(2018年2月17日(土)UP)
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『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』 〜日本のヒーロー「VS」「大集合」映画と比較!
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『ワンダーウーマン』
(2017年8月25日(金)・日本封切)
フェミニズムの英雄か!? 単なるセックス・シンボルか!?
(文・T.SATO)
(2017年9月23日脱稿)
痛快娯楽作だけど、結構深い『ワンダーウーマン』&論争
『西部戦線異状なし』。今度の実写映画版『ワンダーウーマン』(17年)はちょうど100年前の1910年代、第1次世界大戦の時代が舞台だ。重苦しく垂れこめた暗雲の下、幾重にも細長く連なる塹壕の中で、両軍が睨み合って互いに1年間で2センチすら前進できないという膠着した戦場に、中世末期の英仏百年戦争の救仏の女傑ジャンヌ・ダルクのように超人・ワンダーウーマンが突如として降臨!
両腕の前腕部をすべて覆っている細長い手甲(てっこう)のごとき光沢のある白銀のブレスレットを前方に構えることで発する不思議な力と、その半神半人の超常の力で敵の銃弾の集中砲火を弾き飛ばす! 猛然と戦場を駆け抜けて旧ドイツ軍をバッタバッタと蹴散らしていく彼女。連られて連合軍の兵士たちも「あとに続け!」とばかりに猛ダッシュ!
そこに流れ出すのは、21世紀の現代を舞台とした昨年の映画『バットマンvs(ブイエス)スーパーマン ジャスティスの誕生』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160911/p1)終盤でのワンダーウーマン参戦シーンにも響いていた、ドコか不穏でありつつも小刻みの勇ましい旋律が妙に耳に残る彼女専用の新テーマ楽曲……。彼女は占領下にあった村々を解放する。
カッチョえー! 上記のシーンは本映画中盤のクライマックスでもある――ごくごく個人的には、同2017年冬季の架空戦記モノの深夜アニメ『幼女戦記』における塹壕戦の描写と奇しくもイメージがカブるけど(汗)――。
『バットマンvsスーパーマン』終盤に取って付けたように登場してラストバトルにも参戦した、スーパーマン・バットマンに次ぐアメリカンコミック3大古典ヒーローのひとり、ワンダーウーマン! 先の映画の中では100年前のモノクロ写真の中にワンダーウーマンが写っていたけど、今回の映画ではその係り結びとしてその100年前の物語がつづられた。
結界に包まれて外界からは見ることができない、陽光に包まれた南欧は地中海に面した孤島のような、古代ギリシャ風の楽園チックな女人だらけの戦闘部族の小世界。そこにはあからさまな因習めいた身分制度はナイけれど、品位はあるも質素でヤンチャで武術好きで気サクな王女さまとして育った、のちのワンダーウーマンことダイアナの幼少期とローティーンの少女時代が延々と描かれる。
この一連がまた決してタイクツはさせることがない完成度なのである。幼女にしてすでに武術に興味を示してマネまでしている王女さま。彼女の母こと女王の妹でもある叔母の女将軍が彼女に武術の手ほどきを始めるも、女王・ヒッポリタはダイアナの武術修練には反対している。それはお転婆に成長することへの気兼ねではなく、彼女が真の力に目覚めることで悪神アレスにその存在を気付かれて狙われることへの危惧の念であることが明かされていく……。のちのちの彼女の強さとその運命の片鱗(へんりん)をも同時に示しているうまい導入部だ。
長じてからは、結界を破ってプロペラ機で遠洋の青空から白浜に不時着してきた米軍青年とも運命の遭遇。彼を守るために、同じく艦隊で侵入してきた旧ドイツ軍の兵士たちともアマゾネス集団&ダイアナは剣術と弓術と馬術という旧式戦術で激闘を繰り広げる!
