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追悼、大林宣彦論 ~尾道。映像派から抒情派へ。風景も作品を規定する。ツーリズム。大林作品で旅に誘われた我が半生

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追悼、大林宣彦論 ~尾道。映像派から抒情派へ。風景も作品を規定する。ツーリズム。大林作品で旅に誘われた我が半生

(文・しかせん)
(2020年5月11日脱稿)

尾道 ―(さびしんぼう)子連れ狼考―」


 2020年4月10日(金)、映画監督・大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)監督が82歳でこの世を去った。


 初めて大林作品を観たのは2時間ドラマ枠『火曜サスペンス劇場』(1981)で放映された『可愛い悪魔』(1982)だった。
 劇場用の『転校生』(1982)のほうが先に封切られていたようだったけれど、当時まだまだ映画館に行くのは何か特別なことがないと連れて行ってもらえなかったから、主に映像作品はテレビで視聴というのが、このころの子供たちのほとんどだった。見たい人気番組の視聴を逃した翌日などは動画として保存しておける8ミリフィルムカメラのある家の子供なんかは学校で自慢していたし、羨望の眼差しを向けられていた。
 もとよりビデオデッキなんか一般の家庭にはない昭和50年代(1970年代後半~80年代前半)だったから放課後、見たい番組があれば走って帰り、小便を済ませてからテレビの前に座るというのが夕方からの過ごし方だったのじゃないだろうか?


 その頃、住んでいた界隈は大きな川が流れ、そこから分水した用水が水田を潤し、まだ荒れ地もほうぼうにあったから放課後に仲間と日が暮れるまで遊んだりするのが日常で、家に引きこもってテレビばかり見ているわけではなかった。けれど、芸能ワイドショー『3時のあなた』や『3時にあいましょう』などの心霊写真特集見たさに急いで帰って、そのまま16時からの特撮やアニメの再放送や、17時からの児童向けバラエティ『夕やけロンちゃん』(1978~82)を観ていたから、やっぱりテレビ漬けだったことは間違いない。
 そのまま果ては深夜の22時過ぎまでテレビばかり見ていた記憶があるというのは、思い返して西田敏行主演の『サンキュー先生』(1980)や『北の国から』(1981)などのドラマを克明に覚えているあたりからも想像がつき、そんな生活をしていれば勉学も相当疎かにしていたから立派な大人になりきれず、こんな風になってしまったのだと「我が身を呪う始末」。


 2020年初頭から騒がれはじめた新型コロナウイルス感染症の襲来により、2月中旬の不穏な空気はそのまま不意に小中学校等の休校宣言にまで至った。世の中の子供たちは今日現在まで「引きこもり」状態を余儀なく強いられているけれど、いや待てよ、これは小学校時代の風疹やおたふく風邪みたいなものではないか?
 『ルックルックこんにちは』の「女ののど自慢」や『お昼のワイドショー』の「あなたの知らない世界」(心霊特集)に『2時のワイドショー』の「夫婦110番」みたいな面白可笑しい番組は今ではなくなってしまった。そのかわりテレビでは朝から晩まで日がな一日悪口だらけのワイドショーで、有名無名の芸能人やらお笑い芸人のひな壇コメンテーター番組ばかりがテレビ欄を埋め尽くしている。昔のようにシュールな笑いを取る企画より、ウイルス蔓延をネタに人々を不安のどん底に陥れるような構成ばかりで、正直ちっとも面白くもない。


 だから、我が家じゃ親子ともどもユーチューブ三昧の毎日を送るようになってしまった。そちらのほうが断然おもしろく、そんな生活も2ヶ月目に突入し初春から初夏へと移ろい、そろそろ旅の虫が蠢きはじめたそんなタイミングでの「大林宣彦監督死去」の報。
 真っ先に頭に浮かんだのは、あの広島は瀬戸内海に面した「尾道(おのみち)」の煌めく海の風景だった。


