假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン 〜日本アニメ(ーター)見本市出展作品

『コロコロコミック増刊号 ウルトラマンPART1』&『2』 ~『ザ・ウルトラマン』&『コロコロ増刊』ウルトラ特集記事の時代!
内山まもる『ウルトラマン』漫画1971~2010総覧! ~『ウルトラコレクションボックス ザ・内山まもる』
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[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧


 庵野秀明率いるスタジオカラーが2015年に公開予定であった『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)を差し置いて(?)、カラーで制作された短編アニメ『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』(2015年)が、NHK−BSプレミアム『日本アニメ(ーター)見本市セレクション』にて2016年9月14日(水)AM11:40から放映記念! ……とカコつけて、『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』評を発掘UP!――同年2016年の1月15日に一度すでに放映されていたそうですが……(恥ずかしながら存じておらず)――


ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』 〜ウルトラ一族VSジャッカル大軍団! 宇宙警備隊アンドロメダ星雲支部隊長・アンドロメロス見参! 往年の学年誌マンガが40年目に短編アニメ化!

(文・T.SATO)
(昨2015年11月15日脱稿。後半部分は2016年9月14日に新規書き下ろし)

ザ・ウルトラマン』 〜イントロダクション!


 ウルトラマンレオ(74年)が悪の惑星・ブラックスターのブラック司令による侵略の魔手から地球を守りきった西暦1975年春、宇宙に新たな脅威が訪れようとしていた。


 歴代のウルトラ兄弟と戦った強豪怪獣たちが次々と復活! 宇宙空間や星々と地球で、歴代強豪怪獣は歴戦の勇者・ウルトラ兄弟たちを次々に殺害していく!
 劣勢に立たされたウルトラ一族は、自身たちの全宇宙を守る機関・宇宙警備隊の隊員たち数千人(!)を動員して警戒に当たらせる。そんなさなか、地球の衛星・月の表面には怪しい光が……。


 駆けつけたゾフィーとレオ、ウルトラ族の一般兵士たちが見たものは、レオの弟・アストラの亡骸を踏みつけにする、ウルトラ兄弟の長男にして宇宙警備隊・隊長ゾフィー(偽者)の姿であった! 偽者ゾフィーの姿が鳴動しだす。
 そして、ついにその正体を現した! ……歴代のウルトラ兄弟と戦った強豪怪獣たちに次々と変身し、その能力も使うことができる強敵宇宙人・ジャッカル大魔王だ!


 アストラを倒されて、ウルトラ8兄弟はゾフィーとレオのふたりを残すのみ。ゾフィーとレオと一般兵士たちが束になってかかるも、ジャッカル大魔王には敵(かな)わない。


 いったん、ウルトラの星へと退却するゾフィーたち。しかしそこで、ウルトラ族の一般兵士に変身して退却の列に紛れ込んでいたジャッカル大魔王が、不敵な笑みとともにその正体を現した!


 事の一大事にウルトラの父ウルトラマンキングは緊急招令をかける! ウルトラの国の超近代的な高層建築群が居並ぶ未来都市に、大動員されるウルトラ一族の宇宙警備隊・一般隊員100万人!! そのうちの一部は、ウルトラの国の動力にしてウルトラ一族の生命エネルギーの源である人工太陽プラズマスパーク核融合炉の防衛へと廻させる!


 ジャッカル大魔王。彼は大むかしにもウルトラの星を襲撃して、ウルトラの国に大打撃を与えるも、ウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングとの闘いに敗れて、光すら飲み込む天体・ブラックホールに永久追放された強敵宇宙人だったのだ! 年月を経て、ブラックホールのエネルギーをすら吸収して復活を遂げたジャッカル大魔王のリベンジ!


 ウルトラ一族最強のウルトラマンキングがそのマントを脱ぎ捨てて、ジャッカル大魔王との再戦にのぞむ! そして、突きと蹴りの凄まじいワザの応酬で、勝負は拮抗する!
 しかし、遂にジャッカル大魔王が両腕を上げて一定のポーズを取るや、その身を発光させて全身から前後左右上方の全方位(!)へと一斉にジャッカル破壊光線を発射した!!
 猛烈な光線の圧力と台風のごとき爆風で、吹き飛ばされていくウルトラの兵士たちに、粉々に破壊されていく高層建築群!


 プラズマスパークも半壊し、薄明に閉ざされたウルトラの星。全滅したかに見えたウルトラの星だったが、瓦礫の中から傷ついた姿を現す者たちがいた。


 ゾフィーウルトラの母、そして一般のウルトラ兵士たち28名。


 第2ウルトラタワーに収納されており、ウルトラの星の軌道を司(つかさど)るという大型のカギ型アイテム・ウルトラキー。その秘めたパワーは絶大であり、ウルトラセブンが幼いころに目撃したというその威力は、ウルトラの父が銃器のように引きガネを引いて強烈な光線を発射したところ、天空に迫ってきていた悪魔の星・デモス一等星をも一撃のもとに粉砕して、星ひとつを消失させるほどのものだったという。


 ジャッカル大魔王によって万が一にも奪われてしまうことを危惧したウルトラの父に命じられて、ゾフィーはウルトラキーの保護に動いていたのだ。
 ジャッカル大魔王の桁違いに猛烈な破壊光線によるウルトラの星の半球規模の大爆発の際にも、ウルトラの一族は全滅せずに「数万人は宇宙への脱出に成功したにちがいない」との理性的・合理的な推測を一般のウルトラ兵士にも語らせて、ゾフィーとそして名付けて“ウルトラ28人衆”は廃墟の下、打倒・ジャッカル大魔王を誓うのであった!


