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ウルトラマンダイナ評EXTRA 〜平成ウルトラマンと(本当の)視聴者たち


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平成ウルトラマンと(本当の)視聴者たち――90年代ジャンル作品観客の複雑な所在――

(文・森川由浩)
(1998年11月執筆)
 『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080913/p1)により平成ウルトラマンシリーズとして再スタートを切ったウルトラマンシリーズは、『ウルトラマンダイナ』(97年)を経て98年11月現在、放映が開始されて間もない第3弾『ウルトラマンガイア』(98年)迄(まで)継続されている。
 この平成ウルトラマンを支える視聴者の状況を考えてみよう。


 新たなるスタートを切った『ウルトラマンティガ』の開始から早くも二年が過ぎた。その放映開始時の印象はビデオ特撮やCG技術に問題がある位でまあまあだと思っていた。
 ストーリーも正に「平成の初代ウルトラマン」に戻るべく過去の作品との関連を廃し、全く新しい「ウルトラマン」を作る意欲は伺えたからだ。
 (第3期ウルトラシリーズの第1弾『ザ☆ウルトラマン』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)の本放送時にも同じことを感じた)
 たとえ「『(ウルトラ)セブン』(67年)まがい」のストーリーが多くても。基本としての「ハードSF」は守っていたからだ。


 こんな作品が、ハリウッドのSF大作『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』(共に77年・78年日本公開)が舶来してきて国内でもSFブームを巻き起こし第1世代マニアのファン活動が活発化して第1次アニメブームとも連動していた『ザ☆ウルトラマン』『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)の時代に放映されていたら、日本のSFTVの歴史は今よりもはるかにステータスが高くメジャーになっていたかもしれないと密かに心の中で思う小生だった。


 その『ティガ』に待ち受けていた評価は、意外にも「子供の視点を無視している」という批判的意見が予想に反して多かった。
 本同人誌『仮面特攻隊』では、特撮同人ライター・内山和正氏の平成ウルトラマン評が、その急先鋒になるだろう。
 (該当記事:『ウルトラマンダイナ』 〜序盤合評3 #1〜18・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971203/p1
 (該当記事:『ウルトラマンダイナ』 〜中盤合評2 #19「夢幻の鳥」#20「少年宇宙人」〜44「金星の雪」・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971208/p1

 少し前なら絶賛されて然(しか)るべきこの作品の評価に杭(くい)打つかのようにこうした評価を下すのは何か。
 小生はこの「大人」の「マニア」による意見の対立とその対立する意見の誕生する背景に興味を持ち、分析を挑んだ。



 「子供の視点を無視している」という評価だが、まずレギュラーの登場人物に子供が全くいない。それだけでなく子供をゲスト主役にする話も過去のシリーズに比べ格段に少ない(少なくても全くない訳ではない)。
 これは子役のスケジュール調整や、子役を扱い切れる若手監督がいないのもあってだろう。それと「子供」自身が子供に共感を抱かなくなった現在の風潮にもあるだろう。


 子供の視点に合わせたストーリーがない。これはズバリ今の若手脚本家が「子供」を描けないというのもあるだろう。書く人は「大人」なのだから、「大人」の感性で「大人」中心のドラマを描く方がやりやすいはずだし。「SF」ドラマは描けても「児童向け」ドラマは描けないのだ。
 「児童向け」のジャンルが死滅し、たとえ「児童向け」でも今や「大人」の鑑賞に耐えるもの(要素)がないと商売にならない。この点については東映鈴木武幸(すずき・たけゆき)プロデューサーも各マニア誌『宇宙船』『B−CLUB』等のインタビューで児童向けTV番組の現状として度々コメントしている。


 今や「児童向け」ジャンルのTV番組の関連アイテムの大半の種類を、小生のようなマニア層の大人がコレクションとして買っている。
 それだけではない。新聞等でも連日様々なところに出てくる少子化問題。それにより人口の全体比における子供の割合が減少している。


