・街灯
・映画『日本沈没』リメイク版(06年・東宝・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070716/p1)の銀座和光ビル
・映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)の横浜赤レンガ倉庫
などのリアルなミニチュアの数々。
*特撮美術倉庫
かつては東宝撮影所内にあった特殊美術係倉庫の一部を再現して、
・ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)~80年代中盤に復活した映画『ゴジラ』(84年・東宝)や映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)に至るまで使い回されてきたという水爆大怪獣ゴジラの大サイズの足
・この『大怪獣総攻撃』に出自設定を改変して登場した護国聖獣キングギドラのスーツ
などをはじめ、戦車・戦闘機・ヘリコプター・潜水艦・機関車・都電といった、往年の東宝特撮映画で使用されたミニチュアが勢揃い!
*特撮の父
先に挙げた東宝特撮映画の特撮監督を永く務めて、特撮会社・円谷プロダクションを創設した円谷英二が使用してきた、
・35mmフィルム用の大型カメラであるNCミッチェル
・映画『ゴジラ』第1作目の絵コンテのアルバム
・同作のラストでゴジラを退治した新兵器である水中酸素破壊剤ことオキシジェン・デストロイヤーを詰めているとされた大きなカプセルのプロップなど
*技
・長年、東宝特撮映画で特殊美術を担当し、本年2012年に逝去(せいきょ)された井上泰幸(いのうえ・やすゆき)や、円谷・東映・東宝と多岐に渡って特殊美術を務めた大澤哲三(おおさわ・てつぞう)によるミニチュアセットのデザイン画
・第1期ウルトラシリーズの怪獣造形で知られる高山良策(たかやま・りょうさく)による、時代劇特撮映画『大魔神』(66年・大映)の頭部や上半身モデルに造形用の図面
・東宝で怪獣造形を担当していた安丸信行(やすまる・のぶゆき)や小林知己(こばやし・ともみ)による映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)のムササビ怪獣バランの頭部
・映画『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(72年・東宝)に登場したサイボーグ怪獣ガイガンの胸~腹~股を縦断するかたちで装着されていた巨大な回転カッター
などの展示により、まさに「巧(たくみ)」の技に触れられるようになっていた。
――ガイガンの回転カッターは、男のコの子供心をくすぐる稚気満々(ちきまんまん)な武器であり実にカッコいいのだが、70年代末期~90年前後においては昭和の前期ゴジラシリーズのみを神格視する第1世代マニアから「幼児でも考えつきそうなアイデアだ」などと酷評されていたものなのだ(汗)――
*研究
・手前のミニチュアの縮尺を大きく、奥を小さくすることで画面に奥行きを感じさせる「強遠近法ミニチュアセット」
・下界を俯瞰(ふかん)したセットを天井につくり、そこから戦闘機の模型を逆さに吊して、それらを下側から撮影することにより、吊り線も目立たせずに戦闘機の上空から見下したような眼下の風景を再現する「天地逆転セット」
・オプチカル(=光学)合成の仕組み
など、アナログ特撮時代に試みられた、さまざまな創意工夫の数々を紹介。
もはや「過去の遺物」にすぎなくなったかに見えたこれらの展示が人々の注目を集めて、聞いた話では大盛況となったようである。
その現象から判断するかぎりでは、「デジタル特撮」が台頭してきたところで、その逆に一般大衆にかぎらずに我々特撮マニアたちも同様なのだが、かつては「どう見てもニセものでチャチい!」としか思えなかった「ミニチュア特撮」に対しての「ニセものだけど、よく出来ていて魅入ってしまう」といった改めての「驚き」が生じてきているようにも思うのだ――もちろん、良く出来た精巧なミニチュアだけに限定されるのだろうが(汗)――。
先述の『シューイチ』の司会者でモデル上がりの女優でもある片瀬那奈(かたせ・なな)などは元々オタク的な性向もあったのだろうが、番組内でもミニチュア好きを公言して、民家のミニチュアの「配電盤」(!)に対して「このへんが萌(も)える」などと発言していたほどだ(笑)。
*「ミニチュア特撮」衰退の原因とは!? 90~00年代特撮を回顧!
「ミニチュア特撮」なり「巨大特撮」が衰退したのは、たしかにデジタル技術が急速な勢いで進歩したことが最大の理由ではあるだろう。だが、本当にデジタルだけが原因なのであろうか?
日本を代表する「ミニチュア特撮」といえば、やはり東宝のゴジラシリーズ、角川(大映)映画のガメラシリーズ、そして円谷プロのウルトラマンシリーズが筆頭に上がるであろう。だが、ゴジラもガメラも銀幕からその勇姿を消して久しくなっている。
ウルトラマンシリーズもまたテレビシリーズの新作が製作されることはなく、年1のペースで公開されてきた劇場版ですら映画『ウルトラマンサーガ』(12年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)につづく新作の話は2012年12月現在、聞こえてこない始末である。
「ミニチュア特撮」自体が人々に飽きられたというのならば、ミニチュアをデジタルで代替すればいいだけの話なのだ。だが、デジタルを大活用した特撮映画やテレビ特撮がつくられるようになったというワケでもない。ということは、「ゴジラ」・「ガメラ」・「ウルトラ」自体が人々や子供たちに飽きられてしまった、あるいは魅力的には見えていないということはないだろうか?
「デジタル特撮」が主流になる直前の1990年代後半~2000年代前半にかけては、映画『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年・東宝)にはじまるミレニアムゴジラシリーズが公開、映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(99年・角川映画)が最終作となった平成ガメラシリーズ3部作も公開。そして、『ウルトラマンティガ』(96年)から始まった平成ウルトラシリーズも続々と放映されていた。
「ゴジラ」も「ガメラ」も「ウルトラ」もまさに活況を呈しており、「平成ガメラ3部作」と「平成ウルトラ3部作」は特撮マニア間での人気も評価もすこぶる高かったのだ――個人的にはそれらの作品群の高評価にはやや異論もあるのだが(汗)――。
だが、その当時はまだ特撮マニア間ではリアル・ハード・シリアス・アダルトなどといった要素を求める声が強かった。よって、「特撮」の見せ場そのものよりもそういった要素を重視する傾向の作品も多かったのだ。
当時なりに本格志向を目指しつつも、良くも悪くもオタク第1世代がまだメインスタッフではなかったために、ややラフな作風に終わっていた90年代前半における平成ゴジラシリーズと比べれば、特撮マニア間での評価はまだマシには思えたシリアス志向のミレニアムゴジラシリーズは、当時の子供向け大人気アニメ『とっとこハム太郎』(00~06年・テレビ東京系)の劇場版と同時上映せねばならないほど低迷していった末に、映画『ゴジラ ファイナルウォーズ』(04年・東宝・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)でシリーズ打ち切りの憂(う)き目にあってしまう――この同時上映形式がまた、シリアス志向のマニアの癪にさわったようである(笑)――。
そして、特撮マニア間ではひたすらに評価が高かった平成ガメラシリーズもまた、興行的には低迷したこのミレニアムゴジラシリーズを実はさらに下回る程度の観客動員数だったのである(汗)。第1世代オタクたちには酷評されるも、当時の子供たちや若年マニア間では人気も高くて興行的にも大ヒットを記録していた平成ゴジラシリーズの半分の興行成績も達成できていなかったのだ。
90年代後半の平成ウルトラ3部作にも同じようなことがいえる。実は同時代のテレビ特撮の視聴率としては東映メタルヒーロー『ビーファイターカブト』(96年)やその後番組『ビーロボ カブタック』(97年)などの方が視聴率は高いのだ。そして、平成ウルトラ3部作よりもチャイルディッシュな作風の『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)の方が児童間では大人気を博していたのだ。
映画『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971206/p1)の配給収入は4億5千万円だったのだが、その10倍に近い41億5千万円――21世紀以降の「興行収入」基準だと75億4千万円!――をポケモン映画の第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(98年)は稼いでいたのだ(汗)。
その平成ウルトラ3部作の世界観をリセットした21世紀のウルトラマンシリーズ作品は、戦闘ヒーローとしての高揚よりも怪獣との共生を謳(うた)った『ウルトラマンコスモス』(01年)と、さらにまたそれをリセットして共生の余地などない宇宙怪獣との殲滅戦を描いた『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)であった。
どちらも意欲作ではあるのだが、いずれも子供が好みそうにない要素での極端な振り幅を示したウルトラシリーズは人気が低落していってしまうのだ。
しかし、同じころに元々「ミニチュア特撮」が占める比重が極めて少なかった東映の仮面ライダーシリーズが『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)で復活する。そして、00年代前半には大人気を博することになり、「平成仮面ライダーシリーズ」として10年以上も継続している。
この平成ライダーシリーズの大人気による特撮ジャンルのメインストリームの大転換! これが皮肉にも「ミニチュア特撮」とそれをウリにしていた90年代~00年代前半のゴジラ・ガメラ・ウルトラシリーズなどの「巨大特撮」を、よけいに一時代前の古びた作品として感じさせることになってしまったようにも思うのだ。
90年代前半に大ヒットを飛ばしていた平成ゴジラシリーズも、そのシリーズの第1作目となる84年版の復活『ゴジラ』やその続編『ゴジラVS(たい)ビオランテ』(89年・東宝)は、後年の平成ガメラシリーズのように当時の特撮マニア諸氏も望んでいた一応のリアル・シミュレーション路線をねらって製作されたものだった。しかし、
・『ゴジラVSキングギドラ』(91年・東宝)では、未来人やタイムトラベル・ネタが登場
・『ゴジラVSモスラ』(92年・東宝)では、原典の怪獣映画『モスラ』(61年・東宝)にならって妖精なのか小人なのかもわからない小美人や超古代文明も登場
・『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)では、現実世界の延長線上にある自衛隊ではなく架空の近未来的な防衛組織・Gフォースが登場して巨大ロボット・メカゴジラを建造する
・『ゴジラVSスペースゴジラ』(94年・東宝)では、リアリズム路線とは程遠い宇宙怪獣や、漫画チックな造形となったゴジラの息子怪獣までもが登場してしまうのだ(笑)
昭和の後期ゴジラシリーズとはイコールではないにしても、それとも似たような変節。1970年代前半の昭和の後期ゴジラシリーズで育った特撮マニアの一部には、各作の細かい出来それ自体への評価は別として、大枠としては結局はこういうB級ノリで怪獣映画はよいのでは? などという意見も出てきていた。
しかし、1950~60年代の昭和の前期ゴジラ映画で育って怪獣映画を本格的な大人の鑑賞にも耐えうる作品にすることで、特撮ジャンルのステータスを上げたいという70年代末期からの特撮マニア間での風潮にどっぷりと染まっていたオタク第1世代にとっては、それは許せない変節であったことも確かなのだ。そして、この反発の流れが平成ガメラシリーズへと結集していく。
しかし、昭和のむかしも平成も、子供たちが好むようなワクワクとするものは、やはり退屈な「日常」の延長線上ではなく「非日常」。つまり、巨大怪獣のみならずタイムトラベル・4次元・未来人・宇宙人・地底人・近未来的スーパーメカ・超古代文明・巨大ロボット・宇宙怪獣といった疑似SF・B級SFとしての異形(いぎょう)のモノたちが跋扈(ばっこ)するようなパノラマワイドな見せ物的な世界観だったのではあるまいか!?
――悪い宇宙人の再登場は、ミレニアムゴジラシリーズ最終作『ゴジラ ファイナルウォーズ』まで待たなければならなかったが。飛んでこの時期になると、宇宙人が登場してもオールドマニア連中もケチをつけないどころか、宇宙人が「マグロ喰ってるヤツが」どうこうのメタフィクションなギャグを口にすると喜ぶまでに意識変容を遂げていた(笑)――
だから、ゴジラもガメラもウルトラもヘンにマニア向けにリアリティーや小難しいドラマやテーマなどを重視せずに、少々B級ノリでも巨大ヒーローや巨大怪獣や精巧なミニチュアなどをカッコいいバトルや特撮シーンを通じて見せていく娯楽活劇、我々のようなマニアだけではなく大衆や子供にも顔を向けたオモチャ箱を引っ繰り返したような楽しい「見世物」に徹してさえいたならば、たとえ平成ゴジラシリーズほどの大人気や興収は維持できなかったとしても、ゴジラシリーズもコンスタントに製作できて相応の人気も保てたのではなかろうか?
とはいえ、平成ゴジラシリーズ終了後に同シリーズにはやや欠如していた女児層や女性層を取り込もうとして製作された平成モスラシリーズ3部作が製作された。しかし、これらは思った以上に人気が出なかったことも厳然たる事実なのである。これは大衆・ライト層向けにあまりにマイルドに製作してもダメだということなのだろう。
だから、もっと男児向けに平成ゴジラシリーズの世界観を引き継いだかたちで、Gフォース製の巨大ロボット怪獣・メカゴジラやモゲラが宇宙から襲来してきたガイガンやキングギドラと戦うようなバトル色を前面に押し出した、いわば平成メカゴジラシリーズ、『メカゴジラVSガイガン』や『メカゴジラVSキングギドラ』などのような作品を製作していった方がよかったのではあるまいか?(笑)
*「特撮映画」「怪獣映画」の本質とは何か!?
「映画の初期に、かつてトリック映画と呼ばれていたもの、たとえば児雷也(じらいや)が印を結ぶと大ガマになるとか、そんな忍術映画みたいなものの延長で怪獣映画って存在しているとも思うんですけど、つまり「見世物(みせもの)」ですよね。
最初の『ゴジラ』のすごいところって、当時ゲテモノとも呼ばれていた類いのものに、メッセージ性やドラマ性を盛り込んだことで、完成度の高い名作映画として成り立っているところです。
でも、本来の怪獣映画って、むしろ『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)のような、何もないけど、とにかく怪獣が暴れて街が破壊されてスゲェという方かと」
特撮マニア向けムックが発行されて特撮マニアも在野に増えてきた70年代末期から評価が高まって神格化の域にも達した『ゴジラ』第1作。そのメッセージ性やドラマ性の高さについては認めつつも、『ゴジラ』第1作は怪獣映画としてはあくまでも「例外」的な存在なのであり、怪獣映画の本来の魅力とは「ドラマ性」「テーマ性」でなく、「見世物」「特撮」場面にこそあるのだ! 庵野は語っているのだ。
本誌にかぎらずいわゆる特撮同人誌に目を向けても、その「特撮」についてはほとんど触れずに、作品内で描かれているドラマ性やテーマ性にばかり着目して、ひたすらそればかりを論じている論考が、かつてと比べれば随分と減ってはいるものの、21世紀になった今でも散見される現状がある。
だが、「特撮」ジャンルとは「非現実」的な事象を「トリック撮影」によって描くことで観客に「驚き」を与えるジャンルなのである。
・実在するワケがない巨大怪獣の出現!
・現実世界では滅多にないスペクタクルな天変地異!
・未来的なデザインのスーパーメカやそれらが繰り出すレーザー光線!
・変身ヒーローの華麗でアクロバティックな肉体的アクション!
そのような「非日常」的な「見世物」を見せるものが「特撮」ジャンルなのだ。ドラマやテーマなどはなくてもよいとまでは云わないまでも二の次なのだということに、今回の「特撮博物館」でマニア諸氏にも気づいてほしいものである。
そう、リアリティーやドラマやテーマ性などをヘンに重視してきてしまったがために、見世物・エンタメ活劇としてはモヤッとした弾けていない特撮作品ばかりを、ある時期からこのジャンルは量産してきてしまったのではなかろうか!?
庵野がピープロの巨大ヒーローもので「お勧め」の作品として挙げた『スペクトルマン』においては、第48話『ボビーよ怪獣になるな!!』~49話『悲しき天才怪獣ノーマン』前後編ばかりが、その高いドラマ性で「異色作」として注目されてカルト的な人気を誇っている。
そういったドラマ性の解題もよいのだが、この第48話ではスペクトルマンの両脚と股の間から犬怪獣ボビーの姿を、切り返して犬怪獣ボビーの股の間からもスペクトルマンの姿を捉えるといった特撮映像。
のちに『ウルトラマンタロウ』(73年)や『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)での矢島信男特撮監督の担当回での特撮演出などでも見られた、狭い特撮セットでの対決場面に少しでも奥行き・遠近感を疑似的に与える手法を同話でも採用していたことにも、特撮マニアとしては注目したいのだ――厳密には第34話『ムーンサンダーの怒り!!』でもすでにスペクトルマンの股の間から月怪獣ムーンサンダーを、それらに先立つ東映特撮『ジャイアントロボ』(67年)でも同様の手法は採られている――。
その後編である第49話に登場した天才怪獣ノーマンの眠たそうな目(笑)は、同じく高山良策が造形した『ウルトラQ』(66年)第5話『ペギラが来た!』&14話『東京氷河期』の登場怪獣である冷凍怪獣ペギラとの共通性を見いだすことができるだろう。
むろんマニアックな目線で鑑賞せずに、素朴に単に面白かったという見方であっても悪いことではないのだが、ややマニアックであってもそうした観点からも「特撮」作品を楽しんで、むしろ逆にその「演出意図」が作品自体のドラマ性やテーマ性に与えた「効果」を分析的に語ることが、真の意味での「特撮評論」だとも思うのだ。
ちなみに、このこの前後編と同じ時期に放映されていたのが、かの『帰ってきたウルトラマン』の名作回である第33話『怪獣使いと少年』である。『怪獣使いと少年』の特撮といえば、ウルトラマンジャックvs巨大魚怪獣ムルチの場面をカットを割らずにカメラを横移動させるだけの長回しで撮られていたことを、特撮シーンも観ているマニア諸氏であればご存じだと思う。
しかし、実はこれは大木淳(おおき・じゅん)特撮監督が同時撮影だった第32話『落日の決闘』の特撮の方に時間をかけたかったための「苦肉の策」だったことが明かされている――特撮作品にかぎらず、むかしからテレビドラマは2話分を1班体制で撮影するためだ――。その結果があれほどの名場面になるのだから、手抜き(?)も一概に悪いものではないのだ(笑)。
『帰ってきた』の1クール目は一部を除いて都市破壊がほとんど描かれなかった。しかし、同作よりも製作予算が少なかったはずの『スペクトルマン』1クール目では、新宿駅周辺――小田急デパートや自動車メーカー・スバルの看板までも!――や浜松町など、現実の都市が地下鉄やモノレールも含めてミニチュアで再現されている! 自前で製作したのではなく他社からレンタルしてきた可能性も高いのだが、こうした部分についてこそ今後は言説化や研究が必要だろう。
三池敏夫(みいけ・としお)「復活『ゴジラ』(84年)も(映画館の有楽町)マリオンの下まで正確に作られているのに、実際の映画では映ってないんですよね」
樋口真嗣(ひぐち・しんじ)「新宿のセットもそうですよ。実際は代々木の先から新宿御苑(ぎょえん)のあたりまで広大なものが作られているのに、最初に1カット長いのをクレーンで撮っただけで、しかもそれが途中で切られちゃっていて、全貌はほとんど映ってないんですよ」
庵野秀明「もったいない。本編を切ればよかったのに」(……引用者註:爆笑!)