ザ・ウルトラマン』の原典は、1975年度『小学三年生』連載マンガ!


 ……というのが、2015年夏に「日本アニメ(ーター)見本市」で公開された、8分弱の短編アニメ『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』の原作マンガである、通称『ザ・ウルトラマン』の物語のアタマ1/3ほどの展開である。
――第3期ウルトラシリーズ(≒第3次怪獣ブーム)時のTVアニメ作品『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100430/p1)のネーミングの由来ではあるも、まったくの別作品なので念のため。この短編アニメでは、冒頭の初代ウルトラマンvsジャッカル大魔王が化けた宇宙恐竜ゼットン戦のみが本格的な映像化が果たされていたが、今述べたアタマ1/3の展開は実はほぼ端折(はしょ)られてはいる――


 原作マンガは、第2期ウルトラシリーズ(≒第2次怪獣ブーム)の最終作にして、当時はコレでウルトラシリーズも本当に終焉だとも思われていた『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)が終了した直後の1975年(昭和50年)度の学年誌『小学三年生』に1年間、初出時には、



・第1部『さよならウルトラ兄弟』(4〜8月号)
・第2部『たたかえ! ウルトラ戦士』(9〜12月号)
・第3部『復活! ウルトラ兄弟』(1〜3月号)


いうタイトルにて連載されていた作品だ。


 のちに、創刊からまだ間もなくて、当時は季刊からようやっと隔月刊化されたばかりであった児童マンガ誌『コロコロコミック』No.5(78年3月15日号・2月15日実売)~No.7(78年7月15日号・6月15日実売)までは、『ザ・ウルトラマン』のタイトルにて改題されて終章直前までの分が再連載されることで、ここではじめて特定の学年を超えた大勢の子供たちにお披露目されることで大人気を博すことになった。
 そして、『コロコロコミック特別増刊号 決定版ウルトラマン』(78年7月24日号・6月24日実売・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1)にて改めて第1話〜最終回までが一挙に再録されることで、奇しくも到来していた第3次怪獣ブームともあいまって爆売れする。
 夏休みの終わりには各作家による新作描き下ろしマンガも多数含まれた『コロコロコミック特別増刊2号 決定版ウルトラマン』(78年9月24日号・8月24日実売)が早くも発売されるに至って、地元の小書店などでも100部前後(?)が山積みになっていたというのに、即日完売したほどの爆発的な売上であったことが強く印象に残っているのだ。


 原典は「学年誌」での連載だったということで、週刊少年マンガ誌に比すると発行部数も少なくて、特定の学年限定の作品であったという印象を、世代人以外には持たれてしまうやもしれない。
 だが、当時はまだ少子化の時代ではなく第2次ベビーブームで子供の数も非常に多かった時代でもあり、同時に小学館の「学年誌」の子供たちへの権威・ブランド力もまだまだ絶大なるものがあって、各学年誌は100万部に迫る発行部数を誇っていたのだ。


 加えて、古い話で恐縮だけれど、当時は新興住宅地でも良くも悪くも今ほどには「隣りは何をするヒトぞ」的な分断・孤島化なども発生してはいなかった。それがムラ世間的な監視・同調圧力の息苦しさを生じさせるのと同時に、人情裏長屋的な向こう三軒両隣りの親密感をも生じさせていたものであった。
 家々の境もブロック塀ではない生け垣がまだまだ多かったり、ブロック塀であってもヒトが通れる隙間が設けられていたりしたので、道路にいったん出てから隣家の玄関にまわってブザーを押すのでもない。南の庭の生け垣の隙間から隣の敷地へと潜入して、隣家の北側の台所のウラ口でノックをして回覧板を渡すような、「自他の境目」=A.T.フィールド(笑)などもあいまいで敷居も低いような時代であった――「むかしは良かった」などと安直なことを云いたいのではナイ。大方の物事というものは何事も一長一短ではあるので、くれぐれも念のため――。
 出来事の羅列でしかない大文字の歴史年表には残りにくいので忘れ去られがちな、しかしてあらゆる物事の本質、人々の行動原理にも関わってくるであろう「時代の空気」、その時代の人々の気分・メンタルなどにも関わってくることなので、ここについでに言語化させてもらった次第である。


 そのようなワケで、学年は異なるご近所の子供グループの中などでも、各々(おのおの)の個々人宅へ遊びに行って、そのコの家にある学年誌を毎号といわずとも廻し読みなどもしたものだったのだ。だから当時の学年誌には、実売部数の数倍以上の影響力があったといってもイイだろう!


 筆者などもご近所の年上の友人宅にてこの原作マンガに遭遇している。物語はちょうど中盤、ゾフィーとウルトラ28人衆が地球人の姿に変身して、日本の各地に潜伏していた時期のことだ。


ジャッカル軍団・数十名が東京を蹂躙! 雌伏を強いられるウルトラ28人衆!


 ジャッカル大魔王は孤高の宇宙人ではなく、同族のジャッカルの一族を、大魔王・四天王・軍団長・軍団員の4階層にも分けた20万人以上もの規模(!)を誇る大軍団に編成していた! そして、直接に自身では手をくださずに、部下たちに宇宙の各所を制覇させていたのだ。


 そして、この壮大なる設定が明かされた次のシーンは、まさに本作の「名場面」集とでもいったこの短編アニメでも、ちょうど物の見事にハイライト的に映像化がなされていた本作中盤のクライマックスでもある!


