假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

エイリアン:コヴェナント 〜エイリアンの起源問題・人造人間の知性問題は枝葉! 肝はスリル&サスペンス

(2018年9月13日(木)UP)


『ブレードランナー2049』 〜人造人間の脳内彼女(汗)を発端に、新主人公vs旧主人公へ帰着!
『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』 〜往年の『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』再評価!
拙ブログ・トップページ(最新10記事)
拙ブログ・全記事見出し一覧


[特撮洋画] 〜全記事見出し一覧


エイリアン:コヴェナント

(17年9月15日(金)・日本封切)

エイリアンの起源問題・人造人間の知性問題は枝葉! 肝はスリル&サスペンス!

(文・T.SATO)
(17年12月3日脱稿)


・長身痩身かつ後頭部が突起して、全身が黒光りした俊敏獰猛な宇宙人(…人なのか?)
・大型銃器を抱えて汗で全身を湿らせた、タフそうなタンクトップ姿の年増ヒロイン


 SFホラー映画の金字塔『エイリアン』(79年)シリーズといえば、この2本柱のビジュアルが印象的だ。
 最新作『エイリアン:コヴェナント』(17年)でも、宣伝ポスターも含めて、この2本柱を一応は踏襲している――今回の年増ヒロインは淡泊でベリーショート髪の中性的な痩身なので、あまり強そうには見えないけれど(汗)――。


 今は昔の前世紀の20世紀のうちに都合4作もシリーズが作られた『エイリアン』。それらの前日談の位置付けとして、しかも元祖『エイリアン』第1作を手掛け、数年後にはやはりSF映画の金字塔とされる『ブレードランナー』(82年)も手掛けた、今年2017年で御年80歳(!)になられる巨匠リドリー・スコット監督が、本作『エイリアン:コヴェナント』に復帰登板!
――厳密には5年前にも本作『コヴェナント』のさらなる先日談である映画『プロメテウス』(12年)も手掛けてはいる。しかし、マニアならばともかく、一般の映画ファン程度の人種であれば、タイトルからして新生『エイリアン』シリーズの1本として観に行った御仁は極少だったかと思われる(汗)――


 とはいえ、さすがにハリウッド映画。マニアだけに向いた「閉じた作り」ではなく、『エイリアン』シリーズを知らない一般層が鑑賞しても「一見さんお断り」ではない、十二分に理解もできる作り、1本の完結した内容に仕上がっていたことを、まずは賞賛しておきたい。
――日本の一地方都市の住民たち(笑)が、東洋西洋の歴史上の英雄や神々を召喚してバトルロイヤルするも、その基本設定についての説明、英雄や神々の本名を、なぜか映画版では「みんなもう知ってるよネ?」的にハショってしまう、同時期公開の深夜アニメの映画化作品『劇場版「Fate/stay night[Heven’s Feel]」第一章』(17年)あたりも個人的には見習ってほしいものだ(汗)――


 本作『エイリアン:コヴェナント』は大雑把に云うと、3段構えの作りになっている。


・序段:冷凍睡眠中の2000人超の移民を搭載して、人類が居住可能な遠宇宙の惑星へと航行する巨大宇宙船内での事故と危機。
・中段:ナゾの地球型惑星の冷涼たる山間の湖畔に着陸した先での、絶滅した宇宙人の超古代遺跡の発見や、近辺の洞窟遺跡内でのエイリアンとの攻防。
・終段:命からがらナゾの惑星から脱出するも、宇宙船内に忍びこんでいたエイリアンとの激闘再び。


