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名お笑いトリオ「レツゴー三匹」の最後の生き残りであらせられたリーダー・レツゴー正児が、2021年9月29日で早くも一周忌であることを偲びつつ、昨年2020年に執筆した「追悼、レツゴー正児」評をUP!
レツゴー正児(れつごー しょうじ) お笑いタレント 俳優 エッセイスト 9月29日逝去 享年80歳
お笑いトリオ「レツゴー三匹(れつごー さんびき)」のリーダー。関西の大手芸能社・松竹芸能(しょうちく げいのう)の元看板タレント。
昭和から平成にかけて、舞台・TVバラエティー・時代劇、CMなど多くに出演。全国区の人気を得た。メンバーのレツゴーじゅん(脳出血で2014年に66歳で逝去)、レツゴー長作(ちょうさく。肺癌で2018年に74歳で逝去)に続いて、肺炎で逝去。
両脇の
「じゅんでーす。(じゅん)」
「長作でーす。(長作)」
に続いて、真ん中の正児が似てないモノマネで
「三波春夫(みなみ はるお)でございます」
と割って入り、じゅんと長作に同時に左右からビンタを食らう、という「自己紹介ギャグ」が一世を風靡(ふうび)した。
三波春夫の
「お客様は神様でございます」
のキャッチ・フレーズも(やはり似てないモノマネで)頻繁(ひんぱん)に漫才に挿入。三波春夫とは別次元で彼の持ちギャグのようになっていて不思議だった(笑)。三波春夫は紅白歌合戦に31回も出場したほどの国民的演歌歌手である。
正児の逝去で、松竹芸能のベテラン漫才師・横山ひろし(73歳)が述懐していたが、元々三波春夫のキャッチ・フレーズを使っていたのは、三波の興業にも参加していた横山のコンビだった。しかし、ある日突然、正児がそれを舞台で使っていて仰天(ぎょうてん)したそうである(笑)。
「レツゴー三匹」の結成は1968(昭和43)年(その翌年という説もある)。個性的なトリオ名の由来は、名古屋にある焼き鳥屋の屋号の「三匹」。それに飛躍の意味を込めて「Let's Go」を付け足した。「レッツゴー」でなく「レツゴー」にして敢(あ)えて促音(そくおん)を抜いたのは、サインを書くときにラクだからという理由だった。
よくステージで司会者などに、
「レッツゴーなのか、レツゴーなのかどちらですか?」
と質問されていたが、
「どちらでも結構でございます。私どもがお客様のほうに合わせますので。」
と正児がにこやかに余裕をもって返答していて、雰囲気を良くしていた(笑)。
昭和のお笑い芸人には侠客(きょうかく=信義を持つヤクザ者)のような感性を持つひとが少なくなかったから、芸人の名前を出す序列を間違えたり、名前自体を間違えたりすることはもっての他であった。
その中で
「レッツゴーでもレツゴーでも、どっちゃ(どちら)でも宜(よろ)しい。」
と泰然(たいぜん)としていた正児にはある種のショックを受けたし、強い魅力も感じた。
「レッツゴー」は厳密に言えば誤用なのだが、「レッツゴー」名義のオフィシャル表記はかなり多く(販売されたシングル・レコードは殆んどがそうである・笑)、日本中に知られた有名人でありながら、こういう良い意味でアバウトな名前の使い方をしていたグループは前代未聞で、これからも現れないのではないか。
レツゴー三匹の漫才の往年のスタイルは、挨拶ギャグにビンタが使われるが如(ごと)く身体(からだ)を張ったパワフルなものであった。何かの設定が与えられ、リーダーの正児がじゅんと長作に翻弄(ほんろう)されるパターンだ。