出渕裕(いずぶち・ゆたか)「その通り!(笑)」
70年代前半における昭和の後期ゴジラシリーズや同時期の第2期ウルトラシリーズについても寛大な庵野館長ですら、84年版『ゴジラ』の本編はお気に召さなかったようである(笑)。つまり、怪獣映画の本来の魅力である特撮シーンを削ってまで、人間ドラマをやる必要はないのだ。
*『ウルトラファイト』! 『ウルトラマンA』の超獣! 怪獣の出現タイミング! その評価の変遷!
樋口「『(初代)ウルトラマン』(66年)も『ウルトラセブン』(67年)も既に終わってました。だから俺にとってウルトラの最初って『ウルトラファイト』(70年)なんです」
出渕「あの、本編の怪獣バトルだけ抜き出したやつのほう?」
樋口「そうです。あれは子供なら食いつきますよ。俺は『ファイト』派です(笑)。でもおかげでのちに全長版――引用者注・初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の本編――を観ても、「早く怪獣出せよ!」っていう、頭の悪い子供になってしまった(笑)」
樋口も本格リアル志向の平成ガメラシリーズをつくったからには、70年代末期~90年代においては初期東宝特撮・初期円谷特撮至上主義者であったことには間違いがない。よって、やや奇を衒(てら)って後出しジャンケンで他人と差別化しようとしている気配をプンプンと感じなくもない発言ではある(笑)。
しかし、記憶の古層を丹念にたぐれば、世代的にも『ウルトラファイト』はたしかに氏の原体験のひとつではあるだろう――往時は初代『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の再放送もひんぱんにあったので、当時もう5才の樋口が『マン』や『セブン』よりも先に『ウルトラファイト』を観たということもなかっただろうが――。
子供心にそれがチャチいものだとわかっていても、それでも夢中でヒーローと怪獣の格闘シーンを観てしまう。そんな心理を客観視して理論化すれば、まさに「見世物」たる「特撮」ジャンルの本質を『ウルトラファイト』こそが体現していたのだともいえるだろう。
「早く怪獣出せよ!」という発言もまた、70年代末期~90年代における特撮評論においては、
・「なかなか怪獣が出現しない怪獣映画こそが、大人向けであり高尚なのである!」
・「怪獣登場が遅ければ遅いほど、怪獣映画としては優れている!」(爆)
といった論調が特撮マニア間では主流であった時代あってのそれへのアンチテーゼなのである。
自身の子供時代を振り返って子供のメンタルの何たるかを考えてみれば、それらは70年代の子供たちにかぎった話ではないだろう。1950~60年代の子供たちでも同様であっただろうし、かの名作『キングコング対ゴジラ』(62年)も特撮シーンを除いては子供たちは劇場内を走り回っていたという証言もあるのだ(笑)――アニメ映画『ドラえもん のび太の恐竜』(80年)大ヒットにまつわる新聞記事だったと記憶――。
子供どころかマニアならぬ若者、庶民・大衆などもいつの時代も通俗的で物見高くて飽きっぽく、映画館にまで「怪獣映画」を観に来たからには結局のところ、「早く怪獣出せよ!」などと思っていたのに相違ないと気づいたことからこその樋口の発言でもあっただろう。
1960年生まれで60年代後半の第1次怪獣ブームの直撃を受けた庵野――先述してきたように、氏は決して初期東宝特撮映画や第1期ウルトラの至上主義者ではない!――。それに対して、65年生まれで「第2次怪獣ブームの洗礼を受けた」と公言した樋口は、先の「座談会」でも出渕から
「(『ウルトラマンA』の)超獣好きだもんね」
などと暴露もされている。
そう。『ウルトラマンA』全話に通じた怪獣種族である「超獣」。異次元人ヤプールが製造したこの生物兵器は、色彩が赤や緑などを基調としたサイケデリックでドギツい色彩や突起を多数備えるなどのハデな見た目を持っていた。
しかし、中高生になっても子供番組から卒業ができなかったオタク第1世代の一部がそんな自分自身を自己正当化するためにはアリがちの心理だったのだろうが、長期シリーズの初期に登場したシンプルで地味シブなデザインやスタイルの怪獣を「大人の鑑賞にも耐えうる」として持ち上げて、シリーズ後期に登場して差別化として色彩や形態をハデにした怪獣(超獣)たちを劣位に置くことで、後者の存在は特撮ジャンルを社会に認めさせて市民権を得るためには低劣で不要な存在だとした理論武装の果てに、70年代末期~90年代にかけてはマニア間での狙い撃ちの標的にされていたのが「超獣」だったのだ!
樋口もきっと70年代末期~90年代中盤にかけては、そんな風潮に洗脳されて「超獣」をキラっていたことと思うのだが、やや奇を衒って後出しジャンケンで他人と差別化しようとして……以下略(笑)。
しかし、平成ガメラシリーズ最終作『ガメラ3』に登場した人型巨大怪獣イリスについては、当時の月刊アニメ雑誌『ニュータイプ』誌での連載コラムなどで、それまでの平成ガメラシリーズに登場した怪獣たちとの差別化、そしてそのための「超獣オマージュ」や初期超獣をデザインした「井口昭彦リスペクト」を90年代末にはすでに公言はしていたのだ。
樋口や出淵の発言は、そんな特撮ジャンルにおける評価の変遷といった歴史的な経緯があった上でのものである。彼ら自身も染まりきってきただろう歴史的な評価をズラしてみせて、かつては彼ら自身も低評価を与えてきた『ウルトラファイト』や「超獣」に対しても、その見解を改めて再評価をするようにもなったのだ! という意味を言外や行間にも込めてある一言でもあることに、ジャンルの評論史の紆余曲折・変遷を知らない年若いマニア諸氏にも理解されたし。
ところで、『マン』『セブン』の特撮バトル場面の抜き焼きフィルムと、怪獣倉庫に眠っていたセブンや怪獣のスーツを使い回しで特撮セットならぬ屋外で巨大感もなしに新撮された映像で構成された作品が『ウルトラファイト』であった。
樋口に近い年齢である筆者も、実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督作品でありアンチテーゼ編の傑作として特撮マニア間での評価も高い初代『ウルトラマン』第23話『故郷は地球』の初代マンvsワケありの怪獣ジャミラの特撮シーンを抜き焼きした、『ウルトラファイト』は正確な放映順が不明であるが一応の第191話とされている『ジャミラ 虫の息』を、リアルタイムで観た記憶がいまだに残っている。
もちろん、初代ウルトラマンが水に弱い棲星怪獣ジャミラを合わせた両手の先から噴射したウルトラ水流で倒すのは原典『マン』第23話と同じである。しかし、『ファイト』版ではこの回にかぎらずBGMやSE(エスイー=サウンド・エフェクト=効果音)が差し替えられているので、元は某国(フランス? フランスの植民地だったアルジェリア?)の人間であり宇宙飛行士でもあったジャミラの断末魔の悲しそうな呻(うめ)き声までもが消されてしまって、いつもの『ファイト』同様に初代マンが単に悪い宇宙怪獣を始末するような趣(おもむき)になっていたのだ(爆)。幼児ながらにマニア予備軍の気があった筆者はこれに対する違和感を持ってしまったようであり、リアルタイムで観賞した際の記憶がいまだに残っていたりする(笑)。
短編特撮映画『巨神兵 東京に現わる』
『ウルトラファイト』の2分40秒ほどの尺と比べれば短くはないのだが、9分3秒という短い尺により、宮崎駿(みやざき・はやお)監督作品であるアニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年・東宝)に登場した巨神兵が、東京の街を破壊し尽くすさまを描いた短編特撮映画『巨神兵 東京に現わる』が、今回の企画展の展示の一環として制作・公開されていた。庵野館長による企画意図は、以下のようなものである。
「特撮の魅力、面白さとは何かを再考し、その答えの集合体となった作品を創る。
特撮作品の魅力として、巨大生物や街の崩壊など、見たことがない画面の創造。
ミニチュアと思えなかった画面が、それと知った驚きの技術。
現実の中に描ける夢の映像。人間が創造の空間の中にいる違和感の面白さ。
――などの特撮映像が本来持っている面白さを改めて伝える。
そのための短編作品をミニチュアを主力として創りたいと考えます」
氏が語る「特撮の魅力、面白さ」の中には「優れたテーマやドラマ」なぞといった言葉は一言もない。「特撮本来が持つ魅力・面白さ」を追求した短編映画をつくるのであれば、テーマやドラマの方を削るべきなのだろう。
一応、庵野館長による脚本はつくられてはいるのだが、セリフとしては氏の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン・綾波レイ(あやなみ・れい)の声で知られる声優の林原めぐみ(はやしばら・めぐみ)によるモノローグで構成されているのみである。
あとは「早く怪獣出せよ!」と叫んでいだ『ウルトラファイト』世代であり、今回の企画展の「副館長」も務めた樋口真嗣によって、巨神兵が早めに登場(笑)して東京大破壊絵巻が描かれているばかりなのだ!
・CGでお手軽(?)に描くことができるはずの巨神兵の動きを、全高180センチの人形を製作して、文楽(ぶんらく・人形浄瑠璃)人形の要領で人の動きと操演を連動させて各パーツを動かすとか!
・大小スケールが異なるミニチュアを組み合わせることで、遠近感を強調するとか!
・その中に人物の後ろ姿を撮影したものを切り抜いて配置するとか!
・森ビルが製作した東京の巨大な都市模型を、空撮の代わりに使うとか!
・市販の犬のぬいぐるみを改造して、巨神兵に向かって吠えるさまを再現するとか!
・アパートの一室の雑多な雰囲気をミニチュアで再現し、その窓から見える巨神兵や周辺の風景を映しだすとか!
・採石場跡地でガソリンと火薬を派手に爆発させ、それを映像素材に使用するとか!
・巨大な原子雲を、なんと綿(わた)でつくり、ワイヤーで吊(つ)って動かすとか!
・円谷英二特撮監督作品すべての背景を描いたのみならず、黒澤明(くろさわ・あきら)監督や伊丹十三(いたみ・じゅうぞう)監督作品にも関わっていた「雲の神様」と呼ばれる背景美術の第一人者・島倉二千六(しまくら・ふちむ)が描いた「暗雲」と「地獄雲」を背景に使用するとか!
筆者は残念ながらこの作品の動く映像は観ていないものの、「短編」どころか「大作」映画並みに用意されたパンフレットに掲載されたメイキングの数々は、まさに「驚き」の連続であったのだ! まだまだ「アナログ」特撮だって、ここまで「スゴイ」ことができるのである!
「特撮」映像のサプライズ・高揚感が、次世代へと「特撮」を継承していく!
「このインタビューは、パンフレットの最後なんですよね。
では、このパンフレットを隅から隅まで読んで、僕のページまでたどり着いた、君!
なおかつ「スゲー!」って言いながら全ページ読みふけっちゃった、君!
しかも小学生だったりしたら……。
君の人生は、今狂い始めたぞ。
特撮の未来は君に任(まか)せた!
来館された方で、ひとりでもふたりでもいいですから、「オレもやってみてぇ!」と思って欲しいですね。フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり壊したり撮ったりした方が、もっともっと楽しいよ!」
そうなのである。「特撮博物館」とは決して古いミニチュアを寄せ集めた懐古趣味(かいこしゅみ)だけのイベントではなかったのだ。それどころか、それらに込められていた、今失われつつある「巧の技」を次の世代に継承する。それこそが真の目的だったのである!
かつて樋口副館長がそうであったように、「スゲェ~! これどうやって撮ったんだろう?」などという新鮮な驚きから特撮の道へと進んでいく。「特撮博物館」は、まさにそのための道標(みちしるべ)であったのである!
「デジタル特撮」が主流となった今、これはどうやって撮ったのだろう? などと驚く子供は数少なくなってしまっているのかもしれない。本来、「ミニチュア特撮」もそれとバレずに「リアル」に見えることが目的とされていたので、それはそれで理想が達成されたのかもしれない。
しかし、常にいつの時代も少数ながらは存在するマニア気質の子供であれば、「特撮」が「非現実」のウソだということはわかっていて、それでも「非日常」の世界に惹かれてしまっているものだろうし、そしてそのデジタルも含む「特撮」のウラ側のことをも気にしてしまうものだろう。
アナログ時代の「ミニチュア特撮」をよく知る者たちが今後は「特撮」ジャンルの本質・映像的快楽・サプライズとは何ぞや!? ということに自覚的になるのであれば、ドラマやテーマのための「特撮」ではなく、「特撮」自体を主眼に据えた作品を、そうでなくても「特撮」シーンがクライマックスとなるためにドラマやテーマが逆に配置されているような作品をつくっていくべきではなかろうか?
合評2 「特撮博物館」考 ~オタクとプロフェッショナル、そして発達障碍~
(文・H.KATO@汗牛軒主人)
《破壊は、必ず反面に建設をうながす。屈辱が栄光を約束する。》(むのたけじ)
「特撮博物館」がようやく名古屋にやってきました。
筆者は中部地方の愛知県在住なので、仕事の関係でそうそう県外に出られません。なので、東京での開催も四国の松山での開催も見送らざるを得ませんでした。それはもう泣きたくなるぐらい切ないことでした。悲しいですけど、大人ですから。「現場」で踏ん張らざるを得ない、社会人ですから……ネ。
そ・れ・がッ! ついに来ました愛知県! 「特撮博物館 名古屋展」、開催です!
さっそく出かけました。さっそく出かけましたとも! ええ、……5歳の娘を連れて……(これもまたなかなか県外に出られない理由だったりします)。
到着するや目に飛び込んでくるのは、会場である名古屋市科学館前にズラリとならんだ大行列! 心が折れそうになります……。行列が苦手なタチです。
そういや「特撮博物館」の館長・庵野秀明(あんの・ひであき)のロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)の旧劇場版(97年)は、公開初日に始発で観に行ったら映画館を中心に行列がとぐろを巻いており、圧倒されて行列にも並ばず帰った苦い思い出があるのですが……。さすが庵野、あなどれねぇぜ!
……と思いきや、大行列は名古屋市科学館名物のプラネタリウムに並んでいる人たち。「特撮博物館」に並んでいたのはほんの十数人でした……。
大行列じゃなくてひと安心ではありますが、そんな常設のプラネタリウムじゃなく、「特撮博物館」こそ「文化」なんじゃない? あんたらそれでいいのか? だから名古屋は「文化不毛の地」などと揶揄され、有名アーティストに「名古屋飛ばし」されちゃうんだよ、ええぃこの愚民どもめ! なんぞとそれ自体いかにも愚民めいたことを屈辱的に考えつつ、数分並んであっさり栄光の入場。5歳の娘がぐずる暇もありませんでした。
《自由ってのもけっこう面倒なもんでよ。いつも自由でいるためには、やんなきゃなんねえしんどいことだってあるんだよ。》(ルパン三世)
会場に入るや、メカゴジラによるお出迎え。娘は怖がっちゃってメカゴジラには近寄れません。おとーさんとしてはもっと近寄って心ゆくまで鑑賞したいのですが、メカゴジラにおびえる娘が許してくれません。
さらばメカゴジラ、そしてヒーローのスーツ、そして地球防衛チームのメカ……。ああ……視界の端っこに初代『ウルトラマン』(66年)の科学特捜隊のスーパーガンが見えるけれど……立ち止まれません、さようならさようなら、われらのスーパーガン……。
メカゴジラにおびえた娘、次は巨神兵(きょしんへい)におびえます。薄暗い特撮美術倉庫も立ち止まってくれません。キングギドラも怖くて正視できません。ガメラでついに泣いちゃいました……。
最後の展示、ミニチュアの街並みには興味津々の娘でしたが、今度は触りたがっちゃって……仕方なく肩車したところ、会場係さんから「肩車は禁止となっております!」。
半泣きで(筆者が)、会場をあとにしたのでした。
などと、うちの娘のことをさんざん書いてしまいましたが、実はうちの娘、発達障碍(はったつ・しょうがい)があるのです。
発達支援センターの先生によれば、「自閉傾向あり。ただし、知的レベルは高そう」という診断。
自閉症、あるいは自閉症スペクトラム障害……Wikipedia(ウィキペディア)によれば「社会性の障害や他者とのコミュニケーション能力に障害・困難が生じたり、こだわりが強くなる精神障害の一種」とあります――字面から内向的な性格や症例を示すと誤解されがちですが、必ずしもそうではありません――。
筆者も娘が自閉傾向であると分かって以来、さまざまな本を読んで勉強してきましたが、スペクトラム(分布範囲)の名の通り、一概に「自閉症とはこうだ!」と割り切れない難しさのある障碍なのだそうです。
自閉症の症例として、いくつかの特徴があるのですが、そのひとつが「初めての場所や経験が苦手」というもの。
わが娘。考えてみればこんなに大人がたくさんいるところは初めて。ついでに、博物館とか美術館というものも初めて。そりゃ泣くよなあ。娘同伴がしんどいことはないのですが、今度は一人で来て自由にしようと、コブシを握りしめた筆者です。
《友よ 明日のない星と知っても やはり守って戦うのさ》(宇宙海賊キャプテンハーロック)
そしてやってきましたセカンドインパクト、です。今度は嬉しくて嬉しくて、やっぱり涙ぐみながらの鑑賞となりました。
展示されているものについては圧巻のひと言で、これは事前から予測していたとおり。スゲえよなあ、匠(たくみ)の技だよなあ、現代の名工だよなあ、こんなものをテレビシリーズでやるって、どれだけ手間暇とコストがかかってんだよって感じ。
初代ウルトラマンのデザインを担当した成田亨(なりた・とおる)画伯の描かれた『真実と正義と美の化身』……。胸の中央にあるはずのカラータイマーがない初代ウルトラマンそのものじゃないですか!
