假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

迷家-マヨイガ- ~水島努×岡田麿里が組んでも不人気に終わった同作を絶賛擁護する

『ガールズ&パンツァー』 ~爽快活劇に至るためのお膳立てとしての設定&ドラマとは!?
『SHIROBAKO』 ~2014年秋アニメ評
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 2019年6月15日(土)からアニメ映画『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』が公開記念! とカコつけて……。
 『ガールズ&パンツァー』(12年)の水島努カントクと、名作深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)やアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年)などを手懸けた実力派脚本家・岡田麿里がタッグを組むも、不人気に終わっている深夜アニメ『迷家マヨイガ-』(16年)評の擁護・絶賛評をアップ!


迷家-マヨイガ-

(16年・Project迷家


(文・久保達也)
(16年8月2日脱稿)

迷家マヨイガ-』 ~水島努×岡田麿里が組んでも不人気に終わった同作を絶賛擁護する!

心に傷をかかえた現実世界からの脱走兵30人! 廃村へと移住!


「我々はこれから行方不明者となり、納鳴(ななき)村で人生をやり直すことになります! 今までのしがらみからすべて解放され、人生をやり直すのです!」


 観光バス内で27歳のやや軽薄そうな大学院・助教授のメガネ青年、ハンドルネーム「ダーハラ」が高らかに宣言する。
 行方不明となった者たちが新しいコミュニテイをつくって生活しているなどと都市伝説で噂される、地図にも存在しない村・納鳴村――劇中、「北都留(きたつる)郡」というセリフがあるため、モデルとなる村は山梨県に存在すると思われる――。
 10代から20代にして早くも人生に疲れ果てた30人もの若者たちが、「第1回人生やり直しツアー」と銘打たれたバスツアーに参加し、その納鳴村で人生をやり直そうというのだ。


♪月曜日 めでたく生まれたよ~
 火曜日 学校優等生~
 水曜日 かわいいお嫁さんもらう~
 木曜日 苦しい病気にかかり~
 金曜日 とっても重くなり~
 土曜日 あっさり死んじゃって~
 日曜日 お墓に埋められた~


 「運の悪いヒポポタマス 本当についていないヒポポタマス」という歌いだしで始まる、かのロシア民謡『一週間』をパロったこの歌を、参加者たちがバス車内で合唱するこの描写は、彼らが背負ったものを端的に象徴する絶妙なセンスと遊び心にあふれたものである。
 第1話『鉄橋を叩いて渡る』が「石橋を叩いて渡る」をもじったものであるように、全話のサブタイトルがことわざ・慣用句のパロディであることにしてもそうであるのだが。


 主題歌のタイトル『幻想ドライブ』そのままに、第1話のラストから第2話『一寸先は霧』の冒頭にかけ、白い霧に包まれる夜の闇の中をヘッドライトを点灯させたバスが徐行運転で静かに橋を渡り、運転手や乗客たちの表情に緊張の色が走るスリリング描写。
 そして第1話の後半、休憩に立ち寄ったドライブインの時計塔が夜の12時を指すや、突如オルゴールのメロデイが鳴り響いて一同がざわめく中、納鳴村に古くから伝わるという「わらべ歌」を口ずさみながら、今回のツアーの案内人であり民俗学を専攻する大学院生ではあるものの学究の徒っぽくはなく、明るい栗色の髪でフェミニンかつパステルな暖色系の可愛らしい服装に身を包んだ人当たりも良さそうな女性「こはるん」が登場してくる演出。
 これらの描写は実に幻想的な雰囲気が醸し出されており、まさにこれから始まる『幻想ドライブ』の導入部としても充分に機能している。


 だが、苦難の末に一同がようやくたどり着いた納鳴村は、先住民によるコミュニティが形成されているどころか、人が住む気配すらまったく感じられることのない完全なる廃村状態であった――いかにも地方の過疎地といった風情ではなく、一見新興住宅地のようなモダンな風景であることで、人の気配がないことによけいに不気味さを感じさせる効果をあげている――。
 新天地を求めて来たハズの若者たちの間に不安や不信感が募る中、参加者の失踪騒ぎや正体不明の怪物の不気味な鳴き声が響き渡るなど、村では怪事件・怪現象が続発!
 やがて彼らは、納鳴村が理想郷=ユートピアであるどころか、さまざまな形態の化け物が次々に出没する、世にも恐ろしい場所であることを思い知らされることとなる。


密室群像劇の60年代和製SF特撮ホラーの古典『マタンゴ』&『吸血鬼ゴケミドロ』が元ネタか!?


 監督の水島努(みずしま・つとむ)は、美少女たちが戦車でドンパチを繰り広げる一見おバカな世界観を大真面目に描くことで大ヒット作となった『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1)で広く知られている。
 そんな水島監督が、和製SF特撮ホラー映画の古典である『マタンゴ』(63年・東宝)や『吸血鬼ゴケミドロ』(68年・松竹)を彷彿(ほうふつ)とさせる、外部との連絡が絶たれた辺境の地に取り残された人々が謎の怪物に次々と襲われていくという、ぶっちゃけB級チックな展開を今回もまた実に大真面目に描いているのである。


運転手「だったらみんなで事故ればいいじゃないか!」


 第1話の後半、「遺書を読む」という車内で繰り出された罰ゲームに対して「あまりに不謹慎すぎる」と感じたのを契機に若者たちに説教を垂れだすも、「説教垂れるなら、てめえの仕事をキッチリと果たしてからにしろ!」と運転席を蹴りあげられるなど、若者たちに悪態をつかれたあげくに、ブチギレした運転手がバスを蛇行運転させて暴走!
 本作の初っぱなのツカミともなるクライシス描写は、臨場感あふれるCGバス演出もさることながら、過当競争による運転手の超過勤務が原因で実際に発生している深夜バスツアーの事故を容易に連想させる「現実感」を伴なった「恐怖」として描きだされている。


 第3話『傍若無人』――「ぼうじゃく“ぶ”じん」ではなく「ぼうじゃく“む”じん」と読ませている――の後半では、右目に眼帯をした海賊ルックの15歳の男子高校生「氷結のジャッジネス」からハンドルネームが似ていることをパクリだとされ、これからはハンドルネームを「ジャージャー麺」にしろとバカにされた緑髪のボサボサ頭の寡黙な16歳の少年「ジャック」が、生活の拠点として割り当てられた民家の中で鍬(くわ)を手に突然「氷結のジャッジネス」に襲いかかってくる!
 これまた身近にもたまにいそうな、恨み・憎しみを逆ギレで衝動的に晴らそうとする不良少年による「現実感」を伴なった「恐怖」が描かれる。


 本作のセカンドヒロインであり、少々キツそうな見た目と言動をとる美少女の女子高生「マイマイ」の証言により、「ジャック」少年は同級生を刺して少年院に入っていたことがあると判明、ツアー参加者たちに危険人物視された「ジャック」は、村の民家にあった地下牢に閉じこめられることとなる。


ジャック「大人はみんなこうだ。最初はやさしく声をかけて油断させ、意にそぐわなきゃ殺す! いつもそうだ」


 往年の『ウルトラマンA(エース)』(72年)第36話『この超獣10,000ホーン?』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070109/p1)に登場した暴走族の青少年・俊平もまた、これに酷似したセリフを語っていたが、ジャックが第1話でこのセリフを口にしながら、バスを暴走させる運転手を襲う描写は、彼の背景を端的に描くとともに、今回の鍬を手に「氷結のジャッジネス」に襲いかかる伏線としても充分に機能している。


 それにしても、少年院あがりのやつがツアーに参加しているというのは、やはり先述した『吸血鬼ゴケミドロ』の舞台となった航空機に「要人の暗殺犯」や「爆弾魔」までもが乗り合わせていたことに対するオマージュか?(笑)
 宇宙からの侵略者の存在を明かすこととなった精神科医を誤って崖から転落させてしまった「爆弾魔」が、乗客たちによって墜落した航空機の操縦室に閉じこめられてしまう点まで同じだし(爆)。


 そして、第3話のラストでは、本作のメインヒロインであり、軽めのソバージュヘアにやや垂れ目で従順そうな癒やし系の可憐な女子高生「真咲(まさき)」をナンパしようとして失敗したあげく、第2話の中盤で行方不明となっていた、短髪の黒髪に赤いキャップを前後反対にかぶりカラーのサングラスをかけて、ウスく髭も生やした軽薄なラッパー青年「よっつん」が、闇に包まれた夜の川をどざえもん=水死体のように流されていくショッキング演出が!!


