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特撮意見④ 特撮ジャンルの独自性・アイデンティティとは何か!? 〜SFや文学のサブジャンルではない特撮

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(文・T.SATO)
往年の本邦特撮ヒーロー&アニメヒーローやジャンル作品が、続々銀幕に登場しても、イマイチ感激がナイのは、我々ジャンルファンが長年底辺に甘んじてきて、ラーメンは屋台にかぎるの貧乏症が骨髄にまで達しているせいか?
ただ海外で、『イノセンス』(04年)や宮崎アニメなどが賞レースに参加すると、冷めていたつもりが、無意識にジャンルナショナリズム(笑)を刺激され、うれしかったりもするけども。


 死屍累々の果てに今日があるワケだが、この四半世紀で映画界とその観客も細分化が著しい。『CASSHERNキャシャーン)』もデート映画、『キューティーハニー』が女性向け、『ゼブラーマン』は全世代向け(カルト?)の意匠で、メジャーに進出(3作とも04年)。各作品のターゲットも素材に見事マッチ。『ハニー』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041103/p1)がMEGUMI主演でイエローキャブ総登場なら、筆者は見たいけど(笑)、女性層はヒクしね。
 結末も客層にふさわしく決着。パロディの『ゼブラー』は悪も記号的なので罪悪感なく敵を殲滅。『ハニー』は愛の力で悪を癒す。『CASSHERN』は愛をもってしても誰も救えない(ヲイ)。


ジャンルの認知も云われるが、子供にキャラクター衣料を着せたくないブランドママもやはり多い中、安全パイの小ジャレた一般映画ならぬ、イロ物ジャンルに挑んだクドカン宮藤官九郎)&紀里谷監督の蛮勇には敬服する(元からオタ属性が多少はあったとはいえ)。
 ブクロ系とオシャレ系の真逆からの挟撃。過度にそれらをありがたがるのもナニだけど、逆に我らアキバ系が過剰にオシャレ&サブカル系を敵視するのも狭苦しくてイタイぞ。
オタ文化にかぎらず、ジャンル内ジャンルの細分化は、物事の必然とはいえ、時に逆流・越境・侵犯されたり、波紋や外部との軋轢も生じなければ、個別作品としての出来とは別に、ジャンル自体の前進もアリエナイ。


 が、一方でジャンル自体の独自性・アイデンティティも自覚しなければ、おかしなことになる。
 隣接ジャンルと比較すればわかりやすい。たとえば、SF。
 SFジャンルを味わうことの愉悦も、一律には定義できないが、ハイブロウな知的快感・知的興奮・メタフィジカル(形而上)の方角に上向いたものであると、あくまで乱暴に便宜的に定義するならば、(SFに従属しないものとしての)映像ジャンル……特撮やアニメを観ることの愉悦は、もっと下方の、人間として原初的でフィジカルな、身体的・物理的な快楽の方角に向かったものだといえるだろう。


 特撮ジャンルで例えるなら、我々オタク族がジャンル作品のビデオを再生すると、テーマやドラマを放ったらかして、アクション&特撮場面……メカやスペクタクルに戦闘機の飛行シーンだけを、ついツマミ見してしまったり、大むかしから怪獣が出るまでは劇場を闊歩するガキどもが絶えないように、文芸映画ならぬジャンル作品では、人間ドラマ部分ではなく、基本は特撮やアクションに、山場・クライマックスが来ることに特異性があるのだ。


 ドラマ&テーマ(含むSF性)は、逆算された言い訳にすぎないともいえる。あるいはドラマ&テーマは、特撮&アクションの上澄み液とすべきか、特撮&アクションの山場のカタルシスに集約するよう構築するべきだ。
 逆に、アニメやゲームならば、特撮&アクションの項目に、美少女萌えやら泣き等々が代入される、インナージャンルがあるワケだ――最近は、SFやミステリの側で、新興の美少女ゲームライトノベルを、自ジャンルの後継者に囲い込もうという向きもあるようだが……。シッカリ自分を持っていないと、サブジャンルにされちゃうゾ――。
 文芸映画でならOKなのに、娯楽活劇映画で過剰に長いウダウダ愁嘆場があると違和感をいだくのは、ジャンル独自の特質・構造を無視して生じたブレを、観客が無意識に感知するゆえだろう。


