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ウルトラマンジード中盤総括 ~Wヒーロー・特オタ主人公・ラブコメ! 希代の傑作の予感!?

(2020年5月23日(土)UP)
『ウルトラマンジード』序盤評 ~クライシス・インパクト! 平行宇宙のひとつが壊滅&修復! その原理とは!?
『ウルトラマンジード』最終回「GEEDの証」 ~クライシスインパクト・幼年期放射・カレラン分子・分解酵素・時空修復方法はこう描けば!?
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 『ウルトラマン クロニクル ZERO&GEED(ゼロ・アンド・ジード)』(20年)にて、『ウルトラマンジード』(17年)の再編集版が放映中記念! とカコつけて……。
 『ウルトラマンジード』中盤総括をアップ!


ウルトラマンジード』中盤総括 ~Wヒーロー・特オタ主人公・ラブコメ! 希代の傑作の予感!?

(文・久保達也)
(2017年11月12日脱稿)

*新世代ウルトラマン5年! 異なる世界観の各作がSF設定ひとつで並行宇宙を越境して共演!


 『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)以降、テレビ東京系列に製作・放映が移行したウルトラマンシリーズも、『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)で早くも5年目を迎えた。
 もっとも厳密には現在の円谷プロの予算調達能力の限界から、実際にはどの作品も2クール半年以内の放映にとどまっており、毎年1月から6月の半年間は確実に空白が生じていることから、見方によっては以前より状況は悪化しているのではないのか? と捉える向きもあるかもしれない。


 『ウルトラマンギンガ』とその続編『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)はタイトルの通り作品世界がつながっている。しかし『ギンガ』と『ギンガS』でのウルトラマンギンガは歴代ウルトラマンの力は借りていても本人そのものの客演がなかった。ところが『ギンガS』の続編である映画『劇場版ウルトラマンギンガS 決戦! ウルトラ10勇士!!』(15年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)ではウルトラマンティガウルトラマンダイナ・ウルトラマンガイア・ウルトラマンコスモスウルトラマンネクサスウルトラマンマックスウルトラマンメビウスウルトラマンゼロといった「平成」のウルトラマン本人たちが大挙客演した!
 『ギンガS』放映終了から『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)放映開始までの半年間の空白期間には、先の『ギンガ』以降の新作ウルトラも放映してきた『新ウルトラマン列伝』(13~16年)の枠内で『ウルトラファイトビクトリー』(15年)が放映される。正味数分間の短編全13話によるシリーズながらも、『劇場版ウルトラマンギンガS』の公開直後からその続編として放映されることで、視聴者の興味を持続させることとなった。
 さらにこの『ウルトラファイトビクトリー』では、「昭和」のウルトラマンエースウルトラマンレオ&アストラ兄弟、「平成」の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)に登場した2号ウルトラマンであるウルトラマンヒカリが、当時の最新ウルトラマンだったウルトラマンギンガ&ウルトラマンビクトリーと競演して、「昭和」の時代からのウルトラシリーズ因縁の宿敵・異次元人ヤプールが率いる超獣軍団と戦った!


 これにつづく『ウルトラマンX』では、ギンガ&ビクトリーが『ウルトラファイトビクトリー』のラスボス・グア軍団――往年の漫画『ウルトラ超伝説』(81年)や円谷特撮『アンドロメロス』(83年)や映画『ウルトラマン物語(ストーリー)』(84年)の宿敵でもある!――のリベンジに対抗するという設定で前中後編の3部作に客演したほか、ウルトラマンゼロウルトラマンマックスウルトラマンネクサスがゲストで登場。
 そして、映画『劇場版ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』(16年・松竹)は、メインゲストが初代ウルトラマンウルトラマンティガであったものの、ゼロ・ギンガ・ビクトリー・マックス・ネクサスと、テレビシリーズの『X』に客演したレジェンドウルトラマンがラストにすべて集結! それぞれが世界各都市に出現した溶鉄怪獣ツルギデマーガを倒すという、実に華(はな)のある役回りを演じた。
 これらが間髪入れずに継続して放映・公開されたことにより、厳密には作品の世界観はすべて異なるものの、ウルトラマンシリーズは「昭和」も「平成」もパラレルワールドを越境可能という大SF設定を設けたことによってすべてがひとつにつながった世界であると、視聴者や観客に強くアピールすることに成功している。


 『ウルトラマンオーブ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)は、あくまで『新ウルトラマン列伝』の枠内での放映だった『ギンガ』『ギンガS』『X』とは異なり、ついに独立した一枚看板での放映となった。
 『X』のような歴代ウルトラマンの客演はなかったものの、主人公が「昭和」と「平成」の歴代ウルトラマンが描かれた2枚のカードを使って合体変身することにより、元となったウルトラマンの能力を駆使するばかりでなく、怪獣を倒すごとに歴代ウルトラマンのカードが召還されることで、合体変身のバリエーションが増えていくという、玩具展開を念頭に置いたのはもちろんのこと、やはりこれまでのウルトラマンとのつながりを強調する設定が取り入れられている。


 そして、『オーブ』終了後の半年間は『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE(ザ・クロニクル)』(17年)が放映。
 これは映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)から、『ウルトラマン列伝』(11~13年)の枠内で放映された短編シリーズ『ウルトラゼロファイト 第2部 輝きのゼロ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200314/p1)に至るまでの、ウルトラマンゼロが主役の映画やオリジナルビデオシリーズ『ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』(10年・バンダイビジュアルhttps://katoku99.hatenablog.com/entry/20200125/p1)などを、30分の枠におさまるように再構成して連続放映したものである。
 この枠内でも、『ゼロ THE CHRONICLE』放映中に公開された映画『劇場版ウルトラマンオーブ 絆(きずな)の力、おかりします!』(17年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)の続編として製作され、オーブがウルトラマンゼロやその父・ウルトラセブンウルトラ兄弟の長男・ゾフィーウルトラマンジャックらと競演する短編シリーズ『ウルトラファイトオーブ 親子の力、おかりします!』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170603/p1)も放映されている。
 そして、この『ウルトラファイトオーブ』は『オーブ』の続編であるばかりでなく、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080427/p1)・『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY(ネバー・エンディング・オデッセイ)』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091230/p1)・『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』に登場した宿敵にして、数万年前に宇宙を制覇したこともあるレイブラッド星人の遺伝子を受け継いだ宇宙人たちレイオニクス戦士たちの設定を継承した悪役である亡霊魔導士レイバトスが、ラストでウルトラマンジードに倒されることにより、次回作『ジード』にもつながった世界観として描かれていたのだ!


*セブン → レオ → ゼロ → ギンガ・ビクトリー・エックス・オーブ・ジード! 師弟関係を持たせる!


 『ジード』はすでにレジェンドウルトラマンと化しているウルトラマンゼロが、主人公のウルトラマンジードとともにレギュラーで活躍するという、50年におよぶウルトラマンシリーズの歴史上、初の試みが取り入れられた。
 厳密にはすでに『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)において、『ウルトラセブン』(67年)の主人公であるモロボシ・ダンウルトラセブンが、防衛組織・MAC(マック)の隊長として、『レオ』の主人公・おおとりゲン=ウルトラマンレオに過酷な特訓を課して鍛(きた)えあげる、いわば「師匠(ししょう)」的な存在として登場してはいた。
 だが、ダンは『レオ』第1話『セブンが死ぬ時! 東京は沈没する!』でサーベル暴君マグマ星人の襲撃による重傷で変身能力を失ってしまい、当時の子供たちの全員がいつの日かセブンが復活してレオと共闘して壮快な大活躍をすることを期待していたのに、その想いは裏切られて劇中では回復してセブンに変身することもなく、いわんや最後までレオと共闘することもなかったのだ……


 『ジード』でメインを努める坂本浩一監督は、ジードにとってのゼロをレオにとってのセブンのような役回りとして描きたい、と放映開始前後に各媒体(ばいたい)で語っていた。
 坂本監督は先述した映画『ウルトラ銀河伝説』では、かつてセブンから課せられた厳しい特訓を、今度はゼロに課しているレオをゼロにとっての「師匠」として描き、さらに『劇場版ウルトラマンギンガS』ではギンガ&ビクトリーを特訓で鍛えあげるゼロを「師匠」として描いた。
 『X』でもゼロはエックスよりも「格上」の存在として客演を果たし、『ウルトラファイトオーブ』でもオーブを「昭和」チックな大特訓(笑)で鍛え上げることでゼロを改めて「師匠」として描いていた。


 セブン → レオ → ゼロ → ギンガ・ビクトリー・エックス・オーブ、そしてジードと、脈々と継承される「師弟関係」を描くこともまた、「昭和」と「平成」のウルトラマンをひとつの世界として結びつけ、子供や若いマニアたちに新作ばかりではなく、過去作品への興味を惹(ひ)かせるのに有効に機能している。


 そして、今度のウルトラマンゼロは、『レオ』におけるセブンのポジションを単に踏襲(とうしゅう)するだけの芸のない存在では決してない。
 往年のセブンがついに変身能力を回復できずに当時の子供たちの期待を裏切ってしまったことの鬱憤をまさに43年後の今日に晴らしてみせるかのように、ウルトラマンノアから授かった左手首のウルティメイト・ブレスレットこそ損傷してしまってブレスレット由来の万能武器や赤いストロングコロナゼロ・青いルナミラクルゼロにはタイプチェンジ不能でやや弱体化してしまったという設定ではあっても、早々に変身能力自体は回復してゼロへと再変身!
 『レオ』本編で観たかったレオとセブンの共闘の図を体現してみせるかのように、ゼロはジードとも頻繁に共闘を果たしてくれることで、我々マニアや子供たちをおおいに喜ばせてもくれるのだ!