もともとは初代ウルトラマンにはカラータイマーが付いていなかったそうですね。成田本人は自身のデザインしたウルトラマンにカラータイマーという装飾をつけられたり、ツノやヒゲをつけられたりするのは納得していなかった……という話があって、後継シリーズに登場したウルトラの父やウルトラマンキングのことも愛する世代人としては成田の理論に全面屈服するわけでもないのですが、なるほどデザイナーの中ではウルトラマンはこういう姿をしていたんですねえ。泣けてくるなあ……。
会場のそこかしこから子どもの泣き声が聞こえてきます。うちの娘が泣いちゃったのは、発達障碍ゆえにと思っていましたが、もともと怪獣などというものは子ども向け作品としての愛嬌がありつつも相応には怖いものでして、もちろん洋ものホラー映画に出てくる怪物ほどではないにしてもプロフェッショナルが本気で造形したものが幼児一般に怖くないわけないですものね(かく言う筆者は幼少時に怪獣を怖がって泣いた記憶はないですが・笑)。
しかし実際、子どもの審美眼というものはバカにできないものがあります。私事で恐縮ですが、うちの娘などは移動の車中では常にアニソン(アニメソング)や特撮サントラ(サウンドトラック)などを聴かせて英才教育(?)に努めておりますして、『ドラえもん』(79年)や往年の女児向けアニメ『キャンディ キャンディ』(76年)や『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』(76年)などなど、世代的に作品そのものは視聴できない作品でも、世間で名曲の誉れ高いものから彼女のお気に入りになっていきますから。大人の本気に、少年時代の庵野秀明もシビれたってことなんでしょうね。
そんなこんなで、ため息と涙、めくるめくエクスタシー的なひとときだったのですが、その感動の立役者となったのが庵野秀明による展示品の解説文。
展示品のいくつかには庵野秀明の妻である安野モヨコのイラストとともに、庵野秀明の解説文がつけられているのですが、それがまた展示品を引き立てるのです。なんといっても語彙が豊富なのです。
職業柄、中学生の読書感想文などを読むと、「すごいと思いました」「感動しました」「自分だったらとてもできないと思います」のオンパレードなのですが、それぞれの展示品について、多種多様な表現で絶賛しているのです。
それをイチイチここで書くことはしませんが、オタクやマニアには新しい楽しみ方の視点を与え、素人衆には展示品がいかに価値あるものかを伝える、見事なポップになっており、「やるじゃないか、庵野秀明!」という感じなのです。
庵野秀明の凄さはもちろんそれだけにとどまりません。明日のないミニチュア特撮だと知ってはいても、やはり守って戦ってみせた新作短編映画『巨神兵東京に現わる』のなんと面白いこと!
「特撮映像が本来持っている面白さを観客に伝える」というのが、庵野秀明がパンフレットに書いていた企画意図だそうです。
でも、わずか9分強の映画を観たあとは、描かれたさまざまな自然災害もひょっとして、原典のアニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年)における「火の七日間」のプロローグじゃないのかとか、ひょっとして今後の人類社会が直面する災厄を「巨神兵」に象徴させているのではないかとか、それに対する警告なのではないのかとか、意図せざる結果的なものだったとしてもテーマ的な深読みもしないではいられなくなります。
庵野秀明、スゴい! 天才! ブラボー!
庵野秀明の妻・安野モヨコのエッセイ漫画『監督不行届』(02年)や、熱血ギャグ漫画家・島本和彦の私小説漫画『アオイホノオ』(07年)で描かれる庵野秀明は、風呂嫌いで偏食家の「変な人」です。直接の面識はむろんありませんが、それらマンガの影響でそういう「変な人」として、筆者は庵野秀明を認識しておりました。
でもその認識も、「スゴい映像監督」というふうに変更せねばなりません。やっぱり庵野秀明って名前は、ダテじゃないです! 突出した天才です!
《めんどくせえなあ。まことにめんどくさいよね。あーめんどくさい。めんどくせえぞ。めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。》(宮崎駿)
で、その「天才」なのですが、やっぱり庵野秀明の「天才性」の土台となっているのは、大変失礼ながらも勝手に踏み込んだことを云ってしまえば、彼自身の一種の広義での「発達障碍」のようなものではなかろうか? などということも考えてしまいました(汗)。仮に発達障碍だとしたらば、高機能自閉症(知能な発達の遅れがない自閉症)ではないかと推測されます。
だからこそ風呂嫌いで、だからこそ偏食家で、だからこそ服装に無頓着で、だからこそ過去のアニメ・特撮作品に異常に詳しくて、だからこそあんなにも物事に集中できるのではないでしょうか?(ここでいう「集中」というのは「執着・こだわり」とほとんど同義です)。
まぁ、庵野個人ももちろんディテールの細かいメカや爆発シーンの作画をしながら「めんどくせえなあ」と思っていたことはあったでしょう。その気持ちと戦いながら、仕事を仕上げてきたという意味では、そこに自発的な意志も込められていたことでしょう。
しかし、先に挙げたマンガで庵野秀明の「変なところ」として紹介されていることのほとんどは、自閉症の特性と同じだったりするのです。
自閉症児の親には「うちの子、エジソンと同じ障碍なんですって。発達障碍っていっても、その特性を生かしてスゴい人になる人がいるんですよ。長嶋茂雄とか、黒柳徹子とか……」などと言う人もいらっしゃいます。ちょっと行き過ぎたプラス思考や自分と自分の子どもに対する慰めの言葉で、それはそれで時としてゲンナリしたりもするのですが、「特撮博物館」を見学して「やっぱりちょっと自閉症、スゴいかも」などと考えて、わが身を励ましたくなったのも事実です。
物事に対するこだわりが異常に強かったり、いわゆる「ふつうの人」と物の考え方や感じ方が違ったりと、発達障碍を持つ人には生きづらさがつきまといます。でも、それらの特性をうまくいかすことによって、発達障碍者はふつうの健常者以上の高みに到達しやすいということが実際にあると思います。
発達障碍は庵野秀明にかぎりません。『巨神兵東京に現わる』のメイキング映像に出てきた数々のプロフェッショナル。彼らの並々ならぬ意欲・こだわりが画面を通して伝わってくる、メイキングものとしても出色の出来だったと思います。あれだけのこだわりをもって映像に挑むというのは、もちろん彼らのプロ意識であるとか、特撮に対する愛ゆえに……ということもあるのでしょう。
でも、それと同等に、あるいはそれ以上に、失礼ながら彼らにも広義での発達障碍の傾向があるからではないでしょうか?
発達障碍児というのは、周囲のクラスメイトから浮きがちになります。大人になれば他人の少々の変わった言動などについては、露骨に指摘や攻撃などはせず、それだといじめになってしまうと自覚して寛容に許すようになれるのがふつうなので「ま、こういう変な人もいるよな」というふうに許容されることは増えます(もちろん、他人に対する配慮のない方々ばかりが集まってしまった職場もあるでしょうから、そこでご苦労されている方々にはご同情申し上げます)。
しかし、彼らの持つ「異常な集中力」や「ふつうとは違う感受性」ゆえに「ふつうの子たち」の集団の中では浮いてしまうことでしょう。個人の「個性」というよりかは明らかな「違い」、モノサシの当て方によっては「弱点」「劣った点」とも取られる要素については、いわゆる性善説の人権派の方々の認識とは異なり、遠慮がなく容赦もしない子どもたちの間では、時にそれが蔑視や仲間外れやいじめなどにも発展して、つらい少年時代を過ごす者も少なからずいます。
発達障碍というのは、そういう意味では常に誇れる「個性」などではなく、やはり時に人生を生きづらくさせてしまう(「障碍」ならぬ)「障害」になってしまう局面があるのも否めないとは思うのです。ハンディキャップであり、ハードルであったりします。
一介の素人が「発達障碍」の定義をあまりに広げてしまうことは問題含みであることは重々承知していますが、特に「自閉症スペクトラム」は「スペクトラム」の名の通り、症状としてはグラデーション、段階的に変化していく広い幅があり、健常者との境界もかぎりなく曖昧ですので、あえて拡大解釈させていただきます(笑)。
これは推測ですが、庵野秀明以下、この『巨神兵東京に現わる』に携わったスタッフの多くは、あるいはオタクの道に進んだ我々は、そしてこれを読んでいる皆さまも、大なり小なり「発達障碍」の傾向があるのではないでしょうか!? そして、おそらくは「生きづらい」少年期・思春期を過ごしたのではないでしょうか!?
《面白きこともなき世を 面白く住みなす者は 心なりけり》(高杉晋作)
『巨神兵東京に現わる』パンフレット、最後のページには「特撮博物館」の副館長にして『巨神兵東京に現わる』の監督である樋口真嗣(ひぐち・しんじ)からの檄文(げきぶん)が掲載されています。大切なところなので、引用してみます。
《このパンフレットを隅から隅まで読んで、僕のページまでたどり着いた、君!
なおかつ「スゲー!」って言いながら全ページ読みふけっちゃった、君!
しかも小学生だったりしたら……。
君の人生は、今狂い始めたぞ。
特撮の未来は君に任せた!(中略)
「オレもやってみてぇ!」と思って欲しいですね。フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり壊したり撮ったりした方が、もっともっと楽しいよ!》
筆者は樋口真嗣の人となりはよく存じておりません。
でも、前述したように、発達障碍であるか否かはともかく、オタクやマニアとして、ふつうの日常生活にはなじめずに面白くない人生を送っているのであれば、好きなことを追求することでプロにはなれなくても、ちょっとした生の高揚なども味わえて、少しは面白く生きられるのかもしれません。面白く生きられなくても自分への少々の慰めや励ましにはなりえます(笑)。
そして、このメッセージは少年に対してだけ、という読み方をしなくてもよいでしょう。「発達障碍」の症状が「個性やわがまま」として黙殺され(そういう時代でもありましたが)、自分自身でも健常者のつもりで成人してしまい、あるいは内向的な性格であるための生きづらさを抑え込み、健常者の数倍もの努力で面白くない社会と折り合いをつけて生活している、筆者を含めた多くのオタク諸氏に向けてのメッセージだと勝手に読み替えてしまっても許してほしいとすら思います。
少なくとも、娘のために勉強すればするほど、自身も発達障碍だったのかもしれない、発達障碍ではなかったとしても生きづらくはあったことを思い出さざるをえない筆者としては、そんなふうに受け止めてみた次第です。
……もちろん、実際の庵野秀明や樋口真嗣らの発達障碍の有無については別として……。
合評3 「特撮博物館」に見る「特撮」の過去回顧と未来展望!
(文・T.SATO)
(2012年10月執筆)
「特撮博物館」展示終了日の前日は大混雑!
展示終了日の前日の10月8日(日)、三連休のなか日に観覧。
JR線で例えるならば、まるい緑の山手線・圏外。真ん中通るは中央総武線で例えるならば、山手線とのターミナル駅でもある秋葉原から電車で東に2駅の数分で「隅田川」を超えた両国駅以東の「江東」の地。実際には中央総武線の南に沿って走っている地下鉄・都営新宿線・菊川駅を下車する。
整然とした碁盤目状の道路が走っているが、駅前は閑散としていて商店やチェーン店居酒屋の類いも1~2件しか存在しない。駅の近くには新築高層マンションが多少あれども古クサいビルや建物ばかり。同好の士らしい人物たちが会場へと向かっていく様子も見当たらない。「現代美術」の香りなどは一切しない近代下町である(汗)。
やや拍子抜けして道路を南下していき、徒歩15分ほどの地にあるハズの巨大公園の敷地内にある「東京都現代美術館」へと向かった。
……着いてビックリ! 途中の歩道は閑散としていたのに、ドコから沸いてきたのか、別の最寄り駅から来ていたのだろうが、
「チケット待ち15分! 入場待ち2時間!!(!)」
などというアナウンスが流れている! そんなに並んでいるようにも見えないのだけど。
事前にオタク友達からチケット購入が大変だとの情報を得ていたので、前日の晩のネットサーフィンで調査済であった公園真向かいのコンビニエンスストア・セブンイレブンの自動券売機にてチケットを並ばすして購入(汗)。
博物館の建物の中にもアッサリ入れて、長い廊下の通路を占めている行列もさしたる長さに見えずに拍子抜けする。しかし、館内の行列は途中から右の扉外へとハミ出していた! そして、建物の外に隣接している公園の長い長い数百メートルものミゾ状になっている歩行者通路を通じて、牛歩戦術のU字型の行列になっていたのだった!
仰天! いったい何千人が並んでいるのやら。実際には2時間はかからなかったが、1時間半は並んだ行列となった(汗)。
ようやくイベント会場に入場したところ、そこにもまた都心のラッシュアワーの電車並みの混雑状態が! この日時点で入場者数が20万人だか25万人だかを突破したとのこと。よって、イベント開幕の7月上旬~10月上旬の約3ヶ月だと約90日。計算の便宜で100日間だとすると、1日あたり2000~2500人は入場している。平日の入場者数は少なくて週末は混雑しているだろうから、土日には4000~5000人以上の入場者があったのではなかろうか!?
私事で恐縮だが、今回同行した特撮同人ライター・I氏は都合3回目の入場だったそうで、7月と9月の平日に入館した際にはガラガラだったとのこと。また、畏友が発行している某特撮同人誌『ゴジラガゼット』などでは早くも8月夏コミ号で、この「特撮博物館」をレポートしているが、逆にコチラの記事では夏休み期間中であったせいか家族連れで盛況だったとのことだ。好事家諸氏にあられては客入り状況の歴史証言の参考にされたし(笑)。
だが、筆者が観覧した日は夏休みが終わって久しかったせいか、子供連れの家族はゼロではないにせよ極少であった。ではどんな客層であったのか? そこから見えてくる光景とは? といったことは後述していきたい。
パンフレットが売り切れで購入できなかったために――会場内でも通販はしており、帰宅間際にそちらを申し込むも翌月11月に現物が到着予定――、記憶だけで記していくので、細部にまちがいがあった場合にはご容赦を願いたい。
まず、入場してすぐの短い通路の右壁には、巨大なシルエット絵で初代ゴジラ(54年)や初代ウルトラマン(66年)や新ゴジラ(84年)が描かれていた。特撮監督の御大(おんたい)・円谷英二(つぶらや・えいじ)の簡単な説明文もあったと記憶する――日本テレビで放映された2012年7月22日(日)14時からの1時間の宣伝特番『シューイチ』×『「館長庵野秀明・特撮博物館」SP(スペシャル) コレが決定版! 最強特撮ベスト10(テン)」』でもそーなっていたので、この記憶にまちがいはない――。
まずは「人造エリア」×「メカゴジラ」!
そして、入った展示スペースは「人造エリア」。いわゆる「メカニック」の類いの展示スペースである――「人造の間(ま)」であったように記憶していたのだが、先の宣伝特番で再確認をしてみると「人造エリア」という名称が正解であるようだ――
程々に高い天井とけっこう広大なスペースの中には、いわゆる「ミニチュア」が多数展示されており、壁には往年の1960年代・東宝特撮怪獣映画の宣伝ポスターの巨大な復刻版などがいくつも飾られている。
近未来的なスーパーメカニックの類いだけではなく、東京タワー・鉄塔・送電線。方眼紙に描かれたそれらの特撮美術のデザイン画(=ミニチュアの設計図)。
各種マニア向け書籍の図版などで知らなくはなかったけれども、特撮ジャンルに限定した話ではなく当時の日本全般がそーであったということなのだが、1950~60年代(昭和20~30年代)という時代を反映してか、「メートル」や「センチ」ではなく「尺」の単位で設計されている点なども、当時の世情までもが偲ばれて改めて印象的である。
往年のゴジラシリーズ映画『メカゴジラの逆襲』(75年)に登場した「メカゴジラ2(ツー)」の着ぐるみなども展示されている。カッコいいけどコレが案外と小さいのだ。37年もの歳月の経年変化で縮んでしまったのであろうか? それとも当時の日本人の平均身長がまだ小さかったのであろうか?
コレらも先に述べた日本テレビで放映された宣伝特番にて紹介されていたので、現地に行かなかった方々でも同番組を観賞したマニア諸氏であれば、展示内容についてはご承知のことだろう。
平成版ではなく21世紀版でもなく70年代前半の第2次怪獣ブーム時代の昭和のメカゴジラといえば、世代人には絶大なるインパクトを残した名悪役怪獣である。しかし、「ゴジラ」シリーズは「劇場作品」ではあったので、メカゴジラなどは幼児誌『テレビマガジン』などでは紹介されてはいたものの、実際にリアルタイムで過半の子供たちがスクリーンで鑑賞したとは云いがたい存在ではあった。
けれども、70年代中盤での初登場~70年代末期の第3次怪獣ブーム時代においては、印刷媒体などで常に子供たちには知られていたスター怪獣ではあったのだ。
1970年代は年末年始・春休みなどの時期の夕方になると、ひっきりなしに1960年代の「ゴジラ」シリーズの映画が、当時は東京12チャンネル(現・テレビ東京)とも民放・最下位レースを競っていたフジテレビ(汗)にてひんぱんに放映されていた。よって、往時の関東圏の子供たちは自然とゴジラシリーズに啓蒙されていったのだ。
――すでに70年代初頭にはTVはカラー放映が一般化していたので、1950年代のモノクロ時代の元祖『ゴジラ』(54年)&『ゴジラの逆襲』(55年)の2作品と、公開からまだ間がなかった70年代の東宝チャンピオン祭り時代の昭和の後期『ゴジラ対~』シリーズの映画は放映されていなかった。しかし、同世代の地方出身者でもゴジラ人気は高いので、他の地方でも大同小異な状況だったのだろうとは推測する――
よって、筆者のような70年代前半の第2次怪獣ブーム~70年代末期の第3次怪獣ブームの洗礼を受けた世代の子供たちにとっての『ゴジラ対メカゴジラ』の初視聴は、だいたいが1979年4月のTV番組改変期に日本テレビで夜7時台のゴールデンタイムに初放映された時点であっただろう。
この1979年3~4月は体感的にはいわゆる第3次怪獣ブームが猛烈なるピークに達していた時期であった。ちなみに、この第3次ブームはその前年である1978年からはじまったものである。
『ゴジラ対メカゴジラ』(74年)がTV初放映された79年4月は第3次怪獣ブームの頂点!
