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アオイホノオ(実写ドラマ版) ~原作マンガよりも面白い傑作に仕上がった!?

『トクサツガガガ』(TVドラマ版)総括 ~隠れ特オタ女子の生態! 40年後の「怪獣倶楽部~空想特撮青春記~」か!?
『怪獣倶楽部~空想特撮青春記~』に想う オタク第1世代よりも下の世代のオタはいかに生くべきか!?
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 2021年10月1日(金)~12月19日(日)にかけて国立新美術館にて開催された「庵野秀明展」が無事終了記念! とカコつけて……。庵野秀明の若いころも描いた『アオイホノオ』実写ドラマ版・合評をアップ!


アオイホノオ』実写ドラマ版 ~原作マンガよりも面白い傑作に仕上がった!?


アオイホノオ』実写ドラマ版 ~合評1

(文・T.SATO)
(2014年10月26日脱稿)


 原作マンガ(07年~)よりも面白い!(私見です) 笑えるべきところでキチンと笑える!


 TVドラマ化される以前、オタクサークル系マンガを個人的に渉猟(しょうりょう)していたところ、アマゾンが「おなたにおすすめです」と教えてくれたので(笑)、たまたま既読だった。そして、アマゾンのユーザーレビュー群の評価も高かった……。
 しかし、80年代も遠くなりにけり。あの時代の元祖オタクの青春を描くという題材はイイと思う。けれど、初期編が連載ではなく単発の不定期読み切り作品だったせいもあるのか、タテ糸的な軸が定まっていないようにも思えた。この作品の高評価は、高齢オタによるいわゆる「思い出補正」というモノではないのか? そんな風に思えてならなかったのだ。


 だが、しかし! 鬼才・福田雄一カントクが暑苦しく描いた本作は、後出しジャンケン(笑)の再構成ゆえにか、妙にまとまりがあるようにも見えるのだ。


 役者陣の戯画的(ぎがてき)な誇張した熱演も成功していてスナオに笑える。主役は原作マンガの主人公の見た目にもクリソツ! ヤスケンこと安田顕(やすだ・けん)演じる庵野ヒデアキも、その庵野が素面で演じる特撮巨大ヒーロー・ウルトラマン(笑)も、似せまくりで庵野の奇人変人ぶりを再現! 快作に仕上がっている。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2014年秋号』(14年10月26日発行)~『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『アオイホノヲ』合評1より抜粋)


アオイホノオ』実写ドラマ版 ~合評2

(文・J.SATAKE)


 炎の漫画家・島本和彦氏の自伝的漫画(07)を実写ドラマ化した『アオイホノオ』(14)。脚本・監督は福田雄一氏。


 島本氏の実写映画『逆境ナイン』(05)では福田氏が脚本を担当し、福田氏の映画『女子ーズ』(14・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200223/p1)ではキャラクターデザインを島本氏が担当するなど以前から交流があるおふたりが本作でもタッグを組む。


 1980年代初頭はこれまでの漫画・アニメ・特撮作品の影響を受けた1960年前後生まれのオタク第1世代の若者が、作り手となるべく胎動を始めていた時代。


 主人公である大阪芸術大学一回生(一年生)・焔モユル(ほのお・もゆる)(演・柳楽優弥)。ひとかどのクリエイター・漫画家を目指す男。
 70年代末期に突如として勃興して、その後のジャンル作品群の主要な一角を占めていくようになる可愛らしいヒロインとの三角関係をさわやかに描いたラブコメ漫画のエースであるあだち充(あだち・みつる)や、ビキニ姿の美少女をヒロインに当時における元祖オタクネタ(怪獣・宇宙人・妖怪)やオタクセンスを多数まぶしたギャグ漫画の始祖といえる高橋留美子(たかはし・るみこ)の漫画を鋭く分析・批評し、自分にもそれらを越える作品が創れる! と根拠のない自信を抱く彼だったが、口先ばかりでいまだその手を動かしてはいない(笑)。
 彼が所属するバドミントン部の部長・村上の彼女である森永とんこ(演・山本美月)と後輩・津田ヒロミ(演・黒島結菜)のふたりになぜだか挟まれるムフフな関係を、あだち作品の主人公と重ねて享受するばかりだ。


 そんな中途半端な焔の前に、絶大な才能を秘めた者たちが現れる!


