假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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DVD付きビジュアルブック ウルトラマンタロウ1973

「ウルトラマンタロウ 再評価・全話評!」 〜全記事見出し一覧
[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧


金田益美・編/ジェネオン エンタテインメント/07年12月21日発売)


(CSファミリー劇場ウルトラマンタロウ』放映・連動(?)連載!)
(文・久保達也)


 「“あの時代のムード”を満載した本格ビジュアルブックに、レア映像&音声を収録したDVDをプラス」なるキャッチコピーがすっかりおなじみになった、ウルトラシリーズのDVD付写真集の第5弾として、『ウルトラマンタロウ』(73年)が遂に発売された。


 『ウルトラマンA(エース)1972』(金田益美・編/ジェネオン エンタテインメント/07年1月30日発売・asin:B000K7LQK6)が発売された際にも感じたことであるが、シリーズを重ねるごとに段々ボルテージが下がっていくような印象がある。
 ヤフーオークションにやたらと出品されているのを見る限り、筆者同様に「大枚はたいたのにハズしたな」と感じているマニア諸氏は多いのではないか(笑)。


 円谷プロが70年代に独占契約を結んでいた二子玉川園で開催された怪獣ショーの数々。
 特に73年4月22日、『タロウ』はじめ『ジャンボーグA(エース)』『ファイヤーマン』(共に73年に円谷プロが製作した巨大ヒーロー作品)の全出演者が参列し、当時『ファイヤーマン』で地球科学特捜隊・SAFの水島隊員を演じていた故・岸田森(きしだ・しん)が司会を務めるなどして、盛大に執り行われた「怪獣さん安らかに…… 怪獣供養祭」(後述)の模様を掲載しているのがカラーページの目玉であるが、“あの時代”を語るのであれば、もっとそうしたイベントの記録に紙幅をさいてほしいように思う。


 地方在住ゆえ、関東地区の遊園地や百貨店で開催されたようなアトラクションを、第2次怪獣ブーム→変身ブーム時に体験できなかった筆者*1からすれば、“あの時代”の貴重な記録が公表される機会が増えることを願わずにはいられない。


 だから72ページにもおよぶモノクロページが、あいかわらず「どこでも見られる」ような登場怪獣やタロウとの決戦場面(ビデオやDVDが普及し尽くしたご時世であるにもかかわらず、わざわざ本編フィルムから「抜き焼き」したものも含む!)のオンパレードであるのにはただ閉口するばかりなのであるが、今回救いだったのは、それと並行して、“あの時代”を語るには「絶対に」欠かすことのできない、低学年誌は百万部、全学年誌だと数百万部という絶大な部数と影響力を誇っていた当時の小学館学習雑誌の『タロウ』関連記事が多数縮小復刻掲載されていることである!



 これは決して懐古趣味ではない。
 小学館の編集部が独自に考案したオリジナル記事の中には、現在の円谷プロの公式設定とは微妙に異なる表現がいくつもあるのだが、今回それらを見ていて新たな発見がかなりあったのである。


 『小学一年生』73年4月号に掲載された『ウルトラマンタロウと五兄弟物語』なる絵物語の中に、


 「ひかりの国ではみんながウルトラけいびたいにはいりたいとおもっています」


 なる一文がある。
 周知のとおり、「ウルトラ警備隊」は『ウルトラセブン』(67年)に登場する防衛組織の名称であり、ウルトラ兄弟が所属するのはM78星雲光の国の「宇宙警備隊」なのである。


 いかにも低学年向け雑誌らしいケアレスミスかと思いきや、『小学五年生』73年4月号掲載『ウルトラ六番めの弟 ウルトラマンタロウがやって来た!!』の中では、ウルトラの父のことを「ウルトラ警備隊名誉大隊長」と紹介しているのである!
 放映開始前の先行記事においては、M78星雲の光の戦士たちは、「ウルトラ警備隊」に所属していることになっていたのだ!