・本邦初のマニア向け書籍『ファンタスティックコレクションNo.2 ウルトラマン 空想特撮映像のすばらしき世界』(朝日ソノラマ・78年1月25日発行・77年12月25日ごろ実売?・ASIN:B0068ZH1VM)の発行
――この時代の「怪獣博士タイプ」でのちのち特撮評論同人ライターになったような後年でいうオタクの気がある小学生たちは学年を問わずに皆がそうであったようだが、イラスト主体で怪獣解剖図鑑とは異なる体裁である大人向け(厳密には青年向け)の内容に衝撃を受けて即座に購入。定価500円であったことも小学生たちが購入に踏み切れた大きな理由で、同書籍は10万部も売れたそうだ――
・小学館の幼児誌『てれびくん』でも78年になると巻頭カラーグラビアにて毎号、大々的にウルトラシリーズの特集を開始し、居村眞二(いむら・しんじ)先生によるそれまでのウルトラシリーズ各作の番外編を漫画として描く連載もスタート
・78年のゴールデンウィークの時期には『キングザウルスシリーズ』というブランド名で、足のウラに当時の怪獣図鑑などによく掲載されていた足跡である「足形」がモールドされているウルトラ兄弟やウルトラ怪獣のソフトビニール人形(ASIN:B09C4Y37NS)が、ポピー(83年にバンダイに吸収合併)から380円で発売
・関東圏では78年5月15日(月)からTBSの平日早朝6時25分の枠で『ウルトラマンタロウ』を筆頭に歴代ウルトラシリーズの再放送を開始
・先立つこと大阪圏でも78年3月9日(木)からフジテレビ系の関西テレビの平日夕方16時30分の枠で『特集! ウルトラ60分』と銘打って『帰ってきたウルトラマン』を皮切りに歴代ウルトラシリーズを2話連続の2本立てでの再放送がスタート
・加えて関東圏では78年8月21日(月)からフジテレビの平日夕方18朝の枠で初代『ウルトラマン』の再放送が、10月からTBSでも毎週土曜朝7時から『ウルトラセブン』の再放送も開始されて、朝夕で『ウルトラ』が週に最大10本も再放送!――70年代の民放の夕方のニュースは18時30分からの30分間しかなかったのだ(!)――
・78年7~8月から発売が開始された、20円ガチャガチャの怪獣消しゴム(ASIN:B09NCVSGRM)の大流行!――怪獣ソフトビニール人形は幼児向けでハズいけど、新興ジャンルの怪獣消しゴムならば小学生が集めていてもオッケーという、今から思うに非合理かつ小学生ながらその幼稚な趣味を自己正当化したいがための風潮・空気もあったのだ(笑)――
・駄菓子屋で売っていた1袋20円で5枚入り、ラッキーカードが当たると番号ごとに全108番号で貼る場所が決まっているミニアルバムがもらえる、山勝の『ペーパーコレクション ウルトラマン』シリーズも大流行!
――こちらは先立つこと77年から発売されており、79年までに連番で1000番前後の第9弾あたりまで発売。『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)放映開始とともに同作主体で再スタートもする――
・その逆に最初にカード未貼り付けのアルバムを購入して、あとから袋入りのカードを順次購入していく、書店で販売していた講談社の大判の『ワールドスタンプブック 怪獣の世界』(ASIN:B08SHSCDFW)――もちろん、ウルトラヒーロー&ウルトラ怪獣に限定されたもの――
・二見書房の箱入りの厚紙写真カードめくり形式の『ウルトラ大怪獣100枚』(ASIN:B01LTIQLC2)――こちらも3~4弾まで発売――
・竹書房の大判安価写真集である「アドベンチャー・ロマンシリーズNo.2『GO! GO! ウルトラマン』、同No.3『ガッツ! ウルトラ』(ASIN:B09FZ7W96R)、同No.9『アクション! ウルトラ』(ASIN:B09FZ4GTYM)
・キングレコードのウルトラシリーズ主題歌集『ウルトラマン大百科!』、つづけて名場面+BGM集の『サウンド・ウルトラマン!』が78年5月21日までに、遅れて怪獣活躍場面の音源再録が中心の『ウルトラ怪獣大百科!』も、これらすべてが第1期ウルトラ世代の特撮マニアたちの特撮研究サークル「怪獣倶楽部(かいじゅうクラブ)』主宰で円谷プロ所属であった酒井敏夫(竹内博)による構成&解説で発売
・同じく「怪獣倶楽部』の面々による、グラビア+研究書ムックであるウルトラシリーズや特撮の歴史の概観である『てれびくん別冊① ウルトラマン』(78年8月15日号・7月15日実売・ASIN:B0076GJ71Y)と、『てれびくん別冊② ウルトラセブン』(78年11月15日号・10月15日実売・ASIN:B0076GM1GC)
・同じく彼らの手になる、『ウルトラマン大百科』(ケイブンシャの大百科26・78年8月10日発行・ISBN:476691564X)や『ウルトラマン全(オール)百科』(小学館のコロタン文庫30・78年10月10月発行・ISBN:4092810350)をはじめとする、児童書を装いながらも妙にマニアックな豆百科の類い
正直に云うと、「ゴジラ」シリーズではなく「ウルトラ」シリーズの方が、この狂乱の第3次怪獣ブームの中心ではあった。しかし、もちろん「ゴジラ」シリーズ作品と当時は正義の怪獣王(!)であったゴジラは、子供たちにとっても別格・特段でゴージャスな印象を与える存在ではあったのだ。とにかくその一環として「ゴジラ」シリーズだけにとどまらずに東宝特撮映画の怪獣たちもペーパーコレクションや怪獣消しゴムのラインナップに登場。改めての注目が集まっていたのだ。
より正確に当時の状況を語らせてもらえば、この時期は「特撮」だけがブームになっていたワケではない。
・いわゆる「第1次アニメブーム」ことTVアニメの総集編映画『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ(77・78年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)や同作も手掛けた松本零士(まつもと・れいじ)原作マンガであるSF系TVアニメの大ヒット、そしてそれと連動した本邦初の月刊アニメ雑誌の創刊ラッシュ
・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』とジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』(共に77年・日本公開78年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)の2大SF洋画の大ヒットで到来した「SF洋画ブーム」
それらとも不離不即・不可分のものとして、ジャンルの時代精神・気分としては、当時の青年層もコレらの作品群に夢中になっているので、「子供心にいつかは卒業せねばならない」と思っていたジャンル趣味を「長じてからでも卒業しなくてもイイのかもしれない!」などと誤解(笑)をさせたものとしても、コレら一連の大ブームは語られるべきだろう。
折しも79年2月からは1年半のブランクを経て復活した戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)、同年4月からはTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)に東宝製作の巨大ヒーロー特撮『メガロマン』なども放映がスタート。
79年3月中旬には子供たちへの春休み興行をねらって、初代『ウルトラマン』(66年)のテレビ放映エピソード数本を再編集した映画『ウルトラマン 実相寺昭雄監督作品』も公開されて大ヒットを記録した。つづけて4月下旬のゴールデンウィークには、映画『ウルトラ6兄弟VS(たい)怪獣軍団』(日タイ合作・75年・タイ公開)の公開を控えていた時期でもある――地方では先の3月公開の『ウルトラマン 実相寺昭雄監督作品』とすでに同時上映されていたのだが――。
まさに第3次怪獣ブームの大興奮が頂点に達していた折りの新学期の直前である79年4月4日(水)夜7時からTBS系で『ザ☆ウルトラマン』#1(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090505/p1)が放映されたコーフンも冷めやらぬその直後の7時30分から日本テレビ系で、満を持して『ゴジラ対メカゴジラ』がTV初放映を果たしたのであった!
偽モノのゴジラが出現! ゴジラvs偽ゴジラ! 片方の化けの皮が剥がれるやメカの装甲が露出!
ついには露呈する白銀のボディにリベット(ネジ)が多数埋め込まれたメカニカルな勇姿! 光線にバリアーにフィンガーミサイル!
しばらくは登校班・クラスメイト・クラス外の友だちとの場すべてにおいて、この『ゴジラ対メカゴジラ』の話題で持ちきりとなって、休み時間や放課後の廊下・校庭・校外での「ごっこ遊び」では戦闘シーンの再演がそこかしこで繰り広げられたものだった。おそらく全国各地で同じような光景が見られたことであろう(笑)。
今から思えば、『ゴジラ対メカゴジラ』などは79年基準でたかだか5年前の映画作品のTV初放映に過ぎなかったワケである。しかし、小学生にとっての5年前とは自身にとっての懐かしい幼少時代のこととなる。家庭用ビデオは登場していたが高価で普及などはしていなかった時代なので、小学生たちにとっては同作は「幻の作品」という観もあったのだ。
――ということは、今(後日注:執筆時点の2012年当時)の小学生たちにとっては、我々年長世代にとってのつい最近の作品でしかない、ちょうど5~6年前の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)や『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)あたりが懐かし作品となっているのだろう!?――
もう当時すでに20歳前後に達していたオタク第1世代の先進層であれば、同作『ゴジラ対メカゴジラ』に対する感慨はこのTV初放映当時のモノではないらしい。同79年の夏休みに今の映画館・有楽町マリオンの地にあった日劇東宝での夕方~夜にかけての東宝特撮映画の日替わりリバイバル上映。その前座映画として、日中にコンスタントに上映されていた3本である『キングコング対ゴジラ』(62年)・ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年)などのシンガリの1本として、本作は強く印象に残っているようだ。
お目当ての日替わりプログラムの東宝特撮映画を観るために毎日夕方に劇場内へと入っていくと、ちょうどいつも『ゴジラ対メカゴジラ』終盤の戦闘シーンなのであった! などという記述が、特撮雑誌やオタク第1世代たちが作った同人誌などでも記述されている――90年代中盤以降は全席指定の入替制、途中入場などは不可となったシネコン全盛の当今では考えられない光景だが、むかしは客席の真後ろにも扉があって、開け閉めされる度に外光が入ってきてスクリーンが見えにくくなってしまっていたのだ(笑)――。
当時の子供たちは皆がそーであっただろうが、筆者などもこの日替わりリバイバル上映を新聞夕刊の映画広告で知ってモーレツに観たい! と思ったクチである。しかし、東京都に隣接する関東圏在住の身ではあっても、小学生にとっては東京ははるかな遠方の地であった。お小遣い的にも「とてもとても……」とアキラめるしかない見果てぬ夢であったことなども思い出す。
『メカゴジラの逆襲』(75年) ~80年代を通じて愚作認定が傑作へと評価が激変!
とはいえ、ここに飾られているのは初代「メカゴジラ」の方ではなく「メカゴジラ2」であった。初代メカゴジラの改造マイナーチェンジ版であり、チラ見しただけではまったく違いが分からないメカゴジラ2は、『ゴジラ対メカゴジラ』の次作にして一応の昭和ゴジラシリーズ最終作『メカゴジラの逆襲』(75年)に登場したロボット怪獣であることは云うまでもない。
この『メカゴジラの逆襲』という作品については、子供時代の記憶ではなく、マニア文化が定着した以降の80年代を通じた話になるのだが、特撮マニア間では「酷評」から「肯定評」へと評価が転じていった作品としても印象に残っているのだ。
70年代末期に本邦初のマニア向けムックが出現するや、それらを編集・執筆していた当時はまだ20代前半であったオタク第1世代の特撮ライターたちによる見解によって、「ウルトラ」シリーズとも同様に昭和「ゴジラ」シリーズもまた「前期」と「後期」に裁断されてマニア間で理解されることとなった。大ざっぱに云えば、「前期」の方が優れており「後期」の方が子供向けとなって堕落した……といったアレである。
その価値の基準線としては、「ゴジラが恐怖の対象ではなくなった」とか、「ゴジラが人類に敵対する脅威の悪者から正義の味方になった」などといった尺度が設けられていた。
大急ぎで付け加えておくと、そのような特撮マニアたちの価値観・モノサシを知る以前に大方の子供たちは、そして筆者なども、もちろん「ウルトラ」や「ゴジラ」に「前期」や「後期」といった区別などはまるで付けてはいなかった。
それどころか、当時は幼児誌での特集記事などはあっても、ゴジラシリーズの時系列を明かすような情報自体がまったく存在せず、TVでの放映も当然に公開順とは無関係にランダムになされていた。よって、大方の昭和「ゴジラ」シリーズ映画においては正義の味方の怪獣王なのに、『キングコング対ゴジラ』(62年)や『モスラ対ゴジラ』(64年)などでは悪者であったりして、当時の子供たちは少々困惑していたのだ(笑)。
――平成ゴジラシリーズ最終作『ゴジラVSデストロイア』(95年)のパンフレットにて、主演の辰巳琢郎(たつみ・たくろう)も「自分は正義のゴジラ世代なので、ゴジラが悪者だと云われると少し違和感がある(大意)」といった趣旨の発言をしている――
その伝で云うならば、前作『ゴジラ対メカゴジラ』と比すれば戦闘色・娯楽活劇色には乏しく、昭和のゴジラシリーズの最終作となってしまった本作『メカゴジラの逆襲』などは、往時においては最も「後期」である作品なので(笑)、マニア文化が勃興して以降はナンとはなしに愚作といった趣きのレッテルを貼られていたのだ。
しかし、その後に「ゴジラ」シリーズに対する特撮マニアたちによる研究が進んでいくと、「前期」と「後期」といった単線に対しての二元論的な割り振り・カテゴライズではなく、もっと錯綜した評価も出てくるようにもなっていく。
『メカゴジラの逆襲』は、特撮マニアたちが神格視してきた『ゴジラ』第1作(54年)のカントクにして、世界の黒澤明カントク作品にも助監督として関わってきた本多猪四郎(ほんだ・いしろう)カントクが実はひさしぶりに登板して、その重厚な演出ぶりも披露していた作品だったのだから、「後期」ゴジラシリーズの中でも特別で例外的な作品でもあったのだ! といった「論法」、もしくは論法以前の「風潮」が勃興してきたのだ。
そこでは、子供たちがピンチの折りに、
「ゴジラーーーっっっ!!」
などと助けを求めて大声で叫けべば、ナゼだか伏線もなしにそこにゴジラが出現してしまっているという(笑)、昭和の大映製作の怪獣映画『ガメラ』シリーズのような幼稚な作品だとばかり思われていた本作『メカゴジラの逆襲』に対して、世には受け容れられていない孤高の科学者とサイボーグ少女の悲劇といったウエットなドラマ性が再発見されて、そこにスポットが当てられるようにもなったのだ。
本作に関しては70~80年代のTVドラマ・TV時代劇・映画などでも活躍されていた脚本家・高山由紀子のデビュー作でもあったとして、そちらの方面でもマニア人種によって再発見されたことも大きかった。80年代中盤以降に「エッ、あの高山由紀子が!?」「なぜに我らが愛するゴジラ映画なんぞに!?」などといった具合である――往時はよく同世代~同世代以上のマニア連中がこの高山に関する件を話題に上せたものだった――。
このナゾは80年代末期、『ゴジラVSビオランテ』(89年)の公開前後の時期に、ドコかのシナリオ雑誌のインタビューにて判明した。いわく、同作はシナリオ学校在学時の習作であって、それがそのままデビュー作にもなったというモノだ(!)。そして、高山のリップサービスなのかもしれないが、
「自分はこの手の作品の方が向いているかもしれない。また私にゴジラ映画を書かせてくれないかしら?(大意)」
などという、我々オタク人種たちにとっては実にうれしいことをのたまってもくれていたのだ。
ただし、仮に油が乗った時期の高山が、ドラマ性&テーマ性にも優れたゴジラ作品をモノすることができて、孤高の科学者&サイボーグ少女によるウダウダ愁嘆場に象徴されるような実に湿っぽい作風のゴジラ映画が誕生したとしても、それが90年代以降の大衆向け娯楽活劇映画として、あるいは特撮マニアたちにもウケる作品として流通することはムズカしかったことだろう。
――今観返すと、この孤高の科学者&サイボーグ少女がまた、イケてない青年とその彼に従順なメイド型ロボットや妹キャラみたいな美少女アニメの元祖、ダメ男の願望みたいなネタにも見えてきたりして……。まぁ、『ファイヤーマン』(73年)で名優・岸田森(きしだ・しん)が執筆した異色作である#12「地球はロボットの墓場」なども同様なのだけど(汗)――
本多猪四郎カントクで思い出したことがある。特撮マニアたちが神格視してきた、当時まだご存命である本多猪四郎カントクが再度「ゴジラ」シリーズの監督に再登板さえすれば大傑作ができるのだ! といった素朴な願望も、この90年代前半の平成ゴジラシリーズの当時にはまだ一部にあったことをだ。
当の本多猪四郎カントクご自身も、当時の特撮雑誌『宇宙船』においてであったか、特撮評論家・池田憲章センセイが聞き出したところの記事によると、ゴジラが群体かつ一体でもある変幻自在な新怪獣と戦うというアイデアをお持ちであって、それを池田センセイが斬新であるとホメちぎっていたとも記憶する。
このアイデアがホントウに斬新であったのかも怪しいところがあるけれど――往年の変身ヒーローものや合体ロボットアニメでもあったような敵キャラネタだと思うので(汗)――。
本多カントク一流の古き良き時代の大勢の大部屋エキストラ俳優たちをロング(引きの絵)でヘンにヒネらずに正面から堂々と力強く撮影するような重厚なスタイルが――個人的にはオッサンと化してしまった今ではスキだが――、移り気で堪え性がない90年代以降の観客たちにとってもキャッチーであるのかについても個人的には心許(こころもと)ない。旧時代の映画の文法には慣れていない、テンポのよいジェットコースター的な映画を求めている現代の観客たちにとっては、その演出は少々タイクツにも映りかねないのではなかろうか? とも危惧をしたのだ。
そんなことどもを瞬時に同時多発的に想起しながら(笑)、メカゴジラ2の前を通り過ぎていったのであった……。
「人造エリア」×「昭和ウルトラのメカニック群」!
「人造エリア」のメインディッシュは、スペース奥の中央に、細長い楕円テーブルの円周に陣取るかたちで展示されていた昭和ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機を中心とするメカニック群であった。レプリカ(複製)なり、倉庫に保管してあったものを展示用にキレイに修復・再塗装を施したものだそうだ。
――それら戦闘機群はプラスチックのワイヤーであったかで固定されていた。ムキ出しであったかガラス越しであったかは早くも忘却の彼方。「手をふれないでください」という注意書きがあったと記憶するのでムキ出しでの展示であったと思う――
・後年のスペースシャトルにも酷似しているスタイルでもある、科学特捜隊の戦闘機・ジェットビートル(初代『ウルトラマン』66年)
・紙飛行機のような鋭角三角形の直線的なフォルムが美しい、ウルトラ警備隊の戦闘機・ウルトラホーク1号(『ウルトラセブン』67年)
・短い両翼の突端にある巨大なプロペラで垂直離陸、さらにはプロペラ部が前部を向いて水平飛行へと移行する姿が印象的な、怪獣攻撃隊・MAT(マット)の小型戦闘機・マットジャイロ(『帰ってきたウルトラマン』71年)
「前期」と「後期」の区分でいえば、昭和ウルトラシリーズの「前期」であるゆえに高評価を与えられてきた、初期ウルトラシリーズに登場した戦闘機群はもちろん展示されていた。マットアロー1号も展示されていたと思う――昭和ウルトラシリーズとは異なる世界観の作品である、はるか後年の『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)に登場した戦闘機・ガッツウイング1号は、色彩こそ黄色だけれどもそのフォルムは明らかにマットアロー1号へのオマージュでもあっただろう――。
しかし意外なことに、そして個人的には実に喜ばしいことだけど、特撮マニア間では低評価を与えられることが多かった、
・細長い胴体にやはり細長い両翼をつけた、TAC(タック)の主力戦闘機・タックアロー(『ウルトラマンエース』72年)
・複雑な流線と曲線を組み合わせて色彩もメタリックブルーで奇抜な、ZAT(ザット)の戦闘機・コンドル1号(『ウルトラマンタロウ』73年)
なども展示されていたのだ!
