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妖怪大戦争・05年版


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(05年8月6日封切)

妖怪大戦争

(文・Y.AZUMA)
 05年8月6日 丸の内ピカデリーで13時からの第二回を鑑賞。客の入りは7割程度。中央部分が一杯になるくらいであった。
 正統な評論や楽しい話は各位にお任せし、水木しげるファンとして気がついたところをひとくさり。


 『妖怪大戦争』という名の映画は、かつて大映で作られた妖怪映画のひとつである(68年)。当時も妖怪たちは水木先生デザインで、当時の小学生たちは、ぎりぎり存在していた二番館、三番館で次から次へと出てくる恐ろしい妖怪たちの姿に両手で目を覆っていたものであった。
 タイアップのためCS局でやっていた一連のシリーズ映画『妖怪百物語』(68年)を観てみた。
 子どもだったので、ちょっとお茶目なルーキー新一やそのまま特殊メーク顔の吉田義夫師くらいしか覚えていなかったのだが、暗闇に消えていくたくさんの妖怪たちの姿(後に「百鬼夜行」の呼称を知る)はやはり二十一世紀現在の視点で見ても傑作である。


 さて、その大映妖怪映画シリーズの名を継ぐ『妖怪大戦争』である。
 先ず結論。
 壮大な「水木しげる映画」である。
 単なる恐がらせるばかりの「幽霊」「妖怪」映画ではない。
 「妖怪」をモチーフにして、生きているもののずるさ、ひきょうさ、いい加減さ、適当さ、能天気さを適当に取り混ぜた水木先生のキャラクターを再構成し、映画としての骨子を外さずに作っているところが見どころであろう。
 どうも水木先生ファンというのは、様々な場所にたくさんいらっしゃるようで、特に年代的にハンコを押せる立場になる世代になっている人も多く、出来上がった作品は、気の抜け具合、キャラクターの水木度、すべてにおいてほぼ満点の水木作品となっている。
 とにかく、CG技術を駆使した水木ファンの元青少年が、比較的自由に資本を使い、水木先生をリスペクトした作品であることに間違いはない。
 しかし、水木ファンには嬉しい映画だけれども、さて、普通の人にはどんな風に映るのだろうか(知り合いの子ども(小学二年生の女の子)は「悲しい映画」といっていた)。
 それでは、水木ファンとして気がついたところ。


神木隆之介君はやはり名子役である。しかしながら、コスチュームを着替えるシーンで彼が全裸になるのはいわゆる「ショタコン」のお姉さんへの目玉なのだろうか。ちと頂けない。
佐野史郎は以前のテレビ番組で東孝桜井文庫を見せびらかす位の筋金入り水木ファンである。妖怪でもやるかと思えば、ごく普通に雑誌「怪」編集長。うーん、ひねてるな。
竹中直人の油すまし、メークなしのそのままはずるい。
忌野清志郎ぬらりひょん先生、「愛し合ってるかーい!」と叫ぶいつもの姿より、人間らしく見えたのは勘違いか。
岡村隆史の小豆洗い、ストーリーを左右するけっこう重要な役で驚いた。
田口浩正の一本タダラ、「田口浩正」を消し去っての演技は最高でした。日本一の鍛冶屋なんて、柳田国男の「一つ目小僧その他」を読み直したくなった。
・その他、近藤正臣の猩々、石橋蓮次の大首、根岸季衣砂かけ婆等々、もうそのまんまでした。
・川姫のモチーフは、『千と千尋の神隠し』(01年)のリスペクトね。これはOKかも知れない。
・日本妖怪の寄り合いのシーン、あの人間くさい妖怪たちの反応は、TVドラマ『河童の三平・妖怪大作戦』(68年)が一番似ているみたい。
・ボケかかったじいさん役の菅原文太先生は見もの。あのひょうひょうとした性格は「河童の三平」のおじいさんとも相通ずるものがある。
阿部サダヲ演ずる川太郎の一反木綿を引き止めるセリフ「おまえ、鬼太郎の前じゃいいカッコしやがって」って所で思わず一人で大笑いしてしまった。どうやら、鬼太郎の世界と直結しているようだ。鳥取の山奥にもブリガドーン現象が定着したか。
加藤保憲荒俣宏先生の持ちキャラ(『帝都物語』(88年))だけど、惜しげもなく出てきていた。豊川悦司には嶋田久作にはない味があるようなないような。
・鬼太郎がよく利用しているカラスのブランコ。実写じゃ初めてではなかろうか。
荒俣宏京極夏彦両先生が妖怪の総大将・山ン本五郎左衛門と神ン野悪五郎で登場していた。どう見てもこのお姿のほうが活き活き見えるのは、こっちの方が飾っていないキャラかも知れない。
・あのボンネットバス、どうも私の年代には「クラシック」な印象は受けないのは仕方がないか。