 大林宣彦監督の代表作とされる「尾道三部作」は、当時まだ10代の尾美としのり(おみ・としのり)と永遠の美少女である小林聡美(こばやし・さとみ)が主演を務めた男女中学生の心と体が入れ替わる『転校生』(山中恒(やまなか・ひさし)の原作児童小説のタイトルは「おれがあいつであいつがあれで」)、ミドルティーンの清純派の美少女たちを主役に据えた次作である原田知世(はらだ・ともよ)主演の『時をかける少女』(1983)や、富田靖子(とみや・やすこ)主演の『さびしんぼう』(1985)の三作品の舞台が尾道だったことに起因している。
 彼女らと同世代の思春期の10代だった我々は、先立つ薬師丸ひろ子などに対してもそうだったけど、当時流行の黒髪ショートカットの清楚な彼女らに、テレビドラマに出てくる役者さんや歌謡番組に出てくるアイドル歌手とは格上の「映画女優」としてのオーラやスター性を勝手に感じ取って心服していた。しかもそれは我々よりも10歳上であるオタク第1世代のマニアたちやアニメ業界に入り始めた若手業界人なども同様だった。アニメ誌のイラストエッセイで漫画家・ゆうきまさみなどがメロメロな好意(後年で言う萌え)を表明していたことも懐かしい。


 しかし、これらの尾道を舞台に撮影された映画を総称して「尾道三部作」としたのは、最後の『さびしんぼう』での宣伝コピーからそんなふうに呼ばれることになっただけで、本当は「三部作」だけじゃなくて尾道を舞台にした素晴らしい映像作品は数々あった。
 私事で恐縮だけど、筆者の高校の同級生かつ親友で、2009年に逝去された当サークル・假面特攻隊の設立者にして先代隊長・築柴輝一(つくし・てるいち)氏も大好きだった坂上香織さんの代表作といえば、彼女が主役を務めたホームコメディの連続ドラマ『オレの妹急上昇』(1987)。氏も同作と坂上香織を随分とお気に入りだったものだけど、尾道はちょうどその時代にオリコンで最高7位を獲得する大林宣彦監督が撮影された彼女のファーストシングルのミュージックビデオ『レースのカーディガン』(1988)の舞台にもなっている。
 尾道水道の海と路地を彷徨う美少女・香織ちゃんの姿は大林監督の次回作での主演を予見させたものでもあったはず。


(香織ちゃん、美少女だけどホンの微量に不敵なヤンキー色も仄見えて、その芸能生活の晩年はVシネマ『ヤンママトラッカー』シリーズ(1999~2003)で主演を務めたり、ヤクザものの妻役などで出演しつづけることを考えると、ヤンキー少女の色気に対しても感度があった築柴氏には先見の明があったよ・笑)。
 ともあれ、特撮マニアでもある我々は『ウルトラマンコスモス』(2001)での才媛・ミズキシノブ副隊長役でのご活躍を忘れちゃいないから、永遠のウルトラヒロインであることもまた間違いない。


 そんなふうに思いを巡らせていると、やはり行き着く先は、大林宣彦監督と美少女ヒロインと尾道や瀬戸内海の明るい海とのノスタルジックな関係性が、「尾道三部作」を鑑賞して育った世代が作り手になったからだろう、21世紀以降のリリカルで文学的な味わいがある美少女アニメ作品だと、そのオマージュが映像随所に引き継がれていることに気付く。
 『D.C.~ダ・カーポ~』(2003)の初音島や、『かみちゅ!(神様で中学生!)』(2005)での尾道、『たまゆら』(2011)の広島県竹原市、『瀬戸の花嫁』(2007)の香川県西讃地方など、挙げれば枚挙にいとまもないくらい尾道や瀬戸内海の風景が物語の背景になっていたりも……。
 『たまゆら』に至っては、テレビアニメ第一期のエンディングテーマ、マクロス声優・中島愛(なかじま・めぐみ)が歌った『神様のいたずら』の作詞作曲に、筆者らの世代が多感なころのまさに「尾道三部作」がヒットしていた80年代中盤にポップなシンガーソングライターとしてブレイクした大江千里(おおえ・せんり)、編曲に大江の盟友である清水信之の作品が起用されたことでも話題になった。もともと神戸出身の大江千里の楽曲には瀬戸内海を意識した作品『六甲GIRL』(1985)『塩屋』(1987)『舞子 VILLA Beach』(1990)などがあり、アニメーションの内容ともども瀬戸内海ファンにとっては最高のプレゼントとなっていた。


