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GODZILLA(2014年版)賛否合評 ~長年にわたる「ゴジラ」言説の犠牲者か!?

『ゴジラ評論60年史』 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!
『キングコング:髑髏島の巨神』 〜『GODZILLA』2014続編! 南海に怪獣多数登場! ゴジラ・ラドン・モスラ・ギドラの壁画も!
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』 ~反核・恐怖・悪役ではない正義のゴジラが怪獣プロレスする良作!
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
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 2019年5月31日(金)から洋画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開記念! とカコつけて……。
 同作の前日談たる洋画『GODZILLA』(2014年版)評をアップ!

GODZILLA(2014年版)

(14年7月25日(金)・封切)
(14年7月下旬脱稿)

合評1・賛! ~『GODZILLA』(2014年版) ~復活ゴジラの原典リスペクト

(文・J.SATAKE)


 第1作公開から60年。ハリウッド版2本目の『GODZILLA』(14)が登場。
 日本の原子力発電所に勤務するジョーは、異常電磁波と巨大振動による事故によって目前で妻を失う。その悲しみと真の原因を明らかにしようと固執する父に対し、息子のフォードは自らの家族を持ち、米軍の爆発物処理の任務に当たっていた。


 再び頻発する振動。立ち入り禁止地区に潜入するジョーと反発しつつも同行したフォードは、放射性物質を喰らい成長する怪獣・ムートーに襲われる!! 
 ムートーを研究・管理しようとする組織・モナークの芹沢博士から秘密を明かされるフォード。1954年、巨大生物を発見した米軍は核実験と偽り攻撃を続けたが、その放射能物質でさらに強化した怪獣がいた。それがゴジラ! その同種に寄生し成長したのがムートーなのだ!


 日本を発ったムートーはその声に導かれるように現れたゴジラと激突!
 さらに復活したもう1体のムートーも襲来、ワイキキ・ホノルル・ラスベガス・サンフランシスコを次々と壊滅させてゆく……。
 果たして人類はムートーを倒せるのか。そしてムートーを追うゴジラは人類の救世主なのか……。


 原点である第1作の「核」に対する警鐘をしっかりと盛り込んだ点を評価したい。太古には放射性物質を糧に成長した生物が存在、それが人類の核兵器原発によって再び地上に現れるという説は、自然ですら管理できると驕り高ぶる人の愚かさに強烈なしっぺ返しを喰らわせる!
 さらに放射性物質で成長する3体をメガトン級の核ミサイルでなら撃退できるはず、と作戦を実行しようとする米軍。核廃棄物や核汚染の抜本的な解決もできないままその大きな力を行使する、なんと愚かしいことか……。


 広島に落とされた原爆で父を失ったという芹沢猪四郎博士も――このネーミングも原点に対するリスペクトが感じられる! ――人間と核の愚かさを知りつつ、ゴジラが自然の調和を保とうとする存在であって欲しいと願う複雑な心象を見せてくれた。ハリウッドでも活躍する渡辺謙氏の熱演が光る!!


 怪獣に対する人間として配されたもう一組、ジョーにフォードとその妻子。「誕生日」でクロスする2つの親子の幸せなシーンと対比して、家族が巻き込まれてゆく怪獣パニック映画としてもきちんとまとめられている。
 津波から逃げまどう大勢の人々、街を蹂躙する水流。渋滞して身動きがとれない車の列を俯瞰で捉える画など、スケールの大きなパニックシーンはやはりハリウッド流。


 自身が放つ電磁波で機械や電子機器を停止させてしまうという能力で、脆弱な現代文明のカウンターともなった強力な怪獣・ムートー。長い鉤爪の腕ともう一組の腕のような巨大な翼。核ミサイルを狡猾に奪ってゆく姿は人類の天敵だ。


 もう一方のゴジラ海上から見せる背中のヒレは鋭利に。野太い首と足が力強さを印象付ける。「怪獣」という言葉を世界に知らしめた彼のデザインを逸脱することなく生まれた本作の姿。オリジナルへの敬愛が感じられる。
 そして桟橋での軍との衝突が決して人類とは相入れない怪獣の宿命を示す。


 2体のムートーを相手にビルを破壊しながら争う姿は巨大な怪獣が立ち回る迫力のバトルシーンとなった! 口から放たれる破壊光線はメラメラと燃え上がる炎のイメージが強調されたもの。ゴジラが口を押し広げ至近距離から打ち込む炎で絶命するムートー!