 序段は、太陽風(恒星風?)を巨大な半透明フィルム状の帆に受けて、あるいは帆で星間物質を吸収して航行する巨大宇宙船が、近傍で予期せぬ恒星爆発でもあったか衝撃波に見舞われて、幹部級メンバーのみ緊急覚醒して対処にこれ務める姿が描かれる。
 この序段ではエイリアンはまったく登場しない。伏線どころか予感や気配すら描かれない。ヒーローものや怪獣ものの場合、序盤でそれらを描かない作品はツカミに弱くなる気がする。
 しかし、この作品にかぎっては、コレはコレで正しい処置という気もする。それはエイリアンが序盤から登場して、登場人物の殺戮を開始すると、エイリアンの方の特徴や特性も描かなければならなくなり、よって登場人物たちのキャラクター・性格・人となりもますます描けなくなるからだ。
 たしかにほとんどラストまでには死んでしまう運命(笑)のホラー映画の登場人物たちではある。とはいえ、結末はどうせ決まっているのだから、それまでの過程描写なんぞはムダである・脇道である・単なる段取りである、ということにもならない。
 近代のタテマエだと「人間はみな平等」だが、しかし良くも悪くも実際には「身分制」が撤廃されてもなお残る「不平等」はある(汗)。慣れ親しみや相性などから来る「親近感の濃淡」である。
 少々の感情移入すら発生していない脇役・エキストラの無個性・無記名のモブキャラたちの死と――もちろんそれはそれでお気の毒だけれども――、見知った人間やその内面も描かれて感情移入が発生した登場人物たちの死とでは、その重大感・切迫感や悲劇に対する感情移入は大幅に異なってきてしまう。
 21世紀以降のマニアは、「死亡フラグ」が立つなどと称して、フィクション作品の伏線作劇すら揶揄するまでにスレてしまっている。それはそれで表層のウラ側・作り手の技巧まで見据えるまでに成熟した、正しい「モノの見方」でもあるのだが、だからといって「死亡フラグ」が立つこと自体が悪かったり、それが透けて見えることが稚拙であるということにもならないであろう。
 登場人物たちが劇中で死ぬにしても、それが単なる段取り・通過点では盛り上がらないのだから、ミエミエでも陳腐でも歌舞伎的様式美でも、そこをイベントにするためには、引いてジラして盛り上げたりして、イヤミや皮肉ではなくまさに正当な意味において「死亡フラグ」は立てるべきなのだ。


 よって、本作のアタマ1/3ほどを、エイリアンのキャラクター・特徴・属性を描くのではなく、10数人の主要人物の性格・人となり・欠点・胆力の度合い・一部キャラは夫婦関係にあることなどを、緊急事態を収拾するスリルを描きつつも、同時に提示していくあたり、ホラーものとしては作劇的にも上手いと思う。
 それにより、こーいう性格類型のキャラならば、あーいう事態に遭遇すれば、そーいう言動をするであろう、パニクるであろう、逃げ出すであろう、剛胆にふるまうであろう、逆ギレするであろう、といったあたりの必然的なそれっぽさも出せている。


 中段は、上陸したナゾの地球型惑星での探査と、その超古代文明のウス暗い洞窟遺跡=閉鎖空間に侵入してきた、我々には昔なじみ(笑)のおなじみエイリアンたちに、上陸クルーが次々に襲撃されるサマが描かれる。
 まぁスレたマニア的には、長距離航行に支障を来たした宇宙船クルーが、怪電波を受信してその発信源を特定するや、宇宙地図にも掲載されていないナゾの地球型惑星が存在したあたりで、そんなに高度で精細な宇宙地図があるのに、いまだに未発見であった、しかも移民に適していそうな地球型惑星を見逃していたなんてことがあるのかヨ!?
 上陸した先でも、未知の病原菌が機械によるセンサーチェックでたとえ検知されなくとも、念には念をで完全気密の防護服すら着ず、ウス着の軽装で探検するのかヨ!?
 事故による疲弊と長距離航行への不安から、ワラをもすがる思いの浅慮ゆえとの同情の余地はあるけれど、まだまだ終盤での船内惨劇と続編製作の余地も残してか(笑)航行は可能なのだから、旧約聖書の「出エジプト」の預言者・モーゼみたくリーダーは頑としてなきゃ、ブレてちゃダメだろ! とも思ったり。


