(ファミリー劇場『ウルトラマンエイティ』放映開始記念「全話評」連動連載開始!)
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『ウルトラマン80』再評価・全話評! 〜序文
『ウルトラマン80』第2話「先生の秘密」
羽根怪獣ギコギラー登場
(作・阿井文瓶 監督・湯浅憲明 特撮監督・高野宏一 放映日・80年4月9日)
(視聴率:関東18.7% 中部17.5% 関西19.0%)
『ウルトラマン80』第2話「先生の秘密」 〜合評1
(文・内山和正)
(1999年執筆)
主人公・矢的猛(やまと・たけし)先生が受け持ちの登校拒否の生徒・塚本を学校に来させられるかがストーリーの中心。そういえば、同時期の『1年B組新八先生』(80年)も最初の三つの難題のひとつが登校拒否だった。
現在の目で見れば、古い「行きたくないから行かない」型だ(友人たちが私立中学に合格したなか自分だけが落ちたのが動機)。しかし、『3年B組金八先生』にしても「行きたくても行けない」精神型の登校拒否を扱ったのは、第3シリーズ(88年・昭和63年)においてであるので(問題提起としてだけなら、『80』とおなじ年の秋からの『金八』第2シリーズにおいて、より深刻な事例を描いてもいるが)、現在はじめて『80』を見る方は時代背景のちがいをご留意願いたい。
登校拒否の描写自体には軽量感を受ける。しかし、問題をそれだけにとどめず、生徒たちに受けいれられていない矢的が軽はずみにも生徒たちと約束して、遅刻したら逆立ちして登校するとか、自らの職を賭(と)して塚本少年を登校させるとか、彼らの信頼をいかに勝ち取れるかをからめて盛り上げる。
小さなエピソードとはいえ、用務員のノンちゃんが女生徒たちの失恋の相談に乗って自然に生徒たちの信頼を得ているのを見て(といっても、彼女のセリフ「ジャンジャン食べまくって忘れちゃうの……」自体は不合理なところもあるが・笑)、自分の不甲斐なさに苦悩・反省する矢的や、常套的とはいえ登校拒否についての書籍をアパートの大家(おおや)経由で差し入れるマドンナ教師・京子先生の気遣いを加えることで教師ドラマとしてのまとまりを見せている。
塚本少年の登校拒否の解決法が、怪獣が原因である突発事項から矢的に守られて心を開くかたちであるのも、他人からの誠心誠意の厚意にはついに応えてくれる当時の学園ドラマの生徒像としては納得できる。もちろん即座に心を開いてしまうわけでもなく、塚本は矢的から逃げ出したり、自分のために遅刻してしまった矢的を実は影から見ていて、「本当の友だちならサ、見つかるまで探してくれるはずだろ。遅刻を気にしてサ、ひとりで飛んでったクセに」などと矢的を試すような愚痴をこぼす。
それに対する矢的の「甘ったれるな!」との一喝に、塚本は涙を浮かべるなどの改心の過程描写をはさんでいる。見るからに小柄でやさしくて気弱そうな塚本。自身の行動を心の底ではホメられたものではないと本当はわかっているのだろう。不良少年の一部の性悪(しょうわる)な子たちのように善悪がそもそもわかっていないタイプではなく、あるいはわかってはいても自身の快楽の方を優先してしまうようなタイプではない、根は聡明な良い子であり最後には話が通じやすいタイプであることは確かだ。
塚本は矢的の変身の瞬間を目撃したわけではないが、ウルトラマンが矢的だと直感する。もちろんクラスメートたちは、
「先生がウルトラマンなら、大根(だいこん)だってウルトラマンになれらあ!」(笑)
と誰も信じないのではあるが。
職を賭している矢的を守るため、またも遅刻した矢的よりも先に他の生徒たちを教室に入れまいとする塚本の情熱に打たれた生徒たちは、矢的のことを認める。もちろんクサくはあるのだが、校庭を生徒たちと駆け足で教室へと向かっていくラストシーンは、本当にほのぼのとしていて幸せな気分になれる。