ドザえもん「よっつんがどざえもんになっちゃったら、ボク、ドザえもんとしての立つ瀬がないよう~!」


 ショッキングな描写の直後に、27歳のデブでニートの青年「ドザえもん」にこう嘆かせることで、視聴者に対しては過度な緊張を緩和して笑いを取りつつ、脇役のキャラクターをついでに紹介することも忘れない(笑)。


 衝撃の第3話のラストの直後に流される次回予告で明かされる第4話のサブタイトルが『よっつんの川流れ』(爆)とは実にフザけているが、こうしたセンスで中和せざるをえないほど、「よっつん」を捜索する中でも闇夜に謎の化け物の叫び声が響き渡るなど、矢継ぎ早に絶妙なホラー演出がたたみかけられていく。
 ついに一部を残して多くの者が下山を決意するが、降りしきる雨と化け物の声が一行を襲い続ける。
 下山するキャラクターたちの愁眉の表情に地図をオーバーラップさせるアリがちな演出がまた、その不安感を一層あおりたてることにも貢献している。
 そして木々にスプレーで番号をマーキングしてきたにもかかわらず同じ場所に戻ってしまう、これまたアリがちでも迷宮内での迷子になった焦燥感あふれる描写で、それは最高潮に達する!


 さらに雷鳴とともに、地下牢に閉じこめられていたハズの少年院上がりの少年「ジャック」が、一行の前に姿を見せる! あまりの恐怖に悲鳴をあげながら一行は崖を駆け降りる!


助走台の「現実的」な「恐怖」が、本番の「非現実的」な「恐怖」&「笑い」へとスライド!


 そして彼らは地図には載っていないハズの線路があることを発見する。これをたどれば確実に下山して街に着けると線路上を進んでいく一行だったが、ついにここで「現実的」な「恐怖」ではなく「非現実的」な「恐怖」を描いていく方向へと作品の転轍機(てんてつき)が切り替わる! 彼らはトンネルの中でついに異形の「化け物」に遭遇したのだ!! おおわらわで村に逃げ帰る一同!


 「化け物」が登場する前兆として、絶妙な緊張感・緊迫感が醸し出された演出が終始なされているが、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(15年)でも音楽を担当した横山克(よこやま・まさる)による劇伴が、先述した『ゴケミドロ』の菊池俊輔(きくち・しゅんすけ)によるおどろおどろしい音楽とはまた違った魅力を放つ新たな曲調のホラー音楽として、それらを盛りあげることに大きく貢献している。


 これらを経(へ)て、ついに第6話『坊主の不道徳』では、「怪獣総進撃」となる!
 黒髪ポニーテールに袖なしで素肌の肩を露出したファッションなのに、どこか不安定で気弱そうで何かにつけて黄色い声で「処刑です!」とエキセントリックに叫ぶ女子中学生「らぶぽん」に、巨大な「般若(はんにゃ)の面」が襲いかかるのだ!
 「銃火器大好き」と語る、あちこちがハネた黄土色の髪に透明な防風ゴーグルを乗っけたミリタリールックに身を包んだ女子高生のアーミー少女「ニャンタ」は、無数の蜂(ハチ)が集結した「巨大な蜂」に襲われる!
 同じくミリタリールックに軽いモヒカン髪型でサバイバルゲーム好きな少年「地獄の業火(ごうか)」を襲うのは、「巨大なシリコンの塊に足が生えた怪物」である!
 元商社マンでありサラサラ黒髪にオシャレなメガネをかけて背広型のスーツを羽織ったクールなエリート風情で、やたらとイライラとリーダー格として振る舞おうとする青年「美影ユラ(みかげ・ユラ)」を追いかけるのは、「目をギョロつかせ無数にある口で彼のことを嘲笑(あざわら)いながら追走してくる妖怪列車」だ!


 実際には第9話に登場するのだが、先述した『鉄血のオルフェンズ』で主人公少年が所属する鉄華団の団長であるオルガ・イツカ青年みたいなガラの悪い(笑)荒くれ者であり、痩身でも日焼けした肌には筋肉や腕っぷしの強さが感じられる長身青年「ヴァルカナ」を襲うこととなるのは、「机の木目(もくめ)模様をした不定形生物」である!
 そして、本作の主人公でもあり、いかにも善良そうでおっとりとした男子高校生「光宗(みつむね)」くんの前に現れた巨大怪獣は、「可愛らしいペンギンのぬいぐるみ」なのだ!


 「般若」の登場場面での「お経」や「巨大蜂」の登場場面での「不快な蜂の羽音」などが、絶妙な恐怖感を醸し出していることもさることながら、「美影」青年を襲う「妖怪列車」は電車であるのに、あえて汽車の汽笛や走行音を使っていることで不条理感もいや増している。


 基本的には本作は、そうしたB級チックなホラー映画・怪獣映画的な趣きを楽しむためのエンタメ作品であると個人的には考える。
 しかし、『ガールズ&パンツァー』が美少女アニメとしての「萌え」要素と戦闘ものとしての「燃え」要素を立派に両立させていたのと同様、本作もまたホラーもの・怪獣ものとしてのB級的な「怪奇」要素を徹底的に追求する一方で、若干(じゃっかん)リアル寄りのキャラクターデザインではあるものの女性キャラには多数の美形を揃えることによって、「萌え」の文脈での「客寄せ」にも十全ではなくとも気を遣ってはいる。
 第3の要素としては、シュール(超現実的)な「お笑い」「ギャグ」の要素だ。実にホラーな雰囲気なのに、そこに挟み込まれてくるヘンテコ脱力なギャグ描写。異形の怪物たちのどことなく笑えるデザイン。「なんちゃって」感もあって半分は笑ってしまうメタなセンスがある描写の数々――


熱帯夜「大きければいいってもんじゃないのに……」


 これは第5話『ユウナ3人いると紛(まぎ)らわしい』で、金髪ロングヘアに両肩の素肌や胸の谷間も見せつける水商売風のキャバクラ嬢みたいなミニスカ・ワンピースで靴はヒールしか持っていないという(爆)、常に気怠るそうでムダな色気も発散しまくりの設定上ではまだ19歳(!)の女子大生「熱帯夜」(笑)が、トンネルの中に出現した巨大な「化け物」が本作の主人公「光宗」のような姿をしていたと語ったセカンドヒロインの女子高生「マイマイ」の証言を聞いて口にしたセリフである。
 そうした何気ないセリフまでもが「熱帯夜」が口にするといちいちエロく聞こえてしまえるようにした声を務めた中村桜の演技と、本作の遊び心にあふれたそうした演出が実に秀逸である。


――ちなみに、同話のサブタイトル『ユウナ3人いると紛らわしい』は「女3人寄れば姦(かしま)しい」が元ネタだろうが、元々はハンドルネームが「ユウナ」である女性が参加者の中に3人もいたために、第1話冒頭のバス内での自己紹介場面で混乱を避けようとしたツアーの主催者「ダーハラ」によって「ユウナ」「ユウネ」「ユウノ」と勝手に名づけられた地味めで垂れ目で覇気のない系の3人の女性脇役キャラが並んだカットが本話ではやたらと多いだけであり、本編の内容とはまったく関係のないサブタイトルであったりもする(笑)。
 それにしても「ダーハラ、またテキトーに流したぜ」なんていうセリフもあるように、主催者として参加者同士の争いに一応は仲裁に入る場面が多く描かれるものの、先のネーミング騒動の一連は「ダーハラ」が単なる事なかれ主義者であり、実は適当で無責任であることが端的に描かれた秀逸(しゅういつ)な演出でもある(笑)――


明かされる「非現実的」な「恐怖」と、各人の「動機」&「背景」との関係性!


 本作はホラーテイストでありながら、そうした息抜き描写や笑える描写の面でも優れている。
 だが、30人ものレギュラーキャラクターが繰り広げる群像劇の中で点描されていく各人の行動の「動機」・「モチベーション」にとどまらず、納鳴村で奇怪な化け物を目撃することに至った各人の「背景」・「バックボーン」の描き方が優れていたからこそ、ホラー映画・怪獣映画としても、より恐さが増しているのである。


 テレビ時代劇『必殺』シリーズ(72年~・松竹 朝日放送https://katoku99.hatenablog.com/entry/19960321/p1)によく登場したような悪徳僧侶から依頼される戒名(かいみょう)の代筆で生活費を得てきたものの、愛人でもあるその僧侶から日々繰り返される理不尽な暴力に、エキセントリックな女子中学生「らぶぽん」の母、そして「らぶぽん」自身も長年苦しめられてきた。
 僧侶に殴られるたび、「らぶぽん」はこの苦しみから逃れるためには、悪徳僧侶を「処刑」せねばならないと考えるようになっていったのだ。
 そして、納鳴村で「らぶぽん」を襲撃した怪物である「般若の面」は、僧侶が好きな日本酒のラベルに描かれていた図柄だったのである!


