(04年4月24日封切)
(文・T.SATO)
いまどきの歳若いマニアはドーだか知らないが、四半世紀前にハリウッドからSF&ヒーローもの大作が上陸して、国内でも大ヒットした際に、日本のアニメや特撮などのジャンル作品も本格作品の意匠をまとって、一部の好事家だけではなく、一般大衆が立ち見で観に行く時代が来ることをオールドマニアは夢想したものだ。
しかし、アニメでなら社会現象を起こすまでにヒットした、いくつかの作品は登場したが、ハリウッド大作レベルに拮抗・匹敵する評価なりステータスを、本邦ジャンル作品が獲得して、世間に流通したことはいまだにない(……と思うんだけど、如何(いか)に〜汗)。
昨今の映像技術の革新により、高度な映像が安価で可能になった当今、いずれはそれを達成する作品も登場するであろうけど……。
ただ四半世紀の月日はあまりに長く、我々ジャンル作品ファンの思いも複雑に屈折化した。
作品の内容自体よりも現象の大小で作品評価をすべし! と説いていた、少数ではあっても、あるイミでラディカルな論者ですら、本作『CASSHERN(キャシャーン)』のように、パッケージとしてまずは若い男女にデートムービーとして受容されて(鑑賞後の感想はともかく)、意表外の大ヒットを飛ばす作品があらわれると、その作品を主に受容している層と我らがオタク族との、世間的な境遇の彼我の差を無意識に比較するのか(笑)、オシャレ映画としても流通している本作に過剰な反発をいだくようだ。
それが、本作のオタク層での不評の原因その1だろう。
その2としては、作品それ自体の内容にもある。やはり純粋、単純に面白い作品とは云いかねる点だ。
純然たるエンターテイメント活劇ではなくとも、テーマ主義なり人間ドラマとして成功しているならば、救いはまだある。が、残念なことに、その点についても心意気は壮とすべしだが、カラ振りに終わった感も否めない。
その3として、リメイクうんぬんオリジナル作品との差異うんぬんというのもあるだろう。
個人的に見るところでは、本作『CASSHERN』の世間での不評の主な原因は、前述の3つにあるように見受けられる。
ただ、一般オタクならそれでかまわないが、読み書きオタクなら、本来この3つを整理し優先順位なり比重なり、何が本質で何が瑣末な原因なのかも把握していくべきだ。が、不評派の大多数は、この3つを混同・混乱したかたちで不満をぶちまけているのが現状のようで残念だ。
そして、現象面について。
筆者はいまどきパソコンも持っていない旧石器時代人なのだが(04年当時)、昼休みの会社からパソコンで封切直後に『CASSHERN』の評価を検索してみた。……出るわ出るわ不評の数々が。9割が不評ではないのか?(笑)
しかしアレだけ不評を書かれても、世間さまでは大ヒット! 夕方の上映に行っても、立ち見状態!
してみると、ネットも意外と影響力がないのかナ?
動員されているような人種と、ネットで映画評をワザワザ読み書きするような人種とは、また違っていたようだ(……エッ、そんなの当たり前だって?)。
オタク系ではなくYAHOO系での感想を読んだから、人種としてほぼニアイコール・一般ピープルだと思っていたのだが……。してみると、それはオタクと一般の中間層とでもいうべき存在だったのか?
また、圧倒的大多数の人間は、意見・感想なぞというものを、善くも悪くも読み書きしない人間であるという巨大な事実に改めて気付いて、打ちのめされもする(笑)。
『CASSHERN』という作品をトータルで冷静に見た場合には、出来がイイとはお世辞にもいえない。
しかし一刀のもとに、あるいはオシャレ映画なりそのテの人種への反発や嫌悪が、作品の細部への言及をおろそかにするような態度も、一般マニアはそれでイイけど、我ら本や映画を見て自然にイロイロと物事を考えちゃうような、考えなくても浮かんできちゃうような、読み書きオタクの取る態度としては賢明ではないだろう(笑)。
まずは、完成作品の実体はともかくとして、ドコか邦画的ではなくビンボーでダサそうでもなく、本格大作っぽくってオシャレそうだとお客さんに思わせて(悪く云えばダマして)、観客動員数を高めたという事実。
コレを筆者は個人的には高く評価する。そもそもコレがなければ(集客がなければ)、いかに内容がよかろうともメジャー感は醸せないし、世間さまも認めない。
次に、世界観の構築と、ビジュアル・美術面での圧倒的なセンスのよさを評価したい。レトロモダンでセピアでカーキ色で蒸気機関文明で噴煙公害で大日本帝国で風刺チックな世界観。
第三に、キャスティングのオシャレ感とメジャー感も評価したい。
以上の3点の、お膳立て&舞台装置自体は、大成功をおさめていたと思う。
次にドラマ面での、一応の正義のキャシャーン側と一応の悪の新造人間集団の、バトルで犠牲者が出る度に悲しみも生まれ、“復讐の連鎖”が生じていくという描写には、娯楽活劇作品(?)として単純なカタルシスにむすびつかないのでビミョーなところもあるけれど、個人的には感心させられた。
また、成功したとはいえないし、作品の主要要素だともいえないが、独自性があった点もピックしていきたい。
チベット(?)に住んでいるらしい、“オリジナルヒューマン”とかいう、遅れた文化・経済生活を営んでいる部族こそが、実は原人類にもっとも近く、その生物学的独自性が科学的には重要であるにも関わらず、日本民族(?)優秀説の理念とは抵触するゆえに……という劇中内事象。