 片やこの種の作品のメインターゲットになりつつある年長のマニアが、最近では年齢が高くなってもこの世界から身を引かず、30代になろうが40代になろうがこの世界に定着することによりマニア社会の高齢化が始まり、視聴者に占める子供の割合が前述の少子化も相俟って年々減少し、年長のマニアの割合が年々増加している事実からも今やアニメ・特撮はマニア重視型の内容にならざるを得ないのだ。
 本来の視聴者がマニアであるというのは厳然とした事実である。製作側はそこ迄明言しなくとも。特に最近の深夜枠のアニメ・実写ドラマにはそれが顕著である。


 レギュラーキャラクターに子供とその家族を設定して子供が親しみを持てる作品世界にして欲しいという声もあるが、ヒーロー役や防衛軍以外のレギュラーキャラクターを増やし過ぎると登場人物が描き切れなくなり、作品としての本分(ウルトラマンといったヒーロー番組の場合、SF性・ヒーロー性が最優先されるべき要素である)が失われるためこうした要素は当然カットされる。


 ホームドラマ要素の消滅といった点で、ここで最近の一例としてTVアニメの『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(92〜97年)の変遷を取り上げて見る。


 知っての通り主人公・月野うさぎには両親と弟がいて、一作目のシリーズではホームドラマの要素もきちんと描かれ(過去の『魔法使いサリー』(66・89年)・『ひみつのアッコちゃん』(69・88・98年)といった魔法少女作品の延長的存在からホームドラマ要素も重視された。家族旅行や一家団欒も描かれていた)、子供向け番組の体裁を保っていた。
 が、作品のファン層が児童よりも年長のマニア層が中心になるにつれ段々その要素は縮小されていき、セーラー戦士5人と敵側のバトルストーリーや心理描写に重点が置かれていき内容は一層高年齢層対象になり、マニア重視風(敢えてこう発言。スタッフ自体完全にマニアだけを対象に作っていないことは承知の上だから)の作品になった。


 ただの女の子向けアニメと軽視していたマニアが熱中しだしたのは、一作目の後半から二作目の『美少女戦士セーラームーンR』(93年)にかけてだ。
 それと符合するようにホームドラマ要素が序々に減って来たのがこの辺りだ。
 三作目の『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』(94年)には年上の新セーラー戦士セーラーウラヌスセーラーネプチューンが加わり二人の人気が高まるにつれ二人の出番が増え、ホームドラマ要素は有名無実になっていった。
 そうして本シリーズのファンは番組終了時には子供たちが「セーラームーン」に飽きてしまい離れてしまったことにより殆どがマニア層となってしまった。あの「セーラームーン」ですら子供の視聴者をいつの間にか突き放してしまったのである。


 だけどマーチャンダイジング面での成績は良く、結局5年間ものロングランとなった。この5年ものロングラン作品のマーチャンを支えたのが子供よりマニア層である。財力に物を言わせ玩具類だけでなくビデオ・LD(レーザーディスク)・CDといった高額商品を購買し各種イベントへ行くのは彼らが中心である。
 それだけでなくTVアニメや原作漫画の連載は終了してもミュージカル版は継続、いまやアニメを越えてミュージカルがオリジナルとなった珍現象を生み出した。


 ミュージカルは映画よりも入場料は遥かに高く、子供相手の娯楽にしてはかなり高級な部類に属する。事実このミュージカルを支えている観客の大半がマニアである。
 98年夏公演を小生も観劇したが、もうTVアニメも97年2月に終了し再放送もない今となっては「セーラームーン」なんて過去の旧作なのだ。
 子供にとっても「今更セーラームーンなんて」という意識があるのだろう。子供は常に「新作」を求めている。過去の旧作を振り返り、未だに執着するタイプの子供は一般的にはいない。
 反面年長のマニアの旧作への固執は普通ではない。「ウルトラ」や「ライダー」の作品としての継続や人気の持続も、基本的にはマニアの旧作への固執が原動力である真実も認識して貰(もら)いたい。
 実際観客の客層に子供たちは少なかった。「セーラームーン」も今やマニア相手の旧作作品なのだ。