 しかも、今回ジードが継承しているものは、決して正義と平和を守るレジェンドウルトラマンたちから授かった善なるものばかりではない。
 主人公の男子高校生・朝倉リク=ウルトラマンジードは、映画『ウルトラ銀河伝説』にはじまる『ゼロ THE CHRONICLE』において再三に渡って登場してきた、ゼロの宿敵でもある悪の黒いウルトラマンウルトラマンベリアルの遺伝子を継承する、彼の「息子」と設定されているのだ!
 基本的には全身銀色に赤と黒のシャープなラインが入った従来の初代ウルトラマン型のデザインを踏襲しながらも、ベリアルのように目尻が鋭く尖(とが)った水色の巨大な目をしたウルトラマンジードの姿は、一見冷酷なキャラクターとして視聴者に映るものだ。
 古い世代であれば、初代『ウルトラマン』(66年)第18話『遊星から来た兄弟』で、凶悪宇宙人ザラブ星人が変身したニセ・ウルトラマンを誰もが連想したことだろう。
 『ジード』は見た目に華があったり、商業展開的に有利となるかに見える要素を再度取り入れてみたりと、『ギンガ』以降の5年間に培(つちか)われたノウハウを活(い)かしつつも、変化球として従来には見られなかった新たな設定・異色な展開もかなり試みられているのだ。


*1話完結ではない連続ストーリーならではの、シリーズを通じた宿敵の「悪」としての強大さの描写の妙!


 今回のウルトラマンベリアルは、それこそ「昭和」の東映変身ヒーロー作品で描かれてきた悪の組織の首領=ラスボス的な扱いであり、実際に毎回の破壊活動を展開するのは、その配下である伏井出ケイ(ふくいで・けい)ことストルム星人である。
 いわゆる人間の姿をしたレギュラー悪は、前作『オーブ』に登場したオーブ=クレナイ・ガイのライバル青年であるジャグラス・ジャグラーの踏襲であるように見受けられるが、ストルム星人の注目すべき点は、地球では人気SF作家であるダンディーでクールな紳士として活躍していることだ。


 第7話『サクリファイス』では伏井出のSF小説が紹介されている。そこで描かれている「炎の盗賊団」や「鏡の勇者」は、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE(ザ・ムービー) 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)に登場した、ゼロの仲間となる巨大ヒーロー・グレンファイヤーや彼と行動をともにする炎の海賊団、やはりゼロの仲間となる巨大ヒーローである鏡の騎士・ミラーナイトをモチーフにしたものなのだ。
 そして当のゼロ自身は「ゾーラ」という名の悪役(!)として登場、おまけに表紙はベリアルが『ゼロ THE MOVIE』ラストで超巨大怪獣と化した際のアークベリアルであるほどの徹底ぶりだ。


 すでに使い古された感のあるメタフィクションなる言葉は、転じて意味を拡張された現今で多用される「作品の外の世界=現実社会=そのジャンルの愛好者たちの現実世界での嗜好や偏向や性格的弱点」を劇中世界に風刺的・自己言及的に反映させるという意味ではなく、元来は「これは作り話ですよ」ということを意図的に、あるいは自己言及的に読者に気づかせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する、という意味であった。
 その自己言及の中には、小説の中でもうひとつの小説について語る小説家――本作では正体が悪の宇宙人であるSF作家――を登場させる手法が含まれていることからも、『ジード』はまさにメタフィクションに分類される作品と定義しても差し支えないのかもしれない。


 ちなみに主人公の朝倉リクという名は、安達寛高(あだち・ひろたか)の名義でメインライターを務めている、本作では「シリーズ構成」も担当している人気小説作家・乙一(おついち)が、高名なSF作家であるアーサー・C・クラークをもじって命名したものだそうである。
 地球人類や地球という惑星それ自体がまだ「幼年期」の段階の存在にすぎなくて、地球人よりも高度に進化してはいるもののそれ以上に進化はできない袋小路にある宇宙人種族・オーバーロードが超巨大円盤で飛来してきて人類文明に介入した末に、全人類がオーバーロードを上回って地球まるごと高次な巨大エネルギー生命体へと進化していく、クラークの代表作にしてSFの古典でもある『幼年期の終り』(1952年)――「終わり」ではなく「終り」の表記がこの作品の正ですよ~・笑――。


 同作をモチーフに『ジード』の設定や展開を考案したという氏の発言からすれば、一度はウルトラマンベリアルが起爆させた「超時空崩壊爆弾」で破壊されてしまった朝倉リク=ジードが住んでいた並行宇宙のひとつを修復するため、その宇宙そのものと合体して超光速で拡大・希釈化した際にタキオン粒子の原理で時間遡行も果たしただろうウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングが、宇宙の全天球の背景から均しく発せられている宇宙誕生ビッグバンの名残であり我々の宇宙にも実在している「背景放射」ならぬ、劇中世界の宇宙の草創期=幼年期に発せられた「幼年期放射」なる名称の微弱電波のかたちに転じてこの宇宙の全域を隅々まで漂っているとした本作独自のSF設定だけに留まらず、『ジード』はやはり主人公リク少年の「幼年期の終わり」を意味する成長物語を一面に据えている作品だと解釈すべきところだろう。
――ちなみに、人類よりも上級の存在でも同じく進化の袋小路に入ってしまってそれ以上は進化ができないオーバーロードなる敵怪人が触媒役として登場するも、最後には主人公の方がオーバーロードも超えた神近き存在に進化していってしまう『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140303/p1)や、その脚本家・虚淵玄(うろぶち・げん)が手掛けた大人気深夜アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200329/p1)もまた『ジード』同様、明らかに『幼年期の終り』に着想を得ている作品だ――


 もちろん本作はそんなビルドゥングスロマン(成長小説)的な文学的味わいばかりがキモとなっている湿っぽい作品ではない。この手のヒーロー番組のキモでもある、善人VS悪人双方の人格的な魅力や、両者の痛快極まりない一進一退、物理的攻防劇や精神的対立劇の丁々発止もキチンと描かれてはいるのだ。


 作家としての伏井出は髪を七三に分け、ダンディなスーツで身を固めた端正な表情の知性的な紳士だが、「昭和」のウルトラマンたちの故郷である「光の国」に忍び込んで盗みだした、ウルトラ一族の科学者でもあるウルトラマンヒカリがつくったという(!)変身&召喚アイテム「ライザー」と2種類の「怪獣カプセル」を使い、


「これで、エンドマークだ!」


との定番ゼリフで、往年の人気ウルトラ怪獣2体と合体した新怪獣「ベリアル融合獣」に変身する際は、一転して髪型・メイク・口調・服装(笑)までワイルドになる。


 もちろんストルム星人である伏井出とリクに直接的な関連はないのだが、「ウルトラカプセル」と「怪獣カプセル」の違いはあれど2種類のカプセルを使って同じ「ライザー」を用いて合体変身をとげるのは、伏井出とリクがともにウルトラマンベリアルの遺志を受け継いでいる広い意味での同族、ポジとネガの関係にあることを端的に描いているのであり、両者の因縁の深さを感じさせるものともなり得ているのだ。


 第11話『ジーアイデンティティ』では、伏井出がある意味では人造ウルトラマンとしてつくりだされたリクの出生に深く関わっていたことが明かされた。
 それのみならず、それまでに登場したゲスト主役の体内で育った「光のかたまり」であり、ジードの変身バリエーションを増やす「ウルトラカプセル」へと転じる「リトルスター」――ウルトラマンキングが全宇宙に拡散・希釈化した痕跡である「幼年期放射」が人間の体内にあるカレラン分子で凝縮されたもの――も、キングに時空の狭間に封印されたウルトラマンベリアルがその肉体も含めて完全復活を果たすためのアイテムとして利用するために、伏井出がカレラン分子を散布したゆえのすべての一連は計画された出来事で、リクやウルトラマンジードの活躍もそのためのダシであったことが明かされる!


 また第9話『誓いの剣』では、メインヒロインである鳥羽ライハ(とば・らいは)が、6年前にライハの「リトルスター」をねらった伏井出がどくろ怪獣レッドキングと古代怪獣ゴモラと合体したベリアル融合獣スカルゴモラとなって暴れたことで両親を失って以降、伏井出に復讐(ふくしゅう)を誓うようになった過去が描かれた。
 その設定上からも、ライハは本編部分の等身大アクションを主人公のリクに代わって主に担(にな)うこととなっている。
 なお、常にショートパンツ姿でフトモモを露出させながら刀を振り回す戦闘ヒロイン・ライハを演じる山本千尋(やまもと・ちひろ)は、坂本監督が手掛けた映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.(ドクター)パックマン対エグゼイド&ゴースト with(ウィズ)レジェンドライダー』(16年・東映)ではバグスター(怪人)の人間態としてすでに華麗な剣さばきを披露していた。
 本稿執筆中に劇場公開された、同じく坂本が手掛けた映画『ウルトラ銀河伝説』で円谷プロ側のプロデューサーや脚本を手掛けた岡部淳也(おかべ・じゅんや)が今度は自ら監督も務める、70年代の人気特撮『シルバー仮面』(71年)と『スーパーロボット レッドバロン』(73年)のリメイクキャラクターたちが共闘する映画『BRAVE STORM ブレイブストーム』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171119/p1)でも、彼女は往年の『シルバー仮面』のかの春日はるか(かすが・はるか)役だというのに、やはり剣戟(けんげき)バトルをくりひろげているそうである(笑)。


 主人公・ヒロイン・ラスボス、さらにはゲストキャラに至るまで、それぞれに別個で深い因縁を持たせてみせている伏井出をレギュラー悪としたことにより、『ジード』は謎とき要素の強い連続ドラマとなっていて、意識したのか否かは不明だが、結果的には「平成」仮面ライダーシリーズの作劇に通じるものともなっている。
 それにしても、当初はクールだった伏井出が回を重ねるごとに次第にテンションがヘンになっていき、しまいには上半身裸になって絶叫したりするあたりは、偶然だろうが『仮面ライダーエグゼイド』(16年)に当初悪役として登場し、中盤で改心はしないものの正義のライダー側に協力するようになった檀黎斗(だん・くろと)=仮面ライダーゲンムとしての類似をどうしても想起してしまう(笑)。


*ふたつの秘密基地! 特撮バトルだけでなく本編アクション・着ぐるみキャラの増量は、飽きっぽい幼児も惹きつけるハズ!


