假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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高速戦隊ターボレンジャー ~平成スーパー戦隊30年史・序章 平成元(1989)年!

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『平成スーパー戦隊30年史 ~序章』 ~『高速戦隊ターボレンジャー』(平成元(1989)年)!

(文・T.SATO)
(2019年10月5日脱稿)


 「平成」などという区切りに究極的・絶対的な根拠などはなく、あくまでも日本列島に住む人間の慣習による便宜的なくくりにすぎない。だから、このような区切りなぞは無意味だともいえるのだけど、それを云い出したら「西暦」や「10年紀(ディケイド)」に「世紀」や「曜日」に「太陽暦」、「元旦」や「大晦日」を1年365日のいつの日にするか? 等々にも、とえあえずメタ(形而上)的・絶対的な根拠などはナイ。
 あくまでも便宜的なモノサシであり、「西暦」を使ったからといって西欧やキリスト教に奴隷的に屈服したワケではないし、「曜日」を使用したからといってユダヤ教イスラエルによるパレスチナへの蛮行に同意を示したことにもならないし、「太陽暦」を使用したからといって古代エジプトの太陽神・ラーに身も心も捧げているワケではナイ。元号・和暦だけは例外で、古今東西の歴史の中でも特段で邪悪極まりない天皇制に屈服・加担することにつながると思い込みたい御仁もいるのだろうけど(笑・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190825/p1)、まぁそのへんのご判断は読者個々人にお任せいたします。


 けれども、ここではあくまでも「平成元年」と「平成31年」を天皇制賛美ではなく、「元旦」と「大晦日」程度の重みで便宜的にくくらせていただく。その上でも自然と醸されてきてしまう、旧左翼のご本尊・マルクスの師匠の哲学者・ヘーゲルが云うところの「時代精神」とか、戦前の民俗学者柳田國男が「明治大正史 世相編」で大文字の歴史年表には載らなくてもその時代の理解に必要であると析出した「時代の空気・気分・風潮」のようなモノも浮かび上がらせてみたい。
 「10年紀」や「世紀」の変わり目、「5周年」や「10周年」などの、やはり人間や陸生の脊椎動物一般の片手の指がたまたま「5本」(笑)であったことから発達したに過ぎない「10進法」に起因する、生物進化の偶然に基づくだけのくくりとも等価の扱い、ムダな賛同や反発ヌキでのフラットな意味での「平成」というくくりで醸される、あの時代を生きた人間の脳裏に自然と醸される、この時期の本邦日本の特撮ジャンルを――ココでは「スーパー戦隊シリーズ」の特徴や二転三転した変遷を――、それにまつわる特撮マニア諸氏や時代ごとの子供たちの反応や言説もふりかえりつつ、つづってみたいと思う。


平成元年(1989年)『高速戦隊ターボレンジャー

子供向けに回帰!(直前5作品はシリアス大河戦隊)


 平成スーパー戦隊のトップバッターは、『高速戦隊ターボレンジャー』だ。「クルマ」・「高校生」・「妖精」・「暴魔百族」。本作の主成分はこの4要素である。


 しかして、コレらのフィジカル(物理的)な4要素の基底部分、あるいは4要素に覆いかぶさる作品世界の空気・フインキ・カラーとして、本作に対して「カジュアル」で「ポップ」で「ライト」な印象を受け取った、当時でもすでに大きなお友だちであったご同輩の特撮マニア・戦隊マニアは多かったのではなかろうか?


 それはナゼか? その直前のスーパー戦隊5作品『超電子バイオマン』(84年)・『電撃戦隊チェンジマン』(85年)・『超新星フラッシュマン』(86年)・『光(ひかり)戦隊マクスマン』(87年)・『超獣戦隊ライブマン』(88年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110919/p1)が、往時なりに子供向け番組のワク内での範疇で連続ドラマ性やテーマ性を重視して、敵怪人もそれ以前のスーパー戦隊作品に顕著であったギャグ怪人・コミカル怪人は鳴りを潜める「シリアス大河戦隊」とでも呼称すべき作品群だったからである。
 『バイオマン』~『ライブマン』で散見された、それ以前のスーパー戦隊と比すればていねいな戦隊メンバー集結劇、それまで一般人であったメンバーがいきなりの召集に対して戸惑い混乱し反発するサマ。話数をまたがって登場するゲストやイレギュラーキャラクター。
 それらは先行して70年代末期から商業誌レベルでも評価や研究が進んでいた国産特撮「ゴジラ」シリーズや「ウルトラマン」シリーズに「仮面ライダー」シリーズなどと比すると、シリーズ生誕年が遅くて各話のゲスト敵怪人のデザインにもコミカルな意匠が採用され、作品の体裁・パッケージがチャイルディッシュでもあったので、やや侮られていた「スーパー戦隊」を持ち上げるのにはとても好都合な要素でもあったのだ。


 ……まぁそれから35年ほども経ってしまった今となっては、そもそも成り立ちからして5人の5原色でカラフルなヒーローが活躍するチャイルディッシュな子供向け番組に、ティーンに達しても幼児期からの強烈な思い入れでこのテの番組に執着しているだけの人種たちが、スーパー戦隊シリーズにも「オトナの鑑賞に堪えうる」、ある程度のリアルさやシリアス性にドラマ性を望むなどというのは、トンデモなく「ナイものねだり」な行為であったとも、自己批判の意味での後出しジャンケンで総括できるようには思うのだけれども(笑)、それがあの時代のスーパー戦隊ファン、あるいは80年代のイケてる系の若者文化に参入できなかった、今で云う非モテのキモオタである戦隊シリーズも観るような特撮マニアの全員とはいわずとも多くが抱いていた望みであったと思う。


 その望みは『バイオマン』~『ライブマン』である程度までは果たされた。コレは自然発生的な事態ではなく、具体的には1982年の『大戦隊ゴーグルファイブ』からスーパー戦隊を担当するようになった東映鈴木武幸(すずき・たけゆき)プロデューサーの意向によるモノでもあったことが証言からも判明している。
 それすなわち、遡ること1970年代後半に当時としては連続ドラマ性やテーマ性が高い故・長浜忠夫カントクによる子供向けロボットアニメ『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(77年)や『闘将ダイモス』(78年)などを氏が担当した際に、総集編映画『宇宙戦艦ヤマト』(77年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)の超特大ヒットで勃発した第1次アニメブームとも連動して、原・オタク族でもある当時の中高生の男女マニアたちに美形キャラ人気や敵味方に分かれた恋愛ドラマなども含めて大いにウケた際の手法の、特撮番組への流用でもあったからだ。


 しかし、シリアスなドラマ性やテーマ性を一応は達成したスーパー戦隊が実現して、それが5作品も続くと細部には不満がありつつも一旦の満足は果たされて、しかして漠然とした「飽き」が来ていたのも、往時のスーパー戦隊マニア諸氏にとっての事実だったかもしれない。そして、それは作り手たちにとっても同じであったのだろう。
 スーパー戦隊シリーズは平成元年(1989年)製作の本作『高速戦隊ターボレンジャー』において、シリアス性を改めて放棄して、5人の5色のスーパーヒーローが活躍するという「ポップ」なコンセプトに立ち帰り、子供向けであることのアドバンテージを再帰的に再発見・再評価をして、そこを押し進めてみせたようにも見えたのだ。


善悪二元論の再徹底」 人間や宇宙人ではなく魔族を敵とした新潮流!


