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ヴァイオレット・エヴァーガーデンTV・外伝・劇場版 ~大傑作なのだが、「泣かせのテクニック」も解剖してみたい!

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 日テレ『金曜ロードショー』にて2021年10月29日にTVアニメ版の総集編が! 11月5日には『外伝』が放映記念! とカコつけて…… アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』TV版(18年)・『外伝』(19年)・『劇場版』(20年)評をアップ!


ヴァイオレット・エヴァーガーデン』TV・外伝・劇場版 ~大傑作なのだが、「泣かせのテクニック」も解剖してみたい!



ヴァイオレット・エヴァーガーデン』TVアニメ版

(文・T.SATO)
(2018年4月27日脱稿)


 第1次大戦直後の西欧に酷似した世界で、戦時には特殊兵として活躍したらしき、人情の機微には疎いけどオトナしげで健気な金髪美少女。その手袋をはぐと両手&両指はミガかれた金属の義手となっている。
 彼女は生き別れたイケメン上官の命に従って、戦後は上官の友人が起業した都心の洋館の郵便会社で、顧客の煩瑣な口述の要点を捉まえて美文名文に仕立て直してタイプライターで代筆する「自動手記人形」なる新興の職に就く。
――第1次大戦レベルの科学&医術なのに、あの義手の原理は? なぞとツッコミしてはイケナイ(笑)――


 そこでの同僚・顧客・仕事を通じて、戦争と戦場での軍隊式の事務的な報告や連絡しか知らなかった彼女が、軍隊以外の一般社会や一般常識、ヒトをダマして陥れるためのウソではなく思いやりや労(いたわ)り、否定・拒絶をするにしても婉曲に表現することでショックを和らげる、潤滑油としての優しいウソや物も云いようといった人情の機微を学ぶことで、リハビリ・成長していくサマを描きつつ、ゲスト顧客たちのちょっとイイお話や人生模様も綴っていくといった作品である。


 そーいう意味では、各話の展開の先は読めてしまうのだが、展開よりもその過程における登場人物たちの繊細な描写の秀逸さや普遍的な心情が堪らない。
 天下のアニメ製作会社・京都アニメショーンによる、髪の毛や服装の線も実に多い美麗な8頭身キャラと、西欧の石造りの街々の雑踏やのどかな田園風景の高精細な背景美術で、ここでマンガ的にフザケます! とかナンちゃってェ~頭ポリポリ……といったギャグには逃げない、実にマジメで端正な空気感を醸すことにも成功。
 彼女が美文名文を書けるようになるのが早すぎる気もするけど、そこは1クールアニメなので仕方がナイ(笑)。


 ある意味では国際政治の犠牲者かもしれないけど、戦後の平和を人々に実感させるために、某国の王子と別の国の王女を結ぶため、そしてそこに政略だけでなく、自分たちで選んだ主体的な愛もあるのだと感じさせて、その背中を押すために、主人公の金髪少女が王女の意を組んで恋文を代筆していく回も実によかった。王女役は『マクロスF(フロンティア)』(08年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091122/p1)での少女ヒロイン役以来、少々キンキンと声に華がありすぎるせいか、もう少し弱そうな声質が望まれる美少女アニメ界にあっては役のゲットに恵まれなかった感もある中島愛(なかじま・めぐみ)がマリッジ・ブルーな儚げ少女の嫁ぐことへの不安を好演していた。


 病弱な娘を喪ってしまった湖畔に住む大劇作家。高山の大天文図書館での同業者の一斉投入による古文書の筆写などの良編も挟みつつ、戦時に生き別れた忠誠を尽くした上官の生死のナゾと、彼女自身の戦時の罪にも迫るかたちで物語のクライマックスも作っていく……。


 天下の京都アニメ作品も、『涼宮ハルヒの憂鬱』などの一連の石原立也カントクのラインは面白く、私見ながら『境界の彼方』の石立太一カントク作品はイマイチだと思ってきたけど、失礼ながら石立カントク作品で初めて面白かったと思った次第。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [Blu-ray]

ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [DVD]
(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.71(18年5月4日発行)所収)


ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 -永遠と自動手記人形-』

(2019年9月6日(金)・松竹系公開)


(文・T.SATO)
(2019年12月15日脱稿)


 第1次大戦直後の西欧近代を模した異世界を舞台に、郵便会社で顧客の口述を美文名文に仕立て直してタイプライターで代筆する少女の成長を描いたTVアニメの続編の中編映画――来年2020年には長編映画の公開も控えている――。
 かの放火事件に見舞われた京都アニメ製作の作品だが、読者もご承知の通り、本作『外伝』の納品は事件の前日だったそうであり、無事に公開されたことが何よりでもある。


 高貴な家柄の娘たちが集う全寮制の女学校。容色・立ち居振る舞い・言葉遣いに秀でた子女たちの中でひとり、それらに恵まれず、人の輪にも加わらずに、世をスネたようなメガネ女子がいた。そこに彼女の行儀作法の指導役として、本作の主人公でもある金髪ロングで碧眼の控えめ美少女・ヴァイオレット嬢が派遣されてくる。今回の彼女の仕事は代筆屋ではないのだ。


 メガネ女子のお付きとして教室では後方で見守って、寮では生活を共にする、あまりにも完璧なヴァイオレット嬢の一挙手一投足に学友たちも見とれてしまう。しかし、それがまた同時に、彼女の劣等感をも刺激していくことにもなっていく……。


 そして明かされていく彼女の過去。彼女は良家の育ちではなく貧困の中で育っており、冬のある日に出会った幼女を妹のように大切にして、貧乏でも幸福な人生を送っていたのだ。しかし、彼女の実父がやんごとなき方だと判明して、幼女と引き裂かれて、高貴なお家の子女として養育されることになってしまったのだという!
 物語はこの子女と幼女の去就をめぐってさらなる変転を遂げていく。


 ウ~ム。フツーにイイお話で及第点ではあるし、特に拙(つたな)いところも全然ナイのだけれども、個人的にはTVアニメシリーズの方が密度感やドラマ感も高かったようには思うのだ――スイマセンけど、かの事件ゆえに加点をして観よう……などというような殊勝さは筆者にはナイもので(汗)――。もちろんこの評価は筆者個人のチョットした好悪に起因している可能性もあるのだし、トータルでは良作であることに異存はナイけれど。


 とはいえ、世をスネた感じのお姉さん子女は、百合アニメ『やがて君になる』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191208/p1)の黒髪ロングのお姉さんや、『響け!ユーフォニアム』(15年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160504/p1)の田中あすか副部長に、『動物戦隊ジュウオウジャー』(16年)の女敵幹部の声などが私的には印象に残る、アバズレや下品の域には達しないけど姉御ハダかつ颯爽としつつも女性らしさも欠如しないお姉さん声だと私見する寿美菜子(ことぶき・みなこ)。幼い妹を演じるのはチビチビの通称・子供先生(笑)こと悠木碧(ゆうき・あおい)。共に演技派を配しており、作品の品位がそこでも上がっている。
[公式楽譜] エイミー ピアノ(ソロ)/初級 ≪ヴァイオレット・エヴァーガーデン≫ (L SCORE)

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.76(19年12月28日発行)所収)


『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

(2020年9月18日(金)・松竹系公開)


(文・久保達也)
(2020年10月7日脱稿)

*二度の「延期」を乗り越えて……


 戦争の「道具」として日夜、戦いに明け暮れた14歳の美少女が戦争終結後に手紙の代筆屋の一員として勤める中で、かつての上官が最後に残した「愛してる」の意味をようやく理解できるに至るまでを描いていた、かの京都アニメーションが製作した不朽(ふきゅう)の名作深夜アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(18年)の完結編となる劇場用長編アニメ映画が、二度に渡る公開延期を経てこのほどようやく公開された。


 当初は2020年1月10日に全世界で同時公開の予定だったが、周知のとおり2019年7月18日に京都アニメーションの社屋で発生した実に痛ましい放火殺人事件のために2020年4月24日公開に延期され、さらに同年に全世界を襲った新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けて、公開が再度延期されることとなったのだ。
 先述した事件の3ヶ月後に行われた記者会見の席上にて京アニの社長・八田英明は、この『劇場版』を製作する中でスタッフたちが徐々に「心」を取り戻していければ、といった主旨を語っていただけに、まさに京アニの再起をかけた『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が度重なる不幸に見舞われたのは痛恨の極みであっただろう。


 ただ大変失礼ながら、この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のような涙腺が崩壊すること必至のアニメ映画は、人々も感傷的な気分に浸(ひた)りがちな秋季にこそ観るのにふさわしい時期かと思えることを考えると、この9月に公開されたことも、せめてもの天の配剤であったかとも思えてくるのだ。


*「愛してる」を知りたくて


 テレビシリーズの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は2018年1月から4月にかけ、TOKYO-MX(とうきょう・メトロポリタンテレビジョン)ほかで深夜枠で放映されていた。
 なお、このテレビシリーズを収録した映像ソフトの最終巻には「Extra Episode(エキストラ・エピソード)」として第4話と第5話の間に起きた出来事として描いた『きっと“愛”を知る日が来るのだろう』が収録されている。「Extra Episode」とも別に、今回の『劇場版』に先行して2019年9月6日に3週間の期間限定で公開されたアニメ映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 -永遠と自動手記人形-』は、「公開初日満足度ランキング」で第1位を獲得していた。


