『ガールズ&パンツァー』 ~爽快活劇に至るためのお膳立てとしての設定&ドラマとは!?
『アズールレーン』 ~中国版『艦これ』を楽しむ日本人オタクに一喜一憂!?(はしないけど良作だと思う・笑)
『ストライクウィッチーズ 劇場版』
『BanG Dream!』 ~『アルペジオ』助監督の柿本広大カントク&サンジゲン製作作品!
『刀使ノ巫女』 ~『アルペジオ』助監督の柿本広大カントク作品!
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2019年9月13日(金)からアニメ映画『BanG Dream! FILM LIVE(バンドリ! フィルムライブ)』が公開記念! とカコつけて……。2019年8月30日(金)からアニメ映画『映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説』も公開記念! とカコつけて……。『この素晴』の脚本・上江洲誠(うえず・まこと)が担当し、『BanG Dream! FILM LIVE』を手懸けた3D-CGアニメ製作会社・サンジゲンが製作した深夜アニメ『蒼(あお)き鋼(はがね)のアルペジオ -ARS NOVA(アルス・ノヴァ)-』(13年)評をアップ!
『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』 ~低劣な軍艦擬人化アニメに見えて、テーマ&萌えも両立した爽快活劇の傑作!
(文・久保達也)
(2015年9月24日脱稿)
西暦2039年、世界各地を謎の「霧」の大艦隊が襲撃! 地球の海は全て制圧されてしまう!
「霧」を撃破するために開発された振動弾頭=人類最後の希望を量産するために、美少年・千早群像(ちはや・ぐんぞう)――って、確かに群像劇ではあるのだが(笑)――が艦長を務める潜水艦・イ号401は、「霧」の艦隊を次々と打ち破りながら一路アメリカへと進撃する!
なんて物語のハズなのだが……
イオナ ~潜水艦・イ号401
群像「おまえはオレの船になれ」
イオナ「群像、私に乗って」
って、オイ!(笑)
本作は一見、潜水艦VS大艦隊の海洋戦記SFに見える。後述するが、ラスボス的な存在のキャラ・コンゴウの描写にあるように、乾ききった融通の効かない形式主義・官僚主義・管理社会を象徴するような「機械文明」・「機械生命体」のあり方を否定し、みずみずしい「人間性」を賞揚するテーマを誇る作品である。
そんなふうに語るのが、いわゆる「作品評論」としては常識的なんだろうし、模範解答のように思われるが、果たして本当にそうなのであろうか?
少なくとも筆者はそうは思わない。つーか、本作をそんなふうに楽しむのはもったいない。
本作は東映変身ヒーロー作品の悪の軍団のごとく、毎回「霧」の大艦隊に所属する戦艦が攻めてくるのだが、その戦艦がメンタルモデルという、戦艦の化身・本体のような、「美少女」の姿とともに攻撃してくるのである!
タカオ ~重巡洋艦タカオ
たとえば第2話『嵐の中へ』以降、登場する重巡洋艦タカオは、水色の髪のポニーテールでボディコン娘のメンタルモデルが、艦の甲板で両腕を宙に高々と掲げ、「エンゲージ!」――軍事用語では「交戦」という意味だが、日常的には「結婚」という意味である(笑)――と叫ぶや、彼女の周囲を赤いプラズマが走り、超重力砲をブッ放す!
これは大海戦というよりはほとんどサイキックバトルであり、まさにスーパー戦隊の巨大メカ並みに、科学的考証もへったくれもない。
先にあげたイ号401のメンタルモデルであり、銀色ロングストレートヘアのロリ少女で、機械的な口調のイオナなんぞは、普段着ている青いセーラー服をめくって腹を見せるや、潜水艦の艦首が開いて超重力砲を露出させるくらいだから(爆)。
「私はあなたの船」
だとか、
「私は船、艦長のもの」
だのと、群像を守れという命令にただ従っているだけとはいえ、当初から群像とのラブラブ描写が散見されるイオナ。
一方、401に敗れたことで、人間を乗せることによって強くなれると考えたタカオは群像に興味を示すが、その姿を見た途端に一目惚れ(笑)。
以後、群像に対するタカオの妄想が時折描かれるが、そこには
「あくまでタカオ個人のイメージです。ご理解ください」
なんて字幕テロップが入り(爆)、第7話『硫黄島』では群像の似顔絵が描かれた抱き枕を、赤いランジェリー姿のタカオがベッドで抱きしめてみたり(笑)、第9話『決死の脱出行』では群像と握手したタカオが顔を赤らめたりもする。