――残念ながらスペースの都合か、『ウルトラマンレオ』(74年)に登場した怪獣攻撃隊・MAC(マック)の戦闘機群は展示されていなかったと思う――
たしか月刊模型誌『ホビージャパン』1999年9月号にて、特撮ライター・ヤマダマサミによる連載「リング・リンクス」でも小さな写真付きで掲載されていたのだが、新宿ロフトプラスワンでのヤマダ主催の平成ウルトラ3部作賛美のイベントに突如乱入してきて、あえて場の空気を壊してまで(笑)、特撮評論同人界での再評価などはともかくマニア一般的には当時もまだまだ酷評されていた『ウルトラマンタロウ』について
「『タロウ』は面白いので、みなさん観てください!」
と賛美して立ち去っていったという、庵野秀明(あんの・ひであき)館長の面目躍如といったところか?
そして、その巨体ゆえにさすがに同じ展示卓ではなかったものの、部屋のカドの隅に隣接したスペースには、全長も全幅もともに1.5メートル以上はあろうかという、劇中でも巨大な機体というイメージで描写されていたZATの母艦的な指揮官専用戦闘機・スカイホエールが飾られていたことも特筆に値するだろう!
――スカイホエールのミニチュアは、『タロウ』再評価を目的とした大冊の特撮評論同人誌『ALL ABOUT THE ウルトラマンタロウ』(95年・黒鮫建武隊)にも、1987年のさるイベントだったという宙に吊るされた展示物の写真が掲載されているのを確認しているのだが、1.5メートルもの巨大ミニチュアを宙に吊るしていたとはとても思えないので(?)、これはそれとは別の小型スケールのミニチュアでもあったのだろうか?――
スカイホエールの巨体の迫力。スカイホエールといえば、『タロウ』のオープニング主題歌のバック映像にて、ZAT基地の格納庫内部からの主観で大型シャッターが上方にスライドして、スカイホエールが大空へと発進していく一連のシークエンスが印象深いだろう。フィルムが劣化する以前、80年代初頭あたりまではピカピカのおそらくは本放送用フィルムでの再放送の時代までは、子供心にミニチュアだとは頭ではわかっていても、ホントウにセットも含めて巨大に見えてこのテの特撮ジャンル作品には珍しく設定の全長通りの巨大な機体にも見えている……などと子供心にも思ったものだった。
――もちろん、格納庫の特撮セットもミニチュアも数メートル規模のモノであり実際にも充分に大きかったのであろうし、各話に抜き焼き(コピー)で流用していくことを前提にバンクフィルムとして16ミリフィルムではなく35ミリフィルムで撮ったものではあったそうだけど――
・コンドル1号やこの場にも展示されていたミニチュアのZATの特殊車両・ラビットパンダ(!)
・そして、おそらくはイギリス国旗を意識的にしろ無意識にしろ裏モチーフにしていたとおぼしき、青地に赤の十字架状の模様とした隊員服にヘルメットなどのカラーリングとも共通させている、メカ群におけるメタリックブルーの地に赤いライン
・「直線」を主体としつつも、両翼や尾翼には複雑な「流曲線」や「円」に「突起」などを階層的に連ねたデザイン
かつては、『ウルトラQ』(66年)・初代『ウルトラマン』(66年)・『ウルトラセブン』(67年)だけを支持している第1期ウルトラシリーズ至上主義者たちからは猛烈に酷評されてきた『ウルトラマンタロウ』(73年)、およびその怪獣攻撃隊・ZATのメカデザインにそのカラーリング。しかし、そんな先入観などはないとおぼしき若い女性客が「カッコいいね」と連れに話していたのも印象的であった。
マニア間では小バカにされてきた『タロウ』の奇抜なZATメカを擁護するための理論武装!?
そう、旧来のウルトラシリーズファンからは蔑視されてきたZATメカ。たしかにZATの戦闘機・スーパースワローの円形の翼の中心部に大きな空洞が空いているのを指摘して、コレでは浮力で空を飛べないではないか!? などといったツッコミは一応は正論なのである。しかし、それを云い出したならば、初期ウルトラシリーズマニアたちが「リアルだハードだSFだ」と持ち上げつづけてきた『ウルトラセブン』に登場した戦闘機・ウルトラホーク3号の翼の形やウルトラホーク1号の分離機体・アルファ号のあまりに小さな翼だって、空には浮かべないハズなのである(笑)。
マーチャンダイジングをねらったハデなデザインでありながらも、まだそのノウハウが確立しきってはいなかった70年代前半のことだったことから、「ZATメカは幼児層の好みに特化した幼稚で玩具的で低劣なデザインなのだ!」という批判に対して反論したいがために、「むしろ玩具化・大量生産用の金型化には適していない複雑高度なデザインであったのだ!」などと主張して、ZATメカを持ち上げるムキの第2期ウルトラ肯定派の御仁が存在することも知っている。それはそれで、そーいうアクロバティックな理論武装も成り立たないワケではないのだし、そんなロジックがあってもイイだろう。
ただし、その理論武装の方法を全面的に肯定にしてしまうと、ハイエンドマニア向け・評論家ウケはしても、「子供や一般大衆を置いてけぼり」にして玩具化には適していないお高くとまったハイブロウなデザインに仕上がった、子供たちにも不人気なメカが登場した場合に、それを否定できるロジックの提供ができなくなってしまうのだ。よって、ZATメカを擁護するためではあっても、個人的にはそのようなロジックにはスナオに賛同しがたい。
筆者個人は周到なマーケティング戦略に基づく、その時代時代の子供たちの好みを刺激するコンセプト・デザイン・流行のアイテムから着想された玩具の存在や、玩具業界との共存共栄が悪いこととも思わない。むしろそれについては、積極的に肯定すべきだとも思うのだ。
なので、素朴に「子供に好まれるハデハデでトゲトゲな玩具なりデザインセンスとなった作品の何が悪い!」といった論陣を張った上で、ZATメカの「稚気満々さ」をも肯定して、その上で発現している奇抜な色彩や形態を「芸術」的に解釈して愛(め)でてみせるような理論武装を施すかたちの「幼児性」と「芸術性」の双方イイとこ取りのロジックこそが、『タロウ』やZATメカの双方を真の意味で擁護ができる包括的なロジックだとも思うのだ。
TAC・ZAT・MAC・超獣デザイン、東宝に下請け丸投げ・ナゾの広場(笑)!
ちなみに、ZATメカのデザイナーは、実はかの『ゴジラ』第1作の時代から活躍されており、90年代前半の平成ゴジラシリーズまで「本編班」や「特撮班」の美術でも活躍してきた鈴木儀雄(すずき・よしお)の手によるものである。ウルトラシリーズでは、ウルトラマンエースやウルトラマンレオのデザイン、異次元超人エースキラー・地獄星人ヒッポリト星人・殺し屋超獣バラバ・黒雲超獣レッドジャックなどのデザイン画でも有名である。
――超獣レッドジャックは、往年の草創期のマニア向けムックにして、第2期ウルトラシリーズを中心に、かつ批判的にも扱った『ファンタスティックコレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPART2』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行)の記事にて酷評されて以来、いまだにその一節を芸もなく引用して不当に貶(おとし)める「生きた化石」のようなムキもいるのが実に嘆かわしい(笑)――
加えて、TAC・ZAT・MACといった第2期ウルトラシリーズに登場した怪獣攻撃隊のレギュラー隊員たちの隊員服デザインや基地の司令室内のデザインなども氏によるものだったそうである。
――ただし、ウルトラマンレオの弟・アストラや、『レオ』で初登場したウルトラ一族の長老・ウルトラマンキング、『レオ』の怪獣・宇宙人やMACの戦闘機のデザインなどは大澤哲三が担当している。初期スーパー戦隊シリーズや平成ゴジラシリーズの特撮美術監督を歴任し、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)が遺作となった大澤は、往年の円谷プロ製作の特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の巨大合体戦闘機・ジャンボフェニックスのデザインがナンといっても代表作であろう――
東宝の社員スタッフでもある鈴木が、なぜに「ウルトラ」に参加していたのか? それは『エース』、そして『タロウ』前半の特撮部分が、東宝に丸投げで下請けに出されていたためだろう。腐れオタクがテロップを見ればわかると思うが、特撮美術や膨大なミニチュア群にかぎらず、カメラマンから照明に至るまで、基本的には東宝の人材や機材にスタジオとなっている――もちろん、字幕に出ていない末端やセカンド・サードのスタッフなどは、美大などから来た契約社員や学生アルバイトだったのだろうが――。
――後日付記:「TELEMAGA.net」の「なぜ売れた? 放送から20年後に出版の『ウルトラマンA超百科』」(2022年5月17日記事)によれば、『エース』の特撮部分は「東宝映像」(映画会社・東宝の子会社)に委託されて、東宝№3ステージと№5ステージが使用されたとのこと――
『エース』や『タロウ』の時期に、円谷作品は作品面でのクオリティのみならず、特撮面でのクオリティも劣化したのだなどと、したり顔で嘆いてみせる特撮マニア諸氏もいる――筆者個人はスタジオの広大さ・ミニチュアの数・背景美術などの面から必ずしもその意見には同意しない。ただし、各作のシリーズ序盤を除いた怪獣の着ぐるみ造形の仕上がり面については同意する(笑)――。
特に都会の戦場の中心に「ナゾの広場」(笑)が出現するようになったことにケチをつけたい御仁たちは……、円谷プロにではなく天下の大東宝の特撮スタッフたちに云いなさい!(爆)――筆者なども含む当時の子供たちも幼児のころはともかく小学校の中高学年時の再放送での視聴になると、「ナゾの広場」に気が付いてケチをつけていたものだ(汗)――
ただし、たとえ同様に東宝に丸投げ・下請けに出されていた作品でも『ウルトラマン80』の時代になると、もうすでに70年代末期に本邦初のマニア向け書籍なども発行されており、マニア諸氏の特撮サークルなどからの批判の声も届いていたのであろうか、自分たちでも欠点に気が付いていたのであろう。
特撮ミニチュア群を単なる碁盤目状には並べずに、カメラの前に種々様々な角度で斜めに並べたりすることで画面構成を単調には陥らないようにして、ウルトラマンvs怪獣の格闘場所には相変わらずの「ナゾの広場」は存在してはいるのだけれども(笑)、それは隠して写さないように気を遣うようにはなっていく……。
ZATメカ=オーバーテクノロジー由来説を、昭和ウルトラメカ&科学史にまで敷衍せよ!
ZATの戦闘機群の特異なフォルムは、おそらく放映終了30年近くも経ってからの21世紀になってからだったと思うのだが、それまでの歴代ウルトラシリーズの侵略宇宙人たちの円盤の残骸から得られたオーバーテクノロジーによるものだ……などというまことしやかなSF設定が追加的に特撮マニア間でも浮上してきた――20世紀にはZATメカに対して、このような深読みはされていなかったと思う――
後付けのコジツケにすぎないといえば、その通りではある。しかし、個人的にはこーいうお遊びは、青スジを立ててムキになったり排他的になったりするような設定至上フェチには陥らずに「絶対的な正解はこーである!」などと叫んでいるような周囲の人間が鼻白むような断定口調にも陥らずに、イイ歳こいて「なんちゃって~」と照れ隠しに愛想笑いを浮かべつつ頭をポリポリ掻きながらの、劇中内での真実はこーだったのかもしれないですよネ……などといった程度にとどめた、節度もあるオトナの余裕ある知的遊戯としての文体・口調で行なう分には、とても楽しいことだとは思うのだ。
そして、初代『ウルトラマン』(66年)~『ウルトラマンネクサス』(04年)までの歴代ウルトラシリーズに登場した怪獣攻撃隊のメカをまとめたマニア向け書籍『ウルトラ超兵器大図鑑』(竹書房・06年6月1日発行・ISBN:4812428017)では、「独自のSF的考証」だと謳(うた)いながらも「異星人の技術由来の重力制御コイル」によってZAT戦闘機は浮遊しているために両翼に大きな穴があっても大丈夫なのだという説明までもが登場している。
そこまで来たならば、もうあと一踏ん張りだ! この書籍が発行された2006年に放映中であった『ウルトラマンメビウス』(06年)では、特撮同人屋上がりの編集プロダクション・タルカスのライター兼、脚本家・赤星政尚センセイ&谷崎あきらセンセイが、番組公式ホームページ内のウラ設定披露サイト「Web(ウェブ)メビナビ」において、往年の「怪獣図鑑」的なウラ設定を毎週毎週発表していた。この「Webメビナビ」あたりで、ドサクサついでに「ZATのメカ群はオーバーテクノロジー由来説」を公式設定の域にまで高めてほしかったものである(笑)。
ちなみに、庵野カントクも「特撮博物館」に展示されていたZATメカ群に対して、以下のようなコメントを添えていた。
「空体力学や化学燃料推進などではなく、重力制御や空間磁場の働きなど、未来科学の力で飛んでいるイメージの兵器類です。これまでのウルトラシリーズとはまるで違う、奇抜で自由奔放な世界観を、余すことなく完璧に表しています。
特にここにあるコンドル1号とスカイホエールはナイスです。好きですね」
今や天下の大権威となった庵野カントクのお墨付きもついたので、40年後の後出しジャンケン! もうZATの飛行メカの奇抜な形状は、重力制御や空間磁場の働きゆえのモノだという公式設定でトドメを刺してしまいましょうヨ(笑)。
サコミズ隊長の亜光速飛行実験・超光速ミサイル№7・光子力エンジンのマッキー1号などを一本線でつなぐ!
そこで、古い腐れウルトラオタクたちの間で定期的に話題に登るのが、『タロウ』の直前作『ウルトラマンエース』の#10「決戦! エース対郷秀樹」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060709/p1)にて、「帰ってきたウルトラマン」ことウルトラマンジャックもといニセ郷秀樹ことアンチラ星人が使用していた長身の銃器・ウルトラレーザー!
この悪い宇宙人由来の銃器を、『エース』の#43「怪談 雪男の叫び!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)や#47「山椒魚の呪い!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)ではTACの隊員たちは再利用をしているのだ!――単に本編小道具班がその出自を忘れて現場に持ってきて役者さんたちに使わせていただけの可能性も高いけど(笑)――
加えて、#13「死刑! ウルトラ5兄弟」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)では竜隊長直々のご指名で戦闘機・タックアローの機首内に内蔵されていたウルトラレーザー(!)が超獣バラバに向けて発射されているのだ! つまり、悪い宇宙人由来のテクノロジーを地球人たちはすでにこの時点で活用していたのである!
地上で隊員たちが人間サイズの通り魔宇宙人とナイフや銃器でドロくさい追跡や肉弾戦を繰り広げているイメージが強かった『ウルトラマンレオ』の怪獣攻撃隊・MACにしてからも、放映数年後の70年代後半にマニア向け書籍ではじめて(?)明かされた大型母艦戦闘機・マッキー1号のマシンスペックは、光子力エンジン起動で最高速度が光速の0.4倍(!)なぞというトンデモなくオーバースペックな設定が付与されている――実はさらなる後年には同機の最高速度は光速の98.9%だったという記述の書籍も登場している。ドッチなんだよ!?(笑)――。
70年代初頭~80年代のウルトラ怪獣の身長・体重・別名や戦闘機だののスペック設定は、1987年ごろに退社するまでは円谷プロに在籍していた第1世代の特撮ライター・竹内博(酒井敏夫)によって主に設定されていたようだ。よって、このトンデモ設定も竹内センセイによるものではないのかとも推測するのだが。
――ただし、『ザ☆ウルトラマン』はTVアニメであることに対する反発もあったのだろうか、担当はされていなかったそうだ(世代的にも同作の大ファンでもある筆者なぞには残念なことなのだが)。『ウルトラマン80』のメカニック設定なども、『円谷プロファンクラブ』会報Vol.71(03年3月5日発行)での『重箱の隅のまた隅(33)~円谷プロ・裏街道の30年~』「第十九章『ウルトラマン80誕生!』」における、後年に平成ウルトラ3部作の「シリーズ構成」などにも名を連ねている円谷プロ企画室所属の江藤直行センセイの連載記事によれば、江藤氏が手掛けたものだそうだ――
余談だが、70年代前半の竹内は小学館の学年誌などの記事や小冊子付録などにも奥付の署名を見ると手伝いやアルバイトとして参加しておられる。そして、ウルトラの国の40万年にもわたる歴史年表(!)などを作っていたことが、後年長じてから再確認してみるとよくわかる。
ウルトラの星の星系の中心にあった恒星(太陽)が爆発四散したあとに、人工太陽・プラズマスパークを建造したウルトラ長老が、宇宙旅行をしていてウン十万年も前の地球にも立ち寄ったことがあるだとか、ウルトラ長老の奥さんがウン万年前に死んだなどの、小学生男子レベルの科学的・SF的・歴史的好奇心・ワクワク感を惹起する、別の見方をすればその場の思いつきのテキトーでトンデモでいかがわしい本格ハードSFの高尚さの香りの欠片もないB級・Z級の稚気満々な設定の数々!(ホメてます!)
オタク第1世代の第1期ウルトラ至上主義者たちが、
「ウルトラマンは神であるのだから、背景設定を付与することは神秘性を損なう」
なぞど批判をしてきたウラ設定の数々に、よりにもよって第1期ウルトラシリーズ至上主義者でもある竹内センセイご自身が加担していて、下の世代を楽しませてきた皮肉についても言及しておきたい。竹内センセがイヤイヤやっていたのか意外と楽しんでノリノリでやっていたのかについてはわからないものの(汗)。
よって、MACの戦闘機は大気圏内では劇中で見るかぎりでは火力推進なのだろうけど、宇宙空間ではきっと光子力エンジンで推進するのだろう!? とはいえ、70年代末期の小学生としてはそのSF設定自体はカッコいいとは思ったものの、あまりにも遠未来のテクノロジーに過ぎて、それまでのウルトラシリーズの飛行メカの駆動システムとは隔絶しすぎているという意味ではプチ違和感もあったのだ。
しかし、先のTACのウルトラレーザーやZATの戦闘機の浮遊原理という2クッションが後出し(汗)で用意されたことによって、このプチ違和感は30数年もの歳月を経て緩和もされてきた!(笑)
ところで、昭和ウルトラシリーズ直系の正統続編として製作された『ウルトラマンメビウス』(06年)#42「旧友の来訪」において描かれた、同作における怪獣攻撃隊ことクルーGUYS(ガイズ)のサコミズ隊長の前歴! それは初代『ウルトラマン』(66年)と次作『ウルトラセブン』(67年)との間の東映宇宙特撮『キャプテンウルトラ』(67年)放映中の半年間のミッシング・リンクの時代を埋めることにもなった、初代『マン』の怪獣攻撃隊である科学特捜隊のジェットビートルの機体を流用した、太陽系外縁部の宇宙空間での「亜光速飛行」実験でのテストパイロットであったとされていた!
