假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

★★★特撮・アニメ・時代劇・サブカル思想をフォロー!(予定・汗)★★★ ~身辺雑記・小ネタ・ニュース速報の類いはありません

同人誌版・前書き 〜編集方針

はじめに……編集方針

(文・T.SATO)
(96年11月執筆・年数表記のみ後日調整)
(「仮面特攻隊97年号」より毎年号巻頭に再録(06・07・08年号を除く))


★編集方針ってほどの文じゃ〜ありませんが……。ベツに読まなくてもイイよ。


★『假面特攻隊』「XXXX年号」○○○○特集をお届けします。


★本サークルは93年夏以来、96年末に至るまで、主宰者たるワタクシの多忙のため(……単にフヌケていたと解釈してもらっても……かまいません)、実質的に活動休止状態になっておりましたが、今回諸々の事情と思うところあり、私的な実験のイミも兼ねて本誌を製作してみました。
★もうすでに歴史の狭間に、地層の底の方に埋もれてしまった観もありますが(あぁ無常)、本サークルでは約10数年前(90年代前半)、大冊研究スタイルで同人誌を製作しておりました(後日付記:近年、また大冊化しております・汗)。


★しかし、このスタイルに対する反省点・欠点も多々認識させられました。まず、小廻りが効かない=機動性が低いため本作りに時間がかかる。よって、原稿の鮮度が落ちること。
 大冊本はボリューム効果で積算効果といいますか、1+1=3的な感慨をもたらしますが(ウマくいけばの話)、その分、個々の記事が立たなくなる傾向があること等々。


★それとは別に、大冊研究スタイルで試したかったものの、当方の手配りミスで果たせなかったことがありました。それは以下のようなことです。


★大むかし(笑)、同人誌にハマりはじめたころ、当時の現行同人誌や知人から借りた旧い同人誌をむさぼるように読んだものでした。そのことは益するところ大だったのですが、同時に気になることもありました。
★それは、歴史ある(っても数号くらいも含む)サークルの同人誌を見ていると当初、執筆者たちは不特定多数の読者に向けて執筆しているのですが、次第にサークル内の執筆者に向かって意識が行き、無内容な言葉尻の小さな差別化にこだわったり、もしくはウチワウケ・個人的呼びかけの世界に退嬰していくパターンが散見されたことでした(会員制の色彩を持つサークルはそれでもかまわないと思いますが)。


 あるいは、そのサークルにおける意見が(読者のお便りも含めて)ひとつの意見に収斂されてくることでした(おそらく無意識のうちに主宰者にじょじょに媚びるか、サークル内の声のデカいヒトに合わせてしまうのでしょう)。


 スレた評論マニアの間では会合等でも意見のちがいを楽しみ、無意識に意見を合わせる人間はビミョーにカルく見られてしまうという健全な(?)風潮がありますが、世の同人誌を見ていると、やはりひとつのカラーに染まってきて異論を言いにくい、言うとブッ殺されそうな(笑)フンイキの場が多いようです。


★……などとエラそうにボザいておりますが。
 特撮同人界参入当初はその風潮に反抗する志しを抱いていたものの、個人的呼びかけについては散文的にラクに論旨を進めやすいがために、途中から筆者自身かなりこの志しに反してしまったというニガい後悔・反省があるのですけれど……。
 当初は、(笑)マークさえ使わないぞと思っていたくらいですから(……)。
 初心に帰るためにも、同人誌製作にあたって、あらためてこれらの風潮への異議申し立ての志しを掲げ、明文化しておきたいと思います。


★チト、カタ苦しくなってしまったな。
 まぁ上記のことは大雑把なガイドライン程度のものなので、金科玉条に守ろうとしているわけではありません。実際には上記に抵触していても、結果的にそれを上回る意義や面白さ・効果が出ていればこのかぎりではありません。
 それに本誌へギチギチガチガチな記事ばかり寄せられたら、編集責任者たるワタクシはひとりでクダケたものを書くだろうという(笑)
 ……単に天之邪鬼なだけなのですけど。ま、その程度のポリシーです。
 実際には、本誌にも個人的呼びかけは出現してしまっているのですけど……まぁあまりウチワウケのクサみは出てないと思うので(?)……そのあたり読者のみなさまの忌憚ないご意見もお聞かせくださると幸いです。
 とりあえずこれだけ明言しておけば、今後の本作りにおいて個人的呼びかけがあっても、それは節度あるものに留まるであろうと計算し、志しおよびその相対化をいささかクドく書かせていただきました。