らぶぽん「どうして犯罪者をかばうんですか! 犯罪者に情けをかけちゃダメなんです!」


 主人公少年「光宗」に阻止されて未遂に終わったが、第3話で「らぶぽん」が地下牢に閉じこめられていた前科持ちの少年「ジャック」を、夜陰に乗じて秘かに処刑しようとしたのは(!)、そんな心の傷に苦しんでいたからこそなのである……


 コンビニでの万引きを強要されるなど、アーミー少女の「ニャンタ」もまたヤンキー女子高生たちから虐待される学園生活を送っていた――店内の防犯カメラからのアングルで「ニャンタ」の様子を俯瞰(ふかん)したモノクロ映像で描かれる回想演出が実に凝(こ)っている!――。
 帰り道にたまたま見かけたモデルガンの店でBB弾を発射する銃を購入した「ニャンタ」は、自分をいじめたヤンキーたちを狙撃するようになる!


ニャンタ「アタシは(人を)撃ったことあるよ。壮絶な戦いだったにゃあ」


 だが、やがてヤンキーのひとりに犯行現場をおさえられた「ニャンタ」は橋の下に連れていかれ、取りあげられた銃が撃ち落とした蜂の巣から一斉に飛び出した蜂の大群の襲撃を受けることとなったのである!


 「レンジャーwwwww」などとニコニコ動画の字幕でネット民にさげすまれながらもその様子を動画配信するほどに、ミリタリールックのフリーター青年「地獄の業火」も自衛隊のレンジャー部隊入隊をめざして訓練の日々を送っていた。
 だが、身長が入隊の基準に達してはいなかったために、頭頂部にシリコンを埋める手術をして試験に臨んだものの、結果的に不合格となった過去を持つのであった――低身長なので頭頂部にシリコンを埋めて合格、しかも華麗な活躍もすることで業界基準の見直しにもつながった、近年あった某お相撲取りさんの美談とは真逆の展開となる悲劇だ(涙)――。
 結果を告げる試験官の声を背景に、美しい夜桜が散る中で「地獄の業火」がひとりたたずむ回想カットが、実に感傷的な雰囲気を醸し出す……


美影「どいつもこいつも……どうしてオレの云うことを聞かないんだ!」


 輸入玩具を扱う商社に勤めていたメガネ男のクールな青年「美影」は、急勾配(きゅうこうばい)のレールでも登坂(とうはん)力を誇る新製品の電車の玩具を「日本おもちゃショー」に出展し、大々的に宣伝することを営業会議で提案した。
 上司からの反対を押し切ってそのプロジェクトを実現させたものの、肝心の商品がイベント前日になっても会場に届かない。
 「美影」が海外のメーカーに送ったメールを再確認するや、自身が納期を誤って連絡していたことが発覚する……


上司「私の意見を聞けば間違いないだと? ガキの使いじゃあるまいに」


 「美影」が「妖怪列車」に向けて叫んだ「笑うな!」は、本来は会議の席上で自分を嘲笑った者たちに対する「美影」の心からの叫びだったのである!


ヴァルカナ「オレは社会に殺された」


 「人生やり直しツアー」の参加動機をそう書いた、色黒でアゴにチョビ髭を生やしたロン毛のチョイ悪そうなダンディーな青年「ヴァルカナ」は意外や意外、元はフリーのシステムエンジニアであった。
 だが、彼が開発したシステムを導入した某社で機密情報が漏洩(ろうえい)し、「ヴァルカナ」はその責任をすべてなすりつけられて解雇されたのである!
 彼を襲った「怪物」が木目(もくめ)模様をしていたのは、重役連中に責任を追及されている間に「ヴァルカナ」がうつむいて眺めていたのが机の木目模様だったからなのだ。
 第3話で行方不明の「よっつん」をひとり捜し続ける理由を「こはるん」にたずねられた「ヴァルカナ」は、その過去の傷について語り、こう絶叫する!


「もう同じ轍(てつ)は踏まねえ! 他人の責任を背負わされることも、他人に対して責任を感じることもしたくねえ! オレの人生はオレだけのもんなんだよ!」


 第4話では「マイマイ」も「ヴァルカナ」と同じように、「人の人生に口出しするやつがもっとキライなだけよ!」などと叫んでいる。


「そんなに違う。見ているものが……」


 これは「化け物」についての目撃証言が各人によってバラバラであることに対して、第6話で「こはるん」が語ったセリフであるが、「ヴァルカナ」の「オレの人生はオレだけのもんなんだよ!」や「マイマイ」の「人の人生に口出しするやつがもっとキライなだけよ!」という心からの叫びに対する返答にもなり得ているものである。
 そして最終回でもこれが反復されることで、「こはるん」はそれをイヤというほど実感させられることとなるのだ。


美影「声や形がバラバラでも、そのことについて会話がなかった。ナゼだ? 口にしたくなかったからだ。それが、それ自体が、口にするのに抵抗があるものだからだ……きっとこの化け物は、オレたちの心に巣食っているもの」


 このように「美影」に実に的確に分析させることで、彼はクセが強いエエカッコしいでも慧眼の持ち主ではあるとそのキャラを立ててみせている。
 そして、納鳴村に出現する目撃者によってまったく姿形や声が異なる「怪物」=「ナナキ」は、本作においては各人の心の傷が具現化した存在として描かれるのだ。
 先の「美影」のセリフに、一同がバツの悪そうな顔をして無言となる演出も、その分析が図星であることを端的に示すものであり実に効果的である。


ニャンタ「あんなの見ちゃったら、現実が化け物よりよっぽど怖(こわ)いって思い出しちゃった……」


人畜無害なオボコい少年主人公「光宗」の場合の症例


 主人公少年の「光宗」が目撃することとなった「巨大ペンギン」も、先の「熱帯夜」のセリフ「大きければいいってもんじゃないのに」に象徴されるように、実にぬいぐるみ然とした可愛らしい姿だった。
 そんな「化け物」=「ナナキ」なんかよりも、よっぽど怖い「現実」から逃れるために、そもそも「光宗」は「人生やり直しツアー」に参加したことを思い出すのであった……


 幼いころの「光宗」には、双子の兄弟「時宗(ときむね)」がいた。クリスマスプレゼントに可愛らしいペンギンのぬいぐるみをねだったほどおとなしくて手のかからなかった「光宗」に対し、買ってもらった変身ヒーローの人形を振り回して「女ペンギン!」と叫びながら「光宗」が大切にしているペンギンのぬいぐるみにキック攻撃(!)を仕掛けてくるほどに、「時宗」は実に元気で悪く云えばやや無神経でサディスティックな子供だったかもしれない――子供間ではよくある他愛のないことではあるけど、「光宗」と「ペンギンのぬいぐるみ」を同時に罵倒する意味も込めただろう「女ペンギン」なる即興言葉を叫びながらキックを喰らわす行為は、気持ちの優しすぎる子供には確実にトラウマになる出来事だ――。


――余談だが、その変身ヒーローの人形はなんと『ウルトラマン』シリーズで有名な円谷プロが製作した往年の特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の主人公ヒーローを全身黄色に塗り替えただけの存在である! その気になればいくらでもオリジナルの変身ヒーローをデザインできるのに、あえてこんなもので通してしまうとは、世代人の水島監督は趣味に走りすぎ! 映像ソフト化の際には差し替えになるのだろうか?(爆)――


 ふたりが並んでカレーを食べる場面で、「時宗」が口の周囲や机を汚しまくりであるのも象徴的だが、「時宗」が描いた実に幼稚園児らしい落書きのように下手くそな母の絵が壁に飾られ、やんちゃな「時宗」を抱きながらそれを恍惚(こうこつ)とした表情で眺める母の姿を、上手に描いた母の絵を手に控えめで甘え下手な「光宗」が物陰から悲しげに見つめる描写は、残念ながら少数ではあっても一定の比率で常に存在していることが近年とみに指摘されている「毒親(どくおや)」――このケースでは好悪の情が激しく、腹を痛めた実の子供たちであってもあからさまに偏愛とネグレクト(無視・放棄)の使い分けで不公平にふるまう母親像――の風刺にも成り得ており、子供時代の「光宗」の心の傷をも絶妙なまでに表現した名演出である。
――新約聖書イエス・キリストが「放蕩息子のたとえ話」で、浪費のかぎりを尽くした弟を許した父に不平を述べる兄を諭(さと)して、神の深い愛とはそのようなものであるとする話があるけど、それもまた程度問題ではあって、そんなことをされたらマジメな人たちはワリに合わないし、正直者はバカを見るよネ(汗)――


 幼児の時分ですでに「光宗」は、母が自分よりも「時宗」のことを溺愛(できあい)していることに気付いていても、あまりに気持ちが優しすぎる子供ゆえに母に不快感を与えまいと、それに不平不満を述べることさえできなかったことが容易に看て取れるが、やがてそれは永遠に確定・固着された関係性となってしまう。
 ある日のこと、高い塀によじ登り、それをつたって歩く危険な遊びをしていた「時宗」は、それを注意した母の声に驚いて塀から転落、そのまま命を落としてしまうのだ!