ということは、『レオ』におけるMAC戦闘機・マッキー1号の光子力エンジン以前に、宇宙人由来のテクノロジーの取得・研究が充分ではあったとは思えない初代『マン』の時代においても、すでに人類の科学力は光速飛行が試みられるほどの域には達していたことにはなるのだ!
・『エース』#6「変身超獣の謎を追え!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060611/p1)において登場した、研究施設・TAC第3研究室にて進行していた「光速に迫り4次元世界も覗ける可能性がある」という「新型ロケットエンジン」の研究
・同じく『エース』#14「銀河に散った5つの星」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)において登場した、光の速さを超えることでウルトラ4兄弟が十字架に磔(はりつけ)にあっているゴルゴダ星が存在する「裏宇宙」=「マイナス宇宙」にも潜入することができた「超光速ミサイルNo.7」
・同じく同作のシリーズを通じての宿敵であった異次元人ヤプールとの決戦を描いた『エース』#23「逆転! ゾフィ只今参上」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)において登場した、空間自体を「メビウスの輪」のように湾曲させることでオモテ側からでもウラ側へ行けるように、我々の住まう3次元世界の一角をウラ世界でもある異次元人ヤプールが生息している異次元空間へと局地的に連結させて、人間1名を異次元へと転送させることを可能とする「異次元突入装置」
そもそも昭和ウルトラシリーズの世界観でも、地球人類はすでに光速の壁に迫っているどころか突破さえできていたことが、後出しジャンケン(笑)で整理もできたのだ! 苦節ウン十年。ついにマッキー1号が光子力エンジンで飛行して光速の0.4倍だか98.9%だかを達成可能なトンデモ・スペックにも、その技術的な根拠・正当性を与えられる日が来たのだ!?
そして、アインシュタインの相対性理論によれば、光の速さこそが「絶対不変」で、時間と空間の方が「相対的」であってネジ曲がるのであった。つまり、光速に迫れたことでのマイナス宇宙や4次元や異次元への突入実現についても、昭和ウルトラの世界観では後出しのそれも含めて、人体に与える危険性も度外視(笑)すればSF理論的にはついに可能になったのだ!?
――『タロウ』のオープニング主題歌映像にしか登場しないZATの宇宙航行用メカ・アンドロメダも、ググってみたら光子力エネルギーで飛行するとのことだった!――
超光速ミサイル№7が突入したマイナス宇宙とは!? ヤプール人が潜む異次元世界とは何か!?
ところで、『エース』#13~14にかけて登場した、そして90年代児童向け漫画『ウルトラマン超闘士激伝』(93~97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)にも登場した「マイナス宇宙」とは、ゴルゴダ星の存在が可視光で地球からでも観察できることから、宇宙の果ての外である文字通りの隔絶した「異次元」だったり、いわんや我々の宇宙の「正物質」とは共存できずに接触すれば「対消滅」で大爆発が起きてしまうという、電荷がプラス・マイナス逆の物質で構成されている「反物質宇宙」のことではないのだろう。つまりは、「異次元」でもなく「反物質宇宙」でもない、それらともまた別な世界のことなのだ。
地球は人間には「平面」にしか見えなかったとしても、実は「球面」の「表面」なのである。同じように、宇宙も人間には「立体」にしか見えなかったとしても、実は4次元なり5次元以上の「超・球面」の「表面」なのである。つまり、一方向に直進していくと「超・球面」の「表面」を一周してきて、最終的には真後ろの方向から元の地点へと帰ってきてしまうのだ。
しかし、この説にはいくつかのバリエーションがある。この宇宙は「超・球面」ではあっても「正円」ではなく「楕円」であったり、「布団」のように湾曲して「U字型」や「三つ折り型」に折れ曲がった世界の「表面」なのだという説もあるのだ。その場合には直進していったとしても真後ろから元の位置へと戻れることはできなくなってしまうのだ(汗)。ということは、この「超・布団」のウラ側の「表面」が、もしくは折り畳んで接してしまった真向かいの「超・布団」の「表面」あたりが、超光速だと移行できる「マイナス宇宙」ということになるのではなかろうか!?
……もちろん真の正解は、当時の製作者たちはそこまで深くは考えてはいなかった(笑)。
『エース』#23に登場した「異次元突入装置」も、「メビウスの輪」の原理を「空間」と「人体」に適用して異次元空間へとつなげるというモノであった。こう書くと純・物理的な装置なのだが、一方でこの装置を開発したTACの兵器開発研究員・梶さんは、この装置を駆動中に今で云う配線コードが多数つながっているヘッドギアを頭部に装着してもいるのだ。
ということは、単に物理的に空間を湾曲させれば異次元空間へと即座につながるモノでもなく、そこに人間の脳波や精神エネルギーといった要素も加味することで、はじめて異次元世界につなげることが可能になるということなのではなかろうか?
そう。異次元人ヤプール自体も、そして彼らが住まう異次元空間それ自体も単に物理的な異次元存在だという感じでもなかったのだ。むしろ、彼らは地球人・動物(の霊)・宇宙人・星座の精霊(!)といった存在たちの肉体ではなく精神・魂にこそ干渉してくる存在なのであった。
ヤプールも一応は物質としての肉体も持っているのであろうが、半ばは精神生命体・精神エネルギー・霊的魂のような存在なのでもあって、彼らが住まう異次元空間も純物理的な4次元世界やこの宇宙の外部にある異次元世界というよりかは、現世と霊界の中間にある幽界のような霊的世界という意味でのスピリチュアルな異次元世界であるようにも思えるのだ。
……コレも多分、脚本には配線付きヘッドギアなどとは記されておらず、本編美術班や小道具班の若手の誰かがSF的機転を利かせたアイデアが採用されただけであって、結果的にそのような深読みが可能になっただけなのではあろうけど(笑)。
ウルトラシリーズなどの特撮ジャンルは基本的には「特撮」=『特殊撮影で巨大ヒーローvs巨大怪獣のバトルを描いてみせるフィジカルな驚きを見世物』とするジャンルではある。そのことはくれぐれも強調しておきたい。しかし、二次的な要素としては、たしかに児童レベルでの知的SF・伝奇SF的なジャンク知識収集癖をも刺激するようなジャンルでもあったのだ。
長年の酷評に甘んじてきた70年代前半の第2期ウルトラシリーズの擁護派であればあるほど、ネガティブなルサンチマン・階級闘争意識で自己&作品を正当化するのではなくって、ポジティブに作品それ自体の特撮シーンやSF設定を理知的に読み込んでみせる話芸(笑)によっても、作品を持ち上げて集客にコレ務めた方が有益だし効果的でもあるだろう!
そんなことをも瞬時に同時に脳裏に思い浮かべつつ……、などと云いつつ半分は観覧後における後日の感慨なのだけど(笑)、「人造エリア」における鑑賞はまだまだつづくのであった……。
「バッカス三世号」×「マイティ号」!
「人造エリア」の進行方向・右側の一角の壁面には、歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の各種マークが飾られていた――NG版などもあったような――。
『帰マン』のMAT基地・指令室内部や基地内通路のデザイン画なども各種飾られている。後者は多分、既存のマニア向け書籍や映像ソフトのライナーなどでも既出のものだったとは思うのだが、MAT指令室のデザインはシャープでクールでシックでもあり、よく見ると別室(通信室? 隊長室?)につながる空間までもが描かれている。このMAT基地関連のデザインは、マニアならばご存じ池谷仙克(いけや・のりよし)によるものだとも明記されている。池谷氏所蔵でなければ、円谷プロ側で保管されていたものでもあろうか?
怪獣絵師こと開田裕治(かいだ・ゆうじ)画伯が往年の70年代末期のマニア向け書籍『ファンタスティックコレクション』用に描き下ろしたモノだったと記憶する、科学特捜隊の基地の断面図の巨大な原画(拡大コピー?)などもナゼだか壁面の上方に展示されていて、放映当時の撮影用プロップでもその修復版でもデザイン原画でも何でもナイ、放映終了10数年後に作画されたモノではあったと思うけれども、コレも特に文句などはない(笑)。多少の変化球も適宜入れつつ、このイベント空間をさらににぎやかにしていってほしいのだ。
78年4月より放映が開始された円谷プロ製作の宇宙特撮TVシリーズ『スターウルフ』に登場した主役宇宙船「バッカス三世号」も飾られていた。白銀褐色で細かいディテールに覆われて汚し塗装も施されたボディー。それでいて端正で精巧でもあるようなハイセンスなミニチュア・メカ。
本メカは前年77年には米国で公開されるも日本では公開まだきであった『スター・ウォーズ』にあまた登場した敵味方の宇宙船や戦闘機メカニック群のデザインや表面メカへのディテール処置の影響が濃厚であることは世代人であればご承知のことだろう。外壁のディテールのそれらしいデコボコな突起やハッチなどが膨大に施された細やかな表面、それに対する汚し塗装や剥がれ塗装によって醸されるリアリティ。
これらのメカの表面処理は、2年後の『ウルトラマン80』における敵宇宙人のミニチュア円盤群の造形や、特撮ジャンルに限定しなければ、当時の本邦SFアニメの大ブーム下における宇宙メカ・宇宙戦艦群のデザインにまで、強く影響をおよぼしていく……。
『マイティジャック』 ~幻のオトナ向け特撮の立ち位置からの転落!
その先の隣の部屋にも、メカ主体の人造エリアのつづきとして、往年の円谷プロ製作作品にして初期1クール分はオトナ向けかつ日曜夜8時からの1時間枠ドラマとして放映された空飛ぶ巨大戦艦もの『マイティジャック』(68年)のやはり全長2メートルはあろうかという万能戦艦マイティ号の巨体が鎮座ましましていた!
『マイティジャック』自体は、変身ヒーローや怪獣がメインではない作品ではあるし、特殊な放映スタイルであったことも手伝ってか――第2~3クール目は日曜夜7時30分からの30分枠番組に変更――、再放送もほとんどなかったようだ。筆者も世代的にTVの地上波の放送を一度も観たことがない。しかし、オールド特撮マニア的には、そしてオタク第1世代の庵野カントクにとっても、相応に印象的な存在ではあるのだろう。
かつては第1世代の特撮マニア間で、この60年代末期の時点でオトナ向けの特撮作品『マイティジャック』が人気面でも成功していれば、日本の特撮は子供向けのジャンルにはならずにオトナ向けとしてのオルタナティブ(代替的)な歴史をたどれたのではないのか? といった夢想を逞しくする論法などもあったものだ。
それはたしかに論理的にはアリの可能性ではある。しかし、実際には60年代末期の日本のオトナたちにはそのようなモノを受容するような畑自体がなかっただろう。SF・未来・ハイテクメカ・宇宙・タイムトラベル・超能力・4次元といった超常的なガジェット(小道具)を用いた娯楽作品を水や空気のように摂取して育った初の世代は、いわゆる1960年前後生まれのオタク第1世代=新人類世代からであろう。
戦前にも『少年倶楽部(しょうねんクラブ)』という雑誌があって、そこで海野十三(うんの・じゅうざ)などが児童向けSF小説を連載して大きな影響を与えていたことも事実なのだが、アレはやや裕福な家庭の子供たちだけが読めていた定期刊行物なのであって、私事で恐縮だが戦中世代の筆者の父母や親戚たちの中で『少年倶楽部』を読んでいたという人間には会ったことがない(汗)。
SF的または非現実的なモノを一概にバカバカしいとは否定はせずに、娯楽の一種として摂取するような土壌自体がそもそも一般大衆のオトナ側にはなかった1968(昭和43)年という時点では、作品自体の純クオリティーともまた別に『マイティジャック』という作品に浮上の目はなかったようには思うのだ。
そして、この『マイティジャック』には純・内容面においても実は問題点があった(汗)。飛んで80年代末期。家庭用ビデオが急速に普及してレンタルビデオも大盛況となった時代に、『マイティジャック』も幾本かの話数はビデオ化がなされて店頭に並んだのだ。そして、同作のリアルタイム世代ではない特撮マニアたちもこの時期に本作の初鑑賞を果たしたワケだ……。
しかし、「幻の名作」であったハズなのに、何度も繰り返して再視聴をしてみても間が抜けた展開&演出に終わっており、あまりにもタイクツで途中で眠気に襲われてしまった……。コレが80年代末期にすでにマニアとなっていた世代人たちの共通体験ともなっている(爆)。
とはいえ、このようなイベントでの展示でもなければ、『マイティジャック』という作品自体を露出して、世間一般なり下の世代の特撮マニアたちにも啓蒙していくことができないワケであり、埋もれている特撮ジャンルの異色作として周知にコレ務めることにはもちろん異議はないのだ。
『ウルトラマン80』に登場した宇宙戦艦スペースマミーも見たかった!
ただし、マイティ号ともまた別に展示のスペースさえ許せば、『ウルトラマン80』に登場した怪獣攻撃隊・UGMが保有していた巨大な宇宙戦艦スペースマミーなども展示してほしかったモノである。
2年ほど前の2010年4月に放映されたばかりのCS放送・ファミリー劇場『ウルトラ情報局』2010年5月号においても、この番組の構成・監督を担当していた特撮ライターにして第2期~第3期ウルトラシリーズ各作を1990年前後からすでに擁護してきた秋廣泰生(あきひろ・やすお)個人の趣味で実現したのだろうとも思われる(笑)、スタジオのカメラ手前に全長数メートルはあろうかという巨大ミニチュアがデカデカと飾られたことで、スペースマミーのミニチュアはその美麗な姿のままでの現存が確認されてもいたからだ!
とはいえ『80』のメカニックも、この博物館の中では決して軽視されてはいなかったことは指摘しておきたい。現有の戦闘機にも近いフォルムを持っているUGMの戦闘機・スカイハイヤーなどもキチンと展示はされていたのだ!
余談だが、このスカイハイヤー。放映当時に発売されたポピー(バンダイの子会社。のちにバンダイと合併)製の玩具では、戦闘機から戦車形態へと変型ができたようだ。劇中ではついぞ見られなかった戦車形態なのだけど、なにゆえあってのことであろうか?
先にもふれた『円谷プロファンクラブ』会報Vol.71での連載『重箱の隅のまた隅(33)~円谷プロ・裏街道の30年~』「第十九章『ウルトラマン80誕生!』」によると、山口修(やまぐち・しゅう)によるUGM戦闘機のシャープな元デザインは、玩具会社によって武骨にリファインされてしまったというのが事の真相であったらしい。江藤センセイご自身はそれを残念に思ったとのことだそうだが。
戦車形態が登場しなかったのは、現場サイドからの玩具会社への意趣返しなのか(汗)、単にミニチュアの変型ギミックの製作が間に合わなかっただけなのか?
ただ、個人的には先にも語ったように、特撮業界は玩具業界とも共存共栄すべきであって、子供たちの趣味嗜好&流行・空気にもダイレクトに顔を向けている玩具業界の意見にこそ耳を傾けるべきだとも思うのだ――もちろん、玩具業過に全面屈服しろ! などといった極論なども云わないけど(笑)――。自分の中の子供心に聞いてみても、リアルであるかはともかくとして、戦闘機が戦車に変型するギミックがあった方が、往時もっとスカイハイヤーを好きになれたような気もするのだ。
今見るとたしかに現有戦闘機に近しいフォルムでカッコいいとも思うのだが、児童であった当時はスカイハイヤーのことを「地味だなぁ」とは思ったし、2機に分離・合体するUGM戦闘機・シルバーガルの方がやっぱりカッコよく思えてスキだったものなので。
加えて、スペースマミーのミニチュアが現存していたのならば、やはり昭和ウルトラとは地続きの世界観・時間軸で、『80』の25年後の世界を描いていた『ウルトラマンメビウス』でも、スペースマミーを再登場させてほしかったものだ!
太陽系圏内の宇宙空間をパトロールする怪獣攻撃隊・クルーGUYSの戦闘機に、悪い宇宙人の円盤群が襲ってくる!
しかし、大ピンチのそのとき、UGMのワンダバBGM、もしくは『80』エンディング主題歌『レッツゴーUGM』のイントロダクションに乗って、GUYS配下に再編成されていた元UGMのオオヤマキャップ(隊長)かイトウチーフ(副隊長)が操艦しているスペースマミーが颯爽と登場!!
――スペースマミーのミニチュアがデカすぎて今の狭い特撮スタジオには格納できる余裕がなかったから、再登場が見合わされたのであろうか? スケール違いの小さなスペースマミーのミニチュアなども残存してはいなかったのであろうか? まぁ、オオヤマキャップ(中山仁)やイトウチーフ(大門正明)に対する高額なギャラの支払ができない! といったようなお財布事情はアリそうだけど(笑)――
ついでに云えば、このスペースマミーも出撃している『80』#37「怖(おそ)れていたバルタン星人の動物園作戦」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110108/p1)――云われているほど、悪いエピソードではない。いや、今になって観返してみると、むしろ面白いエピソード!――において、セリフでのみ言及されていた、直径10キロにもおよばんとする火星の近くに造られたという第5番目の大円盤状の「惑星間宇宙基地」についても、『メビウス』でこそ映像化してほしかったものだった!(笑)
「超人エリア」×「70年代特撮変身ヒーロー」!
その次の「間」(部屋)は、たしか「超人エリア」。
・初代ウルトラマンや帰ってきたウルトラマンの飛び人形(飛行シーン用の人形)
・壁面には、初代マン・セブン・ウルトラマンキング・ウルトラマンエイティの顔面マスク
などが飾られていた。
マン&セブンのマスクには、成田亨(なりた・とおる)によるデザインだとも明記されていた。
そして驚くべきことに、ウルトラマンキングについてもキチンと正しく、濃ゆいマニア諸氏には常識ではあってもヌルオタ諸氏には知られていないであろう(失礼)、特撮美術デザイナー・大澤哲三によるデザインだとも記されていたのだ!
ただし、エイティについては、特撮美術デザイナー・山口修によるデザインであるとは記されてはいなかったような気がする(自信ナシ)。もしも記憶通りであったのならば、片手落ちだと主張したい!(笑)
もちろん、キングのマスクは近年の吸収合併騒動のついでで、期せずして円谷プロの一部門として編成された造形会社・ビルドアップの造形家・品田冬樹の手によって、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)合わせで、元のデザイン画に忠実に新たにカッコよく造形され直して以降に使用されつづけているモノではなかった。
新造形のキングのマスクに慣れてしまった目で見ると、目が小さくて両眼も離れていて今となってはややダサくも見えてしまう、『レオ』に初登場した時点での形をした旧型マスクなのであった……(ひょっとして当時のオリジナルであろうか?)。個人的には(そして多分、多くのマニア諸氏も)、『ウルトラ銀河伝説』以降に新調されたキングの新たなマスクの方がカッコいいと感じているとも思うのだ。
悪ノリして云わせてもらえば、『80』終盤の#49「80最大のピンチ! 変身! 女ウルトラマン」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210307/p1)にて初登場したウルトラの女戦士・ユリアンのマスクも、品田冬樹センセイあたりが新規造形してくれないものであろうか? もうちょっと小顔で両目は大きくして鼻と口は小さくし、アニメ絵の美少女キャラのように(汗)。具体的には往時は有名であった自主特撮映画で、現在も断続的に続編が製作されているらしい特撮仮面巨大ヒロイン『マイティレディ』(83年)みたいなお顔の感じで一丁!
