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嫌オタク流・私評 〜80年代・フジテレビ・お笑い・ヤンキー・スクールカースト!


[オタク] 〜全記事見出し一覧


(文・小泉〈スリム・シェイディ〉明彦)(06年7月執筆)

80年代・フジテレビ・お笑い・ヤンキー・スクールカースト

嫌オタク流』(06年 高橋ヨシキ中原昌也海猫沢めろん更科修一郎 太田出版刊)


 雑誌・月刊『映画秘宝』(洋泉社)の読者コーナー「READER'S ATTACK!」および雑誌・週刊『SPA!』(扶桑社)連載エッセイ「エーガ界に捧ぐ」で知られる著者コンビが、『電車男』(05年)の大ヒットを皮切りに巷のメディア主導による秋葉原ブームを柔軟な視点で斬りまくる意欲的な対談集!! ……になるはずが、単なる腰砕けに終わった残念本(ここまでスカスカな内容の本も、サブカル関連本史上他に例がないのでは……)。


 唯一の読みどころ(…)である巻末のオタク用語解説の他にも、オタクの性意識やジャンルムービーについての言及など、ところどころに面白い箇所もあるのですが、全体的に双方の陣営がお互いの「腹の中」を探り合っている印象があり、昨今の秋葉原ブームを勢いよく走り抜けるつもりが同じところを延々と足踏みしているようなもどかしさすら覚えます(……読んでいて、と学会会長・山本弘先生の名言中の名言「相手の悪口を言う前に、事実確認をきちんと行う」が思わず脳裏をよぎりました……)。


 全体的な印象は、『週刊文春』06年5月18日号の漫画家・作家のさかもと未明氏の痛々しさすら感じるアキバ系オタク否定論(案の定、完全に黙殺されていましたが……)に通じる『映画秘宝』組の「同族嫌悪」といった感じで、読んでいて「困ってしまう本」としか言いようがありません(汗)。


 残念ながら『嫌オタク流』(ASIN:4778310012)の場合は少々「毒」が強すぎて、「罪のない笑い」の要素が弱いように思えます。むしろ、『ダーリンは外国人』(ソニー・マガジンズ刊・02年・ASIN:4840106835)や『監督不行届』(祥伝社刊・05年・ASIN:4396763530)の便乗本ながらも、『ダーリンはアキバ系』(東邦出版刊・06年・ASIN:4809405192)のほうがオタクの「実体」を的確にとらえていますし、同時にオタクの困ったちゃんな一面についてもポジティブな指摘をされていることもあり、むしろ、こちらのほうに好感を覚えた方が多かったのではないでしょうか(『ダーリンはアキバ系』での著者の鋭い指摘「(オタクは)大きな子供!!」が、更科修一郎氏の発言「オタクは10歳児だ」と共通しているのも、なかなか興味深いものがあります)。


 全体的に『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』、同『2』(洋泉社刊・02年・ASIN:4896916298・05年・ASIN:4896918452)の町山智浩柳下毅一郎両氏のような「遊び心」が足りないために、読み手も一緒に対談に参加しているような「多幸感」が全く感じられない上に、対談そのものが「ジャンル映画オタクのほうが、萌え系オタクよりも格が上」という一方的な思い込み(?)を前提にしている印象があり、対談相手を高みから見下ろしているように感じられる瞬間が何度かありました。やはり、昨今のオタク文化やマニア社会の批判をするならするで、きちんと下準備をした上で建設的な批判をされたほうがよかったように思えます(まあ、文庫版『だめんず・うぉ〜か〜』第5巻(扶桑社刊・05年・ASIN:4594050468)P138〜141のような方はさすがにマズいと思いますが……(汗))。


 つい先日も、某『AERA(アエラ)』系女流ライターによる女性オタク評論本が女性オタクを支持するかのようで、実際は女性オタク全般を「やおい好きの腐女子」と一方的に決めつけた差別的な内容が大顰蹙を買って見事に自爆(ネットでは女性読者のブーイングの嵐だったとか……)した例がありますし、過剰に背伸び(知ったかぶり?)した「飛躍した論理」でご自身の「専門分野」から大幅にかけ離れたジャンルを安易に「総括」しようとしても、読者に「真意」を見抜かれて不信感を抱かれたり、イタがられる(…)だけだと思うのですが……(『嫌オタク流』発行当時のはてなダイアリー界隈の書評群に至っては(編:本ブログ編集者たるT.SATOが本論執筆者・小泉の参考資料用(誘導用?)に収集したもの・汗)、ネット利用者の方々の「まあ、長い目で見てあげようよ」的なリベラルかつ常識的な感想コメントばかりでしたし……)。