 ショックで入院した母を見舞いに来た「光宗」に、母はこう声をかける。


「もう時宗、ダメじゃない! 時宗、ちゃんとゴメンなさいしなさい」


 以来、「光宗」は高校生となった現在に至るまで、いまだ「時宗」の死を受け入れることができない母のために、家の中ばかりでなく、元教師で教育委員会で実権を握る父のはからいによって、学校でも亡き兄の「時宗」の名の方で通っていたのである……


真咲「光宗ってとってもいい名前。キラキラ明るい感じがして、すごくよく似合ってる」


 赤茶色の髪にソバージュが軽く入ったショートボブの左側に小さな赤いリボンを付け、やや垂れ目の緑色の瞳が印象的な、他のキャラとは明確に差別化されて劇中でも画面上に浮かび上がるような特権性を与えられた、正統派の萌えキャラとしてもデザインされた本作の女子高生メインヒロイン「真咲」。
 その愛くるしくてもトロトロとした口調やどこか受け身で弱そうな風貌が、同時にのちにツアー客たちの嗜虐心をそそってしまう「異質な存在」として迫害を受ける事態に陥(おちい)ってしまうことに、道義的な当否はともかくある種のゆがんだ説得力も与えている。


 そんな「真咲」から第1話でハンドルネームを賞賛されたことに、それまでずっと「ぼくは、光宗じゃないの???」と、自分の存在意義を常々内心で幼少時から問いかけてきた「光宗」は、おもわず一筋の涙を流す……


真咲「大丈夫? ずっと、泣いてる……」


 第7話『鬼のいぬ間に悪だくみ』で、「巨大ペンギン」に遭遇したのを機に、過去のつらい記憶が甦った「光宗」は再び涙を流すが、それを「真咲」は自身の指先でそっと拭(ぬぐ)ってくれたのである!
 その優しさに触れた「光宗」は、自身のハンドルネームが本名であることを「真咲」に明かす。


光宗「ぼくは時宗じゃない。誰も知らないところで、光宗として生きてみたいと思ったんだ」


 これを聞いた「真咲」は、ふたりで腰掛けていた場所から軽々とジャンプするや、「光宗」の方を笑顔で振り返り、「行こう」と、手を差し伸べるのである。
 正直に告白すると、この場面こそが、筆者が本作の中で最も好きな名場面なのだ。第1話でバスが暴走したことに、車酔いをひどくした「真咲」が運転手にゲロを浴びせてしまう描写があるが、こんないいコのゲロなら浴びてもいいと思えるほどであり、運転手のことがうらやましいくらいである(笑)。


真咲「光宗くんといると、なんだが勇気が出てくる。だって、こんなにあったかい」
光宗「真咲さんも、あったかい」


 満月に照らされる中、ふたりが手をつないで歩き、「光宗」が顔を赤らめる描写にはトドメを刺された。イイ歳したオッサンが、こんなものに素直に感動してていいのか? と我ながら思ってしまう(笑)。
 しかし、やはりアニメにかぎらずフィクション・エンタメ作品一般は、思春期のウブな少年少女にこそアピールすべきだとするならば、群像劇とはいえその作品の視点人物たる主人公やメインヒロインには、複雑な心理が織りなす人間模様が交差する大人社会の入り口に立って戸惑うような初々しい少年少女を配して、彼らと同年代の視聴者にも身近に思わせて、あるいは年長視聴者にもいつか来た道の甘酸っぱさとともに感情移入をさせていった方がいい。
 いささか気恥ずかしくて初々しい異性同士の接近描写なども、老若男女への「引き」としては大いに描いていくべきだと思えるのだ……などと言い訳をしておく。


真咲「光宗くんは誰にも似ていない。あったかい手と、あったかい気持ちを持っている。自信を持って。きっとそのままの光宗くんで、みんなに受け入れてもらえるハズだから」


 「光宗」は常に笑顔で人当たりがよい少年で、第3話で「ジャック」が少年院あがりであることが発覚した際も、


「だってぼくたち、そのときのこと何も知らないじゃないか! それにも理由があったかもしれないし!」


などと必死でかばったほどだ――驚きの表情で「光宗」を見つめる「ジャック」の描写も、視聴者に対する「光宗」のお株を上げるうえで実に効果的である――。
 人を疑うということを知らない、他人に対する思いやりの心を持つ、大きな瞳が印象的な紅顔の美少年として、彼は造形されている。


 シニカル(冷笑的)にイジワルに見てしまえば、オタク諸兄が愛好する美少女アニメの主要キャラクターたちの多くが、弱者男子にとっても都合がいい従順な弱者女子であるのと同様であり、これはその性別反転版でもある。
 つまり、深夜アニメを愛好するような、現実世界ではうまく生きられない、か若き繊細ナイーブな弱者男子にとっても感情移入がしやすい鏡像として、「光宗」は構築されていると見てもいい。
 もちろん我々のようにトオの経(た)ったオッサンオタクの目線で見れば、彼は女のコに少しでも優しくされるとすぐにテレて舞い上がってナビいてしまったり、いわんやホレてしまったりもする、女性に対する免疫がない実にチョロい童貞少年にも見えるのだけど(爆)。


真咲「どうしてこんなに私に優しくしてくれるの?」
光宗「真咲さんは、絶対に、笑顔がいいんだ!」


 「光宗」にとっては、それがすべてなのである(笑)。


キツめの美少女サブヒロイン「マイマイ」の場合の症例


マイマイ「根拠もなくかばうってバカみたいだけど、かばわれた方はうれしいよね。ああいうバカってさ、探せばどっかにいるのかな」


 だが「マイマイ」にそんな「光宗」は「バカ」でもあると指摘させるあたりで、思春期の少年少女の発情や錯覚・幻想にすぎないかもしれない瞬間湯沸かし器的な「情動」を、素朴な美談ではなく相対化もしてみせるのが、この作品の秀逸なところでもある。


マイマイ「カヤマくんと付き合いだしたら、ニコイチ――2娘1。とても仲が良い女子ふたりだけのグループの意味――だったそのコからハブられた。カヤマくんもかばってくれなくてフラれた。帰りたくない。幽霊がいたって化け物がいたっていい。学校でも家でも誰もしゃべってくれない!」


 第7話で異性との交友経験もすでにある「マイマイ」は、一同の前で自身の心の傷をそう告白するが、そのカヤマくんに「光宗」が似ていたことだけが、「マイマイ」が「光宗」に関心を示すこととなるミーハーな発端だった。
 後述する「光宗」の幼なじみの友人「スピードスター」からは「ホレっぽい」と実に適確に人物批評され、それを気にしていた「光宗」であったが、第2話で納鳴村に到着後に「マイマイ」とふたりきりになった際、


「あれ? 大丈夫だ。(真咲さんとちがって)ドキドキしない」


と、「光宗」は「マイマイ」に面と向かってバカ正直に云ってしまう。


マイマイ「それ失礼(しつれ)くない!?」


 以降、「マイマイ」は本作序盤の段階では「光宗」に対し、露骨に敵意を示すこととなり(笑)、第3話の冒頭、「よっつん」と「真咲」が行方不明になった際に、メンバーの「もしかして、ふたりで仲良くなっちゃって、ちょっとシケコミ中ってことも……?」との下世話な憶測に対して、「真咲さんはそんなん(そんな人)じゃない!!」といきなりかばって、「真咲」にホレていることがバレバレなヒイキの引き倒しの擁護をはじめる「光宗」のことを、「マイマイ」は眉をひそめて、


「熱くなっちゃって、ウザッ」
「あぁいういかにも人畜無害なやつが、いっちばん信用できないの!」


などとヒステリックに語り返し、炊事当番では「光宗」のお椀(わん)にほんの少ししかミソ汁を入れてあげないというイヤがらせをする始末である(爆)。
 オープニング映像ですらも不機嫌そうな表情が描かれているほど、「ヴァルカナ」にまで食ってかかるくらいに負けん気が強い、ツンデレ系の茶髪ロングで端正なルックスの「マイマイ」であるが、それも先述したような失恋や傷心からそんなふうにやさぐれてしまったのだと、好意的に解釈してあげよう!?――もちろん性格というのは、後天的な境遇よりも先天的な要素が圧倒的に強いけど――


