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Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀 ~虚淵玄脚本の中華ファンタジー! 台湾の特撮人形劇の大傑作!

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 2019年10月25日(金)から虚淵玄(うろぶち・げん)脚本の中華ファンタジーThunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(サンダーボルト・ファンタジー とうりけんゆうき)』の番外編映画『Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌(サンダーボルト・ファンタジー せいゆうげんか)』が公開記念! とカコつけて……。
 日本でも2016年夏季クールに深夜ワクで放映された台湾の特撮人形劇にして大傑作『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』(16年)評をアップ!


Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』 ~虚淵玄脚本の中華ファンタジー! 台湾の特撮人形劇の大傑作!

(文・久保達也)
(2018年12月4日脱稿)


 2018年10月からTOKYO‐MX(とうきょう・エムエックス)・BS11(ビーエス・イレブン)・神戸のサンテレビなどで深夜枠で放映されている、日本と台湾(たいわん)の共同製作による中華ファンタジーの人形劇・『Thunderbolt Fantasy(サンダーボルト・ファンタジー) 東離劍遊紀(とうりけんゆうき) 2』は、2016年7月から9月に放映された『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の続編にあたる。


 本作が製作されたのは、メインライターの虚淵玄(うろぶち・げん)が、ゲーム・ライトノベル・漫画・アニメなど多方面で展開されている人気シリーズ『Fate』シリーズの1本で初作『Fate/stay night(フェイト・ステイ・ナイト)』(アニメ版・06年 リメイクアニメ版・14年)の前日談を描く『Fate/Zero(フェイト・ゼロ)』(アニメ版第1期・11年 第2期・12年)の原作者として、2014年2月に台湾で開催されたサイン会のために現地を訪問したのがその契機であった。
 会場近くで開催されていた、台湾の伝統芸能・布袋(ほてい)劇の展覧会イベントに、現地のスタッフに案内された虚淵氏は衝撃を受け、日本ではほとんど知られていない布袋劇を啓蒙(けいもう)しようと各方面に自ら働きかけていたところ、台湾の製作会社側からも氏に対して新企画の打診があり、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』として、日本と台湾の合作が実現することとなったのだ。


*台湾の伝統芸能・布袋劇の魅力とは?


 布袋劇は中国・台湾・インドネシアなどで現代に伝わる人形劇の一種であり、人形の頭部や手足は木製だが、それ以外の身体部分は布製の衣服で製作され、人形の操作は手を衣装部分の中に入れて行われる。
 「布でつくられた袋状の人形」を使って演出されることが「布袋劇」の語原となっており、これは日本でいえば『おかあさんといっしょ』(59年~・NHK)などの幼児向け番組でも使用されていた、手踊り人形に近いものだろう。
 手踊り人形はかつては国内でも玩具として売られており、第1次怪獣ブームのころは、『ウルトラマン』(66年)や『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)に登場した怪獣たちも、ソフトビニール製の手踊り人形として発売されていたのだ。


 テレビ人形劇といえば、筆者より少し上の世代であれば『ひょっこりひょうたん島(じま)』(64~69年・NHK)が頭に浮かぶであろうし、筆者の世代だと『ネコジャラ市の11人』(70~73年・NHK)、『新八犬伝(しんはっけんでん)』(73~75年・NHK)、『真田十勇士(さなだじゅうゆうし)』(75~77年・NHK)、『プリンプリン物語』(79~82年・NHK)といったあたりが印象深いところだ。
 もちろんイギリスのITC(アイティーシー)が製作したSF特撮人形劇『サンダーバード』(日本放映66年・NHK)も忘れがたい。


 ただ、これらの系譜を受け継ぐ「子供番組」、つまり、人形劇を表現の手段として用いるテレビ番組は、国内ではほぼ存在しないのが現状だ。
 アニメや特撮が隆盛をきわめる日本において、大変失礼ながら、人形劇はすでに役割を終えたのではないのか? というのが、筆者に限らず、多くの人々の認識ではなかろうか?
 だが、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』を観たことで、そうした「人形劇」に対する筆者の先入観は、完全に払拭(ふっしょく)されることとなったのだ。


