『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』『ようこそ実力至上主義の教室へ』『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』『月がきれい』『俺を好きなのはお前だけかよ』『弱キャラ友崎くん』 ~コミュ力弱者の男子を禁欲・老獪なヒーローとして美化した6作!
『古見さんは、コミュ症です。』『川柳少女』『ひとりぼっちの○○生活』 ~コミュ力弱者の女子を描いた3作の成否(笑)を問い詰める!
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深夜アニメ『ようこそ実力至上主義の教室へ』2期(22年)が放映中記念! とカコつけて……。『ようこそ実力至上主義の教室へ』1期(17年)総括をアップ!
『ようこそ実力至上主義の教室へ』1期・総括 ~コミュ力弱者がサバイブするための必要悪としての権謀術数とは!?
(2017年夏アニメ)
(文・久保達也)
(2017年11月4日脱稿)
『僕は友達が少ない』(09年・11年に深夜アニメ化・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201011/p1)や『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』(11年・13年に深夜アニメ化)などの、
●コミュ力弱者の男子高校生
●クールな性格で黒髪ロングのメインヒロイン
●キャピキャピした可愛いサブヒロイン
といった、鉄板(てっぱん)・アリガチなキャラクターシフトを据えた、いわゆる「(ひとり)ボッチアニメ」をベースにした、ライトノベル原作(15年)の深夜アニメ(17年)である。
しかし、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』深夜アニメ第1期の終盤(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150403/p1)、学園内でのボッチ主人公の知謀を尽くして自己犠牲的でもあった暗い戦い方の結末の神懸かった感動(!)にインスパイアされての発展型であろうか、ボッチでありながらも人知れずにウラ側で老獪に戦ってみせている、理想化されたスーパーヒーローなボッチを主人公として描いた作品でもある。
「就職・進学先の希望が100%かなえられる」というふれこみの、日本政府が運営する屈指の名門校・高度育成高等学校が本作の舞台だ。
生徒たちの態度や行動は、学内のあらゆる場所に設置された監視カメラでリアルタイムに逐一(ちくいち)に査定されて、その成績は1ポイント=1円として換算。毎月初めに生徒たちに電子マネーとして銀行口座に振り込まれる。
外部と完全に隔離されてはいるものの、あらゆる商業・娯楽施設が整備された学内において、生徒たちはそのポイントを金銭代わりにして日々の生活を過ごしている。素行が悪い者が多いと判断されたクラスはポイントがマイナスとなり、その翌月は連帯責任として0円で生活せざるを得なくなるのだ。
1学年は「A」~「D」の4クラスで構成されており、3年間を通じてクラス替えはない。「A」~「D」は学内におけるカースト制度の位置をそのまま表(あらわ)しており――本作の主題歌タイトルはそのものズバリ『カーストルーム』だ!――、「Aクラス」は優秀、「Dクラス」はクズの集団(汗)として、入学の時点ですでに判断されていたのだ。
「希望する進路を100%保証」という話は、実際には「Aクラス」の生徒のみに与えられた特典にすぎず、学校独自のシステム・制度を、世間がロクに理解していないだけであった。厳しい現実を叩きつけられた生徒たちは、個人間・クラス間で激しい蹴落とし合いを日夜、繰り広げることとなるのだ……
●コミュニケーションが苦手な(ひとり)ボッチで、やさぐれた雰囲気である主人公青年・綾小路清隆(あやのこうじ・きよたか)
●クールな性格の黒髪ロングヘアで、やたらと上から目線で、小中学校の9年間をずっとボッチで過ごしてきた(爆)という、メインヒロイン・堀北鈴音(ほりきた・すずね)
●誰に対しても愛想がよい茶髪ショートボブヘアであるサブヒロイン・櫛田桔梗(くしだ・ききょう)
こういったキャラシフトは、いわゆるボッチアニメにかぎらず、学園を舞台にした近年のオタク向け深夜アニメに多く見られる傾向を、ウケるだろうからとそのまま踏襲(とうしゅう)したものではある。
日本政府が運営する高校や、ポイント制で生徒たちを管理・競争させる「S(エス)システム」といった設定は、実に「非現実的」だ。
ボッチの少年・クールな黒髪ロングのメインヒロイン・キャピキャピしたセカンドヒロンといったキャラシフトも、「記号的」ですらある。
しかし、そこで描かれる風刺的な世界観や登場人物たちの心情は、極めて「現実的」なものであった。
本作の監督は2010年代以降、毎年数作はコンスタントにあまたの作品の監督を務めつづけている、直前の2017年春季でも文学好きの少年を主人公に据えた純愛路線の原作なしのオリジナルの深夜アニメ『月がきれい』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220724/p1)といった佳作良品を仕上げていた岸誠二が担当している。
だが、今回はその『月がきれい』とは、まさに対極に位置する作風と世界観だといった印象が強い。
第1話の冒頭は、本作のテーマでもある「スクールカースト」に対する皮肉を利かせて、かの福沢諭吉による「天は人の上に人を造らず」を語る、主人公青年・綾小路のモノローグから始まる。
主人公青年と父との関係をギリシャ神話のイカロスとダイダロスに例えてみたり、各話のサブタイトルが、たとえば、
●第5話『地獄、それは他人である。』
●第9話『人間は自由の刑に処されている。』
など、ニーチェやサルトルといった古今東西の哲学者たちの格言・名言をそのままに引用しているなど、本作もまた『月がきれい』と同様に、やや知的で文学的な香りが濃厚に感じられるのはたしかだ。
だが、『月がきれい』では登場人物の陰影で光が当たったハイライトの部分は白く飛ばして、人物や世界観の清潔感を強調する映像演出が施されていたのに対して、本作では逆に登場人物の表情をシャドーで覆いつくして、瞳だけが闇の中でギョロリと光るという、実におぞましい演出も散見されるのだ。