 たった二人を相手にした対談だけで、現在のオタクブームを「総括」しようとする企画自体かなり無理がありますし、海猫沢めろん更科修一郎両氏のお二人以外にも、各分野で活躍されているプロの方々に出席してもらえば、各々が様々な「コダワリ」を持つオタクファンを多角的な視点から検証する意欲的な内容に仕上がったのではないでしょうか(今はなきHR(ハードロック)/HM(ヘビーメタル)シンポジウム専門誌『炎』(シンコーミュージック刊・94年)の連載対談「虹色の音詞(ことば)」(98年・ASIN:4401614151)は、毎回登場する様々なゲストが自身の豊富な音楽知識・音楽体験を披露され、言葉の端々からゲストの意外なバックグラウンドが垣間見える屈指の名企画でした)。


 また、お二人は幼女連続誘拐殺人事件の犯人がビデオマニアだったことに端を発する、スクールカーストの最低辺に位置する内向的な学生たちがヤンキーたちの陰湿ないじめの標的になったときの体験レポートが読んでみたいと発言しておられましたが、できれば漫画家・みうらじゅん氏のようにご自身のスクールカースト体験を告白した上で提案していただきたかったように思います。


 マンガ『NANA(ナナ)』第9巻(03年・ASIN:4088565061)P135で某パンク・シンガーのお姉さんもおっしゃられていますが、人間には誰にでも触れられたくない「痛み」があります。本来ならばお二人自らが自身の「痛み」を公の場で語ってこそ説得力が出てくるはずなのに、自分たちを安全圏に置いてカミングアウトを強制するのは「アンフェア」ですし、単なる「興味本位」で読者を煽るのは少々デリカシーに欠けているのではないでしょうか(伝え聞く某巨大掲示板の『嫌オタク流』大バッシングの嵐はこれが最大の理由なのでは……)。


 お二人は69〜70生まれなので世代的にあまり実感がないのかもしれませんが、80年代半ばから90年代にかけてのスクールカーストは、80年代前半の校内暴力の延長にいじめ問題がプラスされ、さらに放送室に籠城して装甲車まで出動する騒ぎを起こし、卒業式の答辞では自分勝手なタワゴトを絶叫する社会常識ゼロのツッパリ中坊(こんなおバカなガキ、さっさと退学処分にしろよ……)を無責任にアイドル扱いした『3年B組金八先生』第2部(80年・ASIN:B00008DYQV)の迷作「腐ったミカンの方程式」シリーズ(多分、事務所は出演タレントを和製版ジェームズ・ディーンとして大々的に売り出すつもりだったんでしょうね……)が大ヒットしたことに始まります(今にして思うと、唯一の輝きである名台詞「段ボール(教室)の中に一個腐ったミカン(不良)があると、そのうち全部が腐る」は、エイズウイルスのように80年代の若者社会を汚染して愚かなチンピラどもの「狂宴犯罪」を全国に誘発させ、一部の若い女性に下品で乱暴な言葉づかいを定着させた愚劣な80年代ヤンキーブームの罪を見事に予言していた気が……)。


 これに加えて、動物虐待も甚だしいキャラクター・グッズ「なめ猫」の大ヒットや、ベストセラー『積木くずし 親と子の二百日戦争』(桐原書店刊・82年・ASIN:B000J7KXYW・85年に角川文庫・ASIN:4041625017)を原作にしたTVドラマ『積木くずし』(83年・ASIN:B0001X7WFM)最終回が45・3%という驚異的な視聴率を叩き出したことにより、多感な年頃の(=メディアに影響されやすい単純な)少年少女を単に「札束」としか思っていない大人たちの思惑によって「不良」のメジャー&バラエティ化が推進。「日本をダメにした時代」の本格的な幕開けとなりました。


