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ウルトラマンタイガ中盤評 ~悩めるゲストのみならず、ボイスドラマでの超人たちのドラマこそ本編に導入すべきだ!

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ウルトラマンタイガ』中盤評 ~悩めるゲストのみならず、ボイスドラマでの超人たちのドラマこそ本編に導入すべきだ!

(文・久保達也)
(2019年11月20日脱稿)

*序盤は好調だった『ウルトラマンタイガ』に募っていく違和感!


 2019年9月29日から無料動画配信サイト・YouTube(ユーチューブ)で配信されている『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)。そのラストからつづくかたちで、


●『ウルトラマンギンガ』(13年)~『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)に登場した7人のウルトラマン
●映画『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190407/p1)で初登場した、悪の青いウルトラマンことウルトラマントレギア!


 この両者が、宇宙狭(せま)しと一大バトルを繰り広げる場面から、『ウルトラマンタイガ』(19年)第1話『バディゴー!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)は開幕した。


 ツカミとしてはあまりにも豪華なこの導入部の描写や、民間の警備会社・E.G.I.S.(イージス)の新人隊員であり、主人公の工藤ヒロユキ(くどう・ひろゆき)がウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマといった3人ものウルトラマンに変身する新機軸。
 そして、中心となるタイガがかのウルトラマンタロウの息子であったり、昭和から平成に至る歴代ウルトラマンシリーズに登場した悪の宇宙人たちで結成された犯罪組織=ヴィランギルドの登場など、過去作品との密接なつながりと世界観の拡大を感じさせる設定の数々には、筆者にかぎらず今後の展開に期待した視聴者はきっと多かったことだろう。


 事実、先述した第1話の完成度が、『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)以降のニュージェネレーション・ウルトラマンシリーズの最高傑作! といっても過言ではないほど高かった。いや、毎回あれだけの高レベルのものを観せろ! と主張するつもりはない。しかし、すでに『タイガ』は第1クール半ばくらいの時点で、先述したようなシリーズ序盤で示された世界観からすれば、個人的にはどうにも違和感がつきまとうような作風・路線である印象が強いのだ。
 その違和感と戦いながら視聴してきた『タイガ』も、執筆時点で第20話『砂のお城』までが放映されて、早くも終盤を迎えようとしている。そこで、今回は『タイガ』につきまとう違和感はいったい何が要因で生じているのかを検証してみたい。


*「お悩み相談」のゲストとして登場する宇宙人……


 まず、『タイガ』で描かれる地球では、オープニング・ナレーションにも語られているように多数の宇宙人がひそかに暮らしている。これまでに登場した宇宙人たちを以下に並べてみる。


●第1話『バディゴー!』 → サーベル暴君マグマ星人、宇宙商人マーキンド星人、宇宙怪人セミ人間、昆虫宇宙人クカラッチ星人
●第2話『トレギア』 → 宇宙商人マーキンド星人、電波怪人レキューム人
●第3話『星の復讐者』 → 未登場
●第4話『群狼(ぐんろう)の挽歌(ばんか)』 → 変身怪人ゼットン星人ゾリン、健啖(けんたん)宇宙人ファントン星人
●第5話『きみの決める未来』 → ダマーラ星人
●第6話『円盤が来ない』 → 宇宙ヒットマン・ガピヤ星人アベル、サイケ宇宙人ペロリンガ星人
●第7話『魔の山へ!!』 → 暗黒星人ババルウ星人、集団宇宙人フック星人
●第8話『悪魔を討て!』 → 未登場
●第9話『それぞれの今』 → 戦略星人キール星人、殺戮(さつりく)宇宙人ヒュプナス
●第10話『夕映(ゆうば)えの戦士』 → 暗殺宇宙人ナックル星人オデッサ
●第11話『星の魔法が消えた午後』~第12話『それでも宇宙は夢を見る』 → 宇宙怪人ゼラン星人オショロ
●第13話『イージス超会議』 → (総集編)
●第14話『護(まも)る力と戦う力』 → 高次元人イルト
●第15話『キミの声が聞こえない』 → 頭脳星人チブル星人マブゼ
●第16話『我らは一つ』 → 未登場
●第17話『ガーディアンエンジェル』 → 宇宙怪人ペダン星人、昆虫宇宙人クカラッチ星人・ミード
●第18話『新しき世界のために』 → 触覚宇宙人バット星人、変身怪人ピット星人、集団宇宙人フック星人
●第19話『雷撃を跳(は)ね返せ!』 → 憑依(ひょうい)宇宙人サーペント星人
●第20話『砂のお城』 → 変身怪人ゼットン星人ゾリン、宇宙帝王バド星人エル・レイ、ヘイズ星人ミスティ


 第1話と第2話では、マグマ星人やレキューム人が怪獣を生物兵器として売買するさまが、マーキンド星人――「魔」+「商人(あきんど・笑)」星人――が主催する宇宙のオークション会場を舞台にして描かれていた。


 これはスポンサーのバンダイナムコが発売中のスマホ向けゲームで、ヴィランギルドのリーダー格として『タイガ』に登場するゼットン星人が出演するCMでおなじみの『ウルバト』こと『ウルトラ怪獣バトルブリーダーズ』(18~21年)と完全に連動した展開であるかのようにに見えたことから、マーキンド星人主催のオークション場面は毎回の定番として描かれるものだと筆者は思っていた。


 ところが、この描写は第3話以降まったく描かれなくなった。悪の宇宙人組織=ヴィランギルドが登場しなくなったワケでは決してない。ババルウ星人やフック星人、キール星人にヒュプナス、ペダン星人やクカラッチ星人などはれっきとしたヴィランギルドの一員として登場はする。しかし、彼らの悪事と対するE.G.I.S.やウルトラマンとの攻防がメインで描かれるワケではない。いわば、戦闘員的なチンピラ宇宙人としての扱いにとどまっているのだ。


 ちなみに、ネット版の百科事典・Wikipediaウィキペディア)の『ウルトラマンタイガ』の項目には「ヴィランギルド」に関する説明文がなかった。その存在感の薄さがうかがい知れるというものだ(汗)。レギュラー悪、いや、セミレギュラー悪(笑)であるヴィランギルドよりも、


●怪獣召喚士(かいじゅうしょうかんし)であるも本当は地球を侵略したくないと悩むセゲル星人の人間態の女性・葵(あおい)
●50年前に地球に取り残されて故郷の星に帰りたいと願うペロリンガ星人の人間態の中年男――『ウルトラセブン』(67年)第45話『円盤が来た』で7歳にして(!)ペロリンガ星人が変身した男の子を演じた高野浩幸がその50年後(?)を演じたことには素直に感動させられた!――
●故郷の惑星・サラサを謎の存在に滅ぼされた魔法使いの女性・麻璃亜(まりあ)――第11話&第12話に登場――


 彼らのような地球人に擬態した宇宙人ゲストをメインで描いた話の方が、『タイガ』では圧倒的に多かったのだから。


 いや、それは近年の「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」でも初期の第1クールくらいまではそうなっている。レギュラーキャラを掘り下げるためにゲストの境遇と重ね合わせて描く作劇は、最近の若いマニアたちから「お悩み相談方式」と呼ばれるほどに定着しているものだ。決して『タイガ』だけでも近年の「ウルトラマン」作品にかぎったものでもないことは確かなのだ。


 ただ、ペロリンガ星人はともかく、第10話の劇中で「帰ってきたウルトラマン」ことウルトラマンジャックのシルエットが描かれたように、『帰ってきたウルトラマン』(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20230402/p1)第37話『ウルトラマン夕陽に死す』~第38話『ウルトラの星 光る時』に登場した個体と同一であるようにも見せていることから――もちろん別次元の同族別個体なのである――、ナックル星人オデッサがその後の50年も戦いをやめて平穏(へいおん)に暮らしていたという設定は、リアルタイム世代からすればやや違和感が残る(笑)。むしろ、闘争本能の件はともかく平穏に暮らしていたという一点に限定すれば、『ウルトラセブン』第6話『ダーク・ゾーン』に登場した放浪宇宙人ペガッサ星人などの方がふさわしいかと思えるのだ。


 また、第15話でヴィランギルドのオークションで落札したベリアル細胞を元に、ウルトラマンベリアル・どくろ怪獣レッドキング・古代怪獣ゴモラを合成させて「培養(ばいよう)合成獣スカルゴモラ」――『ウルトラマンジード』(17年)#1(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170819/p1)ほかにも登場――を誕生させたチブル星人マブゼが、スカルゴモラウルトラマントレギアに倒された途端に姿を消してしまうことにも違和感をおぼえた。知能指数5万(笑)であり、「宇宙最高の頭脳」を自称するほどチブル星人はプライドが高いのだから、トレギアに復讐もせずに黙っているなんぞあり得ないと思ってしまうのだ……


 そんなヴィランギルドのような絶対悪ではない、おもわず視聴者の感情移入を誘うお気の毒な宇宙人をメインで描くにせよ、たとえば第18話などは、


●導入部で夜の大都会での宇宙怪獣ベムラーVSウルトラマンフーマの戦いを、走行する電車のミニチュアの車内の主観から描く!
ウルトラマンタイタスが額(ひたい)にある緑色をした星型のアストロスポットから、同じくU40(ユー・フォーティ)出身のウルトラマンジョーニアス――アニメ作品『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971117/p1)の主人公ウルトラマン――のごとく、星型のアストロビームをベムラーに放つ!
●宇宙恐竜ゼットンが白昼の都会で暴れはじめる場面に、かのドボルザーク交響曲第9番『新世界より』が流れ出す!――なおゼットンの着ぐるみは、『ウルトラマンマックス』(05年)第13話『ゼットンの娘』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060315/p1)での登場時に新規で造形されて以来、再三酷使(さいさん・こくし)されたかなりスリムなものではなく、初代『ウルトラマン』(66年)最終回(第39話)『さらばウルトラマン』初登場時の造形を忠実に再現された新造の着ぐるみが使用されていた――
ゼットンVSタイガのバトルを、『ウルトラマンタロウ』(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20071202/p1)でのそれのようにカメラがヨコ移動して捉えるのみならず、家屋や店舗、自転車や自販機などが配置された狭い路地からの主観で捉えて、そこに「オレの店が!」と慌てているラーメン店の店主や、E.G.I.S.の隊員でその正体は宇宙人であることが明かされている副主人公挌・宗谷ホマレ(そうや・ほまれ)らが合成される!
ゼットンVSタイガの巨大戦を背景に、ビルの屋上でのホマレVSバット星人との等身大バトルを描く!


などといった、3大ウルトラマンゼットン、正義側の隊員たちのカッコいい活躍を強く印象づけている。


 これによって、異質な存在を排除する地球人たちに復讐を果たそうとするバット星人をメインに描きつつも、過剰に湿っぽくも陰鬱(いんうつ)にもならずに、「子供向けエンタメ」としてのみならず「一般層向けエンタメ」としての体裁(ていさい)を保(たも)ててもいるのだ。


――そういった処置とは相反してしまうのだが、バット星人の「彼女」として登場したピット星人の人間態が、1970年代初頭の邦画・ドラマ・歌謡曲などで幅広く描かれていた「やさぐれ女」風だったことは、ふたりの宇宙人がこれまで地球で虐(しいた)げられてきたことを表現することには説得力を与えていた(笑)――


 つまり、『タイガ』のYouTubeでの配信に「重たい話が多い」とのコメントが寄せられていたということは、そんなイメージを払拭(ふっしょく)できないほどに、「子供向け番組」「変身ヒーロー作品」としての見せ方に不足している点があったということだろう。



 良い意味での「お悩み相談」形式をとって、たとえベタでも悩めるゲストの境遇にタイガ・タイタス・フーマらが自身の過去の境遇を重ねて回想させたり、所感を述べたり、賛否の議論をさせたりといったかたちで、彼らのキャラクターをもっと描くべきであったと思うのだ。メインターゲットの子供たちにも、声優さんたちによるやや誇張・記号化された演技によるそういった会話の方が、そのテーマもまた通じやすくて頭に入ってきただろうとも思うのだ。


*もっと、「3大ウルトラマン」のコミカルな個性をウリにすべきだ!