 しかし同じ第3話で、ひとりで地下牢に閉じこめられているのは寂しいだろうからと、夜こっそり「ジャック」の様子を見に行った「光宗」は、「マイマイ」と鉢合わせすることとなるが、


「私が云わなければこんなことにはならなかった。佐々木くん(ジャックの本名)、ひどいいじめにあってたみたいだし……」


と、「マイマイ」に後悔の念を口にさせることで、それで彼女が生来からの勝ち気な性格ではなく「真咲」のように柔和な性格であったことの証明にもならないけど、意外に優しい側面も見せることで、彼女を一面的な悪女としては描かない。
 後悔発言の直後、作り手たちは「光宗」に無邪気な笑顔で「マイマイさんってなんか印象が違った!」と述べさせる。それを受けて、嬉し・恥ずかし・ドン引きの三つが混ざったような表情をしている「マイマイ」もまた……彼女も意外とチョロそうだ(笑)。


 そんな「マイマイ」が中盤以降、劇的に変わり始めたのは、以下に記す事件だ。
 「マイマイ」みたいな気が強くて短気で活発な元気女子が概して一番キラうタイプであろうおっとりした女子で、しかも何もしてないのに清純だったり従順だったりするだけで男性ウケがよいどころか、結果的に男をヨコ取りすらしていくので、輪を掛けてヘイト(憎悪)の対象になったりする女子の典型ともいえる、半ば恋仇的な存在だった「真咲」。
 彼女は第6話から第7話にかけて、旧宅のむかしの新聞記事が発掘されたことで、彼女が幼いころに納鳴村で一度行方不明になっていたことが発覚する。
 村に伝わる「わらべ歌」の歌詞に「化け物を引き連れて幼い少女がやってくる」などとあることから、「真咲」は実は幽霊であり、彼女だけが化け物を目撃しないのも自分が化け物を連れているからだなどとツアー客たちの間で憶測が広がった果てに、「幽霊退治」「魔女狩り」と称して世にもおぞましい「真咲狩り」の儀式が決行、「真咲」が磔(はりつけ)にされ一同から拷問を受けたのだ!


傷ついた「弱者」が集ったハズのコミュニティーにも発生してしまう「カースト」(汗)


「それってあたしをイジメてた連中とおんなじじゃん! あぁいうの、もうイヤだったからここに来たのにウンザリだよ!」


 第8話『納鳴訪ねて真咲を疑う』で、「マイマイ」はそう語っている。もともと現実世界では心に傷を負った「弱者」だったハズで、「社会的カースト」に疑問や不平をいだいたり、「弱者」の気持ちにわりと鋭敏で同情的なハズの者たちが集って形成されたコミュニティーの中ですら、「カースト」が生まれてしまうのだ。
 「弱者」も「弱者」で(草食)動物的な直感で長いものには巻かれろの保身に走って、メンバー内では相対的な「強者」の側につくことで、より弱い「弱者」を新たにつくってピラミッドが細分化されていく。
 「弱者」を憐れんだり助けたりするのではなく、「劣位に置かれなくてよかった……」と安心したり、「わたしはあそこまでは劣ってはいない……」などと秘かに悦に入ったりして、どころかイザとなれば恥も外聞もなく「弱者」から収奪もするスネ夫くん的な中間収税人の立場に成り上がって優越感にひたりたいとすら思っている、実に卑しい連中が多数派を占めている悲しい現実を思い起こさせる。
 「弱者」たちの正体も一皮むけばこんなもの! という監督&脚本陣の真実を突いた人間観の主張でもあるこれらの描写に、筆者も我が身を顧(かえり)みて胸を刃物で刺し貫かれるような想いもするが(汗)、そんなあまりに厳しすぎる現実を目の当たりにしたことで「マイマイ」はすっかり失望してしまうのである……


 だが、そんな低劣で薄情な連中ばかりではないのも事実なのだ。


ナンコ「登場人物みんなが信じているものを疑う。それが名探偵。君も同じでしょ? 真咲を幽霊だって思ってない」
リオン「真咲は生きてるって思ったから」


 まったく化粧っ気がない、黒髪ショートの長身でややポッチャリ目の、男性にはモテそうにない気怠げな女子高生であり、第3話の畑での農作業の場面では、


プゥ子「ナンコさん、ブルドーザーみたいでかっこいい!」
ナンコ「それ、うれしくない!」(爆)


なんてやりとりもあったが、実は推理好きで、推理する際に左脇腹をつまんでボリボリとかくクセのある、誰がどう見ても『名探偵コナン』(96年~)を逆さ読みにしたハンドルネームの(笑)「名探偵ナンコ」。
 ツアー参加者の中では最年少の14歳(!)であり、頭部に小さな「猫耳」を想起させる小突起がついた「黄色いパーカー」で常に頭部から腰までを覆うことで、弱い自分を防御する対人バリアとしていることがミエミエな、同時に確信犯で幼児的な出で立ちをすることで他人や男性の庇護欲を誘って、テンション高めやキツめのコミュニケーションが平常運転の人種からもソフトな配慮あるコミュニケーションを引きだそうとしている姑息な気配も感じられる(笑)、紫色の瞳が印象的なスピリチュアルな雰囲気を持つ低身長の少女で、本作ではサードヒロインに相当すると思われる少女「リオン」。


 空気・同調圧力に屈せず「真咲」を擁護する「光宗」にも味方する、学級カーストでは底辺にいたような「ナンコ」や「リオン」とも、「あたしにもあのとき誰かかばってくれる人がいたら違ってたのかな?」などというガールズトークを繰り広げるほどに親密となり行動をともにするようになっていく「マイマイ」。
 納鳴村に来る前は美人で強気で彼氏持ちで学級カースト上位者だったろうから、イケてない「ナンコ」や「リオン」とつるむことも絶対になかっただろう(笑)サブヒロイン「マイマイ」のお株も本作後半ではあげていく。


 第9話のラストでは、この3人を弓矢で襲撃しようとした「ジャック」から颯爽(さっそう)と守ってくれた新たなキャラクター「レイジ」少年が登場!
 彼と出会ったことで、本作終盤では納鳴村の真実を究明することになる、物語内ではいかにも主要人物にふさわしい(笑)特権的で有能なオイシい役回りも「マイマイ」は兼ねることになる。
 「レイジ」とは、第8話で「真咲」がかつて納鳴村をともに訪れた「いとこ」の少年であると明かした存在だが、「レイジ」が「向こうが一方的にオレを好きなだけ」と「真咲」について語ったことには、「女の敵!」「最低男!」と直情的にすぐ罵倒してしまうあたりで、やっぱり「マイマイ」の本性は全然変わっていないけど(爆)。


 もっとも最終展開でもサブヒロイン「マイマイ」と主人公「光宗」とのからみがまったく描かれないのは少々残念な点であり、「光宗」とメインヒロイン「真咲」の危機を「マイマイ」が救うとまではいかなくとも、せめてこのふたりの仲を嫉妬しつつも少しだけ認める、あるいは「光宗」と結ばれることはあきらめてプチ傷心するもサバサバと心機一転するなどの、何らかの心情的な係り結びの描写くらいはほしかったと個人的には思える。


オボコい主人公「光宗」を突き放して分析してみる。「いい人」とは何か?(笑)


「いい人ぶってなんでも受け容れて(他人に)合わせて、あとで後悔するクセに」


と見透かしてしまうほどに、「リオン」も当初は「光宗」のことを、かなり冷ややかに見ていたものだ。


 他人を不快にさせまい、他人に優しくしよう、それは良いことなのだから……。そのうちにこんなに優しいぼくのことを理解してくれる慈悲深い運命の女性も現れてくれるにちがいない……などと思っているおめでたい往年の『電車男』(04年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070617/p1)みたいな「いい人」なだけの弱者男子諸兄は、世のほとんどの女性たちはそういう「いい人」なだけの弱者男子のことを頼りなくて情けない男だと見くだしていて、セクシュアリティーなどはさらさら感じていないどころか、生涯の甲斐性あるパートナーとしては論外で軽蔑すらされていることは知っておいた方がいいと思う。トオの経ったオタクとしては老婆心からそう忠告しておく(大爆)。
 女性に幻想などいだくな! しかし、だからといってやさぐれたりせず、報われなくても他人に対して常に優しく、個人の私的な好悪ごときで差別をつけずに博愛的にふるまおう!(笑)


 もっとも「リオン」は、村に怪事件が続発したことで、他の参加者が狂乱に陥る中でも常に冷静さを保っており、第5話でこのまま村にとどまるか脱出するかをめぐって、参加者の間で激しい対立が起きる中、「光宗」を突然「幽霊!」呼ばわりすることでその場の雰囲気を凍りつかせた行為も、