 80年に横浜銀蠅が「横須賀BABY」でデビューし、伝説の迷曲「ツッパリHIGHSCHOOL Rock'n Roll(登校編)」が大ヒット(85年には中山美穂による同名映画の主題歌「BE-BOP-HIGHSCHOOL」がリリースされたとか……)。さらに手記を綴った本人の主演でスケバン中学生の非行の軌跡をドキュメンタリー・タッチで映画化した『“BLOW THE NIGHT!" 夜をぶっとばせ!』(83年)公開後、主演女優がレディースキャラのまま『笑っていいとも!』(82年〜)のコーナーレギュラーを獲得。そういえば、『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(81年)のイモ欽トリオの中にも「ワルオ」なるツッパリ役(西山浩司)がいたっけなあ……(やっぱり、フジテレビが「諸悪の根源」だったのね……)。……なんだか、本当に書いていてウンザリしてきました……(溜息)。


 そして、民放テレビ局の「一億総白痴化路線」のダメ押しともいうべき『不良少女とよばれて』(84年・ASIN:B0002IJPE2)から『はいすくーる落書』(89年)に至る、精神が未成熟で粗暴な若者たちを無責任に「英雄視」した低俗なタレントドラマを連発したTBS・フジテレビ・日本テレビ大映テレビ東映・ユニオン映画の最低以下の愚行(…)によって、実社会での「自分の立場」を勘違いしたお利口すぎるヤングが増長し、さらにドラマの影響によって乱暴な言葉使いをする女性が急増。……結果、全国の学園は文字通りの「無法地帯」と化しました……(暴力団と交流のある某女流占い師、動物虐待の疑いのある某霊能力者、女性問題で有識者に大顰蹙を買った某若手議員、そして逮捕前の某容疑者を無責任にタレント扱いした件も含め、テレビの前の子供たちへの「悪影響」を何も考えていない、民放テレビ局の「視聴率至上主義」の弊害は今に始まったことでないことがよくわかりますね……)。


 これに加えて社会的弱者を嘲り、笑い者にするフジテレビのバラエティ番組の痴呆的な内容が「相手を思いやる」という人間として最低限の基本常識を形骸化させて、全国の学校や盛り場に「粗暴なヤンキー」と「軽薄な若者」が『週刊少年ジャンプ』(集英社)連載のマンガ『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(76年〜)の「ゴキブリ大行進! の巻」(単行本第76巻収録)ばりに増殖(もっとも、痴呆……もとい、地方では同一人物である場合が多かったですが……)。


 なかでも、世代人から敵視されている某とんねるずの恥ずべき「ノリオ」シリーズは、「軽チャー路線」によって民放テレビ局の雄に成り上がったフジテレビ関係者の奢りが歪んだ形で結実したと同時に、テレビというメディアが生み出した最凶最低最悪の電波公害(…)であり、強者に取り入り弱者を嘲笑うフジテレビ系バラエティ番組の集大成ともいうべき代物でした(この「差別称賛番組」を企画・制作したフジテレビ関係者および出演者、そして自らの愚かさにも気づかずに大笑いしていたテレビの前の視聴者全員が「不幸になってほしい」と、今でも本気で願っている方はかなり多いのでは……)。


 現在では番組の存在自体が「なかったこと」にされていますが、ヤンキーブームを再び仕掛けようとするメディアの愚かさを見ていると、マイノリティー差別を無責任に助長した80年代フジテレビの象徴として永遠に語り継ぐ必要があるように思えます(汗)。



 ……さて、かの国の独裁者と大使のキャラクターをそのまま先取りしたような、ひねくれた内面をそのままビジュアル化した前時代的な髪型とダサい(死語)ボンタンを着た不良グループがのし歩き、さらに体罰教師の暴走が日常茶飯事だった「もはや学園というより動物園」((c)映画『処刑教室』(82年・アメリカ)チラシ解説より)のような陰々滅滅としたスクールライフは、当時の自分たちにとって誇張抜きでアブグレイブ収容所のような灰色の6年間でした。


 「たった6年」と思われるかもしれませんが、まだ年端もいかない少年たちにとって、そこは「永遠という名の牢獄」そのものであり、漫画家・手塚治虫先生のお言葉をお借りするならば、「……そこに、人間のどん底の生態を見る思いだった」が、当時の自分たちの辛い日々と、極限まで追い詰められた心境を見事に言い表していると思います。


 いみじくも「オタク批判」をされるのであれば、挑発的な暴言を連発して世代人の感情を逆撫でする前に、オタク第2世代が自らのスクールカースト体験を誰一人として語ろうとしない時点で、我々の世代の心の奥底に大きく影を投げ落としている「トラウマ」の大きさや重さに気づいていただきたかったように思います(ちなみに、前述した理由から私は『映画秘宝』が提唱している「東映不良性感度路線」の復活には絶対に反対です。ただでさえ治安が悪化しているのに、「オレ様化」している昨今の若者たちがああった「百害あって一理なし」の俗悪番組をリアルタイムで試聴したら、どのような事態に発展するかは目に見えていますし……)。


