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小さき勇者たち〜ガメラ〜


[特撮邦画] 〜全記事見出し一覧


(06年4月29日封切)
(文・久保達也)
 確か製作発表の席上だったよなあ。角川ヘラルド映画のエライさんが「怪獣なんて今の時代に合わん。今度の作品は『ガメラ』らしくない映画にする!」なんて主旨の発言をしていたのは。
 ウソつけ! おもいっきりの『ガメラ』映画やないか!(笑)


 『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(67年・大映)以降、昭和の時代に製作された大映の『ガメラ』シリーズでは、ガメラは「子供の味方」であるという位置付けが強調されるようになり、主役級の子供たちとガメラとの心の交流が毎回描かれ、子供の「冒険譚」「王道ファンタジー」としての、良質なジィブナイル作品となっていた。


 『ガメラ対ギャオス』で超音波怪獣ギャオスに襲われそうになった英一少年はガメラに救われ、背中に乗せられて夜間飛行の空中散歩を楽しむ。
 『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(68年・大映)ではバイラス星人の宇宙船に捕らえられた正夫とジムの脱出劇がサスペンスフルに描かれ、彼らお得意のイタズラがバイラス星人にコントロールされたガメラを救い出す。
 『ガメラ対大悪獣ギロン』(69年・大映)では明夫とトムが地球を飛び出し、第十惑星人・バーベラとフローベラが企む地球植民地化計画を阻止せんと奮闘する。
 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(70年・大映)では貧血状態になったガメラの体内に弘とトミーが潜水艇で忍び込み、ジャイガーの幼獣を倒すことに成功する!……


 それらの作品では子供たちとガメラは「おともだち」であり、互いに助け合いながら共闘する姿が描かれた。
 「大悪獣」「大魔獣」というネーミングが象徴するように、対戦怪獣は徹底的に悪役として描かれた。ギャオスは人を食らい、第十惑星人は人間の脳を食料にせんと企み、ジャイガーはマグネチューム光線で人を白骨化させる!
 そして対戦怪獣たちは皆凶器攻撃を得意とした。ギャオスの超音波メスによって切断されたガメラの腕からは緑色の血が流れ、バイラスは槍のような頭部でガメラの腹を突き刺し、ギロンは頭そのものがダイヤモンドの百倍の硬度を誇る刃物であった。そんな怪獣たちに、ゴジラのような「怪獣王」とは違う、愛らしいガメラは毎回徹底的に痛めつけられ、ズタボロになるまでやられまくるのである。


 こうした点が『ガメラ』シリーズの大きな特徴であるわけだが、これこそが観客の子供たちの感情移入を誘うには絶好のものであったのだ。いい奴なんだけどどことなく頼りない、仲のよい「おともだち」が徹底的にやられているのを見たら放ってはおけない。ガメラの対戦シーンで主役の子供が「がんばれ〜、ガメラ〜!」「いいぞ〜、ガメラ〜!」と叫ぶ描写も功を成し、観客の子供たちも皆一緒に「子供の味方」であるガメラを応援していたのだ……


 平成『ガメラ』シリーズ(95〜99年)ではガメラは「子供の味方」ではなく、「美少女の味方」(爆)として描かれていたが、それではマニアはともかく子供たちが感情移入できるはずもなく、さしてヒットしなかったのも必然であるというものである。『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)上映終了後、観客の小学生たちが「あんまり面白くなかったね」と口にするのを耳にしたものだが、それから十年あまり。今回上映前に窓口の前で小学生がこう話しているのが聞こえた。
 「『ガメラ』こないだ観た。おもろかったでぇ〜!」
 そうなのだ。小学生(マニア予備軍は除く)を魅了するためにはガメラはやはり「子供の味方」でなければならなかったのだ。


 今回はそうした昭和の『ガメラ』シリーズの趣が基本的に色濃く踏襲されている。敵怪獣である海魔獣(このネーミングからしてそうだ!)ジーダスは沖縄近海に出現し、乗組員たちを餌食にするために数々の海難事故を引き起こしながら伊勢湾へと向かう。志摩半島の小さな漁村に上陸し、そこでも人間を食したジーダスはもっとより多くの餌を求め、大都会・名古屋へと進撃を開始する!
 救命具などが浮かぶ海面から乗組員の姿が消えるや沸き上がる血しぶき、崩れ落ちた灯台に行く手を遮られたためにジーダスの犠牲になる避難民、空から撮らえた伊勢湾の海面に浮かぶ名古屋へと向かうジーダスの影……これらは絶妙な恐怖感を醸し出すとともに、ジーダスガメラに倒されるべき悪辣な存在であることを強調するには欠くことのできない演出である。