「くだらないことで云い争って、バカみたいだったから」


なのだと、実は理性的で合理的な理由に基づく緊急避難的なヒートした「場の空気」を冷ますための政治的なウソだった本意を端的に明かしてみせたほどなので、ムラ世間的な空気・同調圧力に屈して、非合理的な前近代的・呪術的な発想に容易に感染していく連中に対する反発から、自身もスピリチュアル少女のクセに(笑)、少数派の「光宗」側の擁護にまわったようにも見えるのだ。彼女も気性からして弱い少女なのだろうとは思うが、一面ではオトコ気もあってブレずにスジを通してみせる少女なのである。


「ホントに見えるのは、これから死ぬ人」


などと最後にはスピリチュアルに戻り、不穏当(ふおんとう)な捨てゼリフを放って「光宗」のもとを去っていく「リオン」のナゾめいた沈んだ表情を、夜の闇の黒い影で包んで見えにくくしている演出もまた「暗示」としては絶妙な効果を発揮している――意外と理性的なコなのかと思いきや、結局は霊感少女だったのか? それともミステリアスな少女を演じているだけだったのか?(笑)――。


 冒頭にあげた怪奇映画『マタンゴ』では満たされない食欲をめぐって一同が争うなか島に生息する怪奇キノコ・マタンゴを唯一口にしなかった主人公の青年が、『吸血鬼ゴケミドロ』でも乗客の命を守り抜こうとした機長とスチュワーデスが、つまりは「いい人」たちが最後まで生き残ることとなっていた。
 もちろん「フィクション」には、道徳説話的な要素もあるので、悪党や軽挙妄動する愚か者が先に死んで、知恵や思いやりもある善人が助かっていく展開の方が気持ちがいいから、そうなっていく側面がある。
 しかし、「リオン」が指摘したように、「いい人」の方が損をしたり、自己犠牲や悪党にダマされたりして先に死んでいくのが「現実世界」の実態ではあるだろう。


 実際、「光宗」は第3話で「ジャック」をかばったために彼を地下牢から脱走させたのでは? と第5話では「美影」たちに疑われる。
 そして、彼を捕らえてその真相を白状させようとした「美影」陣営に協力した「なぁな」「プゥ子」「ユウノ」といったルックス的に上の部類に属する美少女たちが、自身のルックスや笑顔の可愛さを自覚している女子特有のズルさで、自身たちの色香(いろか)も利用した村の夜間警護の交代の懇願劇を仕掛けてくる。
 「光宗」が鼻の下を伸ばしてそれをやすやすと引き受けたことで――ホントにチョロいやつだよなぁ(笑)――、夜陰に待ち構えていた「らぶぽん」「氷結のジャッジネス」「ニャンタ」の3人組に襲撃され、黒幕の「美影」たちのもとに連行されることとなったくらいなのだから(爆)。


 その直前にも「光宗」は、


「今日はずいぶん女の子としゃべったなぁ。なんか信じられない!」


などと非モテの童貞男子まるだしでノーテンキに喜んでいるほどであり、「真咲」や「ジャック」を盲目的にかばった結果として自身が危機に陥る展開も含め、このあたりは主人公とはいえ「光宗」をかなり突き放して相対化して描いている。


脇役の中高年たち。脚本・岡田麿里が手懸けた『あの花』『ここさけ』の高齢版!?(汗)


 話は少々ズレるが、本作に登場する中高年のキャラたちは、本作を手懸けた岡田麿里(おかだ・まり)の代表作である深夜アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)や、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(15年)などで反復して描いてきた、過去の失敗に対する罪悪感をひきずっている人々の高齢版にも思える。


 第10話『苦しい時の神様頼み』で、一時的に元の下界に戻ることとなった「光宗」に対し、「時宗」の死を受け入れられない妻のためとはいえ、すべてを押しつけてきたことに苦悩し続け、ついに詫(わ)びることとなった光宗の父。


 10年前、自身の不甲斐なさから死なせてしまった娘・美里(みさと)のことが心の傷になっており、納鳴村で化け物としてではなく幼女のままの姿の美里=ナナキと再会することとなったツアーバスの小太りの中年「運転手」。
――第11話『バスに乗れば唄心』では美里に土下座し抱きしめて謝罪していたが、これを満天の星空の下で多くの蛍が舞う中で描くことにより、感動的な美しいシーンとして昇華することに成功していた――


 そして、自身の納鳴村に関する研究発表によって噂が広がり好奇心で村に行く若者たちを続出させたことを反省し、その懺悔(ざんげ)の気持ちから自分にできることをと最終展開で「光宗」に協力することとなる「こはるん」の実の父であり心理学者でもある「神山」。


 本作の大人たちは若者たちとは異なり、人生をリセットすることなく、誰かに助けを求めたり誰かに「依存」することもなく、ひとり静かに苦虫を噛みつぶしたように罪悪感にさいなまれながらも、こらえつつ生き永らえている人々として描かれているのである。


弱者を助ける行為にも付きまとう偽善と欺瞞。相手よりも上位に立ちたいという邪心と陶酔!


 岡田磨里作品では、ヤンキー不良的なミーイズムやエゴイズムと比すればはるかにマシな行為だとしても、「弱者を助ける善なる行為でも、それもひょっとしたら相手を支配したり上位に立って悦に入りたいだけなのでは?」という実にシニカルな視点が、フジテレビ・ノイタミナ枠での深夜アニメ『ブラックロックシューター』(12年)などをはじめとしてしばしば描かれてきた。
 先にあげた『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』も岡田麿里がメインライターの作品だが、#16『フミタン・アドモス』で、金髪ロングの高貴なメインヒロイン、クーデリア・藍那(あいな)・バーンスタインが幼いころ、スラム街の少女にキャンディーを手渡そうとしたのを、侍女のフミタンが「その場限りの施(ほどこ)しにすぎない」とたしなめる回想場面は、その典型例であると思える。


 本作でも当初の「光宗」と「真咲」の関係はそのような要素も微量に含むものとして描かれているようでもあり、自分をかばうことで「光宗」の立場が悪くなると思いつつも、「真咲」はそういった「上から目線の施し」も感じたからこそ、第3話で「もうかばってくれなくていいよ。わたしなんてかばったら、光宗くんが浮いちゃうから」と、いったん光宗から離れてしまったのではなかったか?――この際の「真咲」を顔の下半分しか写さないことで、彼女の「光宗」に対する感謝の念やさらなる救援要請の想い、しかして同時に迷惑な気持ちと拒絶の念といった、相反する複数の想いが渾然一体となった複雑なゆれる心情を視聴者に想像させてくる演出も見事だ――。


 チョロくて頼りない幼なじみの「光宗」のことを放っておけずにツアーに同行した、「光宗」とは対照的に常に鋭い眼光を放つ青髪のクールな少年「スピードスター」こと「颯人(はやと)」。
 その彼と「光宗」との関係も、先にあげた「弱者を助ける行為にすら宿ってしまう、相手よりも上位に立って悦に入りたい気持ち」というテーマを、「真咲」<「光宗」、「光宗」<「颯人」という相似形の強弱関係を照らし合わせることで浮かび上がらせるために導出された図式だろう。


颯人「イライラすっから。だからオレが守ってやる」


 小学校時代、常にいじめられていた「光宗」をかばって以降、「颯人」は一見「光宗」の親友であるかのように振る舞ってはきたが、実はそれは「颯人」が「光宗」に自我を捨てさせ、なんでも自分が云ったとおりにやるのを強要することで生まれた恐るべき関係性でもあった。
 だが、「真咲」との出会いによって、「光宗」が次第に自己主張をし始め、「颯人」に反発するまでになったことに、第9話『月下氷結』で「颯人」は包み隠さず困惑して、


「おまえに自分を変えられると困る」


と「光宗」に以下のような過去を語り出す。


 「颯人」は表面上は何不自由なく育てられたが、それは両親が世間との体面を保つために、「颯人」に自分たちの望む息子を演じさせていたにすぎなかったのだ。
 父には自分の趣味をすべて強要され、母には着せかえ人形にされた。
 近年たまに事件記事などで見る、小学校の通学時でさえ高級ブランドの服を着せられている子供たちや、その逆に親のアウトドアな趣味を強要されたがために海や山で遭難して事故死する子供たちの例を見れば、それが決して絵空事ではないと実感できるハズである。
 先にも「ジャック」が語ったように、最初は優しくしながらも、少しでも自分たちの意にそぐわないことをすれば、両親は「颯人」に暴力を奮い、屋根裏部屋に閉じこめた。
 だから「颯人」は自分にも従順(!)な相手が必要だと考えるようになったのであり、「光宗」と出会った際には解放された気分になったとまで語ったのである!