 KORN(コーン)のジョナサン・デイヴィス(94年デビューのニュー・メタルの流れにあるミクスチャー・ロック・バンドのボーカリスト)の「二度と戻らない学園生活を最悪にした彼らを一生許す気にはなれない」は、「忌まわしい時代」を身をもって体験した世代の胸中を見事に要約した名言中の名言ですが、『嫌オタク流』でのお二人の不謹慎な発言の数々は、オタクバッシング世代の感情を逆撫でするかのようなカバーの挑発的なコピーを含め、陰湿なオタクバッシングが繰り広げられていた「暗黒の時代」に時計の針を逆戻りさせ、同時に自らの首も絞めるような「危うさ」すら感じさせます(そもそも「あの頃」は、映画・アニメ・コミック・小説・アイドル・ロックを愛好する内向的な学生たち全員が「オタク=犯罪者予備軍」という全く根拠のない言いがかりをつけられて、「何も考えていない連中=本当の犯罪者予備軍」の陰湿な「ゲーム」の標的にされていたわけですし)。


 また、前述したさかもと未明氏の発言もそうですが、巷の秋葉原ブームは長引く不況と格差社会の到来によって、それまでの「恋愛至上主義」では若い女性を呼べなくなったフジテレビと電通のメディア戦略による「作られたブーム」ですし(悪名高い秋元康が「おニャン娘クラブの夢よ、もう一度」とばかりに、アキバ発アイドルユニット・AKB48の大ヒットを仕掛けようとしている現状(…)など、まさにその典型)、昨05年の総選挙やワールドカップ狂騒曲のように、ハーメルンの笛吹きばりに大衆を無責任に煽り立てる「メディアの罪」に向き合おうとしないで、くだんの秋葉原ブームから何一つ「恩恵」を得ていない一般ユーザーだけを断罪するのは「歴史の過ち」を再び繰り返すことになりかねないと思うのですが……。



 『映画秘宝』04年5月号P48および6月号P124の萌え系マニアを「犯罪者予備軍」と一方的に決めつける論調や、06年8月号P76の『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』(05年・ASIN:B000JVSVHY)のサム・ダン&スコット・フェイデン両監督への質問


 「ところで、あなたたちは未成年の女性が好きですか?」


 「美少女アニメやフィギュアには興味がありますか?」


 など、ここ数年の『映画秘宝』はアキバ系オタクを「仮想敵」にした一大キャンペーンを展開していますが、「男らしい」どころかかえって「不健康」なものを感じます(反社会的な行動で人様に迷惑をかけるのならともかく、個人の趣味や価値観は人それぞれですし……)。


 かつてのように、業界フィクサー・女性字幕翻訳家・タカ派都知事渋谷系オシャレ雑誌などの「権威」にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンよろしく建設的な「闘い」を挑むのならともかく、趣味の世界に「ヒエラルキー」を持ち込んで、新たな「差別」を生むようなキャンペーンを繰り広げるのは単なるメディアの「弱い者いじめ」にしか見えませんし、非常に危険なものを感じます。


 つい先日も、『マンガ嫌韓流』(普遊社刊・05年・ASIN:488380478X)の内容を鵜呑みにした一部のネットユーザーの差別的な書き込みが大問題になりましたが、かつてヒップホップ界でも東西両海岸をそれぞれ代表するラップミュージシャン、トゥパック・シャクールとノトーリアスB.I.G.がささいな意見の相違から決別。陰湿な中傷合戦を繰り広げたことによって、シーン全体はおろかそれまで友好的だった東西のヒップホップ・ファンもお互いに反目しあうようになり、最後はストリート・ギャングとおぼしき犯人の銃弾にトゥパックとビギーが倒れるという悲劇的な結末を迎えました。いみじくも「プロ」の方々が媒体を利用(?)して、いたずらに特定のジャンルのファンへの「差別」をあおるようなキャンペーンを展開するのはいかがなものかと……(先日のサッカーのジダン選手の例もありますし……。まあ、我が国には銃犯罪を起こすオタク系ギャングはいないと思いますが……)。


