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キューティーハニー 〜女子の性格類型の細分化・下妻物語との共時性


[特撮邦画] 〜全記事見出し一覧


(04年5月29日封切)
(文・T.SATO)


 「じゃっ!」(片手をあげてサトエリの声で)。


 往年の片岡千恵蔵の邦画『多羅尾伴内(たらお・ばんない)』(46〜60年)シリーズもどきの七変化(?)を駆使して、正義の味方のお姉さまが悪の組織と戦う、ご存じ70年代前半の人気アニメが実写で映画化。


 封切数日前の平日夜、渋谷公会堂においてイベント仕立ての試写会が開催される。
 アニメ業界スジではたらく本誌ライターの先輩同人より、本作の試写会チケット(ハガキ)を厚意によりゲット。
 東京都心ではたらくサラリーマンの地の利を活かし、平日の夕方、テキトーに早退けして、いそいそと会場へ。


 ……会場に到着してオドロいた。
 行列している人間の95%が、20代とおぼしき若い女性ばかりではないか!
 野郎がほとんど見当たらない。


 もちろんスーツ姿の野郎は、筆者ひとりだけ――まぁ、昨03年の『劇場版 仮面ライダー555(ファイズ)』の某試写会でも、スーツ姿は筆者ひとりだったけど。今回の1000人規模とはちがい、アレは2桁下の数十人規模だから相対的比率でそーであってもフシギじゃない――。
 場違いなところへ来てしまったようで、会場内で着席してるときはともかく、行列してる最中はとても居心地が悪かった(笑)。
 試写会応募者が女性ばかりだったのか? それとも作り手&売り手が、意図的に女性層をねらって試写会チケットを送付したのか? 
 おそらく両者のミックスではあろうけど、基本的には比重として後者なんだろうナ、と推測。
 ちなみに試写会の主催は、FM東京とコーヒーのジョージア米倉涼子矢田亜希子サトエリのCMのカラみだろう)だったかナ。また試写会のチケットは、ふたり一組ではなく、一名さまのみ対象というスタイル。



 実際の興行はともかく、試写会のイベント自体はメジャー感を醸すのには大成功!
 劇中でも悪の組織側の歌姫で出演する、TVアニメ版をイマ風にアレンジした映画版主題歌を熱唱する倖田來未(こうだ・くみ)のライブにはじまり(封切日の前後には宣伝マンの策略か、コンビニの有線でもよく耳にした・笑)、出演者&監督&原作者の舞台あいさつに……。
 そして休憩をはさんでいよいよ本編上映へ。


 その模様、特に舞台あいさつにおける、主演のサトエリこと佐藤江梨子が、自分の番になるやいなや、大人数の観客を前にした晴舞台のせいか、マジで感極まって言葉にならずにウゥ、ズズッ(鼻すすり)としゃくりあげて声もウラ返って泣き出してしまい(もちろん陽性のそれだからシミったれてはいない)、それがあの天然の不思議すっとぼけ三枚目キャラなものだから、泣き自体がまた思わず観客の明るい笑いを取ってしまう(笑)という珍妙な光景は、翌日のTV各局のワイドショーでも流されたそうで、読者の中でも自由業の方々はご存じか?
 パブリシティの面でも、ワイドショーで放映されたということも含めて、このイベント仕立ての試写会は、このテのものとしては大成功だったといってイイだろう!
 作品本編の評価とは別の、二次的・三次的な派生事項のこととはいえ、そこはそれ、そーいう位置づけでありつつも、今日びのジャンル作品評価においては、その点の単独・独立評価(ひょっとして興行を含んでこそ作品評価としても総合評価?)も欠かせない。
 ちなみに庵野カントクは、本作については心をオープンマインドにして見てくださいと言い訳、もとい説明。
 上映開始5分(10分?)で爆笑ポイントが5つ(だったかナ?)来ます、とのコメントも。