この回では矢的が生徒をすでに「落語(らくご)」「ファッション」などのニックネームで呼んでおり、前回の第1話「ウルトラマン先生」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1)から少し時間が経過したことを暗に示している。しかし、生徒たちの方は矢的をキラっているのであるから、ニックネームで呼ぶのは生徒たちに受け入れられた次回以後にした方が引き立ったのではないか? もっとも、矢的本人は受け入れられるつもりで親しげに呼んでいるという解釈もできるが。
羽根怪獣ギコギラーは冒頭、深夜の都市部に出現。精巧なビル街のミニチュアとそれを暗く照らす照明スタッフの手腕がすばらしい。首都高速の高架の巨大なミニチュア越しに写したアングルは怪獣の巨大感と遠近感を強調している。
山口修デザインの『80』初期怪獣に顕著だが、マイナスエネルギー由来である設定を意識したのか、ギコギラーはアゴに気持ちが悪いクネクネとしたヒゲを幾本か垂らしていて、1話の怪獣クレッセントと同様に両眼が赤く、体色も黒くて死霊的・死体的・ゾンビ的な印象も醸し出している。
終盤は、造成地ゆえか傾斜した高いブロック壁が目立つ、桜ヶ岡中学近辺の郊外の新興住宅地にギコギラーが再出現! このシーンのミニチュア群の出来もすばらしい。羽根怪獣ギコギラーの羽根によって生じる突風によって吹っ飛んで崩壊する建物や家屋や多数の瓦や塀のブロックなどのミニチュアも細かくつくられていて見事だ。それだけに特撮マニア的には一部、手で押しているのが露骨にわかるカットがあったのは残念だ。
突風で空を飛ばされて着地した先での、今回の矢的のウルトラマン80への変身シーンは、妙にかしこまっていて少しぎこちない。
『ウルトラマン80』第2話「先生の秘密」 〜合評2
(文・黒鮫建武隊)
(1999年執筆)
怪獣ものとしても学園ドラマとしても欠点の目立つ話でありながら、『ウルトラマン80』の一エピソードとして見ると中々イケているという、摩訶不思議な一品。
今回の怪獣ギコギラーは、話の冒頭とクライマックスにしか登場しない。冒頭でUGMに追い払われた後は、Aパート終了直前で「月に潜(ひそ)んでいる」という説明を挟んだのみで、物語終盤にて突如、逆襲してくる。性格設定などもほぼ為(な)されていない。ミニチュア破壊や羽根で起こす突風といった特撮場面の迫力は特筆に値するものの、登場怪獣自体の印象は極めて希薄である。実写としては五年ぶりに復活したウルトラシリーズの第2話が、早くもこの体たらくで良いのか?!
結果、話の大半は怪獣と全く無縁のドラマ展開となる。具体的には登校拒否の生徒・塚本幸夫(つかもと・ゆきお)を学校に連れ出そうとする猛の奮闘が、描かれているのだ。
第2話にして、この物語構成。『ウルトラマン80』という作品が描きたいのは怪獣ではなく、学園ドラマだったのか。ところが、その学園ドラマに関しても、諸手をあげて「傑作!」と称賛はできない。
登校拒否(近年は「不登校」と表現する)という問題は学園ドラマではよく見られるものなので、初期ストーリーにはふさわしい。進学に際し小学校時代の友人と別れ別れになったとか、英語が大嫌いとかいった登校拒否の理由付けも、中学一年生の四月、という時期によく即している。そうした配慮は感じられるが、肝心の展開がいかにも粗雑である。猛は、自分が幸夫を好きで、したがって「友達」であるとの論法(?)で幸夫を連れ出そうとするが、幸夫はそんな猛に心を開かない。
猛は彼を「甘ったれるな!」と怒鳴りつける。成程、幸夫が甘ったれているのは確かだが、そんなことは最初からわかりきっていたではないか。優しく語りかけておいて、それで心を開かなければ怒鳴りつける。これでは、幸夫のみならず視聴者に対しても、説得力に欠けると言わざるを得まい。
幸夫は「先生のバカ!」と走り去るが、そこにたまたま怪獣ギコギラーが逆襲。猛は幸夫を庇(かば)い、それによって幸夫は猛に対する信頼を覚える(猛を「友達」だと実感する)……