 そういったドラマ性やテーマ性以前に、そもそも主人公のヒロユキがタイガ・タイタス・フーマの3種類のウルトラマンに変身するという、せっかくの魅力的な設定だったのに、タイタスかフーマのどちらかが劇中では一度も登場しない残念な回も多かった。


 クライマックスのバトルでは登場しないにせよ、たとえば第3話のように、


●E.G.I.S.の若き女社長・佐々木カナが契約書を捨てたゴミ箱の中を、小人化しているタイガとタイタスがのぞきこむ(笑)
●話数は失念したが、ヒロユキが飲んでいたコーヒーのカップ内に小人化したタイガが落ちてしまい(!)、タイタスとフーマがあわてふためく(笑)


 本編で「重たい話」を描くのならば、エンタメとしてはそうしたコミカルな描写でバランスを取ることは必須かとも思えるのだ。しかし、そういった描写も序盤で描かれた以降は極端に少なくなっている。


 これは決して子供ばかりではなく、YouTubeの配信に寄せられたマニア層によるコメントでも、ミクロ化したウルトラマンたちを「カワイイ」とする声が多く見られたように、実は今時の大人層の過半をも喜ばせる要素であるだろう!


 また、『タイガ』では女性ゲスト、それもムダに美人女優が演じることが多い。たとえば、それを受けて、先述した魔法使いの麻璃亜――演ずるはアイドルグループ・AKB48(エーケービー・フォーティエイト)の元メンバー・大島涼花(おおしま・りょうか)!――をカワイイとしたタイガに対して、フーマがそれより第7話~第8話に登場した電波系霊能力ネットアイドル天王寺藍(てんのうじ・あい)の方がイイと主張する一方、タイタスだけは目もくれずにひたすら筋トレに励(はげ)んでいる……などといった言動を描けば(笑)、先述した今時のネット上のマニアの反応からすれば、そうした俗っぽい描写の方がウケただろうし、そういった要素が拡散されることで『タイガ』がライト層にも認知される効果も期待できたのではないのだろうか?


 いっそのこと、『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)に登場した正義のレギュラー怪人・イマジン(怪人)たちのパクリと云われようが、タイガ・タイタス・フーマに憑依(ひょうい)された主人公・ヒロユキの人格が変わってしまう描写もやってしまえばよかったのに……とさえ思えるほどだ。


 総集編であった第13話の予告編では、カナ・ホマレ・旭川ピリカ(あさひかわ・ぴりか)がそれぞれタイガ・フーマ・タイタスの登場ポーズをキメていた。このことから、筆者はてっきり各人に「推(お)しキャラ」とするウルトラマンが憑依するのかと思ってしまっていた。おそらくマニア視聴者の大勢もこの第13話といわず、今時の融通無碍(ゆうづう・むげ)な作品のつくり方であれば、そういったストーリー展開をシリーズ後半では秘かに期待していたことだろう。



 もちろん、3人ものウルトラマンを登場させる以上、そんなコミカルな役回りだけをさせておけばよいとも云わない。


 YouTube限定で配信されている音声のみのドラマ『トライスクワッド ボイスドラマ』(19年)では、『タイガ』本編では描かれなかったタイガ・タイタス・フーマの出自や過去の活躍が、本人たちの回想によって語られている「正編」としての一編ともなっていた。


 往年のテレビアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』では、同作のウルトラマンたちの故郷として描かれたウルトラの星・U40。そこを出身地としていたタイタスの父親は、実はかつて「物質であって物質ではない命の素・ウルトラマインド」を悪用してU40を追放されて、暗黒星雲の彼方に一大帝国を築(きず)いたウルトラ人の反逆者・ヘラーが率(ひき)いるヘラー軍団(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100118/p1)の一員であったことが明かされる!


 そして、ウルトラマンタイタスは赤ん坊のころに父がなぜだか手放して、同作の第20話『これがウルトラの星だ!! 第2部』に登場したウルトラ艦隊の司令・ザミアス(!)(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090914/p1)によって養育されたという!


 さらには、「反逆者の子」という出自に悩みながらもヘラー軍団との戦争での活躍で、U40の長老である大賢者に認められ、U40の住民は全員がウルトラマンに変身できるものの、その中でも巨大化変身ができる戦士だけに与えられる、胸の中央にある「星型の勲章」で宇宙空間を自在に航行できる能力も与えられる「スターシンボル」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091102/p1)を授与されるに至ったというのだ!


 ウルトラマンフーマは、ウルトラマンオーブウルトラマンロッソ&ウルトラマンブルの兄弟がウルトラマンの力を授(さず)かったという惑星・O-50(オー・フィフティ)に住んでいた。しかし、そこに訪れる戦士たちから盗みを働いていたほどに荒(すさ)んでいたというのだ。しかし、ウルトラマンの力を得るために来訪した宇宙人・ゲルグから道案内を頼まれたのを契機に彼と親交を持ったことで、瞬間移動能力や光の手裏剣(しゅりけん)などの術を伝授されて、O-50の山々の中の最高峰である「戦士の頂(いただき)」でウルトラマンの力を得たとされるのだ!


 まさに、1970年代に発行された小学館学年誌で掲載された昭和のウルトラ兄弟の「裏設定」を紹介する役割を、今の世にこの『ボイスドラマ』が担(にな)うかたちとなっているのだ! 昭和の第2期ウルトラマンシリーズにも感じられたように、こうしたことを「裏設定」だけで終わらせてしまうことはあまりにもったいない。


●ヘラー軍団の残党がウルトラマンタイタスを裏切り者扱いして復讐に来る!


●育ての親・ザミアスの息子でタイタスの幼なじみ・マティアや、部隊の隊長だったグリゴレオスを殺害した合成獣キシアダーがトレギアによって復活する!


ウルトラマンフーマを戦士の頂まで運んでその後は消息不明だったゲルグが、フーマのピンチに駆けつける!


●彼らを危険視していた星間連盟が、フーマのことをウルトラマンと認めずに攻撃に来る!


 そうした因縁(いんねん)で結ばれた人物相関図を活かした作劇をテレビシリーズ『ウルトラマンタイガ』本編でこそ描くことで、お気の毒な宇宙人たちの「お悩み相談」よりも、よほど人物造形に厚みのある「人間ドラマ」として完成するように思えたからだ。


*タロウの息子としてのタイガではないが、やはりタロウの息子ではある!


 ちなみに、『トライスクワッド ボイスドラマ』第13回~第15回の前中後編3回連続ストーリー『その拳は誰がために』では、ウルトラマンタイガの過去が語られていた。
 宇宙警備隊の訓練生だったころのタイガが、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971121/p1)終了後に小学館学年誌でのグラビア連載や連載漫画(81年〜)を経て関東ローカルの平日帯番組として放映された『アンドロメロス』(83年・円谷プロ TBS)に登場したアンドロ超戦士ことアンドロメロス・アンドロウルフ・アンドロマルス・アンドロフロルたちの新しき仲間とされた新キャラ・アンドロアレス(!)と出会っていたとされたのだ!
 そして、いまだ光線技を習得していなかったタイガの目前で、『アンドロメロス』の敵組織であるグア軍団の戦闘隊長・イムビーザが放った超獣ブロッケンならぬ改造ブロッケンと火山怪鳥バードンならぬメカバードン(!)を、アンドロアレスが瞬殺する活躍も描かれていたのだ!


 そうであれば、映像本編でもアンドロ超戦士やグア軍団の再登場も願いたいところだった。つまり、『帰ってきたウルトラマン』第41話『バルタン星人Jr(ジュニア)の復讐』にて初代ウルトラマンに倒された宇宙忍者バルタン星人の息子・バルタン星人Jrが登場したように、タロウに倒された極悪宇宙人テンペラー星人の息子や、火山怪鳥バードンが生んだ卵が実はひとつ残っていて、その息子が復讐に来るなどの因縁バトルなども構築可能ということなのだ。


 『ウルトラマンタロウ』第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦!』で月に帰された、うす怪獣モチロンがタロウの世話になったお礼にと平行宇宙を超えてタイガのピンチに助けに来るなどといった展開も個人的には妄想してしまう。ペロリンガ星人やナックル星人のストレートな50年後ではなかったが、変則的な50年後とも取れる姿が描かれていたことを思えば、モチロンでそうしたことをしてみせても大丈夫だろう! なにせ、テンペラー星人バードンもモチロンもアトラクション用も含めれば着ぐるみがあったハズだし。
 もっと云うなら、モチロンとのつながりで、『ウルトラマンA(エース)』(72年)第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20061111/p1)で月星人としての正体を明かして退場し、当の『タロウ』第39話にもゲストで登場していた『A』のもうひとりの主人公・南夕子を演じた星光子サンにも出演してもらって、「その節はお父さん(タロウ)にお世話になりました」と語ってもらうとか(笑)。


 冗談はともかく、『ボイスドラマ』第1回『未来の思い出 前編』では、常に「タロウの息子」と呼ばれることにイヤ気がさしていたタイガを、光の国の宇宙科学技術局の資料庫を管理しているウルトラ一族のひとりであるフィリスがたしなめるという描写がある――ちなみに、フィリスは「頭脳労働が得意」な「ブルー族」とされている。かつて小学館学年誌で「ブルー族」を「力持ちで肉体労働が得意」とされた解説を読んでいた筆者からすれば、やや違和感はあるのだが(汗)――。


 先述したテンペラー星人バードン・モチロンといった、かつてタロウと対戦した宇宙人や怪獣の再登場は決して『タロウ』ファンを喜ばせるだけではない。父であるタロウと深い因縁があるキャラたちを鏡像として、いくらその重圧から父のことを否定しようがタロウの息子である事実からは決して逃れられないことをタイガが前向きに痛感し、あらためてそこに向き合って突破していくような心の変遷(へんせん)を描くことで、タイガの成長物語を描くこともできるハズだからだ。



 そのタイガの「成長の証(あかし)」の途中過程として第16話で、


「燃え上がれ! 仲間たちとともに!!」


とのヒロユキの決めゼリフにより、ヒロユキ・タイガ・タイタス・フーマといった地球人・M78星雲人・U40人・O50人の合体強化形態として、全身に赤の配色が増して両耳部分のツノも赤く大きくなったウルトラマンタイガ・トライストリウムも誕生した!


 もちろん、タイガがヒロユキやタイタス・フーマとの絆を深めた象徴として描かれてもいた。そして、ヒロユキが「闇堕(お)ち」したタイガを逆に救ってみせるかたちで、ヒロユキにも主人公としての華(はな)を持たせているかたちで描かれてはいたのだ。逆にタイガの方は、ここに至る過程で、それまでに収集してきた「怪獣の力」を秘めてるリングタイプのアクセサリーを必殺技で使用しつづけてきた結果として、タイガが闇堕ちしてしまったことになっている…… 「力」とは「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、毒にも薬にもなるといった道徳説話的な展開!


 これもまた、悪の黒いウルトラマンであるウルトラマンベリアルの力を借りて強化変身したウルトラマンオーブ・サンダーブレスターがその力を制御できずに自我を失い暴走してしまったり、昭和の仮面ライダー1号がショッカーの催眠術にかかって仮面ライダー2号と戦ってしまうといった、それもまた広義での「王道」パターンではある。正義のヒーローである以上は、いずれは洗脳から目が覚めて正義のために頼もしく戦ってみせることはミエミエだとしても(笑)、そのカタルシスを強調するためにも、その前段では落差をつくっておいて「危機」におちいったり「闇堕ち」したりといった作劇なのであった。


*『ウルトラマンタイガ』の弱点とは!?