――このへんもホントに武術的にリアルかはともかく、馬上から右や左や下方に身体を寄せたりブラ下がったり、TVアニメ『戦国BASARA』(09年)で伊達政宗が五指の間に日本刀を3本握って両手に6本持ってたみたいに(笑)、弓から3本の矢を同時に拡散発射してそれぞれで当てたり、全身で1回転してからその勢いで剣を振り払ったりする、様式美的でアクロバティックなアクション演出は、香港映画のカンフーアクションや日本の劇画やアニメやJAC(ジャパン・アクション・クラブ)出自のもろもろが映画『マトリックス』(99年)を契機としてハリウッド映画にアレンジされながら定着していったモノではあるけれども、改めてカッコいい!――
近代兵器の存在を知り、現在の外界は混沌と破壊と大戦争の世界であることを知る王女・ダイアナ。戦乱で虐げられて苦しんでいる人々を見捨てることなどできやしない! その悪の根源は自身たちの古来からの神話に伝わる悪神アレスのせいに違いない!
ラスボスの彼ひとりさえ倒せば世界に平和は戻るハズ! ……そうだ! そうに違いない! と誤解して(笑)、実に単純で若々しい正義感&義侠心とに満ち満ちたダイアナは、同族たちの反対を押し切って米軍青年と秘かに船出を決行。
船出したら海上で苦労するシーンもなく即座にイギリスに到着してしまうのだが(笑)、故郷の島とは対照的にするためであろう、霧の都・ロンドンにしろ欧州の西部戦線にしろ、常に大戦中の現実世界は寒々しい曇天で覆われた映像となっている。
しかし、本映画はそこで過剰に陰鬱な空気に陥ることもなく、到着した文明世界の20世紀初頭の近代都市で彼女はカルチャーギャップを味わい、その純真な天然キャラぶりで観客を気持ちのよい笑いへと誘(いざな)っていく……。
無垢な天然美女には、複雑な近代社会・政治・外交が認識不能だと描く!
というワケで、異界から来た無知で純真無垢な英雄ネタの作品としてはベタベタな設定&展開なのだけど、そこをテレることなく直球で描いているあたりは作品に骨太さ&力強さをもたらしていて、決して悪くはないと思う。ただ、変化球の要素がナイかのような物言いはアンフェアなので、正確なところも述べておこう。
やはり、あんまりなベタベタ描写&展開は避けるためにか、物語後半においても彼女を世界的なスケールの高踏的・哲学的な問題でも懊悩させたり、その際に合理的・理性的な判断をさせるためにも、主人公も含むアマゾネス集団については単なる蛮族であるとは描かれない。
礼節を兼ね備えており、修練を要する「武道」の域にまで武術も高めている。万巻の書物も所蔵する学問の徒でもあり、一部の民には神通力でもあるのかご都合主義にも外界・人間界のことにもやたらと詳しい(笑)。ダイアナことワンダーウーマン自身も、世界各国どころか古今東西の人類の言語や文字や暗号や化学式(笑)にも精通している。
実体験はないけれど、男女の性のことやら肉体的な性感についても、なぜだか島にあった「ナントカ肉体快楽論」だったかの全何十巻をも読破して理解しており(笑)、そのテのことで米軍青年相手にテレたり物怖じしたりすることもナイ――逆に媚びたり誘ったりもしないのだけれども――。よって、そーいう性的な方面では、経験豊富な男性がリードすべきベタベタな天然弱者女性でもナイ。
ベタさの表現は、彼女の「世界認識」、彼女がいだいている単純な神話的「世界観」の方に廻される。
複数の国家による複雑な思惑(おもわく)が入り交じって発生したハズの世界大戦を、ひとり悪神アレスのせいにして、彼がドコかに潜んでいると思い込む。この戦争には戦場がいくつもあることすら知らない。即座に悪神アレスがいるハズだと思い込んだ戦場ヘと直情的に赴こうともする。
米軍青年が奪取してきたドイツ軍の毒ガス兵器に関する機密情報を、彼が英国諜報部に持ち込む理由&意図がわからない。英国とドイツが戦争しつつも、並行してウラでは秘密裏に和平交渉を進めていることへの、二律背反した人間の人情の機微にも疎(うと)い。
まぁ、長々と例示してきた後段の方は、ヌルい一般層や子供の観客たちにもわからないとは思うので(汗)、ワンダーウーマンだけを責める気にはならないけれども(笑)。
そして、この作品はさらに重ねてヒネってくる!
