(2020年5月8日(金)UP)
ザ☆ウルトラマン#20「これがウルトラの星だ!! 第2部」 ~ウルトラの星・U40、10億年の歴史!
ザ☆ウルトラマン#46「よみがえれムツミ」 ~終章の序章・名作
ザ☆ウルトラマン#47「ウルトラの星へ!! 第1部 女戦士の情報」
ザ☆ウルトラマン#48「ウルトラの星へ!! 第2部 前線基地撃滅」
ザ☆ウルトラマン#49「ウルトラの星へ!! 第3部 U(ウルトラ)艦隊大激戦」 ~大幅加筆!
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無料動画配信サイト・YouTubeにて、2019年5月23日から毎週木曜に週1配信されてきた『ザ☆ウルトラマン』(79年)が2020年5月7日に配信完結記念! とカコつけて……。『ザ☆ウルトラマン』最終回評&作品総括を書き下ろしアップ!
#50『ウルトラの星へ!! 完結編
平和への勝利』
(作・吉川惣司 演出・関田修 絵コンテ・斧谷稔 怪獣原案・渡部昌彦)
(処刑怪獣マクダター登場)
(視聴率:関東13.5% 中部12.8% 関西13.6%)
(文・内山和正)
(1997年執筆)
◎隊員たちは反省し自らの力で戦う。ヒカリ隊員が死ぬ直前ジョーニアスが戻って来る展開が嬉しい。
◎T.SATO主宰が必要ないと放送時思ったという処刑怪獣マクダターだがなかなか魅力的な戦いに仕上がっていたと思う。ヘラーを巨大なパンチで殴り倒すジョーニアスもワイルドで良。
僕にも『僕のウルトラマン』と呼べるほど好きになれた今回の再視聴だった。
※:製作No.50『ウルトラの星へ・完結編 勝利!よみがえる平和(仮)』
#50『ウルトラの星へ!! 完結編 平和への勝利』 ~40年目の『ザ☆ウル』総括!
(文・T.SATO)
(2020年5月7日脱稿)
ナレーション「巨大戦闘艦ウルトリアとウルトラ艦隊の連合軍は、ついにウルトラの星・U40(ユーフォーティ)に接近した。
ウルトリアは敵陣を突破し、ヘラー・シティーの防衛タワーに体当たりを試みたが、破壊・炎上してしまった。
折も折、ウルトラ艦隊を救うため、ジョーニアスはヒカリの体から分離しなければならくなくなった。
ヒカリ隊員たちはヘラー・シティーに突入したが、待ち構えていたヘラーたちに閉じ込められてしまい、
彼らの目の前で、U40最高指導者の大賢者が分解されようとした。
ヒカリがウルトラマンだと確信していた隊員たちは、最後の望みを、ヒカリに託した。
だが、ジョーニアスと分離したヒカリには、なす術(すべ)もなく、
大賢者はヘラーのため、分解されてしまった!」
前話「ウルトラの星へ!! 第3部 U(ウルトラ)艦隊大激戦」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100411/p1)の流用映像とともに流された前口上のあとは、即座に最終回の物語がスタート!
ダメ押しで、前話ラストでまがまがしいかたちの十字架にかけられたウルトラの星の長老・大賢者が原子分解されて消失していく姿がリフレインされていく……。
我らがヒーロー・ウルトラマンジョーニアスの妹にして、やはり後ろ手に手錠を付けられている古代ギリシャ風の貫衣をまとった金髪ロングの美少女・アミア嬢は、捨て身の突進での体当たりで救出を試みるも、それが皮肉にも敵首領・ヘラーに偶発的に起動ボタンを押させてしまって、最悪の事態を惹起してしまう。「大賢者……」とつぶやいて、ガックリと悲嘆と悔恨の念にかられてヒザを落として落胆するアミア……。
強化ガラスに阻まれて、この一部始終をなす術もなく目撃していた、本作における怪獣攻撃隊にあたる「科学警備隊」の面々も、驚愕の面持ちでいることしかできない……。
科学警備隊メンバーのだれかにウルトラマンジョーニアスが乗り移っているとその慧眼(けいがん)で見抜いていた、ウルトラの星の反逆者にして敵首領・ヘラーもゆっくりと歩を進めつつ内心で、
「大賢者を殺しても、ジョーニアスは現われなかった……」
とつぶやいて、カルく下を向いて考え込む……。
ヘラー配下の声「ヘラーさま、ジョーニアスです!」
ヘラー「なに!?」
ヘラー司令室の巨大モニターに、U40上空の宇宙空間でウルトラマンジョーニアスがヘラー軍の宇宙戦艦を撃破・粉砕・爆破していくサマが映し出される!
そう、前話中盤にて我らが科学警備隊が駆(か)る巨大戦闘艦ウルトリアが、辛(から)くもウルトラの星・U40地表のヘラー・シティーから極太レーザーを発射することができるあまたの防衛タワーをなぎ払いつつその近辺に不時着を果たしたことで、U40上空の宇宙空間で戦っていたウルトラ7大戦士とウルトラ艦隊も一度は危機を脱したものの、新たに派遣されたヘラー軍艦隊の猛攻を受けたのだ。
そしてこの危機に、ウルトラ7大戦士の筆頭ウルトラマンことエレクはジョーニアスに救援を要請して、ジョーニアスも我らが主人公・ヒカリ超一郎隊員からナンと分離をしてしまうのであった! 今、ヒカリ隊員と分離して単身の巨大超人として活躍するウルトラマンジョーニアスの姿がそこでは描かれているのだ!!
トベ隊員「あっ! ウルトラマン!」
マルメ隊員「ヒカリ! おまえがウルトラマンじゃ……(なかったのか?)」
本作終盤では、ウルトラマンシリーズの禁じ手・タブーともいえる、ウルトラマンに変身して怪獣と戦わなければならないために、肝心要のときに戦場からいなくなって科学警備隊の職務を果たせなくなるヒカリ隊員に対する糾弾が描かれた(!)。そして、その正体が明かせないヒカリ隊員は職場で窮地に陥(おちい)っていく姿も描かれてきた。
しかし、#46「よみがえれムツミ」ではムツミ隊員が、#47「ウルトラの星へ!! 第1部 女戦士の情報」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100328/p1)ではゴンドウキャップ(隊長)が、#48「ウルトラの星へ!! 第2部 前線基地撃滅」ではマルメ隊員が、前回#49「ウルトラの星へ!! 第3部 U艦隊大激戦」冒頭ではトベ隊員が、ヒカリ隊員の正体がウルトラマンかもしれないことにウスウス気付きはじめる。コレによって、ヒカリ隊員に対する誤解も解けて、彼の人知れずの努力と忍従と敢闘とが報われる日が来る、多幸感あふれるハッピーエンドへのレッドカーペットが見事に敷かれたようにも思えた。
けれども、イジワルにも作り手たちはそこにもう一度一捻りを入れてきた。それは、前話の中盤にて戦局の激化に伴ない、ヒカリ隊員とウルトラマンを分離させ、非力なヒカリ隊員の眼前で原子分解の憂き目にあう大賢者を救えずに終わらせることであったのだ!
巨大ガラス越しのヘラー司令室の面前に科学警備隊のメンバーを追いやって、うしろで退路を塞ぐために距離を置いてヨコ一列に並んでライフル銃器を構えていたヘラー軍の8人の兵士たちにも、おそらくは「U40最強の戦士」としてのジョーニアスの名声が知れ渡っていたのだろう、この光景を目撃して思わず「ウルトラマン!」とクチに出して驚愕と動揺が広がっていく……。
この機を逃さず、科学警備隊のゴンドウキャップは彼らに対して、「それっ!!」と手榴弾を投げつけて彼らを爆砕! 改めてゴンドウキャップのイザというときの機転で彼の有能さをも示しつつ、物語は次のステージへと移っていく!
ゴンドウ「脱出だ!!」
命令一下で、隊員たちはこの場からの逃走をはじめる!
ムツミ隊員「ヒカリ隊員! 早く!!」
ヒカリ隊員のみがややリアクションが遅れた描写を与えられることで、それまでも他の隊員たちよりもやや動揺の念が強かったであろうヒカリ隊員の心情を補強しつつ、ムツミ隊員の気遣いの細やかさをも同時に描いてみせるダブル・ミーニングな描写と演出でもある。
次々と押し寄せてくるヘラー軍兵士に対して、科学警備隊の隊員たちは銃器で応戦! 時に体術も使いつつ、ゴンドウキャップに至っては、敵兵にチョップを見舞って敵のライフル銃を奪取して、以降はコレを自前の武器として使用しつづける!
ディテール多彩な金属板に囲まれた通路の交差点の近くにあるクボんだ一角に隠れた科学警備隊の面々は、追跡してきたヘラー軍兵士たちをヤリ過ごすことができて、ホッと一息をついた……。
宇宙規模の物語と化していく『ザ☆ウルトラマン』へと至る前段としての前史 ~その1・第3次怪獣ブームに至るまで!
本邦初の特撮巨大ヒーロー・ウルトラマン。巨大怪獣と戦ってみせるこの巨大変身ヒーローは、1960年代後半(66~68年)に一度は当時の子供たちの間で一世を風靡して児童文化におけるチャンピオンとなった。
と同時にその前後も含めて、映画会社各社も元祖である東宝の『ゴジラ』シリーズに加えて『大怪獣ガメラ』(65年・大映)や『宇宙大怪獣ギララ』(67年・松竹)に『大巨獣ガッパ』(67年・日活)などの怪獣映画を製作。これが後年にマニア間で「第1次怪獣ブーム」と呼ばれるムーブメントともなった――「ウルトラ」シリーズに限定するならば「第1次ウルトラブーム」などとも呼称――。
移り気な子供たちのこととて、そのブームはモノクロTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)』第1期(68年)などにはじまる「妖怪ブーム」や「怪奇ブーム」、奇抜な体術や魔球が飛び交うスポーツ根性モノのTVドラマやTVアニメの大流行を指す「スポ根ブーム」へと移行して、「第1次怪獣ブーム」は急速に終焉を迎えていく。
しかして、それから数年が経てば、子供間でも世代交代がはじまる。往時は今とは異なり子供たちの数も多くて、TVも報道にもそれほど力を入れていなかったためでもあろう。夕方4時~6時半までが30分モノ子供番組の再放送の時間ワクであり、6時半から30分だけニュースを挟んで、7時~8時のワクにもクイズやバラエティの番組などは少なくて、大方は30分モノ子供向け番組のワクであったものだ。
そんなご時世だから、いわゆる第1期ウルトラシリーズの再放送も頻繁にリピートされることで、子供たちの間でウルトラマンと怪獣たちの人気が再燃していく。この流れの先に誕生したのが『帰ってきたウルトラマン』(71年)である。以降は『ウルトラマンエース』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070430/p1)・『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)・『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)とウルトラシリーズは4年連続で製作されていったのはご承知の通りだ。
大雑把に云えば「ウルトラマン」シリーズと同工異曲だともいえる特撮巨大ヒーローや特撮巨大ロボットものを各社も製作する。『スペクトルマン』や『ミラーマン』(共に71年)、『サンダーマスク』や『アイアンキング』(共に72年)、『ジャンボーグA(エース)』や『ファイヤーマン』や『流星人間ゾーン』や『スーパーロボット レッドバロン(いずれも73年)などがそれである。
コレらの状況を「第2次怪獣ブーム」と呼称するが――「ウルトラ」に限定すれば「第2次ウルトラブーム」と呼称――、と同時に東映は等身大ヒーローの雄となっていく『仮面ライダー』(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)を製作して大ヒットを記録する。当の東映も含む製作各社はこのヒットに便乗して、『超人バロム・1(ワン)』『変身忍者 嵐』『人造人間キカイダー』『快傑ライオン丸』『トリプルファイター』(いずれも72年)、『ロボット刑事』『イナズマン』『キカイダー01(ゼロワン)』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『白獅子仮面』(いずれも73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060306/p1)などを製作。
世はまさに「第1次怪獣ブーム」以上の活況を呈するようになっていき、子供たちの大勢も「仮面ライダー」に代表される変身ポーズのマネもしだしたことで、名称も「第2次怪獣ブーム」ではなく「変身ブーム」と呼称されるようにもなっていく……。
私事で恐縮だが、筆者などはこの「変身ブーム」の渦中で物心が付いた世代のオッサンであり、特にマニア予備軍の子供たちだけではなく当時の男児たちの全員がそうであったように、コレらの作品を浴びるように視聴していたのが原体験ともなっている。
この「変身ブーム」も恐るべきことに、本邦初の人間搭乗型の巨大ロボットアニメの祖『マジンガーZ』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)や合体ロボットアニメの祖『ゲッターロボ』(74年)の登場で、合体ロボットアニメブームへと置き換わっていき……。厳密には特撮巨大ヒーロー・特撮等身大ヒーロー・合体ロボットアニメの栄枯盛衰はバッサリと輪切りにできるモノでもなく併存していたのが正確なところではあるけれど、その人気の比重は徐々に後者側へと移っていくのであった。そして、「ウルトラマン」シリーズをはじめとする特撮巨大ヒーローものは74年3月に一旦の終止符を打たれてしまうのだ――奇しくも同月に昭和の「ゴジラ」シリーズも終止符を迎えている――。
しかし歴史はくりかえす。70年代中後盤の関東地方では、夏休みの午前中になるとウルトラシリーズを再放送していた。1978年(昭和53年)に入るや、創刊間もない幼児誌『てれびくん』ではカラーグラビアページでウルトラマンシリーズの記事を拡充、歴代ウルトラシリーズに材を採った番外編のマンガなどの連載もはじまる。
と当時に、やはり創刊間もない児童誌『コロコロコミック』では、『ウルトラマンレオ』放映終了直後の1975年4月号から学年誌『小学三年生』で1年を通じて連載された、昭和のウルトラ兄弟たちが地球や宇宙や彼らの故郷であるM78星雲・ウルトラの星を舞台に集団バトルをくりひろげる連続ストーリー漫画『さよならウルトラ兄弟』を、『ザ・ウルトラマン』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160914/p1)――本作『ザ☆ウルトラマン』とは名のみ同じの別内容の作品である――に改題して再連載をスタートさせる。そして、往時は小学3年生にほぼ限定されていたこの幻の名作を78年当時の子供たちにも幅広く周知させていくことにも成功するのだ。
78年5月からは平日早朝6時台からTBSでウルトラシリーズの再放送がはじまって、ほぼ途切れなく1980年の秋まで歴代シリーズの再放送がなされて、同年8月には平日夕方6時からフジテレビで初代『ウルトラマン』(66年)の再放送もはじまり、10月の毎週土曜日朝7時からはTBSで『ウルトラセブン』(67年)の再放送までもが開始されて、1週間にウルトラシリーズが合計11話分も視聴できる状況が到来する!