光宗「もう振り回されるのはイヤだ! ぼくはもう、時宗なんかじゃない!」


 ずっと感謝し、尊敬さえしていた「颯人」から聞かされた真実に、「光宗」は大きなショックを受け、「颯人」のもとを去ってしまうが、それは決して「光宗」ばかりではなかった。


こはるん「あなたには、光宗くんしか信じられる人がいないんだもんね」


 さすが「こはるん」。「光宗」と「颯人」の心理学でいうところの「共依存」的な関係性を見抜いて、そこを攻めてくる。男性同士の「共依存」はそれすなわち「BL」こと美少年同士の「ボーイズ・ラブ」の真髄そのものでもあり、オタク女子の中でもコア層の「腐女子」の皆さまが黄色い声でキャーキャー騒ぎそうな要素への商業的な目配せにも、本作は手抜かりがない(笑)。
 しかし、第5話の時点で早くも「美影」が「黒幕がいる」と感づいていたが、納鳴村で起きた一連の怪事件は、後述する理由によってすべてこの「こはるん」に仕組まれたものだったのだ!


 「颯人」の心の傷は、両親に屋根裏部屋に閉じこめられた際に常に目にすることとなった祖母の遺影だった。
 痴呆(ちほう)を患った祖母は、体面を保つために両親によって屋根裏部屋に閉じこめられた果てに亡くなったのである!


こはるん「大切な人を、真咲ちゃんにとられちゃったんだもん」
颯人「しゃべるな! もうやめてくれ! あの女のことは!」


 昨日今日知り合った女と理解しあえるハズもない。ましてや「真咲」をかばうことで変に悪目立ちしているのだからと「あの女はやめておけ」と再三警告し――一理も二理もある忠告ではある――、「今までどおり」の関係を求めた「颯人」を捨て、「光宗」は「真咲」のもとへと去ってしまった……
 第11話で今回の一連の騒動の首謀犯「こはるん」が「颯人」の心の深い傷をさらに深めることにより、「颯人」のナナキ=「祖母」が、従来には見られなかったほどの巨大怪獣と化す!
 その叫び声も含め、半獣半メカの姿は個人的には巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)に登場した各話の巨大敵キャラたち「使徒(しと)」のデザインを彷彿とさせるほどである。


こはるん「育ってきた」(!)


 最終回(第12話)『ナナキは心の鏡』で、「颯人」は「あいつらを殺せ!」(!!!)と、巨大ナナキで「光宗」や「真咲」を襲撃する!
 ナナキの巨大な手にとらわれながらも、「光宗」と「真咲」は、巨大ナナキが第9話で「光宗」から切り離されたペンギンをかごに閉じこめていることに気づく!


真咲「光宗くんを、自分のものにしておきたいから」
光宗「そうか、あれはぼくだ! ぼくは守ってもらっていた。颯人がつくった檻(おり)の中で」


 今こそ新しい自分に生まれ変わるときだとばかりに、「光宗」は「颯人」に心からの叫びをあげる!


光宗「颯人を助けられる自分になりたいんだ! ぼくは颯人と同等になりたい! 友達として、颯人が悩んでいるときは話を聞いてあげられて、助けてあげられて。なりたいんだ! そんな関係に! そんな友達に!」


 激しく動揺した巨大ナナキは「光宗」と「真咲」を地上に解放するが、


こはるん「あなたはだまされているの!」


などとけしかけられたことから巨大ナナキは暴走を遂げ、「颯人」をも標的にしようとする!
 「颯人」を背負い、全速力で駆け逃げる「光宗」!


颯人「光宗、オレを降ろして逃げろ!」
光宗「イヤだ!」
颯人「おまえは、力もないし」
光宗「ここで颯人を降ろしたら、前の自分と何も変わらない!」


 これまでに見せたことのない「光宗」のゲキアツぶりには、「光宗」の本気度の高さがうかがえようというものである!
 これこそまさに、「人間ドラマ」とB級チックな「見せ物」のクライマックスが華麗に融合した瞬間である!
 トンネルの中にまで追いかけてきた巨大ナナキの前に立ちふさがった「颯人」は「光宗」にこう語りかける。


「おまえを助けた気になることで、自分に自信が持てた。おまえに助けられていたのは、いつもオレの方だったんだ。ありがとう、光宗」


 これにより巨大ナナキは消滅、「颯人」自身もまた元の世界に帰還することとなる。


レイジ「颯人くんは自分の気持ちと、過去の出来事を受け入れたんだよ」


弱者救済に必然的に付随する不健全な「共依存」や「現実逃避」。しかしてそれを全否定はしないラスト!


 とはいえ、「光宗」と「颯人」の一見単なる主従関係でありながら、ともに精神的には不健全なまでに依存しあっている「共依存」も、脚本の岡田麿里は決して全否定はしていないように思える。
 上から下へと見くだすように露骨に施しをしたり暴君的にふるまっているのならばともかく、「共依存」性が少しでもある人間関係であれば「弱者救済」などは「偽善」だから即座にやめるべきだ! などという安直なニヒリズムにも陥らず、そこに多少は醜い優越感というグレーの要素が残ったとしても、それでも目の前の危急存亡の状況にいる「弱者」にはシノゴノ云わずに救いの手を差し伸べてあげるべきだ! という、矛盾すれすれの相反する主張のブレンドもどこかに感じられる深みのある展開には、岡田のクレバーさ・人間観察の深さも感じられてならない。


 本作にはラストでこれに通じるトドメの一押しがもうひとつある。これは納鳴村にとどまることによって自我を失い、廃人と化してしまう危険性が発覚したことから、大半の者が村を去ることを決意する中、それでも一部の者たちが村に残ろうとする選択に、一理を認めて否定的には描かなかったことだ――もちろん完全肯定もしていない――。
 それはリーダー格の「ヴァルカナ」が納鳴村にとどまる連中の選択を「逃げ」だと非難した際、最年少の冷めた少女「リオン」が語ったセリフにも表れている。


「逃げて何が悪いの? 逃げないで戦うの? 人それぞれだけど、そんなことできない人だっている。私もやっぱり帰りたくない。ここにいる」


 まさにその通りだ。だれもが他人や社会と戦えるほどに気が強いわけではない。気持ちが優しすぎる弱い人間には、それは酷なことである。そう、西欧的で近代的な自立した強い個人というのも、一応のめさずべき目標ではあってもついには達成できないフィクションのようなものではなかろうか?
 人間の心の強弱は本当に人それぞれだ。「弱者」とされる人間の中においてさえもグラデーションがある。確実には勝てない勝負に打って出て、心を壊してしまうことがミエミエであるなら、人間関係が苦手でも務まるような仕事を探したり、いっそのこと「引きこもり」や「世捨て人」になる行為も、一概に間違っているとは断じがたい。
 なんと岡田は「共依存」のみならず「現実逃避」すらも完全否定はしておらず、それどころかその理や効用をも認めてさえいるのだ! これにもまた、岡田の安直二元論的な二者択一ではない、真逆の理念の双方にも理を認める実に多面的な世界認識や人間観、そしてなにより「弱者」に対する暖かい視点が感じられる。


 20世紀末に一世を風靡した『新世紀エヴァンゲリオン』やその完結編の劇場版ラストは、我々オタク観客たちに対して「現実へ帰れ!」というメッセージを放った。もちろんそのメッセージにも一理はあると思うが、一時の娯楽であるフィクション作品自体を自己否定して破綻させかねないものであり、なによりもよけいなお世話であったり(笑)、あるいは「現実」でうまく生きられない者たちにとっては「救い」にもならない冷たい「正論」で、そのことに反発を覚えた者もきっといたことだろう。


 それにひきかえ、本作ラストの少女「リオン」のセリフはどうか? 「正論」だけでは反発と敗北感を覚えかねないほどの「弱者」たちにとっては、「現実逃避」を正当化してくれるその言葉に、かえって寄り添いや癒やしを、そしてうまく行けば一部の軽傷の「弱者」たちにはその言葉を与えられたことで気が済んで、逆説的に勇気を与えられて現実に少しでも立ち向かう背中を押してくれる言葉になったかもしれないのだ。
 人間とは「正論」だけでも動かない、実に逆説と背理に満ち満ちた複雑な心理を持つ存在でもあるのだ。
――もちろんダメな自分を自堕落に正当化する品性下劣な「弱者」もいるから、「リオン」のセリフは一方では毒になるのもたしかだけど――


