「ウルトラマンエース」総論
「ウルトラマンA 再評価・全話評!」 〜全記事見出し一覧
[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧
2006年11月号 長坂秀佳(ながさか しゅうけい)(脚本)
・『ウルトラマンA』への参加
「まさか自分が関わるとは思わなかった。並行して『刑事くん』とかいろんなのやってたから」(談)。
番組は見ていなくても男女合体の設定だけは知ってた。「(市川)森一のアイデア。当時としては俺は面白いと思った」(談)。
・ウルトラの星が見える少年 第29話「ウルトラ6番目の弟」
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061120/p1)
橋本洋二プロデューサーより「新シリーズで少年を出す第一回目を書いてくれ」の依頼。
生まれたばかりの我が子の名前を登場人物に命名=梅津ダン。
「遺作になっても、子どもに伝える遺言として自覚して書いた」(談)。長坂の当時の自作の多くがそうであったそうだ。
頑張りぬいて「ウルトラの星が見える」アイデアは橋本も絶賛。
『帰ってきたウルトラマン』の主題歌歌詞にあるのに、使われなかったコンセプトが実現。
「一生懸命頑張る子どもが好き。怪獣出してやっつければいいだけの話は嫌い」(談)。
・TBSプロデューサー 橋本洋二
あんな面倒見のいいプロデューサーはいない。
打ち合わせ後、同じ世代の脚本家を何人か連れて「飲みに行こうか!」とコミュニケーション。
脚本家達も方向性が成長、一緒に飲むから仲間意識やライバル意識の誕生。
「心入れないと、橋本さんのところでは(脚本が)OKにならない」(談)。
「どの作品見ても心情がかなり大きく出ている」(談)。
「主人公が誰に対して何をするか」に橋本洋二がもっともこだわった。
・第34話「海の虹に超獣が踊る」
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061223/p1)
父をなくした姉弟を登場させ「誤った愛を描きたかった。ベッタリの愛を否定」(談)。
「もっと(世間に)放り出さなければならない」(談)。
・第36話「この超獣10,000ホーン?」
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070109/p1)
この作品を描いた時、暴走族が許せなかった。「久し振りに観たら腹立ったけどね(笑)」(談)。
描いてると暴走族を悪者にするだけでは駄目。
「怒りからはじまっても、描き始めると優しくなってしまう(笑)」(談)。
・初の「ウルトラ」執筆作品『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの逆襲」(仮題「地獄からの招待」)
後で気が付いたが、「父と子のテーマ」は自分の永遠のテーマと思っていた。
昔ながらの頑固親父だったが、上京して家を離れて東宝に入社した頃に手紙を通じて父親と友情が芽生えた、そして親友的になったときに父が亡くなった。
この話は「父と子」テーマの変形=郷秀樹は坂田次郎の亡くなった兄の変わりにはなれないという意思表示。
・怪獣に対する愛
刑事物で言う犯人、事件の動機みたいなものを。
怪獣の人間性・個性、怪獣だって生きている。
メッセージ性・普通の子どもものだと思って描いちゃいけない=大人にも観てもらおうと描いていた。
・最後のメッセージ
「と、いうことで宜しくお願いします(笑)」
解説
特撮ファンはもちろん、刑事ドラマファン、時代劇ファン、最近ではゲームファンにも名高い人気脚本家・長坂秀佳の出演である。長坂を語るとその多くは、『特捜最前線』(77〜87)『刑事くん』(71〜76)『快傑ズバット』(77)等の、彼がメインライターとしてその個性を存分に発揮した作品が代表作として扱われ、それらの作品に纏(まつ)わる話題は多いが、『ウルトラマンA』については、担当話数が合計三話分、前番組『帰ってきたウルトラマン』を併せても四話分にしかならないこともあり、“『ウルトラ』の長坂作品”についての検証は前述の代表作ほどはされず、また『A』のシリーズ中でも全体的に高い評価は与えられていない感があった。
そうした中で自作を語る長坂の証言は、更なる長坂ワールドの検証や作品への喚起を呼び起こすものが伺えた。
また本人が「恩師」と語る(出典・「ファンタスティックコレクションNo.49『快傑ズバット』」朝日ソノラマ刊・1985年6月15日発行)、プロデューサー・橋本洋二へのコメントにも、橋本への恩義の深さを物語っている。
最後のメッセージは非常に簡単だが、これまでのコメントで全てを語り終えたという自負か、または意外にシャイな素顔が出たのかも知れない。
2006年12月号 神沢信一(特撮助監督)
・『ウルトラマンA』参加のきっかけ
円谷プロが『帰ってきたウルトラマン』『ミラーマン』を製作してスタッフが足りなくなる。
円谷から東宝映像(特撮を専門に製作している会社)へスタッフ丸抱えの依頼=神沢にも声がかかる。
元はPR映画、深夜番組等をしていた。