英国側は平和を希求して早急な和平交渉を優先するあまりに、旧ドイツやあるいはその軍隊なり少なくとも某総監だけは――欠損した鼻や下アゴを義体にした第1次大戦時の傷痍軍人(しょうい・ぐんじん)みたく、顔の左半分を白い顔面型パーツで覆ったドクター・ポイズンこと女性化学者も――、実はまだまだヤル気満々であり、キョーレツな毒ガス兵器を鋭意開発中との機密情報を、見たくもない不都合で邪魔なノイズとして黙殺してしまうのだ!!
このへんは、現下の「北朝鮮問題はあくまでも話し合いで解決すべきだ」という勢力を皮肉っており……ということは微塵もナイのであろうけど(笑)、この逆説&背理に満ち満ちた善意による愚行(汗)を、リベラルな方々は華麗にスルーしているようなので、この誌面をイイ機会としてついでに言及しておきたい。
――元ネタは本映画の四半世紀後に、戦争を回避できて目先の平和を勝ち取ったつもりでいてもその実、電撃侵攻で占領された旧ドイツ周辺の小国やドイツ国内での暴政に苦しむ人々を無視しており、ナチドイツにも誤ったメッセージを与えてしまって、その後のナチスの伸張&戦争の大惨禍を許してしまった英国のチェンバレン首相の「宥和政策(ゆうわ・せいさく)」の失敗である――
そんなワケで、和平交渉などは偽りか、あるいは浅知恵の所業にすぎなくて、戦乱はまだ続くと看て取った米軍青年も、成功する展望などはなくとも現状に何らかの波紋は引き起こそうとしてワンダーウーマンとともに行動を起こす。そして酒場で、アフリカ植民地出自の諜報員・インディアン出自の密輸業者・英国連合王国内は北端の被征服地出自のスコットランド人狙撃手らをリクルート。彼らと行動を共にすることで、一癖ある小悪党っぽい人間の「挫折」や「屈折」や「温情」といった庶民や底辺でうごめく人間たちの人情の機微も知っていくダイアナといったところが、人間ドラマ面での第2段階でもあり、このへんもまた面白い。
周囲の現代人たちにはその幼稚な善悪二元論の世界認識をアキれられながらも、それでもまだ今次大戦が悪神アレスの仕業(しわざ)だと思い込んでいたワンダーウーマンは、華麗なドレスで変装して忍び込んだ敵地の古城の祝賀会で、アレスの憑依か化身と見ていたドイツ軍の好戦的な総監とついに相見(あいまみ)えて、激戦の末にこれを討つ!
しかし、周囲を見回すも世界がたちどころに変化する気配はナイ! 大戦がたちどころに終結する気配もナイ!(笑) 失望・落胆するワンダーウーマン!
ウ〜ム、こう来たか。
コレも転じてさらに深読みを施せば、建設的で有効性もある具体的な政策を提言できるだけの見識はなくって、往年のマルクス主義的な善悪二元論めいた階級闘争図式で、古代や中世や後進国ならばイザ知らず複雑高度化した近代社会においても、暴君や圧制者や階級敵に安倍ちゃん(笑)をギロチンにかけて首チョンパさえすれば、世界や日本にたちどころに平和や理想郷が訪れるかのように語る陣営へのアテツケで……って多分それもナイ(笑)。
で、コレはコレで、ダークな屈折した重たいカタルシスもあって、テーマ的な提示もスゴいものがあり、ある意味で本映画はここで終わってもイイんじゃネ? という気もしてくる。悪神アレスも神話・伝説上の存在であって、現実世界・現実社会はそんなヒーローもの的な二元論のように単純にはできてはいないヨ! というオチとして、テーマ的にも実にうまく完結ができている。
ラスボスを倒しても平和が戻らない世界に、真のラスボス登場!(笑)
と、ここまで見事にクレバーに描いていたのにも関わらず、そこにムリやり接ぎ木をしたように、このあと意外な人物の正体が実は悪神アレスであったことが判明して、アレスは世界を滅ぼそうとする! そして始まる最後の壮絶なバトル!!