 なぞと、序盤がリアルなハードSFっぽいノリなだけに、プチ・ツッコミもしたくなるけれど。とはいえ、そーいうツッコミはもちろんヤボ。しょせんはフィクション作品なので、登場人物があまりにも合理的な選択&行動ばかりして、失敗や失態をしでかしてくれないとなると、スリル&サスペンスの見せ場も作れないことになる(笑)。
 上陸した先の惑星で、フルフェイスの防護服を着ないのも、役者さんたちの顔をよく見せて区別が着くようにするためと、耳や鼻から超微少な胞子が侵入しておなじみ人体内から臓腑を喰い破ってエイリアンを出現させるため(汗)、軽装姿であるのもスピーディーな逃走劇やアクションを構築するためでもあるのだろう。
 コレは別にバカにしているワケではない。本作にかぎらずフィクション作品とは、よく出来た作品であっても、そーいうメタ的なご都合がドコまで行っても脱臭できないことを、多少イジワル目線で再確認したまでである。


 終盤は、元祖エイリアン型のモンスターが再出現。舞台である閉鎖空間の目先を、洞窟から狭苦しい迷路や配線パイプに満ち満ちた巨大宇宙船内に置き換えての、エイリアンからの逃亡&エイリアンへ反撃するサマが描かれる。
 すでにナゾの惑星でひとり死にふたり死に、そーとーに人数を減らしていた主要搭乗員たちだが、ここでもまたひとりふたりと死んでいく。
 ついにはエイリアンを宇宙船の1ブロックに閉じ込めて、船内工業機械のアーマーと船内空気の大流出も利用して、撃退に成功! 安堵して、冷凍睡眠カプセルに入った女主人公が最後に見た光景は……。


 というのが、本作の大雑把なストーリー。


攻防劇だけでなく、不可知なエイリアンの起源に迫ることの是非!


 しかし、上記の文章ではあえてハショったが、実は本作は、おなじみエイリアンとの攻防劇だけで作られているワケではない。
 それだけでは単調であり飽きも来そうでキツい、長丁場のお話も保たせられないと思ってか、「実は地球人類が異星の超古代文明起源かもしれないという新学説」や「エイリアン自身の起源」のナゾもカラめてみせる。
 つまりは、日本では同2017年初夏公開のSF洋画『メッセージ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170516/p1)などとも同様、地味シブかつ思弁的な要素も備えたシックな作品にもなっている――元祖『エイリアン』はここまで思弁的な作品ではナイとも思うけど――。
 エイリアン自身も劇中内イメージ映像を見るに、その遺伝子的な遠祖は、異星のエイリアンもどきの超古代文明人で、自身をもモルモットにした自殺的な遺伝子操作で生まれた、広い意味での生体兵器みたいなモノなのですかネ?
 それはそれでSFな出自付けとしては、知的な面白さもあって、筆者もアリだとは思うけど、と同時にそのへんを定義付けてしまうと、何でもアリかつ不可知な存在でもあるエイリアンに制限をかけてしまう足枷にもなるような(汗)。