そう、世はまさに「第3次怪獣ブーム」にして「第3次ウルトラブーム」と化したのだ。そして、この流れに乗るかたちで、我らが本作『ザ☆ウルトラマン』(79年)も放映が開始されたのであった!
科学警備隊の5人、最後の戦い! 地球人・人間として出来ること! 歴代シリーズにおけるその系譜!
マルメ隊員「(身を乗り出して済まなさそうに)ヒカリ、俺ぁ、てっきりおまえが、ウルトラマンだと思ってたんだ」
ムツミ隊員「わたしもよ」
トベ隊員「オレもだ」
ゴンドウキャップ「そんなことは問題じゃない!(一喝!)」
ここで科学警備隊の戦闘シーンに多用されるBGMを短調ぎみに悲しげにアレンジしたおなじみの楽曲も流れ出してきて……。
ゴンドウキャップ「オレたちは、心の隅で、ウルトラマンに頼っていた。どんな危機でも必ず救ってくれるだろうとな。その甘い考えが大賢者を死なせることになった」
ヒカリ隊員「(翻然と悟るような表情になる)」
ムツミ隊員「そうだわ、もっと私たちにできることがあったのかもしれない」
ゴンドウキャップ「今こそ自分自身と戦いだ」
ヒカリ隊員「はい」
隊員一同「はい!」
たとえ怪獣攻撃隊のプロフェッショナルたちとはいえ、ウルトラマンに心の中で頼っていたのかもしれない、ウルトラマンさえいればそれで済むのかもしれない、ひいては怪獣攻撃隊もその隊員でもある自分たちの所業もムダなのやもしれない……などとそれを云ってはオシマイである疑問符、このテのヒーロー番組の基本フォーマットに関わる根源的な問題は、毎回毎回の各話でそれを語ってしまえば、番組それ自体が崩壊してしまう。もちろんシリーズ序盤でそれにふれるなどはもっての他でもある。
だからいっそのこと、目をつむってその矛盾にふれないで番組のお約束としておくこともアリだ。けれども、あえてシリーズ後半や終盤でその疑問符にふれてみせるのであれば、それはそれまで数十話にわたってウルトラマンに助けられてきた事実の積み重ねの重みをもって響いてもくる。
そして、それは熱心なウルトラシリーズのマニアであれば、初代『ウルトラマン』#37「小さな英雄」における本作『ザ☆ウル』ではトベ隊員の声を務めた二瓶正也(にへい・まさなり)が演じる頭脳派タイプのイデ隊員が抱えた上述の苦悩からはじまって、同じく初代『ウルトラマン』#39(最終回)「さらばウルトラマン」や、『ウルトラセブン』#49(最終回)「史上最大の侵略(後編)」において、科学特捜隊のムラマツキャップやウルトラ警備隊のキリヤマ隊長による
「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならないんだ」(大意)
との言にも通じているものであることは、幼児はともかくそれまでの歴代ウルトラシリーズを世代共通の基礎知識としてきた当時の小学生の子供たちにとってもピンと来る自明のことではあった。
そして、このテーマはそれを怪獣攻撃隊ではなく、レギュラーの少年キャラに変じるかたちで、多少はドロくさくはあるものの、第2期ウルトラシリーズにおいても反復・変奏されて、ある意味ではテーマ的なバージョンアップも遂げていく。
『帰ってきたウルトラマン』#51(最終回)のサブタイトルにもなっている「ウルトラ5つの誓い」のひとつ「他人の力を頼りにしないこと」というテーゼこそ、本編のドラマとは遊離している単なるテーゼにすぎなかったやもしれない。
しかし『ウルトラマンタロウ』#53(最終回)「さらばタロウよ! ウルトラの母よ!」では、同話冒頭で父親を怪獣災害により失ってしまったレギュラー少年・健一クンのウルトラマンへの恨みやウラ返しの依存心を戒めるために、変身道具・ウルトラバッジをウルトラの母に返してタロウへの変身能力を封じた(!)東光太郎(ひがし・こうたろう)が、あくまでも怪獣攻撃隊・ZAT(ザット)の一隊員として知恵と勇気をふりしぼって最後の巨大化宇宙人を自力で倒してみせることで、このテーマをまさに内実ともに表現してみせていた!
『ウルトラマンレオ』#51(最終回)「さようならレオ! 太陽への出発(たびだち)」でも、ウルトラマンレオやレオに変身するおおとりゲン青年への依存心をレギュラー少年・トオル君に戒めて、彼の許から去ることで自立を促すことがテーマとなってもいたのだ。
とはいえ、『ウルトラマンエース』のレギュラー敵・異次元人ヤプールがその#3「燃えろ! 超獣地獄」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060521/p1)でいみじくもウソぶいた「子供の心が純粋だと思っているのは人間だけだ!」を地で行くように、やはり70年代当時の子供たちも、子供向けヒーロー作品を視聴しながら、
「ウルトラマンさえいれば怪獣攻撃隊なんて要らないじゃん!」
なぞとクソ生意気な発言をしていたのは、筆者自身も周囲で散々に見聞きしてきた歴史的な事実ではある。
そんな現実をメタフィクション的に反映してゲスト子役たちに語らせて、それを危惧した寺子屋の青年先生こと若き日の俳優・大和田獏(笑)が、ウルトラマンタロウの活躍を認めつつも、ウルトラマンに頼り切ることはよしとせず、ナマ身で身体を張って怪獣に立ち向かう前後編なども、ややその表現はバタくさかったやもしれないけれども、シリーズがハラむ矛盾に対する自己言及的な作品はウルトラシリーズにもいくつか散見はされるのである。
しかしてまた、十全ではなくとも、ウルトラマン自身の側からも人間側からの協力が必須であることにも言及はされてきた。ウルトラマンに人間とは異なる超越性はあっても、そして神に近き異能の存在ではあっても、それは全知全能にして宇宙を創造した神の力の域にまで達しているワケでは毛頭ナイ。初代ウルトラマンと実は一心同体になっているハヤタ隊員はイデ隊員に、それまでのエピソードにおいて同作における怪獣攻撃隊である科学特捜隊の援護がウルトラマンのピンチを度々救ったり、時に科学特捜隊の新兵器が敵怪獣にトドメを刺してきたことをも語ってその有用性を認めさせようともする。
そして、スタッフたちも怪獣攻撃隊を無意味な存在へと堕さしめないためにも、時に光線銃や銃器で敵の等身大宇宙人を倒させて、戦闘機では敵の宇宙船を粉砕せしめて、ウルトラマンの必殺光線との同時攻撃で、あるいはタックV7(ブイセブン)ミサイルで超獣ホタルンガに大ダメージを与え(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1)、携帯大型ビーム銃器・シルバーシャークで超獣ファイヤーモンスを(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070129/p1)、宇宙空間で大型戦闘機・タックファルコンから発したレーザーが超獣ガスゲゴンを(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070310/p1)、同じく大型戦闘機・スカイホエールがエネルギーB爆弾で改造ベムスターを、歴代ウルトラマンの力を借りずに倒してみせていた。
本作『ザ☆ウルトラマン』でも大型戦闘機・スーパーマッドックが爬虫怪獣ジャニュール三世を倒したり、敵宇宙人の円盤を撃破させたり、巨大戦闘艦ウルトリアとの同時攻撃で敵怪獣を倒すことで、子供たちにもパターン破りと怪獣攻撃隊の有用性をも改めて確認させることでカタルシスを与えてもきていたのだ。
ムツミ隊員「そうだわ、もっと私たちにできることがあったのかもしれない」
ムツミ隊員がこのセリフを発することで、それは必然的に最終章4部作のプレリュード(序章)ともなった#46「よみがえれムツミ」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100320/p1)におけるエピソードをも想起させてくる。
瀕死の重傷を負ったムツミ隊員をウルトラマンに変身して敵怪獣と戦うために放置して一度は死なせてしまって、隊員たちに役立たず扱いにされてしまったヒカリ隊員。ウルトラマンの正体を明かせない二重苦にあっても、
「ウルトラマンとしてでなく、僕自身としてなにかやれること」
をと、たとえ万全ではなく小さな行為にすぎなくても機転を利かして、一度はハグらかせてみせた実はウルトラマンとの交信も可能な周波数の電波を発信できる通信機を、病床のムツミ隊員の枕元にひそかに設置することで、ムツミの発言を勝機に活かしてみせたことをも思い出す。
そう、些事ではあっても、それが必ずしも報われるとはかぎらないにしても、それが勝機につながることはある。タネはまいてもすべては稔らないのやもしれない。しかし、タネはまかなきゃ稔らないのも事実なのだ!
ゴンドウキャップ「オレたちは、心の隅で、ウルトラマンに頼っていた。どんな危機でも必ず救ってくれるだろうとな。その甘い考えが大賢者を死なせることになった」
このセリフもまた、#35「盗まれた怪獣収容星(後編)」(脚本・平野靖司・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091227/p1)における「ウルトラマンがいつも来てくれるなんて思うな! 今は俺たちしかいないんだ!」や、#41「激突!! ウルトラマン対ウルトラマン」(脚本・若槻文三・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100213/p1)における「(不機嫌に)ウルトラマン、ウルトラマン、ウルトラマンか! まるで世話になりっぱなしだな! (イヤミや皮肉っぽく語尾上がりで)年賀状も暑中見舞いも忘れるな!」といった、本作のメインライター・吉川惣司担当回ではないものの、ウルトラマンに頼り切ることをよしとはしないゴンドウキャップのプライドやポリシーが垣間見えるセリフを受けて膨らませた「係り結び」であったのだとも受け取れよう。
ゴンドウキャップ「急げ! 突撃ぃぃぃ!!」
科学警備隊5人の最後の戦いがはじまる! しかも、それは銃器と徒手空拳での白兵戦でもある!
マルメ隊員のバズーカ砲が弾切れとなる!
マルメ隊員「こうなりゃ、なにもいらねぇぇーー!!」
相手の懐に飛び込んでの背負い投げ!
トベ隊員もついに猛烈なパンチを放って、ムツミ隊員もジャンプしてキックを見舞って、つづけて回し蹴りも披露する!!
ゴンドウキャップ「(戦いながら隊員たちに命令)全員、散れ!!」
マルメ隊員「(困惑)ええっっっ?」
コンドウキャップ「束になっていては危険だ! バラバラになって出来るだけのことをやるんだ!!」
察しのよい聡明なトベ隊員は、その散開戦術の合理性と同時に、それが科学警備隊の面々との永遠の別れになるやもしれないことに気付いてか、即座に右手を上げて、
「キャップゥゥッッ! お世話になりましたァ!」
と叫んでみせる。
ゴンドウキャップもつられて返礼の右手を上げつつ、「これが最後になるかもしれんなぁ」と苦笑して、きびすを返して走っていく!
ムツミ隊員「さようなら、みんな!」
マルメ隊員「元気でな!!」
みんなも勝機には乏しい状況を客観的に即座に察して、しかしてウダウダ云わずに、圧倒的苦境下にあっても、たとえ最後には敗北が待っているのだとしても、少しでも負けを少なくするため、少しでも敵に一矢(いっし)報いるために、もちろんその職業のプロとして、あわよくば最後に逆転勝利をつかむ一縷の可能性に賭けることで、その場を即座に散開していく!