 思えば、近年のウルトラマンシリーズはナゾ解き要素を強調したタテ糸を主軸とする連続ものである印象が強かったものだ。


●『ウルトラマンオーブ』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170415/p1)では、主人公のクレナイ・ガイ青年=ウルトラマンオーブが108年前の北欧での戦いに巻きこまれた少女・ナターシャを救えなかった過去がガイのトラウマとして描かれていた。そして、シリーズ中盤以降はヒロインの夢野ナオミの出自をめぐるナゾ解きも展開された。ナオミがナターシャの末裔(まつえい)だったと判明したり、ナターシャが実は無事だったと明らかにされていた。


●『ウルトラマンジード』では主人公の朝倉リク=ウルトラマンジードが、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101224/p1)以来、悪役として描かれてきたウルトラマンベリアルの息子として設定された。そして、それを知ったことによるリクの葛藤(かっとう)や、ベリアルに忠誠を誓う伏井出ケイ(ふくいで・けい)=ストルム星人をヒロインの鳥羽ライハ(とば・らいは)が両親の仇(かたき)として復讐の炎を燃やすも、最終回ではそれらの関係性の劇的な変化も描かれていた。


●『ウルトラマンR/B』でも、シリーズ中盤以降に登場した謎の美少女・美剣サキ(みつるぎ・さき)が当初は怪獣を召喚する敵対者的なキャラとして登場していた。しかし、実は1300年前に地球を守ろうとした先代ウルトラマンロッソと先代ウルトラマンブルの妹であることが明らかにされていた。主人公の湊カツミ(みなと・かつみ)=ウルトラマンロッソ、湊イサミ(みなと・いさみ)=ウルトラマンブル、湊アサヒ(みなと・あさひ)=ウルトラウーマングリージョら3兄妹の母親であるミオが行方不明となった原因のナゾや、アサヒの出自をめぐるナゾ解きも展開されていたのだ。


 そういった要素は『タイガ』では皆無(かいむ)に近い。「昭和」のウルトラマンシリーズのような1話完結形式に戻っているのだ。しかし、それはよいことなのであろうか? 本邦初の特撮マニア向け雑誌『宇宙船』VOL.1(80年)などでも、当時の現行のテレビ特撮作品をつかまえて「V・S・O・P」=「ベリー・スペシャル・ワン・パターン」の作劇に過ぎて、だから年長の視聴者なり小学校高学年などが離れていってしまうのだ。リアルロボットアニメ『機動戦士ガンダム』(79年)などに流れていってしまうのだ! といった趣旨の批判が展開されていたというのに…… いくらなんでも、そういった部分では「先祖返り」をし過ぎだろう!


●自身がウルトラマンに選ばれなかったことから、オーブことガイに恨みをつのらせた『オーブ』のジャグラス・ジャグラー
●故郷のストルム星の崩壊から自身を救ってくれたベリアルを主君と仰(あお)いだ、『ジード』の伏井出ケイ
ウルトラマンオーブを真のウルトラマンと信じるがために(?)、ほかのウルトラマンの存在を断じて認めようとしなかった『R/B』の愛染マコト(あいぜん・まこと)社長=ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ(笑)=精神寄生体チェレーザ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20181104/p1


 彼ら近年の「ウルトラマン」作品に登場したレギュラー悪のキャラクターは、深夜枠で放映されたヒーローアニメ『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)に登場し、自身が気に入らない人間を怪獣を使って次々に殺害してしまった「銀髪ショートの萌(も)え系・美少女キャラ」であった新条アカネ(しんじょう・あかね)を含めて、ネット界隈では「円谷のヤベーやつ四天王(してんのう)」として「HOT(ホット)ワード」と化したほどに、若いマニア間では「ネタキャラ」として注目を集めていた。


 『タイガ』のレギュラー悪のキャラであるウルトラマントレギアの人間態である霧崎(きりさき)青年もたしかに「ヤベーやつ」ではあった。しかし、コミカルだったりオオゲサだったりといった狂的な演技付けはなされていないし、特定のお約束的な決めゼリフなどもない。あるいは、本人がいたってマジメにやっていることが視聴者には「お笑い」として映ってしまうといった演出でもない。よって良くも悪くも、皆で話題にしたり口マネして遊べことができる「ネタキャラ」としては成立していないのだ。


 ウルトラマントレギアが先行して登場した『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル』でのトレギアは、その身や両手や指をクネクネとくねらせており、悪のピエロのような口調と動作の演技付けがなされていた。それであれば、本作『ウルトラマンタイガ』でも、トレギアの人間態である霧崎を演じる七瀬公(ななせ・こう)に対して、そのようなクネクネとした動的な芝居やフザケた口調を踏襲させるべきではなかったか? そのへんでも不整合を感じてしまうのだ。


 もちろん、若手役者の一存ごときで特定キャラの芝居の基本方針は決まらないだろうから、おそらくは『タイガ』のメイン監督なり、製作プロデューサー陣による、役者さんへのディレクション(演出・演技付け)に問題があったのではなかろうか? と愚考をしているところだ。


 トレギアの声を演じる若手イケメン声優の内田雄馬(うちだ・ゆうま)。先述したウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツも務めたスーツアクター・石川真之介(いしかわ・しんのすけ)が演じる、変身後のトレギアのボディランゲージ主体のラリった演技。それ自体はよかったものの……



 それにしても、先述したジャグラー・ケイ・マコト・アカネといった「ヤベーやつ」らには行動動機が明確であった。しかし、霧崎=トレギアはそれが少々ブレていたように思える。


 タロウのかつての親友であり、タロウのことを恨んでおり、12年前のM78星雲・光の国の近傍での戦いでタロウの息子・タイガ、そしてその仲間のタイタスとフーマを一度は消滅させてしまった! といったほどの、本作でメインとなる4大ウルトラマンたちとも強い因縁を持っているハズのトレギア。彼が時折りにタロウやタイガへの恨みを口にするのでもなく、レギュラー悪として怪獣を召喚するワケでもなく、ヴィランギルドの怪獣兵器やタイガたちをただおちょくるだけの愉快犯にしか見えない描写がつづいたことには、やはり視聴者には物足りなかったのではなかろうか? 皆が観たかったのは、タロウやタイガへの遺恨も感じさせるトレギアの発言や心情描写そのものだったのだろうから!


 ちなみに第7話・第9話・第11話・第20話では、霧崎はトレギアへの変身どころかいっさい登場すらしていない。もちろん、たまにはそういったエピソードがあってもよいだが、基本設定を盤石(ばんじゃく)にすべきシリーズの前半にそういったエピソードを配置してしまうと、霧崎=トレギアの存在感もややウスくなってしまうだろう。やはり、霧崎=トレギアに対しても、タイガやヒロユキにも劣らない心の変遷を描いていくようなタテ糸を確固として設けるべきではなかったか?



 『タイガ』の第1話はYouTubeでの視聴回数が1週間で100万回を超えていた。しかし、その後は右肩下がりとなっていく。第18話に至っては1週間で29万回と、その1日遅れで配信が開始された『ウルトラギャラクシーファイト』の「Episode(エピソード)6」が1週間で稼いでいた62万回の半分にも到達していなかった。


 もっとも、テレビ本編で鑑賞できる『タイガ』とYouTubeでしか鑑賞できない『ギャラクシーファイト』を同列に比較することはできない。そして、『ギャラクシーファイト』も「全世界同時配信!」を高らかに喧伝(けんでん)した、かの坂本浩一監督作品であることを思えば、62万回という数字も決して高いものではない。
 なにせ、『仮面ライダー電王』・『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100809/p1)・『仮面ライダーOOO(オーズ)』(10年)といった10年も前の「平成仮面ライダー」作品が毎回50万~60万回を稼いでいたのだから……  『タイガ』がそれらの平成旧作ライダーの半分程度しか稼げていないということは、やはり現在の「ウルトラマン」の商品的価値とはその程度なのだと解釈すべきところだろう。



 前作『ウルトラマンR/B』の後半では、歳若いマニア間では同じ円谷プロ製作(主導権はアニメ制作会社側だが)の深夜アニメ『SSSS.GRIDMAN』に話題を持っていかれたような感があった。『タイガ』もまた『ギャラクシーファイト』の配信開始によって注目度が低くなってしまっている印象がある。


 ただ、せめて『タイガ』の最終展開や2020年春に公開されるであろう『劇場版 ウルトラマンタイガ』では、第1話の冒頭で2010年代のニュージェネレーション・ウルトラマンが勢揃いして大宇宙で総力戦を繰り広げてくれたことで、多くの視聴者が『タイガ』に抱(いだ)いたであろうトレギアVSニュージェネレーション・ウルトラマンたちの再戦! そういった期待を裏切らないスケールも壮大な映像作品を観せてくれることを切に願いたいものだ。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年晩秋号』(19年11月24日発行)~『假面特攻隊2020年号』(19年12月28日発行)所収『ウルトラマンタイガ』中盤賛否合評5より抜粋)


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 2019年12月20日(金)から『スター・ウォーズ』シリーズ・エピソード9ことSF洋画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が公開記念! とカコつけて……。
 同作の直前作にしてエピドーソ8こと「続3部作」の第2弾『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(17年)評をアップ!


スター・ウォーズ/最後のジェダイ』肯定評 ~陰陽円環な善悪観・草莽の民・自己犠牲的な特攻! 世評は酷評だが、私見ではシリーズ最高傑作!


(文・T.SATO)
(2018年12月17日脱稿)


(巻頭のみ、拙稿『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』評巻頭とも共通・汗)


 漆黒の大宇宙を白銀の巨大宇宙戦艦や、X字型やH字型の戦闘機が赤細いレーザー光線を放ちつつ滑空し、光沢ある白や黒の甲冑に身を包んだ敵帝国兵たちが闊歩して、姫を助けるために青年はレーザー剣を持って立ち上がる、近代的なSF活劇映画のエポックメイキングともなった『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開)シリーズ。


 甘さの残る青年・姫さま・ちょいワルの兄貴といった、3人の三角関係を中核に、青年がジェダイ(旧・銀河共和国の騎士)になるための東洋的修行を積む姿と、宿敵の黒仮面の暗黒騎士ダース・ベイダーや銀河皇帝が支配する銀河帝国vs宇宙各地のレジスタンスとの戦いを描いたのが、今ではいわゆる「旧3部作」(77年・80年・83年)と呼称される作品群であった。


 15年のブランクを経て再開した、いわゆる「新3部作」(99年・02年・05年)では、「旧3部作」の主人公たちの親の世代と、実は旧作の主人公青年の実父でもあったダース・ベイダーが闇落ちした経緯、旧・銀河共和国が銀河帝国に乗っ取られていくサマを描いた。


 そこからさらに10年の歳月を経て、産みの親であるジョージ・ルーカス監督自身は続編を作る気はもうなかったようだけど(爆)、それとは正反対にファンは続編を熱烈に待望していて、「旧3部作」の約30年後の息子たちの世代を描く「続3部作」(15年・17年・19年)が開幕!


 「旧3部作」の英雄である姫さまとちょいワルの兄貴との間に生まれた不肖の息子のクールな長身青年・レンは、両親の威光が重荷であって反発したのか、すでに銀河帝国残党ファースト・オーダーに所属しており、ダース・ベイダーもどきの黒マスクをかぶる中堅幹部としても活躍中のところから物語がスタート。


 蛮行を働き、罪もない村人を大量殺戮する帝国軍残党に反旗を翻す新世代主人公は、コレまた「時代」を反映してか、古典的で狭苦しい親子関係・兄妹関係を描いてきた「旧3部作」や「新3部作」とは差別化して、今のところは「貴種流離譚」でも何でもナイ名もなき雑草の庶民たち。
 元気な女性剣士を主人公に、帝国白甲冑2等兵の脱走兵でもあるガタイはよくても少々気が弱い黒人青年を副主人公に据えたあたりが、今どきのダイバーシティー(性的・人種的・性格的多様性)を反映しているともいえるけど、そのような配慮や向こうウケのイイ作品の外側にある尺度はヌキにして純・物語的な観点から見ても、妥当なキャラシフトやキャラバランスだとはいえるだろう。


 日本の年長世代の特撮マニア的には、往時に信奉されていた「怪獣恐怖論」や「怪獣1回性理論」とはまったく真逆な、先輩仮面ライダーや先輩ウルトラ兄弟たちが助っ人参戦して、子供たちをワクワクさせてきた大長編シリーズものとしての手法も採用したとも見ることができる。
 レジスタンスの将軍に昇格した姫さま(!)と、相変わらずブラブラしているちょいワルの兄貴もといチョイ悪オヤジと化したハン・ソロ演じるハリソン・フォードも、期待にたがわず再登場させることで、歴代シリーズの熱心なファンたちをも歓喜させている。


 現今ではそーでもないけど、かつては続編作品やシリーズ化自体が悪であり、堕落であり否定されるべきモノとして、昭和の後期ゴジラシリーズや1970年代前半に放映された第2期ウルトラマンシリーズなどが、オタク第1世代(1960年戦後生まれ)のジャンルマニア間で全否定されていたモノであったが、果たしてその理論・言説は正当なモノであったのか?
 その答えは今となってはもう明らかだとは思うけど、広大なヨコ方向の「作品世界」と、長大なタテ方向の「歴史」を作ることで、「続編」や「前日談」に主人公も異なるあまたの「外伝」が自動的に生成され続けていく余地を作り、マニアたちを「虚構世界」に長期にわたってワクワクとするロマンを感じさせて、タイクツさせずに遊ばせつづける「世界観消費」とでも称すべき、21世紀以降のアメコミ洋画にも顕著となった作り方にこそ無限の可能性があるというべきであろう。


 日本の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」に「スーパー戦隊」などの長寿シリーズも、一部の好き者プロデューサーや好き者の監督が担当したときのみ、散発的に世界観クロスオーバーを試みるのではなく、意図的・計画的・長期スパンで、製作会社や玩具会社などの全社ぐるみでの取り組みで、そのような「世界観消費」的な方向へと積極的に舵を切って、大いに商売していくべきではなかろうか?