 その伏井出がかつて地球侵略の拠点(きょてん)として天文台の地下につくりあげるも、放棄していた「秘密基地」にリクとライハが移住するという設定も、先述した乙一の提案が実現したものだそうである。
 人気アイドル声優三森すずこ(みもり・すずこ)が声を演じる、秘密基地の黄色い球型コンピューター・レムも、かつては伏井出が「マスター」だったのであり、「昭和」の元祖『仮面ライダー』(71年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140407/p1)のように、本来は悪のテクノロジーによって生みだされたものの正義側のリクたちに寝返ったともいえるキャラなのだ。
 このレムの設定は、悪役のベリアルの息子であるにもかかわらず、リクが正義のヒーローとして覚醒することに、一部の視聴者が持つであろう違和感に対する予防線や緩衝材としての「前例」として機能させてもいるのだろう。


 そして、『ジード』ではもうひとつの「秘密基地」も設定されている。しかしそれは前作『オーブ』に登場した防衛組織・ビートル隊のような地球人の組織ではなく、宇宙の秩序(ちつじょ)を守る正義の宇宙人たちが結成したAIB(エー・アイ・ビー)なる組織であり、コンピューターのタッチパネルがCG特撮で宙に多数浮かぶ、ハイテックな彼らの秘密基地がもうひとつの舞台としても描かれているのだ。
 『ウルトラマンギンガ』以降、かつてのような大掛かりな防衛組織が描かれたのは実質『ウルトラマンギンガS』と『ウルトラマンX』のみとなった。身の回りの家電にすでに電飾あふれるデジタルガジェットがあふれている現今の子供たちにとっては、防衛組織の「秘密基地」の壁面やデスクの電飾パネルや光線銃やメカの類いは、我々ロートル世代が子供だったころと比すれば落差が減じていて、相対的に未来的には見えなくてワクワクさせられないのかもしれない。
 我々から見れば「科学」というより「魔法」に見えてしまう、人形やカードからウルトラマンや怪獣や武器が召喚されるような描写の方に、今の子供たちは「科学」を超えたセンス・オブ・ワンダーを感じてワクワクしているのかもしれない。
 そのあたりが原因で防衛隊関係の玩具が売れなかったことが、防衛組織のオミットの原因だとしたら、玩具会社側としても仕方がない合理的な判断であったとは思うのだけれど、防衛組織のスーパーメカの類いにおおいにあこがれを抱いてきたような古い世代としては心情的には残念である。


 だが、もう今となっては筆者のようなマニアでも名前も登場した作品名も忘れてしまっていた黒歴史(くろれきし)化した宇宙人たちが幾人かいる(爆)、策略宇宙人ペダン星人・憑依宇宙人サーベント星人・冷凍星人グローザ星系人・宇宙怪人ゼラン星人・友好異星人ネリル星人・遊星人セミ女などのヒーローショー用や現存していた着ぐるみを多数流用してAIB隊員としているだけとはいえ、地球人の防衛組織よりもこちらの方が「昭和」のウルトラ兄弟たちの組織「宇宙警備隊」をも彷彿(ほうふつ)とさせており、相応にスケール感を醸(かも)し出しているようには思える。


 ベリアルや伏井出以外にも、『ジード』では地球侵略をねらう悪の宇宙人として、三面怪人ダダや変身宇宙人ピット星人・集団宇宙人フック星人に宇宙帝王バド星人・反重力宇宙人ゴドラ星人などが端役の悪役として登場している。
 そして、AIBのリーダー格であるレギュラーとして、ニコニコ生命保険の黒スーツ姿の営業部員(笑)に普段は擬態している宇宙ゲリラ(爆)シャドー星人ゼナとメインヒロインのライハがくりひろげる端役の悪役宇宙人との等身大バトルを、ウルトラマンVS怪獣との巨大戦の前哨(ぜんしょう)戦として頻繁(ひんぱん)に描いてもいるのだ。
 往年の1970年代の変身ブームの子供たちも、人間ドラマ主導で戦場が相対的には狭く見えてしまう特撮スタジオでのバトルやBパートにだけヒーローが登場するウルトラマンシリーズよりも、アクション主導でロケ地を限定せずに広い郊外をバイクで移動したりAパートでも軽快にバトルしたりヒーローに変身することもある等身大ヒーローたちの方にややワクワク感を覚えていたのも事実ではあり、そこに「ウルトラ」に対する「仮面ライダー」の勝機もあったのだ。
 つくり手たちもそのことに敏感に気付いていたのだろう。円谷プロの特撮巨大ヒーローでも『ミラーマン』(71年)の防衛組織・SGM(エスジー・エム)や『ジャンボーグA(エース)』(73年)の防衛組織・PAT(パット)が、円谷プロの分派である日本現代企画が製作した『スーパーロボット レッドバロン』の防衛組織・SSI(エス・エス・アイ)も、隊員たちが人間大サイズの宇宙人やメカ戦闘員たちと軽快なバトルをくりひろげることで、娯楽活劇性を高めることに尽力していた。
 よって、特撮場面のみならず本編部分でも等身大アクションを拡充することは、飽きっぽい子供たちを画面に引きつけるためには充分に効果的な方策となり得ているのではなかろうか!?


 ただし、「昭和」のウルトラシリーズでも『ウルトラマンレオ』のMACは等身大宇宙人とアクションをくりひろげてはいたものの、リアルでシビアな作風が災いして負傷者や死者が連発されることで(!)、良い意味で記号的な「軽快」さとは真逆な重たい「陰惨」なものとなっており、あれはあれで長じてから鑑賞すると実に味わいがあってハマるのだが、子供が観たらふつうはドン引きするだろう(爆)。


*ふたりのヒロイン! 鳥羽ライハと愛崎モアの憂鬱(笑) ラブコメ的な愉快な三角関係の導入!


 巨大変身ヒーローや等身大キャラたちの秘密基地が複数制であるばかりか、『ジード』では先述した鳥羽ライハに、地球人で唯一AIBに所属する愛崎モア(あいざき・もあ)と、ヒロインまでもが複数制なのだ!
 乙一の言によれば、リクを取り巻くライハやモアたちがにぎやかに騒ぐようなハーレム的な雰囲気は、SF学園ラブコメアニメの古典にして金字塔『涼宮ハルヒの憂鬱(すずみやはるひのゆううつ)』(第1期・06年 第2期・09年)などが元ネタなのだとか。
 ライハとともにリクと秘密基地で同居する放浪宇宙人ペガッサ星人の子供・ペガも、実は氏が前々作『ウルトラマンX』に登場した防衛組織・Xio(ジオ)に所属する健啖(けんたん)宇宙人ファントン星人のグルマン博士をヒントに、本編で人間ドラマがつづいても、その中に着ぐるみキャラがいれば年少の子供も飽きずに観てくれるだろう、との想いから生みだしたキャラなのだそうだ。
 従来のウルトラマンシリーズではほとんど見られなかった、こうした思春期の青少年層をねらった深夜アニメ的なキャラシフトや、幼児向けの教育番組に目鼻口が記号的に戯画化(ぎがか)されたカラフルな動物型の着ぐるみキャラやパペット(操り人形)を登場させて年少の子供たちの関心や視線を向けさせるような手法も、『ジード』への青年マニアや幼児たちの興味関心を持続させる原動力となっているだろう。


 乙一は78年生まれであり、幼稚園児から小学生のころは、ちょうど『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)から『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)の間に長らく生じた、ウルトラマンの地上波放映が途絶えていた時代だった。
 関東地方では80年代いっぱいは夕方や早朝に途切れなくウルトラシリーズの再放送がされており、幼児誌でも連綿とウルトラシリーズを扱っていたり、レンタルビデオの急速な普及もあったりしたので単純には云えないだろうが、氏をはじめとする現在30代ですでに親となっている世代が、子供のころに「ウルトラマン」の新作をリアルタイムで楽しめなかったことこそが、近年の「ウルトラマン」の商品的価値凋落(ちょうらく)に拍車をかけているのは巷間(こうかん)よく云われるところだ。
 しかし、「昭和」の「ウルトラシリーズ」や『ポケットモンスター』(97年~)や『妖怪ウォッチ』(14年~)が児童間で大人気を博したのは、彼らの親の世代が幼少時にそれらの作品を観ていたからだという理論は成立しえない(笑)。よって、よくよく考えてみるとツッコミどころが満載の俗説にも思えるし、それらの作品が大ヒットを記録したのはその見てくれや意匠(いしょう)が目新しく魅力的に見えたから、今の特撮ヒーローがそれらの作品よりも不人気なのは単純に現今の子供たちにとってはやや魅力に欠けて見えているからであって、何らかの強烈な魅力さえ確保できれば『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』を超えるヒットを記録できるのだとは思える。
――もちろん親も観ていたなじみの深い長寿シリーズなので、その新作を「自分の子供たちにも観せてみたい!」という心理がはたらくのも人間としては普通の心情なので、そのかぎりで親の世代が幼少時に旧作を観ていたことが少々有利になることはあるのだろうが、決定打であるとは思えない――