 いや、むしろ現実の世界に戻った者たちの方を批判しているとさえ思える部分もあるのだ(汗)。それはあれだけ「光宗」や「真咲」を散々迫害し、ぶっちゃけ殺人未遂までやらかした(爆)ツアーの参加者たちが、誰ひとりとして「光宗」や「真咲」に謝罪する姿が最後まで描かれないことである。
 筆者の専門とする就学前の幼児を視聴対象にした変身ヒーロー作品ならばこれは絶対にありえない、ふつうはラストで取って付けたようでも謝罪してハッピーエンドに持っていくところだ(笑)――もちろん思春期以降の年齢層をターゲットとする本作のような深夜アニメの作風で、それをやったら非常に安っぽくもなるけれど――。


 実際、納鳴村に残ったメンバーを見ると、そちらの方が「いい人」が多かったりするのである。
 参加者の中で争いが起きるたび、主催者の「ダーハラ」以上に必ず仲裁に入る姿が描かれていた、もうキャラデザからして「光宗」以上におもいっきり「人畜無害」(笑)で、親の介護を終えて抜け殻になっていたという枯れた感じの28歳の青年「山内」。
 「真咲」にハーブティーを入れてあげるなど、常に優しい姿が描かれていた元・看護婦で、緑髪ショートボブにメガネをかけた女性「ソイラテ」。
 この本作でももっとも目立っていない(汗)脇役キャラのふたりは、他の参加者たちが終盤で次第に廃人のように無気力状態に陥る中、最後まで正気を保ち続けていたのである。


 また、悪質なストーカーから逃れてきた「熱帯夜」や、「戻ったら確実にヤバいやつらに殺される」と、多額の借金を踏み倒してきた居酒屋の雇われ店長で、金髪で軽薄な雰囲気ではあるものの目下の者にまで常に敬語で話すほどの意外に穏和な青年だった「鳥安(とりやす)」。
 そうした者たちを納鳴村に残すことで、「現実逃避」にムダに説得力まで与えているほどなのである(笑)。


 その究極となっているのが、以下のセリフである。


神山「気持ちはね、みんな違うの。気持ちは人それぞれなんだよ。だから(私のことも)自由にさせてほしいな」


 「神山」は娘の「こはるん」が自身に対する善意でやってきた今回の一連の事象で、救済が果たされることを拒絶するのだ。


 まぁ、父の「神山」が自身のナナキを切り離したことで、まだ50手前なのに白髪の老人と化したほど(爆)急速に老化を遂げたことから、それを阻止するために「こはるん」が強力なナナキを生みだそうとしたという動機は充分に同情できるものではある。
 だが、そのために「こはるん」が多くの若者を巻きこんでしまったことについては、さすがに一同に謝罪する姿を描いた方がよかったとは思える。
 自分が傷つけてしまった人たちへの罪滅ぼしのために、村にいても自我を失わずに済む研究を続ける、なんて気持ちがあるのなら(笑)。


 だが、それすらも、


「オレよくよく人を見る目がないからよ。この先また現実でやっていけるかわからねえから、チラッとでもいいやつだと思っちまったやつが、ホントにいいやつかどうか、この目で見届けてから帰るわ」


なんて、「ダーハラ」が嫉妬するほどいい雰囲気になりかけていた「ヴァルカナ」から云われた言葉に、「こはるん」が顔を赤らめるなどというかたちでキレイに決着させてしまうとは……。
 そもそも村に残る行為を「逃げ」だと糾弾しだしたのも「ヴァルカナ」じゃなかったか!?(笑)


弱者男子にとっての都合がいい弱者少女・メインヒロイン「真咲」の症例の決着


レイジ「ぼくは、おまえのナナキ」


 「ナンコ」は「真咲」にだけ化け物=ナナキが見えないのは「心の傷」がないからだと推理していたが、「真咲」にとっては見た目は化け物ではなく人間である「レイジ」少年こそがナナキであったことが最後に判明する。
 「真咲」が幼いころから「レイジ」という灰色髪のイケメンで優しいお兄さんタイプの「空想」の遊び相手を生み出すに至っていたということは、それだけおとなしげで気弱げで内向的な「真咲」が重度のコミュニケーション弱者だったということでもあり、その「孤独」は充分に「心の傷」に該当するということは、同じくコミュニケーション弱者であられる読者諸兄も痛感するところだろう(……心が痛い!・爆)。


 だが、第11話であくまで彼女がすべての元凶であると信じる「美影」と「らぶぽん」によって処刑されそうになった「真咲」は、いったんは「レイジ!」と叫びかけたものの「光宗!」の名に変えて助けを求めたのである! 「真咲」が「レイジ」以外の現実世界の人間に対しても、本格的に関心を向けはじめた証左でもある!


レイジ「初めてぼく以外の名前を呼んだんだよ、光宗くん!」


 レイジから託された「光宗」が「真咲」に語りかける。


光宗「レイジさんは、ここから出てほしいって願ってた。真咲さんは、本当は変わりたいって思ってんだよね」


 「ぼくは、真咲自身だから」と語っていた「レイジ」=「自分」を「真咲」が受け入れることで、「レイジ」の姿は消滅するが、


真咲「レイジが帰ってきた! ここ!」


と、おぼこい幼女みたいな感じの可憐な「真咲」が嬉しそうに左胸を指す描写もまた、最後の最後まで「萌え」欲求を満たすための巨大な釣り針としてはヌカリがなかった(笑)。バスに戻ってきた「光宗」に「真咲」が「おかえり」と微笑むのもそうだが。つーか、個人的にはたまらん(爆)。


 まぁ、彼女はルックスには恵まれているので、その後の人生でもオトコがたかってきて救ってもらえそうな感じなので、なんとかなっていくのだろう(オイ)。これでルックスにも恵まれていないコミュニケーション弱者の少女だったら、深夜アニメ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190606/p1)の主人公・黒木智子ことモコッチになってしまう(爆)。


ラストへの小さな違和感。「苦悩」があるという一点をもって、人間は誰しも同じだといえるのか!?


 ただ、最後にヤボなツッコミをひとつだけ。


レイジ「君たちはどうしてここに来た。人生をやり直したい? それは今までの自分を否定しているんだよね。他の誰よりも『自分に捨てられる』。それがいちばん怖いんだ」
マイマイ「私ってさ、今まで自分だけが苦しいような、そんな気でいたんだ」
リオン「そうだね。まわりの人たちはみんな幸せそうに見えた。正直嫉妬だってしたよ。だけどここに来て、みんな同じなんだって気づいた」
ナンコ「うん。みんなつらいことがあって、それこそナナキを生んでしまうくらい悲しいことがあって……」


 「みんな同じ」「みんなつらいことがあって」というのは、あくまで「人生やり直しツアー」に参加した者たちの中だけで見たら、たしかにそういうことになるのだろう。
 だが世間には、たいして苦しいこともつらいことも経験せずに、幸せに生きている連中も多いんじゃないのか?(笑)
 「心の傷」なんか全然なくて、納鳴村に来ても化け物の姿が見えないやつだって、結構多いかと思うぞ(爆)。


 やはり生まれつきの性格・気質・体質・体力などの自分ではどうにもできない、各個人の手持ちのカードの多寡によって、前者はさして努力もせずに幸せになれるだろうし、後者は苦しむ可能性が高いと思えるのだ。
 そういや本作と同時期に放映されている『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)に途中から黒色の「6番目の戦士」として登場した、生まれつき体も気も弱くて常に孤独であだ名で呼びあう友達すらもいなかった門藤操(もんどう・みさお)=「ジュウオウ ザ ワールド」なんかは、後者の典型そのものではないか?(爆)
 まぁ、操みたいなキャラでも「ヒーロー」になれたのは、『ジュウオウジャー』が「子供番組」だからであり、現実世界では到底ありえない話である(大爆)。
 また、先にあげた神山の「みんな違うの」のセリフではないが、苦悩を背負っている人々の中でさえも、個人によってグラデーションがあるワケで、「みんな同じ」というのは私的には微妙に違和感が残るものもあるのだが……


 もっとも10代の少女たちが自己を相対視することで、そこまで達観できるようになったこと自体が、ひとつの進歩・気づきであることだけはたしかだ。「リオン」なんかはまだ14歳だぞ(笑)。
 また、それだけ「マイマイ」「ナンコ」「リオン」が、皆あまりにもモラルがある「いいコ」にすぎて、だから世間で苦労するんだよ、もっとテキトーにズルして手抜きもして生きてもいいよ……などと、これまたスタッフ陣が彼女らを若干突き放して描いているようにも解釈ができ、しかし個人的にはそこまでニヒルに「生き方のズルさ」を賞揚するような主張が込められていたりすると、さすがに賛同しかねるので、今回はこれくらいにしておこう(笑)。


 今を生きるすべての悩める人たちに、視聴することを勧めたいと考える力作である。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.75(16年8月13日発行))


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