 最近は商業誌の特撮ライターにも第二期ウルトラ世代が台頭、評価の低かった第二期作品(特に『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、『ウルトラマンレオ』(74年))の再評価が盛んだが、小生の見解では平成ウルトラマンに第二期ウルトラ的要素(ウルトラ兄弟ゲスト編や子供中心の内容)を望むのは無理だろう。
 70年代末期のマニア社会勃興期のマニア向け書籍「ファンタスティックコレクション№10 ウルトラマンPARTⅡ」での第二期ウルトラ作品に対する不当な低評価(特に『タロウ』)がトラウマとなったのか、平成ウルトラマンの製作スタッフはSF性の重視に努めている。
 それと前述した様々な要因もあり現在の作風が完成したのだ。


 特に円谷プロの満田かずほプロデューサーは各マニア誌インタビュー等でウルトラ兄弟によるゲスト編に対し「梃入れにしても兄弟の出ない形で話を盛り上げたい」的内容の発言をしているし*1、その点からも過去のキャラクターに頼るシリーズものの製作体制を欠点として受け取めていることが顕著である。
 こうしたゲストヒーロー編は視聴率は一時的に上がっても通常のエピソードに戻ると降下する現象があるため、近年のシリーズでは安易に使用しないのだろう。『ウルトラマンダイナ』の最終回(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971211/p1)でウルトラマンティガを登場させなかったのも、スタッフのプライドもあってティガを出さない形で終わらせたのだろう。
 ウルトラ兄弟ゲスト編に胸ときめかせた一部のマニアがウルトラ兄弟復活を望んでも、今の視聴者の子供たちは殆(ほとん)どが一人っ子で、兄弟のいる家庭環境を知らないで育っている。昔ウルトラ兄弟が受け入れられた背景には視聴者自身が自分自身の兄弟と比較、同化して楽しむことにより、自分自身の憧れでありその分身として受け取めることができたからであって、今の少子化時代には今更無駄なのかも知れない。


 それだけでなく「ウルトラマン」というビッグネームに頼っていながらもどこかしら「過去の作品との関連を断ち切った新世界を作らねば」というスタッフの使命感もウルトラ兄弟ゲスト編を否定している大きな要因だろう。
 この考えの根本には「ウルトラマンのファミリー化がシリーズの内容と質を低下させた」(これはSFドラマとしての内容と質という意味での低下。『ウルトラセブン』〜『ウルトラマンA(エ−ス)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)にも参加した今や大家の脚本家・市川森一(いちかわ・しんいち)が自身の脚本集『夢回路――魔法 怪獣 怪奇 ウルトラマン 青春 犯罪』(89年・柿の葉会・ISBN:4906232167)で語っていたコメントにも顕著である)という考えが現在のスタッフの心中に存在することが伺える。
 ならウルトラ兄弟でなく、「仮面ライダー」シリーズのゲストライダー編や最近の戦隊のVシネマ版の共演劇のような形式での、単に他ヒーローとしての共演としてやればという考えもあるが(要は「ウルトラ兄弟」という単語を使わないで歴代のウルトラマンたちを出す)、前述の満田氏のゲストヒーロー編に対する意識のコメントもありやはりやらないだろう。


 それだけでなくアニメの世界では『宇宙戦艦ヤマト』(74年・77年に映画化)の登場から、乱暴な言い方をすると「子供をないがしろにした」作品のヒットにより、「TV漫画」と称されていたのが「アニメーション」と格好よい語感で称されるようになって、漫画映画と称されていた(本来は)児童向けTV番組の地位向上と視聴者の高年齢化を促し、マニア社会の曙(あけぼの)を築いたことから、それに遅れを取った特撮は子供だけのものという印象が強かった。
 それ故、怪獣映画の元祖『ゴジラ』第一作(54年)や、第一期のウルトラ(『ウルトラQ』『ウルトラマン』(共に66年)『ウルトラセブン』(67年))が持っている反核テーマやSF性を持ち出して反論する必要があったのだ