庵野ヒデアキ(演・安田顕)。のちに巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)の監督となる男


・山賀ヒロユキ(演・ムロツヨシ)。のちにアニメ映画『オネアミスの翼 王立宇宙軍』(88)を監督し、アニメ製作会社ガイナックスの社長になる男


・赤井タカミ(演・中村倫也)。のちにガイナックスの取締役になり、美少女ゲームプリンセスメーカー』(91)などをつくる男


 彼らの行動・作品に自信を押しつぶされそうになりながら、漫画家への道を右往左往する焔モユルの青春ドラマ。それが本作だ。


 「この物語はフィクションである」とのテロップはあるものの、島本氏独特のフィルターを通した異能の者たちに対する証言といった趣もある。


 芸大の課題であるパラパラ漫画で、自動車のクラッシュシーンを緻密に描き出してみせた庵野。それを見た焔自身がパラパラ漫画となって驚く姿がその衝撃度を表す!(笑)


 仮面ライダーウルトラマンに心酔する庵野は、大学のショートフィルムコンペに特撮作品で参加。素面と胸の中央にカラータイマーを付けたウインドブレーカー姿でウルトラマンを表現! 画では巨大ヒーローではなく人間サイズの存在だとモロばれさせつつ、アクションに『ウルトラマン』本編の重厚感ある効果音をつけることで、観客に巨大ヒーローであることを意識させ、さらにそのギャップが笑いも誘う!!
 これが数年後に8ミリフィルム自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(83)として当時のマニア間で話題作となる原点ともなっていて、本編は当時のフィルムを見事に再現している!


 赤井も特撮に造詣が深く、下宿の自室の自作ミニチュアセットでコツコツとコマ撮りをするほどの好事家。一方でアニメ製作では当時の最先端でもあった可愛いらしい絵柄が持ち味だ。


 そんなマニア気質連中のなかで異質なのが山賀。大人気漫画家である手塚治虫(てづか・おさむ)の名前も名キャラクターデザイナー&アニメーターでもある安彦良和(やすひこ・よしかず https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190707/p1)のことも知らないが、今こいつと組めばこれから先、食いっぱぐれない! という直感が異様に鋭い!


 この三人が組んだ作品が噂を呼んで、大阪で開催される第20回日本SF大会(81)ことDAICON3(ダイコン・スリー)のオープニングアニメの制作依頼が舞い込む!
SF大会は開催地の「地名の一部」、コンベンションの「コン」、その地での「開催回数」の語呂合わせで、別名を付けて判別しやすくする慣例があって、ここでの「DAI」は「大阪」の「大」)


 この時代、青年マニアの間では海外小説や映画のみがSFではなく、日本のあまたの漫画・アニメ・怪獣映画もSFマインドを内包するものだという認識が高まっていた。その衝動を具現化するため、赤いランドセルを背負った小学生の少女が大根(だいこん)に水をあげるために、SF作家・ハインラインによる海外SF小説の古典『宇宙の戦士』(59)の早川SF文庫版(77)にスタジオぬえの面子によって挿絵として描かれたパワードスーツをはじめ、幾多のアニメ・特撮キャラの妨害?! を乗り越えてゆくという冒険活劇形式の短編アニメを創ろうというのだ。それが『DAICON3 オープニングアニメ』!


 このアニメの責任者が岡田トシオ(演・濱田岳)。のちに(株)ガイナックス初代社長となりオタキングに君臨する男。実家の財産と人手となるアニメ好きたちをつぎ込んで、庵野たちに自由に作品を作らせようというのだ。
 本編では描かれていないが、SF・特撮・アニメのガレージキット・模型・グッズなどを、自身が経営する店舗・ゼネラルプロダクツ(82~92)で販売し、メーカーでは作らない模型=ガレージキットを著作者の許諾を得て販売する大規模イベント・ワンダーフェスティバル(84~)を主催するなど(92年まで。その後は造形メーカー・海洋堂が主催に変更)、既存のキャラクターのマニア向け版権ビジネスを確立させる道筋をつけたことでも彼は評価されている。


 自分の作品を通して人を感動させたい――それがウルトラマンの再現でもアニメでも――と情熱を燃やす庵野。そしてそれを単純に面白いと喜ぶだけの同級生に幻滅する焔! 同じ時代に生きてクリエイターを目指している以上、ライバルの才能を素直に認めてどうする!