 日本の怪獣映画の『ゴジラ』評論だと、「ゴジラ核兵器の象徴だ」、「いや核被害の象徴だ」、「いや大自然からの警鐘の象徴だ」、「いや太平洋戦争の戦没者の象徴だ」、「いやもろもろの悲劇性の象徴だ」、「いやゴジラこそ被害者でただの撃退されるべき敵ではなく憐れむべき存在だ」、「いや憐れむべき存在だなんてゴジラへの冒涜だ」、「ゴジラは感情移入すべき存在ではなく脅威であり恐怖であり敵であり異物や他者であるべきだ……」、「いやいやいや、あまりにもっともらしいリクツ付けをしてしまうのもウソでしょ。やっぱりゴジラ映画も単なる幼児的な暴力衝動・破壊衝動の擬似的発散でしょ」、「ゴジラがムダに高身長になりすぎると現実的な怖さがなくなる。適度な中身長に戻すべきだ」、「いやいや、むしろ生物学的にはウソでもドンドン巨大にすべきだ」などなど、長年の間に――厳密には70年代後半〜90年代前半までの間に――あまたの言説が出そろって、中世キリスト教神学のように、自分がいかに神やキリストもといゴジラのことをより深く知っているか、より深く愛しているかの優位・優越を競って、論敵を罵倒する見苦しい信仰告白合戦(笑)の理論闘争がマニア間で繰り広げられてきた――もちろん筆者とて例外ではナイから同罪であり、免罪の余地はナイのだが(汗)――。
 その伝で云えば、エイリアンに合理的なSF的出自を付与することは、ゴジラシリーズと同じメンドくさい轍(てつ)を踏む可能性があることを、先読みして危惧するようなスレた『エイリアン』マニアの意見なぞはナイのであろうか?


 とはいえ、愛玩動物やヒーロー的な要素がドーしても微量に残ってしまう幼児たちも愛せる存在でもある「ゴジラ」と比すれば、目・鼻・口や表情も定かではナイことから人間的・動物的な安易な感情移入を拒絶する「エイリアン」は、幼児の時分から愛せるようなキャラクターではないだろう。もう少し長じてせめてティーンに達してからの背伸びでもしないと受容できないような「ゾンビ」などにも近しい、ワサビやカラシや発酵食品などのニガ味や酸味やクサ味や炭酸系のキャラクターであるだろう。
 我々人類とは「捕食−被捕食」の関係しか成立せず、意思疎通の余地はミジンもなさそうだから、エイリアンが人類の味方になったり、エイリアンやゾンビに対しても人類は「圧力」よりも「対話」を模索すべきだ!(笑) なぞというヒューマニズムが優先する展開に陥(おちい)ることはなさそうで、出自を付与する試みの悪影響を危惧して、シリーズの将来を先読みして心配する必要もなさそうではあるけれど。


感情・創造力を獲得した進化系アンドロイドを善として描かない!?


 加えて本作では、大型移民宇宙船のクルーの冷凍睡眠中の長距離航行を管理する、意図的に退化(!)させた新世代アンドロイド(人型ロボット)と、人間に近い感情を持つ進化しすぎた旧世代アンドロイドとの対比も描いていく。……「それ、ナンて『ブレードランナー2049』?」(笑)
 つまりは想像力や感情とは何ぞや? というお話でもある。しかもそれは進歩かもしれないけれども、劇中内では絶対の正義でもナイという(汗)。旧世代アンドロイドが人間的な感情・創造力・人格を獲得していく進化を一応の「善」として描き、彼らの奴隷的な処遇を嘆いてみせるSF洋画『ブレードランナー2049(ニー・ゼロ・ヨン・キュウ)』(2017年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171110/p1)とは描き方が逆である。
 ご主人さまに相当する産みの親の社長や、前作の女考古学者主人公との愛情的親交(?)によって、高度で複雑な感情やクリエイティビティも獲得したとおぼしき旧世代アンドロイド。彼はそれゆえにこそ歪んだ愛憎&探究心で、前作ラストで誕生したとおぼしきエイリアンを品種改良(?)して増殖させているらしい。そして、フェイク信号で招いた地球人類をエイリアンに捕食させたり寄生させたりして、しかもその実験過程をポーカーフェースで楽しんですらいる。
 コレは「困ったチャン」な人工知能ロボットの進化だゾ、ともいえるし、ロボットともお友達になれる日本の漫画『鉄腕アトム』(1952年)的なロボット観から、古典SFの時代よりよくある「ロボットによる人類への反乱」という欧米的なロボット観への退行であるとも見て取れなくもない。
 もっと云うなら、そもそも本シリーズのエイリアン自身の描かれ方が、SF映画の画期だともまことしやかに云われるけれども、1950年代の古典SF小説・黄金期のハイブロウ系SFから、それ以前の西部劇の変化球としての宇宙活劇ものの「宇宙人はみんな地球人類の敵!」(笑)みたいな描写への先祖帰りだとのツッコミもできなくもないのだが。


