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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ ~反核・恐怖・悪役ではない正義のゴジラが怪獣プロレスする良作!

『ゴジラ評論60年史』 ~二転三転したゴジラ言説の変遷史!
『キングコング:髑髏島の巨神』 ~ゴジラ・ラドン・モスラ・ギドラの壁画も!
『GODZILLA』2014年版 ~長年にわたる「ゴジラ」言説の犠牲者か!?
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』 ~反核・恐怖・悪役ではない正義のゴジラが怪獣プロレスする良作!

(2019年5月31日(金)・封切)


(文・久保達也)
(2019年6月13日脱稿)

空前のゴジラブーム再び!?


 ギャレス・エドワーズ監督による映画『GODZILLA ゴジラ』(14年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)で、ゴジラシリーズが映画『ゴジラ ファイナル ウォーズ』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)以来、実に10年ぶりに復活した。
 それ以降、かのロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(95年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)総監督による映画『シン・ゴジラ』(16年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)に、深夜アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120527/p1)や『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)のメインライターとして知られる虚淵玄(うろふち・げん)が脚本を務めたアニメ映画『GODZILLA 怪獣惑星』(17年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1)にはじまる三部作と、この5年間は毎年のように、新作ゴジラ映画が観られる状況がつづいている。
 先述した『GODZILLA ゴジラ』で劇場を埋めつくした客はもうあきれるばかりに中年のオッサンばかりで、そこにオバサンとおじいさんがわずかに混じるという惨状(笑)だったのだが、これはまる10年間も新作ゴジラ映画が製作されなかったために、ゴジラの商品的価値が完全に地に堕(お)ちていた当時を象徴するものだった。


 それがあの庵野監督がゴジラを撮る! といった話題性のみならず、そこで描かれた政界ドラマを左右の政治家連中をはじめ識者やマスコミが大絶賛、怪獣映画としては異例の82億5千万円(!!)もの興行収入をあげた『シン・ゴジラ』を契機に、世間は一転してゴジラに注目することとなった。さらにゴジラがアニメ映画の三部作として製作されたことも、それまでゴジラを知らなかった、あるいは無関心だった若者たちを誘致するには一定の効果をあげてきたかと思える――ちなみに『GODZILLA ゴジラ』は32億円にとどまった――。
 今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を筆者は公開初日のレイトショーで鑑賞した。金曜日の夜だったこともあってか昔からの熱心な中年ゴジラファン以上に一般のカップルや老夫婦(!)などの姿も多く見られ、若者たちも男子のみならずひとりで観に来た女子も目立ち、それもオタではないであろうフツーにリア充に見える娘までもがいたほどだった。
 わずか5年前に公開された『GODZILLA ゴジラ』の当時とは隔世(かくせい)の感があった。まさに「継続は力なり」というべきであり、映画『ゴジラVSデストロイア』(95年・東宝)と映画『ゴジラ2000(にせん) ミレニアム』(99年・東宝)の間に生じたたった4年のブランクが、いわゆるミレニアムゴジラシリーズ(99~04年・東宝)の興行を低迷させる要因となったことを思えば、今後もゴジラ映画を継続して製作・公開していく必要があるだろう。


「モンスター・ヴァース」=怪獣世界シリーズ最新作!


 さて、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は先述した『GODZILLA ゴジラ』の続編なのだが、ゴジラが主役ではなくアメリカの「キング・オブ・モンスターズ」=怪獣王・キングコングが主役の映画『キングコング:髑髏島の巨神(どくろとうのきょしん)』(17年・アメリカ・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170507/p1)とも世界観を共有した続編でもある。
 『髑髏島の巨神』のエンドタイトル後の映像にて今回登場する怪獣王ゴジラ・宇宙超怪獣キングギドラ・巨大蛾(が)モスラ・空の大怪獣ラドンが描かれた太古の壁画が登場することがまさに本作の予告編の役割を果たしており、『GODZILLA ゴジラ』にはじまる一連の作品群を製作側では「モンスター・ヴァース」、直訳すると「怪獣宇宙」=「巨大怪獣たちが存在する作品世界」のシリーズと名づけていることから、正確には本作はその第3弾にあたるのだ。
 先述したミレニアムゴジラシリーズの興行が低迷したのは、毎回世界観がリセットされてしまい1作1作が独立した作品となっていたために、観客がシリーズを歴史系譜的に追いつづける楽しみを奪われていたことも大きかったのであろうし、それぞれが主演作品を持つアメコミヒーローたちが活躍する舞台を同一世界として時に大集合もさせる映画『アベンジャーズ』シリーズ(12年~・アメリカ・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)が2010年代の現在では大ヒットしているのだから、ゴジラキングコングの世界観をクロスオーバーさせた今回の作劇の手法は、戦略的には実に正しいものだともいえるだろう。


 先にも記した通り、「モンスター・ヴァース」とは「巨大怪獣たちが存在する作品世界」のシリーズのことである。こういうカタカナ言葉を使うと新奇な感じがしてくる。しかし、そもそもの昭和の時代のゴジラシリーズや東宝特撮映画にしてからが元祖「モンスター・ヴァース」でもあったのだ!
 元祖の映画『ゴジラ』(54年・東宝)や映画『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)や映画『モスラ』(61年・東宝)はそれぞれが別個の独立した作品であった。それが『モスラ対ゴジラ』(64年・東宝)では2大怪獣を対決させた。同年のゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)では早くもゴジララドンモスラを共演させることで 後付けでもそれぞれの作品が同一世界の物語であったことにした。
 ゴジラ映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)に至っては、映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)や『海底軍艦』(63年・東宝)の海竜マンダや『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(65年・東宝)のバラゴンや『キングコングの逆襲』(67年・東宝)のゴロザウルスなどが登場することで、これらの東宝特撮映画までもがすべて同一世界の出来事であったとされたのだ!