「撮影部かなと思って出かけたら突然カチンコ渡された(笑)」。
・特撮助監督の仕事
あの頃(1972年当時)は現場の何でも屋。
朝来て大道具さんと一緒にセットに入り、怪獣の着ぐるみを着せられて動きや視界などのチェックを行う。
カチンコにカット割のナンバーを書く、立ち位置に印を入れる=「バミる」作業。
撮影終了後、怪獣着ぐるみの破損箇所の修理を手伝う。
「器用というかね、体力が無ければ出来ない」(談)。
・広い特撮ステージ
これまでの円谷プロの特撮はテレビ用サイズのステージで撮影していたが、『ウルトラマンA』は東宝の映画用のセット(東宝で一番広い東宝第9ステージ)を使用=当然面積が広く、天井が高い。
「広いと目配り気配りしないといけない。時間もある程度かかる」(談)。
「逆に広いセットでは人数確保すれば一気に出来る」(談)。
双方のメリット・デメリットから「それまでのウルトラマンとはちょっと違う画が出来たと思います」(談)。
・カラフルな合成カット
東宝の特殊技術課の合成スタッフが関与することにより、非常にカラフルな合成が表現。
そして赤や青、七色の光線はあの頃かなり広まった。
オープニングの番組タイトル文字(素材)は、文字を石や石膏で作って、コマ撮りで動かして撮影。
当時は現在のようなCGなどの技術がなく、全てアナログ製作。
・ウルトラ6番目の弟の原案
プロットを熊谷健プロデューサーに提出、後になって「アイデアだけ使わせてくれ」との返答。
内容は変身願望を持った少年が怪獣に立ち向かい、その犠牲になるもの。
犠牲者ではなく、夢として表現した「ウルトラ六番目の弟・梅津ダン」=その方が結果として正解。
・印象に残る特技監督
佐川和夫
ある意味で『ウルトラマン』(初代)以降のウルトラマンシリーズ作っていく上で中核になった人。
メカニック発進シーンのライブラリーを一手に演出。
「一枚の画(え)で全てを語る」の画作り=毎回毎回そのために新しいアイデアを持ち込む。
「映画並みに朝来て準備して、昼になってそろそろ形になる、で佐川さんがああだこうだ言って、夕方まで回らないこともありますよね」(談)。
高野宏一
映像の流れの中でストーリーを組み立てる。特撮でドラマを作る人。
佐川とは対照的。=ある意味両極端。
両氏を振り返り「僕が特撮を長くやっている時に、いい意味でも悪い意味でも印象にあるし、お手本になっている部分もあるし」(談)。
・最後のメッセージ
「『ウルトラマンA』はこれまでのウルトラマンとちょっと違う、円谷プロにとってもウルトラマンシリーズにとってもターニングポイントになった作品ですね。例えば二人で変身するとか、怪獣でなくて超獣だとか、ファミリーになったりとか。いろんなアイデアや要素が一杯詰まってる作品で、その中に入ってるアイデアを探しながら見てもらえるといいですね」
解説
特撮監督に比べて認識の薄い「特撮助監督」といった立場からの証言が興味深い内容で、また「ウルトラ六番目の弟・梅津ダン」のアイデアの骨子が神沢によるものである秘話の公開には驚かされた。前回の長坂秀佳の証言と併せて読めば、企画の変遷や立案、採用のプロセスの上で非常に興味深いものを感じ取ることが出来る。
アイデアマンとしての活躍も、助監督として必要だったのかも知れない。そして枠にとらわれない斬新な発想が、特撮を司る特撮監督に必要なセンスなのだろう。
ちなみに、神沢氏の特撮監督デビュー作である第50話「東京大混乱! 狂った信号」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070415/p1)については言及はなかった。将来の『ウルトラマン80(エイティ)』(80・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)放映時の『ウルトラ情報局』で話されるのでは? と今から密かに期待している。
2007年1月号 久保田圭司(脚本)
・『ウルトラマンA』参加のきっかけ
伊藤久夫プロデューサーよりの依頼で、時間があったので「とにかく一本書いてみよう」と。
・第35話「ゾフィからの贈りもの」 脚本つくりにあたって
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061231/p1)
打ち合わせの折、橋本洋二プロデューサーから、
「今までたくさんの有名なシナリオライターがこの作品に挑戦したけれども、うまくいかずに没になってしまった作品がたくさんある。なぜならば、“子どもの作品”と云うことで安易に考えていて、シナリオを作ったという。だからそういう作品は没になってしまったんです。だから久保田さんは、しっかりと“ドラマ”を描いて下さい!」という注文を受けた。
「30数年前の話ですけれども、そのことは良く覚えていますね」(談)。
・脚本のテーマ
中世ヨーロッパの『狼が来た』の民話に興味があり、それを題材に取り上げる。
人間信頼=嘘を吐(つ)かれたから単純に信じない=人間真実と思えば最後まで信じなければならない=狼少年の悲劇は起こらなかった。
TACの隊員がこうした状況に陥ればどうなるか?