 なーんてネ。我ながら心にもナイことを自動的につらつらと(汗)。まぁもろもろの作劇パターンが出尽くした果ての、爛熟の末にすべてのテーマが相反したまま等価となった現代における、単なる作劇のバリエーションですナ。ドチラのパターンが圧倒的に優れているとか劣っているとか、そーいうことは今の時代にナイと思う。


 人類やエイリアンの起源、アンドロイドの人工知性問題もカラめることで、本作は単調さを回避して、深みを醸しているともいえるし、監督自身もそこに創作モチベーションを喚起されているような発言もしている。
 しかし、筆者が観るところ、起源やアンドロイドのくだりは副次的な彩りにすぎないとも思う。
 「静」と「動」。「緩」と「急」。「一難去ってまた一難」。本作はそれらの「運動」のひたすらな「連続」でできている。「静」の部分で起源やアンドロイド問題を描くけど、それは来たるべき「動」の場面が効果的に機能するためのあくまで前振りにすぎないようにも思うのだ。


 どのようにエイリアンが人体に寄生して、どのようにエイリアンが物陰に身を隠し、どのようにエイリアンが人体内から出現し、物陰や背の高い草ヤブから飛び出して、時に人々は殺害されたり、襲撃をかろうじて回避して機関銃で反撃するサマを、スリルとサスペンスいっぱいで描いていく。本作『エイリアン』シリーズのキモはやはりそこであろう。
 夜陰の草原でのサスペンス! ウス暗い遺跡の洞窟でのサスペンス! 惑星から緊急脱出せんとする着陸艇の壁面にまとわりついて、その石頭でコクピットの風防ガラスを割らんとするエイリアンを振り払うため、安全ロープを身に付けて船外の壁面で縦横無尽にバトルするサスペンス! 戻った先の大型宇宙船内での最後の密室サスペンス!


「SFホラー」でも、「SF」か? 「ホラー」か?


 ついでに云えば、本シリーズを通例では「SFホラー」と呼ぶものの、舞台や背景美術を「宇宙」や「宇宙船」や「異星」にしているから、「SF」だという程度であって、その本質は「ホラー」であると私見する。
 「SF」の定義もいろいろあるけど、古いタイプのオタである筆者としては、「SF」というジャンルはメタ(形而上)的な視点転倒・価値転倒がもたらすサプライズなどの、知的快感を主眼とするところに本質・エッセンスがある。
 対するに、「ホラー」――や「特撮」――などのジャンルはフィジカル(形而下・肉体・物質)なスリルやサスペンス――や地割れや天変地異などのスペクタクルや、ヒーロー・怪獣・スーパーメカやそれらによる戦闘アクション――がもたらすサプライズなどの、非日常的な事物がもたらす珍奇な感慨や、それらが自由自在に動くところの身体性の快楽・身体の拡張感・状況をリードする万能感などを主眼とするところに本質・エッセンスがあると思う。
 その区分けで云うならば、『エイリアン』シリーズは、広義の「SF」ではあっても、「SF」寄りではなく「ホラー」寄り――もしくは「アクション」寄り――の作品だとも思うのだ。