 それは、つくり手の側についても云える。ウルトラマンに強い想い入れがなく、息子が観ていた『ウルトラマンX』と『ウルトラマンオーブ』しかリアルタイムで観ておらず、子供の付き合いで観ているうちにハマってしまい、ニワカにウルトラシリーズの設定を猛勉強したような乙一のようなセンスも実力もある作家が執筆さえすれば、我々のような古い世代のマニアでさえおもわずハッとしたりニヤリとするような「良いところを突いている!」と思える「ウルトラマン」を生みだせる者もたしかに存在するのである。


 70年生まれで『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)や『ウルトラマンレオ』(74年)にギリギリ間に合い、小学生時代に78~79年に起きた第3次怪獣ブームの直撃を受けた坂本監督の世代が、面白いものをつくりつづけているのはある意味当然かもしれない。
 だが、あまりにも「ウルトラ」に想い入れが強すぎて、マニアにしかウケないようなものしかつくれなかった人間も実際いたのだし――具体例はあげません(爆)――、逆に「ウルトラ」に想い入れがなさすぎるために、やっぱりつまらない「ウルトラマン」しかつくれない人間もいることだろう。
 世代的にも嗜好(しこう)的にもあまりに両極端に見える、知的な優等生タイプのメインライターと体育会系のメイン監督が、『ジード』では理想的なコラボレーションを果たしていると云っても過言ではないだろう。


*出自が悪である正義のヒーロー! 異色なようでも良い意味でのアリガチ・王道・普遍の系譜だった!


 ところである意味『ジード』のウリのひとつではある、主人公のリクが悪のウルトラマン=ベリアルの息子であるという設定自体は、実は決して目新しいものではない。
 元祖『仮面ライダー』にしろ、永井豪(ながい・ごう)原作のヒーローマンガ『デビルマン』(アニメ版は72年・東映動画→現東映アニメーション NET→現テレビ朝日)にしろ、主人公が本来は悪の組織につくられた改造人間だったり、悪の組織の魔族だったのに、悪を裏切って正義側に転じるという設定は、すでに70年代には存在していたのだ。
 広義では悪の組織・BF(ビーエフ)団につくられた破壊兵器の巨大ロボットが、正義の組織・ユニコーンに所属する少年・草間大作の声を主人として認識したがために、正義側へと転じた『ジャイアントロボ』(67年・東映 NET)もそうだったのであり、そうなるとこの手の設定は、すでに50年前にはあったことになる(笑)。


 だから「子供番組」である以上、リク=ジードが父のベリアルに加担(かたん)して地球を滅ぼす、なんてバッドエンドになるハズもないのだが(爆)、あえて使い古された、いわばミエミエな設定を用いたのはナゼなのか?
 これは悪の息子であることに主人公が苦悩しつつも、新しくできた仲間たちの友情に助けられたり、何度か闇に落ちそうになるも、戦いの中で得た自らの意志でそれを克服し、最終的には強大な悪に打ち勝つ! といった展開が、やはりドラマチックであるからだろう。
 いくら使い古された設定とはいえ、それが血肉の通ったしっかりとしたものとなっていれば、決して批判すべきものではないのだ。むしろその設定や展開に説得力を感じさせ、つづきが気になってしかたがなくなるようなワクワク感も与えつつ、視聴者に感情移入を誘発させるに至る作劇の巧拙や達成度の方にこそ注目すべきではあるまいか?


 その意味では、『ギンガ』以降のウルトラシリーズにおいて、主人公青年がウルトラマンに変身後も変身前の人間の姿やその顔面アップ映像での表情演技やセリフをしゃべる描写が頻繁にあることで、視聴者の感情移入を高める効果をあげている。
 従来のウルトラマン、特に「昭和」の時代においては、主人公がウルトラマンに変身した途端、仮面ライダーなどと比すると変身前の主人公とウルトラマンの人格がやや別ものに見えてしまう弱点があり――と同時にそれが超越性・ヒーロー性・憧憬を感じさせてもいたのだが――、それがひいては本編ドラマと特撮バトルが分離しがちになってしまう一因にもなっていた。
――『ウルトラセブン』では変身前のダンを演じた森次晃嗣(もりつぐ・こうじ)、『ウルトラマンタロウ』では変身前の東光太郎を演じた篠田三郎(しのだ・さぶろう)、『ウルトラマンレオ』では変身前のゲンを演じた真夏竜がセブンやタロウやレオの声も演じていたために、変身前後の分断感はやや緩和されていたかもしれないが、東映ヒーローほどの変身前後での一体感はない――


 『ギンガ』以降のこうしたロボットアニメの操縦席的な変身前の人間の顔出し演出は、特撮バトルに入るや本編ドラマが終了してしまうことでの分断感を回避し、特撮バトル中でも人間ドラマや会話劇がつづいている役割を見事に果たしている、ありそうでなかった新たな「発明」であったのだ。


*まったくリアルでない(笑)、半笑い/半カッコいい様式美としての「定番ゼリフ」や「変身」!


 ふたりの歴代ウルトラマン(の超能力を象徴した幻影)との合体変身は、前作『オーブ』を踏襲したものだが、リクがジードに変身する場面は、


「You go!(ユー・ゴー=融合) I go!(アイ・ゴー) Here We go!!(ヒア・ウィー・ゴー)」


などというB級・色物チックでキッチュ通俗的・笑)な掛け声を叫んでから、リクが歴代ウルトラマンの力を宿した2種類の「ウルトラカプセル」をスキャンした変身アイテム「ジードライザー」を高々と掲(かか)げるや、カプセルから実体化(?)した左右に居並ぶふたりのウルトラマンがリクに合体してウルトラマンジードが登場するという、ぶっちゃけかなり尺が長い描写であり、シリーズ中盤以降は短縮されることが多い(汗)。


 また、初代ウルトラマンウルトラマンベリアルと合体した基本形態・ウルトラマンジードプリミティブ変身時は「決めるぜ! 覚悟!!」。
 ともに赤い身体のウルトラセブンウルトラマンレオと合体したパワフルタイプ・ウルトラマンジードソリッドバーニング変身時は「燃やすぜ! 勇気!!」。
 ともに青い身体のウルトラマンヒカリウルトラマンコスモスと合体した、スピーディな動きを得意とするウルトラマンジードアクロスマッシャー変身時は「見せるぜ! 衝撃!!」。
 ウルトラマンゼロウルトラの父と合体した、ウルトラマンジードマグニフィセント変身時は「守るぜ! 希望!!」。
 ウルトラマンベリアルウルトラマンキングと合体した、ウルトラマンジードロイヤルメガマスター変身時は「変えるぜ! 運命!!」。


 以上、リクが変身時に放つ、漫画チックでも様式美的なカッコよさにはあふれた決めゼリフが、ウルトラマンジードやその登場時のヒーロー性や熱血度を高める絶妙な演出ともなっている。
 変身場面に定番で流れる、高揚(こうよう)感にあふれるアップテンポな劇中音楽もまた、その相乗効果を高めていると云えるだろう。


 こういった演出は一時は特撮マニア間でのリアル至上主義的な風潮の許で否定されてきた。しかし『仮面ライダーカブト』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070211/p1)や『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)あたりから復権してきた変身直前や直後に名乗る「定番セリフ」が、子供間でもマニア間でもおおいにウケて新たな「定番」となっていったのも明らかな歴史的事実なのだ。
 そして、おそらくは玩具会社・バンダイ側のスタッフが変身アイテムを玩具販促用に本編映像内でも印象的に長々とイロモノ的な「定番ゼリフ」も込みで魅せてほしいという要望から来た、「平成ライダー」から「ウルトラ」への良い意味での還流なのだろうと見るのだが……。稚気満々(ちきまんまん)なキャッチーさ・ツカミがあって、個人的には大歓迎である!(笑)


 まぁ、「平成」仮面ライダーも初期の頃はシンプルに「変身!」とだけ叫んでいたのが、「天の道を往(ゆ)き、総てを司(つかさど)る!」「俺、参上!」「通りすがりの仮面ライダーだ!」「さぁ、おまえの罪をかぞえろ!」(笑)などと、変身直前や変身直後に長々と「定番ゼリフ」を語るようになってからでも、すでに10年以上がすぎている。
 70年代末期から00年代初頭に至るまで、特撮マニアの間で多勢(たぜい)を占めていた、中二病的なリアル至上主義の風潮がようやく過ぎ去ったのだ。
 おもわず笑ってしまうけど半分はカッコよくもあるヒーローたちの長々とした「定番ゼリフ」や「名乗り」に対して、いまや「ヘンだ!」などとガチでツッコミを入れるヤボな者はほとんどおらず、それどころか何かの拍子(ひょうし)につい口にして、特撮マニア間での言葉遊び・コミュニケーションツールにすらしている者も多いくらいで、むしろ子供間でもマニア間でも歓迎されている(笑)。
 ぶっちゃけもっとリアルに考えたら無言のままでよいのであり、右手を高く掲げたり「変身!」とさえ叫ぶ必要はないワケなのだが(爆)、こうしたヒーローたちの非リアルな長々とした「定番ゼリフ」や「名乗り」を一周(一周半?)まわって、どうせ良い意味でフィクション・つくりものなのだし、半分は笑っちゃうけど半分はカッコいいのだからと「様式美」として割り切って楽しめるようになったほどに、特撮マニアたちの「中二病期」「幼年期」(笑)も終わって成熟したと見るべきなのだろう。