 具体的にはドーいうことか? まずは、「善悪二元論の再徹底」である。
 たとえば、『バイオマン』の悪の軍団はロボットたちの反乱だと当初は位置付けされたが、中盤で実は敵首領・ドクターマンのみ元々は人間であり、自分で自身を改造した悲運で狂気のサイボーグ科学者であったことが判明したり、自分がナマ身の人間であったころに儲けた息子の少年を登場させて彼との絶叫問答をさせたり、ドクターマンもまた自身の息子にそっくりの後継者のロボットを製造したり、首領の正体が人間だと知ったロボット幹部たちも衝撃とともに疑念をいだいて首領の暗殺計画・クーデターを起こすなど、トータルでは「悪」ではあっても決して「絶対悪」ではなく、「悪」の側にも懊悩やドラマがあるというかたちで作品のドラマ性を高めていった。
 『チェンジマン』の終盤では敵幹部たちが敵首領に占領された星々の出身であり、いわば面従腹背であったことが明かされて、彼らがチェンジマンに順次味方するようになっていくサマが描かれた。『フラッシュマン』でも戦隊メンバー全員が幼少時に生き別れた両親を捜すというシメっぽいドラマ性が付与された。『マスクマン』では主人公・戦隊レッドの青年の生き別れた彼女が敵の女幹部となって目の前に立ちはだかりもする。『ライブマン』に至っては敵の幹部たちはかつての学友たちですらある!


 それらと比すると、『ターボレンジャー』の善悪のメンバーは複雑な内面やドラマを抱えてはおらずツルッとしていて、その内面に過剰な凹凸や屈託などは持ちあわせてはおらず、暑苦しくはナイけど素朴な正義感には満ちていて、つまりは悲壮なドラマ性を抱えてはいない――そーいう意味では改造人間とされたことの悲哀・哀愁も微量に込められていた昭和の『仮面ライダー』よりも前の1960年代以前の古典的な覆面ヒーローや少年ヒーローに立ち帰ったモノともいえるけど、そこへの回帰を意図したモノではないだろう(笑)――。
 2万年前の超古代から蘇った敵軍団である「暴魔百族」に至っては、そのネーミングに「魔」の字が付くことからも明らかな通り、とにかく生まれつきの「悪」なのだ。生まれついては「善」であったのに同情すべき事情があって途中から「悪」に転落したのである……などといったドラマ性なぞも付与されてはいない。


 正義の戦隊側も、往年の『電子戦隊デンジマン』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120205/p1)のように先祖がデンジ星人であったから……、『バイオマン』のように先祖がバイオ粒子を浴びたから……といった、物事の重大さがわかっていない子供にとっては「誇り」に思いたくなっても(笑)、リアルに考えれば生死に関わりカナリ重たくて逃げ出したくもなるような、本人たちの自由意志よりも宿命的な血の因縁を感じさせる伝奇的な理由で戦隊メンバーになったり、一部メンバーが戦隊メンバーになることを躊躇することで序盤の葛藤ドラマを構築するようなモノでもない。
 本作『ターボレンジャー』の5人は心根がキレイだからファンシーでポエミーな存在でもある羽を生やした小人の少女である「妖精」が見えるのであり、ゆえに戦隊メンバーになれる資格があり……というか、そのへんのリクツにはあまり深入りせず(笑~中盤回でそのへんの事情も少々明かされるけど)、この少女に象徴されている「大自然の精霊」、ひいては「大自然」、よってこの「地球」を守るためにも戦うゾ! とワリとさっさと決意を固めて、陰鬱に悩むことなく、この時期の「戦隊」特有の細かいカット割りによる映像、敵軍団の大襲撃&反撃によるアクションをテンポよく押し流していくことで、そそくさと初変身を果たして、誰に教わったワケでもないのに華麗に戦いだして武器も使いこなし必殺ワザで敵怪人を倒してみせている(笑)。
 コレにより、リアリズムのヒーローではなくヒーローの全能性・万能性、善悪の攻防を爽快感もある軽妙なバトルでサクサクと気持ちよく魅せていく作品であることも承知させていく。


 ドコまで作り手が意識したのかは不明だが、「戦隊ヒーロー個々人の名乗り」こそ、この時期の30分ワクならぬ25分ワク放映の時代ゆえにか省略はされたモノの、それはリアリズムを重視したからではなく(笑)、その代わりに「組み体操」のように戦隊5人が「人間タワー」を組んだ名乗りポーズ直後の多数の小型火花の同時爆発や、同じく戦隊4人が「人間タワー」を組んで残り1人がその中間の空隙から跳躍突撃をしたりといった、ポップで様式美的な名乗り映像にやはり様式美的なアクションは、本作がリアルな肉弾戦ではなく歌舞伎的で舞踏的なアクションを改めて意図的に狙ったことを感じさせるモノでもあったのだ。


爽やかさ! ~役者・ヒーロー・メカ・楽曲がブースト!