 そしてジーダスもまた凶器攻撃を得意とする怪獣だ。無数に生えたトゲのある長い尾で相手を叩きのめし、長く伸びるモリのような舌は厚さ50センチの鋼鉄板をも串刺しにしてしまう! 今回もガメラは悪戦苦闘を強いられる。志摩市大王町での第1ラウンド、名古屋市中心部での第2ラウンドはともに白昼堂々の怪獣対決が描かれ、ラストバトルを常にナイトシーンで描くことに終始していた平成『ゴジラ』シリーズ(89〜95年)やミレニアム『ゴジラ』シリーズ(99〜04年)に感じた欲求不満を解消し、筆者がよく知る身近な街が、忠実に再現された街並みで繰り広げられる迫力あふれる一大バトルは、角川ヘラルド映画のエライさんがどれだけ否定しようが立派な怪獣映画であり、立派な『ガメラ』映画に仕上がっていた(笑)。


 ただ本作の屋台骨を支える極めて重要な要素の中に、明らかに昭和の『ガメラ』シリーズとは趣を異にするものがいくつか含まれており、それがなければ単なるリメイクに過ぎない作品に仕上がる可能性もあったわけで、角川のエライさんが強調したかったのもまさにそこにあったのだ(それでも筆者的には決して「ガメラらしくない」とは思わないが)。


 昭和の『ガメラ』シリーズの主役だった子供たちは、基本的には快活で天真爛漫な、「絵に描いたような」子供たちであった。何の悩みも抱えることはなく、ただひたすら明るく元気に遊び回っているような子供たちであった。
 こうした子供像は、『ガメラ』シリーズが完全に子供向けへと方向転換される『ガメラ対ギャオス』公開の数年前から製作・放映された『ウルトラQ』(66年)や『ウルトラマン』(66年)で描かれた子供たちの姿を基本的に継承したものだと思える。「怪獣映画」に徹し、「人間を描く」ことに重きを置かなかった作品群の中では、子供は別に悩みを抱える必要はなく、ただひたすら元気に遊び回っていればよかったわけである〜これが怪獣よりも次第に「人間ドラマ」に重点を置くようになった『ウルトラセブン』(67年)になると、いじめられっ子の少年が「強い子にしてあげるから」と宇宙人にそそのかされ、利用されてしまう第16話『闇に光る目』や、心臓手術に立ち会うことを約束したモロボシ・ダンが戦闘のために来られなくなったことを恨み、手術に激しく抵抗する少年が登場する第38話『勇気ある戦い』なども描かれている〜。


 『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(71年)で一旦シリーズが打ち切りになるまで、基本的にそうした子供像は踏襲されていた。それと入れ替わるように放映が開始され、四年の期間に渡って放映された第2期ウルトラシリーズ(71〜74年)においては決して怪獣の存在が軽視されたわけではなかったが、「人間ドラマ」を重視するようになった作品群の中で描かれた子供たちは詳細は後述するが、圧倒的にどことなく陰のある子供たちを描くことが多くなったのだ。


 それを昇華させ、当初主人公を中学校の教師に仕立て、「このままでは怪獣になってしまう子供だっているんです!」という壮絶なセリフを吐かせたほど、人間のマイナスエネルギーが怪獣に力を与えるという発想が素晴らしい『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)の放映と時期を同じくして公開された『宇宙怪獣ガメラ』(80年)に登場する圭一少年が、オルガンを演奏しながら ♪ぎんがをこえて〜 と主題歌を明るく元気に歌うような、相変わらずの天真爛漫な子供として描かれていることについては今の目で観ると軽い違和感が拭えなかったりするのである。


 ただ『宇宙怪獣ガメラ』には今観てもなかなかスゴイと思えるサプライズがある。ガメラが宇宙空間において、『宇宙戦艦ヤマト』(74年)や『銀河鉄道999(スリーナイン)』(78年)に登場する主役級のメカと遭遇するのである。
 もっとも双方ともにあくまでも夢の中に登場するものとして描かれてはいるのだが、『小さき勇者たち』においても『ケロロ軍曹』とかいう人気コミック(テレビ東京系でアニメも放映されているらしいが、筆者は全然知らないもんで……*1)が劇中に登場した際に館内の子供たちが湧いたくらいだから、ヤマトや999はもっと反応がスゴかったのかも……(筆者は当時劇場で観てないので)


 そうした子供たちにとって身近なものを小道具として登場させるだけではなく、より親近感を得てもらい、作品世界へと誘う(いざなう)ためには子供たちの等身大の姿を描く必要がある。両親の身勝手な離婚、虐待、生活破綻、そして子供を標的にした理不尽な事件の続発と、子供を取り巻く社会環境が悪化の一途をたどる現況において、高度成長期に描かれた「快活で天真爛漫な」子供の姿は、もはや「絵空事」としか映らなくなってしまっているのだ。