 それにしても、わずか2クールしかない『ジード』において、1年間放映される仮面ライダー並みに、早くも5種類ものタイプバリエーションが描かれていることには、やや駆け足の感はあるけれど、ゴージャスな印象も感じさせている。もちろんこれは、少子化時代にひとりの子供に複数の玩具を購入させるために商品数を増やしている玩具展開主導によるものだし、今になってはじまった話でもない。
 けれども、ぶっちゃけバンダイ側は玩具が売れるよう、新キャラの誕生や活躍が最大限に視聴者の印象に残るように作劇したり、初登場回の特撮ビジュアルをハデハデにすることを要望しているのだろうし、製作側もこれに応(こた)えつつも、ジードの新形態が誕生する過程に少しでも必然性・説得力が感じられるように該当回のドラマもうまく劇的に構築ができている。
 だから数回に1回の割合で増えるジードのタイプバリエーションは、主人公・リクの成長や心の変遷(へんせん)とは分離することなく、絶妙にリンクするかたちで描かれることとなっているのだ。


*アクション演出面でも端的に描かれるリク=ジードの劇中での位置付けや成長


 本来スピーディーなアクション演出を得意とする坂本監督が撮った第1話『秘密基地へようこそ』から第4話『星人を追う仕事』までのいわゆるパイロット編(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)で、ウルトラマンジードの動きが意外に緩慢(かんまん)で重厚なスローモーション撮影だったことは、マニアであれば誰もが気づいたことであろう。
 これは父・ウルトラマンベリアルの特徴である、背中をやや丸めて体勢を低く構えた実に不穏な悪党味にあふれる凄(すご)みのある動きを、ベリアルの息子という設定のジードにもいくらか反映するためには、普段の坂本監督が演出しているようなスピーディーなアクションでは、ベリアル独特の悪魔的な重々しさが半減してしまうという判断も働いたのだろう。
 第1話クライマックスのジードとスカルゴモラの戦いを見守る市民たち、そしてジードが正義の味方であるのは決まっているにしても(笑)、それでも視聴者に「果たして敵か味方か!?」との想いを少しでも抱(いだ)かせるには、いかにもヒーロー然とした颯爽(さっそう)とした動きではなく重厚で悪党味にあふれるアクション演出こそがやはり的確だったのだろう。


 また『ジード』では時折、市民たちのジードに対する好感度の世論調査の結果が劇中のテレビニュースで報道され、市民を守るための戦いを重ねてもジードに対する支持が広がらないことにリクが想い悩む姿が描かれている。
 これもジードの悪魔的な第一印象と、6年前にこの世界の宇宙全体を一度は崩壊に導いた「クライシスインパクト」の際に東京の地に出現したウルトラマンベリアルに似ているジードを、市民たちが記憶して警戒しているためであり、初期編の不穏なアクション演出はその意味でも機能できるように逆算して導き出されたものだろう。
 ちなみに第5話『あいかた』では、スタイリッシュでクールなタイプチェンジ姿でありスマートで優美な戦い方をする青い姿のジードアクロスマッシャーにかぎっては、女性に人気があると報じられていた(笑)。


 守ってあげているハズの市民たちから支持されないことに落胆するリクの姿もまた、視聴者の「憧憬」ではなく「同情」としての感情移入を誘うことになっているが、これもリクが到底ベリアルの息子とは思えないような、少々幼い感じのする明るくさわやかなイケメン少年として描かれていることが大きいだろう。
 リクを演じる濱田龍臣(はまだ・たつおみ)は、先述した7年前の映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』でゼロの仲間の巨大ロボット・ジャンボットを操縦する少年・ナオをすでに演じていたという因縁もさることながら、子役時代から活躍しているだけあって、演技はすでに安定の域に達している感がある。


 第6話『僕が僕であること』で、ジードが右手で握るジードクローなる先端が尖ったハサミ爪型の新たな濃紺色の武器を得たことに、ライハは武器を使うにはそれだけの器(うつわ)が必要であり、それはリクが成長した証(あかし)だと語ることで、取って付けたような武器(笑)のゲットにも劇中内での一応の必然性を与えようとして、かろうじて成功している。
 「昭和」の第2期ウルトラシリーズでは、ウルトラセブンウルトラマンジャックにウルトラブレスレットを、ゾフィーウルトラマンエースにウルトラコンバーターを、ウルトラの母ウルトラマンタロウにキングブレスレットを、ウルトラマンキングウルトラマンレオウルトラマントを「授(さず)ける」というかたちで新たな必殺武器の登場が描かれてきた。
 第1期ウルトラシリーズや1960年代までのジャンル作品における人格がすでに完成しているオトナ・オジサン主人公ではなく、発展途上の青年主人公の成長物語としても描かれた感が強い第2期ウルトラシリーズではあったものの、実は主人公の成長は必ずしもウルトラマンのパワーアップや新武器獲得にストレートに結びついていたわけではなく、本編ドラマと特撮バトルがやや分離気味であったのは残念ながら事実ではある。
 しかし『ジード』をはじめ近年のウルトラ作品ではそれら「昭和」のウルトラとは異なり、主人公が成長の証として、自らの力で新たな武器や必殺技やタイプチェンジを得るに至っていく展開は、むしろ「平成」仮面ライダーや近年のスーパー戦隊や少年漫画などに多く見られる傾向で、これにより本編ドラマと特撮バトルが分離することなく有機的に連関して、その両者を盛り上げることもできている。
 武器やヒーローのタイプチェンジ人形などの「玩具」を売りたいのであればイヤイヤ登場させるのではなく、その「玩具」が劇中内に登場する「必然性」を後付けでもつくっていくような作劇も含めて、近年のウルトラマンシリーズのつくり手たちは、やはり良い意味で仮面ライダースーパー戦隊や少年漫画などの影響を色濃く受けている。
 子供たちがそれを魅力的に感じて、なおかつ「玩具」の売上が製作側の円谷プロにも還流して、ウルトラシリーズの製作予算が少しでも微増するのであれば、むしろそれらの良い影響は進んで受けるべきだろう。


*ゼロと冴えない妻子持ちサラリーマンの二重人格劇! 両者の相克としてのパワーアップ! バトルの立体化!


 NHKの人気深夜ドラマのタイトルをもじったとおぼしき第3話『サラリーマンゼロ』で、トラックにはねられそうになった子供を救うために瀕死(ひんし)の重傷を負った、さえないサラリーマン・伊賀栗(いがぐり)レイトにウルトラマンゼロが乗り移ったことから、レイトとゼロは、ゼロが云うところの「ウィンウィンの関係」となる(?)――ちなみに取引をする双方に利益があるという意味だ(笑)――。
 怪獣出現を察知したゼロがレイトに変身するよう迫るも、大事な会社の仕事があるからと拒否するレイトに、強引に変身アイテム・ウルトラゼロアイを着眼させようとするゼロを表現するためのレイトのひとり芝居は、バラエティ番組で活躍するタレントのDAIGO(ダイゴ)が主人公のタイガ隊員を演じたことでゼロとの会話がまさにかけあい漫才となった映画『ウルトラマンサーガ』(12年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)での同様シーンを彷彿とさせるところだ。
 ただ、ゼロが内心世界から合体した人間に話し掛けるに留まっていた『サーガ』と異なるのは、レイトを演じる小澤雄太(おざわ・ゆうた)がゼロの人格やセリフをそのままひとり芝居で演じて二重人格のごとき愉快な対立をしていることである(笑)。
 気弱なレイトがメガネをはずした途端、自信過剰なオレ様キャラに表情を一変させる氏の芸コマな演じ分けもさることながら、ゼロの声を演じる宮野真守(みやの・まもる)のイケメンボイスがまた、氏の基本的にはイケメンなルックスに絶妙なまでにピタッとハマっているのだ!
 まぁ、今のところゼロがジードに特訓を課す場面は描かれてはいないため、第5話でリクがレイトを「ゼロ兄さん」(!)と呼んだようにゼロはジードにとってはあくまでウルトラ兄弟(笑)であり、「師匠」として尊敬している感は薄いような気がするが。


 第8話『運命を越えて行け』ではゼロまでもがウルトラマンゼロビヨンドとして強化変身を遂げるが、それまで自分にできるのは妻子を連れて逃げることだけであり戦うのはムリだと語っていたレイトが人々を守るためにヒーローとして覚醒した証として、ゼロのパワーアップ劇が描かれている――ちなみにレイトの妻を演じるのは、『ウルトラマンマックス』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060311/p1)で防衛組織・DASH(ダッシュ)のコイシカワ・ミズキ隊員を演じていた長谷部瞳(はせべ・ひとみ)であり、これには時の流れを痛感せずにはいられない――。
 この回では豪華にもウルトラマンヒカリが客演! 共闘こそしなかったものの、「昭和」のウルトラマンシリーズのように光の球体状で飛来して、ゼロとレイトをその中に包みこみ、セブンがジャックにウルトラブレスレットを授けたように、ヒカリが直々にレイトにニュージェネレーションカプセルを授けることでゼロビヨンドが誕生する!