登場人物が対面して会話するカットでロング(引き)を多用したり、第6話のラストで雨の夜に主人公青年と信号待ちする黒髪ロングのメインヒロインがずっと傘で表情を隠しているなど、人物の表情を見せないことで逆に視聴者にその複雑な感情、いっそ恐ろしい形相(ぎょうそう)を想像させてくる演出も実に多い。
『月がきれい』では、主人公の文学少年とすでに交際していた陸上部のヒロインにフラれた同じ陸上部の男子が主人公にケンカをふっかけてみたりとか、ヒロインの親友の女子が主人公にフラれてもヒロインに嫌がらせをするなどといったことは実に皆無であった。ひたすらにさわやかな純愛路線を描くために、登場人物たちのあまりにダークな一面を露呈させることを極力排していたのだ。
しかし本作では、『月がきれい』とは正反対に、大半の登場人物が悪意に満ちあふれている(汗)。
本作のアニメ化では、
●第1話~第3話が、入学~1学期の中間テストを描いた原作ライトノベルの第1巻
●第4話~第6話が、「校内暴行事件」を描いた第2巻
●第8話~第12話が、無人島で行われる「特別試験」を描いた第3巻
に相当させた、3部構成となっている。
なお、第7話は例によって例のごとく、美少女キャラたちの水着姿を描くための「箸(はし)休め編」であった。「女子高生・ナマ着替え盗撮計画」が主人公青年と黒髪ロングヒロインの活躍で阻止されるさまなどが描かれている。個人的にはこの第7話では、サブヒロインの着替え場面でのフェッティッシュなアングルに大満足させてもらったが(笑)。
それでは、本作を各部ごとに振り返ってみたい。
*入学から1学期中間テストまで
第1話の冒頭、バスの車内で誰ひとりとしてお婆さんに席を譲ろうとしない生徒たち(汗)の描写が、すでに本作の世界観を端的に物語っている。
●始業式を終えて教室に入るや、一同で「自己紹介しよう」と提案する、成績も人柄もよくてスポーツ全般が得意なサラサラヘアのイケメン青年で、まとめ役タイプの平田洋介
●「そんなもんやりたいヤツだけでやってろ」と悪態をつく、茶髪のパンチパーマで昔ながらのヤンキーチックな須藤健
●「誰とでも仲良くなれますオーラ」(爆)を自己紹介で発散しているサブヒロイン
自己紹介で何ひとつ気の効いたことが云えずに、失敗したと自己嫌悪に陥(おちい)る主人公青年。
ツカミはOK。シリーズを通して主要な位置を占めることとなる登場人物たちを、短い場面で端的に描き尽くしているのは見事である。
「入学祝い」として支給されたのかと思いこんで、主人公青年も属している「D組」の生徒たちが湯水のように10万ポイントを1ヶ月で散財したり、自由放任に見えた校風からか遅刻・内職・居眠りに明け暮れる「D組」の描写は実にリアルな感覚で描かれている。
しかし、教室の扉が閉まる瞬間を視聴者目線で描いて、「ガシャーン!」と衝撃音を響かせる演出は、ラストの暗転の伏線として、充分に機能しているといえるだろう。
翌月5月1日。ポイントが銀行口座に振り込まれないことを不審に思った生徒たちに、ダークブラウンの長髪を束ねたクールビュ―ティな担任の女教師・茶柱佐枝(ちゃばしら・さえ)が、あまりに冷酷な声で「Sシステム」の真実について語り出す。
騒がしかった教室が一転して闇に包まれて幕となる第1話のラストは、視聴者に「つづき」を観ずにはいられなくなる効果を与えるには充分にすぎるものがあった。
第2話。女教師が中間試験で赤点だった者は即、退学にすると告げたことで、本人のみならず退学者を出したクラスにはどんなペナルティが課せられのるかわかったものではない! と、初日にクラス全員の自己紹介を提案した平田が「勉強会」を開くことを提案する。しかし、よりにもよって劣等生の須藤・山内春樹・池寛治の3人はそれを断ってしまう!
メインヒロインは主人公青年を学生食堂で最も高いスペシャル定食をおごることで、自身が開く「勉強会」に3人を連れてこさせようともくろむ。しかし、彼女の意図を警戒して、せっかくの定食を食べずに躊躇(ちゅうちょ)している主人公青年を
「どうしたの? 早く食べたら?」
とけしかけて、仕方なく一口を食っただけでイキナリ
「さっそくなんだけど」
と話を切り出してくる(笑)。彼女もまた主人公青年とも同様に実に計算高くて、恩に着せることで他人を動かそうとするような、少々ズル賢い性格であることが、このシーンで念押しされている。
しかし、そのワリには堪え性はないようだ。中学生レベルの「連立方程式」を解けなかった「勉強会」に来ていた須藤に「無知無能」(爆)と吐き捨てて、クラス全体で負わされる連帯責任を回避するという最終目的を忘れて帰らせてしまうような短慮ぶりも見せてしまう。
しかも、3人を「勉強会」に連れてきてくれたサブヒロインのことを、そこに居合わせていることすらもが気に入らないという私情までをも語リ出す。
そんなメインヒロインに、サブヒロインは可愛い声で、
「どうして敵をつくるようなことばかりするの?」
と当然のことながら問いかけてみせる。
それでも赤点となってしまった須藤(汗)。そんな彼の退学を阻止せんと、主人公青年は計略を働かせる。校舎の屋上でタバコを吹かしていた女教師に、合格点に1点だけ足りない須藤の点をポイントで売ってくれと掛け合ってみせたのだ。なぜなら、女教師が生徒たちに、校内ではポイントで買えないものはないと語ったからである。
ここで、第1話冒頭の福沢諭吉の「格言」が伏線としての強い意味を持つことになる。主人公青年は女教師に「ルール=校則を平等に適用せよ」ではなく、「平等に適用されているように見えなければならない」と主張するのだ。
女教師は主人公青年に一本取られたかたちとなり、須藤の退学は阻止された。
ふだんは無能を装いながらも実はキレ者で、コミュ下手であるハズなのに、そこはフィクション補正・主人公補正で交渉能力には長けている。しかも、それを武器にして入手したテストの「過去問」や須藤の点数も、サブヒロインやメインヒロインの手柄にすることで彼女たちをクラスの英雄としてしまって、自身は決してオモテには出ようとしない本作の主人公青年の特異性が、この序盤ですでに描き尽くされているのだ。
まさにオモテの仕事では昼行灯(ひるあんどん)だが、裏稼業は実は殺し屋であるという、テレビ時代劇『必殺』シリーズ(72年~)の主人公・中村主水(なかむら・もんど)を彷彿(ほうふつ)とさせる主人公青年のキャラ造形になっている。
しかし、意外性や二面性を持たされているのは主人公青年だけではなかった。第3話のラストでは、他でもない主人公青年自身が、愛想がよくてキャピキャピとしているだけで毒にも薬にもならないウスっぺらな人物なのかと思わせてきたサブヒロインのウラの顔を偶然に覗き見てしまって驚かされることとなるのだ!