その具体的な一つのアイデアとしておねしょを取り上げる。それについての信頼関係を描こうと決めた。
コンセプトを決定、橋本との打ち合わせに入る。
橋本「アクションドラマのシーンは考える必要はない。貴方はドラマの部分の作り方だけを考えて下さい」
橋本「その部分は我々が考えれば幾らでもできるものだから、ドラマの部分は自分達では作れないから、そこをしっかり考えて下さい」
久保田「おねしょのシーンがあって、そのおねしょが怪獣の形になって飛び出す」と提示。
橋本「唾を吐くのがいいじゃないか」「水中アクションにした方が面白い」「水は当然必要、だから水の中に潜んでなければいけない。だから湖にしよう」と続々アイデアが提示される。そしてウルトラマンに味方をつけることに。
久保田「どういう人を助けに呼べばいいか?」
橋本「ゾフィにしよう」
実はこの時久保田はゾフィのキャラクターがどういったものか判らなかったので、あとで伊藤久夫に詳細を聞いた。
橋本のアイデアをドラマに導入、描き上げる。
「怪獣部分は全て橋本洋二さんの創作でした」(談)。
「アクションの面白さだけではダメ、もっとドラマとしてしっかりしたもの、訴えるものがないといけない」橋本の考え。
「そういう考え方に私の作品が合ったのでしょうね」(談)。
・いちばんの思い出
自分の家庭にとっては電撃的なドラマ
この作品を書きだしたのが1972年9月頃。
長男が誕生した10月頃に書きあがった。
子どものことを思い出すと「あの時に作品を書いたんだなぁ」と。
自分の子どもにこうした「狼少年」的なことがあっても、大人たちは最後まで信じて欲しいという願いがあった。
・最後のメッセージ
「友達ならば、最後までその友達を信頼して欲しい。信じて欲しい。それが私の願いです。『ウルトラマンA』、これからもご覧になって下さい」
解説
本作のプロデューサーで筆頭に上がるのはTBS側の橋本洋二、そして円谷プロ側の熊谷健だが、彼らとともに作品を支えた伊藤久夫に関する話題が殆んど出ないだけに、伊藤の指名で登板したスタッフの代表としての証言は、作品を作る舞台裏のより見えない側面にスポットライトを当てる意味で大きな意義を持つ回であった。
たった一話分の参加とはいえ、特撮作品初参加の久保田圭司を懇切丁寧にリードする橋本洋二の面倒見の良さには敬服した。また橋本が久保田に語った没作品の話題で「子どもの作品”と云うことで安易に考えていて、シナリオを作ったという」の件には、当時、こうした子ども番組がスタッフからも不当に低く見られていた現状が伺え、それに対する作り手としての志の高い橋本のポリシーが見られるのが興味深い。
ちなみに久保田圭二は、『科学忍者隊ガッチャマン』(72)、『破裏拳ポリマー』(74)、『宇宙の騎士テッカマン』(75)などのタツノコプロのアニメ作品、『山ねずみロッキーチャック』(73)、『マシンハヤブサ』(76)、『メイプルタウン物語』(86)などのアニメ作品。特撮ヒーロー物でも、『アクマイザー3(スリー)』(75)や『宇宙刑事シャリバン』(83)に参加している御仁。
70年代の日活ロマンポルノ映画も多数手がけ、あのTVドラマ『ハレンチ学園』(70)や、TV時代劇『大江戸捜査網』(70〜84)、『新・座頭市』(76・78・79)、『隠し目付参上』(76)、『隠密・奥の細道』(88)など執筆作品は多数の大ベテラン。
円谷プロ作品では『恐竜探険隊ボーンフリー』(75)やTVアニメ『ウルトラマンキッズのことわざ物語』(86)にも参加している。
2007年2月号 中山克己(なかやま かつみ)(俳優 TAC梶洋一主任役)
・過去に円谷作品に出演。
『怪奇大作戦』(68)第6話「吸血地獄」。
撮影は怖かったという印象しかない。
吸血鬼のすごいメーキャップ。芝居より背筋が寒くなり、台詞を言うのが精一杯。
監督に「もっと前行って下さい」と注意される。
『ミラーマン』(71)第4話「コバルト60の恐怖」
人間の弱さみたいなものを、ひき逃げを隠そうとする青年役を演じて表現
「大人向けでも通用する」(談)。
・『ウルトラマンA』に出演
当時所属していた劇団の映画部に呼ばれてと。
「研究員となってましたけど、これは科学者だなと思いまして」(談)。
・最初は白衣・梶主任の衣装
見ている子どもから「お医者さんみたいだ」の声がある。