ひとり、最後にその場に残ったヒカリ隊員も内心で、
「さようなら、ムツミ隊員。さようなら、みんな……」
とつぶやいて、彼もまた独自のルートへと駆けていく……。
この一連がまた、幼児や子供レベルではない、相応のオトナの機微による会話のやりとりで、勇ましさの中に寂寥感もあり、しかして浪花節(なにわぶし)的にシメっぽくはならずに乾いた感じに留めることでイヤ~ンな感じも排しつつ、かえってそれゆえスナオに涙腺も刺激されてくるような、ダブル・トリプルなミーニング・意味合いをも施されたシーンとなっており、静かな感動を与えてくれる。
とはいえ、イジワルにも作品は即座にその前途多難さをも描写する。管制室にいるヘラー軍の中堅幹部たちが、モニターに映る5人の光点の分散するサマを見て蔑(さげす)んでみせる。
ヘラー軍中堅幹部A「なんというバカ者どもだ。素手でこのヘラー・シティーを破壊できると思っているのか?」
ヘラー軍中堅幹部B「ヘラー・シティー内の我が兵士は5万人。ハッハッハッ(哄笑)、これは楽しいゲームになりそうだなぁ」
5人vs5万人! この圧倒的な絶望感!
しかし、#37「ウルトラの星U40の危機!! ウルトリアの謎?」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100118/p1)では、1万年前にU40と袂(たもと)を別(わか)ったヘラーとその同士の数は3000人と云っていたので、この5万人とは辻褄が合わないのだけれども……。
待て! のちに増員が加わったとか、ウルトラマンへの変身能力を失った代わりに不老不死を得たのだとしても生殖能力も失ったワケではないので人口も増えたのだとか、配下にウルトラ人以外の下請け宇宙人たちもいるのだとか、好意的に脳内補完をするのだ!(笑)
つづけて、科学警備隊が活躍時に流れる勇ましいBGMが響きだし、彼らが奮戦するサマも描かれる。
武器庫を見つけて大型銃器一丁を奪取し、その武器庫を銃撃で破壊するマルメ隊員!
匍匐(ほふく)前進で進むしかない天井ウラの狭い通路で見つけた束ねられたあまたの太い配線を、少しでも情報混乱になれば……と火花を散らせつつ携帯ナイフで切断していくトベ隊員!
下層階から急上昇してくる大型エレベーターめがけて手榴弾を投げ込んでコレを破壊するムツミ隊員!
そして、高速エレベーターに乗り込み上昇して、肝心要の防衛タワーの管制室を破壊せんとするヒカリ隊員!
しかし、白兵戦に持ち込まれて敵兵に羽交い締めにあうも、そこにゴンドウキャップの救援の手が差し伸べられる!
ゴンドウキャップ「(いま倒したばかりの敵兵のライフル銃をヒカリ隊員に渡しながら)おまえもここに来ていたのか。(いつもの厳めしさを残しつつも優しく)さすがイイところに目をつけたな」
この期(ご)におよんで、改めてヒカリ隊員の本来の有能さをも示しつつ、ゴンドウキャップもまた的確に敵の急所を捉えてそこに迫っていけるだけの有能さを持っていることを、同時にカブせて描いてみせているあたりがまた、相変わらずクレバーな作劇でもある。
大賢者は宇宙の歴史そのものだ! ~M78星雲のウルトラ史の再解釈・再構築としてのU40!
しかして、新たなフラグも立たせている。
囚(とら)われの身のアミア嬢による、悔し涙を流しながらの「あなたは悪魔よ!」との糾弾に、ウルトラ人の反逆者にして首領でもあるヘラーは不敵な冷静さ、かつ少々の誇った感じも交えつつ、こう語る。
「大賢者は、ウルトラ人の長老というだけでなく、宇宙の歴史そのものだ(!)。彼の価値は計りがたい」
……宇宙の歴史そのもの! それは云い過ぎだとしても、いわゆる「白髪三千丈」的な文学的レトリックというヤツであり、それくらいに万物に通じていて、高い値打ちがある人物だということになるのだろう。
昭和のウルトラシリーズでいえば、ウルトラ一族の長老であるウルトラマンキングに相当するであろうキャラクターでもある大賢者。
筆者は長じてマニアになってからは、本作『ザ☆ウルトラマン』とは円谷プロ側が昭和の初代『ウルトラマン』チックな基本設定だけを作って、あとは下請けのアニメ製作会社・日本サンライズ側のスタッフたちに丸投げでお任せに近いようなスタイルで製作してきたのであろうと漠然と思っていた。基本的には今でもその私的見解は変わらない。
よって、本作シリーズ中盤から描かれ出す、我らが主人公ヒーロー・ウルトラマンジョーニアスの故郷であるウルトラの星・U40の登場自体もまたアニメ側のスタッフが、当時は家庭用ビデオデッキはすでに登場はしていたものの高嶺の花であったから、当時の熱狂的な第3次ウルトラブームに乗っかってあまた刊行されていた本邦初のマニア向け書籍や、各社から発行されていた子供向け文庫本サイズのブ厚い豆百科などに掲載されていた、M78星雲・ウルトラの国やウルトラ兄弟やウルトラ一族に、彼らが設立した複数の銀河規模での組織・宇宙警備隊のウラ設定あたりを、熟読はせずともパラパラとめくって参考にしつつ、それを換骨奪胎してアニメ側のスタッフなりに新解釈で再構築をしてみせたものであったのだろうと推測してきたのだ。
●昭和ウルトラシリーズにおいても元々は人間と同じ姿かたちで古代ギリシャ風の貫衣をまとっていたヒューマノイドであった宇宙人種族をウルトラマン一族に進化させた人工太陽プラズマスパークが、『ザ☆ウルトラマン』においては物質であって物質ではない超物質にしてウルトラ人をウルトラヒューマノイドに進化させたウルトラマインドに相当させる。
●昭和ウルトラにおいては27万年前にウルトラの星の太陽が爆発したあと、人工太陽プラズマスパークを造ったというウルトラ長老や、その彼と同一人物やもしれないともウラ設定されてきたウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングが、『ザ☆ウル』においては白髯白髪の長老・大賢者にアレンジ。
●昭和ウルトラにおける27万年にも渡る長大な歴史や3万年前にウルトラの星へ怪獣軍団を率いて襲来した暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人との因縁は、10億年前にさかのぼるU40人の先祖たちが自身たちの種族存続のために宇宙の各地に播種(はしゅ)した過程で遭遇した、爬虫類から進化したためにコミュニケーション不能というバデル族とのおそらく億年単位での攻防や、1万年前にさかのぼるヘラー軍団との因縁。
●長男ゾフィーから八男アストラに至る昭和のウルトラ8兄弟が、『ザ☆ウル』におけるジョーニアスも含めれば総勢8名となるウルトラの戦士たちにリビルドされての集団ヒーロー戦!
しかして、本作放映18年後の1997年2月21日に発売された「LD-BOX Part.2」(#26~50を収録・ASIN:B001BYIDCG)に再録された本作の企画書によれば、驚くなかれ! 少なくともシリーズ中盤には、ウルトラマンの故郷・ウルトラの星を登場・紹介させて、その星の名前にもU40という名称が付けられて、ウルトラマン自身は劇中では単に「ウルトラマン」とだけ呼称させる方針ではあるも、その名称も実はウルトラマンジョーニアスならぬ「ウルトラマンジョー」としてネーミングすらすでに施されていたのである!
そして、この企画書はロートル特撮マニアであればご存じの通り、書籍『ウルトラマン大鑑』(87年12月1日発行・朝日ソノラマ・ISBN:4257032871)や、特撮雑誌『宇宙船』VOL.51(90年3月1日発行名義・1月30日実売・朝日ソノラマ・ASIN:B007FNCMMY)での円谷プロの満田かずほプロデューサーによる連載にも収録されていた、1971年2月10日に作成したという氏と田口成光によって書かれるも実現はしなかった『ウルトラセブン』の幻の続編(!)『戦え! ウルトラセブン』なる企画書――セブンがモロボシダン青年ではなく、また別の青年・伴 長一郎に擬態して活躍するというモノ――の文面と多数がカブってもいるモノだったのだ!
おそらく『ザ☆ウルトラマン』の企画書も満田かずほプロデューサーがコレを転用して改稿したのであろうと仮定するならば、少なくともシリーズ中盤にウルトラの星・U40を登場させるというシリーズ構成自体は円谷プロ側にてすでになされていたことになる!
もちろんコレらは単なる「お題」や「素材」にすぎなくて、それをココまで血肉が通ったかたち、かつハイセンスなSFマインドあふれるかたちで仕立て上げてみせたのは、吉川惣司氏ほかのアニメ側のスタッフのセンス&技量であったのではあろうけど。
アミア「(両ヒザをついたまま歩を進めて)それなら、なぜ殺したの? なぜそんな恐ろしいことを!?」
ヘラー「(少々得意げに)殺す? わたしがそんなバカなマネをすると思うかね?」
アミア「(ハッ!?)」
ヘラー「ハハハハハ。たしかに彼は分解した。だが、彼の原子配列構造はキチンと記録されている」
ヘラーが原子分解装置のコンソールパネルに歩を進めてボタンを押すや、チン! という機械音がして、黄銅色に輝く表面に幾何学的(きかがくてき)な細かいクボみのディテールが施された長方形の金属製カードが排出! しかもその先端は不揃いの櫛(くし)のようにもなっている! フロッピーディスクですら一般化していなかった1979年度製作の作品なのに、今日のSDカードメモリーがごときかたちをした記憶媒体を登場させるこのセンス!
ヘラー「このカード。つまり、これをシステムに入れれば、大賢者はよみがえるというワケだ。キズひとつない体で……(不敵な笑み)」
今ならばドーということもないやもしれないけど、ひとりの人間のすべての原子位置配列情報をカード1枚に内蔵させてしまうアイテムを見せられた日の小学校高学年当時の筆者のSF的サプライズの衝撃といったら!
前話ラストに登場した、ひとりの人間を原子の単位にまで分解してしまう装置の登場にもSF的サプライズを大いに感じさせられたものだけど、それを上回るどころかはるかに凌駕もして、しかもそれが知的・SF的・パズルのピース的な「反撃フラグ」の伏線にもなるのだろうと予感もさせてきて……――もちろん20世紀のむかしに「フラグ」という用語で作劇術を語るような流儀などはなかったけれども(汗)――。
ここでまた前話のラストと同様、敵わずともアミア嬢がヘラーに体当たりをかまさんとするサマも描いて、彼女の気高き負けん気を再三描くも、その挙動自体は失敗に終わって、避けたヘラーがアミアを後ろ手に拘束する手錠にふれるや電撃が走って、アミアは悲鳴をあげつつ倒れこんでしまう。
アミア「お願い! 大賢者を戻して!」
ヘラー「いつかはな。ウルトラ人の切り札である彼を、何度でも利用させてもらう」
何度でも利用する! そう、大賢者をカードから復活させて再度、人質として利用するもよし、カード自体の破壊を盾に脅迫してみせるのもよし! と想起もさせることで、ヘラーの冷酷な知将・謀将としてのキャラも立ってくるのである!
宇宙規模の物語と化していく『ザ☆ウルトラマン』へと至る前段としての前史 ~その2・往時の星間戦争&宇宙戦艦への憧憬!
さらにはU40の上空の宇宙空間で、前話終盤につづいてまだまだ継続しているウルトラ軍の宇宙艦隊vsヘラー軍の宇宙艦隊との激戦も描かれる。
●ヘラー司令室でのヘラーvsアミア嬢!
●防衛タワー最上階でのヒカリ隊員&ゴンドウvsヘラー軍の兵士たち!
●U40上空でのウルトラ艦隊&ウルトラ8大戦士vsヘラー艦隊!
この三層構造で展開される物理的な大激戦や精神的な対立劇!
本作『ザ☆ウル』では先の夏休みに放映された#19~21の『これがウルトラの星だ!!』3部作において、すでにウルトラ人vsバデル族との互いに宇宙戦艦数千隻を繰り出す大宇宙戦争が描かれていた。
しかし、往時の作品外での時代の空気や子供たちの文脈を知らない後年のウルトラシリーズファンからすれば、なにゆえに巨大ヒーローvs巨大怪獣との激闘を描いてみせる「ウルトラマン」シリーズの1本という作品において、宇宙戦艦が登場して大宇宙戦争までもが描かれる必然があったのかについての理由は、いささか不分明なことになっているのではあるまいか?
