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新型コロナ禍に揺れた2020年の日本を斜に構えて観る!

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新型コロナ禍に揺れた2020年の日本を斜に構えて観る!

(文・T.SATO)
(2020年12月15日脱稿)


 一介のオタクごときがコロナ禍についてエラそうに語るのも気が引けるところではある。コロナで親族や知己を喪ったり、コロナ関連の経済不況により失職して経済苦に陥っている方々には衷心からお悔やみやご同情を申し上げたい。


 コロナ禍自体がまだ現在進行形で変遷を遂げており、最終審判者気取りでモノを申すのは控えるべきであろう。新たな知見が今後とも積み重なっていくであろうことを思えば、筆者も自身の考えに固執することなく柔軟にその見解を変えていきたいとも思う。
 もちろんその際には「過去の見解はこうであり現在の見解はこうである。見解を変えた理由は以下による」などと語ることにする。見解の変更という以上に、自身の過去の見解が誤っていたことが判明すれば、包み隠さずにそれを表明して、他人のせいにはせずに自身の不明を公然と恥じたいとも思う。


 もちろんアマチュア同人ライターでもある筆者としては、しょせんは趣味のことでもある以上は「公共」のことではなく「私事」に過ぎないともいえるので、コチラもやはり気が引けるのだけれども、同人誌即売会の開催に大きな影響が発生したことが思い出される。2020年3月からは同人誌即売会にかぎらず各種の巨大イベントが次々と中止を決定。ついには超巨大同人誌即売会であるコミックマーケットまでもが中止の憂き目にあってしまった。


 これを30数年前の昭和末期の昭和天皇の病状悪化に伴なって生じた各種イベントの「自粛」になぞらえて批判をする向きも多くはないが一部にあったものだ。しかし、この見解は妥当であろうか?
 各種イベントの「自粛」は日本固有のものではなく欧米でも日本に先立つ2月から発生したものである。ということは欧米での各種イベント「自粛」も日本の天皇制によるものなのであろうか?(笑)
 そんなバカげたことはない。筆者からすれば昭和末期の「自粛」とコロナ禍の「自粛」とは似て非なる、まるで異なるものである。コロナ禍の世界中で発生した「自粛」とは単に純粋に「防疫」的なものにすぎない。


 とはいえ、この世界規模でも生じた「自粛」に国家権力による「自由」や「個人」の抑圧を見る向きはある。たしかにその意見にも一理はあるのだ。
 が、そのような見解は、むしろ逆に「万人の自由」の称揚ではなく、「性格強者」や「経済強者」だけが最終勝利を収めていく「ミーイズム」や「エゴイズム」とも通底している「自由絶対主義」・「自由至上主義」・「新自由主義経済」にも通じていくモノでもある。
 そのロジックで行くならば、コロナに感染しても自粛せずに飲食店の店員を感染させて果ては自身もコロナ死した御仁や、確信犯で各所を出歩き立ち寄り先の飲食店や観光地を休業に追い込んだ迷惑系ユーチューバー、当局からの重ねての要請をブッチ切って公共交通機関で沖縄へ帰宅した陽性の女子高生らが、一番「自由」を行使しているからエラくて反体制・反権力で大正義! ということになってしまう。
 こんな「公共心」皆無の私利私欲な御仁をムダに持ち上げるようなバカけた論理ももちろんまったく成り立たないのだ。


 筆者個人は「自由」が無意味とはもちろん思わないまでも、「自由」を疑義を許さぬ宗教のように信奉・絶対視することには反対である。それこそが「近代」最大にして最後の宗教であり、諸悪の根源であるとすら考えてもいる。
 その伝で「自由」を「平等」や「博愛」とともに3大原理のひとつに据えた「近代」自体を「全否定」はしないまでも「相対視」はするべきだとも考える。それはつまりは以下のようなことである。
 人間はそれぞれが異なる「価値観」や「趣味嗜好」を持つ以上は、そもそも各人が単純に「自由」を無制限に発揮すれば、周囲や隣接している他人と手足や肩がぶつかって、そこに「不自由」が発生するのは必然でもあるのだと。自分がスキなものが他人のキライなものであることは往々にしてあるのだと。
 これを解決するのに、18世紀ドイツの哲学者・カントが唱えた、「『動物』的・『感情』的な好悪に基づく『自由』」ではなく、「『道徳』や『理性』的な義務に自らの意思で従う『自律』という名の『自由』」、あるいは古今東西の宗教や哲学が唱えてきた「抑制」や「節制」や「節度」こそが有効であるとすら考える。
 むろん奴隷のようにへりくだって他人・権力者・強者に対して卑屈にふるまえという域に達してもイケナイ。しかし万人がお互いに一歩だけ下がることによって――二歩以上は下がる必要はナイけれども――、逆説的に各々の周囲に自身の手足を障害物ナシに伸ばせて振り回せるだけのフリーハンドの空間を確保もできることで、かえって「自由」が達成されるというロジックでもある。


