(ファミリー劇場『ウルトラマンエイティ』放映開始記念「全話評」連動連載開始!)
『ウルトラマン80』 再評価・全話評! 〜序文
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『ウルトラマン80』第9話「エアポート危機一髪!」 ~生徒が担任の恋を応援! 一転、生徒との別離!? 工業地帯・成田空港特撮!
『ウルトラマン80』第9話「エアポート危機一髪!」 ~合評1
(文・内山和正)
(1999年執筆)
怪獣がらみの描写で始まっている。スタッフの気持ちがじょじょに「学園ドラマ」から旧来の「防衛隊VS怪獣」路線に移行していくのを感じさせる。
中国東北部や韓国のソウルで大暴れしたというオイル怪獣ガビシェール。脳がムキ出しになったような頭に血管が浮き出たような体表と結構グロい奴だ。広大な東京湾岸地域の地底100メートルのところを膨大な菌糸のようなもので覆い、オイルを吸収する。
女教頭の親戚にあたるフランスのソルボンヌ大学助教授。彼と京子先生のお見合い話が持ち上がる。主人公・矢的猛(やまと・たけし)は自分の気持ちをハッキリさせなくてはならなくなる。
他の脚本家が担当した次回の10話「宇宙からの訪問者」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100704/p1)などを観ると、本作のマドンナ教師・京子先生は矢的を好きであるとしか思えない。しかし、メインライター・阿井文瓶(あい・ぶんぺい)氏の作品としては、3話「泣くな初恋怪獣」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100516/p1)などでの描写を引き継いで、京子自身は矢的を強く意識していない展開だともいえるだろう。
京子先生のお見合いが決まったことを知って、落ちこんでいる矢的に対して、
「当たって砕けろォ。正々堂々と勝負ゥ~」
好々爺然とした校長先生が励ますなど、珍しくカッコいい面も見せて矢的を応援する校長の理解者ぶりも印象的である。
いずれ地球を去ることになるウルトラ人としての宿命を忘れたかのようにマジメに恋の達成を考える矢的の姿勢は、リアルに考えると少々オカシいかもしれないが、人間クサくて面白い。
貫徹できなかった『80』第1クールの「教師編」がこのまま継続していったらば、どのようになったのだろうかと今となっては思わせるのだ。
ウルトラマンの正体さえ知られなければ、地球に永住するつもりなのだろうか? いざとなったら、京子を宇宙へ連れていくつもりなのだろうか? 本人にもその気持ちはハッキリしていないのだろうが、少なくとも遊びではないのだろう。
生徒たちが助力して矢的はデートにこぎつける。しかし、裏の顔のひとつである防衛組織・UGM隊員としての緊急呼び出しのために恋が危うくなる。
矢的を迎えに来た私服姿の城野エミ(じょうの・えみ)隊員を、生徒たちは矢的の恋人だと誤解する。前回の8話「よみがえった伝説」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100620/p1)ラストでも隊員服姿のエミと一瞬遭遇しているので、「UGMの隊員かも?」「いや違うだろ!」と生徒たちが口にするのも実にリアルだ。
「プレイボーイ!」
「裏切り者!」
と罵倒するレギュラー生徒・スーパーと落語。
レギュラーの女子生徒・ファッションが云う、
「私、もう恋なんて出来ない! 男のいい加減さを見せつけられたもの……」
というセリフもラブコメ(ラブ・コメディー)としては笑えてしまうが、
「京子先生の方がよっぽど美人じゃないの!?」
という発言は、本作13話の通称「UGM編」から、城野エミが本作のヒロイン扱いになることを考えあわすと複雑な思いがする。
助教授・山岡はあの野崎教頭が「野崎一族のホープ」とベタボメする人物とは思えないような、キザでもコミカルなクレージーぶりで演出・演技されている。しかし、レギュラーの男子生徒・ハカセの「隠し子作戦」をすぐに見破るかたちで華を持たせ、ただのバカではないとしても描写されている。
翌日、デートをすっぽかしたことを京子先生に詫びた矢的はファッションたちに、
「京子先生は全然、気にしてなかったぞ」
などと云っている(笑)。ファッションは、
「女の気持ちが全然わかってない!」
と非難する。それはそうだが、それがまた喜劇としては楽しいのだ。
コンビナートの石油タンクや、成田空港の駐車場に並ぶ何十台もの車のミニチュアを、惜し気もなく圧倒的な火炎で派手にブチ壊す東宝の川北紘一特撮監督による特撮シーンも素晴らしい。
京子先生を追ってエアポート(成田空港)に来たものの、怪獣が迫ってきたことで、京子と生徒たちを守るために、たとえ地球を離れることになっても彼らの目の前で変身することを決断せざるをえなくなる矢的!