 どちらにしても、六割五分が再構成された壮大な水木世界で二割がその世界で真面目にワル乗りしている俳優陣の演技力、それらを除く残りの一割五部が、映画製作者本来の力の部分と踏んだ。しかし、この一割五分、八割五部に負けてない。
 現在進行形の子供たちには夏休みの冒険譚として、過去完了形の元妖怪少年たちには現実逃避と古い友人たちとの再会の場として結構楽しめる映画である。

(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2006年号』(05年12月30日発行)『妖怪大戦争』合評①より抜粋)


妖怪大戦争

(文・T.SATO)
(誌面余白アナうめ短文原稿)
 『大戦争』と銘打つからには大バトルが、滑稽かつペーソス(哀感)ただよう妖怪連を上回る、大悪党が必要だ。
 その役回りは、『帝都物語』(原作83年連載開始・映画88年)の旧陸軍将校姿もまばゆい加藤保憲(かとうやすのり)がなぜだか登場!
 個人的には、この映画がドラマ的テーマ的、作劇の技巧的に成功しているとはつゆ思わないけど、コレはコレでイイと思う。最終的には及第点を私的にはあげる。
 なぜか? 本作はドラマやテーマを見せる映画ではなく、基本的なウリは、妖怪総登場の見世物映画だからだ。
 本作の場合、妖怪どもがバカをやり、ラストは百万匹(?)の妖怪たちが、江戸時代に数十年おきに流行したお伊勢参りや、幕末の「ええじゃないか」的に、お祭りとカン違いして、踊り狂いながら東京に集結して乱痴気騒ぎになる(結果的にラストバトルを助ける)という展開で、個人的にはその他の瑕瑾(かきん)を一応許せる。
 とはいえ、妖怪たちの戦いの動機が、主人公を守るためではないので、最高度のカタルシスは達成されていない。
 後日、マニア向けムックやマニア友だちから情報を仕入れると、荒俣宏京極夏彦宮部みゆき三大大センセの意向として、バトルのカタルシスを意図的に避けたようだ。
 またまた、本邦ジャンルしかも特撮で、ここ15年ほど繰り返されてきたバトルへの懐疑かョ、とスレたマニア的には思ってしまうが、逆にいえばバトルへの懐疑の試みがジャンル外へは伝わっていないともいえ、その功罪についてのリアクションをどうなすべきか複雑な気持ちになる。
 でも妖怪たちは結果的に戦ってるし、主人公少年は麒麟送子(きりんそうし)になり剣もて戦い……、何なんだ!?(笑)
 まあ姉と別居して祖父と同居してるプチ社会派要素や、後日談のオトナになり妖怪が見えなくなった少年とかは、まったくの蛇足だとの大なる不満もあるけど(三大センセはそこを押してるが、マジなのか営業トークなのか?)。
 ラストの「真っ白な嘘」は、要はヒトをダマし陥れるためのウソではなく、関係調和・潤滑の気配り&思いやりとしての優しいウソならOKという真理で、一部の潔癖オタクは見習ってほしいが、劇中ではさしたる説得力もナイな。
 『帝都物語』『ゲゲゲの鬼太郎』(65年)と同一世界なら(?)、江戸時代を舞台に古代バビロニア妖怪ダイモンと戦う旧『妖怪大戦争』(68年)も同一世界にしてほしかった(80年代中盤まで夏休みになるとテレビ東京で午後に頻繁に放送されたので、旧作ファンは多い。筆者もそのひとりの大ファンだ!)。

(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2006年号』(05年12月30日発行)『妖怪大戦争』合評④より抜粋)


『假面特攻隊2006年号』「妖怪大戦争」関係記事の縮小コピー収録一覧
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朝日新聞 2005年8月11日(木) 文化欄「映画」狂気に潜む危険な「お祭り」妖怪大戦争 評者・切通理作 批評家 〜妖怪たちが被害者的に描かれたのはやや興を削ぎ、中盤での少年が妖怪たちに遭遇する場面を先にすべきと思うが、ラストの東京破壊は「お祭り」で面白い・大枠記事


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