 「感動せんかぎり、俺の勝ちだぞ、庵野!!」


 その反骨精神や良し!!(笑)


 漫画家となるべく、そしてとんこやヒロミに一目置かれるために、漫画原稿を携えて東京へと乗り込む焔!


 しかし、東京でも喫茶店で原稿を仕上げる自分に陶酔したり、新宿の高層ビル群で大人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(72~86)ごっこに興じて記念撮影したりと横道ばかり(笑)。さらに持ち込みした出版社の担当の反応も良いのか悪いのか……。


 終盤では、DAICON3アニメの大反響を受けて、東京に呼ばれるのだという庵野たち! 焔はなにか彼らに勝てるものはないのかと自動車教習所に通ったり、フィルムコンペのためにSF恋愛アクションアニメを制作したりもするも、赤井の短編アニメと庵野ウルトラマン第2弾には及ぶことができずに惨憺たる結果。


 原稿を持ち込みした出版社の担当であるMAD(マッド)ホーリィ(演・佐藤二朗)からの連絡に光明を見る焔。しかし、まさかのページ増の描き直し要求!! 果たして彼は原稿を仕上げて、あまたの漫画家志望の若者たちから一歩先に抜きん出ることができるのだろうか?!
(MADホーリィの名前は、その出で立ちからも名作アクション洋画『マッドマックス』(79)シリーズからの引用か?・笑)



 登場人物たちと同じように、当時の往年の漫画・アニメを愛でてきたロートル・オタクならば、劇中で読書される漫画のカットに対して、TVアニメ版の声優が声をアテた数々のシーンにまずはグッと来る! 


あだち充のラブコメ球漫画『ナイン』(78。83に単発長編TVアニメが3本)の主演声優・古谷徹鶴ひろみ
・ラブコメ漫画『みゆき』(80。83にTVアニメ化)の主演声優・鳥海勝美氏は、あの照れ笑いや小喜びを意味する「ムフ」を!
松本零士(まつもと・れいじ)のSF寓話漫画『銀河鉄道999(スリーナイン)』(77。78にTVアニメ化)の主演声優・野沢雅子池田昌子
・同じく松本のSF漫画『宇宙海賊キャプテンハーロック』(77。78にTVアニメ化)の主演声優・井上真樹夫


 その他の作品も印象的なシーン・台詞が登場して、感動を再現!


 芸大のフィルムコンペ作品も、当時はフィルムに引っかき傷を付けて表現していた光線をそれっぽく再現したり、音質が悪い少しくぐもった音声など、8ミリフィルム映画の特徴とオリジナルの各作品を忠実に再現。


 当時のローテク(ノロジー)の再現とからめて、デジタル合成による漫画的な表現も。MADホーリィのホメ言葉に有頂天になり受話器を持ったままで天に昇り、空を泳いでしまう焔! その直後に「が、しかし」というMADホーリィの一言で今度は真っ逆様の急降下! 描き直し要求のトドメで地面に突っ込む!!


 漫画的表現は演者の力も借りて。焔の屈折しまくる負けず嫌いとどこからともなく溢れる自信家ぶりを、柳楽氏の絶叫と苦渋に満ちた瞬間の顔芸が見事に表現!


 とんこ役の美月嬢は島本ヒロインをしっかり再現! 黒髪ロングの髪型はもちろん、自身の魅力に気づかず男がテレていることにも気づかずに、何気に焔に顔を近づけてきて見つめてくるシーンは秀逸で、天然おっとりなしゃべり方がさらに魅力を高める! 『銀河鉄道999』の美女キャラ・メーテルのコスプレも美しい……。


 庵野役の安田氏もアニメ・特撮に傾倒するヲタクぶり、作画に集中して風呂にも入らず、食事はカルビー製菓のスナック・サッポロポテトと牛乳のみで机にかじりつく奇行ともいえる姿を熱演!


 山賀役のムロツヨシ氏とホーリィ役の佐藤氏は福田組の常連。相変わらずのアドリブ感溢れる演技で笑わせてくれる! 岡田役の濱田氏は小柄な体をでっぷりさせ、大阪のブルジョワ感と「俺ってスゴいでしょ」オーラをまき散らす!