 そして、何よりも爽やかな作品世界の空気感である。
 コレは作り手たちが意図的に狙ったモノでもあるのだろうが、と当時に10代~20才前後の若者像の前代との大幅な変化、そして当時の時代の空気・風潮とも連動したモノでもあったろう。
 高度大衆消費社会に突入した80年代中盤の日本では、70年代における清貧でダウナーな成熟を旨とする四畳半フォークソング的な青春像は急速に過去のモノとなる大地殻変動があった。80年前後に勃発したMANZAIブームともあいまって若者間では躁病的・軽佻浮薄なコミュニケーションが突如として勃興し、老成や落ち着きはダサいとされることで、大学生や社会人になっても軽薄な高校生のようなルックスやメンタルにコミュニケーションを取り続けることが常態となっていくのだ。
――コレはそのまま21世紀の今日にも至っており、先進各国ドコでも同じだという説もあるのでコレが覆ることはなさそうでもあり、バンジージャンプなどの通過儀礼で人々が落ち着いたオトナになっていくような社会は過去のモノとなって、人類史の全体がそのようにも進んでいくようだ(汗)――


 卑近に云うなら、皆がシックなシャツ&Gパン姿でイケてる系とイケてない系の格差が過度に可視化されることがなかった70年代までとは異なり、安価でカジュアルな服飾品や若者向けの美容院も急速に普及することで、上中下で云うならば中以上の若者たちはポップな扮装をしながら都市的空間で戯れつづけることで人格形成をしていく時代となったのだ。
 たとえば、元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)~『大戦隊ゴーグルファイブ』(82年)の戦隊メンバーたちは若者ではあっても、後代から見れば落ち着いてチャラチャラしておらず老成した雰囲気も醸し出している。あの時代の空気を子供ながらに吸っていた今ではオッサンである筆者の当時の若者に対する印象もコレであった。
 21世紀以降で云う「ウェ~~イ」、20世紀の80~90年代で云うところの「イェ~~イ」的な85年に大流行することで90年前後のバブル期のイケてる系の若者文化にまで定着していった「イッキ飲み強制ノリ」な、沈黙恐怖症でムダな言葉遊びも交えて躁病的なコミュニケーションを強迫してくる風潮についての分析は、脱線に過ぎてルサンチマン(怨念)も混じりそうなので、今回はふれない(笑)。


 しかして、そのようなポップでライトでデオドラント(無菌)な80年代中盤の若者文化の中でルックスや髪型に服飾も含めて成長・人格形成もしてきた世代人が――当時だと男子はモミアゲを短く三角に切った短髪が流行。上半身はダボッとした逆三角形で相対的に肩幅を広くご尊顔は小さく見せるブルゾンの上着!――、加えて幼少時から柔らかいモノを食べるようになって顔や顎が細面になった(?~笑)メンツが、はじめて主要キャストとしても登壇したのが本作『ターボレンジャー』であったと私見するのだ。
 レッドターボ・炎力(ほのお・りき)、ブラックターボ・山形大地、ブルーターボ・浜洋平、イエローターボ・日野俊介、ピンクターボ・森川はるな。
 力持ちタイプを一応は仮託されたとおぼしきブラックを除けば、良く云えばみんな爽やかでイヤミもなく素直な人柄が感じられるし、悪く云えばアクがないメンツだともいえる(笑)。イエローはやや三枚目、ブラックもカラーリングやネーミング的にも「気は優しくて力持ちキャラ」が割り振られそうなモノだけど、特に後者を演じる役者さんの声質自体が爽やかな早口という感じなので、結局は爽やかなのである(笑)。
 ピンクは可愛い系というよりもキレイ美人系に寄っていて、それを苦手に思ったマニアの御仁も当時いたそうだけど、筆者個人はバブル期流行のワンレン(ワンレングス)髪型で目鼻もキリッとした彼女のことは好ましく思っていたことも思い出す。見た目でのキャスティングで演技はできないのかというとそんなこともなく、特に媚びてはいないけどお姉さん的なナチュラルな滑舌で、爆風で吹っ飛ばされた際の悲鳴絶叫演技などは歴代戦隊ヒロイン俳優と比してもうまかった(笑)。


 以上は変身前の「中の人」に関する部分だが、同じようなことは変身後のヒーローの意匠についても云える。
 本作の戦隊ヒーローのデザインのメインモチーフは「クルマ」。つまり「自動車」である。戦隊ヒーロー5人のマスク頭頂部~額の部分のデザインは、「クルマ」のフロント部分のイメージとなっていて、両耳もメリこんだタイヤである。ボディーは「ターボ」をアルファベット表記にした際の先頭文字をあしらった大きな「T」字型――やや湾曲してユルい「Y」字型にも見える――の白抜きがボディー前面を占めており、白の配色部分が増えたことで、結果的に「高校生」の年代の若者が変身するのにふさわしい若々しさも感じさせるモノだ。


 そして、オープニング主題歌「高速戦隊ターボレンジャー」やエンディング主題歌「ジグザグ青春ロード」もまた歌詞や楽曲も含めて爽やかなのである――後者の曲名は80年代中後盤に活躍した「ZIG ZAG」という日本の人気ロックバンド名からも着想したのだろう――。
 それまでの「シリアス大河戦隊」のそれがやや重厚・悲壮で、コレは作り手たち昭和10~20年代生まれの世代の意向、もしくは作詞・作曲の外注著名音楽家諸氏も仕事にあたってシリーズの楽曲を視聴して「そーいうモノ」として製作したのであろうけど(汗)、良くも悪くも軽重浮薄でアゲアゲな80年代には似つかわしくない「生命を捨てても大義のために戦う自己犠牲や献身」を賞揚するようなノリが多かった(笑)。それらとは一線を画する爽やかな楽曲を可能とする才能の誕生といった音楽界側の世代交代もあったのであろう。筆者はココにも大きな時代の変化を見たとは云わずとも、今にして思えば感じていたとは思う。


 ココから戦隊シリーズや子供向け変身番組本来の魅力でもあるヒーローやメカロボについても語っていこう。
 戦隊ヒーロー5人が搭乗する巨大ロボに合体する前の巨大メカ群も、5台の巨大なスポーツ車・トラック・ジープ・バギー・ワゴンといった「クルマ」型メカとなっている。変身前のヒーローのモチーフや神秘のパワーの源が「動物」や「伝説獣」に「東洋的な禅」であっても、戦闘機や戦車にヘリコプターといった軍事的なメカに搭乗することで、やや不整合を感じさせていたそれまでのスーパー戦隊とは異なり、本作では初めて戦隊ヒーローと戦隊メカのモチーフが一致したことによるスッキリ感・整合感は大きかった。
 コレらが高速走行しながら合体してヒト型になった直後もローラースケート――当時の大人気男性アイドルユニットであるジャニーズ・光GENJIがもっぱらローラースケートしながら歌唱、子供たちもマネしていたことの影響でもあったのか?――のように両足部分のジープとバギーの車輪部分で高速走行しながら、両足を交互に繰り出して地面を滑走しつづけるビデオ合成の映像が、当時としてはとても絶大なインパクトがあったことを思い出す。
 往時のいつもの狭苦しくて安っぽい特撮ミニチュアセットとはいえ、スピード感・疾走感を強調した合体直前の巨大「クルマ」型メカの走行シーン。なおかつ従来は、戦隊巨大ロボのメカとしての重厚さを出すためか、赤・青・黄の3原色を使用しつつも青主体、または濃紺や黒主体で四角四面のデザインであったそれを、クルマをモチーフとしたことで戦隊巨大ロボの胸当てがレッドの搭乗する巨大スポーツ車型マシンのフロント・ボンネットに該当したことでアールヌーボー・流線型のまるみを帯びて、色彩も赤や白となることで、コレまたやや優雅で爽やかな印象をもたらしている。


 「クルマ」人気や「クルマ」に対する幻想が凋落した21世紀の今日の若い世代には信じがたいかもしれないが、戦後の高度経済成長期に急速に庶民に普及してステータスシンボルともなり、本作放映の89年当時のバブル経済時にも若者間では女性にモテるための神器でもあり、同時期にはラジコンのミニ4駆(みによんく)ブームもあって、子供たちにも大人気であった「クルマ」をモチーフとしたヒーローに巨大ロボ。そこにも勝機はあって、それは本作の戦隊巨大ロボことターボロボの超合金玩具が、それまでのスーパー戦隊史上で最高の54万個(!)の売上を誇ったことからも察せられる。


「クルマ」と「妖精」が水と油だが、その理由とは!?