 本作は主人公少女の名をそのままタイトルとしており、彼女も含む登場人物の大半が花の名前をモチーフとして名づけられているのは、本作で描かれる数々の悲劇の発端(ほったん)となった「大陸戦争」との対極としての象徴的な意味合いが込めているのかと思われる。


 元々は孤児だった主人公少女は、かつての上官で陸軍特別攻撃部隊の隊長でありながら常に柔和(にゅうわ)な印象のギルベルト・ブーゲンビリア少佐から「花の女神」を意味する「ヴァイオレット」と名づけられ、戦争終結後にその後見人となった高貴な一族の奥方からその姓である「エヴァーガーデン」を頂くこととなったのだ。
 エヴァーガーデン=ever gardenは直訳すれば「常に庭園」となることから、「花の女神」と併せてやはり主人公の名前には反戦・平和の意味が込められていると解釈して相違ないだろう。


 先の大戦ではヴァイオレット嬢は「ひとりで一個分隊に匹敵する戦闘能力を誇る」――往年の「怪獣図鑑」における巨大怪獣の設定のようだ(汗)――という「人形」、つまり「心を持たない、ただの道具」として敵軍からも恐れられていたほどの猛者(もさ)だった。しかし、最終作戦中の負傷で両腕をなくして、そしてギルベルト少佐とも別離してしまうこととなってしまったのだ。


 重傷を負ってすでに覚悟を決めたかに見えたギルベルト少佐はヴァイオレット嬢に自身を捨てて逃げるように説得した末に、敵の砲撃から守るためにヴァイオレット嬢を突き飛ばして、自身は崩落した総本部の瓦礫の中に消えたのだ……


 テレビシリーズではこの回想が繰り返し描かれている。ギルベルト少佐の最後の言葉「愛してる」を当時は理解ができず、その意味を知ることを唯一の動機としてタイプライターでの代筆屋の一員として民間郵便会社での仕事をはじめたヴァイオレット嬢が、同僚や仕事の依頼主たちとの関係性の変化を重ねる中で「心」が芽生えて、さらにそれが変遷を遂げた末にようやく「愛してる」を少しは理解ができるようになるまでの過程を描くために、それは必要不可欠かつ効果的な演出でもあったろう。


 なお、第1話『「愛してる」と自動手記人形』の導入部では、ギルベルト少佐とともに市場を訪れたヴァイオレット嬢がギルベルト少佐の瞳と同じ色のエメラルドのブローチを見つけて、


「少佐の瞳と同じ色です。これを見たときの、こういうの……なんというのでしょう?」


などという疑問をギルベルト少佐に投げかけていた。


 シリーズ序盤ではまさに「人形」として無感情・無表情が徹底されていたヴァイオレット嬢だったが、このギルベルト少佐に対する自身の内にわいてきた心情に対する「疑問」は、ヴァイオレット嬢が「愛してる」という言葉の意味や実態をまだ理解はできていないことの端的な象徴としても機能していたのだ。


*ヴァイオレット嬢のキャラ造形についてのアレコレ


 そのギルベルト少佐の瞳と同じエメラルドのブローチを戦闘中も常に胸元に付けていたヴァイオレット嬢は、士官学校時代からのギルベルト少佐の親友であり、現在は民間郵便会社の社長を務めている赤茶色のギザギザヘアでやや軽薄な印象が強い――劇中でも女遊びがハデだとする証言や描写が多用されていた(笑)――クラウディア・ホッジンスに預けられて代筆屋の一員となって以降も、そのブローチを身に付けている。ギルベルト少佐がヴァイオレット嬢にとっては最も大事な存在でもあるシンボルとして、それはシリーズを通して描かれつづけていた。
 そんなロマンチックで乙女(おとめ)チックな描写の一方で、戦争で失った両腕の代わりとしてシルバーのメタリックな義手を装着したヴァイオレット嬢が、先述したエヴァーガーデン家の奥方からもらったという茶色の皮手袋を代筆時に口で指の部分をくわえてハズし、タイプライターのキーボードをせわしなく操作する描写は、さしずめアンドロイドかサイボーグといった趣(おもむき)であり、彼女の出自が「戦闘人形」であったことを視聴者に再認識させてくれている。


 なお、本作では代筆業を行う女性たちのことを「自動手記人形」=通称「ドール」と呼称しているが、これは劇中世界の歴史上、活版印刷やタイプライターといった人間の声を文字として書き起こす「機械」を、かつてそう呼んでいたことから転じさせたものだそうだ。
 今は亡きワープロ、そして現在は一部でカルト的な人気を誇っている小型携帯ワープロ・pomera(ポメラ)を常用している筆者のようなモノ書きオタクにとって、同じ属性を持った「ドール」たちのことが気にならないハズがない!?


 クラウディア社長がプレゼントとして用意した動物のぬいぐるみの中からヴァイオレット嬢は犬を選ぶ。その理由はギルベルト少佐の実の兄でヴァイオレット嬢の面倒をギルベルト少佐に押しつけた、紺色ロングヘアの左側を三つ編みにした海軍大佐のディートフリート・ブーゲンビリアがヴァイオレット嬢を指して「ギルベルトの犬」と語っていたからだという。ヴァイオレット嬢がイヤミや皮肉や反語としての語句や比喩などを理解ができていないことをも示している描写である(汗)。


 その犬のぬいぐるみは終盤まで時折り点描されることになるが、これがまったくかわいらしさが感じられない無表情な顔であり、ヴァイオレット嬢が回を重ねるごとにその表情が柔らかく変化させていくのと対比的に描かれることでその効果をより高めていた。


 ちなみに、和平反対派によって再度の戦闘が勃発してしまうシリーズ終盤の第11話『もう、誰も死なせたくない』・第12話(無題)・最終回(第13話)『自動手記人形と「愛してる」』では、すでに単なる「人形」ではなくなったヴァイオレット嬢が和平反対派と戦う場面が描かれていた。
 プロペラ機から飛び降りた勢いそのままに、雪山の斜面を高速で駆け抜けて敵をなぎ倒したり、走行する列車の屋根でいっさい武器を使わずに敵と格闘したり、義手が破壊されつつも鉄橋に仕掛けられた爆弾を間一髪で見事にハズす描写などは、とてもではないが人間ワザではない(爆)。


 本作はシリーズ全体としては先の大戦で大事な人を失った人々の人間模様を中心に描く、戦闘場面が少ない反戦作品といった印象が強いのだ。
 だが、それでも先に挙げたようなヴァイオレット嬢の超人的なアクションが、それまで描かれてきた群像劇のクライマックスとしてドラマ性もたっぷりに描かれてはおり、1980年代には隆盛を極めたものの、現在は完全に下火となった「戦闘美少女」モノの変化球的な作品としての一面も兼ね備えた作品だったともいえるだろう。


「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」


 頭頂部でまとめあげた長い金色の髪、青い瞳、「戦闘人形」だったわりには筋肉質とは正反対の華奢(きゃしゃ)な体形から発せられる、常に敬語を使う抑揚のない語り口だが、芯の強さは感じられる凛とした声……


 ヴァイオレット嬢の声を演じる石川由依(いしかわ・ゆい)は


・大ヒットアニメ『進撃の巨人』シリーズ(13~20年)のメインヒロインであるミカサ・アッカーマン
・ロボットアニメ『ガンダムビルドファイターズ』(13~15年)のコウサカ・チナ
・子供向けアイドルアニメ『アイカツ!』(14~16年)の新条ひなき


などの、複数の人気シリーズに登場をつづけている当たり役をいくつも持っているほか、2020年1月からは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作者・暁佳奈(あかつき・かな)の台本による朗読劇の公演も行っているそうだ――これもおそらくは今般のコロナの影響で中止になってしまった舞台も多いだろうが(汗)――。


 青い燕尾服(えんびふく)に白いロングのプリーツスカートといった、郵便会社の社員とは思えないようなドレッシーな衣装に身を包んでいるヴァイオレット嬢が、代筆の依頼人を訪問する際のごあいさつとして、先の口上(こうじょう)を読みあげながら、プリーツスカートの両サイドを軽くツマんでヒザを少々折って姿勢を低くし、軽く会釈(えしゃく)をするさまは実に優雅なレディーでもある。


 水着だか下着だかわからない着エロみたいなビキニアーマーなコスチューム姿のグラマラスでお色気過剰で活発なヒロインたちに今は昔の80年代のオタクたちはあこがれたものである。しかし、80年代後半以降は現実世界の少女たちもおしとやかにせずホンネや欲望を全開にしてもイイことになってきた。そして、そのように振る舞いだしてみると、実際には単なるワガママで私的快楽至上主義者で他人や弱者への共感性には乏しいビッチ的な「ギャル」となってしまう少女が多数出現して(汗)、弱いオタク男子などには眼もくれないどころか、平然と罵倒もしてくることが実態であっことがアリアリと判明してしまった(爆)。
 そういう快活な女子に対する幻想が破壊されたどころかヘイト(憎悪)が高まってきたこともあってか、90年代に入るとオタク間での「戦闘美少女」人気は急速に退潮していく。そして、女児向けアニメ『美少女戦士セーラームーン』(92年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041105/p1)に登場したセーラーマーキュリーこと水野亜美や、巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)に登場したヒロイン・綾波レイ(あやなみ・れい)のような貧乳(汗)かつ控えめでおとなしげな美少女たちが大人気を博して、月刊アニメ誌『アニメージュ』などでも毎号の巻頭カラー見開きの人気投票ページでは数年間も連続でトップを飾るようにもなっていく。
 この傾向は基本的にはその後も21世紀の今日に至るまで変わってはおらず、ヴァイオレット嬢のような控えめで男性のことを値踏みはせずに、よその男性にも目移りしたりしなそうで、いつまでも尽くしてくれそうな、結果的にはオタク男子にとっても都合がよい女子像(汗)といったキャラクター造形もまた、本作が人気を博した理由の何割かを占めていた……という、やや後ろ暗い事情がある可能性はあったのかもしれない。