自分も隊員のユニフォームが着てみたいという願望があり。
ただの白衣からTAC特製の制服に変わる。
改めて見直すと白衣の方がいいなと思う。
・真船禎監督と
個人的には一番印象に残る監督で、物凄い厳しい人。
中山は間が早くなる癖があり、
「芝居と言うのは、間を取るところはいくらでも取りなさい。縮めるところは縮めなさい。それがテンポなんだよ」と指導。
自分では「テンポが早い」というのは何でも早くするのがテンポが早いと思っていた。
中々思うように行かない中山に最後は真船が「僕がこうやったら台詞いいなさい」と合図を出す。
素顔の中山はせっかち。失敗ばかりで未だに直らない。
新兵器を持っていくときも上下逆だったり、ケースの中身がなかったりして周囲は爆笑。
・突然いなくなる!?
シリーズ中盤より(第31話「セブンからエースの手に」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061204/p1)を最後に)だが、スケジュール的なもので、週四日別作品に拘束されたものもある。
・全員で出動!
第27話「奇跡! ウルトラの父」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061105/p1)で前線に出向く。
いつもは司令室、唯一の出動の梶。(編註:実際には第3話「燃えろ! 超獣地獄」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060521/p1)、第17話「怪談 ほたるケ原の鬼女(きじょ)」 (http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1)でも出撃しているが)
TACガンを全員で撃つシーン「あれは恥ずかしかったですね、不器用で(笑)」(談)。
TAC隊員役俳優の苦労がわかった。
実際自分でやってみると体が動かない、一日動き回って疲れた。
「これを彼らは毎週毎週やってたんだ」と痛感。
「最後みんな一緒に外で戦えて記念になった」(談)。
・中山さんにとって梶とは?
「まず役者でなければやれない役。実際僕にはあんな要素はありませんからね。鉛筆が嫌で役者になった男ですから。それが頭のいい、そういう役が出来るのは、役者と言うのは面白い仕事ですよね。いい監督さんとめぐり合えて、今でも役に立ってますよ。僕ちょっと事情がありまして、約25年くらい芝居から遠ざかってたんですよ。で戻ってきまして、色んなものは変わっても、その時期教えられた事は基本的には何も変わってないですね」(談)。
解説
「DVDインタビュー未登場隊員」第三弾として現れた中山克己。シリーズ途中からの降板が惜しまれるが、地味ではありながらも、ドラマ内の「SF」(Science Fiction)の要素に肉付け、彩を添える助演者としての活躍や、その役作り、役柄とは相対する素顔の中山克己とのギャップや、本人が語る役者としての面白さなど、俳優が自分に無い要素を作り、別人を自分で描いてくプロセスを感じ取れるインタビューであった。
2007年3月号 石森史郎(いしもり ふみお)(脚本)
・参加のきっかけ
伊藤久夫プロデューサーの紹介。
彼は元マネージャー、その時からの知人。
「プロデューサーになって大変な思いをしている。脚本が仲々出来ない」
「石森さんに頼むと次の日に脚本が上がる」と。
「困ってるならいいよ」と引き受ける。
・テーマは主題歌の中に
「主題歌の中にテーマが全部入っている」(談)。
テーマソングは子どもの心を奮い立たせる歌。
・友情と青春の物語=第37話「友情の星よ永遠に」
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070114/p1)
友情は相手を信じること。年をとると、相手を疑心暗鬼になる。青春時代はまだ信じられる。
この回の主人公(北斗隊員の友人・鹿島(かしま))はスピードの研究が自分の青春。恋人の存在を無視してまで没頭。
「間違ってもいい、賭けるものが無いと青春じゃない。だけどその間違いに気が付かなければいけない」(談)。
目的のために初めて人間として生きていくうえで大事なものを捨てていることに気付く。
監督・筧正典(かけい せいてん)も「うまく出来てますね!」と絶賛。
・すべてメロドラマ!