 とはいえ、本作の2大要素である「クルマ」と「妖精」が水と油であるとの批判は当然成り立ちうる。当時のスーパー戦隊マニア諸氏の本作に対するツッコミどころもそこにあった。
――「生物」という意味の「バイオ』と相反する「超電子」なる語句を組み合わせた『超電子バイオマン』にも、すでに中高生の年齢に達していたマニア諸氏はプチ違和感を抱いていたモノである。今だったならばスーパー戦隊はそーいうB級なネーミングじゃなくっちゃ! と逆に賞揚されそうでもあるけれど(笑)――


 ただ、今にして思えば、そのような大きなお友だちによる『ターボレンジャー』に対するツッコミは、作り手たちもバカではないのだから、もちろん想定の範囲内ではあり、水と油だとわかっていてあえて「妖精」に象徴されるファンタジー要素を投入して、「クルマ」と複合させたといったところだろうとも憶測する。
 それすなわち、敵軍団側のモチーフには時流に沿った目新しい要素を投入したことである。歌は世に連れ世は歌に連れ。東映の変身ヒーロー番組にも時代とは超越した浮世離れした要素もあれば、時代の鏡像としての要素もある。「悪の組織」の存在自体は前者だともいえるけど、「悪の組織」の意匠・パッケージに限定すれば後者だともいえる。


 昭和の1970年代の「仮面ライダー」シリーズは、ナチの残党のような「悪の秘密結社」が地下世界・暗黒街で呪術的に暗躍して社会を裏面から操ったり搾取しようとするイメージがある。それが『イナズマン』(73年)や『ゴレンジャー』(75年)などの悪の組織はメカミリタリ的に戦闘機や戦車も保有する「軍隊」や「軍団」といったイメージとなり、その目的も「世界征服」となっていく。さらに80年代に入るや宇宙SFの隆盛とともに敵は外宇宙からの侵略者にスケールアップして「地球征服」のイメージとなっていく。
 それが80年代中後盤にさらなる変転を見せるのだ。それすなわち西欧中世風異世界ファンタジー風味のTVゲームや洋画などの隆盛である。無限に広がる大宇宙や宇宙戦艦に外惑星などよりも、剣と魔法の西欧中世風異世界の方に人々がエキゾチシズムを抱いてしまうような大地殻変動が先進各国で同時多発的に勃発したのだ。洋画で云うならば、宇宙SFの筆頭『スター・ウォーズ』旧3部作(77年・80年・83年)の番外編にして、大宇宙ではなく辺境惑星にて西欧中世風のローカルな生活を送る宇宙人種族を描いた『イウォーク・アドベンチャー』(84年・85年日本公開)の登場が画期としての象徴だ。


 ナゼにこのような大地殻変動が生じたのか? それは、宇宙に進出するロケットのように銀色の金属の輝きを放って眼で見てわかるような重工業な科学の発展がある程度までは行き着いて、一般家庭内にも炊飯器や電子レンジにラジカセ・オーディオコンポ・ビデオなどの電子インジケーター付きの家電製品がある程度まで普及したところで、それらに対する憧れの念が相対的に目減りして、その代わりに失われた田舎や大自然の方にこそ逆エキゾチシズム(異国趣味)を感じるような倒錯・価値転倒が起こったからではなかったか?
 前近代的で身分や職業が固定されることで不便をかこっても、それゆえにこそ会社員や工場労働者のような誰にでも代替可能な匿名の仕事・希薄な関係ではなく、記名性のある手仕事・職業で濃ゆい1対1の個人的な情緒・親しみ・付き合いも込みでのビジネス関係や人間関係などにも手触りや歯応えが感じられそうな中世社会に、人々が改めて再帰的・直観的に憧れを抱いたからではなかったか?


 それは中世のホントの姿ではない。本気で中世に回帰する気はなく、安全圏からイイところしか見ていない! というツッコミは正当ではあるけれど、高度化・複雑化された現代社会へのアンチテーゼ、その時代ごとに欠落しているモノ、その時代ごとの主流に対する傍流にカウンター・バランサーとしての憧れ&理想を見い出すのも、人間精神や時代精神といった歴史の常でもある。それが大宇宙やデオドラントなハイテク宇宙船から、少々不潔でも色や匂いや濃さといった「生の充実」も感じられる中世へと変転した……といったところが事の真相かとは思うのだ。


 この変遷にはもうひとつの要素もある。宇宙SFや『機動戦士ガンダム』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)に端を発する「善悪相対主義」的なリアルロボットアニメの大流行にやや飽きてきたところで、改めて「善悪」はホントウに相対的なのか? 相対化しようとしてもしきれずに最後に残る「善」や「悪」もあるのではないのか? といった疑念を作品化したような、「善」や「悪」を「仮面ライダー」と「ショッカー」のような小物ではなく、「宇宙創造の神」や「宇宙破壊の悪魔」といった「概念」の域にまでブローアップした作品群の隆盛である。
 日本で云うなら、「ハルマゲドン接近!」のキャッチコピーが懐かしい角川書店初のアニメ映画『幻魔大戦』(83年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160521/p1)の大ヒットであり――原作漫画自体は映画を15年も遡る1967年が初出。リメイク小説版は79年が初出――、ココから聖書における黙示録・ハルマゲドン・世界最終戦争・神の軍団vs悪魔の軍団・天上世界vs地獄世界といったモチーフを主題としたマンガ・アニメも流行しだして、そーいうスケール雄大な設定に若者たちがワクワクするような風潮も勃興してきていたのだ。