これについても、往時の時代の空気や風潮を改めて語り直すことで、言語化してみせたい。
むろん70年代末期の第3次ウルトラブーム時代のいたいけな子供たちも、特撮変身ヒーローものや「ウルトラマン」シリーズだけを観ていたワケでは決してなかった。70年代末期においても70年代前半と同様に、まだまだ夕方4時~6時半までの各局は子供番組の再放送ワクで、夜7時~8時のワクも、合体ロボットアニメや児童向け実写ドラマなどで埋まっていた。
さらには、本作『ザ☆ウル』の放映を2年さかのぼる、1977年の夏休みにはTVシリーズの総集編映画として劇場公開された『宇宙戦艦ヤマト』と連動して、TVでも平日夕方に『宇宙戦艦ヤマト』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)が再放送されており、平均視聴率も30%(!)を叩き出していた。
小学校中学年に達していた筆者の同級生たちの男女を問わないほとんど全員が『ヤマト』の存在やその作劇にカルチャーショックを受けつつも夢中になって視聴をしていたことも思い出す。当時はオタク差別どころかオタクという用語すら、そもそもそれらをカテゴライズする概念すらもがまだなかったために、小学校の全校生徒が、いや中学生や高校生ではあっても帰宅部や文化部の御仁であれば(笑)、ほぼ全員が『ヤマト』を観ているような状況だったのだ。
それまでの子供向けジャンル作品においては、「宇宙」といえば漠然と地球の上空の「星空の世界」であったものが、『ヤマト』をキッカケにして、太陽を中心にして9つの惑星が周回する太陽系、それを大きく包括する銀河系、さらにはまたその銀河系の隣りにある別銀河であるマゼラン星雲……というように、「宇宙」というモノにも「地理」があるような天文学的な概念を一挙に普及させていく。
そして、光の速さでも14万8千年もかかるような超々遠距離にある目的地への到達を少しでも短縮する空間跳躍のためのSF的手段である「ワープ航法」という概念をも同時に呈示して普及させたのだ。
加えて、ヒーローvs怪獣怪人との1対1の戦いではなく、国家vs国家の存亡をかけた集団戦や群像劇を描いてみせる革新の衝撃は非常に大きなモノでもあったのだ。
それと並行して、第3次ウルトラブームが勃発する直前の時期にあたる1978年2月には、日本でもスピルバーグ監督による巨大UFOとの遭遇を描くSF映画『未知との遭遇』が公開され、第3次怪獣ブームが沸騰しだす同年の7月にはルーカス監督による星間戦争を描いたSF映画『スター・ウォーズ』(両作共にアメリカでは前年77年公開・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)が大々的な宣伝の果てに封切りされて、大ヒットも記録する。
今となってはともかく、往時はチャチなミニチュアにはまったく見えず、合成にマスクを切った際のエッジ(端)のあたりのチラチラ・ノイズなどのアラも見られない超巨大感を伴なった、あまたの電飾に彩られた超巨大UFOや白亜の超巨大宇宙戦艦が浮遊・疾走し、レーザー銃やレーザー剣や奇抜なかたちの宇宙戦闘機でバトルをくりひろげるこの世界!
さらにはその前年の1977年ごろから、子供向けの絵本の類いではなく、往年のTVアニメを懐かしんだり再評価や研究を旨とする、本邦初のティーン層のマニア向けの書籍などの発行もはじまっていた。
それとともに勃発したのが、いわゆる「第1次アニメブーム」であって、先の『ヤマト』の続編映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)も、この『スター・ウォーズ』初作と同時期に2大巨頭として公開。
この『ヤマト』ブームと連動するかたちで、本邦初のマニアをターゲットとしたアニメ専門月刊誌『アニメージュ』なども創刊されていく。
――近年では1960年代のモノクロTVアニメの草創期を「第1次アニメブーム」として、70年代後半~80年代前半の大ブームを「第2次アニメブーム」として云い換えるムキもあるようだ。むろんしょせんはネーミングなんぞは単なる便宜でもあるので、筆者はこの新解釈にムダに反発する気もナイけれどもやや違和感がある(笑)――
この『さらばヤマト』もまた、前作以上の大ヒットを飛ばして、その関連楽曲なども歌謡曲TV番組『ザ・ベストテン』(78年)などにもランクイン!――その数年後の『機動戦士ガンダム』劇場版(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)の主題歌なども同様であったが―― 世はまさに当時のハイティーン層をも巻き込んで、熱狂的なSF映画・SFアニメ映画ブームとなっていく……。
この前代未聞なる状況。両親なりご近所なり世間の空気なりから、幼心にこのテの非日常的な高揚を描いてみせるジャンル作品からいつかは卒業せねばならないとの想いを心のドコかで諦念として抱えていた我々ではあった。しかし、当時の年長世代が――といってもオタク第1世代が還暦に達した現在と比すれば、上限はまだまだたかが20歳前後にすぎなかったワケだけど(笑)――誰はばかることなく『ヤマト』だの『スター・ウォーズ』だのに浮かれているサマを見た日には……。大いなるパラダイム・シフト(枠組みの変動)を感じて、
「ひょっとして、ひょっとすると、特撮やアニメやマンガを大きくなっても卒業しなくてもイイのかも!?」
と大いに舞い上がって、期待に打ち震えていたことをも懐かしくも思い出す。
――実際には1980年前後に勃発した大MANZAIブームや、82年10月から平日正午に放映が開始されたバラエティ『笑っていいとも!』でタレント・タモリが大流行させた「ネアカ」「ネクラ」という用語で、それまでの世間にあった1970年代のフォークやニューミュージック的な繊細ナイーブさが若者間でアッという間に一掃され、1983~84年くらいから「アニメファンは暗い・ネクラだ」との若者世代内部でも差違化・差別化、享楽的なケーハクさと「イッキ飲み」強制ノリ笑いな狂騒・狂躁を誇る大競争がはじまって、89年のM君事件を契機に「オタク」という差別用語も世間に流布して大弾圧の時代が訪れるワケだから、そんなにスンナリとはいかなかったワケだけど(苦笑)――
SF洋画ブーム・SFアニメブーム・第3次怪獣ブーム。
この3大ムーブメンドをすべて等しく浴びていた往時の小学生たちは、我らがウルトラマンシリーズもチャチではないミニチュアには見えないハイソな特撮に、ハイセンスな宇宙メカや宇宙戦艦も登場する大宇宙を舞台とした、集団vs集団戦を描くようなスケール雄大な物語へとバージョンアップを遂げるべきである! そんな「ウルトラマン」のTV新作を観てみたい! と切望したものなのだ。
そして、その作品が子供たちのみならず当時のティーン層をもゲットして、『ヤマト』や『スター・ウォーズ』並みの大ヒットを記録して一応の一般層向けとしても受容されて凱旋を果たして一挙に市民権までをも得ること……。そんなことを、子供だからまだまだここまで明晰・明快に言語化できていたワケではなかったけれども、妄想していたモノなのであった……。
そんな状況下で、それをマンガ媒体での表現とはいえ、『ヤマト』や『スター・ウォーズ』以降の『ウルトラ』とも取れる映像表現で先行して体現してくれたファースト・バッターが、先にも挙げた内山まもる先生による連載マンガ『ザ・ウルトラマン』でもあったのだ!
――厳密には75年が初出なので『スター・ウォーズ』の影響ですらなく、原作の内山まもる先生、あるいは後年のインタビューでは「自分が同作の原作をやった」とも公言している学年誌側の担当編集者の方でも、彼らの生まれ育った世代的にも当時の大のオトナが、低視聴率で終わった世間の一般的な認識としてはやはり子供向けTVアニメであったろう『ヤマト』を観ていたとはとても思えないので、そのSF的なハイセンスはそれらを先取りしていたともいえるのだけど!――
この作品は地球を発端とはせず、大宇宙での初代ウルトラマンと彼をその看板作品の最終回で倒した宇宙恐竜ゼットンとの再戦からはじまり、当時最新のウルトラマンレオが残留している地球を点描して、今までは学年誌でのウラ設定のみでTV本編では映像化されたことがなかったウルトラ兄弟が所属する宇宙警備隊の数万人にもおよぶウルトラ一族の兵士たちまでもが登場する。
対するに数万年前にウルトラの星に侵攻するもウルトラ一族の長老・ウルトラマンキングに敗退して、ブラックホールに追放された凶悪宇宙人・ジャッカル大魔王がリベンジしてきて、ウルトラ一族数万人とのバトルの末に全身から放つジャッカル破壊光線で、ウルトラの星に半球規模の破壊を起こして、ウルトラ一族を亡国・流亡の民にしてしまうのだ。
かろうじてウルトラ兄弟の長男・ゾフィーの許に集ったウルトラの雑魚兵士ことウルトラ28人衆はレジスタンス活動を開始する。そこにやはり学年誌でのみ語られてきた宇宙警備隊はM78星雲以外にも他銀河に7つの支部があるというウラ設定を活かして、宇宙警備隊アンドロメダ星雲支部隊長の肩書きを持つウルトラ一族型の超人・アンドロメロスが加勢してきて! という非常にスケールのデカいストーリーを当時の小学生たちはすでに享受もしていたのであった!
――またまた脱線で、ややこしいのだけれども、ここに登場するアンドロメロスは、80年代前半の映像作品に登場したアンドロ警備隊のアンドロメロスとも名のみ同じの別人です(汗)――
第3次ウルトラブームの勃発で『コロコロコミック』編集部が78年8月下旬の夏休みの終わりに放った増刊号『ウルトラマンPART2』(ASIN:B085XC2RF4)は、6月下旬発売の『PART1』(ASIN:B085XBS8TM・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210110/p1)での内山まもる先生の手になる『ザ・ウルトラマン』のそれまでの再連載の再収録に加えて最終回までをもまとめて収録したものとの差別化として、内山まもる先生以外のマンガ家の手になる描き下ろしも掲載したアンソロジー集ともなっていた。そして、ここに掲載された、ナマ身でも充分に強いウルトラ一族ではあるけれども、超未来的な科学力をも達成しているのならばハイテックな宇宙戦闘機や宇宙戦艦を保有して搭乗していても何ら不思議ではナイだろうといわんばかりの描写が端緒となって、本誌『コロコロコミック』にて連載されていく新作マンガ群もまた「ウルトラ戦艦」やら「バトルシップ」やら「ネオバトルシップ」やらが登場して大活躍するようにもなっていく。
そして、広大な大宇宙での戦いやカッコいい宇宙戦艦の存在に、当時の子供たちが非常なる興奮を覚えていた……という歴史的・時代的な大前提もあったのだ。
当時の子供や青少年たちが巨大な宇宙戦艦なる存在に向けていた憧憬とロマン。それは、本作と同時期に放映されていたスーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)に登場した正義の戦隊チーム側の巨大母艦・バトルシャークや、本作の次作『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)に登場した大型母艦・スペースマミーが、いわゆる戦艦のかたちをして登場したことでも傍証されるだろう。
そのような土壌があった上での、本作における巨大戦闘艦ウルトリアでありウルトラ軍のウルトラ戦艦多数登場によるウルトラ大艦隊だったのである――もちろん『宇宙戦艦ヤマト』(主に『さらばヤマト』)に登場した敵味方のあまたの宇宙戦艦群(「巡洋艦」だの「駆逐艦」だの「アンドロメダ」だの「超大型空母」だの「大戦艦」だの「超巨大戦艦」だの)の100円プラモデルの児童間での大ヒットも忘れちゃイケナイ――。
そして、#44「ウルトリアが二つに割れた!?」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100228/p1)で、超古代にウルトラ人が地球の南極大陸の地底に隠していた巨大戦闘艦ウルトリアはαとβに分離が可能のみならず、「ワープ航法」も可能なことまで示されて、コレが伏線となって我らが『ザ☆ウルトラマン』最終章4部作では地球人自らが200万光年彼方にあって敵の魔手に落ちたウルトラマンの故郷を解放するため、「ウルトラの星」へ向かうという空前にして驚天動地の展開ともなっていく!
歴史証言ばかりに終始してしまったけれども、宇宙戦艦のような巨大物体が轟然と動いていくサマにワクワク感をいだいてしまうような感慨は、特定の時代ローカルのモノではなく、もう少し普遍性もあるモノなのだと信じたい。
往年の『ウルトラセブン』に登場した地球防衛軍は、地球の衛星軌道上に巨大な宇宙ステーション、V1・V2・V3を浮かべて、そこからロケット型のステーションホークという戦闘機も飛ばしていた。
コレをもっと拡張して、太陽系の各所の惑星近辺にも宇宙ステーションを浮かべて、その近辺には『ウルトラマン80』に登場したスペースマミーや『ウルトラマンティガ』(96年)に登場したアートデッセイ号のごとき宇宙戦艦が停泊しているような壮大なSF宇宙ビジュアルを実現させ、子供たちをワクワクさせるような「ウルトラマン」の新作を毎年毎年観てみたい!
――後年のウルトラシリーズにもコレらの残り香がないワケでもない。隔世遺伝のようなかたちで、幻の流産企画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟2』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20130317/p1)では強豪宇宙人ヒッポリト星人が操る「巨大鋼鉄戦艦」が登場し、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)ラストにも味方側の各惑星の宇宙戦艦の連合艦隊が結集している。余談になるけど、2010年にCS放送・ファミリー劇場で『ウルトラマン80』が放送された際、月1の『ウルトラ情報局』「80」編の初期回であったか事前特番『ウルトラマン80のすべて』であったかで、全長数メートルのスペースマミーのミニチュアがまだ現存していて(!)スタジオ手前に飾られたのだが、ならば『80』の直系続編『ウルトラマンメビウス』(06年)でも宇宙でピンチに陥った際に、同作における怪獣攻撃隊・UGMのオオヤマキャップかイトウチーフが操舵するかたちで再登場をさせてほしかったなぁ(笑)――
ウルトラマンジョー、幾度目かのミクロ化! ~歴代ウルトラマンたちのミクロ化の系譜! 万能性への憧憬!