 それ以前に、萌え系オタクのトホホな部分は『こち亀』の左近寺竜之助三部作「格闘ゲーマー警官登場!! の巻」「あなたのフィギュア作ります! の巻」「美少女フィギュアに超夢中(ハートマーク) の巻」(単行本第99・102巻収録)で漫画家・秋本治先生がとっくの昔に相対化(笑)されていますし、前述した東西ヒップホップ抗争よろしく「オタク村」の中でジャンル・ムービー系とアキバ系がどんなに争ってみたところで、オタク文化に免疫のない一般市民には「同じ穴の貉(むじな)」同士が低レベルな醜い争いを繰り広げているだけにしか見えず、オタク社会にはなんのメリットもないどころか、かえって印象が悪くなるだけだと思います。


 一読者としては、メディア主導による秋葉原ブームを逆に「利用」して様々なジャンルのファンを現在のムーブメントの下に結束させ、金儲けのために一時的なトレンドを次々に仕掛ける業界人たちの工作にはビクともしない、雑居ビル的な「一大勢力」を築き上げるような老獪さを持っていただきたいように思うのですが……。マイナージャンルで例えれば、洋楽HR/HM専門誌『BURRN!』(シンコーミュージック刊・84年〜)編集部と読者の「結束力の固さ」はつとに有名ですし……(ちなみに、『BURRN!』の広瀬和生編集長はディープなコミック&特撮ファンで、90年代の編集後記では全国の「同好の士」が男泣きする熱い名コメントの数々を披露されています)。


 ライブドアアイフルの事件に限らず、相手を持ち上げるだけ持ち上げておいて、少しでもボロが出ると手の平を返したように叩きまくるのはメディアの「常套手段」ですし、大企業や文化人が自らの「商売」を支えるユーザーを保身のための「スケープゴート」にするのは、過去の幼女続誘拐殺人事件やオウム事件の例を見ても明らかです。
 むしろオタク批判を唱えながらも対談相手の主張に耳を傾け、さらに双方の主張を生かした建設的なビジョンを新たに提示する――といった「大人の余裕」を見せたほうが、一般読者をオタク・サブカル文化の「味方」にできて効果的だったのではないでしょうか。


 余談になりますが、「あなたのフィギュア作ります! の巻」の左近寺と両さんのやりとり
 「しかし、完成しても部屋に置く所がない……」
 「それは言える。どんなにさわやかな青年でも、部屋に入って……美少女フィギュアがたくさんあると……。ちょっぴり怖い気がする……。スターウォーズバットマンなどの人形(フィギュア)はまだ分かるが……。『美女物』はちょっと『来ているぞ』という感じがする」
 は究極の名台詞という気が……(「美少女フィギュアに超夢中(ハートマーク) の巻」の香山理香男氏のトホホなエピソード(笑)も捨てがたいですが……)。


 我が国でアニメ&コミックファンが「犯罪者予備軍」と位置づけられる(?)ようになったのは、前述した幼女連続誘拐殺人事件の犯人が逮捕された際に、6500本のビデオが壁面を埋め、床にアダルト雑誌が散乱した犯人の自室が映されたことがきっかけとなっていますが、現在では部屋を撮影した某テレビ局のカメラクルーが雑誌の配置に手を加えた「捏造された映像」であったことは、当時現場で取材していた大手新聞社の記者が「真相」をブログで暴露したことによって広く知られています(当時のオタクたちの「名誉回復」と「後学」も兼ねて、ぜひテレビ局の名前を明らかにほしいなあ。くだんのカメラクルーの行方はもちろんですが(苦笑))。


 「軽チャー文化」が奨励され、軽薄な若者と不良が大手を振って歩いていた80年代はオタクにとってかなり住みにくい時代だったわけですが、それに加えて「免罪符」を得た不良たちがそれこそ鬼の首を取ったかのように公然と弱い者いじめを繰り広げ、メディアも「魔女狩り」に加担していた89年夏から97年夏にかけての8年間は、正に「最低最悪の時代」でした。97年夏の『新世紀エヴァンゲリオン THE END OF EVANGELION』『もののけ姫』(97年)の記録的な大ヒットによって、それまで不遇を囲っていたオタク第1〜2世代の地位が一気に向上した訳ですが、この二作が公開されていなかったら、神戸男児殺害事件の影響でマニア人種は取り返しのつかないところまで追い詰められていたのでは……。想像するだけで身震いがします。