ハルナ ~大戦艦ハルナ
第3話『要塞港、横須賀』のラストで、横須賀をコンビで襲撃した大戦艦キリシマと大戦艦ハルナは、第4話『横須賀急襲』で合体を遂げるかっこいい描写があるが、やはり初期スーパー戦隊の巨大合体ロボット同様、その原理はまるでデタラメである(笑)。
ハルナのメンタルモデルは黄色髪のツインテール娘であり、第5話『人ならざる者』でハルナを救った、先述した振動弾頭を開発した遺伝子操作で知能に特化して生まれたデザインチャイルドで茶髪ツインテールの幼女・刑部蒔絵(おさかべ・まきえ)に、
「国語辞典みたいな喋り方」(笑)
と形容されたほど普段は冷静沈着だが、口元まですっぽりと覆う大きすぎる軍服コートの下は黒のランジェリー姿であり、そのコートを脱がされるや
「シクシクシク」
などと一転して弱々しくなる(笑)。
再びコートを着用するや、
「シャッキーン!」
と、機械的な口調に戻るが(笑)、第8話『人形の家』ではハルナを「ハルハル」と呼んで慕う蒔絵が、コートを何度も脱がせたり着せたりを繰り返し、
「シクシクシク」
「シャッキーン!」
と遊ぶ場面がある(爆)。
キリシマ ~大戦艦キリシマ
ハルナとコンビを組むキリシマは第4話で401に敗れ、メンタルモデルの姿を失ってしまうが、第5話で刑部邸にあった、「よたろう」(笑)と名づけられたピンク色の小さなクマのぬいぐるみの姿を借りて以降、最終回『航路を拓く力』に至るまで、ずっとその姿のまま(笑)。
第6話『ともだち』で用済みの蒔絵を処分しに来た兵士たちを相手に、小さなクマの姿で戦うキリシマは確かにかっこいいが(笑)、緑髪のショートアップで、右足がロングに左足がショートという非対称な青いパンツスタイルのキリシマは、個人的にはメンタルモデルの中で最も好みであり、その姿を見せたのが第3話と第4話のみというのは残念でならない(汗)。
せめて毎回描かれた、異空間のテラスでメンタルモデル同志が紅茶を飲む(爆)場面では、元の姿に戻してほしかったように思える。
ヒュウガ ~大戦艦ヒュウガ
第7話以降に登場する大戦艦ヒュウガのメンタルモデルは、茶髪のセミロングに片目だけの眼鏡をかけ、オレンジ色のタートルネックに白衣をまとった、一見知性的な娘に見えるが、これまたイオナのことを
「イオナおねえさまぁ~!」
と狂信的に慕っており、イオナを押し倒して腰を振ってみたりする(爆)。
この第7話から第8話にかけてはタカオがピンクのビキニ、イオナがオレンジのワンピースと、ともに水着姿のみならず、ハミ尻を披露していたりする(笑)。
さらに第9話ではタカオとイオナが水着姿から通常のコスチュームへと戻る描写で、体を回転させて尻をアップで映しだしたり、ラスボス・コンゴウの砲撃に反撃するヒュウガの白衣を翻し、その尻を黒のミニスカごしに大映しにしたり。
ちなみに第11話『姉妹』では、ヒュウガが四つん這いになって尻をプリプリさせるという悩殺描写もある(笑)。
第4話で戦況を見るキリシマがおもいっきり尻を突き出している描写にしろ、オープニングのスーパー戦隊みたいな(笑)、メンタルモデルたちのキメカットにせよ、本作のスタッフには筆者同様、妙に尻フェチが多いと見える(笑)。
こうした部分にばかり目が行ってしまうような筆者は、やはり不真面目で単なる変態なのであろうか?(爆)
ただ、群像とイオナとタカオの三角関係(笑)とか、そこにイオナを慕うヒュウガが割りこんできて群像を敵視したり(笑)とか、ハルナ&キリシマがデザインチャイルドとはいえ人間である蒔絵と「ともだち」になる、などという中で描かれる、巨大戦艦のメンタルモデルである美少女キャラたちの喜怒哀楽の感情や、群像やイオナや蒔絵を守るためにメンタルモデルたちが健気に奮闘したりする姿こそがクライマックスとなり、それが徹底的に魅力的に見えるように、本作はドラマやテーマが構築されているように思えるのだ。
コミカル・三角関係・自己犠牲・身を引く愛も、すべては「萌え」に帰結する
タカオ「好きな人のために、好きなように生きる」
第9話でラスボス・コンゴウが「沈め!!」と発砲した超重力砲に、
タカオ「愛は、沈まない!!!」(かっこよすぎ!)
とタンカを切ったタカオは、第10話『その身を捧ぐ』でイオナ=401の姉妹鑑(笑)である400と402に沈められた401を単身救出に行き、棺状のカプセルの中で眠る群像とイオナに、戦艦からダイヤモンド状の光を放出して蘇生させる「タカオ愛の奇跡!」を見せ、自身はメンタルモデルの姿を失ってしまうという、自己犠牲の精神を見せるのだ!