 白昼の東京都心に降下してきたジャッカル軍団・数十人は、地球人を奴隷にしようと威圧をかけてくる!
 都心でウルトラ族vsジャッカル族の集団戦を起こしてしまっては大規模な被害が出てしまう。地下鉄の地上入り口階段に隠れて忸怩(じくじ)たる思いで状況を見守っている、人間に変身しているゾフィー隊長とウルトラの母にウルトラの兵士たち数名。


――原作マンガだとここで「他の兵士たちは日本の各地に分散して潜伏している」などという、劇中内での時間の流れをメタ的に止めての「ウラ設定」を説明してみせる1コマが挿入されていた。劇中内での「時間の流れ方」が現実世界のそれに近しい映像作品では、そういった「ウラ設定」の解説などをベタに下手くそにやってしまうと、そこで流れやテンポが死んでしまって、加えて説明的でまだるっこしくて浮いてしまうせいか(もちろん尺の都合が第一義ではあろうけど)、このへんの説明のくだりはカットされている。
 個人的には今このシチュエーションをリメイクとして再現するのであれば、「日本の各地」ではなく「世界の各地」に改変してスケール感を雄大にしてほしいものである(笑)。
 ウルトラ一族は「日本人」あるいは「地球人」を、ウルトラ族に進化する27万年前の自身らの祖先の姿形と同一であったから……などといった、人種的な好悪や一種の優生学(汗)の観点からエコヒイキをして守ってみせているのではなく、「日本」にかぎらず「世界各国」を、「地球人」にかぎらず地球や宇宙の善良なる全生物たちを、その姿形に関係なく差別感情もなしで守ってみせているような公明正大なるニュアンスをも、行間に感じさせてほしかったからだ――


 ダメ押しで、ウルトラ一族と同様の巨人族でもある彼らにとっては手狭だからと場所を確保しようとして、ジャッカル軍団は周囲の建築物を破壊しだしてしまう(汗)。
 彼らのひとりは、別の地区で捕まえてきた人間体のウルトラの兵士1名を右手に握りしめて人質にして、地球に潜伏しているウルトラ族たちをおびきだそうとまで提案するのだ。
 調子付いたジャッカル軍団長が上司である四天王のひとりにおべっかを使ってか、「ついでに地球人もいくらか殺しましょう!(大意)」などと大勢の人々を両手ですくい上げる!


 衝撃が走り血気に逸った若きウルトラの兵士たちを、涙を飲んで無言の苦渋の表情で制してみせるゾフィー


 するとそこに、電光と落雷が走る!


 目くらましにあったジャッカル軍団員はその手から、地球人たち数十名をポロポロと地に落としてしまう!
 思わず、ヒトとしての本能か、地上にいる群衆が我も我もと、バラバラと落下してきた人々を手を差し出して受け止めて救ってみせている、人間の人情の機微にも合致したナチュラルな腑に落ちるシーンなども、原作マンガ通りに再現されていた!――こーいう声高ではないけどさりげないシーンの表現や再現が、作品自体のディテールアップや広義でのリアリズム的な感情移入をもたらすために重要なのである!――


実写特撮でも観てみたかった、東京の広大なビル街での「特撮演出」(!?)が実現!


 あたりから落雷の閃光が消え失せるや、そこにはスックと立った西洋甲冑風のヨロイを身にまとった巨大超人が屹立! 『ウルトラマンレオ』でのレオ兄弟が活躍するシーンでの使用がとても印象深い、勇壮かつ軽快なBGMが流れ出して、東京のビル街を舞台にナゾの巨大超人が戦闘を開始する!


 大通りにいるナゾの巨大超人の踏み出した第一歩の巨大な足先のアップが、ビル街の路地の合間から見えているといったアングルで真ヨコから捉えられる!
 このへんのアングル&映像は、原作マンガには存在していない、この短編アニメ・オリジナルの「絵」なのだけれども、超人の「巨大感」と、踏ん張って歩を進めていくことでの「力感」と、それに伴なう「助走」の開始とで、これからはじまる勇ましい反撃の予兆にも満ち満ちた風情が絶妙なまでに表現されているのだ!


 80年代以降に普及する全面ガラス張りのビルディングではなく、70年代以前のコンクリート壁の高層ビル街での特撮シーンというと、個人的には初代『ウルトラマン』(66年)第33話「禁じられた言葉」に出てきた巨大フジ隊員もとい(笑)、メフィラス星人の配下となったバルタン星人3代目・ザラブ星人2代目・ケムール人2代目がビルの上辺の上からその胸から上をのぞかせていた3大宇宙人登場シーンなどを思い出す。
 『ウルトラセブン』(67年)第34話「蒸発都市」における、敵に操られることでレギュラーの怪獣攻撃隊の隊員たちに刃を向けてしまったウルトラセブンや発砲怪獣ダンカン戦なども思い出す。
 あるいは、東宝の広大な第7ステージだったかで撮影されたという、『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)と『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)第30話までに登場した、膨大な数のミニチュア建造物群なども思い出すのだ。