 波のさざめきが自然のBGMとして響き渡る、三重県大王町に住む透は、仲のよい勝・克也の兄弟と波打ち際でふざけて互いの海水着を脱がそうとしたり、スノボーを楽しむなど、一見どこにでもいる快活な少年である。
 だが透は交通事故で母を失っていた。「あいざわ食堂」を経営し、仕事で忙しい父の孝介とは話す機会も少なかったようで、優しかった母の面影が忘れられずにいる。
 母の手描きの食堂のメニューをふと目にした途端、透は思わず母を回想してしまう。モノクロームの画面の中で、食堂の給仕をしながら徹のことを「トト」と愛称で呼ぶ、優しかった母……


 「トト、おかわりは? お、か、わ、り」


 気がつくと、母の手描きのメニューはカウンターの上でこぼれたビールに濡れそうになっていた。それを透が慌てて除ける描写が実に効果的で美しい印象を残している。


 そんな心の隙間を抱えた透はある日小島で、光り輝く赤い石を台座にした不思議な卵を発見する。手にして見つめていると卵が割れ、小さくて愛らしい亀が誕生した。思わず自宅に持ち帰った透は、母が自分を呼ぶ際に使っていた「トト」を亀の名前にした。食堂を経営していることから孝介にペットを飼育することを禁じられていた透はトトを孝介に内緒で飼うが、異常に成長の早いトトは見る間に大きくなり、自室では飼えなくなる。透は夜中に勝や克也らと、彼らの「ひみつきち」としている漁師小屋にこっそりとトトを運び、彼らだけの秘密とする……


 『帰ってきたウルトラマン』(71年)第24話『戦慄! マンション怪獣誕生』において、母親が仕事で多忙のために「かぎっ子」*2である明夫は、怪獣攻撃隊MAT(マット)にレーザーガンで破壊された宇宙怪獣の破片を自宅に持ち帰って壁に張りつけ、甲羅や牙、角が生えるように命令し、マンション怪獣キングストロンを誕生させてしまう!
 『ウルトラマンA(エース)』(72年)第12話『サボテン地獄の赤い花』では、露天商としてサボテンを売る父と二人暮らしの三郎が、さぼてん超獣サボテンダーが小型化したさぼてんに「サブロテン」と名付けて育ててしまう……
 『ウルトラマンタロウ』(73年)第43話『怪獣を塩漬けにしろ!』では、母を亡くして寂しい思いをしている武志が「モットー、モットー」と鳴く宇宙怪獣の子供に「モットクレロン」と名付け、父が経営する八百屋から野菜を持ち出し、怪獣に食べさせて成長させてしまう。
 『ウルトラマンレオ』(74年)第49話『恐怖の円盤生物シリーズ! 死を呼ぶ赤い暗殺者!』では、両親がいないことから授業参観を憎むトオルが、公園にあった赤いてるてる坊主に八つ当りをするが、それは円盤生物ノーバであり、彼の肩にとりついて赤い凶暴化ガスを撒き散らしながら徘徊し、乱闘や暴行事件で街は大混乱となる!


 母親の愛情に飢えるために、自らが母親となって怪獣に愛情を注ぎ、成長させて街に大被害を与えてしまうというシチュエーションは、「人間を描く」ことに重点を置き、子供と真正面から向き合った第2期ウルトラシリーズでは好んで描かれてきた。子供を取り巻く環境の悪化が叫ばれる昨今において、これらの作品は『A』第3話『燃えろ! 超獣地獄』における異次元人ヤプールのセリフとともに圧倒的な現実感をともなって視聴者に語りかけてくる。


 「子供の心が純真だと思っているのは人間だけだ」……


 ただ今回はガメラを成長させるに至る透の過程こそは上記の図式を拝借しながらも、それをマイナスエネルギーとしては描かない。第2期ウルトラシリーズで子供に育てられた怪獣たちはウルトラ兄弟たちに倒されるべき存在として描かれていたが、今回のガメラはむしろ海魔獣ジーダスを倒す「子供の味方」であるからだ。


 その差別化のために、今回のガメラの成長過程は実物のケヅメリクガメも含め、どの造形物も実に可愛らしく描かれている。そして手の平サイズのトトが突然空中浮遊をしてみたり、透の部屋を抜け出して階段を降り、食堂で調理中のフライパンに誤って落っこちてみたり、包丁を大悪獣ギロンであると認識したのか、火炎を吐いて黒焦げにしてみたり……などの描写には館内の子供たちから実に大きな大歓声が沸き上がったものだ。
 ただの亀ではないと気付き始めた透は「おまえ、ヤバ過ぎだから」と海岸へトトを置いてその場を離れるが、トトは透のあとをトコトコとついてくる。軽トラックにはねられそうになったトトを救った透は、トトを頭にちょこんと載せ、嬉しそうに自宅へと帰っていく……