 満身創痍で「狩り」を終え、海へ還るゴジラ。彼の行動原理は核の濫用を続ける人類には計り知れない……。
 自然環境・核兵器問題に対する警鐘、巨大怪獣の巻き起こすパニック・バトルアクション、二世代に渡る家族の交流ドラマ。新生ゴジラはマニアに向けてのリスペクトと、初見の人へのヒューマンパニックドラマを融合させた見応えある映画となった。


 日本のアニメ・特撮コンテンツの精神を継承したハリウッド映画は、巨大ロボVS巨大怪獣の攻防を描く昨年の『パシフィック・リム』(13)もあったが、本作は原点を継承しつつ新たな設定・物語を組み込んで、単なるモンスターパニックものには堕さなかった。
 『ゴジラ』のもうひとつの物語として多くの方に認められる作品だろう。


(了)


合評2・是々非々! ~『GODZILLA』(2014年版) 長年にわたる「ゴジラ」言説の犠牲者か!?

(文・T.SATO)


 物語の前半、なかなかゴジラが登場しない。フィリピンや日本で太古のナゾの巨大生物の痕跡が調査されていく。放射能がウンヌン云ってるし、初作が公開された1954年に伏線ぽくゴジラに対して原水爆実験を装った核攻撃がなされたような記録映像も流れるので、てっきりコレは水爆大怪獣ことゴジラの痕跡のことだと思っていたのだが……。
 なんと、別の昆虫型の6本脚の新怪獣を物語は追っていたのだった!


 南海の明るい大洋を、その巨大で複雑な形の背ビレだけを見せて、悠々と回遊していくゴジラ
 メリケンの地で、同じく背ビレを見せながら、巨大な吊り橋の下を通過していくゴジラ
 夜景のビル街で、瓦礫の土煙をもうもうとさせつつ、未知なる敵怪獣と激闘を繰り広げるゴジラ
 敵に組み付き、口から吐くゼロ距離の放射能火炎でトドメを刺すゴジラ。最後は海洋へと去っていく。


 こうやって、あとから印象的なビジュアルを抜き出してみると、たしかにゴジラ映画の映像の典型+αで、そこを意識的にも押さえたのだろう。
 でも物語前半で延々描かれる、ゴジラかと思いきやそれは新怪獣の予兆だった! とゆー展開のせいか、前述のビジュアルの印象も相殺されてしまったよーナ。


 いや別に新怪獣が出てきて対決モノになるのが必ずしも悪いとは思わないし、歓迎しないでもナイ。しかし、この作品に限って云えば、大々的には告知されはていなかった新怪獣の出現は、スカッとした意外性ではなく、比重的に腰の据わりの悪さをもたらしたよーナ。


 昆虫型新怪獣の猛威に襲われていくハワイ、アメリカ西海岸!
 そして日本のミレニアム・ゴジラシリーズのように、夜のビル街で土煙をもうもうとあげながら、ゴジラと新怪獣2体との攻防が繰り広げられ、新怪獣を倒したゴジラは海へと帰っていく。
 その姿は神々しく、人類の危機に現れた救世主のようにも見えるのであった……。


 物語中盤までゴジラが姿が見せない作品ほど高尚。ゴジラは単なる暴れまわるだけの怪獣ではない。その出自からも犠牲者であり反核反戦の隠喩なのだ。と同時に大自然の象徴・警鐘でもあるのだ。単なる犠牲者、弱くてもイケナイ。ゴジラは膝を屈しない強者・神であり脅威でもあるべきだ。
 たしかに1970年代末期~90年代前半までこーいう言説がさももっともらしく語られていましたネ――筆者も共犯者だったかもしれませんが(汗)――。
 これらの言説を取り込んだから、本作は今回のようなゴジラの立ち位置になったのだと私見。メンドくさいゴジラマニアを相手にして作り手たちもホントに大変で同情します(笑)。


 ぶっちゃけ、往年のそれらの理念は、イイ歳こいて怪獣映画を観ている自分たちを肯定するための理論武装であって、それによる多少の地位向上があったことも認めるけど、次には別の問題ももたらして、ゴジラ映画から娯楽活劇性を削いでしまった面も否めない。
 ゴジラ反核反戦・自然の象徴にも成りうるけど、それは後付けであって、もっと不謹慎な男の子のプリミティブ(原始的・幼児的)な暴力衝動の発散であり、巨大怪獣がガオガオほえながら、原野や街を闊歩しビル街をぶっ壊し、とはいえスプラッタみたいな残虐性は巧妙に回避され、倒してもいい敵怪獣は容赦なくやっつける、そんな幼児的な全能感・万能感、身体性の快楽を味あわせる装置なのだとも思う。ドラマやテーマはそのための言い訳にすぎず、そんな全能感に奉仕するように構築されるべきなのだ。