――ちなみに、両目は大きくして鼻と口は小さくするキャラデザは、日本のアニメや漫画ジャンルでは80年代中盤には早くも定着しているが、直接には芦田豊雄(あしだ・とよお)がキャラデザを担当した女児向けアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(82年)が始祖。間接的にはその前史として80年前後に漫画マニア(原オタク)間で小流行した、当時の人気漫画家・吾妻ひでお(あづま・ひでお)センセイなども関与していた70年代少女漫画絵の派生形である同人誌『シベール』(79年)などに端を発するロリコン漫画ブームが源流であろう(もちろん、世代的にも筆者は未見だが)。そして、82~84年にかけては月刊エロ漫画雑誌各誌の絵柄も劇画調から今でいう美少女アニメ調へと雪崩を打ったように急速に置き換わっていったのだ(爆)――
その他には、70年代前半のいわゆる変身ブーム(=第2次怪獣ブーム)時代の特撮変身ヒーローたちのマスクが、次の通路の両壁面に飾られていた。
円谷プロ作品であれば、
・『ミラーマン』(71年)
・『ジャンボーグA(エース)』(73年)
・同作に登場した2号ロボ・ジャンボーグ9(ナイン)
・『ファイヤーマン』(73年)
などの巨大ヒーローたち。
・『トリプリファイター』(72年)
・その合体変身前の3戦士であるレッドファイター・グリーンファイター・オレンジファイター
といった、人間サイズの円谷プロ製作の変身ヒーローたちもいた。ピー・プロダクション作品であれば、
・『スペクトルマン』(71年)
・『快傑ライオン丸』(72年)
しかし、続編『風雲ライオン丸』(73年)のマスクはなかったと思う。その次作『鉄人タイガーセブン』(73年)と次々作『電人ザボーガー』(74年)もなかったと思う。
コレら変身ヒーローのマスクには、ボディーのスーツ部分がなかった。おそらくは人間が着用していたのでゴムの部分が汗で痛んでカビが生えてきたりなどの理由で、切断されて破棄されてしまったのだろうと推測する。
ただし、天下の大東宝によるTV特撮の巨大ヒーローである、
・『流星人間ゾーン』(73年)
コレのみマスクと一体化された上半身&ツーピース仕様であった下半身のスーツがナンと現存! 全身立像での展示ではなかったけれども、ボディーはていねいに折り畳まれて展示されていた。
「超人エリア」と同じスペースであったかは失念したけど、怪獣映画『ゴジラ対メガロ』(73年)に登場した正義の人型巨大ヒーローロボット・ジェットジャガーもあった。
ちなみに、往時は何の伏線もリクツもなしに物語の終盤で巨大化してみせるジェットジャガーといった作劇が、70年代末期~80年代までの特撮マニア間では大いに罵倒されていた。それもまた仕方がないとも思うけど、筆者は小学生ではなく幼児の時分にこの巨大化を目撃したので、往時はそこに疑問を感じることなどはなかった――どうぞ罵倒してください(汗)――。
ところが、1970年前後生まれのオタク第2世代が成長した1990年代以降になると、特撮評論同人誌や不定期刊行雑誌『ゴジラマガジン』(勁文社・92~96年・ASIN:B00BN0GOYC)などで「子供向け作品としてはコレはコレでよかったのではなかろうか?」「今で云う『ネタ』的には面白いのではなかろうか?」(大意)などといった『ゴジラ対メガロ』やジェットジャガーに対する再評価もはじまるようになる……。
このスペースの展示物に対しても、
「ウルトラマンティガ(96年)しか分からな~い」
などと連れの男性にのたまっている若い女性客がいる一方で、
「ミラーマンはミラーナイトの元で、ジャンボーグAはジャンボットで、ファイヤーマンはグレンファイヤーで……」
などと両親に解説している小学生などもいて、その父親が母親に対して、
「ほら、わかってるよ……」
などとのたまっている微笑ましい光景も見られた――きっと歳若い父親の方が世代的にも元ネタがキチンとわかっていないとは思うけど(笑)――。
この一例だけをもってして、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』に登場した、新しい宇宙警備隊こと通称ウルティメイトフォース・ゼロのヒーローたちであるミラーナイト・グレンファイヤー・ジャンボットの元ネタを知っている少年の存在が一般的・普遍的でもあるのだ! ……なぞといった結論はまったく導けはしないけど(笑)、そーいう子供も実在していたという証言だということで。
「赤い通り魔」(爆)こと『レッドマン』にこそ、「特撮」ジャンルの本質を見る!?
往年の日本テレビの平日早朝番組『おはよう! こどもショー』(65~79年)の枠内にて放映されていたミニ番組であった、
・『レッドマン』(72年・円谷プロ)
・『行け! ゴッドマン』(73年・東宝)
彼らのマスクまでもがあった。『レッドマン』も今では低予算の脚本なし、岩場というか造成地でのぶっつけ本番撮影の数分間の「怪獣殺戮ショー」(笑)として一部では名高く、ネットの無料動画配信サイト隆盛の当今では若いオタの一部にも「赤い通り魔」(爆)としてネタ的に流通していたりする作品ではある。
ただ放映当時、幼児であった身にしてみれば(歳がバレるなぁ)、チャチいという気持ちもなくはなかったかもしれないけれども、ヒーローと怪獣が出てきてドッタンバッタン組んずほぐれつの格闘を演じてくれれば、子供心にそれだけで満足でコーフンしており、毎朝毎朝その時間帯が楽しみで楽しみで仕方がなかったものである(笑)。
コレは別に「ネタ」として「笑い」を取ろうという「座興」で書いているワケではない。
「特撮」ジャンルの本質とは何なのか? 高度な「テーマ」や「ドラマ」を語るための手段としての「特撮」であったのか? 「SF」を語るための「特撮」であったのか? 「テーマ」を語るための「特撮」であったのか?
そーいう高尚なモノに奉仕するため、「文学」や「SF」を下支えするためのモノであったのか? もっと云うならば、「特撮」はそれらのジャンルの下位として従属するしかない、劣位な存在に過ぎなかったのであろうか?
いや、きっとそーではなかったハズである。
「日常」にはなかなかアリエそうにもないモノ。あったとしてもレアなモノ。
・珍奇でスペクタクルな天変地異などの光景!
・ヒーローや神々や怪物などの異形の姿!
・そして、それらのアクロバティックな体技や超能力!
そういったものの「美」なり「醜」なり「神々しさ」や「いかがわしさ」などを覗き見してみたい! 「破壊」や「破滅絵図」なども覗き見してみたい! などという、いささか不謹慎な願望に沿ったものではあるけれども、つまりは「見世物」興行の延長線上にこそ、「特撮」ジャンルというものの本質があったのではなかろうか?
そうであるから、「特撮」ジャンルにとってはドラマやテーマなどは実は不要でもある! なぞという極論を云いたいワケでもない――ドラマやテーマなどがなくても、『ウルトラファイト』や『レッドマン』のように作品として成立してしまうのが、「特撮」ジャンルというモノなのかもしれないとは思うけど――
ドラマやテーマはあってもイイのだが、それらは「特撮」ジャンルにおいては、「特撮」という見せ場に奉仕すべき「従」の存在であるべきなのだ。従って「特撮」ジャンルにおける作劇も、つまりはドラマやテーマも「特撮」(にまつわる諸々)という「見せ場」が効果的に盛り上がるように、それらがクライマックスとなるように、奉仕すべく組み立てられるべきなのだ。
「特撮」ジャンルとは、プリミティブ(原始的)で文字通りのフィジカル――物理的・肉体的――な、視覚的・身体的な快感・驚き・喜び・恐怖などの情動を喚起することこそがその本質なのである。その本質に自覚的であるならば、「特撮」作品における「作劇」とはそのように組み立てられて、また同時にそのように「批評」されるべきモノなのではなかろうか?
だからこそ、あえて映像のディテールや「特撮演出」、ヒーローのマスク・怪獣・メカのデザイン&造形、そしてそれらによるアクロバティックな体技などの「アクション演出」にも注目して、これらを言語化していくべきではなかろうか? 近年の筆者はそのようにも考えているのだ……。
それから次の「間」までの短い折り曲がった通路には、比較的に近年の作品である怪獣映画のミニチュアが展示されていた。
・平成ガメラシリーズ最終作『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99年)における、渋谷の某商業ビル前の道路に沿って立つガメラ!
・映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年)における、横浜の煉瓦倉庫の前で激突するウルトラマンメビウスvs海獣ゲスラもといキングゲスラ!
もちろん、劇中では破壊されてしまった建築物なのだから、撮影当時のミニチュアが残っているハズもなく、今回のためにワザワザ新造したというワケでもおそらくない、何か別のイベント用に過去に製作されたミニチュアの流用展示なのだとは思われる……。
新作特撮映画『巨神兵 東京に現わる』!
そこから先の右に折れ曲がったすぐ先のスペースには、上映時間が約9分だかでご見物衆をドンドンと回転させていく本イベントの目玉でもある、映画『巨神兵(きょしんへい)東京に現わる』の上映スペースがあった。
観客で満員になっているために、音響と銀幕の光が漏れてくるのみで、その先のカドを曲がれない(笑)。よって、次の上映回を待つことにした。
待つこと数分。入ってみると、映画館で例えれば100席程度しかない長方形の平面スペース。前方の1/3程度に7~8列程度のイスを並べて、残りの2/3は立ち見で観てください……といった風体になっていた。
アッという間に満員となって上映を開始する。
少女性を残しつつも、元気いっぱいでキャピキャピとした少女像とは程遠い、あるいは娘ムスメしていて甘ったるくてオトコに媚び媚びとしたボイスとも程遠い、血液温度&テンションも低めでボソボソとした小声のささやきウィスパーボイスによるナレーションがはじまる。
00年代オタク系・饒舌系文体の人気小説家・舞城王太郎によって書かれたというモノローグが、ホントはテンション高めの元気いっぱい声優なハズなのに、あえて無気力にモゴモゴとしゃべってみせている(笑)、大人気巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)のヒロイン・綾波レイ(あやなみ・れい)を演じていた往年の大人気声優・林原めぐみによって延々とつぶやかれていく……。
白昼屋外でのオープン撮影によるミニチュア・ビル群の先頭の突起に囲まれた上空に、全長数百メートルどころか1キロメートル程度はアリそうにも思える超巨体である「巨神兵」1体がウツ伏せの体勢で中空に浮遊したかたちで突如として出現する!
地面に降り立ちノソノソと歩きだすや、小さな顔面の小さなお口の中から、銀色メカの細長い銃口が変型しながら突き出してきて、強力なビームを発射!!
あたりを薙ぎ払うように放たれた、ヨコ移動していく光線の着地点には、ドカドカドカドカとCG火炎ではなくモノホンのガソリン火炎大爆発が起きていく!
一面ガラス張りの近代的なビルのガラス窓が一斉に割れるや、専門家による爆薬でのビル解体の記録映像のように、瞬間的にビル全体が真下に向かうように一挙に倒壊していくサマも実に圧巻!
デパートの中層階を熱線ビームが横断するや、コンクリの外壁や内壁だかが高熱によって融点を超えたのか、オレンジ色のマグマのようなドロドロとした粘着質な液体がドバッと大量に飛び散ったりもしている!
まぁ、シニカルに見れば80年代以降のアニメであれば既視感もあるようなビジュアルイメージだとも云えはするのだけど、だからこそ実写特撮でもメンドくさがらずに押さえておくべきであった普遍の王道だともいえる破壊美の映像ではあるのだ!
都市破壊や戦争という事実をリアルに真摯に受け止めるべきだと云うのならば、このような映像を楽しんでしまう心性は「不謹慎」だとさえ云えるだろう。しかし、そのことの是非はいったんカッコにくくって棚上げにすれば、「巨大な物体が動いていくだけでも存在してしまう絵的な迫力」と「破壊のカタルシス」、そしてそれに伴なう「荘厳の美」や「終末の美」といったモノもたしかにあるのだとも云えなくはないのである。
まぁそれは、「炎」の絵がウマく描けるようになったと、妻子が屋内にいるのにも関わらず自宅が火災にあったことを喜んでもいる(爆)、古典『宇治拾遺物語』の「絵仏師 良秀」(芥川龍之介の小説『地獄変』の原案)のような狂気と化していく可能性もゼロではないのかもしれない――「絵仏師 良秀」がコレまた、学生時代にバス停でライターの炎を見ながら「炎のゆらぐサマ」を研究していたという庵野の先駆者のような御仁でもあるよなぁ(汗)――。
今回のイベントが昨2011年の開催であったならば、同年3月11日(金)に発生した東日本大震災に配慮して、この短編特撮映画も製作中止になっていたのかもしれない。
このように「特撮」ジャンルとは甘美で適度な毒をもハラんだ、怖いもの見たさのジャンルでもあるのだろう。つまりは「特撮」とは、実は本質的には「不謹慎」なジャンルなのだと開き直ってもイイのではなかろうか?(爆)――
そのうちに、暗闇と炎に覆われてしまった大地を、その手には光の剣を持った量産型の巨神兵たちが大挙して、遠方からカメラの方に向かって闊歩して来る、実に絶望感にあふれたサマが描かれる。
要は現代文明が終焉したあとの遠未来、中世のような社会に回帰してしまった人類の姿を描いていた往年の名作アニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年)で、人類の文明をいったんは滅亡させて腐海の底へと沈めてしまった巨神兵たちによる「火の七日間戦争」。その発端は現代の東京にあったのだと仮定した作品ではあるのだけど、もちろん『ナウシカ』を知らない人間が観ても楽しめる作品にはなっていた。
あとからケチを付ければ、東西冷戦の真っ只中で製作されて、ドコとなく「火の七日間戦争」とは東西2大国のいずれかの新兵器だったのだろうという感触を残していた『ナウシカ』の巨神兵と、平和な世界に突如として空から降って湧いたように出現してしまった本作の巨神兵とでは、やや不整合な感があるとも云えなくはない。
しかし、設定の整合性を厳密に求めてみせるような作品ではないのだし、あくまでも『ナウシカ』の「巨神兵」を活躍させることそれ自体、そしてその「都市破壊」を描くことそれ自体が目的の「特撮映画」なのだから、そのあたりについてはご愛嬌ということで済ませてもイイだろう。
新作特撮映画『巨神兵 東京に現わる』のメイキング映像も!
この映画のシーンの一端は、開催前後の7月に放映された宣伝特番でもメイキングシーンを含めて流されていた。あえてCGやデジタルを使用せず、むかしながらのアナログな手作り特撮(特殊撮影)にこだわるとのことだった。
半信半疑であったスレた特撮マニア諸氏も多かったことであろう。さすがにいくら何でもオール・アナログ撮影、アナログ合成ということはないに違いない。若干は、あるいは細部にCGも使うにちがいない……と。
実際に本編の映像をこの会場で直に観てみても、冒頭で舞っている火の粉はCGだろう、爆発キノコ雲などもCGなのだろう。……と思っていたのだが!
その次であったか、その次の次の「間」であったかが、『巨神兵 東京に現わる』のメイキングビデオの間になっており、そこで特撮マニアにとっては衝撃の事実が明かされる!(笑)
冒頭で舞っていた火の粉はナンと実際にも「粉」を舞わして撮影し、キノコ雲のシーンもナンと綿(わた)によるミニチュア表現であって、ワイヤー(ピアノ線?)で引っ張ることでキノコ雲の上昇や拡散を表現していたのであったのだ!
ヒエェーー-ッ! そうだったのかぁ~~! ……まったく見破れませんでした~~! CGだとばかり思っていました~~!(汗)
とはいえ、「CG特撮」ではなく「手作り特撮」であったのだ! とは見破れなかったという「ミニチュア特撮」。コレを素晴らしいモノ、イイ意味でゼイタクで豪華なモノだとして見るのか、それとも「CG」の方が低予算で済んで同等の効果が得られるのであれば、やはり「CG」でイイと取るかは、個人の趣味の問題ももちろんあるのだけれども、ゼニ勘定の計算としては時に後者になるのは否めないとも思うのだ。
「特撮」ジャンルそれ自体を賞揚してきたのにナニではあるけど、筆者個人は貧乏性の人間でありアナログ特撮至上主義者というワケでもないので、予算の多寡によっては後者の立場に組みすることにはなるだろう。「ミニチュア特撮」は「特撮」にとっては重要な一要素ではあっても、必ずしも常に必須である要素ではないとすら思うし、同等の映像効果が得られるのであれば実景との「デジタル合成」や「CG特撮」に代替されても構わない。
ただし、チャチではない真にリアルな「デジタル特撮」や「CG特撮」を作るとなると、結局は「ミニチュア特撮」よりも金銭・人員数・時間もかかってしまうという話もあるのだけど(汗)。
そうなると安価で製作せざるをえない本邦日本特撮から「ミニチュア特撮」が完全に廃れることもないのではなかろうか? あとはデジタルでミニチュアのビルを増やして合成したり、背景ホリゾントの天井側をデジタルで青空に変えたりしてセットを高く広く見せたりもする。結局は比較的に安価で済ませられるセット撮影でのアナログを主体としてそれとデジタルとの併用で収まるのではなかろうか?
具体的には、人間体型の超人キャラクターなどはCGでの表現ではやはり違和感が生じてしまうので、そこについては旧来のスーツアクターに演じさせるアナログ特撮の延長線上にてやりくりしてほしいモノなのだけど、「火の粉」や「キノコ雲」などであればムリにアナログにはせずCGやデジタルで代用して、浮いた予算&時間を別の方面へと振り向けた方がイイのではなかろうか?(笑)
同じくこの「メイキングの間」(仮)には、
・『巨神兵 東京に現わる』の絵コンテ
・『風の谷のナウシカ』における巨神兵登場シーンの原画
などが展示されていた。今や古典の域に達している世界の宮崎駿カントクの出世作『風の谷のナウシカ』製作時における、アニメマニア間では知られているが、庵野カントクもとい庵野館長が作画を担当していた巨神兵のアニメ「原画」である。
当時はアニメスタジオに寝泊まり(汗)していたという庵野を、
「庵野、もっと早く描け!」「もっと仕事しろ!」「寝すぎだ!」
などとドヤしつけるメモ書きが記された、天下の宮サン直筆による当時の伝言メッセージ、というか似顔絵・落書きの紙片も数枚飾られており笑ってしまう。
一番最後は、広大な吹き抜けのフロアに特撮ミニチュアによるビル街を設置したスペース! そこでの撮影は自由に可となっていたのだけれども、大勢の観客が隙間なく周囲を取り囲んでいるために、彼らを避けてミニチュアのみを被写体に収めるような撮影は実質的には不可能なのであった(笑)。
「特撮博物館」の客層に思う「特撮」の未来!