 このゼロビヨンドの初変身がまた、レイトがウルトラマンギンガとウルトラマンオーブのウルトラカプセルを変身ライザーで融合させてカプセルα(アルファ)をつくり、ウルトラマンビクトリーとウルトラマンエックスのウルトラカプセルを変身ライザーで融合させてカプセルβ(ベータ)をつくってから、カプセルαとカプセルβを変身ライザーで発動させ、ゼロの声で「オレに限界はねえ!!」と叫んでから、実体化させた4人ものウルトラマンと合体するかなり尺が長いものであるため、これも中盤以降ははしょられることが多い(笑)。


 『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)や『ウルトラマンギンガS』、幻の『ウルトラマンネオス』95年版(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971115/p1)やオリジナルビデオ作品『ウルトラマンネオス』(00年・バップ・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120513/p1)など、50年の歴史の中でもかぞえるほどしか作品例がなかったダブルヒーロー制=ダブルウルトラマンが『ジード』で導入されたのも、「ヒーローは孤独にひとりで戦うべきだ!」という70年代末期から00年前後の特撮マニアの主張が影を潜めて、代わって多数のキャラクターが登場する群像劇として描かれる「平成」仮面ライダーが高い人気を獲得したり、評論家スジでもそれが世間一般の価値観の多様化の反映であると高く評価をしだしたことで、それがようやくウルトラマンにまで達したのだと解釈すべきところだろう。


 『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)や『ウルトラマンタロウ』(73年)や『ウルトラマンレオ』(74年)がウルトラ兄弟ゲスト編を次第に描かなくなっていくのは、多数のヒーローを登場させることで肝心の主役であるハズの最新ウルトラマンが目立たなくなってしまうことを危惧したからであるのが理由であることは広く知られているところだ――この際だからハッキリと云わせてもらうけど、当時のスタッフたちが要らないかたちで子供たちを間違って忖度(そんたく・笑)してしまったのだ(爆)――。
 だが、第2期ウルトラシリーズウルトラ兄弟客演編や、「昭和」の仮面ライダーシリーズの先輩仮面ライダー客演編に当時の子供たちは実際に狂喜乱舞して、先にも語ったセブン→レオ→ゼロ→ジードの系譜のごとく、精神的な血統種・サラブレッドとして最新ヒーローにオリンピックの聖火のようなものが受け継がれたようにも感じていたのは歴史的な事実なのだ。
 そして今でも、優等生・アウトロー・オレ様キャラ・ひねくれ者・ナルシスト(笑)など、ヒーローではあってもそれぞれの個性を明確に打ち出して差別化し、すべてのヒーローを魅力的に描くことに成功している「平成」仮面ライダーの諸作品を見れば、複数ヒーロー性がかえって対比として主役ヒーローを目立たせることすらできており、先輩ヒーロー客演や複数ヒーロー制が主役ヒーローを目立たなくさせるという危惧は、あまりに的外れな杞憂(きゆう)であったことは間違いないのだ。


 見かけはベリアルに酷似しているものの、基本的には優等生のジード、そして見かけどおりのヤンキーキャラ(笑)のゼロと、『ジード』ではダブルヒーローの個性の差別化がうまくできているが、性格の差別化ばかりではない。
 第8話では前作『オーブ』にも前後編で登場した強敵ロボット怪獣であるシビルジャッジメンター・ギャラクトロンを2体も登場させて――実際の着ぐるみは1体だけでデジタル合成なのだろうが――、ジードとゼロのバトルが同じ舞台の都心のビル街で描かれた。
 第9話ではゼロVS暴君怪獣タイラントと、ジードVSスカルゴモラを別の山間部の舞台という設定で並行して描いた――スタジオや山岳の美術セット自体は同じものであり、それを並べ替えているのだろうが――。
 第12話『僕の名前』では、地球でジードがベリアル融合獣ペダニウムゼットンと戦っている間に、ゼロはベリアルの波動を追って宇宙へと飛んでいた。
 そして第18話『夢を継(つ)ぐ者』では、リクが伏井出を追う間に、ゼロは伏井出を始末しようとする三面怪人ダダが操縦する、全身にダダの白黒ラインが塗装された(笑)まさにロボットアニメ『機動戦士ガンダム』シリーズ(79年~・サンライズhttp://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)に登場する量産型モビルスーツを彷彿とさせる、元々はベリアル軍の量産兵器であった巨大ロボット・帝国機兵レギオノイドの改造版と対決した!――額には左右非対称のカタカナで「ダダ」との記載が(大笑)。これすらもイロモノだ! とガチで批判をするのではなく半笑いで画面にツッコミをいれながら楽しんでいるほどに、今の特撮マニアたちはスレているのである(笑)――


 彼らダブルウルトラマンのバトルも各話ごとに見事に差別化をはかっていて、往々にしてマンネリ・ワンパターンになりがちな怪獣バトルを単調さに陥(おちい)ることから救っていて、ジードが良い意味でキャラが濃すぎるゼロの影に隠れることなく、主役として目立っているのはもちろん、ゼロも単なるサブキャラにはとどまることなく、ジード&ゼロのキャラの双方が立つような演出がなされているのだ!


*幼なじみのお姉さんであるサブヒロイン・愛﨑モアも、噛ませではない重要な役どころを持っていた!


 ジードとゼロを差別化して描くことで、両雄を魅力的に描くとともに、ヒロインのライハとモアも明確な描き分けがなされている。
 サラサラの黒髪ロングで黒いタイトスカートから露出した美脚がまぶしい超モデル体型がAIBの一員として実にカッコよく決まっているにもかかわらず、モアは完全にズッコケの三枚目キャラであり、その悲劇的な過去設定からやや暗めの表情もすることがあるライハとは対照的に、底抜けに明るいキャラなのだ。
 だまっていればフツーにいい女である長谷川眞優(はせがわ・まゆ)の誇張(こちょう)したコミカル演技も実によい。


「ライハがリクといっしょに生活をしている女性」


だと聞かされたモアが、飲んでいた飲料を


「ブッッッッ!」


吹き出し、同棲生活に対抗(笑)しようとしたモアが、


「幼いころはリクと一緒にお風呂に入っていた!」


と何度も優勢を誇ろうとするあたりは、実写ドラマに登場するややリアル寄りな登場人物というより、良い意味で漫画アニメ的もしくは喜劇的な、やや記号的なキャラクターによるやりとりなのだが、子供向け番組には適度に記号的なキャラクターの方が合っているとも思えるし、モアを演じる長谷川眞優の三枚目的な演技が画面をかっさらって場面を見事な喜劇に反転できてもおり(笑)、お世辞抜きで絶品の芝居であると思える。
 正直、役者としての長谷川の存在は、本作の空気・作風・カラーを決定的に規定している実に大きなものだろう。


 モアと幼なじみであるハズのリクが、第1クールではモアがAIBの一員である事実を知らず、モアもまたリクの正体がジードであるのを知らないことで、ふたりの間に生じていく、深刻ではなく軽妙なノリのスレ違い描写は、ライハを含めたラブコメ的な楽しい三角関係をおおいに盛りあげる方向での効果を高めていた(笑)。


 第10話『ココロヨメマス』では、往年の『ウルトラマン80』第4話『大空より愛をこめて』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100523/p1)に登場した、だだっ子怪獣ザンドリアスが37年ぶりに登場した! なんでもウルトラ怪獣を擬人化・女体化した『ウルトラ怪獣擬人化計画』でザンドリアスの人気が爆発したそうで、筆者も視聴したTVアニメ版の『怪獣娘(かいじゅうガールズ)~ウルトラ怪獣擬人化計画~』(16年)にも登場するに至っている。
 そして今年2017年1月、ポニーキャニオン主催のクラウドファンディング「『怪獣娘ウルトラ怪獣擬人化計画~&ウルトラマン80』スペシャル企画 ザンドリアスをもう一度地球へ呼ぼう!」なる着ぐるみ新造募金で150万円近くの金額を達成! 3月には完成発表会、5月には7月発売の怪獣ソフトビニール人形発売の発表を経て、ついにザンドリアスが地球へ帰ってきたのだ!――厳密には並行宇宙違いの同一種族の別個体なのだが・笑――


 今作では失恋(笑)を機に地球に居座ることとなった怪獣ザンドリアスが登場した「箸(はし)休め」的なこの第10話で、危機に陥ったモアの眼前でリクがウルトラマンジードに変身したことにより、ふたりは意外に早い段階で互いの秘密を知ることになる。


 ラストで、


「リクくんはリクくん」


と、モアがありのままのリクを受け入れてくれたことに、リクは、


「大切な人が僕をわかってくれた。今はそれだけで充分だ」


と安堵(あんど)する。


 このやりとりは、個人的には『ウルトラマンレオ』第36話『飛べ! レオ兄弟 宇宙基地を救え!』で描かれた、主人公のおおとりゲンとヒロインの山口百子(やまぐち・ももこ)の会話を彷彿とさせる。


「僕が宇宙人だったら君はどうする?」


とのゲンの問いに、百子は、


「私のことを愛してくれているのなら、たとえ悪い宇宙人でも平気だわ」(!)


と答えたのだ。


――百子は無垢(むく)にそう云っているのかもしれず、ゲンの正体がレオだとウスウス知ってそう答えたのかしれない、ダブル・ミーニングを感じさせるところも、このシーンのミソである――


 「悪い宇宙人でも平気だわ」というセリフは、「世界平和」といった「公共性」や「理性」よりも「私的快楽」や「感情」の方を優先する「自分ファースト」な意見だとも断罪はできる。しかし、その一方で「人類愛」ならぬ「男女間の愛」にはたとえ「知恵」や「理性」には欠けた盲目的なものがあったとしても、健気で甘美でそれこそが「世界平和」や「融和」の最初の出発点であるようにも思えてきてしまう抗いがたい媚薬性もあって、その純粋さそれ自体については何となく万人もつい許してしまえる要素があることも事実だから、古今東西の文学や映画やドラマなどでも何度も題材となってきた。
 まぁ、ヤンキーDQN(ドキュン)な兄ちゃんがバイクをブイブイ吹かせつつ、うしろに乗せたカルそうな姉ちゃんもイエィイエィと右手を振り上げながらアピールして世間さまに迷惑をかけていたりするのも、彼らからすれば「世界中を敵にまわしてでも、オレたちふたりは純粋な愛に生きているんだゼ!」と自分たちにおおいに酔っているのであろうし、自分の子供や親戚を優先的に要職に就けるような前近代的な血縁コネ社会に陥ってしまう可能性もある以上は、「愛さえあればすべてがOK」というのも万能な理論ではないのだが(笑)。
 それでも健気な女性の愛が、荒(すさ)んだ男性の心を溶かしたらよいな、美しいだろうな、そうであってほしいな……という願望を虚構世界でだけでも実現してみせるのが「物語」というもののひとつの機能ではあるのだろう――まぁ、現実には善意や愛情というものは報(むく)われずに終わることがほとんどなのだけど(爆)――。