 ジャンルやオタクの草創期で狭い世界だったゆえに連帯感の強いこの世界と世代。作品を盛り上げようと業界人や御本人のゲスト出演も多々。
 80年代初頭の高校生時代に『うる星やつら』(78)の虎皮ビキニ少女のラムちゃんのコスプレでアニメファンの注目を集め、今は亡きアニメ雑誌ファンロード』で漫画エッセイも連載(83)、その後は漫画家としても活動し、現在もコスプレを通じて世界のヲタクをつなげている一本木蛮(いっぽんぎ・ばん)氏は本作の総作画監督を担当!(劇中内に登場する当時のアニメ原画の複製の作成など)


 劇中では役者さんによって描かれた当人たちも、赤井孝美氏は風呂屋番台のおばちゃん、山賀博之氏は喫茶店店員として。岡田斗司夫氏は漫画の神様・手塚治虫先生! 焔にバイクを勧めるオヤジには原作者・島本和彦氏。脇役をこなし共演者たちと和む姿がエンディングで見られる。



 本ドラマのラストでは締め切りに追い詰められているヘッドギアの男が登場! ここでドラマの焔は、島本氏自身が後年に手掛けた人気漫画『燃えよペン』(90)の主人公=熱血漫画家・炎尾燃(ほのお もゆる)となったことが明かされる!
 しかしその本質は学生時代と変わらない。絶体絶命の締め切りを前にしても、「今は眠る」とベッドに倒れ込んでしまう炎尾!(笑) どんな状況でも絶対的に自分を信じ込み行動していく男の漫画道はまだまだ続いて行くのだ……。



 多種多様なジャンルの作品を吸収し、クリエイターとなるべくバイタリティーを持って行動したヲタクたちのドラマ。その奇行ぶりが理解できないと言う常識人ももちろんいてよいのだが、このような物語・ドラマといったフィクションの形を取ることで、初めてその道に進んでいく人間の何たるかが理解ができることもあるだろう。その意味で単なる味気ない歴史年表としての記述でなく、読者や観客に登場人物への感情移入・疑似体験をさせるフィクションの効用は大きいのだ。


 今でも一ファンとしてこのジャンルを追い続ける者にとっては、彼らの人格的なクセや偏りもわかっているので、手放しで屈服するワケにはいかないものの、やはりトータルでは彼らは賞賛に値する存在なのだ。漫画だけではなく深夜枠とはいえTVドラマとしてさらに広く見てもらえる機会を得られたことを喜びたい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2014年秋号』(14年10月26日発行)~『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『アオイホノヲ』合評2より抜粋)


アオイホノオ』実写ドラマ版 ~合評3

(文・H.KATO@汗牛軒主人)

《地球は我々人類の手で守り抜かなければならないんだ。》(ウルトラセブン


 『日本百名山』(1959~63年連載。64年・新潮社)を著した小説家であり登山家でもある深田久弥(ふかだ・きゅうや)は、「日本人の心の底にはいつも山があったのである」と書いた。同じように、人は誰でも心の底に「物語」をもっているのではないか。
 ここで言う「物語」とは、思想マンガ『ゴーマニズム宣言』(1992~)の作者・小林よしのりが言う「国家のための物語」であるとか「マルクス主義のための物語」であるとか、そこまで大仰なものではない。人はその少年時代に触れた理想化されたヒーローなどを描いたエンタメ作品などの「物語」を大人になっても保持し続ける。そして、それが時として人の生き方に決定的な影響を与えているのではないか。


 マンガ制作の裏事情を描いた『編集王』(土田世紀・1993~97)という週刊青年漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」に連載されたマンガ作品がある。作中、文芸誌の編集者である五日市が「太宰(太宰治)が孤独を教えてくれ、賢治(宮沢賢治)が宇宙を教えてくれ、三島(三島由紀夫)が理想を教えてくれ……」と「文学」への思いを吐露する名シーン。


 その名シーンに倣(なら)って言おう。私は、


戦隊シリーズ(1975~)からチームワークを学び、
仮面ライダー(1971~)から異形としての悲しみと強さを学び、
ウルトラマン(1966~)から科学を学び、
・『ドラえもん』(1969~)から夢を学び、
・『釣りキチ三平』(1973。80にTVアニメ化)から大自然の驚異を学び、
ゴジラ(1954~)から破壊を学び、
・『ドロロンえん魔くん』(1973)からチラリズムとエロチシズムを学び、
・『ブラック・ジャック』(1973)から生命を学び、
・(キリがないので以下略)