 まぁ直前に述べたようなロジックは、本を読んでついモノを考えてしまうような評論家気質のオタ連中にとっては自明のことでもあるだろう。
 しかし、毎度の上から目線で恐縮だけれども、「道徳」と云った瞬間にそれは戦前の「修身」に通じるものでもあるから全否定されねばならない、そのことを考慮も検討もしてはイケナイと云ってきたのが、日本の戦後のサヨクではある。
 ならば「修身」には陥らないかたちでのオルタナティブ(代替可能)な「道徳」教育を代案として提示すればよかったのだが、そのようなことをすることはしなかった――そんな風潮を悪い意味で小賢しく反映していたのが往年のコミックバンド・クレージーキャッツが歌った『学生節』(1963(昭和38)年)の3番の歌詞「道徳教育、こんにちは~」であり、個人的には実に浅知恵の社会派気取りの歌詞だとしか思えないので不快である――。
 とはいえ、現今のアメリカのみならず英仏独でも「マスクをしない自由」を訴えるデモが隆盛を極めているので、カント的な「自律」としての「自由」の概念は欧米の庶民大衆にも流布していないことがよくわかるのだが(笑)。


 ここまでは「自粛」と「自由」を「自律」の概念で架橋・調停できないのか? という論考である。
 しかし他方で「自粛」の必要性と同時に、「自粛」によって外出・外食が制限されることでの「経済活動」の大幅な縮減についても別個に独立して検討して、この両者を天秤にかけなければイケナイのも、アチラを立てればコチラが立たなくなる非ユークリッド空間でもある3次元、我々が住まう「この世」の日常・社会生活での厳然たる事実でもある。もちろん100かゼロかではない。60対40なりでの両立が図れるのであればそうであるべきだという話である。
 マスクや特に食事前の手指の手洗いを徹底することで感染リスクをゼロにはできないにしても減らすことが可能であるならば、そして食事中の飛沫感染が懸念されるのであれば、大会場での宴会を避ける個室での食事などで、外出・旅行・外食なども許可して、「観光業界」や「飲食業界」も同時に守っていくという方策も正しい。


 日本ではコロナでお亡くなりになった方が2020年には年間で3000人程度となった(2020年12月15日執筆時点)。
 対するに1990年代末期~2010年代初頭の年間自殺者数は毎年約3万人であった。しかし2012年からのアベノミクス効果で、以降は年間2万人に減少――アベノミクスが万能の理論だと云っているのではないので念のため。もちろんまったくのムダであったということもアリエナイのだけれども――。
 つまり、「経済苦境」が生じれば年に1万人くらいはそれで自死を選ぶのであろうことと比較考量すれば、そして今後数年は20世紀前半の世界大恐慌レベルの経済状況となることから、年間自殺者数がさらに2万人くらいは増加して4万人くらいまで上がってしまう可能性があるのならば、アメリカのように新型コロナで数十万人が死んだというのならばともかく、3000人と数万人の生命を苦渋の上で天秤にかければ、医療崩壊をさせない範疇で「GoToトラベル」や「GoToイート」なども駆使してそれらの業界に救いの手を差し伸べるのは正しいとすら思うのだ。
――毎度、無知な御仁はコレを日本独自の政策だと思っているようだが、EU諸国が先鞭を付けた政策であることの後追いであることも念のため――