 閑話休題。太古、人類は妖精とも共存・共闘して、暴魔百族を封印したが、文明が進むにつれて人類は自然と共生することを忘れて、次第に妖精を見ることもあたわなくなり、封印の力も弱まってしまったところで、現代に暴魔百族が復活した! ……と大設定されていた本作。そうなると、図式の対比的にも、正義のヒーローは高技術文明とは真逆の大自然・エデンに帰れ! と主張するヒーローを配置するのが作劇の教科書的には正解のハズである。
 しかして、スーパー戦隊は初期2作の石森章太郎デザインの時代はともかく、玩具会社・バンダイ側が主導する年間の販売計画も込みでの「クルマ」をメインモチーフとすることが当初から年間スケジュールで決定されている作品でもある。
 しかも、交通公共機関ならばまだ必要悪としての免罪符も得られそうなモノの、私的レジャーに供するだけの有害な排ガスを撒き散らす印象も強い「クルマ」を、本作ではドー位置付けるのか? その方策が市井の研究家・太宰博士が作ったという「無公害エンジン」(笑)である。
 そして、この博士に清い心ではなく科学の力で製造した「妖精グラス」という眼鏡の力で、最後の妖精少女・シーロンの姿を見ることができて会話もすることができるとした。そんな博士が作った「無公害エンジン」で稼働する巨大「クルマ」型メカやそれが合体した戦隊巨大ロボ・ターボロボだからこそ、ギリギリ作品世界を空中分解させずに手綱を引けている! といったところが、当時の作り手たちのねらいでもあったろうか?


 正直それでも「クルマ」と「妖精」の並立はやや苦しかったとは思うものの(笑)、30年後の今になって思うに、実は「無公害」エンジン実現による自然との共生という方策こそが、フィクションのみならず現実世界でも一番の最適解であったようにも思えなくもない。
 それはナゼか? 我々人類がごく少数の尊敬すべき御仁はともかくトータル総体としては前近代・中世・古代・原始人の生活にはとても戻れそうにはナイからだ(汗)。
――チョット前まではクーラーを使わずに節電を! と云っていたのに、今では適度にエアコンを使え! である。やはり地球の自然環境の保全よりも人間の生命・健康の方を優先するのである。仕方がナイやもしれないけれども、この選択により人類や我々日本人は底を割った……改めて自然破壊の方向へと舵を切ったのだ! という気がしないでもナイのだ――


 そうであれば、近々にはムリでも中長期では自然破壊型ではなく自然エネルギー活用型のテクノロジーを発展させることの方が、工業文明と大自然との「持続可能性」は高いのやもしれない。
 ……などという境地に筆者が30年前にすでに到達していたワケでは毛頭なく、後出しジャンケンの発言であることはくれぐれも付言しておく(笑)――いやまぁ地球に優しいテクノロジーでも、人類滅亡や自然破壊を単に先送りにしているだけであり、やはり根本解決ではナイのやもしれないけれども(爆)――。


「暴魔百族」は魔族だが、時流に合ったポップな悪でもあった!


 よって、本作の悪の組織は、秘密結社でもなければ軍隊でもなく、思想用語で云う「外部」としての宇宙からの侵略者でもなければ、「外部」の変型としての地底世界からの侵略者でもない。お仕事としての悪ではなく、属性としての悪、生まれつきの「悪魔」に近しい悪、「魔族」としての悪である「暴魔百族」なのだ。
 加えて、悪の組織の名称が初期戦隊以来の「漢字」の名称となったことに、表音ならぬ表意文字の「漢字」の方がカッコいい、あるいは旧来の「漢字」にこそ文化的ナショナリズムではなく再発見された逆エキゾチシズム(笑)を感じる倒錯した心性も、核戦争後の地球の荒野を舞台に拳法使いを「世紀末救世主」と名指してハルマゲドン・テーマもカラめつつ、その必殺拳法の数々の名称が「漢字」であった「週刊少年ジャンプ連載」の大ヒット作『北斗の拳』(83年・84年にTVアニメ化)などとも通底していくジャンルの風潮を懐かしくも思い出す。


 ちなみに同時期の『仮面ライダーBLACK RX』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)も作品世界にファンタジー的な意匠を取り入れており、侵略者・クライシス帝国の出自を異次元(並行宇宙!)の地球とし、その世界を「怪魔界」(!)と呼称して、その世界には西欧中世風の人々や秘物もあってクライシス皇帝に西欧中世や妖精チックな庶民たちが蹂躙されているイメージなどが描かれていたが、「漢字」名称に「魔」の文字の採用など、コレも当時におけるジャンル作品全般の最先端をやや劣化したかたちになったとしても、東映変身ヒーロー番組なりに採用したモノでもあったのだ。


 とはいえ、子供番組である以上は、悪の軍団に過度にオドロオドロしい演出を施して、幼児を怖がらせすぎて退けてしまってもダメである。なので、「暴魔百族」も魔族ではあるのだが、幹部も戦闘員も敵怪人も一周まわってゲロゲロモンスターではなく寸止めに留めてポップでまるっこくて戯画化(ぎがか)している印象もある。
 スーパー戦隊ジャッカー電撃隊』(77年)のアイアンクロー、スーパー戦隊『バトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)のヘッダー指揮官、『科学戦隊ダイナマン』(83年)のカー将軍などのレギュラー敵幹部も演じてきた名優・石橋雅史(いしばし・まさし)が演じる敵幹部筆頭・暴魔博士レーダの後頭部は丸っこい貝のアンモナイトであり、姫暴魔ジャーミンも特に演技が怖いということもなく(笑)、かっとび暴魔ズルテンも七福神のような短足太鼓腹のユーモラスで笑顔な外見のコミックリリーフだ。


 敵の戦闘員軍団・ウーラー兵に至っては、南洋の酋長に率いられた未開の土人が仮面をカブり、簡単な衣を着せただけといった風体である。
 ただし、コレなどは今の観点ではなく30年前の風潮でも――TVにおける放送禁止用語の基準も1990年前後が一番キビしくて、本作放映前年の絵本『ちびくろサンボ』絶版運動の記憶も新しい時期――、筆者などはドコからか「差別的だ!」というクレームが付きそうで用心不足なのでは? などとヒヤヒヤしたモノだ。
 むろんコレはウーラー兵のモチーフに対しての全否定という意味ではないのだが、それを不快に思う部外者ならぬ当事者やその子孫が偏向したイデオロギーゆえではなく心底不快で差別だと思うのならば、それに抗するロジックもナイという意味でである。
 幸いにしてマンガ・アニメ的に記号化されたデザインであったウーラー兵を現実のソレとカブせる見方をする御仁はいなかったか、たとえいたとしてもその声を可視化できるインターネットなどの媒体もなかった時代ゆえか、ウーラー兵に対する危惧を筆者個人はマニア諸氏も議題にしていた光景を見たことがなかった――ネット世論全盛の今だと大変なことになりそうだけど。まぁそもそもこーいうデザインにすること自体が後年ではアリエナイよネ(汗)――。