その直前に、そこにいる五人に一言ずつ、スーパーには「ちゃんと歯を磨けよ。おまえ虫歯だらけなんだからな」、落語には「理科をもっとしっかりな」、ファッションには「いつまでも優しさを忘れずにな」、博士には「クラスのまとめ役を頼むぞ!」、そして京子先生にも「お元気で……」と、矢的はしみじみと語り出す……
「教師編」としての明確なラストがなかったことを思えば、改めて本話を再鑑賞すると、ここでの別れの言葉はその代わりのようにも感じられてくる。
「教師編」のままで『80』が継続したとしても、2話「先生の秘密」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100507/p1)に登場した塚本幸夫(つかもと・ゆきお)、3話「泣くな初恋怪獣」の真一(しんいち)、6話「星から来た少年」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100606/p1)の大島明男(おおしま・あきお)生徒らを再登場させて、一般の教師ドラマのように一言ずつ言葉をかけるようなラストではなかっただろう気もするが。
◎ソルボンヌ大学の助教授・山岡は、『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060308/p1)の防衛組織TLT(ティルト)管理官・松永役や、映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070128/p1)では神戸市長役だった堀内正美が演じたらしい。
「ボンジュール、京子サ〜ン! トレビア〜ン!」と、成田空港に出迎えに来た京子先生に感激するのはよいものの、オイル怪獣ガビシェールが出現するや、京子先生を置いてスタコラサッサと逃げてしまうというキャラだった(笑)。
『ウルトラマン80』第9話「エアポート危機一髪!」 ~合評2
(文・黒鮫建武隊)
(1999年執筆)
遂に出た川北特撮!
「え〜っ、川北ぁ〜?」
と今イヤな顔をした貴方、平成ゴジラシリーズばかりが川北紘一作品じゃないんだよ。『80』の川北特撮は凄いんだから。
とにかく今回は怪獣ガビシェールによる九州・東海両オイル基地襲撃場面に尽きる。これでもか、これでもかの爆発爆発大爆発! が堪能できる。(33話「少年が作ってしまった怪獣」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101211/p1)からの新オープニングでも一部使用されてます)
又、UGM機コクピットからの視点で怪獣をとらえる、という第二期ウルトラシリーズによく見られた構図も数カットあるのだが、これらには搭乗者の後頭部を合成してある念の入れよう。
更に、成田空港(には全然見えないが)でのエイティとの決戦では、二体が見えなくなるほど大量のスモークが焚かれ、闘いの激しさを表現。
エイティが光線技を撃つ時には背景の青空の方を抜いて玉虫色の合成を施すなど、どこをとっても豪華な仕上がりだ。
光線技といえば、エイティのダメージ技中で最もポピュラーな「ウルトラダブルアロー」も、今回初使用。光線のブーメランという感じの動きが楽しい。
今回は、京子先生の縁談に振り回される猛、という、常にも増してラブコメ色の強いエピソードなのだが、そのラブコメ話の流れを断ち切るように、怪獣の各地襲撃が挿入される。で、寸前までドタバタと三枚目していた猛が急にキリッと活躍し始めるわけで、この落差がたまらなく楽しい(この点が、猛の最大の魅力のように、筆者には思えるんだよね〜)。