 「GoToトラベル」よりも休業要請して保証金を払えばイイという意見もある。しかしコロナが完全に終息する見込みなどあるのだろうか? ナイだろう。
 「観光業界」の関連人口が約1000万人。「飲食業界」が約500万人。彼らに未来永劫、永遠に休業補償をするべきなのであろうか? コロナが下手をすると数年~数十年単位で終息しないことがあるならば、「飲食業界」や「観光業界」の完全復活はムズカしいことになってしまい、そこで就業する個々人に対しては別の業種への転換を促すしかなくなるだろう。そうなると、永遠に休業補償を与えるような政策にも現実性を感じない。


 ここで連想するのが2020年4月に決定した国民全員に対しての「一律10万円の支給」である。現在の日本人の人口は約1億3千万人。つまりコレにより総計13兆円が一挙に支出されたことになる。
 対するに日本の税収(歳入)は60兆円程度である。つまり税収の1/4がコレで消えたのだ(汗)。
 国民全員に国家が金銭を支給する「ベーシック・インカム」という制度についての議論がある。左派連中はいかにもこの制度が人道的にも優れた万能な制度のように喧伝している。
 しかし1人10万円を月1回支給すれば13兆円×12ヵ月で260兆円が必要なことになる。税収をはるかに超える支出を必要とするこの制度が実現するとはとても思えない。
――そこで「国家財政」と「家計」とは異なるものであり、国家には「貨幣」や「国債」発行の機能があり、「国債」を購入する主体が外国政府ではなく国内銀行であるならば単純な「債務」にはならずに「資産」ですらある……といった今流行りの「MMT理論」を反論に持ち出してくるのならば検討の余地はあるのだが、そーいう理論的なウラ打ちや補強を彼らがすることは今のところはナイのであった(汗)――


 しかし、コレだけコロナ禍による事態の推移が早いと、言論人であろうがSNS上でのアマチュア論壇であろうが、その場かぎりの曲学阿世で平気でその言説を翻している輩も見えてきてしまって実に興味深い。
 日本人の一斉「自粛」を批判して反旗を翻す意味でも20年3月下旬に箱根に行って少しでも「観光業界」を潤したと語っていた左派のコメンテーター・青木理(あおき・おさむ)ほかは、今では「GoToトラベル」を否定するのが流儀となっている――しかも批判をしたソバから「GoTo」を利用して旅行に行ったとも云っている(爆)――。
 彼らは20年春~初夏にかけては、「飲食業界」や「夜の業界」を主要な感染源と見なして「自粛」を求めることを、当初は「特定業種」に対する差別であり、営業自粛を求める声を「自粛警察」と呼んでいた。
 ならば、「観光業界」や「飲食業界」などの「特定業種」に自粛や休業を実質的に求める「GoTo」批判も「自粛警察」そのものでありダブルスタンダードだともいえるだろう。
 加えて、感染拡大を防ぐための「GoTo」批判と同様の純然たる「防疫」面から中国人観光客の流入制限を唱えた御仁たちをも「排他的ナショナリスト」だと罵倒していたこととの整合性もドー取るのであろうか?
――そーいえばフランスのマクロン大統領も当初は国境を閉ざすべきではナイと主張して、南隣りのイタリアからのコロナの流入をやすやすと許していた(「人道」と「防疫」を混同するとは愚かなり)――


 まぁもちろんシッカリと定まった立脚点があっての発言ではなく、単に時の政権をディスりたいだけの発言であることもわかる。
 20年2月末の幼稚園~小中高の「学校一斉休校」も時の政権が先に発動したから「無意味だ!」「強権発動だ!」とガナっているのに過ぎない。時の政権がノロノロとしていたならばその逆に「早く一斉休校にしろ!」「子供の生命と健康を守れ!」と叫んでいたのは間違いがないのだ。
 それが証拠にその1ヵ月強後には早くも馬脚を現わす。20年4月の上旬になると彼らは「早くロックダウンしろ!」「早く緊急事態宣言を発せよ!」と政権に「強権発動」を促すのだ(汗)。
 ここから察するに、時の政権が先に「緊急事態宣言」を発すれば、彼らはコレを「戦前への回帰につながる」という論法で反対したのに違いないのである。
 ただし、当方は時の政権への擁護もしない。野党やマスコミの反発を恐れて、むしろ逆に彼らの方が促すようになってきてから「緊急事態宣言」を発する、世間の声に「耳を傾けすぎる」政権の行為を高等戦術などではなく実に不甲斐ナイと思うのみである。