(ココまでは、拙稿『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』評の巻頭とも共通・汗)


40年目の『スター・ウォーズ』シリーズ最新作、『最後のジェダイ』!


 1977年の原典からちょうど40年を経た2017年12月に公開された「続3部作」の第2作『最後のジェダイ』。ここで指す「最後のジェダイ=旧・銀河共和国の騎士」とは、「旧3部作」の主人公青年の成れの果てで、最果ての冷涼な惑星に隠遁して、ヒゲ面のオヤジと化したルーク・スカイウォーカー青年(?)のことであり、ついに彼がマスター(師匠)に昇格して、新主人公を指導する立場となることで、またまた歴代シリーズのファンたちをクスぐりに行く。


 そして、その「続3部作」の第1作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15年)でアイテム争奪戦の的ともなった『鳴門秘帖(なると・ひちょう)』(1925(大正15)年・吉川英治の時代小説)もとい「銀河地図」が指し示していた、英雄ルークが隠棲している惑星に、同じく『フォースの覚醒』にて中古市場で安売り(笑)されていた「旧3部作」での主人公たちの母船でもある中型戦闘機ミレニアム・ファルコン号をご都合にも入手して駆けつけた女剣士が、ルークに復帰を懇願するサマと、弟子入りを許可されるまでの悶着をも描いていく。


 かてて加えて、初老のルークは師匠の年齢になってもいまだ苦悩し、そこに導き手としてルーク師匠のさらなる師匠でもあるシワシワの小人老人でもあり、「旧3部作」ですでに肉体の生は終えているヨーダ師匠も霊体として登場!


 それと平行して描かれる、帝国軍残党に追撃されるレイア姫もといレイア将軍率いるレジスタンスたちの船団の「出エジプト」ばりの「エグゾダス」(逃避行)。


 帝国軍残党のメンツには、奇しくも姫の実子でもあるレン青年もおり、「父殺し」ならぬ「母殺し」をも達成することで、自身の中にまだ残る甘さを払拭することで「強者」として自立して、「真の悪の力」=「フォースの暗黒面」をも獲得せんとしている……。


 この危機を脱するために、おデブの黒髪東洋人の女整備士は黒人副主人公クンと敵母艦中核の電源ブレーカー(笑)を落とすため、その敵地に潜入するにはコード破りの達人も必要とするために、金持ちどもがカジノでギャンブルに興じる遊興惑星にも寄り道。
 重傷を負った姫の代理を務めるクールビューティーな紫髪の痩身長身の女性提督やら、命令無視を繰り返すソリ跡アオ髭な熱血壮年パイロットの奮闘に、彼らの行き違いの誤解劇なども描かれて……。


 以上までが、本作に対する教科書的な内容紹介でもある。


 以下からが、筆者の個人的な感想となるのだが……。


 コレは歴代『スター・ウォーズ』シリーズ最高傑作ではなかろうか!?(爆)
 『スター・ウォーズ』シリーズではじめてマトモな、単なる設定の「羅列」やスカスカの「段取り劇」ではナイ、物語や細部や登場人物がプリプリとした密度感のある「表現」や「描写」として昇華できている作品を観たような!!


 ……いやコレは洒落やネタや釣りとして炎上目的でそう語っているのではない。心底からそー思っているのである。
 なので、逆に本作に対して、シリーズ最低の駄作だとの評価が世界中のマニア連中によってレッテル貼りされていたことを知ったときには驚いた(笑~どうぞ、罵倒してやってください・汗)。


「旧3部作」の当時でも、シリーズを重ねることでの批判はあったのだ!


 逆に云うなら、今では『スター・ウォーズ』シリーズは先鋭的なマニアやレジスタンスのモノではなく、ふだんはジャンル作品など観もしない、どころか小バカにすらしている一般ピープルでさえ鑑賞するまでに、保守本流のメインストリームと化したブランド・権威主義の作品であるとすら思う。会社のヤンキーな一般ピープル連中でさえ鑑賞しているくらいだから、つくづくそー思う。


 むろんムダにレジスタンスを気取っているワケでもなく、少数派の味方さえすれば即座に前衛で正義ダなどと安直左翼チックな自己陶酔などは考えてはいない。多数派が愛好するモノではあっても、それがドラマ的・テーマ的・エンタメ的にも中身が充実しているのであれば結構だ。
 だが、本『スター・ウォーズ』シリーズについては、今にして思えばドラマ的・テーマ的・エンタメ的にもさほどのモノではなく、もはや大金をかけたチャチくない映像&特撮の大作映画であるから、そのオーラだけで無批判に屈服して、「物語的な達成度」と「映像的な達成度」を選り分けせずに混同して、「コレは超大作=傑作なのだ!」と自分自身に無意識に云い聞かせて鑑賞している大衆やマニア諸氏が多数派である……というのが筆者個人の見立てである――もちろん筆者自身も最終審判者でもナイ以上は、その評価尺度に性格的な偏りやシミったれたヒガ目や偏見も大いに入っているであろうことは認めております(大汗)――。


 かく云う筆者も、子供時代に『スター・ウォーズ』旧3部作をリアルタイムで鑑賞して、絶大なるカルチャーショックを受けて心酔したことがあるような老害オタではあるのだが、インターネットが普及する前なのでアーカイブ化されずに後世にはあまり残らなかった、往時にはそれなりにはあったようにも思う、往年のマニア諸氏の感慨もここに記しておきたい。


 『スター・ウォーズ』の日本初公開は1978年夏のことであった。同時期にコレまたTVアニメ(74年)の総集編映画『宇宙戦艦ヤマト』(77年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)の大ヒットに端を発した新作アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)も公開されて超特大ヒットを記録している。
 『スター・ウォーズ』&『ヤマト』の相乗効果で、その後の数年間に日本の宇宙SFアニメも急速な進歩を遂げていく。『さらば』のTVアニメ化『宇宙戦艦ヤマト2(ツー)』(78年)やその続編『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』(79年)に『ヤマトよ永遠(とわ)に』や『宇宙戦艦ヤマトⅢ(スリー)』(共に80年)。
 アニメ映画『銀河鉄道999(スリーナイン)』(79年)やTVアニメ版(79年)の総集編映画『機動戦士ガンダム』(81年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)も大ヒット。『伝説巨神イデオン』(80年)や『太陽の牙ダグラム』(81年)に『戦闘メカ ザブングル』(82年)や『装甲騎兵ボトムズ』(83年)などといった、今や古典の通称・リアルロボットアニメの作品群も登場を果たす。


 先の『ヤマト』続編群や『イデオン』にTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971117/p1)や『超時空要塞マクロス』(82年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990901/p1)といった作品群では、アニメとはいえ『スター・ウォーズ』以上に数十万年~数十億年の超古代の因縁にまでさかのぼる壮大な時間&空間的スケールで、敵味方のあまたの宇宙戦艦群が数百・数千・数万艘と登場するような圧巻のパノラミックなビジュアルを誇る大宇宙戦争までをも描くようになっていた。
 敵も味方もその存在は相対的にもほぼイーブンであり、単なる勧善懲悪ではなく互いに一理も二理もある思想的・哲学的なバックボーンを背負って戦っており、それらとは実に対照的な末端の兵士たちの無常な生&死などもすでに描かれ切って、目が肥えてしまったあとに、「旧3部作」の最終作『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83年)(現・邦題『スター・ウォーズジェダイの帰還』)を観た日には……。


 そのラストは、


・初作ラストとさして変わり映えのしない、小惑星サイズのメカ球体「デス・スター」の内部に飛行メカで潜入しての爆破劇のリフレイン、


・その近くの森林惑星での局地的な攻防戦、


・心の揺らぎや多面性や中間グラデーションがあまりナイ正義と悪との対決や、


・本シリーズにおける超能力こと「フォース」の役回りが、オカルト・前近代的に思えて、ハイブロウなSF作品にはとても思えず、「フォースと共にあらんことを」的な神頼み・他力本願の宗教的なテイストの存在であることへのプチ違和感
――往時は「力」を意味する「フォース」という英語が我が日本ではあまり一般的ではなかったので、「理力」という翻訳字幕に読み仮名で「フォース」と振っていた――。


・世界を守るため、あるいは正義や道義や大義などの「公共」的なるモノを守るためというより、あまりにも個人的に過ぎる動機や「私情」で、ウダウダ愁嘆場の甘ったれた卑小な「親子対決」をしているようにも見えてしまう主人公青年vs暗黒騎士ダース・ベイダーとの一騎打ち&和解に収斂していく最終展開……。


 アレ、こんな程度のモノなのか?……と。


 そーいうモノこそが『スター・ウォーズ』の王道なのだ! というのは、もっと後年になってから判ってきて、一般化されて意識化された通念なのである。
 当時の日本のジャンルマニアたちが無意識に望んでいたのは、『機動戦士ガンダム』のような80年代前半のリアルロボットアニメ路線であり、ハードでシリアスでリアルで精神主義が勝利をもたらさず、英雄や美形よりもフツーの平均的な青年や凡人を主人公として、特別機ではなく量産型をメカ主役に抜擢するようなノリである。
――現在の観点からはまだまだヒーローロボットアニメの尻尾を引きずっているようにも思える80年代前半のロボットアニメ群は、往時においてはそのようなモノとして見做され、あるいはそれに足らなかったとしても、日本のアニメの未来はそのような方向性を目指すべきモノとされていた――


 そのような設定や作劇こそが「高尚」であり、ジャンルが目指すべき目標だと賞揚されて、ゆえに庶民や整備兵や看護師やコックさんなどのガヤやモブキャラなども描かれるべきである! というような風潮が醸成された渦中にあっては、『スター・ウォーズ』もアッという間に最先端のトップランナーの座を蹴落とされて、後方に追い抜かれていってしまったような感もあったのだ。


 語彙力に欠けるミドルティーンの原オタク少年であった筆者には、そのへんを明晰・明快に言語化して論理や体系として認識できていたワケではむろんナイけれど、漠とはそのような感慨をいだいてはおり、中学・高校の同年代のマニア少年たちと、そのような小さな違和感をオズオズと散発的に語り合ったモノである。


 たとえば、初作では1艘だけが登場した天体規模の超巨大メカ「デス・スター」が、数十・数百・数千艘とでも出現して、仮初めの一時的にではあっても観客に絶望感を味あわせ、コレをドーやって倒すのか!? というような、さらなるスケール雄大のスペクタクルな光景の特撮ビジュアルを見せて、「知恵」(=SF合理的な作戦)と「勇気」での攻略を主眼としていくような作品を見せてくれれば、また違っていたのではあろうけど(笑)。
 海の向こうの往時のクリエイターのSF&ビジュアル的想像力を、一時的・局所的には日本の当時の若きアニメのクリエイターたちのそれが凌駕していたところも実はあったということなのだ。



 今では若い世代には古びて観えても、往時においては「旧3部作」は、前代とは一線を画する特撮技術やビジュアル・イメージなどで斯界(しかい)に与えた絶大なインパクトによって、映画史やオタク史における歴史年表には特筆大書すべきというイミではたしかに画期ではあった。
 そこに異存はナイし、「特撮」ジャンルとは「特撮」や「アクション」などの「特殊技術」を魅せるモノという定義を作って、それに従うのであれば、むしろその理想形ですらあったといえる。
 しかし、後年長じてから純ドラマ的・純テーマ的に、あるいは作劇の技巧面で、『スター・ウォーズ』シリーズを見直したときに、その部分では実はたいしたことがなくて、むしろ世人は若年時に熱狂したという好感情で、その評価に「思い出補正」が働いているようにも私見するのだ。
――難解・高尚ではなくその程度のマイルドさだったからこそ、大衆・ライト層向けにもちょうどよく、彼らが勝手に本シリーズを神話化して仮託するに足る対象としても、この塩梅がちょうどよかったのかもしれないが(汗)――


善悪の安直二元観 ⇒ 価値相対主義でもないグラデーションの陰陽観!