 ……幼少期から青年時代にかけて触れ、取り入れてきた数々の物語によって人生を方向付けてきた(方向付けられてきた)。


 その中でも、私が直截(ちょくせつ)な影響を受けたマンガ作品のひとつに、「週刊ヤングジャンプ」に連載された大学を舞台にしたラブコメである『わたしの沖田くん』(野部利雄・1980~84)がある。
 このマンガに触れたときの私は小学生であったが、作中で描かれる大学生の生活がなんと魅力的だったことか。私は安アパートやキャンパスライフ・アルバイト・都会・合コン・ゼミ・講義・レポート……というものに憧れた。「大学生になりたい!」と、まだ小さかったコブシを握りしめたものだ。


 のっけから訳のわからない自分語りになってしまって恐縮だが、……『アオイホノオ』である。


 この原作マンガ(2007~)を読んで(あるいは深夜ドラマを視聴して)、創作者への道や芸術系大学への進学を志すに至る青少年も多いのではないか。今から約35年前の1980年を舞台とした『アオイホノオ』に登場する後年の大家たちが第一線を退場しても、ジャンルの魂は我々後進の手で守り抜かんと、『アオイホノオ』という「物語」を原体験・根っこにした次世代のクリエイターがこれから20年の間に続々と登場するのではないか。本作にはそれほどの可能性が感じられるのだ。


 作者の島本和彦がどこまで自覚的に描いたかは定かでないが、『アオイホノオ』は藤子不二雄Aが自らのマンガ家としての経歴を描いた自伝マンガ『まんが道』(1977~82)になる可能性すら感じさせる傑作だ。名作の誉れ高い『まんが道』だが、マンガ家を目指す人物のバイブルでもあるという。21世紀、これからマンガ家(ひいてはクリエイター全般)を目指す若者にとっては『アオイホノオ』こそバイブル化していくのではないだろうか。


《真の贅沢というものは、ただひとつしかない。それは人間関係の贅沢だ。》(サン=テグジュペリ


 原作者である熱血ギャグマンガ家である島本和彦の他作品との比較でいえば、『アオイホノオ』はタイトル通り、なんとも青臭く甘酸っぱい作品だ。もちろん島本和彦一流の熱血ギャグもふんだんにちりばめられてはいるものの、そんなギャグすら甘酸っぱい匂いがムンムンする。
 本作の主人公である焔燃(ホノオ・モユル)の、数々の勘違いギャグ。他作品のようにはノンキに笑えない。もちろん笑えはするが、笑いながらも甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。


 そして、マンガ的にデフォルメされた(実在の)登場人物たち。島本和彦の他作品には見られない、人間クサさとリアリティにあふれている。


 後のオタキングこと岡田斗司夫(おかだ・としお)も、巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)監督の庵野秀明(あんの・ひであき)も、


「変人だったといっても、いくらなんでもこれほどじゃあないだろう。やっぱりデフォルメされたマンガだよなあ」


と思わせつつ、それでも読者・視聴者に(直接の面識がないのにかかわらず)、


「でも、イコールではなくとも、たしかにこんなヤツだったのだろう」


とも思わせる圧倒的な人間クサさ、そして一種のリアリティ。同じ時代に、同じ空気の中に存在したからこそ描けるのであろう。


 『アオイホノオ』は自伝マンガというより、私小説的な要素がある。それは原作マンガ単行本の第1巻の庵野秀明登場シーンに書かれた、


「これが後にエヴァンゲリオンの監督となる、庵野秀明との出会いであった。(出会ってないが)」


というセリフに象徴的だ。


「この物語はフィクションである。」
「実在の人物・団体等の名称が一部登場するが、あくまでこの物語はフィクションである。」


という但し書きが言うように、島本和彦は学生時代の自身をもとに「焔燃」というマンガのキャラクターを作った。その後に知り合い、同窓生であることを認識した人物(それこそ庵野秀明赤井孝美など)をもとにサブキャラクターを作った。
 そして、奇しくもキャラクターの元ネタとなった人物たちが共有した時代・場所を舞台に、現実のエピソードをエッセンスとして加えた私小説的マンガ作品なのだ。