 これが翌月発売の『小学二年生』73年5月号掲載『ウルトラマンタロウひみつ大特集』になると、「M78星雲光の国うちゅうけいびたい本部」と改められており、『小学三年生』73年7月号にはそのものズバリ、『これが宇宙警備隊だ!』(地球での経歴や倒した怪獣の数、特記事項まで明記した「宇宙警備隊員名簿」が秀逸!)なる記事が掲載されている。


 まあこれは講談社の『テレビマガジン』なんかでも、『仮面ライダーV3』(73年)の新番組紹介記事にNG版のスーツを掲載するなど、原稿締切の関係で決定前の先行情報を載せてしまうのはやむを得ない面があるのだが、『タロウ』の場合、放映開始に前後して関東地区では平日の18時にTBSで『セブン』を再放送(――続いて『帰ってきたウルトラマン』(71年)、『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)を連続再放送し、「ウルトラ6番目の弟」を強力にバックアップした! 『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)の際も、現在では平日の18時台はニュースの枠で到底困難ではあるが、せめて夏休みの午前などにこうした措置がとれなかったのか?――)していたため、円谷側からクレームがつき、小学館が考案(?)した「ウルトラ警備隊」から変更を余儀なくされたとも考えられるのである。


 だがそうなると、『タロウ』第25話『燃えろ! ウルトラ6兄弟』において、ウルトラ兄弟の長男・ゾフィーが語るウルトラの国の歴史の中で「こうして『ウルトラ警備隊』が結成された」などと、TV本編なのにまた元の間違いに戻ってナレーションされているのが余計に謎に思える。まあこれも単なるケアレスミスをしてしまったのだろうが。
 (関連記事:『タロウ』第25話での「ウルトラ警備隊」の語句は、脚本家もプロデューサーも関知していない、後付けの加筆だった!・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061126/p1#20061126f2
 思えば『タロウ』に登場する防衛組織・ZAT(ザット)の正式名称は「宇宙科学警備隊」であり、それこそ「宇宙警備隊」とまぎらわしかったりするのだが(笑)。



 その宇宙警備隊絡みの設定で、『小学二年生』73年7月号掲載『光の国のなぞとひみつ』においては「からだの赤い色がうちゅうけいびたいのユニホームだ」として、


 「宇宙けいびたいにはいったウルトラぞくは、からだの色を赤にかえる」


 と説明しており、「けいびたいいんではない光の国の人びと」として、新マンと同じ姿をしているものの、身体の模様の色が赤ではない、4人の光の国の住人の写真が掲載されている。
 筆者はひとつ年上のいとこに当時これを見せてもらった記憶があり、『ミラーマン』(71年・円谷プロ製作の巨大ヒーロー作品)同様に、彼らの身体の模様が緑色に塗られていたのを確認している(つーか、新マンの写真に勝手に着色が加えられていたのだが・笑)。


 これなんぞは『ウルトラマンメビウス』第8話『戦慄の捕食者』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060705/p1)にて、身体が青いウルトラマンヒカリが、


 「その青い体、宇宙警備隊員でない君が、なぜこの地球で戦っているんだ!」


 「宇宙警備隊員ではない」とメビウス=ミライ隊員に明確に説明されたほど、今日に至るまで立派に継承されており、あらためて小学館学年誌の影響力の強さをうかがい知ることができるというものだ。



 一方、『小学三年生』74年1月号に掲載された『お正月特別プレゼント ウルトラ親子物語 ウルトラ怪獣園のまき』はなんとも不思議な味わいに満ちた物語である。


 今から千年前、まだウルトラ学校に通っていた当時のタロウが、父と母とともにウルトラの国のはじっこの方にあるウルトラ怪獣園に行った際の話だが、そのウルトラ怪獣園とは、宇宙警備隊員たちが捕らえた怪獣たちを、生きたまま子供たちに見せてやるために作られたものなのだ!
 そして始祖怪鳥テロチルスが口ばしでつついているうちにドームが割れ、怪獣たちが脱走して暴れ回る話なのであるが、


 「怪獣たちは地球とちがい、重力の関係でウルトラの国でも小さくなりません。ウルトラの国の人たちはウルトラの国では、人間と同じ大きさに小さくなってしまうのです。そのため、怪獣があばれると光の国でもたまりません」