クラスで孤立していた黒髪ロングのメインヒロイン・鈴音を誰よりも気にかけて、友達になりたがっているハズだったサブヒロイン・桔梗が、夜の人工島の湾岸エリアにフラリと出掛けていって、鈴音のことを評して、
「ああ、ウザ!」
「最悪! 最悪!!」
「死ねばいいのに!!」
などと罵倒しながら、フェンスを激しく蹴りつづけていたのだ!
主人公青年の存在に気づいた桔梗は、彼の手を取って、制服の上からだか自身の巨乳にふれさせて彼の指紋を布地に付けることで、「このことを云いふらしたら強姦されたと訴える!」とスサまじい怒気をハラんだ激しい表情を浮かべて主人公青年を脅すのだ!(爆)
クラスのアイドル的存在としての桔梗の姿が回想される中で、どっちが本当のおまえなんだと悩んでしまう主人公青年……
実はこのあと、最終回に至るまで、桔梗がこのようなダークで激しい一面を見せることはほとんどなかった。その意味では、シリーズ構成的にはあまり意味を持ってこない描写ではある――深夜アニメ化されていない原作ラノベの続刊では、なにか係り結びとなるような描写に帰結しているのかもしれないが――。
ましてや、かのボッチアニメの大傑作『惡の華(あくのはな))』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20151102/p1)のように、好意を持った同級生女子のブルマーを盗んでしまった主人公の文学少年の行為を目撃して、彼を脅しつづけて地獄へと叩き落とす性悪な少女のようにはならなかったのだ(笑)。
それでもこの場面は衝撃が強い。ふだんの桔梗が、同じく久保ユリカが演じていたアイドルアニメ『ラブライブ!』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160330/p1)の主要キャラの女子高生・小泉花陽(こいずみ・はなよ)のごとく小鳥の鳴くようなアイドル口調なのに、やはりボッチアニメの名作『琴浦さん』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150403/p1)の初期編では性悪の女子高生であった森谷ヒヨリを演じていた際のような、いかにも性格がキツそうな声に豹変するのだから!
だが、これは決して彼女だけにかぎったものではないだろう。程度の差はあれ、多くの人間はウラの顔をふつうに持っているものであり、それを乱用や悪用でもなく周囲との駆け引きの中でいかに良い意味での「必要悪」として駆使していくのか? といった「処世術」もまた、本作の命題でもあったからだ。
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*校内暴行事件編
第4話~第6話では、新たなふたりのヒロインが主要キャラとして登場して活躍をはじめる。
ひとりは、ピンクのロングヘアを両サイドで束ねた、おとなしいメガネ少女・佐倉愛里(さくら・あいり)だ。
同じくピンク髪のメガネっ娘といえば、現在放映中であるテレビ特撮『宇宙戦隊キュウレンジャー』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180310/p1)でワシピンクに変身している着ぐるみの女性型ロボット「ラプター283」を連想してしまうが(笑)、そのラプター役の人気声優・M・A・O(マオ)がこの愛里の声も演じている。
もうひとりは、桔梗と同じく誰に対しても愛想がよい「Bクラス」の生徒であり、金髪ロングヘアだが影の部分にはピンクが施されている凝った配色が印象的な一之瀬帆波(いちのせ・ほなみ)である。実際には第3話の冒頭で、須藤が「Cクラス」の生徒たちと争っているのをとめる場面ですでに登場している。
ちなみにこの際に、「Cクラス」を支配しているロン毛の大柄な男で『週刊少年ジャンプ』のバトル漫画に出てきそうな龍園翔(りゅうえん・かける)という、いかにも悪者そうな名前のキャラ(笑)が、須藤のことを「コイツはいいオモチャになりそうだ」と評しているのが、この「校内暴行事件編」の伏線ともなっていたのだ。
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龍園の策によって、須藤は「Cクラス」の生徒たちから一方的に暴行を受けたとして訴えられる。再び退学の危機に追いこまれてしまうのだ。
そして、この目撃者となった愛里をメインに描いてキャラを掘り下げることにより、愛里がサードヒロインに昇格することとなる。
ふだんは目立たない愛里だが、実はネット界のグラビアアイドル・雫(しずく)というウラの顔を持っている。「自撮り」の撮影場所でたまたま現場を目撃したがために、そのウラの顔を知られることを恐れた自己保身で、愛里が証言を拒んでしまう展開には、価値判断としてはよろしくはなくても、良くも悪くも人間とはそういうものだという、実に大きな説得力が感じられるのだ。
また、常に親切に接してくれているのに、そのサブヒロイン・桔梗に対しては決して心を開かなかった愛里のことを、
「(桔梗の性悪かもしれない本性を危惧したゆえの)直感か?」
と主人公青年も冷静に観察して、内心でそのように評してみせている。
その逆に、愛里の方でも、一見ぶっきらぼうで不愛想な主人公青年のそれを、対人バリヤーとしての演技・フリだとしてその肉食系ではない正体を見抜いたのか、
「目が怖(こわ)くなかったから……」