 角川書店特撮エース』における本作の特集の中で、今回のガメラが「可愛すぎる」などとあいかわらず「怪獣恐怖論*3」を主張している某漫画家がいたが、それが誤りであることはもはや明白であろう。卵から生まれたのがジーダスみたいな醜悪な姿であったなら、その場で「ゲッ!」と海に投げ捨てて終わりである(爆)。
 『とっとこハム太郎』の劇場版は観ても、ミレニアム『ゴジラ』は観ずに帰ってしまう女児には「怪獣恐怖論」なんか通用しないのである。『小さき勇者たち〜ガメラ〜』の公開前日まで同じ松竹系で封切られていた『子ぎつねヘレン』(06年*4)を筆者は公開から一週間経過した金曜日の初回に鑑賞したが、春休みの時期にさしかかっていたとはいえ、平日の朝であるにもかかわらず、小学生の女子児童や若い女性で客席が8割ほど埋まっていたのには仰天したものだ。こうした層をも取り込もうと思えば、いつまでも「怪獣恐怖論」をふりかざしては駄目なのだ。
 絶賛放映中の『ウルトラマンメビウス』(06年)に登場するマケット怪獣ミクラスもまた愛くるしい姿であり、元保母であるコノミに可愛がられ、「ミクラス、お願い!」とうながされて、醜悪な高次元捕食生命体ボガールに立ち向かっていたが、子供たちに善と悪を示すにはこれくらい記号化されている方がいいんだっちゅーの!


 可愛らしく、子供たちと心が通い合える存在としてトトがここまで描かれてきたからこそ、ジーダス大王町を襲撃し、透たちに危機が及んだ際にトトが全長6メートルに巨大化した姿で出現、人々を守るために戦う姿が子供たちから拍手喝采で迎えられるというものだ。
 そしてズタボロになりながらもジーダスを海に落下させたトトが、巨大生物審議会の管理下に置かれることが決定したため、透のもとを離れて名古屋へと運ばれる別離のシーンにも一層愛惜の念がこもってくる。
 『スペクトルマン』(71年)第52話『怪獣マウントドラゴン輸送大作戦!』*5同様、実物大の全長6メートルのトトの造形物を、大型トレーラーで実際に県道を走行させて輸送するという大胆な演出にも舌を巻くが、透の呼びかけに閉じていた目を開け、つぶらな瞳で透を見つめるトト、透が必死で追いかけるもやがて彼方へと去っていくトトという描写は『ウルトラQ』(66年)第12話『鳥を見た』を連想させる。
 第1期ウルトラシリーズだって、こうした子供が主役のファンタジー作品は描かれていたのであり、決してマニアが主張するところの「SF性が強い」作品ばかりではなかったのである。なんせ『Q』には第6話『育てよ! カメ』という、そのものズバリの回があったではないか!(笑)


 大好きだった母同様、トトまでもが透の手の届かないところに行ってしまった。そしてもうひとり、昭和の『ガメラ』シリーズでは描かれることのなかった存在が、透にとってかけがえのない人物として本作では登場している。
 透の家の隣に住む中学生の少女・麻衣は、透とは二階の互いの部屋から会話をし、『ケロロ軍曹』を貸し借りする仲である。まるで『時間ですよ』(70年・TBS)で描かれたような、主役の堺正章と、隣に住む天地真理浅田美代子の関係を連想させるが、劇中ではストレートに描かれてはいないものの、筆者は透が「少し年上のお姉さん」である麻衣にほのかな恋愛感情を抱いていたとにらむ。
 筆者は未見だが、透を演じた富岡涼は『この胸いっぱいの愛を』(05年)という劇場作品において、近所のお姉さんに恋心を抱く少年の役を演じていたらしい。このことが今回のキャスティングに少なからず影響を与えていると考えるのは単純に過ぎるかもしれないが、本作の中盤においては、次のような象徴的な場面が描かれているのだ。


 ある日目にした麻衣と母親との会話から、透は麻衣が重い心臓病を煩い、名古屋の大病院に入院が決まっていることを知る。麻衣はトトが空中浮遊する現場をモロに目撃してしまい、透や勝・克也と秘密を共有しているが、麻衣は1973年に伊勢志摩地方に出現したガメラとトトとの関連性を指摘、「今度なんかあったら、助けてあげられないかもしれないんだよ!」と透を諭していた。その言葉が持つ本当の意味を、透は母娘の会話から悟ったのだ……
 透は麻衣が入院する前日、トトが生まれた卵の台座であった赤い石を、「お守り」として麻衣に手渡す。それには次のような想いがこめられていたはずだ。