艦隊戦がヤマ場を越えて勝機が見えてきたのであろう。ウルトラ7大戦士の筆頭でもあるウルトラマン型に巨大化変身しているエレクが叫ぶ!
「ジョーニアス! もういい! 行ってくれ!」
ジョーニアス「エレク!」
エレク「ウルトラ艦隊は、なんとかわたしたちで守る! それより(科学)警備隊のみんなを!」
ジョーニアス「わかった……(きびすを返してU40へと向かって飛行していく!)」
エレク「サイズを変えろ! そのままでは防衛タワーにヤラれるゾ!」
ジョーニアス「(無言でふり返って謝意の右手をあげてから、手脚をまっすぐに伸ばし直して、効果音とともにおそらくは人間大サイズであろうかミクロ化していく!)」
もちろん我々凡俗の地球人とは異なる高潔(こうけつ)な人格の持ち主たちが大勢を占めるであろうウルトラ人たちではあっても、人情を解さない無味乾燥なメンタルの持ち主たちということではなく、人型のヒューマノイド体型をしている以上は、神と人の中間にある半神半人でもあることを、エレクの思いやりとジョーニアスの謝意でもって示してもいる、さりげない名シーンでもある。
それと同時に、巨大超人でもあるウルトラマンジョーニアスが本作終盤、#39「ねらわれた巨大戦闘艦ウルトリア」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100124/p1)・#45「爆弾を抱いたピグ」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100307/p1)・#48「ウルトラの星へ!! 第2部 前線基地撃滅」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100404/p1)でも見せてきたミクロ化能力がココ一番での最終回でも披露されている!
基本は巨大ヒーローであることがそのアイデンティティ・特質・個性でもあるウルトラマンだが、初代『ウルトラマン』では三面怪人ダダの縮小光線銃で一度は人間大サイズまでミクロ化されてしまったウルトラマンでもその万能の超能力で再度、巨大化を果たしてみせていた。
『ウルトラセブン』は#1から人間大サイズで登場してから巨大化を果たし、以降もたびたび人間大サイズで活躍して、時にミクロ化まで果たして怪獣攻撃隊の大型銃器の銃口に忍び込んだり、人体に潜入したりもした。
『帰ってきたウルトラマン』ことウルトラマンジャックも、その#32「落日の決闘」で崩落したトンネルに閉じ込められた少年を救うために一瞬、人間大サイズで活躍してみせている。
『ウルトラマンレオ』#50「レオの命よ! キングの奇跡!」では星人ブニョに特殊ロープで拘束されて、変身しても巨大化できずに一度は絶命するも、ウルトラマンキングの力による復活後は巨大化を果たした。
『ウルトラマン80』#10「宇宙からの訪問者」ではウルトラマンエイティがミクロ化能力を披露した。
本作『ザ☆ウル』以降の往時の子供たちが作り手側にまわったウルトラシリーズにおいても、このイレギュラーな人間大サイズでのウルトラマンの活躍による万能感・レア感・ワクワク感を再現したかったのであろう、『ウルトラマンティガ』(96年)#13「人間採集」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)、『ウルトラマンダイナ』(97年)#26「移動要塞(クラーコフ)浮上せず!(後編)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971208/p1)、『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)#18「アグル対ガイア」などで、人間大サイズに変身しているウルトラマンたちが活躍している。
そういった子供心というのか、ヒーロー性を高めつつも、劇中内での戦略的な合理性にも貢献してみせるかたちで、まさに今ここでジョーニアスが、敵の監視装置に捕捉されにくくするがために助言されてミクロ化してみせる、ヒーローの特殊能力という設定をもクレバーに有効活用して、勝機の伏線としていくこの作劇! 今ここで、先の大賢者の復活可能性につづけて、「第2の反撃フラグ」も立てたのだ!
そして最大のピンチへ! しかして、それまでの伏線・フラグを活かすかたちで反撃に合理的根拠を与える!
場面は変わって、ヘラー・シティーの防衛タワー最上階の管制室。ここの破壊をもくろむも、ヒカリ隊員とゴンドウキャップはまだまだ敵兵と奮戦中であった。
敵の銃弾でカスリ傷を負ってしまうゴンドウキャップ!
「(オレに)構うな! あのコントロール・パネルを破壊するんだ!」
弾幕をかいくぐって、大きな窓ガラスに面したパネルデスク上に飛び乗り、パネルに銃撃していくヒカリ隊員!
ついにパネルが爆発! しかし、その爆発は予想外に大きく、窓ガラスも割れて、爆風の勢いにあおられてヒカリ隊員はそのまま窓外へと弾き飛ばされてしまう!!
ゴンドウキャップがその瞬間を目撃して衝撃を受けているリアクションを点描するショッキング演出が、深刻度をさらに増さしめる!
眼をつむったままの姿勢で、高さは1キロメートルくらいはあるのではないかと思える高空から、防衛タワーの根元が遠近法の消失点のように見下ろして見えている極端なアングルで、尺を長く費やしてスローモーションで落下していくヒカリ隊員!
先のエレクがジョーニアスに「(科学警備隊の応援に)行ってくれ!」という一連から流れはじめた、本作エンディング主題歌を短調的に悲しげにアレンジしたBGMがまた、このシーンの「切なさ」を倍増させていて、彼の行為が報われたような報われなかったかのような不可思議さを醸してきて個人的には目頭が熱くなってくる……。
しかし、落下直前にエメラルド色に輝く光球が急速で横スベりしてきてヒカリ隊員と合体して一際明るく輝く!!
ただし、残念ながらも地面には激突! 視聴者にも相応のショックを与えながら、落下の反動でゆっくりと鞠(マリ)のように弓なりに高く跳ね上がり、少し離れた場所へと再度落下していく……。気を失って倒れているヒカリ隊員。すぐさま遠方からヘラー軍兵士数名も駆け寄ってくる。
敵首領ヘラーが構える指令室で、管制パネルを前に着座しているヘラー軍兵士が中堅幹部たちに報告する。
「防衛タワーの機能は破壊されましたが、地球人はすべて捕らえました。ひとりは、死んだと思われます」
そう、科学警備隊の面々、マルメ隊員は武器庫を銃撃で破壊するもその爆発にあおられ、トベ隊員も配線切断中に催涙ガスを投げ込まれ、ムツミ隊員もエレベーターへの手榴弾投擲成功後に敵兵のライフル銃で殴りつけられて、おそらくはゴンドウ隊長も降参して捕縛されてしまったのである。そして「ひとり死亡」とはヒカリ隊員のことを指すことで、先にジョーニアスとの再合体とおぼしき描写があるので「第3の反撃フラグ」も立ったとはいえ、そこに少々の「よもや!?」感もブレンドしてみせ、ヒイてジラしてみせることをも忘れない。
最後にヒーローが勝利するのは決まっているにしても、そこで即座に結論に達せずに、いかにヒイてジラして、主人公や視聴者に対して適度にイジワルをしてみせるのかが、作劇一般のキモでもあるのだ(笑)。
ヘラー軍中堅幹部A「ただちに(ヘラー軍)艦隊の配置をシティーの防衛に当たらせろ!」
この発言はすぐのちに、ウルトラマンジョーニアスやウルトラの戦士たちが宇宙からヘラー・シティーに襲撃してくることを防御するためにした、と同時に敵首領・ヘラーに対する忖度(そんたく)かつ、軍事戦略的な意味での発言であることも判明していく。
ヘラー軍中堅幹部B「ヘラーさま。地球人どもをどういたしましょう?」
ヘラー「(とりたてて感情も交えずに)処刑しろ……」
アミア「(身を起こして、驚きと心配の嘆息!)」
荒れ果てて草木もない原野の少々は盛り上がりがあるかと思える大地にそびえた5本の尖塔に、後ろ手に拘束された科学警備隊の4人が捕らえられて処刑を待っている。
そこに! 気絶したヒカリ隊員が乱暴にヘラー軍兵士たちによって投げこまれる!!
隊員たちは驚愕しつつ心配して、「ヒカリ隊員!」「ヒカリ!」「ヒカリ! ど、どうした!?」と口々に語り掛ける!
そのサマを巨大戦闘艦ウルトリアの残骸に隠れて見ていた科学警備隊のマスコットロボット・ピグと、ウルトリアに備え付けられていたロボット・ウルック1号なのだが、非力な彼らには何もできない! そして彼らは上空からヘラー軍の宇宙戦艦の艦隊が多数降下してきた絶望的なサマまで目撃させられる!
ピグ「絶対絶命なんだナ!」
ダメ押しで地響きがしてきて、目前の地底から地を割って、上半身が逆三角形体型のマッチョで醜悪な巨大怪獣もゆっくりと浮上してくる! その名は処刑怪獣マクダター!
その名の由来は本作のTBS側のプロデューサーでもあり、TBSの子供向けアニメ全般をモノクロアニメの時代から総括していたらしい忠隈昌(ただくま・あきら)の名字の読みである「ただくま」を逆さまにしたのが由来だそうである(笑)。
手前に処刑台の4人を小さく配して、その奥に配されてはいても画面ヨコいっぱいにハミ出さんばかりに悠然と迫り上がってくるマクダターの画面構図は、ベタなハズなのに迫力満点!
司令室のアミアは、ヘラーの面前におどり出て、
「お願い! あのヒトたちだけは助けて! お願いです!」
と、やや当事者色はウスいであろう地球人である科学警備隊の面々の助命を乞うてみせる!
ヘラー「(それを無視して)ジョーニアスが現われるかもしれん。用意はいいな」
ヘラー軍中堅幹部「(巨大モニターに浮かぶヘラー軍戦艦を指さし)すべての狙いは上空に向いています」
ここまで押し迫っても、まだまだ単なるパワー合戦ではなく、知謀合戦をくりひろげてみせるヘラーの深謀遠慮ぶり!
ヘラー「よ~し、やれ!」
「やれ!」という命令は、艦隊への攻撃命令ではなく、処刑怪獣マクダターを科学警備隊に迫らせることであった!
放映当時、小学校高学年ではあるも、すでにマニア予備軍ではあり、マニア向け書籍なども大量に読み込んでいた筆者は――筆者が特別なセンスエリートだなどと主張したいのではナイ。後年、批評・感想屋の同人オタクとなった同世代の連中数十名に聞いてみると皆が皆この類いであって、アリガチ凡庸なマニアの在り方でもある(汗)――、この処刑怪獣マクダターはもう登場させなくてもストーリーが成立するのだからかえって作品の品位が下がるくらいではなかろうか? なぞと小賢しいことを思ったものだけど、数十年を経た今にして思う。やはり、番組の看板的にも最終回は巨大怪獣と戦わせなきゃダメだよネと(笑)。
そして、もったいぶって、たかだか芥子粒(けしつぶ)のような地球人数名に対する処刑のためだけに巨大怪獣を差し向けた行為にも、これは上空の宇宙空間で戦っているハズのジョーニアスを誘導してきて倒すための作戦であることが、劇中内でもすでに説明されていたことに! 思えば、ヘラー軍団が地球を攻撃していたのも、ジョーニアスを地球に貼り付けてU40での戦闘に参加させないためなどの周到でクレバーな言い訳が、この作品にはあまた散りばめられてきたことにも気付くのだ!
さすがに眼前に迫る巨大怪獣の猛威に、脅威と恐怖を覚えて脂汗も流している科学警備隊の面々!
ここで本放送当時の放送フォーマットでいえば、本話のAパートが終わって中CMを挟んでから、マクダターが迫り上がってくるサマのリフレインでBパートがスタートする!
そして、散々に正義側のキャラクターをサディスティックにイジメ抜いて窮地に陥らせてきた本エピソードだが、ようやっとここから、それまでのいくつかの伏線・フラグを活かしての「反撃タイム」がはじまる!
寝転がされて気絶・仮死状態にあるヒカリ隊員のそば近くを、怪獣の巨大な足が通過していく不穏さも描きつつ、そこに沈着冷静な低音ボイスが語りかけてくる……。
ヒカリの中にいるジョーニアス「ヒカリ。ヒカリ! 早くウルトラチェンジするのだ。きみが塔から落ちていく間に、わたしはまたきみのからだに戻った。だから、あの高さでも命が助かったのだ」
ここに至って、歴代ウルトラシリーズ最終回だけでなく、その第1話で多用されてきた、小さな命を守るために自らの身を犠牲にした主人公青年の博愛精神・自己犠牲精神に感動して、彼らと合体することで彼らの生命や肉体をも回復させてきたウルトラマンの超常能力設定までもが活かされる!
ヒカリ隊員「(眼を覚まして)ジョーニアス」
磔(はりつけ)にされた科学警備隊の面々に、今まさに迫ってくる巨大怪獣の猛威に気付いて立ち上がる!
もうこの危急の事態に正体を隠す必要もその余裕もなく、ここからはシリーズ後期のおなじみの変身バンク・セル画に変わって、いつもの勇ましいBGMも流れ出して、星型の変身アイテム・ビームフラッシャーを右手に取って高々と掲げて額に当てる!
「ウルトラ・チェーーンジィィィ!! ショワッッッ!」
巨大超人・ウルトラマンジョーニアスが出現! 処刑怪獣マクダターがその右手で今まさに科学警備隊につかみかからんとしたところを、すんでのところで阻止して、しばしの押し問答の末に背負い投げして遠方へと投げつける!