 さて、関連する作品のつまみ食いをしていたら、大林宣彦監督の話から大きく逸れてしまった。


 コロナ禍のなか大型連休も始まり、朝から暇潰しに新聞のテレビ欄を追っていたら、2020年5月1日の未明0時から1時40分まで日本映画専門チャンネル大林宣彦監督の出世作映画『HOUSE ハウス』(1977)が放送されるという。
 深夜、風呂上がりに眺めていたら、ポップで面白くホラーなんだけど、そのまま怖いというより、女の子たちに目が移ろってしまって、休む暇がないくらい美女たちの色んな表情を追っ掛けてしまう映像。池上季実子大場久美子・松原愛・神保美喜等々、よくもまぁこれだけ当時の愛くるしい美少女たちを集結させたなぁと感服するくらい魅入ってしまう。
 と同時に、大林監督のそれまでのCM作品の集大成のようなポップな色彩で特殊効果満載の映像表現!(ただし東宝で撮ったのに我らが東宝特撮の伝統には則っていない・笑)


 やっぱりこうゆうふうに1カット長回しの芝居をじっくり見せるような緩慢さを取り除いた、場面場面のカット割りの細かさでテンポを出してカメラアングルや映像美も凝っている瞬発・切り取り的な展開が、その頃から流行り始めたファーストフードやコンビニエンスストアを重宝がるような当時の短気な若者世代にウケたのかもしれないよなぁ、と改めて感じ入りながら観入ってしまう。
 われわれ70年代当時の子供達でさえも、チョビ髭の男クサい名優、名作西部劇映画『荒野の七人』(1960)などで有名なチャールズ・ブロンソンが灼熱の砂丘を崩しながら駆け下りてきて最後にアゴのあたりを撫でてセリフを放つ男性用化粧品のCMをマネして「ウ~ン、マンダム」なんて皆がやってたのだから、CM監督の時代から大林作品の持つ影響力は絶大なものだったのだ。


 とにかく展開の早さやハチャメチャさは、のちに大林が監督した当時の角川映画金田一映画の大ブーム自体をセルフパロディにしたコメディ映画の傑作『金田一耕介の冒険』(1979)にも繋がってくるのだけれど、そういうメタフィクションがちょうど求められ始めた時代でもあった。加えて、それまでややマイナーな立場だった自身の処世や自分が作る映画も、セルフプロデュース的にも商業的にもどうすべきなのか、そこも突き詰め始めていたのだろう。
 そのことは、社会人になってからおぼろげに気が付き始めて、自分が10代の頃は「趣味的観点」と「若気の至り」で大林の作品群に挿入される突拍子もないキャッチーなエロ表現に対してマイナスな作品批評をしていた素人の浅学さを今は恥じたりもする。


 『HOUSE』から数年後に尾道で撮影された作品群からは、美少女(小林聡美・柿崎澄子・林優枝・原田知世富田靖子)たちが主役や準主役を務める情緒的な作風に転換し、『さびしんぼう』を以て一旦舞台が「尾道」から離れてしまう。
 しかし思い返せば、やっぱりこれがやりたかったんだと思わせたのは、『HOUSE』の美少女7人衆のひとりスウィートちゃん役の役者さんが、同作の前に出演してやはり大林が監督した国鉄(現・JR)の女性客向けキャンペーン『一枚のキップから』のCM(1977)で美しい着物姿で筑後柳河(ちくご・やながわ)のクリーク(細い水路や用水路の流れ込み)か何かを気にしながら歩くその仕草が、まったく尾道因島(いんのしま)は土生港(はぶこう)での『さびしんぼう』の百合子さん(富田靖子・一人四役!)そのものなのだ。
 こういう少女的な仕草を切り取るところに、我々少年たちは胸をときめかせ、柳河といえば大林の映画『廃市(はいし)』(1983)や、尾道を旅すれば素敵な出逢いがあるに違いないと妄想し、ついには旅立たせてしまうくらいの映像力があったのだ。