 (特撮雑誌『宇宙船』創刊号(80年)の、『ライオン丸』シリーズ等で有名なピー・プロダクションが当時フランスとの合作で製作を準備していた(結果的には実現せず)『シルバージャガー』紹介記事でも、「現行の日本のTV特撮は、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』(79年)等で革新期を迎えていたアニメと比較するとVSOP(ベリー・スペシャル・ワン・パターン)の繰り返し(大意)(編:1話完結の子供向けであり、パターン破りの驚きや連続性や高度なテーマやドラマ性がないという趣旨)」という言葉で酷評し、当時の日本特撮の現状に対して苛立っていた)。


 やがて『ヤマト』に続き『機動戦士ガンダム』の登場(今更語る迄もないが児童層が『ガンダム』に飛びついたのは映画化(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)に伴う81年の再放送時のプラモデルブームより。本放送の79年当時は第3期「ウルトラ」や第2期「ライダー」に人気は食われていた)により、「アニメ=大人の鑑賞に耐えるもの。特撮=幼児向けのジャリ番」と不当に低く見るという見方が強くなった時期もあった。


 そうした背景もあり東映の『宇宙刑事ギャバン』(82年)にはじまる東映メタルヒーローシリーズという、連続大河ドラマ(特に『宇宙刑事シャリバン』83年)と設定面でのリアリティを追及した特撮番組の登場により、高年齢層の鑑賞に耐える国産実写SFドラマが誕生、その影響から「戦隊」シリーズも『超電子バイオマン』(84年)・『電撃戦隊チェンジマン』(85年)・『超新星フラッシュマン』(86年)・『光(ひかり)戦隊マスクマン』(87年)など連続大河性を持ったアダルト志向の内容に進化していく。


 この時期円谷プロはウルトラはもとよりTV特撮シリーズを殆ど作っていなかったのだ。
 その中やっと円谷プロが日本特撮のイニシアティブを握る時が来た。なら当然アダルト層の鑑賞に耐えるものを作らねばならぬ。
 今回の平成ウルトラマンの内容面での高度化には、アニメに対しての日本特撮の長年のコンプレックスが背景にある点も見逃してはいけない。


 ウルトラマンシリーズが長きに渡って人気を得た理由の一つに再放送の回数があるだろう。
 特に関東地区では本放送翌年の1967年の『ウルトラQ』の初の再放送以来90年代初頭迄切れ目なく再放送が継続されていた。この再放送も過去にあった何度かのウルトラシリーズ再開に大きく寄与しているのは承知の通りである。


 だが今は夏休みの午前中にすら再放送をやらなくなった。TV界を取り巻く状況は年々変化していき、今や地上波のTV局では特撮・アニメの再放送は激減している。
 それだけでなく再放送は今やCSメディアの独占となり、CSメディアに開局した再放送専門チャンネルではTV草創期から現在迄の特撮・アニメが山程放映されている状況により、再放送が大人の独占になってしまった点が顕著である。
 通常の地上波のTVとは違い専用チューナーの設置とその操作が出来ないと見られないメディアは最早(もはや)子供の手に負えるものではない。


 片や地上波のTV局ではかつてアニメや特撮の再放送をやっていた夕方や早朝の時間に90年代前半からニュースやローカル情報番組が台頭。
 子供がTVをあまり見なくなった現在にとってはアニメや特撮の再放送なんて無駄なのかも知れない。視聴率もニュース等の方が絶対的数値が高い現状では。
 この状況はそれだけでなく、ビデオソフトやLDの売上に響くため再放送をさせたがらない製作会社の横槍もあるそうだ。


 (また「セーラームーン」の話だが、北海道から沖縄までの全国の各地方の朝日放送系のTV局では最低一度は「セーラームーン」の再放送をやっている。が、唯一関東地区のテレビ朝日のみが未だに再放送を行っていない。
 理由はビデオの売上は東京地区が要となるため(絶対的人口の多さから)、東京地区で再放送をやると視聴者がそれを録画してしまうためビデオやLDの売れ行きが伸びないので再放送はしなかったという話を耳にした)