 しかし、1970年代に青年年齢に達した第1世代の特撮マニアたちによるゴジラ映画を論評する論法では、ゴジラが人間に敵対する悪の存在から人間に味方する正義の存在へと変化して悪の怪獣と戦うようになっていったことを「堕落」として捉えた。
 そして、その原因を、怪獣映画がシリーズ化したことで、ゴジラや怪獣が観客や劇中人物たちにとって「未知」ではなく「既知」の存在となって、その「恐怖性」を失ったためであるとした。それゆえに「怪獣と人類との1VS1の初遭遇」という「1回性」を過剰に重視することで、同一世界を描く「続編」や「シリーズ化」を批判するようになっていく。
 怪獣と怪獣が対決する「怪獣プロレス」路線なんぞは、怪獣を「擬人化」して描くことで「既知」の存在そのものとしてしまうことで、怪獣の「恐怖性」を最も失わさせる悪行として徹底的に忌避(きひ)もした。
 1970年代末期から2000年代初頭に至るまでの特撮論壇では上記のような論調が主流であり、ゆえに興行的には大ヒットを記録していて当時の児童たちにも高い人気を博していた平成ゴジラシリーズも、その本格志向でありながらもやや粗(あら)がある作品内容についてのみならず、またも「昭和」のゴジラシリーズのように「同一世界でのシリーズ化」に陥(おちい)ったことそれ自体が間違っている! として批判する第1世代の特撮マニアたちは実は当時は多かったのであった――まぁ、今でもあの『シン・ゴジラ』に対してさえも、そのセンスある特撮映像や畳みかけるようなテンポのよい演出の方で評価するのではなく、ゴジラしか怪獣が登場せずに怪獣対決が描かれていないから良いのだとして評価を高くするような論法を展開する、あいかわらずの旧態依然な輩(やから)も少数ながらいたことはいたけれど(笑)――。


 だが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下した直後からゴジラが目撃されるようになったと設定したほどに、


「最高の恐怖」・「テーマは『リアル』」・「1954年の第1作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」


がキャッチコピーであった、あの5年前の『GODZILLA ゴジラ』の続編であるのにもかかわらず、そのテイストはまったく相反するものであり、まさに怪獣対決=「怪獣プロレス」を前面に押しだした、きわめてエンタメ色の強い作風となっていたのだった。


 人間側の主人公は、生物の生体音を流すことでその行動を操作することが可能な装置・オルカを大学時代に共同で開発し、その後結婚して息子と娘をさずかるも2014年にサンフランシスコで起きたゴジラVS怪獣ムートーの戦いで息子を失い、怪獣に対する考え方の違いで離婚した、ともに生物学者のマーク&エマのラッセル夫妻と、その12歳の娘・マディソンである。
 この一家が怪獣災害に巻きこまれる中で心の変遷(へんせん)や関係性の変化が生じた末に家族再生を果たすという、近年では『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180826/p1)などでも見られた、いわばホームドラマ的な展開を主軸に据(す)えている。
 そして彼らを取り巻く存在として、先述したように広島原爆投下直後から謎の巨大生物が目撃されたのを契機に1946年に実在したトルーマン大統領(!)によって秘密裏(り)に設立された、世界中に前進基地を置いて怪獣たちの動きを監視する未確認生物特務機関・モナークが、『GODZILLA ゴジラ』と『キングコング:髑髏島の巨神』にひきつづいて登場することで、両作を観ている観客であれば「世界観の共有」を印象づけている。
 生物学者であり『GODZILLA ゴジラ』につづいて登場する今や国際スターとなった渡辺謙(わたなべ・けん)が演じる芹沢猪四郎(せりざわ・いしろう)博士をはじめとする科学者陣と、黒人女性のダイアン・フォスター大佐が率いるG(ジー)チームなる武装部隊とで、先のモナークは構成されており、それぞれのゴジラや怪獣たちに対する思惑(おもわく)の違いも描かれていく――ちなみに、芹沢猪四郎とはもちろん、『ゴジラ』第1作のもうひとりの主人公・芹沢大助博士と、「昭和」の東宝特撮映画の多数を監督した故・本多猪四郎(ほんだ・いしろう)をかけ合わせたネーミングであるのは、ゴジラシリーズのマニアであればご承知の通りである――。
 そして人間側の悪役として登場するのは、元イギリス軍の大佐であるも現在は多数の傭兵(ようへい)を従え環境テロリストとして暗躍するアラン・ジョナである。先述したオルカで怪獣たちを操って世界を支配することをたくらみ、エマ&マディソン親子を拉致(らち)してエマ女史に自身の野望への協力を強要するのだ。


*「怪獣プロレス」を盛りあげるための「ホームドラマ」!