 往年の『仮面ライダー』初作(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)のショッカー戦闘員だと記号的、中身は軽微な改造人間とはいえ、メンタルはナマ身の人間でもあるという二次創作が作れてしまうけど、ココまでマンガ・アニメ的に記号化してデザインされたウーラー兵だと人間的なメンタル・内面を抱えた二次創作がまったくの不可能とはいわないけど、好き者のアマチュア作家でさえもあまり創作意欲をそそられないのではあるまいか?
 とはいえコレはケナしているワケではナイ。むしろ活劇作品の作劇としては、そのように敵側の事情に斟酌・罪悪感なく撃退できる役回りである方が助かるし、それゆえにウーラー兵には近代的自我ならぬ恨みっこナシで果てる古武士のような潔さ・相応のカルい気高さ(笑)も感じられようというモノだ。


 このような再発見された記号性・幼児性をブローアップしてゲストの敵怪人のデザインにも積極的に反映していったのが、次作『地球戦隊ファイブマン』(90年)・『鳥人戦隊ジェットマン』(91年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110905/p1)・『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120220/p1)・『五星(ごせい)戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)・『忍者戦隊カクレンジャー』(94年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120109/p1)であり、それ以降のスーパー戦隊でも常態・定番となるのだが、それについては項を改めて語りたい。


善悪二元論」的な古典回帰でも、バトル演出はパターン破りを連発!


 とはいえ、「善悪二元論の再徹底」が押し進められても、各話のエピソードやアクション演出が1話完結のルーティン・ワークとしても先祖返りをしたということでもなかった。
 まず、各話の人間大サイズの敵怪人との攻防の果てに、人間大サイズの戦隊メンバーがトドメを刺すのに用いる必殺武器が、『電撃戦隊チェンジマン』(85年)以降はバズーカ砲型の武器であったのが、本作『ターボレンジャー』では第1クールは個人専用の5人の拳銃型銃器から発するレーザー光線の先端を敵怪人の頭上の中空で合体・光球状にしてから、そのままで突き落として爆発四散させる必殺ワザなのである!


 そして、毎度のバズーカ砲型の必殺兵器は第2クールから登場する。しかし、キチンと段取りは踏んで、劇中内での必要性・必然性は作っていく。
 まずは光線銃による必殺ワザが効かない! その次の回では機転を効かして、たまたま運送中であった爆薬を利用して敵怪人を爆砕する! そのまた次の回でようやくバズーカ砲型新兵器、「V(ブイ)ターボバズーカ」を登場させるのだ! 戦隊ヒーロー5人が担いだ白い大砲部分とは別に、宙から黒鉄色の中型エンジン部品が降下してきて合体! 大砲上後部にムキ出し空冷の内燃機関がブンブンと轟音を立てて駆動するというタメを経て、エネルギー砲を発射する一連の特撮バンク演出もカッコいい!
 コレらの必殺武器の交代劇は、人間ドラマ面や社会派テーマ性ではなく、敵怪人の形態や属性に基づく特殊能力や武器や戦闘能力に基づいて、それをどのように作戦や攻略などの知恵を働かせて立ち向かうのか? といった、娯楽活劇の本来あるべきゲーム的攻防の要素を改めて再発見してふくらませていったことによる作劇でもあった。


 それまでのスーパー戦隊、あるいは同時期の『宇宙刑事ギャバン』(82年)に端を発する東映メタルヒーローシリーズは、その第1話で持てる武器や武装にバイクや戦闘母艦に地底ドリルタンクまでをも総花的に見せてしまう傾向が強かった。ある種のヒーローの超越性・圧倒性・万能性をねらった描写でもあったのであろう。
 しかしコレには、その分、個々の武器やメカが均等に描かれてしまうことでそれらのメカの魅力が立たなくなり、かえって子供たちにも魅惑的に見えないのでは? それであれば、敵怪人の属性や事件の種類に応じて、今回はドリルメカで地中に行く! 別の回では戦闘母艦で月面に行く! といったように振り分けて、それを該当メカの初登場回にもして大いに盛り上げた方がオモチャも売れるのでは? なぞと、70年代前半の変身ブーム、特に昭和のウルトラシリーズでそのように演出された怪獣攻撃隊のメカ群を見て育ったような世代人には、そーいう不満もあったと思う。
――もちろん円谷メカは円谷メカ、東映メカは東映メカで割り切っていた特撮マニアも多かったことも公平を期するためには証言しておくけれども――


 本作の3年前の『フラッシュマン』に始まった戦隊2号ロボ登場編を除けば、2年前の『マスクマン』にて等身大時の必殺バズーカが2代目バズーカ兼・小型立ち乗り戦闘機のジェットカノンに交代する展開につづいて、本作で織り成された「Vターボバズーカ」登場に至る連作。
 東映ヒーローものの武器やメカはそーいう扱いであると疑問や不満を持たずに割り切れていた御仁であってもこの方がうれしいであろうと思える、新兵器や新武装の登場&必然を主軸に据えたイベント編であり、以降の東映ヒーローといおうかバンダイ提供のヒーロー作品は、イイ意味で新武器が漫然と登場するのではなく新兵器が魅力的に見えるようなイベント性&ドラマ性も高めたエピソードも込みでの作劇を伴なった方向へと舵を切っていく。


 東映ヒーローもので1年を通じて同じキャラクター玩具を売り続ける、あるいはせいぜい途中で2号ロボを出す……といったラフな販売計画が、もう少し細かく小出しに設定することで、子供たちにもインパクトを与えて、ひいては玩具も買いたいと思わせようと本格的に計算をしだしたのが、この『ターボレンジャー』であったのは間違いナイ。
 その理由は、この時期になると70年代変身ブーム世代が社会人になる時期とも重なって、玩具業界に就職した御仁がそれを知り、当時は商業主義や視聴率を悪とする素朴な連中がマニアの圧倒的大多数の時代でもあったので――ホントウだってばヨ!(笑)――、その彼が「本作(以降)の『戦隊』がオモチャに引き回されること必至!」と憤っていたのを、この数年後に本誌バックナンバーでその弟君が転記した記事を読んだことがあったからだ(笑)。