 かの『機動戦士ガンダム』シリーズにおける「ニュータイプ」(=新人類)の超常能力とは異なり、『スター・ウォーズ』シリーズにおける「フォース」とは、せいぜいが等身大でのレーザー剣での戦闘時の念動力やチョットした予知能力で役に立つくらいであって、銀河帝国vs旧・銀河共和国との大戦争の軍事的去就どころか、宇宙戦艦や戦闘機同士の勝敗にもほぼ無関係であったりで、戦略・戦術的にはあまり意味がナイあたりも、『スター・ウォーズ』シリーズの実は弱点であったと筆者は見ている。


 しかし、本作においては、お互いに鏡合わせの関係であるやもしれない、一応の「善」なる女剣士主人公レイ&英雄たちの不肖の息子でもある一応の「悪」なるレン青年は、何万光年も離れた場所にいるであろうに、本作中盤では「フォース」の神秘の力を通じて時折、互いの姿が間近にいるかのごとく見えて会話までをも交わす。
 女剣士レイは闇落ちしきっていないレン青年の迷いや悔恨を感じ取って、光明面へと引き戻せる未来線を見る。
 レン青年の方でも女剣士の両親を喪った不幸な生い立ちや自由奔放さとはウラハラの不穏さを感じ取って、暗黒面で共闘する未来線を見ている。
――双方ともに「幻覚」ではなく、オルタナティブ(代替可能)な「相反する未来線」が、劇中では「併存」して「実在」するということでもあるのだろう――。


 修行のさなかにあるのに、彼らの空間を超えた精神交流を改めて感知することで、ルーク師匠は弟子たる女剣士レイにも不穏さ(=暗黒面に落ちる可能性)を検知し、レン青年の上官にしてファースト・オーダーのシワシワの老人支配者・スノークも――『キング・コング』(05年)やハリウッド版『GODZILLAゴジラ)』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)の中のヒトに、『猿の惑星:創世記』(11年)シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171107/p1)の猿の主人公・シーザー役や、アメコミ洋画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(15年)で登場して『ブラックパンサー』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180607/p1)でも再登場を果たした人気悪役なども務めたアンディ・サーキスが演じる――実はすでにそれを検知した上で、なおかつ放置もしており(!)、その交流を自身の手のひらの上での出来事だと豪語することで、女剣士レイの闇落ちの可能性だとも、レン青年の光落ち(?)の可能性だとも、しかしてレン青年が光&闇の双方の力をイイとこ取りで掌握しようとしているようにも取れるかのように曖昧・多義的に描いていく。


 女剣士レイがついに潜入を果たした敵母艦内で、両者の心が通じたから、レン青年を心底から救いたいと思ったから、即座に彼に出会えたのかと思ったら、逆にレン青年の方は女剣士レイを拘束して老支配者の許へと連行し(!)、彼女が拷問を受けるのを冷ややかに見守りつづける……のかと思えば、ついに助けて共闘もして、薙刀なぎなた)ツインブレードや鞭(ムチ)にもなるレーザー剣を使う赤い甲冑姿の親衛隊どもをバッタバッタとなぎ倒し、ラスボス・ポジションの老支配者・スノークまでをも倒したので(!)、彼の光落ちも決定か!? と思いきや。
 そのまま帝国軍残党の長となってしまい(汗)、女剣士レイと袂も分かって、心で通じ合うハズの「フォース」の力もまた「心を偽ったり隠したり」することもできるモノだともする。
 あまつさえ、祖父にあたるダース・ベイダーの黒マクスもどきをカブること自体がまた「自身の弱さ」だと気づいたのか、黒マスクを叩きつけて破壊することで、フロイト(心理学者)的な「父(祖父)殺し」までをも擬似的に達成していく。


 文芸映画・芸術映画ならぬ勧善懲悪の通俗娯楽活劇として、「正義が最後には勝つ」という結論がある程度は決まっているにしても、こーいうダマしやスカしやヒイてジラして紆余曲折してドチラに転がるのかを、一時的にでも判らなくさせる作劇&演出技法は、ジョージ・ルーカス監督の手になる「旧3部作」や「新3部作」には欠如していてやや単調かつ弛緩(しかん)、モタついていた箇所でもあったと思う。
 しかし、そーいった箇所にこそ、単なる「スジ書き」「段取り劇」ではない、血肉の宿った人間のナマっぽい小さな逡巡や小さなストーリー的サプライズを連発でストーリーに込め続ける、「表現」にまで昇華した「描写」が必要なのである。
 それが達成できているか否かの相違で、たとえ基本設定やアラスジが似通った作品同士であったとしても、ある作品には惹き込まれて、別の作品にはタイクツしてしまう……という相違が生じてくるのだ……と筆者個人は考える者であり、本作はそこをクリアしてみせた『スター・ウォーズ』シリーズ初の作品であったと私見するのだ。


小さなダマしやスカしの多彩な多用で単調さを回避。成熟できない時代のルークの懊悩!


 こーいう小さなダマしやスカしは、


・重傷を負った姫もとい将軍の後任となった女提督が、自己保身だけを考える小悪党なのかと思わせて実は……とか、
・裏切りを疑って自身に叛逆してきた命令違反常習の熱血壮年パイロットのことを、女提督が実は個人としては人間味があり頼れる可愛げもあるオトコとして好ましく思っていたとか、
・黒人副主人公&東洋人女整備士コンビが、遊興惑星でお目当てのコード破りの達人とはまた別人の、アルコール中毒なコード破りの達人とも遭遇、意表外にもそっちの彼をスカウトとか、
・そのアル中コード破りの達人も、最終的には共和国に付くのか帝国に付くのかよくわからない……


などなどの描写で本領を発揮しており、本作の展開を単調に陥ることから救っている。


 従来のシリーズではほとんど描かれなかった草莽(そうもう)の下々の者たち……。


・冒頭の爆雷投下艇での不測の事態に生還があたわずとも、身を張って手動で投下せんと奮闘する一女性兵士の姿や、
・遊興惑星にて競馬ウマを世話するため、奴隷労働を強いられている子供たちに、
・先のメカニックの女東洋人整備兵や、
・「ガンダム」シリーズのアナハイム・エレクトロニクス社もかくやの、帝国にも共和国にも武器を売り裁いている商人の存在、


などなどの点描に、『スター・ウォーズ』シリーズではじめて、「主人公」や「英雄」や「戦争」や「政治劇」だけでなく、「社会」や「経済」や「庶民」までをも血肉をもって描いた感すらあるのだ。



 女剣士主人公や不肖のレン青年のみならず、この小さなダマしやスカしは、「旧3部作」の主人公青年でもあったルーク師匠にも適用される。
 それは、日米ともに先進各国では80年代の戦前育ちのレーガン大統領や中曽根首相に象徴されるように、オトナがオトナであり頑固オヤジでもあった――アイデンティティ面での迷いが少なかった――時代が終わり、90年代の戦後育ちのクリントン大統領や細川首相以降のように、大衆消費社会で育った人間たちに特有な、異性に対するモテ・非モテをドコかで内面化してしまうことで、いつまで経っても思春期・青年期的な繊細ナイーブさがドコか抜け切らないオトナたちが跋扈するようになってしまった、今の先進各国における「リアル」さの反映だとも取れる。


 前線復帰を断ったワリには、深夜に懐かしのミレニアム・ファルコン号に忍び込んで往時を忍ぼうとしたら、そこにて「旧3部作」のロボット・R2-D2や猿人・チューバッカに再会して喜ぶことで、ファンサービスと彼の多面性を描くことを同時に達成しつつ、「旧3部作」冒頭の懐かしの「姫が救いを求める立体映像」の再投影に「ズルいぞ」とボヤきつつも、ルーク師匠はその首を肯(がえ)んじない。


 変化の激しすぎる時代には旧来の手法がそのままでも通じないので、先輩ヅラして自信を持って後輩に接することができずに、強面をした瞬間に自身のことを即座に自己相対化もしてしまうような足許が定まらないオトナたちやイイ歳になってしまった我々自身の似姿。
 そのようなオトナになってしまったルーク師匠が、懇願されても前線には復帰しない頑ななまでの態度や、女剣士主人公レイへの腰が引けた態度は、かつてルーク師匠が不肖のレン青年を弟子として預かったときに、彼が暗黒面に墜ちていくことを救えなかったための自信喪失ゆえであり、隠遁が彼なりの責任の取り方でもあったとほのめかされていく。


 しかし、その明かされた真相にも自己弁護や自己正当化のウソが微量に混じっているようでもあり(汗)、レン青年が精神交流を通じて女剣士レイに語ったところとも総合すれば、大ワクではそーだとは云えても、細部においては直接の当事者の認識にすら相違がある「歴史認識問題」(爆)のような観も呈していく。
 レン青年の中にあった「闇」は幻なのか? たとえ「闇」はあってもそれは微量に過ぎなかったのではなかったか? それを見たルーク師匠自身の心にも「闇」はなかったといえるのか? その「闇」の反映ではなかったか? ルーク師匠とレン青年はドチラが先に物理的にも手を(剣を)出して相手を殺そうとしたのか?
 明確な真相は明かされずにそこは流されて、現在進行形で発生している大事件に対するレン青年&ルーク師匠の相反する選択・決断・決闘は、それらの細部・ディテールへのこだわりなど、ドーでもよくはないかもしれないけれども、あくまでも相対的には二次的な些事として押し流されて、イマ・ココの現実に緊急対処せねばならなくなっていく……。


利他・自己犠牲・特攻のお涙頂戴パターンは、日本特有ではなかった!?


 本作の中後盤は、


・大状況としては、レジスタンスの孤高の宇宙戦艦に追いついた帝国軍残党の宇宙戦艦との最後の一戦
・中状況としては、帝国軍残党母艦内で繰り広げられる電源ブレーカー落とし作戦
・小状況としては、同艦内にて老支配者を倒したレン青年vs女剣士レイの念動力でのレーザー剣の束(つか)の争奪戦!


 という3つのエレメントが、イイ意味で云うけれども、ご都合主義にも同時に鼎立(ていりつ)進行して、空間的にもほぼ一箇所で時間的には同時にクライマックスも迎えて(笑)、かつ結局は大状況がすべてをかっさらっていく……。
 そんなご都合主義的な同時展開は、リアリズム至上で考えたならばホントウはアリエナイことではあるけれど、物語・フィクションとしてはその方が散漫にならずに、まとまりも良くなり、作品テーマをシンボリックに重ね合わせることで余韻も二重奏や三重奏となることで、観客にもより良く伝わったりもする。


 その際のキーワードは「利他」の心かとも思えたが、旧日本軍の自爆「特攻」にも見えるあたりで、センシティブな御仁であれば、コレを問題視する意見もあってイイようには思える。


・本作では冒頭からツカミとして、地球型惑星を眼下に見下ろす成層圏で、帝国軍残党の艦船vs鈍重タテ長の中型爆撃艇群との小競り合いが描かれる。
 次々にヤラれて誘爆していく機動性の悪そうな爆撃艇の最後の一艘に鎮座する若き無名の女兵士が、もう戦局的に帰還も叶わないであろう自らの運命を悟って、それでも地上の友軍の脱出時間を稼ぐため、遠隔装置が故障でもあるゆえに、格納庫に趣いて手動で数百の砲丸型爆弾の投下にようやっと成功! 敵艦を撃破するも、自らも爆炎に消える!


・黒人副主人公クンも終盤、塩の惑星での巨大岸壁トーチカ(砦)を背にした広大な平原での攻防戦では、曳航されてきた敵の巨大光線砲――「デス・スター」のそれと同じモノ!――の射線軸上を飛行して、砲口に特攻することで破壊せんとする!


・追っ手の敵艦隊からエグゾダス。逃げるばかりで策もなく、自身だけ秘密裏に小型艇で脱走しようとする卑劣漢か? と観客に思わせた紫髪のスマートで上品な壮齢の女提督ではあったが、それは乗員たちをレーダー捕捉されにくい小型艇で脱出させるための奇策であったことが判明。
 最後は艦橋にひとり残り、宇宙戦艦を反転させて、超光速飛行の初速の勢いの体当たり(!)で、敵艦隊を一挙に瞬時に撃沈して、自身も戦場の露と消える!