 これだけ多数の人間キャラが登場すればその群像劇を観ているだけでも充分におもしろい。先述したゴジラのアニメ映画三部作もそうだったが、ゴジラの登場がやや少なかったことが正直個人的には全然不満に思えないほどだった。
 アニメ映画三部作は熱心なゴジラファンからすればやはりそれが難点だったのだろうが、かの『シン・ゴジラ』もゴジラの登場場面はかなり少なかったのであり、その政界群像劇を絶賛しておきながらゴジラアニメ三部作を批判するのは、おもいっきりのダブルスタンダードにも思える(笑)。


 それはさておき、先述したように本作は科学者夫妻とその娘が中心となるホームドラマ的な展開であるのみならず、環境テロリストのアランに積極的に協力し世界各地を怪獣に襲撃させたエマ女史のマッド・サイエンティスト的なエキセントリックさがキモでもある。
 それこそ『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)に登場した藤宮博也(ふじみや・ひろや)=ウルトラマンアグルをはじめ、90年代後半から00年代前半の特撮作品にありがちだった「人類は地球を汚すガン細胞だから滅ぼすべき」(笑)といったセリフをモロに放つ描写まであるほどなのだ。
 だが、ホームドラマ的な展開が世界観を矮小(わいしょう)化するワケでも、人類批判セリフによって陰鬱(いんうつ)な作風に陥(おちい)ることもないのは、本作の人間ドラマが怪獣対決=「怪獣プロレス」の魅力を阻害しないかたちで点描されているというよりかは、むしろ「怪獣プロレス」を盛りあげるためには欠かせない要素に達するまでに昇華がされていたからだ。


 先に今回の本編部分をホームドラマ的な展開と書いたが、それは決して1970年代に日本のテレビドラマ界で隆盛を極めていたホームドラマを揶揄(やゆ)して当時そう呼んだようなお茶の間での「メシ食いドラマ」(笑)ではなかった。
 もちろん冒頭ではマディソン嬢が実の父・マークから来たメールへの返信に夢中だったために、付けっぱなしのガスレンジで朝食を焦(こ)がしてしまう……なんていうベタな「日常」シーンなどが描かれるのだが、中国の奥地にあるモナークの基地にエマ女史が呼び出されて以降は、ラッセル家はマークもエマもマディソンもほぼ「非日常」の世界に放りこまれたままとなり、家族の心の変遷や関係性の変化はそこで描かれていくのである。


 それは娘であるマディソンの描写に最も色濃く表れている。
 中国のモナーク基地でモスラの卵が突然孵化(ふか)して芋(いも)虫のようなモスラの幼虫が基地内で暴れはじめ、幼虫の口からの粘液(ねんえき)で大勢の隊員が固められたり巨体に吹っ飛ばされたり瓦礫(がれき)の下敷きになったりしているのに、エマがオルカを発動させるやモスラがおとなしくなったことで、当初はマディソンは母・エマの研究に敬意を表して満面の笑(え)みでエマと抱き合うのである――多数の隊員が目前で非業の死を遂げていたのにも関わらずである! 母よりかは常識人なようでも、この娘もまた母の血をひいている(笑)――。
 だが、その後エマとマディソンはアランが率いる傭兵たちによって奴らが占領したモナークの南極基地に監禁されてしまう。そこに夫であるマークがモナークの主要キャラたちと救助に来るも、エマは夫による救助を拒絶するどころか学術的興味を優先して基地で氷漬(づ)けにされていたキングギドラを起動させ、エマの夫でありマディソンの父であるハズのマークを絶体絶命の危機に追いやってしまう! この行為でさすがにマディソン嬢でさえも次第にエマ、そしてエマの研究に対して疑念の目を向けるようになっていくのだ。
 そして決定打となったのは、メキシコの火山で眠っていたラドンをエマが起動させたことだ。せめて住民の避難が完了するまで待ってほしいとのマディソンの頼みに、エマが耳を貸さずにオルカでラドンを眠りから覚ましたことで、映画『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)に登場したファイヤーラドンのように全身がマグマの熱で燃えたぎったラドンの急襲により、麓(ふもと)の市街地は壊滅してしまうのだ!
 ここに至り、ついにマディソンは「ママこそモンスター!」だとしてエマと彼女の研究を非難し、ひそかにオルカを持ち出して、アランたちのアジトからただひとりで脱出するのだ。カットによっては少年のようにも見えるマディソンを演じる黒髪ショートヘアのミリー・ボビー・ブラウンは本作がスクリーンデビューだそうだが、その演技はとてもそうとは思えないほどに絶品かと思えた。


 このように、ラッセル家の心の変遷や関係性の変化は、怪獣の出現・大暴れ・対決といった「特撮」の見せ場と分離して並行することなく、常に連動するかたちで描かれており、「本編」の「ホームドラマ」と「特撮」の「怪獣プロレス」のクライマックスが渾然(こんぜん)一体となって盛りあがるように組み立てられているのだ。これは近年の「平成」仮面ライダーシリーズなどとも同じ手法だともいえるだろう。


*「怪獣プロレス」至上主義のオタ監督(笑)


 もちろん今回の怪獣たちも、日本の怪獣映画の伝統として用いられてきた怪獣の着ぐるみを着用したスーツアクターによる演技ではなくCGで描かれている。しかし、特にゴジラキングギドラのデザインや動きは巨大怪獣というよりは中に人が入った怪獣の着ぐるみをリアルに再現しているかのような印象が強いのだ。
 たとえばキングギドラをCGで描くのなら、先述したアニメ映画版三部作の最終章・『GODZILLA 星を喰(く)う者』(18年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181123/p1)に登場したギドラのように、全長20キロメートル(!)もある超巨大な竜だとか、半透明で実体のない高次元エネルギー体だとか、その気になればもっと自由奔放(ほんぽう)なイメージにすることもできたハズだ。


 だが、今回登場したキングギドラは、デビュー作となったゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』以来、「昭和」「平成」のゴジラシリーズで継承されてきた3本の首・2本の尾・巨大な羽根のスタイルを踏襲(とうしゅう)しており、映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)に護国聖獣として設定を改変されて登場したキングギドラほどではないにせよ、首や足がかなり太めなマッチョなスタイルなのだ。
 そして、マークたちの危機に颯爽(さっそう)と駆けつけたゴジラは、南極に上陸するやいきなりキングギドラの首を両腕でかかえこみ(!)氷原にたたきつけたのだ!
 筆者はこの場面を観て、本作の脚本も担当したマイケル・ドハティ監督が今回描きたかったのは「怪獣対決」ではなくあくまで「怪獣プロレス」であり、そのためにはキングギドラは先述した『星を喰う者』のギドラのようにあまりにもデカすぎるとかファンタジックなイメージではなく、それこそ中にマッチョなアクターが入っているかのような「人間体型」でなければならなかったのだろうと直観したものだ(笑)。