 20年3月になるや欧米ではロックダウンが始まり、北欧のスウェーデンを除く欧州諸国も学校を「一斉休校」にしたが、コレを自身に不都合と見てかサヨク連中は黙殺する。
 このスウェーデンの休校はナシという施策を愚策としてモーレツに批判した、初夏においては自国の施策を「K防疫」として世界標準モデルになったと豪語していた韓国はその点ではスジが通っている。日本でも「K防疫」を見習えと云っていた御仁はスウェーデンをも批判すべきであろう(笑)。
――個人的には給食も含む学校空間とは「3密」の典型ともいえるので、子供たちは無症状感染でもココを起点に同居家族への感染が広がっていると考えるのが科学的であるとは思うのだけど、コロナがエボラ出血熱ほどの致死性もナイ以上は、子供たちの集団生活体験の効用とも天秤をかければ、大変心苦しいのだけれども高齢の方々にはややリスクをかぶってもらうしかナイのかな? とも思ってはいる(汗)――


 要は彼らの発言にはシッカリとした立脚点などはナイ。その場かぎりの矛盾に満ち満ちた単なる「カウンター」や「反論」でしかなく、「政策」提言型のオルタナティブではないのである。まぁ今回のコロナで始まったことではないので驚きもしないのだけれども。
 いや、時の政権に迎合せずに常にその反論を張るのが「民主主義」なのだという意見もある。しかしコレは怪しい。多方向の陣営から「求心的」に上がってきた「政策」を突き合わせて「熟議」をしていくのが真の意味での「民主主義」のハズである。
 しかし、彼らがしていることは常に反対をする全否定であって、特に定見があるワケでもないのに物知りぶったり、したり顔で溜め息まじりに嘆いてみせて、「熟議」や「提言」からは逃走する「遠心的」で「無政府主義」的なふるまいであり、筆者には彼らの行為こそが「議会制民主主義」を破壊する行為であると見える。


 ある種の「赤勝て白勝て、巨人か阪神か」レベルで政治を見ている御仁はこのような行為に拍手喝采の念を覚えているのであろうが、特に「右」でも「左」でもなく個々の「政策」ごとに「是々非々」で判定をくだしているような御仁たちは、このような言説活動ではサヨク政党を支持・投票することはアリエナイことも指摘しておきたい。


 エッ? 何が何でも「自民党」を支持する岩盤支持層? 自民党員なんて100万人しかいないのだ。総人口の1億人で割れば1パーセントなのだから、そこが支持をすることで自民党政権が継続できていると思うのは浅はかである。
 もしも「左派」の立場に立つのだとしても、非・自民でありさえすれば小池百合子の「都民ファーストの会」や「希望の党」や「大阪維新の会」やかつての「みんなの党」などにも勝たせて、「自民党」を少しずつ弱らせて中長期で「左派陣営」を有利に持っていくという戦法もあってイイはずなのだが、それらが古典的な左派政党――ぶっちゃけ「社民党」や「共産党」――ではないことから、毎日・朝日・東京新聞は選挙時に彼らに対する大反対キャンペーンを展開して、「希望の党」や「大阪維新」は弱らせても結果的に「自民党」の圧勝を助けてしまっている。
 大局や中長期を見据えた展望がない短慮だとしか云いようがナイ。まぁ自分で自分たちの首をせいぜい絞めてくれ。彼らが一度滅びたところで、何でも反対ではなく政策提言型の健全な「オルタナ左翼」政党が誕生するかもしれないのだから。


 世田谷区やニューヨーク州で唱えられている全住民に対する「PCR検査万能論」も、1日あたりの検査可能数を小学生レベルの割り算で考えても、それが達成されるのには数年を要するのでは? 未開の原始人ではないのだし二次方程式連立方程式を解くワケでもない小学生の「四則演算」レベルの話なのだから、もっと計量的に考えようヨ~、という話もしたかったのだけど毎度、文量が長くなりすぎてしまったので機会を改めたい。



 ……とはいえ、100年前のスペイン風邪も2年目の方が強毒化して若者の致死率も高くなったのだそうだから、そのような大前提が変わってしまうと上記の論法も相対化がされてしまう。その際には固執せずに、理由と釈明ととともに自説も弾力的に変容させていく所存である。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.86-PART2(2020年12月27日発行)所収)


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