次に、劇中の常識としては認知されていないが、映画世界の中の真実としては、人間の実体は霊であるらしいという描写。主人公・東鉄矢(あずま・てつや)が冒頭で死亡してから、新造細胞によりその肉体が復活するまでの間は、霊として中空をただよい家族の元に帰ってきて、その一部始終を目撃することになる。いわゆる臨死体験だ。
そしてなぜか唐突に人形アニメによる前衛的な演出で表現されるそれは、ヒトが死後、ユング(心理学者)的な自他一体の魂のふるさとに帰っていくことを表現しているらしい。新造人間たち数人が、その死の間際に見た光景がそれだろう。ただし、ラスボスのブライキングボスだけはそれが見えない(よく判らないけど、そこに帰れないということは地獄にでも墜ちたのか?・笑)。
ラストでは、戦場で死亡した大量の兵士たちの魂とおぼしき光が天の一角に戻っていく。
本作においては、死は基本的に、悲しみ・苦しみを忘却させる場所に帰ることを意味するようだ。
新造細胞による死からの復活や永遠の生命は悪である。意に沿わない取り返しのつかない大罪を犯してしまった者にも、死(死によるやり直し?)はまた解放ですらある。そのような死生観が点描される。……まぁこの世で贖罪しても、まだそれでも足りなくて、償いきれないのなら、そーいう考えも成り立つのかもしれないネ。
とにかく、『美少女戦士セーラームーン』(92年)的な、転生しても前世の業(カルマ)で、同じ悲劇をくりかえしてしまうことになるやもしれないという、因果応報な死後の生命観とは異なっていることは明らかだ(笑)。
他にも、戦争とは何か? 人はなぜ戦うのか? 『キューティーハニー』みたく愛では人を救えない。愛ゆえに生命の摂理に反して人を復活させれば、新たな悲劇を惹起する。生きているだけで罪を犯している。愛ではなく、赦しあうことだ。……というような終盤のテーマの投げ散らかしは、カントクの見解に100パー同意はしないし、2時間の映画ではなく長期にわたるTVシリーズならばまだしも……だが、マジはマジなんだろうし、根源的なテーマっちゃあテーマだから、作品の体裁論としての是非はともかく、ムゲにケナしまくるのも咎めるものがある。
しかしそーいう要素は可能であれば、仮想の中のPART2にまわして(笑)、PART1では隠し味としてこらえて寸留めし、娯楽活劇作品の節度に留めて、成功作品として仕上がってくれていたならば……、という思いもやはり捨て切れないけれど。
本作もまた、アメリカによるイラク戦争あっての作劇なのだろう。その誠意は疑わないのだが、カントクが作家ではなくエンターテイナーになってくれていたならば……。
だからと云って、そんなさなかでも『スパイダーマン2』(04年)を作ってしまうアメリカ人を(作品の評価とは別に)、安易に擁護もしたくないけど(笑)。
トンデモ怪作なのか? 宝石の原石のごとき未完の大作なのか? 世のオタク層の評価はきっと前者に傾くだろうが、筆者は後者の立場に立っておきたい。
ただ筆者を後者の立場に傾斜させている理由は、当初数十億とウワサされた本作が、たった6億の予算しかなく、予算がないから撮影も編集も自分でやって、ホスプロも外注よりも自前のチームでやったというビンボーな事実。
そして何よりそのスジではもう大家なのだから、安全パイの商売をしていればイイものを、本作が興行的にコケたらお株が下がるのは必至なのに、大バクチを打つ漢ぶりに打たれたからかもしれない。宇多田ヒカルのPVのオシャレなイメージとは対照的な浪花節(なにわぶし)のド根性!
紀里谷カントクの蛮勇は、年齢ゆえか実はドーも守りの姿勢になりがちな筆者をも、安全圏の外野でブーたれているばかりではなく、時には危険や失敗や恥も覚悟で、奮起をせねば……との気持ちに、思いを新たにしてくれる。
ただ、ジャンル作品をメジャー・一般に流通させるには(児童間でのヒットをねらうことの重要性とはまた別に)、そしてそれが娯楽活劇作品であるためには、本作の方法論しかない……ということもないのであろうが、少なくとも『CASSHERN』における、イケメンで美女でオシャレで恋愛でヒーローでアクションで、という方法論は一番の近道ではあるだろう(……怪獣出現〜上陸による、本格的な都市破壊リアル・シミュレーション、とかではナイのは確かだ〜笑)。
ゆえに、特撮ジャンル史上で、もっともそこにカスったやもしれない本作を、(カスったことが理由の全てではないにせよ、また大成功作ではなかったにせよ)やはり評価の光で照らしてあげたい。
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2005年号』(04年12月30日発行)『CASSHERN』合評④より抜粋)
『假面特攻隊2005年号』「CASSHERN」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞 2004年4月17日(土) カナメの要 紀里谷監督が僕を占領 〜要潤(かなめ・じゅん)の連載コラム
・読売新聞 2004年5月18日(火) 三橋達也さん死去80歳 〜公開中に三橋達也逝去・15日急性心筋こうそく
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