として相談を持ちかけてくるシーンも、彼らにはたとえコミュニケーション・スキルが欠如していたとしても、その人間性には問題がないし、むしろ他人の心情・性格・性癖をよく観察できている卓見の持ち主としてさえ描いているあたりも、実に味わいがあるのだ。
新たなヒロイン登場により、ラブコメ的なほのかな思春期的なイロ気もある描写も随所に見られるようになっていく。
第5話では、愛里のデジカメ(デジタル・カメラ)を桔梗が偶然に壊してしまうこととなったために、その修理に付きあった主人公青年のことを
「休日は櫛田さん(サブヒロイン)といっしょだったの?」
「私だとシブるクセに……」
などと黒髪ロングのメインヒロイン・鈴音が主人公青年に問いつめてみせる会話を挿入することで、すでに彼女が主人公青年に対して、悪しからずに思っていることがうかがえて、視聴者にも疑似デート風な胸キュン感情を喚起してくるのだ。
しかし、そこで主人公青年が彼女の好意を受け入れてハッピーエンドになってしまえば、そこで物語は終わってしまう(笑)。それを避けるための本能的な作劇か、やはり主人公青年はお約束でも恋愛方面には鈍感なのであり、あるいは本作の場合は主人公青年もクレバーなので鈍感であるフリをしているだけなのかもしれないけど(汗)、彼女に対して
「なんか、モノスゴい顔をしているぞ」
などと非常に失礼な言葉で返すのだ(笑)。
また、暴行事件を裁くための生徒会の「審議」に証言者として参加したものの、苦手な兄の堀北学(ほりきた・まなぶ)がいるために、その話術の実力を発揮できすにいた黒髪ロングのヒロイン・鈴音に対して、隣の席にいた主人公青年が二の腕や脇腹をつかむことでアヘアへ云わせる描写(笑)もまた、ギャグ描写でもあるのだが、彼女の兄に対する好悪や緊張の情を察知しており、イザとなればそれを緩和するための行動は厭(いと)わない、主人公青年の出来た性格・オトナの態度を取れる性格をも描けているのだ。
第6話では、サードヒロイン・愛里のストーカーを主人公青年とフォースヒロイン・帆波が協力して撃退する。そこで、第4話では暴行事件の目撃者捜しに協力を申し出ていた帆波が、すでに264万以上の驚異的なポイントを稼いでいることを綾小路が偶然に知ってしまう描写がある。主人公青年は「計算ずくだろ」と彼女のことを警戒する。
そのあと、愛里と帆波が親しくする描写が特に見られなかったところも(汗)、そんな帆波の計算高さを愛里が弱者特有の本能的な直観で看破したからではなかろうか?(笑)
自分を偽りつづけるのは大変だと、愛里は主人公青年の前ではメガネをハズすようになった。このあとの回では従来どおりにメガネ、しかもダテメガネ(笑)を掛けつづけていることから、愛里が心を許せる存在は、あくまでも主人公青年のみであることが強調されることとなっている。
「綾小路くんは、私をヘンな目で見ないんだね」
といったセリフこそ、オモテでは地味な女子高生でも、その反動形成であろう、ウラではネットアイドルを演じてしまっているという二重生活を生きている愛里が、主人公青年を信頼している最たる理由である。
良く云えば、先の福沢諭吉の「格言」のように、「人は本来、全員が平等であるべきだ」という信条こそが、主人公青年の行動原理になっているからだ! と云いたいところだ。
しかし、主人公青年もまた、愛理のようにウラとオモテの二重性を持っていて、彼女の二重性については不信感を持つどころか、オモテで不全感があるからこそウラでは理想の人格を演技だとしても演じてみせたいという、ある意味では見苦しい動機が手に取るようにわかってしまって、だからこそ彼女をヘンな目で見ないという行為もまた、遠回しな自身の自己正当化や自己憐憫である可能性もあるだろう。
一見、博愛的な態度を取っている人間もまた、その根っ子にはそうそうホメられたものではない心情があって、その発露でしかない場合もあるからだ(爆)。
主人公青年がメインヒロインの兄こと学から生徒会に勧誘されても、「オレは面倒がキライ」だとして断った理由はもはや明白だろう。真の意味での万人平等の実現などをナイーブに信じているかはともかく、一応の人間平等を求めている綾小路が、劇中では悪しき特権階級として描かれている生徒会には好意的な想いがないのは当然のことなのだ。そして、綾小路が常日頃、メインヒロイン・鈴音に対して「Aクラス」への昇格には興味がないと語っていたことも本心だろう。
だからこそ、女教師・茶柱は主人公青年のことを「Dクラス一(いち)のクズ」だと判断して、鈴音に彼を警戒しろと忠告したのだ。
露骨なカースト制度を敷いている学園のシステムを、主人公青年・綾小路が陰から他人を操ることで引っ繰り返そうとしている、と女教師が判断したことも正しいのである。ただのコミュ力弱者に見える主人公青年が、退学寸前だった不良の須藤を二度も助けたことは、女教師にそう思わせるには充分に過ぎる事態だったのだ。
「あなた、何者なの?」というメインヒロイン・鈴音の問いに対して、「オレの詮索はするな」と返してくる主人公青年。
本作は主人公青年のモノローグが多用されて、一見は一人称小説のように物語が進行していくものの、この時点では彼の生い立ちや思想については一切語られることはなかった。「オレの詮索はするな」ということは、彼には何か秘めた想いや思想信条があって行動していることになるのだろう。
つまり、モノローグの手法自体も作劇的なトリックだったのであり、主人公でありながらも視聴者に対しても正体を明かしていない謎多き人物だったことが、ここで明かされたのだ。
このような状態でシリーズ後半にもつれこんでいく展開は、我々視聴者の新たな興味を惹かずにはいられないのだ!