……悪神アレスは結局、実在したんかい!? オイオイオイ、そんな展開でイイのかよ!
ある意味では、それまでの彼女の「世界認識の単純さ」・「現実世界の複雑さ」といった対比テーマをチャブ台返しにしてしまう超展開!(笑) まぁ故郷から持ち出した神殺しの聖剣・ゴッドキラーもここで役には立つけどネ――余談だけど、本作には深夜アニメ「ダンまち」こと『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(15年)で、白衣のミニスカワンピースの黒髪ツインテール、スレンダーロリ巨乳のメインヒロイン美少女がバストアップ用(?)に下乳から上腕・背中に巻いていた「ヘスティアの紐(ひも)」も登場していた。……ホントだってばヨ!(笑)――。
が、個人的にはこの超展開が、作品テーマ的にはダメだったと思っているワケでもナイ。いかに本格リアル志向な本映画だとはいえ、女王がコネた粘土人形(笑)から赤ちゃんとして誕生したという彼女を主人公に据えた、やはり漫画チックで非現実的な存在を題材にした娯楽活劇フィクションなのである――ただし途中で、太古の神々の主神・ゼウスの娘だという某キャラの発言もあったので、ソッチの方が真相ですかネ?――。
連続TVドラマの数十本中の1本としてのアンチテーゼ編や異色作であるのならばともかく、おカネを払ってTVとはまた異なるその1ランク上の非日常・ゴージャス感・お祭り感をドコかで無意識に味わいたいと思っている、大画面での映画鑑賞という体験においては、終盤における悪神アレスとワンダーウーマンとの最新VFX&ナマ身の肉体を駆使した、夜の闇の中での飛行場・滑走路・管制塔をフィールドとしたバトルを、長尺たっぷりに観せてくれる趣向も個人的には決して悪くはなかったとも思うのだ。
TVドラマ版では第1次大戦ならぬ第2次大戦で活躍!
ちなみに、第1次世界大戦ならぬ第2次世界大戦の時代に誕生した『スーパーマン』(1938年)・『バットマン』(1939年)に続けて、アメコミ3大古典ヒーローのひとり、『ワンダーウーマン』が誕生したのは1941年。日本の元号に直すと昭和16年のことである。……コレって、日米が激突した太平洋戦争が開戦した年でっせ! よって、本作には実に76年もの歴史があることになる。
だったら、第1次大戦ならぬ第2次大戦の時代を、原作オマージュとして舞台にすればイイのに……。などとも思ったものの、ググッてみるとすでに前例があった(汗)。早くも40年も前の1976年に製作された1時間ワクの実写連続TVドラマ『ワンダーウーマン』第1期だ(邦題『空飛ぶ鉄腕美女ワンダーウーマン』・日本では77年に月〜金の連日深夜枠で放映)。
我々オッサン世代だと、子供時代の1980〜81年にフジテレビで日曜朝11時から放映されて、リンダ・カーター主演で由美かおるが声をアテていたTVドラマ版『紅い旋風ワンダーウーマン』が、本作のイメージ源泉ではある――本稿執筆のためにググッてみて初めて知ったヌルオタで恐縮だけど、実はこの作品がTVドラマ版の第2期(77年)&第3期(78年)であったそうな――。
両腕を左右に「く」の字と逆「く」の字型に構えて、握った拳を両腰に据えてスックと仁王立ちしたワンダーウーマンが、自身はあまり動かずにその前腕だけをヒジから華麗にコンパスのように振り回して、両手首の甲の側の金属ブレスレットで、小さな火花を散らしながら悪人の銃弾を弾き飛ばし続けるアクションが実に印象的であったTVドラマ版。だけど、その第2期&第3期はあくまでも1970年代後半当時の「現代」が舞台だったので、そんな前史があったとはツユほども知らなんだ(汗)。
本作の世界的大ヒットの要因を分析してみる!