 などと、ほとんど科学的裏づけもなんにもない(笑)。


 まあそれは良しとしても、それではエンペラ星人率いる怪獣軍団がウルトラの国を襲った際、ウルトラの父ウルトラ兄弟は等身大のまま巨大な怪獣たちと戦ったのか?
 先述の『タロウ』第25話に挿入された内山まもるのイラストを見る限り、ウルトラの父は怪獣たちと同じ大きさなのだが(爆)。


 当時ならではのアバウトさがなんとも微笑ましいが、扉には「監修/円谷プロ企画室長 満田かずほ」と堂々とクレジットされているのだが(笑)。



 アバウトといえば、これのほかにも怪獣中心の記事に登場頻度が極めて高い宇宙恐竜ゼットンは、どの記事においても『帰ってきたウルトラマン』第51話『ウルトラ5つの誓い』に登場した二代目の写真の方が用いられており、ついでに宇宙忍者バルタン星人も『帰ってきた』第41話『バルタン星人Jr(ジュニア)の復讐』に登場したジュニアの方の写真が多く使われている。
 分身宇宙人ガッツ星人に至っては、『ウルトラファイト』(70年)に登場した、ガッツの写真が使われるほどのテキトーさ(笑・小学館が第1期ウルトラ怪獣の写真をあまり保有してなかったのだろうが)。


 もっともバルタン星人やどくろ怪獣レッドキングなど、シリーズに何度も登場した怪獣をそれぞれ「初代」「二代目」「三代目」などと区別するようになったのは、78年に巻き起こった第三次怪獣ブーム以降のことであり、当時はまだそのように区分されること自体がなく、明らかに造形が異なるはずの初代と二代目のバルタン星人ですら、皆いっしょくたにされていたのだから、実におおらかな時代ならではの産物と考えるべきなのであろう。



 『小学三年生』74年3月号『73年ウルトラ年鑑 保存版タロウ大百科』は、『タロウ』放映終了にあたってのメモリアル特集であるが、『ウルトラ親子のタロウへの手紙』の中で、ウルトラの父はタロウに対し、


 「タロウよ! よくがんばった。初めは絶対だめだと思ったが、ついに一年間がんばったな」


 とメッセージを贈っている。なんちゅうひどいオヤジや(笑)。しかも記事に至っても、


 「地球に来たばっかりのタロウは、まだまだあまりひょうばんがよくなかった」


 とダメ押しされる始末(爆)。だが新マンとエースは、


新マン「私はブレスレットにたよりすぎて、にいさんたちにおこられたけど、タロウはブレスレットをあまり使わずにすんだからよかったね」
エース「私はあまりにいさんたちを地球によんだので、ひょうばんをおとしてしまった。それをきみはよくばんかいしてくれたね」


 と賞賛している。
 このあたりは『帰ってきた』や『A』をきっちり踏襲したコメントと成り得ているが、ウルトラブレスレットの乱用や、ウルトラ兄弟の度重なる登場に苦言を呈したのは、ウルトラ兄弟の「にいさんたち」ではなく、第1期ウルトラ至上主義者の「にいさんたち」なのでは?(爆)



 単に実作品をなぞっているだけに過ぎない近年の『てれびくん』とは違い、作品では描かれない「裏設定」を丹念に紹介し、児童たちの関心を持続させることに成功した、小学館学年誌の記事こそ、“あの時代”の熱気を感じさせるにはもっともふさわしく、いっそのことモノクロページは「どこでも見られる」ようなスチールの羅列なんぞ一切廃して、これのみに専念してほしいくらいである。



 付属のDVD『ウルトラマンタロウ TIME−SLIP FILE〜映像&音声コレクション』に収録の『ウルトラ談話室』においても、この小学館の学習雑誌との連携について、満田かずほ氏が語っている。


 歩く道は違っても、進む方向は一緒であってほしかったので、あまりにも違う方向に行かれたら困るからとの理由で監修を務め、小学館の編集部が考案した独自の設定に氏がチェックを入れていたのであるが、当時円谷プロの企画室長だった満田氏のお墨付きなのだから、一見とっぴに思える記事の内容も、れっきとした円谷プロ公認のものだったのである! 今でいうメディアミックスなのだ。
 氏は「雑誌を片手にテレビを観てほしかった」と当時の想いを語っているが、実際筆者も放映前後に学年誌で予習復習(爆)をしたものであり、当時はこれに勝る解説書、ガイドブックは他に存在しなかったのだ!