雨の夜、「Aクラス」のリーダーであるも、薄紫のショートボブヘアで小柄な美少女・坂柳有栖(さかやなぎ・ありす)のグループと、先の龍園が率いる「Cクラス」のグループが鉢合わせした。
手下どもが互いのリーダーの頭に傘をあてがいながら防御したり、最前線に出張(でば)ってきて戦闘の構えを取るさまは、ほとんど東映のヤクザ映画のノリだ(爆)。
「王はひとりで充分だ!」なる龍園のセリフが、本作の世界観がまさに『仁義なき戦い』(73年・東映)であることをも象徴しているのだ。
それにしても、龍園たちが天井から釣り下がったミラーボールが光って回っている高級クラブのような場所にいる第4話の描写。こいつら、絶対に未成年なのに酒を飲んでいるよなぁ(爆)。
サングラスをかけた大柄の黒人の用心棒・山田アルベルトがヘマをした配下をフクロ(袋叩き)にするなどの描写は、どこが高校生なのだ!? とは思う(笑)。そこは漫画チックなのだが、それだけ悪党度は高くなるので、エンタメ作品としてはメリハリも高まることで、より楽しめる作品にはなっていく。
そしてそれは、粗暴な龍園が「Sシステム」による監視などはまったく恐れていないという証(あかし)でもあり、同時に次に来る「無人島特別試験編」の伏線ともなっているのだ。
*無人島特別試験編
第8話~最終回(第12話)では、高校が所有する無人島(笑)にて、生徒たちが共同生活をすることでクラスごとのポイントを競う特別試験が行われる。
そして、それらを通じて、「Aクラス」~「Dクラス」の多数のキャラたちをさらに掘り下げて描いて、その人物像をウキボリにしつつ、彼らが織り成す群像劇のようにもなっていく、絶妙な展開ともなっていくのだ。
もっとも、1本目の第8話の時点では、生徒たちはこれが特別試験であることにはまったく気づいてはいない。高校の施設同様に、高級レストランやバー(爆)、演劇を楽しめる巨大なホールにプール、エステサロンなどを完備した、デタラメにデカすぎる(大爆)豪華客船によるクルージングだと思いこんだ生徒たちは、ひたすら自由を満喫している。
シリーズ前半の展開を思えば、そんなもので済むハズがないであろうことは、主人公青年やメインヒロインでなくとも、視聴者の大半が察しがつくことだ(笑)。従って、ラストで体育教師らしき「Aクラス」の男性担任が特別試験について初めて生徒たちに語ろうが、視聴者が受ける衝撃は、実はたいしたものではない。
これら豪華客船の描写は、第7話の水着サービス編(笑)とも同様に、プールで遊んでいるサブヒロイン・桔梗の巨乳とか、エステサロンで寝そべっている帆波の美尻とか、女子オタ向けには金髪ロン毛のマッチョなナルシスト・高円寺六助(こうえんじ・ろくすけ)が裸体を披露して「私は、美しい!」(爆)とホザいていたりすることで、ぶっちゃけ云えば映像ソフトをはじめとする各種グッズの売上を上げることで第2期シリーズ製作にもちこむための戦略的な理由によるものだろうか?(笑)
ドラマやテーマのグレードが高くても、登場人物のほとんどがリアル系のデザインで萌え系美少女キャラが登場しなかったり、エッチな描写が皆無に近かったがために、円盤(映像ソフト)の売上が大爆死して、続編の製作が困難となっている例は枚挙にいとまがないのだから。
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サブヒロイン・桔梗に告白を決意した、先にも赤点・退学候補だった池が、
「下の名前で呼んでもいいか?」
という一言しか云い出せずに、しかも桔梗に
「寛治(かんじ)くん」
と呼ばれただけで
「ウォォ~~~!!」
と絶叫したり(笑)、それを見ていた須藤が主人公青年に黒髪ロングのメインヒロインの下の名前を教えろ! と激しく詰め寄ってきたり(爆)、同じく赤点・退学候補だった山内が念仏のように
「愛里ちゃん、愛里ちゃん、愛里ちゃん……」
と唱えてみせたり(爆)、といった3バカ大将によるラブコメ的な描写も、中年の視聴者からすればこの年代特有のあるある感にあふれた描写が実にリアルに感じられて、微笑ましく思えたものだ。
ただ、そうした演出ばかりではなく、豪華客船で豪遊する登場人物たちの描写の中でも、最終展開のカギとなる要素がさりげなく点描されているのが秀逸なのである。
高級レストランの場面では、「スンマセ~ン」と下品にボーイを呼んだ須藤たちに、優秀な「Aクラス」の生徒たちの冷ややかな視線が集中する。その中の男子生徒の挑発で、またもや須藤は声を荒げることになる。
しかし、「あの暴力事件の……」といっせいにヒソヒソ話がわきあがって、須藤の名誉が回復したのはあくまで「Dクラス」の中だけにすぎなかった! という厳然たる事実が描かれることで、世間の非情さをクールな視点で描いてみせるストーリー展開は絶妙なのであった。
また、「Dクラス」の担任女教師とは対照的に、二日酔いで学校に来てしまうようなダラシない「Bクラス」の担任女教師が――担任の素行の悪さはクラス・ポイント減点の対象とはならないあたりは、この作品の数少ない弱点のひとつではあった(汗)――、エステサロンの場面で
「あ~ん」
と吐息を上げながらも(笑)、主人公青年を要注意人物としてマークしていることを帆波に語るあたりも、実はそれなりに優秀な教師であることが端的に描かれてもいるのだ。
さらにバーの場面では、手下どもをハメたメインヒロインに業を煮やした龍園の姿が端的に描かれる。「おまえみたいな女はキライじゃない」と、彼女の姿を勝手にスマホで撮影して、まさに「オレの女になれ」(笑)と云わんばかりにメインヒロインを挑発する龍園のインテリヤクザぶりは、その静かで陰湿でネチっこい怒りの執念深い怖さを絶妙に描いた名演出によっても肉付けができていた。
龍園の手下として、黒髪ショートヘアのキツめな新ヒロイン・伊吹澪(いぶき・みお)も登場。龍園のやり方に反発して、彼の黒人用心棒青年から制裁が加えられるまでの彼女の一連の描写は、最終展開における龍園の大胆不敵な行動の動機・伏線ともなっているのだ。
第9話以降、実際の「特別試験」が描かれることとなる。龍園は「Aクラス」を支配するひとりで、スキンヘッドの強面(こわもて)の持ち主だが、先のレストランの場面では須藤たちにマナーを学べと忠告したほど実は「知性派」である葛城康平(かつらぎ・こうへい)とも手を結び、ともに高ポイントを獲得して「特別試験」の成績を上げるための契約を結ぶ。
さらに、「Bクラス」と「Dクラス」にスパイを送りこんで、特に新ヒロイン・澪の暗躍によって「Dクラス」は崩壊寸前に追いこまれてしまう! ここに至るまでの集団生活の中で、各登場人物が次第に本性を露呈させていく展開は実に見応えにあふれるものがあった。
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本来、雑魚(ザコ)キャラであるハズの池や山内でさえも、意外な一面が描かれる。池はキレイな水源を発見したことで幼いころからキャンプに親しんでいたことが明らかとなり、火を起こしたり食用可能な植物について語ることで、頼りになるとクラスメイトからも称賛される。
もっとも、本作序盤から登場していた「Dクラス」の女子カースト最上位のギャル少女・軽井沢恵(かるいざわ・けい)の下着が盗まれた騒ぎで、池のリュックの中になぜか下着が入っていたことに池が激しく動揺!