 同時期公開の『映画 中二病でも恋がしたい! -Take on me-』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190904/p1)でも、片目に眼帯をかけた小動物チックな中二病のメインヒロインが自動改札に引っかかるや、「ワ、ワタシに構わず、先に行けェェーー!!」と自己犠牲の精神を叫んでいたのと同じパターンが本作では連発されたのであった(……違います・笑)。


 往時とは異なり、2010年代のメリケンの作り手たちも、日本のジャンル作品の悪しき「特攻」ネタに毒されてしまったのか!? ……ということはナイであろう(汗)。
 早くも二むかしも前のSF洋画『インデペンデンス・デイ』(96年)でも、異星人のコンピューター・ウイルス攻撃を受け付けないアナクロ(時代錯誤)な複葉機に乗る老パイロットが、自らの身を犠牲に異星人の超巨大UFOのバリアに自爆「特攻」して勝機を与えていた。
 キリスト教の伝道モノ映画でも、異民族・異教の土地で宣教師たちが悲惨な殉教(死)を遂げていた。
 2001年の911同時多発テロでも、消防士たちは延焼中の超高層ビルへ消火&救出に向かっていった。


 コレらの姿は、自爆「特攻」とは完全イコールではないにせよ、相手が人間か人外かの相違だけであり、一応の大義があるとはいえ自らの生命を犠牲や危険にさらしてもイイと考える非合理な一点においては、大差がナイともいえる――異論は受け付けます(汗)――。
 非暴力・非服従ガンジーによる有名な「塩の行進」も、20世紀前半のインドだから東洋的神秘のベールでオブラートに包まれて美談のようにもなっているけど、イギリス兵の鉄の棍棒に無抵抗で打たれて数千人で死んでこい! という運動であって、コレは旧日本軍の無策なバンザイ突撃や「特攻」と何が違うというのか?(汗~20世紀後半以降にコレをやったらガンジーも批判殺到であったろう)。


 てなワケで、全肯定はできないけれども全否定もできないあわいのところで、日本人に特有ではなく実は世界共通・普遍的でもあろうお涙頂戴パターンで、要所要所のクライマックスも作っていくのだ。


『最後のジェダイ』ラスト~『ハン・ソロ』~最終章『エピソード9』へ


 ラストでは、塩の惑星上の大平原に面した丘陵の天然岩盤に構築した巨大トーチカへの潜伏に成功したレジスンタンスvs帝国軍残党との白昼下での城塞戦。
 最大のピンチに、ついにルーク師匠は冷涼な惑星に本体の肉体を残して座禅を組んで空中浮遊したまま、魂のみを異星に飛ばして物質化・肉体化を遂げて、かつての姫とも再会を果たし、文字通りの一騎当千
 『機動武闘伝Gガンダム』(94年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990804/p1)中盤回において主人公青年の師匠マスター・アジアこと東方不敗老人がナマ身の東洋拳法で次々と敵巨大ロボットを粉砕していったのと同様に――もうガンダムも要らないじゃん(笑)――、帝国の四足歩行メカ数十機の一斉砲撃にもビクともしない無敵の強者ブリを示す。
 攻撃がやんだあとには、肩に落ちたチリを払う余裕綽々の姿も見せつけることで、ただの神頼みや単なる他力本願な祈りの対象だけではない、「フォース」の物理的な有用性をも描くあたりで、個人的には長年の溜飲が下がる思いでもあった。


 もちろん「フォース」による超能力バトルだけでも、今度はレーザー剣や宇宙戦艦が不要になってしまうので(笑)、それはレジスタンスがさらなる脱出をはかるための時間稼ぎであったとして、最後には女剣士主人公レイが搭乗するミレニアム・ファルコン号も駆けつけて、峡谷や洞窟を往年の「デス・スター」外装のミゾや内部へと至る巨大通路に見立て直したような迫撃チェイス戦も描かれることで、本作最後のクライマックスも作っていく。
 女剣士レイと黒人副主人公もここにて再会を果たし、彼らが発した救難信号に即座の反響はなかったにしても、希望に満ちたトーンで次作へとつづく幕となる……。



 というあたりで、空気が読めないワケではなく、読めはするし、些事であれば合わせもする協調性(笑)もあるつもりだけれども、やはり合わせちゃイケナイこともあるだろうとも思うので、自身の腹を割って見せてみた。


 もちろん本作を他人との同調ではなく心底からツマラない、評価しないと思った人間であれば、それを変える必要はナイと思う。しかし、意志薄弱にもムラ世間的な「空気」に合わせてついつい見解を変えてしまったという自覚があるヒトたちには、ぜひともその見解を改めてほしいとも思うのだ。


 リメイク映画『スター・トレック』(09年)や本作の直前作にあたる「続3部作」の第1弾『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を脚本&監督したJ・J・エイブラムスが監督を務めていないから、本作は駄作なのだ! というような世評もあるようだ。
 けれども、日本とは異なりアメリカでは映画は監督よりもプロデューサーの方が権限がカナリ強いので、本作ではプロデューサーの親玉でもある「製作総指揮」の筆頭を務めた氏が、本作の脚本&演出面の許諾にノータッチであったというようなことも、おおよそ無さそうに思えるどころか、むしろその意向を反映させていたとも思えるので、その見解にもとても同意はできない(笑)。


追伸


 詳細は省いて書くけど、本作公開半年後に公開された原典「旧3部作」の前日談映画『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(18年)も世評は酷評のようだが、筆者個人は楽しめた。その逆に、「続3部作」の第1弾『フォースの覚醒』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191229/p1)や同じく「旧3部作」の前日談『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年)については、個人的には大金をかけただけの単なる「設定段取り劇」にしか感じられず、個人的には評価はしていない。


 このあたりについては、来年2019年末に公開される「続3部作」の最終章、J・J・エイブラムスが再登板する『スター・ウォーズ/エピソード9(仮題)』が公開された暁にはまとめて語りたいところだ。
――それが果たせなくても大丈夫。資本主義の世の中だから、きっとジェダイの騎士が正義や平和を守り通しても、悪党もまたまたよみがえることで、『スター・ウォーズ』シリーズは延々とつづくであろうから、その折りに語るのでもイイだろう(笑)――。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』合評2より抜粋)


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スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 ~ライト層の流入増大による功罪の必然。もはやブランド・権威と化したゆえの高評価では!?


(文・T.SATO)
(2015年12月27日脱稿)


 漆黒の大宇宙を白銀の巨大宇宙戦艦や、X字型やH字型の戦闘機が赤細いレーザー光線を放ちつつ滑空し、光沢ある白や黒の甲冑に身を包んだ敵帝国兵たちが闊歩して、姫を助けるために青年はレーザー剣を持って立ち上がる、近代的なSF活劇映画のエポックメイキングともなった『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開)シリーズ。


 甘さの残る青年・姫さま・ちょいワルの兄貴といった、3人の三角関係を中核に、青年がジェダイ(旧・銀河共和国の騎士)になるための東洋的修行を積む姿と、宿敵の黒仮面の暗黒騎士ダース・ベイダーや銀河皇帝が支配する銀河帝国vs宇宙各地のレジスタンスとの戦いを描いたのが、今ではいわゆる「旧3部作」(77年・80年・83年)と呼称される作品群であった。


 15年のブランクを経て再開した、いわゆる「新3部作」(99年・02年・05年)では、「旧3部作」の主人公たちの親の世代と、実は旧作の主人公青年の実父でもあったダース・ベイダーが闇落ちした経緯、旧・銀河共和国が銀河帝国に乗っ取られていくサマを描いた。


 そこからさらに10年の歳月を経て、産みの親であるジョージ・ルーカス監督自身は続編を作る気はもうなかったようだけど(爆)、それとは正反対にファンは続編を熱烈に待望していて、「旧3部作」の約30年後の息子たちの世代を描く「続3部作」(15年・17年・19年)が開幕!


 「旧3部作」の英雄である姫さまとちょいワルの兄貴との間に生まれた不肖の息子のクールな長身青年・レンは、両親の威光が重荷であって反発したのか、すでに銀河帝国残党ファースト・オーダーに所属しており、ダース・ベイダーもどきの黒マスクをかぶる中堅幹部としても活躍中のところから物語がスタート。


 蛮行を働き、罪もない村人を大量殺戮する帝国軍残党に反旗を翻す新世代主人公は、コレまた「時代」を反映してか、古典的で狭苦しい親子関係・兄妹関係を描いてきた「旧3部作」や「新3部作」とは差別化して、今のところは「貴種流離譚」でも何でもナイ名もなき雑草の庶民たち。
 元気な女性剣士を主人公に、帝国白甲冑2等兵の脱走兵でもあるガタイはよくても少々気が弱い黒人青年を副主人公に据えたあたりが、今どきのダイバーシティー(性的・人種的・性格的多様性)を反映しているともいえるけど、そのような配慮や向こうウケのイイ作品の外側にある尺度はヌキにして純・物語的な観点から見ても、妥当なキャラシフトやキャラバランスだとはいえるだろう。


 日本の年長世代の特撮マニア的には、往時に信奉されていた「怪獣恐怖論」や「怪獣1回性理論」とはまったく真逆な、先輩仮面ライダーや先輩ウルトラ兄弟たちが助っ人参戦して、子供たちをワクワクさせてきた大長編シリーズものとしての手法も採用したとも見ることができる。
 レジスタンスの将軍に昇格した姫さま(!)と、相変わらずブラブラしているちょいワルの兄貴もといチョイ悪オヤジと化したハン・ソロ演じるハリソン・フォードも、期待にたがわず再登場させることで、歴代シリーズの熱心なファンたちをも歓喜させている。


 現今ではそーでもないけど、かつては続編作品やシリーズ化自体が悪であり、堕落であり否定されるべきモノとして、昭和の後期ゴジラシリーズや1970年代前半に放映された第2期ウルトラマンシリーズなどが、オタク第1世代(1960年戦後生まれ)のジャンルマニア間で全否定されていたモノであったが、果たしてその理論・言説は正当なモノであったのか?
 その答えは今となってはもう明らかだとは思うけど、広大なヨコ方向の「作品世界」と、長大なタテ方向の「歴史」を作ることで、「続編」や「前日談」に主人公も異なるあまたの「外伝」が自動的に生成され続けていく余地を作り、マニアたちを「虚構世界」に長期にわたってワクワクさせるロマンを感じさせて、タイクツさせずに遊ばせつづける「世界観消費」とでも称すべき、21世紀以降のアメコミ洋画にも顕著となった作り方にこそ無限の可能性があるというべきであろう。


 日本の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」に「スーパー戦隊」などの長寿シリーズも、一部の好き者プロデューサーや好き者の監督が担当したときのみ、散発的に世界観クロスオーバーを試みるのではなく、意図的・計画的・長期スパンで、製作会社や玩具会社などの全社ぐるみでの取り組みで、そのような「世界観消費」的な方向へと積極的に舵を切って、大いに商売していくべきではなかろうか!?


『フォースの覚醒』封切当日のお祭り騒動&その内実!(…映画『妖怪ウォッチ2』の方が興収面では上だった・汗)


 おそらく広告代理店などとも組んで大々的に仕掛けているのであろうけど(?)、封切当日は民放各局の夕方~夜のニュースまで動員して、公開直前のシネコン内の行列やコスプレマニア連中をフィーチャーしてまで大宣伝!