 それにしても、焔燃の同級生たちの多士済々たること。実際に学生時代、知り合いであろうとなかろうと、彼らが時代と場所を共有して存在していたことは、ほとんど奇跡だ。昭和後期の漫画界の大御所たちが若手時代を過ごした昭和30(1955)年前後の「トキワ荘」にも比すべき奇跡である。
 「トキワ荘」が後の大御所たちの揺り籠になったように、大阪芸術大学(原作マンガでは大作家芸術大学・笑)も後のアニメ界・漫画界の大御所たちの揺り籠になった。


 そんなトキワ荘に集まった数々のマンガ家の卵たちを触発したのは言わずと知れたマンガの神様・手塚治虫(てづか・おさむ)であろう。
 それでは、大阪芸術大学の彼らは何に触発されたのだろうか。個人的には、それは大阪芸大の外から闖入してきた岡田斗司夫だったように思う。


 出たがりで目立ちたがりでまくし立てるようなトークも得意な岡田斗司夫はクリエイターではないので、マンガ業界の饒舌なスポークスマン(代弁者)としても振る舞われていた一点を除けば、安易に手塚治虫に例えるのは適当ではないのかもしれない。ナイーブなオタク諸氏には苦手意識を持たれたり、あるいは嫌われてさえいるかもしれない。
 しかし、学生時代に「キチガイ」というニックネームだったという岡田斗司夫の、博覧強記な知的マニアであるにも関わらず決して腺病質ではなく、イベンターやコーディネーターとしての社交的でお祭り屋的な熱気や狂気! それが「アニメの上手な学生さん」でしかなかった庵野秀明たちを表舞台へと引き上げていったのだ(山賀博之もそういうプロデューサー的な資質があったが、岡田ほどではないだろう)。


 そして、当時の青少年オタクたちが好んでいた早川SF文庫の海外SF小説や(パワードスーツが登場する『宇宙の戦士』(1959))、当時まさに最先端であったTVアニメ『機動戦士ガンダム』(1979。81に総集編映画化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)や『伝説巨神イデオン』(1980。82に総集編映画化)といった富野喜幸監督による2大リアルロボットアニメ、この時代の青年~子どもたちが幼少期にたしなんだ共通体験・共通知識であったゴジラガメラ・バルタン星人・キングギドラといった巨大怪獣、初代『ウルトラマン』(1966)に登場した戦闘機ジェットビートル、東宝特撮映画『海底軍艦』(1963)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974。77に総集編映画化・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)、海外SFドラマ『スタートレック』の宇宙船エンタープライズ号(1966。79に続編映画化)などが次々と登場。
 それらが当時、マニア間で注目を集めていた名アニメーター・金田伊功(かなだ・よしのり)によるパースペクティブをデフォルメしたポーズやアクションを取っている少女のランドセルの中から次々と発射された全方位ミサイルによって、同じく名アニメーター・板野一郎によって描かれた多数の誘導ミサイルが白くて細い噴煙を引きながら標的を目掛けて乱舞する通称・板野サーカスを再現するかたちで撃破されていく!


 この作品は第20回日本SF大会DAICON3(ダイコン・スリー)(1981)のオープニング映像として、今でいうオタク観客たちの共感と喝采を呼んで、アニメ雑誌アニメック』の巻頭カラー記事でも各ショットが細かく紹介されて、当時まだ10代が中心だったローティーン以上のアニメファンたちにも、自分たちの感性を体現してくれているパロディーとして絶大なるインパクトと笑いを与えることで、庵野たちの出世作ともなったのだ。


 後年に岡田や庵野や山賀が劇場アニメ『オネアミスの翼 王立宇宙軍』(1987)を製作するために設立したアニメ製作会社ガイナックスが、その出資を仰ぐためにバンダイ山科誠社長に同作のプレゼンをした。その際にも紙ペラ1枚の企画書だけで岡田は滔々と30分だか1時間だかも長演説をしたそうだ。山科社長の方でも彼の胆力と行動力があればアニメ映画製作を遂行できると踏んだという趣旨の発言をしている。