脚本家になった理由=メロドラマを描きたいという思いがあって。
過去の自作を振り返って=全てメロドラマ。子どもが見るものでもメロドラマ。
見ていて判り易い、もっとシンプルに人を愛して、信じて。好意が頑なな相手の心を開く。
・子どもの願いから
当時息子が小学生で、学校でいじめに逢う。
「君のお父さんはテレビの脚本(ホン)書いているって言うけど、『ウルトラマン』『仮面ライダー』書いてないじゃないか」と。
「お父さん、どうして『ウルトラマン』書かないんだ」とべそかいて懇願。
当時のヒット作『仮面ライダー』(71〜73)も先に執筆*1。
幸いこちらは監督が大学の同期生というのもあり、東映に出向き「書かせて下さい」と息子のために直談判。
この頃は子どもに大人気、我が子のために「書かせてくれ」と頼む脚本家が多かった。
・怪獣はドラマの中にいる
超獣のキャラクターには苦労しなかった。
ストーリー(ドラマ)に相応しい怪獣を出す。
人間の方のドラマをきっちり描いて、最後に怪獣が暴れてそこにウルトラマンが命を賭して戦う。
「僕にとって怪獣は夢だと思う」(談)。
息子の疑問「なんでウルトラマンに出てくる怪獣は平和に暮らしているのにビルだのなんだの潰しちゃうんだろう?」。
父よりの答「原因はあるでしょう。結果でなくって。お父さんの脚本にはそういうものをきちっと書いてるよ」。
「自分の考えていることを『ウルトラマン』という作品を通して伝えたい思いで書かせていただいている」(談)。
・節分の豆を逆手に=44話「節分怪談! 光る豆」
(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070304/p1)
健康を守るために年の数だけ食べるという節分の習慣に目を付ける。
健康になるために食べた豆のせいで戦えない危機に陥る。
・素直にメッセージを
子どもの作品は、実は物凄く怖い。
間違ったことをドラマで見せると間違った解釈をされる。
乱暴な台詞を言うと影響が大きい。
自分が使ってる言葉にしろ、視聴者に素直に受け止めてもらえるか非常に不安。
その中で出来るだけ素直に皆さんに受け止めてもらえるような言葉使いを心がける。汚い言葉一切使ってない。
テレビは家庭に入ってくる、老若男女幅広く。そういう方達への気配りを改めて考えさせられた番組が『ウルトラマンA』。
・最後のメッセージ
「今、繭菓ちゃん(司会)と一緒に楽しいお話を一杯させていただきました。その中で、私の青春を、気持ちを少しは判っていただけたと思いますので、その青春を汲み取りながら番組を見て頂けると、一層番組を楽しんで見て頂けるのではないかと思いますので、しっかりと見てください」
解説
石森史郎は有名な脚本家であるが、本作以外の特撮作品では『ザ・カゲスター』(76)があり、またもう一つの筆名・中原朗(なかはら あきら)名義では、『超神ビビューン』(76)、『超人機メタルダー』(87)、『世界忍者戦ジライヤ』(88)等も手掛けているが、彼の特撮作品での活躍を語るようなインタビューには、これまで当方お目にかかったことが無い。
アニメーションも含めれば、子ども番組に属する作品は多く手掛けているが、その中で意識する作り手としての自主性、送る側の影響の大きさを意識した心構えなどが見る者の心を動かした。そして我が子の希望が子ども番組のメディアへの進出になったと回想する事項からは、“親が子に伝えるメッセージ”といったコンセプトが石森(中原)作品のバックに常に存在するのを如実に物語っている。
(編:石森氏のジャンル作品における業績の詳細はこちらで・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070304/p1)
2007年4月号 佐川和夫(特撮監督)
・参加のきっかけ
当時円谷プロ社長の故・円谷一よりの薦めもあり。
「もうお前ええ加減カメラやるな。カメラやっても目によくない。演出をやると大らかな気持ちになりますよ。楽しい仕事が出来ますよ。どう? やってみない?」と言われた。