 虚淵氏が所属するゲーム会社・ニトロプラスのスタッフがキャラクターデザインを手がけ、アニメキャラのフィギュアの製造・販売で知られるグッドスマイルカンパニーの監修により、台湾のスタッフが造形を手がけた登場キャラの人形自体、たしかに完成度が高いものだ――先述した『新八犬伝』や『真田十勇士』で人形美術を担当した辻村(つじむら)ジュサブローの手による人形キャラの数々を彷彿(ほうふつ)とさせる!――。
 だが、虚淵氏が云うところのかなりデカい、遠近感や空気感が存分に再現されたスタジオセットを舞台に、非常に細かいカット割りの連続でテンポよく、登場キャラの髪や衣装が風でなびき、キャラが動くたびに足下(あしもと)が瞬間アップになり、足で踏んばってから地面や壁を蹴って跳躍していくサマを描くことで、アクションのスピード感と力強さを両立させ、砂塵(さじん)が舞い、剣術というよりはサイキックバトルと形容した方がふさわしいほど、剣がまじわるたびに光や稲妻(いなずま)がスパークしたり、キャラの背景に浮かんだ紋章から攻撃が放たれ、周囲で割れた灯籠(とうろう)や陶器が舞い、斬られた敵から血しぶきが飛んだり口から流血するなど、まさに生命の息吹(いぶき)を感じさせる絶妙な演出がなされる中で、キャラが縦横無尽(じゅうおうむじん)な動きを見せる「布袋劇」は、先述した60~70年代の日本のテレビ人形劇が、当時の技術的な限界から動きがどうしてもぎこちなかったことを思えば、やはり革新的なものとして、筆者の目を釘(くぎ)づけにすることは必至であったのだ。


 虚淵氏やニトロプラスのスタッフたちは、撮影現場を視察した際に「奇術やトリックに通じる」「観客のいないサーカス」との感想を語ったが、20世紀のむかしからここまでの映像表現に達していたワケではないだろうけど、これこそまさに21世紀の「布袋劇」がカンフー映画や日本のアニメや漫画などの映像文法なども取り入れて進化を遂げて、台湾においては「お文化」的な古典ではなく大衆娯楽のテレビ放映やビデオ販売の映像作品としても流通している現在進行形として生きている伝統芸能であることを、端的に云い表したものだろう。
 また、魔界から人間界に住みついた猛禽(もうきん)類や、移動する者を敵と認識して襲う巨大石像、ラスボスの魔神など、異形(いぎょう)の怪獣型のキャラがぞくぞく登場するのも、特撮&怪獣マニアとしては、おおいに惹(ひ)きつけられずにはいられなかったのだ。


*『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』(2016)


 さて、2016年度の夏期に放映された『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の第1作目は、200年前に魔界の軍勢が人類を滅亡させようと攻めてきた際、人類が魔神たちを魔界に追い返すことに成功した力をもつ刀剣類の中で、特に危険な力を秘めた剣をめぐり、主人公側と悪側との間で「お宝」争奪戦が繰り広げられる物語であり、実にシンプルな王道冒険ファンタジーといった趣(おもむき)が強かった。
 もちろんこれだけでも充分に楽しめる内容ではあったのだが、やはり見どころは脚本を手がけた虚淵氏ならではの、ひとくせもふたくせもある主人公たちと、その周辺キャラたちとの関係性の変化・離合集散・強者集結の妙や、「お宝」をめぐる各キャラのさまざまな思惑(おもわく)が複雑に入り乱れる群像劇として描かれている部分であるだろう。