彼のことを疑った女子たちが手の平を返したように池を「変態」呼ばわりするさまを見ていると、集団心理による世間の人物評価がいかにあやふやでいい加減なものであるかを乾いた視点で描いた、上げたあとでストンと落としてみせるような秀逸なストーリー展開でもあったのだ。
山内は「Cクラス」から追い出されたとして森の中でうずくまる新ヒロイン・澪の芝居に、「オレたちのキャンプに来い! おまえが動けるまで待っていてあげるから」と、意外な優しさを見せるのだ!
たとえ、須藤と組んでいるような性悪な不良でも、さすがに人の生き死にに関わるようなことであれば、義侠心を見せる者がいるということは、勧善懲悪のテレビ時代劇や特撮変身ヒーローものの悪役でもないのだから、ナチュラルで多面的な人間描写は達成できているのだ。
だが、それだけにはとどまらない。本作では自身で自分のことをウラ表がないと主張するメインヒロイン・鈴音の独特な人の見方が提示されて、それをいさめる主人公青年の姿までもが描かれる。
第11話で、メインヒロインは善意の固まりのような「Dクラス」の男子カーストの頂点にいる、初日の「自己紹介」や須田たちに対する「勉強会」を提案した好青年・平田のことを、「善意と偽善は表裏一体だから信用できない」として主人公青年に語る。しかし、主人公青年は「人間、誰もがウラ表があると思わない方がいい」と鈴音に返すのだ。
もちろん、たいていの人間はホンネとタテマエを使い分けている。このことに関する見解についてはメインヒロインと主人公青年とでも一致している。
しかし、他人をダマして陥れるためのホンネとタテマエは「悪」だが、他人との潤滑油としての社交辞令・礼節や優しいウソとしてのホンネとタテマエであれば、むしろ必要悪として積極的に許されてしかるべきだろう。
それはともかく主人公青年は、平田がメインヒロイン同様にウラ表がない、決して偽善者ではない人間であることをすでに看破していたのだ。
第8話で平田はクラスをまとめるためにはメインヒロイン・鈴音の力が必要であり、そのための鈴音との橋渡しをしてほしいと主人公青年に頼みこんでいた。しかし、第10話でクラスが集団生活の過程でようやくまとまってきたかに見えたことに、平田は「クラスのみんなが満足していればボクはそれだけで幸せだ」などと、鈴音からしてみたら「偽善者」にしか見えないようなイラつかせるセリフ(爆)を口にしてしまう。
そんな平田のことを主人公青年もまた、鈴音同様に冷ややかに見てはいるのだが、同じく第10話で池から恵のパンツを押しつけられて(爆)、とっさにジャージのポケットに隠してしまった主人公青年を、平田は女子から要求された身体検査でそれに気づきながらも、男子は誰も恵のパンツを持ってはいなかったと、ウソの証言するのだ。
「君はそんなことをする人じゃないとボクは信じている。だから、助けた」と、平田はその理由について綾小路に語っている。平田もまたやや底が浅い善人かもしれないが、杓子定規の官僚主義的な学級委員・風紀委員的なキャラではなく、小さなウソといった融通や機転も利かせられるし、それまでの学園生活を通じて、このクラスでは目立たない無気力そうな主人公青年が、そのような下劣なことをする人間ではないことを見抜いてみせている慧眼(けいがん)の持ち主であることをも同時に、ここで描いてみせてもいるのだ。
基本的には筆者もまた、鈴音が主張する「善意と偽善は表裏一体」の立場の者ではあるのだが、世の中には平田のような、本当に「いい人」がほんのひと握りではあるものの、たしかに存在することも、これまでの人生の中で確認してきている。
だから、他人を一面だけで判断して全否定をしないことはもちろんのこと、偽りのない善意の存在も見極める力を得ることで、少しでも人生が自分にとって有利な方向に働くような、通常は悪い意味で使われがちな「処世術」をコミュ力弱者や善人こそが必要悪として身につけてほしいという、原作者や製作者側のメッセージが、主人公青年と平田との関係性の変化に込められているようにも思えてきてしまうのだ。
しかし、クラスのまとめ役として申し分がなく、「偽善」ではなく「善意」の固まりである平田が、よりにもよってクズの集まりである「Dクラス」に配属されてしまった理由が、第11話のラストでは明らかにされたといってよいだろう。
実は新ヒロイン・澪が恵のパンツを盗み出したことで疑心暗鬼が生まれて、クラスは男女間で断絶状態となり、さらに謎の放火騒ぎに天候悪化! と、相次ぐ災難に、平田は「どうして、こんな…… ボクは、何も悪くないのに……」などと抱えきれない事象の連続にパンクしてしまって、放心状態となってしまうからだ。
実にシビアに過ぎる設定かもしれないが、究極の正論ではあるかもしれない、困難に打ちのめされてしまうようなメンタルの弱さこそが、劇中の学園で平田が「Dクラス」に配属されてしまった理由であったように筆者には思える。
日本ではほとんどの中学生が普通高校に進学することがふつうになって久しいが、今でも階級流動性に乏しく見えざる階級制度が残っている欧州では、労働者階級の子弟が知的職業に就こうとする機運には乏しい。