 先のウルトラマンレオことおおとりゲンも、当初はいくら地球を守ってもMACの中では孤立してしまう報われないキャラとして描かれていただけに、ゲンほどではないにしても同じように逆境に耐えるヒーローであるリクにとっては、「大切な人」が自分をジードとしても地球人としても受け入れてくれたという事実は、その成長過程の中で大きな意味合いを持つこととなっただろう。


――ちなみに当の『レオ』では、ゲンと百子との良好な関係とは対比・対照となるかたちで、メインゲストであるMACの高倉司令官の娘・あや子が悪い宇宙人・アトランタ星人が化けていたMACの宇宙飛行士・内田隊員に対して捧げていた恋情や善意はまったく報われずに、「悲劇」「裏切り」として手痛い「傷心」のかたちで終わっていく……(汗)――



 第17話『キングの奇跡! 変えるぜ! 運命!!』のラストで、リクはジードの名前の由来を「遺伝子」――GENE(ジーン)――と「運命」――DESTINYの「D」――を掛け合わせた造語だともっともらしいことを語っていた。
 だが、リクが毎回変身前に叫んでいる掛け声、「ジーッとしてても、ドーにもならねえ!!」とは、かつて幼いリクにモアが語りかけた言葉であることが、先に第14話『シャドーの影』で回想として語られていたのだ。
 これを単なるスタッフ間での連絡不行届による設定の不整合だと捉えてしまうとロマンチックではなくなる(笑)。第17話での発言は照れ隠しの「後付け」発言なのであって、「ジーッとしてても、ドーにもならない」というかつてのモアの発言を、変身時の「名乗り」にさえ使用しているということは、この言葉が自身の人生の指針の域にも達しているのであろうリクにとって、モアが実に「大切な人」であることを最大限に象徴したものだと表現できていた第14話での描写の方を、真の意味での正解だと多くの視聴者も解釈したのではなかろうか?


*元来は悪の宇宙人であるシャドー星人が、正義として登場した意味をも掘り下げてみせる前後編!


 その第14話『シャドーの影』&第15話『戦いの子』の前後編では、モアのAIBでの先輩・ゼナの秘密が明かされた。
 別名が「宇宙ゲリラ」なのに、『ウルトラセブン』に登場した悪の宇宙人・シャドー星人の一族であるゼナを『ジード』では黒スーツ姿の地球人に擬態する正義の宇宙人として描いたのは、当然ながらマニアの誰もがツッコミを入れることをあらかじめ想定した確信犯であろうし、その設定的不整合への疑問に答えるかたちで、あえてレギュラーキャラであるシャドー星人・ゼナを前後編で掘り下げてみせるあたりも、製作側のクレバーな姿勢がうかがえるというものだ。


 やはりこの並行宇宙のシャドー星人も、元来はかのベリアル軍とも戦った(!)ほどに好戦的であり、その戦いの中で多くの命が失われたために、唯一ゼナだけが戦いを放棄して改心したのだ、と語られたのには多くのマニア諸氏も一本とられた! と思ったことだろう(笑)。
 かつての上司・ゼナを拘束してAIBに偽装入隊するなど、あくまで戦いをやめようとしないシャドー星人・クルトとゼナの関係を、弟子と師匠の関係としてとらえたウルトラマンゼロがレイトの姿でクルトにおもわず同情的なセリフを放つのも、タメ口をききながらも内心ではウルトラマンレオを師匠として尊敬しているに違いないゼロのキャラを重ねて掘り下げることともなっていた。
 『ジード』では珍しくやや暗さが目立つ前後編ではあったものの、それでもシャドー星人の最終兵器として時空破壊神ゼガンなる、ジードとゼロが束になってもかなわない強敵怪獣が、圧倒されるほどの派手なビジュアルパワーをもって描かれたことで白昼のビル街での特撮バトルも実に壮快さがあり、過剰に陰鬱にならずに「子供番組」としてのバランスはとれていたかと思えるのだ。


――なお、この前後編のゲストであるシャドー星人・クルトを演じたのは、特撮マニア諸氏ならばご存じの通り、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080817/p1)で動物に育てられて幼児のようにカタコトの甲高い声でしゃべる幼い感じがするゲキレッド=漢堂ジャンを演じた鈴木裕樹(すずき・ひろき)。ずいぶんとワイルドになったなぁ。それともコッチの方が地(じ)ですかね? ググってみると、岩手県ローカルヒーロー番組『鉄神(てつじん)ガンライザーNEO(ネオ)』(14・15・19年)でも主演を務めていた!――


ジード最強形態ロイヤルメガマスター登場! その契機は劇中ヒーロー・ドンシャインに憧れるリク少年のメンタルにこそあった!


 メインの坂本監督がパイロットの初期4話から久々にメガホンをとった第16話『世界の終わりがはじまる日』におけるウルトラマンジードのアクション演出を見ると、パイロットの作品群とは明確に差別化されていることがうかがえる。
 巨大化してビル街で暴れ回るゴドラ星人の出現に、リクは基本形態ジードプリミティブに変身するが、高速で飛行して空からゴドラ星人に光線を浴びせたジードが、着地して画面手前にそのまますべりこんでくるという、いかにも坂本監督らしいスピード感あふれるアクション演出となっているのだ。
 これにつづく第17話では、遂に地球に降臨したウルトラマンベリアルが、根源破滅天使ゾグ第2形態(!)&超合体怪獣ファイブキングと合体して怪獣化したベリアル融合獣キメラベロスの攻撃を、本来身軽というよりやや重厚なパワフルタイプであるジードソリッドバーニングまでもが燃えあがる炎を背景に後ろ向きの宙返りの連続でかわすというアクロバティックな演出で描かれている!
――『ジード』では怪獣の都市破壊やジードとのバトルを、ミニチュアセットの橋やガード下からのアングルでとらえることで遠近感を強調した特撮演出が散見されるが、この前後編もまた例外ではなかった。ちなみに第12話では、ペダニウムゼットンの最期(さいご)がなんとミニチュアの車の運転席の主観からとらえられていた!――


 これらジードのヒーローらしい華麗な動きは、明らかにジード=リクが、これまでの戦いの中で成長をとげたことの証として演出されており、それを対比として強調するために、坂本監督はパイロット編ではジードの動きをやはりあえて一見鈍重で不格好で悪党にも見えるように確信犯的に演出したのだろう。


 この第16話&第17話では、リク=ジードを迎えに来たと語るベリアルに対し、


「その姿で、僕を息子って呼ぶな!」


と、ベリアルの息子であるという厳然たる事実に、必死に抵抗しようとするリクの姿が描かれる。


 第16話のクライマックスバトルで、ベリアルに組み伏せられたジードが、ベリアルの破壊活動によって都市部にあふれだしたと思われる重油の海の中で、全身真っ黒になりながらもベリアルに立ち向かう描写は、まさに泥(どろ)んこプロレス的な演出となっていた! リクのいわば悲劇的な出自からすれば、これは初代『ウルトラマン』第23話『故郷は地球』のクライマックスで描かれた、初代ウルトラマンのウルトラ水流を浴びて突っ伏して、悶えながら全身泥だらけになって息絶えた棲星怪獣ジャミラの演出に対するオマージュである可能性もあるだろう。


 もちろんそればかりではなく、第17話の前半ではキメラベロス(=ベリアル)の体内に取りこまれてしまったジード=リクが、夜の闇の世界のような精神世界の中でリクと同サイズのベリアルと格闘する姿も描かれる。意外にも変身前のリクのバトル演出はそれまで皆無に近かったこともあり、このベリアルとのバトルは視聴者に強烈なインパクトを与え、いっそう感情移入を強めさせたのではなかろうか?
 結局ベリアルにかなわなかったリクは、ベリアルの腕の中で頭を抱かれることになるのだが(!)、真っ赤な背景の中で雨を降らせる演出は、超獣の母となった人妻がゲスト主役として登場した『ウルトラマンA』第24話『見よ! 真夜中の大変身』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061015/p1)をも彷彿とさせる! 人間と異形(いぎょう)の者との親子関係を描くために、坂本監督は『A』第24話を撮った真船偵(まふね・ただし)監督のアバンギャルドな演出をオマージュしたのではあるまいか!?


 宇宙崩壊を防ぐために宇宙それ自体と合体したため肉体を失っているウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングの精神体からの助力により、ライハはリクが取り込まれたベリアルの精神世界に参入する。
 そしてライハの説得によって目覚めたリクをベリアルの精神世界から連れ戻したことでウルトラマンジードも現実世界へと復活、ベリアルとの戦いは月面から地球へともつれこむが、リアリズムで考えたらそのまま月面で戦ってくれた方が、人類に迷惑がかからないハズである(笑)。
 だが、そこはしょせんは良い意味でつくりものである物語作品なのである(爆)。かつて宇宙を破壊する「クライシス・インパクト」を引き起こしたベリアルに対する市民のトラウマに起因する、ベリアルに似ているジードへの市民の反感を払拭(ふっしょく)するためには、ジードが放った超強力な必殺光線の反動で月面から東京都心までご都合主義にもピンポイントで飛ばされてきてしまい(笑)、ジードがベリアルを打ち負かす姿を市民たちに直接目撃してもらうことこそ、ドラマ的・テーマ的には最も意義深いものとなるのだ!
 ノリのよい挿入歌『フュージョンライズ!』が流れる中、次々にタイプチェンジを繰り出してベリアルを圧倒するジードに大きな声援を送る市民たちの描写は、視聴者の感情移入が最高潮へと達するには充分すぎる演出だ!