 本作は近年の「平成」仮面ライダーシリーズで顕著(けんちょ)に見られるように、主人公が複数制となっている。


 ひとりは黒髪で茶色や黒を基調とした質素な衣装に身を包む、隣国からやって来た「風来坊」(ふうらいぼう)だ。
 彼の「よけいな厄介(やっかい)ごとにはかかわらん」という主義には、古い世代であれば名作時代劇『木枯(こがら)し紋次郎』(72年・C.A.L フジテレビ)の主人公の口癖(くちぐせ)だった、「あっしにはかかわりのねぇことで」を彷彿とさせるかもしれない。


 もうひとりは白髪で青い羽毛のような衣装に銀のアクセサリーをジャラジャラと飾りつけ、常にキセルで白い煙を吹かせている、優雅(ゆうが)かつ飄々(ひょうひょう)とした「口八丁」の男だ――キセルだけではなく、人形の口からもタバコの煙を吐(は)かせているのが芸コマだ!――。


 「風来坊」が雨をしのごうと、通りがかったお地蔵(じぞう)様に立てかけられていた傘(かさ)を拝借(はいしゃく)しようとしたところ、「口八丁」からおまえは傘に対して借りをつくったのだから、それを返すためにこの先で最初に出会った人に慈悲(じひ)をかけてやれ、と声をかけられたがために、「風来坊」は先述した「お宝」の剣を狙う悪党どもに追われる「お姫様」を助けるハメになる。
 「よけいな厄介ごとにはかかわらん」主義の「風来坊」を、本筋に巻きこむ手法としては絶妙であり、普段は憎まれ口が多いものの、「口八丁」が「無頼(ぶらい)をきどっておきながら優しさを隠せない」と語ったように、実は義理人情に篤(あつ)く、傘を斬った悪党に対して「弁償(べんしょう)しろ」などと、意外にセコい面ももつ(笑)「風来坊」のキャラを、序盤で掘り下げることにもなっていたのだ。


 また、「布袋劇」で使用される人形は面長(おもなが)の顔で製作されることが通例だそうだが、今回の「お姫様」が丸顔の造形なのは、アニメの美少女キャラのような可憐(かれん)さを出すためだったとか。
 その狙いは、筆者からすれば充分に達成したかと思える(笑)。


 彼らダブル主人公とヒロインの「お姫様」に、回を重ねるごとに新キャラが仲間として増えていくのは近年の深夜アニメと共通する展開だが、


・「ち~す」(笑)とあいさつし、お姫様にひとめぼれするような「金髪チャラ男」で槍(やり)の使い手
・その「兄貴分」で右目に眼帯をした「弓矢の名手」
・悪名高い「殺し屋」で剣の達人
・さらに死霊術を使う「女妖怪」


が、主人公側と戦った末に仲間に加わっていく。


 これは魔界と人間界の間にある山の3つの関門を攻略するために、「口八丁」の主人公が一流の達人を呼び集めたことによるものだが、「女妖怪」や「殺し屋」までをも含むことが、「お宝」に対するさまざまな思惑をより交錯させ、群像劇としての魅力を際立(きわだ)たせていたかと思えるのだ。


 そして、普段はたがいに反発しあっている一同が、いざ敵陣に囲まれるや、意外なほどの華麗な連携(れんけい)プレーを披露して敵を圧倒するさまは、それこそヒーローの複数制があたりまえになった「平成」仮面ライダーでもよく見られる、強者集結のカタルシスといえるだろう。


 また、唯一(ゆいいつ)の隣国の人間である「風来坊」を、ほかのキャラたちがナゼ奴を仲間にしたのか? 奴は何者なのか? と、関門でゾンビ軍団や巨大石像に襲撃された際、「風来坊」をひとりにしてその力を試したほど、よそ者に対する疎外(そがい)意識から一致団結することとなっていたのは、実にリアルな描写だった。
 これに嫌気がさした「風来坊」は「おまえらとはもうここまでだ」と、一時的に彼らと離れて単独行動するに至ったのだが、こうした互いの腹のさぐりあいから生まれる離合集散の展開は、「人間ドラマ」としての完成度をいっそう高めている。