 まぁ本稿の主旨からは逸れてしまうのでそういう議題はまた別の機会にさせてもらうが、主人公の美少女が先述したようなキャラクターとして完成された時点で、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の成功の何割かも約束はされていたのだろう――主人公美少女が戦争終結後も「戦闘人形」を引きずりつつ、その性格も血気盛んなパワフル美少女であったならば、仮にまったく同一の脚本・ストーリー展開であったとしても、本作の風情や純愛風味は大幅に失われてしまったことであったろうし(笑)、視聴者の大きな感情移入を誘うこともなかったハズである(爆)――。


*テレビアニメ版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』おさらい


 さて、クラウディアが社長を務める赤レンガづくりの郵便会社には、


・金髪ギザギザヘアにハイヒールブーツを履いており、基本的には誰に対してもタメ口で、昼休みには同僚の女性たちを昼食に誘っても全員に断られてしまう(笑)という軽薄な配達員の青年=ベネディクト・ブルー
・そのベネディクトと口論する場面がやたらと多くて、彼の前ではワザとクラウディアとイチャつく描写からも明らかなように、内心ではそのベネディクトに恋心を抱いてもいる、黒髪ロングヘアにそのグラマラスなボディーを赤のボディコンスーツでまとっている元・踊り子だが、その見た目に反した文章力から代筆の依頼ではトップの指名を誇っているカトレア・ボードレール――その姓は(ひとり)ボッチアニメ『惡の華(あくのはな)』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20151102/p1)の文学少年主人公も敬愛していた詩人・ボードレールがモチーフだろう――
・グレーの髪のショートヘアにスレンダーでパンツスタイルの高身長娘であり、常にテンション高めで喜怒哀楽が激しく、序盤ではヴァイオレット嬢に対して冷淡な態度を見せていたアイリス・カナリー
・黄土色のショートボブヘアに丸メガネをかけた低身長キャラで、常に低血圧ボイスでしゃべっているおとなしい娘であり、最終回では先述したベネディクトのことを「好きな人」と語るに至ったエリカ・ブラウン


といった、レギュラーキャラクターである同僚社員たちが在籍している。


 青空をカモメが飛び交い、多くの船も行き交う美しい港町にある風情もある郵便会社――オープニング映像などでの港町の狭い路地を歩いている多数の通行人の間を、宙を舞う「手紙」が高速でスリ抜けていくというシンボリックな演出なども絶品!――。


 あるいは、依頼人が住んでいる山間部の田園風景などを舞台に、「ドール」や「自動手記人形」といった職業名にとどまらずに、まさにそのメンタルもお「人形」に過ぎなかったヴァイオレット嬢が「手紙」の代筆行為を重ねる中で次第に人間らしい感情が芽生えていき、主体的な心や意志なども持ちあわせるに至っていく過程が、同時に同僚やゲストキャラクターの心情なども実にていねいに掘り下げながら描かれていく作品として、今回の『劇場版』の前日談でもあるテレビアニメシリーズの方は仕上がっていたのだった。


「“愛してる”が、なぜわかるのですか?」(!)


 同僚のカトレア嬢が代筆した見事な恋文を見て「ドール」を志願する。しかし、心や感情面が不充分なためにヴァイオレット嬢は依頼人からクレームが来てしまうような手紙しか書けない。そんな彼女を辞めさせようとする同僚のアイリス嬢。けれども、自身も感情表現が苦手であり彼女の境遇と重ね合わせたエリカ嬢がヴァイオレット嬢のことをかばってみせる、第2話『戻って来ない』。


 カトレア嬢に参加を勧められた「ドール養成講座」でヴァイオレット嬢は、戦争で両親を失ってしまってその罪悪感からか退役後に飲んだくれてばかりの兄とふたりきりになってしまった少女・ルクリアから依頼されて、兄への


「生きて、来てくれだけでも、うれしいの」(大意)


といった感謝の気持ちを伝える手紙を代筆してみせる。その手紙を教師から評価されたヴァイオレット嬢が無事に「講座」を卒業できるようになるにまで至る、第3話『あなたが、良き自動手記人形になりますように』。


 「幼なじみに告白してふられたことから故郷を出て読み書きやタイピングを猛勉強した」とアイリス嬢に明かされて、そんな彼女のドールになった動機から「愛してる」とは「勇気のいる言葉」だと知ったヴァイオレット嬢が、そのアイリス嬢の両親への感謝を伝える手紙を代筆したことで、


「伝わったよ。いい手紙だったから……」


と、両者の関係性がやや好転していく契機となる、第4話『君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ』。



 国家間での政略結婚でかなりの年上の相手への公開恋文(!)の代筆を、自身とほぼ同年齢の王女さまから依頼されたヴァイオレット嬢が、相手国の王子さまからの返信の内容に不審を抱いた王女さまに、内々で直筆でのやりとりをさせた末に、お互いの気持ちも通じていって恋も成就(じょうじゅ)させるハッピーエンド……かと思いきや、ラストでヴァイオレット嬢が帰還してきた港にギルベルト少佐の兄であるディートフリート大佐が現れて、


「多くの命を奪ったその手で、人を結ぶ手紙を書くのか?」


と吐き捨てる、第5話『人を結ぶ手紙を書くのか?』。



「『恋愛』というのは、人をそんなふうなバカに貶(おとし)めてしまう……」


 戦争で行方不明となった恋しい夫を捜そうとする母親に置き去りにされてしまって以来、女性や恋愛に対して不信感を抱いていた天文台の写本課の青年・リオンが、写本の作業でペアを組んだヴァイオレット嬢と200年に一度だけ地球に来襲するアリー彗星(すいせい)を


「人生でたった一度きりの出会いなんだ!」


と重ね合わせて、またいつかいっしょに星空を見上げることを願うに至る、第6話『どこかの星空の下で』。



 幼い娘を病気で亡くして以来、山間部の自宅にこもって酒浸りの日々を送る戯曲家(ぎきょくか)・オスカーから子供向けの戯曲の代筆を依頼されたヴァイオレット嬢。


「この湖を渡ってみたい! いつかきっと見せてあげるね!」


という亡き娘の願い。娘の形見のフリル付きの水色の傘を手に、その驚異的な身体能力を活かしてスカートを翻(ひるがえ)しながら湖の上をピョンピョンとジャンプして、紅葉が舞い散る中での透明感あふれる湖面上で水没せずにホントウに渡ってみせて、亡き娘の願いを仮初めにでも実現させたことによってオスカーを感涙させてみせる、第7話『     』。
――サブタイトルがカギカッコで囲まれた「空白」として表記された回であり、ヴァイオレット嬢に強い影響を与えた劇中でのセリフをそのままサブタイトルにした例が多い本作の中では、この回のサブタイトルは後述するヴァイオレットの「絶句」を意味したものだろう――



 個人的には第7話のこのクライマックス描写はテレビシリーズの中でも最高の名場面だと思うほどだ。しかし、代筆業を重ねる中で大切な人を失っていくことは「寂しいこと」・「つらいこと」・「悲しいこと」だとようやく理解しはじめたヴァイオレット嬢は、それとともに自身が戦争中に「戦闘人形」としてその命を奪ってきた多くの人たちにも、それぞれに「大切な人」たちが存在していたであろうことに気づいて思い悩むようにもなっていく……。


 先述した第5話ラストのディートフリート大佐のセリフ「多くの命を奪ったその手で、人を結ぶ手紙を書くのか?」を契機に、自らの所業に対する罪悪感・自責の念が点描されてきたヴァイオレット嬢は、この第7話ではじめて依頼者の前で感情を発露させてしまい涙を見せるに至っている。
 シリーズ前半の展開のクライマックスとして、この描写はヴァイオレット嬢がもはや「道具」や「ドール」ではなくなったことを高いドラマ性たっぷりに表現した演出だったといえるだろう。


 第7話のラストで久々に再会したエヴァーガーデン夫人がヴァイオレット嬢に「立派になったわね」と声をかけたのも、その変貌ぶりを即座に感じとったゆえだろう。
 だが、ここで夫人が「ギルベルトも浮かばれるわね」などとよけいな一言を発してしまう(汗)。彼がどこかで生存していることを一縷の望みとして生きてきたヴァイオレット嬢は少佐がすでに死してしまっていたらしいことを知ってしまって強烈なショックを受けてしまい、同僚のエリカ嬢とアイリス嬢がはげましの手紙を書くまでに至ったほどに、長らく部屋に閉じこもってしまう……


「わたしは生きていて、いいのでしょうか?」(!)