 ライハから放たれた光=リトルスターがウルトラマンキングの図像をかたどったキングカプセルと化し、それと既存のベリアルカプセルを使ってリクは最強形態ウルトラマンジードロイヤルメガマスターに変身する! ここでリクが放つ、


「僕は……、あなたを…… 超える!!」


というセリフこそ、心理学者の元祖・フロイトが云うような「父越え」のことであり、リクの成長が頂点に達した象徴でもあるのだ!


 ベリアルにタメ口を使っていたリクが、


「あなたは強い……。だが、まちがっている!!」


と敬語で語りかけるようになったのは、ベリアルが父であるという事実を正式に受け入れた証として、それ以上にベリアルを上位の存在と見て威圧されてしまうことなく、たとえ悪人であるベリアルといえどもジードが横並びの対等な一個人として、余裕と敬意を持って扱ってみせるほどに成長したことの証としても機能しているのだ!


 ロイヤルメガマスターが登場するや、それまで上空一面を覆っていた暗雲が一掃されて大空は快晴となる!
 ウルトラマンキングの頭頂部を模した王冠状の部分やマントを黄金に輝かせたロイヤルメガマスターは、『ウルトラマンギンガS』や『ウルトラマンX』で坂本監督が演出した回のように、マントをCG表現で華麗にひるがえしながら宙を高速で舞い、ベリアルとスピーディーな空中戦を展開する!
 これも初期編でのジードのやや緩慢な動きと対比的に描くことで、リクの精神的な成長を端的に表現したドラマ&バトルが一体化した演出なのである! とキレイごとを云いたいところなのだが、それよりかは単純に初登場したヒーローの最強形態の颯爽とした強さ・カッコよさを思う存分に描いてみせたといったところだろう(笑)。


 だが、なんと云っても「昭和」の世代人として白眉(はくび)だと思えるのは、リクの精神性というよりヒーローとしての成長が頂点となった証として発動したウルトラ6兄弟カプセル(!)を、ロイヤルメガマスターが剣にも杖(つえ)にも見えるキングソードに装填(そうてん)して放った、ロイヤルメガマスターの前面に横並びにその姿を瞬間的に現したウルトラ6兄弟が両手を一斉に前にするや、そのまま各々のウルトラサインとウルトラ文字が描かれた魔法陣型のバリヤーが展開する「ブラザーズシールド!」だろう!!
 ゲストとして登場したリトルスターの保有者=少女・少年・オタク風のデブ(笑)たちもそれぞれ人間の姿のままで、ウルトラマンジャックのウルトラブレスレット、ウルトラマンタロウのウルトラダイナマイト、ウルトラマンエースのバーチカルギロチンの能力を披露していたが、これでも坂本監督は「やりたいことが全部できてはいない」なんて、ほかにいったい何をやりたいと云うのか?(爆)


 あげくにウルトラの父に酷似したウルトラマンジードマグニフィセントの姿に、ベリアルが


「ケンには恨(うら)みがある!」


なぞと、ウルトラの父の本名を口にするに至っては……


 ケンなるウルトラの父の本名・ウルトラマンケンとは、先述した坂本監督の映画『ウルトラ銀河伝説』で初めて命名されたものである。ウルトラマンベリアルが数万年前の同僚にして旧敵を、後年の称号・敬称である「ウルトラの父」の名で呼ぶことはたしかに不自然であるから、ここで「ケン」と呼ばせたことは一応リアルなのだ。ほとんどの視聴者は聞き逃していたり、意味が取れないシーンだろうが、怪獣博士タイプの子供や我々マニアたちには本当にたまらないくすぐりだ(笑)。


 ベリアルとのラストバトルでリク=ジードが放つセリフ、


「僕の運命は、僕が決める!!」


は、それこそ『仮面ライダーエグゼイド』で、かつて檀黎斗から仮面ライダーへと変身する宿命を背負わされた主人公の宝生永夢(ほうじょう・えむ)=仮面ライダーエグゼイドが放ったセリフ「オレの運命は、オレが変える!」とたしかに酷似している、よくある「運命で決められた人生よりも、自分で人生を切り開く」方を賞揚するという趣旨の今となってはベタなセリフやテーマでもある。


 だが、自分ではどうすることもできない出自によって背負わされた過酷な運命を克服して成長していく主人公の姿こそが、視聴者の共感を最も呼ぶ王道の展開ではあろうから、ウルトラマンにかぎらず今後の変身ヒーロー作品でも時折は、このパターンを照れずに堂々と展開するべきだとも思えるのだ。まぁ、同時期に絶賛放映中の『宇宙戦隊キュウレンジャー』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180310/p1)の主人公たちも、そうした連中の寄せ集めみたいなものだったが(笑)。



 ただ『ジード』ならではのポイントは、『爆裂戦士ドンシャイン』なる我らが国産の低予算で人間大サイズの特撮変身ヒーローのような着ぐるみヒーローが採石場(笑)で大活躍する、画質も古ボケた過去の作品を長じてからもいまだにブラウン管テレビ(笑)で再生して視聴しているほどに、リクが元々特撮変身ヒーローにあこがれていたマニア少年として描かれていたことだろう。
 あんなにさわやかでイケメンな特撮オタクがいるか!? と、批判をするのは容易である(爆)。


 第16話で幼いころのリクがドンシャインと拳(こぶし)を重ねあわせる坂本監督お得意の「絆」を表現した回想や、第17話でベリアルの精神世界内で『ドンシャイン』ショーを観ていた幼児期に回帰・退行してしまっているリクが彼を呼び帰しに説得に来たライハに振り向くや、現在の姿の成長したリクの姿に戻っているという、彼の精神的回復をシンボリックかつエモーショナルにも表現した一連の演出。
 それはリクがベリアルの息子であるという出自以前に、元来の彼の素性や品性が「私的快楽」「ミーイズム」の輩ではなく、万人のために尽くす「公共的」「博愛的」「公明正大」な変身ヒーローのごとき存在が大スキなのだということでもあるのだ。しかも「博愛」といっても上っ面だけで細やかさには欠ける八方美人的なそれではない。
 ヒーローに群がっている元気な子供たちの輪の中に物怖じして泣きっ面になって加われないでいる、幼き日の気弱なリク少年の存在に気付いて、そんな彼のような子供に対してこそ気にも掛けてくれて、囲いの輪の中からワザワザ出てきてリク少年を構ってくれるどころか、その頭をやさしくナデてもくれるようなドンシャイン!――の厳密には中の人、しかもテレビ本編とは別のヒーローショー専門のスーツアクター!?(笑)――
 強くてカッコよくて頼もしい存在ではあるけれど、それと同時に弱くて控えめな御仁の心細い気持ちもわかってくれて、それに対する細やかな気遣いや寄り添い、その果てに背中をやさしく押してあげることもできるような人格者としてのヒーロー!


 長じてからもチョイ悪の不良少年ごとき存在にあこがれたりなんぞはせずに、「自分自身も誠実で博愛的でストイックなヒーローのようでありたい!」と願って、しょせんはフィクションである特撮ヒーロー作品ごときにその人生を一生規定されてしまったような、この手の子供向けヒーロー番組に特に傾倒してしまうマニア予備軍の子供たちや、いつまで経っても思春期以前の幼児期的な勧善懲悪のわかりやすい世界観の中で万能感に満たされながら生きていきたいなぞと不健全(爆)なことをドコかで願ってもいるような、不良性感度ゼロの卒業できない「大きなお友達」でもある我々特オタ(特撮オタク)たちの似姿を、メタフィクション的に投影して美化(笑)してみせたのが我らがリクくんでもあったのだ!


 「作品の外側にいてその作品を鑑賞している特撮マニアの視聴者」 → 「作品世界のリクことウルトラマンジード」 → 「そんな彼が耽溺している劇中内ヒーローであるドンシャイン」


 この三層構造を作品が担保したことで、メタフィクション要素も倍音となって幾重にもなって響き出して、特に我々のような人種たちには身につまされるかたちで刺さる刺さる!(笑)



 ラスボスのベリアルがいったん滅び去り、伏井出も第12話の敗北でそのままフェードアウトするのかと思いきや、第18話ではベリアルなきあとの宇宙の覇権(はけん)をめぐって、侵略者たちの争いが勃発(ぼっぱつ)するかの予兆が示された。
 さらに、かろうじて復活した瀕死の伏井出に手を貸すことで、最高のノンフィクションを書きあげようとする野望を持つ、宇宙人でもなく漫画アニメ的な誇張された芝居もしない普通にリアルで写実的な演出や演技がなされている女流ジョーナリストも新たに登場。
 また、バンダイのソフビ人形『ウルトラ怪獣シリーズDX(デラックス)』では、アトロシアスなるウルトラマンベリアルの新形態の発売が予告されており、これがベリアルのさらなる復活なのか、それとも伏井出が変身するものであるのか、はたまた女流ライターが変身するのか(笑)、興味は尽きないところである。


 連続ものならではの面白さを『ジード』は最終展開まで持続してくれそうである。


 リクたちの秘密基地に住まう球形状の人工知能・リムの声を演じるアイドル声優三森すずこ自らがリムの人間態として出演した第19話『奪われた星雲荘』で、伏井出に操られたリムが冷淡にもリクに向けて放った、


ジーッとしててもどうにもならない、でしょ?」


とでも云わんばかりに……


 いやホントに、「でしょ?」にはやられた(笑)。

2017.11.12.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2017年晩秋号』(17年12月3日発行)~『仮面特攻隊2018年号』(17年12月30日発行)所収『ウルトラマンジード』中盤評より抜粋)


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