本映画はナンとメリケンおよび全世界で大ヒットして、本映画とは同一の世界における悪党たちが主人公の映画『スーサイド・スクワッド』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160912/p1)はもちろんのこと、スーパーマン映画『マン・オブ・スティール』(13年)、および『バットマンvsスーパーマン』をも上回る興行収入を上げているそうである――日本ではそれほどでもナイけれど――。
ナゼだろう? いやたしかに筆者個人も、本作を楽しんだし、出来もよかったと考えている。
しかし筆者は、映画評論家や映画マニアやアメコミマニアたちの意見に大衆動員力はナイと思っているので(爆)、彼らの感想によって世界中での興収も伸びたのだ! などとは考えない。対するに、大衆の方も内容に対する審美眼はさしてナイと思っていて、広い意味でのブランド価値やフワッとした流行で鑑賞しているだけだとも考えている(笑)。
良くも悪くもここ40年、本来は子供・少年・ごく少数のマニア向けであったハズのアメコミのスーパーヒーローたちが、1978年のハリウッドの大作映画『スーパーマン』以来、あるいは2002年の映画『スパイダーマン』以降に連発されたスーパーヒーロー映画の大隆盛で、世界中の大衆がその存在に慣らされていくこととなった――大むかしを知るオッサン世代としては隔世の感だけど、今では日本の特撮ヒーローもののマニアでは決してないどころか下に見てバカにしていたりもするけども(汗)、アメコミヒーロー映画の熱心なマニアでその作品と世界観とそれら連作の時系列にはやたらと詳しいという若い男女は日本でもワンサカといるようになった――。
それとは別個に並行して、世界中の大衆たちも「成熟」や「老成」とは縁遠くなって、高度大衆消費社会の「モラトリアム」の行き過ぎで、「幼稚」化(笑)が進行しているようにも筆者は感じる――もちろん筆者自身はその典型例である(笑)――。
加えて、大衆・オトナ・一般層・女性たちにも実は元から内在していた、スーパーヒーローによる軽快かつ力強いアクション、そして悪党退治が観客に疑似的にもたらす子供っぽい全能感・万能感・カタルシスといったモノを、そうと明晰に言語化して自覚しているかはともかく、享楽・快楽として受容することを人々は照れたり躊躇することなく堂々と感受するようにもなってきた。
その三者の流れの延長線上の結節点で、従来であればドコかB級・二流のイロモノであったり、男性からのエロ目線での消費対象・愛玩物であったハズの実写映画版のスーパーヒロインもアリ! OKだよネ! という機運が生じたところで、本作がパスルのピースの最後としてドンピシャとハマったのではないのかとも私見する。
じゃあ、日本での世界標準と比すればイマイチな興行成績はドーなんだ? 男尊女卑の後進的な日本では、本映画は早すぎた先進的な作品だったのだ! と分析されると、それにも同意はしないけど(笑)。
フェミニズムの英雄か!? 単なるセックス・シンボルか!?