 「死んじゃイヤだ! 大好きなのに……」


 ジーダスとの名古屋大決戦の中で、ジーダスに放り投げられて名古屋駅前のツインタワーにめり込んでしまい、絶体絶命の危機を迎えたトトに対し、透が語りかけた言葉である。母のことも、トトのことも、そして麻衣のことも透は大好きなのだ! これ以上大好きな人を死なせたくない! 大好きだった母が死んでしまった今、トトを、そして麻衣を絶対に死なせたくはない!
 愛する者を守りたいという、透の熱い想いは、トトとともにジーダスと戦うという決意へと透を向かわせるのだ!


 被災民の避難所となった学校の体育館で、透は麻衣の母から麻衣の手術が無事に成功し、透から「お守り」として手渡された赤い石を、麻衣がトトに返したいとの意向であることを電話で知らされる。麻衣から石を受け取り、捕獲されているトトに手渡すため、透は勝・克也とともに、筆者も幼少のころからお世話になっていた近鉄電車に乗って名古屋へと向かう。麻衣の病院へと向かう三人であったが時を同じくして名古屋にジーダスが上陸! 随一の繁華街である栄地区を破壊し、名古屋の秋葉原である大須の商店街をも襲撃する! 三人がたどり着いたときには病院は麻衣の姿どころか全ての人々が避難したあとだった。


 「麻衣の病院へ行きます。用事が終わったら、すぐに帰ります」との置き手紙を見た孝介もまた名古屋へと赴き、病院で透と再会、これ以上トトと関わりあうことを禁じ、すぐに透を避難させようとする。孝介は少年だったころの73年に伊勢志摩がギャオスに襲撃された際、ガメラが人々を守るために自爆を遂げたのを目撃しており、今回もその危険性があることを予感していたのだ。


 「あれはおまえが知っているトトじゃない! あれはもうガメラなんだ!」


 それでもなお、透はジーダスの襲撃によって覚醒し、全長50メートルにまで巨大化したガメラを「トト」と呼び続け、ジーダスに徹底的に痛めつけられるガメラのあとを追って離れようとはしなかった。
 同じく避難所からその痛ましい光景を見つめていた麻衣は早く「お守り」をトトに渡さなくてはと苦悩するが、手術直後の動けない容体ではどうすることもできなかった。それを見ていたひとりのあどけない少女が麻衣に近づき、「お守り」を自分に預けるようにうながした。


 「トトにだね」


 麻衣から「お守り」を託された少女はガメラのもとへと向かう。だが歩道橋で逃げる群集の波に遮られ、まったく動けなくなってしまった。それを見ていたひとりの少年が「お守り」を自分に渡すよう、少女にうながした。
 少年もまた、「お守り」を手渡すためにガメラのもとへとひた走った。だが避難民を誘導する警官に阻まれ、少年もまた、その場に居合わせた別の少年へと「お守り」を託す。そしてその少年もまた「お守り」を少女へと……


 怪獣映画の醍醐味のひとつである自衛隊の総攻撃の場面が今回描かれなかった理由はもはや明白であろう。透の、麻衣の、そしてたまたま居合わせた子供たちの勇気の証しを強調するためには大人は全てひたすら逃げるだけか、もしくはガメラを復活させてジーダスと戦ってもらおうなどという、セコい他力本願な考えを持つ弱い存在として描かれなければならなかったのである*6
 この手法は『ウルトラマンメビウス』第1話『運命の出逢い』においても試みられていた。CREW GUYS(クルー ガイズ)のレギュラーメンバーたちとなる民間人たちの勇気の証しを印象づけるために、旧GUYSは中盤で全滅してしまう弱い存在として描かれていたのだ。
 こうした子供たちや民間人が活躍する描写に対しては、リアル指向の人々からするとどうせ反発が強いのであろうが、自衛隊の活躍場面を強調したミレニアム『ゴジラ』シリーズや『ウルトラマンネクサス』(04年)が観客動員数の激減や低視聴率のために共に「打ち切り!」になったことから既に実証されているように、そうした軍事組織を「リアル」に描く「アーミー路線」が大衆の支持を得られるとは筆者には到底思えないのである。


 「トトはまだ子供なのに、逃げないで戦っているんだ! だからおれも逃げない!」


 勝と克也から「お守り」を託された透は、ジーダスに苦戦するガメラになんとしてでもそれを届けようと熱く主張する。息子の頼もしい姿に、孝介も遂に決意を固めた。


 「わかった。父さんも行く!」


 名古屋駅前のツインタワーのひとつにめりこんだままのガメラ。もう一方のタワーにジーダスはトカゲのごとくよじ登り、長く伸びる舌でガメラを串刺しにする!
 廃墟と化したツインタワー内部に潜入した透と孝介は階段をかけ昇る。行く手を遮るがれきを孝介が必死で除け、透はガメラのもとへと向かう!