 ほぼ全編に渡ってヴァイオレット嬢とギルベルト少佐との過去を描いていた第8話――この回はサブタイトル自体もない無題の回となっている――をはさんだ、主人公少女自身の名をサブタイトルとした第9話『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』では、「戦闘人形」として多くの命を奪ってきて、ギルベルト少佐も守れなかった罪悪感にさいなまれていたヴァイオレット嬢の問いかけに、クラウディア社長はこう答えていた。


「してきたことは消せない。でも、君が自動手記人形としてやってきたことも、消えないんだよ」


 過去のあやまちは決して許されることはないし、永遠に一生を通じて贖罪していくべき性質のものなのだが、その後に積み重ねてきたささやかなる善行もまた、過去のあやまちによって無かったことになってしまうワケでもない…… 実に人情味が感じられるクラウディア社長のこの暖かいセリフには、ヴァイオレット嬢のみならず過去に何らかのあやまちを犯していて、生きることの難しさに日々悩みつづけている視聴者に、生きていく力を少しでも与えてくれるメッセージとしても伝わったことだろう。


――ちなみに、この第8話と同様に、全編に戦闘場面が多かった第12話もサブタイトル自体が存在しない無題の回となっており、カギカッコだけは存在していた『     』と表記されていた第7話とは明確に差別化がされている――


 代筆業に復帰したヴァイオレット嬢は先述した第11話で若い兵士から、好意を寄せている幼なじみの女性と自身の両親宛てへの手紙の代筆依頼を受けて、内戦がつづいている激戦地へと向かう。しかし、重傷を負ってしまった依頼主は口述をするや息絶えてしまう……
 その手紙を配達して宛先にあった人々が深い悲しみに包まれた光景に遭遇したことから、ヴァイオレット嬢は


「もう、誰も死なせたくない……」


という想いを強くするに至っていく……


*「神回」となった感涙の第10話の感動ふたたび!


 さて、今回の『劇場版』の脚本は、テレビアニメ版のシリーズ構成(=メインライター)を務めたほか、


・『けいおん!』(09年)
・『ガールズ&パンツァー』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190622/p1
・『たまこまーけっと』(13年)
・『弱虫ペダル』(13年)
・『チア男子!!』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190603/p1
・『アルテ』(20年)
ジブリアニメ映画『猫の恩返し』(02年・東宝
京アニ映画『たまこラブストーリー』(14年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160514/p1
京アニ映画『映画 聲(こえ)の形』(16年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190901/p1


など、筆者が個人的に好きな作品を挙げただけでも、これだけ該当するほどに、数多くの名作アニメを手掛けてきた吉田玲子(よしだ・れいこ)が担当している。


 そして、


・『涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)』(第1期・06年 第2期・09年)
・『らき☆すた』(07年)
・『中二病でも恋がしたい!』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190904/p1


といった京都アニメ作品の絵コンテ・演出・原画などを手掛けてきて、京アニ製作の深夜アニメ『境界の彼方(きょうかいのかなた)』(13年)につづいて、本作のテレビアニメ版の監督を務めてきた石立太一(いしだて・たいち)が、今回の『劇場版』の監督も担っている。
 よって、今回の『劇場版』はテレビアニメ版の純然たる続編かつ完結編としても仕上がっている。しかし、この完結編を語るうえでどうしてもハズせないのが、先の吉田玲子も脚本を担当したテレビ版の第10話『愛する人は ずっと見守っている』の存在だ。


 長らく病床に伏しており自身の死期が近いことを悟っていた婦人・クラーラから、ヴァイオレット嬢は50通にものぼる手紙の代筆を依頼された。しかし、彼女の7歳の娘・アンは自分と母親との大事な時間を奪う存在としてヴァイオレット嬢を敵視して、代筆中にやたらと現れては母親に甘えるさまを見せる。
 代筆の合間に遊んでくれるヴァイオレット嬢に次第に打ち解けてきたアンは、母が手紙の相手が誰なのかを教えてくれないこと、自分よりも手紙を優先していることを不満に思っていたが、母がもう長くはないと悟るや狂乱のあまりに泣きじゃくってヴァイオレット嬢に想いをぶつける。


 母には自分との今の時間を最優先にしてほしいという願いから「手紙なんか届かなくていい!」と泣き叫ぶアンを、ヴァイオレット嬢は


「届かなくていい手紙なんて、ないのですよ……」


と諭(さと)して、1週間にもおよんだ代筆も済ませることができた。


 美しい田園風景を背景に喪服姿の人々がシルエットで描かれることでクラーラの逝去が表現されて、つづいて流れるエンディング映像では8歳→10歳→18歳→20歳と順々にアンの成長過程が描かれていく中で、


「アン、お誕生日おめでとう」


からはじまり、


「ナゾナゾや虫捕りはもう卒業したかしら?」
「もう立派なレディーね」
「20年も生きたのね。スゴいわ」


といったクラーラのメッセージがそれぞれにかぶさっていく……


 生まれたばかりの赤ん坊を夫とともに笑顔で見つめているアンのカットで、このエピソードは幕となっていた。


 先の大戦ですでに夫を亡くしており、自身もこの世を去ってしまえば、たったひとりで残されてしまうことになる娘のために、誕生祝いの手紙を50年分(!)も書きためて、アンの毎年の誕生日に届けてほしいと依頼したクラーラの娘への想い。


 そして、このアンを演じたほか、


・アイドルアニメ『アイカツ!』(12~16年)の主人公・星宮いちご
・ボッチアニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(第1期・13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150403/p1 第2期・15年)のゲストキャラで、クラスで仲間ハズれにされていた女子小学生・鶴見留美(つるみ・るみ)
・異能バトルアニメ『文豪ストレイドッグス』(16~19年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160502/p1)の泉鏡花(いずみ・きょうか)
・Web(ウェブ)アニメ版『ULTRAMAN(ウルトラマン)』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190528/p1)のメインヒロイン・佐山レナ


など、1999年生まれながらも3歳で劇団ひまわりに所属して小中学生のころから声優の仕事をしてきたというから、ある意味では大ベテランとなる諸星すみれ(もろぼし・すみれ)による「泣きの演技」!


 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はほぼ毎回が「泣けるアニメ」だったといっても過言ではないのだが、特にこの第10話はファンの間でも「神回(かみ・かい)」とされており、今回の『劇場版』公開を前に2020年4月から6月にかけてBS11(ビーエス・イレブン)にて行われた再放送でも、



京アニヴァイオレット・エヴァーガーデン』再放送でも涙腺崩壊の声続出“神回”第10話」

(『ORICON NEWS(オリコン・ニュース)』2020年6月4日配信)



といった見出しで報じられたほどに、作品に対する感動の声がTwitter(ツイッター)上でもトレンド入りするまでに至っていた。


 もちろんこの『劇場版』最大のクライマックスが、テレビシリーズでは最終回に至るまでその安否が不明なままで終わっていたギルベルト少佐とヴァイオレット嬢との「感動の再会」であったことはいうまでもない。
 ただ、先述したように視聴者から「神回」だと認定されたほどに本放送でも最も反響が大きかったであろう第10話の感動を再燃させて、その相乗効果で本作での「感動の再会」をおおいに盛りあげようとするねらいがスタッフたちには当然あったのだろうとは思えるし、それが「戦略」としても実に正しかった……と鑑賞後に実感させられる出来にも仕上がっていたのだ。映画が終わるとそそくさと席を立つことが多いドライな筆者でさえも、今回はその余韻に酔いしれてしまって、しばし席を離れられなかったほどなのだから。


 そのようなワケで、今回の『劇場版』はこの「神回」の「感動ふたたび」と主人公男女の「感動の再会」を連動させることで、観客の感動を「倍増」させるような作劇的技巧を存分に駆使した構造となっているのだ。


*ヴァイオレット&ドールたちが「レジェンド」に!


 今回の『劇場版』では今作限定の新キャラクターがプロローグと中盤のごく短い場面、そしてエピローグのみに登場する。医者で不在がちな母親に対して、家庭よりも仕事を優先しているとの不満を示している、10代半ばくらいかと思われる黒髪ショートでボブヘアのまじめそうな印象の少女キャラだ。この設定自体が先述したテレビ版の第10話のゲスト主役の少女・アンを彷彿(ほうふつ)とさせるのだが、この少女は『劇場版』の本編で描かれているヴァイオレット嬢の物語とは実は異なる時間軸を生きているのだ。


 つい先日に亡くなったばかりの祖母が長年大事にしていた箱から、少女は大量の手紙を発見する。それは祖母に対して毎年の誕生日になるとひいおばあさんから届けられていた手紙であって、その手紙を書いていたのはまだ読み書きも満足にできない人々が多かったむかしの時代に代筆業の仕事をしていた「自動手記人形」=通称「ドール」と呼ばれていた女性であったことを、この少女は両親から聞かされて育っていた。
 つまり、少女はあのアンの孫であり(!)、電話の普及ですでに手紙による郵便事業が斜陽となっていたこの時代には、ヴァイオレット嬢たち「ドール」が伝説=「レジェンド」の存在と化していたのだ!
 しかも、あの賑わっていた郵便会社の洋館は現在ではその栄光の歴史を伝承する寂れた博物館と化しており、ヴァイオレット嬢らの活躍当時に在籍していた金髪ロングヘアの受付嬢がそこの案内係を務めているとされていたのだ!――その受付嬢とアンの年齢から推定するに、この『劇場版』のエピローグはおそらくテレビシリーズから約60年後くらいの時代であろうか?――


 テレビ版の第10話のエンディングに用いられていたカットの数々やアンの母親・クラーラの朗読までもが流用されている。「開幕5分で泣いた」(!)という声すらあるのは、テレビアニメシリーズも観てきた観客たちにはそれらが「泣かせのテクニック」としておおいに威力を発揮していた証だろう。


 祖母に50年にも渡って届けられてきた手紙を読むことで、少女は祖母=アンに対する曾祖母=クラーラの想いを知って、母に対する意識に変化を生じさせていく。つまり、過去の時代におけるヴァイオレット嬢による代筆行為はアンのみならず、その子孫にまでも心の変遷や親子関係の変化をもたらすほどの偉業として描かれているのだ!