マルメ隊員「ヒカリ! やっぱりおまえは!」
ムツミ隊員「ウルトラマン!」
ウルトラマンジョーニアスとちょうど分離していたヒカリ隊員は、原子分解の憂き目にあう大賢者を救うことができなかった悲劇が先に描かれた。それまでにも、ウルトラマンに変身して怪獣と戦っている最中は、ヒカリ隊員は戦場から消えてしまうことで、そのことが隊員たちに問題視もされることで、ヒカリ隊員の苦悩までもが描かれてきた。
しかし、そんな彼の苦悩や視聴者側の鬱憤を晴らすかのように、ヒカリ隊員は他の隊員たちの前でも誰はばかることなく、ついにウルトラマンへと変身を遂げることで、隠してきたすべての秘密もここで公然のモノとなったのだ!
上空からではなく地上からウルトラマンが出現したその意表外な光景を巨大モニターで観ていたヘラーは苦渋の表情で「ウ~~~ン、そんなバカな!」とのたまう。
しかし、上空からのウルトラマン接近ばかりを注視していたヘラー軍の戦艦群もしばし遅れて、地上に出現したウルトラマンジョーニアスへ赤黒いビームを雨のように降らせはじめる!
それを走って避けつつ、マクダターの顔面に跳び蹴りをかまして一瞬ひるませて隙を作ってから、即座にジョーニアスは低空飛行をはじめて、必殺ワザ・プラニウム光線を幾度も発射してヘラー軍の戦艦を轟沈させていく!
再度、ジョーニアスvsマクダター! ジョーニアスの跳び蹴りは今度は空振り! 敵怪獣も決して弱体だったり愚鈍であったりとは描かないというアクション演出! つまりはコレによって強者vs強者の構図も強調されるのだ!
ジョーニアスが飛びかかるや、その巨体に似合わずマクダターはジャンプしてこれを避け、その豪快なシッポでジョーニアスを弾き飛ばして、馬乗りになってくる!
押されて苦悶するジョーニアス!
しかし、逆に云うなら、ここが時間稼ぎの場ともなる。前話の中盤で巨大戦闘艦ウルトリアの残骸に隠れたマスコット・ロボットたちが、
ピグ「大変なんだナ!」
ウルック1号「そう、そう!」
と叫びながら飛び出してきて、科学警備隊の面々の拘束具を外して救出に成功する! ピグやウルックにも単なるにぎやかしではなく、唐突にでもなく前話中盤で配置していた別行動という布石を回収するかたちで最後の見せ場も与える!
マルメ隊員「すまん、ピグ! 助かった!(喜悦してピグといっしょに駆けだしていく!)」
体勢を立て直したウルトラマンとマクダターは再三のバトルを再開! その光景をバックに「さぁ、早く! 早く! 早く逃げるんだナ!!」というピグの掛け声とともに、その場を離脱していく科学警備隊の隊員たち!
このシーンにかぎらず、本話の作画は少々荒々しいけれども、ことウルトラマンと巨大怪獣とのバトルではそれが功を奏して、しかも作画枚数自体は費やしているようでもあるから迫力もある!
一進一退の攻防の末に、ジョーニアスはマクダターを「オオオオッッッッリャァァァ!!!」との特別豪快な掛け声とともに力強く頭上へと持ち掲げて、真上へと飛行を開始! ついでに手近なヘラー軍戦艦を突き破って破壊もする!
ヘラー「やれ! 処刑怪獣マクダターもろともに焼き殺せ!!」
ヘラー軍艦隊からの集中砲火が殺到する!
すると、そこに! 上空から二条の光線が射してきて、ヘラー軍戦艦を撃破する!!
ウルトラヒーロー大集結でスケール雄大感も改めて表現! 実写ウルトラ各作の最終展開でも観たかった図がここに!
遠方の上空から接近してきたのは、続けて両腕をL字型に組んで必殺光線を散発的に放ってくるウルトラの戦士・エレクとロトだ!
おそらくは交戦していた上空~宇宙での敵艦隊の撃破があらかた済んで駆けつけたのであろう彼らは、ジョーニアスの眼前にも回り込んで周囲の敵艦を必殺光線で撃破していく!
そこに流れ出すのは、#20「これがウルトラの星だ!! 第2部」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090914/p1)にて初登場したエレク・ロト・5大戦士たち、7人のウルトラマンが宇宙空間で爬虫類から進化した凶悪宇宙人種族・バデル族との宇宙大戦争シーンで流されて以降、彼らの活躍シーンに流されてきた、次作『80』ではシリーズ後半でウルトラマンエイティの反撃シーンにも多用されるようになる勇壮な名BGMである!
エレクとロトも対マクダター戦についに参画!
そう、ジョーニアスひとりだけで倒せる程度ならば、通常回の怪獣とは大差がない程度の強さの怪獣ともなってしまう。ジョー・エレク・ロトの3大ウルトラマンの力で戦って、それをもってしてようやくやっつけるからこそ、最終回にふさわしいスペシャルなバトルといった風情も出てくるのだ!
両腕をエレクとロトにつかまれたマクダターはそのまま鉄棒で回されるように豪快に投げ飛ばされて、そこに待ち構えていたジョーニアスの必殺光線がついにマクダターを貫いて大爆発を起こさせる!
70年代中盤に第1期「仮面ライダー」シリーズが幕を閉じる際、おそらくはドラマ性よりもエンタメ性を重視していた東映の平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーの意向や趣味(笑)であったのだろうが、その一旦の最終作『仮面ライダーストロンガー』(75年)の最終展開では、徐々に歴代先輩仮面ライダーたちが集結してきて、大スケール・大バトル・大団円を達成せしめていた。
シリーズが終焉を迎えるのであれば、同じように第2期ウルトラシリーズ最終作の『ウルトラマンレオ』においても、歴代のウルトラ兄弟たちが結集していき、強敵怪獣・宇宙人たちとの壮大で壮快な集団バトルを観てみたい!
あるいは、毎回登場されてもむろん有り難みがウスれてしまうけど、数話に1回、あるいは月に1回程度は、ウルトラ兄弟が助っ人参戦して、レオと共闘してスカッとした気持ちのイイ読後感があるエピソードを観てみたい! と思っていた子供たちはやはり多かったことであろう。
ぶっちゃけ、コレは娯楽性よりもドラマ性やテーマ性を重視していたTBS側の名プロデューサー・橋本洋二の意向であり、それが『ウルトラセブン』の後番組にして往年の円谷特撮『怪奇大作戦』(68年)や第2期ウルトラシリーズにおける高いドラマ性――スマートではなくややドロくさいモノではあったとはいえ――に帰着したのだともいえるのだけど、それは同時に爽快感にはやや欠けるモノにはなってしまったキライもあるのだ。
まぁ橋本がその名をオープニングテロップに連ねていたのは『ウルトラマンレオ』(74年)#4までであり、畏友の特撮評論同人ライター・森川由浩氏やビッキー本間氏らによる同人誌『橋本洋二 大全集』(98年頃発行)におけるインタビューなどによると、前作『ウルトラマンタロウ』(73年)後半の時点で出世してしまってその時点で名義貸しだけになってしまい、各話に対する細かい実業務はしていなかったとのご本人の証言もあるのだけど(笑)、橋本がレールを敷いてきた人間ドラマ優先の作風が『レオ』のスタッフたちをも規定していたのはたしかだろうとも私見する。
そのへんは他局で製作された円谷特撮ヒーロー『ミラーマン』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』がスパイアクション風味を出したり、中堅敵幹部が次々と交代していくシリーズ構成を取っていたことを見れば自明であり、ドラマ優先の作劇は必ずしも円谷プロ必須の宿命のようなモノではないとすら考える。
もちろん爽快な娯楽性やウルトラ兄弟共演のイベント性をストイックに抑えたゆえの『ウルトラマンレオ』のシビアさやニガ味が、長じてスレたマニアになってくると堪らなくスキになってくるという心性もあるのだけれども(笑)、それはそれで「オトナにならないとその良さがわからない子供向け番組」というのは「それでホントにイイのか?」という矛盾・自己撞着にも即座に帰着してしまうモノではある(汗)。
その伝で、やはり当時の子供たちがホントウに観たかった「ウルトラ」や『ウルトラマンレオ』とは――もっと云うなら『ザ☆ウル』の次作『ウルトラマン80』も同様なのだけど(汗)――、月に1回、そして最終回も前後編形式の大舞台でウルトラ兄弟が助っ人参戦してくれるイベント編が用意されている作品ではなかったか!?
そして、そのようなイベント編や最終回前後編があればこそ、子供たちにも心地のよい記憶が残って、それをヨスガに長じてから追体験したくて再放送やビデオなどで観返した際に、長年酷評に甘んじてきた第2期ウルトラシリーズにはイベント編以外にも、たとえシャープでクールなSF性においてはやや劣っていたとしても、こんなにも高度で重苦しくてニガ味もある人間ドラマがあったのだ! というような再発見がもっと大勢の人間たちによってなされて、そのドラマ性やテーマ性の再評価ももう少し早くに大きな規模で進んだようにも思うので……。
そのへんの子供たちの願望を敏感にすくい取っていたのが、小学館の月刊学年誌での毎号のウルトラ兄弟を前面に出したカラーグラビア記事や、連載コミカライズの数々でもあったのだ。その多くの連載回では、
●TVの該当回には存在しないオリジナル展開としてウルトラ兄弟の誰かを助っ人参戦させたり、
●『ウルトラマンレオ』TV本編ではシリーズ序盤のナレーションでレギュラーの宿敵になるのかと予感させておきながら、そうはならなかったサーベル暴君マグマ星人を各話にレギュラーで登場させたり、
●ウルトラセブンへの変身能力をモロボシダン隊長はいつの日にか回復させるのかと万人が期待していたのに、実現させなかった展開を時間制限付きでも一時的に実現させたり、
●第2期ウルトラ最終作でもある『レオ』の終盤では3ヶ月連続のストーリーでウルトラ兄弟を全員集合させたりして、
「TV本編でもかくあってほしい!」という展開を実際に実現せしめてもいたのだ!
ウラを返せば、そんな不全感をTV本編に対して、往時の子供たちは抱えていたことにもなるのだけれども……。
4年ぶりに復活した本作『ザ☆ウルトラマン』においてはシリーズ中盤にてエレク・ロトらのウルトラの戦士たちが初登場して以降は、元祖『仮面ライダー』第1作の2年目である第5クール以降のいわゆる「新1号ライダー編」のように月に1~2回は、第2~4クールまでの主役を務めていた2号ライダーが助っ人参戦して共闘、ダブル変身やらダブルライダーキックを放って往時の子供たちを大いに熱狂させていたように、#27「怪獣島(じま)浮上!!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091102/p1)・#31「ウルトラの女戦士」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091129/p1)・#34~35「盗まれた怪獣収容星」前後編(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091220/p1・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20091227/p1)・#37~38「ウルトラの星U40の危機!! ウルトリアの謎?」「ウルトラ大戦争!! 巨大戦闘艦ウルトリア出撃」前後編(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100123/p1)にて、エレクやロトやアミアらが助っ人参戦を果たして8大ウルトラマンによる合体光線なども放つなどして、イベント的な高揚感をも頻繁に担保してきたのであった!
コ、コ、コ、コレぞ、ボクたちが観たかった新時代の「ウルトラマン」の在り方だ!!