 この光景を見て、「あー、日本でもジャンル作品が根付いたんだなー」と弛緩(しかん)して呆けているヒトは、アタマが悪いと思います――上から目線でスイマセン(汗)――。


 ところがフタを開けたら、『スター・ウォーズ』よりも、児童向けアニメ映画『妖怪ウォッチ』第2弾『映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!』(15年)の方が大ヒット!
 あ~、愉快ツ~カイ、笑いが止まらない~、ザマァ見ろ~!――下品でゴメンなさい――。


 『スター・ウォーズ』の客層の大多数は、今となってはファッション&スイーツのミーハーなライト層である。ホントウに心の底から『スター・ウォーズ』がスキな層なのかは怪しい。
 いや同作のことがキライということはないにせよ、世間で流行っているから、大多数がホメているから、バスに乗り遅れるナとばかりに、消費している層がほとんどであるだろう。


 自分が心の底からこの作品がスキだから……というよりも、悪いイミでのムラ世間的な日本人のように「空気」を読んで、その場での多数派・大勢に順応して長いものには巻かれろ! というような直観や自己保身、もしくは周囲の仲間や人々に対しての「自分はイケてる系の流行りモノも押さえてます!」といった自己アピールやアクセサリーとしての「消費」なのである。


 だからジャンルファンは、コレをもって楽観してはイケナイ。周囲の意見に惑わされずに、自分の好悪・センスだけで選んでみせてみた! というモノではないのだから……。
 ある一定の規模・閾値(しきいち)を超えると、浮動層・流動層が、たとえば「彼氏がスキなものだから……それに話を合わせるためにお勉強する~」みたいなミーハー女性層まで流入してくる! そのような軽佻浮薄なダムの決壊現象が今、生じているのである。


 私事で恐縮だが、筆者の会社などでも、ふだんはオタク系作品などはまったく見ない、オタク趣味とは程遠いようなアウトドア系・リア充の連中までもが「『スター・ウォーズ』を観た」「もう一度観る」「迫力があった」なぞとヌルいことをホザいていやがる(笑)。
 だからといって、彼らがオタク趣味やオタク人種そのものにも理解を示した! ということにはならないのだ。「日本特撮」や日本の特撮変身ヒーローものにまで関心を示した! 関心を示す可能性がある! ということにはならないのだ。
 そこのところを、瞬時に細分化して選り分けて、直観的に現象の多層性を認識できるくらいでないと、オタクとしては二流・三流ではあるだろう!?――我ながらそーなのか? とセルフつっこみ(汗)――


――もちろん『スター・ウォーズ』シリーズ・ファンの中核には、コアで熱心なマニア諸氏がいることも承知はしております(汗)――


可もなく不可もなし。むしろ作劇の技巧面では特に優れていないのでは?(歴代シリーズもそうだった?・汗)


 で、10年ぶりの新作『スター・ウォーズ』の内容自体はごくごく標準的な出来で、可もなく不可もなし。


 多少ネタバレするけど――つーか事前に明かされていたけど――、序盤で出てきた辺境の田舎惑星を発端に、男勝りの白人お姉ちゃんと、帝国(?)の白甲冑歩兵なるも少しヘタレが入っている黒人脱走兵が、今や失踪して行方不明の旧3部作の主人公の所在を示す電子地図をゲットして逃避行を企てる中、同じく旧3部作のハリソン・フォードことチョイ悪オヤジのハン・ソロと猿人型宇宙人がかつて搭乗していた、一見オンボロの高性能宇宙船ミレニアム・ファルコン号を中古市場でゲットして、さらにはそのお二方にも旅の途中でご都合主義にも遭遇してしまう! というもの。


 加えて、旧3部作の黒甲冑の宿敵・ダースベイダーもどきの青年の正体は!? 期待にたがわずラストでは、旧3部作の主人公の成れの果てとも、ある銀河の辺境惑星で遭遇して終幕!



 正直、純・ドラマ、純・作劇の題材的には、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」や「ガンダム」などの長期シリーズにおいて、先輩戦士が客演する話と本質的には変わらないことをしているだけだとも思う――それが悪いというのではなく――。


 細かく云えば、旧3部作の当時から思っていたけど、大宇宙戦争のハズが、国産のSFアニメのように理念や思想で戦っているのではなく、血縁・親子関係での非常に狭い戦いになってしまうあたりが、公的なものではなく私怨だけで戦っているショボい感じがして、本作でもそーなってしまい、個人的にはドーかとも思うのだけれども、それがもう「らしさ」であり、『スター・ウォーズ』の歌舞伎的様式美であるのならば、それでもイイのですけれどもネ(汗)。


 ただ、純・映像的に、ヘボさやチャチさのない特撮やCG映像、広大な砂漠や岩場に冷涼だが緑豊かな海の孤島といったロケーション映像がゴージャスということで、庶民・大衆、ファッション&スイーツ層も、細かいコトはともかくとして、おそらくはココらあたりからも受けるスケール雄大感を漠然と評価しているのだろうとも思う。


 しかし、畳み掛けてグイグイと引きこんでいくような、ベクトル感やスピード感あふれるノリノリの本編演出・アクション演出・剣殺陣演出といった面ではドーなのか?
 そのへんもまた、チャチということではなかったにせよ、他の歴代のハリウッドのジャンル系作品群と比しても、本作のそれが圧倒的に優れたものであったのかについては、正直疑問ではある。


 いや、それは実は『スター・ウォーズ』の歴代シリーズにしてからが、すでに同様であったのやもしれないが(汗)。


 で、そのへんを要素要素に分解して、全肯定でも全否定でもなく、理性的に是々非々で語っていく、というような行為がジャンル系評論オタク間でもあまりなかったようにも思うのだ――あくまでも私見です――。
 それは我が敗戦国・日本(笑)、および日本のジャンルファンの過半の無意識下にもやはりある、我らが「日本国」に対する反権力的な相対化はできてはいても――正直過剰の域に達しているとも思うけど――、おフランスざます的な「舶来もの」に対する妄信的な「権威主義」を、明瞭に客観化して認識できていなかったからだとも思う。
 すなわちコレを、「植民地の民の奴隷根性」ともいう(笑)。


 映像的にゴージャスか否かが主たる評価尺度であり、よほどの欠点がないかぎりは、同じような題材&ストーリー展開の作品ではあっても、ある作品には密度感があって心の底から引き込まれて感情移入したり、別の作品には弛緩したフンイキが漂って単なる段取りを演じているようにしか見えなくなる……などというような相違の発生については、庶民・大衆の皆さまはあまり気にかけないどころか、仮にウスウス気が付いたとしても、それを明晰・明快には言語化・成文化はできないモノなのであろう。


 いま挙げた例は極端ではあるけれど、実際にはそれらの両極の中間に、無限のなだらかなグラデーションがあるワケであり、その微差を微に入り細を穿って言語化してみせて「そうそう、たしかにこの作品はそーなっている!」と腑に落としてみせるのが評論オタクの真骨頂だとは思うのだ。


カネをかけた映像面では劣っていても、純・ドラマ面、純・作劇面では、むしろ今どきの国産特撮の方が勝っていやしないか!?


 ごくごく個人的には、「人間ドラマ」寄りで「特撮」や「アクション」がやや軽視されていて「娯楽活劇作品」としてはいかがか? という意見も散見される、同時期公開の今やJAC社長にしてアクション監督上がりの金田治カントクが手掛けた新旧ヒーロー共演映画『仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス』(15年)の方が、映像的なゴージャスさはともかく、まだ『スター・ウォーズ』よりも純「娯楽活劇」的にはまとまりがよくって、グイグイと引きこまれるベクトル感もあって、実は筆者個人は『フォースの覚醒』よりも『仮面ライダーゴースト&仮面ライダードライブ』の方をよほど高く評価するけどなぁ(汗)。


 いやまぁ、『仮面ライダーゴースト&仮面ライダードライブ』よりも、メリケンでのスーパー戦隊のリメイク『パワーレンジャー』シリーズ(93年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)の功労者・坂本浩一カントクが手掛けた『ウルトラマンX(エックス)』(15年)中盤の先輩ヒーロー・ウルトラマンギンガ(13年)&ウルトラマンビクトリー(14年)客演編の3部作、一見キン肉バカっぽいけど用意周到に計算されたお話の組み立て方や、アクションの組み立て・並列のさせ方に、タッグマッチの錯綜した入り替え&入れ子化と、それを実現させる演出力の方をこそ、もっと高く評価しますけど(笑)。


 実際、彼らがハリウッド並みの予算と時間を与えられれば、舶来モノの作品にも負けないと思うのだけれどもネ。



 しかして、90年代までのツッコミどころが満載でダラダラと弛緩してタイクツな作品が大勢を占めていた時代とは異なり、さりげに急速に「娯楽活劇」としての作劇・演出・特撮技術が進化している2010年代の「日本特撮」がなぜに正当に評価されないのか!?
 それは、『スター・ウォーズ』シリーズ・ファンへのファッション&スイーツなライト層の流入とは真逆の現象があるからかもしれない。


 すなわち、「日本特撮」と聞くと、庶民・大衆の皆さんは、本誌の読者のような……もとい本誌のライター陣のような……もとい筆者のような(笑)、「キモオタ」のビジュアルイメージを浮かび上がらせてしまうからではなかろうか?(オイ!)


 そう、延々とヘリクツをくっちゃべっているような、ビジュアル的にもTVに写っちゃイケナイ! 世間の前面には出てきちゃイケナイ! 我々のような見るからに異形(いぎょう)で、カタギではない見てくれの「趣味人」の存在が、今や「日本特撮」のイメージアップの障害になっているのやもしれない……(爆)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.73(15年12月30日発行)。巻頭のシリーズ概説のみ、特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』合評2より抜粋)


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 2019年11月22日(金)からアニメ洋画『アナと雪の女王2』が公開記念! とカコつけて……。元祖『アナと雪の女王』(13年・日本公開14年)の逆パターンをねらったとおぼしき異世界を舞台としたロボットアニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』(14年)評をアップ!


クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』 ~ガンダムSEEDの福田監督が放つ逆「アナ雪」! 女囚部隊に没落した元・王女が主役のロボットアニメの悪趣味快作!

(文・T.SATO)
(2015年4月27日脱稿)


 水樹奈々堀江由衣田村ゆかり喜多村英梨上坂すみれ小倉唯石原夏織林原めぐみ
 最初からオーディションをする気がなかったのか(?)、キングレコード系の若手のみならずアラサー・アラフォーのアイドル声優(笑)たちだけが大挙集結!――オッサンの筆者にはルックス含めてまだまだ若くてウェルカムだけど、高校生くらいのオタが見たならば一部はオバサンですかネ?(汗)――


 国民たちも注目する、文武両道の気高き美人王女さまがのぞむハレの場の戴冠式
 そこで予想だにしないことに、お姫さまが「異能」(?)の持ち主であることが発覚して大騒ぎ! ……って昨2014年に大ヒットしたディズニーのCGアニメ映画『アナと雪の女王』と同じやないけー!


 「異能」というのがこの作品世界においては、国民必須の能力である「超能力」を「保持していない」ことであったり、王女さまが外ヅラは良くって態度もフェアでも、プライベートや本心では勝ち気だったり、王家を追放された先が「泣く子も黙る監獄島」だったりと、アレンジはイチイチが逆だけど。


 #1のアバンタイトルは、バイクみたいな飛行メカにまたがった半ケツの姉ちゃんだらけの女囚部隊が命令一下、一糸乱れぬ編隊飛行で、西欧中世ファンタジー風の空飛ぶ大小の翼竜ドラゴン軍団と、明るい洋上にて血しぶき空中戦!
 しかし、命令を無視したお姉ちゃん(元・王女さま)が子守歌(?)を歌いつつ独断専行! 戦友たちのブーイングも無視してバイクを中型ロボットに変形させて、圧倒的な強さで大活躍も果たして、ついには巨大ドラゴンにトドメを刺す!


 ツカミは上々! 主役はこのお姉ちゃんで、本作は巨大ロボットものですよ! と判らせる秀逸な導入部でもある。


 続けて何かの間違いで(笑)、去年の大晦日の『NHK紅白歌合戦』でも披露された、主演声優・水樹奈々が歌うノリノリの本作オープニング主題歌が流される。


 気立てのいいウブな少女性や萌え媚び・癒しの精神性よりも、凛々しさ・ハツラツさやセクシーな肉体性を前面に押し出していた、1970~90年代アニメのビキニアーマーや半裸の「戦闘美少女」たち。「学園異能」や「日常系」アニメに押しやられて、かつては輝きを放った「戦闘美少女」たちも今や傍流。
 よって、大きなニーズがあったとも思えないのに、そんな「戦闘美少女」が2010年代の御代に復活! ……いや、「戦闘悪女」・「戦闘猛女」・「戦闘毒婦」というべきか?(汗)


 育ちの悪いヤツらばかりの女囚間では、意地の張り合いやらイジメが横行! 服を切り裂き画鋲を仕込み、時に互いに身体を慰め合う!