 筆者個人に限定して云えば、この玩具小出しのシリーズ構成に両手を上げて喜んでいた。
 いわく超マンネリで必殺ワザが一種しかナイので子供心に飽きてくるスーパー戦隊のバトルシーンが、パターン破りやバリエーションのサプライズ作劇にも目覚めたこと。
 コレにより、当時でも陳腐化していた個人装備の拳銃型光線銃が当初は魅力的で「使える武器」としても目に映じること。
 途中登場のバズーカ砲もシリーズ序盤で他に説明すべき基本設定も多い時期の登場ではなく、それの開発劇やその苦労や初登場時の衝撃やその強さに特化して作劇・演出できることで、右から左へのお約束の段取り劇ではなく、バズーカ砲自体をも魅力的にその登場の必然性も含めて――もちろん後付けだとしても――描くことができるからなのだ。


 つづく戦隊巨大ロボ2号・ターボラガーの登場は、2号ロボ自体がスーパー戦隊超新星フラッシュマン』(86年)で初登場して以来のすでに定番ではあったけど、コレに加えて1号ロボ&2号ロボが合体した超巨大ロボ・スーパーターボロボをも格納できる超々巨大な基地ロボ・要塞ロボとでも称すべきターボビルダーなる超々巨大ロボットをも投入!――両腕は前後に回転しても両足はスジ掘りのモールドだけで稼働しない(笑)。着ぐるみは作られず、大きめのミニチュアのみが製造された――
 コレが番組後半から終盤にかけての秋~クリスマス商戦時期における目玉商品ともなっていく。この試みも画期的であったと私見する。


 もちろん従来のスーパー戦隊でも、戦隊巨大ロボや巨大ロボに合体前の巨大マシンを格納できる空飛ぶ巨大戦艦や巨大母艦といったモノは登場していた。しかし、ヒト型をしていないメカである以上は感情移入・愛着の度合いはやや低まるし、関節を動かしてポーズを取ったり武器を持たせたりといったワクワク感と比すれば、プレイバリューも低いモノではあった。
――そーいえば、『マスクマン』の母艦の名称はターボ「レ」ンジャーならぬターボ「ラ」ンジャー。母艦に記されたアルファベット表記は「RANGER」で我らがターボレンジャーとも同一。2年前の母艦名ともカブっているやないけー! とやはり思ったけど、わかっていてもあえて語呂や語感のインパクトの方を重視! といったところが、ウルさ型のマニア向けならぬラフな大衆・子供向けの客商売の鉄則なんだろうネ(笑)――


 けれども、本作では戦闘母艦を一応の人型として垂直に直立させた形態にして顔面も設けた。そーするとアラ不思議。ミリタリズム的にはリアルじゃなくとも、万物霊性アニミズム的なヒーロー番組においては、そのヒト型メカの佇まいに感情移入、その意志や力感を勝手に自動的に読み取ってしまうのが、人間一般の習性・サガのようなのだ(笑)。
 「オモチャ売らんかな」と云ってしまえば、その通り。しかしコレにより、中ボスやラスボスとの戦闘を、いつものゲスト怪人を倒す際の通常戦力の戦隊ロボでは倒せない! 強いゾ、中ボスやラスボス! しかして、コチラにはまだ奥の手で虎の子の超巨大で強力な新兵器があったのダ! といったかたちで、対戦相手やバトルのスケール感にもムリなく変化を付けることが可能となったのだ。


 あぁ、中ボスやラスボスでさえ、いつもの戦隊巨大ロボの必殺剣による必殺ワザでアッサリと倒してしまい、あるいは取って付けたように必殺剣を投擲するだけでトドメを刺せてしまうことで、子供心にもガッカリしていた初期スーパー戦隊に対する不満がついにココで解消される日が来ようとは!
 この基地ロボ・ターボビルダーも相応に売れたためか、次作『地球戦隊ファイブマン』では序盤から実の兄弟姉妹でもある戦隊メンバーが起居する超巨大な宇宙船でもある要塞メカを登場させ、シリーズ後半ではコレを超巨大なヒト型ロボ形態にも変型させることで、いつものゲスト怪人に対しては通常戦力である戦隊巨大ロボを、強敵や中ボスやラスボスに対しては要塞基地ロボを投入することで、等身大バトル後のお約束・蛇足タイムと化していた戦隊巨大ロボ戦は、今回は1号ロボで倒すのか? 2号ロボで倒すのか? 1号&2号の再合体ロボで倒すのか? はたまた1号と2号の合体ワザで倒すのか? 要塞基地ロボで倒すのか? といった、先が予想できないワクワク感をもたらすカタルシス発生装置とも化していき、この『ファイブマン』で早くも一旦の頂点を迎えるのだが、コレについては項を改めて語りたい。


善悪二元論」を破る要素。暴魔と人間の混血・流れ暴魔ヤミマル!


 先に「善悪二元論の再徹底」を押し進めたと定義した本作だが、バトル・シークエンスの面ではバリエーション志向やパターン破りであったと述べた。ココに加えて、「善悪二元論の再徹底」を破る要素も投入されてはいる。ターボレンジャーたちのライバルともなるダークヒーロー・ヤミマルの登場だ。
 鈍重な着ぐるみではなく顔出しの長身スマートな役者さんがシブい低音ボイスで演じる彼は、「暴魔百族」ではなく「流れ暴魔」という別個の存在だと設定された。そして、組織に属さないフリーの魔族なのかと思いきや、初登場の数話後にその傷口から赤い血が伝って右手を通じて滴り落ちる描写によって、彼は「暴魔百族」ではなく人間に近しい存在でもあると描写して、ついには「暴魔」と「人間」の混血であったことが明かされることで、連続性もある新たなドラマを構築していくのだ。
 しかして、ガチでベタなカッコいいダークヒーロー演出が施されるだけではない。子供はともかく大きなお友だち目線で観れば「ナンちゃって感」あふれるイイ意味での失笑、プッと吹いてしまうような、劇中ではシリアスな事態ですけどメタ的にはココで笑ってください! といった描写の演出も多々埋め込まれていくのだ!