 今にして思えば、『エース』や『タロウ』の時期におけるミニチュア建造物は東宝美術部門の所有物であり、円谷プロの所有物ではなかったから、東宝ではなくやや狭い栄スタジオで撮影されるようになったという『タロウ』第31話以降のミニチュア群は、金銭を払って東宝美術から借り受けていたものだったのではないのかとも推測をする。もしも円谷の所有物であるのなら、毎回毎回壊したり捨ててしまっていたワケもないのだから、翌年度の『ウルトラマンレオ』(74年)でも、特撮背景美術として飾り付けて流用してもイイわけだ。
 73年秋の第1次「石油ショック」のあとの、物価高の中で製作された『レオ』ではそれが果たせずに、非常に閑散とした特撮背景美術の中での特撮バトルになってしまったことが、手前ミソで恐縮だけれども筆者の推測をウラ打ちするのだ。


 巨大ヒーローや巨大宇宙人の胸や肩の高さの前後といった、彼らの巨大感を表現するのにちょうどイイ塩梅の高さのビル街!
――彼らの身長よりも高いビルばかりだとウルトラマンや怪獣たちが高層ビルに囲まれてしまって貧相な感じがしてくるし、逆にビル群が巨大ヒーローの腹部よりも低かったら低かったで、今度はミニチュアビル群の方の存在感・質量感が減じてしまって貧相に見えてくるのだ――


 同じく東宝――正確には東宝本社から分社化した「東宝映像株式会社」――が円谷の下請けとして特撮を担当した後年の『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)の時代になると、ノウハウの蓄積なり内外からの批判もあったことを意識してか、カメラの手前には家屋などのミニチュアを「碁盤目状」ではなくランダムに「斜め向き」などで配置して「ナゾの広場」(笑)を隠すようにはなっている。しかし、『エース』や『タロウ』の時代においては、そのミニチュアの精巧さやその数の膨大さとはウラハラに、ビルの間には大通りではなくドッタンバッタン組んずぼぐれつ「怪獣プロレス」用の「ナゾの広場」がバレバレで見えてしまっていたものだ――平成以降のウルトラ作品においても実は「ナゾの広場」は存在はしているのだけど、それはうまく隠してみせている――。


 もちろん、こういったことは幼児であれば気にもとめないとは思うものの、小学校の中高学年ともなれば自然と気付いてしまうことではあるのだ。


 70年代末期の第3次怪獣ブームの時代、関東地方の小学生たちは平日早朝6時台のウルトラシリーズ再放送を早起きして夢中になって観ていたものだ。と同時に、『エース』#3の異次元人ヤプールよろしく


「子供が純真だと思っているのは人間だけだ!」


ではないけれど、こまっしゃくれたクソ生意気な同級生のガキどもは 「ウルトラ」が好きではあっても同時に作り物であることも充分にわかってはいて、そろそろ子供向け番組を卒業せねばならないという焦りや照れも入り混じっての、他の子供たちとの差別化心理なども働いてか、イキがったりワルぶったりして、


「広場ができてる〜」「広場がある〜」


などと小バカにしていたものでもあったのだ(汗)。


――筆者個人も小学校の中高学年ともなれば、「ナゾの広場」の存在には気付いていて、そういった不備などはもちろんスキではなかった。けれども、「ウルトラ」に対しては我ながら今にして思うに前近代的・古代中世的な宗教的忠誠心・封建的忠誠心のようなモノをいだくようなメンタリティを持っていた子供であって(笑)、まわりの子供たちのそのような小バカにした言動がイヤでイヤでたまらなかった。と同時に、そーいうあからさまにツッコミが入ってしまうような隙があるチャチなところは解消してほしいとも「子供心」に思ってもいたのだ(いや、「子供心」などと云いつつ、すでにもう本邦初のマニア向けムック『ファンタスティック・コレクション№2 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン』(朝日ソノラマ・78年1月25日発行・77年12月25日ごろ実売・ASIN:B0068ZH1VM)シリーズなどにおける記述なども充分に読み込んでいたから、充分に後年で云うところの「マニア・オタク」人種でもあったけど)――


 そう。「ナゾの広場」などではなく、両脇をビル街に囲まれている遠近感のパースも効いた、長いアスファルト舗装の車道の大通りなどを舞台にした、巨大超人や巨大怪獣たちによる巨大感にもあふれた戦闘! そのようなビジュアルを実現した実写特撮版の「ウルトラマン」作品こそが往時も子供心に観たかったものなのだ!


ナゾの巨大ヨロイ超人を圧倒的に強くカッコよく描いてみせる「アクション演出」!


 そのナゾの巨大超人がその両腕を大きく振り回す一定のポーズを取って、前方へと突き出した両手から猛烈な太っとい光線を放ってみせる!


「レーザーショット・アンドロメロス!!」


 ビビビビ〜〜〜〜〜、ドカ〜〜〜ン!!! ……我ながらここだけ文学的なレトリックもクソもない、子供じみた擬音表現になっております(汗)。


 コレは悪口・批判ではなく云うけれども、昭和のウルトラマンたちの光線は、あくまでも人類よりも進歩した超科学の申し子・未来科学の精霊たるスマートでクールなモノなのであって、光線自体は重さなどのある物質ではない熱線、もしくは質量・重さがない放射線なり科学的・物理的な光の粒子として表現がなされていたと思う。
 それが、平成以降のウルトラにかぎらず、80年代以降のマンガやアニメなどのジャンル作品では、もう60年代までの科学万能の時代が終わって久しかったせいか、光線自体を科学的・物理的なだけの存在とはせず、そこに光線ワザを放つ者の精神や気力・気合い・ド根性などといったドロくさい要素をオーバーラップさせていくようにもなっていく。