教師編の設定のデメリットとして「舞台が学校とUGMを往復する為に話がまとまりを欠く」という指摘がよく聞かれたものだが、今回はこのデメリットを逆用して舞台と雰囲気をクルクルと切り替えることにより、テンポの良いコメディーを成立させていたように思う。
また、ラブコメ騒動の傍ら怪獣が中国大陸、韓国、九州、東海と次第に南下北上する様を描き、学校の在る東京の地底を通り越して千葉県の成田空港に出現。
ところがその縁談の絡みで京子先生と生徒たちが成田に向かっていた……
と実に考えられた構成で二つのストーリーをうまく収束させ得ている点も、評価に値しよう(8話「よみがえった伝説」同様、学校近辺に怪獣が出ない話だ)。
(重箱のスミ)
・今回、登場する生徒はレギュラー四人組だけ。矢的先生のために大活躍だ。
・23歳で教員に成り立ての京子先生に、いきなり縁談を持ってくる教頭も、かなり凄い。これで結婚してパリに行くことになったら、もう教員をやめなければならないではないの。それにしても、「婚期を逃す」なんて台詞をウルトラで聞くことになろうとは。
・「ウルトラマン80が私の恋人です」と言われて、一瞬(勘違いして)喜ぶ猛が好きです。
編註:
今では懐かしの話題だけど、90年代前半の平成ゴジラシリーズも後期に至ると、特撮マニア間での限定ではあったが、当初は同じ東宝の中野昭慶特技監督のやや大雑把な特撮演出と比すれば現代的でクールでシャープでハイセンスな映像だと称されていた川北紘一特技監督も、マンネリだの取っ組み合いの怪獣プロレスがなくなって「光線作画の垂れ流し」ばかりだのといったバッシングが流通するようになっていた――70年代末期〜90年代初頭までは擬人化された怪獣プロレスが特撮マニア間では「悪」だとされていたというのに、なんという壮大な手のひら返し!(汗)――。
黒鮫建武隊氏の川北特撮監督に対する記述は、当該評が執筆された1999年時点の特撮マニア間での風潮に対する返歌の要素も含んだものになる。失礼を承知で10年後の2010年の今日に後出しジャンケンでツッコミを入れさせていただければ、黒鮫建武隊氏の記述もそんな風潮に微量に影響された川北観だったのやもしれず(?)、現在ではその川北観も大幅に変わっているやもしれない。読者のみなさまについても、周囲の特撮マニアたちが住まう「ムラ世間」的な「空気」の同調圧力に流されずに、ご自分自身の眼や価値観・美意識で独自に判断していただきたいとも思う。その上でならば、川北特撮に対してそのヒトなりのYESやNOをくだすのは充分にアリだろう。
2020年時点での編註:
上記の「編註」の内容も古びてしまって、90年代中盤~00年代には根強くあった川北特撮批判の言説も遠い日々となってしまった。
特撮マニア草創期の70年代末期~90年代にかけて、今思えばまだまだ21世紀以降の用語でいうところの「中二病」期であった特撮マニア間では根強くあった、前期東宝特撮の特技監督・円谷英二=「正義」/後期東宝特撮の特技監督・中野昭慶=「悪」! といった素朴な二元論がやや拡張されたかたちで、当初は新進気鋭ともてはやされた特技監督・川北紘一が早々にマニア間で小賢しいことにも悪しざまに罵られるようになった時代が、かつては実際にあったのだ(汗)。
とはいえ、2020年の現在では、そんな尺度自体もまた遠くに過ぎ去ってしまった。今の特撮マニアの大勢は、円谷英二・中野昭慶・川北紘一の各人をまぁまぁ「等価」に、その演出技法も個性の違いや時代の違いとして、安直な二元論ではなく引いた視点で公平かつ客観的に見られるように成熟したようにも思われる。