 『タロウ』に登場する防衛組織ZAT(ザット)の名称についても、『A』のTAC(タック)同様、TBS側から「今回はZATでいきましょう!」と先に略称が決められてしまい、その由来も満田氏があとづけで苦心して考案したものであるらしい。
 「Z」から始まる単語でふさわしいものがなかなかないために苦労したらしいのだが、「野獣から守る」という意味の「Zariba」という単語をようやく見つけ、防衛組織にはふさわしいと採用したという。


 後年の公式設定ではZATは「Zariba of All Territory」の略とされているが、当時は「Territory」ではなく、満田氏は「Terra(テラ=地球)」としたつもりだった、と回想している
 (90年代以降にまたまた変更されて「Terrestrial」=『E.T.(地球外生命体)』のT.(地球)の略とされた)。
 いずれにしても、どう訳したって「宇宙科学警備隊」にはならないと思うが(笑)。



 先述した「怪獣供養祭」については、73年2月9日に当時の円谷プロ社長・円谷一つぶらや・はじめ)が41歳の若さで急死(ちなみに73年1月27日には『ウルトラマン』(66年)や『セブン』放映当時の講談社少年マガジン』の図解記事や、多数の怪獣図鑑を構成した大伴昌司(おおとも・しょうじ)もまた36歳の若さで急死。『タロウ』クランクイン二日後のことであった)、撮影現場でもトラブルが相次いだのが企画の発端であり、二子玉川園に話を持ちかけたことが大きなイベントへと発展した、と満田氏は語る。


 だが『DVD ウルトラマンタロウ メモリアルセット Vol.6〜10』(デジタルウルトラプロジェクト・05年6月24日発売・ASIN:B0007XRI14)の特典だったブックレット『二子玉川園イベント回想録〜青空の下で見たヒーローたち〜』においては、当時円谷プロ営業部に所属していた梅本正明(現在青二プロ総務部長)が、73年が円谷プロ創立十周年にあたる記念の年であったことから、


 「メモリアルイヤーという中でなにか大きなことをやろうと、怪獣供養祭の話が持ち上がったのです。イベントとして遊園地で行うというのは、たぶん二子玉川園さんからの申し入れがあったのだと思います」


 と、かなりニュアンスが異なる発言をしている。う〜ん、どちらが正しいのでしょ?(笑)


 ただ当日が好天に恵まれ、4月半ばだというのに汗ばむくらいの陽気であったことは、二人の証言は完全に一致している。
 当日はウルトラ兄弟ミラーマン、ファイヤーマン、ジャンボーグエースに『トリプルファイター』『レッドマン』(72年・共に円谷プロ製作のヒーロー作品)までもが二子玉川園の「エンゼルステージ」に大集合。
 子供たちが持ち寄った壊れた怪獣の玩具が納められた棺を、「怪獣さん安らかに」と書かれた墓碑まで運んで埋葬したあと、園内のみならず、二子玉川園駅前商店街を、大蟻超獣アリブンタのやぐらをかついで行進したらしい(この模様は『タロウ1973』には収録されておらず、『二子玉川園イベント回想録』に収録されている)が、暑さの中、スーツアクターもさぞかし大変であったことだろう……


 この「怪獣供養祭」の構成台本は満田氏が手掛けたものだが(梅本氏の証言では、司会の岸田森は企画段階から顔を見せ、内容面のうちあわせのほか、当時の円谷プロ作品のレギュラー出演者に声をかけ、結果として全員参加という快挙を成し遂げるなど尽力したという)、その中で『マン』『セブン』『帰ってきた』『ミラーマン』『A』『トリプルファイター』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』に登場し、ヒーローたちに倒された怪獣はその時点で約四百匹とされている。
 まさに第2次怪獣ブームの頂点とも呼ぶべき時代だったのである!