 そうしたややハード寄りな世界観でありながらも、ダブル主人公の「風来坊」と「口八丁」、そして特に「金髪チャラ男」との間で毎回見られた、おまえ今日まで自分の都合だけで世の中渡ってきただろとか、冗談(じょうだん)だけで世間渡ってきただろ(笑)といった、軽妙でコミカルな、ボケとツッコミのかけあい漫才的なやりとりがあったからこそ、鬱(うつ)展開に陥(おちい)ることもなかったワケであり、これもまた近年の「平成」仮面ライダーシリーズの作風と相似(そうじ)している。


 「万策(ばんさく)尽(つ)きるまでは冗談云いあっている方がいい」とした「風来坊」のセリフは、本作の作風を端的に象徴するものなのだ。


 そして味方が敵に、敵が味方にと、登場キャラの立ち位置をシャッフルさせることで視聴者の興味を持続させる、「平成」仮面ライダーではもはや定番となっている作劇術もやはり見受けられる。
 「女妖怪」が剣そのものよりも、それが封印している魔神を復活させることが目的であるために一同を裏切るというのはまぁよくあるパターンだが、「金髪チャラ男」が「兄貴」と慕(した)っていた「弓矢の名手」も、終盤で「女妖怪」と手を組むことで、実はカネのためなら手段を選ばぬ悪党であったことが発覚した。
 それに失望した「チャラ男」は敵のアジトにとらわれた「お姫様」を救い、「兄貴」から狙われる「お姫様」を守るために、右目を矢で射抜かれてしまうほどの大活躍を見せる!


 これまで外の世界を知らなかったがために、他人を疑ったことがなく、仲間たちをずっと信じていたことを悔(く)やんだ「お姫様」に、「風来坊」が語った「正しくあろうとしたことは悔やむんじゃない」とのセリフもよかったが、「人の生き方に口出しをする」とか「乱暴者」として嫌っていたハズの「チャラ男」が見せた意外な奮闘ぶりに、「お姫様」は「人の世の正義をもう一度信じられる」と涙するに至る!――人形の目から実際に水を流して表現される涙がまた絶妙である――
 「チャラ男」と「お姫様」との関係性に変化が生じた末に、最終回で結ばれるに至る流れを劇的に描くために、登場キャラの立ち位置をシャッフルさせる手法は逆算して行われたのだ、といっても過言ではないだろう。


 「チャラ男」がずっと嫌っていた「風来坊」が危機に駆けつけ、「風来坊」が実は木刀を銀に塗っただけの刀で戦ってきた気功術の達人だと発覚したことで、「チャラ男」と「風来坊」の関係性の変化をも並行して描く作劇もまた然(しか)りなのだ。
 最終回で「お姫様」から厳しい剣術の修行を受ける「チャラ男」は完全に尻に敷かれてはいたのだが(笑)、「兄貴」の形見である眼帯を射抜かれた右目に着(つ)けていたのは、いまだ「兄貴」を慕いつづける「チャラ男」の心理描写として、泣かせる演出でもあった。


 さらに、悪名高い「殺し屋」が敵組織のボスに対し、「勝てぬと悟(さと)った以上、実際に負けてみなけりゃ気がすまぬ!」と、無謀(むぼう)にも勝負を挑(いど)んでその命を散らし、ボスの方も部下に「丁重(ていちょう)に荼毘(だび・火葬の意味)にふすように」と命じる場面もまた、両者を単なる悪党ではなく、多面的に描くことでそのキャラクターに厚みが増し、カッコよさを醸(かも)しだすこととなっている!