 「でも……、母ちゃんが星になったとしたら、あの優しそうな星かな……」
 『ウルトラマンタロウ』第43話『怪獣を塩漬けにしろ!』(脚本・阿井文瓶 監督・真船禎)において、人が死んだら星になるという話を「非科学的だ」「星は宇宙の恒星なんだよ」と笑いつつも、ふとそうつぶやいてしまうほど、武志は死んだ母のことが忘れられずにいた。
 そして八百屋の仕事に忙しく、自分のことをかまってくれない父に対し、武志はこう叫んでいた。
 「父ちゃんはオレより店の方が大事なんだろ!」
 だが武志が育ててしまった食いしん坊怪獣モットクレロンが街を破壊する最中、父の善助は武志をこう諭す。
 「おまえが怪獣を育ててしまったんなら、おまえが倒さなければならないじゃないか。そうだろ?」
 そして善助はモットクレロンをおびき出すため、店じゅうの野菜を路面にバラ撒き始めたのだ。
 「父ちゃん! やっぱり店よりオレの方が大事なんだね!」
 「馬鹿野郎! そんなこと当り前じゃないか!」


 『ウルトラマンメビウス』のリュウ・ジョージ・マリナらの口の悪さがおそらくマニアの間では早くも問題視されているかと思うが(笑)、こうした人々の葛藤を描く人情劇においては必然性から出てくるものかと思える。『ジャンボーグA(エース)』(73年)の主人公・立花ナオキも相当口が悪かったが、その分今回のような感動を呼ぶ人情劇も数多く描かれているし*7)、『ウルトラマン』で科学特捜隊のアラシ隊員を演じた毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)がパーソナリティを務めるTBSの某ラジオ番組の公開録音の場で、毎回「まあいるわいるわ、きたねえババアが」と彼がののしっているにもかかわらず、数十年も放送が続いている事実をどう考える? GUYSのメンバーよりも、サイト上の掲示板やブログに対する書き込みの方がよっぽど口汚いではないか!(爆*8) 閑話休題
 そんなことはともかくとして、『タロウ』の時点では父の方から息子に戦うことを決意させる場面を描いていたのに対し、『小さき勇者たち』では完全な逆転現象を描いていることが、今のご時世をあまりに反映しているというかなんというか。幼いころにガメラの自爆する姿を目撃してしまったがために、逃げることしか考えていなかった孝介は、21世紀に生きる「なさけねえ」大人たちの象徴としても機能しているのである。


 透から「お守り」を与えられたガメラは同時にツインタワーからまっさかさまに転落する! あわや! と思えたその直後、ガメラはひっこめた足からジェット噴射を吹き出しながら回転飛行して急上昇! やっぱガメラはこうでなきゃ。『ガメラ2 レギオン襲来』(96年)で羽根を広げて飛行するガメラは個人的にはチョ〜カッコ悪かったもんなあ(笑)。
 そして腹のエンブレムが赤く輝き、口から超特大の火炎を吐いてジーダスを木っ端微塵に爆発四散させるガメラ! 子供たちとの共闘により、遂にガメラは強大な敵に打ち勝ったのである!
 だがその直後、ガメラはゆっくりと崩れ落ちた。内閣府の参事官・一ツ木の指示で自衛隊が再びガメラを捕獲しようとする。
 それを阻む者たちがいた。透が、勝が、克也が、そして「お守り」リレーを演じた大勢の子供たちが、ガメラを捕獲させまいと「とおせんぼ」をしたのである。
 ゆっくりと起き上がったガメラは首と手足を引っ込め、急上昇のあと、回転飛行で大空の彼方に消えた……


 透が云うところの「母さんのいない、はじめての夏」に描かれた、ひと夏の愛と勇気と冒険の物語は、怪獣映画と人情劇を見事に両立させ、カタルシスと癒しという、相反する魅力をともに観客に与えてくれた。物語の前半の舞台として伊勢志摩地方が選ばれたのは決して風光明眉であるばかりではなく、乾いた都会では得られない人情味のある土地柄という理由もあるだろうし、かの『ゴジラ』(54年・東宝)のロケ地でもあり、日本を代表する二大怪獣スターの生誕の場所となったことについては三重県出身者としては誠に嬉しい限りである*9