あるいは、欧州では中高生という早い段階で学力で選り分けられて、エリート学校と専門職業学校に分かれてその後の人生や生涯収入も若いうちに決まってしまうのだ。日本のように文系の学部に進んだ人間がIT関係の企業にも大量に入社してしまえるような理系・文系の流動性もまたアリエない。海の向こうでは理系の学部に進んだ人間にしかIT関係の企業に就職することはできないのだ。
そして不況になれば、企業は即座に大量解雇に踏み切ってしまう。失業率も常に10パーセント前後に達していてホームレスの数もまた多い(汗)。
「労働生産性」の概念も目の前の仕事を効率的に進める意味ではない。高い利潤や高い賃金に比例して高まるだけの概念なのである。貧富の格差が大きく、ある意味では不労所得的な賃金の高い業種だけが稼いでいるだけでも「労働生産性」の数値は上がるのだ。アップルやグーグルといった高収入企業を誘致できたアイルランドのそれも上がる。逆にワークシェアリングで短時間労働者やパートや派遣や不正規雇用が増えれば、それだけで「労働生産性」の数値は減ってしまうのだ。
この概念の数値にダマされて、いくつかの国々の労働者たちは目の前の仕事を効率的に進めていない! 労働力の質が下がった! などとカン違いをしてはならない。この概念こそが怪しくて害毒をもたらしている。新しい適切な経済基準をつくって、そこに沿ったかたちでの経済活動を営むべきなのだ!
本作の世界観は誇張・極端化されているとはいえ、日本もそんな道を歩もうとしているらしき悪しき「新自由主義経済」的な世界に関するリアル・シミュレーションなのでもあって、そこでの腹芸(はらげい)的なコミュ力、他人に対する共感性には乏しい指導力(汗)、平田のようなシビアな人間関係や交渉事への耐性には欠ける者が、社会に出てから生き残れるハズがないと判断されてしまうことは必然なのである。
そして、むかしながらのヤンキーで単純バカな須藤は当然だとしても、本作で災難にあうのは平田も含めた、ウラ表を持たない善人も含めてのことなのだ。
これもまた、ウラ表のふたつの顔を駆使することができない者は、ワルだろうが優等生だろうが、双方ともにいずれはカーストの頂点から脱落してしまうといった、実社会でもよくあるような話を迫真性を持って描いた展開でもあったと思えるのだ。
性格自体にやや難はあるものの(笑)、本作ではウラ表を持たない人物の代表であった黒髪ロングのメインヒロイン・鈴音もまた、最終展開では最大の危機が訪れている。これを契機に、綾小路との関係性が良好な方向に発展するのかと思いきや、物語は衝撃的な結末で幕を迎えた。
澪は恵のパンツを盗むことで「Dクラス」を分裂させたのみならず、鈴音からリーダーの証であるキーカードを盗み出すことにも成功する。
各クラスの真のリーダーを当ててみせたクラスにはボーナス・ポイントが与えられて、逆にリーダーを当てられてしまったクラスはポイントがマイナスされるという、「特別試験」のルールがあったからだ。
降りしきる雨の夜、武道に多少の心得があった鈴音がキーカードを取り戻そうと、龍園のアゴの先にまで足が上がるほどに格闘技に長けた澪と、森の中で激烈なバトルを展開する!
これまで散々にクラスの連中をバカにしてきた自分が、イザとなったら暴力で解決しようとするだなんて……との想いが脳裏をカスめながら澪と戦うことになってしまった鈴音のバトル演出は、実に迫力満点だ!
最終回。降りしきる雨の中で、倒れ伏した鈴音を抱き起こした主人公青年は、「私に仲間がいたらキーカードを守ることができたのに……」という、仲間の存在に否定的であった鈴音からの後悔の念を聞かされる。それでもひとりで事態を解決しようとする鈴音に、「おまえはそんなに強くない」と語ってみせる主人公青年こと綾小路。
第2話では「兄さんに近づくために入学した」などと語っており、ふだんは勝ち気な鈴音が実は兄の学にはまったく頭が上がらなかったり、第5話の「生徒会審議」では学がいたためにモジモジして発言ができなかったりと、初期編のころから主人公青年は鈴音の意外な弱さを目にしてきたのだ。
――おそらく、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の完璧人間に見えた黒髪ロングのクールなメインヒロインが、快活な実の姉には苦手意識を持っていた!……といった実に印象的だった描写から、インスパイアされた設定ではなかろうか?――
そんな鈴音に「ひとりで戦えないなら、ふたりで戦えばいい。オレがいっしょに戦ってやる」などと頼もしいことを云い聞かせてくる主人公青年。
彼女も内心では秘かに彼に対して「胸キュン感情」を覚えただろうが、対外的には「あなたは、そんなことを云う人じゃない……」などとつぶやいて、気を失ってしまう!
やまない雨の中で、主人公青年が鈴音のことを「お姫さま抱っこ」で船に連れていってあげたり、第11話では抵抗する鈴音の腕を主人公青年がつかんで唇を奪うのか!? と思いきや、オデコに手を当てて発熱していることを見破ったりなど(笑)、これらの恋愛ドラマチックな描写は、本来ならば主人公青年とメインヒロインの関係が劇的に進展したことを表わすものであったハズなのだ!
だが、主人公青年は「最終試験」の成績で決定打となる「リーダー当て」のために、山内を愛里のメアド(メールアドレス)をエサにしてまで協力させることで、鈴音に隙を与えて、澪がキーカードを盗むように仕向けていたのだった!