 本作ではキングギドラは「モンスター・ゼロ」と呼称されている。古い世代のマニアであれば、映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)に悪役として登場した、自分たちも名前という固有名詞を持たずに、すべての生物を番号で呼んでいたX(エックス)星人が、キングギドラを「怪物0(ゼロ)」と呼称していた描写を引用したのだと、即座に気づいたことだろう。
 『怪獣大戦争』は彼の地ではかつて『GODZILLA VS.MONSTER ZERO(モンスター・ゼロ)』なるタイトルで公開されていたことは、われわれ年配の特撮マニア間では往年のマニア向け書籍などで目にしていた有名な話である。つまりは、アメリカではキングギドラの「モンスター・ゼロ」なる別名義は、作品タイトルでもあったくらいなのだから、むしろ日本以上にポピュラーだったようである。
 ちなみにX星人はゴジラを「怪物01(ゼロワン)」、ラドンを「怪物02(ゼロツー)」と呼んでいたのだが、たったそれだけの描写がX星人が地球外生命体であることを濃厚に感じさせ子供心をワクワクさせたものであり、幼いころにゴジラ映画に感じたそんな童心レベルでのSF的ワクワク感を、ドハティ監督は本作に徹底的にブチこんでいるようにも思えるのだ。


 ラドンが市街地に巻き起こした衝撃波でメキシコ軍の軍人たちが必死に樹木にしがみつきながらも吹っ飛ばされてしまう描写は、映画『空の大怪獣ラドン』の福岡襲撃場面を彷彿(ほうふつ)とさせるが、ここで市街地の広告看板がやたらと目立つのは、『ラドン』の該当(がいとう)場面にあった「森永ミルクキャラメル」とか「お買い物なら新天町」などの看板群に対する明らかなオマージュなのだろう。
 そもそもラドンの造形――あえてこう書く――や動きも、そのモチーフとなった実在した翼竜プテラノドンのようなシャープなイメージではなく、『ラドン』で使用されたギニョール(ラドン型の人形)を操演で動かす演出をワザワザ再現しているかのようである(笑)。
 戦闘機のコクピットからの主観映像と、ラドンが蝶(ちょう)のように舞い、蜂(はち)のように戦闘機群を次々に撃墜させていく描写を交錯させた演出もまた然(しか)りだ。


 キングギドラが目覚めたのを機に、世界各地で17匹(!)もの怪獣がいっせいに暴れだすのは、もはやゴジラ映画『怪獣総進撃』や『ゴジラ ファイナル ウォーズ』のうれしいパクリとしかいいようがないのだが、怪獣たちの中には先述した『キングコング:髑髏島の巨神』に登場したキングコングや巨大グモのバンブー・スパイダー、『GODZILLA ゴジラ』に登場したムートーらが含まれており、本作がそれらのれっきとした続編であることを強調しているのは実に好印象である。
 幻想的で優雅(ゆうが)な巨大羽根などの昆虫らしさをCGでリアルに描いたモスラが成虫と化す場面では、映画『モスラ』でインファント島の小美人が歌唱して以来、「昭和」から「平成」に至るまでモスラのテーマ曲として継承されてきた「モスラの歌」のメロディが流れ、ボストンでのゴジラVSキングギドラのラストバトルでは、とうとう故・伊福部昭(いふくべ・あきら)作曲の「ゴジラのテーマ」までもが流れてしまった!
 先述した『シン・ゴジラ』でも、『エヴァンゲリオン』の音楽を担当した鷺巣詩郎(さぎす・しろう)による劇伴(げきばん)が流れる中、庵野総監督も往年の東宝特撮映画の伊福部劇伴を多数流していたが、ドハティ監督のオタクぶりはまさに庵野氏に匹敵するといったところか?(笑)
 その『シン・ゴジラ』や『ゴジラVSデストロイア』のクライマックスバトルを踏襲するかのように、最後はついに本作のゴジラも全身が真っ赤に発光するバーニングゴジラと化してしまいましたとサ(爆)。


アメリカで流通した「ゴジラ観」とは?


 まぁ、アメリカではすでに1960年代の昔から、ケーブルテレビにてゴジラ映画をはじめとする日本の特撮怪獣映画が再三放映されており、かのスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスティム・バートンといったハリウッドの巨匠(きょしょう)たちも、それを機にゴジラに夢中になったそうである。
 1974年生まれのドハティ監督もまた幼いころから日本のゴジラ映画を観ていたようだが、先述した巨匠たちが若かったころには当然ながらアメリカではまだ放映されるハズもなかった、娯楽志向や子供向けの作風が強まりゴジラが悪役から正義の味方へと次第にシフトしていった60年代後半から70年代前半の「昭和」の後期ゴジラシリーズにもふれていたことが、「怪獣プロレス」をウリにした今回の『キング・オブ・モンスターズ』の作風に影響を与えていたのかもしれない。


 なお、かつて『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』(JICC出版局(現・宝島社)・85年1月1日発行・ASIN:B00SKY0MJW)に掲載された「ゴジラ映画30年史」と題したコラムにて、


「ついにゴジラにガキまでできた。もうゴジラもダメである」(笑)