 また、両親から聞かされた話ではじめて「ドール」の存在を知ったこの少女は、テレビシリーズは未見で今回の『劇場版』ではじめて『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を知ることになった、一見(いちげん)さんの観客たちと同じ目線に立つキャラでもあるのだ。「ドール」の起源=ルーツを知るためにこの少女はこっそりと家を出て、かつてドールたちが活躍した地へと向かうことになる。これらの描写と展開は、初心者を『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の世界観へと誘導するには実にふさわしい導入部となりえていたと思うのだ。


*そう簡単には再会させない、実にイジワルな作劇(汗)


 さて、今回はヴァイオレット嬢とギルベルト少佐との再会を描くことになる物語とともに、ヴァイオレット嬢が新規に受けた代筆業の依頼も、もうひとつの大きな柱として描かれていた。
 手術を繰り返しても病状がいっこうによくならず、長びく入院生活から自身の死が近いことを悟った10代前半かと思われる少年が、自身とはかなり歳が離れた弟への手紙の代筆、そして自身が天国に行ったあとでの家族へのその手紙の配達をヴァイオレット嬢に依頼するのだ。
 これは先述したクラーラとアンの関係性の逆パターンでもあり、「神回」で使われた「泣かせのテクニック」をそのまま繰り返すのは安直なのでは? との批判もあるかもしれない。
 だが、もちろん単なる「感動ふたたび」だけで終わらせるハズもなく、後述するがこの少年の悲劇と連動してヴァイオレット嬢をいったんドン底に沈めてしまう作劇により、観客の涙腺も徹底的に破壊(笑)されることとなっていくのだ。


 両親と弟への代筆を終えて帰社しようとしたヴァイオレット嬢を呼びとめた少年は、もう一通の出したい手紙があると語った。それは元気だったころは常にいっしょに遊んでいたものの、現在の自分の姿を見せたくないがために見舞いに来るのを断ってきた友人に対してのものだった。
 いざ代筆をはじめようとするや、体調が急変して少年は倒れてしまい、友人への代筆はまた後日との約束として、ヴァイオレット嬢は少年からはじめて教わった「指切り」を義手でかわして、ひとまず病院をあとにする。


 それから何日と経(た)たないうちに、宛先不明の郵便物を送り主に返送する作業の中で、ギルベルト少佐と思わしき筆跡の手紙があるのを、士官学校時代からの親友ならではの感覚でクラウディア社長が発見する!
 ギルベルト少佐の現在の居場所は先の大戦で出兵した男たちが誰ひとりとして帰還せず(!)、女子供と年寄りばかりになってしまった風光明媚な自然の美しい島だったと判明し、クラウディア社長とヴァイオレット嬢はただちに船で現地へと向かった。
 ギルベルト少佐がどんな状況にあるのかわからないからとヴァイオレット嬢を待たせて、まずは自身が様子を見に行くクラウディア社長の気づかいからして泣かせるものがある。ヴァイオレット嬢はたまたま現れた子供たちから、この島で教師をしている男性がギルベルト少佐と同じく右目と右腕を失っていると聞かされる!
――おそらく瀬戸内海の小豆島(しょうどしま)を舞台に女教師と児童たちを通じて日本の戦中~戦後を描いた、名匠・木下恵介監督作品である名作邦画『二十四の瞳』(54年)へのオマージュでもあるのだろう――


 ここに至るまでにこの実に美しい島で農作業などを手伝っているナゾの男性の姿を、ベレー帽を深くかぶらせてその表情を半分だけは映してみせるなど、お約束でも「伏線」を点描していく「演出」が実に心憎い。作業小屋のような住居にこもって「ヴァイオレット嬢には会えない、会いたくない」と繰り返すギルベルト少佐がクラウディア社長にずっと背を向けたままで、ほとんどその表情を見せないのもまたしかりである。
 ヴァイオレット嬢を不幸にしたのは自分であり、彼女といると自身のあやまちを思い出して耐えられなくなる……といった罪悪感から会えないとするギルベルト少佐の主張をクラウディア社長から聞かされたヴァイオレット嬢は自分で直接会って確かめてみようとする。しかし、どれだけ扉(とびら)をたたいて面会を求めても、ギルベルト少佐はその心を閉ざすがごとくに決して扉を開けようとはしない。


「会いたいです! 会いたいです! 今のわたしは、少佐の気持ちが理解できるのです!」
「少佐にお目にかかれるまでここで待ちます!」


 突如として降りだした大粒の雨の中で、すっかり絶望してしまったヴァイオレット嬢は傾斜のある砂利道を、ひたすら「少佐!」と泣き叫びながら駆けだしていく……


 さんざんに期待感をあおっておいて主人公も観客もドーン! と一度は突き落としてみせるという演出は、「泣かせのテクニック」としては常套(じょうとう)かとは思える。物語をつくる人間という者には、すぐにハッピーエンドに持っていってしまうような単なる「善人的な人のよさ」ではなく、心を鬼にして登場人物たちにあえて試練や艱難辛苦(かんなんしんく)を幾度も幾度もサディスティックに与えてみせるような粘っこい「悪人的なイジワルさ」もまた必要だといったところなのだろう(汗)。
 ヴァイオレット嬢とクラウディア社長がこの島に到着して以降、空一面がドス黒い暗雲に包まれているという「背景美術演出」からすれば、ギルベルト少佐のヴァイオレット嬢に対するあまりに冷たい仕打ちもすでに暗示されていたのだといえるだろう。
 登場人物たちの心象風景や人物同士の関係性の変化を「気象」で表現する「演出」は本作のテレビシリーズの場合、第4話でかつて自分をふった幼なじみが会場に現れたことで取り乱したアイリス嬢が、故郷で開催されていた自身の誕生パーティーをぶちこわしてしまって、その晩に泣きながら幼なじみに対する想いを語るアイリス嬢にヴァイオレット嬢が両親に対する感謝の手紙を書くことを勧める場面でも見ることができる。このシーンの背景には雨が降っているのだ。そして、このシーンを「底」として、ここでのやりとりを契機にアイリス嬢がこれまでのヴァイオレット嬢に対する悪印象をやや好転させていくのだ。


 悲しい場面になると都合よく雨が降ってくる……などと批判する輩(やから)もそうはいないだろう。しかし、往時は東映製作の歌舞伎的・様式美的な時代劇映画と比較すれば「リアル」だと評価されていた天下の黒澤明監督も、自身の演出方法について言及して「悲しい場面には雨を降らせて、ハッピーな場面は快晴にする」といった主旨の発言をしていたりするほどである。実は映像作品一般とは究極的には「リアリズム」よりも「心象風景」の方が優先される世界だということでもあるのだ。


 ちなみにこの第4話では、アイリス嬢が最寄り駅を降りるやいきなり水たまりにハマったり、郵便会社がある都心と比べて蒸し暑い気候だと嘆(なげ)く描写などにより、元々雨が多い土地だとさりげなく示すことで、イジワルなマニア視聴者に対する予防線を張っているのかもしれないエクスキューズ描写なども見られた(笑)。


 都心のオフィス街・湾岸通りの市場・山間部の田園風景など、テレビシリーズの背景描写は「ピーカンの青空」や「夕焼け空」の印象が圧倒的であり、時間の経過を示す際には、それらに付随する「雲の流れ」や「日差し」「影」の変化を倍速撮影のように見せていく。本シリーズでは、厚くて重苦しい「暗雲」に覆われた空といえば大戦中の回想場面くらいでしか描かれなかった印象が強い。
 ちなみに、第11話の戦闘場面では背景は「雪雲の空」、第12話の戦闘場面は「ナイトシーン」だったが、第6話で描かれたようなオーロラまでもが輝く美しい「星空」ではなく、ただの「暗闇の空」だったことにも演出意図が感じられた。


 ここまでの話とは少々矛盾するが、テレビシリーズの作風自体も決して「陽性」というワケではなかった。しかし、とはいっても必要以上に「陰鬱(いんうつ)」には陥らないように、その明るい港湾都市の「背景美術描写」で爪先立ちのバランスを取っているかのように見受けられる「映像演出」なども施(ほどこ)されているようにも思われるのだ。