まぁ実際には往時もう20歳前後に達していた本邦初のマニア向け書籍を作り上げた功労者たちでもある第1世代の特撮マニアたちには、もちろんトータルでは敬意を表するにやぶさかではないのだけれども、彼らにとっての中高生時代、失礼ながら後年に云ういわゆる中二病の時期だから人生途上で最もキビしい目線で鑑賞してしまったであろう70年代前半の第2期ウルトラシリーズが持っていた少々のヤボったさやドロくささ、そしてウルトラ兄弟共演編のイベント性なども、第1期ウルトラにはあった(ように思えていた)そのシャープでクールなSF性を毀損してオトナの鑑賞には堪ええない子供じみた否定されるべきモノ、ウルトラマンの神秘性を損壊するモノとして映ってしまっていたのも、一方の事実ではある。
そして、それを匂わせる草創期のマニア向け書籍での論述によって、非常に長い年月の間、ウルトラ兄弟の設定やヒーロー共演が特撮マニア間では否定的に取り扱われてきたのはご承知の通りなのである。
往時の年長特撮マニアのウルトラ兄弟共演に関する見解がはじめてTV本編に中途半端にではあっても採用されてしまったのが、おそらくは本作『ザ☆ウル』の次作である『ウルトラマン80』なのであって、この作品なりの良さがあることも強調はしておきたいけれども、当時の子供たちは『80』にウルトラ兄弟が客演しないことが大いに不満であり、不自然にも思っていたことは記録に残しておきたいとも思うのだ。
でもまぁ、そのへんの不満はもう、昭和ウルトラ直系の続編として製作された『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)、その直系の続編群として製作されている『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080427/p1)や映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)に、それらの系譜を引き継いでいる2010年代のニュージェネレーション・ウルトラマンの作品群による、アベンジャーズでジャスティスリーグでスーパーヒーロー大戦でプリキュアオールスターズなウルトラヒーロー共闘劇の恒久的な実現で、子供時代に感じていた不満&鬱屈もあらかた晴れているからイイんですけれどもネ!(笑)
ヘラー軍中堅幹部「(頭を垂れて) か、完全に突破されました! 我が軍は、か、壊滅です!」
アミア「アキらめなさい! ヘラー! ジョーニアスがいるかぎり、あなたは勝てないのよ!」
ヘラー「(玉座に座り直して)ウーーン、かもしれん。(不敵な笑みに戻って)だが、ウルトラマインドと大賢者を持つかぎり、負けることはない」
アミア「(また落胆して)エッ?」
ヘラー「脱出だ!!」
勝てないやもしれないけれども、負けることもナイ。ウ~ム、なんという含蓄のあるお言葉。
そう、たしかにその通りではあるのだ。どうやったって勝てないことはある。負けを認めざるをえないこともある。
とはいえ、勝ち負けがハッキリしない、できない事象も世にはある。100かゼロかではなく、60か40か、30か70かといった比率の問題であることもある。
どうせ負けるのだとしても、いかに負けを少なくする戦い方をするか? 負けて弱小勢力にはなっても、小なりといえども一角を保って生き残っていくような処世は、誇れるモノでもないやもしれないけれども、完全否定されるべきモノでもないであろう。
そして、物語の主人公にはなれない我々凡俗たる同士たちに対しては、たとえブザマでもそのように地ベタを這いずりまわって生き抜いていくことを個人的にはお勧めしたいけれども、コレはおそらくは製作スタッフが本作に込めていたメッセージやテーマではまるでナイ(笑)。
轟然と地響きがしてきて、宙に浮遊していたジョー・エレク・ロトの3大ウルトラマンも地表を振り返る。
なんと、その円周が数キロメートルはあろうかという超近代的都市・ヘラーシティーそれ自体が、その下半分を地底の土塊がムキ出しの半球のようにして、まるごと浮上をはじめたのだ!――アフターバーナーなどは見当たらないことから反重力推進であろうと推測できる――
ジョーニアス「アミア……」
まだアミアは囚われの身である。宙に浮遊していたジョーニアスは眼下に浮上してきたヘラー・シティーへ向かって飛んでいく! 巨大ヒーローであるにも関わらず、その姿は豆粒のように小さく遠ざかって都市に吸い込まれていくようにも見えることで、逆説的にヘラー・シティーのその超巨大感をも表現できている。
一呼吸遅れて、エレクとロトもジョーにつづいて雄飛をはじめる。
さらに、その後ろにようやく上空の宇宙からこの地の空へとたどり着いたのであろう、宇宙のヘラー軍艦隊の残党も掃討し終えたのであろうか、ウルトラの5大戦士たちも飛行ポーズ姿で画面右斜め上からさりげに忍び込んでくる! それがまたイイのだ! 彼らのことも決して忘れ去ることなく、回収してみせるこの至れり尽くせりのキメの細やかさ!
ウルトラの8大戦士たちはヘラー・シティーを残存防衛タワーを中心に次々とその必殺光線で破壊していく!
ちなみに、劇中では判然としていないウルトラの5大戦士のうちの3名については、先にも挙げた「LD-BOX Part.2」にて、特撮ライター・秋廣泰生(あひきろ・やすお)氏と張田精次氏が執筆されたライナーノーツに掲載された、全話の脚本と映像作品との違いを紹介したコーナーにてはじめて明かされている。
加えて、そのライナーにも「協力」名義で掲載されている大石昌弘氏主宰の老舗特撮同人誌『夢倶楽部』VOL.11(97年12月28日発行)『ザ★ウルトラマン』特集PART2に収録された#20「これがウルトラの星だ!! 第2部」のシナリオにはたしかに「ノア」と「ミゲル」という名前が、同じくVOL.12(98年12月28日発行)『ザ★ウルトラマン』特集PART3に収録された#21「これがウルトラの星だ!! 第3部」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090920/p1)のシナリオでは敵の砲撃の直撃を浴びたウルトラ戦士がエレクに「メレグ!」と呼びかけられており、これは映像化された本編でもカットされずに残っているセリフでもあった。
もっと云うなら、巨大化変身できるのは基本7名だが、シナリオではさらにそこに「若い候補生も入れれば(全部で)20人!」というセリフも付け加えられていたのだった!
――加えてこの3部作のシナリオでは、ジョーニアスの肉体はU40に安置されており精神だけがヒカリ隊員に寄生しているとされていて、コレをもってバデル族の精神が爬虫怪獣や暗黒怪獣バゴンに寄生しているのと同じ関係性だとされていた。ちなみに『ウルトラマン99の謎』(93年・二見文庫・06年に再版・ISBN:4576061488)にて、著者紹介の文面から後年『ウルトラマンメビウス』のメインライターを務める赤星政尚(あかほし・まさなお)が担当したとおぼしきコーナーではじめてマスコミレベルで明かされた事実だと思うが、#19~21「これがウルトラの星だ!!」3部作は同作の脚本を手懸けた吉川惣司自らが小田経堂(おだ・きょうどう。小田急線の経堂駅由来?)名義で絵コンテも手掛けている。よって、吉川自らが尺の都合でコレらのシーンやセリフを泣く泣くカットしたのだろう。
吉川は小田経堂ならぬ小田響堂名義なども使って、『ザ☆ウル』のウラ番組(!)でもある名作TVアニメ『ベルサイユのばら』や『サイボーグ009(新)』にNHKで放映された連続TVアニメ『マルコ・ポーロの冒険』(いずれも79年)にも脚本や絵コンテで参画している。要は当時の売れっ子だったのですネ――
ウルトラ8大戦士の猛攻に、さすがにココまでと悟ったか、ヘラーは怒りと焦燥の念を露わにしてアミアを指さし「覚悟はいいな!」と、一角黒豹パンサーを差し向ける! その刹那、壁面を巨大超人・ジョーニアスのパンチが突き破ってきてパンサーも弾き飛ばす!
つづけて、人間大サイズの敵首領・ヘラーに対しても遠慮容赦なく、第2発目のグーパンチをかます! 悲鳴とともに転がり飛ばされていくヘラー!
勢いで懐から転がり落ちてきた、大賢者の原子配列カードをとっさに拘束された後ろ手で取り上げたアミアは、自分のことよりも大局を優先してこう叫ぶ!
「ジョーニアス! わたしは大丈夫! ウルトラマインドを取り返して!!」
ジョーニアスはその右手でヘラー軍兵士ひとりをつかまえて「アミアの手を自由にしろ」と命じて、手錠を外させる。
ジョーニアス「アミア、急ぐのだ!」
アミア「ジョーニアスも!」
ほとんどここでメデタシ、メデタシに近づきつつも、まだまだ切迫感も演出していく。
ジョーニアスは浮上したヘラー・シティーのかつての地底最深部分へと直行で降下していく!
司令室の中でも小爆発がつづく中、アミアは金属製の原子配列カードをシステムに挿入して起動ボタンを押下(おうか)! まばゆい輝きとともに次第に大賢者はその姿を十字架に拘束された状態で現わして、ついでに眼も明けて意識を戻したことをも示唆していく。
大賢者の両手の拘束具を外して、装置の足許に立った大賢者とアミアは、ウルトラ人の超能力を活かして、それまでの話数でもエレクやロトにアミア自身も披露してきた瞬間移動能力をここで発揮! かろうじて地表に到達するや、その背面では各所で爆発を連発しながら、かつて構えていた半球状のクボみへと傾いたかたちでヘラー・シティーが斜めに降下していき、ついに最後の大爆発を起こす!
気絶から目覚めた敵首領・ヘラーも絶叫の悲鳴をあげながら爆発の炎に焼かれていく!! そして、大きなキノコ雲もあがって……。
……筆者個人はこのヘラーの最期(さいご)の姿に特に不満はナイのだけれども、同じ学年の畏友の特撮評論同人ライターいわく、ウルトラ人でもあるヘラー軍団の面々はウルトラマインドの悪用で変身能力と引き換えに不老長寿を得たという設定だとはいえ、最後はヘラーにも悪のウルトラマンに巨大化変身してもらって、ジョーニアスと大バトルを演じてほしかったのだとのこと。なるほど! 考えたこともなかったけれども、そーいうテもあったかもしれない!? つづけて彼いわく、幼児誌『テレビマガジン』での本作コミカライズ連載の最終回ではヘラーは巨大化してジョーニアスと戦ったのだとも語ってみせるのだ!――「LD-BOX Part.2」ライナーでの『テレビマガジン』紹介記事でもその旨の説明があるので、コミカライズでのヘラーの巨大化は事実であった!――
大団円のクロージング! ヒカリ隊員が報われる日! 歴代シリーズ最終回とも共通する命題への高次なアンサー!
ジョーニアスによるウルトラマインド奪還のシークエンスは省かれて描かれない。
そして、おそらくはヘラー・シティーがあったのであろう小クレーター状の草木のない土の窪地に、やわらかいエメラルド色で暖かく輝く「光の球」の姿をしたウルトラマインドの傍らで、力尽きたかヒカリ隊員がひとり仰向けでその身の周囲をやはりエメラルド色にぼんやりと光らせて倒れている。
その姿はロング(引き)から徐々にズームへとなっていく。目覚めるとその眼に映じるのは、ヒカリ隊員の回復に安心して思わず安心の笑みをこぼしたアミアとマルメ隊員の姿が……。
アミアがヒカリ隊員の頭をヘルメットの上から支えて「ヒカリ……」と声をかけるや、ヒカリ隊員は上半身をようやく起こして周囲を見回す。そこには遠巻きにゴンドウ・ムツミ・トベ隊員やエレク・ロト・大賢者らの安堵している表情もあった。
ヒカリ隊員も安心して、アミアの方に振り返って、「やぁ……」と呼ばわる。
アミア「勝ったのよ、ヒカリ」
ヒカリ隊員「あぁ」
大賢者により、宇宙に散らばったウルトラ人たちの命も甦ることが示唆されて……。
数日後であろうか、U40の石造り風の階段ピラミッド式の神殿中段の大テラスで、数百数千のウルトラ人たちを前にして、大賢者が後方に並んでもらった科学警備隊の面々の健闘を讃えながら演説を一席ぶち、そして特にジョーニアスとともに戦ったヒカリ隊員を讃えてみせる! 一段と高まる歓声! そう、ついにヒカリ隊員の人知れずの努力と忍従と敢闘とが報われる日が来たのだ!
そして、読者諸兄はこの演説シーンにデジャブ・既視感はナイであろうか? そう、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』のラストで、ウルトラマンキングがウルトラの一族を前に勝利の演説をぶっているあのシーンである。……ついでに云うなら、内山まもる先生の手になるマンガ『ザ・ウルトラマン』でもここまで大勢を前にしてではないけれど、ストーリーの最後にウルトラマンキングやウルトラの父が飛来してきて、ウルトラの戦士たちの健闘を讃えつつ、改めて平和を守らんとする誓いをしてみせるシーンがあるエピソードがあったけど、ズブズブなガチのオタクでもある坂本浩一カントクのことだから、コレらのシーンから引用したのであろうと思われるのだけれども(笑)。
すると、ヒカリ隊員の身体が前話中盤のように白く発光して、そのままヨコに白い人影がスライドしていく……。
それはウルトラマンへの変身体ではなく、古代ギリシャ風の貫頭衣をまとった偉丈夫な青年・ジョーニアス! そう、#21「これがウルトラの星だ!! 第3部」中盤でも再合体を果たした際に、エレクやロトやアミアらと同様にその人間体としての姿があることは示唆されるも、「君という個性を守るために……」という名目からそれは白くハレーションで飛んだような映像になっていて、その顔面はシカとは描かれなかった。前話中盤でもヒカリ隊員と一度分離して古代ギリシャ風の貫頭衣をまとった姿を瞬間現わしたものの、その背面が映るのみであり、対面することはなかった。それもまたこの最終回の最終展開にてキチンと回収が果たされたのだ。ジョーニアスの本来の人間としてのご尊顔も現わしたのだ!