 だが円谷プロだけでも『タロウ』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』と三作品を同時製作、『タロウ』放映開始時に合計10本(!)の新作が一週間にオンエアされるほど、特撮ヒーロー作品が飽和状態となったことが、個々の作品の人気が集中しづらい状況となってしまったのだ。
 巻末の『1973年生まれのウルトラマン』において、金田益美は「『ウルトラマンタロウ』は視聴率的には成績をあげてはいなかった」とし、第1話『ウルトラの母は太陽のように』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)が21.7パーセントを記録したあと、20パーセント超えは第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦!』までなく、全53話中わずか4本に過ぎなかったという、意外な事実を公表している
 (『ウルトラマンタロウ』LD(レーザーディスク)(90年)ライナーノーツをはじめ、それを引用した各種同人誌などで、熱心なマニアには既に知られていることでもある。つまり逆に云うと第3〜4クール目に20パーセント超えの回が3本もある!)。


 しかし当時の状況を考えれば、当然といえば当然の結果であるともいえる。『マン』や『セブン』のオンエア当時とは違い、時代は既にウルトラが「ひとり勝ち」できる状況ではなかったのである。


 また、あまり語られていないようだからこの際書かせてもらうが、第2期ウルトラシリーズは、第1期シリーズのようにTBS日曜19時の『タケダアワー』ではなく、金曜19時という、やや条件的に不利になった枠で放映されていたことを見過ごしてはならないと思うのだ。
 むしろ『マン』や『セブン』が高視聴率を稼いだ『タケダアワー』の枠で放映されたにもかかわらず、視聴率が低迷した『シルバー仮面』(71年・宣広社。当初等身大のヒーロー作品だったが、人気の低迷で第11話から『シルバー仮面ジャイアント』と改題、巨大ヒーロー作品にリニューアルした)や『アイアンキング』(72年・宣広社製作の巨大ヒーロー作品)に比べれば、第2期ウルトラシリーズはよほど健闘したといえるのではないだろうか。


 73年秋にスタートした『鉄人タイガーセブン』(73年・ピープロ)『ダイヤモンド・アイ』(73年・東宝)はともに2クールの短命に終わり、『イナズマン』(73年・東映)は74年春に『イナズマンF(フラッシュ)』と改題し、作品世界の大幅なリニューアルがはかられた。
 あの『仮面ライダー』シリーズでさえ、『V3』の平均視聴率が関東で20.2%、関西で27.0%を記録していたのに対し、その次作『仮面ライダーX』(74年)の平均視聴率は関東で16.9%、関西で20.2%と、かなりの低落傾向を示していたのだ。
 これらの事実は必ずしも作品そのものに魅力がなかったということではない。今の視点で改めて観ても、むしろ個性的で、創意工夫が感じられるものばかりである。
 時代の趨勢というべきか、子供たちの関心は既に『マジンガーZ』(72年・東映)や『ゲッターロボ』(74年・東映)など、スーパーロボットアニメに移り変わったのだ。



 それに追いうちをかけたのが、73年10月に勃発した第四次中東戦争に端を発した「オイルショック」である。
 『ウルトラマンタロウ』第38話『ウルトラのクリスマスツリー』において「地球でも、宇宙でも戦争ばかりね」と間接的に言及され、本書でも語られているが、


 「石油危機・インフレ・物不足 TV怪獣番組ピンチ 発泡スチロール不足 製作費も高謄」

(『東京新聞』夕刊・74年1月11日)
 「どうなる・ことしは……怪獣も石油には弱い」
(『読売新聞』夕刊・74年1月18日)


 などという見出しが一般紙に踊るほど、金のかかる特撮ヒーロー作品は敬遠されるようになり、74年春にスタートした特撮ヒーロー作品の新作は『電人ザボーガー』(74年・ピープロ)と、『ウルトラマンレオ』(74年)のみとなってしまったのである。



 それにしても、原油価格の高謄による値上げラッシュ、UFOブームの再来など、現代2008年の世相は当時の状況に極めて酷似しているように思える。


 次のウルトラの新作は、極限までギリギリに追いつめられながらも、厳しい時代を勝ち抜いていこうとする『ウルトラマンレオ』のようなヒーローこそ、ふさわしいのかもしれない。
 とはいえ、『レオ』も大ヒットしたわけではなく、子供番組としてはヤリ過ぎで子供たちがヒイたのも厳然たる事実。第2期ウルトラであれば欠点に眼をつむって持ち上げようというのでもないのだが(笑)、『レオ』の要素を女子供にもウケるようマイルドに、メビウスのように新米で弱くて苦戦はしても最低限の強さは子供たちに感じさせて勝利のカタルシスも確保する作品を作って成功させれば、『レオ』という作品の魂も浮かばれるのではないか?