 我々人類やエイリアンの起源問題や、アンドロイドの知性問題もそれ単独で語るに足る食材ではある。しかし、それらは本作にとっては前菜なりオカズなり、主食のウマさを際立たせるための素材にすぎないともいえる。
 メインディッシュはあくまでもエイリアンであり、エイリアンがもたらすスリル&サスペンスである。しかも、本作ではそれらのシーンがクライマックス・山場となるように作劇・構築もされている――もちろんだからと云って、オカズが不要だと云っているワケでもさらさらナイのは、くれぐれも念のため――。
 とはいえ、監督の発言を見るに、このへんも意識的に作劇していたワケではないようだ。脚本家や監督たちが商業映画・エンタメ作品としてのウェルメイドを整えるために、本能・直感・無意識的に調整した末に達成できたものにすぎないようではある。だとしても、そのツボを的確に押さえられたことが本作の勝因ではあったと思う。


 ただし、今でこそ「ホラー」だったとは思うけど、『エイリアン』初作が登場した70年代末期は、ハリウッドの特撮映像やSF美術の一大革新期でもあったから、往時は小学生であったオッサンの筆者は、エイリアンそのものよりも、初作に登場する宇宙船メカやコクピットの未来感あふれるコンソール群の方にワクワクして、宣伝番組だかTVで初放映された折だったかは記憶が定かでナイけれど、ソレらの模写にいそいそと励んだものである。つまりは往時の筆者は『エイリアン』の「宇宙SF」の部分に惹かれていたことになる。
――本稿執筆にあたってググってみたら、薄暗い船内にて極細の下着パンツとヘソ出しの白いランニングシャツ姿の、白人ヒロインがアゴをツンと上げて恍惚(こうこつ)とした表情のようにも見える立ち居姿の往時の宣伝ビジュアルを発見! そーいや子供心にスケベ目線でこのハダ色成分が多い宣伝ビジュアルにドギマギしてた記憶もある(笑)――


 加えて云うなら、80〜90年代におけるマニアではない一般層――というか当時の若者層。筆者の同級生や会社の同僚たち――の『エイリアン』のイメージは、初作ではなく「今度は戦争だ!」のキャッチコピーが懐かしいジェームズ・キャメロン監督による『エイリアン2』(86年)の方が最大公約数のイメージであったことも、時代の証言として記録しておきたい。つまりは、「SFホラー」ではなく「SFアクション」としてのイメージであり流通である。
 まぁそのへんのノイジー・マイノリティーな物書きオタクではないサイレント・マジョリティーな一般層の見解は、活字化されて記録には残っていかないことから、20年以上の歳月が過ぎ去ってしまえば、教科書の歴史年表的な模範解答である「『エイリアン』初作が「SFホラー」の画期である」という念仏的なお題目だけが残るのであろうけど。
 途中過程の時代の空気や気分などの微細なディテールが忘れ去られて、最初からなかったかのようになっていく無常な現実を「歴史の捏造だ!」とまでは思わないけれども、オッサンオタクの筆者は複雑な思いで眺めてはいる。


 私見でも元祖『エイリアン』は、日本のSF洋画論壇がある程度まで醸成された80年代中盤以降に至ってようやっと、「SFホラー」の画期として日本のマニア間でも認知された作品であって、公開当時においては特別に大きな作品的影響を世間一般には与えておらず、往時の『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』(共に77年・日本公開78年)・『スーパーマン』(78年・日本公開79年)・『スタートレック』(79年・日本公開80年)などのSF洋画ブームの作品群と比すれば劣る、中堅程度にすぎない存在というイメージで、当時は日本のジャンルファンに大きな影響を及ぼした作品でもなかったとは思う。
 強いて云うなら、歴代ウルトラマンシリーズでは異星人を「宇宙人」――『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090413/p1)では「星人」――と呼称していたものが、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)においては「エイリアン」という呼称に刷新されたくらいのものであろうか?(笑)――#16「謎の宇宙物体スノーアート」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100815/p1)・#23「SOS!! 宇宙アメーバの大侵略」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101002/p1)・#27「白い悪魔の恐怖」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101030/p1)などは、『エイリアン』の影響を受けて作られたエピソードであったかと私見――