「ある程度自分の技術が身に付いたらトップを目指してやってみろ」がオヤジさん(故・円谷英二)の考え。
若い者にもチャンス、挑戦してみろという意欲が円谷プロスタッフの考え。
佐川も自分の映像を常に助手時代の若い頃から考えていた。
・特撮の演出
ステージが前作より広くなり、「入れ込み」(多くの要素を一つの画面に盛り込むこと)が出来るようになる。
「見てるお客さん(視聴者)も真に迫ってくる」(談)。
それを簡単に「切り返し」(怪獣は怪獣、飛行機は飛行機と区分け)で行うと、撮影は早いけど、
「入れ込み」ではタイミングが合わないと全部NGになる。
見たいお客さんの要素を盛り込んでいくから当然時間も予算もかかる。
そういうのを何故入れるかと言うと、それが「生活観」と思う。
車を運転している時、距離感、高架線、家並み、空気感等の情景や雰囲気、要素をセットに盛り込む。
お客さんは自然に見てくれる。自然が生活感。「いまだにそう思ってる」(談)。
・第1話の特撮は……
オープニング(第1話)の監督は本当に辛い。
シリーズがはじまるまで三〜四ヶ月、時には半年もかかる。
オープニングタイトルをつくるのが一番大事。
オープニングが全テーマ。あの中に凝縮されて入っている。
・次回作『ウルトラマンタロウ』の見どころ
今までのヒーローと言うのは夢と希望を与えるのがテーマ。
その中で何が大切か、今まで言葉には中々ならなかったが、「主役の豊かさと優しさ」。
夢と希望と勇気は必ず出てくる。それだけでは言えない。
そろそろ豊かさ、優しさを出してみようじゃないか。
見てくれるお客様にどのように通じるか。
何とか怪獣をやっつけないで、大人しくさせて元いた星に返してあげようというような
そういう心が出ないかなと言う考え。豊かさと優しさを兎に角(とにかく)考えていた。
「それが出てるかといいますと、私も疑問の部分はありますが、なんとか出せた部分もあると思います」(談)。
解説
『ウルトラ情報局』には初代『ウルトラマン』カメラマンとしての出演以来二度目の登場になる佐川和夫。
今度は特撮監督に昇進後の話題を中心に、後番組『ウルトラマンタロウ』への橋渡しもあり、『タロウ』の話題も登場しての特撮秘話を披露した。
尚今回はのっけから帽子を取って頭髪の薄くなった頭をネタにおどけて登場。そして彼が特撮監督として活躍した『劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』(01)のスタッフジャンパーも着用してのいでたちであった。
『A』以後『スターウルフ』(78)『ウルトラマン80』でアナログ特撮の頂点を極めたような高水準の特撮映像を見せた佐川和夫。
『ウルトラマン80』が放映されるときにも再度『ウルトラ情報局』に招いて欲しいと思わされた。
ここ数年継続される本番組で、表だって出てこなかったスタッフ、キャスト諸氏が出演、多くのファンを喜ばせている現状を見ても、この作品の存在意義は極めて大きい。
関連書籍やDVD等の映像ソフトにも関係者のインタビューは掲載されるが、さすがに全てではなく、漏れてしまう人の方が多い。
この番組は、メインの人物のみにではなく、これまでスポットの当たらなかった関係者も多く登場している。そうした人物による意外な情報や、秘話により新たなる作品鑑賞の手引きとしての存在は元より、更なる作品評価の発展にも貢献してることだろう。
07年5月からは『ウルトラマンタロウ』(73・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)スタートにあわせ、『タロウ』関係者が毎月秘話を披露している。
ちなみに『タロウ』編第1回に登場したゲストは脚本家・田口成光(たぐち しげみつ)で、第二回目には監督・岡村精が出演した。今後の展開に期待しよう。
こうした「特撮ジャーナリズムの良心」的存在の番組や書籍、雑誌特集の次なる登場を切に望む次第である。