とされた映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(67年・東宝)や「ゴジラシリーズ最低の内容である」とされた映画『ゴジラ対メガロ』(73年・東宝)など、80年代から90年代の日本の特撮評論では「駄作」扱いされてきたそれらの作品も、アメリカではリピート率が高かったためか結構人気があったそうである。


 もちろん国民性の違いもあるのだろうが、ドハティ監督にかぎらず、少なくともアメリカではゴジラは「反核」の象徴だの「恐怖」の対象だの「悪役」の怪獣だのと認識されていたワケではなかったのは確かだろう。そもそも人類の脅威として描かれた『ゴジラ』第1作が全米で初公開されたのは意外や意外、なんと日本の封切から50年後(!)の2004年のことだったのだから!――1956年にアメリカで公開された映画『GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!(ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ!)』は、『ゴジラ』第1作から核兵器に関するくだりをすべて削除し、ハリウッド俳優の出演場面を加えた「改変版」にすぎなかった――


 ちなみに日本で第3次怪獣ブームが起きていた1978年、つまりドハティ監督が4歳のころに、アメリカの有名なアニメ製作会社ハンナ・バーベラ・プロダクションによる『Godzilla』と題したテレビアニメの放映がスタートしている。
 その内容は、「人間の味方」の怪獣王・ゴジラが、映画『大怪獣バラン』の主役怪獣・バランのように手足の間の皮膜(ひまく)で空を飛べる親戚(しんせき)怪獣(笑)・ゴズーキーや、調査船・カリコ号の船長や乗組員たちと人間の言葉で会話をしながら(爆)世界を旅する中、さまざまな怪獣や古代恐竜、雪男に宇宙人、はたまた犯罪組織やクローン人間などと対決するというものだったそうだ(笑)。
 ここで描かれたゴジラは、たしかに「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなく、おもいっきりの正義のヒーロー怪獣だったのだろう。


 同作がアメリカで放映されていたころは、日本でも第3次怪獣ブームだったので東宝怪獣映画やウルトラマンシリーズが盛んにテレビで再放送されていた。そして、当時発行された初期東宝特撮や第1期ウルトラシリーズの至上主義者たちが執筆した本邦初のマニア向け商業本『ファンタスティックコレクション』シリーズ(朝日ソノラマ・77年~)などをまだ読めるハズもなかった当時の就学前の幼児や小学校低学年の子供たちは、そんなマニア向け書籍の影響を受けることも「初期」だの「後期」だの「第1期」だの「第2期」だのと区別することもなく、「ゴジラ」も「ウルトラマン」もすべてのシリーズ作品をありがたく享受(きょうじゅ)していたのだ。
 そんな彼らと同世代のドハティ監督が、旧来のゴジラファンからすればとんでもアニメとしか思えない『Godzilla』を幼少時に「これがゴジラだ」とありがたく受け入れて、氏の「ゴジラ観」が形成される中で多大な影響を及ぼすこととなった可能性も充分に考えられるだろう(笑)。


*ドハティ監督が「怪獣プロレス」にこだわった理由とは?


 今回の『キング・オブ・モンスターズ』で『ゴジラVSメカゴジラ』のファイヤーラドンや『ゴジラVSデストロイア』のバーニングゴジラに対するオマージュが見られたことから、ドハティ監督はわれわれ日本の特撮マニアたちのように20歳(はたち)を過ぎても新旧のゴジラ映画を観つづけてきたオタッキーな御仁であることは明らかなのだが(笑)、映画『ゴジラVSビオランテ』(89年・東宝)から95年の『ゴジラVSデストロイア』に至る「平成」ゴジラシリーズでは、「昭和」の時代と違って高層の建築物が激増したのを背景に、作品を重ねるごとにゴジラの身長と体重が巨大化する一方となり、その着ぐるみはかなり重量感を増した造形となっていた。
 ゆえに撮影現場ではスーツアクターが思うように動けなかったことから、「平成」ゴジラシリーズの故・川北紘一(かわきた・こういち)特撮監督はその代わりとして、光線や熱線をはじめとする怪獣たちの必殺技を作画合成でハデに描く演出を優先したところもあったのだろう。


 だが……



「平成になってから、どうも怪獣同士の取っ組み合いが少ないような気がするのですが。たとえば、ガバラ――映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年・東宝)の敵怪獣――を一本背負いしたり(会場笑)、キングコングに蹴(け)りを食らわせて崖(がけ)から突き落としたりですね、あれやっぱりいいんですよ。ああいうのをやってほしいなと思うんですが」

(『ゴジラ/見る人/創る人 ―at LOFT・PLUS・ONE トークライブ』(99年12月26日発行・ソフトガレージ・ISBN:4921068453) ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」)



 これは東京の新宿・歌舞伎町(かぶきちょう)にあるロフトプラスワンで、1999年3月18日に開催された特撮ライター・ヤマダマサミ主催の「ゴジラ復活祭」と題したトークライブ第1回にて、当時の東宝映画プロデューサー・富山省吾(とみやま・しょうご)に対してファンから出された一般客からの意見である。先述した「平成」ゴジラシリーズの特撮演出を「光線作画の垂れ流しばかりでおもしろくない」とする批判の延長として、かつては怪獣映画が幼稚になった諸悪の根源としてさんざんに非難されてきた「怪獣プロレス」をその逆に改めて肯定(こうてい)してみせるものでもあったのだ。
 ホントにマニアは勝手だが(笑)、当時20代半ばとなっていたドハティ監督もやはりマニアのはしくれとして「平成」ゴジラシリーズにはこれと同様の感想を抱(いだ)いていたのかもしれない。
 本作のゴジラは先述したアニメ映画三部作のゴジラのように森林が生(お)い茂った巨大な山が動いていると思えるほどにかなりマッチョなスタイルだが、ドハティ監督は重すぎてあまり動けなかった「平成」ゴジラのデザイン・造形をわざわざ再現しつつも、故・川北特撮監督に代わってデカくて重たそうな着ぐるみ型のゴジラをCGで自在に動かして怪獣プロレスさせるリベンジをやらかしたのではあるまいか!?