 本作短編アニメにおいても、ナゾの巨大超人による光線ワザ「レーザーショット・アンドロメロス」は光線、つまり一応は質量のない光、もしくはそれに類するものであるハズなのに、物理的・物質的・気合い・気功(笑)的な圧力と勢いをもって、ジャッカルの軍団長を大通りに沿ってはるか後方へとズルズルとスベらせていくのだ!
 先日に放映されたばかりの『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)#13「勝利への剣(つるぎ)」における坂本浩一カントク回でも、助っ人客演したウルトラマンビクトリーの強化形態・ウルトラマンビクトリーナイトが、長剣の刃の部分と剣を握った右腕の部分も含めた部分からタテ長の必殺光線を発射するや、それを浴びたマグマ星人が後方に地滑りしていったけど……。
 互いが互いをマネたということは両者の初公開の時期的にも絶対にアリエないことではあるのだけど、発想としては迫力のあるカッコいい映像を構築しようとすると、同じあたりに着地するということでもあったのだ。


 だからこのあたりの演出は、カテゴライズ的に分析してみせれば、60~70年代的な文法ではなく、80年代中盤以降のアクション演出の流儀だとは思うのだ。しかし、並の巨大ヒーローよりも強い存在が放った強い光線なのだ! といった表現はモーレツにカッコいいので、70年代っぽくはなくても無問題! むしろマニア諸氏も一般層でも大勢がナットクもしてしまう、カッコよさ&強さを両立した表現としても成立しているのだ!
 物事を顕微鏡的に眺めて、その微差を言語化して、作品の本質をより捉まえたいと思うような「腐れ評論オタク」としては、そのへんのニュアンスをも腑分けして成文化をしておきたいのだ(笑)。とにかくナゾの巨大超人の強さが、原作マンガ版以上に際立つアクション演出にもなっていた!


 そして、ヨロイの腹部にある飾り状の物体を取りハズすや、


アンドラン!!」


と叫んで、中空にブーメランのようにも放ってみせる!


 ウルトラセブンの頭頂部のトサカ部分を取りハズして放り投げる宇宙ブーメラン・アイスラッガーとほぼ同じ、だけれども若干(じゃっかん)は加工したような飛行音&切断音がして、宙に浮遊していたジャッカル軍団員たちを次々に一刀両断して爆砕していく!
 ……1万人にひとりくらいは異常者がいて、彼らに悪影響を与えてしまう可能性があるのであれば、切断ワザの「自主規制」も仕方がナイことだと個人的には思っているけど(汗)、今回は媒体が大勢の眼にふれるTV地上波ではないせいか、怪獣の触手などではなくヒト型のジャッカル軍団員たちなのに、その胴体が次々と、しかも腹部で真っ二つに切断されて爆発四散!!(イイのかよ!?・笑)


 そして、ヨロイの両肩から前方腹部に延びている細長い2本のサスペンダー(?)部分を上方に開扉するや、その先端から、


「アンドロレーザー・N75(エヌ・ななじゅうご)!!」


 ビル街の広大なる上空に放った細長い光線を左右に一閃! 宙に浮遊していた数十人のジャッカル軍団員たちは大爆発の猛煙の中に消えていく!


 ナゾの巨大超人の圧倒的な強さもさることながら、原作マンガにおいても、天才マンガ家・内山まもる大センセイの圧倒的な画力・デッサン力・レイアウト力によって相当程度まではすでに達成されていた、長大なビル街と広大な大空というパノラミックなスケールをも感じさせる「絵」が、アニメであってもついに実現!(感涙)


 続けて、巨大超人がその仮面をはぎ取って、ヨロイも無数のパーツへと分解、今で云うところのいわゆる「キャスト・オフ」(笑)で空中に飛ばして、その正体をも明かす!


「オレは宇宙警備隊、アンドロメダ星雲、支部・隊長! メロスだ!!」


 ♪ジャジャーン!! みたいな(笑)。


アンドロメロスの卓抜なる出自設定! オトナではなく小学生児童レベルでの知的・SF的好奇心を喚起せよ!


 我らが住まう銀河系の外に出て14万8千光年かなたをめざす、日本におけるジャンル作品のエポックメイキング作『宇宙戦艦ヤマト』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)よりも前、多分『ウルトラマンエース』(72年)や『ウルトラマンタロウ』(73年)の時期には、初代『ウルトラマン』#1などで語られてきたウルトラマンたちが所属する「宇宙警備隊」という組織が、ウルトラ一族の故郷である300万光年先のM78星雲のみならず、


 銀河系星雲
 アンドロメダ星雲
 M25星雲
 S・P5星雲
 L・P372星雲


などにも「支部」が存在するという、複数の銀河をもまたにかけた、おそらく円谷プロの作り手たちも、記事を監修していた満田かずほプロデューサー以外は知らないような(汗)SF設定が学年誌で次々と発表されていった。
――80年代以降にこのテのウラ設定を構築していたのならば、銀河系内のガス雲のことを「〇〇星雲」と呼称して、銀河系外の存在であって我らが住まっている銀河系とも同等の銀河のことを「○○銀河」と区別するようになったこととも連動して、「星雲」ではなく「銀河」と呼称したことであろうけど(笑)――