 本作を個人的にはダメダメだとは思わない。明らかなアラや破綻はないし退屈もしなかった。けど、心の底から面白かったかと問われると……。


 またまたオッサンの繰り言で恐縮だけど約35年前、怪獣だのアニメだのの子供向けの趣味とされていたモノを、当時の若者層が持ち上げて――往時はオタと一般ピープルがまだ未分化であった――、子供ながらに中高生やオトナになってもこのテの趣味を卒業しなくてもイイのかも!? と期待に胸をふくらませたものだ。折しもメリケンの地からも『スター・ウォーズ』(77年・78年に日本公開)や映画版『スーパーマン』(78年・79年に日本公開)が黒船来航。ボクらの子供的な趣味の感性が勝利を収める! という束の間の祝祭感も味わった。
 折しも我らの『ウルトラマン』も800万ドルだかでアメリカでリメイクされるやも! あわよくば、日本の特撮やアニメが海の向こうでリメイクされてハクを付けて凱旋帰国し、その勢いで一挙に日本における文化カーストの上位にも食い込む! という、それはそれで舶来の権威で日本の権威を凌駕せんとする、植民地の民の奴隷根性みたいな思いに、当時のマニア連中は取り付かれていたようにも思うのだ。


 で、「来なかったアニメ新世紀」とか「日本特撮・冬の時代」とか、M君事件によるオタクバッシングなどの紆余曲折はあったけど、フランス革命ロシア革命みたいな画期があったとも思えないのに(笑)、30数年が経ってみればズルズルとゆるやかに往時の夢は実現した……ような気もしないでもない。
 往時に夢見た未来とはカナリ違った気もするし、もう少し志が高くて意識的に実現されるべき革命が、資本主義の論理でなんとなくこーなったあたりで、古い世代としては釈然としない感もある。とはいえ、往時唱えられていた「こーすれば日本特撮は復興する!」とされてきたあまたのテーゼの数々――怪獣や怪人はギャグやコミカルなどの世間に嗤われるような描き方ではなく、恐怖や脅威であるべきだという「怪獣恐怖論」の賞揚。ヒーローや怪獣の未知なる初邂逅の神秘性を重視する立場から「一回性」が賞揚されることで、続編やシリーズ作品にユニバース的な同一世界の作品群を否定する――も、必ずしも正しかったワケではないことも思えば、現今の状況でもイイのだろうとも思ったり(……複雑)。そして、それらのひとつとして今回のハリウッド版『ゴジラ』もあるワケだ。


 加えて、作品自体の罪ではナイけど、コチラが枯れてしまったせいか(笑)、ハリウッドでのリメイク自体も2度目のせいか、マニアだから語ろうと思えばいくらでも語れるのだけど、長年の蓄積だけで自動的に語れちゃってて、鑑賞前後での熱情自体はあまりナイのは筆者だけか?(汗)
 作品評価や好悪はヒトそれぞれ、そもそもゴジラマニアの尺度よりも売上の尺度の方が絶対かもしれないけど、それでも云うなら、本作がドコかスカッとせず(私見だけど)、ある意味ではハリウッド映画らしくないモヤッとした内容になったのは、日本のゴジラマニアが1970年代末期~90年代に延々とつむいできた「ゴジラ言説」のせいではなかろうか?(笑)
 それらがウスめられて海の向こうのマニア間でも普及しているから、こーいうモヤモヤとして善悪も曖昧模糊としたノリになったのではなかろうか? そーいうイミでは向こうのスタッフも悪い意味でよく「ゴジラ言説」を研究して、本作の内容や思想性にそれを取り入れてくれたと云うべきか?