 さて本編。個人的な評価はさておき、封切2日目の日曜にいっしょに鑑賞したオタク仲間の感想をまずはピックアップ。
 毎度おなじみ作品の賛否はイロイロ、人生もイロイロ(笑)。とはいえ、隣でならんで座って鑑賞していたハズなのに、異なる作品を見ていたのではないかというほどに、評価というのは割れるネ〜。
 確信犯的おバカ映画であるという、映画の体裁自体に対する基本的認識は一致(もちろんそんなことは、子供でも老人の観客でも一致するだろう)。


 ただ、パッケージに対する認識は一致しても、その内実の達成度についての評価は、割れに割れて割れまくる!
 案外と面白かったという者。いや積極的に面白かったという者。ギャグが寒かったし観客のそれに対する反応もウスかったという者。ミもフタもなくハッキシ云ってつまんなかったという者……。
 まぁそのへんが、その場での声が大きいヤツに同調して、最初は別の感想をいだいていたのに、なんとなくその気になってしまう……なーんてことは絶対にない、良く云えば日本的ムラ世間な空気に流されない、悪く云えば協調性皆無ともいえる評論系同人オタクのイイところだネ!?(……疲れるゥ〜)
 というワケで、まずはそーいう作品だったとはいえる(……ドーいう作品だョ)。



 本作に対する個人的な評価……というか、先ずは印象批評・感慨のスケッチから。
 試写会での初見時の印象。
 序盤はツカミはオッケー……とまでは行かないけど、まずまず。中盤はちょっとダレてきて、ついにはかなりダレた(笑)。しかし終盤で盛り返していき、ラストは最高潮にしてくれて、トータルでは満足……というか個人的には愛すべき作品となった、といったところ。


 ただ、オーラスについてホメるのは、多少勇気がいる行為というか、本作の否定派からは嘲笑されてしまう行為やもしれないが。
 要はオーラスは、『美少女戦士セーラームーン』(92年)あたりから、90年代以降の魔法少女ものや、変身する戦闘美少女もので特に顕著となってきて(それ以前にもあるにはあった)、連綿とくりかえされてきた、戦いの果てに来る孅滅や勝利ではなく、無垢や善意のパワー(このジャンルなら少女主人公によるそれ)が、怒りや憎しみや絶望に満ちた、あるいは凍てついたワルものの恨みや苦悩や淋しさや孤独を癒してみせるという、毎度おなじみのアレですナ(笑)。
 あのテの作劇もスキなヒト、オッケーなヒトなら、本作こと劇場版『ハニー』の結末もオッケーなんじゃないかと思うけど……如何(いかん)。
 ……まぁドーせ筆者なぞは、あまたのTVドラマやジャンル作品、NHK『プロジェクトX』を観て、ウルウルと涙してしまうような、感情の沸点が低い、作り手の狙いにコロッとダマされるようなバカな人間だョ。


 ただ、同じようなシチュエーションではあっても、ある作品にはノメリこまされ、別の作品ではドッチラケだったりするワケで、あのシチュエーションそれ自体に卓越性があるワケではもちろんないだろう。
 その中での描き方の巧拙や密度といったもので、“垂直次元”の優劣のちがいが生じてくるのだという真理は厳然としてやはりある。
 それに加えて、鑑賞している側の個人的な好みと合致するか否かという“水平次元”での偏差も加味されて……。
 それゆえに自分が感動した、イイと思った作品の、その感動の内実の、“垂直次元”と“水平次元”の比重はどの程度なのかは、事が人間の内面で主観的に生じるものである以上、それを客観的・計量的に認識するのは、大変に困難である宿痾につきまとわされる次第だ。
 でもまぁだから、客観評価は最終的には不可能なのだ! となってしまっては、もうオシマイなワケで、最終的にして絶対的な客観評価、には到達することは究極的にはできないにしても、だからといってデジタルに開き直って独善的で偏向した主観評価であってイイわけもなく、その狭間でよりマシな、“客観”そのモノならぬ、“客観的”たらんとする評価を模索して、作品の真実なり実相なりに漸近(ぜんきん)しようとする試みそれ自体には、個人的には意義を認めたい……(ひょっとしたら漸近すらできず、周回軌道をまわっているだけかもしれないが〜汗。それでも引力圏を突破して遠宇宙に永久に飛んでいってしまうような言葉のお遊びに堕した論考よりかはナンボかマシだろう)。