 手前ミソだが、それを如実に物語るのがドラマ版の最終回ではなかろうか。思わずニヤリとさせられる人物のカメオ出演はこのドラマの大きなウリだったのだが、よりによって手塚治虫役として岡田斗司夫がキャスティングされているのだ。
(余談だが、作中で濱田岳が演じる岡田斗司夫の未来の妻として、主演の柳楽優弥(やぎら・ゆうや)の実際の細君である豊田エリーがキャスティングされているところも深読み派ファンにはたまらないサービスである)


 島本和彦もそのつもりで『アオイホノオ』を描いていたのではないか。そして、ドラマ版の監督である福田雄一もそういうふうに原作を読解したのではないか。原作では岡田が登場するシーンの背後には膨大な数の


「俺ってスゴいだろ、俺ってスゴいだろ」


といった字幕の弾幕で、彼が振りまく自己顕示的なオーラが表現されており、相当に癖が強い人物であることが半分は揶揄的に描かれてもいるが、やはりこういった多様な「人間関係」を構築できてその「エンジン」にもなれる人物がいないと物事は大きく動かないのだ。自らはクリエイターではないのにかかわらずこの存在感と影響力。まさに「オタキング」の真骨頂であろう。


《あっしには関わりのねぇことでござんす。》(木枯らし紋次郎


 さて、もうひとりの重要な登場人物が、ドラマ版ではモデルにして女優である山本美月演じるトンコである。作中の登場人物であるから「トンコ」と呼び捨てにするのがふさわしいのだろうが、なんとなく雰囲気が出ないので「トンコさん」と敬称付きで書いていきたい。


 筆者自身のネット上の友人に大阪芸大を卒業し、現在はプロの造形屋として活躍している人物がいる。彼に言わせれば


「トンコさんみたいな人がクリエイターの人生を狂わすんや」


だそうだ。ネット上のやりとりなので、詳しくは聞けなかったが、一理はあるにしてもこの発言には反発も覚えた。「トンコさんがいたからこそ、焔燃はクリエイターになれたのではないか」と。



 ある人物が何事かを成し遂げるには、


・専門的な知識でその人物をコントロールできる「監督」役
・同じ目標を持つ「チームメイト」役
・真摯な言葉で励ましたり勇気づけたりしてくれる「チアリーダー」役
・そして、すがすがしいほど率直で正直な意見を述べてくれる「アンパイア」役


と、四つの役割を担う人物が必要なのだという。


 作中におけるトンコさんはまさに焔燃の専属チアリーダー然として描かれる(もうひとりの年下ヒロイン・津田洋美は身近な“ファン”という解釈でいいだろう。“華”ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない存在だ)。


 これに奮起せずば、漢(おとこ)ではあるまい!


 作中での描写は一切なかったが、リビドー(性的衝動)がもっとも熱く狂おしく燃えたぎる年代である。そんな衝動を投影する相手としてトンコさん、そして演ずる清楚で天然な美人さんでもある山本美月(やまもと・みづき)ほどの適任者はいないだろう。


 原作マンガのトンコさんのビジュアルは明らかに意図的に瞳がはっきりと描かれていない。ティーンの少女が描く自画像で、瞳をはっきり黒く描かず白目のままにしているものは、心理的に「あなた(意中や理想の男性)の色に染まりたい」ということらしい。それと同じようなことが「作者によって瞳をはっきり描いてもらえないトンコさん」にも言えるのではないか。


 原作のトンコさんは黒目であるが、瞳の真ん中に大きく白い光沢がある。そのため、一見すると瞳が白く見えてしまう。また、瞳の光沢以外の部分もベタで黒く塗られず、細い線の重ね描きで表現される。
 そのことによって、彼女の自我や人格というものは希薄なものとして表現され、作中の焔燃も読者も「チアリーダーとしての役割(に加え、自分にとって都合のいい役割)」を投影し放題。見事な「都合のいい女」描写であると言える。


 ドラマ版のトンコさんを演じる山本美月も全く同じだ。モデル出身という山本美月はもちろん美人だ。しかし、モデル上がりだからか、さすがにその演技力は低レベルである。


 ドラマ版『アオイホノオ』のキャストの多くは、学生演劇の役者のように良くも悪くも暑苦しく過剰な演技を見せる。もちろん、そんな学生演劇のような演技もプロの役者としてのテクニックなり力量があってこその「遊び」だろうし、福田監督もそういう演出をつけることができた。