 初期の「ゴジラ評論」では、子供向けに正義の味方と化した後期・昭和ゴジラを否定するために、ゴジラは悪でなければならないとされたが、そのうちにゴジラは善も悪も超越した強者であり膝を屈しない強者・神でなければならないということになった。
 そのへんのロジックの援用で、人類の脅威ともなる新怪獣が用意され、コレを倒す存在でありながら人類とは相容れないゴジラ像になったと推測するのは容易だろう。加えて、渡辺謙演じるセリザワ博士が勝手に根拠もなく思い入れて、ゴジラは自然界のバランスを戻すために現れた救世主なのかもしれないという仮説だが願望(笑)だかも述べる。


 その言説は作品批評やマニアによる愛情の吐露やジャンル作品を高尚に見せようとする手法(笑)としては大きく間違っているワケでもないけれど(汗)、劇中でもそのように語られてしまうと、チョットした肉付けの不足か逆に露骨すぎたのか、少し浮いている言説にも見えてしまう。
 加えて、平成ゴジラシリーズやミレニアムゴジラシリーズではよくあった、ゴジラを最後に撃退はしたけど死んではいなくて、ラストでゴジラが海中などでカッと眼を見開くなどの、それはそれでパターンと化した(笑)香辛料・スパイスの不足なども、本作に感じる物足りなさの理由であろうか? このへんもまた本作の弱点のようでもあり、逆にココらを重点的に攻めて肉付けして突破できれば、納得ができる作りになったような気もする。


 早くも続編の製作も決定。今度はラドンモスラキングギドラも登場するらしい(!?)。日本のゴジラシリーズの歴史とも同様、イイ意味で堕落して(笑)歴史を繰り返し、爽快な作品になることを期待したい。


(了)


合評3・否! ~『GODZILLA』(2014年版) ゴジラが来たりてホラを吹く(笑)

(文・久保達也)
(14年7月30日脱稿)


 いきなりネタバレで申し訳ないが、むしろまだ観ていない人々が劇場でビックリしないためにも、今回だけは本当のところをハッキリさせて頂きたい。


 今回登場するゴジラは、実は「悪役」ではない。それどころか、「悪い怪獣」から人類を守る、「正義のヒーロー」なのである!


 ただし、印象としてはゴジラが悪役として描かれた映画『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年・東宝)に近い。これに登場した宇宙怪獣オルガに、今回の敵怪獣ムートーがそっくりだったし(笑)、『ミレニアム』も中盤は本編も特撮もUFOと宇宙人ばっかりで、ゴジラのゴの字も出てこなかったし(笑)。
 だが、それでもまだ、ゴジラの登場場面が比較的多かった分だけ、マシだったのかもしれない。なんせ今回はゴジラが、全然出てこないんだもの……


 んなアホな! と思ったのは、筆者とて例外ではない(笑)。実際に劇場で鑑賞するまでは、そんなことは夢にも思わなかったのである!


・予告編で編集されていた都市破壊場面ではゴジラの姿は伏せられ、ムートーもいっさい登場しなかったこと。

・チラシなどの宣材では「1954年に東宝が製作・公開した日本の特撮怪獣映画の金字塔『ゴジラ』を、ハリウッドでリメイク」などと紹介され、ましてやそこには「最高の恐怖」「テーマはリアル」(爆)などというキャッチコピーが踊っていたこと。


アメリカでの試写会の席上にて、今回セリザワ博士を演じた渡辺謙(わたなべ・けん)が、「普通の怪獣映画じゃないところがいい」などと発言していたこと。


 以上のことから、筆者は今回の作品は、ゴジラの本家である日本でウケるために、つーか、口うるさい日本の怪獣マニアから批判されないために(笑)、『ゴジラ』第一作(54年・東宝)を最大限に尊重し、


・「反核」の象徴
・「恐怖」の対象
・「悪役」のゴジラ
ゴジラと戦うのは「人間」
・「怪獣プロレス」はやらない(笑)


 良くも悪くも、こうした70年代末期~80年代に特撮マニアが怪獣映画のあるべき姿として持ち上げてきた要素を満たしたゴジラが描かれるものだとばかり、思いこんでいたのである。


 そりゃあ、フタを開けたらビックリするわなぁ(笑)。
 予告編の破壊場面は、実際には全てムートーによるものであり、「最高の恐怖」として描かれる「悪役」の怪獣はゴジラではなく、ムートーの方であった(笑)。


 そして、ゴジラは「反核」の象徴どころか、54年頃にアメリカとソビエト連邦(現ロシア)が相次いで原水爆実験を行ったのは、なんとゴジラを倒すためだった、などと悪行を正当化しやがった(これがホントの爆!)。


 「普通の怪獣映画じゃない」どころか、おもいっきりのフツーの怪獣映画やんけ!(笑) つーか、あまりにもフツーすぎるやろ!(爆)
 アメリカをはじめ、世界各国で大ヒット! って、それはハリウッド・ブランドと巨大資本に物を言わせた大宣伝で集客して、かつ怪獣映画が「文化」として根づいていないから、こういうものでもおもしろく見えてしまうだけだろうに(笑)。