恵のパンツを盗んだのが澪ではないと、主人公青年が信用していると語った際に、ふだんはキツめの澪が顔を赤らめる描写があった。これなども澪を油断させるための綾小路のハッタリだったワケであろう(爆)。
試験終了直前に、調子が悪くなった鈴音と主人公青年がリーダーを交代してしまったことで、リーダーの正体を当てられることを阻止できたために、「Dクラス」は最高得点を獲得することができた! 歓声がわく中で唯一、不本意なかたちでの勝利であっても、溜め息をついている平田の点描もまた芸コマな描写である。
そのあざやかな手口すらも、主人公青年・綾小路はそのすべてをメインヒロイン・鈴音の功績にしてしまった。そして、そこから周囲に人だかりができて、鈴音は歓声の渦に包まれる……
クラスの勝利のために、鈴音を利用したことは綾小路自身の口からすべて語られた。それでもなお、綾小路に一応の礼を云って、仲間として認めてあげると語った鈴音に、綾小路は内心でこう告白する。
「オレはおまえを仲間だと思ったことがない。おまえも櫛田も平田も、すべての人間は道具でしかない。たとえどんな犠牲を払ってもいい。この世は勝つことがすべてだ。最後にオレが勝っていればそれでいい」(爆)
『必殺仕業人(ひっさつ・しわざにん)』(76年)第1話のラストシーンにおける、主人公・中村主水の殺し屋仲間たちに対するセリフを想起させる……。ってわかりませんよネ?(笑)
この「無人島特別試験編」は、豪華客船のシアターでギリシャ神話のイカロスとダイダロスの演劇を観ながら会話する、綾小路と担任女教師の場面で幕を開ける。そして、最終回ラスト手前にイカロスとダイダロスの親子関係を綾小路と彼の父に重ね合わせて、女教師と綾小路が語っている場面が係り結びとなって幕を閉じている。
綾小路が自由に空を飛んでいられるのも、父に翼を与えられたからにすぎず、やがておまえは転落死するだろうと、暗示的に語ってみせる女教師。
オレは太陽にはケンカは売らない、イカロスはダイダロスの云うことは聞かないと、ムチャで無謀な域に達するような策謀はしないという意味のことを返してくる綾小路。このあまりに知的で文学的なやりとり……
第11話にて綾小路が龍園の企みをつぶすための暗躍を始める前に回想として短く挿入された、中学生当時らしき綾小路が白い鉄格子の中に閉じこめられるアバンギャルドな演出など、最後まで綾小路の出自が明確には語られることはなかった。彼のクールな策謀は実にカッコいいのだが、そのホントウの真意をつかむことは困難であった。
なにぶん原作のライトノベルも完結しておらず、好評継続中ではあるので、そのへんの少々の不満や不如意感も含めて、この深夜アニメの魅力でありヒキにもなっていたのかもしれない。
ただ、シリーズ前半では「クラス一のクズ」として綾小路の排除を考えていたハズの担任女教師が、とても制御できないほどの綾小路のおもわぬ強大な力を、後半に至るまでの間にそれを自身の都合のいいように利用しようと方針転換したことはたしかだ。
大人のイヤラしさの代表として描かれた担任女教師だが、ナイスバディ、気怠そうなだがドスのきいた語り口と、「スゲェいい女」であることがなんとも歯がゆい(笑)。
第8話で、「Aクラスを目指すか退学になるか、今すぐに決めろ」と女教師に迫られた綾小路は「あんたそれでも教師か!?」と、襟首をつかみあげる(!)ほどだった。しかし、「特別試験」で「Dクラス」が優位となるように動いたのは一見、女教師の脅迫に屈したようには見えたものの、綾小路なりの精一杯の落としどころであっただろう。
「自由を守るために、自由を捨てるか?」という、綾小路のつぶやきはなんとも象徴的だ。
だが、それがあまりにもあざやかにすぎたことで、女教師は最終回では綾小路の力に恐怖して再度、排除する方針に戻っているように見受けられる。
第10話の冒頭では綾小路を「清隆」と呼んでいる父らしき教師が、中学生当時の綾小路に「力を持っているのに使わないのは愚か者だ」などと教室で語る回想がある。しかし、綾小路自身、自分の力があまりに破壊力が強いことをすでに承知しており、だからこそふだんはそれを使わずにセーブしているのだと解釈することも可能ではなかろうか?
メインヒロインである鈴音、そして平田、須藤のような、ウラ表の顔を駆使することができないカースト的な弱者が今度こそ虐げられない世界を実現するために、綾小路はどんな犠牲を払ってでも、決して平等ではない今の世界を破壊しようとする野望を秘めているダークヒーローのような存在ではないのか? と、今のところは考えているのだが……
なお、原作ライトノベルでは、サブヒロイン・桔梗が中学時代にキライな同級生の名前をネットでさらしたことが学級崩壊を招いたとか、「Dクラス」の女子カーストのトップ・恵が実は小中学生時代にいじめられっ子であり、その事実を知っているメインヒロイン・鈴音を退学に追いこもうとしているとか――第11話で鈴音が恵と綾小路の知らないところでモメていると語られているのはこのことであろうか?――、恵が平田と交際しているのは単にカースト維持のステータスのためであり、なんと綾小路に乗り換えてもいいように平田は利用されているのだとか……
ウ~ム。下世話な筆者にとってはOKなストーリー展開なのだが、ヘビーなストーリー展開を「鬱(うつ)アニメ」だとして避けしまう風潮もある、今の若いオタにとっては重たすぎるであろうし、ヒトを選んでしまう作品なのかもしれない。
製作費の回収や第2期の製作にも関わってくる円盤の売上の方は大丈夫だったのであろうか?(汗)
(後日編註:第1期の第1巻の売上は1200枚。ネット配信が全盛の2022年の今となってはふつうの売上に見えるやもしれない。しかし、2017年時点の基準では爆死であった。……傑作だったのに!(汗) しかし、まさか5年も経ってから、ストレートな続編として第2期が製作されて、来年2023年冬季には第3期も控えていようとは!)
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