・舞台を大きく使い、そこを何度も往復させられる。
・二人が両脇で負荷をかけ、正児が気息奄々(きそくえんえん)となる。
・マラソンをするという試みで、正児が舞台はもとより、そこを降りて客席の通路までもを延々と走らされる。
などがあった。
お客の手(拍手)が来るまでずっと運動を続け、
「拍手は要(い)らん。ゼニ(お金が)欲しい。」
とコボしてみせ、笑いの駄目押しをするのも正児の十八番(オハコ)であった。
こういう処(ところ)は木戸銭(きどせん=入場料)を払った客は全て「神様」と見なして、決して客席に降りて唄わなかった三波春夫とは異なるが(笑)。
TV司会者としても有名だった昭和の俳優・山城新伍(やましろ しんご)に可愛がられ、彼がメインの80年代のバラエティー番組(主に山城司会の『笑アップ歌謡大作戦』シリーズ(1978~83年)などのテレビ朝日系)にトリオで出演し、人気を堅固なものとした。
それらはアイドルや演歌歌手が大喜利(おおぎり)をするような番組なので(もちろん当時は放送作家が面白い回答を台本に書いて、タレントはそれを読み上げるだけ)、本職であるレツゴー三匹の立ち位置は微妙である。調整役であり、良きタイミングで笑いをキメなくてはいけないし、ムードメーカーの役割も期待される。
正児が「ややウケ」の回答を出すと、じゅんが強く突っ込み、あるいは鼻で笑って見せ、長作がそれを見て楽しげに笑う、といったやり取りが良いサイクルを生み、彼らのキャスティングは大成功。番組は長く続いた。
1980年前後の大漫才ブームのときには、後輩の漫才師の「流行り言葉」を少し変えて言ってみせたりして、笑いを獲(と)っていた。そういうことが下品に見えなかったし、そういうことをしても許されるのが三人のキャラクターだった。
舞台育ちだから芸人のアクは強かったが、当たりがソフトだったから、アイドルと並んでも違和感がなかった。お笑い芸人が牛耳(ぎゅうじ)っている今の芸能界の地ならしをしたのはレツゴー三匹なのかもしれない。
スターのドッキリ番組にもよく引っ掛かっていた(因(ちな)みに芸能人で最初にドッキリ番組に引っ掛かったのは軽演劇の伊東四朗である)。
印象的だったのは、実在の温泉ホテルのテーマ・ソングをレコーディングしてほしいという偽りのオファーがトリオに来るというもの。すでにレツゴー三匹は歌手としても有名でレコードを何枚も出していたから、オファー自体は自然である。
レコーディングを始めるも、ディレクター役の役者がボケ役のじゅんにばかりダメ出しをするという趣向(しゅこう)である。挙げ句に、歌詞に「裸と裸で」という一節があるのだが、そこの歌いかたがじゅんだけ卑猥(ひわい)だ何だのとイチャモンを付け始める(笑)。
何度も唄わされるから、実在のホテルの名前も連呼される。タレントも番組もホテルもニッコリ。しかしその割(わり)を食うのが視聴者である。
「♪さあさ おいでよ 心を洗おう いらっしゃいませ ニューアカオ あ、湯のまちホテルは そ~れ それそれ ニューアカオ」。
筆者は数十年来、このコマーシャル・ソングのサビが耳について離れない(笑)。ホテルニューアカオは現在では熱海(あたみ)を代表する大リゾートホテルになっている。筆者のようなTV好きが吸い寄せられるように、未だに湯の町を訪れているのではないか。
「♪そ~れ それそれ ニューアカオ」
と唄いながら(笑)。
往年のドリフの大人気TV人形劇『飛べ! 孫悟空』(77年)#23でも、レツゴー三匹がゲスト出演して大活躍!