 もちろんCGを駆使して描かれた、青白く発光するゴジラの背びれ、空のキングギドラに向かってゴジラが首を真上にして(!)口から放つ青白い放射能火炎、キングギドラの全身に常にほと走る金色のイナズマ、マグマの高熱で全身が真っ赤に染まったラドンなどの描写は、『ウルトラマンA(エース)』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070430/p1)第21話『天女の幻を観た!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20061009/p1)で実にハデな必殺技を多数描いた特撮演出デビュー以来、カラフルな作画合成を得意としてきた故・川北特撮監督に対するリスペクトとも解釈できる演出である。そして、ゴジラを「青」、キングギドラを「金」、ラドンを「赤」とするなど、カラーイメージの統一にも成功しているのだ。
 また、高熱を体内に有したキングギドラの周囲では常に雷雲が発生するために気象レーダーではその姿が台風の渦巻き雲や目(!)のように表示されるとか、その設定をきちんと劇中で踏襲しつづけてキングギドラゴジラとの最終対決も含めた活躍場面が常にその暴風雨の中で描かれるのは、CGの利点を駆使したビジュアル的なハデさのみならず、氷漬けのキングギドラが南極基地で発掘されて鉄骨に囲まれた設備で格納されていたこととともに、かつての東宝怪獣映画の魅力だった疑似(ぎじ)科学性をも継承したものだといえるだろう。
 さらにゴジラキングギドララドンの巨大な目を登場人物たちの背景に据えて描くことで怪獣の「恐怖」をあおったり、ラドンとの対決で勝利したキングギドラが麓の街が壊滅したメキシコの火山の頂上で勝利の雄叫(おたけ)びをあげるさまをロング(ひき)でとらえたカットで画面手前に教会の十字架を大きく描いた「滅びの美学」的な演出には――個人的にはキングギドラのカッコよさが最も感じられたカットだ――、初期東宝特撮至上主義者である古い世代のマニアたちもおもわず注目するほどの出色の出来に仕上がったとも思える。


*芹沢博士に自己投影した特撮マニアの『ゴジラ』第1作へのリスペクト


 もちろん『ゴジラ』第1作への原点回帰を狙った『GODZILLA ゴジラ』の続編である以上は、やはり原点に対するリスペクトも見られないワケではないのだが、そちらは実にあっさりと済まされている感が強い。
 たとえば冒頭の議会の中で、モナークによる怪獣の生態や研究調査の報告・成果などの発表に対し、年配女性の議長が「小学生が喜びそうな講義をありがとう」とあからさまにバカにした態度を見せて議場で笑いが起きるさまは、『ゴジラ』第1作での初老の生物学者・山根恭平(やまね・きょうへい)博士の発言が国会で嘲笑(ちょうしょう)される場面を彷彿とさせるものだろう。ただ、科学者の言動が政界や自衛隊・マスコミなどの人間に嘲笑されるのは、『ゴジラ』第1作にかぎらず「昭和」の東宝特撮映画では定番だったものであり、これはむしろ東宝特撮映画全体に対するオマージュであるとも解釈できるものだ。


 中盤でキングギドラをはじめとする怪獣たちを殲滅(せんめつ)する超兵器として登場する、『ゴジラ』第1作のラストで芹沢博士が使用したのと同じ名の「水中酸素破壊剤」こと「オキシジェン・デストロイヤー」も、アメリカ海軍のウィリアム・ステンツ大将があまりにもフツーにかつ唐突(とうとつ)にそれを登場させるためにさほどの感慨もわかないくらいである――出番は短いものの「少将」だった前作につづいてウィリアム・ステンツ大将が登場することも、『GODZILLA ゴジラ』の続編であることをさりげなくアピールしている――。
 これも『ゴジラ』第1作に対するオマージュというよりは、むしろ半径3キロメートル以内の生物をすべて死滅させるハズのオキシジェン・デストロイヤーでさえも通用しなかった描写で、キングギドラを地球の生物とは別格の宇宙怪獣であることに説得力を与えるために、便宜的にここに配置したという印象の方が強いものなのだ。


 ただし、今回のクライマックスバトル直前に見られた「二代目」芹沢博士の行動は、まだ公開間もないことから詳述は避けるが、『ゴジラ』第1作ラストシーンの「初代」芹沢博士を彷彿とさせる姿で描かれていた。
 ちなみに、芹沢博士を演じた渡辺謙は、前作の公開時に自身の役名の元ネタである故・本多猪四郎監督の名を「いしろう」ではなく「いのしろう」と思っていたと発言し、大のゴジラ好きで知られる俳優・佐野史郎(さの・しろう)から「なんだおまえは!」と一喝(いっかつ)されて平謝りしたというエピソードがあるそうだ。いや佐野センセイ、そりゃ一般人なら「いのしろう」と読んでしまいますって(笑)。ところで、佐野氏は1955年、渡辺氏は1959年生まれであり、ともに1966年~1967年の第1次怪獣ブーム世代である。
 われわれのような特撮マニアからすると、そんなヌルオタ(ヌルいオタク)なエピソードがある渡辺氏ではあるけれど、前作、そして本作でも、共演するハリウッドスターたちが皆ゴジラを「ゴッズィ~ラ」と発音する中、ただひとり「ゴジラ」と呼ぶように演技していたという話は、個人的には敬服に値することだと思っている。
 そして氏が演じる「二代目」芹沢博士は、先述したオキシジェン・デストロイヤーによって一度は生体反応を止めてしまったゴジラに、日本語で「さらば、友よ」と呼びかける……