 ……おバカ映画『キューティーハニー』を語るにはふさわしからぬ話になってしまったので、この話題はここで打止め。
 だいたい筆者個人にとって、本作のオーラスがいかに魅力的であったのだとしても、本作のエッセンスなり魅力なりが、本作の肯定派の大多数にとってさえも、あのオーラスにあったとは思えないし、自分がイイと思った箇所が他人をもイイと思った箇所だと無邪気に思うほど幼くはないし、いかに愚鈍な筆者でもそれくらいは、自分と他人の区別はついている。
 ただ、サトエリのあのフンニャカキャラだからこそ、オーラスの「世界がスキ♥」発言に、なんとなく説得力がやどるけど、同じイエローキャブでもMEGUMIみたいな低音ボイスのヤンキーあがりだったら、ウソつけ!って感じで説得力は帯びないナ(笑)。



 おバカ映画なのだから、そのことを中心に語るのが正道。
 なのだけど、どっかヨソでもネットでもおバカ映画としての内実を克明に記述しているような文章もありそうだし(?)、あとそれだけだと評論オタクの文章としては、ウデの見せどころもない(笑)。
 あくまでおバカ映画を語るには二次的・瑣末的な、知的遊戯・言語ゲームであることは自覚しつつも、それっぽい批評的なことも語ってみせるウンチク芸を、今回は発揮してみよう。



 ……やっぱ、評論的に見るのならば、本作のキモは、オーラスの主人公ハニーによる、悪の大首領の癒しでは、さらさらないだろう(←ヲイ)。
 個人的に見るところ、本作の独自性というか、ジャンルいや一般映画・ドラマとしての、既存作品と比較したところのアドバンテージは、“女の友情”!
 そのテーマ設定と描き方の機微に尽きるかと思う。
 やはり旧作アニメと比較して、時代の差を感じたというか、同時代ものとしてのホットさを感じて、個人的にも好感をいだいた箇所は、あくまでも女性陣の描写。
 まぁマンガチックな作品だから、そのキャラの性格・描き分けも、誇張・極端化されているとはいえ、まったくの絵空事には終わらせず、そこに同時代的な女性の実存の悩みも、もちろんクドくならない程度に隠し味として少しだけ込めるなり、通底するようにもしているあたり、評論オタクとしては語り甲斐がある(笑)。


 むかしのこのテの作品なり、特にオタクジャンルの作品だと、作り手のほとんどが男性だったということもあるが、イジワルに見るなら(もちろん筆者自身の過去の鑑賞態度&鑑賞基準に対する反省も込めて)、どうしても物語世界における女性キャラが、添え物というか紅一点、あるいは過度に美化・理想化された陳腐な“類型”そのものだったともいえる。
 せいぜい描き分けるにしても、“おしとやか”or“おてんば”(転じて、じゃじゃ馬かアバズレ)の2類型。