 あまり直結させて考えたくはないが、90年代後半から特撮映画・TVシリーズがリアル&ハード路線を貫き通すようになったことと符合するかのように、この国は次第にあらゆる面において歪みが生じてきているように思え、それも70年代においては特撮ものにおいて当り前のように描かれてきた「優しさ」「暖かさ」といった要素が軽視されたツケが回ってきたのかと筆者は感じるのである。『ウルトラマンメビウス』がそれを回帰させるような作風に仕上がっているのも、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』とともにこの混沌とする時代に警告を与えているかのようであり、まさに時代の必然として生み出されたかのようにも思えるし、筆者としてはそうした路線を大いに歓迎したい。


 年上の麻衣に淡い恋愛感情を抱き、「まだ子供なのに」必死で戦ったガメラとの交流により、ようやく透は母との別離も乗り越えられたかのようだ。その成長の証として、透はずっと「トト」と呼んできた友人をこう見送る。


 「さようなら、ガメラ……」


2006.6.6.
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2007年号』(06年12月30日発行)『小さき勇者たち〜ガメラ〜』合評①より抜粋)


『假面特攻隊2007年号』「小さき勇者たち〜GAMERA〜」関係記事の縮小コピー収録一覧
朝日新聞 2005年6月20日(月) ガメラ新作 エキストラ募集 22日から志摩など撮影 〜22日〜7月中旬、伊勢志摩で撮影
朝日新聞 2005年7月4日(月) 志摩でガメラ撮影中 〜6月30日、三重県志摩市大王町波切の漁港近くの主人公少年の食堂(実際はかまぼこ店)と、隣家の少女の真珠店などで撮影
朝日新聞 2005年10月20日(木) 「ガメラ」12作目、撮影完了 少年とカメの交流描く 〜撮影終了・12日に都内で記者会見


小さき勇者たち~ガメラ~ DTSメモリアル・エディション1965-2006 (初回限定生産) [DVD]


[特撮邦画] 〜全記事見出し一覧


*1:同じ松竹系でかつて劇場版が公開、さらに角川書店が以前から『ニュータイプ』誌上で散々プッシュしてきた『機動戦士ガンダム』(79年)こそ、ガメラと共演してほしかった、なんて筆者は思ってしまうのであるが……

*2:高度成長期の60年代後半、共働きの家庭が多くなったことにより、自宅の鍵を持参して登下校する子供たちをかつてのマスコミはこう総称した。筆者も70年代にはそうであったが、それがすっかり常態化してしまった今、完全に死語となっている。

*3:恐怖の象徴としての怪獣を復活させれば、怪獣映画ひいては日本特撮は復興するという、70年代後半に第1世代特撮マニアによって唱えられた理念。

*4:06年3月18日から4月28日にかけて松竹系で公開された劇場作品。
 原作はキタキツネの生態研究の第一人者で、傷ついた野生動物の保護・治療・リハビリなどに取り組み、写真家・エッセイストとしても活躍している竹田津実の『子ぎつねヘレンがのこしたもの』(偕成社刊)。
 劇場映画化するにあたり、主人公はカメラマンの母が海外に赴いたために、東京から北海道の知人に預けられた小学生の男子に設定された。慣れない生活で学校ではいじめられ、母の愛情に飢える彼が、目と耳が不自由なために群れからはぐれてしまった1匹の子ぎつねと出会う。その際に少年がきつねに投げかけたセリフが強烈だ。
 「おまえのお母さんも自由人か?」
 彼がきつねを育てあげることでたくましく成長し、帰国した母もそれを見て改心させられるという、『小さき勇者たち』とかなり構図の似た物語が描かれている。
 なおこの作品にもスノボーが登場し、少年が当初まったく乗れなかったのを見事に乗りこなせるようになり、きつねと一緒にスノボーに乗るのを夢見るようになるという、少年の成長を象徴するアイテムとして機能している。
 ちなみに本作には『仮面ライダーTHE FIRST』(05年・東映)でショッカーに改造される病弱な少女を演じていた小林涼子が、少年が預けられる獣医の娘役で出演している。

*5:鈴鹿山脈に出現した怪獣マウントドラゴンを研究用として東京に輸送するさまを描くために、なんと全長20メートルもの巨大なハリボテを製作し、実際に大型トレーラーを使って公道で輸送してしまった、半ばドキュメンタリー的な生々しい映像が光る異色作(ハリボテでも見物人たちはマジで驚いている!)。予算が少なかったとされる『スペクトルマン』ではあるが、こんな大胆なことを平然とやってのけた「ピープロピー・プロダクション)魂」を、昨今の特撮ヒーロー作品の製作者たちは忘れてはいないだろうか?
 なおこの作品でも鈴鹿山脈四日市〜長島温泉と、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』同様に三重県の公道が使われている。ちなみに長島温泉は『戦え! マイティジャック』(68年)第10話『消えた王女の謎を解け!!』や『ミラーマン』(71年)第33話『インベーダーの海底基地』のほか、『少年探偵団』(75年)や『西部警察PARTⅡ』(82年)など、かつてはよくロケ地として使用された観光施設である。