 とはいえ、高貴の生まれの元・王女さまは悲劇の主人公にはならない。彼女個人の人間関係面での相手の気持ちを推測することができない空気の読めなさ、生来からの身分差別意識がまたヒドいものなのだ(爆)。


 筆者個人は本作の確信犯で下世話な作りが非常に気に入ったけど、少々ヘビーな展開があると「鬱アニメだ、鬱アニメだ」と小ウルサい、心優しい今のオタ間では覇権を取ることはナイだろうと、作品への質的評価とはまた別に、素人マーケティングをしていたところだ。


 実際、若いアニオタたちの批評系ブログを眺めても、今どきの洗練された美少女アニメばかりが語られる。
 下品な作りで何よりも作画が悪い本作は(汗)、語られること自体が極少で――「萌え」要素に乏しくて女性ファンが多めのオタク版『池袋ウエストゲートパーク』(98年・00年にTVドラマ化)ことラノベ原作の深夜アニメ『デュラララ!!』(10年)なども同様だったけど――、筆者の私見をこのアニメ感想クラスタの現実がウラ付けしているとも見てきた。


 ところがフタを開けたら、円盤第1巻の売上が同じく同季の2クールアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191215/p1)を上回るスマッシュヒット!


 愉快ツーカイ(コラ)。
 しかしナニゆえにこうなる? 本作の円盤を購入した君たちは今までいったいドコに隠れていたのか?(笑) イチイチ「鬱アニメ」だとクレームを付けている層は現今の主流派じゃなかったの?


 こーいう現実に直面すると作品の外側のこと、ひとかたまりのマスに見えがちなアニオタも決して一枚岩ではなく、内実は「水平方向」に四分五裂しており、批評ブログ・まとめサイトも時にファンの最大公約数ではなく、ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティの両者があることによる「垂直方向」でのバラつき偏差にも気付かされてしまう。


 ていねいな描線&輪郭が標準となった2010年代のアニメにはとても見えない、#1はまだしもオープニング主題歌のビジュアルが象徴する(汗)、画力に乏しくてもササッと描けそうな(?)少々粗いキャラデザ&作画。コレは2014年前半の『バディ・コンプレックス』&『キャプテン・アース』が売上的には爆死したから、「ロボットアニメはやはり売れないかも?」的に予算を削られてしまったせいですかネ?――本作後半・第2クール前半の作画に至っては崩壊で、そのへんの各回の出来もグダグダでしたけど(笑)――


 このテの作品での常套の「超展開」で、シリーズ後半では「もうひとつの地球」(並行世界)が登場! 終盤では持ち直して、ラスボス&劇中世界に迫る大破局のスケールも超特大にしてみせて、作劇的にも盛り上げる!


 「もうひとつの地球」に新たな居を定めて、荒廃した元の世界は放置して残存者の「自助努力」に任せる(!)本作の最終回は、たしかに「自助努力」自体が「人間の基本」かもしれないので小気味がイイ気もする。
 と同時に、コレは昨今の新自由主義経済の極端化だともいえて――元の世界では生存のために発砲して、盗っ人を殺害している図までもが!――、筆者みたいな弱者は真っ先に死ぬであろうし、近代的な市民社会(笑)とは程遠いよナと思ったりもする。……などとマジレスして論考するような作品でもナイけれど(汗)。


 「指をさして半分は笑いながら観てください!」という方向性をねらったネタ作品でもあるけれど、


・タフなリア充(リアル充実)
・キマジメな学級委員タイプ
・損をして恨みを募らせる弱者
・集団内での生存戦略で仲間のフリ


 などの多数の女性キャラの描き分け、力学&因縁決着を、過不足なくまとめあげていたことは指摘しておきたい。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.64(15年5月2日発行))


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超重神グラヴィオン ツヴァイ』 ~2004年冬アニメ評! 『超変身コス∞プレイヤー』『ヒットをねらえ!』『LOVE♡LOVE?』『バーンアップ・スクランブル』『みさきクロニクル~ダイバージェンス・イヴ~』『光と水のダフネ』『MEZZO~メゾ~』『マリア様がみてる』『ふたりはプリキュア

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 2019年11月29日(金)からTVアニメの再編集映画『劇場版 ガンダム GのレコンギスタⅠ -行け! コア・ファイター-』が公開記念! ムダに無意味にわかりにくかった、あの『Gレコ』がココまでわかりやすくなるだなんて!
 富野アニメにはあるまじきの前代未聞とも云えるけど、セリフが状況説明的な方向でいちいちクドめに改変されていて(笑)――今なにが起きているのか意味不明でモヤモヤとして足場も定まらないくらいならば、程度問題でも多少は説明的な方がイイとは思うのでカンゲイだけれども――、主人公少年が何でアッサリと敵の宇宙海賊の陣営に行っちゃって、しかも馴染んでいるんだよ!? 敵地から来たキレイなお姉さんのメインヒロインもかつての想い人を主人公少年に殺されたのに、そのときだけ取り乱しただけでその後は引きずっているようには見えないよ!?
 といった一大欠陥が、周囲のスタッフの助言・忠告の成果か、やはりクドいくらいに背景や色彩反転の止め絵が挿入されて、そこで彼ら彼女らの内心での逡巡が声としても吐露されることで、あるいは宇宙海賊が潜伏する島嶼地帯に主役ガンダム・Gセルフを乗っ取ったメインヒロインが向かう道中で、同乗していた主人公少年が下痢になってしまうおマヌケな描写と、敵の青年パイロットも使用していた本作における巨大ロボット共通の操縦座席兼用トイレがこの『劇場版』ではじめて係り結びとして活きてきて(笑)、主人公少年が敵地へ向かう異常さ・違和感もまぁまぁ緩和ができている!
 かもしれない……とカコつけて……。原典の方の『ガンダム Gのレコンギスタ』(14年)評をアップ!


ガンダム Gのレコンギスタ』 ~富野監督降臨。持続可能な中世的停滞を選択した遠未来。しかしその作劇的な出来栄えは?(富野信者は目を覚ませ・汗)

(文・T.SATO)
(2015年4月27日脱稿)


 満を持して登場した、アナザーガンダムならぬ、本家・富野カントクの手になる新作ガンダム


 トミノ信者ども! コレで満足か!?(笑)


 まずパッケージ面でビックリ。人物もメカも作画がよくない。背景美術も密じゃない。ホントに2014~5年の作品か? 巨大ロボ&宇宙戦艦も今どきCGではなく手描きで柔らかみを出し、古いアニメのようにカスれたタッチの線画も、意図的なものかとは思うのだが、将来の新スタンダードをねらったという(?)作品としてはいかがか?


 外注にまるまる出してる回の方が作画がイイのは、筆者だけの眼の錯覚か?――#10。大ヒットアニメ『進撃の巨人』(13年)の荒木哲郎カントクとWIT STUDIOが担当した回―― 美麗であった『∀(ターンエー)ガンダム』(99年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990809/p1)の映像クオリティよりも後退してないか? ビッグタイトルなのになぜに作画にリソースを割けないの!?


 世界観は作品外の情報も含めて設定を聞く分には面白い。『機動戦士ガンダム』初作(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)が舞台とした「宇宙世紀」よりも千年以上の未来。人類が増えすぎた人口をそこに移した超巨大植民用円筒・スペースコロニー群もほぼ壊滅。人口もかつての1/10に激減。しかし、毎度のこととはいえ、それを劇中で説明もしなければ、廃墟のコロニー群の止め絵一発などで見せることもナイ。


 大量生産・大量消費・全面戦争を阻止するために、宗教的タブーを人為的に作って、「近代」的な「自由」と「進歩」を「我欲」として疑い、「中世」的な「節度」と「節制」に生きて、持続可能な経済と生態系を護持する世界観は、一部の経済学者も主張していた未来像でもあり、その実現可能性はともかく個人的にはそのビジョンに賛同もする。


 そんなバチカンみたいな市国にも新設の「アーミー」(軍隊)と旧来からの「ガード」(警察?)の確執があって、海の向こうのアメリカ大陸にも「宇宙海賊」を隠れミノにした軍隊の「分派」がいて、大図式としてはバチカンアメリカの小競り合いなのかと思いきや。
 月から艦隊が押し寄せてきたから共闘し、すわ月との全面戦争かと思いきや、それもなく(笑)、スカスカな防空体制でアッサリ月の中での反主流派の地へと漂着。
 次にはなぜか金星に向かったら、金星にも主流派と反主流派がいて……。というのが筆者の理解だが、間違っていたらスミマセン。


 コレらの諸要素・諸展開のお団子を串刺しにして、作品に首尾一貫性を出すための主人公少年の行動原理の一端・象徴となるように、オープニング映像でも毎回流用される「年上のキレイなお姉さんはスキですか?」的な、ヒロインのたなびくピンクの長髪とそのシャンプーの匂いにヤラれている(?)少年の顔のUPカットがあるのだとも思うのだけれども……。少年の表情作画が少々マヌケなので、イマイチ説得力がなくて半笑いしてしまうのは筆者だけか?


 全面戦争ではなく小競り合い程度なので、井の中の蛙が世界の広さを知る物語にしたかったのか? だが、『ガンダム』は群像劇がスタンダードだとはいえ、本作は主人公の主観にフォーカスしていかないので、その目論見(?)も果たされない。特に序盤でメインヒロインを追っかけて、彼女が属する敵の「宇宙海賊」に身を投じて馴染んでしまっているあたりが、無理アリまくり。


 オープニング映像にもある、月夜のテラスでヒロインを前にして少年が手スリに腰掛け上半身から頭を右に傾げて甘えたように話しかけている、艶っ気のあるロング(引き)のカットなどは、筆者も映像作家だったらあんな絵を作ってみたいと思う。しかし、大方の『ガンダム』ファンが望んでいるものではナイどころか非コミュのオタがヘイトする仕草だし(笑)、このカット自体もただの「点」に過ぎなくて作品における「線」や「面」や「立体」に発展していったワケでもナイ。


 どんな細かな事象でも逐一好意的に深読みして解釈する、中世キリスト教の神学チックなトミノ信者の狂信的なふるまいがマニア世間で猖獗(しょうけつ)を極めていたら、筆者個人は猛反発をしたトコロだ。しかし、オタク世間を見るに「王様は裸だ!」的に本作&トミノを批判する声も今回は公然とあがっているので、ならば偽悪的にキバらずともイイやと筆鋒も鈍る。


 もちろん嗜好の相違の問題もある。作品への最終審判など誰にもできやしないけど、ひとつの作品への見解の多様性が確保できている現況は、「富野ガンダム愛好者にあらずんば人にあらず」的な同調圧力が強かった往時よりかははるかにマシである――若き日に狂信者であった筆者が云うのもナニだけど(汗)――。


 ケチばかりつけてきたけど、ちょうど30年前のビーム銃の撃ち合いばかりであった続編『ガンダム』諸作とは異なり、メカロボの近接戦闘はなぜだかまぁまぁ盛り上がる(なぜ?)。全体に丸っこくてお眼めも大きく前方に両ツノが突き出た主役ガンダムのデザインも個人的にはキライじゃない。


 振り返ると主役周辺が、年上ヒロイン・チアガール・空から落ちてきた少女・黒髪オカッパと10代の少女ばかりである。今やそこに違和感がナイのは、美少女アニメを観過ぎた筆者がクサっているせいか?(汗)


 トミノが本気で少年向けに作りたいなら、社会の入り口の縮図として同世代の男子や兄貴分キャラも多数出して、主人公が自堕落な大人たちに反発したり、社会の歯車でも職分を果たす大人たちに感じ入ったりするような描写を入れるべきだとも思うのだけど、今やそのような「王道」展開がコレ見よがしの「ベタ」に思えてヤリたくないのであろうか? そのあたりの作劇術も腑に落ちてこないのだ。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.64(15年5月2日発行))


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新機動戦記ガンダムW(ウイング)』(95年)評 ~ドロシー嬢・戦争論・ゼロシステム!

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ターンAガンダム』(99年)評1 ~序盤評

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ターンAガンダム』(99年)評2 ~成人式・ついに土俗に着地した富野

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劇場版『ターンエーガンダム』(02年)「I地球光」「II月光蝶」評

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機動戦士ガンダムSEED DESTINY(シード・デスティニー)』(04年) ~完結! 肯定評!!

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劇場版『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』(05年) ~映画『Z』賛美・TV『Z』批判!

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機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』(07年) ~第1期・第2期・劇場版・総括!

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