 しかし時は90年代を経て、00年代も中葉。
 高度消費社会化の進展に伴い(笑)、趣味嗜好も細分化して、それに伴い、あるいは潜在していて元からあったとおぼしき、女性連中の性格志向の差異によるトライブ(種族)のちがいや多彩さも、相応の消費アイテムをまとうことで、外面・髪型・服装から見ても明瞭にわかる程度に四分五裂して、そして女性たち自身が互いをレッテリングして棲み分けまでしてしまうほどにもなっている。
 アバズレ不良系も、不特定多数との出逢いを求めてストリートに出るチーマーギャル系と、地元にこだわる地縁共同体色が強いヤンキーレディース系に。
 対人コミュニケーションには少しトロくて、お文化にアイデンティファイしてたような文学少女も、ルックスに最低限自信があれば私ってフツーと少し違うの的なサブカル不思議ちゃん系やゴスロリ系へ、それがなければビジュアル系の追っかけに、さらにコボれ落ちるとオタク少女へ。
 それでも趣味や学歴があるコはまだ救いがあって、それもなくて自尊感情も低いようなコは社会にも出ていけず、フリーターならまだイイけど家事手伝いやひきこもり系、拒食・過食症系になってしまう。
 就職できた連中も、テキトーにイイ男をつかまえたくてイロ目を使って実際、属性にも恵まれてて合コン重ねて結婚退職できちゃうコ、そこからコボれるコ、そもそも男に媚びて家庭に入ることより仕事がしたい系のコなどに細分化。……みなさんの職場にもいますよネ。


 もちろん、映画版『ハニー』はおバカ映画であり、敵の軍団の四天王の怪人やその大首領と次々に戦っていく、バトルものの骨組みだ。
 とはいえ、人間ドラマ(笑)的に見るならば、キューティーハニーことおキラク派遣社員如月ハニー(きさらぎ・ハニー)と、警視庁の敏腕エリート女刑事(警部?)の秋夏子(あき・なつこ。演:市川実日子=いちかわ・みかこ)の、女の友情の物語にもなっている。
 そして本作は、そんな女性をめぐる現今の状況があったがうえでの、女性描写にもなっている。


 如月ハニーは、天然無邪気な白痴女性だけど、要は特にスキルもない誰にでも代替可能な仕事しかできない、でもおキラクなんだか、損な尻ぬぐいの役まわりなんだか判りにくい職種の派遣社員
 秋夏子警部はスレンダーな身体を、知性と黒ブチ眼鏡と黒スーツと姐御肌の啖嘩で鎧(よろ)って、部下の男性をアゴで使うも他人に心を許さないキャリア女性。
 対照的で対極的な、フツーにリアルに考えると実社会では接点がありそうにない、友情もむすびそうにない(笑)、異なる性格&価値観をいだく二者が、怪事件を介して心を通じていくのが、本作をつらぬく真のタテ糸だ。


 仕事できるプライド系、でも他人がつけいるスキを与えない切羽詰ったインテリ系の秋夏子。
 オンナとして世間的にウケのイイふるまい方を覚えるより前に、ヘタにクールな自我や自意識の方が先に芽生えてしまい、あるいは性格的にも少し気位(きぐらい)が高かったか無器用だったかケッペキだったかその全部だかで、オトコや世間に媚びるのをイヤラシい不純だと思ってしまうような、そーいうふるまいに一瞬あこがれても、瞬時にバカバカしい卑屈だと思ってしまうような女の子。
 その弱さが、男性の庇護欲をさそいやすい都合のイイ弱さではないので、二重苦をかかえてしまう女の子。


 まぁもちろん現実の大多数の日本人女性はここまで極端ではなく、世渡りするため適度に妥協して男性に媚びているというのもまちがいではない。
 けど、かと云って本能的に水商売女のごとく男に媚び媚びする女には違和感や敵対心をいだくものだし、それに比すれば自分は男性に対して無器用で……、と大半の女性陣の自己イメージはそんな中間地点にあるだろう。
 ついでに女性同士は、万人の万人に対するプチ闘争みたいなトコもあるので(特にイケてるイケてない系や、善くも悪くも世の中洗練されすぎてルックスのカーストを意識しがち、かつ拡大しがちな8〜90年代以降はその傾向が高まっていよう)、男性同士と比しても同性同士で100パー心を許しあうという比率は低いだろう。
 そのイミで、キャリア女性である点はともかく、自分の繊細ナイーブさを時にイキがり悪ぶって隠したり……といった点では、敏腕女警部の秋夏子こと市川実日子に感情移入する女性層は意外と多いのではなかろうか?