 そこへいくと山本美月の演技力のなさは突出している。ご当人自身は素直な性格なのだろうが、自分が前面に出て目立ちたいという性格ではなく、単にルックスに恵まれていたから芸能の世界に来てしまった感じで、特にいわゆる「目力(めぢから)」がないのは特筆すべき点だろう。
 だからこそ「目力のない」山本美月は、「瞳がはっきり描かれない」トンコさん役としてキャスティングされたのではないか(あるいは押しつけられたキャスティングを逆手に取った演出の可能性もあるが)。目力がないからこそ、白目に描かれた少女たちの自画像イラストと同様、焔燃視点の視聴者は彼女に自分の様々な願望を「都合良く」投影し放題なのである。


(『銀河鉄道999(スリーナイン)』(1977)の美女・メーテルは作者の松本零士(まつもと・れいじ)および主人公・星野鉄郎少年の母親が投影されたキャラクターであるが、そういう意味で山本美月が作中でメーテルのコスプレをするシーンも妙に示唆的だ。なお、「メーテル」とはロシア語でずばり「母親」の意味)



 しかしドラマ版最終回で、焔燃はトンコさんにフラれてしまう。焔燃の恋路に関してはハッピーエンドでは終わらせないのだ。
 「チアリーダー」による応援も男にとっての決定打ではない。それだけでも物事は成就できない。何事かを成し遂げるには、最終的には自分自身がひとりで立って努力をするしかないのだ。女性に対する過度な美化や願望も戒められ、都合のいい女への依存・マザコン的な甘え・救いからの自立が暗示されているようで、ここも興味深い演出である。ここで従順な女性に溺れるようでは、クリエイターの人生もそれまでである。


 岡田自身もそうだったが、クリエイター的な人種は仮に恋人ができても、一時はともかく結局は満たされない。釣った魚に餌はやらないといった感じで飽きてしまい、彼女や奥さんに対する本質的な関心や関わりの気持ちが減じてきてしまう。
 異性よりかは自身が選んだ道での成功や、同好の士やライバル(劇中では庵野)から認められたり一目置かれることでこそ、自尊心や自己実現や社会的成功心が満たされる面もたしかにあるのだ。歪といえば歪だが、そんな人種たちの機微を見事に端的に示した幕引きだった。


《お前の命はお前一人のものでないことを忘れるな。行けーっ!》(ウルトラマンレオ


 誤解を怖れず、あえて往年の学園ドラマ『3年B組金八先生』(1979~2011)ふうに言えば、「ヒト」という動物が「人間」になるためには何万人もの人と出会い、その人たちを吸収して成長しなくてはならない。
 吸収される側の人間も、もちろん何万人という人々を吸収して成長していく存在である。「創作者」として存在するために、人間はどれだけの「創作物」そして「創作者」を吸収していかなければならないのか。
 現実世界における庵野秀明は、「僕たちの世代に本当のオリジナルなんてものは存在しない」と喝破している。蓋(けだ)し名言だ。


 ドラマ最終回。焔燃は大学の課題として仲間たちと制作した駄映画から、


「痛みは生きてる証だぜ」


というセリフを、デビュー作となるマンガのセリフとして採用した。


 そのシーンこそ、本作品のハイライトであろう。焔燃(≒島本和彦)は自身を創作者として存在させるために、仲間との共同制作物を吸収した……つまり、「食った」。そうして完成した作品も、単に読者を愉(たの)しませるのみならず、また別の創作者に吸収される……つまり、「食われる」のだ。


 創造者であるために他者を食い、創造者であるために他者に食われる。食って食われての関係に発生するのは「痛み」である。時に不出来なもの、恥ずかしいものを心ならずも食わせてしまった「痛み」もあるだろう。そして、焔燃は、島本和彦は「創造者」として生きていく道を選んだ。だからこその「痛みは生きてる証」ということなのだろう。


 青く光る恒星は、赤く燃えたぎる恒星より高温であるという。『アオイホノオ』もまた、熱いドラマであった。おそらくは低予算だったであろう深夜ドラマで、細部にまでこだわり抜き、どこまでも熱い物語、熱い笑いを提供してくれた本作に敬意を表して、あえて深読みし、本稿を執筆したことを告白しつつ、擱筆(かくひつ)としたい。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『アオイホノヲ』合評3より抜粋)


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