 歌に時代の気分を託し、後年聴いた際に“あの時代のムード”が甦るように心がけたという、作詞家の故・阿久悠(あく・ゆう。――07年8月1日逝去(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070922/p1)。『タロウ』第9話『東京の崩れる日』のオープニングに「原案」としてクレジットされている深田太郎は氏の長男であり、当時小学一年生。『タロウ』の主題歌を依頼された際、氏は「俺は息子に聴かせるつもりでつくるよ」と快諾したという――)が、“あの時代のムード”を色濃く感じさせる「70年代のウルトラマン」である『タロウ』と『レオ』の主題歌を手掛けたのは、まさに必然であったのだ。


 ……なんて結論でも導かないことには、せっかく大枚はたいた価値もない(笑)。
 『タロウ』が製作された時代に想いを馳せながら、特撮ヒーロー作品再興に向けてのヒントを探してみるのもよいだろう。くれぐれも「お宝写真」には期待しないように(笑)。



 第1期ウルトラシリーズの美術を手掛けた故・成田亨(なりた・とおる)に比べ、露出する機会が極端に少ない鈴木儀雄(すずき・よしお)、井口昭彦による、ZATメカのデザイン画がカラーで掲載されているのはポイント高く、一見の価値はあるかと思う。


 あとDVDに収録の恒例、サングラフの8ミリ映画は『ウルトラマンタロウ誕生』を収録。
 第1話の短縮編集版であり、音楽はカバーバージョンの主題歌を全編に渡って延々と使用、新録ナレーションを加えたものだが、当時としては珍しく、宇宙大怪獣アストロモンスの声は本物を使用しており、またウルトラの母のセリフもちゃんと女性が吹き替えており、結構ペギー葉山に雰囲気が近いぞ!
 と思いきや、タロウの変身音はなんとウルトラセブンの変身音。またまたコケた(笑)。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2008年冬号』(08年2月10日発行)『近作評EXTRA』より抜粋)
ウルトラマンタロウ 1973 [DVD]

ウルトラマンタロウ 1973 [DVD]

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[関連記事]

〈DVD付きフォトブック〉「ウルトラマンA 1972」レビュー

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070210/p1

〈DVD付きビジュアルブック〉「ウルトラマンレオ 1974」レビュー 〜意外な収穫! 学年誌記事多数再録!(長文)

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1



「ウルトラマンタロウ 再評価・全話評!」 〜全記事見出し一覧
[ウルトラ] 〜全記事見出し一覧


*1:筆者の出身地であるイオングループの大手スーパー・ジャスコ四日市店(発祥の地であるにもかかわらず、02年1月に閉店!)で、71年夏に「仮面ライダーあらわる!」というイベントが玩具売り場で行われたが、子供の目で見ても明らかに撮影用のマスクとコスチュームとは異なる、まるでハリボテのようなひどい出来のライダーが、戦闘員と格闘をするわけでもなく、本当に「あらわる!」だけであった(笑)。
 「かめんライダー」とサインの書かれた「うちわ」をもらったが、「なめとんのか!」と思ったものだ(笑)。

 また同じころ、やはり三重県四日市市近鉄四日市駅前・諏訪一番街(現在は昼間は高齢者、夜はヤンキーしか通行しない「ゴースト・タウン」と化している……)という商店街に、『スペクトルマン』(71年・――第52話『怪獣マウントドラゴン輸送大作戦!!』のロケが三重県北部地域で行われたことから、その際に立ち寄って行われた番組宣伝かと思うのだが?――)が現れ、握手してもらった記憶もあるが、地方では本当にそんな程度である。
 「地域間格差」はなにも「小泉改革」に始まったわけではないのである(笑)。