 最後になるが、本作の10数名の登場人物たちには若者キャラがおらず、オジサン・オバサンキャラばかりである。漫画アニメ的にキワ立ったキャラ付けがなされてはいない。女主人公も船長であった旦那さんを冒頭の事故で失って悲しんでいるところから始まって、彼女は会議や団体行動でもそんなに出しゃばっているワケでもないので英雄っぽくはないし、副長の男性キャラも集団を統率せねばならない重圧でつぶされそうだったり、その他のキャラたちも完成・老成した人格ではなく、若造の視点から見れば頼れる年長者ではあるといった美化フィルターも一切かかってはいない。
 それゆえのナチュラルな良さもあるのだが、自身が子供だったころや若かったころを振り返って鑑(かんが)みるに、子供や若者や一般層が鑑賞したら、本作は地味でありキャラの区別も付けづらい作品であるようにも思えるので、キャッチーな作品ではなくツカミには弱い作品かもしれない。ウ〜ム、その一点において、やはり本作は万人向けではナイのかも(汗)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2017年晩秋号』(17年12月3日発行)〜『仮面特攻隊2018年号』(17年12月30日発行)所収『エイリアン:コヴェナント』評より抜粋)


[関連記事]

ブレードランナー2049』 〜人造人間の脳内彼女(汗)を発端に、新主人公vs旧主人公へ帰着!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171110/p1

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』 〜往年の『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』再評価!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171107/p1

[関連記事] 〜2017年上半期・特撮映画評

ドクター・ストレンジ』 〜微妙な世評が多いが、かなり面白い!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170504/p1

キングコング:髑髏島の巨神』 〜南海に怪獣多数登場の意外な佳作! ゴジララドンモスラ・ギドラの壁画も!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170507/p1

『ゴースト・イン・ザ・シェル』 〜ヒトの精神は電気信号に還元できず、脳内化学物質での駆動では? 人格が代替可能なアニメ版/代替不能な実写版!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170510/p1

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』 〜世界的に好評だが私的にはイマイチ。軽薄ヒーローもの全般にいえる作劇的弱点!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170513/p1

『メッセージ』 〜ヒトの精神が語彙・語順・文法に依拠するなら、異星人の超言語の取得で、世界認識も拡張するのか?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170516/p1

『LOGAN/ローガン』 〜老X−MEN映画に、活劇の教科書を見る! 殺ってもイイ悪党の造形法(笑)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170519/p1

[関連記事] 〜2017年下半期・特撮映画評

パワーレンジャー』 〜戦隊5人に「スクールカースト」を色濃く反映! 「自閉症スペクトラム」青年も戦隊メンバー!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170715/p1

スパイダーマン:ホームカミング』 〜クイズ研究会(?)に所属する文化系スパイダーマンの弱者友人たち(汗)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170901/p1

ワンダーウーマン』 〜フェミニズムの英雄か!? 単なるセックス・シンボルか!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170911/p1

エイリアン:コヴェナント』 〜エイリアンの起源問題・人造人間の知性問題は枝葉! 肝はスリル&サスペンス!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171104/p1

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』 〜往年の『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』再評価!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171107/p1

ブレードランナー2049』 〜人造人間の脳内彼女(汗)を発端に、新主人公vs旧主人公へ帰着!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171110/p1

『シンクロナイズド モンスター』 〜「ドラマ」と「特撮」が、非モテ男女の痴話喧嘩で究極の一体化!(笑)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171113/p1

マイティ・ソー バトルロイヤル』 〜新敵出現で宿敵の悪神が正義に協力!(笑) 欧米も実は神仏習合だ!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171116/p1

『BRAVE STORM ブレイブストーム』 〜シルバー仮面×レッドバロン×歴史改変SF×超能力戦闘美少女!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171119/p1

GODZILLA 怪獣惑星』 〜『シン・ゴジラ』との相似と相違!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1