 もちろん対する如月ハニーも、少女性はあっても男ウケする聖母性はない人物だ。白痴ゆえに周囲を癒し好意を得るという、アタシはそーはなれないワ的なヘタすると女性に反感持たれそうなキャラではなく、イケてない派遣社員で会社でウイてるあたりも(そのことで過剰にメゲたりはしないけど)、女性層の感情移入をさそいやすい人物造形ではあるだろう。このあたりも、製作者のウマさを感じる。
 その点でも本作は女性向け映画としてポイントが高い。


 ただ筆者の私見では、彼女らの人物造形の細部のエッセンスが庵野カントクの直接的な発想だとは思われない。
 むしろスタッフとのブレーンストーミングの過程で、あるいは女性脚本家による肉付けの過程で、血肉が与えられていったと見る。
 だから秋夏子の、実は孤独で人間関係に無器用で、ウラのウラではやはり友を無意識に求めているような人物造形を、庵野カントクの『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)のネクラ無器用主人公・碇(いかり)シンジの延長線上に捉える論考はもちろんあってもイイのだろうが、個人的にはそーは考えない。あるいは主要女性キャラ・綾波レイなどの延長線上にも、私的には位置づけて考えない。


 男性作家が女性キャラを描くと、そこにはドーしても、たとえそれが女性の弱さや無器用さや苦悩を描くことであっても、ドコかで男性にも了解可能な、あるいはオトコにとって都合のイイ庇護欲の発露の対象としての女性として、美化やあこがれ(ウラ返しとしては女性の美への拝跪)も入り混じった甘ったるい色メガネのフィルターを介したものになるように思える。『エヴァ』の女性キャラの描写もその例外ではなかった。
 対するに本作『ハニー』における敏腕女警部の描写……特に心理描写――主観描写はなく、外面ににじみでてくるものとしてのソレではあったが――には、男性の色メガネを通した媚薬のニオイを筆者はあまり感じない。むしろ女性脚本家の天然の作家性が、ワリとナマな女性像の一端に偶然肉迫してみせたという印象を受けた。


 そもそも秋夏子は淋しくて淋しくて、つるむ友だちがいて、友との一体感がないと不安で仕方がない、というほどには弱くない、基本的にはやはり自立した女性である。
 ハニーを友と認めたあとでも、独立した個人同士としての友情を樹立するワケで(まぁハニーは確固とした自我を持ってないお子ちゃまみたいだから、対等ではなく秋夏子の方が上位な気もするが・笑)、その点では『エヴァ』的ではないし、原作付き少女マンガを庵野がアニメ化した『彼氏彼女の事情』(98年)とも違うので、それゆえに、本作なりハニーや秋夏子を、庵野カントクのストレートな作家性の発露とは筆者個人は見ないのだ。
 エッ、自称毎朝新聞記者でハンチング帽の早見青児(はやみ・せいじ)? 基本的には狂言回しだし、彼の実存は描かれてないからドラマ的には無関係なんじゃないの?(笑)

 


 そーいうワケで、女性層をねらったとおぼしき本作のライバルは『CASSHERNキャシャーン)』(04年)ではなく、同じく女性客層をねらった同時期公開の『下妻物語』(04年)か?(笑)
 後学のため、『下妻物語』も鑑賞してみたが……。
 おバカ映画で、マンガチックなコメディ演出で、いくつかの回想シーンが全てアニメで(メリケン幼女アニメ『パワーパフガールズ』みたいな。こっちの方が一般女性層にとってはオシャレ?)、アクションもアニメチックな実質ハニメーション(!?)で、アクション演出はJAC(ジャパン・アクション・クラブ。現・JAE:ジャパンアクションエンタープライズ)出身の山田一喜で同じだし、最後はヒーローアクションで、真っ当な社会人は出ないけど(笑)、ロリータファッションの女のコ&ヤンキーレディース暴走族少女との、およそ接点がありそうにない“女の友情”の物語でもあって……。
 恐るべきシンクロニシティ
 『ハニー』と『下妻』こそ、どちらを高く評価するかは、好みの要素に大きく作用されるとも思うので、本論でも言及することにはこまるけど……。 
 でも、比較対象ができたことで見えてきたことを云うなら、おバカ映画を成立させる映像空間の作り込み方だ。
 善くも悪くも庵野カントクの内的必然・バイオリズムにより、意図的・相対的にラフに撮影した『ハニー』の、しかしドコかで白々とした現実世界にもひきもどされてしまう、人物バックの現実風景。
 対するに、ドロくさい現実そのものの茨城県下妻の田んぼの畦道なのに、計算し尽くしたスタイリッシュなアングルと加工した色調&ピントの映像で、現実感・生活感を抹消して、おバカ演技や演出のみに観客が専念できるマンガチックな世界観を許容する映像世界の構築への成功。
 その一点においては、ジャンルファンとしては残念ながら、私的には『下妻物語』に軍配をあげざるをえない(……でも、『下妻』もジャンル作品みたいなものかナ?)。