はてさて、本映画を左翼リベラルなフェミニズム(女権拡張運動)の文脈で優れていると評する向きもあるようだ。加えて、それと同じ尺度の土俵に立ちながらも、『ターミネーター』(84年)・『エイリアン2』(86年)・『タイタニック』(97年)・『アバター』(09年)などで有名なジェームズ・キャメロン大監督は、自身の映画のヒロイン像と比較して本映画のヒロイン像を、やはり男性にとっての都合のイイ女性像であり、保守反動・後退・退嬰的なもの(大意)として批判した。それに対して、本映画の主演女優は、男に媚びないタフでラフで力強い猛女的な女性像もまたステレオタイプのドグマであり、女性性を強調した衣装や美しい姿や可愛いモノといった女性的なアイテムや意匠を歴史的な因習やムラ世間的な空気・同調圧力ではなくナチュラルに自発的に好んだり目指してしまうメンタル自体は肯定すべきであるとする趣旨とおぼしき立場から、大監督に反論を加えてみせている。
「個体発生は系統発生(生物進化)を繰り返す」の言ではナイけれど、個人のナチュラルな好みや実感も重んじる90年代以降のキバらない穏健な新世代フェミニズムの御仁が、70〜80年代までの教条主義的で強硬派の旧世代フェミニズムの御仁たちに対して批判を加えてみせた際の論争などでも見たような、個人的には何やら既視感もある光景&論調だけれども(笑)。
その伝で云うなら、日本のアラサー以下の女性たちが好む戦闘ヒロインは、ワンダーウーマンのようにサバサバした大柄女性や、ビキニアーマーをまとった戦闘美少女ではなく、実は女児向けアニメ『美少女戦士セーラームーン』(92年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041105/p1)や『プリキュア』シリーズ(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20040406/p1)みたいなヒラヒラ・フリフリしたミニスカ衣装の魔法少女のような、少女的な「カワイイ」要素をもう少しブレンドしないと、身近に思ってもらえず、イマいちウケないようにも思う。
――まぁ、その文脈にも少しでも接点を持たせようと、本作の宣伝ナレーションに華のあるボイスを放つセーラームーンことベテラン声優・三石琴乃(みついし・ことの)を起用したり、「天然」の語句を強調したのであろうけど。とはいえ、女性悪党をメインに据えた『スーサイド・スクワッド』同様、少々内面をコジらせているサブカル女子みたいな観客は本映画の都心の劇場にはけっこういましたけどネ。もちろんインドアなお文化的なものにはまったく関心がなく、ストリートに繰り出すタイプのギャルみたいなコは一切いませんでしたけど(笑)。アイドルグループ・乃木坂46(のぎざかフィーティシックス)が歌う日本版イメージソング「女は一人じゃ眠れない」も同様の試みで(?)、内容を理解した上でワザとズラして摩擦係数を高くした炎上商法というものか?――
そーいう観点から、『ワンダーウーマン』をググってみると、彼女自体が実は当初からナイチンゲールやキュリー夫人などの女性の偉人もモチーフとしており、第2次大戦直後の時代にすでに母子や労働者の味方をしてみせたり、21世紀以降になるや女人部族出身の設定を活かして性的少数者・同性愛・同性婚・バイセクシャル(両性愛)すら肯定してみせる作品になっていたのだそうである。無知で恐れ入りますけど、そんな歴史もまったく知らなんだ(汗)。
そーいえば、ワンダーウーマンと米軍青年との関係も、大仰な甘ったるいベタついたオトナのロマンスには至らずに、双方ともに互いを信頼しつつも、男女間の愛・異性愛よりも世界を守る大義の方を優先して、自分たちさえ良ければイイという感じのエゴイズムではなく自己犠牲の精神で散っていくあたりも、ごくごく個人的には好感が持てる。まぁ論理的には、「私」を犠牲にして「公」に尽くす前近代的なメンタルの称揚だ! と批判する声があってもイイとは思うけど――筆者の観測範囲では、そーいう批判は見当たりませんでしたが(笑)――。
そんなフェミニズム的な要素を作品に副次的に持ち込むことを筆者も否定はしない。むしろ肯定すらする。
しかし、通俗エンタメとしての完成度や作劇の技巧をさておいて、そーいうフェミニズム的、あるいはポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい)的な要素が含まれていたり、それらがラディカル・急進的であったりするから、その作品は優れているのだ! ……とばかりに主張するような「作品論」はいかがなものであろうか? 正直そーいった論調には、個人的には反発を覚えないでもナイ。