 結局公開直前まで、徹底した報道管制を敷いてしまうからこそ、こうした大きな誤解が生じてしまうワケで……
 ヤフーの映画レビューでは、ハッキリと「これは詐欺(さぎ)だ!」などと怒っている人がいた。だが、「詐欺」というのは、人をだました奴が「得」をする場合のことを言うのである。今回の「詐欺」(笑)の場合は、むしろ興行側の方が「損」をしているように思えてならないものがある。


 筆者は公開二日目に2D吹替版の初回を鑑賞したが、その客層は、映画『キカイダー REBOOT(リブート)』(14年・東映)と、ほとんど変わらなかった。つまり、圧倒的に「高齢層」が中心であり、筆者の隣の席の客なんかは、正直「おじいさん」(失礼)と呼ぶのがふさわしい年代の人だったくらいである。


 予告編や宣材の「詐欺」によって劇場に足を運んだのは、


・『ゴジラ』といえば第一作が最高傑作、いや、そもそもそれ以外は全部ダメ(爆)とまで考えている者も含む、第一作至上主義のマニアたち、
・宣伝では今回の作品がどんなものかはハッキリしないけど、世代的に怪獣映画を観て育ったため、せっかくの久々の新作だから観てみようか、と思った一般層の人々


だったかと思われる。これでは「高齢層」中心になるのも当然である。


 たとえばマニアでも、


・筆者のように70年代前半の子供向け興行「東宝チャンピオンまつり」の昭和ゴジラシリーズ後期の正義の味方のゴジラを幼少の頃に観た世代や、
・90年代前半に平成ゴジラシリーズを小中学生で観た世代にとっては、


 「怪獣対決」のない怪獣映画なんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだ、と考えている者、もしくは表面ではそう思っていなくても無意識にはそう思っている者が中心であることだろう。


 そうした者にとっては、「怪獣対決」のない『ゴジラ』第一作至上主義やその作劇なんぞ、まさに目の上のタンコブみたいなものである(笑)。だから前宣伝のせいで、今回の作品が第一作のリメイクみたいなものだと思いこんでしまったら、大枚(たいまい)はたいてまで積極的に観に行くワケがないと思えるのである。
 筆者も先にあげた『キカイダー REBOOT』の上映前に流された予告編を観て、個人的には何ひとつワクワクさせるものを感じることができなかった。


 さらにチラシの「最高の恐怖」「テーマはリアル」という70~80年代の特撮マニアが散々『ゴジラ』映画の理想としてきて筆者も信じていた(汗)、しかし今やその有効性をスレたマニアからは疑問視されて久しいテーゼを今さら仰々しく掲げるセンスに至っては、頭をかかえずにはいられなかったものである(笑)。


 筆者はバンダイから「ムービーモンスターシリーズ」として、ムートーのソフビ人形が発売されることを知るに至るまで、今回の作品はゴジラが単独で登場する作品だとばかり思いこんでいたのである。ひょっとしたら、玩具の発売情報なんぞに疎(うと)いために、いまだにそう思いこんでいる人々も、少なからず存在するのではないのだろうか?
 筆者が私見するに、これではドッタンバッタン組んずほぐれつの「怪獣対決」が描かれるのなら観てみたいと考えるような、実は結構いるであろう潜在的なヤジ馬客層をシャットアウトしてしまっているワケであり、まさに「損失」以外の何ものでもないのである。


 なので、こういう手法がかつては通用した時代もあったが、今の時流には、公開直前までの情報管制はそぐわない、と個人的にはとらえている。
 ゴジラであれば、怪獣映画であれば、どのような作品であれ、絶対に観なければ気がすまない! という人間たちに対してはそれでもいいだろう。だが、世の中そういう人間ばかりではない。つーか、そんな連中は圧倒的少数派なのである(爆)。


 怪獣映画なんぞにまったく思い入れのない人々であれば、どんなものが出てきてどんなことをやるのか、前宣伝でまったくわからないようなものに、果たして大枚はたくようなことをするのか? ということなのである。
 そんなことをするくらいなら、安心確実なブランドである、スタジオジブリやディズニー、『ポケモン』の方を選ぶのではなかろうか――本当はここに戦隊&ライダーの劇場版も加えたいところなのであるが、どうやらこの2014年の夏も苦戦してるようなので……――。


 だから「恐怖」だの「リアル」だの「第一作の精神」だのと、旧態依然の古いマニアかせいぜい背伸び盛りの聞きかじり新参マニアにしか通用しない、抽象的な文句を並べたてるくらいなら、


ゴジラの姿を最初から公開して、昔は着ぐるみだったけど、今回はCGで自在に動くから迫力があるぞ! とか、
ゴジラのほかにもムートーという怪獣が、オスとメスの二種類出てくるぞ!