 映画版『キューティーハニー』。誰がドー見ても、『キューティハニー』以外の何者でもない、誤解しようのない作品とはなった。が、しかして本作は原作マンガ版やTVアニメ版の“精神”にホントに準じた作品だったのか?
 そう、『新造人間キャシャーン』(73年)などとは異なり、『キューティーハニー』原作版やアニメ版には、そもそも“精神”などという高尚なテーマもどきのモノは最初からナイ、スタイルと形式と革袋のみの作品であったことに、改めて思い至る。
 つまりテーマとか、キューティーハニーこと如月ハニーの人格・内面なども、『ハニー』という作品にとっては、他のものに代替可能な便宜的なものであり(笑)、二次的なものに過ぎなかったワケだ。
 ゆえに如月ハニーが、サエない派遣社員のポワポワのサトエリそのままの人物造形に変更されても、『CASSHERN』などとは異なり多分、誰もケチをつけない(もちろん筆者個人もケチをつける気はない)。
 むしろ、BGMが旧作のアレンジだったり、変身後の姿があのキューティーハニーの扮装であり、といったあるイミでの外装・パッケージ自体が、『キューティーハニー』でありさえすれば、なぜかとりあえずナットクはする。
 そう、登場人物の人格・内面なぞという、文学的・テーマ的基準では本質的なハズのファクター、一般的な作品では比較基準の中軸に来るハズのモノサシで、他の作品は裁かれても、実写版『キューティーハニー』という作品は裁かれることはないのだ(笑)。あるイミでマニア連中に摩訶不思議なダブルスタンダードの現象を生じさせている。
 その奇妙さを自覚するかしないかは別として、その特異さも本作『キューティーハニー』の特徴のひとつだろう。




追伸:商業的には、『キューティーハニー』というより、『サトエリinキューティーハニー』でよかったのでは?
 あと、『RED SWADOW 赤影』(01年)や『CASSHERN』みたく、変身後でもマスクなしの顔出しを、一般&女性層は見たいだろうし、髪の色の赤だけは一致させるにしても、髪型はムリに原作に準せず、ふだんのサトエリの髪型のままでもよかったんじゃないかなぁ。
 で、劇中だけでなく、宣伝ポスターも、遠くから見てもサトエリだとすぐ判るよう、顔UPの構図にすると。そーいうあたりも軽視しちゃダメだョ(笑)。

(了)


後日付記:夏コミ号先行掲載での当記事に、女の友情はパンフで監督自身が言及済と指摘さる(未読だった・汗)。さも新発見のように語ってて恐縮。自戒のため恥はそのまま晒します。


(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2005年号』(04年12月30日発行)『キューティーハニー』合評④より抜粋)


『假面特攻隊2005年号』「キューティーハニー」関係記事の縮小コピー収録一覧
・読売新聞 2004年5月21日(金) アニメと実写 垣根消える? 役者が原画通りに連続ポーズ、撮影 人間の動き収録 絵に当てはめる 〜ハニー・アップルシードデビルマン


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