レツゴー三匹が如何に芸達者だったかを確認するには良いテキストがある。
昭和に国民的な人気を誇ったお笑いグループ、ザ・ドリフターズ主演で1年半ものロングランとなった大人気TV人形劇『ヤンマーファミリーアワー 飛べ! 孫悟空(1977年)』の#23「カッパからげてレッツゴー」にも、レツゴー三匹がトリオでゲスト出演しているのだ。
『西遊記』のキャラクターに準(なぞら)えたザ・ドリフターズやゲストのタレントのそっくりの人形(コピーパピット)に彼ら本人が声をアテるという、当時でも斬新な企画だった。
レツゴーの三人は、役名「すいちゅうかいぶつぶたい」として、
・正児は「カッパのショウジ」
・じゅんは「カエルのジュン」
・長作は「ナマズのチョウサク」
なる大湖(たいこ)に巣食う水棲妖怪の声をアテた。演者と役名が同じだったのは、前述の「挨拶ギャグ」をさせるためである(笑)。
彼らは高座での爆笑漫才さながらに番組序盤の狂言廻しを見事に務め、本職のザ・ドリフターズを向こうに回して、ポンポンと小気味良い台詞やギャグの応酬をし、ドリフとコーラスまで競演して作品を大いに盛り上げた。
ドリフのキャラクターと対峙(たいじ)したときには、やはり
「じゃんでーす!」
「長作でーす!」
の挨拶ギャグをするのだが、正児の番になるや三波春夫の人形が突然現れて
「三波春夫でございます」
の台詞を先に言ってしまう(声を演じたのは昭和を代表する声帯模写の桜井長一郎)。
スカされた正児は
「ワシの立場がニャー(無い)じゃニャーか!」
と何故か名古屋弁でひとりごちる(笑)。人形劇だからこそできたパロディの大傑作であるだろう。
番組のクライマックスには
「レッツゴー! 三匹ぃ~!」
の掛け声で、三人は大空に飛翔、宇宙空間まで駆け昇り、彼らは彼ら一人一人の三つ首を持つ巨大スーパーロボットに変身する!
もともと水棲妖怪らの巣食う水魔館(すいまかん)という古城が、アンテナに最新メカを装備した見た目のクラシックさとは相反する機械仕掛けの要塞である。深読みすれば、レツゴー三匹の古式然とした風貌の中に、モダンで前衛的な息吹きがあることを象徴したのでは? というのは、いちファンの勝手な妄想であろうか(笑)。
筆者がレツゴー正児の最後の芸を見たのが、レツゴーじゅんの葬儀のときであったと思うから、もう6年も前だと思われる。
TVのレポーターに囲み取材を受けていた正児はじゅんの死を悼(いた)み、芸人として更に頑張ると決意表明した後、講談(こうだん)の一場面のようなものを演じて見せた。
それは立て板に水の至芸(しげい)で声にも艶(つや)があり、不勉強で見巧者(みごうしゃ)でもない筆者にもその凄さは感じ取れた。
レツゴー正児はその頃から「レツゴー三匹 レツゴー正児の人がいて ぬくもりがあって 人がいて」というブログ記事を定期的にアップし始める。
文才もあった正児がレツゴー三匹の半生を書き綴っていくというものである。読みものとして面白いだけでなく、芸能史の資料としても価値があるように思われた。
ブログ記事の一角には、講演会や老人会にレツゴー正児を呼んで欲しいという営業の告知もあった。
「大阪市内でしたら、自転車で駆け付けます。付き人も何も付けません。コンパクトに一人で参ります。楽しい講話を3分からお引き受けします。懐メロも唄いますよ。」
と、庶民目線を鑑(かんが)みたPR文に、レツゴー正児の誠実さ、そしてある種の戦略家としての「凄み」も垣間見せる。
一世を風靡したスター芸人にも関わらず、レツゴー正児は決して「センセイ」にならず、いつも大衆と共にあった。
舞台に出れば、テンポは良し、口跡(こうせき)は良し。台本が書け、演出の目も確か。自己プロデュース能力も完璧(かんぺき)。世話好きで、慕う後輩芸人も多く、弟子への配慮も欠かさなかったという。
昭和のTV文化を牽引(けんいん)した貴重な担い手がまたひとり、星になってしまった。あなたの話芸でもっともっと笑いたかった。
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