 ただ本作で最も立ち位置のシャッフルを見せたのが、主人公のひとりであるハズの、常に飄々として人を喰ったような態度を一貫していた「口八丁」であったのが、本作の特異な点であるだろう。
 中盤で「口八丁」が実は天下の大怪盗であることを知った一同は、「お宝」を得るために自分たちは奴に利用されていたのだと憤(いきどお)り、「風来坊」や「殺し屋」は「口八丁」を斬ろうとするまでに至るのだが、大怪盗であるにもかかわらず、当の「口八丁」は実は「お宝」にはまるで興味がなかったのである。
 「口八丁」は「人生とは娯楽」(笑)を信条としているほど、世の悪党どもをからかって遊ぶことを最大の生き甲斐(がい)としており、そのための大芝居を打つために、これまですべての登場人物を自身の手の平でころがしていたのだ。
 「風来坊」は「てめえ自身が人助けに励(はげ)みやがれ!」と「口八丁」を非難していたが、常にキセルを吹かしながら高見の見物をしているように見えるものの、ここまで人心掌握(しょうあく)に長(た)け、人々を自身の意のままに操ってしまう「超能力」を秘めた「口八丁」には、まったく新しいタイプのヒーロー像が感じられたものであり、これも立派な処世術として、我々オタたちも参考にすべきかもしれない(汗)。


 さらに意外なことに、最終回で「口八丁」は敵組織のボスを相手に、愛用のキセルが変形した(!)剣を駆使したサイキックスピードバトルを演じた末に勝利したほど、実は剣の道を極(きわ)めていたのだが、果てのない剣の道に嫌気がさしたと語っており、これこそが「剣こそは力」とホザくような悪党を、「口八丁」がからかって遊ぶようになった動機なのだろう。
 先述したように「風来坊」が木刀を刀としていたのも、道具の利点は代わりがいくらでもあることであり、結局は使う人間次第である、という信条によるものだったのだ。
 これは科学が悪なのではなく、使う側の人間次第なのだと、古今東西のSF作品で繰り返されてきたテーマと共通する文脈だが、封印を解かれた魔神を時空の狭間(はざま)に封じこめるオチまでもが翌年製作の『仮面ライダービルド』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20181030/p1)と同じなのは、まぁ単なる偶然だろう(笑)。
 それよりも、「口八丁」に敗北した敵ボスが、「おのれの遊び心のせいで世界が滅びるのだ!」と、ずっと求めていたハズの「お宝」の剣をヘシ折って魔神を復活させることで、「口八丁」から受けた屈辱(くつじょく)を晴らし、笑いながら果てていく最期(さいご)は圧巻であり、これにも絶大なカッコよさを感じずにはいられなかったものだ。


 「金髪チャラ男」と「お姫様」が武芸に励む姿に、「苦手なんだよそういうの」と別れも告げずに去っていく「風来坊」に、「口八丁」は餞別(せんべつ)として傘を手渡すが、突然襲ってきた嵐にこれでは役に立たんと、「風来坊」が放り投げた傘がお地蔵様の頭にかぶさるラストシーンは、「風来坊」と「口八丁」との出会いの場面と見事に係り結びとなっており、さわやかな余韻(よいん)を残す、実に秀逸(しゅういつ)な演出だった。


 なお、台湾では布袋劇はかつての無声映画のように、ひとりの弁士が何役もの声をこなして演じているのだが、もちろん本作では声優たちによって演じられており、「口八丁」に鳥海浩輔(とりうみ・こうすけ)、「風来坊」に諏訪部順一(すわべ・じゅんいち)と、主人公コンビの声を演じた両氏はフェロ☆メン(笑)なる声優ユニットを組んでいるだけに、その息はまさにピッタリであった。
 ほか、「お姫様」に中原麻衣(なかはら・まい)、「金髪チャラ男」に鈴村健一(すずむら・けんいち)、敵組織のボスに関智一(せき・ともかず)、敵の女幹部に戸松遙(とまつ・はるか)、ナレーターと魔神に田中敦子(たなか・あつこ)など、この豪華な配役にはアニメ&声優ファンも注目せずにはいられなかっただろうし、登場キャラのビジュアル系ぶりには、近年の深夜アニメに顕著な「イケメン大集合!」的な作品に夢中の腐女子(ふじょし)たちにとっても、必見の作品となっていたのではなかろうか?