勝ち気で色気過剰なタカオは、メンタルモデルの中では個人的には最も苦手なタイプではあるのだが(笑)、群像の生命維持装置となって寄り添うイオナの姿に、
タカオ「これじゃあ、入りこむ隙がないじゃない……」
と、身を引く覚悟をしつつ、「霧」にはあり得ないはずだった、タカオの滅私奉公には、素直に感動させられるものがあったのだ。
タカオの色恋沙汰を描いてきたこれまでのコミカル演出も、すべてはこれをおおいに盛り上げるための布石であったと考えれば、がぜん納得がいくというものである。
「機械」よりも「人間性」 ~古い革袋に新しい酒を盛れ!
「機械」よりも「人間性」を賞揚するという、一応の社会派テーマらしき要素も、メンタルモデルたちに対するキャラ萌えのための、お膳立て・言い訳なのであり、要は単なる背景・舞台装置として機能させているのにすぎないのだ。
一見ドラマ・テーマも優れているように見えて、実はやっぱりキャラ萌えが主眼に描かれているという点では、かのアイドルアニメ『ラブライブ!』第1期(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160330/p1)などとまったく同じなのである(笑)。
そもそも「機械文明」に対する警鐘や「人間性」の賞揚などというテーマ自体は、機械やロボットの反乱を描いたSFの草創期=大むかし(笑)の作品から散々繰り返されてきたものであり、新しいどころか実は古クサいものなのである。
ただ、本稿執筆時に絶賛放映中である特撮変身ヒーロー『仮面ライダードライブ』(14年)でも、人間の感情を手に入れることで超進化を遂げようとするロイミュード=機械生命体が敵怪人として描かれていることを思えば、やはりこれは普遍的なものではあるのだろう。
『ドライブ』の女敵幹部怪人・メディックが最初に手に入れた感情も、実は「ひたすら主人の愛を信じて尽くす心」であり、それが幹部怪人・ハートに対する感情のベースとなっていたことが終盤の展開で明かされたが、これなどはまさにイオナの群像に対するものと同じである。
また、ロイミュードのダークヒーロー・魔進(マシン)チェイサーから『ドライブ』の3号ライダー・仮面ライダーチェイサーに新生を遂げたチェイス青年にとっては、やはり『ドライブ』のメインヒロイン・詩島霧子(しじま・きりこ)の存在が、メンタルモデルたちにとっての千早群像でありイオナであり蒔絵だったのである。
『ドライブ』という作品も、結局は主人公・泊進ノ介(とまり・しんのすけ)と詩島霧子と機械生命体・チェイス青年を含めた三角関係の物語となってしまったが(笑)。
そして、特殊能力の減退で模写していた人間としての姿を失い、「003」という番号の姿をした小さなコア(本体である部品?)だけの存在となった幹部怪人・ブレンは、まさに本作のキリシマそのものでもある(爆)。
コンゴウ ~大戦艦コンゴウ 最後はボッチアニメにも帰結する(感涙)
メンタルモデルたちが次々と「霧」の大艦隊を離脱し、唯一の理解者であると思われた、赤いフリフリドレス姿で
「カーニバルだよ」
が口癖――タカオ曰く「お祭り女」(爆)――の天真爛漫な少女キャラ・マヤも、監視用の自我を持たない単なる人形であったことが発覚し、ラスボスのコンゴウはひとりぼっちとなる。
『仮面ライダー』(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)に例えるなら、ライダーどころか、怪人たちまでもが次々にショッカーを裏切ったことで、首領がただひとり取り残されたというところか(爆)。
これもまた、あまたのハーレムもの美少女アニメや、『少年ジャンプ』連載漫画によくあるような、敵やライバルが味方になっていく文法の流用でもあり、まさにそれらのオイシいところ取りである。
人間との交流で「霧」が変質したことにより、すべての原因が群像にあると考えたコンゴウは、大戦艦マヤと合体を遂げ、宙を飛ぶ巨大な要塞のような姿となり、あくまでも群像たちの抹殺をはかる!
コンゴウが放つミサイルの大群の上を駆け抜け、物理接続=握手(笑)を交わすことに成功したイオナは、遂にラスボス・コンゴウに勝利する。
金髪でパープルのドレス姿、赤い瞳に青い唇、ひたすら冷徹な口調だったはずの美女キャラ・コンゴウが、ひざを抱えてうずくまっているラストの姿は衝撃的であり、これもまた、ある意味「(ひとり)ボッチアニメ」の系譜ではないかと思えるほどである。
イオナ「もう大丈夫。つながれば、わかりあえれば、友達になれる」
メンタルモデルたちのキャラ萌えを主眼にしながらも、立派に「反戦」を描いてみせているのはお見事である。
ちなみに第6話の冒頭では、蒔絵を生み出した刑部博士が、メンタルモデルやデザインチャイルドに起きた変化をこう語っている。
「どんな強力な兵器よりも、今おまえたちが育もうとしているその想いこそ、この世界を変えるのだろうと」