*華麗に変身したアイリス嬢の健闘もむなしく……


 失意に沈むヴァイオレット嬢を連れてクラウディア社長は寝床代わりに借りていた島の灯台へと訪れる。しかし、そこに先述した少年が危篤(きとく)になったとの無線連絡が入ってきてしまう!
 その少年の友人宛てへの手紙を代筆しないままにこの島に来ていたヴァイオレット嬢は、少年と「指切り」をしたからと、夜中であるにもかかわらず、ましてや船で3日もかかる距離なのに、これから代筆に向かわなければならないなどと強硬に主張して、クラウディア社長の説得にも耳を貸そうとしない……


 「愛してる」をくれた人との再会がかなわず、絶望の淵(ふち)に沈んでいたハズのヴァイオレット嬢が、私的なことを振り切って、事が事とはいえ職業倫理の方に邁進していこうとするさまも、「私事」よりも「公共心」といった感じではあるから好印象ではある。そして、そうでなければヴァイオレット嬢の観客に与える印象・お株もグッと下がってしまったことは間違いないだろう。事実、あまたの恋愛映画やジブリ製作のアニメ映画『おもいでぽろぽろ』(91年)などで、主人公の女性が男の方を優先して仕事を放棄してしまうような描写に、世の女性たちの一部は喝采を送ってもそこに違和感や反発を表明する意見が過去にも途切れなく発生してきた。それを考えれば、こういう描写も挿入しておくことは賢明に思えるのだ。


 つまり、一見するとギルベルト少佐との再会=「私」としての願望よりも、代筆依頼=「公」の使命の方を優先しているのだ。実際にテレビシリーズで描かれてきた代筆依頼に対しての彼女の実績からすれば、ヴァイオレット嬢の他人に対しての善良さ・仕事に対する責任感・使命感は折り紙つきといってよい。
 だが今回の場合、ヴァイオレット嬢はむしろ代筆依頼を口実(こうじつ)に、もはやギルベルト少佐との再会がほぼ絶望的となった今、この島にいるのが耐えられずに一刻も早く島を離れてしまいたいという、実はやはり「私」の想いを優先させたという側面もあったのではなかろうか?


 こうした女性ならではの良くも悪くも矛盾をハラんだ胸の内は我々オタク男子にとってはやや理解がしづらいものがあるかとも思える。事実、筆者もこの場面で、周囲の女性客たちからかなりの嗚咽(おえつ)がもれてきたことから、あの危篤状態に陥ってしまった少年への想いとも並行して、このにわかに認めがたい長年の夢でもあった「再会」が実は叶いそうにもない……というキビしい現実とギルベルト少佐からもついでに逃避してしまいたい! といった「二重性」を持った心情に気付かされたからだ。


 遠方の島にいるヴァイオレット嬢の到着はとてもでないけどムリであろうからと、郵便会社の同僚であるベネディクト青年が暴走させた自動車でアイリス嬢が少年の病室に急行する。しかし、すでに代筆のための聞き取りさえ困難なほどに少年の命は今まさに尽きようとしていた……
 テレビシリーズの序盤ではヴァイオレット嬢に対してかなりの悪態をついていたことで、ややトガった印象が強かったアイリス嬢。今回の『劇場版』ではショートヘアだった髪型は肩くらいまで伸びており、異世界ファンタジーものの主人公のような貴公子スタイルだったものがヴァイオレット嬢のような女性らしいロングスカート姿へとかなりの様変わりを見せている。特にその表情はテレビシリーズと比べると格段に穏やかな印象になっている。


「このままじゃ永遠の三番手だよ」


などと、カトレア嬢やヴァイオレット嬢に比べて依頼が少ないことを嘆いていた描写があったものの、その激変ぶりは宛名書きが主な仕事だったテレビシリーズのころとは異なり、その後のアイリス嬢が代筆の仕事を着実にこなして顧客からの人気や信頼も高めてきたことがうかがえる演出は、続編作品での登場人物のその後の成長を点描する手法としてはベタでお約束でも実に秀逸(しゅういつ)であった。
 また、電話の普及で郵便事業がやや低迷しはじめたことを嘆くアイリス嬢が、本作冒頭では電話器のことを「イケすかない機械」と蔑(さげす)んでいるシーンがあった。しかし、もはや代筆は困難だと判断したアイリス嬢が採った行動は、とっさの機転でその商売敵(しょうばい・がたき)である「イケすかない機械」の受話器を少年の口元に添えてあげて、友人への想いを伝えさせてあげることだったのだ! この「係り結び」的な活躍ぶりも、彼女が単に頑迷固陋なだけの人間ではなく、自身のポリシーには少々反してでも、大局を見据えてとっさに融通を効かせるだけの柔軟さはあることをも示していた、実にあざやかな演出だった。


「イケすかない機械もやるもんだね……」


 敵視してきたアイテムや人物に対してでも、一理があればその点についてはしっかりと認めて、賞賛まで送ってみせるというこの度量の大きさ……


 しかし、アイリス嬢が廊下で安堵すると同時に、病室からは少年の母親が泣き叫びだして、その声が響き渡ってきた…… 「ボクが天国に行ったら配達して……」という少年からの事前の依頼があったので、家族への手紙はこの病室でアイリス嬢から手渡される。


 「怒ったりイジワルしてゴメンね、ボクの分までお父さんお母さんに甘えて大事にしてね」といった趣旨の手紙を父に読み聞かされた幼い弟は泣きじゃくるのではなく、


「お兄たん、ありがとう!」


と、兄からの手紙に大喜びしてベッドの周囲で無邪気にハシャギまくる!


 まだ人間の死=大事な人を失う「寂しさ」・「つらさ」・「悲しさ」を理解できない時点で、兄と別れることとなったこの幼児には、ある意味ではこれまで描かれてきた依頼人以上の「悲劇性」も感じられるし、二律背反だがせめてもの「救い」といったものも同時に感じられてくる。しかし、兄の想いはそれが意味する深いところはわからなくても幼い弟にも伝わって、彼を喜ばすこともできたという事実も、観客に「感動」を覚えさせている。登場人物の「涙」を描かなくとも、観客を泣かせてしまうこともできるのだ…… それもまた「泣かせのテクニック」のひとつだろう。


 アイリス嬢からの無線でヴァイオレット嬢は少年の死を知った。併せて、少年からのヴァイオレット嬢に対する、


「大事な人に会えてよかったね……」


という労りのメッセージも聞かされる……


 自身が死の床に着いて肉体的苦痛にあえいでいるのにも関わらず、そのことはガマンして愚痴や本心を一言もコボさない。たとえ社交辞令であっても気づかい・心配りとして、ヴァイオレット嬢にやさしい言葉だけをかけてあげられる少年の高潔なる精神。それはヤセ我慢であり単なる偽善に過ぎないのかもしれない。
 しかし、他人をダマして陥れるためのウソであれば論外なのだが、「偽善」は「人の為に善い」とも書くのである。そんな偽善的な態度をあえてムリして取ることによって、自身の心を鋳型のような「型」にハメていくことでも、人間は自分自身の性格の偏りを矯正したり人格を向上させていくこともできるのである。
――ナチュラル・自然体でウソ偽りなくワガママに本心を、それが単なる「劣情」に過ぎなくても、それをホザいてホンネをサラしさえすれば、それが「正直」さの現れでもあり「正義」ですらあるのだ! などというカン違いをしている方々は、この少年の爪のアカでも煎じて飲んでほしいものである(汗)――


 そんな少年の高潔さが、これがまたヴァイオレット嬢と観客双方にとっての痛烈なる一撃となること必至の作劇ではある。もう一生分の涙を全部このシーンで流してしまうのではないのか? とさえ思えたものだった(笑)。


*「泣かせのテクニック」としての立ち位置シャッフル


 そんな人の生き死にがあった翌朝、もう一度ギルベルト少佐に対する最後の説得を試(こころ)みようと語ったクラウディア社長に、ヴァイオレット嬢はギルベルト少佐の無事が確認できただけでも満足であり、代筆がたまっているから早急に帰還したいと主張する。
 そう、リアルに現実世界での尺度を持ち出して考えれば、自分とはまた異なる価値観の考え方に基づいた相手の意向もあるのだからそれは尊重すべきなのだし、このあたりがさすがに引き際ではあるのだろう――フィクション・物語作品としては美しいハッピーエンドにならなくなるので、問題はあるのだが(汗)――。


 そんな物事の道理もわかってきている、あまりに健気(けなげ)にすぎるヴァイオレット嬢の姿にもまた泣けてきて、さすがにもうカンベンしてくれよ……と観客一同が思ってきたところに(笑)、そこはあくまでもフィクション・物語なので、事態を好転させてくれる救世主がようやっと現れる!
 ギルベルト少佐の実の兄・ディートフリート大佐がこの島に現れて、弟の無事生存を喜ぶどころか、ヴァイオレット嬢に会おうとさえしない弟をダメ押しで激しく責め立ててくれるのだ!


 テレビシリーズの最終回で、ヴァイオレット嬢はギルベルト少佐とディートフリート大佐の兄弟の母であるブーゲンビリア夫人にギルベルト少佐を守れなかったことを謝罪して、あなたのせいではないとして、夫人は暖かくそれを受け入れていた。
 今回の『劇場版』ではその夫人はすでに亡くなっている。彼女の毎月の「月命日」にお墓に花を供(そな)えてくれているナゾの人物の存在に気づいていたディートフリート大佐は、その正体がヴァイオレット嬢だったことをついに知る。


 テレビシリーズでは弟のギルベルト少佐が戦死したのはヴァイオレット嬢の責任だと恨むあまりに、代筆業をしていることにさえケチをつけてきたディートフリート大佐だった。しかし、


「おまえはギルベルトの分まで生きて、生きて、そして、死ね!」


と、最終回のラスト近くでヴァイオレット嬢に「最後の命令」をしたように、両者の関係性の好転の兆(きざ)しはすでに描かれてはいたのだ。


 テレビシリーズ最終展開では、すでに戦争の「道具」ではなくなるほどに成長していたヴァイオレット嬢は、この「最後の命令」に対しても、


「もう、命令はいりません!」(!)