ウルトラ人たちの観衆による「ジョーニアス! ジョーニアス!」という声援の連呼までもが響き出す。
アミアが「お兄さま!」と叫んで、ジョーニアスの胸に甘えるように駆け込んでいく。
ジョーニアス「(ヒカリ隊員の方に振り返って)こうしてきみに会うのはこれがはじめてだね」
ヒカリ隊員とジョーニアスは堅く握手を交わす。
ヒカリ隊員「そして。これがお別れだなんて……」
ジョーニアス「いや。わたしはもう一度、地球へ行こう」
ヒカリ隊員「エッ?(喜悦の表情)」
ジョーニアス「きみとともに過ごした地球が、その後、無事か、この眼で確かめたいのだ」
アミア「ヒカリ、わたしも行くわ」
ヒカリ隊員「ありがとう。ジョーニアス、アミア!」
ウルトラ人たちの歓声も一段と高まっていき、それまでにも流されていた歓喜を言祝ぐようなシンフォニックな名曲「交響詩 ザ★ウルトラマン 第五楽章 ウルトラマン・ジョーニアス」(ASIN:B000H30GT0)のフィナーレもここで一段と高く鳴り響いて……。
#19~21「これがウルトラの星だ!!」3部作にも登場した、一度は死したヒカリ隊員をウルトラの星へと運んでそしてまた帰還もさせた、映画『未知との遭遇』チックでセル画ではなく背景美術班によって描かれた、ディテールも細かくて電飾にも満ち満ちた超巨大円盤も再登場して、彼らが地球へと帰還していく姿も描かれていく。
地球。海辺に近い緑多い草原。
#20「これがウルトラの星だ!! 第2部」でのU40の緑あふれる大地と川を小船で進むシーンでのアミアの天真爛漫さが光るシーンや、#47「ウルトラの星へ!! 第1部」での深夜に湖畔で密会するヒカリ隊員&アミアのシーンでも使用された、安息の名BGM「交響詩 ザ★ウルトラマン 第三楽章 アミア」の楽曲もここで流れ出し……。
背後には森林と山脈も見える自然豊かな地で、ジョー・アミア・科学警備隊の5人・肩の上に小猿モンキを乗せたピグが立ち並んで、美しい風景に魅入っている。
ジョーニアス「美しい。こんな美しい地球を見たのははじめてだ。(振り返って)みなさん、これでわたしは安心して地球とお別れできます」
ゴンドウキャップ「(いつもの通りにジャケットに腕を通さず羽織って腕組みした姿で・笑) もっといてほしいのですが。お引き留めはできんのでしょうなぁ」
ジョーニアス「(無言でうなずく) ヒカリ、わたしたちのことをなぜ最後まで隠さねばならなかったか、わかってくれただろうね?」
ヒカリ隊員「はい。だれもが自分の力を信じて戦うべきだから。だれにも頼ってはならないからです」
ジョーニアス「そう。それこそが平和を守る力だ」
そう、ウルトラマンをはじめとするヒーローたちがその正体を隠している意味を求めるのだとしたら、それはもうコレしかないであろう!
そして、それはそのまま、歴代ウルトラシリーズが命題としてきたことへのひとつの解答でもある。「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならない」こと。「ウルトラ5つの誓い」のひとつである「他人の力を頼りにしないこと」。「そうだわ、もっと私たちにできることがあったのかもしれない」。「ウルトラマンとしてでなく、僕自身としてなにかやれること」。ウルトラマンにすら頼らないこと。ウルトラマンからの自立。
そんな心意気があればこそ、ついには地球の平和のみならず、ヘラー軍との戦いにおいてもウルトラ軍に勝利をもたらし、ウルトラの星を解放することさえできたのだ。科学警備隊の5人の「人間」としての全力の活躍がなければ、この勝利の達成はおぼつかなかったハズなのだ。
しかして、イジワルに見れば、コレは他人に頼らせずに自己責任で済ませて弱者を見捨てようとする強者の傲慢であるとする見解も論理的には成り立ちはする。そういう意味では万能の理論ではナイのやもしれないけれども、ソレもまた一方向での極論にすぎない。
弱者を見捨てずに助けることも、極限状況においては時に弱者が恥を忍んで救いの声をあげることも必要ではある。100かゼロかの関係ではナイ。しかし、さほどでもない困窮時にイチイチ他人に助けを求めるのもまた徳性の堕落なのである。やはり、まずは基本は最初に自力で立って努力をしてみせることであろう。その上での他人への協力なり他人に助けを求めることの必要性なのであると、異論もあろうが筆者はそう考える者である。
アミア「(歩み寄って眼を潤ませて)ヒカリ……」
ヒカリ隊員「アミア」
アミア、ヒカリ隊員のヨコをスリ抜けていって、ムツミ隊員に近寄りつつも、「さようなら、みなさん!」と別れのあいさつを述べる。
そして、ムツミ隊員の両手を取って「ムツミさん」と言葉をかけて、お互いに見つめあう……。
ムツミ隊員「アミアさん、好きだったのね。ヒカリ隊員(のこと)」
アミア「(それには答えず、少し寂しげに)ムツミさん、お幸せに……」
きびすを返して去っていくアミア……。
ジョーニアスとアミアは緑の多い小高い丘の上に立って、いよいよ立ち去ろうとする。
ヒカリ隊員「(走り寄ってきて両手を広げて)ジョーニアス! これで……最後ですか!? ぼくらはもう永久に会えないんですか!?」
そこに本作のエンディング主題歌のイントロが静かにフェードインしてくる……。
ジョーニアス「(振り返って)いや、宇宙に危機が訪れたとき、わたしは再び戻ってくるだろう! そして、だれか優れた若者のからだを借りることになるだろう!」
ヒカリ隊員「(安堵の表情)」
ジョーニアスとアミアは全身を光らせて、そのまま人間態から等身大のウルトラマン態へと同時変身する。
そして、大空へと雄飛し、その姿はエメラルド色の光球となって、最後の別れのあいさつをするかのようにゆっくりと螺旋状の動きをくりかえして空の彼方へと去っていく……。
「さようなら~! ウルトラマ~~ン!」と手をふって見送る科学警備隊の隊員たち……。
三日月状の地球をバックに、巨大化変身したジョーニアスがその右肩に、やはり中段サイズで巨大化したアミアを乗せて画面に迫ってきて、横へとそれて去っていく……。小さくなっていく地球の姿……。
ナレーション「危機が訪れたとき、ウルトラマンジョーニアスは再び戻ると約束した。そのとき、彼と一体となって、平和のために戦うのはだれだろうか? そう、あるいは、それは、きみかもしれない!」
ジョーニアスとアミアは大宇宙の遠方で一瞬その光芒を煌めかせて消えていく……。
そのままそれまで流れていたエンディング主題歌のインストゥルメンタル(演奏)が途切れずにつづいて、おそらくいつものTVサイズ版ではなくレコード録音バージョンから抜粋編集したのであろうか、ささきいさお歌唱でもやや歌い回しが異なる歌詞入りのエンディング主題歌がいつもの専用映像とともに流されることで、音楽演出の面からも別格感やスペシャル感をカサ上げにされることで、さらにエモーショナルにも盛り上げて!!
『ザ☆ウルトラマン』 ~40年目の私的総括!
誤解を恐れずに私見を掛け値ナシで云わせてもらえば、本作『ザ☆ウル』以前のウルトラシリーズの最終回にも、以降のシリーズの最終回にもそれぞれに別個の良さがあるとは信じてはいるものの、筆者にとっては本作『ザ☆ウルトラマン』の最終回がオールタイムでのベストである。それはリアルタイムで視聴した小学生時代から変わることがない。
古典的なキマジメ誠実ストイックな主人公青年。その彼は自身がウルトラマンであることに驕り高ぶらずに、時にそれゆえに肝心の局面で戦場にいないことで糾弾されるものの、それを堪え忍んで、しかも卑屈になるでもなく言い訳するでも自己正当化するでもなく、イジケて身を持ち崩すこともなく我が身を律しつづけている……。
そして、その設定から必然的に導き出されていく、ヒカリ隊員の正体隠しをめぐって掘り下げされていく終盤でのストーリー展開。それは厳密には前作『ウルトラマンレオ』の最終第4クールでも、同クールのレギュラーキャラでもある寄宿先の美山(みやま)家の人々に主人公・おおとりゲンの正体がレオであることがウスウスと察せられて、しかして彼らはおもんばかってそれをクチには出さないというかたちで、すでに同様の前例はあったのだとも云えはするのだけれども、ここまで効果的に主題にして立体的に組み立てられた作劇ではなかった。
そして、ヒカリ隊員・アミア・ムツミ隊員にまつわる淡い恋情ドラマのスパイス。
宇宙規模へとスケールが拡大していく連続性をも併せ持ったストーリー。
加えて、今となっては珍しくはないけれども往時は衝撃的であった、ヒーローの最強の敵は自身の同族でもあるというスペシャル感もある設定……。
高いドラマ性やテーマ性を達成しつつも、多数の超人ヒーローや宇宙戦艦が結集してくりひろげるバトル方面でのスケール感やエンタメ面での充実感。
ウルトラマンに変身して戦闘している最中は、主人公・ヒカリ隊員が怪獣攻撃隊のメンバーとしては職務を放棄しているという状況それ自体をタブー視せずに掘り下げて、ヒーロー一般がその正体を隠していることの意味や意義という大命題へと連結。
そのヒーロー一般が正体を隠していることの意味や意義という大命題を、「他人の力を頼りにしないこと」「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならないこと」「ウルトラマンとしてでなく、僕自身としてなにかやれること」「だれもが自分の力を信じて戦うべきだから」という次なる大命題へと連結してみせる。
しかして、それでウルトラマンジョーニアスは人間を突き放して見放したワケでもない。ジョーニアスはこうも語る。「宇宙に危機が訪れたとき、わたしは再び戻ってくるだろう! そして、だれか優れた若者のからだを借りることになるだろう!」と。
先に本作最終回は歴代ウルトラシリーズ最終回における「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならない」に代表されるテーゼとも通底することを語ってきた。しかし、それを融通の効かない金科玉条・ドグマ的なテーゼとして絶対視もしていない。再度、ウルトラマン側から地球人に助力や共闘を申し出ることもやぶさかではないとも語っているのだ。
そして、逆説的ではあるけれど、「他人の力を頼りにしない」「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならない」と覚悟を決めている人格者にこそ、むしろウルトラマンはやどる、憑代(よりしろ)に選ぶ、歴代ウルトラシリーズの第1話のように合体するのだとも語っている。つまりは私利私欲ではなく公共心に満ち満ちた高潔な人間こそがヒーローにふさわしいのだと。
そのような三段論法・四段論法を経たうえで、一周まわって戻ってきて、ヒーローもの一般の根源にある魅力そのものともいえる、子供や少年がヒーローに要求しつつ仮託もしている、自身がヒーローになって身体を自由自在に動かし世のため人のために活躍してみせたいという想い、自身がヒーローにも選ばれたいという想いを、まさに高度な次元で言語化・言説化してみせたような、最後の最後に放たれたジョーニアスとナレーションの言葉の数々……。
ここでヤボを承知で脱線してしまうのだけど、おそらくはこの最後のテーマは、『ウルトラマンエース』の最終回である「明日(あす)のエースは君だ!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)というサブタイトルからも着想を得たものだったのやもしれない。ただし、家庭用ビデオが普及していなかった当時においては、この作品をアニメ側のスタッフが実際に鑑賞することは不可能であったことだろう。
筆者は『エース』最終回も相応に傑作であると認定する者ではあるけれど、しかし、あの作品はゲストの子供たちを主要キャラとしつつも、子供たちに放たれたメッセージはサブタイトルとはややズレがあって「子供たちに明日のウルトラマンなり英雄たらんとせよ!」と謳(うた)うようなものでは決してなかった。
むしろそこで訴えられているのは、無限の許しや博愛精神を持て! という、ある意味では形而上的(けいじじょうてき)で観念的・抽象的・宗教的な徳目の類いの老成して達観した落ち着いた風情のモノであり、その良さはむしろ長じてからわかるような類いのモノなのだ。
安直に優劣を付けようというのではナイのは、くれぐれも強調しておくけど、良くも悪くも「心やさしく、かつ気高くもあるヒーロー像を目指せ!」という、子供たちにもわかりやすくて、かつ高揚感も与えてくれる簡明であって普遍性もあるような本作の最終メッセージ。
それらに心を揺さぶられてしまって、深甚な感動を覚えていた少年の日のことを懐かしくも思い出す。……いや、今でもありありと覚えている。
これからも筆者は、本作『ザ☆ウルトラマン』をウルトラシリーズ最高傑作として推しつづけて、微力ながらも啓蒙活動に勤しんでいきたいと思う所存なのである。
追伸:
本作のメインライター・吉川惣司ははるか後年、92年発売のゲームボーイ出自でピンク色のまるいからだに短い手足が付いただけのキャラクターを原作とした児童向け勧善懲悪モノであり2年にも渡るロングラン放映となったTVアニメ『星のカービィ』(01年)の総監督&シリーズ構成を務めている。ホンワカした子供向け作品ながら、この作品もまた太古の銀河規模での大戦に由来する銀河戦士団の存在をバックボーンとしており、その終盤では超巨大宇宙戦艦(!)が登場して最終回では敵の要塞へ突入するという本作『ザ☆ウルトラマン』のリメイク的な熱い様相を呈していた(笑)。同作の後番組は実写版『美少女戦士セーラームーン』(03年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20041105/p1)だが、その作品的な質はともかくやや高齢層向けなシリアスなドラマとなったゆえか、相対的には人気が高かった『カービィ』とは異なり視聴率は低落の憂き目を見てしまった。
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(友人の同人ライターがツイッター上で挙げていたもの。もうこのへんの時代の画像は半ば「公共財」扱いでイイでしょう(汗)。セル画ライクなイラストは「てれびくん」編集部のオリジナル図版。本編には同様シーンは存在しないし、そもそも絵柄自体も本編とは異なっている(笑)。
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