★で、あともう数点、異議申し立てというか、今後の同人誌作りにおける私的ポリシーにつながる原因となったことどもをつらつらと以下に。


★1点目。筆者は根が古い人間なもので、80年代的な(もう21世紀か・笑)、悪い意味であまりにクダケてる、正当批判というより単なる誹謗になっている文章はあまり好みじゃないところがありまして……。
 フットワークがカルくてかつ中味もある文章は大スキなんですが。
 ドーなのでしょうか? 文章系の本を買う人間ってそーいうフザケすぎた文を望んでいないのでは? という素朴な直観があるのですけど(なーんて、他者の感性を自己の感性の延長として一般化しちゃイケナイな)。
 最低限の論理と実証がある批判ならともかく、作品のレベルあるいは方向性と、個人の好みを分化できておらず(論旨のみならずレトリック面でも)、しかも口汚く吐き捨てて持って廻ったような言い回しで言いくるめる文章をまのあたりにすると、目のやり場にこまってしまいます(笑)。


★2点目。生来がよっぽどイジケた性格だったせいかもしれませんが、集団不適応だった筆者は、むかし同人誌の編集後記の執筆者寄せ書きや、会員制サークルでレクリエーションしたよォ、とかの記事や写真を見ると疎外感を抱いたものでした(一般的な感慨じゃないだろな・笑)。
 ゆえにまったく私的な発想からの狙いかもしれませんが、本文・編集後記はもちろん本全体からにじみ出てくるものとして、執筆者の仲間意識を高めることを目的にしたり、執筆者間で仲がイイんだよ〜んというアピールは注意深く排除し(実際、仲良くないし……)、サークルというか同人誌を、軟弱ウチワウケぬるま湯共同体ではなく、単なる一時的・流動的な“場”にすぎないものにしようと考えています。
 ……エッ、お前だって某アニメ評論同人誌のレクリエーション記事に写真が掲載されていただろって? まぁそーなんすけど、現実にその場になってしまったら、辞退するのも場が思いっきりシラケますので(笑)、そのあたりはデジタルに考えず融通無碍なんですけれど。最善ではないにしろ次善の策というやつで。
 毎号、執筆者が変化したらカッコいいのですけど、現実にはムズカしくて旧友の協力を仰いでいますが、気持ちとしてはそれということで……。


★3点目。口汚すぎる文章が好みではないという点の延長線上にあることですが……。
 同人誌は自由で“私的”なものであるといえども、ひとりでの閉じた世界に完結するものではなく、数十・数百人に発信する以上、若干なりといえども“公的”な性格を帯びてくるものです。
 “公”と“私”は、国家または社会と個人みたいにスパッと割り切れるものではなく、現実にはパーセンテージの問題ではありますが、執筆者は読者への影響と結果とそのことへの自己責任の原則を少しは意識したいなと考えています。
 人間は相手の考えを変えることはできませんが、影響を与えることはできるので、その福音とともにダークサイドにも留意したいと思います。
 文を発表することは一対一から小なりといえども、一対多の関係のスモールパワー(小権力)を獲得することでもありますし。
 同様なことは、もっと小世界になりますが、同人誌内・サークル運営にも言えて、主宰者=編集者は寄稿者に対して小権力を持っているともいえるので、そのことには充分自戒をしていきたいと思います。
 作品批評をしている我らも無垢ではないということで。


★以上のようなことを、本誌をもって現状へのアンチテーゼとしていければと考えています。
 まぁあくまで、作品の感想や批評をしていく次いでの二次的な狙いとしてですが(笑)。あと中・長編論文の伝統の確立も……。

(了)


後日付記:

 今読み返すと、我ながらウブくてアオくさい所信表明ですな(汗)。
 “公”と“私”なんて書いてあると、小林よしのりの思想漫画『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(ISBN:4877282432)に影響を受けたのだろうと勘ぐる方もいるかと思いますが、あちらは98年発行ですので、その文脈ではありません。ていうか、“公”と“私”という概念自体が、時代を超えた普遍的な命題ではありますが。
 また原文では当初、カタカナの“ボク”表記だったものが、30代に入ってジジイ化してきたのを機にハズくなってきて、“筆者”表記に改訂しています(汗)。