しょせんスーパーヒーローものとは、娯楽であり活劇作品であるに過ぎないとも思う。ワルが登場して世界やご町内の調和を乱して弱きを挫いたときに、そこに力を正しく使ってくれる強者が立ちはだかってワルを懲らしめてくれることで、暴力の正当な行使によるカタルシス・爽快感も与えてくれて、世界の調和を取り戻すことでの安息感も与えるような、基本はルーティンであり、ある意味では陳腐凡庸な繰り返しの物語なのである。
そして、見ようによっては、このジャンル自体が「民主的な話し合い・対話によって、敵と和解しようとする」ようなリベラルなジャンルではさらさらナイのである。
「超越的な力を有した英雄が、敵を力で押さえつける」という、保守反動どころか前近代・古代・中世的な、あるいはそれ以前の時代のもっとプリミティブ(原始的)な人間の情動に訴えかけるジャンルかもしれないのである。そもそも「ヒーロー」という「大衆」よりも上位に位置する存在という概念自体が、近代の「平等」という理念にも反している(笑)。
たしかにヒーローの正義や暴力の行使、あるいは善悪の基準自体に疑義を向けて、変化球の興趣を与える作品も、このジャンルに存在しはする。しかしそれはトッピングの次元での話であり、ヒーローという存在自体に疑義は向けても、ヒーローという制度自体をインフラの次元で完全に自己否定してしまうワケでもないのである。よって、本映画や原典コミックにフェミニズム的な要素を見つけて本作を持ち上げるような所業で『ワンダーウーマン』を救い上げるようなふるまいは、筆者には作品に対する真の意味での本質的な批評ではなく、表層の意匠に対する付け焼き刃的な行為にしか見えないのだが……。
はてさて、従来のワンダーウーマンは、ウェーブのかかった豊かな黒髪で額にティアラをハメた白人美女が、星条旗をモチーフとした上半身は赤、パンツは星を散らした青のコスチュームでその身をまとっていた。
バストのラインを金色のラインでフチ取って強調した巨乳なるも、両腕は細くて、その赤い衣服をまとった上半身も細くて華奢である。
それとは対照的に、左右に骨盤が張った前後に厚みもある安産型のセクシーな腰&ヒップを、70年代後半に出現したばかりで80年代にはハイレグと呼称されることになる、鋭角的なM字型カットの青いパンツ(ブルマ?)が魅惑的に飾っている!――コレはTVドラマ版の第2期以降のデザインであり、第1期以前の彼女は、時流に応じていわゆる提灯ブルマ型のヤボったいパンツを穿いていたようだけど(汗)――
対するに、ソデもない両ウデや両肩は、鎖骨やムネの谷間近くまで含めて丸見えで、健康的でたくましい太モモまでをもナマ脚で披露して、ハダ色成分が実に多い!(笑)
本映画においては、M字型のハイレグパンツはM字型のミニスカ、日本のヨロイでいう腰回りの前後左右に裾のように垂らした、いわゆる「草摺(くさずり)」に相当するアーマーとも解釈できるデザインに改変されたことで、ムダに媚びたセクシーさは回避されていた。
しかし、いかに歴史的には半世紀以上にも渡って、フェミ的な問題意識も持ったエピソードを実は多く抱えていた作品であったとしても、彼女のルックスは男性目線で性的なコーフンを催させるセクシーな体型をした、そしてそれを際立たせるコスチュームをしたセックス・シンボルでしかナイだろう。その一点においてすべてのフェミ的なエクスキューズは消し飛んでしまうようにも思うのだ。昨2016年に女性問題啓発を目的として国連名誉大使に就任したワンダーウーマン――本映画版ではなくアメコミ版――が、そのルックスを問題視されて、わずか2ヵ月で解任されてしまったのもムベなるかな。
……白状します! 筆者は少年のころ、ワンダーウーマンをスケベな視線で見て、ヰタ(ウィタ)・セクスアリス、ハァハァとコーフンしてました!(笑) ワンダーウーマンの主眼はそこにもあるだろう。そして、そこを否定することは、筆者には偽善であり欺瞞であるとも見えるのだ。
追伸
本映画封切の3ヶ月後の2017年11月に公開されるスーパーマン・バットマン・ワンダーウーマン他のDC社のアメコミヒーローたちが大集合する映画『ジャスティス・リーグ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171125/p1)の予告編が、本作ラストに付いていなかったのは宣伝効果的にはアカンよなぁ。『ワンダーウーマン』の勢いを『ジャスティス・リーグ』へと誘導してほしかったのにィ……。
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『ワンダーウーマン1984』が公開記念とカコつけて
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映画『ワンダーウーマン』評! 〜フェミニズムの英雄か!? 単なるセックス・シンボルか!?
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