――学年誌の編集者などが勝手に作ったようにも云われてきており、たしかにそういったこともあったのだろう。しかし、当時の学年誌の記事や往時はよくあった小冊子付録などをオタク友達の厚意もあって実物やコピーなども取り寄せて読んでみせると、当時はまだ円谷プロに在籍していたオタク第1世代の特撮ライターにして、草創期のマニア向けムックにおいては「第1期ウルトラシリーズ至上主義」を流布してきたひとりでもあらせられる竹内博=酒井敏夫の巻末署名などもよく見かけるのだ。よって、氏もこの設定構築にはかなりの部分で関わっていたようにもお見受けするのだ。しかも、必ずしもイヤイヤやっているようには見えずにノリノリで書いているようにも見える(笑)。まぁ、同一個人の中にも矛盾・分裂した指向が併存していることは往々にしてあるのだろうけれども――


 そう。ウルトラマンシリーズにおける、そのウラ設定的な壮大なる世界観が今この『ザ・ウルトラマン』というマンガ作品の中では見事に活用されてもいたのだ! 宇宙警備隊の支部組織、そしてある意味ではウルトラ兄弟たちをも上回り、ゾフィー「隊長」とも拮抗しうる「支部隊長」という称号をも得た、格下の「弟」ではない新たなウルトラ戦士の登場なのだ!


 自身のオタク趣味への「自虐」ではなく云うのだけれども、このテのジャンル作品・娯楽活劇作品というものは、本質的には高尚な文芸作品などではないのだから、ポッと出のまったくの新設定による形勢逆転劇などなど、多少のご都合主義的なストーリー展開などはあってもイイのだろう。
 だが、できうれば作品外でのウラ設定ではあっても、すでに存在していたウラ設定を後付けでもパスルのピースをハメるかのようにして活かしていった方が、そこには一応の児童レベルでの知的快感なども発生するのだし、戦闘ヒーローそれ自身の「肩書き」(笑)によっての魅力倍増なども、即座にバトルシーンの盛り上がりにも直結するのであれば、それに越したことはないのである。
 そんな観点からも、この新超人ことアンドロメロスの設定がいかに卓抜であったことか――近年では後年の『アンドロメロス』(81年から小学館の各誌でマンガ&グラビアで展開。83年にビデオ特撮作品が地上波放映)と差別化するために、ウルトラマンメロスと呼称する方々が増えてきている模様だ――。



 残念ながら、今回の短編アニメでは中盤のクライマックスはここで「ブツ切れ」してしまい、イキナリ飛んでジャッカル星での最終決戦が映像化されている。


 今回の短編アニメでは惜しくも映像化は果たされなかったものの、「止め絵」でもよかったので、先のアンドロメロスvsジャッカル大軍団との大乱闘シーンの最中に、ウルトラ28人衆が例の変身巨大化時の右拳を硬く握って右腕を前方に突き出したポーズで、東京上空に一斉に出現(!)する2ページ見開きの壮観でパノラミックな図を、このアニメでも再現してほしかったものなのだけど!
――もちろん続けて、70年代当時には不可能であった(90年代後半の平成ウルトラシリーズ3部作の時代でもまだ困難であった)――、飛行・浮遊能力のあるウルトラ一族とジャッカル軍団員たち数十名が繰り広げる、東京上空に浮遊したままでの直後の大混戦なども再現してほしかったものだけど!――


 まぁ、そんな世代人たちの要望などは、作り手たちも百も承知であっただろうし、彼ら自身こそがぜひとも映像化したかったシーンであったとも思うので、「予算と尺の都合」で泣く泣く削ったのであっただろうとも推測はつくけれども、一応はやっぱり指摘はしておこう(笑)。


ただし、冒頭の初代ウルトラマンvs宇宙恐竜ゼットンとの再戦は、原作マンガ版よりもボリュームアップ!


 本作を鑑賞していると、娯楽活劇作品においては、「殺陣(たて)」、つまりは「アクション演出」といったものが、いかに大切であるのかについても、改めて痛感をしてしまうのだ。


 たとえば、この短編アニメの冒頭部では、原典の原作マンガ版ファンにとってはとても印象的な、のちにジャッカル大魔王自身が変身した姿であったことが判明する、初代『ウルトラマン』最終回にて初代ウルトラマンを打ち負かした強敵怪獣・宇宙恐竜ゼットンvs初代ウルトラマンとの、広大な宇宙空間を自由自在・縦横無尽に飛行をしつつ、バトルも繰り広げてみせていたという再戦で、しかし初代ウルトラマンが再び負けてしまったという衝撃的なシークエンスが長々と描かれていた。つまりは、古い世代人にとっては、この勝敗の決着はすでに見知っていて確定もしている既定路線でもあったのだ。


 でも、だからと云って、初代ウルトラマンが敗北をするという結論・落としどころはもう決まっているのだから、そのバトルの中間過程におけるシークエンスを膨らませたり、少々凝ってみせたり、アレンジを加えること自体がムダであり無意味でもあるのだ! などといったものでもないハズなのだ。


 「月刊連載マンガ」の文法においては、内山まもる大先生の手による原典マンガ版のようにウルトラマンvsゼットンとのバトルが一手・二手しかない程度での殺陣(たて)であってもOKであり、月1回分の連載の中で他にも語っておくべき必要事項がある以上は、そこに早く到達するためにもバトルの方を簡略化して、ストーリー展開の方をサクサクと先へと進めてみせるのが、むしろ妥当だったとも云えるだろう。


 しかし、「週刊連載マンガ」なり「映像作品」の文法においては、「ドラマ」や「ストーリー展開」ではなく、局所的な「アクション」描写だけでも都度都度の小さなクライマックスを構築していくことができるのだ。


 そうであればこそ、原作マンガ版におけるウルトラマンvsゼットンにおける一手・二手だけの攻防程度では、スナオに忠実に映像してみせたところでたったの数秒だけで終了してしまうので(笑)、それではあまりにもアッサリとしすぎてしまって淡泊にすぎるワケであり……。


 初代マンが弱すぎる! ではなく、ジャッカル大魔王が強すぎたのだ!! とお客さんにも思わせるためには、ドーするべきであったのだろうか?