コレは決して批判ではないのだが、今回のイベント名それ自体に天下の「庵野秀明」の名前を入れてみせた手法は、70年代末期~80年代初頭にかけての月刊『アニメージュ』誌の編集長にして、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫による入れ知恵でもあったのだろうか?
純粋に「特撮」というお題目だけでは、人々をここまで大勢は集められなかった可能性は非常に高いだろう。しかしココに、かの『ナウシカ』における「巨神兵」の作画なり、『エヴァンゲリオン』の監督を担当してきた「庵野秀明」の名前を入れれば、あら不思議。お文化なものにも多少は関心を持っていた層や、オサレ(オシャレ)・サブカル層あたりであれば、庵野の名前は知られていたワケであって、まさに「庵野秀明」の名前によって、そちら方面からの動員が見事なまでにできていたのだ!
そこに複雑な想いもなくはない。しかし、それは必ずしも悪いことでもない。やはり良くも悪くも純然たる「特撮」の看板だけでこのイベントが開催されていたとしたならば、客層は男児がいるファミリー層なり、我々のようなスキ者のマニア層だけに限定されてしまって、それ以上の広がりは見せなかっただろうとも思うからだ。
『エヴァ』が90年代後半に大ブームとなった折りに、「『ヤマト』や『ガンダム』を超えた!」ばりの主張をする当時の若い論者がいたものだけど、「いやいやいや、待ってくれよ。オタク差別がなかった時代の『ヤマト』や『ガンダム』はクラスの男女のほぼ全員が観ているような作品で『エヴァ』どころじゃなかったんだヨ!」などと思ったものだった(笑)。けれど、今となっては人気面でも興行面でも『エヴァ』の方が圧倒的にステータスが高くなって歴史にも残っており、複雑な気持ちにさせられる。
もちろん、『エヴァ』という作品自体も優れてはいる。しかし、『ヤマト』や『ガンダム』は人間集団・社会・敵国を描いた群像劇で登場人物も多かったからこそやや難解だと捉えられて、『エヴァ』の方は敵も人格が備わっていない巨大怪獣であり人間関係も私小説的に狭くて主要登場人物の数も少なかったのでやや理解がしやすかったからこそ後世にも残ったのだ……という気がしないでもないのだ――20世紀の『エヴァ』ファンとは異なり21世紀の『エヴァ』ファンは作品世界に散りばめられた難解なナゾ解き要素には反応していないように見えるあたりもその証左――。
オタクが圧倒的メインの参加者である同人誌即売会などではあまり見かけない男女カップル客などもけっこういた。もちろん、こーいうイベントに出張ってくるような人種であるからには、体育会系であったり街で遊んでいたりするようタイプではなく、文化的なモノにも最低限は関心がある人種ではあるのだろうけど、デートがてらに観覧しているとおぼしきお文化な男女カップルなどもいたモノだ。
そして、まったく嘆かわしいことに……もとい、うらやましことに(笑)、男女混合の集団で来ている若者グループなぞもいたりする。おそらく割引チケットなどが配布された美術・服飾のデザイン系専門学校のサークル仲間や同級生たちが連れ立って来ているのではなかろうか?
我々のようなコアでヘビーユーザーなオタクばかりではなく、その周辺にいるライト層をも動員できなければ、この手のイベントを、引いては「特撮」ジャンルそのものを幅広い層に拡大・越境して浸透させることもできないのだ。そして、このイベントを鑑賞後の彼らの心に少しは何かが残って、自分たちの子供が特撮変身ヒーロー作品を観たいと云い出したときに、
「『ディズニー』はオシャレだけど、『戦隊』とかはダサくてオタクっぽいからイヤ~」
などというような態度を取らせずに(笑)、自由に観させてくれるのであれば、次代の特撮ファン・特撮マニアの拡充に益することにもなるだろう。
――私事で恐縮だが、仕事関係で立ち寄った北関東の某所で昼食を取るために入店した郊外のファミレスで、コレからレンタルビデオ店に行こうとしているヤンキーなママが幼児の息子に前述の発言をしている光景を数年前に目撃したことがあったのだ。おそらく、そーいう趣味カーストから特撮変身ヒーローものを見せていないようなファッション&スイーツなママ層も相応にはいるのだろう(汗)――
それはともかく、1960年代の東宝特撮や「第1次怪獣ブーム」で育ったオタク第1世代や、1970年代前半の「変身ブーム」(=「第2次怪獣ブーム」)世代が40~50代に達して、このようなオタク企画にもGoサインを出せる管理職の立場になったということをも、今回のイベントは意味している。
60年代末期に「大学生にもなってマンガを読んでいる!」なぞと世間を嘆かせていた、オタク第1世代よりも10歳強上である終戦直後生まれで「右手に『(朝日)ジャーナル』、左手に『(少年)マガジン』などと称された「団塊の世代」がすでに定年退職をするような時代(後日註:2012年現在の話)に突入しているワケだから、考えてみれば当たり前のことではある。
それは喜ばしいことでもある。しかし、逆の方向に眼を向けてみれば、若い世代の特撮マニアが育っていない……ということはないのだとしても、60年代後半の「第1次怪獣ブーム」~70年代末期の「第3次怪獣ブーム」世代と比すれば、そのマスとしての人口はやや少ないワケであり、ジャンルの延命については予断を許さないものがあるのだ。
「特撮」ジャンルを延命させるための方策!
では、どうすればイイのだろうか? 具体的には何ができるのだろうか? 万能薬などはないのだろう。それは関係各位の小さな一歩の総合としてしか果たされないようなことでもあるだろう。
もちろん、最優先事項は個別具体の新作のTV特撮シリーズや特撮映画を製作して観客をゲットしつづけることである。しかし、「特撮」ジャンルに対する援護射撃・カラめ手からの攻め方としては、このようなイベントを展開して「文化」としての「パッケージ」をまとって世間一般の眼をあざむく(笑)。「特撮」ジャンルそれ自体に一定程度の文化的な「権威」も必要悪的に与えて、それをバリアにして延命を図るということもひとつの方策ではあるのだろう。
ただし、それだけでも下の世代は育たない。小さな子供たちを「特撮」というジャンルに誘導して、次代の特撮ファン・特撮マニアに育てあげるには不充分でもあるだろう。よって、やはり年1製作の特撮映画なり毎年製作のTV特撮シリーズで、コンスタントに切れ目なく現今の子供たちにとっての魅力的な特撮ジャンル作品を常に継続的に露出しつづけていくことが肝要だとも思うのだ。
一時的にではあっても途切れてしまってはダメなのだ。往年の第2次怪獣ブームや第3次怪獣ブームはその前次ブーム終息後に数年間のブランクを経て、子供間での待望の果てに復活を遂げたブームでもあった。そして、この数年間のブランクが往時の子供たちにも新鮮味を与えてくれてもいたし、東映で昭和の『仮面ライダー』シリーズを製作してきた平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーなども「シリーズには数年間の休止期間を置くことで新鮮味を出した方がイイ」という趣旨の発言をしていた記憶もある。
しかし、その手法が通用したのは1980年ごろまでではなかろうか? それは例えば、1981~96年までの16年間にもおよぶTV放映形式のウルトラシリーズの長き中断。そして、1990年代前半にはアレほどの大人気を獲得した平成ゴジラシリーズが一時の休止をして、この児童間でのブームの変化も激しい時代に00年前後に復活を果たしてみても、その人気がついに回復することはなかったという事例である。
――平成ゴジラシリーズや平成ウルトラ3部作が終了した90年代後半には、カプセルから召喚したモンスター同士を戦わせる『ポケットモンスター』(97年)とカードから召喚したモンスター同士を戦わせる『遊☆戯☆王』(98年)が大人気となって、怪獣からモンスターへと人気が移ってしまっていたのだ――
そのようなことは百も承知しているが、ミニチュア特撮を必要とする巨大ヒーローや巨大怪獣が登場するような特撮ジャンル作品は、一般のTVドラマや深夜ドラマなどと比較すると、本編と特撮の2班体制になったり在りモノのミニチュアやCGに基地の本編セットなども準備する必要があることから、どうやっても金銭がかかるので製作にGoサインを出すこと自体が困難なのだ! といった問題もあるのだろう。
そうなると、何らかのかたちで低予算でも作れる作品内容&スタッフ体制を達成できる企画なども、模索しつづけるべきだということにもなる。
そのような製作ウラ事情や金銭事情を考慮することなど汚らわしい! 真に斬新な番組であるのならば、小細工など弄せずとも子供のみならずオトナたちをもゲットできる特撮作品を製作できるハズなのだ! といったような意見もあるだろう。それはたしかにそうなのかもしれない。
しかし、斬新さとは何なのだろうか? それもまた、時代に応じて相対的に斬新に見える……といった程度のモノではなかろうか? 人間の想像力・イマジネーションにもおそらく限界があって一定のパターンがあり、一見したところは新しそうに見えたとしても、それは表層の意匠・パッケージだけが新しく見えているだけに過ぎないのやもしれない。名作漫画『サルでも描けるまんが教室』(89年)や英国近世の劇作家・シェイクスピアなども言及している通り、物語の基本パターンは36通りしかないのかもしれないのだ(爆)。
まったく新しいヒーローを誕生させることは可能なのだろうか!?
特撮雑誌『宇宙船』の本年2012年度のいずれかの号で、ベテラン脚本家・上原正三が「いまだに僕が企画から考えた『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』や『宇宙刑事』がつづいている。若いヒトたちは新しいものを作る努力をしなければ……(大意)」などとのたまっていた。
たしかにそのような見解にも一理はあるだろう。しかし、客観的に見れば『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』や『宇宙刑事』もパッケージ・意匠が異なるだけであって「悪の怪人と戦う正義のヒーローもの」で一括りにできる程度のモノだ。もっと云うならば、神話や古代の時代から連綿とつづいている英雄vs怪物の物語パターンとしてカテゴライズができる程度のモノである。真の意味で新しいワケではなかったのだとも思うのだ――まぁ、平成仮面ライダーシリーズあたりだと、タイトルだけが『仮面ライダー』で、内容面では昭和のソレとはまるで別モノといった感もなくはないのだけれども(笑)――。
よって、真に斬新なものなどはナイのではなかろうか? あるいは、仮に斬新な変化球やパターン破りなどの作劇ができたとしても、ソレが単なる肩透かしにしか見えなくて万人の心を打たないのであれば、それは意味がないのではなかろうか? その逆に、アリがちな展開でもそれが万人といわず多数の人間の心を動かしうるモノならば、むしろそれこそが普遍・王道ですらあるのだろう。
しかし、『ウルトラマン』も『仮面ライダー』も『戦隊』も『宇宙刑事』も真の意味では新しくはなくても、歴史のある時点においては表層的には新しく見えたということも厳然たる事実ではある。
・それまでの覆面をカブっただけの変装ヒーローが、日本や先進各国の高度経済成長・人工衛星・月ロケット開発競争などを間接的・無意識に反映していたのかもしれない、金属の銀色の輝きを持ったロケットのような姿をした「初代ウルトラマン」や「マグマ大使」
・大自然の使者としての側面があったとしても、やはりメカニカルなバイクを駆使する黒革のライダースーツを模した改造人間でもあった「仮面ライダー」
・一般家庭内でも普及してきた電子パネルやデジタル時計などとも連動して、メタリックかつ電飾ライトなども施されていた「宇宙刑事」やそれにつづく「メタルヒーロー」
たしかに物語の「深層」面での新奇さではなく「表層」面での新奇さもまた重要なのであった。そして、その目新しいモノ・珍奇なモノこそを見たい! という、ある意味では低劣で幼稚な情動もまた非常に重要なのである。そして、そんな「意匠」にこそまさに「特撮」の本質もあるのだと。
とはいえ、重厚長大な眼に見えてわかる重工業やら電車や自動車から、マイクロチップでブラックボックスでナノテクノロジーやらに、科学がその主役の座を譲われて久しい。しばらくは科学マニアやパソコンオタクなどではなく、庶民大衆・子供でも眼で見てわかるような大きな産業変化や技術革新などが発生することは、今後はもう数百年くらいはナイようにも思える(爆)。
そうなると、それら社会や住宅地の風景までをも一変させてしまうような技術革新の無意識的な反映でもあった特撮変身ヒーローの見てくれの面での大きな変化も、今後はなかなか望めないのではなかろうか?(汗)
現今の子供たちにとっての魅力的なヒーロー像とは何か!?
90年代後半以降の子供向け娯楽作品の新たなスタンダードとなったのは『ポケモン』と『遊戯王』である。我々のようなロートル世代の視線でコレらの作品をお勉強的に鑑賞していると、カプセルやカードから科学的・SF的な説明ヌキでモンスターが現実世界に召喚されてしまうことには少々の抵抗感は抱いてしまう(笑)。
とはいえ、コレは良くも悪くも一般家庭内でも電子家電やケータイ電話が普及しきったあとに、それらがすっかり日常となってしまったことで、我々が子供だった時代とは異なり、現今の子供たちには電飾満載な秘密基地の指令室、スイッチやレバー満載な戦闘機のコクピット、宇宙戦艦の艦橋の壁面などを飾っていた多数の目盛り付きパネルのようなモノに対する「非日常」的なあこがれが、完全にゼロになってしまったのだとはいえないにしても、昭和の土俗的な日常との落差から来るあこがれ・憧憬はガクンと減じてしまったのではなかろうか?
むしろ、宇宙SF的な科学性よりも異世界ファンタジー的な魔法の方にこそ子供たちや若者はワクワク感を抱いているのではなかろうか? そう考えると、科学SF的な原理面では相当にインチキな「カード」や「USBメモリー」や「メダル」や「スイッチ」や「指輪」などの実は同工異曲(笑)のサブアイテムに秘められたパワーを用いて平成仮面ライダーに変身したりパワーアップしてみせている現今は、マーケティング的にも正しいのであろうし、その絶好調な売上も見るにつけ、それらのサブアイテムに対して当の子供たちこそ呪術(汗)に近いようなオーラや憧憬を感じてもいるのだろう。
おそらくそーなのだろうと推測しつつも、このあたりは現今の子供たちが成長してから、自らの嗜好・感慨を客観視して論理的に分解して語ってくれるようになる日まで待ちたい。
ただし、それを悠長に待っているだけでも手遅れになってしまう(笑)。そこで踏み込んで仮説を述べてみたい。
素体となるウルトラマンや仮面ライダーなどのデザインは、現実世界での技術革新の反映でもあるかもしれないので抜本的な変革を求めることはムズカしい。しかし、カプセルやカードといった小型サブアイテムからある意味では呪術的に召喚されてくるパワーや武器などに対しては、実際にも子供たちは心を惹かれているのだ(と仮定する)。
魔法というよりかはやや科学・SF寄りな足場を作品世界に据えてきた「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」にそれらを導入してみせる。
そのための方法論としては、人間の科学よりも進んだ宇宙人由来のオーバーテクノロジーや、現代人よりもはるかに進んでいた超古代文明由来のロストテクノロジーだともしたり、そこにやや科学的・SF的な意匠などもまとわせて、「カード」や「メモリ」や「メダル」などを昭和のウルトラマンではおなじみだった手首のブレスレットや手甲や腕甲のガントレット、あるいは仮面ライダーの変身ベルトのバックルなどにハメると、ヒーローの色や属性や能力が変わったりタイプチェンジをするような作品を今後は継続して製作していった方がイイのではなかろうか!?
怪獣攻撃隊なども戦闘機のみならず合体巨大ロボットなどを建造して、ウルトラマンvs巨大怪獣との戦いにも参戦させた方がイイのではあるまいか!?
ついでに、ウルトラマンも怪獣攻撃隊が製造した鎧(よろい)を着込むなどしてパワーアップしていってもイイのではなかろうか!?
かつての子供たちではなく、現在の子供たちがほしくなるような玩具的な魅力にも満ち満ちた作品を製作して、玩具の売上高も上げることなのだ。
現今の子供たち以外にも「特撮」を越境・浸透させるための方策とは!?
そして、少子高齢化に伴なう子供層のパイの減少が進行している現代日本において、視聴率や関連商品の売上を増大させるためには、やはりメインターゲットである幼児層のみならず小学生も、加えて大きなお友だちでもある我々オタクや女性層や子供たちのパパ・ママ層、オタクの周辺層であるライト層やサブカル層をもゲットするための方策なども望まれる。
OB先輩ヒーローの再登場、イケメン役者のゲット、オサレ系アーティストとの主題歌タイアップによる宣伝、サブカル筋に権威があるビッグネームの投入による話題性。
それらは邪道といえば邪道である。先にも主張した「特撮」のための「SF」や「ドラマ」や「テーマ」といった主張とも矛盾はしてしまう(汗)。しかし、「特撮」至上を原理主義的に試みるだけでもウマくはいかないのだろうとは思うのだ。
本来であれば、特殊撮影こと「特撮」それ自体で、あるいは「特撮変身ヒーロー」や「巨大怪獣」という看板だけでお客を呼び寄せられることが理想ではあるのだ。しかし、100年以上も前の「映画」というジャンル自体の草創期、もしくは70年代後半における『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』などのような前代とは次元を画した「特撮」技術革命を達成して、出演俳優のネームバリューなどではなく、その新奇な映像のパワーとサプライズだけで一般大衆を集客できた時代が再来するようなことがあるともなかなか思えない。
そして、「デジタル特撮」や「CG特撮」は早くも完成の域に達しており、演出家や特撮班やCGディレクターなどのセンスの面ではともかく、「新技術」それ自体で人々を驚かせることができるとも思えなくなってしまったのが今の時代なのだ。
しかし、それはそれで演出家、あるいは特撮班やCG班などの「個人個人」による「絵作り」や「動き」や「タイミング」の「センス」といった属人的なモノに「特撮」ジャンルが再び舞い戻ってきつつあることを意味しているのかもしれない。
むろん映画・映像作品は総合芸術ではある。何が「主」で何が「従」であるかという優先順位は付けつつも、「従」を軽視してもイイ、無視してもイイというのも極論であり暴論ではあるのだ。
「特撮」ジャンルの本質・中核の何たるかについては忘却せずに、その周囲には子供たちが喜びそうな玩具性やB級SF的なウラ設定なども忘れずに配置して、オタク層や女性層やパパ・ママ層の各位が喜ぶようなサブ的な要素も全方位に配置しておく……。
そのような目配せの仕方に、「特撮」ジャンルの未来や「特撮」マニアのあるべき未来もあるのではなかろうか?
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