 それでも98年夏休みには大阪、名古屋、熊本、山口の四地区で同時に『ウルトラマンティガ』の再放送が行われたことにより、やはり『ティガ』はそれ相当の注目を集め話題作であり人気作でもあったことを立証しているのだろう。


 結局現在の「ウルトラマン」は「子供番組」ではないのだ。現在の特撮番組は最早子供番組でないという声が強い。
 それでも「商売」として成り立つから「子供をないがしろにした子供番組」は製作されるのだ。「商売」として成り立たないと「製作者側」が作品を製作する機能を失うことにも繋がるためだ。


 手元にある古いマニア向け書籍に目をやると、平日帯番組『ウルトラファィト』(70年)製作時の円谷プロの台所事情を「良心より資本」の言葉で以前、特撮ライタ−・酒井敏夫(竹内博)が表現していたが、今の円谷プロもそうなのかも知れない。


 この「良心より資本」なる言葉は、「映画・TVの製作会社とは本来いかなる作品であれ資金を動かし、作品を作っていかなければやっていけるものではないことを知る必要がある」ことを読者に理解させるために用いたフレーズで、『ウルトラファイト』のような過去の初代『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のフィルムからの抜き焼きや怪獣倉庫に残っているコスチュームによる寸劇の短編による、「ドラマ性」も「芸術性」もない低予算故のB級・C級作品でも製作放映し、視聴者を引き付けたことへの評価の意味も込められている。


 現在の「子供をないがしろにした」作品とはいえ多少なりとも子供の視聴者も存在し、尚且つ子供と一緒に見ていて平成ウルトラマンよりまたウルトラマンのファンになった親の世代の存在(子供に媚びなかった内容により親の世代の大人をも引き付けた事実がここにある)、そしてマニア層の視聴者により支えられている平成ウルトラマンとその背景をよく理解する必要がある。


 他の製作会社でも前述の「商売」面での都合上、「ゴジラ」も「仮面ライダー」(何やら新作の噂が飛び込んできた)も頻繁に復活する訳だ。


 それに対して頭ごなしに否定するつもりは小生には毛頭ない。
 「大人」による「子供をないがしろにした子供番組」に対する非難が増えて来たから、自分なりにその状況を分析してリアクションしただけのことである。


 勿論(もちろん)小生は「子供をないがしろにした子供番組」を否定はしないしそれなりに楽しんで見ている。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊99年号』(98年12月29日発行)「ウルトラマンダイナ」評EXTRAより抜粋)


[関連記事] 〜リアクション記事

特撮意見④ 特撮ジャンルの独自性・アイデンティティとは何か!? 〜SFや文学のサブジャンルではない特撮

 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060411/p1

*1:「梃入れにしても兄弟の出ない形で話を盛り上げたい」的内容の発言:
 読売テレビ日本テレビ系)特番『なんたってウルトラマン』(1988年7月9日(土)深夜25時5分から4時間に渡って放映)内のウルトラ座談会などより。
 当該特番は竹内義和の著書『なんたってウルトラマン』(勁文社ケイブンシャ)刊 86年・ISBN:4766907019・94年に勁文社文庫・ISBN:4766920384)をベースに製作したもので、読売テレビ圏内関西地区と中部地区の中京テレビの二地区のみで放映されたローカルの特番。
 内容は大まかに言えば今は無き東京・砧(きぬた)の円谷プロ社内にて当時の関係者を集めて収録した「ウルトラ座談会」と竹内と親交の深いタレント北野誠の二人による『ウルトラよもやま話』の二部で構成。
 この席には、桜井浩子(女優)、野長瀬三摩地(監督・のながせ さまじ)、満田かずほ(監督)、高野宏一(特撮監督)、佐々木守(脚本家)、上原正三(脚本家)が参加したが、20年後の2008年の時点で参加者のうち二名が物故しているのに時の流れを感じる。
 特に野長瀬の肉声が収録された映像は少なく、今となっては非常に貴重な特番でウルトラファン、特撮ファン必見のプログラムである。