 その点で、『CASSHERN』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041102/p1)は少々残念だ(逆に、CG映画版『アップルシード』(04年)は、オーラスのクライマックスバトルに、作品テーマが帰結(あるいはテーマを表明)するかたちとなることで成功)。
 実のところ、『CASSHERN』的な失敗を、特撮ジャンルはここ10年で何度かくりかえしている。マニアは平成『ウルトラ』&平成『ガメラ』を評価しても、幼児しか観ず、小学生は『ポケモン』&『遊戯王』に夢中だったという事実。
 ヒーローと怪獣、その順列組み合わせマッチマイク、バトルや勝利のカタルシス……といった素朴で原初的な楽しさのファクターよりも、社会派テーマやドラマ性・SF性を持ち上げてきたツケが、ここに至って来たようだ。
 それは、TVシリーズ後半のアンチテーゼ編でこそ光る、佐々木守脚本&実相寺昭雄カントクを、王道たるべき#1にすえて失敗した、往年の『シルバー仮面』(71年)の愚を30年を経て、またくりかえしている姿のようにさえ見える。それはまた、70年代後半にその原型が確立された、第1世代特撮マニアによる特撮評論の理論・モノサシが、その耐用年数を過ぎたのだ、というふうにも見れなくない。
 「特撮やアニメもSFだ、あるいは映画だ」と、まことしやかに語られているが(広義では正しいけど)、特撮ジャンルも独自のジャンル意識に基づく作劇で、マニアのみならず子供や大衆にも通用する作品を、構築していってほしいものだ。


 ただ作家が、たかが娯楽作品であろうとも、何らかの主張――勧善懲悪への懐疑や、戦いや戦争の否定など――を込めたくなる気持ちもまたよくわかる(『RED SHADOW 赤影』(01年)など)。
 しかし隣接ジャンルを参照すれば(つまり硬直したジャンル絶対主義者になる必要はない)、敵を抹殺しなくても、アクションのカタルシス&テーマ表現の両立は不可能ではないとわかるハズだ。『トライガン』(98年)、『機動戦士ガンダムSEED』(02年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060324/p1)後半の正副主役2機、『星雲仮面マシンマン』(84年)、『ぶらり信兵衛 道場破り』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080602/p1)、『暴れん坊将軍』(78年)の峰打ち等々。状況を交通整理し、作劇の可能性の幅を示すのも、批評の使命のひとつだ。


 でもジャンルのアイデンティティとは別に、二次的事項ではあっても、ジャンルを商品としてメジャーに流通させるときのパッケージが重要なことも、改めて認識する。
 樋口真嗣監督作品『ローレライ』(05年)も、『踊る大捜査線』(97年)のフジテレビ&東宝路線に乗ったからこそ流通したように、『CASSHERN』『キル・ビル』(03年)同様、『デビルマン』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041110/p1)も宣伝ポスターからデビルマンを排し、妖鳥シレーヌだけで押せば女性層にも訴求したのに……とか、『ゴジラ』シリーズも、どーせならイケメン特撮OBを毎年13人くらい出せよ……とか(笑)、たとえサブラインではあっても、そっち文脈でも盛り上げて、集客を少しでも高めてほしかった。

(了)
(04年6月執筆・特撮雑誌『宇宙船』読者投稿未掲載〜つまりボツ(笑)〜同人誌『仮面特攻隊2005年号』(04年12月30日発行)所収に加筆)



後日付記:
 なお、このような「特撮ジャンルの独自性・アイデンティティ」にこだわる考え方に対する疑義・リアクションも、特撮論壇の中にはもちろん存在する。
 『映画バカ一代』や特撮雑誌『宇宙船』などで活躍される、特撮ライター・蓮井勘氏がその一方の極、代表例といえるだろう。06年4月現時点での、氏の考え方は、『宇宙船YEAR BOOK 2006』(06年3月発行・朝日ソノラマISBN:4257130865)「2005年邦画総論」で確認することができる。
 「特撮」性よりも「映画」性を重視するというべき立場である。


後日付記2:
 『宇宙船YEAR BOOK 2007』(07年3月発行・朝日ソノラマISBN:4257130962)「2006年邦画総論」では、「特撮」性、異形のモノ・異形の映像を描くものとしてのジャンル意識を強調する表記が見られる。ぜひともそちらの方向性で行かれてください(笑)。


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