一応ここで猛の指導は首尾一貫したわけだが、意地悪く言えばそれは怪獣のおかげ。本当は怪獣でなく、トラックか何かが突っ込んでくるのでも良かったのだが、要するに非常事態の発生によって辛うじて、猛の指導は実を結んだのである。
怪獣のおかげでも何でも、幸夫が猛の真摯な姿勢から何かを感じ取れたのだから結果オーライなのだが、あくまで「結果オーライ」であって、少なくともこの話を幸夫から聞いた1年E組の生徒たちが、手のひらを返したように猛を慕う結末は、あまりにも絵空事の感が強い。
登校拒否にせよ生徒との信頼関係にせよ、じっくりと腰を据えた描写が要求されるテーマなのであり、それを三十分枠、なおかつ怪獣出現・ウルトラマン80との格闘等という要素による時間や物語展開上の制約の中で処理しようという以上、どこかにしわ寄せが行く。つまり、強引な展開が必要になってしまうのだ。今回はそれを怪獣ギコギラーの逆襲、という形で処理しているわけであり、結果、その逆襲自体が実に唐突な印象になってしまった。
結局、この話は怪獣の印象も希薄、学園ドラマとしての展開もぎこちなく、虻蜂(あぶはち)取らずに終わった感が強い。猛の一所懸命ぶりばかりが印象的である。と言うより、その描写こそが本話の主眼だったのだ。彼の真摯な頑張りが、多少の(?)コミカルさを加えて丁寧に描かれている。
登校拒否の指導法として猛のやり方が正しいかどうかなど、極端に言えばどうでも良いのだ。ただ、猛が猛なりのやり方で、懸命に生徒に対していることが重要なのである。その意味では、いかにも『ウルトラマン80』らしいエピソードと言える(ついでに、こうした経験を通じて猛自身が先生として成長し続けていっていることにも、着目したい。今回は特に、用務員のノンちゃんを見習おうとするシーンなどに端的にあらわれている)。
ところで先刻、ギコギラーの逆襲を「トラックか何かが突っ込んでくるのでも良かった」と表現したが、これがもしウルトラではなく普通の先生もので、そのラストにトラックが突っ込んでくるのだとしたら、これはもう、ドラマとしてはどうしようもないという気がする。
ところがここで怪獣が飛び込んでくる――番組本来のセールスポイントである「怪獣大暴れ、ウルトラマン80大活躍!」という場面にすりかえられる――ことが、他の先生ものならぬ『ウルトラマン80』ならではの面白さである。
中でも最高なのは、「ウルトラマンは先生なんだね!」という幸夫の一言だろう。心を閉ざしていた幸夫が、怪獣から自分を守る猛を見て考えを改める。その展開自体は言いようもなく陳腐である。しかし、それが幸夫の心の中でどれだけ劇的な変容だったのかをうまく表現することで、その陳腐さは充分にフォローが可能となる。
この場面がそれだ。ウルトラマン80の姿に矢的先生の笑顔がオーバーラップする。「ウルトラマンは先生なんだね!」と幸夫が叫ぶ(この場面、けっこう泣けるんだぜ)。
心などというものは目に見えないから、心の中の変化を映像で表現することは、困難を極める。これほどに劇的で、これほどに明確な心の変容を、一般のドラマで描けるだろうか。「ウルトラマンであることを知られたら、地球上にはいられない」という設定が、更に効果を増していることは言うまでもない。
一般的な学園ドラマとして見ると説得力を欠く無理な展開でありながら、一般の学園ドラマとは異なる、ウルトラシリーズならではの表現でその欠点を強引に解消し、それどころか一瞬の爽やかな感動すら味あわせてくれる。筆者が最初に「『ウルトラマン80』の一エピソードとして見ると中々イケている」と評したのは、正にこのことを指すのだ。
(重箱のスミ)
・「オオヤマ隊長/城野エミ隊員」「ハラダ隊員/タジマ隊員」のテロップが入る。
・塚本幸夫は私立中学の受験に失敗し、桜ケ岡中に入ったという設定。ということは、桜ケ岡中は公立(市立)ということになる(昔の『80』のCDのブロックタイトルで、「私立」とされていたことがあるのだ)。