 話を無理やり元に戻すと、そういった「聖地巡り」的な意味での金字塔はやはり『転校生』だった。
 当時中学生だった筆者も、同世代の少年少女の多くがそうであったように、公開翌年の1983年に日本テレビの『水曜ロードショー』で放送されたこの映画に釘付けとなった(視聴率も25%を達成。以降の数年は毎年放映された)。いつかはあの風景で恋に落ちてみたいなぁと考えたりもしていた「おませな少年」というか、きっと「助べえ」な中学生だったのだろう。
 プールのシーンのせいで近年テレビで放送できないこと、児童ポルノの観点からも現在では中学生(小林聡美!)のおっぱい露出はダメなあたりは、仕方がないけどなんだかもやもやしたりもする。
 しかし、往年の東映特撮『透明ドリちゃん』(1978)こと柿崎澄子(かきざき・すみこ)ちゃんや、名脇役美少女・林優枝(はやし・ひろえ)ちゃんも登場するあの映画は今見ても嬉し恥ずかし、自身の思春期と重なり懐かしく感じる。大林監督、そして監督の盟友・角川春樹社長もそうだが、当時の時代の先端を走っていたのだと思う。


 実は『転校生』に遭遇する前にも尾道に行ったことがある。
 これもテレビで放映された石坂浩二主演の金田一映画『獄門島』(1977)や加賀丈史主演の金田一映画『悪霊島』(1981)に衝撃を受けて、中学2年生で「青春18のびのびきっぷ」(1982)(青春18きっぷの前身)を手に、関東から陽光輝く山陽路へ獄門島(真鍋島)や悪霊島(讃岐広島)を目指したことがあったのだ。
 しかし、実際の撮影地と物語との位置関係が一致せずに断念(笑)。


 深夜の尾道に到着し、おそらく20時頃だったと思う。もう商店街もひっそりとしていて、造船所で働いているというふらふら歩いていた居酒屋帰りのおじさんに案内されて、予約しておいた安宿まで急な坂道を登り連れて行ってもらったのだけれど、今ではそんな知らない人を信用して深夜についてゆく子供なんていないだろうなぁ。


 坂道の途中で酒臭いおじさんから「振り向いてみぃ」と広島弁で言われて見た尾道の夜景は素晴らしく、『転校生』の主人公のような気持ちになったことは今でも忘れられない思い出だ。


 そんな『転校生』のなかで一番大好きなシーンは、一美と一夫が尾道港から瀬戸田港まで古い旅客船(うらさち丸)に乗って家出をし、瀬戸田の老舗旅館(住之江旅館)に投宿するという展開。いつかそんなふうに女の子と旅をしてみたいなぁなどと夢想をしたものだ。



 新幹線に「新尾道駅(1988年3月開業)」ができたあとも、大林宣彦監督は尾道へは福山で乗り換えて在来線で尾道を訪れてほしいと言っていた。
 その言葉のとおり、映画『ふたり』(1991)では作中で単身赴任の父親が赴任先に戻る際に山陽本線で福山へ向かっているシーンがある。う~むやはりここを訪れた際は瀬戸内海側の車窓を独り占めしなくちゃね、と思ったものだ。


 実は大林監督とは1998年の夏、尾道駅頭で映画『あの、夏の日 とんでろ じいちゃん』(1999)を撮影されていた際にお目にかかったことがある。改札口で孫を出迎えるお婆さん役の菅井きんさんの演技を遠巻きに眺めさせてもらった記憶も甦る。本当はあの大人気TV時代劇『必殺』シリーズ(1972~87)の主人公・中村主水(なかむら・もんど)の義母・中村せんがいるよと胸踊っていたことのほうが事実だったりしますが(笑)。


 大林監督作品に影響され翻弄され、ドラマや映画の世界観を自身に投影してしまう後年で言う「中二病」は現在までも治癒できていない。
 足が地につかないまま20代ではせっかく新卒で就職した会社を一年で辞め、映画『地下鉄のザジ』(1960)やゴダール監督のSFノワール映画『アルファヴィル』(1965)の世界にあこがれてパリまで逃げた挙げ句、空虚感だらけの人生に充実感のない毎日のまま放浪の旅を続け、行き着いた先は『転校生』の家出先の島。
 しばらく住み込みのバイトを始め、そこで出会った人々や島での恋愛の話はまた別の話……。


 ひとつの映画は人生を変えることもあるわけで、昨今不安だらけの毎日だけど、もっと不安だったあの頃を思い返し今、テレワークの最中に親子で大林作品を観ながら、愛してやまない尾道の風景にうっとりしつつも、勇気づけられる初夏の昼下がりなのでありました。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年GW号』(20年5月6日発行予定分)所収『追悼・大林宣彦監督』より抜粋)


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