 その具体例はまず、流れ暴魔・ヤミマルが流れ者の高校転校生の渡り鳥、流しの不良・番長少年でもある学ラン姿(!)の2万才の青年(爆)、流星光(ながれぼし・ひかる)として、ブレザーが制服である主人公らの高校に転入してくるシーンだ。自己紹介シーンで背中を向けるや、その制服の背中には巨大な銀色の流れ星の刺繍が!(笑)
 そして、校内でもトラブルを起こしたり、戦隊メンバーたちに人間の姿をしたままでの校内決闘を申し込んだりすることで、TVドラマ『これが青春だ』(66年)などのあまたの往年の学園ドラマや、ナゼか高校生がパイロットを務めることが多かった70~80年代の合体ロボアニメ――もちろんメイン視聴者の子供たちの年齢に少しでも近づけるための処置だけど(笑)――、特に『ゲッターロボ』(74年)などでも幾度か観たことがあるような、敵のスパイがその正体を隠して学園に転校してきて交流を深めるタイプのドラマも構築。高校生を変身ヒーローに据えた本作が、改めて学園ドラマ的な要素の魅力を持っていたことも再確認させていく。


 極め付けは、音楽室でピアノを華麗に弾いていたかと思えば、鍵盤の上で逆立ちしてそのままで弾き続ける流星光の姿だ!! 遠巻きに見ていたミーハーな女子生徒どもはコレを観て「カッコいい!」と興奮し、一部は失神もする始末なのだ(爆笑)。
 ちなみにコレは、ケーハクで脊髄反射的な80年代中盤の風潮のそれゆえの反動か、他方で隆盛を極めていた昭和レトロ(懐古)ブーム――主にその時代の30年前に相当する昭和30年代への郷愁――に端を発して、TV草創期の1960年代~70年代までのTV番組を懐古する大流行で、よくネタにされたりチャカされて爆笑を取っていた、東映製作で劇画原作のスポコン(スポーツ根性)TVドラマ『柔道一直線』(69年)でライバルを演じた俳優・近藤正臣が、鍵盤の上に立って足の指で華麗にピアノを弾いていたシーンのパロディーでもあったことは、当時でもすでに大きなお友だちであったご同輩であればご承知の通りだろうが、後進のために改めて歴史証言をさせていただく(笑)。


 ちなみに、濃ゆいマニア諸氏はご承知の通り、本作は関東地方ではシリーズ中盤の秋の10月の改変期に、土曜夜6時から金曜夕方5時半へと時間帯変更の憂き目にあう。その時期のTV局のおエライさんの傾向によって、その局が報道を重視したりバラエティを重視したりといった変遷はよくあるモノだが、この時期のそれは報道重視のゆえで、『ターボレンジャー』の後釜は1時間ワクの報道番組『ザ・スクープ』であり、96年3月まで同ワクで放映されたあとは土曜深夜へ移動、土曜夕方へと出戻り、日曜夜や土曜午前へと時間帯移動を繰り返して2002年までレギュラー放送が続いたあとは、今でも日曜昼間に不定期で放映される「スーパー戦隊」同様の長寿番組と化している。


 このワク変更に合わせてか、暴魔百族の敵幹部連は時間帯変更間際の話数で徐々に撃退される最終回近辺のように盛り上がるイベント編の数々にて退場!
 代わりに流れ暴魔ヤミマルが彼とは「小指と小指が赤い糸で結ばれている(爆笑!)」女流れ暴魔キリカとともに主敵として君臨するサプライズで視聴者の興味関心を持続させる戦略を採る。
 それまで両脚を大きく開いて腰を低く落とした戦闘スタイルでカーキ色の土蜘蛛をモチーフに口出しアイ・マスク状の能面を着眼していた変身体も、光沢の入った赤くてスマートで硬化プラスチック(笑)なヨロイを着用した颯爽・直立とした姿へとパワーアップ! といったドラマチックなストーリー展開を見せることで、当時のマニア諸氏をも物語的に大いにコーフンさせていた。


高速戦隊ターボレンジャー』エトセトラ&トリビア


 当時の大きなお友だちが大いに気にしていた、本作のバトル面やドラマ面での変化球は、まずは家屋まるごとが巨大暴魔獣と化してしまう#8「空飛ぶジャーミンの家」。
 東映の名作刑事ドラマ『特捜最前線』(77年~86年)でも健筆をふるっておられた藤井邦夫がサブライターの立場から本作の基本設定を煮詰めて、本作序盤に登場して2万年間もの間、暴魔百族を封印するも人類による自然破壊でその力が弱まって、ついに没して夜空の星座となった聖獣ラキアの設定をフィーチャーして、暴魔百族の敵怪人の中にもラキアの人徳に心服していた者がいたと描いて、最後は戦隊巨大ロボもトドメを刺さずに宇宙に連れ運び、敵の巨大化怪人がラキアの星座の隣りで夜空の星となるパターン破りのインパクトが、ガチガチに番組フォーマットがパターン化されていた当時にあっては絶大であった#12「星になった暴魔獣」。
 同じく藤井邦夫が戦隊メンバー5人の女担任・山口センセイをフィーチャーした#17「子供になった先生」などがますは印象に残る。


 このイレギュラーキャラでもある山口センセイを演じたのは当時、人気が相応にあってTV番組にもよく出演していたファニーフェイスな長身タレント・高見恭子。往時は平日正午の1時間ワクのナマ放送の帯番組『新伍のお待ちどおさま』(85~90年)にも頻繁に出演しており、生来のヘソ曲がりで当時の大人気番組『笑っていいとも!』(82~14年)がキライでクダラナイと思っていた筆者なぞはコチラの方がはるかに面白いと思って在宅時には視聴していたのだが、高見は他局の番組なのに『ターボレンジャー』に出演できることを嬉しそうに宣伝。後日、同作を観た司会の俳優・山城新伍が「出る番組、選べよ」と苦言を呈していた(笑)。


 なお、本項を執筆するにあたり、アマゾン・プライム・ビデオのネット配信で本作を再視聴して、その各話のエンディングテロップも観ていると、「助監督」があの2010年代の第2期平成ライダーシリーズを支える諸田敏(もろた・さとし)カントク! 諸田カントクも30年前のこの時期にはまだ「助監督」のチーフだったということになる。



 『ターボレンジャー』について語るべき事項はまだあるのだが、締切の都合でココで一旦筆を置こう。
 『ターボレンジャー』の項目だけで随分な量となってしまったが、それは本作が戦隊シリーズ中でも作品として特段で優れていたからではナイ(汗)。筆者がこの時期のスーパー戦隊と日本のサブカル・若者文化に大きな変化があった時期だと見るからである。
 思い入れで云うならば、マニア間でも子供間でも不人気ながら、スレた戦隊マニア間ではカルト的な人気も誇る(?)次作『地球戦隊ファイブマン』のバトル面でのパターン破り連発の作劇を、戦隊シリーズ最高の到達点だと見ているのだが、次作以降は簡にして要でありながら、個々の作品にスポットを浴びせるというより、個々の作品を串刺しに貫いて共通しているその特徴や変遷を見ていく「スーパー戦隊」の通史を仕上げていく所存であり、年末の冬コミ号では完成版を披露したい所存である。
――平成10年分くらいで力尽きそうなので、30年分を3部作で3分割にするかもしれないけれど(笑)――


(協力・池田冨美彦)
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年初秋号』(19年10月6日発行)所収『平成スーパー戦隊30年史 ~序章』より抜粋)


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