 ひたすら自宅にこもって研究の日々をすごすばかりで、先述した山根博士の娘・恵美子にひそかに想いを寄せるものの、リア充的な好青年・尾形秀人(おがた・ひでと)と恋仲だと知って落胆(らくたん)する姿までもが描かれた、故・平田昭彦(ひらた・あきひこ)が演じていた「初代」芹沢博士。
 それは、まだ自身のコミュ力弱者ぶりをコミカルに吐露してみせるような(ひとり)ボッチアニメなどがカケラも存在していなかった70年代末期に起きた第3次怪獣ブームの時代においては――ちなみに、この時代はようやく『宇宙戦艦ヤマト』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)などが注目されはじめたころであり、そもそもアニメや特撮などは「大人」や「青年」が観るものではなかった――、ちょうど同じころに特撮マニア間で再発見された往年の円谷特撮『怪奇大作戦』(68年)で名優・岸田森(きしだ・しん)が演じた、孤独な犯罪者にも同情してみせるようなどこか厭世的(えんせいてき)なクールなキャラクター、SRI(科学捜査研究所)の牧史郎(まき・しろう)に対するわれわれ特撮マニアたちの執着なども同様だったのだが、そのさみしい心象風景の描写がネクラで内向的なわれわれから過剰(かじょう)なまでの感情移入を集めることとなり、そんな自己投影(!)こそが特撮マニア界の勃興期でもあった当時における『ゴジラ』第1作を神格化させる一因にもなったのではなかろうか?
 実は「初代」芹沢博士にとっても、ゴジラは唯一(ゆいいつ)の「友」といえる存在だったのではなかっただろうか? と、今回「二代目」芹沢博士が放った「さらば、友よ」というセリフに、筆者は感慨を深くせずにはいられなかったものだった。


 「二代目」芹沢博士の自己犠牲によってゴジラは復活、キングギドラを倒すに至るほどの圧倒的なパワーを得ることとなるが、クライマックスバトルではキングギドラが口から放つ金色の電撃光線に敗れたモスラが光の粒子と化し、それを浴びたゴジラがさらにパワーアップを遂げ、全身を赤く発光させたバーニングゴジラとなる。
 これは『ゴジラVSメカゴジラ』のラストで、「機械文明の力」よりも「大自然の神秘」の優位を主張するテーマを体現させるために、メカゴジラに敗退したラドンが金粉と化して倒れ伏しているゴジラと合体し、ゴジラを復活・パワーアップさせたシーンのオマージュでもあるのだろう。
 モスラが成虫と化して優雅な羽根を広げて飛翔する場面で、アジアの超美人女優=チャン・ツィイーが演じるチェン博士がモスラを「怪獣の女王」(!)と呼び、モナークの隊員が「ゴジラモスラはいい仲なのか?」とつぶやくあたりも、子供向けの「昭和」の後期ゴジラシリーズでは善玉怪獣であったゴジラモスラを想起させる、やや幼稚なセリフだとも云えはするのだけれども、そのような適度なB級さも個人的には悪くはないと思う(笑)。
 そんなモスラと同様にゴジラに力を与た「二代目」芹沢博士が、たしかにゴジラの「友」であったことを反復して描いていく演出は、本編の「人間ドラマ」と特撮の「怪獣プロレス」のクライマックスを絶妙に融合させていたのだった。


*ハリウッドにお株を奪われた本家が進むべき道とは?


 キングギドラを倒して天空に向かって勝利の雄叫びをあげるゴジラを囲むように、バンブー・スパイダー、ムートー、ラドンが集結していき、「擬人化」された表現で怪獣たちがゴジラに頭(こうべ)まで垂れてしまう(笑)。そして、そこに入る字幕は


GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!」


=「怪獣王 ゴジラ」なる称号である。


 これは先述したように、1956年に『ゴジラ』第1作の「改変版」がアメリカで公開された際につけられたタイトルをそのまま引用したものである。「怪獣たちの王」として君臨するゴジラをそのまま絵にして幕となる本作は、「最高の恐怖」・「テーマは『リアル』」・「1954年の第1作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」といったものとは真逆な、「非・恐怖」・「非・リアル」・「昭和の後期ゴジラシリーズの精神を受け継ぐ」かのような、小笠原諸島にある怪獣たちが住まう孤島・怪獣ランドの王様(笑)としてのゴジラみたいな稚気(ちき)ある描写で賛否はあるだろう。しかし、リアルなゴジラ像しか受け付けないというような頑迷な特撮マニアも歳を取って枯れてしまっているだろうから「もうこれでもいいか」的に意外と許せる人間ばかりとなっているような気がするので、意外と特撮マニアの大勢はあの怪獣たちの平伏シーンに満足しているのではないだろうか?