*6:過去の怪獣出現の事例において、自衛隊の通常兵器がほとんど役にたたなかったことを考えれば、今回自衛隊が全く攻撃をせず、ガメラジーザスを倒させようとしたのはある意味究極のリアル指向なのではなかろうか。
 ちなみに『ウルトラマンメビウス』第8話『戦慄の捕食者』では、かつて怪獣たちを倒してきたのは歴代の防衛組織であると信じて疑わなかったGUYS入隊当時のリュウが、過去のアーカイブスから実際に怪獣を倒してきたのはウルトラマンたちであることを知り、戦うことの意味を見失うといった回想シーンが描かれている。

*7:第11話『壮烈!! 涙の一撃』において、第1話『エメラルド星からの贈り物』に登場した巨腕怪獣キングジャイグラスに両親を殺された健太の愛犬・ピスが、アンチゴーネによってドクロ怪獣ドクロスキングにされてしまう。「どうして怪獣は僕の大事なものばかり奪ってしまうんだ!」と嘆き悲しむ健太を、ナオキは「おまえの父さんと母さんを殺した怪獣を、おまえの手で倒すんだ!」とばかりにジャンボーグエースのコクピットに乗せ、ドクロスキングを健太に攻撃させて「強い男」に育てようとする。
 この熱い展開は確かによいのだが、健太の両親を殺したのはドクロスキングじゃなくてキングジャイグラスだぞ(笑)。それに筆者の飼う猫が宇宙人によって怪獣化したとしたら、オレは絶対に攻撃できんぞ(爆)。
 なお同時期に放映された『ファイヤーマン』(73年)第20話『怪獣ガガンゴの嵐』においても次郎の飼い犬・ジロベエがテロ宇宙人ガガンゴ星人によって怪獣化してしまうが、こちらはファイヤーマンの手によって元の姿に戻る。当初のリアル路線が低視聴率だったため、2クール目以降は『ジャンボーグA』以上にマイルドな作風へと極端な路線変更を遂げたことを最も象徴する回である。
 ついでに書くと第19話『宇宙怪獣対原始怪獣』に登場する、コアラのぬいぐるみのような宇宙怪獣ムクムクと、正統派の原始怪獣マクノザウルスとの善悪の対比の妙も、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』と共通するものであり、子供の目線をかなり意識していることの発露といえるものであろう。

*8:女子アナマニアでもある筆者は静岡に転居したのを機に早速TBS系列の静岡放送の女子アナのうち二人の女性が気になり、ネットで検索したら二人とも一応の公式(?)ファンサイトが存在した。だがひとつは「あの娘カワイイか? アンタ目が悪いんじゃないのか?」などというケナシ文句で埋め尽くされ、もうひとつは「彼女に対する誹謗中傷が連日寄せられるようになったため、やむなくここを閉鎖することにしました」との案内文が出ていた。こういう場所に書き込みをするようなマニア的気質を備えた人間に、ジャンル作品の登場人物の口の悪さをどうこう云える資格はないように筆者は思えるのであるが……(編:いわゆるDQN(ドキュン=ヤンキー不良・肉体労働・体育会)系の熱血キャラの口の悪さに過剰に反発を覚えるのは、オタクタイプの人間の繊細ナイーブさ・弱さの裏返し、苦手意識の現われの二次的反応で、女子アナのルックスやそのファンの審美眼に嗜虐的・サディスティックな悪口を書いて悦に入るタイプとは、同じカキコ(書き込み)をしたがる人間でも、人種が違うと思われます(笑)。)

*9:今回筆者はゴールデンウィークで帰省した際に地元のシネコンで鑑賞したのであるが、県内でロケされたことが功を成してか、かなりの客の入りであった。新聞に掲載された上映案内によれば、三重県内のシネコンでは一日5〜6回の上映で夜の回も設定され(静岡では土・日が一日3回で平日は2回のみ!)、同じ松竹のウルトラ劇場版が98年以降、『ULTRAMAN』(04年)が四日市と桑名でのみ一日1回上映された以外、まったく上映されていないのと比べれば破格の扱いであり、筆者が鑑賞したシネコンに併設するショッピングセンターでは、メイキング写真や名場面のパネル展示まで行われていた。
 なお、06年9月16日から公開される『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』もまた、三重県内では上映予定がないらしい(トホホ……)。