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デビルマン


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(04年10月9日封切)
(文・T.SATO)
 筆者も幼児期にTVアニメ版(72年)を見たクチだ。
 ただし原作についてはマンガを読む習慣がない識字もできない幼児だったのでオンタイムでは未読。
 原作に遭遇したのは70年代末期の小学生時代だった。今のようにマニア社会も歴史的評価も確立した、お勉強としての読書ではないマッサラな状態での邂逅。終盤の展開の衝撃といったら……。
 記憶違いがあったら恐縮だが、デーモンに憑依(ひょうい)されずとも人間同士が疑心暗鬼で殺しあい、90年代には人類が滅び、それでも話はつづき、中国大陸でデビルマン軍団VSデーモン軍団の山が裂け海が逆巻く集団戦がはじまり、数百万年後に終結し、神々(天使)が降臨してくる大叙事詩……。
 ラストの荘厳な図には鳥肌が立ち、児童の語彙では説明不可能な法悦にも似た宗教的感動を受けたものだった。
 時は過ぎ、庵野カントクが『エヴァンゲリオン』完結編(97年)は『デビルマン』になると発言した影響だろう、映画館の行列で漫画版『デビルマン』を熱心に読み耽る10代がいたことを微笑ましくも思い出す。『エヴァ』完結編は形式のみ拝借したテーマは別物作品なのは云うまでもないけれど。
 ただ『デビルマン』は、文法が70年代前半の少年マンガのものなので、今のマニア小僧に歴史的古典という意義はあっても、現在的な生命を保っているかはよく判らない。
 映画版『デビルマン』。評判はとても悪い。筆者も本作を積極的にホメる勇気はない。
 ただ古クサい話をするが、70年代末に特撮復興が唱えられてからも、『さよならジュピター』『ゴジラ(新)』(共に84年)、『帝都物語』(88年)、『ガンヘッド』(89年)、『ZIPANG ジパング』『ウルトラQザ・ムービー』(共に90年・ASIN:B00005MI7B)、『仮面ライダーJ』(94年)、『人造人間ハカイダー』(95年)など困ってしまう苦痛な特撮邦画は連綿とあったワケで(コレらをスキなヒト、ゴメン)、それらと比すれば物語的結構を満たしていて随分マシだと筆者は思う。04年のジャンル邦画を往年の特撮再興の文脈で捉えるのもムリがあり、特撮邦画は次なるステージに入った気もするが。
 2時間にまとめるのには、原作の一部省略や途中の抑揚の変更は当然だし、ファンの残念は判るが、謗り覚悟で云えば個人的には妥当な取捨選択だと思う。『戦争と平和』映画版しかり、『レ・ミゼラブル』ミュージカルしかり。ヒロイン美樹の性格を役者に合わせて若干変更も個人的には許容範囲だ。『ティファニーで朝食を』しかり(笑)。
 主人公・不動明と親友にして堕天使・飛鳥了との関係、不動明が下宿する牧村家との精神的紐帯と、隣近所庶民による一家の惨殺。そこさえ押さえれば『デビルマン』だと私的には思う。
 マンガは個的な媒体で、数百で鑑賞する映画とでは、伏線なし展開の許容度合いが異なる。例えば飛鳥了の正体や数百万年の経過に天使の来迎は、マンガなら壮大感を味わえるが、映画では飛躍が客観視されすぎギャグに見えて失笑されるだろう。またマンガだと大仰に描かねば残酷にならないが、実写で再現すると度が過ぎたり逆にシラけることがある。なので牧村家惨殺の細部改変なども適切だと思う。
 監督&脚本は那須博之那須真知子夫妻。夫妻だと『機動戦士ガンダムSEED』(02年)の福田巳津夫&両澤千晶同様、脚本は単独名義でも監督加筆の可能性は高い。那須夫妻といえば80年代の『ビーバップハイスクール』映画版(85〜88年)。マンガ的誇張アクションの祖として私的には邦画史に記したい(『タイタニック』(97年)、『アップルシード』(04年)の曽利文彦監督の『ピンポン』(02年)が元祖じゃないゾ)。
 作り手も自覚済だろうが、眼に付く問題は主役陣の演技と格闘技陣のカメオ出演。後者もフィルターで色彩加工するなど場面を弛緩させない方策もあったハズ。
 ただ主役が演技経験のないモデル上がりなのも邦洋古今珍しいことではない。輸出されたら吹替えになるので大丈夫(笑)。文芸作品ならぬジャンル作品では説明過多セリフも演技力もこんなもんでしょ。演技力があってもビジュアル的特権性がなくて主役たりえなくてもイミないし。會川昇(脚本家)、というと権威ないので天下の橋田寿賀子先生も、主題をセリフで語るのOK主義者だというからネ。我ながら苦しい擁護だナ(笑)。
 まぁ欠点はあるし良作かというと口を濁すところもあるけども、個人的には筆者は本作がキライじゃない。過去に不動明をイジメてその仕返しに飛鳥了に植木鋏で指を切られて、リハビリで絵画に喜びを見出し、明とも和解している元不良の彼とか、そいつが亀型デーモンのジンメンに喰われる話とか、イジメられっ子ミーコの映画オリジナル展開とか個人的にはワリとスキだ。夜、窓の外を見ると空爆で方々に火の手が。自説を撤回して平和主義者に変節したくなる(汗)。
 残念だが『スパイダーマン2』(04年)に特撮邦画が勝ててないのは事実。作り手のみに原因があるのではないだろう。カタルシス帰結ではない、テーマ&ドラマ至上のマニア批評にも遠因があり、作劇に間接に悪影響を与えていると見る。
 ならばそこを転倒させるのも今後の特撮批評の目標のひとつだ。
 とは云え大ワクはそーでも、細部を穿てば日本のジャンル作品の基本設定にも一因はあるのかも。
 我々は『機動戦士ガンダム』(79年)以前の本邦ヒーローものを勧善懲悪と括りがちだが、平成『仮面ライダー』シリーズでおなじみ白倉伸一郎プロデューサーが自著『ヒーローと正義』(04年・寺子屋新書・ISBN:490133042X)で、『仮面ライダー』(71年)#1、2に登場した蜘蛛(クモ)男・蝙蝠(コウモリ)男は、打倒アメコミヒーローのスパイダーマンバットマンの隠喩だと喝破した通り、スーパーマンに比すればバットマンらはダークでも、仮面ライダーデビルマンキャシャーンらは実はもっと悲劇的な基本設定の存在であるのかもしれず、ゆえに大作映画化する際、娯楽活劇化するのが不可能とはいわないが、より困難なのかもしれない。
 ただTV版『仮面ライダー』は、脚本家・伊上勝(いがみ・まさる)の横山光輝(漫画家)や山田風太郎(作家)にも通ずる、人間を機能的装置・ゲームのコマ視する乾いた作劇が、意識的でないにしろ暗部を回避し成功させている(その伝で『鉄人28号』04年アニメ版は横山的ではない)。
 とはいえ、批評の在り方への提言など、現状へのカウンターとしては脆弱か? 『CASSHERNキャシャーン)』(04年)、『キル・ビル』(03年)同様、宣伝一発でメジャー感を醸し、ジャンル作品の作り手&受け手の意識を明朗にした方が事は早いかもしれない。その次元で云うなら、宣伝ビジュアルはデビルマンを廃し、妖鳥シレーヌのみで押してオシャレ感を出して女性層をもっと取り込むというテもあったのではなかろうか?

(了)


(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2005年号』(04年12月30日発行)『デビルマン』合評③より抜粋)


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