 ところで、本作の主人公親子・マークとマディソンがひきつづき登場する、まさに往年の映画『キングコング対ゴジラ』(62年・東宝)の再来となる続編映画『ゴジラVSコング』が2020年公開予定ですでに待機している(後日付記:2021年に公開延期とのこと)。しかし筆者は、本作『キング・オブ・モンスターズ』のラストシーンから、先述したアニメ版のゴジラ映画三部作の世界の物語にもつづいていくかのような印象も受けている。
 1999年5月、アメリカにカマキラスが出現して以降、21世紀前半にドゴラ・ラドンアンギラスダガーラ・オルガ……と次々に現れた怪獣たちにより、世界各地は壊滅的な打撃を受けてしまう。そして2030年、アメリカ西海岸に出現したゴジラは人類、そしてほかの怪獣たちをも駆逐(くちく)してしまう脅威(きょうい)的な存在であり、以後15年以上に渡り、人類は地球の覇権(はけん)をめぐってゴジラとの戦いを強(し)いられることとなる……
 これはアニメ版ゴジラ映画三部作の第1章『GODZILLA 怪獣惑星』の導入部にて、その世界観を示すためにあらすじ的に描かれたものなのだが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』はまさにこれを1本の作品として映像化したかのような印象も受けるのだ。


 『GODZILLA 怪獣惑星』では、コンピューターが選抜した1万5千人の人々が移住先を求めて2048年に地球を脱出するも、生存可能な星を発見できなかったために20年後=地球時間では2万年後(!)に再度地球に帰還するが、そこはすでに人類が駆逐されてゴジラをはじめとする巨大生物が君臨する、新たな生態系の星となっていた。


 『キング・オブ・モンスターズ』では、エマ女史は


「このまま人類が繁栄をつづけることによる地球の滅亡を阻止するために、怪獣を使って地球を本来の姿(2億5千万年前のペルム紀)に戻すのだ」(大意)


と主張した。


 アニメ版ゴジラ映画三部作の最終章『GODZILLA 星を喰う者』に至っては、先述した『怪獣大戦争』の悪役・X星人が元ネタである異星人・エクシフのクールな美形神官であるメトフィエス


「各惑星で知的生命が科学的に繁栄した末にゴジラ型の原子力怪獣が生まれて、その惑星の知的生命も怪獣災害による苦悩の果てにいずれは絶滅、この大宇宙も最後は終焉を迎えるのならば、すべての事象は結局は最後に虚無に帰結していくことの具現化でもある高次元怪獣キングギドラに人身御供(ひとみごくう)として捧げて、知的生命体の終焉を人工的に早めることでその苦悩も除去してあげよう」(大意)


とまで主張した。


 これらの行動の動機は、イコールではないにしてもその根っこは相似(そうじ)はしている。


 『キング・オブ・モンスターズ』でのエマ女史の「太古の自然の回復」という願いが実現(?)するのに、『怪獣惑星』では「自然の回復」ではなく「新たな自然の誕生」という相違はあるものの、そこに2万年もの歳月を要したことになるのだが、次回作『ゴジラVSコング』の勝者が「怪獣の王」のみならず「地球の王」として君臨するようになれば、人類の行き着く先はアニメ版ゴジラ映画三部作に描かれた未来と同様のものになるのかもしれない。
 『キング・オブ・モンスターズ』のラストで描かれた、壊滅した大都会で雄叫びをあげる怪獣たちの姿は、まさにその伏線であるといっても過言ではないのだ。


 また、息子を殺したゴジラに中盤までひたすら恨みをつのらせていたマークが、侵略者=キングギドラと戦うゴジラの姿に実はゴジラが地球の「守護神」であることを悟(さと)る関係性の変化も、かつて両親をゴジラに殺されゴジラ打倒に執念(しゅうねん)を燃やしつづけたものの、三部作の間に心の変遷を遂げて最終章のラストで芹沢博士のようにゴジラと心中したアニメ版の青年主人公=ハルオ・サカキにも相似するものがあるように思える。
 しかし、今回のハリウッド版もアニメ版も人類の原水爆実験によって誕生させられたゴジラは、そんなものを生みだしてしまう人類に時に牙(きば)を向けるものの、前者はこの星を本来の姿に戻そうとする地球の「守護神」であると定義し、後者は放射能による突然変異で生じた新たなる生態系の「王」であると定義した点においてはハッキリとした相違があり、各作がそれぞれのゴジラ像を見事に描ききったとはいえるだろう。


 そんなゴジラの出自にも前作の『GODZILLA』2014年版よりかは敬意を示しつつも、「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなくおもいっきりの正義のヒーロー怪獣ゴジラとして「怪獣プロレス」をメインに描いた、きわめて娯楽性の高いゴジラ映画がとうとうハリウッドでつくられてしまった。そして、興行通信社調べによるシネマランキングでも堂々初登場第1位に輝いた!――ちなみに2週目は案の定、ディズニーのアニメ映画『アラジン』(19年・アメリカ)に首位を奪われたものの、第2位には踏みとどまった――


 『シン・ゴジラ』以来、日本の特撮怪獣映画としてはゴジラは3年間も眠りつづけたままとなっている。日本における新作は2024年のゴジラ誕生70周年の際にでも製作しよう……なんて悠長(ゆうちょう)に構えていたら、またハリウッドに先を越されてしまい、海の向こうで公害怪獣ヘドラやサイボーグ怪獣ガイガン、昆虫怪獣メガロやロボット怪獣メカゴジラが復活してしまうかもしれない(笑)。
 巨大なイグアナがニューヨークの街をドタドタと走っていたハリウッド映画『GODZILLA』(98年・アメリカ)の時代ならともかく、ここまでやられてしまった以上は、本家の日本としてこのまま手をこまねいている場合ではなく、早急に次の手を打つべきではなかろうか?
 近年の仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンメタルヒーローなどで、バトルアクションを中心に描きつつも作品テーマや人間ドラマもきっちりと内包した作品を手がけてきた、海の向こうの『パワーレンジャー』(93年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)上がりの坂本浩一監督あたりにでも、日本版の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を早急に実現させ、本家としてのゴジラの真価を世界中に見せつけてもらいたいものである。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年初夏号』(19年6月16日発行)所収『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』合評3より抜粋)


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