 『映画秘宝』はいわゆる「不良性感度」をウリにしていますし、05年5月号および06年3月号では、悪い意味で80年代ヤンキーブームを加熱化させる元凶となった那須博之監督の迷作映画『ビー・バップ・ハイスクール』(85〜89年・ASIN:B000CSUU8M)の特集をしていることもあって、誌上では「タブー」になっているのかもしれませんが、やはり「現実世界」では粗暴な若者たちによる刹那的かつ残虐極まりない凶悪犯罪のほうが遥かに件数が多い(かつてミステリ小説家・戸梶圭太先生が提唱されていた、存在の価値もない「安い奴ら」が繰り広げる「激安人間による激安犯罪」の実例)ですし、歪んだ欲望にかられて凶行を繰り返した一人の「愚か者」と一緒にされたのでは、平日は会社や学校に普通に通い、休日はのんびり趣味を満喫する全国の心優しき(?)オタクたちはたまりません(笑)。


 内向的ないじめられっ子をそれまで馬鹿にしていた「世間」が、一方的な偏見によるヒステリックなバッシングへと変貌した幼女連続誘拐殺人事件やオウム事件、そして過日の女子中学生殺害事件の報道のときも思ったのですが、「明るく」て「健全」な学園の人気者を無条件に称賛し、それに対して内向的な学園のアウトサイダーを「暗く」て「不健康」だと一方的に断罪する、マスメディアの「善悪二元論」は永遠に変わりそうにありませんね(幸いにも、現在の30〜40代のマスコミ関係者はオタクバッシングを知っている世代なだけに、新聞や一般誌などの紙媒体では双方の陣営に感情的な「肩入れ」をせず、クールな視点による報道を行っているのが唯一の救いですが……)。


 身体の不自由な人をネタにしたブラックジョークの類いも悪趣味としか思えず、『映画秘宝』誌上ならシャレですむのかもしれませんが、これが「公の場」での対談であることを思うと……(『映画秘宝』を知らない一般人が『嫌オタク流』を手に取ることだってある訳ですし……)。失礼と思いつつも、お二人にはもっと読み手のTPOに配慮した発言をしていただきたかったように思います。


 また、これはかなり個人的な意見なのですが、P59の高橋ヨシキ氏の「火あぶりされたオタクなんていないよ!!」は学生時代に髪をライターで焼かれたことがある当方としては、読んでいてあまり気持ちのよいものではありませんでした(氏は80年代後半の陰湿なオタクバッシングを知らない世代なので、仕方ないのかもしれませんが……)。


 『ビッグコミック』(小学館)連載のマンガ『総務部総務課 山口六平太』(86年〜)の「心と言葉」「ツボの効用」「俺の呼び方・呼ばれ方」(単行本第22・24・37巻収録)では人間関係において触れてはいけない「怒りのツボ」やコミュニケーションのすれ違いについて描かれていますし、極端な例では「人々の嘲(あざけ)り」に脅える強迫観念に取り憑かれたヒロインへの周囲の人々の不用意な言動が、惨劇の「起爆装置」となる瞬間を描いたルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』(角川文庫刊・84年・ASIN:4042541054)および映画化作品『沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇』(95年)があります。『ホテル・ルワンダ』(04年・ASIN:B000FOTK6Q)の少数民族粛正を煽るラジオ放送に限らず、マスメディア関係者の「公の場」での発言が世間に与える影響は想像以上に大きいですし、ご一考いただければ……と思います。


 かつて70年代後半にも、イギリス・アメリカ・日本のメディアが当時のパンク・ブームを盛り上げるためにニュー・ウェイブ命名し、さらに「営業用」の対抗軸として従来の伝統的なハードロックやプログレッシブ・ロックをオールド・ウェイブと称して、蔑視の対象として露骨な攻撃を展開。ハードロックを庇護する編集者や音楽評論家、ディレクターがほとんど皆無な状態だったこともあり、「最初に蔑視ありき」の風潮にフラストレーションをつのらせたハードロックの愛好者たちは必然的にパンクと敵対せざるを得なくなり、「パンクVSハードロック」の構図は本国イギリスでも過激な闘いへと発展(爆!!)。