などと実にイキに切り返していたものだった――この両者の関係性の好転を最も象徴させた点描&演出だっただろう――。


「なくしたものは大きいな。おまえも、オレも……」


 テレビシリーズではひたすら冷酷な上官とのイメージが強かったディートフリート大佐――もちろんギルベルト少佐を「いい人」として対比的に描くための作劇的処置ではあっただろう――。しかし、思い人の母の「月命日」にまで墓参(ぼさん)に訪れるほどの、ヴァイオレット嬢のギルベルト少佐に対する熱い想いを見せつけられてついに降参したのか、「廃棄処分をするブーゲンビリア家所有の小型船舶の中に幼いころのギルベルトが使っていた玩具や絵本が残っていたけどほしいか?」などとヴァイオレット嬢に声をかけるに至るほど、今回は「いい人」として描かれている。
 やはりシリーズ作品というものは、当初は「憎まれキャラ」だったとしても最後の方で「いい人キャラ」に変転させると、それもそれでベタではあるものの、それまでのイメージとの落差から実に魅惑的に見えてきてしまう……という観客側の心理を衒(てら)いなくねらっていくのも、普遍の王道作劇ではあるのだろう。


 「陸軍」への仕官が代々の慣習となっているブーゲンビリア家であるのに、ディートフリート大佐だけはただひとり「海軍」に仕官していたことも語られる。そして、そんな彼の人物像にも肉付けを与えて、当人というよりかは観客の側にある「悪人にもホントウは善人であってほしい」といったほのかな願望に対する「救い」を与えるためでもあろうのだろうが、その職業志望の「動機」となるものも今回の『劇場版』では回想シーンにて語られることになったのだ。


「これはウチの花だ……」


 少年だったころのディートフリート&ギルベルトの兄弟を、父は彼が所有する美しい花々が咲き乱れる庭園へと連れていった。しかし、ディートフリート少年はその眼下に多数の兵士が整列しているのを見る。父の真意が自身の権力を息子たちに誇示(こじ)することとともに、兄弟が進む道は「陸軍」しかない! ことを思い知らせるための園遊だったことにディートフリート少年は気づいて、それに反発して父を非難! 息子の言動にカッとなってディートフリート少年に鉄拳制裁をしようとする父! そんな父に対して、兄をかばおうとして割って入ったギルベルト少年が「ボクが陸軍に仕官するから!……」と止めに入ったことで、彼はその代わりに「海軍」に進むことになったという顛末だったのだ。つまり、ディートフリート大佐はギルベルト少佐の義侠心に対する幼少期からの借りがあったのだ……


 先述したように本作の大半の登場人物の名前は花の名前をモチーフにしていた。この回想場面を花々が咲き乱れる庭園としたのは、本シリーズでは当初は「憎まれキャラ」だったディートフリート大佐も根っからの「悪人キャラ」や「軍人キャラ」ではなく、元々は多数の部下を従えて悦に入るような虚栄心や権力にあこがれて、それにズブズブとハマっていくような俗物ではなく、そういった心性には反発を覚えるような潔癖な精神性もあったのだ……といったかたちで、改めての肉付けをして、そんな彼だからこそ生存していたギルベルト少佐に対しての最後の説得の一押しをさせるに足る作劇的資格を得るためでもあっただろう。


 そして改めて見てみると、ディートフリート大佐のキャラクターデザインも「軍人」というだけでなく、どことなく「芸術家肌」に近い線の細さも感じられるものにもなっていた。「陸軍」どころかそもそも「軍人」になること自体を拒絶していた過去が明らかにされたからだ。
 選択肢(せんたくし)の少なさゆえに、父に対するせめてもの反発として不本意ながらも「海軍」に仕官せざるをえなかったのがホントウのところであり、ディートフリート大佐を根っからの「軍人」や「悪人」ではないとして多面的に描いてみせたストーリー展開にも好印象を感じる。


 ヴァイオレット嬢どころか、長男なのに家督(かとく)までをも次男のギルベルト少佐に押しつけたがために、実は実家とも絶縁状態(爆)になってしまっていたというディートフリート大佐は、「そんな自分とは違って両親からかわいがられていたハズのおまえが、生存していたのに何故に墓参りにすら来ないのか!?」と、ヴァイオレット嬢が「月命日」には母の墓に顔を出している件を語ったうえで激しく弟を叱責してみせる! そして「今もなお、ギルベルトを『少佐』として慕(した)いつづけるヴァイオレット嬢に、なぜ会ってやらないのか!?」と畳み掛けていく……


 クラウディア社長に対しても語ったように、ギルベルト少佐は「ヴァイオレット嬢を不幸にしたのは彼女を戦争の『道具』として扱った自分だ!」と主張する! しかし、ディートフリート社長は「代筆屋に転じて以降のヴァイオレット嬢を見れば、おまえが彼女を『道具』として扱っていなかったのは明白だ!」と叫ぶ!


「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」
「君は生きて、自由になりなさい」


 このヴァイオレット嬢に対するギルベルト少佐のかつての「命令」自体にそのことは象徴的に表れていた。しかし、ギルベルト少佐を守れなかったヴァイオレット嬢を激しくなじり、多くの命を奪ったその手で人を結ぶ手紙を書くのか!? とまで揶揄(やゆ)をしたほどのディートフリート大佐だからこそ、代筆をはじめて以降のヴァイオレット嬢が次第に「道具」ではなくなっていく変貌ぶりにいち早く気づくことができたのも事実なのだろう。


 弟とヴァイオレット嬢を「結ぶ」ために、


「(実家の)跡目はオレが継ぐ!!」


との決意を叫んだほどのディートフリート大佐の激変ぶりにも、個人的には「泣かせのテクニック」を感じずにはいられなかったものだ……


*「愛してる」が「みちしるべ」


 ディートフリート大佐がこの島に現れた時点で、実はすでにヴァイオレット嬢はクラウディア社長とともにこの島から出港しようとしていた。ギルベルト少佐宛ての「最後の手紙」を書いたヴァイオレット嬢は、それをこの島の小学校の先生=ギルベルト少佐に渡してくれるようにひとりの少年に頼みこんで船へと乗りこむ。
 もうヴァイオレット嬢には会わない、このままこの島に永住するとの決意を断じて曲げないギルベルト少佐のもとに、その「最後の手紙」が届くことになる。
 これがまたヴァイオレット嬢に頼まれた少年が直接に手渡しに来るのではなく、この『劇場版』の前半で語られて島民にも重宝がられていた、ギルベルト少佐が島のブドウ農家用に手作りで製作した低地と崖の上をつないで荷物を運ぶリフト機に乗せられて、無言でこの手紙が斜面を上がってくる……といったあまりにドラマチックにすぎる描写なのである。こういうところで機転を利かせられて、こんなイキな計らいまでできてしまう子供などいるものか? などというヤボなツッコミを入れる前に、まずもって涙腺が刺激されてしまうのだ(笑)。


 これに気づいたディートフリート大佐に、「おまえにだ……」と手渡されたギルベルト少佐が手紙の封を開ける。すると、その手紙は、


「○○をありがとうございました」


という箇条書きばかりで一面が埋め尽くされていたのだ。そして、その最後の一文には……


「“愛してる”を、ありがとうございました」


 ……テレビシリーズ最終回のラストにて、和平条約の調印で平和が戻ったことで行われた、大空から手紙を飛ばす航空祭に向けて、ヴァイオレット嬢はギルベルト少佐に宛てた「最初の手紙」を書いている。


・ギルベルト少佐の最後の言葉「愛してる」が理解できず、それを知るために代筆屋の仕事をはじめたこと。
・大切な人を失うことが、まさに「寂しいこと」・「つらいこと」・「悲しいこと」であることだったと自分は知ったこと。
・そして、それらが自身のギルベルト少佐に対する想いとも同じであったということ……


といった趣旨であり、最後にはこう結ばれてもいた。


「最初はわかりませんでした。少佐のお気持ちが何ひとつわかりませんでした。でも今は、少しだけですが、感じることができるようになったのです」


 「最後の手紙」における「“愛してる”を、ありがとうございました」は、ギルベルト少佐の「愛してる」という言葉掛けがヴァイオレット嬢を戦争の「道具」から解放してくれたことに対する感謝の意味合いだけではない。
 ずっと慕いつづけてきたギルベルト少佐に面会を拒絶されたがゆえに、それをどうにもできない「寂しさ」・「つらさ」・「悲しさ」をイヤというほどに味わうこととなったヴァイオレット嬢は「少し」どころか、自分がギルベルト少佐のことを深く「愛してる」という厳然たる事実にようやく気づかされたのだということを、「最初の手紙」との係り結びとして解釈できるのだ。


 本作ではテレビシリーズの第4話と第5話の間に起きた出来事を描いたオリジナルビデオアニメが製作されていたが、そのタイトルは『きっと“愛”を知る日が来るのだろう』だった。そして、その日がついに訪れたのだ……


「良きドールとは、人が話している言葉の中から伝えたいホントウの心をすくいあげるもの」
「言葉には裏と表があるの。口に出したことがすべてじゃないのよ」


 前者は第3話に登場した「自動手記人形・育成講座」の厳格な女性教師・ローダンセ、後者はカトレア嬢がヴァイオレット嬢に云い聞かせていた手紙の代筆時の心得である。ヴァイオレット嬢は代筆どころか自身が書いた「最後の手紙」で、ストレートな愛の告白を文面には出さなくとも、ホントウの想いをギルベルト少佐に気づいてもらえるだけの能力をも、いつしか会得(えとく)していたということにもなるのだろう!
 ヴァイオレット嬢が自身のことを「愛してる」と悟ったギルベルト少佐は、もちろん彼もかつての上官の身でありながら彼女のことを秘かに好ましいと想っていたではあろうから、ひたすらにヴァイオレット嬢の名を叫びながら、断崖絶壁の急な斜面を猛烈な勢いで駆けおりていく!