なんて調子で煽(あお)り文句で宣伝していれば、特撮といえば戦隊やライダーしか知らない若いマニアや子供たちに、多少なりともインパクトをもってアピールすることができたように思えてならないのだ。


 先に客層が「高齢層」中心であると書いたが、とにかく今回は、子供たちの姿が「皆無」に近いくらい少ない。上映後にたまたまトイレで出くわした中学生男子二人組のうちのひとりの発言が、まさにそれを象徴しているように思えたものだ。


「オレちっちゃい頃、『ゴジラ×(たい)メカゴジラ』(02年・東宝)観たハズなんだけど、全然覚えてねえんだよ」


 おそらく彼は当時3歳くらいであり、『ゴジラ×メカゴジラ』よりも、むしろ同時上映のアニメ『とっとこハム太郎』(00~13年)の劇場版(01~03年)が目当てだったのではなかろうか。
 ただでさえ興行成績が低迷していた00年代前半のミレニアムゴジラシリーズ(99~04年)の客層は、『ハム太郎』の併映により興行収入を一時的にアップさせるも、子供といえば小中学生ではなく、就学前の幼児が中心となっていた。先にあげた中学生のように、当時はあまりにも小さすぎて、ゴジラのことを全然覚えていないか、『ハム太郎』だけを観て帰ってしまったか――この当時は『ゴジラ』作品の冒頭、自衛隊の面々が残酷に蹴散らされていくシーンだけ観て、幼児の教育に悪いと思ったのかワラワラと退出していく親子連れがメチャクチャ大勢存在した!――のどちらかが大半であろうかと思われる。
 ミレニアムゴジラシリーズを観て新たなゴジラファンとなった子供たちは、数としてはたかが知れた程度にすぎないのではなかろうか? それを思えば、実質的なブランクは、映画『ゴジラ FINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)でシリーズが打ち切られて以来の10年間にはとどまらないのではないのか?


 知人に聞いた話では、今回の作品は講談社『テレビマガジン』や小学館『てれびくん』でも、一応は紹介されていたらしい。にもかかわらず、子供たちが全然観に来ないのである!
 テレビシリーズの新作が途絶えても、ウルトラシリーズの場合は映画の公開・アトラクションショー・児童誌連載・オリジナルビデオ作品リリースなど、一応はなんらかの動きが成されてきた。だから、たとえ商品的価値は凋落(ちょうらく)しようとも、その存在をかろうじて延命させることとなっている。


 だが、ゴジラの場合は10年間、本当に何もしなかったのである。これでは公開直前になって、あわてて事前情報が掲載されようが、子供たちの関心を惹(ひ)くハズもないのである。
 怪獣映画の未来は、もはや風前の灯火(ともしび)としか言いようがないほどの、危機的状況におかれているのではないのか? これを打開するにはどうすればよいのか、答えはひとつである。


 「怪獣対決」が観られると思って喜んだのも束(つか)の間(ま)、ハワイでのゴジラ対ムートーの対決はテレビ画面の中でしか描かれないわ、アメリカに上陸してやっと始まったと思ったら、突然画面が真っ黒になって別の場面に切り替わるわ――マジで上映トラブルかと思った・爆――…… だから今回は第一作至上主義者ばかりか、結局は「怪獣対決」至上主義者(笑)にとっても不満が残ってしまったワケで……


 こんなカン違い映画(笑)をこれ以上ハリウッドにつくらせないためにも、本家の東宝ゴジラを復活させ、毎年安っぽいつくりでも継続して公開するより道はないのである!
 そしてハリウッドは、日本の怪獣映画をもっと研究するのみならず、怪獣映画が「文化」として根づいている日本の怪獣マニアたちが、世界の中で「最高の恐怖」(爆)の存在であることを、肝に銘(めい)ずるべきである(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年準備号』(14年8月15日発行)~『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『GODZILLA』合評1~3より抜粋)
(合評2のみ、オールジャンルTV合評同人誌『SHOUT! VOL.62』(14年8月15日発行)所収『GODZILLA』評と合わせて再構成)


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