 それは初代マンも相応には強いのだ! と思わせるような描写。たとえば、敵の攻撃を機敏に避けて瞬時に反撃してみせるような描写を、執拗に積み重ね・積み重ねして、強敵に対しても善戦するなり拮抗するなりといったシーソーバトルのシーンを、物足りなくはならないように、かと云って応酬場面が長くなりすぎてクドすぎてしまって飽きてこないように、この両者の狭間の中で適度な分量で挿入することが必要になっていくのだ。


 そして、この作品はその課題を見事に達成して、作品自体の冒頭のツカミとすることにも成功していたのであった……。


アンドロメロスvsジャッカル大魔王! 原典マンガの「アクション演出」は不充分だったのか!?


 終盤のアンドロメロスvsジャッカル大魔王の一騎打ちの膨らませ方、両者の設定を活かした多彩な変身や必殺ワザの存分な見せ合いの応酬の羅列なども、まさに本アニメ冒頭におけるウルトラマンvsゼットン戦の膨らませ方と同様の「アクション演出」かとも思われるのだ――どのようにして一挙手一投足を描写すれば、観客の心情を高揚させる「アクション」を構築できるのかについての心的な法則性!――。


 視聴者を「アッ」とか「オッ」とか「ハッ」などと細部でイチイチに驚かせたり、緊張させたりユルめたりして興味を引かせつつ、最終的には「あぁ。こーなったのかぁ!」といったような……。


 「アクション演出」といったモノも、作品をエモーショナルな次元で底上げするためにはいかに大切なモノであったことか? そのような模範例としても、この短編アニメを語り継いでいきたくも思うのだ。



 もちろん、だからと云って、今度はそのウラ返しとして、原典マンガ版の「アクション演出」の不備(?)をケナそうというのでもない。ソレは「月刊マンガ」と「週刊マンガ」、もしくは「映像作品」と「マンガ」との『文法』の違いに由来するモノであって、当時はアレでも充分に許容されていた! という事実はくれぐれも時代の当事者としては証言をしておきたい。
 数十年後の後出しジャンケンでの感想なのに、今の眼で見ると冒頭のウルトラ兄弟vsジャッカル大魔王との戦いが「少々、物足りない」などといった類いの現時点での感慨を、70年代当時の子供時代の感想とも織り混ぜたかたちで、選り分けずに未分化で語るような愚は犯すべきではないのだ。


 ではあるのだけど……。


少々の瑕瑾。ウルトラ兄弟vsジャッカル大魔王のラストバトル!


 コレは原典のマンガ版がそうであったから仕方がナイともいえるのだが……。子供のころから漠然と感じていた少々の不満を、この短編アニメで解消してほしかったともまた思ったりもしてしまうのだ。


・その1。ラストバトルの場にそろうのは、ウルトラ6兄弟のみならず、ウルトラマンレオとアストラも含めたウルトラ8兄弟であってほしかった(笑)。


・その2。もちろん、物語の最後にラスボスであるジャッカル大魔王がやっつけられるのは当然であるにしても、そのヤラれ方の「アクション演出」にはもう一工夫がほしかった。単なる6兄弟の合体光線だけでヤラれてしまうのでは、アレだけの強大さを誇ってきた強敵にしては、あっけないとも思ってしまうからだ。あと、もう一手か二手はほしかった!


 ここはひとつ、ウルトラ兄弟たちの必殺光線一斉発射を受けて一歩だけあとずさりをしてたじろくも、凌いでみせているジャッカル大魔王!


 すかさず、ウルトラ兄弟たちも第二打として、皆の前面に出てきたウルトラマンエースの頭頂部のトサカの円型空洞に向けてエネルギーを放射して、エースがトサカに充電されたエネルギーボールを両手に取って超特大の合体光球・スペースQを放ってみせる!


 しかしコレまた、ジャッカル大魔王の方もしばらくの間は踏みこたえてみせることで、彼の強さも描写する!


 そこに、『ウルトラマンレオ』本編でのウルトラキー絡みでの対ババルウ星人戦における失態を挽回するためにかレオ&アストラ兄弟が、件の原典マンガでは途中で忘れ去られてしまっていた当のウルトラキーを携えて、伏線を解消(笑)するかたちで見参!


 そして、レオ兄弟はトリガーを引いてウルトラキーから超強力な光線を発射する!!


 ようやっと、ジャッカル大魔王も堪えきれずに大爆発!!