♪あなたの声が みちしるべ


 ここでテレビシリーズのエンディングテーマであり、エリカ嬢の声以外にも、


・先述した『涼宮ハルヒの憂鬱』のサードヒロインで、水色ショートヘアにメガネをかけた低血圧ボイスで読書が好きな長門有希(ながと・ゆき)
・『らき☆すた』の岩崎みなみ
・『響(ひび)け! ユーフォニアム』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160504/p1)の中世古香織(なかせこ・かおり)


といった、京都アニメーション作品での活躍も目立っていた、ややクールで透明感のあるアンドロイド声ではありつつも伸びやかで華もある歌声の持ち主でもある実力歌唱派アイドル声優芽原実里(ちはら・みのり)が作詞と歌唱を担当していたアコースティックな名曲『みちしるべ』が間髪を入れずに流れはじめる。選曲演出面での「泣かせのテクニック」の発露でもあり、スレたマニアとしてはそのスタッフの意図自体もまたミエミエではあるものの、それでも心の琴線(きんせん)を揺さぶられてしまうのだ(笑)。


♪ひとりじゃない


 最後の最後に自分を追いかけてきてくれたギルベルト少佐の存在に気づいたヴァイオレット嬢が、船から海に飛びこむ瞬間のカットに「ひ~と~り~じゃ~、な~い~」の歌詞部分を絶妙にシンクロさせる演出に至っては神懸かりの域に達している!――もちろん歌曲ありきで絵コンテを切っていて、この歌詞のワビサビの部分に映像面でのクライマックスを持ってきているという処置もあるのだろう――
 本作の「愛してる」という言葉のもろもろにまつわることの帰結点としてのクライマックスを、「美しい夕焼けに染まる空」「透明感にあふれた海」といった背景描写とも渾然一体となって、この『みちしるべ』という楽曲が本作の最後を実にエモーショナルに盛り上げてみせていた……


「少佐が“愛してる”と云ってくれたことが、わたしが生きていく『みちしるべ』となりました」


 なお、この『劇場版』では芽原実里が声を演じたエリカ嬢はすでに郵便会社を退職しており、現在はテレビシリーズの第7話に登場した戯曲家・オスカーの弟子になったとして描かれていたために、冒頭とラスト近くにごく短く登場するのみなのだが、その分クライマックスでは芽原がおもいっきりの存在感を主張したといったところだ(笑)。


「今でも、君を愛している」


 ずっとヴァイオレット嬢を苦しめてきたという自責の念からか、ギルベルト少佐が想いの丈(たけ)を語りつづけるのに対して、全身ズブ濡れとなってせっかくの美少女も台なしというほどに髪も顔もクチャクチャとなってしまったヴァイオレット嬢の口からもれてくるのは、ひたすら荒い吐息のみだ……


 エピローグではプロローグに登場した母親と不仲の少女が、ヴァイオレット嬢とギルベルト少佐が再会を果たしたあの島で灯台や郵便局を訪問する。
 ギルベルト少佐との再会後、ヴァイオレット嬢はたまっていた手紙の代筆をすべて終えるや18歳で郵便会社を退職し、あの島に移住して当時は灯台の中にあったという郵便局で代筆業をつづけていたことが少女のモノローグで語られた。
 ヴァイオレット嬢とギルベルト少佐はその後にどうなったのか? などとあえて詳細を描かない演出こそ、「愛してる」ではじまり「愛してる」で終わった物語の余韻を味わい深いものとさせてくれているのだ。


「この切手はこの島でしか手に入らないんですよ」


 島の郵便局員が少女に説明してくれたその切手には、「愛してる」という言葉の意味を知りたくて代筆の仕事をはじめて、多くの人たちを結ぶことに生涯を捧げた伝説の女性の全身像が描かれていた。局員がその名を口にしようとするや、それをさえぎるように少女の方が伝説の女性の名を語る。


ヴァイオレット・エヴァーガーデン



 本作『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は全国153館で公開され、公開10日間で観客動員数56万6512人、興行収入8億1千万円を記録、公開第1週目の興行ランキングが第2位となるほどの大ヒットを飛ばしている。ちなみに、筆者が公開から10日後に鑑賞した静岡県静岡市のMOVIX清水(ムービックス・しみず)では各種グッズやパンフレットは完売し、入場者プレゼントすらも在庫切れであった。
 「バスタオルと替えの(風邪)マスクが必要」(笑)などとして「いま最も泣ける映画」との口コミがネット上で広がっているのもさることながら、これはやはり公開が二度も延期されたことでファンの間に飢餓感(きがかん)が高まっていたことも大きいのだろう。
 京都アニメーションにとってもまさに「起死回生」の作品になったかと思えるのだが、これだけの作品を見せつけられた以上は、個人的には同社はすでに立派に再生を果たしているようにも思えてきてしまうのだ――もちろん今後にあまたの放映や公開が予定されていた多数の作品群の延期や無期延期が見えないところで多数発生している……といったウワサも聞こえてくるけれど(汗)――。


*「もう、誰も死なせたくない」のだが……


 ところで本作のクライマックス直前の場面で、毛糸の帽子にメガネをかけた島の長老らしき高齢の男性が、一生をこの島で終えると主張するギルベルト少佐を「帰れるところがあるなら帰った方がいい」と諭したうえでこう語っている。


「あんただけが悪いんじゃない。戦えば豊かになると思っていた、ワシらみんなが悪いのかもしれない」(大意)


 いわゆる「一億総懺悔(いちおく・そうざんげ)」という考え方に通じる発言である。これはこれで最高責任者の罪を免責してしまう考え方であるとして、左翼方面からはかつては全面否定をされてきた考え方ではある。しかし、だからといって庶民の方はまったくの無罪であったといえるのだろうか?
 テレビシリーズで描かれた「大戦」は、大陸の南側にある国の豊富な地下資源をねらって北側の帝国が越境したのを発端として周辺諸国も参戦し、南北二派の間で4年もつづいたという。しかし、この長老の発言に象徴される観点こそ、「戦争」を捉えるうえでは逆説的でも実は最も重要なものだと個人的には考える。


 かの太平洋戦争の責任は決して昭和天皇A級戦犯、実際に戦闘した末端(まったん)の兵士たちばかりにあるのではない。戦地にいる兵士宛ての手紙を入れた慰問袋(いもんぶくろ)をつくったり、学徒動員によって軍需工場(ぐんじゅこうじょう)で兵器を製造したり、「本土決戦」「一億玉砕(いちおく・ぎょくさい)」に備えて竹槍訓練(たけやり・くんれん)をしていた当時の女学生たちだって、「戦争」を支援したという意味では、無罪ではなくその責任も相応程度にはあると考えるのが妥当ではなかろうか?


 あれから80年近くが経過した2020年、先の長老の


「ワシらみんなが悪い……」


が個人的には実に重く響くものがあるのだ。


 政治が悪いから国民が悪くなるのか? 国民が悪いから政治が悪くなるのか? 若いころの筆者は完全に前者の立場だった。だが、実際には我々国民の方がはるかに「悪」である場合もあるのではなかろうか?(汗)


 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のメインとして描かれたのはあくまでも美しいラブ・ストーリーであり、それに涙するのが正しい見方だろう。
 ただ、かつては「戦闘人形」として多くの命を奪ったハズのヴァイオレットが、大切な人を失うことは「寂しいこと」・「つらいこと」・「悲しいこと」だと理解した末にたどり着いた結論=「もう、誰も死なせたくない」を現実世界で願うならば、戦場へと駆り出された男たちが誰ひとりとして戻らずに、女子供と老人ばかりになってしまった島の長老が語った先の言葉にも真摯(しんし)に向き合うべきではあるまいか?
 この言葉が未来に継承されることなく、まるで他人事のように「戦争だから仕方がない」「自分は無力だから仕方がなかったのだ」「相手が怖そうだからイジメやパワハラをとめることができずに傍観するしかなかったのだ」といったことが将来においても繰り返されるのならば、そのときは日本政府ではなく、乳幼児を除く日本国民全員――もちろん筆者も含めて――を「戦犯」だと思うこととしたい。

2020.10.7.
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(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.86(2020年12月20日発行)所収)
(了)


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