 結果、リスナーのファン心理を利用してブームを作ろうとするレコード会社と音楽メディアの浅はかな「戦略」はファンサイドに様々な「遺恨」を残し、クラッシュの最高傑作『LONDON CALLING』(79年・ASIN:B00004BZ0N)を頂点にパンク・シーンがゆるやかな下降線を辿ってブームが下火となる一方で、79年夏にイギリスの各地で新世代のハードロック・バンドが次々に出現。「ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュヘヴィ・メタル」と命名されたムーブメントは、全世界の若者の共感を得てシーンを一気に飲み込み、80年代のHM/HRブームへとつながってゆくのですが、それまでの「不遇な時代」への反動から今度はハードロック派によるパンク派への「逆差別」が展開……(かつての第1期ウルトラ世代と第2期ウルトラ世代の長年に渡る抗争(…)や、平成ライダーシリーズのドラマ主体の作風に昭和ライダーファンが猛反発した際も思ったのですが、マニア人種ってどうしてこう……(遠い目))。


 ところが、ヘヴィ・メタル・ムーブメントが頂点を迎えた80年代後半から90年代初頭にかけて状況は一変。一般リスナーへの浸透によるシーン全体の拡大と世代交代に伴って、リスナーとミュージシャンの双方において50〜70年代の「ロックの遺産」の再解釈・再評価が行われ、さらに多感な時期にHM/HRとパンクをジャンルの区別なく聴いて育った世代の若手ミュージシャンが次々に台頭。
 70年代後半から80年代にかけてのマニアックな7インチ・コレクターでもあったメタリカが「史上最も悪名高いパンク・ソング」として知られるアンチ・ノー・ホエア・リーグの名(迷?)曲「So What」をカバー(『METALLICA』(91年・ASIN:B000GALEWC)の日本版にボーナストラックとして収録)して話題となり、お気に入りのカバー曲を収めたミニ・アルバム『THE $5.98EP GARAGE DAYS-REVISITED』(87年)に、ハードロック&パンクの隠れた名曲をカバーした新録をプラスした二枚組『GARAGE INC.』(98年・ASIN:B000026X4L)を後に発表。


 メガデススキッド・ロウがライヴでセックス・ピストルズの「Anarchy In The U.K.」やラモーンズの「Psycho Therapy」をそれぞれ演奏し、スレイヤーがハードコア・パンクのカバー・アルバム『UNDISPUTED ATTITUDE』(96年・ASIN:B0000073VK)を制作。逆にパンク・ロック側もガンズ・アンド・ローゼズのパンク・カバー・アルバム『THE SPAGHETTI INCIDENT?』(93年・ASIN:B000026E4I)のオリジナル曲を集めたアルバムをリリースし、ラモーンズも現在のロックの「ルーツ」ともいうべき60年代ロックの名曲群を大胆な解釈でカバーした『ACID EATERS』(93年・ASIN:B000024BKD)を発表するなど、それまで「敵対」していたはずのハードロックとパックは急接近。


 さらに、パンク・メタル・ポップスを融合し、再構築した『NEVERMIND』(91年・ASIN:B000003TA4)の独特なサウンドが評判になり、90年代前半のグランジ・ブームの旗手となったニルヴァーナカート・コバーン(vo)の名言「パンクに夢中だったころは、パンク以外は全てダメだと否定していた。エアロスミスレッド・ツェッペリンもしまいこんで一切聴かなかった。でも、86年ごろに60年代の音楽を再び聴き始めて、その良さにハッと気づいたんだ。捨てるべきじゃない、とね。だから今は、自分の中に蓄積したものを自然にミックスできているんだ」が決定打となって、長年に渡る不毛な「パンクVSハードロック」論争にようやく終止符が打たれました(遅きに失した感もありますが……)。


 本書に限りませんが、オタク文化が社会に認知されそうになると、なぜか「身内同志」の足の引っ張りあいになってトホホな内ゲバ(?)に発展。結果的に世間の印象を悪くしてしまい、偏見の目はさらに悪化。オタクの地位向上はまたもや遠のいてしまう……という「悪循環」の繰り返しのように思えます。
 オウム事件の際も、「最大の元凶」は科学的には全く実証されていないUFOやオカルト現象をあたかも「真実」のように偽って放送し続けた2時間バラエティ番組や、オウム真理教幸福の科学の低レベルな争いを面白半分に取り上げて結果的に教団の宣伝に一役買ったワイドショーなど、視聴者への「悪影響」を全く考えていない民放テレビ局関係者のなりふりかまわない「視聴率至上主義」にあることは明らかなのに、「アニメや特撮ヒーロー番組が事件の元凶」という彼らの「詭弁」にうっかり乗せられてしまい、現場のクリエイターが試行錯誤し、ファンサイドが侃侃諤諤の大論争を繰り広げている間に当の「主犯格たち」はまんまと逃げ切ってしまった「前例」があります(特撮ファンの間で物議をかもした脚本家・市川森一氏の「発言」も、ワイドショーのコメンテーターを務める氏の立場を考えれば納得がゆきます。社会人は「仕事の場」がなければ生活できませんし……(苦笑))。