*『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀 2』(2018)


 さて、前作の放映終了から2年を経て、2018年10月から放映を開始した続編は、前作の最終回で風来坊が魔神を封じる際に使った剣をはじめ、魔剣・妖剣・聖剣・邪剣を36種も封印した「魔剣目録」を「風来坊」がある城の城主に託(たく)すも、その内の2種の魔剣が奪われてしまい、それを悪用して民衆を大混乱に陥(おとしい)れる敵から奪還せんと、「風来坊」が再び現れた「口八丁」や新キャラとともに戦う展開である。


 今回風来坊と行動をともにする「赤毛の麗人」は、90年代後半以降にT.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)の名義でヒット曲を連発、近年はアニメソングの女王・水樹奈々(みずき・なな)とのコラボも話題となり、虚淵氏の強い希望で第1期・第2期ともに主題歌を歌唱することとなった歌手・西川貴教(にしかわ・たかのり)が声を演じている。
 人形自体は第1期のプロモーションの際に西川氏をモデルにして製作されたものを流用しているのだが、このキャラが実に無口なのは声を演じる西川氏が本業で忙しいためではなく(笑)、その歌声がこれまでに厄介な騒動をひき起こしてきたから、という設定によるものなのだ。
 このキャラが常に携(たずさ)えている楽器・赤い琵琶(びわ)の先端に鬼のような顔があり、これが「赤毛」の言葉を代弁するのみならず、「変形!」と叫んで剣となり、その音圧を刃(やいば)に変えて敵を切り裂く活躍を見せるのは、その赤鬼のような顔や憎まれ口を放つ口調からすれば、『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)に登場した正義側のイマジン(怪人)・モモタロスを彷彿とせずにはいられないものがある。


 第2期は人の精神を操る魔剣を敵側の女性キャラが悪用したことで、大勢の民衆に襲われた「風来坊」が戦えずにいたところを、西川氏が演じる無口な「赤毛の麗人」が「そこで迷うのがおまえの弱さだ」としてすべて斬り殺してしまったり(汗)、前作の敵ボスとは明確に差別化された、青髪でメガネをかけた色白の新ボスに、「魔剣目録」の所持者こそが悪であり、万事(ばんじ)は「風来坊」の悪事とされてしまうなど、前作以上にハードな展開であるだけに、登場キャラと「しゃべる赤い琵琶」とのコミカルなやりとりは一服の清涼剤となり得ているのだ。


 ただ、今回の敵側の女性キャラがさんざん悪の限りを尽くすも、「風来坊」を倒せず、魔剣も「青髪メガネ」に奪われたことで、首領に忠義を果たせていないと無力感にさいなまれた末に、やはり今回の新キャラで、黒髪で顔面蒼白(そうはく)の「イケメン僧侶(そうりょ)」から、成果を早急に求めるのは報償を求める我欲にすぎない、失敗しない範囲の行(おこな)いを地道に積み重ねていけばよい、などと、我々サラリーマンの視聴者からすれば目からウロコな説法を受けたことで、自決をもって償(つぐな)おうとする考えに至るのには、おもわず感情移入せずにはいられなかったものだ。
 にもかかわらず、「青髪メガネ」の軍勢に囲まれたことで、またも魔剣を抜くことになろうとは……第2期は第1期の「お姫様」のようなヒロインが登場しないのだが、筆者にとってはこうした破滅型の女性キャラは、充分にヒロイン的存在となり得ているのだ(笑)。


 果たして「口八丁」は「青髪メガネ」をどのように陥れるのか? 興味は尽きないところだが、この第2期に関しては放映終了後に総括したいと考える所存である。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『東離劍遊紀』評より抜粋)



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  • アーティスト:T.M.Revolution
  • 発売日: 2016/08/31
  • メディア: CD
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#東離劍遊紀 #サンファン #サンダーボルトファンタジー #ThunderboltFantasy #虚淵玄


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