 ……などといった「アクション演出」にしてほしかったとも思うのだ。


――スペースQでもダメージは与えられたものの決定打とはならなくて、センターをエースからタロウへと選手交代して、ウルトラ兄弟たちがウルトラマンタロウの左右のツノにエネルギーを照射して、充電されたタロウが両腕から最強のコスモミラクル光線を放つ! といったシークエンスを挟んでもイイ!(笑)――


 こーいうちょっとした「アクション演出」の積み重ねの描写で、その作品の「テーマ性」や「ドラマ性」などとはまったくの無関係でも(笑)、ジャッカル大魔王の充分な「強さ」を、そして彼をも上回ることができるウルトラ兄弟たちの一致団結によるさらなる「強さ」をも描けることにはなるワケで、それが視聴者の高揚とカタルシスをも増進させることにもつながっていくと信じるのだ。



 ……そういった小さな瑕瑾(かきん)はある。しかし、『スター・ウォーズ』(77年・日本公開78年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)封切以前の時代であった1975年に、すでにここまでの大宇宙をまたにかけたスペースオペラ的なビジュアルイメージを達成できていた作品があったことを、今の若いマニアたちにも改めて伝えておきたいのだ。


 70年代後半におけるマニア評論・特撮評論の草創期の時代で、「ウルトラ兄弟」や「ウルトラの国」の設定やウルトラマンたちに人間クサいキャラクターを付与することは「ウルトラマンの神秘性」を損なうのだとオタク第1世代がモーレツに批判していた当時にあっても、その下の世代の子供たちはそれとは真逆な「ウルトラ兄弟」や「ウルトラの国」の設定を宇宙規模レベルで十全に活用していた本短編アニメの原典マンガに夢中になっていたことも、時代の一証言として記録しておきたいのだ。
 そして、それから数十年後の今になって、同作を物の見事に理想的に映像化を果たしてみせた短編アニメが誕生したことも讃(たた)えておきたいのだ。


本作『ザ・ウルトラマン』の正史化への試みが実はあった!?


 余談。『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)のDVDライナーノーツにおける、メインライター・赤星政尚(あかほし・まさなお)のインタビューによると、ナント! 『メビウス』ではその中盤にて、実写でジャッカル大魔王の復活とアンドロメロスウルトラマンメロス)の登場編を構想していたとのことだそうだ!



「僕はボガール編(引用者註:『メビウス』初期10話分)のあと、ジャッカル大魔王復活編でメロスも来るよっていうのをやりたかったんですけど、十何話目でウルトラマン3人も出てこなくていいですと言われて(笑)」

(DVD『ウルトラマンメビウス』Vol.10(バンダイビジュアル・07年4月25日発売・ASIN:B000MTF2MU) 『メイキング・オブ・メビウスワールド Part2』・赤星政尚)



 惜しくも却下されてしまったが、コレが実現していれば、『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』はまごうことなきウルトラシリーズの正史になっていたハズである。
 世代人であれば、本作を正史扱いにしてほしいと願ったヒトは多かったハズである。今後、昭和ウルトラシリーズの世界観を引き継ぐ新作シリーズを作る際には、『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』のみならず、世代人には馴染みが深い1978年秋〜79年秋にかけて『コロコロコミック』に月刊連載されていた、かたおか徹治センセイのマンガ『ウルトラ兄弟物語』(ISBN:4575935875ASIN:B000J8GFFC)などもぜひとも正史にしてほしいものである。
 加えて、『ウルトラマン80』放映終了直後に、幼児誌『てれびくん』にて月刊連載された居村真二センセイの名作マンガ『ウルトラ超伝説』(81~86年・ISBN:4886531067ISBN:4886533647)なども正史に加えてほしいものである。


 『ウルトラマン80』#1「ウルトラマン先生」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1)の舞台が、1975年3月末の『ウルトラマンレオ』終了以来、5年ぶりに怪獣が出現したという世界観であったことと矛盾が生じてしまうって? ……『ウルトラ兄弟物語』のシリーズ途中で地球にも出現した宿敵・スペースサタンキングは怪獣ではなく宇宙人だったので矛盾にはならないだろう(笑)。


 『ウルトラマンメビウス』#1「運命の出逢い」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060625/p1)の舞台が、1981年3月末に放映された『ウルトラマン80』最終回「あっ! キリンも象も氷になった!!」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210315/p1)以来、25年と2週間ぶりに怪獣が出現した世界であったこととの矛盾が生じるって? ……『ウルトラ超伝説』の冒頭にて地球上に出現したのも怪獣ならぬ悪の異次元超人エースキラーだったし、『ウルトラマン80』最終回直後の時期が舞台ではあったので、コレもまたギリギリで矛盾は生じていないという解釈もできるハズだ(笑)。



 本作の原典であるマンガ『ザ・ウルトラマン』への約35年後のオマージュでもあった、ウルトラマン映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101224/p1)からのフィードバックも本作には見られる。
 ウルトラ一族の故郷には、地球上に出現した赤い体色中心のボディーの持ち主のみではなく、青い体色中心のボディーの持ち主もいるとして描かれた映画『ウルトラ銀河伝説』での描写を受けてのものだろうが、はるか後年に映像化されたこの実写映画との後付け的な整合性をも取ってくれていて、この短編アニメ版『ザ・ウルトラマン』においても、ウルトラ一族の一般兵士の半分程度は青いボディーの持ち主として描かれていたこともまたグッドであった!


――大むかしの学年誌や子供向け豆百科、あるいは比較的近年の『ウルトラマンメビウス』における青いウルトラマンことウルトラマンヒカリを指して語られた、「青いボディーの持ち主は、戦士の職業者である『宇宙警備隊の隊員』ではない!」などという設定とは少々の矛盾が発生しているかもしれないけど(汗)。青い戦士は実は『宇宙警備隊の「見習い」隊員』でもあったのだった…… などと好意的に解釈してみせれば、この矛盾も解消するであろう!?(笑)――


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年晩秋号』(15年11月15日発行)〜『仮面特攻隊2016年号』(15年12月30日発行)所収『ザ・ウルトラマン ジャッカル対ウルトラマン』評より抜粋。後半部分はブログUPに際して新規書き下ろし)


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