 ファンが100人いれば100通りの「好み」があるのは当たり前ですし、ファン同志で意見を交わすのも楽しいものですが、持論に固執するあまり相手や他の陣営をあげつらうような、感情的な個人攻撃になるのは全く感心できません。現在は、『美少女戦士セーラームーン』(92〜96年)や『新世紀エヴァンゲリオン』(95〜97年)などの人気作を小中学生の頃に体験した世代が成人して発言権を持ち、また子の親となったことで世間一般のオタク社会への印象も20年前とは大幅に変わりつつあります。
 さらに、20年前は「タブー」となっていた芸能人のオタク趣味のカミングアウトもすっかり「解禁」となり、今や大のアニメファンで知られる栗山千明さんがNHKの『トップランナー』や女性誌『SPUR(シュプール)』(集英社)06年5月号で『エヴァ』の魅力について爽やかにコメント(!!)されているご時世です。21才のお嬢さんがお洒落なファッション雑誌や公共放送のトーク番組でお気に入りアニメについて明るく語られているというのに、いい年をした大人たちが「近親憎悪」の裏返しのようなドロドロした「いがみあい」を繰り返すのは、あまりにもみっともないのでは……。


 コミュニケーションを円滑にするための気配りや思いやりは実社会でも大切ですし、「若い世代」が自分たちの一挙一動を見ていることを思えばあまり軽はずみな行動はできないのが人情というもの(笑)。大リーグで活躍されているイチロー選手の名言ではありませんが、そろそろ男性オタクも「変わらなきゃ」という気がします(もちろん、これは自分自身への自戒も込めてですが……)。


PS.今回のみのPN「スリム・シェイディ」の由来については、『ダークサイド・オブ・ザ・ロック』(洋泉社刊・01年・ASIN:4896915798)P146〜150をご覧下さい。若かりし日にスクールカースト体験をされた、そしてリアルタイムで「戦って」いる全国の「同好の士」の方なら、かなりグッと来る内容であることは保証致します。

(了)
(特撮同人誌『仮面特攻隊2007年準備号』(06年8月12日発行)より抜粋)



(編:執筆者はオタク第2.5世代の御仁。返答すればオタク第2世代からは82年秋以降、『笑っていいとも!』でタモリが広めた「ネアカ・ネクラ」による校内・学級内でのネクラ・オタクプレッシャーのトラウマは濃厚にあります(当時もうすでに大学生や社会人年齢に達していたオタク第1世代にはコレがない? か非常にウスい?)。後出しジャンケンをここに書くのは卑怯なのですが、それでも執筆者の論が相対化されたり揺らいだりすることはないと考えて、私見を少し述べさせていただけるのであれば、本ブログ編集者個人の『嫌オタク』流への評価は非常に高いです。たしかに万人向けではないですが、近年のオタ地位向上に、一部で生じた増長、オタクや無器用人間こそ徳性も品性も高く正しく優しいという風潮に水を差し、我々オタの美意識のウラにある未成熟や性的嗜好を暴露した功績は大。でも『嫌オタク流』が誌面にて敵視している『電波男』(本多透・05年・三才ブックスASIN:4861990025)へも同様理由で非常に高く評価しています(笑)。批評オタなら共に必読!
 「オタク第2世代が自らのスクールカースト体験を誰一人として語ろうとしない〜」。そんなことはないと思いますが(笑)、執筆者はネット環境のない生活(!)を送っている御仁ですので、読者の方々は、その点についてはくれぐれもご寛恕を。
 あと一応、批評オタの世界ですから、銃犯罪とかまで起こしたらたしかにマズいですが(笑)、そこまで行かない範疇でしたら、ムダに闘争する必要はありませんが、埋めようのない他人の価値観・美意識との差異を確認する際の軋轢(あつれき)・抗争もある程度はあってイイと思います。まあそーいう素養と覚悟ができている相手に対して、という限定条件は付けた方がイイかもしれませんが。みんな仲良しで悪いイミでの日本的ムラ世間のノリで馴れ合ってればイイってなもんでもないと思うし……)


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